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 日本ではマンガが大流行(おおはやり)だが、これは常用漢字による漢字制限と関係があるのではないか。

 千字程度しか漢字が分らない学生でも面白い本は読みたいものだ。しかし、小説は漢字が多すぎる。そこで文字が殆ど書いてないマンガに向ふのだらう。

 マンガとは文字による描写を絵で代用したものである。それは要するに絵本である。そして、絵本は本来文字の読めない子供のためものである。

 人間が他の動物と違ふのは、目で見て感じたことを言葉で表し言葉で理解するところにある。ところが、絵本は目で見て感じたことを言葉を介さずに目で見たまま理解する。しかし、これは人間でなくてもやつてゐることだ。

 今ではマンガ好きの大人が大量生産され、古本屋に並んでゐる本の約七割はマンガとなり、本当の本は三割しかなくなつて仕舞つた。日本人の国語力もまた三割に減少したと言へば言ひ過ぎだらうか。(2006年3月31日)







 『知事のセクハラ』といふ本を読んで不思議に思つたのは、触られた直後の車の中で女性がまるで待つてましたといふが如くに「セクハラされました」と紙に書いて同乗の人に渡したといふ話である。

 普通は誰もセクハラとは何であるかを知らないものだ。生まれて初めて電車で痴漢に遇つた人もそれが何なのかを判断しかねて、単に変なこと不快なことをされたと想ふ許(ばか)りであらう。それが「痴漢」といふ一つの概念に収斂して行くのは後の事である。

 ところが、この女性は自分が何をされたかをその直後に「セクハラ」といふ概念で書き表すことができた。といふことは、それが女性にとつて初めての体験ではなかつたか、それとも、「セクハラ」と称すべきものが起きる事をあらかじめ知つてゐたかのどちらかであらう。

 その他に、この本には女性が共産党系の弁護士をどうして知つたかの経過が詳しく書かれてゐない。普通は弁護士は弁護士会で紹介してもらふものだが、この二十歳の女性はそんな手続きを経ることなく、翌日に弁護士に会つてゐる。

 残念ながらこの本は事件についての私の疑問を全く解決してくれない本である。(2006年3月30日)







 日本語の力は漢字力であるとよく言はれるが、柳美里の『石に泳ぐ魚』を読みながらその事を痛感させられた。新聞に出てこない漢字つまり常用漢字以外の漢字が振仮名無しで沢山使はれてゐるのだ。

 といふより、そもそも人間がすることを文章で再現するには、とても常用漢字だけでは足りないのである。以下動詞だけでもこれだけある。

 「あ」は「喘ぐ」「蒼褪める」「呆れる」「嘲笑ふ」「後退る」「溢れる」。「い」は「訝る」「燻す」。「う」は「蹲る」「俯す」「魘される」「頷く」 「項垂れる」「唸る」。「お」は「臆する」「堕ちる」「貶める」「怯える」。「か」は「嗅ぐ」「匿ふ」「翔る」「翳る」「齧る」「掠れる」「被る」「噛 む」「躱す」。「き」は「訊く」「軋る」。「く」は「括る」「擽る」「燻らす」「刳貫く」。「け」は「蹴躓く」。「こ」は「拵へる」「擦る」「零(こぼ) す」「強張る」。「さ」は「囁く」「曝す」。「し」は「痺れる」「萎む」「嗄れる」。「す」は「縋る」「竦める」「啜る」「辷る」「窄(すぼ)む」。 「そ」は「聳やかす」「剃る」。「た」は「昂ぶる」「窘める」「立眩む」。「ち」は「鏤める」。「つ」は「摑む」「噤む」「呟く」「瞑る」「潰れる」「躓 く」。「て」は「梃子摺る」。「な」は「馴染む」「詰る」「訛る」「舐める」。「に」は「滲む」「躙る」「睨む」。「ぬ」は「拭ふ」。「ね」は「捩る」。 「は」は「這ふ」「剥がす」「撥ねる」。「ひ」は「引き攣る」「轢く」「拉(ひし)ぐ」「捻る」。「ふ」は「拭く」「潤(ふや)ける」。「ほ」は「綻び る」「穿る」「解く」「迸(ほとばし)る」。「ま」は「捲(まく)る」「纏ふ」「微睡む」。「み」は「漲る」。「む」は「剥き出す」「貪る」「毟る」。 「め」は「捲る」。「も」は「踠(もが)く」「擡げる」「凭れる」「縺れる」。「や」は「瘠せる」「窶れる」。「ゆ」は「茹でる」。「よ」は「捩る」「縒 る」。「わ」は「蟠る」「嗤ふ」。

 小説家になりたかつたら新聞を真似てはいけないと云はれるのは、文章に独創性がないからであるが、現代の日本では新聞を真似ると正しい漢字が身に附かないといふ理由も附け足してよい。(2006年3月29日)







 裁判になつた事で有名な柳美里の『石に泳ぐ魚』は、小学二年の「私」が変質者の家で悪戯(いたづら)される場面の描写と、入院して堕胎手術を受ける場面の描写で、誰もが痺(しび)れるのではないか。

 この裁判の公判記録を見ると、この小説は現実にあつた事を実に正確に写したものであることが分る。作者の記憶力とその再現力は全く驚くべきものである。

 シェークスピアは『ハムレット』の中で劇とは自然に向けた鏡であると言つた。目に見たものを絵の具で写したのが絵画なら、経験したことを文章で写したのが文芸であらう。私小説は私生活を写したものであるから、小説が事実と似てゐるのは不思議なことではない。

 変質者にしても堕胎にしても、その描写はこれまでになく詳細で生々しく、作者が自分の経験を書いたとしか思へない程のものだ。作者は文章によつて自分自身を容赦なく写し出し、それと同時に他人をも容赦なく写し出したに違ひない。

 その他人の内の一人が原告となつて名誉棄損とプライバシーの侵害で作者を訴へた。しかしながら、原告の得たものは少なかつたのではないか。原告がモデル であることは裁判によつて余計に世間に知れ渡り、顔の苛烈な描写は小説から消えても公判記録の中にしつかり残つたからである。(2006年3月28日)







 最近、大学生の国語力の低下がよく言はれるが、その元凶は当用漢字(今の常用漢字)であらう。これは単なる公式文書での漢字使用の目安でしかなかつた。ところが、このために日本人は漢字をたつた二千語しか使はなくなつてしまつた。

 その最大の原因は新聞である。いつもは国の言ふことに反対する新聞が、これで念願のルビ廃止が出来ると、当用漢字は悦んで採用した。そして、新聞には二千語の漢字で書ける文章しか載せなくなつた。新聞の真似をした日本人は同程度の漢字しか使はなくなつた。

 学生の方もたつた二千語でよいとなると、小学校で習ふ教育漢字の約千語だけ知つてゐれば半分知つてゐることになるから、碌(ろく)に漢字を勉強しなくなつた。しかし、漢字を千語しか知らない大学生の国語力が小学生並なのは当然である。

 ではどうすればいいか。難しい大学では英語の入試で学生に英単語を六千語読めることを要求してゐる。それなら国語でも漢字を六千語読めることを要求すればいいのである。

 そして、もし六千語を要求すれば、その半分しか知らない学生でも三千語知つてゐることになる。さうなれば、平均的な大学生でも今の常用漢字しか知らない大学生より遥かにましな国語力を持つやうになる筈である。(2006年3月27日)







 柳美里の評論集『仮面の国』(新潮文庫)は正に快刀乱麻を断つ勢ひで右も左もばつたばつたと斬り捨てていく、実に小気味よい本である。

 世間は彼女を在日朝鮮人だから左寄りだと勘違ひして、朝日新聞は彼女を味方と思つて可愛がり、「新しい歴史教科書をつくる会」の人達は敵だと思つて攻撃 した。ところが、この評論が進むに従つて、彼女は正論を吐く人間であることが明らかになり、鷹派で保守的と云ふレッテルを貼られるに至つた。

 彼女はやられたらやり返さずには居られぬ人である。だから、彼女が主張するこの国の仮面を当(まさ)に剥がす運動をしてゐる筈の「つくる会」の人達をも、こてんぱんにやつつける。

 しかし、自分を可愛がる朝日新聞をも彼女は容赦なく斬り附ける。それは朝日新聞こそがこの国の偽善の仮面をかぶつてゐる代表だと彼女は信じるからであ る。彼女が嗅覚鋭く指摘した同社菅沼栄一郎(ニュースステーション出演)の偽善的ヒューマニズムは、その後の愛人スキャンダルで見事に証明された。

 この連載を終へた彼女は「言論のグラウンドから離れて外野席」に戻つた。しかし、「ときには野次りたくなって立ち上がるかもしれない」と云ふ。彼女の「野次」を是非とも亦見たいものである。(2006年3月26日)







 常用漢字に定められてゐる漢字はたつた二千である。では、それでこれまで通りの日本語を書くにはどうすればよいか。そこで編み出されたのが、常用漢字以外の漢字を常用漢字で代用するやり方である。

 例へばこれまでは「煖炉」と書いてゐたが「煖」が常用漢字ではないので、「暖炉」と書くことにした。その他に「鎔鉱炉」を「溶鉱炉」、「障礙」を「障害」、「慰藉料」を「慰謝料」にと、この手の変更が無数に行はれた。これはどういふことなのか。

 それまではこんな熟語を書くと間違ひだとされて、先生に×を附けられてゐた漢字の用法が正解になつたといふことである。そして岩波書店の国語辞典などによつて、これまで正解だつた漢字には×が付けられることになつたのである。

 常用漢字とその前身の当用漢字は、そもそも国民の文化の向上のために導入された筈(はず)なのだが、こんな言葉の誤用を広めることが文化の向上に繋(つな)がる筈がないのは誰が考へても明らかだらう。

 もちろんこんな誤用も公文書だけに限られてゐたのなら大したことはなかつた。ところが全国の新聞がこれを採用したものだから、こんな誤用が日本中に広ま つてしまつた。そして、国民は小説などで「煖炉」と書いてあると間違つてゐるではないかと思ふやうになつてしまつたのである。(2006年3月25日)







 漱石の『我輩は猫である』を意識して書いた『ヰタ・セクスアリス』が発禁になつてしまつた鴎外は、いつそのこと漱石の人気に肖(あやか)らうとしたのか、小説『青年』の中に漱石を登場させてゐる。

 主人公純一が天長節の日に拊石(ふせき)といふ小説家の講演会に行くと云ふ設定の中で、鴎外は漱石にイプセンについてしやべらせてゐるのである。鴎外は 拊石の髯の描写によつて、この人物が漱石その人であることを自ら明らかにしてゐる。だから、この小説に漱石ファンが食ひ付かないはずがない。

 さらに、鴎外は自分と漱石を比較して、「純一は拊石の物などは、多少興味を持つて讀んだことがあるが、鴎村(=鴎外)の物では、アンデルセンの飜譯(ほ んやく)丈(だけ)を見て、こんな詰(つま)らない作を、よくも暇潰(ひまつぶ)しに譯(やく)したものだと思つた切(きり)、此人に對(たい)して何の 興味も持つてゐない」と書いて、読者を笑はせてゐる。

 この小説が、似たやうな設定の『三四郎』の直(す)ぐ後に出たことを考へ合はせても、鴎外は漱石によほどのライバル心を持つてゐたやうである。(2006年3月24日)







 私はパソコンの表示に見易いゴシック体を使つてゐるが、ゴシック体の漢字の旧字体はあまり美しくないので、書く時には新字体を使つてゐる。しかし、旧字体を読むのは平気である。

 旧字体では例へば「昼」が「晝」で「画」が「畫」なのが分りにくいが、この二つの漢字が、成立ちの上で「書」と同類でどれも「何かを画する」意味である ことに気付けば、あとは下の部分を入替へればいいだけである。このやうに漢字の成立ちを知れば、旧字体を覚えるのはさほど難しいことではない。

 このことに気付いたのは『漢字なりたち辞典』(ニュートンプレス)といふ子供向きの本を眺めてゐた時であるが、この本で面白いところは、教育漢字の成り 立ちを説明するのに、多くの場合「この漢字は元はこんな字で」といちいち旧字体を示してから、その成り立ちを説明してゐることである。

 つまり、学校で教へる新字体の教育漢字は本当の漢字ではないので、それでは漢字の成立ちを説明できないのである。

 と云ふことは、新字体の教育漢字はあくまで子供に漢字を教へるための方便でしかないと云ふことになる。だから、子供のうちは新字体で漢字を学ぶにしても、大人になる頃には旧字体つまり正しい字体の漢字が読めるやうにしておくのが文化国家であるはずだ。

 ところが、日本では「常用漢字」とかいつて、子供用の字を大人になつても使ふことにしてしまつてゐる。それはおかしいと気付いた人たちが旧字体の漢字で読んだり書いたりしてゐるのは、だから当然の事なのである。(2006年3月23日)







 WBC決勝のキューバ戦の勝利は、王監督が投手起用の失敗で台無しにしかけてゐた試合をイチローが救つた結果である。

 五回までに五点差を貰(もら)つて、あとは投手リレーだけが問題だつた。ところが五回から投入した渡辺は六回に二点取られて三点差になるともうあつぷあ つぷで、殆どの選手が浮き足立つてボールが手に付かなく為る。それでも七回はなんとか零点に抑えることが出来た。ところが王監督は八回にも渡辺を続投させ たのだ。

 案の定、渡辺は先頭打者のピッチャーゴロを内野安打にしてしまふ。そこでやつと左の藤田に交替。しかし、左打者からアウトを取つたあと、次の右打者に対 する右の中継ぎ投手を用意して居らず、そのまま藤田を投げさせて二点本塁打を浴びるのである。いよいよ一点差。仕方なくストッパーで右の大塚を早くも八回 から投入したのだ。

 八回はそれで済んだが、これで日本は九回も大塚で行くしかない。日本の攻撃は六回からは三者凡退の繰り返しだ。もし九回表にも点を取れなければ、相手は強力打線だから九回裏のサヨナラ負けは必定、うまく行つて同点の延長戦といふ状況に追込まれてしまつたのだ。

 それを救つたのがイチローだつた。九回表、相手のエラーで出た先頭打者をバントで送れず、次もバントでやつと一塁二塁になつたとき、三番イチローがヒッ トを打つた。敗色濃厚の中で一人落着いてゐたイチローだからこそ打てたヒットだつた。これで息を吹返した日本が後続の駄目押しで再び五点差にして逃げ切つ たのだ。

 日本人は「王監督ありがとう」ではなく「イチローありがとう」と言ふべきなのである。(2006年3月22日)







 ゾラの小説『ジェルミナール』は炭坑の労働争議を描いた小説だと紹介されることが多い。しかし、森鴎外は『ヰタ・セクスアリ ス』の中で、この小説を「性欲的写象」(それは到る処にあるが、鴎外の指摘箇所は6の2)を描く小説として紹介してゐる。実は官能小説でもあるのだ。

 最初に厳しい炭坑労働の退屈な描写が済むと、シュミーズ一枚の若い女(カトリーヌ)の描写が始り、昼と夜で違ふ夫をベッドに引き入れてゐる女(ルヴァク の女房)の話、向ひの家(ピエロン)の女房と乳繰り合つてゐる監督頭の話になる。しばらく行くと、途轍もなく胸とお尻が盛上がつてゐて、鉱山全体がお世話 になつてゐる女(ムケット)の話がくる。

 もちろんこれは貧しい炭坑夫の愉(たの)しみがセックスだけだつたからであり、ゾラが人間の営みの全てを赤裸々に描かうとした結果である。

 日本ではこの小説の硬い部分だけを小林多喜二の『蟹工船』と恐らくは漱石の『坑夫』が真似たのであり、柔らかなる部分だけを自然主義作家である田山花袋の『蒲団』が真似たといふわけだ。

 ところで、この小説の岩波文庫の翻訳は、政府が決めた常用漢字の字体と枠に従つてゐないので辞書が必要である。常用漢字以外でよく出てくる漢字は、手偏に楽しいと書く「擽(くすぐ)る」である。(2006年3月21日)







 中江兆民の『三醉人経綸問答』の中で、一番笑はせてくれるのは豪傑君の次の件(くだり)である。

 大陸を占領して日本の領土にしたら、首都を大陸に移して天皇にも移つて頂く。かうして日本が大国になつたら、もはや前の小さな日本は要らないから、ロシ アかイギリスにやつてしまへばよい。いや、もつといい考へがある。君主と兵隊は新しい国に移つてしまふのだから、前の日本は、君主と兵隊を好まない民権家 にやればよい。きつと彼らは大喜びするに違ひない。(岩波文庫172頁以下。原文はホームに掲載)
 
 中国に首都を移すといふこの考へ方は、秀吉の朝鮮出兵の方針とよく似てゐる。山本七平の『日本人と中国人』(祥伝社版173頁)によると、『箱屋文書』には、中国を取つたら天皇を北京に送り、元の日本は宇喜多秀家あたりに統治させると書いてあるさうだ。

 山本はこれをイギリスがインドを征服しても首都をインドに移さなかつたことと対比して、秀吉が日本より中国の方を上等の国だと思つてゐたからだと書いてゐる。

 つまり、この中国崇拝は秀吉から明治の政治家に受け継がれ、さらに満洲遷都を企んでゐたと言はれる戦前の軍部に受け継がれたのである。そして、この中国崇拝は、君主と兵隊を好まない現代の民権家にしつかりと受け継がれてゐる。(2006年3月20日)







 新聞記者が公務員法違反(秘密漏洩罪)の疑ひのある取材源を隠したことを、東京地裁の判事が批判したところ、新聞社は一斉に「裁判所が国民の知る権利を否定した」と騒いで居る。

 しかし、いつたい新聞は「国民の知る権利」に答へてゐると言へるだらうか。

 例へば石原知事が「中国が核を落とすなら沖縄か東京だ」と言つたときに多くの新聞がその部分をカットしたやうに、彼らは国民が本当に知りたいことではなく、国民が別段知りたくもないことや、どうでもいいことばかりを記事にする。

 また、報道が公的機関の発表に限られたら大本営発表になつてしまふといふが、事件報道ではいつも警察発表をそのまま流してお茶を濁してゐるではないか。

 「取材源の秘匿」と言へば格好が良いが、犯罪者からニュースを買つて、その犯罪者を隠せば立派な犯人隠匿である。「国民の知る権利」を出汁(だし)にして、犯罪者を庇(かば)ふことは許されないはずだ。

 それでなくても、報道が犯罪を助長し拡大してゐるといふ否定できない現実がある。この判事は新聞社に迎合しない立派な判事なのである。(2006年3月19日)







 なぜ王さんなのかと思つたものだ。WBCの日本チームの監督に選ばれたと聞いた時の感想である。国内なら王さん人気の客寄せも理解できるが、国際戦では勝たなければならない。

 ところが、王さんは監督としてはここ一番でいつも負ける人である。打者としてはここ一番でホームランを打つた人だが、まるでそのお返しをしてゐるかのやうに、監督になつてからはいいところで負ける。

 この人が初めて巨人の監督になつたときの開幕戦のことを、私は今でもよく覚えてゐる。なんとその試合の勝負所で新人の斎藤を投げさせて負けたのである。

 この人は勝つためにはどうすればよいかではなく、どの選手にチャンスを与へようかなどといふ思ひつきで動いてしまふ癖が抜けない。だから、勝負所での新人斎藤の投入だつたのであり、今回でも米国戦で打たれた藤川の韓国戦投入だつたのである。

 最近は王さんもソフトバンクの監督として他のチームに優る圧倒的な戦力をもらつて、ペナントレースでいつも優勝するやうになつた。ところが、優勝をプレーオフの短期決戦で決める制度が導入されると途端に、優位な戦力を生かせずに負けてしまふのだ。

 WBCでもここぞといふ韓国戦で二連敗。いつたい日本は韓国より弱くなつたのか。そんなことはないはずだ。韓国の選手は日本の方が強いから日本に野球をしに来てゐるのであつて、その逆ではないのである。(2006年3月18日)







 公正取引委員会が新聞の値引販売を禁じた「特殊指定」の見直しを検討してゐるのに対して、新聞社がいつせいに反発して値引販売禁止を維持しろと言つてゐる。

 しかし、新聞は既に値引販売されてゐるではないか。それとも、勧誘員がお客さんに一年先までのハンコを契約書に押させてゐるのは何のためか、新聞社は知らないとでも言ふのか。

 公取委は、新聞が既に値引販売されてゐる実態を先刻御承知の上で、規則を実態に合せてはどうですかと言つてゐるのだ。ところが、新聞社は『水戸黄門』の 悪徳商人さながらに「値引販売など決して致して居りません。そんなことをすれば私たちは倒産してしまひます」と白を切るのである。

 さらに世論調査なるものをでつちあげて「国民もそんなことは望んでは居りません」とか言ふのである。

 ところで、そもそも新聞社は莫大な広告収入で充分潤つてをり、値引どころか只で新聞を配つてもやつていけることは誰でも知つてゐる。新聞は自らの信憑性を損なふやうな見え透いた嘘をつくのは止めるべきである。(2006年3月17日)







 中江兆民の『三醉人経綸問答』について、洋学紳士と豪傑君のどちらが兆民の意見であるかがよく話題になるが、彼はどちらの意見にも与(くみ)することはなかつたのではないかと思はれる。

 なぜなら、兆民がここで描いて見せた二人の意見は酔つぱらひの意見であつて、余りにも極論・暴論で、現実にはとても実行できるものではないからである。

 まづ洋学紳士は、日本のやうな小国を攻めてくる国などある訳がないから非武装の道徳国家になるべきだといふ。万々が一に攻めて来る国があつたら、道徳と 礼儀に訴へて帰国することを求めればよい。もしそれが聞き入れられなければ撃たれて死ぬだけだと言ふのである。これでは国民の生命財産を預る為政者として 落第である。

 次に、豪傑君は、混乱の最中にある中国に攻込んでその領地の三分の一も取ることこそ、この乱世を生き抜く最善の手段だといふ。さうして日本をロシアやイギリスに負けない大国にして、大陸に首都を移して天子の居城を造営するのだと言ふのである。これもまた無茶苦茶である。

 しかし、その無茶苦茶が実に格調高い文章でつづられてゐる。まるで兆民はこの文章を書くこと自体を楽しんだのではないかと思はれる程の美文である。これこそまさに「声に出して読みたい」名文と言へるものではないか。(2006年3月16日)







 「自分さへ良ければいい」といふ考へ方の人が増えたと、道徳の低下を嘆く声が最近よく聞かれるが、それなら岩国の住民投票で反対票を投じた人たちこそ、この典型だといふべきではないか。

 彼らは自分たちの町の負担が増えさへしなければ、国の安全保障がどうなつてもいいと思つてゐることを住民投票を通じて発表したからである。

 ところが、こんな自分勝手な考へを咎める新聞は一つとしてなく、それどころか、彼らの不道徳な意見を民意だと持ちあげる新聞が幾つも現はれる始末である。

 これこそ記者たちが日頃批判してゐる大衆迎合そのものであり、我国の道徳が地に落ちたことを自ら証明してゐるに等しい。

 しかし、新聞のおべんちやらに反して、政府が国の安全保障政策を地方自治体の意見を聞いて決めることなどあり得ないし、あつてはならないのは、どんな民主国家においても変らぬ事実である。

 そして、そんなことがあり得るかのやうに書く新聞と、そんなことがあり得るかのやうに住民投票を実施した岩国市長は、共に嘘をついてゐるか、さもなければ無知だと考へるしかない。(2006年3月15日)







 アメリカと日本の野球で審判が判定を変へたために日本が負けたと聞いて、何があつたのかと日本の新聞社のニュースサイトを見て回つたが、審判の誤審だつたのかどうか一向に分らない。

 やうやくそれが誰の目にも分るミスジャッジだつたことが分かつたのは、アメリカのニュースサイトを見てからである。

 しかも、多くのサイトはこのミスジャッジに焦点を当てて記事を書いてゐる。さらに「アメリカの勝ちは審判のお蔭だ」とはつきりと書いたサイトさへあるのだ。

 ところが日本の新聞社の記事はといふと、ひよつとしたら日本の選手のミスだつたのかも知れないと思はせるものばかりだ。日本人が不当な目に会つたといふ のに、日本の新聞のこの体たらくは何だらう。一体何のための、誰のための新聞だらうか。これだから日本の新聞は駄目なのだ。

 この記事一つをとつて見ても、如何に日本の新聞記者が自分の目で見たことを書かないかが分る。そんな新聞に真実を求めても無駄なことは明かである。(2006年3月14日)







 新書『旧字力、旧仮名力』(NHK出版)は、意外に知らなかつた事がいろいろ書いてある。

 旧字体が新字体になつたと言つても、新字体はもともと俗字や略字として使はれてゐたものが殆どだといふことがその一つである。新字体と言つても、無いものを新たに作つたものではないのだ。

 例へば、『徒然草』の136段には「しほ」は何偏かと聞かれて「土偏」と答へて恥をかいた男の話があるが、この話からも「塩」(新字体)と「鹽」(旧字体)の両方が昔から使はれてゐたことが分る。

 つまり、新字体と言つても、公式の文書、活字に組んだ文書で使ふ漢字を、既に存在する簡単な字体で書くことにしただけのことなのである。といふことは、新字体を使つてゐるからといつて、日本の伝統文化から断絶してゐることにはならないのである。

 私が旧字体を使はないのは、ごちやごちやして見場が悪いからだけだが、この本を読んでからは、著者の趣旨とは逆に、漢字の成立ちは旧字体で学ぶとしても、使ふのはこのまま新字体でいいかなと思へてきた。(2006年3月14日)







 『石橋湛山評論集』(岩波文庫)を読んだ。総じて独自の視点をもつて論じてゐるのは見倣ふべきだが、あくまで新聞の論説であり、多くの場合場当り的で説得力のある論理の積上げには欠けてゐる。

 しかしながら、この人は基本的認識、即ち哲学において優れたものがある。例へばこの人はルソーの『社会契約論』を自分の頭で読んでゐて、

「古(いにしえ)から政治の形式は種々あった。しかしそのいずれの形式にせよ、論理的にいえば社会契約の結果である。即ち各個人がその形式を、その政治を 善しとして承認せる処に成り立てるのである。例えば君主専制政治の如き、その表面から見ると全く人民には権利なしといえども、事実は人民が承認せるから存 立し得る、換言すればいかなる政治の形式においても主権は国民全体にあるのである」(64頁)と政治の本質を書き、

「経済の側面において、資本家企業家は、生死を懸けて仕事をしなければなりませんでしたから、従って彼らはまた、経済に至大の関係をもつ政治に無関心なる を得ませんでした。資本主義国家の政治は、資本家によって動かされるといわれる所以です。しかしそれだからまた資本主義機構下の政治家は、厳しき責任を負 わされ真剣に政治を行わねばなりませんでした。政治家は、絶えず資本家企業家から監視せられ、もし資本主義経済の発展を阻碍する如き政治を行ったら、彼ら はたちまち政治家としての生命を失う危険があったからです」(230頁以下)と資本主義経済の強みを説き、

「国家も、宗教も、哲学も、文芸も、その他一切の人間の活動も、皆ただ人が人として生きるためにのみ存在するものであるから、もしこれらの或るものが、こ の目的に反するならば、我々はそれを変改せねばならぬ」(21頁)と書けた、個人主義とは何かを知つてゐた人だつたことは特筆してよいと思ふ。(2006 年3月12日)







 口語文法と現代仮名づかひのどちらが先かといふと、それは口語文法が先である。口語は戦前からあるから、口語文法も戦前からある。それに対して、現代仮名づかひは戦後のものである。

 戦前に出た『明解國語辞典』にも文法の活用表が付いてゐて、口語と文語の二段になつてゐる。それを見ると口語のサ行変格活用動詞(「爲る」「察する」)の未然形は「せ・し」となつてゐるが、助動詞「ます」の未然形は「ませ」だけである。

 これに従へば、「~しよう」は歴史的仮名づかひでもそのままであるが「~しましよう」は「~しませう」と書くことになる。

 一方、戦後の『岩波国語辞典』の活用表では、口語のサ変動詞の未然形は同じく「せ」「し」の二種類であるが、助動詞「ます」の未然形は「ませ」と「ましょ」になつてゐる。これに従ふなら、「~しよう」「~しましよう」は歴史的仮名づかひでもそのままでいいことになる。

 しかしながら、よく見ると、この活用表は現代仮名づかひの導入によつて変更されたものとなつてゐる。なぜなら、他の助動詞、例へば「だ」の未然形は「だら」ではなく「だろ」になつてゐるからである。

 とすると、「~しましよう」は歴史的仮名づかひでは、現代仮名づかひ導入前の口語文法に従つて、やはり「~しませう」と書くべきだといふことになる。

 また、鴎外が「監視せよう」と書いた時、彼はその時代の口語文法で書いてゐたのであり、その活用表にはサ変動詞の未然形はまだ「せ」しかなかつたと想像すべきなのかもしれない。(2006年3月11日)







 歴史的仮名づかひでは「~しましよう」と書かずに「~しませう」と書くとよく言はれる。これは「~します」といふ文に婉曲な命令を意味する「う」を付けたものである。

 まづ「ます」が丁寧の助動詞があるから、「します」は「し+ます」に分解される。「う」は助動詞で動詞の未然形につく。そして、「ます」の未然形は文語文法では「ませ」(サ変)である。だから「し+ませう」となる。

 鴎外の『ヰタ・セクスアリス』を読んでゐたら「監視せよう」が出てきた。「~せよう」は「せ」(サ変動詞「す」の未然形)+「よう」(「う」の変形)と分解できる。理屈は「ませう」と同じで、文語文法に従つてゐるのである。

 同じく鴎外は「感ぜさせない」と書くし「非難せられる」と書く。「さす」も「らる」も未然形に付く助動詞で、文語文法に従つて「ぜ」「せ」(サ変の未然形)を使つたのである。

 しかしながら、鴎外はここでは口語文を書いてゐるのだ。ならば口語文法に従へばよかつたのではないか。文語文法は荷風の日記のやうに文語文で書く時だけでいいはずである。

 口語文法ではサ変動詞の未然形は、後に「ぬ」と「られ」が来る時に「せ」「ぜ」となるが、他は「し」となる。だから「監視しよう」「感じさせない」と書く。「非難せられる」はこの場合は縮まつて「非難される」(「達せられる」は縮まらない)と書く。

 だから、歴史的仮名づかひだからと言つて、文語文法に従つて「しませう」とするのではなく口語文法で「しましよう」としていいのではないかと思ふ。(2006年3月10日)







 鴎外の『ヰタ・セクスアリス』は子供の頃からの自分の性体験を順番に書いたもので、性に消極的な人間が性欲の対象とされること の苦痛が主に描かれてゐる。ただし、あまり面白い話ではない。それより面白いのは、初めに夏目漱石の『我輩は猫である』のことを書いたところである。

そのうちに夏目金之助君が小説を書き出した。金井君(=鴎外)は非常に興味を以て 読んだ。そして技癢(=対抗心)を感じた。さうすると夏目君の『我輩は猫である』に対して、『我輩も猫である』といふやうなものが出る。『我輩は犬であ る』といふやうなものが出る。金井君はそれを見て、ついつい嫌になつてなんにも書かずにしまつた。

 鴎外と漱石が明治の人で同時代人であることは誰でも知つてゐる。しかし、このやうに鴎外が漱石の小説のことを知つて競争心を抱いてゐたとは知らなかつた。しかも、「猫」のあまりの大流行を見て、これでは勝ち目がないと諦めたといふのも面白い。

 そのうちに、セックスのことばかり書く自然主義小説が流行りだした。そんなものでいいのなら、これこそ本当の自然主義だと、自分の性体験を書いたのが 『ヰタ・セクスアリス(性欲的生活)』だつた。ところが、出した途端に発禁になつてしまつて、その意図は頓挫してしまつたのである。(2006年3月9 日)







 山本七平は『日本はなぜ敗れるのか』の「第八章 反省」で、太平洋戦争と西南戦争の類似性を指摘してゐる。

 西郷軍は勢ひだけで戦ひを始めたとか、物量で政府軍に負けたとか、最後はフィリピン戦と同じやうに敗残兵を山中にさまよはせることになつたとか、似た点が多いのにそれを反省せずに太平洋戦争で同じことを繰り返したといふのだ。

 その似た点としてもう一つ、山本はマスコミによる創作記事が沢山流されたことを挙げてゐる。

 西南戦争における例としては、当時の『郵便報知新聞』が、銅製の鳥居を途中で切つて、中に炭火を入れて真赤に焼けた所を、官軍の捕虜に無理やり抱きつかせて焼き殺したといふ、鬼畜薩摩軍の蛮行を伝へた記事がある(注の八八)。

 中国の小説『封神演義』を読んだことのある者なら、この記事がこの小説に出てくる「炮烙之刑」のバクリであることはすぐに分る。しかし、この小説のことを知らず、まして当時の新聞が戦 意高揚のためにこんな捏造記事を次々と作つてゐたことなど知らぬ人なら、これを新聞に書いてあるのだから本当の話かも知れぬと、今でも思ふ人がゐるかもしれない。

 ところが、こんな創作記事が「百人斬り競争」の記事に見られるやうに、太平洋戦争の時にも作られたのである。そして、現在でも新聞は何らかのキャンペーンのために無反省にも似たやうなことをやつてゐるといふのである。(2006年3月8日)







 NHK教育の高校講座『理科総合』をよく見るのは、もともとは体験レポートを担当してゐる可愛い可愛い目黒裕佳子さんが出てゐるからである。俳優の目黒祐樹の娘さんである彼女をテレビで見られるのはこの番組だけなのだ。

 しかし、ここに出てくる教師たちはなかなか優秀で、理科の細かな知識ではなく物の見方を教へてくれるので、中身の方もなかなか面白い。

 その面白いと思つたことの一つに、動物は植物によつて生かされてゐるといふ考へ方がある。もともと地球上に動物が生活できる環境を作つたのは植物であるが、それだけではない。ある意味で、動物は植物のために生れ、植物のために生きてゐるのだ。

 まづ植物は花を付けてその中に甘い蜜を蓄へて昆虫たちを引き寄せるやうになる。昆虫はその蜜と引き換へに植物の受粉の手助けをさせられてゐるのである。 次に植物は果実を蓄へて哺乳類(ほにゆうるい)を引き寄せるやうになる。哺乳類はその果実を食べて栄養をとるのと引き換へに、植物の種を遠くに運んで植物 の勢力拡大の手助けをさせられてゐるのである。

 つまり地球上の生物の中で主導的な役割を担つてゐるのはいつも植物だといふのである。(2006年3月7日)







 『虜人日記』には日本軍の敗因が列挙してあり、その第十五に「バアーシー海峡の損害と戦意喪失」といふのがある。

 これについて山本七平は『日本はなぜ敗れるのか』の第二章で説明してゐるが、これは要するにバシー海峡で殆どの兵器を失い、しかも軍部が兵士の命を粗末に扱つたので、兵士たちが戦ふ気をなくしたといふことである。

 具体的には『虜人日記』の最後の方の「竹光」と「日本人は命を粗末にする」といふ節(362頁以後)に言はれてゐるのがそれである。

 戦争末期に軍部はしきりに兵隊をフィリピンに送つたが、兵隊を運ぶ日本船は台湾とフィリピンの間のバシー海峡で次々と米軍の潜水艦に撃沈された。そこで何万といふ兵が死に、生残つた兵も武器を失つた。これが「バアーシー海峡の損害」である。

 それに対して軍部は、フィリピンに三割着けば成功だと豪語する体たらくだつた。軍部のこの人命軽視のひどさを知つた兵士たちは、上官の言ふ通りにしてゐたら命がいくつあつても足りないと考へるやうになつた。

 その上ろくな武器も持たされない兵士たちは、敵が攻めてきたら裏山に逃げてしまふ、敵に切りこみに行つても弁当だけ食つて帰つて来るなど、なるべく敵と戦はないやうになつてしまつた。これが「戦意喪失」である。(2006年3月6日)







 スポーツ選手がテレビカメラに向つて「応援よろしくお願ひします」と言ふのを聞くたびに、「さうではないだらう、『ご声援のほどよろしくお願ひします』だらうが」と言つてしまふ。

 「応援よろしくお願ひします」は「応援よろしく」に「お願ひします」を付けただけのものだ。全くファンを馬鹿にしたお手軽な言ひ方である。

 そもそも「応援」はファンが使ふ言葉である。「応援してるよ」と。それを選手がそのまま使つてどうする。「応援」を敬語にしないとだめだらう。それが「ご声援」なのだ。

 かつてテレビ番組でヤクルトのプロ野球選手が「応援よろしくお願ひします」と言つたのを、先輩の池山選手に「ご声援のほど~」と言ひ直させられてゐたのをよく覚えてゐるが、もうかういふ一流の選手は居なくなつてしまつたのだらう。

 そして、いつもいつも「応援よろしくお願ひします」である。日本のスポーツの堕落はこんな所にしつかり現はれてゐるのだ。トリノオリンピックがメダル一つだつたのもうなづける。世界に出たらスポーツ馬鹿では勝てないのである。(2006年3月5日)







 小松真一著『虜人日記』には太平洋戦争について私がこれまで知らなかつた事がいろいろ書かれてゐる。

 著者は戦時中アルコール燃料を作つてゐた技術者で、日本に石油が入つて来なくなつたのでその代替燃料を製造してゐた。その工場は台湾やフィリピンなどのあちこちに沢山あつて、例へばフィリピンで走つてゐた自動車の燃料はこれでまかなはれてゐた。

 また、戦争末期に日本国内では竹槍でアメリカ軍を迎へ撃つ訓練をしてゐたが、フィリピンにゐた日本兵にも殆ど武器がなかつた。そのため武器を現地で暢達するやうに言はれてフィリピンに大量に送り込まれた日本兵は竹槍で戦ふしかなかつた。これはもう戦争ではない。

 フィリピンに来た日本軍は武器どころか物資が全くなく、民衆から挑発や掠奪をどんどんやらざるを得ないといふ情けない状態だつた。おかげでフィリピン人 はどんどん反日になつてしまひ、その結果、終戦後に日本兵が捕虜として護送される車にはフィリピンの土民たちから「バカヤロー」の罵詈雑言と石がいつも投 げつけられた。

 山本七平の『日本はなぜ敗れるのか』はこの本の理論的な解説書で、このやうな事実について山本流の考察が存分に展開されてゐる。したがつて、山本の記述 はあくまで深刻で頭が痛くなるが、小松氏の記述は決してそんなことはなく、あつけらかんとして大いに笑はせてくれるものである。(2006年3月4日)







 現代社会では情報量が余りに多いために国民の理解が追ひつかないとはよく言はれる事だが、一番理解が追付いてゐないのは新聞記者ではないか。彼等は我々と違つて全ての情報を扱はねばならない。そのため、よく分らないまま勧善懲悪的な理解に陥りがちである。

 もちろん新聞記者も勧善懲悪ばかりでは格好が悪いと思ふのか、たまには違ふことも言はうとする。しかし、自分で自分の意見を作る暇がないので、他人の作つた目新しい意見にとびつくしかない。

 国家の品格とか格差社会とかバカの壁とかが、すぐに社説に出てくるのはそのためである。

 自分で物を考へるには古典を読まないといけない。彼らもそれくらゐは知つてゐるのだが、たまに古典を扱ふと間違つたりする。それで出来合ひの意見をもつてきて偉さうに人を批判して済ますのである。

 そして、それに乗せられて今度は国会議員が国会で質問したりするのだ。そのレベルの低さがマスコミのレベルの低さを反映したものとなるのは当然の帰結である。それは偽メール騒動を見ればよくわかる。(2006年3月3日)







 小松真一著『虜人日記』(ちくま学芸文庫)は戦時中に糖蜜から燃料を作るためフィリピンに行つた軍属の話だが、実に面白い本である。まるで冒険映画のやうな危機一髪を何度もくぐり抜けて、最後まで生きのびる姿は感動的でさへある。

 台湾から日本に向ふときは三隻の船のうち自分が乗つた船以外は二隻とも撃沈され、レイテ島へ向ふときも指揮官を嫌つて途中で降りた船がその先で撃沈され る。ネグロス島の空襲ではさつき出てきた防空壕に爆弾が命中する。最後には食糧切れ寸前に広い芋畑のある所に出る、等々の連続である。

 小松氏は技術者だが、脚気を防ぐビタミンB剤も作るし、硫黄を見つけると皮膚病の薬も作る、植物図鑑持参で食べられる植物を兵隊に教へるなど、八面六臂の活躍をする。

 川に蟹が沢山ゐるのを見つけると、蛭(ひる)が餌になることを発見して蟹釣りで二百匹も釣り上げて、櫛にさして焼いて食ふ。米を搗き薪を集め芋を取り、と全部自分でする。威張るしか能が無くて餓死していく兵隊たちとは大違ひなのだ。

 一方、密林を逃げる途中に、骨と皮になつて彷徨ふ日本兵と出会つたり、行倒れした日本兵の白骨死体がある場所に出たり、ゲリラかと思つて銃を構へたら大きな猿だつたりと、まさに『インディージョーンズ』さながらのシーンの連続で、映画にしたらと思ふ面白さだ。

 もちろん、敗残兵の悲惨さも能く描かれてゐるが、夜になつて米軍が打上げる照明弾を岩陰から眺めて「両国の花火でも見る積もりで寝る」と書くなど文学的な読ませ所も随所にあつて、実に楽しい読物となつてゐる。(2006年3月2日)







 ボクシングで徳山が勝つたと大きくニュースで出た。しかし、彼は在日朝鮮人である。それならこのニュースは朝鮮名で出すべきではなかつたらうか。

 なぜなら、もし彼が犯罪を犯せば、報道では朝鮮名が前面に出てくるはずだからである。一部を除いて日本の犯罪報道では通名ではなく本名が使はれる。よそ者が犯罪を犯したのだと。

 ところが、かうしてスポーツで勝つたりすると通名報道になつて、日本名が前面に出てくる。私たちの仲間が勝つたのだと。

 しかし、これではまづいだらう。好い時も悪い時もよその国の人間として扱ふか、好い時も悪い時も私たちの仲間として扱ふか、どちらかに統一するのが筋ではないか。

 そして、在日朝鮮人の犯罪で通名報道をすることを、外国人の犯罪を隠蔽するものだと批判するなら、在日朝鮮人の勝利を通名報道をすることを、外国人の名誉を損なふものだと批判しなければならないのではないか。(2006年3月1日)







 平凡社版(岩波版とほぼ同じ)と講談社版の『金瓶梅』はどれほど違ふか図書館で借りてきて比べてみた。

 例へば第二十八回の最初の場面は、前回から続いて主人公の西門慶とその妻金蓮の濡れ場である。まず平凡社版、

西門慶、片手に女の白いうなじを抱いて、ふたりで一つ杯をやりとりして、女をねんごろに慰めながら、じっと見つめれば、鬢(びん)は斜めにくずれ、胸のなかばははだけ、艶っぽい目は横目ににらんで、まるで酔いしれた楊貴妃といったありさま。

 講談社版、

西門慶は片手でその白い首を抱きよせ、一つ杯の酒を飲みながら、やさしくいたわった。じっとながめると、鬢は斜めにくずれ、胸を半ばはだけ、色っぽい目で横目に見返し、まるで酔いしれた楊貴妃のように美しく、なまめかしかった。

 ここまでは似たやうなものだが、そのあとが違う。平凡社版はいきなり

しなやかな手で、休みなくいたずらをしております。おかげで驚きますが、銀の托子をつけたなり、だらしなくのびているばかり。

 それが講談社版になると、

しなやかな手は西門慶の腰あたりへのびて、しきりに一物をいたずらしている。一物はおどろいたものの、銀の托子をつけたまま、ぐったりと、だらしなく、だらりとのびていた。

 平凡社版ではかなり省略してあることがよく分る。その後の口舌による行為に至つては、講談社版の十三行が、平凡社版ではたつたの二行に簡略化されてゐるのである。

 単に明代の中国の社会風俗を知りたいのなら、平凡社版の方でもいいかもしれないが、どちらもエッチな気分にさせられるのは同じである。しかも、「怪しからん」部分以外は実に退屈ですぐに眠くなるのが大きな難点であらう。(2006年2月28日)







 NHKはCMを流さないといふがそんなことはない。番組宣伝ならしよつちゆうやつてゐるからである。特にハイビジョン番組の紹介などは、ハイビジョンテレビを持つてゐない私にはハイビジョンテレビの宣伝にしか見えない。

 だから、私はNHKがCMを付けることを別に問題とは思はない。むしろCMを導入して受信料を安くして欲しいと思ふ。

 ただし、民放のやうなCMではなく、番組に出てくる商品のラベルを隠すやり方をやめて、番組で使つた商品のメーカーから広告料を取るやうにするのがよいと思ふ。NHKの番組に出ただけで大きな宣伝になるからである。

 また、NHKでは多くの番組で沢山の商品の紹介をやつてゐるが、その商品のメーカーからも広告料を貰ふべきだ。番組で扱はれた私企業の名前を殊更隠すこ とも多いが、それもやめたらよい。そして規定に従つて広告料を請求するのだ。視聴者は企業名や商品名を知りたいからである。

 これによつてNHKは商品名や企業名を隠すといふ無駄な努力を止められるだけでなく、収入も増えて一石二鳥であらう。(2006年2月27日)







 最近小売店で売つてゐる紅茶の粉は、色つきのお湯しか作れないものばかりになつてしまつたが、珈琲の方は豆が買へるからまだましである。

 しかし、レギュラー珈琲でも粉で売つてゐるものは要注意だ。珈琲の粉ほど劣化しやすいものはないからである。

 レギュラー珈琲が本来の風味のある珈琲が作れるのは、袋の口を開けてからわづかの期間でしかない。私の経験ではそれはたつたの二日間であつて、三日目からはもう味が変つてしまふ。真空の瓶に入れて保存すれば香りの抜けは遅くなるが、味の方はどうにもならない。

 つまり、本来、挽いた粉珈琲を買ふ場合は、それを二日で使ひ切る積もりで買はなければならないのである。喫茶店でもないかぎり、普通の家庭ではそんなことは不可能だ。

 一般に買へる珈琲の最小単位は100グラムだろうが、それでも二日で使ひ切るのは難しい。それなのに400グラムも詰め込んだ袋が売られてゐる。業務用としてならまだしも家庭用としては信じられないことだ。

 そんなことをするメーカーはおいしい珈琲を売る気など元々ないと思つてよいのではないか。(2006年2月26日)







 永井荷風の日記『断腸亭日乗』を岩波書店の『荷風全集』を読むと、生前に出た中央公論社版『荷風全集』では、日記の多くの個所がカットされて出版されてゐたことが分る。

 単に量を減らすためのカットも多いが、やはり内容が露骨なものはカットされたやうだ。露骨には二種類あつて、性的に露骨なものと、反日感情の露骨なものである。

 性的に露骨なものとは、娼婦について詳しく書いたところであり、反日感情の露骨なものは、軍人の戦争拡大だけでなく日本人全体を馬鹿にしたところである。例の「傲慢無礼なる民族」云々の文章もこれにあたる。

 元々この日記は戦時中当局への発覚を恐れて批判的言辞を方々削除してしまつてゐた。ある日それを恥じて今後削除しないで全部書くことを誓つた荷風だつたが、戦後出版する時になつて、その誓ひを自ら破つて多くを削除したのである。

 それは日記をそのまま公開すれば批判を受けて暮しにくくなると思つたこともあらうが、何より豊かな詩情と洗練された文章を目指す日記文学として推敲を重ねた結果であらう。

 ところが、没後に岩波から出た『荷風全集』では全てが公にされた。さらに荷風が削除した露骨な文章を多く集めた岩波文庫版が作られたのである。しかしそれが荷風の意とする所であるかは大いに疑はしいのではないか。(2006年2月25日)







 キットーの『ギリシア人』(ペンギン文庫)を昔読んだ時に一番印象に残つたのは、古代ギリシア文明のことではなくドイツ語のことだつた。

 キットーはギリシア語のずば抜けた明晰さを論じたあとで、「ギリシア語はこの明晰さを決して失ふことがないのに対して、英語はこの明晰さをときどき失ひがちであり、ドイツ語はこの明晰さにときどき到達する」と書いたのである。

 キットーは英国の大学の先生でこの本は英国人向けに英語で書いたものだが、英国の学者がかうもはつきりとドイツ語の悪口を書くかと驚いただけでなく、英 国のインテリにしてもドイツ語はやはり分りにくいのかと、当時ドイツ語の修得に苦労してゐた私はちよつと安心したのをよく覚えてゐる。

 ドイツ語で一番やつかいなのは「枠構造」で、分離動詞の前の部分や過去分詞など、英語なら定動詞のすぐ近くにあるものが、文章の一番最後に置かれる仕組みになつてゐる。

 このため、ある文章で主に何が言ひたいかは、英語やフランス語なら最初の方に出てくるのに対して、ドイツ語では文章の最後まで読まないと分らないのである。

 恐らくかうする事によつてドイツ語は文章の意味の全体像を大切にしてゐるのだらうが、おかげで英語やフランス語を読む時の頭の使ひ方がドイツ語では使へないのである。

 だから英国人であるキットーの意見は、英語を先に学んだ日本人である私にとつて共感するところ大なのである。(2006年2月24日)







 『金瓶梅』で鴎外のいふ「怪しからん」ところを和訳で読みたければ、平凡社でも岩波文庫でもなく講談社の『完訳 金瓶梅』を読む必要がある。

 多分『チャタレイ夫人の恋人』の完訳を最初に出したのも講談社で、新潮文庫の「完訳」(1996年)を待つまでもなく、講談社の世界文学全集25 (1976年)と講談社文庫(1978年)に入つてゐた。私はそれを知らずにペンギン文庫で読んで、男女が協力することの大切さを学んだものだ。

 一方、鴎外の『雁』に出てくる『金瓶梅』は漢文である。馬琴が日本語にしたのもあつたが、勧善懲悪物に変へてしまつてゐる。そこで当時漢文が読める学生たちは原文で読んだといふわけだ。

 今でもネットで60回までなら原文が読める。漢文と中国語の知識を動員して小学館の『中日辞典』を使へばかなり読めさうだ。しかし、日本語で読めた方が楽に決まつてゐる。

 ところが、講談社のものは絶版になつてゐる、売つてゐるはずの岩波文庫版も平凡社版も本屋に行つても見当らない、ちくま文庫版も絶版らしい。あるのは 『三国志』や『水滸伝』など勇ましいものばかりである。どうやら『金瓶梅』は最近は流行らないらしい。(2006年2月23日)







 古今亭志ん朝は『真景累ヶ淵ー豊志賀の死』といふ落語のまくらで、おもしろいことを言つてゐる。

 誰でもさうだらうが、人間は死んだら文字通り土に帰つて、何も無くなつてしまふと考へるが、その一方で、幽霊といふものがゐるのではないかといふ思ひもある。これは何故かといふと、幽霊といふのは人間のあこがれの表れだからだといふのである。

 人間は死んだら何もなくなつてしまふといふのでは、夢も何もなく、あまりにもさみしい。人間は死んでも真底は死なないんだ。魂といふものは残つてゐるんだ。かういふあこがれの気持ちから、幽霊とか怪談とかいふものがあるのだ。だから、これは人間のロマンなのであると。

 『真景累ヶ淵ー豊志賀の死』といふのは恐い話で、お岩さんのやうな顔になつた豊志賀といふ年増女に新吉が付きまとはれるところなどは、ぞつとさせられる が、かういふ風にまくらで言はれてゐると、ただ恐がるだけでなく、幽霊も悪くないなと思ひながら聞くことができる。(2006年2月22日)







 吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)といふ本がどこの古本屋にも並んでゐるのを見て、学校の教科書にでも指定されたのだらうが、民本主義の人がこんな本まで書いたのか、とずつと思つてゐた。それで古本屋が500円の只券を送つてきたので買つてしまつた。

 ところが、山本夏彦の『私の岩波物語』を読んでやつと気が付いた。吉野源三郎は単なる岩波書店の編集者で、民本主義は吉野作造ぢやないか。

 ところで、この『君たちはどう生きるか』は元々は戦時中に出た本で、丸山真男に影響を与へた本であるらしい。また、最近流行の香山リカの本にも引用されてゐる。

 ではどんな本かといふと、これは子供向けの教訓書のふりをしたマルクス主義の入門書である。遠まはしに当時の軍部に対する批判も入つてゐる。六の「雪の日の出来事」は二二六事件のもじりであるし、そこには共産党の弾圧と転向の問題も込められてゐるのだ。

 つまりこれは子供だましの本なのである。しかし、子供はだませても大人はだませなかつたから発禁処分になつた。いくらもつともらしい言葉を並べても、人をあざむかうとするのはよくない。

 この中の主人公のコペル君といふ名前は、物の見方を百八十度変へたコペルニクスから来てゐる。しかし、変へた先が共産主義だつたのは間違ひだつた。多くの学生がこの本を古本屋に売つたのは正解だらう。(2006年2月21日)







 『雁』が「わたし」の視点で書かれた小説なら、志賀直哉の『暗夜行路』は「かれ」の視点で書かれた小説である。

 つまり、この小説は主人公である謙作の視点で書かれてゐる。だから、謙作以外の人間の心理は、その人の会話として書かれるか、謙作の推測として書かれるだけである。かうして『暗夜行路』に見事な統一性と真実らしさが生み出された。
 
 ところで、作者はこの小説を終らせることに余程苦労したのか、この統一性を最終章で破つてしまつてゐる。謙作が病気で倒れたことに対するする宿所のお上たちの危惧と、最後の場面の直子の決意が、謙作の視点を離れて書かれてゐるからである。

 特にこの小説の締め括りで、病床の夫の顔をみつめながら
 
直子は「助かるにしろ、助からぬにしろ、兎に角(とにかく)、自分は此(この)人を離れず、何所(どこ)までも此人に随(つ)いて行くのだ」といふやうな事をしきりに思ひ続けた。

と書かれてゐるが、この文章は、彼女の会話でもないし謙作の推測でもない、純然たる直子の立場で書かれた文章である。

 作者はここで夫婦の和解を演出しようとしたのだが、直子に病床の夫に向つて「どこまでもあなたに随いて行くわ」と言はせるのもおかしいし、さりとて謙作 に直子のこんな気持を推測させるだけでは真の和解にならない。そこで窮余の策として、ここで全能の話者を登場させたのである。

 なほ、これはギリシャ悲劇では deus ex machina と言つて、芝居の最後に神が出てきて問題を解決して大団円を作り出すといふ、よく使はれた方法ではある。(2006年2月20日)







 小説を書く時の重要な問題の一つに、誰の視点で書くかといふ問題がある。

 サマセット・モームは『要約すると』(新潮文庫)の中で、若い頃に「異なつた事件や、その中で動く人物を、一人の人物の眼を通して見るという、きわめて 単純な仕掛け」を知らなかつたために失敗したと書いてゐる。そして、それは「自伝小説が何世紀も前から用いたもの」、つまり小説の中に「わたし」を登場さ せて、その視点から書くやり方である。

 そして、ヘンリー・ジェイムスがこの「わたし」の代りに「かれ」と書いて、「なんでも知っている話者という全能者から、物語中の一人という、不完全な知識しか持たぬ人物」を置くことで、「物語に統一性と真実性を与える方法」を作り出したのだと言つてゐる。

 例へば、鴎外の『雁』は「わたし」の視点で書かれた小説である。つまり、岡田の友人である「僕」を登場させて、その視点で書かれてゐるのである。

 この「僕」はまさに全能の話者であつて何でも知つてゐる。岡田のお玉に対する気持ちだけでなく、高利貸として成功した末造がお玉を妾にするときの気持も知つてゐる。さらに、お玉の話になると、お玉の気持をよく知つてゐてその気持を語るのである。

 しかし、全能の話者を置くと、結局このやうに話の中心点がくるくると変つて、いかにも作り物めいた感じが出てしまひがちである。鴎外がこの小説の最後 に、「僕」はのちにお玉と知り合ひになつてこの話を聞いた、と「僕」に苦しい言ひ訳をさせてゐるのは、このためである。(2006年2月19日)







 小谷野敦につられて志賀直哉の『暗夜行路』を読んでみると、これは女とどう付き合ふか、女との関係で自分の欲望をどう満たすかが主題の小説だと分る。

 幼馴染の愛子、吉原の登喜子、飲み屋のお加代、曲輪の女、祖父の妾お栄、一目惚れで結婚した直子。「暗夜行路」とは謙作の暗い運命をさすが、それは女との関係で生まれる闇なのだ。

 第一部では、謙作は情欲との絡みで女との関係をうまく作れないで尾道への旅に逃げる。第二部で、愛するお栄に対する淫蕩な思ひを抑へるためにお栄と結婚しようと決意する。それが断わられて、その際に自分が祖父と母の過ちから生まれた子、運命の子であることを知らされる。

 第三部では、京都で一目惚れした女と結婚する。今度はうまく行つたと思つた関係も、生まれたばかりの子供が死んで、また暗い運命に戻る。さらに第四部でこの関係は妻の不倫で暗転する。この闇から抜け出すために大山(だいせん)に旅をしたところで小説は終る。

 これは自分の放蕩(買春すること)は罪ではないが、妻の不倫を罪とみなして、それを許してやつたと言ひながらがらも、自分の気分ばかりに拘(こだは)つてゐる男の話で、現代の考へ方では、とても自分勝手な男といふことになるが、それはこの小説では問題とはならない。

 むしろ、この時代には、好きな女との心身合一を理想として求めながらも性欲だけを放蕩で満たすしかない男の現実があり、それを物足りなく思ふ主人公の悩 みがある。志賀直哉はこの性の悩みを描いたのである。また、さう思つて読めば誰でも最後まで読み通せる。(2006年2月18日)







 テレビのニュースなどを見ると、どうしてかう毎日毎日法律を破つたとして咎めらる人がゐるものだらうかと思ふ。

 これは、誰もが法を守つてまじめに生きようとしてゐるのに、どうしても法を破らなければならない状況に追ひ込まれてしまふのか、それとも、誰もが法など守らず好き勝手に生きてゐるのに、たまたまそれが運悪く人にばれてしまふのか、一体この二つのどちらなのだらう。

 もし前者が真実であるとすれば、まじめな人でも守れないやうな法を作つたことが間違ひであり、もし後者が真実であるとすれば、誰も守らうとしない法を作つたことが間違ひなのである。

 さうして間違つて作られた法を破つたとして咎められるとすれば、まつたく道理に合はないことであらう。

 ところが、世の中自分の不正は大目に見ても人の不正にはうるさい人ばかりで、法を作れ、法を作つて厳罰にしろと言ふものだから、あちこちの議会で毎日毎日新しい法が作られるといふわけだ。(2006年2月17日)







 永井荷風は、国がのるかそるかの戦ひをしてゐて国民が必死になつてゐる最中に、ひたすら日本が負けることを祈りながら、毎日娼婦相手に遊び回つてゐた。そのことが戦後、彼の日記『断腸亭日乗』の公開によつて明かになつた。

 荷風は戦時中に金製品の供出を求められた時、手元に残つてゐた煙管のたぐひを隅田川に投げ捨てたと日記に書いてゐる。これは反戦運動家でもない限り、とても感動的なこととは言へないだらう。

 こんな「非国民」に国が文化勲章をやつたのが昭和27年の文化の日で、もうその年には中央公論社からこの日記は『荷風全集』として公刊されてゐたはずだから、国はなんとも懐(ふところ)が広い。

 しかし、果してこのやうな内容の日記を公開したことは荷風にとつて得だつたのだらうか。そこ書かれてゐることは、そもそも人間として尊敬できない内容が多すぎるのだ。

 同じ日記の公開でも、『アミエルの日記』は、この人は何と偉大な人だつたのかと感動を呼んで、生前無名だつたアミエルが死後に世界的名声を得た(岩波文庫版が読めなくても英訳がネットで公開されてゐる)。

 それとは逆に、荷風の日記を読んだあとで彼の小説を楽しむには、彼の変人ぶりに対する余程の理解を必要とするのではないか。(2006年2月16日)







 最近、空気中の二酸化炭素が増えたために地球の温度が上がつたと頻(しき)りに言はれてゐるが、実はさうではないらしい。

 空気中で一番多いのは窒素と酸素で、この二つで99パーセント近くを占めてゐて、その残りが二酸化炭素とアルゴンと水蒸気などであるが、さらにその内でも、二酸化炭素の量は水蒸気の50分の1しかなく、まつたく微々たるものなのである。

 だから二酸化炭素が増えた増えたと言つても、取り立てて言ふほどの量にはなつてゐないのである。

 しかも、地球の温度上昇に関係があるのは二酸化炭素と水蒸気で、この二つが地球の温度を33度上げてゐるのだが、その内の32度までを水蒸気が上げてゐるのであつて、二酸化炭素が上げてゐる役割は非常に小さいのである。

 さらによく調べると、二酸化炭素の量の増加と地球の温度の変化には厳密な相関関係がないことが分かつてゐる。

 もともと地球の温度を決めるのは基本的には太陽の活動だから、地球の温度変化と二酸化炭素の量の変化とはあまり関係がないのである。

 これはNHK教育の高校講座『理科総合』(A-20)で、渡辺正といふ東大教授が話してゐたことである。つまり京都議定書は全くの徒労であり「地球温暖化」といふ話は全くのデマだつたのである。(2006年2月15日)







 小谷野敦につられて森鴎外の『雁』を読み返してみたが、これはかなりエロティックな小説であることが分かつた。

 主人公の一人岡田は東大の学生なのだが、古本屋で買はうとした本として登場するのが『金瓶梅』であるのは、この小説の性格を暗示してゐる。また、岡田の愛読書が香奩体(かうれんたい)の詩だとあるが、これも注を見るとエッチな内容らしい。

 話自体も、大学の小使から金貸しになつた末造がお玉を妾(めかけ)にする話が殆どを占めてゐて、末造がお玉の「白い肌」に妄想をたくましくしたり、お玉が「末造の自由になつて」ゐる間、目をつぶつて岡田を思ひ浮べるなど相当に悩ましい。

 「弐拾壱」(二十一章)にはお玉が朝寝坊の布団の中で顔を赤くしてゐる場面まである。「教育家は妄想を起させぬために青年に床に入つてから寝つかずにゐるな、目が醒めてから起きずにゐるなと戒める」に続いて書かれたお玉の「妄想」が単なる恋愛でないのは明らかであらう。

 岡田は『金瓶梅』の「怪しからん事」を読んだあとの「ぼんやり」した頭で、無縁坂を散歩してゐるときに、ヘビがお玉の鳥籠に首を突つ込んでゐる場面に出くわす。この事件でお玉が岡田に惚れるのも無意味ではない。

 鴎外の文章はあくまで硬いが、意図した中身は柔らかいのである。(2006年2月14日)







 山本七平の『日本はなぜ敗れるのか』の第一章には、二十年前の田原総一郎がベトナム帰還兵に片つ端からインタビューする記事が紹介されてゐる。

 それは「あなたはベトナム人を何人ぐらい殺しましたか」などといふ不躾(ぶしつけ)なもので、それに対して帰還兵たちは曖昧なことしか言はない。田原は彼らの本音が聞きたいのにそんな答しか得られないので、挙句に彼らは「逃げてゐる」などと言ひ始める。

 それに対して山本は、帰還兵たちは彼らなりの本音を言つてゐるのに、田原はそれを本音と認めないといつて非難する。田原はあらかじめ相手が言ふはずの本音を用意してゐて(予定稿)、それと合はない発言を本音と認めないのだと。

 実際今でも田原は「ぼくが聞きたいのはそんな事ぢやない」と言つて相手の話をさへぎるのを得意としてゐて、そのおかげで彼は本音を引き出す司会者としてマスコミの寵児となつてゐる。

 しかし、田原が相手から「言ひ逃れ」でない答を引き出したとき、それは単に「最も巧みな言ひ逃れ」を引き出したに過ぎず、それでは相手との間に対話が成立したことにはならず、逆に決定的な断絶を生み出しただけだ、と山本は言ふのである。

 ところで、この「最も巧みな言ひ逃れ」を引き出す質問は、元々は国会の野党の質問の典型であつて、田原の発明ではない。また、小泉首相になつてからはこ の「最も巧みな言ひ逃れ」をやらないために、野党やマスコミがもつと真面目に答弁しろと怒るのである。(2006年2月13日)







 私は疑問文といふのは、何かを質問するための文章だと思つてゐたが、さうばかりではないことを知つたのは高校を出てからである。

 「~していいですか」と言へば、「~したい」といふ願望の穏やかな言ひ方であり、「~してくださいますか」と言へば、「~しろ」といふ命令の穏やかな言ひ方になる。また、「~ではないですか」と言へば、「~だ」といふ主張の穏やかな言ひ方になる。

 では、さういふことをどうして知つたかといふと英作文の構文で知つたのである。もちろん、家族でも「~してくれる?」などの言い方で自分の願望を伝へることはしてゐるのだらうが、疑問文を使つてゐるといふ意識はなかつた。

 ところが、高校を出て赤の他人にこちらの願望を穏やかに伝へる必要が多くなると、疑問文を使ふのが便利だと分るやうになる。そして、さういへば英作文の参考書にあつたなと思ふのである。

 そして今度は逆に、英語を読んでゐて疑問文に出会つても、これは質問をしてゐるのではないといふことが意識できるやうになる。それぞれの疑問文が何を目的としてゐるかが分れば、特に会話文の解釈が楽になること必定である。(2006年2月12日)







 小谷野敦の『もてない男』といふ新書をふと本屋で手にとつて、まあよく色んな本を読んでゐる男だと感心して買つてしまつた。

 童貞喪失の困難について述べる第一章(第一回となつてゐる)では、二葉亭四迷『平凡』から田山花袋『田舎教師』から森鴎外『青年』から志賀直哉の『暗夜 行路』から途中でマンガをはさんで最後は『アミエルの日記』まで、私が読まうとして挫折した本がどんどん出てくる。「職業柄」とは言ひながら、よくもまあ 好き嫌いなしに何でもかんでも馬鹿正直いや勤勉に読んだものだ。

 その各々の作品で、童貞喪失の困難さを扱ふ場面が引用されるのだが、特に岩波文庫の分けがわからないアミエルの訳文を何度も引用して、その訳のひどい下手くそぶりに一言も文句を言はずに、日記の内容を理解してその感想を述べてゐるのには感心させられた。

 アミエルが四十歳になつてやつと自分の童貞に焦りを感じ始めたことに対して共感してみせる小谷野はもちろん「もてない男」である。はつきり自分はさうだとは書いてゐないとしても、すでに本の背表紙がさう言つてゐる。

 中身はああでもないかうでもないとひたすらぐだぐだ言ふだけの本なのだが、もてない男がもてないことに不安でなくなる、或ひは「俺の方がもつともてない ぞ」と自信をもつて言へるやうになれる良い本である。(なほ、この本はあくまで戯文であるから、あまり何でも真に受けてはいけない)(2006年2月11 日)







 若い内に誰でも一度は夢中になるのが女である。女のために人を殺(あや)めたり、或ひは金を盗んだりといふやうなことになる。だから女には気をつけろといふ戒めの言葉が昔からあつて、「世の中で金と女は敵(かたき)なりけり」といふのもその一つだ。

 金に目がくらむとこれはいけない、女もいけない。だから女と金を見たら、「あっ敵(かたき)だ」と思へ、その位にしてゐれば間違ひのない人生をおくれるといふ意味である。

 これと同じやうなことを言つた人にお釈迦様がゐる。お釈迦様は女性について「外面(げめん)如(によ)菩薩、内心如夜叉(やしや)」と仰つた。女は上辺は菩薩のやうだが、腹の中は鬼か蛇(じや)だと言ふのだ。

 以上は、古今亭志ん朝の『刀屋』のまくらを要約したものだが、今年もまた、この敵(かたき)のために人生を狂わされた男たちのニュースで賑はつてゐる。

 ところで、永井荷風先生はこの恐ろしい敵にしよつちゆう関はり続けたのだが、いま失敗してゐる男たちと一番違ふのは、かならず金銭を介して関つたことだ。

 今の女性に対してこの方法が有効かどうかを私は知らないが、只は一番よくないとは思ふ。(2006年2月10日)







 『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』の翻訳は第一章だけでも、いくつもの難所がある。

 まづ第一に、何と言つても、出だしの段落の最後の「これと同じ漫画が(えがかれる)」(17頁5行目、岩波文庫。以下同じ)だらう。この「これと同じ」 とは何と同じなのか。それは2行目の「二番目は茶番として」の「茶番」であらう。ならば、翻訳は「まさにこの茶番が(えがかれる)」とすべきだらう。

 次は、「あのイギリス人は、正気でいたあいだじゅう、黄金製造という固定観念からのがれることができなかった」(20頁、後から2行目)。このイギリス 人は「気ちがい」で「エティオピアの鑛山」で働らかせられてゐると信じてゐるのに、「正気でいたあいだじゅう」はおかしい。

 では、原文は nicht が脱落した誤植で「狂気でいたあいだじゅう」が正しいのか。実際、さう訳してゐる英訳もある。しかし、さうではなからう。ここは「正気に返つた間も」といふ意味ではないのか。だからこそ「固定観念」であり、次の「革命をしてい る間」のフランス人と照応関係に立つことができる。マルクスにとつて、革命こそ人々が正気に返る瞬間だからである。

 三つ目は「民主主義者諸君が〔きたるべき〕一八五二年五月の第二日曜日の霊験をいわって」(23頁9行目)。この「霊験」とはどういふ意味か。注が付い てゐるのでそれを見ると、一八五二年五月の第二日曜日は「新しい大統領の選挙がおこなわれる日」とある。つまり、その日は一期限りの現大統領ルイ・ナポレ オンが失職する日であるから、民主派にとつて「霊験あらたかなゆえんである」と書いてゐる。

 しかし、それだけではないだらう。その日こそは、ルイ・ナポレオン政府 によつて国外に追放されて亡命中の「民主主義者諸君」が罪を許されて帰国出来る日なのである。そして、これがその後の「荷造」(23頁最終行)につながつ てゐる。では、そんな日はどう呼ばれるのか。原文ではGnadenwirkungen、英訳では pardons となつてゐる、Gnaden にも pardons にも「恩赦」といふ意味がある。ならば、ここは「恩赦」或ひは「恩赦の発効」とすべきだらう。

 以上は、もちろん私の意見でしかない。しかし、今後『ルイ・ボナパルトのブリュメールの十八日』の新訳が出るとしたら、取りあへずこの三カ所の訳し方を見ることだ。そして、この三つの難所をうまく乗り越えられてゐないものは避けた方がよい。(2006年2月9日)







 現代社会では情報量が余りに多いために、国民の理解が追ひつかないとよく言はれる。しかし、それは流れてくる情報の全てを相手にしようとするからであつて、取捨選択の目を光らせてゐれば重要な情報はそれほど多くはない。

 我々に与へられる情報の中で一番多いのが毀誉襃貶(要するに人の悪口)情報であらう。テレビや新聞のニュース記事、それにネットのブログで扱はれる情報のほとんどがこの種の情報である。しかし、毀誉襃貶情報は人の意見であつて事実ではないので切り捨ててよい。

 また、事実として明かになつた事と、誰かが事実だと判断した事とを区別して、後者を切り捨ててよい。これはどちらも新聞やテレビのニュースでは「~であることが分かった」と表現されるので注意がいる。

 『ドキュメント』とか『ドキュメンタリー』と自分で銘打つてゐる記事やテレビ番組も注意がいる。事実を伝へることより、世論誘導を目的としたものが多いからだ。

 かうして多くの情報のうちで人の意見でしかない部分を切り捨てると、あとに残るのは数少ない事実の情報だけである。

 ただし、私は実際にはこんな面倒なことはしないで、テレビや新聞のニュースをなるべく見ないやうにしてゐるだけである。具体的には、新聞が家に来たのを 見つけるとすぐに真ん中の折り目を裏返してテレビ欄を表にする、テレビでニュースが始まるとチャンネルを地元のU局や教育テレビにするなどである。 (2006年2月8日)







 「大ディオニュシオスは自分のもののうちで、何よりも自作の詩を高く評価した。オリュンピアの競技のときには、飛びぬけて豪華 な戦車とともに、詩人や楽人たちを送り、王者らしい金襴の天幕を張りめぐらして、自作の詩を朗誦させた。その詩が歌い出されると、歌いぶりが美しくすばら しいので、初めのうちは民衆の注意を引いた。けれどもそのうちに、詩の拙劣なのがわかると、民衆はまずこれを軽蔑し、ますますきびしく批判したが、やがて 憤怒に荒れ狂い、彼の天幕に走って打ちかかり、これをずたずたに引き裂いた」
 
 「ディオニュシオス父王は、自分のもののうちで何よりも自分の詩を高く評価していた。オリュンピア競技の季節には、豪華このうえもない戦車とともに、詩 人や楽人たちを送り、王家にふさわしい金襴の天幕をはりめぐらして、自分の詩を朗誦させた。いよいよその詩が披露されると、発声が美しくすぐれていたの で、はじめは民衆の注意をひきつけた。けれども、やがて、作品の拙劣なことがわかってくると、民衆はまずこれを軽蔑した。ひきつづき判断をいらだたせられ た民衆は、ついに怒りだし、走り寄って彼の天幕を打ち倒し、くやしまぎれにこれを引き裂いた」

 モンテーニュ『随想録』(第二巻十七章)の同じ個所の訳であるが、後者の方がメリハリがきいてゐるのは一読明らかであらう。それは「いよいよ」「はじめは」「けれども、やがて」「ついに」の配置から生まれてゐる。

 前者は文法的に間違ひはないが、例へば「飛びぬけて」が強すぎる。ここは抑へておくべきところだらう。また、前者のぼんやりした表現が後者でははつきりしたものになつてゐる。「王者らしい」が「王家にふさわしい」に、「歌いぶり」が「発声」、「批判」が「いらだち」。

 最後に後者は「くやしまぎれに」と書き、怒りの激しさを示す感情表現でしめくくつて全体の意図を明確にしてゐる。それに対して、前者の「ずたずたに」は感情表現ではないし、そもそも原文のpar dépitとも合はない。

 前者が岩波文庫の訳であり、後者が河出書房の『世界の大思想』に含まれてゐる松浪信三郎の訳である。(2006年2月7日)







 東條英樹の『大東亜戦争の真実』は、東京裁判に提出された東條の宣誓供述書である。第二次世界大戦についての見方は、現代ではアメリカ製のものが支配的であるが、この本を読むと当時の日本の指導者による見方がよく分かる。

 当時のアメリカの日本に対するやり方は、最近アメリカがイラクに対して殆どイジメに類する経済封鎖をやり、あげくに戦争を始めたやり方と殆ど同じだつた。

 当時アメリカは口では自由貿易を唱へながら、他の国民を差別し、膨大な資産を独占して、高関税の保護貿易を行ひ、ブロック経済をやつて日本つぶしに出て ゐた。最後は石油が日本に一滴も入らないやうにしてしまつたのだ。このままでは日本はつぶされてしまふといふ危機感が、日本の支配層には充満してゐた。

 確かに、この難局をアメリカと仲良くやつて乗り越えようと考へる人たちは日本にもゐた。しかし、アメリカ側にその気はまつたくなく、ルーズベルト大統領 は次々と国防予算の増額を議会に求めて、強大な軍備増強を行ふ一方で、日本との外交交渉では一切の妥協を拒否して、日本と戦争を始める気満々だつたのであ る。
 
 一方、日本の指導層には元々アメリカと戦争をするつもりは全く無く、その為の軍備も全く準備して来なかつたので、東條も勝てる見込みがないことが分かつてゐたが、「自存のためなれば、敗戦を覚悟するも開戦をやむを得ず」となつたのである。

 要するに、したくもないし早く解決したい支那事変がアメリカの軍事援助によつて泥沼化したあげくに、日本を経済封鎖し着々と臨戦態勢を築いてゐたアメリカとの戦争に追ひ込まれたといふのが、日本から見た太平洋戦争だつたのである。

 ところで、東條はこの本の題名とは違つて、あの戦争を「大東亜戦争」とは呼ばず「太平洋戦争」と呼んでゐたことがこの本を読むと分かる。(2006年2月6日)








 「余は、かくの如き傲慢無礼なる民族が武力をもつて隣国に寇(こう)することを痛歎して措(お)かざるなり。米国よ、速かに起つてこの狂暴なる民族に改俊の機会を与へしめよ」

 これは永井荷風が支那事変について日記『断腸亭日乗』の昭和十六年六月二十日に書いたとされるもので、「狂暴なる民族」とは日本人のことである。永井は戦時中に、中国などの反日勢力の言ひ分を自分の言い分としてゐたのであらうか。

 ところが、この一節は東大の学生が速達で原稿の催促をしてきた無礼を怒る記述の直後に付け加へられたもので、唐突の感が否めない。しかもこのやうな荷風 の軍国主義批判は量にすれば微々たるもので、政治的な批判よりはむしろ軍人嫌いを表明したものが多い。
 
 だからこんな文章を探しながらこの本を読んでも、期待外れに終るだけだらう。それに比べて、我々の期待に充分答へてくれるのは、荷風の懲りない女遊びの方で ある。荷風が愛した女の話が次々と出てくるのだ。それを順にたどりながら読み進むなら、『断腸亭日乗』は充分楽しい読み物となる。(2006年2月5日)








 いまの小学生の男の子は学校でウンチが出来ないのださうだ。学校のトイレでウンチをしたことが知れると、教室で捕まへられて「~くんは今ウンチをしてきました」と発表されるからだといふのである。

 ウンチは誰でもせずにはゐられない事だが、学校でウンチをすることなどあつてはならない事なのである。だから、それをしてしまつた事は、その子にとつての弱みとなる。そして、今の子供たちはその弱みを徹底的についてくるのだ。

 では、人のウンチをはやし立てる子が学校でウンチをしたことが絶対にないかと言へば、そんなことはありえない。それどろこか、どの子も一度は学校でウンチをしてゐるが、たまたまばれなかつただけなのである。

 それにも拘(かかは)らず、子供たちは今ウンチをした子を人前に引きずり出してきて、「この子はウンチをしました」と言つて、その失敗を寄つてこつて責めるのである。

 そのうちに、ほかの子が「さう言へば、この子はこの前も学校でウンチをしてゐました。ウンチの常習犯です」と言ひだし、さらには、その子が学校でウンチ をした回数を調べてきて「この子はこれまで43回も学校でウンチをしてゐます。ここだけでなく、よその学校でもウンチをしてゐます」と発表する子が出てくる。

 ウンチをした子も初めは「学校でウンチをした方が得ぢやないか」と言つたりするのだが、自分に対する非難の声が大きくなるばかりなので、最後には「学 校でウンチをしてごめんなさい。もうしません」と言はされるのである。恐ろしい世の中である。(2006年2月4日)







 麻生大臣が天皇の靖国参拝が望ましいと言つたとき、昭和五十年八月十五日の三木首相の参拝で公人私人の話が出てから、天皇が参拝できなくなつたと言つたが、それが正解だらう。

 事実このとき首相の三カ月後の十一月二十一日に天皇も参拝されたが、その前日に天皇の参拝について公私の区別が国会で問題になり、その上、野党や宗教団体から反対声明が出てゐる。

 もともと天皇は国民の論争から超絶した立場をとることをよしとされてきた。だから、例へば、プロ野球や大相撲に関する自分のひいきでさへ公言されないのを常とされる。そんな天皇が靖国参拝をそれ限りとして、以後は論争の種になる行動を避けられたのは、想像に難くない。

 靖国神社のA級戦犯合祀についても同じことが言へる。これもいつたん政治問題化してしまつた以上は、たとへ合祀を取りやめたとしても、それで天皇が参拝されれば、それはそれでまた論争になる。

 では、国立で無宗教の追悼設備を作れば、天皇陛下に参拝して頂けるかといへば、その答はやはり否であらう。天皇がもし参拝すれば、天皇は「靖国派」に反対して「無宗教の追悼施設派」に味方したことになり、また論争になるからである。

 結局、追悼行為を論争の種にしたこと自体が間違ひだつたのである。(2006年2月3日)








 一夫多妻は日本では犯罪だが、一夫多妻が常識である国の方が多い。

 なぜなら、女は誰でも子を産めるやうになるのに、男は誰でも稼げるやうにはならないからである。子を産めるやうになつた全ての女たちを、稼げるやうになつた数少ない男たちが食はせるには、当然、一夫多妻にならざるを得ない。

 だから、近代産業が発達して男が誰でも稼げるやうになつた国から、つまり先進国から一夫一婦制に変つて行つた。一夫一婦制でなければ人倫に反するといふ キリスト教の考へ方とこの現実が一致すると、この考へ方は植民地進出と共に宣教師によつて世界に広められた。近代化の証が欲しかつた日本もそれを明治以降 受け入れた。

 一方、西洋化を押し進めない国や、宗教が一夫多妻制を認め、法律が認めてゐる国々では、男が誰でも稼げるやうになつても相変はらず一夫多妻制である。

 ところで、恋愛結婚の普及した近頃の日本では、稼げる稼げないに拘はらず、死ぬまで一度も結婚できない男たちが増えてゐるさうだ。その一方で、女の方は死ぬまでに一度は誰でも結婚するさうである。

 とすると、もしこの傾向が続くなら、いづれは女の結婚相手になれる男の数が足りなくなつて、日本も一夫多妻制をとらざるを得なくなるかもしれない。

 とすると、最近逮捕された一夫多妻の男は、その先駈けといふことになる。(2006年2月2日)







 女系天皇は正統性が難点だが、女性が天皇になるだけでも、色々問題がある。その一つは、天皇になる可能性のある女性たちの夫に誰がなるかといふ問題である。

 現状では民間人が夫になるしかないが、とすると、何と言つてもそれは婿養子になるといふことである。女性が天皇家に嫁入りするのは玉の輿だらうが、男性 の婿入りではさうはいかぬ。俗に「小糠三合あれば婿には行くな」と言ふぐらいで、とても威張れたものではないからである。

 しかも、一般の婿入りでは名目上でも家長になるが、この場合はそれもなく、社会的には子種としての価値しかない存在、言はば男性版側室となつてしまふ。

 その上、民間人が皇族になれば選挙権も参政権もなくなり、居住の自由など憲法が保障する権利をすべて失ふことになる。これではとても男性版玉の輿どころではない。

 また、欧米でも皇配といつて女王の夫になる人がゐるが、民間人がなつたといふ話は聞いたことがない。結局、女性天皇を実現するためだけにでも、旧宮家を復活させるなどして皇族の範囲を広める必要があるのではないか。(2006年2月1日)







 公園に長い間只で住まはせてもらつて居ながら、そのうえ役所に住民票も要求するとは、これこそ盗人猛々しいといふ事ではないか。

 法律上、役所は住居地の住民票を請求されたら拒めないかもしれない。アザラシに住民票を出す役所があるくらいだから、それを人間に出せない道理はない。だからといつて、ホームレスが役所に住民票まで要求するのは、道理にはずれてゐる。

 別の公園のホームレスは、役所からイベントをするから空けてくれと言はれて、長い間ありがとうございましたと言つて出て行くどころか、支援団体を集めて居直るは、役所に強制代執行までさせるは、人迷惑この上ない事をしてゐながら、それを当然だと思つてゐる。

 只で人の土地に住まはせてもらつてゐる人間がこんなにずうずうしくなつたのは、多分、社会主義と共産主義のおかげだらう。昔は「居候、三杯目にはそつとだし」と言つたものだが、こんな文化はもうどこかへ行つてしまつたのである。(2006年1月31日)







 満州事変をリットン調査団の報告書が「侵略行為」と断罪したといふことが、あちこちに書かれてゐるが、リットン報告にはそんなことは書かれてゐなかつた。

 実際に書かれてゐたのは、「これは一国が国際連盟規約の提供する調停の機会を予め利用し尽くさずに一国に宣戦布告した事件ではないし、一国の国境が隣国の軍隊によつて侵された単純な事件でもない」といふことである。

 だから、日本の歴史教科書にもリットン報告が満州事変を「侵略行為」と断定したと書いてゐないのは正しいのである。

 なぜ日本軍は満州事変を起こしたか。満州は当時半独立状態で、張作霖と息子の張学良が独裁者となつて悪事の限りを尽くしてゐた。

 満州の治安は乱れに乱れ、馬賊が跳梁して住民は安心して暮らすことが出来ない。住民は塗炭の苦しみを味はつてゐるのに、張親子は豪邸に住んで王侯のやう に振舞てゐた。しかも、米国の軍事援助を得て、日本の南満州鉄道の権益を妨害するなどやりたい放題だつた。しかるに、北方からはソ連の赤化の脅威が迫つて ゐる。

 この状況を憂えた日本軍は、これではいかんと一大義挙に踏み出したといふわけである。リットン調査団はこの実態が分かつたので、日本軍を一方的に批判できなかつたのである。(2006年1月30日)







 「左翼思想犯人はブルジョア新聞紙上ではもはや何等の英雄でもなくなつて、泥棒やギャングの類(たぐ)ひとして待遇され始める」とは、昭和十年に出た『日本イデオロギー論』の中で戸坂潤がマルクス主義の退潮を嘆いた一節である。

 昨日の英雄も警察に逮捕されると途端に全人格を否定される風潮には、戦前も戦後もないのであつて、それは今回のライブドア騒動を見ても明かである。

 戸坂潤は続けて言ふ。「これは新聞が世間のその日その日の常識を反映したものであると共に、新聞が世間をさういふ風に教育してゐるといふことでもある」当時テレビはまだなかつたが、マスコミと世間の関係もまた変らないのだ。

 逮捕されただけでは有罪と決つたわけではないといふ「推定無罪」の考へ方を知らぬ者もなからうし、密室の取り調べ室での自白は容疑者の性格の強弱を知る目安にはなつても、容疑者の白黒を知る目安にはならないことも既に常識であるはずだ。

 また、ロッキードの田中角栄が最高裁では無罪だつたと言はれ、リクルートの江副が猶予刑でしかなかつたことも忘れてはゐまい。

 にも拘(かか)はらぬこのホリエ・バッシングの激しさは、Financial Times の一月十八日の社説「時代の先駆者に対する古い社会のリベンジ(Old guard's revenge)」が図星をついてゐたといふことだらう。(2006年1月29日)







 第二次世界大戦前の世界の強国が独占したゐたのが植民地なら、現代の世界の強国が独占してゐるのは核兵器だらう。そしてかつてその強国の独占に挑戦したのが日独伊なら、今その独占に挑戦してゐるのは北朝鮮とイランである。

 日独伊の挑戦は、強硬姿勢をとつた英米による経済封鎖に発展し、そのまま第二次世界大戦に突き進んだ。現代の北朝鮮とイランによる挑戦は、安保理付託による経済制裁つまり経済封鎖に発展するだらうか。

 ところが、第二次世界大戦前と現代とでは大きな違ひがある。それは北朝鮮とイランへの経済封鎖に反対する強国中国とロシアがゐることだ。

 中国とロシアの友好国である北朝鮮に経済制裁できないアメリカは、六ヶ国協議といふ場を選んだ。そのおかげで、からうじて極東の平和は維持されてゐる。

 イランはどうか。中国とロシアはイランの友好国でもある。だから、この二国は北朝鮮の場合と同様に、対話路線を主張することで自国の存在価値を高める作戦に出るだらう。

 イラク戦争後のアメリカは、口ではいくら勇ましいことを言つても、この対話路線に乗るしかないのではないか。(2006年1月28日)








 かつて教科書問題で「中国侵略」を「進出」と書き換へさせたといふ誤報事件があつたが、実際は「進出」でいいのである。

 なぜなら、イギリスによるビルマ支配もフランスによるベトナム支配もどちらも事実は侵略であるが、どの本にもビルマ進出、ベトナム進出と書いてあるからである。日本だけ中国侵略とするのはおかしいなことである。

 仮に教科書が近隣国に配慮して日本の行為だけを「侵略」とするとしても、一般の歴史書はどちらも「侵略」か「進出」にするのが客観的な記述といふことになる。

 ところが、今だに欧米諸国による世界侵略を非難せずに、日本の侵略だけを非難する論調が横行してゐる。

 また、戦時中に日本がビルマやフィリピンなどを住民の願ひ通りに独立させたことも、日本軍による軍政だつたと批判する人がゐる。しかし、日本の総理大臣が国会の演説で独立を認め、公平な条約も結び、憲法も自分たちの手で作らせてゐたのだ。

 日本軍がゐたから独立でないなら、アメリカ軍がずつとゐてアメリカ軍の作つた憲法を押しつけられたままの日本は、未だに独立してゐないことになつてしまふ。

 さらには、せつかく日本が独立させたビルマやフィリピンを英米はまたもとの植民地に戻してしまつたのである。そんな米英が善玉で日本が悪玉だつたとするやうな史観を、どうして客観的だと言へるだらうか。(2006年1月27日)







 デイモン・ラニアンの小説に『マダム・ラ・ギンプ』といふブロードウェイに住む浮浪者の女の話がある。彼女は色んな物を売つて暮らしてゐるのだが、彼女の売る新聞はどこかで拾つてきた昨日の新聞ばかりだつた。

 心優しきブロードウェイの紳士たちは、彼女から古新聞を買つてやつてゐたが、それは一度読んだニュースをまた読むためではなく、彼女に金を恵んでやりたかつたからである。

 ところで、インターネットでニュースが読めるやうになつた昨今では、我々が家に配達される新聞を開いて読むことができるのは、ほとんどが昨日のニュースであり、一度読んだニュースばかりになつてゐる。

 つまり、我々はマダム・ラ・ギンプの新聞を買つてゐるのと大差が無くなつてゐるのである。といふことは、我々が新聞を購読するといふことは、ブロードウェイの紳士たちがマダム・ラ・ギンプを哀れんで金をめぐんでやつてゐるのと、大きな違ひがないといふことになる。

 実際、現代では新聞を購読するといふことは、新聞記者や新聞配達人により良い暮らしをさせてやる程度の意味しかなくなつてゐる。新聞社が広告料だけで充 分やつて行けるだらうことは、民放のテレビ局が広告料だけでやつてゐるを見れば明らかだからである。(2006年1月26日)







 既存の制度に頼らずに実力だけで出世した者を讒言(ざんげん)によつて罪に陥(おとしい)れて失脚させる。これは日本の歴史で繰り替へされてきた誇れない一面である。

 それは道鏡や菅原道真に始つて、最近では田中角栄やリクルート社の江副(えぞへ)社長に至るが、このリストに今年ライブドアの堀江社長が加はつたのかもしれない。

 讒言とは、人の行動や金の動きに犯罪を構成する意図があると告げ口することである。その恐ろしさは、讒言人が一人ゐれば、現実に起つた偶然の事実さへも 因果関係を持ち始めて、今度はそれが犯罪を構成するやうに見えてしまふことであり、一旦さう見えてしまふとそれを反証することは非常に難しい。

 しかしながら、意図や考へなどといふ人間の頭の中だけの動きをもとにして人を罰することは、思想をもとにして人を罰することと似て、それ自体非常に危険なこ とであるばかりでなく、讒言人の「あの人はあんな事を言つてゐた」に類する証言以外に実際には証拠がないため、自白を強要したあげくの冤罪になりやすい。 また、讒言人の悪意が捜査の出発点であるため、結果として正義の実現とならない場合の多いことは歴史が証明してゐる。

 現代の日本でこの讒言・讒訴を一手に引き受けてゐるのが東京地検特捜部であらう。「昔、特高。今、特捜」と言はれる所以(ゆゑん)である。(2006年1月25日)







 自動車にハイブリッド車といふものがある。電気モーターとガソリンエンジンを併用させたもので、燃費がいいと言はれてゐる。

 自動車の燃費表示は今では10モード燃費だけだが、昔は60キロ走行といふのもあつて1リッター20キロ以上の数字が出てゐた。

 ガソリン自動車の燃費が悪いのは速度が低いときで、ずつと60キロで走れたら燃費は断然よくなる。そこで速度の低いときは電気で走るやうにして、60キロ走行の燃費をその自動車の燃費にしようとしたのがハイブリッド車である。

 ただし、電気のモーターだけで走れるのは低速走行時だけで、発進時や加速時にはガソリンエンジンの力がいる。モーターだけでは60キロまで速度は上がらないのだ。これらによつて、60キロ走行の燃費より悪くなる。

 また、発電した電気を溜めておくために電池を沢山積みこんでおく必要がある。その電池の重さを運ぶエネルギーが必要になる。これによつてもまた、燃費は悪くなる。

 さらに、その電気を発電するのはガソリンである。ガソリンエンジンが回転するときと、車が止まるときに発電するのだが、エネルギーが空から降つて来るわけではなく、やはりガソリンが元になる。だからその分だけ、燃費が悪くなる。

 ハイブリッド車はガソリン車で無駄になつてゐるエネルギーを電気に変へて使つてゐるだけであり、元のエネルギーを全てガソリンに頼つてゐることに変はり はない。ハイブリッド車にしたのに、たいして燃費がよくないといふ人がゐるのは当然なのである。(2006年1月24日)







 聖徳太子は推古天皇の皇太子だつたといふのに、なぜ天皇にならなかつたのかと思つてゐた。ところが、聖徳太子は架空の人物で実際にはゐなかつたと言はれて納得した。

 聖徳太子を作つたのは天武天皇ださうである。この頃の皇室の系図を見ると、すさまじいことになつてゐる。

 天智天皇の弟の天武が、天智の息子大友皇子を殺して天皇になつたことは壬申の乱で有名だ。その天武が死ぬと妻の持統が、天武の先妻の子大津皇子を殺し、 若死にした自分の息子の草壁皇子の代りに天皇になつた。持統は自分の孫で草壁皇子の子(十四歳)に位を譲つた後も、太上天皇になつて頑張つた。持統とは皇 統を持したといふ意味だ。

 その文武天皇が二十五歳で若死にすると、今度はその母親が元明天皇になつた。その元明は、草壁皇子と自分の間に生まれた娘である元正天皇に譲位した。文 武の子で天武のひ孫(聖武天皇)が大人になるのをじつと待つてゐたのだ。天武の宮廷が女帝を立てて必死に権力を維持してゐた様子がよく分かる。

 そして、この宮廷が政権維持のために、次期天皇をあらかじめ決めるために作つたのが皇太子の位だ。その地位に将来の聖武天皇を就け、皇太子の神聖な前例として作つたのが聖徳太子なのである。モデルは中国の梁の昭明太子だつた。

 この聖徳太子伝説を作るのと同時に天武の皇統の正当性を証明するために天武の宮廷によつて編まれたのが『日本書紀』なのである。この史書作りに聖武の后の父藤原不比等が熱心に関はつてゐた。十七条憲法も不比等が作らせたものだつた。

 「聖徳太子はいなかった」といふ人たちのストーリーは以上のごとくである。谷沢永一氏が書いたこれと同名の本では、聖徳太子がゐた証拠が学者たちによつて悉く反証されてきた様子が分かりやすく描かれてゐる。(2006年1月23日)







 アメリカ牛肉を日本が輸入する基準は生後20ヶ月以下となつてゐる。なぜ20ヶ月以下かといふと、日本で狂牛病を発症した最も若い牛が生後21ヶ月だつたからである。

 しかし、それは日本の牛の話であつて、アメリカの牛の話ではない。日本はアメリカの牛のデータから決めた基準ではなく、日本の牛のデータから決めた基準によつて、アメリカの牛の輸入を制限してゐるのである。こんな不合理なことはない。

 その上、牛肉の危険部位除去は、世界の基準では生後30ヶ月以上だ。危険部位さへ除去すれば、どの牛も安全になるからである。

 ところが、日本はアメリカに20ヶ月以下の牛でも危険部位の除去を要求してゐる。狂牛病を発症してゐないどんな子牛でも狂牛病に感染してゐる可能性があつて危険だからといふのである。

 こんな不合理で身勝手な基準で日本はアメリカ牛肉の輸入を拒んでゐるのである。日本の都合にこれ以上合はせられないと、アメリカがいつ怒り出しても不思議ではない。(2006年1月22日)







 ライブドア関係者の自殺について「誠に悲しい出来事で、冥福をお祈りする」といふ談話が出た。一瞬、ライブドアの人の言葉かと思つたが、驚いたことに東京地検の次席検事の言葉だといふ。

 「男性は事件の関係者と認識していたがこれまで事情聴取はしておらず、18日も事情聴取の予定はなかった」といふ地検の言葉をそのまま信用すれば、悪事に関与してそれを隠すための自殺だつたやうに見える。

 ところが、事実はさうではなかつた。自殺の前日の17日に彼は地検によつて自宅を家宅捜索され、午前三時まで事情聴取され、パスポートまで根こそぎ何もかも持つて行かれてしまつたのだ。

 彼は地検の捜査官によつて屈辱的な目に遭はされたのである。この自殺は「国外に出るなといふなら、沖縄ならいいのだらう」といふ恨みのこもつた、抗議の自殺だつたに違ひない。それを知つてゐたからこその次席検事の言葉だつたのである。

 これまでに警察や検察の事情聴取による屈辱からどれだけ多くの人が自殺に追ひ込まれたか。株取引の世界が何でもありなら、警察・検察の世界もまた何でもありの世界なのである。(2006年1月21日)







 自転車に傘を付ける器具がある。「さすべえ」を筆頭にして類似品がいろいろ出てゐるが、こうもり傘タイプしか装着できないのが難点ではないか。

 出掛けるときから雨が降つてゐるなら、最初からこうもり傘を装着して出掛ければよい。しかし、出掛けるときに晴れてゐる場合に普通持ち出すのは折りたたみ傘であつて、こうもり傘ではない。しかし、折りたたみ傘の柄は取り付けられないのだ。

 そこで、日頃からこうもり傘を自転車で持ち歩くために、こうもり傘ケースを付けた「さすべえ」が売り出されてゐる。しかし、いつもこうもり傘を持ち歩くのはやはり滑稽であるし、面倒である。

 それ以上に、雨が降つてゐないときに「さすべえ」の棒だけを自転車のハンドルの前に付けて走るのも滑稽ではないか。と言つて、日傘であれ雨傘であれ大きな傘をいつも自転車に付けて走るのは大変だ。

 第一、見通しが悪い。第二に、風の影響をもろに受ける。前からの風だと進みにくくなるし、それ以外だと風にあおられ、挙げ句に倒される恐れがある。

 こんなものが大阪のおばちやんの間で人気だといふ。大阪のおばちやん恐るべしである。(2006年1月20日)







 『昭和天皇独白録』といふものがあるが、私は偽書だと思ふ。

 マッカーサーに対して、戦争責任は自分にあると言つた天皇が、裏に回つてそれを否定するやうなことを側近にしやべつてゐたといふことが何よりおかしいのだ。

 『マッカーサー回想録』には会見に訪れた天皇がまづ最初に「私は、国民が戦争遂行にあたって、政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対する、全責任 を負うものとして、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためにおたずねした」と言つたといふことが、感動を込めて書かれてゐる。

 『独白録』はマッカーサーの前に現はれたこの高潔な人格者たる昭和天皇を否定するものだ。

 内容は軽薄で重みがない。それより何より天皇が過去を回顧して側近に対して評論家のやうな口調でぺらぺらとしやべつたなどあり得ないと考へられる。特に、盧溝橋事件を日本側が仕掛けたことだとか、終戦を自分の手柄のやうに言つたなど、とんでもないことだ。

 自分の地位の重みといふものを昭和天皇は誰よりも熟知してをり、御前会議でも自分の意見を言つたことがない天皇である。その天皇がこんなものを命じて書かせたわけがない。東京裁判に備へて、天皇の戦争責任の追求を恐れた側近が勝手に作つた物ではないか。

 評論家の谷沢永一氏が一刀両断に偽書と断じたのを知つて、さもありなんと思つたものだ。(2006年1月19日)







 自転車用のライトで「マジ軽ライト」といふものがある。ペダルが重くならないといふ宣伝に引かれて取り付けてみたが、それなりに重い。

 普通の自転車用のライトは、点灯するとペダルがはつきり重くなる。タイヤの回転をダイナモといふ発電機に伝へて点灯する際、ダイナモがタイヤを押さえつけて回るのでペダルがかなり重くなる。

 「マジ軽ライト」はその接触がないので軽いといふ。しかし、考へてみれば、電気を生み出すエネルギーはやはり自分の足の力である。その分、ペダルが重くなるのは当然で、何もないより重くなる。

 発電機の中身はモーターと同じで、永久磁石の磁場の中でコイルを巻いた物を回転させて電気を生みだす。ブリヂストンなどのオートライトも、前輪の軸に発電機が組み込まれただけで仕組みは同じである。だから、オートライトも、何もないよりはペダルが重くなる。

 「マジ軽ライト」は、前輪のスポークの表面に平たいブーメラン形の強力な永久磁石を三枚、円状に貼り付けて、ライトの中に仕組まれたコイルのすぐ横を車 輪の回転によつて通過させて発電する。コイルをではなく磁石を回転させるといふ逆転の発想から生まれたものだ。しかし、「ペダルを踏んでも重くなることが ありません」は言ひ過ぎだらう。

 その他に、明かりの輝度が低い、すぐに点灯しない、昼間でも発電してゐる、発電の振動がハンドルに伝つて来るなどあるが、これまでのやうに点灯し忘れたり電池がなくなつたりして、無灯火でお巡りさんに注意されることはないと信じてゐる。

(後記;以上は、自転車屋に付けてもらつたままの感想である。自分で磁石とライトの間隔を金具の許容範囲で目一杯離すとペダルは大分軽くなつた。ただし、点灯が遅くなり、必死でこがないと光が弱い気がする)(2006年1月18日)







 日中戦争は侵略戦争だつたとよく言はれるが、これは嘘である。日本は日中戦争を早く終はらせたくて仕方がなかつたのである。

 そのために日本は蒋介石と交渉したり、戦かつたりしたが、どちらによつても蒋介石は戦争を終はらせることに同意しなかつた。

 もし侵略戦争だつたら、戦争を終はらせようとする必要はなく、例へば南京をとつた時点で、中国の半分は日本の領土なりと宣言して、蒋介石には重慶で中国政府を維持させてをれば良かつた。実際、多くの中国を侵略した北方民族はさうしてきた。

 ところが、ひたすら戦争を終はらせたい日本は、困りに困つた挙げ句に「爾後(=以後)国民政府を対手(=相手)とせず」などと言ひだして、その後、汪兆銘に傀儡政権を南京に作らせて、戦争終結の格好を作らうとしたのである。

 侵略戦争とは領土拡張のために行ふものだ。ところが、日本はドイツなどと違つて、日中戦争で少しも領土を拡張しなかつた。それは出来なかつたからではない。する気がなかつたのである。(2006年1月17日)







 日本はよく男社会だといふが、今ではほとんどの場面で女性上位になつてゐる。まづ家庭がさうだ。ほとんどの家庭は奥さんが財布を握り旦那を尻に敷く女性上位である。

 家事は殆どが電化されて昔に比べて楽なことこの上ない。家事の中で電化されないのは子育てだけだが、それすら大変だから亭主が手伝へと政府が女性優遇を奨励する。

 かくして女性には殆どすることがないので、自由時間がたつぷりあり、その結果、テレビ番組の観客席に昼間から座つてゐるのは殆どが女性といふ女性優位ぶりだ。

 それでも離婚をすると旦那が汗水垂らして稼いだ金の半分を内助の功とか言つて自分のものに出来る。楽して稼げるこれほどの女性上位はない。

 外へ出ても、今では男にはない女性割引や女性専用車両がある。性的被害を訴へる女性の言ひ分はほぼ証拠なしに信用してもらへ、法廷でも特別扱ひの女性優遇がある。

 男性優位の名残が残つてゐるのは、わづかに会社と甲子園の高校野球ぐらいのもので、全てを差し引きすれば、男女同権どころか、日本はとつくに女社会なのである。

 その上に、女性天皇になつて、民間から一人の男が皇室に入つて名実ともに妻の尻に敷かれることになり、かくして女性が支配する女性国家が完成するのである。(2006年1月16日)







 内閣府の世論調査によると「夫は外で働き、妻は家庭を守る」といふ考へに賛成する割合は、25年前は7割を越えてゐたが、今は約半数だといふ。

 この25年にこの考へ方を持つ人が少なくなつたことと、その間に少子化が進行したことの間に因果関係を認めるのが自然な発想だらう。

 ところが、学者の考へはその逆で、共働きを認める考へ方が広まれば、少子化は改善されるといふのである。なぜさうかといふと、欧米諸国でさうなつてゐるからなのださうだ。しかし、日本ではさうなつてゐない。何故それを認めないのか。

 欧米諸国のデータは日本には当てはまらない。それは、アングロサクソンの女性の巨大な体躯と日本女性の小さい体を比べるだけで、一目瞭然である。

 共働きをして家庭と仕事を両立させる欧米諸国の女性たちのやうな体力が日本の女性にはないのだ。日本では共働きが増えれば、少子化は益々進行する。さう考へるのが論理的といふものである。(2006年1月15日)








 人のお金を取りたければお金をじかに手にする方法を考へないといけない。人の子供を先づ盗んでそれと引き換へに金を手に入れようとするのは、実にまづいやり方だ。

 子供を盗んだ時点で自分は犯罪者だと宣言してしまつてをり、もう誰も金をくれなくなる。

 オレオレ詐偽といふのが流行つたが、あれも銀行に振り込ませるまではよいとして、その金を銀行から引き出すのが大変ではないのか。銀行の現金自動引き出 し機には目の前に防犯カメラが構へてゐて、おいそれと人の金を引き出せるやうにはなつてゐない。だから、実際に犯人の手にどれだけの金が渡つたかは疑問 だ。

 保険金詐欺も非常にまずいやり方だ。今どき正規に請求しても保険会社はなかなか金を払はない。少しでも疑はしければ、裁判になつても絶対に払はない。掛け金丸損である。

 その点、パチンコ屋の金庫を狙ふのが、賢いと言へば一番賢いかもしれない。もちろん、私は強盗を勧めてゐるわけではない。(2006年1月14日)







 男女同権とかいつて、あらゆる職種に女性が進出してくるが、そんなにいいことなのか。例へば、私はよい女医に出会つたことがない。

 初診で丁寧に症状を訴へても、何も答へずに機械的に治療の作業に入る、患部の近くの男の一物が目に入るのを嫌がる、患者が思ふやうに動かないと看護婦に命じて人を物のやうに扱はせる、前の医者のうまく行かなかつた治療法を言ふとそれを聞いて笑ふ。

 もちろん、男性の駄目医者にもたまに会ふことがあるが、女医で印象に残るよい医者に出会つたことはない。

 仕事中に個人的な感情を態度に出す女性が多く、仕事で権威を笠に着る女性にもよく会ふ。医者が有名だとその看護婦は必ず偉さうにするものだ。

 女性は「実るほど頭(かうべ)が垂れる」といふことがまずない。偉くなるほどそれが態度に出る。総じて女性は階級意識が強いのではないかと思ふ。

 だから、女性の社会的地位が上がれば上がるほど、社会は住みにくくなること確実である。(2006年1月13日)







 NHKで放送された名探偵ポアロ・シリーズ『杉の柩』の分かりにくい所を整理してみた(要注意!種明かしあり)。

 大金持ちのウェルマン夫人には隠し子がゐた。庭師ルイス・ジェラードとの間に出来たメアリである。

 ルイスは戦争ですぐに死んでしまつたが、夫人は生まれた子をルイスの妻の養子にして、手厚い金銭的保護を与へた。ただし、生まれの真相はメアリには秘められてゐた。

 死の床にあつたウェルマン夫人の心にあるのは今もルイスのことであり、彼の軍服姿の写真を大切にして、床の中で見入るのだつた。

 ところが、最近になつて、メアリの養母である庭師ルイスの妻は、ニュージーランドに住んでゐる妹のメアリ・ライリーに、養女の実の母がウェルマン夫人であることを手紙で伝へた。

 看護婦であるメアリ・ライリーは、夫人から実の子メアリ・ジェラードに遺(のこ)されるだらう巨大な財産を横取りしようと企てて、ホプキンスといふ偽名を使つて屋敷に入り込んで、夫人の看護をしてゐた。

 この状況の下で、ウェルマン夫人が死に、次いでメアリがエリノアの作つた料理を食べた直後に死んでしまふのである。

 これだけの事を確認してから見直すと、真犯人が最後の最後まで分からないやうに作られてゐる事がよく分かるだらう。(2006年1月12日)






 サッカーで一つ気に入らないところは、反則も戦術のうちであることだ。

 ボールを取りに行かずに相手を倒しに行くのは反則である。それがひどい場合には退場になるが、それは余程のことで、大抵はペナルティーキックが相手に与へられて、それでお仕舞ひである。つまり、反則してもいいのである。

 だから、サッカーでは故意に反則をするのが普通になつてゐる。そこが野球と一番違ふところで、野球ではデッドボールや守備妨害は普通には行なはれない。

 最近のサッカーはフィジカルの強いサッカーが持てはやされてゐるさうだ。しかし、フィジカルが強いサッカーは得てして反則の多いサッカーになる。ボールをとるために体をぶつけることが多くなるからだ。

 今年の全国高校サッカーでは、フィジカルの強い有名高校のエースが警告累積で決勝に出られず、技術を重視する無名の高校が勝つた。

 メキシコ五輪で銅メダルをとつた日本の試合を見ると実にきれいにボールを取つて得点してゐる。やはり日本人はフィジカルではなく技術だと思ふ。(2006年1月11日)







 週労働時間50時間以上の労働者の割合は日本が28.1パーセント、アメリカが20パーセント、それに対してフランスやドイツは5パーセント台だ。

 このデータを見てある新聞は日本の「就業時間が他の先進国に比べて長く、男女ともに子育ての余裕を持ちにくいという事情がある」と書いたが、これはこじつけではないか。

 このデータの中では確かに出生率の一番低い日本が労働時間の長さで一位である。しかし、この中で出生率の一番高いアメリカが労働時間の長さでは二位になつてゐるのはどういふことか。

 このデータから分かることは、労働時間の長さと出生率の高さは関係がないといふことではないのか。

 しかも日本で残業するほど仕事があつて夜遅くまで電気がついてゐるのは大手の超一流企業が主である。その社員の割合がこの数字に現はれてゐるとも考へられる。

 どうやら、一概に「就業時間」の長さと「子育て」を結び付けるのは正しくないやうである。(2006年1月10日)







 テレビを見てゐると「日本が行なつた戦争によつてアジアの国々に多大の被害を与へた」などと言ふのが聞こえてくる。戦争は相手がなければできないはずなのに、日本は一人で戦争をしたのだらうか。

 決してさうではない。日本は欧米諸国と戦つたのである。では、欧米諸国はアジアで何をしてゐたのか。彼らは武力によつてアジアの国々を植民地支配してゐたのである。

 日本が戦争を始める前にアジアの人たちは平和に暮らしてゐたのではない。アジアの平和はすでに欧米諸国による植民地戦争によつて壊されてゐたのである。

 欧米諸国がアジアで植民地戦争を起こさず、それぞれ自分の国だけで平和に暮らしてゐたのなら、日本との戦争は起きずに済んでゐたのである。

 だから、アジアの国々が戦争で被害を受けたとしても、その責任が日本だけにあるかのやうに言ふのは間違つてゐるのである。

 日本の放送局なら「欧米諸国が始めた植民地戦争によつてアジアの国々に多大の被害を与へた」と言つても何の差し支へもないはずである。(2006年1月9日)







 少子化問題で子供の出生率を考へるとき、日本を単純にフランスやアメリカと比べるべきではない。

 これらの国の出生率が日本より高いとしても、それは移民や外国人が全人口の何割も占めてゐるといふ要素が大きいのである。

 その何割もの人たちは、国の経済発展(これには労働条件の向上も含まれる)から置いてけぼりにされて、貧しい暮らしを強いられてゐる人たちであり、「貧乏人は子だくさん」といふ格言がなほ生きてゐる人たちである。

 それに対して、日本はほぼ単一民族によつて構成されてゐる。日本にも在日朝鮮人やアイヌ民族がゐるが、全部で60万人ほどしかなく、総人口の1パーセントにも満たない。

 日本はフランスやアメリカと違つて、国の経済発展から除け者になつた人たちはあまりなく、国民全体の生活水準が向上してきた。そのおかげで国民全体が「貧乏人は子だくさん」状態から脱してしまつたために、出生率が下がつたと考へることができる。

 フランスやアメリカの出生率が高いとしても、それは決して誇れることではないかもしれないのである。(2006年1月8日)







 今の時代は誰もが自分の家を持ち、どの家にも一台以上の車があるのが普通になつた。しかし、そんな暮らしを維持したければ、とても旦那の稼ぎだけでは足りずに、夫婦共働きにならざるを得ない。

 昔は貧しいから共働きをしたのに、今では豊かだから共働きをするのである。

 一方、例へば、明治時代の夏目漱石は今のお金で月給二百万円以上の高給取りだつたが、家は借家だつた。古典落語を聞いてゐると布団まで借り物で済ましたといふ話がある。昔はなるたけ何でも借りて済ましたらしい。

 ところが、今の家族は自給自足家族で、何でも買つて所有しないと済まない。物を買ふためには一度に沢山の金が要る。その上に、家や車を買ふのにローンを組まなければならない。

 昔は家を借りたが、今は家を買ふために金を借りる。物を借りるのと金を借りるのとでは、気持ちにかかる重圧が全く違ふ。

 これでは安心して子供は作れまい。(2006年1月7日)







 最近、日本人の間に所得格差が広がつて日本は階級社会化してきたといふ考へ方がある。しかし、扶養家族である独身者やパート、フリーター、ニートを別に扱つて、所得格差だと言つてをり、こじつけの感が強い。

 自分の家を持ち自分の車を持つてゐれば、昔で言ふなら小ブルジョアで中間層だ。戦後の日本人の九割が中流意識を持つやうになつたのは、この事実を反映してゐるのである。

 借家に住んで自分の家を持たなかつた夏目漱石はその意味では、高給取りではあつたがプロレタリアであり下層階級だつたのである。

 もともと戦後の日本人の中流意識とは、結婚して家を持つて一人前になつたといふ意識であり、それが社会に対する帰属意識なのである。だから、金銭的な所得格差がいくら広がらうと、総中流意識に変化はない。

 この意識を守るために、多くの家族が共働きをしてぎりぎりの線で頑張つてゐる。この努力が大量に破綻しない限り、日本が対立を含んだ階級社会になるはずはないのである。(2006年1月6日)







 郵便局のアルバイトが年賀状の配達が面倒くさくなつて雪のなかに埋めたといふニュースを聞いて、この前の選挙で小泉首相が「公務員じやなきやダメだつて言ひながら、郵便局は年賀状の時期にアルバイトを雇つてゐるんです」と絶叫してゐたのを思ひ出した。

 実際、郵便局が年賀状の配達に公務員でないアルバイトを使ふと、案の定、こんな事が起きる。だからやつぱり公務員でないと駄目だと国民が気付いたとしても後の祭りである。

 しかし、郵便局にとつて年末年始は稼ぎ時で猫の手も借りたいから、民営化しても年賀状は正社員ではなくアルバイトが運ぶことに変はりはないだらう。

 そのアルバイトが運ぶ年賀状は一度に重さにして何十キロにもなるといふ。つまり、一回一万通以上を運ぶ計算になる。一枚五十円の年賀状が一万通で五十万 円。郵便局はもつと日当を弾んでゐたら、アルバイトを懲戒免職にするといふ滑稽な事態を避けられたのではないか。(2006年1月5日)







 今の日本で女性が世帯主である家族は、夫を亡くした家族を除けばほとんど皆無だらう。家に男の子が生まれず養子をとる場合も、世帯主はその男性になる。

 いくら男女同権の世の中だと言つても、世帯主にまでそれを適用してゐる家族はない。ところが、それを天皇家に適用しようとしてゐるのが、今度の皇室典範改正案だ。

 天皇制も今の考へ方で女性天皇でよいといふ人がゐるが、その今の考へ方では女系はおろか女性天皇もあり得ないことになる。

 たとへ血筋はつながつてゐても、女性は家族の長にはしないのが今の考へ方だからである。

 もちろん、家の中で亭主を尻の下に敷いてゐる主婦はいくらもゐようし、養子は肩身が狭いだらうが、家の表札の一番前には男の名前を書くのが、今の考へ方である。

 さらに、男の子が生まれたら、その子を家の跡取りにするのが今の考へ方である。今度の皇室典範改正案は、どこから見ても今の考へ方とは合致してゐないのである。(2006年1月4日)







 行きつけの店で店員の対応が少しでも悪いと行かなくなつてしまつた経験は誰にでもあるだらう。さういふことが重なるとその店はつぶれてしまふ。商売人にとつて客の機嫌を損なはないことほど大切なことはない。

 日本が材料を輸入して製品を輸出する加工貿易を主にしてゐたころ、日本はまさにこの商売人の立場だつた。だから、日本の外交は土下座外交だつた。

 しかし、今の日本はもはや加工貿易ではない。むしろその逆であり、特に中国に対しては商品を買ふ客の立場にあることは明白である。だから以前のやうに中国の機嫌を損ねないことを第一とする外交姿勢をとる必要はなくなつたと言へる。

 むしろ日本は客なのだから商売人である中国に対してあれこれと注文する立場になつたのである。日本政府の中に公然と中国を批判する政治家が現はれたのは、だから当然のことなのである。

 政治とは時代の変化を忠実に反映するものだし、またさうでなければならない。外交とて同じことだ。元の土下座外交に戻れといふのは時代錯誤なのである。(2006年1月3日)







 耐震偽装問題に関するこれまでの報道からは、建設会社の東京支店長やコンサル会社の代表が悪者で、建築士は気の弱い善人のやうに見えてゐた。ところが、その後の展開から、この報道は間違ひだつたことが明らかになつてきたやうだ。

 といふのは、問題の建築士より少ない鉄筋量でも耐震強度に問題ない物件が出て来たからだ。といふことは、この建築士の能力に問題があつたらしいといふことになる。

 鉄筋量を減らせと言はれて、問題の建築士はただ単に鉄筋の数を減らすことしかできなかつたが、他の建築士は鉄筋で強度の減つた分をほかでまかなふ工夫の仕方をちやんと知つてゐたのだ。

 そして「鉄筋を減らせと言つたのは法律の範囲内だつた」といふ支店長の証言も、「我々は被害者だ」といふコンサル会社代表の発言も、まんざら嘘とは言へなくなつてきたのだ。

 かうなるとマスコミの書いた筋書きは大外れといふ訳で、こんな売れないニュースはテレビでも大きく扱はれず、新聞でも一面扱ひではなく社会面の隅つこに追ひやられてしまつたのである。(2006年1月2日)







 『星の王子さま』の新訳が出たといふことで、ネットで探してみると池澤夏樹氏の訳の最初の方が読めたが、いきなりその第一頁の「ぼくはジャングルの冒険についていろんなことを考え」といふ一文がひつかかつた。

 この文は前後と脈絡が通じてゐない。この段落は「ジャングルの冒険」について書いたものではないし、「ジャングルの冒険」は次のあの有名な帽子のやうな絵、ウワバミに飲み込まれたゾウの絵とつながらないからである。

 原文を見ると「J'ai alors beaucoup réfléchi sur les aventures de la jungle」となつてゐる。英訳はかうだ「I pondered deeply, then, over the adventures of the jungle.」。

 先づこのうちのjungleだが、作者である「ぼく」が読んだ本は「ジャングルの冒険」の本ではなく、「原始林のことを書いた『ほんとうの物語』」(池澤氏訳)だと最初にある。ならば、jungleは「原始林」のことだらう。

 次にaventureだが、これは冠詞がついて特定のものごとを指してゐるし、aventureには「冒険」のほかに「意外な出来事」といふ意味があるから、直前に作者が読んだ、ウワバミが動物を噛まずに丸飲みしてそのまま半年寝てしまふ といふ不思議な出来事を指してゐるのだらう。

 ついでに、beaucoupは「いろんなことを」ではなくここでは「じつくり」であらう。

 以上から、この一文は「ぼくは原始林のこの不思議な出来事についてじつくり考へて」となるべきだらう。jungle を「ジャングル」はいいとしても、 aventure (adventure) を「冒険」とか「探検」とか訳してゐるものは、やめておいた方がよいかもしれない。(2006年1月1日)

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