退廃したローマに警鐘を鳴らしたタキトス



 ゲルマン民族の大移動といえば誰でも一度は聞いたことがあるだろう。ゲルマニアとはそのゲルマン民族の住んでいた所のことだ。英語でいうとGermanyで今のドイツのことになる。

 タキトス ( Tacitus 55-115 ) は西暦97年頃、このGermanyについてローマ人に報告するためにこの本を書いた。そしてGermanyがローマにとって大きな脅威であることを説いた。

 文明の爛熟がローマに退廃をもたらしたことに比べて、ゲルマニアの文明の遅れが強さを保つのにどれほど役立っているかを説くタキトスの言葉には説得力がある。実際467年のゲルマン民族の大移動でローマが滅亡したことを思えばなおさらだ。

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 「アグリコラ」はタキトスの義理の父親のことを書いた伝記だ。

 帝政ローマの上流階級の人たちの生い立ちと出世コースを知るのに便利な書物だ。また、ここには昔のソ連で見られたような恐怖政治が古代ローマにすでにあったことを教える恐ろしい証言もある。

 しかしそれよりおもしろいのはこの書物の中にある、その時代のブリタニアに関する記述だ。古墳時代の日本のように野蛮な暮らしをしているブリタニア人の姿がそこに見られる。

 この「アグリコラ」はイギリス人にとって、そして「ゲルマニア」はドイツ人にとって、まさに日本人にとっての魏志倭人伝のような意味を持っていた。それぞれの国について、文字による記録が始まる以前の唯一の記録だからである。

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 1/6/98の朝日新聞で弓削達氏が

「歴史家タキトスの書物によれば、紀元一世紀の末、はじめてローマの侵略を受けたスコットランドの族長は『略奪、殺りく、強盗をローマ人は偽って支配と呼び、荒涼たる原野を作ってそれを平和と名付ける』と喝破した。昔からどこでも、支配者や侵略者は常に支配の現実を隠ぺい美化したのである」

と言っておられるが、その書物とはタキトスのこの『アグリコラ』のことである。

 本訳では、その部分の前後も含めて訳出して読者のご高覧に供している。

 族長のせりふは『アグリコラ』の30~32節であるが、29節から始めた。

 もっとも、弓削氏の言う「侵略をうけた周辺の民族は『ローマの平和』のまやかしを見抜いていた」という主張には疑問がある。

 なぜなら、この族長カルガクスの台詞はタキトスが周辺民族に取材して再構成したものではなく、タキトス以前の作品を参考にしてタキトス自身が創作したものだからである。この事実は歴史学者である弓削氏が知らぬはずはない。

 『アグリコラ』の中の現地民の台詞が取材によるものでなく、以前の作家のまねであることの例としては、例えば、15節のブリタニアの部族長ブーデッカの兵士たちへの激励演説を挙げることができる。

 ここで使われている「自分たちのほうが敵よりも大きな危機に瀕しているから敵よりも大胆な攻撃ができる」という論理は、そのまま前述のカルガクスも使っているが、それはローマの歴史家サルスティウスが書いた『カティリナ陰謀』の中で、ローマ人であるカティリナが最後に兵士たちを激励する台詞(58)の中でを使った論理と同じである。

 タキトスはこの『アグリコラ』を書くにあたって、多くを他人の書いたものに負っていることは学者たちの間では常識である。それは、注釈書にこれでもかこれでもかというほどに書かれている。弓削氏が引用したカルガクスの侵略批判の台詞も他の台詞と同じ様に、タキトスがローマ人の弁論の常套句をまねて作ったものであり、けっして周辺民族の肉声を伝えたものではないのである。

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