私見・偏見(2009年)

私見・偏見(2008 年)へ



 

    吉村忠典著『支配の天才ローマ人』にはローマ人の支配の天才ぶりなどは少しも書かれてゐない。

    この本で著者が言ひたいのは、ローマの世界支配は全てがパトロネージ(パトロン関係)の延長であり、法に基づいたものではなかつたといふことである。だか らそれを現代の国際法の概念で理解しようとしても意味がないといふのである。

 しかし、そんなことより、この本を読んでゐると、ローマの支配は現代のアメリカが世界を支配して行つた過程とあまり違はないといふ印象ばかり受ける。 ローマは抵抗する者には武力を使ふが、服属する者は自由を与へて行つたのである。

 また、征服した国には親ローマ派で富裕層中心の政治体制を与へて行つた。しかし、そこでは必ず反ローマ派である貧困層がその政治体制に反発して革命を起 こさうとした。そして、その目的は必ず土地の再分配と債務の帳消しだつた。

    土地の再分配と債務の帳消しを実際に行なつたのはスパルタだつた。著者にとつてはスパルタは改革を実行した民主的な国であり、民主的な政治制度をもつてゐ る国に見えたやうだ。一方、富裕層中心の法制度は民主的ではないらしい。

    しかしなが、現代世界のどこを見ても、どの国も富裕層中心の政治体制であり、それでゐてその多くが民主主義なのだ。著者はかなりマルクス主義にかぶれてい ゐるのではないかと思ふ。(2009年12月29日)







    ところで、担当医(=研修医)が自分の患者のその後の経過を知りたいと思ふはず、といふ私の目論見は全くの見当違ひであることが分つた。
 
    私たちを迎へた彼は、自分の担当患者の現在の体調には全然興味を示すことなく、自分の仕事を増やした私たち対して不快感を隠すこともなく、家族のかかりつ け医の診療所に必要な薬がないことを私たちの目の前で電話で確認してから、別の開業医を紹介しただけなのだ。
 
    家族の病気であちこちの病院の救急医にかかつてみて分かつたことは、彼らがみな研修医ばかりだといふことである。それは休日だけでなく平日もさうなのであ る。
 
    まともな医師たちはみんな外来診療を担当したり手術をしたりして、研修医とはかけ離れた日々を送つてをり、その皺寄せが全部研修医か後期研修医といふ卒業 後5年目までの医師の卵たちに来てゐるのだ。
 
    よく医師不足と言はれ、また一方で医師の数は足りてゐると言はれるのは、比較的楽をしてゐるベテラン医師たちと、救急や時間外診療などの過剰労働を全部受 け持たされてゐる医師の卵たちとの落差から来てゐるに違ひない。
 
    つまり、経験の面でも労働環境の面でも半人前でしかないのに、研修医たちの仕事の量はべらぼうに多い。そんな彼らの出来る事は、自分たちの生き残りをかけ て、患者をよその病院や開業医に回すことなのである。
 
    だから研修医たちが自分の患者に対して医者らしい態度をとる余裕など何処にもないのは当然なのである。
   
    一つ言へる事は、病院でまともな医者に診てもらひたければ、救急車で病院には行かずに、歩けるうちに外来診療を受けることだ。 (2009年12月4日)





   先日家族が病院で手術を受けて退院したが、家に帰つて診察券をもらつてゐないことに気がついた。

    それに関して、担当医(彼は研修医である)の下にゐる研修医が、入院中にしきりに、やつてきて退院後はかかりつけの開業医に連絡するから、そこで診てもら つて欲しい、術後の経過がよくない場合だけ私に電話してきて欲しいと言つた、といふ家族の話を思ひ出した。

    退院後はこの件で病院の外来に来るなといふことで、それなら診察券は要らないはずだからである。

    しかし、医師が自分の担当した患者のその後の経過を知りたくないはずはないし、患者が担当医に頼りたいといふ気持ちを持つのは当然のことだ。

    さう思つて、私は、かかりつけの開業医が病院の下請けをするのに不熱心なこともあつて、外来の予約をとつて担当医に診察を受けさせた。

    予約は取れてその時間に病院に行つた。ところが、病院の電子掲示板には私の家族の診療番号が一向に掲載されない。昼の12時を過ぎても載らない。1時にな つても載らない。

    昼食抜きで待つてゐるのは体に悪いし、順番は当分来さうにないので、病院の食堂で何か食べることにした。食堂にも順番を示す掲示板がある。

    昼食をとつて一息ついてやつと順番が来たのは何と3時半だ。診察が終つて薬をもらつて家路についたのは4時半。午前中に行つてこれなのだ。

    しかも、そんな時間まで診療してゐたのは、この担当医=研修医ただ一人だつたのである。他の医師たちはみんな12時過ぎには診療を終へてゐた。

    私の家族にあの研修医があんなことを言つたのは、この担当医のこの現状を見かねた上でのことだつたのだと、その時私は気付いた。

    医学の現場では研修医たちにこのやうな過酷な労働が課せられてゐるのである。

    もちろん、休日も平日も救急は研修医の仕事だ。一方、他の医師たちは手術や自分の名前が出る外来診療を週二回やるなど決まつたことをするだけなのである。

  どうやら医者の世界はまだ徒弟奉公が生きてゐるやうである。

    このやうな状況に置かれた研修医たちにとつての唯一の興味は、いかにして自分の仕事を減らすかになつて当然である。それが研修医の外来に来るなといふ 言葉であり、さらには救急車たらひ回しの原因なのである。(2009年12月2日)







 パナソニックのDVDレコーダ、ディーガの難点は、早送りと巻戻しのスピードがうまく設定されていなくて、見たい場面を探すと きに、なかなか思ふところに行かないことだ。低速ではなかなか進まないくせに、少しスピードを上げると、遥かかなたにまで行き過ぎてしまふのだ。
 
 ヴァルディアはこの辺のスピード設定がものすごく繊細に出来てゐて、出したい場面を比較的簡単に出すことが出来る。また停止状態からそのまま早送りがや 巻戻しが自由に出来るのも優れてゐる点だらう。
 
 これはチャプターを切るときに大きな違ひとなる。ヴァルディアだとさらに画面のコマ数まで指定できるのだ。
 
 VR方式のビデオをVIDEO方式に変換するとき、チャプターが消えてしまふことがあるが、その時は変換したものに手でチャプター入力するしかない。し かも、後者ではチャプターを前者の2秒遅れて打つ必要がある。
 
 そんなとき、ヴァルディアだとVR方式の方のチャプター位置の時間をコマ数までメモしておけば、2秒足して、VIDEO方式の方にチャプターを打つなん てことが、比較的簡単に出来る。
 
 画面を見ながらチャプターを打つと絶対にずれるし、ディーガのチャプター編集だと前へ行つたり後ろへ行つたりで、いらいらして仕方がないが、ヴァルディ アだと簡単に近い場面まで行って、あとはコマ数まで正確に、ジャストの位置にチャプターを打てるのだ(なほ、これは現行の最新機種についての感想ではな い)。 (2009年11月18日)







    叔父の入院生活はもう何年にもなる。その間に相部屋の老人たちはみんな入れ替つてしまつた。お亡くなりになつたかどうかは知らないが、酸素マスクが付いた り、心拍計がベッドの横に置かれたりすると、翌週にはもうゐなくなつてゐることが多い。

    さうするとしばらく空のベッドになることがあるが、すぐに次の爺さん婆さんがやつてくる。こんどの隣のベッドは上品な婆さんでちやんと口を閉じて横になつ てゐる。上を向いてゐるが単に休んでゐるといふ雰囲気だ。

    ふと目をやると婆さんと目があつたりするが無言である。一見何の不自由も無ささうに見える。それでも直接胃から食物をとつてゐるやうだから、寝たきりなの だらう。

    翌週も夕方に病院に行くと、同じ婆さんがゐる。私は叔父の手首をしばつてゐる紐をほどいてミトンもとつてやつてから、婆さんに背を向けて椅子に座り、テレ ビをつけて一緒に見てゐた。

    すると後ろでその婆さんが何かか細い声で言ふのが聞こえた。近くにゐた看護婦が婆さんのもとに駆けつけて、「どうしたの。何て言つたの?」と声を掛ける が、婆さんは黙つてゐる。心配した看護婦がなほも声を掛けるが何も答へようとしない。

    仕方がなく看護婦は帰つてしまつた。私はまたテレビに視線を戻して見てゐた。するとしばらくして、また背中で何か言ふのが聞こえる。私は婆さんが何か困つ てゐるのではないかと思ひ振り向いてみるが、無言である。

    それでまたテレビを見てゐると、また背中で何か言ひかけたので、すばやく振り向いて聞き耳を立てた。それでやつと婆さんの言葉がわかつた。婆さんはかう言 つてゐたのだ。「暗くならないうちに早くお帰りください」

    どうやら私の方が婆さんに心配を掛けてゐたのだと覚つた私は、急いで叔父に「では、帰るね」と声を掛けて病室を後にしたのであつた。(2009年10月 29 日)







    叔父のゐる病棟は患者が生きて家に帰ることのない病棟である。みんな上を向いて口をあけてベットに寝てゐる病棟である。

    一日に何をするといふわけでもないが、もちろん病院としてはリハビリ、つまり回復訓練はする。誰かが回復して家に帰つたかどうかは知らないが、希望のため にしてゐるのは確かだらう。

    ここの病人たちはみんなボケ老人たちだ。しかし、ここは精神病院ではない。少なくともさう呼ばれてはゐない。しかし、みんな礼儀は心得てゐる。私の叔父も さうだが、最近叔父の病室の来た婆さんたちもさうだ。頭もボケ、体も自由にはならないが、私が叔父の見舞ひに行くとしきりに話しかけてきてくれる。

    隣の婆さんはまだ60代だが、私が行くと「にいちやん」と言つて話しかけてくる。この間などは、誰と思つたのか知らないが、早く誰それと食事をしておい で、しきりに勧めてくれる。

    適当に相槌を打つてゐると、今度は向かひの婆さんが何やら話し始めた。どうも独り言のやうではあるが、誰かに話しかけてゐるやうなので相槌をうつてやる と、「うまいものを食つてもしょんべんになつて出て行くだけや」としきりに愚痴を言ふ。

    看護婦が入つて来てもそんなつぶやきの相手になつてやる人はゐないが、こんなところで一人で寝かされるのも、明日は我が身だと思へばこそ、黙つても居れな いのである。(2009年9月27日)







    週に二回ほど叔父のゐる病院に行く。叔父との付き合ひは元気な時にワープロが壊れたので自分の同じ機種をあげたら、お返しにニコンの一眼レフをもらつた程 度で、それ以前はろくに話もしない人だつた。

    ただ、その一眼レフをくれた時に説明書をもらひ忘れたので、また叔父の家まで4キロの道を自転車でもらひに行つたら留守で、帰つてみると叔父が自転車で行 き違ひにわざわざ届けてくれてゐたといふことがあつてからの付き合ひである。

    叔父はボケてはゐるが心使ひは忘れてゐなくて、隣の部屋の水屋に○○があるから食べて行きなとか、食券があるからこれで食べて帰りなと、よく言つてくれ る。

    自分はどうやらボケてゐるらしいことも知つてゐて、後の事を私に頼んだりする。しかし、もう入院して何年にもなると、言ふこともなくなつてきて、「いつぺ ん家に帰つてみようかなあ」などと言ふが、何も言はずに帰つて来ることもよくある。

    叔父は胃に流動食を入れる管を外してしまふので、食事時には手にミトンをはかされ両手首はベッドの枠にタオルと紐で縛られることになつてゐるが、家族が行 つたときは紐をほどいてあげられるから、なるべく行くやうにしてゐるのである。

    叔父は自分がくくられてゐることを「また逮捕されてしまつてなあ」と本気とも冗談とも分からない言葉で言つてゐたが、最近は何も言はない。それでも紐をほ どいてやると一生懸命自分でミトンを外さうとする。

    こちらでミトンまで外すと管を抜いてしまふので、食事が終はるまではそのままにしてゐるが、食事が終つて看護婦が管を外したら、私はミトンを外して家へ 帰るのである。(2009年9月26日)







 自民党の総裁選挙の演説をyoutubeで三人とも見たが、河野太郎が一番よかつたと思ふ。一番説得力があつた。

 あとの二人はありきたりの事しか言はなかつたし、民主党や反自民のマスコミの土俵で喋つただけだつた。いまさら脱官僚とか地方再生とか言つても、それで は民主党と同じである。

 ところが、河野太郎だけが物事を別の観点から喋つてゐた。今批判されてゐる小泉改革路線を敢へて肯定してみせるのである。そして民主党とは違ふ政治、お 金を配る政治ではなく、仕事を作る政治をやると言ふのである。

 これを彼は「小さな政府」といふ言ひ方をする。もちろん社会保障などに金はかかるが、それは地方にまかせて中央が扱ふ金は小さくするのだ。規制緩和もタ クシー業界などの小さな企業からではなく、大きな企業に対する外資の緩和などからやるべきだといふ。

 要するに、彼の演説だけが独自性があるのだ。世代交代を強調して党内に敵を作る部分は、和を尊ぶ日本人の価値観からすれば外れてゐるやうに見える。しか し、安倍首相を最初に駄目にしたのは誰より彼が指弾する青木と森だつたのだ。

 彼はこれまで民主党に一番近い政治家だと思はれてきたし、わたしもさう思つてゐたがさうではない。彼は保守である。自由主義者である。民主党とは違ふと いふ点を誰よりも彼が語つてゐるのだ。

 河野太郎を自民党の総裁にするといいのではないかと私は今思つてゐる。野党の党首として必要なのは演説の力だ。彼はそれをもつてゐる。そして演説の力を 評価することこそ、民主主義の本質であるはずなのである。(2009年9月21日)







    小学生のとき水泳クラブに入つてゐたことがある。たまたま授業で泳いだら速かつたので目に止まつて誘はれたのだ。それで夏休みには何度か練習に行つた。

    ところが、お盆で婆ちやんの田舎に泊まりに行くために一度練習を無断で休んだことがあつた。それで気がとがめて、あとで同じクラブの子に聞いてみた。

    「俺こないだ練習休んだけど、何か言つてなかつた?」。すると返へつて来た答へは「○○君(私)のことなんか誰も何とも思つてないよ」と云ふものだつた。

    へえ、そんなものかなと思つたものの、もうそのクラブの練習には行きづらくなつてそのまま辞めてしまつた。

    しかし、当時は思ひもしなかつたが、今考へると、彼は意地悪を言つたのである。教師といふものは生徒が黙つて休んだら非常に気になるものだし、ほかの生徒 も気にするのが普通だからである。

    もともと私は一人ッ子で人に好かれることに気を使はないし、人に嫌はれても気にならない方なので、私はその子にとつて余程癪に障る存在だつたらしい。

    しかし、「人が誰も自分のことを何とも思つてゐない」といふ考へ方は、小学生では中々身に付け難いもので、だから、彼の言葉は言はれた場所と共に私の記憶 の中に鮮明に残つてゐる。

    その彼は若くして病気で死んでしまつた。そのことには彼の人生に対するああした冷笑的な考へ方も影響したのではないかと、小説『白い犬とワルツを』を読ん だ今思つてゐる。

    人はどんな病気にならうが、自分の死に時は自分が決めるものなのだ、とその小説の中の医師が語つてゐるからである。私も人に嫌味を言ふときには、自分の人 生観に跳ね返つてこないやうに、気を付けようと思ふ。(2009年9月15日)







  加古川のアラベスクホールの新人演奏会、最後に軍艦みたいな女の人が入つてきた。「よッ真打登場」と声を掛けたくなる恰幅だ。それで歌いだしたのが、後で 調べたのだが、Dein blaues Augeである。
 
  出だしから声量がある。しかし、これは声慣らしで、本番はMon coeur s'ouvre a ta voix。これがどんな曲かはユーツベにマリア・カラスのがある。その最後のAh! verse-moi,Ah! verse-moi l'ivresse!の盛り上がりが聞き所だ。

  いやもう、その声量の豊かなこと、響きの美しいこと。聴衆の心を完全に奪つてしまつた。聞いていた私の背筋には電気が走つたほどだ。そうだよ、こんなのを 聞きたくて、演奏会に来たんだよ。

  それまでの人はうまい人は完璧にうまいんだが、個性がないといふか、訴へて来ない。美人のお嬢さんが上手にどこも失敗せずにやり終へたといふ感じで、退屈 してゐたのだ。そこへ、このぽッちやりタイプの軍艦姉ちゃんがやつて来て、あの迫力でやり始めたのだから、待つてましたと聞き入つてしまつた。

  パンフレットを見ると船越優とある。東京芸大を卒業仕立てで、高校は姫路の日ノ本学園。当然のことながら、一番たくさんの拍手をもらつた。帰りがけに鳴り 続く拍手にこたへて客席を振り返つて会釈してゐた。愛嬌もあるのだ。きつと売れるよ。(2009年9月13日)








    塾とか家庭教師とか言つても、週に一回程度のものであるから、塾に通つたら、家庭教師をつけたら、子供の成績が上がるなどといふことはない。特に英語はさ うである。

    英語は言語であるから毎日勉強しないと決して身には付かない。数学なら問題の解き方の理屈を教はつて来たら、それで勉強がはかどるやうになる事もあるだら う。しかし、英語は理屈ではだめで、どうしても慣れが必要なのだ。

    といふことは、英語の教師は教室で問題の解き方を教へるのではなく、毎日勉強をやり続ける気持ちを植え付けてやらないといけないといふことになる。

    ところが、それが難しいのだ。日本で暮らしてゐる限り英語は必要がない。英文など読まなくても翻訳がある。英語の勉強の面倒さを知れば知るほど、誰もがさ う思ふやうになつても不思議ではない。

    また中国人のやうに自分が使つている言葉と英語の文法が似てゐて、主語述語目的語の順番が同じ国民ならまだ勉強できるだらうが、日本のやうに全然違ふ語順 の言語を使つてゐる国民にとつては、英語は学びにくい事この上ない。

    この主語述語目的語の語順が分からないのに、それをさらに受動態などと言つてこの順番を引つ繰り返したりなどすれば、もうちんぷんかんなのだ。やはり普通 の日本人にとつては英語は無理なのである。(2009年9月8日)







    最近では面白い話をする芸能人が多いが、千原ジュニアもそんな話の名人の一人である。先日も『明石家電視台』の中で一つ披露して喝采を浴びてゐた。

    それは、タレントの陣内友則が離婚した後、今後の芸能活動について悩んで「僕、これからどうしたらいいでせう」といふ相談メールを先輩たちに送つたときの 話である。

    最初に送つた紳助は「お前には才能があるから大丈夫」と暖かい励ましの言葉を連ねた長文の返事を送つてきたといふ。次に同じ内容のメールをさんまに送つた ところ、たつた一行「そんなことより、俺おもろい?」といふ返事が帰つてきたといふのだ。

    もちろん陣内は紳助の返事にも励まされたが、さんまの返事には「ホンマに感動した」と言つてゐると言ふのである。そして若手芸人の間でこの一行をメールで 返信するのがはやつてゐると付け加へて、場内の爆笑を買つたのである。

    ところで、この一行メールが送られたのは実際には陣内の離婚会見の前のことで、しかも会見をどうしたらいいかといふ問ひ掛けだつたと云ふことがネットを見 ると分かる。しかも、このメールの話はさんま自身がラジオ番組で話したことだつた。

    つまり、千原ジュニアの話は巧みに脚色された話だつたのである。時期が違ふ二つの話をうまく組み合わせて対照させ、さんまと紳助の性格の違ひを際立たせて 面白話に仕上げたものだつたのである。

    たまたまネタ元が分かるこの話のおかげで、千原ジュニアの話のうまさが単なる偶然の産物ではなく、しつかりとした作話力に裏打ちされ準備されたものだとい ふことが垣間見れたといふ次第である。(2009年8月29日)







    NHKがBSで刑事コロンボの再放送をしているが『黄金のバックル』が放送されないのでTUTAYAで借りてきた。

    この作品は犯人となる女性ルースの誇り高い姿に感銘を受けた作品で、ラストの場面は昔見たとき感動の涙をこらへるのに精一杯だつたが、今度見ても同じだっ た。

    「私がパパを殺したなんていふのは嘘ですよ。そうでしよ。わざと嘘をついたんでしよ。はつきりと言つてやつてください」とコロンボに迫るルースの言葉は、 私一人が犠牲となつてこの家を守つてきたのだ、その平和をいま乱さうとするコロンボを許さないといふ彼女の決然たる姿勢を示すものである。

    もちろん、ここにはコロンボに追ひつめられたルースが、ただでは犯行を認めず、これを嘘と認めさせることを交換条件とする気丈さが表れてゐる。それを知つ たコロンボが「おつしやる通り、嘘です。根も葉もない嘘ですよ」と引つ掛けだつたことを認めざるを得なくなる。

    かうして勝利を得たルースはおもむろに立ち上がつて身だしなみを整へると、満足げにかう言ふのだ。「コロンボさん、手をとつて下さる?」。私はこの場面で グッと来ない人はどうかしてゐると思ふ。

    この年になつて殿方に手を取つてもらへるのは私の方なのだ。若いころに自分の婚約者を奪つた美人の姉ではない。このせりふは、老いて男に相手にされなくな つた目の前の姉に対する勝利宣言でもあるのだ。(2009年8月26日)







    よく日本語は習得が難しいと言はれるが、英語もかなり難しい言葉である。何と言つても発音が滅茶苦茶覚えにくい。

    とにかく見た通り読むと必ず間違ふのである。例へばFといふ文字がある。これはエフと読むことは誰でも知つてゐる。ではOFはどう読むか。エフだからオフ だらうと思ふと間違ひなのだ。

    ところが、中学校の英語の授業ではかういふことをちやんと教へない。だから、OF  COURSEを中学三年間ずつと「オフコース」と読んでゐる中学生が無数にゐるのである。ところが、イエス、オブコースといふ言ひ方は聞いて知つてゐる。

    そのほかにも、英語ではAはエーだが単語の中ではエイと読んだりアーと読んだりオーと読んだり様々で単語ごとに覚えるしかない。ところが、中学校ではそれ を正確に教へない。

    だから、TALKが読めない。タルクと読んだりする。しかし、トークといふ言葉は知つてゐるのだ。WALKもさうだ。

    またWARをワーと読んだりする。もちろん戦争がウォーであることは「スターウォーズ」から知つているのだが文字と結びつかない。

    Oにも似たやうなことがあつて、オーなのにアーと読むことが多い。例へばWORKは、ホームワークのワークだからとOはアーと読む。しかし、ウォークと読 んでしまふのだ。

    今の中学生はこんな間違ひを一杯抱へたままで英語を勉強してゐるのだ。だから、教科書の英文が正しく音読できない。音読できなければ黙読は出来ない。本が 読めなければ意味も文法も身につかないのである。

    小学校でいくら英会話をやらせても、こんな調子で中学の間に英語を全部忘れてしまふのが今の日本人なのである。(2009年8月20日)







    8月15日はお寺の追善供養といふことで寝ぼすけの私も昼前にお寺に行つたが、駐車場は満員である。8時からやつてゐるのにこの時間が一番混雑してゐるの だといふ。これは恐らく飲酒運転の罰則強化のせいであらう。

    二日酔ひでも飲酒運転になり罰金何十万円だと警察が言ひだしたものだから、みんな恐くなつて朝早くからマイカーを出すことは少なくなつた。人に見つからな ければ二日酔ひでも捕まることはないのだが、やはり面倒なことに巻き込まれたくはない。

    それでもお寺に行くことまで止めてしまふことはない。今の人なら人間が死んだら何も無くなつてしまふことぐらゐ知つてゐるのだが、人間として一人前の事を 省くわけには行かない。

    さういへば葬式場も一つの街に三つも四つも出来てゐるがどこも大繁盛である。この科学の時代に死体遺棄にならない程度の事をしていればいいはずだが、それ でも高い金をかけて葬式をするのである。

    テレビでは夏になると決まつて幽霊話になるが、幽霊など人間の脳みそが作り出す錯覚であることは誰でも知つてゐるはずだ。それでもあの世があると思ひたい のである。その方が死んだら何も無くなつてしまふと思ふよりはましなのかもしれない。だからぼんさんの仕事は無くなりさうにない。(2009年8月16 日)







    ニュースを見てゐたら戦没者追悼式典といふものがあつたと言つてゐる。その前に第64回とあるのを見て失礼ながら思はず笑つてしまつた。いつまでやるんだ らうと思つたのである。

    戦没者の遺族が死に絶えたときには必要がなくなるのだらう。しかし、平和を祈る式典といふことなので、誰ももう止めようと言ひ出せさうにない。

    しかし、戦没者と言つてもこれはどうやら日露戦争のことではない。日露戦争が終つたのは一九〇五年だから、その戦没者を追悼するなら第104回戦没者追悼 式典となつてゐるはずだ。

    大東亜戦争と日中戦争の戦没者は本土が空襲されたりして大変だつたから記念式典をやるが、日露戦争はやる必要はないのである。負けた方はしないといけない が、勝つた方はしなくていいのである。

  いやそれどころか、日露戦争のほうは靖国神社に祭られてゐるので、総理大臣も参拝しなくなつてしまつた。中国や韓国が靖国神社は戦争賛美だと言ひ出したら その通りだと言ふ日本人が大勢出てきたからである。

  A級戦犯がどうのといふ話もこれはアメリカが決めたことで、だからと言つて日本人は自分の歴史を消すことは出来ない。すべてをひつくるめて戦没者なのであ る。それを差別するのはおかしなことである。(2009年8月15日)







 NHK囲碁トーナメントの放送で不覚にも梅沢由香里の勝利に感動させられた。

 相手の石田篤司9段は角刈りで取立て屋風の眼鏡をかけて、見るからに大阪のおつちやんの風貌で、まさに美女と野獣の対戦である。しかし二枚目は美女には 負け ないが三枚目は甘さが出るものだ。

 当初石田はさすがに9段の実力通りの打ち回しで、着々と有利な状況を築いていつた。しかし、やはりといふか、石田は梅沢を徹底的に不利な状況に追ひ込み はしなかつた。

 解説室の聞き手万波菜穂も今回は気持ちが入つてゐて、解説の山田規三生が終盤近くに石田の形勢有利を告げると、明らかに残念さうなため息を漏らしたの で、山田が「細かいですけど」と大差ではないとフォローを入れたほどだつた。

 それが梅沢の最後の勝負手から石田の一手の油断で形勢逆転につながつたのだから、万波と梅沢の喜び様はテレビのこちら側にも確実に伝はつてきた。

 梅沢は対局中終始左手を自分の顔の周囲に動かし続ける。手の平を左あごに当てたり、拳固を口の前にもつて行つたりと止まるときがない。その左手が逆転の 瞬間だけ、それまでになかつた動きをした。左の手の平でほぼ横向きに口を全部覆ひ隠したのである。

 梅沢は女流棋聖3連覇で男性棋士に互角以上の成績とはいふものの、9段の先生に勝つのは大金星なのだ。だから、梅沢が口を覆ふ気持ちが分かつて、私も思 はず一緒に喜んでしまつたといふわけである。(2009年8月12日)







    民主党がどういふ政治集団であるかは、党首討論の開催を自分たちの都合でしかやらないことによく表れてゐる。

    最初は党首討論は全野党の党首が参加して行はれてゐた。そのころは、国会開会中はほぼ毎週水曜日にちやんと開かれてゐたものだ。ところが、討論の相手方が 野党第一党の民主党の代表だけになり、さらに代表が小沢になつてからは、ほとんど開かれなくなつてしまつた。

    審議拒否は昔の野党でもやつてゐた。しかし、それは法律の成立を阻止するためといふ大義名分のある行為だつた。ところが、今の民主党は自分たちが提出した 法案の審議にも平気で欠席するのだ。それを党首討論で実践したのが小沢と鳩山だ。

    都合が悪いから討論をやらない、国会には出てこない。こんな政治家の集まりが民主党なのである。嫌が応でも原則を守つて、やるべきことをやるのが選良であ るはずだが、民主党の議員にはさういふ意識は全くない。そんな政党が政権交代を訟へてゐるのだ。

    選挙に勝つて与党になれば自分の都合で国会を欠席することは出来なくなる。しかし、これだけ原理原則を自分たちの都合で歪めてきた連中のことだから、政権 を取れば国会の審議をパスして採決だけするやうになるのではないか。

    その上、作つた法律も自分たちの都合のいいやうにしか実行しないのではないか。何かよいことを決めても都合が悪ければやらないのではないか。こんなご都合 主義の民主党が政権をとれば、何があつてもおかしくない。(2009年7月15日)







    ムッソリーニの愛読書だつたと言はれる本にソレルの『暴力論』がある。読んでみようと本屋で見ると岩波文庫の本棚に並んでゐる。上下で1500円以上す る。しかし、本は買ふと読まないので図書館に行つたら棚にあつたので借りてきた。

    ところが、家に帰つてきて見てみると本屋にあつたの表紙が違ふ。中身も字が小さい。ネットで調べると最近新版が出たらしいのだ。どうやら古いのを借りてき たらしい。調べると同じ図書館に新版もある。それでまた借りてきた。

    旧版を返すつもりが持つて行くのを忘れたので、両方を読み比べることにした。するとどうも新版の訳はあやしいぞと思へてきた。

    例へば、第二章の最後、テルモピレー(テルモピュライ)を死守したスパルタの戦士に対する注釈に「スパルタ軍は内通者により全滅し他のギリシア軍は退却し た」と頓珍漢なことが書いてある。ここは強大なペルシア軍に少人数で抵抗した勇者たちに敬意を払はうと言つてゐるところなのだ。「内通者」云々は紛らはし い。

    そこで、本文を旧版で読み始めると、「改良主義者たちは、旧い諸方式を擁護するのにも最も不熱心であるというわけでもなかった」と変な日本語が出てきた。 原文(ネットにある)を見ると、les réfor­mistes ne furent pas les moins acharnés à défendre les formules anciennesとなつてゐる。これを直訳したわけだ。

    ところが、新スタンダード仏和辞典を見ると ne pas le moins du monde の訳として「少しも〜ない」といふ意味のことが書いてある。とすると、ここでは du monde はないが、英語の not the leastと同じく、les moinsは否定の強めとみることができる。

  それで新訳はどうかといふと、「修正主義者たちは、旧来の公式をかなり熱心に擁護していたのだ」と旧訳の二重否定をさらに進めて肯定文にしてしまつてゐ る。ここは「旧来の方式を決して熱心に守つてゐるわけではなかつた」とでもすべきところである。早い話、旧訳から「不」を取ればよかつたのである。

  新版は全てこのやうな調子で、旧版に比べて訳文はよくなつてゐないし、日本語のこなれ度でも注釈の的確さでも劣つてゐるやうである。またもや岩波は読めな い翻訳書を一つ世に出したらしい。といふわけで、わたしは本屋で衝動的に1500円も出さないでよかつたと胸を撫で下ろした次第である。(2009年6月 29日)







    イランの大統領選挙で不正が行はれたする報道があつたが、その証拠はいまだに出てきてゐない。にも関わらず、再選挙を要求するムサヴィ候補側によつて強行 されてゐる抗議デモが正しい行動であるかのやうな報道がなされてゐる。

    選挙結果は事前に行はれた世論調査(wikipedia参照。Alefnews社 http://alef.ir/ 英訳はhttp://translate.google.com/translate_t#fa|en|)の61対28をまさに裏書きするものである。と ころが、何の証拠もなしに西側メディアが流した不正疑惑報道によつてイラ ン国内は分裂状態に陥つてゐるのである。敵対国に対する欧米メディアの恐ろしさを見る思ひだ。

    事態は到頭イラン政府がイギリスの外交官を追放するところにまで発展した。これが100年前なら開戦前夜である。そしてまさに当時のドイツや日本はこのや うな報道によつて西側との戦争に追ひ込まれたのである。

    西側メディアは現代の日本の報道を含めて、共産中国やソビエトやベトナムや少し前の北朝鮮に対しては、このやうな敵対的な報道はしてこなかつた。全く報道 の自由のない体制の国は批判せずに、ある程度の自由のある国が少しでも抑圧的な体制をとると、このやうな報道を始めるのである。

    しかし、このやうな体制が必要であるやうな発展段階の国は存在するのである。西側の価値観が全てではないのだ。フランコのスペイン、ナセルのエジプト、ペ ロンのアルゼンチンは、その段階を経て国民を食はせられる国になつたのである。イランもまたその発展段階にある国だと見るべきだらう。(2009年6月 26日)







    麻生首相が日本郵政の西川社長を辞めさせなかつたのは正しい。民間会社の社長を明らかな法律違反もないのに政府がやめさせたら裁量権の乱用になつてしまふ からである。ではなぜ正しいことをしたのに、内閣支持率が下がつたか。

    それは鳩山総務大臣を辞めさせたからである。西川社長を辞めさせないのなら自分が辞めると言ふのだから仕方なく辞めさせたのであらうが、それでは首相の指 導力がなさすぎる。

    鳩山大臣が西川社長を国会で追及したのは正しい。初めは鳩山氏のパフォーマンスだと批判してゐた新聞各紙もかんぽの宿の売却先にオリックスを選んだ経緯に は瑕疵があるとわかつてくると、鳩山氏の追及を支持しだしたくらゐである。

    しかし、だからといつて西川氏を首にするほどの証拠は出てこなかつた。だから留任させるのが正しかつたし、それは読売新聞以外もさう主張してゐた。西川氏 が辞めないのなら自分が辞めると言つた鳩山氏の理屈は無理だつたのである。

    麻生首相はその無理を許すべきではなかつた。首相には大臣を罷免する権限があるのだから大臣の辞表を拒否する権限もあるはずなのだ。断固どちらも辞めさせ ないとがんばらねばならなかつた。無茶を言ふなと鳩山氏を叱らなければならなかつた。

    それがリーダーシップと言ふものだらう。ところが、麻生首相にはそれがないと多くの国民に見えたのだ。だから、支持率が下がつたのは仕方がないのである。 (2009年6月25日)







    鳩山大臣を辞めさせたら麻生内閣の支持率は10%近く下がるのではと思つてゐた。それはさうだらう、国会で追及されてゐた西川氏が辞めないで、国会で追及 してゐた大臣がやめたのだから、これは誰が考へてもおかしなことだからだ。

    追求してゐた大臣を辞めさせるのなら、どうして首相は追及を許したのか、これでは長い時間を掛けて追求したこと自体が間違ひだつたと言ふことになつてしま ふ。

    しかも、そのまへに自民党の大物政治家たちが、「西川氏を辞めさせたら大変なことになる」とか、「本気で戦ふ」などの、脅し文句が出てゐたのだ。その後の 事なのだから、麻生首相は脅しに屈して自分の大臣を切つたことになつてしまつた。

    こんなことをやつてゐては国民の信頼を損ふのは当然である。国民大衆は強い政治家、戦へる政治家を求めてゐるのだ。しかも、鳩山氏はマスコミに悪口を言は れたら言ひ返へせる数少ない戦へる政治家として、国民の人気は高いのである。

    確かに、昔の自民党の首相たちは、都合の悪い大臣をトカゲの尻尾切りのごとくに辞めさせて自身の延命を図つてしゐたし、政権交代の可能性がない時代はそれ でもよかつた。しかし、もうそんな時代ではないのだ。今では世論の支持を失ふといふことは、即政権を失ふといふことなのである。(2009年6月22日)








   信じ難いことだがムッソリーニは初めは社会主義者だつた。父親が社会主義の運動家だつた影響で社会党に入党したのである。ヒトラーは演説がうまかつたが ムッソリーニは文章がうまく、党の機関紙の編集長になつて頭角をあらはした。(以下、ヴルピッタ著『ムッソリーニ』参照)

   しかし、彼が革命による政権獲得を目指してゐたのに対して、当時のイタリアの社会党は急激な変革を望まず議会主義を標榜してゐた。また左翼の労働組合はし きりにゼネストをしたがすぐに弾圧されてしまひ、とても革命を起こせさうにはなかつた。

   そこで、彼は労働者階級のためだけの階級闘争ではなくすべての階級のための闘争をすべきだと考へるやうになつた。第一次大戦後に広まつてゐた民族主義運動 も、階級闘争ではなく民族を一体として民族共同体の形成を目指すべきとする見方の根拠になつた。

   社会主義は政権獲得のための暴力を肯定してゐたため、それに対抗するために彼も暴力は利用すべきだと考へた。独裁を目的とするのも社会主義と同じだつた。 かうして、彼は全階級のための革命、全階級のための独裁を目指すことにしたのである。

   ムッソリーニによつて作り出されたこの新しい思想こそファシズムだつた。社会主義革命との違ひは、労働者のためだけの革命でないことだけだと言つていい。 マルクス主義でなくその代はりに民族主義が入つてくる点しか主な違ひはなかつたのだ(当時の社会主義者は平和主義をとつたが、それは一つの戦略でしかなか つた)。

   しかし、ファシズムと社会主義や共産主義が共存できないことは明らかだつた。そこで共産陣営はマスコミを使つてファシズムは悪だといふ宣伝工作をしきりに 行ひ、スパイ工作を大々的にやつて、反ファシズムの世界大戦を西側諸国に起こさせて、ファシズムに勝利して現代にまで生き延びたといふわけである。 (2009年6月20日)







    日本郵政の西川社長の続投すべきどうかでマスコミが世論調査をしたのはどういふことだらうか。これからは民間会社の社長の地位の去就にまで国民の世論を反 映させるべきだと言ふのだらうか。

    そもそも新聞社は読売新聞を除いて全紙が、民間会社である日本郵政の社長の地位に政府が口出しすべきでないと言つてゐたはずだ。その口の根の乾かぬうちに 世論調査をやつて自分たちが介入するとは、全くやつてゐることが無茶苦茶である。

  麻生首相が西川社長を続投させるべく鳩山総務大臣を解任したとき、西川社長を続投させるべきだと言つてゐた新聞が一斉に首相の決定を攻撃したのもひどかつ た。

    しかも決まつてしまつた後で、世論調査をして鳩山総務大臣を辞めさせたのは不適切だとする声が過半数だと言ふのだ。

    では何故辞めさせる前に緊急世論調査をしなかつたのかと言へば、それは鳩山贔屓の調査結果が先に出たら、自分たちの大好きな西川氏が辞めさせられてしまつ たからに他ならない。

    朝日の社説が西川問題で揺れ続けたこともひどかつたが、この一連の報道で日本の左翼マスコミの定見のなさ、いい加減さは極まつたと言ふべきであり、こんな 新聞に金を出すことの愚かさに気づいた人も多いのではないか。(2009年6月17日)







    20世紀初期のヨーロッパでは、ナショナリズム、つまり大衆を政治の主役にする運動が起こつた。それは国民主義、或は国民主義運動と呼ぶべきものだつた が、日本でこの運動が起こつたのは最近のことだらう。

    戦前戦中の日本では国家のリーダーたる首相を決めてゐたのは天皇だつた。戦後の日本では男女平等の普通選挙が行はれるやうになつたけれども、首相を決めて ゐたのは実質的には国会議員たちだつた。

    ところが、その唯一の例外が小泉首相だつた。彼を首相にしたのはまさに国民大衆だつた。党員投票といふ国民の声が下馬評を大きく覆して彼を自民党総裁に選 んだのだ。しかも国会議員の地元での締め付けの結果といふよりは完全に国民の人気が彼を首相にしたのである。

    自民党の中で派閥の代表でもない小泉氏の権力の源は、ひとへに内閣支持率として表れる国民の人気だつた。だから彼は国民に対する語りかけを重視した。その 典型が郵政解散のときの演説であるが、記者のぶらさがり取材をその機会として積極的に活用するために、カメラの前で立ち止る形に変へたのは彼だつた。

    彼は組閣人事で秘密主義を初めて採用したが、それはリーダーとしての人気(=カリスマ性)を維持するために、人に相談しないことが重要であることをよく知 つてゐたからであらう。

    また彼は一旦口に出した政策はどんな反対にあつても実現しようとした。これはカリスマ性を維持するためには強い政治家、信念ある政治家に見えることが重要 だからである。また、大衆を政治に動員するためには宗教的な儀式が重要であるが、それを知つてか彼は毎年靖国神社に参拝した。

    実は、こうしたやり方は全てムッソリーニが始めたことなのである。それをヒトラーが真似し、チャーチルが真似し、戦後のアメリカの大統領たちが真似をし、 そして小泉首相が真似をしたのだ。

    国会議員を選ぶ選挙が、郵政選挙のときから国民による政策選択の選挙だと言はれだしたが、それがさらに今や首相を選ぶ選挙だと言はれるやうになつてきてゐ る。こんなことはかつての日本ではなかつたことである。

    これは日本がやつと大衆政治の時代に入つたといふことだらう。そして、この政治状況を作り出したのは小泉氏である。その小泉氏がいまだに国民にとつて最も 首相に相応しいと思はれてゐる政治家であり続けてゐるのも故なきことではないのだ。

    しかし、次の首相たちはこの状況をよく認識してゐないかのやうである。安倍首相は組閣人事などで人の意見を聞いたし、麻生首相は記者の取材を国民に対する 語りかけの場と考へてゐるとはとても見えないからである。(2009年6月11日)







    和魂洋才といふ言葉があつて明治維新以降の日本の発展を言ひ表すのに使はれる。明治の日本人は、伝統的な日本の精神を生かしつつ、西洋から輸入した学問や 技術を身につけ発展させて、近代日本を築いたと。

    しかし、これは悪くすると日本は西洋の文化を上手に真似て成功してきたといふ意味にとれる。ところが、日本の文化と文明はそんな借り物だけの手続きで成功 したものではなかつた。山本七平は『日本人とは何か』の中で、その例として和時計と和算を挙げてゐる。

    特に和算は、江戸幕府によつて平和になつた日本で驚異的な発展を遂げた。吉田光由(みつよし)が中国の数学の教科書を手本にして日本で初めて『塵劫記(ぢ んこふき)』といふ算術と数学の本を出すと、日本中に和算ブームが起こつて、我も我もと数学を志す人が現れて、その能力を競ふやうになつた。

    その名残が日本中に残つてゐる算額である。和算家は数学の難問とその解き方を書いた額を神社に奉納して、自分の能力の高さを誇示したのである。その中には 「ソディの六球連鎖の定理」をソディ本人より100年以上も前に発見したことを証明してゐる内田五観(いつみ)による寒川神社の額もあるといふ。

    そのほかにも、江戸時代には西洋の数学に先立つ数々の発見が和算家によつてなされてゐたことが明らかになつてゐる。中でも世界で初めて行列式を作つた関孝 和が有名だが、関の発明もそれだけではなかつた。

    このやうに日本には、和魂だけでなく極めて高度な和才の伝統があつたのである。だからこそ、明治以降の日本人はそれを応用して、西洋の高度な技術や知識を 速やかに自分のものとして、さらにそれらを発展させることが出来たのだ。この伝統が第二次大戦後の多くの日本人のノーベル賞やフィールズ賞受賞につながつ てゐることは言ふまでもない。(桜井進著『江戸の数学教科書』参照。但しこの本の第三章は東洋経済のサイトの氏のコラムと内容がほぼ重複してゐる) (2009年6月8日)








    ジョージ・モッセの『大衆の国民化』はファシズムとは何かを論じた本で、ファシズム研究の大家デ・フェリーチェが推薦する政治性を脱却した信頼の置ける研 究書であるやうだ。

    ファシズムとは、大衆を動員した劇場型の政治であり、国の指導者は直接国民に語り掛けることによつて支持と権力を獲得して、議会の議論によらずに自分の政 策を強力に実行する政治形態であり、決して単なる独裁政治ではないのである。

    議会政治を否定すると云ふ点で現代の民主主義と大きく異なるが、議会政治が間接的民主主義であるのに対して、ファシズムは一種の直接的民主主義であり、民 主主義であることに変はりがなかつた。

    現代の政治では、大衆が政治を自分の問題として考へ、その動向を左右すべく政治に参加するやうになつてゐるが、それをモッセは「大衆の国民化」と言ひ表は した。英語ではNationalizationであるが、その過程その運動こそがNationalism(ナショナリズム)なのである。

    従来、日本ではナショナリズムは国家主義と誤つて訳されてきたが、それは日本の学者が戦前の日本の政治イメージを西欧の政治思想に無理やり当てはめた結果 だつたのである

    当時のヨーロッパ大衆は、個人よりも国家を第一とする運動の道具となつたのではなかつた。大衆は国家の運命を左右する主体となつたのであり、国の主要な構 成要素の地位に躍り出たのである。だから、ナショナリズムは国民主義、或は国民主義運動と訳すのが正しい。 (なほ「○○主義」といふ言葉は「○○運動」「○○主義運動」と読み換へると分かりやすくなることが多い。例へば、pietismは単なる敬虔主義ではな く敬虔主義運動なのである)。

    その意味で、ファシズムは代議制民主主義をさらに一歩も二歩も進めた制度だつた。ロマノ・ヴルピッタの言葉を使へば、「自由主義と民主主義が十八世紀の所 産であり、社会主義が十九世紀の所産であるとすれば、二十世紀が生んだ思想」こそファシズムだつたのである。(『ムッソリーニ』6頁)(2009年6月6 日)








    世界で一番小さい国はバチカン市国だといふのは誰でも知つてゐるが、では何故そんなに小さいのかを知る人は少ないのではないか。

    そのためには、イタリア史の知識が必要だが、大抵の人はイタリア統一の英雄ガリバルディとファシスト・ムッソリーニの名前くらゐは知つてゐてもそこまでで ある。実はこれはイタリア統一の問題と関係がある。

    1860年頃からガリバルディたちは軍事力によるイタリア統一事業を推進してゐたが、ローマ教皇はイタリア半島のローマを中心とする広大な領土を保持して ゐた。オーストリア領になつてゐたヴェニスがイタリアに奪還されると、最後に残つたのが教皇領だつた。ところが、ローマカトリック教会はイタリア統一に反 対だつた。

    しかし、それではローマをイタリアの首都には出来ないので、イタリア政府(当時はサルディニア王国)は早くから武力で教皇領を侵略して、教皇領をどんどん 奪ひ取つて行つた。そして1870年、最後に残つてゐたローマも占領してしまつたのだ。これをローマ併合といふ。それでも教皇はバチカン宮殿に立て籠もつ て最後まで抵抗した。

    イタリア政府は教皇に遠慮してバチカンの中まで攻め込むことはしなかつた。その御蔭で、教皇はバチカン宮殿とその周囲だけはイタリア政府に奪はれずにすん だ。

    その後、1929年に教皇とイタリア政府のムッソリーニ首相との協議によつて、イタリア国が教皇によつて承認される代はりに、教皇の住居は一つの独立国と して存在することが認められた(ラテラノ協定)。かくして世界一小さい国バチカンが誕生したのである(Wikipedia日本語版英語版参照)。 (2009年6月5日)







    『ぶらり途中下車の旅』といふテレビ番組があつて昔からよく見てゐるが、この番組は決して当てのない本当の意味のぶらり旅ではない。

    タレントがぶらぶら歩いてゐると、次々と珍しい事をしてゐる人に出会ふのだが、それが一日に6人以上になるのだから、もちろんあらかじめ全員の人に頼んで おいてタレントの行く先々にゐてもらつてゐるのである。

    タレントの方でも、どんな人がどこでどんなことをしてゐるから声を掛けるやうにあらかじめ言はれてゐるのだ。しかも、おそらくはその目的の近くまで車で移 動して、カメラが回り始めてからおもむろにそのあたりを「ぶらり」と歩きだすに違ひない。

    テレビ番組の中の世界は大抵がこのやうに作り物なのである。

    昔、子供のころにNHKが私の通つてゐた小学校の生徒の通学風景を映したことがある。私はいつもとは全然違ふところに並ばされて、合図に従つて歩かされ た。当時の市役所の屋上に置かれたテレビカメラが私たちをねらつてゐたことをよく覚えてゐる。

    NHKが映した通学風景は本当の通学風景ではなかつたのである。集団登校の風景には違ひなかつたが、本当の風景を映してゐては、欲しい映像が取れるまでフ イルムがいくらあつても足りない。それで子供たちに芝居をさせて、それらしい風景を映してゐたのだ。

    今でもNHKはそんなことをしてゐるのだと思ふ。最近では、契約を解除されて社宅を追ひ出され、寝床にする段ボールを探す派遣社員、といふ映像がニュース で流れされたが、もちろん頼んでやつてもらつたものに違ひないのだ。(2009年6月4日)







    「交差点の手前で信号は黄色で、交差点に入ったら赤だった」。横浜の3人死亡事故の加害者とされた人の供述である。

    しかし、黄色信号で交差点に入つて赤信号で突つ切ることは日常的に普通よく行はれてゐることである。直進側の人は信号を一つ待つのがいやなので大抵さうし てゐる。右折側の人は直進車が赤信号で止まらないことに業を煮やしながらも、右折を始めずに待つしかないのだ。

    ところが、この事故の右折車は、急いでいたのか、夜中で前方がよく見えなかつたかで、右折を始めてしまひ、直進してくる車に追突してしまつたのである。追 突された直進車は歩道にまで飛ばされて、そこで信号待ちをしてゐた人にぶつかつて人を死なせてしまつた。

    これが横浜の事故の全貌だらう。この事故では歩道に人がゐなければ、追突した直進車が前方不注意を問はれ加害者とされて、直進車が赤信号で交差点に進入し たことは相殺条件にされるだけだらう。

    ところが、いつもの通りにやつたのに対向の右折車に追突されて、挙句に自分の車が3人の人を死なせたので、加害者になつてしまつた。おまけに、信号待ちの 被害者が可哀想といふことで、マスコミでは極悪人扱ひである。

    しかし、交通事故と云ふものはこんな物である。特に誰が悪いとは言へないのだ。誰もがいつものやうにしてゐてちよつとした事から大事故になつてしまふので ある。自衛策としては交差点で信号待ちをする時、道端に立たないやうにすることくらゐだらうか。しかしそれでも駄目なときは駄目なのである。合掌。 (2009年6月3日)







    明石家さんまの番組で、京大生の女の子に国政転出を反対された東国原知事は「おつしやるとほりにさせていだだきます」と言ひながら、彼女に向つて深々とお 辞儀をしたのであつた。

    それに対してさんまは「これはまだ東も言へないんでせうね。おそらくどうするのかわからへんから」とフォローしたのである。さらに、宮崎県に関しては莫大 な経済効果を出したのだからもう充分だ。東にも今後の夢があるはずだと言つてから、総理大臣になる可能性まで持ち出したのだつた。

    それに対する東国原の答は、総理大臣になつてもかういふ番組に出たいんです、と云ふ賢明なものだつた。総理大臣になればSPなどに囲まれて自由がなくなる といふのだ。

    宮崎県知事をしてゐる今は誰の警護も付かずに自由に行動ができるから、一人でジョギングを楽しむことも出来るし、かうしてあちこちのテレビ番組にも出演で きる。まさに今は知事ライフを満喫してゐるといふことなのだらう。

 一方、総理大臣の大変さに関して明石家さんまは、昔安倍首相とご飯を食べる約束をしてゐたが、テポドンが飛ぶかもしれないといふニュースが出て、その約 束がキャンセルになつたといふエピソードを紹介した。

 これら一連の話から、どうやら明石家さんまは、最近関西芸能人に野党系の発言をする人が多くなつてゐる中で、マスコミの反政府報道に影響されることな く、その人生観と同じく独自の政治観を持つてゐるやうに思はれたのであつた。(2009年5月31日)







    明石家さんまの関西の番組「明石家電視台」に一般参加の客がゲストの芸能人にインタビューするコーナーがある。先日のゲストは東国原宮崎県知事だつたが、 京大生の女の子が彼にしたインタビューがおもしろかつた。

    「少し前に東国原知事が衆議院議員に立候補するといふニュースを耳にしたんです。で(私は)個人的には(知事が)国政に参加するのは、個人的に反対なんで すけれども、これからはどうされるおつもりですか」と質問したのだ。

    「反対なんです」のところで、東国原は「あらさうですか」とずつこけるは、さんまは例の嬌声を発して笑ひころげて場内爆笑。「どうするおつもりですか」で も場内爆笑。その理由が「ひとの人生、あんな若い女に決められてなあ」と云ふさんまの言葉に要約されてゐる。

    まさにお節介でしかないのだ。ところが、彼女のこの意見は、当のニュースが出たときの朝日新聞などの意見と同じなのである。このエピソードから、京大レベ ルの大学生たちが如何に朝日新聞などに影響を受けてゐるか、しかもその朝日新聞らがこんな笑ふしかないことを真面目に書いてゐたといふことががよく分かる のだ。

    もちろん朝日新聞らは、人気のある東国原知事や大阪の橋下知事がいま国政に転じることを何よりも恐れてゐる。彼らがもし次の選挙に自民党から出たら、自分 たちが描いてきた政権交代の夢がおぢやんになる公算が大きいから、必死になつてけちを付けてゐるのである。

    ところが、番組ではそれに続いて、さんまが東に対して、東のこのパワーを国政に生かさないのはもつたいない。総理大臣になる可能性もあるよと、強い調子で 国政転出を勧めるのだ。

    京大生の彼女は、さんまが決して何党を勧めてゐるのではないことは分かるはずだ。それよりも彼女には、これを機会に朝日新聞らマスコミの傲慢さと、本当に 大事なのは何なのかに気づいてくれたらいいのだが思はずにはゐられない。(2009年5月30日)







    ファシズムとは何かを知るための最も正統でしかも手つ取り早い本はレンゾ・デ・フェリーチェの『ファシズムを語る』だらう。

    フェリーチェはイタリアの歴史学者であるが共産党系(洋の東西を問はず彼等が学会を支配してゐる)でないといふ強みを持つてゐたために、政治的ではない ファシズムの歴史を初めて書くことができた。事の真相を明らかにするには悪い面だけを書くわけは行かなくなるが、共産党系あるひは左翼系の学者にはそれが 出来ないからである。

    日本で言へば軍国主義にもよいところがあつたと言へばすぐに戦争賛美だと左から文句が来る。それと同じやうにイタリアでファシズムにもよいところがあつた と言へばファシズムを弁護するのかと批判される。しかし、それに負けずにファシズムについて本当のことを調べ上げたのがフェリーチェなのだ。

    ファシズムとは第一に、平時に起こつた運動である。これはナチズムについても言へることで、戦時中にしかも政府によつて戦時体制を確立するために起こされ た運動などはファシズムではないのだ。

    次にファシズムとは、民主主義と資本主義の行き詰まりから第一次大戦後に生まれた運動である。民主主義はどこの国のどの時代でもうまく行くものではない。 特に第一次大戦後は共産主義の嵐が吹き荒れた時代で、民主主義は共産主義者に簡単に乗つ取られてしまふ恐れがあつた。ファシズムにはそれを防ぐ役割があつ たのである。

    さらにファシズムとは指導者のカリスマ性のもとに大衆を動員して革命を目指すものである。その意味でフランス革命にはファシズムの原型があると言へる。と ころが現在のネオファシズムは革命への志向がないから、本当のファシズムとは言へないのだ。

    またファシズムとは中間層による運動であり、新しい人間を作りださうとする精神的創造的な運動である。これが政権を獲得するとそれはファシズム体制となる が、こちらは保守的で権威主義的反動的なものになつてしまふ。等々。

    ところで、このフェリーチェのファシズム研究は『ムッソリーニ』といふ伝記といふ形で行なはれたのだが、この本は大部な書物でまだ邦訳がない。(2009 年5月28日)







   日本人はマスクが大好きである。だから、インフルエンザ騒ぎで多くの日本人がマスクをしてゐることを批判する人がゐるとすれば、それは日本人のことをよく 知らないか、日本に住んでゐない日本人に違ひない。

    わたしもマスクが好きだ。マスクをすると男前に見えるかもしれないと思ふからである。例へば、近所の歯医者の診察姿はとてもハンサムであるが、昼休みにそ の医院から出てきた男性がその歯医者だとすぐに気づかなかつたほどのマスク美男なのだ。

    病院のナースもみんなマスクをしてゐて美人揃ひである。最近も図書館に行つたら受付の女性がマスクをした超美人なので、こんな人ゐたつけと思つてまじまじ 見つめてしまつた。

    何と言つてもマスクをすれば、日本人にとつては大きな価値である清潔感が生まれる。だから、ちよつとしたことで日本人はマスクをする。花粉症だと言つては マスクをする。冬なら単に寒いからと言ふだけでマスクをする。だから、新型インフルエンザのこのチャンスを日本人が見逃がすはずがない。何せマスクをすれ ばインフルエンザの予防にもなるといふのだから。

    この時期マスクをしないで外出してゐるのは、本当の美男美女たちでマスクをすれば損をする人たちだらう。そんなに恐い病気ではないといふから、したくなけ ればしなくてよし、したければすればいいのだ。清潔感といふ価値を知らない欧米人には好きに言はせておけばいいのである。(2009年5月26日)








    T−FALの電気湯沸し器を愛用してゐたが時々スイッチを入れても通電しなくなつたので、新しいのと買ひ換へた。前のはニュービテスで今度のはジャスティ ンといふ名前だ。しかし、古いのをそのまま捨てるのももつたいないので、原因を探らうと二つを比べてみた。

    すると台座の部品で違ふところが一つ見つかつた。T−FALの湯沸しは、本体が台座と分かれてゐて、台座に置いて使ふが、新しいのでは、台座の中央の黒く て丸いプラスティックの突起部品のうち、本体側の底の金属の円筒がすつぽり入る円形の隙間が、古いの比べて広いのだ。おかげでその隙間の下にある金属端子 がはつきり見える。

    これまでT−FALの湯沸し器は、黒い円形部品の真ん中の穴の底の金属端子と、外周の金属端子の二つで通電してゐるものと思つてゐたのだが、もう一箇所、 円形の隙間の下にある金属端子の、合計三箇所で通電してゐるらしいのだ。

    古い方のニュービテスの台座の黒い部品の隙間は狭いだけでなく、高熱で変形したのか、円形の隙間の広さが均等でない。そのために、本体の金属の筒の底辺が 台座の隙間の下まできつちり届かずに、スイッチは入るのに通電してゐなかつた可能性がある。

    これを解決する方法としては、本体に水を入れて台座に置いてスイッチを入れてから、本体の底の円筒が台座の隙間の底まで届くやうに、本体を台座の上で回し てやるとよい。かちつと音がしてジリジリ鳴り出せばOKだ。

    いちいち回すのが面倒な場合は、黒い部品の内側の円柱の頭を少し削つて低くしてやるか、円柱の側面を削つて隙間を広げてやるとよい。ただし、削りかすが隙 間に残ると逆効果なので掃除機で吸わせてやる必要がある。(2009年5月23日)







    第二次世界大戦で西欧諸国が共産主義を大目に見た一方で、ファシズム諸国を目の敵にして滅亡させやうと全力を注いだことの間違ひは、唯一生き残つたファシ ズム国家スペインのその後の繁栄によつて半ば証明されてゐる。

    当初、戦後生まれの国連は、ファシスト国家スペインの存在を許せず「スペイン排斥決議」を採択して、スペイン駐在大使を全員引き上げさせ、スペインを国際 社会から追放した。

    また、フランスはスペインとの国境を一方的に閉鎖し、アメリカはスペインへの石油供給を停止するなど、世界はスペイン封じ込め政策を推し進めたのである。 それに対して、スペイン国民は圧倒的な人気を誇るフランコのもとに結集して、この国際的孤立に耐へた。

    しかし、西側諸国がこのスペイン敵視の誤りに気づくのに5年もかからなかつた。

    それは1950年の国連によるスペイン封鎖解除と各国駐西大使復帰に始まり、55年の国連加盟、さらに59年の米大統領アイゼンハワーのスペイン訪問とフ ランコとの首脳会談実現に至る。その後、60年代にスペインは日本についで世界第二位の奇跡的な経済発展を遂げるのである。

    そもそもファシズムといふ最初のレッテル貼りが間違つてゐたのである。フランコのスペインは、戦時中に日本の大政翼賛会のやうなものはあつたが、ファラン ヘ党の一党独裁ではなかつた。むしろフランコは、国内の様々な勢力を、時代の要請に合はせて柔軟に採用して政権内に取り込んで、スペイン発展につなげたと いふのが真相である。

    1931年の共和制によつてスペインに持ち込まれた民主主義は、国内を憎しみ合ふ勢力に二分して、スペイン全土を混乱に陥れてしまつた。その混乱を収拾し て平和をもたらすために国民によつて選ばれたのがフランコの独裁だつたのである。

    そして、そのフランコの独裁のもとに経済発展を遂げたスペインは、フランコの死後、民主主義国家としての道を歩むことが出来るやうになつたと言へる。(こ の間についてJ・ソペーニャ著『スペイン フランコの四〇年』(講談社新書)が公平な立場で書かれてゐる。ただし教科書的で抽象的記述が多く、時代が前後したり記述が重複することが間々ある) (2009年5月19日)







    今回の民主党の代表選挙は笑へる選挙だつた。小沢氏の秘書が逮捕されたのに本人が代表を辞めないことにマスコミはやきもきしてゐた。早く辞めて岡田氏に替 れば民主党のイメージアップになつて、支持率も持ち直すのにと見てゐたのだ。

    ところが、小沢氏がやつと辞めたと思つたたら、何と代表とは一蓮托生だと言つて辞任したばかりの鳩山氏が選挙に立候補して当選してしまつたのである。

    それも辞めた小沢氏と辞めた自分で一緒になつて強引に決めてしまつた短い選挙日程で当選したのだから、八百長すれすれの選挙で、まさに茶番としか言ひやう がない。

    総選挙に向けて格別人気があるわけでもない鳩山氏がなぜ立候補したかと言へば、小沢氏に頼まれたからでしかないのは誰の目にも明らかである。小沢氏の延命 のため以外に、鳩山氏が民主党の代表になる意味はないのだ。

    しかし、人の権力維持のために代表になつた鳩山氏が困るのはこれからだらう。それでもマスコミは期待はずれの鳩山氏に暖かい言葉を送つて、民主党の支持率 を上昇させた。

    それほどマスコミは政権交代を望んでゐるのだらう。しかし、政権交代してはじめて日本は民主国家になれると言つた小沢氏の考へてゐることが、党でも国でも なく自分の権力維持でしかないのは、この選挙を見ても明らかである。(2009年5月18日)







    ファシズムと戦ふためにスペイン人民戦線の義勇軍に参加するためにやつて来た善意の外国人たちの末路は、ファシストのスパイとしてスペインの警察に逮捕さ れることだつた。最初は前線で兵士として戦つてゐた者も、あとから国境を越えてやつて来た者も、1937年のバルセロナ事件以降は次々と逮捕された。

    なぜかといふと、スペインの警察(政府ではない)はスターリンの指示を受けた共産党員に支配されてゐたからである。第二次大戦中にソ連に来る外国人がスパ イと見なされたのと同じことが、ソビエトに支配されたスペイン警察でも行はれたのだ。

    オーウェルが逮捕されなかつたのは全く運のよさのお蔭だつた。逮捕された者は裁判抜きで長期間投獄され、銃殺された者もあつた。しかし、それでもオーウェ ルの社会主義に対する憧れとはファシズムに対する強い憎しみは変はることがなかつた。

    この憎しみの強さは、スペイン戦争がフランコの勝利に終つた後に書かれた『スペイン戦争を振り返って』の中の強いファシズム批判に表れてゐる。例へば戦争 中の残虐行為も「赤」(左翼)より「白」(右翼)の方が「はるかに多く、はるかにひどい」と言つてはばからない。

    また、彼はファシズムが世界を征服したときの恐ろしさを想像してみせて、ファシズムが悪であり自由主義が正義であると堅く信じて疑はない心の内を見せてゐ る。ここから、当時のイギリスで反ファシズム宣伝が如何に行き届いてゐたかがよく分かる。

    だから、ファシズムの戦つてゐる相手が共産主義者だと分かつても、オーウェルは何よりもファシズムと戦ふことの重要性を説いた。共産諸国の支配の過酷さは フランコによるスペイン独裁の比でないことが分かつたのは、ずつと後の事だつたのである。(2009年5月15日)







    『カタロニア讃歌』を書いたジョージオーウェルは、社会主義がもたらす平等な社会に対して素朴な夢を抱いてスペインに来た。そしてオーウェルが見た人民戦 線の部隊では、まさにそんな平等な社会が実現されてゐたのだ。

    互ひに同志と呼び合ふが、決してそれは形だけのことではなく、本当にみんなが平等な仲間だつた。共にファシストと戦ひ、共に糞だらけの塹壕で眠り、共に蚤 だらけの服を着て、共に貧しい食べ物を分け合ふ、差別のない同志だつた。

    何よりも、スペイン人の人の良さはイギリス人にはないもので、階級のない社会にぴつたりのやうに思へた。スペイン人はフランス兵たちが自分たちより優秀だ と思ふと、イギリス人なら死んでもやらないやうな心から賛辞をフランス人に送ることが出来た。

    しかしながら、どこのレジスタンスでも起きたやうな血で血を洗ふ内部抗争がスペインでも起きた。同志であるはずの反ファシスト政党の間で銃撃戦が展開され るやうになつたのだ。バルセロナの街に立つ全てのビルには、武力で占拠した政党の旗が掲げられ、屋上からは狙撃兵が銃を構へた。

    この争ひを伝へる新聞は嘘ばかりを書いた。オーウェルによればジャーナリストとは「嘘を書くのを職業にしている人間」のことだ。彼等はみんなどこか遠くに ゐて、人を惑はす意図をもつて不正確なことを書く。戦争報道になると9割が嘘だつた。

    さうやつて、バルセロナで起きた銃撃戦はすべてオーウェルの仲間の労働者たちのせいにされ、労働者たちの抵抗は「反乱」とされ、なんとオーウェルたちは ファシストの手先にされてしまつたのだつた。(2009年5月12日)







    ジョージ・オーウェルの『カタロニア戦記』はスペイン戦争の戦場のみじめな現実だけでなく、政治的な現実も明らかにしてゐる。

    オーウェルがイギリスの新聞によつて教へられてゐたスペイン戦争とは、「狂気の職業軍人たちがヒトラーに金をもらって暴動をおこしたので、文明をそれから 守るために起こった」戦争だつたが、実際は違つてゐた。

  オーウェルは、ファシスト・フランコを民主主義の敵だと思ひ、彼と戦ふためにスペインまで来たのに、実際にフランコが戦つてゐる相手は民主主義者ではなく 共産主義者だつた。フランコが穏健な左翼政権に対して起こした反乱に乗じて、急進的な共産主義者たちがスペイン全国を赤化し始めてゐたのだ。

    ところが、当時コミンテルンは革命に反対だつた。ソ連がスペインの共産党員に命じて、あちこちの革命政府をつぶさせてゐたのである。当面はブルジョワ陣営 に参加して共にファシストを倒すべきとする当時世界中で行はれたコミンテルンの策謀に従つてゐたのだ。

 しかし、かうしたスペインの革命の真実はスペイン以外では隠され、スペインでは革命のための戦争ではなくデモクラシーのための戦ひが行はれてゐるといふ 嘘が世界中に流されたのだ。

 このやうにこの本は、ファシスト対デモクラシーの戦ひといふ第二次世界大戦の虚妄の一端を明からかにしてゐたために、すぐにはイギリスでの出版が許さ れなかつた(『動物農場』は大戦後まで出版出来なかつた)。
 
 ところで、スペインの戦地で物資が不足してゐてもイギリスからの郵便小包は戦地まで届かなかつた。ただ一つ例外として届いたのは

 「陸海軍用品部を通して送られたものだけだった。あわれなイギリス陸海軍! 義務として立派に送りとどけたものだろうが、中身がバリケードの向こうのフ ランコ軍に行くのだったら、もっとうれしかったろうに」(第六章、岩波版第五章)

 が意味不明だ。ファシストであるフランコ軍に物資が届いてイギリス軍が喜ぶはずはない。

 そこで、「陸海軍用品部」にあたる"Army and Navy Stores"をネットで調べてみると、ロンドンにある大百貨店の名前と出た。当然百貨店は資本家と見なされてゐたから、資本家の味方であるファシスト陣 営に物資が届いた方がうれしいかつたはずだと、オーウェルは皮肉を言つたのである。

  したがつて、「陸海軍用品部を通して」は「アーミー&ネイビー百貨店を通して」、「あわれなイギリス陸海軍!」は「あわれなアーミー&ネイビー百貨店!」 とでも訂正すべきだらう(ちなみに、この百貨店はサマセット・モームの小説にもよく出てくる高級店である)。(2009年5月9日)







    ヒトラーつながりでジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』を読んだが、これはおもしろい。スペインの戦場がどんなものだつたか手に取るやうに分かる。

    戦場とは臭いところなのだ。なにせトイレがない。山の上の塹壕の後ろがトイレ兼ゴミ捨て場になつてゐて、そこから立ち上る匂ひがくさい事この上ない。

    その上、季節が冬なので寒くて仕方がない。寄せ集めの義勇軍にはろくな装備がなかつた。700メーター離れたところから敵が撃つてくる弾は当たる心配がな かつた。だから寒さ対策が何よりの心配事なのだ。しかも、どこもかしこも糞だらけとくる。

    武器として配られた銃は、40年前の錆付いたのやら、すぐに弾の詰つてしまふのやらで、使ひ物になる物は少なかつた。部隊には大砲もなかつた。だから、塹 壕でじつと寒さに耐へてゐるしかなかつた。負傷者が出てもそれは壊れた銃の暴発か同士討ちだつた。それがスペインの戦争の実態だつた。

    この本を読むときには大切なのは、この戦争は1936年7月に始まつた戦争だといふことである。そして作者は1936年の12月から翌年の6月までスペイ ンにゐた。そのときの出来事を書いてゐる。

    これを忘れると、第一章の最後、いよいよ前線に出発するときに同僚のウイリアムスの奥さんが見送りにきたとき、"At this time she was carrying a baby which was born just ten months after the outbreak of war and had perhaps been begotten behind a barricade."が分からなくなる。

    このベイビーは、「戦争が勃発して丁度10ヶ月後(=1937年5月)に生まれる」から、この時にはまだ生まれてゐないのだ。この子はおそらくバリケード の後ろで身ごもつた子に違ひない。

    carry a baby と言つても抱きかかへてゐるのではなく、「身重」と云ふ意味なのだ。しかも、この文章は女が生む bear と男が生む beget が同時に出てくる貴重な例文である。日本語訳は、ちくま・ハヤカワ・岩波の中では、一番古い橋口稔訳のちくま文庫(活字の大きな筑摩叢書版もある)が最も 誤訳 が少なく優れてゐる。 (2009年5月8日)







  ヒトラーの『わが闘争』の和訳が出てゐるので、古本屋で買つてきて読んでみたが、これはひどい代物だ。訳者はドイツ語の全くの初心者だとしか思へない。そ のレベルの人が一語一語ロベルト・シンチンゲル(=三修社の独和)を引きながら、そこにある訳語をつなげて作つたものといふ印象なのである。

  初心者だからドイツ史では有名なJohannes Philipp Palmを知らずに、最初の見開きの左ページ(文庫本21頁)で、ヨハネス・パルムとすべきところをヨハネ・パルムとしてゐるのは仕方がない。ゼヴェリン 氏(Carl Severingのことでゼヴェリンク氏が正しい)が当時のワイマール政府の内務大臣であることを注記してゐなくても、そんなものだらう。

  しかし、ヒトラーの父親がヒトラーの生まれ故郷のブラウナウからに引越したことを「もう一度離れねばならなかった(wieder verlassen)」とした処からは、もう許容範囲を超えてゐる。ここのwiederは住んでゐない元の状態に戻るといふ意味を含ませただけで、ブラウ ナウから二度目の引越しをしたのではないのだ。

  次の「オーストリア税関吏の運命は、当時よく『さすらい』だといわれていた」もひどい。ここは「当時のオーストリアの税関吏にとつて転勤は宿命だつた」と いふ意味で、別に「さすらふ」わけではないのだ。ここのheissenも「言われる」ではなく、「である」つまりbe動詞として使はれてゐるのである。

  さらに、最初の見開きの最後、「故郷ヴァルトフィールテルから歩き続けた」とあるが、ここはヒトラーの父親が13歳で家出したことを書いてゐるくだりであ るから、「故郷ヴァルトフィールテルから出奔した」とでもするところである。ところが、この訳者は原文のfort-laufenを「歩き(laufen) 続けた(fort)」と訳したのである。

  その後も、so...auchの構文を知らずに「そこで・・も」としたり、部分否定のnicht jederを全否定で訳したりと、初心者の犯すやうな間違ひを至る所でやつてゐる。要するに、この訳者は、た だひたすら辞書の訳語をつなげただけなのだ。

  それでも一冊の本を訳し終へたら、少しはドイツ語の力が身に付くものである。ところが、これが改訳版の修正版だといふのだ。しかし、二度も三度もやつ て、こんな初歩的な間違ひだらけであるはずがない。本当に自分でやつたのかと言ひたくなる、それ程にこれはひどい翻訳である。(2009年5月7日)







    『ナチ占領下のパリ』(草思社)は、「あとがき」に「ドイツ占領下のフランスについて語る場合、抵抗についてのみ論じたのでは、公正を期することはできま い。そこで筆者は、ドイツ軍占領下のフランス、特にパリの実態を、できるだけ公正に日本の読者に知ってもらおうとの意図から、本書を記したものである」と 書かれてゐる。

    しかし、それを期待して読むとがつかりさせられる。この本はそんな大それたことを目指した本ではない。パリを占領したドイツ軍の悪逆非道ぶりとそれに苦し むフランス人の窮状、一部の対独協力者と抵抗者について、筆者があれこれ拾ひ読みしてきたことを適当に詰め込んだ本でしかないのだ。

    その適当さは「エピローグ」の「確かだったのは、パリ市民の大部分が、少なくとも心情的には占領ドイツ軍に強い反感をいだいていたことである」といふ文章 によく表れてゐる。

    何故そんなことが分かるのか。それは例へば「確かだつたのは、米軍占領下の東京都民の大部分は、少なくとも心情的には米軍に強い反感を抱いてゐたことであ る」と書くやうなものである。

    しかし、そんなことを書く人はゐないだらう。それはなぜか。米軍が日本人に親切だつたからなのか。さうではあるまい。ドイツ軍も自分たちに協力的なフラン ス人には親切だつたからである。

    東京を焼け野原にした米軍に日本人が大した反感を抱かなかつたとすれば、パリを無傷で占領した独軍にフランス人が大した反感を抱かなかつたとしても不思議 ではないはずだ。

    では実際はどうだつたのか、それを明らかにするのが書物の役割のはずだ。ところが、この本の筆者は戦後になつてフランス人が書いた本をたよりにして、「確 かだった」と言つてゐるだけなのである。しかし、それは戦後史観を代弁してゐるに過ぎない。

    この本は書かれてゐる話の内容が、前後で重複してゐることが多く、また、何のためにここでこの話を入れたのか分からないやうな処があちこちにあつて、文章 も全体的に軽くて信憑性にとぼしい。編集者は何をしてゐたのかと思はせる残念な本である。(2009年5月6日)







    トーランドの『アドルフ・ヒトラー』は、フランスに勝つたあとパリ市内を三時間かけて見学して回るヒトラーの姿を伝へてゐる。オペラ座から、エッフェル 塔、ナポレオンの墓、モンマルトルの丘までを見て回るヒトラーは、まるで昔の画学生にもどつたかのやうだつた。

    彼はフランスとの戦争に際して、ドイツ軍にパリを迂回してその近くでの戦闘を避けるように命じた。その理由を、パリを見学中のヒトラーは「いま眼下に横た わるこの美観を後世に残すためだ」と言つたといふ。

    ヒトラーはパリに入場したドイツ兵に略奪行為を禁じ、市民に対して威張り散らしたり、金を払はずに食べ物を要求してはいけないと命じた。また、避難してゐ たフランス人がパリに帰るのを助け、婦人には礼儀正しく、愛想よく振舞はせたといふ。

    さらにパリのドイツ軍はまるで休暇を楽しんでゐる団体客のやうだつたといふのだ。だから、去年の展覧会で公開されたアンドレ・ズッカの写真が伝へるナチ占 領下のパリ市民の楽しげな風景は、一面の真実だつたのである。

    一方、トーランドは大部分のフランス人はナチ当局に協力してをり、レジスタンス運動に参加した人間は非常に少なかつたと伝へてゐる。また、参加した人たち も血みどろの内部抗争に忙しく、実質的な抵抗運動の体をなしてゐなかつたといふ。

    かうした事実を知つた後で、例へば『パリは燃えているか』といふ本を見ると、それが如何に脚色と誇張によつて作られた物語であるかが分かるのである。

    この本は前書きで、綿密な調査による事実だけに基づいて書かれたかのやうに入念に装はれてゐる。しかし、一旦本編に入ると、悪辣暴虐なドイツ軍と正義のレ ジスタンスといふパターンにどつぷり浸かつて書かれてをり、結局は娯楽物としての価値しか認められないのである。(2009年5月5日)







    村瀬興雄の『アドルフ・ヒトラー』(中公新書1977年)もトーランドの本と同じく、ヒトラーに対して公平な見方を提供してゐる本である。

    著者は、戦後悪意を持つて書かれたヒトラーの伝記の誤りを、最新の研究によつて匡(ただ)し、ヒトラーもまたどこにでもゐるありふれた人間であり、時代の 子の一人に過ぎなかつたこと、ユダヤ人憎悪も当時ありふれた現象だつたことを明らかにしてゐる。

    また、第一次大戦以前からのドイツの政治思想の流れと、それに伴ふ様々な政党の栄枯盛衰の有り様についても、欧米の書籍をもとにして学問的に概観して、ヒ トラーとナチスをその中に位置づけてゐる。

    著者によると、かういふ客観的な見方が生まれてきたのは、ファシズム復活の恐れがなくなつた1952年頃からだといふ(74頁以下)。しかし、それでも最 初は@「悪かったのはヒトラーとナチス大幹部だけで、その他の支配者はなんとか我慢の出来る指導者であったという見方」が盛んだつた。

    しかし「1960年代から風向きがさらに変ってきた」。ナチスの時代を生きのびた人たちも、戦前戦中はナチスと同じ帝国主義的考へ方をして、ナチスと同じ 地盤を共有してゐたではないのかと言はれ出したのだA。つまり、ヒトラーとナチスが相対化され始めたのである。

    とは言へ、一般の日本人の頭の中では今でも@の考へ方が主流である。例へば、ヒトラーの『わが闘争』だけでなく、ヒトラーについて書かれた本は、書店では 沢山見られるのに、公立図書館ではなかなか見付けられない。ついこの間まで私がさうだつたやうに、日本では相変はらずヒトラーはゲテモノだからであらう。 (2009年5月4日)







    トーランドの『アドルフ・ヒトラー』を読んでゐると、ヒトラーは悪人でチェンバレンはだめな政治家で、ルーズベルトとチャーチルは偉大な政治家だといふ考 へ方も変つてくる。

    チェンバレンは徹底した平和主義者で、有名なミュンヘン会談以前にも2度もミュンヘンに飛んでヒトラーと話しあつてゐる。やむを得ずドイツに宣戦布告した 後も、宥和主義者との批判にめげずに半年以上もの間和平工作をやり続けた。

    チャーチルはチェンバレンとは正反対で武力行使をためらわず、フランスが早々にドイツに降伏したときも和平の機会とは捉へず、一切の負けを認めないで、ア メリカとソ連の力を借りてドイツを降伏させるまで4年間も戦争を続けた。

    ルーズベルトもまた徹底した主戦派で、ヒトラーとの話し合ひを重視するチェンバレンに対して何度も戦争を促し、自国内でも戦争を嫌がるアメリカ国民をたき つけてイギリスとドイツの戦争に参戦して行つた。

    ヒトラーの目的はユダヤ人と共産ソビエトの撲滅であつた。だから、フランスを降伏させた後にイギリス攻撃をそこそこにして、ソ連の日独伊三国同盟への参加 の申し込みさへ無視して、ソ連との戦争にのめりこんで行つた。

    つまり、それぞれが血の通つた人間だつたのであり、それぞれが自分の主義に殉じた人たちだつたのである。

    一方、戦後60年経つてもテレビなどのマスコミに登場し続ける第二次世界大戦とヒトラーたちのイメージは、ユダヤ人とアメリカ人が中心となつて作り上げた ものでしかないのである。(2009年5月1日)







    トーランドの『アドルフ・ヒトラー』を読んでゐると、なぜイギリスはチェコスロバキアを侵略したヒトラーに腹を立てて、ポーランドを侵略したヒトラーに宣 戦布告したのか不思議に思へてくる。なぜヒトラーをほつとかなかつたのかと。

    所詮は他人の不幸だつたはずだ。私たちは電車の中で暴力団風の男にいぢめられてゐる人を見ても、普通は男に殴りかかつたりしない。それと同じで、他国がド イツにいぢめられてゐるからといつて、どうしてイギリスはドイツに喧嘩を挑んだのか。

    ドイツがどこまで東欧諸国を自分のものにしようと、そのためにイギリス国民がドイツ空軍の空襲にさらされねばならない謂はれはなかつたはずだ。確かに「義 を見てせざるは勇なきなり」とは言ふ。しかし、それは一時的な面子の問題だらう。そのために、自分の国民を巻き添へにすることなどありえなかつたはずだ。

    ヒトラーがやがてソビエトと戦ひ始めたのは歴史の知るところである。それを英仏が邪魔してゐなかつたなら、ヒトラーは独力でソ連の共産主義を終らせてゐた かもしれないのだ。しかも、病気のヒトラーは長生きしなかつた。ヒトラーが死ねばドイツのファシズムは終つてゐたのだ。

    それに、イギリスがあんな大戦争までしてドイツを負かしたのに、その支配を逃れた東欧諸国は全部ソ連のものになつてしまつたではないか。そんなことなら、 ヒトラーに支配されてゐたままの方が、共産主義国にならなかつただけ、よほど世界は平和だつたはずだ。

    かう考へてくると、第二次世界大戦はまつたく無駄な戦ひだつたのではないのかと思へてくる。(2009年4月27日)







    ジョン・トーランドの『アドルフ・ヒトラー』は、あまり読みやすい本ではない。色んな人物の固有名詞が、肩書きなしで登場することが多いので、最初に出て きた頁からかなり離れてゐたりすると、そのたびに誰だつたか確認するために最初に戻る必要があり、最終巻についてゐる索引なしに読み進めることは難しい。

    この本よりも児島襄の『第二次世界大戦:ヒトラーの戦い』の方がはるかに読みやすい。もつとも、この本は筆者が一から資料に当つて書いたと言ふよりは、ヒ トラーに関する既存の本をあれこれ利用して作られた本だと思はれる。

    例へば、レーム事件でヒトラーがレームの宿泊してゐるホテルに突入する際の描写では、ホテルの女主人の驚きやうから、レームの副官の部屋の中の様子にいた る一連の出来事は、トーランドの描写とそのまま同じである。

    ほかにもそんなところが沢山あるが、もちろん全部丸写ししてゐるわけではない。日本人向きに必要な説明も加へてあり、改行もたくさんあつて、多くの情報が 集約されてゐて、とても読みやすいので、児島襄のヒトラーがなかなか図書館で見つからないことは残念なことである。

    児島襄の特徴は何と言つてもヒトラー批判に主眼が置かれてゐないことだらう。オーストリア併合も、元々それはオーストリア国民が願つてゐたことだとする記 述から始めてゐて、テレビの映像物によつてナチスの悪行が染み付いてゐる人には、目からうろこの思ひがするかもしれない。(2009年4月26日)







    現代ではヒトラーに関してユダヤ人排斥ばかりが言はれるが、彼は共産主義撲滅にも必死に取り組んでゐた。

    当時のドイツにおけるボルシェビキの脅威はすさまじいもので、ドイツの多くの州では暴力革命による共産党政権が生まれては消えしてゐた。ポーランド、オー ストリア、イタリアで独裁政権が生まれたのも、共産主義からそれぞれの国土を守るためであつた。

    また、スペインではフランコが社会主義政権を相手に内戦の最中で、その戦ひを支援するために行なつたドイツ軍による空爆がピカソの絵に残されてゐる。その ころ日本も共産主義を排除するために懸命だつた。

    かうして世界中で共産主義を排除する戦ひが行はれてゐたのに対して、共産主義者を多く抱へたアメリカの三期目のルーズベルト政権が第二次世界大戦に参戦し たことの結果はどういふことになつたか。

    ドイツの東半分とその東側の国々で共産政権が次々と誕生し、アジアでも北朝鮮と中国の二つの共産国家が生まれ、日本でも獄中の共産主義者が息を吹き返した のである。

    ファシズム運動とは共産主義との戦ひだつたにも関わらず、アメリカの参戦と勝利はその運動をつぶして、世界中に共産主義の脅威を蔓延させたのだ。

    ところで、スペインは第二次大戦でフランコが中立を保つたお蔭でアメリカに敗れることがなかつたためファシズムは生き残りイベリア半島は赤化を免れた。一 方、アメリカ自身は戦後のマッカーシー上院議 員の運動によつて共産主義は根絶されてゐる。

    ジョン・トーランドの『アドルフ・ヒトラー』を読むと、以上のやうな歴史の見方が可能であることが分かる。(2009年4月25日)








    ジョン・トーランドの『アドルフ・ヒトラー』を読むと、なぜワイマール憲法といふ民主的な憲法の下でヒトラーが独裁的な権力を手にすることが出来たかがよ く分かる。

    まづ、ワイマール憲法は、第一次世界大戦後に権力を握つてゐた社民勢力が中心になつて作つたものであつて、必ずしも国民の総意で作られたものとは言ひがた かつた。ところが彼等こそは反戦運動から革命を引き起こしてドイツに敗戦をもたらした張本人で、言はば敵に祖国を売つて権力の座を手に入れた人達だつた。

    だから、戦後の外交も旧敵国側の言ひなりで、しかも敗戦後の経済的混乱から国を立て直すことができずにゐるうちに、彼等は急速に国民の支持を失なつてしま つた。それと共に、彼等が作つた憲法も国民にとつてはお荷物でしかなくなつてしまつたのだ。

    一方、当時のドイツは皇帝による独裁政治を脱したばかりで、民主主義は全く根付いてをらず、暴力革命を目指す共産勢力とこれも暴力的な右翼勢力がドイツの 各地で力づくの権力争ひを繰り広げてゐて、話し合ひだけで物事を民主的に決めていかうといふ機運は少なかつた。

    したがつて、議会は反対勢力が対立するだけで全く機能せず、ヒトラーがまだ登場する以前から、議会を通過した法律によつてではなく、大統領による緊急勅令 の乱発によつて重要な政策が実施されるといふ有り様だつた。

    しかも、当時はポーランド、オーストリア、イタリア、ソ連とドイツを取り巻く多くの国々では独裁者が政権を握つてをり、民主主義は最善の政治形態であると は見なされてゐなかつた。

    そのやうな状況の中で、ドイツ国民はもはや議会に左右されない強力な政権の誕生を待ち望んでゐた。だから、総選挙でナチスが第一党に躍進すると、独裁的権 力を要求するヒトラーを首相にせよと経済界の重鎮たちは大統領にこぞつて請願書を提出したのである。要するにドイツ国民は鉄血宰相の再来を夢見てゐたの だ。

    どん底から這ひ上がつてきた苦労人のヒトラーは、その鍛へ上げた雄弁術と賢明な振る舞ひ方によつて、自分こそはそのやうな国民の夢と希望に応へられる人間 であると国民に信じ込ませることができた。その結果、彼は熱狂的な支持をもつてドイツ国民に迎へられたのである。

    だから、彼がワイマール憲法を否定するやうな政策を次々と実現して行くことは、まさに多くの国民にとつては願つたり叶つたりだつたのである。(2009年 4月23日)







    『シャンプー台のむこうに』といふ映画は、競技物のストーリーをベースにしてそこへ家族再結集といふ現代的なテーマを加へて非常にうまく作られた映画であ る。

    村で大きな競技大会が催されることなつた。むかし不義理をして村を出て行つた男がそれを聞いて、出場するために、昔の仲間のもとに帰つてくる。しかし、村 に留まつて地味に暮らしてきたリーダーでかつての名人は、そんな競技に今更出る気はさらさらない。そもそもどの面下げて帰つて来たのだ言つて男を追ひ帰し てしまふ。

    ところが、名人には一人の息子がゐて自分が大会に出ると言ひ出す。そして帰つて来た男と息子のチームが生まれる。戦は四回戦である。父親は、息子が一回戦 で敗れるまでは突き放して見てゐるが、二回戦を前にして息子に奥義の伝授を始める。また、父親は強敵の秘策を見破つてその妨害するなど、まづは脇役として 競技に関はつてくる。三回戦には帰つて来た男が腕前を発揮して1位に肉薄する。

  かうした話の展開だから、おのづと最後の見所は、この父親がチームに加はつて、この大会に颯爽と登場して、最後の戦ひでかつての名人芸を披露するところで ある。もちろんチームは大逆転で勝利を手にするのだ。

   この映画のストーリーは、このやうにチームで勝利を勝ち取る物語によくあるパターンを基にして作られてゐる。もちろん、非常に面白い映画に仕上つてゐる が、これと似た話はいくらでもあると思ふ。私は思ひ出せないが、映画通か漫画通の人ならすぐに言ひ当てることができるのではないか。 (2009年4月18日)








    車のガソリンをセルフスタンドで入れるやうになつて給油が気楽になつたのはよいことだ。たとへ値段が安くても人に入れてもらふスタンドでは、オイルの点検 や何やかやと店員に勧められて断るのが面倒だからである。

    しかし、悪いこともある。それはタイヤの空気圧を見てもらへなくなつたことだ。タイヤの空気圧を自分で管理する必要が生まれたのである。幸ひタイヤの空気 圧を計るメーター(空気圧ゲージ)は100円ショップに売つてゐる。あとは空気を入れるポンプがあればよい。

    これを私は自転車の空気入れでやつてゐる。最近売られてゐる自転車の空気入れには、米式バルブ用の口金が付いてゐて、それに鳥の口ばし(洗濯バサミ)型を した口金が差し込まれてゐて、それを自転車のバルブに挟んで空気を入れるやうになつてゐるのが多い。この口ばし部分を外して、米式バルブ用の口金を自動車 に 使ふのである。

    この口ばしは、米式バルブ用口金の頭にあるレバーを立ててから引つこ抜けばよい。それから、口金を車のタイヤバルブに差し込んで、頭のレバーを倒 して抜けないやうに固定してやるのだ。あとは、せつせと空気を入れて、空気圧ゲージで計つて適正な値になるやうにすればいいのである。

    ゼロから空気を入れるのではないし、空気の減るタイヤは右側の後輪が主だから、自転車の空気入れでやつても、たいした労力ではない。それより重要なのは、 米式の口金の中のへその長さである。

    この口金の仕組みは、空気圧ゲージの場合と同じで、このへそがタイヤのバルブの弁を開くやうになつてゐる。だから、このへそが短かすぎると弁が開かないの で、いくらポンプを押しても空気は入らない。逆にこのへそが長すぎると、タイヤのバルブに口金をはめるときにタイヤから空気がシューシュー漏れてしまふ。

    バルブにはめて頭のレバーを倒したときに丁度弁が開くやうになつてゐるのがよいのだ。これはPanaracerの空気入れの口金がうまく設計されてゐるや うだ。ついでに言ふなら、空気圧ゲージ付きのものが便利である。適正な空気圧になるのを見ながら空気を入れられるからである(約2000円)。(2009 年4月13日)








    京都舞鶴の女子高生殺人事件で被害者の少女が哀れなのは、お気に入りのハンドバッグを持ち、買つたばかりのサンダルを履いて、明らかによそ行きのお洒落を して出かけてゐたことだらう。

    彼女はデートに出かけたのである。おそらく彼女は人生で初めて自分を必要とする男性にめぐりあつたのだ。そして夜中に秘密の呼び出しを受けて出て行つた。 男性との秘密の約束をした乙女心は、親に黙つて家を抜け出すスリルも味はつてゐたはずだ。

    だから、彼女の気持ちは当初浮き浮きしたものだつたらう。男性と会ふ前に友達に電話をかけたのも、友達に対して何か自慢をするやうな気持ちがあつたのでは ないか。しかし、これから人に会ふことまでは言へなかつた。

    数日前に母と一緒にサンダルを買つたのは、そもそもこの男性と会ふためだつたのかもしれない。彼女は初めて履いたサンダルで足を豆だらけにしながらも、男 との会話を楽しみながら、男に言はれるままに延々と歩きつづけた。

    憎むべきこの男は、事件前にどこかで彼女と会つてゐたはずなのだ。孤独な少女は、男にやさしい言葉を掛けられて心を動かされてゐた。警察官の手にぶら下げ られた少女のサンダルの写真から、そんなことを想像して胸を締め付けられるのである。(2009年4月10日)







    レジの清算で列に並んでゐるときに隣のレジが開くと、ろくなことが起こらないから、レジには並ばないやうにしてゐるが、それでも時々不幸なことが起こる。

    先日も買ひ物を終へてレジの方を見ると2人ほど並んでゐたので、例によつて遠巻きにして別の商品を見てゐるうちに、後一人になつたので、レジの前のガムの 棚まで行つて、ボトルガムを手に取つて買はうかどうか見てゐた。すると、閉じてゐた隣のレジに化粧部員のお姉さんが来て「こちらへどうぞ」と言ふ。

    自分が次の番だと思つてゐたので、そちらへ行きかけると、彼女は「そちらの方どうぞ」と言ふ。「俺?」と言ふと、また「そちらの方どうぞ」と言ふ。明らか に目線は私の後ろに行つてゐる。「また、断わられたよ」と思ひながら、格好悪さをごまかすために、ガム選びに戻る振りをするが、隣のレジには長身の格好の いい男性が行つて清算をしてゐる。

    順番から言へば私だつたのだが、正確に言へば私は並んではゐなかつた。しかし、この長身の男性は今レジに来たばかりで、私の目線には入つてゐず、列は出来 てもゐなかつたのだ。となると、この女性部員の目当てはその長身の男性にあつたのかと疑ひたくなる。

    そのうちこちらのレジでは私の番になつて、50がらみの手際のよいおばさんのお陰ですぐに清算は終つた。わたしは「俺は男前ではないものな」などと思ひな がらレジを去りかけた。するとその時レジのおばさんはまるで私の心を察したかのやうに、私に向かつて深々と頭を下げながら「どうも申し訳ございませんでし た」と言つたのである。(2009年4月9日)







   商品に警報装置が付いてゐないお店の場合には、買ひ物を選ぶことにはあまり困難はないのだが、問題はしばしばレジで買ひ物を清算する時に起きる。

    レジといふものは他の客が誰も並んでゐず、一人で清算する場合には、普通は何も問題は起こらない。問題は、レジに既にほかの客が並んでゐて、しかも列が長 くなつた場合に、それを見た別の店員が気を利かして隣のレジの開けた場合にしばしば起こるのである。

    しかも、その起こり方は二通りある。まづ一つめは、こちらはさんざん待たされたのに、自分の後ろにあとから並んだ客が、開いた隣のレジにさつと移つて、自 分より先に清算をしてしまふ場合である。これは実に悔しい思ひをさせられる。

    もう一つのケースは、自分が列の後ろの方に並んでゐる場合で、隣のレジが開くの見てラッキーとそちらに移らうとすると、あなたの前で待つてゐた人が優先で す、と言つて店員に断られる場合である。この場合は大恥である。

    といふわけで、どちらにしろ不愉快な思ひをさせられるので、それを恐れる私はレジに人が並んでゐるときは列には加はらず、離れたところで商品を見ながらレ ジが空になるのを待つことにしてゐる。(2009年4月8日)







    ショッピングには様々な不愉快がつきものだが、その一つは紛れもなくカメラ店や電気屋の商品についてゐる警報装置であらう。展示してあるデジカメを持ち上 げた途端にピーピーと大きな音が鳴り始めるあれである。

    あの目的は盗難防止で、警報装置のタグが商品から外された場合に鳴りだすはずのものなのだが、それがどういふわけか商品を持ち上げただけで鳴りだすものだ から、びつくり仰天させられる。

    そして、何か悪いことをした人間になつたやうな気分にさせられるのだ。

    それでも店員がこちらに愛想良く声を掛けながらすぐにやつて来て音を消してくれたらまだしもなのだが、ほとんどの場合、店員はなかなかやつて来ず、そのう ちに無言で近づいてきて無言で警報装置をセットし直して元の職場へ帰つて行くのだ。

    さうなると、こちらとしてはもうその店からはそおッと出て行くほかはない。

    それでもまた、その店の前を通ると、やはりその商品に対する自分の好奇心を満たしたいのと、また鳴るかどうか試したいのとで、さつき警報装置が作動した同 じ商品を、今度はさつきとは持つ所を変へてから、もう一度ゆつくり持ち上げてみるのだ。

    そして、おお今度は鳴らないぞ。ざまを見ろ。何だ。このタグに触れたのがまづかつたのか、などと思ふのである。もちろん私を泥棒扱ひして謝らなかつたそん な店でその商品を買ふ気などさらさらないのだ。(2009年4月7日)







    最近ある公立図書館のホームページを見たらこんなことが書いてあつた。

「図書館からのお願い 図書館では、現在予約の殺到しているベストセラー5冊の寄 贈を歓迎しています。・・・ご不用になった上記の本をお持ちでしたら、ぜひ図書館までお持ちください。」

  良かれと思つてやつてゐるのだらうが、常識のなさ丸出しである。これでは、図書館でベストセラーが読めないのは、住民の協力が足りないからだといふことに なつてしまふではないか。

  ところが、全国には同じやうなことをホームページに書いてゐる公立図書館があちこちにある。ベストセラー以外でも寄贈をお願ひすると言ひながら、きれいな 本以外はお断りと公然と条件をつけてゐたりするのだ。

  しかし、これは人から物を乞ひ求める態度では断じてない。こんなものを読めば「お前たちは一体何様なのか。人がわざわざ金を出して買つた本を、誰がお前た ちなんかに只でやるものか」と思はれるのが落ちだらう。

  地方公務員たちの住民サービスに対する気持ちとは、こんなにも無神経なのである。(2009年4月6日)








    三島由紀夫は『わが友ヒットラー』のあとがきで、アラン・ブロックの『アドルフ・ヒトラー』からこの作品の構想を得たと書いてゐる。しかし、そんな人のそ んな本は検索しても出てこない。書名だけで調べてみると、これはみすず書房から出てゐるアラン・バロックの『アドルフ・ヒトラー』のことらしい。

    それで、借りてきて少し読んでみたが、この本のもとになる原書は大戦直後の1952年に出たもので、しかもイギリス人が書いたものであるためか、本人は公 平に書いたつもりらしいが、かなり偏見に満ちた本であるやうだ。

    例へば「形成期」に書かれてゐる若き日のヒトラーは、自分の天職にめぐり遇ふまでは定職に就くことを拒否する生き方を選んだ、要するにフリーターだつたの だが、それが非常にだらしないことのやうに書かれてゐて、法廷で検事が犯罪者の前歴を語る口調そのままなのである。

    また「むすびのことば」で、「ヒトラーの心を支配していた情念は下等なもので、憎しみ、恨み、支配欲、および、支配しきれないばあいの破壊欲といったもの であった」と結論付けてゐるが、このやうな非難の言葉は、本書の最初の方から繰り返されてゐる。

    しかも、その根拠となる文献は、最初の方は大抵がヒトラー自身が書いた『わが闘争』からの引用でしかなく、それは物の見方次第なのであるから、何も証明し たことにはならないのだ。

    結局、この本自体が、ヒトラーに対する恨みや憎しみと言つた下等な情念に支配されて書かれてゐるので、その感情を著者と分かち合へない人間にとつては、こ れは非常に不愉快な本にならざるを得ないと思はれる。

    ところで、『わが友ヒットラー』といふ題名は、三島にとつてヒトラーが「わが友」だといふ意味ではなく、この作品の登場人物で、ヒトラーに粛清されるレー ム突撃隊長が、死ぬまでヒトラーのことを自分の親友だと信じて疑はなかつたことを表はしてゐる。(2009年4月5日)







    最近、古本屋のチェーン店があちこちに出来て本好きには便利な世の中になつたが、店員が文学好きでないらしいのが欠点だらう。

    これは古典作品、とくに古文の場合に困つたことになる。本の背表紙に書かれてゐる人の名前で棚に並べてしまふからである。例へば、岩波文庫の『枕草子』は 清少納言の「せ」の棚を探しても見つからない。編者の池田亀鑑の「い」の棚を探さなければならないのだ。

    本を探すのに、作者の名前を覚えてゐてもだめで、編集者の名前を知つてゐなければならないのは、非常に不便である。

    これは例へば岩波文庫だけを集めて並べてくれてゐるなら大きな問題ではない。ところが、なかには一般の小説と一緒くたにしてゐる店があつて、これはもうお 手上げである。

    最近も、ある古本屋のチェーン店で、承久の変の後に出たと言はれる『新勅撰和歌集』の岩波文庫があつたはずなのだが、と探してみたが見つからない。編者の 名前の久曽神と樋口をメモして行つて、そのあたりを探しても見つからない。

    誰かに買はれてしまつたのかとも思ふが、誰が買ふのだらうかとも思ふ。それで、ついつい文庫本の棚を端から端まで全部見て歩いてしまふ。もちろん、見つけ たからと言つても買ふとは限らない。買つても読むとは限らないからである。(2009年3月29日)







 WEBブラウザのFirefox3がどうもうまくない。

 私は昔からIEではなく、Netscapeを使つてきた。それは一つには最初のパソコンがマッキントッシュだつた事がある。マック用のインターネットエ クスプローラは重くて使へなかつたのに対して、ネットスケープは軽くて使ひやすかつたのである。

 それでパソコンをウインドーズに替へてからも、使ひ慣れたネットスケープを使つてきたし、その後も、その後継者である、Mogillaから Firefoxへと歴代のものを使つてきた。

 IEは表示される文字の大きさをフォントで設定できなかつたり、検索ウインドがポップアップ式で邪魔になることも手伝つて、ずつとこちらの系統を愛用し てきたのだ。ところが、Firefoxが弟3版になつてからどうも付いて行けなくなつてきた。

 古いノートパソコンでは第3版になつた最初から重くて使へないので、第二版に戻して使つてゐる。新しい方のノートでは、なんとか第3版を使つてゐたのだ が、ブログを閲覧してゐるときに時々ブラックアウトするのだ。パソコンの画面がまつ黒になつて勝手に再起動してしまふのである。

 ブルースクリーンが出て再起動するときはメモリが不良であることが多く、画面が白黒の縞模様になるときはCPUの熱暴走であるが、ブラックアウトは電流 の負荷が大き過ぎたときによく起こる。

 また落ちるかと思ひながらパソコンに向かふのは、とても精神衛生上好ましいことではない。それで新しい方のノートでもFirefox2に格下げすること にした。

 なほ、ほかにGoogle ChromeやSafariが候補に上がつたが、前者はファイルメニューがないのが不便であり、後者はまだまだ開発途中であり、メールをクリックしても開 けなかつたりするので、どちらも常用には使へないと判断した。(2009年3月23日)







    民主党の小沢代表が企業献金の全面禁止を言ひ出した。もしいま企業献金が世間で悪いことだと思はれてゐるとしたら、それはまさに今度の小沢氏の秘書が逮捕 された西松建設の事件のせいである。ところが、小沢氏はこの機を逆手に取つてこんなことを提案するのだから、彼はまさに稀代の政治家である。

 ここで小沢氏が本気でそんなことを考へてゐるかどうかは重要ではない。しかし、自民党にそんなことが出来ないことは百も承知であり、麻生首相が馬鹿正直 に「企業献金は悪ではない」と言ふことも計算の上なのだらう。

 だから、今これを言ひだせば確実に政府自民党を悪役にすることができる。マスコミは自民党のバッシングに出るだらう。さうすれば世論をまた自分の味方に することが可能だと、さう考へたに違ひない。

 考へて見れば、自分が導入を推進した党首討論に終始消極的であつた小沢氏は、去年末にマスコミが二次補正を年内に提出しない麻生首相を批判してゐた丁度 そのときをとらへて、唯一度だけ討論に応じ、二次補正の提出を首相にせまつて見事に成功したのもさうだつた。

 小沢氏がその二次補正を成立させる気などさらさらなかつたことは、その後の国会運営から見て明らかである。つまり、小沢氏のあの討論における主張は首相 を追ひ詰めて自分に対する支持を拡大する手段でしかなかつたのである。

 小選挙区制導入による政治改革といひ、党首討論といひ、英国流の政府制度といひ、誰も反対できない理想を掲げて、世間の目から自分の権勢欲を巧みにくら まして来た小沢氏である。今度もまたこれで世論を操れると踏んだに違ひない。

 もつとも、公設秘書が逮捕された国会議員が総理大臣になるなどと云ふことは前代未聞のことである。したがつて、これは自分のためと言ふよりは、むしろ自 分のせいで国民の支持を失なつた民主党のための置き土産と考へてゐるのかもしれない。しかし、いづれにせよ全く恐ろしき天才である。(2009年3月18 日)







    USBブートといつてUSBメモリからパソコンを起動させるやり方がある。最近のパソコンはフロッピーディスクがなく、それに代はる携帯用の記録メディア としてUSBメモリが使はれてゐるが、それに起動する機能も持たせやうといふのである。

    しかしながら、これはどのパソコンでも出来るといふわけではないやうだ。私の持つてゐるパソコンでも出来るのはデスクトップパソコンの方で、フロッピーの ない肝心のノートパソコンではどれもできなつた。

    出来るパソコンと出来ないパソコンを見分けるポイントは、買つて来たUSBメモリを装着したままでパソコンを起動すると、文書フロッピーを差したまま起動 してしまつた時と同じように、抜いてくれと言つて止まるかどう かであらう。止まるパソコンはUSBメモリを起動装置として認めてゐるのである。

    そして、止まる場合には、USBメモリを起動用のソフトでフォーマットして起動システムを入れてやると、起動ディスクの代はりに使ふこと ができる。わたしの場合、Jetflash v30とmformatといふソフトとNECのデスクトップの組合はせで可能だつた。

    これで起動するとms-dos画面になる。これはWindowsだけを普通に使つてゐる場合には大した利用法はない。本体のハードディスクとファイルシス テムが異なるので、ms-dosからは何も出来ないからである。しかし、別のオペレーティングシステム(例へばLinux)を併用する場合には便利なのだ らうと思ふ。(2009年3月15日)







    松下のDVDレコーダーでBSデジタル放送を見る場合には、チャンネルを上下の矢印ボタンで順番に換へて行くと、12チャンネルの後、13チャンネルから 延々とデータ放送チャンネルが並んでゐる。

    これは初期設定がさうなつてゐるからで、このままでは、矢印ボタンをずつと押し続けて、データチャンネルを全部通り過ぎないと、元の1チャンネルに戻つて 来れない。しかし、この設定は、非常に面倒くさいが、変へることができる。

    「操作一覧」ボタンを押して、「その他の機能へ」から「放送設定」を開き、まづ「放送設置」から「チェンネル設定」→「BS」を開き、「PO」を下にたど つて行き、13から35までのチャンネルのそれぞれ「CH」の値を「―」(910の次)にする。

    次に、同じ「放送設定」の中の「デジタル放送・再生」の「選択対象」を「すべて」から「設定チャンネル」に変更する。これで「操作一覧」ボタンを2度押し て「操作一覧」を消すとよい。これで、チャンネルの上向き矢印ボタンで12チャンネルから1チャンネルに、下向き矢印ボタンで1チャンネルから12チャン ネルに行けるやうになるし、番組表にもデータ放送のチャンネルは表示されなくなる。

 このことが分かつたのは、このDVDレコーダを買つて半年以上にもなる今頃である。まつたくDVDレコーダーは難しい。VHSビデオデッキが扱へなかつ た人にはとても手に負へるものではない。(2009年3月9日)







    最近、この町に大阪ガスが来て町中の道路を凸凹にして回つてゐる。といつても、ガス管を道路の下に埋めて回つてゐるだが、何故今頃になつてかと思ふ。

    こんな田舎の町は都市ガスなどといふ結構なものには縁がなく、テレビの大阪ガスのCMもまつたくのヨソ事として長年暮らしてきた人間としては、急にこの都 会扱ひには合点が行かない。

    この町も人口が増えていよいよ都会になつたのかと言へば決してそんなことはない。この十年でこの町の人口は増えるどころか減つてゐるのだ。つまり、大阪ガ スはわが町を都会と思ひ始めたのではなく、単に顧客数を増やさうとしてゐるだけなのである。

    なぜか。それは最近の家のオール電化の普及によつて都市ガスの需要が落ち込んでゐるからに違ひない。今後もオール電化は増え続けるであらうから、もつと顧 客は減る。さうなれば会社はやつて行けない。そこで大慌てであちこちの道を掘り返へし始めたのである。

    田舎の人間にも都市ガスといふ言葉の響きに対する憧れはあつた。しかし、今更家のLPガスを都市ガスに換へるのは大変なことだ。しかも、考へて見れば 都市ガスは災害に弱い。LPガスに比べて火力も半分しかない。

    だから、今更LPガス運搬車のドライバーの仕事を減らす道理はないのである。それでも換へたい家が一つでもあれば、大阪ガスは何の遠慮もなく、そこま での道路を掘り返す。かうして今や町中の通が凸凹通になりつつある。元の平らな通に戻すのはもちろん税金なのだ。(2009年3月6日)







    最近のDVDレコーダーの最大の売りはフルハイビジョン録画だらうが、ブラウン管ユーザーとしては、どうしても2番組同時録画に注目が行く。これは、デジ タルチューナーをBSと地上波で2つづつ、アナログ地上チューナーを1つ装備して、同時に2番組録画できるといふ機能である(アナログ録画の時は2番組同 時録画できないものもある)。

    しかし、2番組同時録画できても、裏録してゐる番組はテレビに映せないものがある。これは地デジテレビを持たずに地デジ放送を見たい場合には困つたことに なる。この不満を解消してくれるのが東芝のヴァルディア(W録タイプ)である。

    東芝はデジタルチューナー(BSと地上)用に2つの画面(TS1とTS2)、アナログチューナー用に1つの画面(RE)を用意して、DVDレコーダを接続 したテレビのビデオ1の画面に、この3つの画面を「W録」ボタンで切り換へることによつて表示できるやうにして、裏録中の番組を見られるやうにしてゐるの だ。

    その結果、ヴァルディアでは、TS1とTS2に異なるデジタル放送を映して、その上、REにさらに別のアナログ番組を映して、3つの番組を切り換へながら 見るといつたことができるのである。

    ところで、このRE画面ではデジタル放送を映したり録画したりもできる。しかし、ここで注意する必要があるのは、この映像はTS1のデジタル放送をアナロ グなどに変換(圧縮)して映してゐるものでしかないといふことだ。

    つまり、TS1とREではデジタル番組は同じ番組を視聴・録画することしか出来ないのである。だから、TS1でデジタル放送を録画中にRE画面に換へて も、デジタル放送のチャンネルを換へられないし、REでデジタル放送を変換録画してゐるときにも、TS1画面ではチャンネルを換へることができない。

 このやうにTS1とREとは依存関係にあるため、ヴァルディア独自の3つの画面を生かした最もシンプルで自由度の高い使ひ方は、TS1のデジタル放送は そのまま録画(TS録画)し、REではアナログ放送だけを視聴・録画することだ、といふことになる。(2009年3月5日)







    NHKテレビの「日本の話芸」を録画してゐるが、それは落語を見るためである。しかし、番組では落語だけでなく講談もやつてゐる。

    講談と落語はどこが違ふか。放送の中で、神田琴桜(きんおう)といふ女講談師は、落語は粗忽者が出てくるが、講談は立派な人が出てくる。そこが違ふと話し てゐた。

    しかし、もう一つ大きな違ひがある。それは何より話のスピードだらう。落語と比べると講談は話し方が遅い。この神田さんも遅いが、この前の赤穂浪士を語つ てゐた神田さんも遅かつた。

    話が遅いと聞いてゐてどうなるか。話が丁寧なのは丁寧だが、同時に話がくどくなつて重くなる。それを聞いてゐると、段々とこちらの元気がなくなつてくる。 気持ちが萎えてくる。顎が下へ下へとうずまつてくる。そしてまぶたが閉じてくるのだ。

    講談は眠くなるのが困りものだと思ひながら、一緒に見てゐる家族の方を見ると、もうこつくりこつくりとやつてゐる。眠るのが目的ではないので、どうしたも のかと思つたが、DVDレコーダの再生スピードを上げてみることにした。

    リモコンの再生ボタンを長押しした1.3倍速、これが丁度いい。話の中身は同じなのに、急に面白くなつてきた。テンポがいいと、元々の話の分かりやすさも 生きてくる。見ると家族も目を覚ましてテレビを見てゐる。

    そして、話を見終へて一言、「この人は話がうまいなあ」と。まさに、これは名人芸だつた。だだし、パナソニックのDVDレコーダ、ディーガの再生機能のお かげの名人芸ではある。(2009年3月3日)








    慈円と言へば百人一首の「わが立つ杣の墨染めの袖」で有名だが、『愚管抄』といふ歴史書も残してゐる。承久の乱の前年の承久二年に書かれたもので、古代か らそれまでの歴史の流れの意味を考へた本である。

    摂関家の出の人で当時の政治家たちとも深く関はつてゐたために、歴史上な大事件を直接見聞きした人の言葉を伝へてゐて、読物として面白く、読みやすい現代 語訳が「日本の名著」の中に入つてゐる。

    しかし、それより面白いのはこの『愚管抄』の原本が、漢字かな混じり文、しかもカタカナで書かれてゐることである。そのカタカナを写本の写真で見ると、こ の時代にすでに現代のカタカナと殆ど同じ文字が使はれてゐることが分かるのだ。

    といふことは、平仮名で書かれた昔の写本を読むのに必要なあの難解な変体仮名を読む訓練なしに、現代人は『愚管抄』の写本を読めるといふことなのである。 何よりカタカナには 草書体がないのがよい。それに合はせて漢字も草書体ではないのだ。

    慈円も、この本を誰でも読めるやうにと意図的にカナばかり使つて書いたと第二巻の最後に書いてゐる。ただし、せつかくカタカナで書いてあつても慈円の書い た文章が分かりにくいのは残念なことではあるが、それはまた別問題であらう。(2009年3月2日)







    東芝のDVDレコーダ(ヴァルディア)が松下(パナソニック・ディーガ)よりすぐれてゐる点

1    DVDの初期化やファイナライズのときもテレビの映像が見られる。

2    CMカットが、番組の本編がモノラルか音声二重でなくてもできる(松下のは高価なブルーレイレコーダでは同じことが出来るらしい)。見ながら30秒スキッ プするのは、スキップ後にCMの最後数コマが表示されてCM明けの画面にならず、もう一回スキップしてしまふことが多くて、苛々することが多いので、CM カットは欠かせない。

3    東芝では録画番組の再生中に「30秒スキップ」で早送りできるだけでなく設定で30秒バックもできるので、30スキップで行き過ぎたときに戻れる。

4    2番組録画(W録)中でも録画中の番組の画面を両方ともテレビで見ることが出来る。松下は片方しか見られない。

5    東芝はアナログ録画や外部入力録画中でもデジタル番組の録画がW録画出来る。

6    松下ではBSデジタルのチャンネルにデータ放送のチャンネルが含まれてゐるが、東芝ではそれがないためチャンネル切り換への上下ボタンでBS12チャンネ ルから直接NHKBS1に戻れる。

7    東芝にはフォルダ機能があり、その一つにゴミ箱があつて一時保存できる。フォルダに相当するものとして、松下ではまとめ機能があるが、削除すればそれき り。

8    リモコンで放送チャンネルの番号を指定して切り換へたいとき、松下では蓋をめくつて数字ボタンを押す必要があるが、東芝ではリモコンのサイドにあるスイッ チを変へれば、再生・停止などのボタンを数字ボタンに代用できる。

9    東芝はデジタル録画してゐないときは3つの画面、録画してゐるときは少なくとも2つの画面を、W録ボタンを押すことによつて、テレビのビデオ1或はビデオ 2画面のままで切り替へて見ることができるため、テレビ画面に戻る必要が少ない。

10    東芝は分単位のチャプター打ちを自動でできる。松下は手動でいちいち時間を見ながらしないといけない。

11    東芝はデジタル放送の特徴である今放送してゐる番組についての情報を画面を見ながらボタン一つで映し出すことが出来る。松下では番組表を出してから、該当 する番組について表示する必要がある。

12    松下の番組表のGガイドは1つしか放送がなくても3つ分の幅を各放送局に割当ててゐるが、東芝は番組表では1つだけ表示することが出来る。

13    東芝は、番組表の放送局の順序を自由に変へることができて、しかも最後まで行くと最初に戻るから、松下のGガイドのやうにNHKがいつも一番前に来ること がない。

14   東芝には Video形式の録画のダビングしたときに、削除したはずのCMが一部残ることを防ぐためのプログラムが用意されてゐる。

15    番組名などの入力で松下では一字一字五十音表の文字をたどつて行く必要があるが、東芝では携帯電話の入力方式で簡単に入力できる。

16 東芝では一秒間30フレームが数字で出るため、一時停止でチャプターを打つ場所を探すときに苛々せずに済む。松下は数字が出ないためどこまで移動出 来たかわからない。

東芝のDVDレコーダが松下より劣つてゐる点

1  東芝は、色んなことが出来るのでマニュアルが複雑になつてをり、使い方を身をもつて実際に体験して慣れる必要がある。(特に編集画面の使ひ方では、モード ボタンによるタイトルとチャプター切り換へと、カーソルの存在に気付くまでは大変だ。また、プレイリスト編集では、下段にカーソルがある間は先へ進めない ので、選択を間違つたと思つても一旦そのチャプターをカーソル位置に挿入してから、クイックメニューで選択キャンセルするしかない)

2  デジタル放送をブラウン管テレビで見るときに不愉快な上下の黒帯を消すサイドカット機能が松下にはあるが東芝にはない。ただし、東芝ではアナログ放送の放 送映像と、デジタル放送を標準録画して再生した映像に対して、ズーム機能で同じことが出来る。

3  松下にはあるSDカードスロットが東芝にはないのでデジカメの写真表示ができない。

4  番組表のスクロールが松下は速いが、東芝はとろんとろんしてゐる。

5  東芝では録画した番組はいちいち指定しないとフォルダの中ではなくルートにつくられるが、松下では同じ番組は自動的に「まとめ番組」の中につくられるやう になる。松下のほうが録画ファイルをフォルダに移すのが簡単。

6  東芝はDVDディスクを入れてから操作できるまでに松下よりも長い時間がかかる。

7  ダビングなどのスピードは東芝より松下のほうが速いし、ダビングできる容量も少し大きい。

8   東芝はTS1、TS2、REといふ概念がが分かりにくいのに対して、松下は録画1、録画2と分かりやすい。

9 東芝では、デジタル放送を標準録画してゐるときは、デジタル録画を再生できないことがある。

10 ダビングするときに、録画した番組の容量(バイト数)を松下では数字で見ることが出来るので、DVDディスクの容量と比較しやすいが、東芝ではその 表示がないので時間で考へるしかない。

  といふわけで、パナのDVDレコーダーで感じてゐた多くの苛立ちが、東芝では少しの代償で大幅に解消されたのであつた。(2009年3月1日)






    車を運転してゐて気になるのは前の車のブレーキランプである。止まる時にブレーキを踏むのは分かるが、どうして走りながらブレーキをあんなに踏むのだらう といつも思ふ。

    もちろん速度調節にブレーキを使つてゐるからであらうが、スピードを下げるのに何もブレーキを踏む必要はなく、アクセルを離せばスピードは落ちる。ところ が、前の車との車間距離が狭いと、それでは間に合はずにブレーキを踏む必要が出てくるのだ。

    最近の車は電子制御といつて、アクセルから足を離すと、その間はエンジンにガソリンが行かないやうになつてゐる。だから、アクセルを踏まずに走れば走るほ どガソリンは節約でき、燃費が良くなる。

    逆に、速度を下げるのにブレーキを使へば、その分だけ余計にガソリンを無駄に消費して加速してゐたことになるのだ。

    ところが、車間距離を狭くしてブレーキを踏みながら走る人が何と多いことか。多くの人は、まるで霊柩車の行列のやうに、つかず離れずピッタリとくつつい て、一団となつて走るのが大好きである。

    2車線以上ある道では、少しでも前と車間距離を開けてゐる車があると「何をとろとろ走つてゐる」と言はんばかりに、後ろから追ひ越して前に割り込んでくる のだ。そして、自分の前の車に追いつくと安心したやうにブレーキを踏みながら走るのである。

    これでエコだCO2削減だとなどと言つてゐるのだから、一事が万事、世の中なかなかよくならないはずである。(2009年2月25日)







    パソコンのメモリ増設は永遠のテーマでいつかやりたいと思つてゐた。よく行くパソコンのパーツ屋でノートパソコンのメモリ(SODIMM)が何と300円 程で売つてゐる。見ると256MBのバルクメモリだ。

    先代のノートもメモリ増設をしたが、同じWindowsXPでも古いタイプで最初が128メガ、増設しても256メガしかない。それでも充分動いてゐるの だが、最近のタイプは256では足りず最初から512ついてゐるのに、時々とても遅くなる。

    それで1ギガを買つて差し代へて倍にして、余つた512を古いのに差せばよからうと計算してゐた。かういふものは上位互換が普通だからだ。ところが、調べ てみると、最近のノートのメモリは200ピンで古いのは144ピンと端子の数が違ふので使へないことが分かつた。

    それなら空スロットに一つ差して増やしてやるだけでよからう。そこで思ひ出したのがあの300円のメモリだ。たつたの256メガを増設してどうなると思ひ さうだが、タスクマネージャーのパフォーマンスを見ると、何もソフトを使つてゐない時でだいたい256メガ使つてゐる。

    といふことは、256増設すれば丁度その分をまかなへることになり、これまでの512を全部ソフトに回せる。さうなれば、メモリが不足してハードディスク をメモ リ代はり(仮想メモリ)に使ふことが少なくなるはずだ。仮想メモリを使ひだすと、途端にパソコンは遅くなつたり止まつてしまつたりするのである。

    そこで型番を調べて4300と4200が同じであることを確認して、買つて来てマニュアル通りに差してやつた。パソコンの裏蓋のネジが固かつたが、それは 電気屋で景品にもらつた精密ドライバーの#1−2が役立つた。蓋を閉めてパソコンを立ち上げて見ると予想以上の軽さである。わづか300円で大違ひなの だ。(2009年2月24日)







    『偶然の旅行者』といふ映画をテレビで見て面白かつたので、原作を借りてきた。『アクシデンタル・ツーリスト』と原題そのままの翻訳が出てゐて図書館にあ つたのだが、読むとこれがまつたく映画を見ながら書いたのかと思ふほど映画そのままだつた。

    原作の本の年号を見ると映画より先になつてゐるから、実際は逆で映画が原作を忠実になどつて作られたのだが、ここまで忠実な本だと、丁寧に読んでも新しい 発見は殆どないから流し読みするしかない。

    この本は流し読みしたくなる理由がもう一つあつて、それはこの本が女のお喋りをそのまま原稿にして作られたやうな本だといふことだ。主人公の男性の心理描 写もたくさん出てくるのだが、それが男の言葉ではなく、女のお喋りでつづられてゐるのだ。

    作者が女性だから必然さうなるのかもしれないが、男の心の中はこんなにお喋りではない。本になる程たくさんの文章が書かれるのだから多弁は当然なのだが、 この本ではそれが文章の言葉になつてゐないのだ。

    だから、そこにはお喋りを聞く楽しみはあつても、文章を読む楽しみを見出すことは難しい。しかも、ぺらぺら話しかけてくる女の言葉を、男は相槌を打ちなが らもそんなに丁寧に聞いてゐないものだが、この本にもそれが当てはまると思ふ。

    本のカバーの映画の写真を見ても、この本は映画を見てから読む人が多いはずだが、それでも私の前の複数の読者は熱心な読者だつたらしく、その跡が本の背表 紙の傾きに現れてゐる。だから、女性が読むのに楽しい本なのだらうと想像する。(2009年2月23日)







    余つてゐるSDカードの使ひ道にはmp3オーディオプレーヤがいいらしい。そこで思ひ出したのが、ホームセンターに何年も前からぶら下がつてゐる Qriomといふ会社の製品である。

    それで、評判はどうだらうと、製品の型番であるEA−S55をネットで調べたが、ただの一つも検索に引つ掛つて来ない。Qriomのホームページを見ても 掲載がないのだ。きつと、本社ではもう作つてゐない古い商品なのだらう。ホームセンターにはさういふ商品がよく売られてゐるのだ。2480円といふことな ので、試しに買つて見た。

    操作方法はmusic is mineと同じ。違ひは、単4電池が使へるのと、曲の途中でレジュームすること、一時停止で放置すると3分後に電源が切れることで、少し便利である。

    しかし、music is mineはWindows Media Playerの「同期」が使へるが、こちらは使へないやうだ。説明書には使へると書いてあるが、Media Playerがデバイスとして認識しない。しかし、これは出来なくても、音楽ファイルをパソコンから直接コピペすればいいのである。

    ところで、この不具合に対する対策はないかとQriomのサポートにメールで問ひ合はせてみたが、これは徒労に終つた。最初の回答は、私の使ひ方が悪いの ではとする失礼なもので、次は故障なら修理するので住所を教へるやうにといふものだつた。要するに、この不具合を把握してゐないのだ。

    馬鹿らしくなつて、別の人に聞いてみようと、ホームページから営業関係のお問ひ合せページから、ホームセンターで売られてゐるこの商品はどこにも記載がな いが現行製品かと聞いてみた。すると、しばらくして返事が来たが、メールの最後の署名を見ると、なんとサポートと同じ人なのだ。

    つまり、この会社のネット対応は全部同じ人がやつてゐるのである。しかも、サポートで当てにならないと思つた人から、現行製品だと言はれても、信用のしや うがない。

    実はこの製品が2004年から2006年のものであることは、説明書のMedia Playerのバージョンが10であることから明らかなのである。多分OEM供給の終了した製品を店に置いてもらつてゐるのだらうが、そんな営業努力もサ ポート一人で台無しである。(2009年 2月19日)







    ホームセンターなどで合鍵を作つてもらふと、しばらくお待ち下さいと言はれて、かなり待たされる。店員が鍵を選んで機械にセットして作りはじめると、チリ チリチリチリといふ音が聞こえてきて、それが終ると店内のアナウンスで呼び出される。

    ところが、かうやつて出来た合鍵はかなりの割り合ひで精度の低いものでしかない。鍵穴に入れて回してもすつと回らず、すこし手加減が必要だつたりすること がよくある。

    ホームセンターの受付には張り紙があつて、合鍵から合鍵を作ると鍵が合はなくなるから、マスターキーを持つてくるやうにと書いてあつたりする。といふこと は、ここで作つた合鍵にはかなりの誤差が生ずると白状してゐるやうなものである。

    それを見た私は、これは使ふ機械と店員の腕のせいではないかと思ひ、ホームセンターではなく、鍵の専門店で作つてみた。

    そこで一番驚くのは、その早さである。家の普通の鍵の複製などは、あつといふ間に出来てしまふのだ。ホームセンターの時のやうにしばらく待たされる積りで 椅子に腰をかける間もなく、店員が機械に鍵をセットするやいなや、チャリンと音がしたと思ふと、もう「出来ました」と言はれる。

    チリチリチリとは言はないのである。出来た鍵を家に持ち帰つて差し込んでみると、一発で回転して一発で開け閉めできる。誤差がないのである。そして、そん な合鍵からなら、さらに合鍵を作ることもできるのだ。

    合鍵は専門店で作るに限る。安いからといつて、ホームセンターの店員に合鍵を作らせてはいけないのである。専門店でも値段は500円以下が普通だ。 (2009年2月17日)







  小泉元首相が公の席で麻生首相の悪口を言つたといふので大騒ぎになつてゐる。前々日に小泉氏にわざわざ謝罪の電話を入れた麻生氏は、耳を疑つたに違ひな い。真意は理解してゐると言つたじやないかと。

    しかし、私はその電話こそ今回の悪口の引き金になつたと見る。謝罪電話は相手の寛容を引き出すどころか、却つて相手の怒りを増大させることが多いからであ る。

    小泉氏にしてみれば、首相が謝つてきた、これで自信を持つて首相の悪口を言へる、となつたのだらう。あの電話がなければ、あれ程の言ひたい放題にはならな かつたはずだ。

    人は心で怒つてはゐても、それをどう表現したらいいか分からないものだ。変なことを言つて相手から仕返しされたらといふ思ひが働くからである。そんな時 に、相手があらかじめ電話で謝つて来れば、もうその心配もなく安心して怒りをぶちまけられる。

    したがつて、この小泉氏の暴言は反射的なものであつて、政局を動かさうといふ深慮遠謀に立つたものではないと思ふ。それにしても、麻生さんはお坊ちやんで ある。敵と味方の区別もせず、話せば分かつてくれるとほいほい電話したのだから。(2009年2月14日)








    デジタル放送でテレビ番組を見ると、これまでアナログ放送で見てゐた映像よりも幅が広いことが分かる。トーク番組などでは、これまで画面の両端に隠れてゐ た人や物が見えるやうになるのである。

    しかし、古いブラウン管テレビで見ると、上下に黒い帯がついて、その分だけ縦の幅が縮小されるので、映つてゐる物や人がアナログの時より小さく見える。だ から、初めは両端が見えて面白いと思つてゐても、小さいと見にくいので、「サイドカット」を選んで、上下の黒帯を取つて見るやうになる。

    これによつてテレビに映るのは、元々のアナログ映像と同じものである。だから、デジタルにするとサイドカットをする余計な手間が増えるだけで、メリットは あまりないと言ふことになる。

    ところが、サイドカットすると元のアナログ映像とは違ふ映像になる番組がある。それはデジタル放送の映画である。アナログ放送よりデジタル放送の方が横幅 の広い映像になつてゐるといふ上記の法則が、デジタルの映画には当てはまらない。アナログで見てもデジタルで見ても画面の横幅が同じなのだ。

    といふことは、デジタルの横幅の広い映画は、サイドカットすれば、まさに両端がカットされ、上下の黒帯が減つた分だけ拡大された映像で見ることが出来ると いふことである。この利点は何より字幕である。デジタル映画をサイドカットすると画面下にある字幕が滅茶苦茶大きくなるのだ(画面横の字幕は当然見えなく なるが)。

    これは近眼の人間にはありがたい。特にNHKの洋画は原則字幕放送であるから、字幕を読む手間がいるが、その面倒が少しだけ軽減されるのである。デジタル 放送はコピー制限といふ視聴者にとつての大きなデメリットがあるが、このやうにメリットも僅かながら存在するらしい。(2009年2月13日)







    SDメモリカードがスーパーマーケットで2ギガ1000円ほどで売つてゐるのを見かけた。一時と比べてひどく安くなつてゐる。何か使ひ道はないかと考へて みた。

    SDカードをデジタルカメラに使ふのは知つてゐる。ところが、パナソニックのDVDレコーダーのマニュアルを見ると、CDからDVDレコーダーに取り込ん だ音楽をSDカードにダビングして他のプレーヤーで再生できると書いてある。

    これはひよつとして便利かもしれないと思つて調べてみたが、パナのDVDレコーダーに取り込んだ音楽を再生できるプレーヤーはほぼ全滅だといふことがわか つた。パナが推進したSDカードの音楽媒体としての利用は、著作権保護がうるさくて普及することがなかつたらしい。

    デジタルオーディオはアップルやソニーが採用してゐるmp3方式が主流で、SDカード方式(名前はAACだがiTuneでは使へない)は普及せず、しか も、互換性のある安価なマイクロSDの登場で、SDカード自体は大量に売れ残つて、到頭スーパーマーケットで売られることになつたといふわけである。

    さらに、主流はすでにマイクロSDに移つてをり、パソコンのパーツ屋などではSDカードはもう売つてゐない。マイクロSDはアダプター付きで販売されてを り、それを使へば従来のデジカメのスロットでも使用できるし、値段2ギガ400円にまで下がつてゐるのだ。

    といふわけで、スーパーでSDカードを買ふと損をするといふことなのである。

    ところで、このマイクロSDを使つたmp3用デジタルオーディオプレーヤーが、姿もアップルのipodシャッフルそつくりに2000円以下販売されてゐ る。ランダム再生 などはないが、使ひ方もほとんどシャッフルと同じで、再生ボタンの長押しでON・OFFすれば曲頭レジュームも可能だ。(ON・OFスイッチはカードを抜 くときに使ふ)

    志ん朝の落語のCD30枚が、mp3にすればCD4枚にして持ち歩けると、ついこの間まで喜んでゐたものだが、それがあんな小さなマイクロSD一枚に全部 入つて、手の平に収まる小さなプレーヤで、しかも安価で聞けるのである。時代はどんどん進んでゐるのだ。(2009年2月10日)







    ブラウン管テレビを頑固に使つてゐてるが、一応アナログ放送終了にも備へたいと、DVDレコーダーを買つて、それでデジタル放送を見てゐる。

    デジタル放送は1つのチャンネルで3つの番組を放送できる。だから、テレビのデジタル放送の番組表には同じテレビ局の名前が三つも横に並んでゐる。しか し、たいていの放送局は、その下に一つの番組が横長に書いてあるだけだ。

    ところが、NHK教育とWOWOWだけは、複数番組が放送できることを少しだけ生かしてゐる。NHK教育の番組表には午後8時から局名の下に区切りがあ る。NHKのホームページはなぜかそれを「デジタル教育3」と名づけてゐるのが、そこで特に注目されるのが月曜日である。オペラをやつてゐるのだ。

    もちろん、日頃私はオペラなんかは見ない。しかし、オペラがすばらしことは映画『ショーシャンクの空に』を見て知つてゐる。そこで流されたオペラは『フィ ガロの結婚』で、それを「デジタル教育3」でやつてゐたのだ。ちなみに、来週は『セビリアの理髪師』である。

    ところで、私は長い間、デジタル放送の映像を縦長の絵で見てゐた。ブラウン管テレビだからそんなものだと思ひ、いやなときはDVDレコーダーのリモコンの サブメニューから画面モードの切り替えで「サイドカット」にしてゐた。

    初期設定(テレビ/機器の接続)でTVアスペクトを4:3にするのは分かつてゐたが、D端子出力解像度をD1にすることを知らなかつたのだ。この両方を設 定して初めて、デジタル放送は縦長ではなく上下に黒帯の付いたブラウン管テレビとしては本来の映像になるのだ。

    ただし、これでは画面が小さいので、それが気に入らなければ、やはりいちいち「サイドカット」する必要はある。

    一方、録画した番組を再生して見るときには、自動的に「サイドカット」にすることができる(DR録画以外)。それは、初期設定(テレビ/機器の接続)の下 の方のテレビアスペクト(4:3)の設定で「パン&スキャン」にするのである。これは放送ではなく録画したものを見るための設定なのだ。(2009年2月 10日)








   映画『ハリーとトント』は老人の生活の不幸な現実を描いた映画だ。しかし、ハリーと云ふ老人は共感の持てる人物であり、格好よくさへ思へて、映画を見終は つた後の感じがすがすがしく、世の中が楽しい物のやうに思へる不思議な映画である。

    最初に次々と老人が映し出されるところから老人の映画であることがわかるが、そこへ、猫に首綱をつけて歩いてくる鬚づらの老人紳士が登場して、まづ笑はせ られる。その後もいろんな場面で笑はせてくれる。沈黙の誓を立てて何事にも筆談で応じる孫。問はれる度に違ふ年齢を答る家出少女。頻発する下ネタも、家族 揃つて見るには具合が悪いが、笑ひどころだらう。

    この映画の見所は何と言つてもハリーと言ふ主人公の愛すべき人間性である。がんごでわがままで自己主張が強いが、弱者にはやさしい。もちろん、ねこにもや さしい。

    アパートからの立ち退き命令には徹底的に逆らひ、椅子に座つまま家から運び出されるし、飛行場で連れの猫トントのことで揉めるとバスを選び、バスのトイレ をトントが嫌がると、バスを止めさせる。トントのバス嫌ひを知ると中古車を買ふが、自分の運転免許が切れてゐるのにもかまはず乗りまはす。

    しかし、ホームレスの老人に金をねだられるとあつさりくれてやるし、初体験の相手の老女を老人ホームに尋ねたときは、相手が自分の名前を間違ひ続けても、 かまはずダンスの相手をしてやる。尋ねた息子が一文無しでも叱らずに援助してやる。

    そのほかに、しよつちゆう出てきて笑はせるのは、猫とバナナとアイアンサイドの話だ。情感あふれる音楽もいいし風景描写もいい。まさに愛すべき映画であ る。それにしても、途中で出会つたあの美人の娼婦とはどうなつたのだらう。そのあとハリーがあまりお金を持つてゐなかつたから興味のある所ではある。 (2009年2月6日)







    最近のDVDレコーダーにはBSアナログのチューナーが付いてゐない。だから、デジタル放送のコピー制限が嫌ひな人間がBSアナログの映画などをDVDレ コーダーに録画するには、外部入力からする必要がある。

    その際、つまり、DVDレコーダーに外部入力から録画する場合も、DVDレコーダーの側で予約録画できることがわかつた。そこで、はじめは、予約画面から 外部入力を選択して開始時間と終了時間を入力して、番組名もいちいち入力してやつてゐた。

    しかし、考へて見ると、BSアナログの番組はBSデジタルでもやつてゐる。BSデジタルの予約録画なら、デジタル番組表からその番組を選んでいけば簡単に 予約できる。

    BSアナログを予約するときにも、それを利用すればいいのだ。BSデジタルの番組表から予約を始めて、詳細設定から時間指定予約の画面を出せば、チュー ナーをBSデジタルから外部入力に変へられるのだ。

    その予約画面には、録画時間も番組名も既に入力されてゐるから、それをそのまま使ふのである。さうやつて、予約登録しておくと、時間が来るとDVDレコー ダーのチューナーが外部入力に自動的に切り変はつて、BSアナログの番組を録画してくれるのである。

    もちろん、その時、外部入力につないであるBS付きのVHSデッキなりBSアナログチューナーのスイッチが入つてゐて、目当てのチャンネルになつてゐる必 要があるから、そちらも予約しておくか、付けつぱなしにしておく必要があるのは言ふまでもない。(2009年2月6日)







    イオンはお客様感謝デーと称して、毎月20日30日にイオンカードの会員だけ5パーセント割引を実施してゐる。しかし、カードの持ち主でないと割引しても らへない。といふことは、イオンはカード会員以外は客だと思つてゐないことになる。

    しかし、これなどは月二回のことであり、クレジットカードのキャンペーン活動として大目に見ることができる。カードを持つてゐない人は、20日と30日に イオンに行かなければいいだけのことだ。

    ところが、最近、イオンはカード会員限定で特定の商品を選んで長期間値引きをするサービスを始めた。これは月二回どころか、一ヶ月ほどにわたる長期のもの である。といふことは、カードを持つてゐない人はその間その商品を買ふと損をする事になるのだ。

    もしイオンカードの会員が誰でもなれるものなら、これは単なるカードに対する好き嫌ひの問題と言へる。しかし、カード会員になれるのはかなりの高収入で定 収のある人だけなのだ。つまり、簡単に言へばカード会員は金持ちなのである。

    その金持ちに値引きをして、会員になれない貧乏人には値引きをしないのが、この会員限定の値引きだといふことになる。これはまさにマスコミが問題視してゐ る社会格差の助長にほかならない。

    日本各地でイオンタウンは猛烈な勢ひで増殖中である。といふことは、それにともなつて、イオンが作り出す社会格差もまた増殖中だと考へてよいのではない か。(2009年2月3日)







 この間ニトリでスプーンのセットが安かつたので買つたが、台紙から外さうとしたら中々外れない。銀色のリボンで台紙に結んだあ るから、それをほどけばと思ふがさにあらずなのだ。

    それで台紙の裏をよく見るとセロハンテープでとめてある。しかし、それをはがしても終らない。はがしたセロテープの糊がスプーンの裏側に残つて、ねちねち するのだ。

    これは洗剤で洗つても取れない。シンナーの類を塗つてごしごしやる必要がある。安いと思つて買つたのに、よけいな労働を強いられてしまつたわけで、何やら 損をしたやうな気がしてしまつた。

    セロハンテープは透明なだけに、ちよつと見には見えないから、使ひ方によつては嫌味になる。

    以前、会社でラジオ付きのテープレコーダを使はうとしたら、ラジオのスイッチが入らないやうにテープで留めてあつたことがある。仕事中にラジオを聞いてゐ ると思はれたらしいのだが、あつさり口で言へば済むことを、かういふ風にやるのは陰険である。これでは信頼関係は築けない。

    ニトリがセロハンテープを使ふのも客を信用してゐないからだらう。もちろん中には不心得な客もゐる。しかし、かういふ所に善良の客の気持ちを尊重しないニ トリのやり方が見えてくる。お値段以上とCMは言ふが、ニトリで買つたものでずつと後まで使つてゐる物が少ないのは、こんな事と無関係ではあるまい。 (2009年1月29日)







   昔のビデオをDVDレコーダにコピーして非CPRMのDVD-Rにダビングしてゐると、間違つて買つた20枚はあつといふ間になくなつてしまふ。

    だがもう同じものを買ふことはない。もつと安いデータ用のDVD−Rを買へばよいのである。ビデオ用の非CPRMのDVD−Rはデータ用のDVD−Rと同 じ物なのだ。

    もともとプラケース付きがよいと思つて、間違つて買つてしまつたのだが、実際にはプラケースは邪魔になる。プラケースを使ふには、そのためのDVDラック やケースが必要だし、立てて並べると薄いものは背表紙がないのでタイトルが分からない。

    ダビングしてゐて面倒なのは、どれがダビング済みなのか分からなくなることだ。その度にプラケースを全部取り出してゐては厄介この上ない。そのためには、 アルバム式が便利だと分かつた。これだと24枚が一つに収まつてしまふ。

    そして、さうなると、次に買ふDVD−Rはスピンドル式の重ね売りの物といふことになる。これだと一枚20円以下である。

  もう一つ気がついた事は、DVDの録画時間が「おまかせダビング」より「詳細ダビング」の方が長いことである。後者を使へば、SP画質で2時間以上ある映 画でも、少しぐらいなら分割することなく一枚のDVDにダビングできるのだ(例へば『昼下がりの情事』)。

  また、ダビングは「詳細ダビング」でファイナライズしない設定にすると、ダビング中でもHDDの再生や録画ができる。他の機械で見るためのファイナライズ は、それだけ別にやれば一枚3分ほどで済むのである。(2009年1月24日)







 NHKの『新春蔵出しまるごと立川談志』を見た。見所は何と言つても最後の「居残り佐平次」であるが、これは一回見ても面白さ がわからないかもしれない。

 客席ではなくスタジオ収録なので、客の笑ひを力に出来ずにやりにくさうだし、声もかすれて往年の勢ひがない。そのために、談志は自分を励まして乗つて行 かうと、色々と自分自身に向けた相槌の言葉を挟む。そのせいで、話も分かりにくい。

 しかし、一回であきらめてはいけない。録画して何回も見てゐると、本編の話と相槌の区別が付いてくる。すると、この相槌がおもしろくなつて来るのだ。 「居残り」の話は志ん朝で聞いて知つてゐるので、違ひも分かつてくる。

 そして、談志の「居残り」は円生の「居残り」を勉強したものらしいことも分かつて来る。口調が円生に似たところがあるし、自分でも名指しで真似たりする からだ。

 そこで若い頃の談志の「居残り」を聞いてみた。レンタルには出てないので買つて聞いたが、これが行儀のよい落語で、ますます円生に似てゐる。さうする と、今度の嗄れ声の「居残り」は円生でない談志らしさのよく出た「居残り」だと思へてくる。

 声も出にくく言葉も忘れた所があつたりして、自分でももどかしいのがよく分かるが、それもまた笑ひにして見せる。それでまた、最初にもどつて見たくな る。若い頃のが絶品ならこれもまた絶品である。(2009年1月21日)






  先日、近所のT字路で犬を連れた奥さんが立ちどまつてゐるのを見かけた。よく見ると奥さんは犬に「こつちへ行かうよ!」と言ひながら、犬の首綱をひつぱつ てゐる。しかし、犬は腰を地面に付けて動かうとしない。犬は反対の方へ行きたいのだ。

  しばらくすると、奥さんは、自分が言つてゐたのとは反対の方角へ、つまり犬の主張通りの方角に歩き出した。奥さんと犬の意地の張り合ひは、犬が勝つたので ある。

  犬を飼ふ人は犬が可愛くて飼はうとするのであらう。しかし、実際に飼つてみると、犬はその可愛い外見に関はらず、このやうに強固な意志をもつ存在であるこ とを知らされる。

  犬は人が自分の言ふことを聞くまでがんばり続ける。そして、犬と人の根競べに普通の人間は勝つことが出来ない。

  自分の思ふとほりになるまで泣き続ける犬。人が家の前を通ると何度叱つても必ず吠える犬。これらは犬が人間を支配してゐる例だ。

  人が犬を可愛いと思つてゐたのは、犬を下に見てゐたからだらう。ところが、いざ飼つてみると人間が犬に見下される。犬はどんなに小さくても、人間と対等以 上にならうとするのである。(2009年1月13日)







  デジタル録画は不便なことが多いが、その最たることは誰が何と言つても、コピー制限があることだらう。
 
  このおかげでCPRM対応のDVD−Rにデジタル放送をいくら撮りだめしても、それをハードディスクに戻せないから、将来ブルーレイ用のレコーダを買つて も、ブルーレイディスクに移せないのである。

  これがアナログ録画ならハードディスクに戻せるし、複数のDVD−Rをブルーレイ一枚にすることができる。それに対して、デジタル録画はそれを見る以外に は何の使ひ道もない。つまり、デジタル録画には将来性がないのだ。

  そもそも、コピー制限は画質の高度な映像が何度もコピーされることを防ぐためであるはずだ。なのに、それを画質を下げてさらにハイビジョンではなく標準画 質にしたものまで、元がデジタルだからと云ふだけでコピーを制限するのは馬鹿げてゐるといふしかない。

  といふわけで、今後は将来に残しておきたい映画などを録画するときは、DVDレコーダのアナログ録画かビデオデッキでVHSに録画するやうにするのがよい のである。

  もちろん、逆に言へば、今からブルーレイレコーダとブルーレイプレーヤを購入してブルーレイディスクに残すのがベストなのだ。金のある人はデジタル放送を DVDなんかにダビングしてはいけないのである。(2009年1月12日)







  撮りだめしたビデオテープの映像ををDVDレコーダに移すために復活したビデオデッキには、それ以上の使ひ道がある。

  DVDレコーダを使ひ出してからテレビ番組は一旦DVDレコーダに録画してCMを飛ばしながら見ることが多くなつたが、DVDレコーダで同時に録画できる のは2番組までなので、まづは、見たい番組が3つ重なつた場合にビデオデッキが使へる。

  また、DVDレコーダだとアナログ番組は同時に1つしか録画できないが、ビデオデッキを使へばアナログ番組を2つ録画できるやうになる。

  実は、さうして録画したアナログ映像を大切にしたいのである。

  といふのは、デジタル放送は大型液晶テレビをもつてゐる場合に高画質が実現出来てよいのかも知れないが、ブラウン管テレビの持ち主にとつては、たいしたメ リットはなく、むしろ不便なことが多いからである。

  その第一は、デジタル放送をハイビジョンの高画質で録画してDVDにダビングしても、DVDプレーヤを買ひ替へないと、見られないことだらう。また、手持 ちのパソコンでもデジタル録画は見られない。(2009年1月11日)







  非CPRMのDVD−Rを使ふために、撮りだめしたビデオテープの映像をDVDレコーダにコピーするには、DVDレコーダの入力をL1に切り替へて、ビデ オデッキで再生しながらDVDレコーダで録画するだけで、あとはほおつておけばよい。

  ビデオテープは3倍録画の場合、一本コピーするのに6時間かかるので、6時間たつたころにビデオが止まつてゐれば、DVDレコーダの録画を停止するだけで ある。

  あとは、出来たファイルを早送りで再生しながら必要なところにチャプターを打ち、編集機能を使つて、ファイルの分割や不要箇所の消去をしたり、番組名をつ けたりするのだ。

  注意しなければならないのは、二か国語放送の映画をコピーするときは、初期設定で外部入力の音声をステレオではなく二重音声にしておくことだ。さうしない と、日本語と外国語が一緒に聞こえてきて見てゐられない物が出来てしまふ。

  また、高速ダビングではそのままでは主音声である日本語しかコピーされないので、語学に使ひたくて両方の言語をコピーしたいときは、高速ダビング設定を 「切」にしないといけない(この場合でも、VR方式でフォーマットしてダビングすれば高速ダビングできる)。

  次に、気をつけるのは、元のビデオテープが一本2時間の標準録画ならDVDレコーダの録画精度をLP以下にしても個人用としては差し支へないが、6時間の 3倍録画をコピーする場合は、SP以上にしないと出来た映像が荒くて見づらくなつてしまふことだ。

  また、DVDレコーダの本来の予約録画が始まると、外部入力の録画をやめてしまふので、適当な時間帯を選んでコピーする必要がある。注意するのはこれぐら いで、あとはコピーしたものを、非CPRMのDVD−Rにダビングするだけだ。

  まだ注意すべきことがあるとすれば、それは男が撮りだめしたビデオテープには背中の表題に関わらず時々変な映像が入つてゐる事ぐらゐだらう。(2009年 1月10日)







 非CPRMのDVD−Rはアナログ放送の録画にしか使へないが、今更DVDレコーダでアナログ放送を録画する気にもならない。

 レンタルビデオのDVDはアナログ録画だから、借りてきてコピーするといふ手もあるが、間違つて買つた物のために金を出すのも癪(しやく)だし、最近の DVDはコピーガードがかかつてゐてコピーできない可能性が高い。

 しかし、家にあるアナログ録画なら只(ただ)だし、コピーガードもかかつてゐない。さう考へると、家には確かにアナログ録画がある。昔撮りためたビデオ テープだ。あれを非CPRMのDVD−Rに移せばいいぢやないか。さうすりや、あの嵩高いビデオテープの山を片付けることもできる。

 さういふわけで、DVDレコーダを買つたときに片付けてしまつたVHSのビデオデッキを、またテレビ台の下に戻すことにした。そして、ビデオデッキの映 像出力のコードをテレビにつなぐ代はりに、DVDレコーダの外部入力(L1)につなぐのである。

 次に、DVDレコーダのリモコンにある入力切替で入力をL1に変へる。すると、テレビにはDVDレコーダの映像の代はりにビデオデッキの映像が映る。そ こで、ビデオデッキのビデオテープを再生すると、DVDレコーダを通してビデオの映像がテレビに出るのだ。

 その状態で、DVDレコーダの録画ボタンを押すと、ビデオテープの映像がDVDレコーダのハードディスクにコピーされる。コピーされてゐる映像は再生ナ ビで確認できる。L1で名無しの絵が確かに録画されてゐる。

 かくして、昔のビデオテープをまた見直すといふ新たな楽しみが、私の生活に加はつたのであつた。(2009年1月9日)







 DVDレコーダを買つてから使つてゐるうちに、大分ハードディスクの中身も増えてきたので、そろそろDVDディスクにダビング して整理してやらうと思ひ、DVDーRといふのを買つてきた。

    それで、さあコピーだとレコーダに入れてダビングを選ぶと、「このディスクはCPRM対応でないのでデジタル放送には使用できません」といふのだ。ああ、 やつてしまつた。

    いや知つてはゐたのだ。DVD−RにはCPRMとさうでないのがあるといふことを。それで間違はないやうにしないとなあ、デジタル放送の録画にはCPRM のを買はないといけないんだなあ、と思つてはゐたのだ。

    何せお店ではこれがデジタル録画用ですとも何とも書かずに売つてゐることが多いのだ。それで商品の裏などをよく見て買はないといけない。さう思つてはゐた のだ。ところが、いざ買ふ段になつて、やつてしまつた。

    かういふ場合は愕然とする。例へば、財布を失くしたらときみたいな気持ちだ。将棋で言へば、飛車を取られたときの気分だらうか。これから一体どうしたらい いんだと。

    もちろん非CPRMのディスクでも使ひ道はある。アナログ放送の録画ならコピーできる。しかし、DVDレコーダはデジタル放送なら二番組録画ができるが、 アナログ放送それしか録画できない。しかも、その間は、デジタル放送が見られない。要するに、いまさらDVDレコーダでアナログ放送など、チンたらポンた ら録画してゐられないのだ。

    しかし、このままでは20枚のDVD−Rはまるつきり損になつてしまふ。(つづく)(2009年1月8日)







    今年も年末年始のテレビは、時代劇やサスペンスドラマのスペシャル物の再放送が盛んである。そのなかで、BSフジの『剣客商売スペシャル助太刀』は、原作 にないお信(のぶ)とお松といふ二人の女性を登場させて、単なるあだ討ち話をロマンチックなドラマに仕立てて好感が持てた。

    剣術道場の一人娘で、父の看病のために婚期を逃してゐたお信は、雨の日に下駄の鼻緒を直してくれたのが縁で知りあつた忠兵衛といふ浪人に恋心を打ち明けら れ、道場の後継者として男を婿に迎へる。

    しかし、忠兵衛には秘めた過去があつた。自分の不義を告発した上司を斬つたあげく、脱藩して、お松といふ女と逃げてゐただけでなく、斬つた男の息子に仇 (かたき)として追はれる身だつたのである。

    道場主として人に知られるやうになつた忠兵衛が、血眼で敵(かたき)を探す者の目にとまるのは時間の問題だつた。そして、到頭、果たし状が道場に投げ込ま れる日がやつてくる。

    それを読んだ舅は、お信のゐる場で「なぜ私たちを騙したのだ」と忠兵衛を責めたてる。それに対して忠兵衛は、かういふのだ。「わたしにとつて何より掛け買 ひのないお信(のぶ)を失ひたくなかつたからでございます」。それを聞いたお信は目を真つ赤にして、父親に忠兵衛の命を何としてでも救つてくれと懇願す る。

    しかし、父親の努力もむなしく、果たし合ひの日がやつて来る。居ても立つてもゐられないお信は自分も決闘の場に向かふ。お信がやつと現場にたどり着いたの は、まさに忠兵衛が相手に討たれて倒れる瞬間だつた。

    お信は忠兵衛のもとに駆け寄つて助け起こさうする。そのとき、断末魔の忠兵衛は腹の底から搾り出すやうに、自分が愛した女の名前を四度呼ぶ。「お松うう。 お松うう。〜。〜」。それを聞いて立ち上がるお信の呆然した姿は、哀れを誘はずにはおかない。

    もちろん、よく考へたらこんな話は全部嘘であつて、道場主の娘なら門人の誰かがとうの昔に入り婿になつてゐるはずだし、そもそも江戸時代の武家なら結婚相 手は子 供のときに親が決めるものだ。これはまさに現代の親子関係、男女関係を無理やり江戸時代に持ち込んでこしらへた作り話なのである。

    それでも、お信の悲しい運命はこのドラマによつて忘れ難いものとなつたのであり、誰もがその後のお信の幸福を願はずにはゐられないのである。(ちなみに、 Wikipediaによると、お信を目を真つ赤にして熱演した女優の中原果南さんは既に結婚して女児を出産されてゐるといふことです)(2009年1月5 日)


私見・偏見(2007 年)へ

ホーム | パソコン試行錯誤 | シェアウエア | 拡声機騒音 | くたばれ高野連