兵庫県の加古郡播磨町のことを名物のない町だと言った人がいる。そんなことはない。町中いたるところに拡声器のある拡声器の町である。各町内会が
スピーカーを屋外に設置して、自由に放送しているのである。町民はまるで学校か病院の中に住んでいるような状態に置かれている。ほぼ100メーターおきに設置してある
拡声器こそこの町の名物だ。
そして、週末の土曜や日曜日には、朝の7時をすぎるとあちこちから、町内会が今日の行事の連絡を、けたたましいチャイムの音とともに始めるのだ。だから、「今日は日曜日だから、お父さんをもう少し寝かせてあげようね」なんていう会話はこの町では通用しないのである。
これはいまから14年前に「ふるさと創生」事業で政府からもらった一億円を播磨町は自治会に配ったことに始まる。各自治会は町の入れ知恵で屋外に電柱を建てて拡声器をつけたのである。もちろん、自治会の連絡が簡単になることと、ふるさとづくりとは何の関係もない。
一方、明石には厚生館という設備があって、ここの大きな拡声器を近所の町内会が朝から放送する。それに対して苦情を言うと、ここの職員はいかにも迷惑そうに、「今は生活時間だ」と言って、お前が悪いと言わんばかりに反論してくる。
彼らには、昼間起きているのが当たり前で、朝起きて夜寝る生活形態以外を認めようとせず、夜中に起きて昼間寝て暮らしているような人は生活しているうちに入らないのである。だから、昼間の屋外放送で安眠を妨害されたと苦情を言っても、今頃寝ている人間が悪いと平気で言い放つ役場の職員がいるのである。
何度も苦情を言うと、この同じ職員は「あんたの名前は言え。いまからそっちへ行って調べてもいいんだぞ」とすごみ始めた。ちなみに厚生館とは地域の人権啓発を推進するセンターだそうである。
そもそも、人が何をしていようがお構いなしに、放送によって人を自治会活動のために動かそうとする発想がここの住民の間にはあるのだろう。要するに、自分と違う人間に対する思いやりがないのだ。したがって、例えば、この地区では同和問題はいっこうになくならない。
役所は、「人権意識の向上」をスローガンとして掲げて、町のあちこちに書いている。しかし、それは格好だけであって、何の実効性もない。その典型が、この屋外スピーカの普及である。何と、このスピーカーの設置は役所が普及活動をして広げているのである。人権運動とは何かが分かっていない証拠ではないだろうか。
彼らの人権啓発運動は、要するに予算を消化するためのものでしかないのである。 (その後、明石市方面から放送が聞こえてくることは減っているので、目次の見出しを変更した。しかし、播磨町の自治会放送は相変わらずやかましい)
以下、屋外の拡声器問題についてのわたしの経験と感想を項目別に分けて掲載した。
1.拡声器騒音とは