電車の中、喫茶店の中、本屋の中、どこであろうと特定の空間で携帯電話を使って話をしている人は迷惑なものだ。他人の声を共有空間の中で聞かされる場合、そこから出て行くことが出来ない時には、怒りが生まれる。
しかし、その電話で連絡する相手が一人ではなく、複数であったり、会社の仕事であったりする場合はどうか。それでも、やはり聞かされる側には不快であることに変わりはない。他人の出す音に対しては、それほど敏感なのだ。
そして、まさに複数の人間相手に、逃げられない空間で音を出して連絡するのが、拡声器を使った放送であると考えてよい。携帯電話が関係のない人間にとって迷惑であるのと同じように、拡声器放送も関係のない人間には迷惑でしかない。
環境省の発行している 環境白書
によると、拡声器騒音は、深夜などの営業騒音、生活騒音等とともに、いわゆる近隣騒音のひとつとしてすでに国レベルでも認識されている。この近隣騒音に係る苦情は実に騒音に対する苦情の約3割を占めており、国の重要な対策課題となっているとしいう。しかし、結局は、近隣騒音対策は、国民一人一人のマナーやモラルに期待するところが大きく、生活騒音等の近隣騒音に対処するためには、引き続き普及啓発事業等を行うことが国としての目標なっている。みなさんいっしょに良好な音環境を守っていきましょうというわけである。
そこで各地方自治体は、町作りの方針を作るに当たって、その目標の中に「静かな町作り」をかかげて、近隣騒音対策の一つに拡声器騒音対策を含めて、「啓発活動」を強化し、「適正使用」を推進している。( 神戸市の例)
しかし、日本人の音環境に対する意識はまだまだ低い。したがって、環境を大切にすべきだということは知っているが、例えば自治会や子供会で、環境保全だリサイクルだと言って廃品回収をしようとして、それを知らせるのに拡声器を使って放送して、静穏な音環境を破壊していまうということがしばしば起こる。
最近の自治会活動には環境保全とかかわっているものが多い。しかし、それがどの程度まで、自分で考えた自分の実感に基ずく活動かは大いに疑問だ。
例えば、廃品回収は昔からある。それは今ではリサイクルという美名をもらっているが、本当の目的はそれで子供会の資金を役場からせしめることにある。この「にんじん」が目の前にぶら下がらなかったら、はたしてどれだけの人が廃品回収のために、休日を振り当てるだろうか。もし「金は出ないが、環境のためになる」と言われたらどれだけの人が動くだろうか。真に環境保全の重要性が認識されていれば、金を払ってでも廃品回収をすべきなのだが。
そして、現代はまさに金を払って廃品回収をしてもらう時代になっている。リサイクル法がその良い例だ。2001年4月からは、電化製品を買うときに、古くなったものを引き取ってもらう費用をあらかじめ購入時に支払うことが求められるようになる。ところが、それがいやなために、直前に電化製品の駆け込み需要が起きているという。
要するに、まだまだ環境問題は他人ごとでしかない。その中でも音環境については、その度合いが大きいといえる。だから、選挙カーの拡声器による連呼をうるさいと思う人も、自治会長や子供会長になると、拡声器を使って朝から放送してしまうのである。
しかし、拡声器による放送は、その内容と関係のない人間にとって騒音であるばかりでなく、関係のある人間にとっても、緊急性が無ければ騒音である。どんな音も、うるさいと思う人にとっては騒音なのだ。そして、騒音は無くさなければならない。
こんなことは欧米では常識である。欧米では 「日本では当たり前の街頭販売のアナウンスや選挙活動の街宣などは、とんでもない行為」なのである。