すばらしい沖縄旅行



---ただし、写真は一枚だけ


 両親に誘われて三人で沖縄旅行に行く。パック旅行はあちこち連れ回されて忙しいだけなので、最初は二人で行ってきたらと言っていたが、付き添いが必要と いうことでいっしょに行くことになる。

 C社主催の二泊三日の旅だ。この会社のパック旅行は自宅近くから空港までバスで送ってくれるので選んだ。旅行前日に会社から確認の電話がある。この町か らはもう二人参加することを知らされる。老人夫婦だろうかと想像をめぐらす。

 旅行第一日。七時に目覚ましを合わせたが、目覚ましが鳴る前に目が覚める。早起きをするのは久しぶりだ。日曜日の朝。この日の『遠くへ行きたい』の旅人 はわたしの好きな水木薫。早起きのご褒美と思ってテレビに見入る。持っていく荷物は着替えの下着、薄めのズボンとシャツ、カメラと電動歯ブラシぐらいのも のだ。

 八時三十分。役場前から迎えのマイクロバスに乗る。バスは定刻よりかなり早く来て待っていたようだ。我々のほかに予想通りの老人夫妻が乗り込む。10分 早く出発。添乗員は瀬戸朝香似の若い女性。途中で順に他の客を拾って明石から北上、伊川谷から阪神高速7号線に入る。

 同乗者は高砂から明石までに住む参加者。夫婦者が殆どで、その他に、おばはんの二人連れと母娘二人と我々三人。年齢はまちまちで高齢者から二十代まで。

 パック旅行は赤の他人の集まりであって、それぞれのグループの外の人間には無干渉でいるのが原則である。挨拶程度を交わすことはあってもそれ以上は目も 合わさないようにしながら旅を続ける。他人をそれとなく観察はするが、話しかけたりはしない。

 そのなかで一番目立ったのがおばはん二人組みだ。どの参加者も予定時間よりもかなり早く待ち合わせ場所に来るので、バスは待ち合わせ場所に予定時刻より どんどん早く着くようになる。したがって、二人目のおばはんの乗車場所には、かなり早く着いてしまい、ずっとこのおばはん一人を待って停車を続けることに なる。このおばはんは予定時刻通りに来た(以下このおばはんを「おばはんA」とする)。

 おばはんAの友だちであるもう一人のおばはん(以下このおばはんを「おばはんB」とする)は、これに対する批判的な雰囲気を察すると、おばはんAをか ばって「時間どおりに来て何が悪いの」と大きな声で毒づいてみせる。正論ではあるが、その品のなさで回りの顰蹙を買ってしまう。おばはんAは空港までの道 中、添乗員の女の子に一人で何事か話かけている。おばはんとは遠慮のないものらしい。

 しかし、わたしの興味を一番引いたのはこのおばはんたちではなく、最初から乗っていた母娘の二人連れ。前開パーキングのトイレ休憩で二人の存在に気づ く。娘はぽっちゃりタイプの色白、おかっぱで茶髪。母親の方は五十前か。おかっぱ頭の髪はソバージュで濡れたよう黒い。一見水商売風の美人。バスは中国高 速道から伊丹空港へ。

 バスを降りて空港のロビーに向かう。例の娘はかかとの高いサンダルをひっかけてカランカランと音をたてながら歩いていく。空港から先は添乗員が瀬戸朝香 からホンジャマカ石塚に交替。残念。姫路方面からの参加客と合わせて一行の総勢は40名以上。大型の観光バス一台がほぼ満員になる人数だ。航空券を受け取 るまで立って待つのがくたびれてしゃがみこむ。ふと見ると例の娘もしゃがんでウンコ座り。化粧も態度もまさにヤンキー風で、暇があるとタバコを吹かす。私 はウンコ座りにはならずキャッチャーになってミットを構える格好になってしまう。

 切符を受け取ると一路屋上の展望デッキへ。飛行機が飛び立つ様子を見学。それから空港の手荷物検査。少し緊張する。小さなハサミでも申告してくれと書い てある。カバンは日常持ち歩いているもので、先の丸い糸切りハサミが入っている。しかし、出すのも面倒だからそのままにしていると「ナイフかハサミはない ですか」と聞かれる。そこで「ないと言えばないな」というとそれですんだ。X線検査も通過して事なきを得る。しかし、あとでハサミは家に置いて行くべき だったと後悔することになる。

 手荷物のX線検査では未現像の写真のフイルムも心配だったが、機械に「この装置は、ISO1600の高感度フィルムを通しても全く影響ありません」と書 いてあるので、カバンの中に入れたままで機械を通す。普通のフイルムはISO800以下だから問題はないはず。フイルム会社のホームページを見ると空港の X線検査に対してはかなり神経質なことが書いてある。フイルムはまとめてビニール袋に入れて手に持つのが一番安全だとも言われている。しかし、国内ではそ こまでする必要はない。実際、帰ってから現像に出したフイルムはちゃんときれいに沖縄の景色を写していた。

 出発ロビーまで来ると、窓の外に見えるジャンボジェットの大きさに感動。写真を撮る。ふと横の方を見ると同行のヤンキーのお姉さんはカウンター式の喫煙 場所に大柄の体を寄せて一服中。

 時間が来て、いよいよジャンボ機に乗り込む。日曜の午後の便なのに満員だ。横10列の座席にぎっしりと客が座る。沖縄は人気があるらしい。

 飛行機が飛び立つとエンジンの轟音がものすごい。座席のイヤホンで放送を聞く。NHKラジオのほかに、あらかじめ全日空用に録音した落語や、人気の鈴木 史朗、ユーミンなどのディスクジョッキーのチャンネルがある。イヤホンを通したほうが機内のアナウンスもよく聞こえる。座席の肘掛けの側面にはいろんなボ タンが付いている。ラジオのボタンはすぐ分かった。だが一番外の大きな丸いボタンは何だろうと思いながら押してみるが何も起こらない。座席の背もたれを倒 すボタンだということは帰りの機中で分かる。背もたれを背中で押しながらこのボタンを押すと少し倒れてくれる。

 全日空のスチュワーデスは美人揃いだ。フジテレビの内田アナとそっくりの美人がいたのには驚いた。「へー、世の中の美人はこんなところに集まっているの か」と感心する。テレビで見る女優たちとどこか似た顔をした女性ばかりだ。

 彼女たちは、コーヒーやジュースのサービスをしたり、機内販売をしたり、安全点検をしたり、仕事の内容は特に高級なものではないのだが、誰もが背筋を伸 ばして如何にも上品な笑顔を振りまいてみせる。誰もがプライドに満ち、自分がスチュワーデスであることに満足している様子である。それに引き替え自分の価 値は何だろうかと思ってしまう。

 途中、雲の中ではけっこう機体が揺れた。新幹線のような揺れ方だ。これでは本は読めない。天気が悪いと、そういうことがよくあるらしい。行きは胴体の横 についている主翼がよく見える席で、主翼が上下にきしむ様子がよく見える。こんなものなのだろうかと心配になる。

 飛行機が沖縄に近づくと窓の下に海面の波立つ様子が見えるようになる。かなりの低空飛行だ。あとで聞くと、沖縄の空は米軍と自衛隊と民間機で高度が別れ ていて、旅客機は一番下の三百メートルを飛ぶ決まりとなっているそうだ。どおりで低いはずである。

 那覇空港から飛び立つ飛行機も、少し上昇するとそのままの高度で向きを変えて水平飛行に入ってしまう。飛行機が雲の上に出るのは沖縄をかなり離れてから である。

 空港に着いて外に出ると、曇り空からはパラパラと雨のしずくが落ちてくる。その中をバス乗り場までかなり歩かされて、やっと地元の観光バスに乗る。座席 は日替わりで決められていて、三人のグループは横一列4席がもらえる。地元出身の若い女性のバスガイドが同乗して観光案内をしてくれる。そのほかに歌をう たったり、漫談をしたりする。しかし、漫談は聞きづらい。プロの芸人でも、客の気持ちをつかんで笑わせるのは難しいものだ。客の気が乗ってこないと、漫談 は中身のない与太話にすぎないものになる。

 たとえば、車酔いをしない方法を紹介しましょうと言うから真面目に聞いていると、まず一円玉を四枚出して下さいという。「ありましたか」と言いながら 待っている。次にそれを掌に握りしめるふりをして、上から下へ振ってみせる。「はい。よえん、よえん」。冗談なのである。他にも、学校の遠足で恩納岳(お んなだけ)に行くために「明日の遠足は恩納岳です」というと、男子は来なかったという話などをする。

 全部がこんな調子だから、真面目に聞く気が失せてしまう。次の話が始まっても、また変に乗せられるだけではないかと思ってしまう。高校時代の修学旅行の ときも、バスガイドの話を全然聞く気がしなかったのを覚えているが、同じ理由からだったと思う。バスガイドとはこういう駄洒落話をたくさん覚えていて毎回 同じ話をするものらしい。

 我々のバスガイドはもちろん沖縄美人だが、隣のバスのバスガイドの女性がすばらしいトランジスター・グ ラマーで、バスに乗り降りするときについついそちらの方に目を奪われる。彼女の話を聞かなかった分だけよけいに魅力的に見えたのかもしれない。でもやはり 彼女も恩納岳の話をするんだろうなあ。

 添乗員の主な仕事は人数確認と入場券や各種切符の手配である。各観光地やホテルの中での振る舞い方をこまごまと客に教えて、トラブルをあらかじめ防ぐの も重要な役割だ。上手にしゃべる技術が要求される。旅行の添乗員はただで観光ができていい仕事のように思われるが、なかなかそこまでの余裕はなさそうだ。

 昔東北旅行をしたとき、移動のバスの中で講談社現代新書『フランス語のすすめ』を読んだら意外とはかどったのを思い出して、今回もバスの中で何か読もう と古本屋で見つけたのが沢木孝太郎の『テロルの決算』である。私にとって日比谷公会堂といえば社会党委員長浅沼稲次郎刺殺で、この事件の当事者二人のこと を詳細に調べて、極めて客観的に書いた本だ。100円。

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グラマーな隣のガイドさん

 しかし、若い頃と違って走るバスの中で文庫本を読むのは非常に目が疲れて不可能だと分かる。帰りの飛行機の中で少し読めただけに終わった。

 ところで、パック旅行というのは観光地に行くだけではなくて、あちこちの土産物屋にも連れていかれる。ガラス作りの工房見学とあっても、その続きの売店 が主な目的地である。この土産物屋に行くのが日程のうちの半分ぐらいをしめている。

 最初の観光地は首里城。二千円札の守礼門の前の道に、着物に似た極彩色の民族衣装を着た沖縄女性が何人もいて、観光客に熱心に声をかけて何かを手渡そう としている。無視して通りすぎる。門の前で記念写真。首里城の中は本殿だけが有料。だが完全な再建物で歴史を感じることはなく、写真で見るのと変わらな い。内部も取り立てて言うほどのものはない。首里城は石組のしっかりとした城壁をもつ立派な城であることが分かる。

 次は万座毛(まんざもうと読む)。東シナ海に突き出た断崖のことだ。強風のせいで海の波が崖に当たって乳緑色に渦巻いているのを、風で体を飛ばされそう になりながら写真に撮る。右手に見えるのが有名な万座ビーチホテル。海に浮かぶ船のような形をしている。そのつぎは、お菓子御殿という名の土産物屋でお買 い物。実が紫色の紅イモというものから作ったお菓子が多く並んでいる。わたしは歩き疲れて店内の縁台に座って一休み。

 出口に来ると既にヤンキー娘は外にあるテーブルの椅子に座って一服中。この店の裏にはビーチがあって海辺の砂浜に出られるのだが、すごい風の上に長い階 段を下まで降りていく必要がある。ふと見るとその階段の上で、同じ町から来た老人が連れ合いに向かって降りようと言っている。ここまできたのだから何でも 見ておきたいのだろう。妻は疲れているといって嫌がると、老人は一人で大柄の体を揺らしながら階段を下の方へ消えていった。妻は夫の帰りを階段の上でじっ と立って待っている。なぜか一人でバスに戻ってしまいもせず、近くの椅子に座りもしない。
 
 第一泊目は、幸福という意味のかりゆしビーチ。ホテルの部屋でテレビをつけると、沖縄のテレビは民放が三つしかないことがわかる。TBSとテレビ朝日と フジの三系列だ。日テレがない。沖縄人は東京ドームの巨人戦を見ていないのだ。その代わりにアメリカ軍用の英語のテレビ番組がある。NHKのBSに加入し なくてもCNNの英語ニュースを生で見られるわけだ。

 添乗員が夕食は混みあうので八時ごろから行くとよいという勧めに従って、まず大浴場で風呂に入る。大浴場には露天風呂があるのだが、日が暮れてからの露 天風呂は何の景色も見えずに寒いだけである。昼間は観光だから、露天風呂を楽しみたければ、朝行くしかない。それから八時まで、部屋で「さんまのからくり テレビ」を見て過ごす。この日は「ご長寿クイズ」がないと分かると、テレビを消して食事に出かける。

 夕食は和食、洋食、中華、バーベキューの中から選ぶようになっている。添乗員の言葉とは違って、和食は満員なのでバーベキューの方に行く。焼き肉のこと である。プール際のオープンな感じの食堂だ。隣のテーブルには若い女性だけの三人組がいる。男の話をしているらしい。同じ食堂で、我々の添乗員が赤いアロ ハシャツに着替えて、背の高い細身の女性と食事をとっているのを見かける。不快な一夜を過ごす。その女性が別のバスの添乗員で、同僚であることが後に分か る。

 ホテルの前では、特設のステージが設けられて、客席と一緒に全体がビニールシートですっぽりと覆われている。そのなかで沖縄の舞踊が見られるというので 夕食のあとで行ってみた。すると、始まる前にもかかわらず、並べられた椅子はすでに全部埋まっている。椅子に座れば途中で立って帰りにくくなるのだが。

 会場の一番後ろでは、例の暑苦しい民族衣装をまとった女性がいて、泡盛を無料で振る舞っている。彼女は壺の酒をひしゃくで一口分ずつ小さなセルロイドの 杯に注いでは置くという動作をもくもくと繰り返す。入ってきた客は勝手にそのセルロイドを手にとって飲む。わたしは泡盛をとるきっかけを失い、そのあたり に立って踊りの始まるのを待つことにする。

 開場の挨拶があって踊りが始まる。登場したのはやはり例の民族衣装を着た二人の女性。違うのは頭に赤い巨大なかぶりものをしていることだ。花笠というそ うだが、如何にも重そうである。この二人がカチカチと音をさせながら舞台の上をしずしずと左から右へ、右から左へと、背筋を伸ばして進んでいく。私のとこ ろからは肩から上が見えるだけだ。前の方で見ていた両親はさっそく退屈したらしく、一緒に会場を出る。

 会場を出ると泊まり客のおばさん二人がそこでも踊っている。振る舞われた泡盛を飲み過ぎたのだろう。かなり酔っているらしく、そのうちの一人は地べたに 腰をつけて座りながらも手を左右に動かして好い調子である。

 旅行第二日。パック旅行の朝は早い。六時半に起床。昨日夕食をとったのと同じプール際で朝食バイキング。スクランブルエッグとベーコンがうまい。初めて 見る変わったトースターに小さな食パンを入れて焼く。パンをコンベアの上に置いて、中の高熱ゾーンをくぐらせるのだ。焼け終わると下に落ちるのでそれを拾 う。香り高いホットコーヒーをおかわりする。その他にミルクとオレンジジュースとパイナップルジュースが飲める。特にパイナップルジュースがうまい。

 ここで添乗員が昨日の女性ともう一人の女性とともに同じテーブルについているのを見かける。服装から見て、三人は同じ会社の添乗員であることが分かる。

 八時からグラスボートによる遊覧の予定。船底の一部が透明の船らしい。しかし、台風が近くにいて風が強いので中止。パック旅行は予約制なので天候を選べ ないのが難点だ。三日のうちの最初の二日は曇りがちだった。

 ホテル前を九時出発。バスの席は最後列。座席は日替わりで、バスの入り口の扉に名前が張り出される。最後列は他よりも一段高くなっていて、ヤンキー娘の 白い服の大きくあいた背中がよく見える。白が好きらしい。我々のすぐ前の座席は独身ものらしい若い女性の二人づれ。そのうちの一人はつるんとした顔で鶴光 の娘に似ていると思う。紫がかった口紅の濃い厚めの下唇が視線を引く。彼女はどういう訳か左の足首にちりんちりんとよく鳴る鈴をつけている。

 この日はまず沖縄の北寄りにある名護市の植物園とパイナップルパークに行く。どちらも主に買い物センターだ。パイナップルパークでバスに戻ってくると、 おばはんAがバスガイドにしきりに何か話しかけている。クレームを言っているのだろうか。大抵の乗客はバスガイドに単独で話しかけることはしない。バスガ イドの方でもそういうことは例外的なことだと考えているようだ。

 つぎに、蝶々園に着く。バスから降りようと一番後ろから通路を下っていく途中、残っていたヤンキー娘が通路の反対側の席に移ろうとしているのに出くわ す。わたしは、こちら向きになって立って待っている二人の視線の間をくぐるようにして、目線を合わせることなく通り過ぎて車外に出る。
 
 蝶々園の入場料は団体で三百円。パック料金には含まれていないオプションである。しかし、切符の手配は全部添乗員がしてくれるので楽だ。団体割引もあっ て安くなる。オプションの入園料などのお金は全てあとでまとめて添乗員に支払う。
 
 300円が高くないことは、白地に黒い線の無数のきれいな蝶々(オオゴマダラ)の出迎えを受けるとすぐに納得する。しかし、ヤンキー母娘はここではバス を降りなかったようだ。この二人、旅慣れているのか、オプションはたいていパスらしい。次の、沖縄記念公園の水族館にも入らなかったようだ。

 蝶々園のある竜宮城ならぬ琉宮城の上には展望レストランがある。当初はここで昼食にする予定だったが、バス数台分の客が一挙に押し掛けると混雑するとみ た添乗員の判断で、我々のバスの一行だけはつぎの沖縄記念公園で昼食をとることになる。バスの席に戻るとき座席のヤンキー娘と目が合う。目は歌手の誰かに 似ていると思う。

 その昼食は水族館の上にあるバイキング形式のレストラン。バイキングというのは、トレーを一枚もって、好きな料理を皿に盛りながら載せてまわるのだが、 いろいろ載せている内にトレーが重くなってくる。だから、私は一度に食べたいものを全部載せてしまわずに、あとで料理をすぐ取りにいける場所のテーブルに つく。

 しかし、バイキングで何度も料理を取りに行くのはあまり上品なことではないのかもしれない。主食をまとめてとり、デザートを後でとるのがよさそうだ。例 のヤンキー母娘はそのやり方である。景色のいい窓際のテーブルに席取り用のスカーフをかけて料理をとって、それを食べ終えてから、デザートをとりに娘が私 たちのテーブルの前を往復した。彼女の白い服は、横から見ると豊かなバストを際立たせて見せる。

 食事を終えた私が出口に向かうと、すでに食事を終えた母娘に出口で追いつきそうになりUターンする。二人が下りのエスカレータに乗ると、我々三人も少し 間をおいてそのあとに従う。しかし、二人は水族館のある階を通り過ぎて、そのまた下のエスカレータにのって行ってしまった。我々は下のエスカレータには乗 らず、案内の矢印に従って水族館へ。入場料は団体料金で千五百円ほどだ。

 沖縄記念公園の見所は何と言ってもこの水族館の大きなジンベイザメである。巨大な水槽(高さ8m×幅22m)をゆったりと泳ぐ巨大な鮫を真横から見る光 景は壮観だ。小さな魚が団体をつくってリズムに乗って泳ぐ姿も見ていて気持ちがよい。彼らは群をなすことで一つの大きさを形作っているということがよく分 かる。

 しかし、それまでの途中にある小さい水槽のごく当たり前の魚たちも、あらためて見ると鮮やかな彩りが美しい。なかでもフグの美しさには感心する。フグは 単に白黒ではなく、エラから下は白地にうっすらと赤みがかっているのだ。この水族館は入場料のもとは充分にとれる内容である。
 
 つぎは無料で見れるイルカとシャチのショー。鴨川で見たことがあるから新鮮味はない。泣き声が気持ち悪い。それが終わるとマナティー館。ここも無料。マ ナティーの水槽は上から見ると黒い水面が何やら不気味なだけだが、地下に降りて真横から水槽を見ると、マナティーのまんまるとしたひょうきんな姿がよく見 える。カメラは当然のことながらフラッシュを切ってシャッターを切る。それは動物のためでもあるが、ガラスの反射をなくし、そのままの色で写すためでもあ る。ウミガメ館も地下で見たかったのだが、時間切れ。記念公園は広すぎて、水族館から駐車場に帰るだけでかなりの距離だ。出発時間にぎりぎりで間に合っ た。

 次は琉球村。途中の道沿いにあるガソリンスタンドの値段を見ると、レギュラーがリッター七十円台で売られている。本土より安い。全体に沖縄は物価が安く て住みやすいのだろうか。それに温暖な気候もあって、バスガイドによると、本土から一年間に二万人も移住してくる人がいるそうだ。有名な劇作家が移住して いるという話は知っていたが、一般人もたくさん移住してきているとは知らなかった。

 琉球村で記念写真。万座毛は風が強くて記念写真は中止だったので、二回目の記念写真ということになる。合わせて二千円。広場でエイサー踊りというのが始 まる。頭に鉢巻きのようなものをした男女が、腹にくくりつけた太鼓を両手のばちでたたきながら、股を広げて左右に体を揺らしながら踊る。太鼓の音がやけに 大きくドンドンと響いてくるので、私は売店の中に逃げ込む。

 概して踊りなどには無関心なヤンキー母娘もさっさと売店に入ってしまう。売店ではジューサーで作った特製ジュースが売られているが、私は外の自動販売機 でポカリスエットを買ってのどの渇きをうるおす。百二十円。売店ではシーサーの10cmほどのかわいい置物を買う。千二百円。いま見ると五百円ほどのもの だと思う。旅先では千円程度の金はどんどん消えていく。

 沖縄といえばシーサーだ。本土の神社にある狛犬と同じく、二頭が一組で片方が口を開けてもう一方が口を閉じている。本土では神社にしかないものが、沖縄 では至るところにある。家の玄関と屋根の上には必ずある。役場にも郵便局にもある。高速道路の料金所の道の両側にも一組が立って利用者を迎える。沖縄では 何かの建物をつくると、最後に画竜点睛、最後の仕上げに魔よけのシーサーが据えられるのだ。それは沖縄人の自己主張のようにも見える。
 
 琉球村の有料ゾーンに入ると、誰かが観光客にカメラを向けてしきりに写真をとっている。これを出口で一枚五百円で売るのだ。中ではバスガイドとは別の若 い女性のガイドがいて色々説明してくれる。

 琉球村は昔の民家をあちこちから移築して村を形成したものだ。家はどれも平屋で壁が少なく柱が沢山立っている。日本の寺院の建造物を小振りにした構造 で、本土の古い農家もこんなつくりだ。「めんそーれ」は「ごめんそうらえ」の変化したものだそうで、沖縄の方言には本土の古い言葉の名残が見られるが、家 の造りにも同様のことが言えるのかも知れない。

 家々の庭には鶏のほかに、烏骨鶏に赤や黒のまだら模様をつけたような本土では見たことのない鳥が歩き回っている。家々では民芸品が売られている。地元の おばさんの話も聞けるが、わたしはパス。

 そのうち一行は再び集合して奥にあるハブ園に行く。有料となっているが団体の入場料金に含まれていて、入り口で村の入場券を見せて中に入る。中は小さな 円形劇場になっていて、舞台にハブとマングースがいっしょに入った透明のケースが置いてある。よく見ると二つの間にしきりがある。わたしの二つ前の席に、 おばはんAが座っている。となりの人に向かって、何かについて、こうするのは得だがこうするのは無駄だ、と口をとがらせながらしきりに話している。

 そのうち、白衣を着た男性が舞台に現れて、慣れた口調で客に話しかけて、いろんな蛇を棒の先にはさんで出しきて触らせたりする。前にいるおばはんAは白 衣の男性のヘビの話に合わせて「なるほどなあ」「そりゃそうやわ」と化粧気のない顔をしきりに上下に振ってうなずいている。

 この男性の話では、今では動物愛護法のせいでハブとマングースの戦いの実演はできないということである。そのかわりに、入り口で渡されたプラスティック 製のメガネをかけて、ハブとマングースが戦う短編映画を立体映像で見せられる。しかし、実際に戦う様子を映した映像ではなく、コンピュータ・グラフィック の作り物である。それが終わると、出がけにさっきのメガネを返すのと交換にハブの乾燥粉末を一つまみくれる。それに続いて売店があり、ハブの高価な商品が 売られている。

 琉球村を出ると、つぎは黒糖工場に行って、サトウキビから黒糖が出来る工程を見学。黒糖工場というと一般名詞のようだが、沖縄中部の読谷村にあるこの工 場のことを意味するらしい。見学といっても、この時には黒糖は作ってはいず、おじさんが一人いてサトウキビを絞る格好をして見せるだけ。ここにもガイドが いて説明があるがよく聞こえないので先へ進もうと前を見ると、はじめから聞く気のないヤンキー娘は一人だけ反対側の窓の外を眺めている。しかし、勝手に売 場の方へ行ってしまうわけではないようだ。つづいて沖縄黒糖のお買い物。工場よりこちらのスペースの方がはるかに広い。

 ここは隣にオキハムというハム工場があって、前の庭に牛と豚の大きな張りぼてが置いてある。面白いので写真を撮る。出発時間が五分ほど過ぎたころに、お ばはんたちが買い物を終えて悠々と戻ってくる。何か得なことでもあったのだろうか、満足げである。

 そこを出ると高速道路で石川インターから那覇方面に戻る。その途中で、バスガイドは行きしにはしなかった米軍基地の話をする。彼女は、観光の沖縄が表の 顔なら、基地の沖縄、戦争の沖縄は裏の顔だという。本土の報道では、ひたすら基地と戦争の沖縄の話ばかりが出るので、こちらのほうが表だと思っていたが、 地元の人間にとっては逆なのだ。

 車内の参加者の一人からバスガイドに対して質問が出る。誰だろう熱心な人がいるものだと感心する。家の形をした沖縄のお墓についての質問と、どの家の屋 根の上にも見られる給水塔についての質問だ。この二つの質問に対して、ガイドは的確かつ詳細に答える。実は彼女はちゃんとした知識を沢山もっているのだ が、まじめな話ではお客は退屈すると思ってくだらない冗談ばかり言っているのだ。お墓の形が本土とまったく違うことには、本土の文化との決定的な隔絶を感 じさせる。

 ところで、このような質問をする場合には、声がよく通る人は得だと思う。わたしなどは鼻が悪いせいか声が通らないので質問は不可能だ。学校や塾の教師が できないなど、何かと不便だ。自分の声が聞いてもらえないと、自分がおしであるかのような気がする。だから、わたしは電話で話をする方が安心して話せる。

 二泊目は那覇市のシティーホテルだ。ホテルに入ると、売店の前にある郵パックの受付で土産物や衣類の入ったカバンを二つ自宅に送り返して身軽になる。翌 々日には着いているとのこと。ところが、飛行機に乗せるときのX線検査で引っかかったのか、実際にはもう一日かかった。バッグの底にデジカメ用のACアダ プター付きコードがあったために疑われたかもしれない。デジカメの電池は完充電で90分の寿命だが、フイルムカメラを併用したのでコードは使わず仕舞い。

 シティーホテルがリゾートホテルと違う最大の点は、大浴場がないことだ。だから部屋の風呂に入る。ところが、部屋の風呂は洋式で洗い場がない。浴槽の中 で体を洗う風呂は使い方がややこしい。

 まず、浴槽にためた湯で体を温めてから、その湯の中で石鹸とタオルを使って体を洗う。それからシャワーで体の石鹸を流しながら、浴槽を空にする。最後 に、浴槽の汚れをシャワーで流し落としてから、次の人のために浴槽に湯をためる。

 浴槽のふちに掛けてある分厚いタオルは、足拭きとして浴槽の外に敷くものらしい。丁度それくらいの大きさである。ところで、浴槽の中で立って体を洗う と、日頃椅子に座って洗うのと違って、自分の腹の出っ張り具合がよく分かる。

 風呂は洋式だが、どういうわけかベッドには浴衣が置いてある。浴衣なぞ日常は誰も着なくなったにもかかわらずホテルで浴衣である。浴衣はズボンとちがっ て足を布で覆わない。昔の日本人はこういう無防備なものを常用していたのだ。トイレで立って小用をするとしぶきが足にかかって困る。逆にズボンもはき続け ていると汚れがたまってくるということだ。

 このホテルの良さはトイレにウォシュレットがついていることだ。旅行中、唯一ここだけ安心してトイレが使えた。最早わたしにはウォシュレットは必需品で ある。もっとも旅先では便秘気味で大して用はなかったが。
 
 部屋はファミリールームで四つベッドがある。三人なので、そのうちの三つにベッドメークがしてある。ところが自分が寝る三つ目のベッドがスプリングが柔 らかすぎて体が沈んでしまう。他の二つのベッドも、ベッドメークのない四つ目のベッドもしっかりしている。わたしのベッドだけ継子扱いだ。そこでどうする か考えたが、結局フロントに電話をして、四つ目のベッドと取り代えてもらうことにする。しばらくすると、客室係の二人の女性が来てせっせとベッドメークを し直してくれた。女性たちは如何にも沖縄人という彫りの深い顔をしている。翌朝チップを千円枕の下に置いて帰る。

 この日の夕食もホテルでとる。手配された食事券は税込み三千円で洋食と和食と中華が選べる。洋食は最上階の回転展望レストランでとる。ここは一番外側の テーブルのあるところが少しずつ動くようになっている。しかし、コース料理は堅苦しそうなので、和食にする。

 ところが、結果として和食は大したことはなかった。昼間水族館の上の食堂でとったバイキング料理の内容とほとんど違いがない。豚肉の角煮もモズク酢も昼 にあった。帰りに、入り口に置いてある写真付きのメニューを見ると、税別三千円のコースとして伊勢エビのコースがある。消費税の違いだけで大違いだ。何も ホテルの食事券を買うことはなかった。

 旅行第三日。朝は朝食会場でバイキング。みんなおかずが延々と並べられたテーブルにそって順に進んでいく。しかし、わたしは自分の食べるものだけをと る。つまりスクランブルエッグとベーコンとパンとコーヒーのあるところだけ飛び飛びに行くのである。
 
 前のホテルで見たのと同じトースターにパンを入れて焼けたのをとろうとして、例のヤンキー娘が自分のすぐ後ろにいることに気づく。どうやらわたしは彼女 を追い越したらしい。彼女がいることを意識したわたしは焼き終えたパンを取り損なう。つづいて、彼女が横にいることを意識しながら、ホットコーヒーをコー ヒーカップに注ぎ、砂糖をスティックではなく砂糖壺から一杯すくってコーヒーに入れ、スプーンをつまんでかき混ぜる。わたしはすぐ近くのテーブルに両親と 共に席をとった。娘は母親のいる会場中程のテーブルのほうへ遠ざかった。
 
 言っておくが彼女は美人ではない。人を意識するのに美人である必要はないのだ。あとで記念写真を見ると、もじゃもじゃ頭の下の白地の丸の中に、目と口の 三ヶ所に小さく黒点がついているような顔である。

 添乗員の男性が昨日夕食でバーベキューを共にしていた細身の女性と二人で朝食をとっているのを見かける。もう一人の女性添乗員がいない。別のホテルなの だ ろうか。

 三日目の観光先は、まずは「おきなわワールド」。鍾乳洞と工芸村がある。今日のバスの座席は前から四番目だ。前の方だとバスガイドの話をあまり露骨に無 視しては気の毒なので、顔を見てなるべく目を合わせるようにする。

 このバスガイドは、画用紙に書いた絵など話のネタをあらかじめ用意してバスに乗り込んでいるが、その中にノートが一冊ある。ところが、その表紙に大きく 書かれた名前はこのガイドの名前ではなく別の女性の名前になっている。なぜそうなのかは尋ねずにおわった。

 おきなわワールドの売り物である鍾乳洞の入り口まで来ると、例の民族衣装を着た女性が二人いて、観光客をはさんでカメラ撮影。こちらはモデル代込みだか らか一枚千円。カメラはニコン100D。一眼レフのデジタルカメラだ。洞窟の出口にくると既に写真が仕上がっている。こういう芸当はデジタルならではだろ うか。鍾乳洞は時間の都合で早足で通り抜ける。とは言えゆっくり見るほどのものはない。中は蒸し暑くじめじめしている。

 出口でわたしの親が自分たちの写真を買う。ヤンキー母娘の写真も出来上がっていたが、二人は買わずに行く。写真嫌いなのだろうか。代わりにわたしが買っ てはまずいだろうかなどと思う。白い服を着た娘は、わたしのすぐ目の前を、大きな胸の谷間を見せながら通り過ぎた。先に進むと、彼女は売店のベンチにさっ そく座って一服。椅子があれば座り、なければしゃがみ込むのだ。

 ガラス製品の売店を経て、民家のたくさんあるところに出る。工芸品を売っている。そこで写した写真を見ると、琉球村とよく似ている。ハブ酒の工場、黄色 い大蛇などを経て、出口。ヤンキー娘はすでに我々を追い越して、自動販売機の前に置いてある長椅子に座っている。

 わたしは、誰もいなくなった「おきなわワールド」の入り口を写真におさめる。それから、真っ赤なハイビスカスの花が咲いているのを見つけてデジカメで近 接撮影。駐車場を歩いていると、我々のバスの最後尾の窓にヤンキー娘の母親の顔があるのに気づく。座席表から名字を知る。

 つぎは、平和祈念公園。着く前にバスガイドが「公園には花売りのおばさんがいて、少々強引かも知れませんが、それぞれのお気持ちで買って上げて下さい」 という。「買わなくてもよい」という意味に受け取る。バスから降りて公園に入ると、実際、花を押しつけてくるもんぺ姿のおばあさんたちが何人もいる。見れ ば仏壇用の花だ。そんなものを買うわけがなく、誰もが無視して通りすぎる。

 公園に入ると大きな慰霊塔と「平和のくさび」という巨大なオブジェが見える。この日は平和の礎(いしじと読む)に直行する。これは沖縄戦で死んだ人たち の名前が刻まれた大きな石碑の列である。最近作られたものらしい。アメリカのワシントンには、ベトナム戦争の戦死者の名前を刻んだ大きな石碑があるが、そ れを真似たものだろうか。

 さっきのおばあさんたちの花は、この石碑に供えて欲しくて売っているものだったと分かる。それなら買ってやってもよかったと思う。この石碑に刻まれてい る女性の名前には、バスガイドが言うとおり、カマド、ウシなど日常生活に使われるものの名前がたくさんあることに気づいた。

 ここでわたしがとった写真にヤンキー娘が写っている。半袖姿の母親が腕を組んで仁王立ちをしてガイドの説明を聞いているその横で、彼女はしゃがみ込んで 下を向いている。この女は何に対しても興味がないのか。

 一方、我々のバスガイドは沖縄戦についてもよく勉強しているらしく、この公園の中でも、その次の道中でも、沖縄戦の詳しい話をする。牛島中将の自決場所 の山の紹介は二回もした。「ひめゆり」は姫百合であって、乙姫女学校と白百合師範学校を足したものだという。彼女は「ひめゆりの塔」ではもっと詳しい話を したそうだが、わたしははぐれてしまい聞かずに終わった。母にいわせるとすでに知っている話ばかりだったそうだ。戦争の話は暗いので聞かなかったことに悔 いはない。

 そもそも沖縄戦の話はどこまでが本当なのだろうかと思う。悲しい話や残酷な話を人は聞きたがるから、どうしても話が誇張されがちで、それが事実として一 人歩きすることはよくある。たとえば、戦火に追われた住民が絶望して、どこそこの岬から次々に身を投げたという話がしきりと言われる。しかし、それなら岬 の下は遺体の山となり遺体の収容が大変だったはずだが、どうなのだろう。

 バスガイドの話では、沖縄戦では沖縄の四人に一人が亡くなったということだ。しかし、それは逆に言えば人口の四分の三は生き延びたということでもある。 プラスの面に目を向けたい。

 「ひめゆりの塔」には有料の資料館があるが、悲しみを強調する姿勢が露骨すぎて好きになれず、さっさと通り過ぎる。女生徒たちの写真と日記が公開されて いるが、どちらもなぜあんなに大きくしなければならないのか分からない。「ひめゆりの塔」のそばにも巨大な土産物屋がある。結局ここも金儲けの観光施設な のである。

 そのあとはまたガラス工場見学→紅型工場見学。要するに土産物屋に二ヶ所立ち寄ったのである。ガラス工場でもヤンキー娘を見かけるが、ここでも座ってタ バコを吸っている。紅型工場の紅型(びんがたと読む)とは布地の染め物のことで、こちらではしっかりとガイドの案内もある。そこの土産物屋でヤンキー娘の 母親が、娘の名前を呼ぶのを耳にする。かわった名前だという印象を受ける。我々は二人より先に出口を出て、そこにあるテーブルの椅子を他のグループととも に占領して缶コーヒーを飲む。わたしはタバコは吸わない。

 このあとバスは那覇空港に向かうのみ。添乗員の気の早いお別れの挨拶。バスが止まり車外に出るが、添乗員とバスガイドが車内の忘れ物を点検するあいだ、 歩道の上で待たされる。バスが着いたところは空港の三階。飛行機に乗る搭乗ロビーは二階にある。

 切符を受け取った我々は、カルバンクラインのような匂いのするきれいなトイレで用を足すと、四階に出て空港を見物したり写真を撮ったりして時を過ごす。 三階の見学者デッキは有料で百円。誰も利用している様子はない。ここは伊丹空港のような無料デッキはないようだ。

 出発三十分前に手荷物検査を受ける。すでに長い列が出来ている。ここのX線検査機にもフイルムは大丈夫だと書いてある。大阪のときと同じようにポケット にある金属類は別のかごに入れて、カバンと別々に検査機を通す。ところが、係員がカバンをもう一度通していいですかと言ってきた。それが二回繰り返され た。それでもまだ駄目で、中身をあけてセーターやカメラなどを出してもう一度通す。しかし、ブーという音がする。どういう時に音がするのかは知らない。も う一度カバンを開ける。冷や汗ものだ。そこでわたしは今思い出したような顔をして糸切りはさみを取り出して「これじゃないの」といって差し出す。それから また機械を通してOKになった。やっぱりこれかということになり、係員に「これは機内で出さないで下さいね」と念を押される。大阪の機械より沖縄の機械の 方が精度が高いようだ。米軍キャンプが近くにあるせいだろうか。

 飛行機への搭乗が始まっても修学旅行の学生のせいで列がなかなか進まない。機内への入り口は座席番号で左右二つに割り振られているが、どうしても後ろの 入り口の方に殺到するようだ。しかし、どちらから入っても全ての座席に行けるはずで、わたしは案内係の勧めに従って左の入り口から入った。おかげで、番号 表示の指示どおりに右から入った両親よりも早く席にたどり着くことができた。座席は非常口の一つ後ろで、真ん中のトイレの近くである。

 非常口にはスチュワーデスが離着陸時だけすわる座席があって、乗客と向かえ合わせになる。この日ここに座ったスチュワーデスがこれがまたとびきりの美人 である。わたしは彼女と向かい側の座席のすぐ後ろの席だったが、座席の背もたれの間から、ちらちらと見てしまいたくなるほどの美人だ。彼女の向かいの席に いたのは女性だったが、男なら誰でも目のやり場に困るだろうと想像する。

 このスチュワーデスはどういうわけか、わたしの席の飲み物のサービスに来ない。残念に思う。カメラのフイルムもデジカメの電池も切れていて、写真に残せ なかったのも残念。もっとも、実物の持つ迫力というものがあって、絵にして客観的に見ればそれほどでないことが多いものだ。

 そのうち、別のスチュワーデスが飲み物のサービスに来る。わたしはアップルジュースを頼んだのですぐもらえたが、コーヒーを頼んだ両親は待たされた。し ばらく待っても持ってこないので、母親が通りすがりのスチュワーデスに言うと、彼女は急いで謝りながらコーヒーをもってきた。わたしは構わずイヤホンをし たまま「テロルの決算」の続きを読む。浅沼委員長が中国で「米帝国主義は日中共同の敵である」と発言して大騒ぎになったというところまで読み進む。

 トイレが近くにあったので利用してみる。トイレの扉を開けて入ろうとするとスチュワーデスに「鍵だけはおかけ下さい」と上品に言われる。ところが、その 鍵のレバーは扉ではなく壁にある。その他、色んなものが同じ壁に埋め込まれている。ペーパータオルもその中にある。飛行機のトイレは狭い空間を最大に活用 する工夫の宝庫といっていい。便器は水洗と言うよりは空洗だ。少しの水と強力な風圧で汚物を穴の中に吹き飛ばす。

 途中で「左手に桜島が見えて参りました」「室戸岬が見えて参りました」と上品なアナウンスがある。しかし、わたしの席はちょうど大きな主翼が窓の外に見 える位置で外の景色がよく見えない。

 無事伊丹空港に着くと、出口の近くで集合。また待たされたがしゃがみこまない。ヤンキー娘も立っている。そのうちわたしは空港内に最新型の大きな薄型テ レビがあることに気づき、テレビのCMを思い出して、どれほど綺麗な画質か見に行くが大したことはない。テレビには林あさ美が歌をうたう様子が映っている が、走査線がよく見える。

 そのうち、荻野アンナ似の女性がみんなに挨拶をしてその場で別れて一人で帰っていく。それ以外はいっしょに外に出て駐車場で二台のバスに別れて乗り込 む。添乗員の男性は我々が乗り込むバスとは別の姫路方面から来た大型バスの添乗員だった。我々のマイクロバスは行きと同じ運転手だが、添乗員はなし。行き と違って帰りは客を降ろしていくだけだから、運転手だけで充分なのだろう。

 帰りのマイクロバスではヤンキー母娘は一番後ろのベンチシート、わたしのすぐ斜め左後ろに席をとる。真ん中に座った娘が前屈みになるとわたしの顔のすぐ 後ろに顔が来る。二人の話がよく聞こえる。

 最初は、買った土産物の話をしている。話し方は全く対等の関係である。二人は友だちだったのかと思うが、年上の女性の口から「かあさんが」という言葉が よく聞こえる。やはり親子なのかとも思う。娘は飛行機内で気圧で調子が悪くなった耳が直らないと母親に訴える。「鼻をつまんだまま鼻から息を出すようにす ると耳から空気が抜けて直るよ」という言葉が喉元まで出そうになる。

 わたしはバスの運転手の運転振りに興味があるふりをする。ルート取りに興味を持って、まるで自分が運転しているかのように、後ろから来るくる車に注意を 払いながらぶつぶつ言っている。が、そのうち眠ってしまう。

 前開パーキングのトイレ休憩で目を覚ます。ヤンキー娘が降りていったが、なかなか帰ってこない。タバコを吸っているという言葉がどこからともなく聞こえ る。それに対して母親は「わたしの娘なんです」ときっぱりと言い放つ。自分の大切にしている娘であるという気持ちが表われている。親子であることが確定。

 バスは高速を下りて伊川谷のホテル街で渋滞に巻き込まれる。母親が娘に「大きなゴリラが壁にいるホテルはこの辺だったかしら」という。娘「---」。わ たしは「それは第一神明のほうでしょう」と思いながら聞いている。なおもホテルの話をする母親に対して、娘は「そんなことしらない」といってやめさせる。

 明石の駅の近くにくると、娘はこの辺りでアルバイトをしたことがあると母親にいう。高校時代は明石だったらしい。短大にもいったらしく、こちらは姫路 だったそうだ。自己紹介をしてもらっているような気持ちで聞く。

 そのうちおばはんAがマイクロバスの運転手に、これは違反だが規定の場所ではなく、自分の家の近くに止めて欲しいと言い出す。その方がみんなのためでも あるとしきりに力説するが、そのおばはんのためでしかないのは明らかである。

 それを受け入れた運転手は「誰にもいわんといてよ」「秘密やで」とマイクでおばはんAに言いながら鷹揚である。バックシートに座っている連れのおばはん Bがそれを聞くや「秘密やでー」「秘密や秘密やー」「誰にも聞こえてへんでー」とわざとらしく大きな声で言う。まるで子供だ。

 おばはんAが下りると、バックシートのおばはんBのところに前方の席から一人のおじさんがやってきて、最終停留所を近くの駅に変えてもらおうと言い出 す。おばはんBはヤンキー娘の母親にも賛同を求めるが、こちらはきっぱりと断る。
「うちはけっこうです。それでは運転手さんが気の毒でしょう」
「二号線やったら止まってあげると言ってるやないの」
「いいえ、うちはけっこうです」
「駅からやったら車でいっしょに送ってあげる言うてるし」と言われても、
「わたしたちは歩いて帰りますから。運転手さんが、気の毒でしょう」
あくまで大人の対応をする。

 おばはんAの場合はルート上の停車位置を変えるだけだが、こちらはルートの変更までも含む虫のいい要求である。おばはんたちの価値観では、虫のいいこと や得をすること楽をすることが価値のあることらしい。体裁とか品位とかはずっと下の方に来るのだ。一方、この母親にとってこれらのほうが上位に来るのだろ う。

 次は我々の降りる番だが、ちょうど交差点の信号で停車しているとき、わたしの母親が「ここで降りたら早いねんけど」とわたしに言う。すかさず、おばはん Bが後ろから「ここで降りたいのー?」と声をかけてくる。自分の援軍を増やしたいのが見え見えだ。わたしは「バス停のないところで降りるのは危ないな」と か「横をバイクが来るからな」といって母親にあきらめさせる。わたしはおばはんの側ではなくヤンキー母娘を応援するのだ。

 そしていよいよ出発地点の役場前に到着。別れの時が来た。わたしは車が止まると即座に座席から立ち上がって、ヤンキー母娘の方を振り向くこともなくバス から降りる。名残惜しさを振り切りながら早足で家に向かう。一言も言葉を交わすことのなかったこのヤンキー娘とは永遠のお別れだろう。しかし、彼女の存在 のおかげでこの沖縄旅行は思い出の多いすばらしいものになった。一期一会とはまさにこういうことを言うのだろうか。


 


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