翌年(84年)の夏の初め、アグリコラは一歳になる息子の死という私的な不幸に出会いました。しかし、彼はこの不幸をけっして女々しく嘆き悲しむこともなければ、人に弱みを見せたがらない男たちのように、無理に強がって見せることもなかったのです。戦いを推し進めることが、彼にとっては悲しみを紛らせる一つの方法でした。そこで彼はまず艦隊を派遣して略奪行為を行なわせ、各地に騒乱状態を引き起こしました。続いて彼は、軽装備の軍隊を長年の平和によってその忠誠心が確かめられた最強のブリタニア兵を含めて編成すると、これを率いてグラウピウス山まで進みました。この山は当時敵によって占拠されていたのです。
というのは、ブリタニア人は先の戦いにおける敗北に挫けるどころか、その仕返しを目論んでいたのです。それに失敗すればローマの奴隷となる覚悟をしていました。また彼らは共通の危機は一致団結して撃退すべきであることにやっと気づいていました。使節を派遣したり協定を結んだりして全部族から軍勢を呼び集めていたのです。すでに三万を越す軍勢が集結しているのが見えました。そこへさらに若者たちや、戦功高く勲章を下げた元気な老兵たちが、ぞくぞくと集まって来ました。そのとき、多くの指導者たちの中でも血統と徳性の抜きんでたカルガクスが、戦いにはやる群衆に向かって次のように話しかけたのです。
第三十章
「我らが戦うに至った止むに止まれぬ理由と、我らのこの追いつめられた状況を考えると、わたしはこうしてみなが集まった今日の日が、全ブリタニアの解放の始まる日となることを確信している。隷属することを知らないお前たちが、全員一つになったのだ。しかも、我らの後ろにはもう陸地はなく、あるのはローマの艦隊がうようよいる危険な海だけなのだ。最早こうなった以上は、武器を手にして戦うことが勇敢な者にふさわしいだけでなく、臆病者にとってもそれが彼らに残された唯一の安全策だ。
「これまでブリタニア人は、気紛れな運命に翻弄されながらローマとの間に戦いを繰り広げてきたが、我らの軍勢こそはこれまでの戦いの最後の希望の拠り所なのだ。なぜなら、それは我らがブリタニアで最も勇敢な民族であり、その我らがこうして一番後ろの奥まった場所に控えているからだ。さらには、隷属の岸辺が見えないところに住む我らには、見るも汚らわしい圧制を知らずにきているという利点もある。
「大地の果てに住む我らは、ブリタニアの自由の最後の砦だ。この我らが今日まで侵略を受けずにきたのは、まさにこの奥地に住んでいること、誰にも知られずにきたことのおかげだ。しかし、いまやブリタニアの最果ての地が侵略にさらされている。そして未知のものの価値が突然跳ね上がったのだ。しかし、我らの後ろには最早いかなる民族も存在しない。あるのはただ、波と岩と、そして何より恐ろしいローマ人だけだ。従順さや温厚さを見せて、傲慢な彼らの手から逃れようとしても無駄なのだ。
「彼らは世界の収奪者だ。全てを奪いつくす彼らはもはや略奪すべき陸地がなくなると、今や海の上をあさり回っている。彼らは、敵が裕福なら金を狙い、敵が貧乏なら名誉を狙う。世界の半分を支配してもまだ満足できない連中なのだ。富と貧困を同じ熱意で追い求めるのは、世界広しと言えども彼らをおいて他にない。強盗を働き、虐殺を行ない、略奪行為をして、それを彼らは統治という偽りの名前で呼び、廃虚をこしらえて、それを彼らは平和と名付けるのだ。
第三十一章
「自分の子供や肉親を何よりも大切に感じるのはごく自然なことだ。ところが彼らはこの大切な者たちを、他国で奴隷するために徴兵と称してさらっていくのだ。妹や妻たちは敵の兵士の情欲の餌食になるか、それを免れたとしても味方や客を装ったローマ人たちによって辱しめを受ける。富や財産は税金として巻き上げられ、田畑の収穫はローマ人の穀物蔵を満たすために取り上げられ、その上、この体は、森や沼地を切り開くために、嘲罵にさらされながらへとへとになるまでこき使われるのだ。生まれついての奴隷なら、いったん売られたら後は主人に食わせてもらえるが、ブリタニア人は奴隷にされた上に、毎日毎日金を払って主人を食わせてやらねばならないのだ。おまけに、新入り奴隷が仲間の奴隷からなぶり者にされるように、この世界に古くからある奴隷社会の新入りとなる我々を、彼らはくず同然に扱って絶滅させようとしているのだ。要するに、ここには我々を生かしておいて働かすほどの農地も鉱山も港もないと言うのだ。
「その上、支配されたが最後、我らの勇気も我らの闘志もローマの支配者にとっては不愉快の種でしかない。これまで我らを守ってくれた遠隔地にいるという地の利も、支配者にとっては我らに対する不信のもとになるだけだ。だから、何より名誉が大切な者も、何より命が惜しい者も、支配者の情けに対する甘い期待はきっぱり捨てて、いまこそ勇気を奮い起こすのだ。
「女に率いられたブリガンテス族さえ、ローマのコロニーを焼き払って要塞を攻略したことがある。成功による油断さえなかったなら、彼らはローマの支配を脱することさえできたはずだ。我らの力はいまだ無傷に保たれている。我らの精神はいまだ文明によって弱体化していない。自由のために我らは訓練を積んできた。支配されてから後悔しても遅いのだ。さあ、戦いが始まったら、スコットランドにまだどんな戦士が残っているかを、やつらに見せてやろうではないか。
第三十二章
「ローマ人は平和なときには道楽三昧に暮らしている連中だ。その彼らが戦争になった途端に勇敢に戦えるようになるなどと、どうして信じられるだろう。彼らがこれまで勝利してきたのは、われわれがばらばらに戦ってきたからに過ぎないのだ。彼らは敵の欠点を味方の勝利に変えるがうまいだけなのだ。
「その軍隊もしょせんは様々な民族からなる混成部隊に過ぎない。だから勝っている間は団結しているが、いったん負け始めると、ちりじりに分裂してしまうに違いない。確かに、ガリヤ人やゲルマニア人、それに言うも恥ずかしいことだが、多くのブリタニア人が異国の支配者の兵隊になってはいる。しかし、彼らとて、ローマの奴隷になってからよりも、敵だった時間のほうが長いのだ。だから、彼らが信頼と忠誠の絆によってローマと結ばれていると思ってはならない。恐怖と威嚇が忠誠の絆になるとしても、そんな絆は脆いものだ。お前たちはそれさえ断ち切ってやればよい。そうすれば、ローマに対する彼らの恐怖は敵意に変わるに違いないのだ。
「おまけに、兵士を勝利へと奮い立たせる材料は、全て我が方にそろっているのだ。ローマ軍の励みとなるべき妻たちの姿は、彼らのかたわらにはない。兵士の敵前逃亡をとがめ立てする両親も来てはいない。彼らの多くは、もはや帰る祖国のない者たちだ。いや祖国はあったとしても、それは他人の国に過ぎないのだ。その上、少ない兵力をもち、知らない土地に対する不安を抱え、空も海も森も見るもの全てが初めてのことばかりだ。神はいわば手かせ足かせをはめられた敵を我らの手に委ねられたのだ。ローマ軍のこけおどしの外見や、金や銀のきらめきに、けっしてひるんではならない。そんなものは攻撃にも防御にも関係ないのだ。
「戦いが始まれば、敵の戦列の中に我が方の味方のいるのが分かるはずだ。敵のブリタニア人はわれわれと共に戦うべきことに気づくだろうし、ガリア人は以前の自由を思い出すだろう。また、最近ローマ軍から逃げ出したウシピ族のように、残りのゲルマニア人も逃げ出すに違いないのだ。
「あの戦列さえ越えたらもう何も恐いものはない。その先にあるのは無人の要塞と、退役兵の住むコロニーと、そして無法な支配者と、服従を拒む住民たちとの間で、争いの絶えない貧弱な町だけだ。さあ、このわたしの後について戦うのだ。さもなければ、厳しい税の取り立てと、鉱山労働などの苦しい奴隷生活が待っている。この苦しみに永久に耐えるのか、それともこの苦しみの復讐を今すぐこの戦場で果たすかは、お前たち次第なのだ。自分の先祖のこと、子孫のことをけっして忘れずに、さあ、進め」
誤字脱字に気づいた方は是非教えて下さい。
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