南海先生斯社会の地理を知らず
民主家と侵抜家と南海先生を訪ふ
海防は野母の極点なり
亜細亜の小島より無形の一大国出来れり
法朗西(フランス)王路易第十六幸福を得たり
八公熊公の為めに丈有余(ぢやういうよ)の気を吐く
漢学先生請下一転語(いつてんごをくだせ)
嗚呼浦山敷哉
嗚呼気の毒哉
自答且笑曰漢文糟粕
法律の大議論
豪傑君少く時に後れたり
一部の実地経済策、異日必ず此処より生ずべし
高明の才を持し卓偉の見を具ふる者、世間果て其人有る耶・・・有るとも有るとも
旧自由党と改進党との顔触れ
旧自由党必瞋矣哂矣
政治的力士の顔触れ
世界の書記官皆此通り
政治的外科医出来れり
此一段の文章は少く自慢なり
ウイクトルユゴーの集中にも未だ見ずロールドビロンの集中にも未だ見ず
南海先生胡麻化せり
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南海仙魚著
南海先生性酷(はなは)だ酒を嗜(この)み又酷だ政事を論ずることを好む。而して其酒を飲むや、僅(わづか)に一二小瓶を釂(のみほ)す時は醺然として酔ひ意気飄揺(へうえう)として大虚に游飛するが如く、目怡(よろこ)び耳娯(たのし)み絶て世界中の憂苦なる者有るを知らず。
更に飲むこと二三瓶なれば、心神頓(とみ)に激昂し思想頻(しきり)に坌湧(ふんよう=わき出る)し身は一斗室の中に在るも眼は全世界を通観し瞬息の間を以て千歳の前に溯(さかのぼ)り千歳の後に跨(またが)り、世界の航路を指示し社会の方針を講授して、自ら思ふ「我は是れ人類処世の道の指南車なり。世の政事的の近眼者が妄(みだり)に羅針盤を執り、其船を導きて或は礁(せう)に触れしめ或は沙(しや)に膠(かう)せしめ、自ら禍(わざは)ひし人に禍ひすること実に憫む可きの至りなり」と。
然れども先生身は斯世界に在るも心は藐姑射(はこや)の山に登り無何有(むかいう)の郷(さと)に游ぶが故に、其説く所の地誌其述る所の歴史は斯社会の地誌歴史と唯名称を同くするのみにて、事実は往々齟齬することあり。
但先生の地誌にも気候寒冷の邦有り温煖の邦有り強大の国有り弱小の国有り文明の俗有り野蛮の俗有り、其歴史にも治有り乱有り盛有り衰有りて、極て斯世界の地誌歴史に切当(せつたう=適応)することも間(ま)ま之有り。
又更に飲むこと二三瓶なれば耳熱し目眩らみ腕奪ひ趾(あし)揚がり、発越飛騰して其末や昏倒して前後を知らず。既にして二三時間睡眠し酒醒め夢回(か)へる時は凡そ酔裡(り)に言ひし事又は為せし事は一掃して痕迹を留ることなく、俗に所謂狐憑(きつねつき)の落ちたるに似たり。
先生の知人又は先生の人と為りを伝聞する者、先生酔裡の奇論を聴くが為め酒一樽肴(さかな)一籠を携へ先生の廬(いほり)を訪(と)ひ、共に觴(さかづき)を挙げ七八分の酔を覘(ねら)ふて故(ことさ)らに邦家(はうか)の務(つとめ)を話出(いだ)し先生の説を釣り出して一時の楽(たのしみ)と為す者往々之有りて、先生も亦少(すこし)く自ら省知(せいち=悟る)せり。
因(よつ)て念(おも)ふに「吾れ近日又邦国の事を説話する時は、痛く酔はざるの前に於て其中緊要の条項は一々記し置き他日再び取出し敷演(ふえん)して一篇の冊子を綴成(てつせい)する時は、或は自ら楽み人を娯ましむることを得ん、然り然り」と。
近日霖雨濛々として連日開かず情意鬱陶として極て不快を覚へり。適々(たまたま)一日先生酒を呼び独酌して既に夫(か)の醺然歩虚の境界に至りたる折柄、両人の客有り、金斧(きんぷ)と号する洋火酒を齎して至れり。
先生未だ一面の識有らず又其名姓を知らざるも、其洋火酒を一見するや早已(すで)に二三分の酔を増(まし)たる心地せり。其一人は冠履被服並(ならび)に洋装にて、鼻目俊爽に軀幹頎秀(きしう)に挙止発越に言辞明弁にして、定(さだん)で是れ思想の閨中に生活し理義の空気を呼吸し、論理の直線に循(したが)ふて前往して実際迂曲の逕路に由ることを屑(いさぎよ)しとせざる一個の理学士なるべし。
今一人は丈高く腕太く面(おもて)蒼く目深く、飛白(ひはく=絣)の套(たう)や短後の袴(こ)や一見して其偉大を好み奇険(=危険)を喜び、性命(=生命)の重(おもき)を餌にして功名の楽を釣る豪傑社会の人種たるを知る可し。
坐定まり礼畢(をは)り、徐(おもむろ)に彼洋火酒を傾け賓主献酬して漸く佳境に入るに及び、先生輒(すなは)ち一人の客を呼で紳士君と称し今一人を呼で豪傑君と称して、其名姓を問はず。客も亦笑ふ手敢て嗔らず。
頃(しばらく)ありて洋学紳士遽(にはか)に云けるに、「僕久く先生の高名を聞けり。先生の学東西を該(か)ね先生の識古今を串(つらぬ)くと。僕も亦宇内の形勢に於て窃(ひそか)に看破する有り。願くは先生に就て一たび之を質(ただ)すことを得ん。
「嗚呼民主の制度なる哉(かな)民主の制度なる哉。君相専擅(せんせん)の制は愚昧にして自ら其過(あやまち)を覚らざる者なり。立憲の制は其過を知りて僅に其半(なかば)を改むる者なり。民主の制は磊々(らいらい)落々(らくらく)として其胸中半点の塵汚(ぢんを)無き者なり。
「欧州諸国は既に自由平等友愛の三大理を覚知しながら何故に民主の制に循はざる邦国猶ほ多きに居る乎(や)。何故に極て道徳の義に反し極て経済の理に背きて国財を蠧蝕(としよく=むしばむ)する数十百万の常備軍を蓄へ、浮虚の功名を競ふが為めに無辜の民をして相共に屠斬せしむるや。
「文明の運に於て後進なる一小邦にして頭(かうべ)を昂(あ)げて亜細亜の辺陬(へんすう)より崛起(くつき=急に起る)し、一蹴して自由友愛の境界に跳入し、堡塁を夷(たい)らげ熕礟(こうはう=大砲)を銷(とか)し艦を船にし卒を人にし、専ら道徳の学を究め、工伎の術を講じ純然たる理学の児子(じし)と成るに於ては、彼文明を以て自ら夸(ほこ)る欧洲諸国の人士は能く心に愧(はぢ)ること無き乎。
「彼れ或は兇頑にして心に愧ざるのみならず我れの兵備を撤するに乗じ悍然として来寇する時は、吾儕(わがせい)尺寸の鉄を帯びず一粒の弾を挟(さしは)さまず迎へて之を礼せば、彼れ果(はたし)て何事を為す可き乎、剣(つるぎ)を揮ふて風を斬らんに剣如何に鋭利なるも風の飄忽茫漠たるを奈何せん。我れ其れ風と為らん哉。
「弱小の邦に拠りて強大の邦と交はる者は彼れの万分の一にも足らざる有形の腕力を奪ふは鶏卵を巌石に投ずると一般なり。彼れ文明を以て自ら誇れり。然れば則ち彼れ固(もと)より文明の原質なる理義の心無きの理有らず。然れば則ち我小邦たる者何ぞ彼れの心に慕ふて未だ履行すること能はざる無形の理義を以て兵備と為(なさ)ざる乎。
「自由を以て軍隊と為し艦隊と為し平等を以て堡塞と為し友愛を以て剣砲と為すときは、天下豈当る者有らん哉(や)。若し然らずして我れ専ら我堡塁を恃(たの)み我剣砲を恃み我兵衆を恃む時は彼も亦其堡塁を恃み其剣砲を恃み其兵衆を恃むが故に、其堡塁最(もつとも)固き者剣砲最利なる者兵衆最多き者必ず勝を得んのみ。是れ算数の理なり極て明白の理なり。
「何を苦しみて此明白の理に抵抗することを試むる乎(や)。彼れ果して兵を引て敢て我邦に来り拠らん乎(か)、土地は共有物なり、彼れ居り我れ居り彼れ留り我れ留まらんに何の葛藤か有る乎(や)。
「彼果て我田を奪ふて耕し我屋(おく)を奪ふて入り或は重税して我を苦むる乎、忍耐力に富む者は忍耐せんのみ忍耐力に富まざる者は各々自ら計(はかりごと)を為さんのみ。我れ今日甲の国に居る故に甲国人なり我れ明日乙の国に居れば又乙国人ならんのみ。大劫会の期(=世界の終末)未だ至らずして我人類の故郷たる地球猶ほ生活する間は世界万国皆我宅地に非ず乎。
「嗚呼彼れ無礼にして我れ有礼に彼れ非理にして我れ理に合し彼れの文明は野蛮にして我れの野蛮は文明なり。彼れ怒りて暴を肆(ほしい)まゝにし我れ笑ふて仁を守らんには彼れ果て我を奈何せん。プラトンや孟軻やスペンセルやマルブランシやアリストツトやウイクトル・ユゴーや我を何と謂はん乎。宇内万国の士傍観する者之を何と謂はん乎。ノエーの大洪水以前は知らず、大洪水以後未だ此(かく)の如き先例有らざるは真に怪む可き哉。何ぞ我より古(いにしへ)を為さゞる乎」
豪傑の客は是言を聞き洋学紳士に向ふて曰く、「君は狂せしに非ざる乎。狂せり狂せり。六尺男児百千万人相聚(あつま)りて一国を為しながら一刀刃を報せず一弾丸を酬ひずして、坐(ゐ)ながら敵寇の為に奪はれて敢て抗拒せざるは狂人の所為に非ず乎。僕は幸に未だ狂せず、先生も亦狂せず、他の同国人も亦狂せず。何ぞ紳士君の言の如く・・・」
南海先生笑つて曰く、「豪傑君姑(しばら)く之を待て。紳士君をして其論を畢らしめよ」
豪傑の客も亦笑つて曰く、「唯(ゐ)」
洋学紳士又云ひけるは、「凡そ政事家を以て自ら任ずる者は、皆政理的進化の神を崇奉する僧侶と謂ふも可なり。果して然らば独り意を現前に注ぐのみならず亦心を将来に留む可きなり。何ぞや。
「彼進化神は進むことを好みて退(しりぞ)くことを好まずして、其進往するに方(あた)り幸に道路坦直にして清潔なる時は大に善し、即ち巌石凸立して輪(りん)を礙(ささ)へ荊棘(けいきよく)茂生して蹄(ひづめ)を没すること有るも夫(か)の進化神は略(ほ)ぼ阻喪すること無く、更に益々奮激し趾を挙げて一蹴し踏過して顧みずして、頑迷なる人民が相共に脳を裂き肝を破り街衢(がいく)上血を湛へて所謂革命の活劇を演ずるに至るも夫の神は当然の結果なりと看做(みな)して少も怯るゝこと無し。
「故に身を以て夫の神に奉事する政事家の僧侶たる者は当(まさ)に務て予め巌石を去り荊棘を除き、夫の神をして威怒を奮ふことを要せざらしむ可し。此れ進化宗僧侶の本文の職なり。巌石とは何ぞや。平等の理に反する制度是なり。荊棘とは何ぞや。自由の義に戻(もと)る法律是なり。
「英王査理(チヤールズ)第一の時、仏王路易(ルイ)第十六の時、宰相大臣政柄を秉(と)る者眼を豁(かつ)し胸を洞(とう=開く)し早く時勢を察し予め世運を料(はか)り夫の進化神の為に道路を掃滌(さうてき)することを知りしならば、何ぞ必ずしも禍乱を醸出するに至らん。
「顧(おも)ふに英国の事は其以前に於て鑑戒(=前例)する所無くして畢竟創始に属せしが故に、政綱を執る者予め備(そなへ)を為すことを省知せずして敗衄(はいぢく)の禍(わざはひ)を取りたるも猶ほ頗る恕(ゆる)す可き者あり。
「仏国に至りては一世紀の前、一衣帯水の外、現に英吉利に於て惨烈の禍有りしを見ながら恬然(てんぜん)として悟らず、区々として姑息苟偸(こうとう=一時しのぎ)の策を恃み歳月を玩愒(がんかい=無駄にする)し一時を糊塗し、禍乱の症徴已に発するに及んでも猶且つ疾を諱(い)みて名医に依頼すること無く、或は依遅(いち)猶予して民心を猜(うたが)はしめ或は抵忤(ていご=抵抗)触冒して民情を激せしめ其末や無前の奇禍を蒸出し膏血都邑に氾濫し一国を挙げ変じて屠場と為らしむるに至りたるは、果して夫の進化神の罪なる乎、将進化宗僧侶の罪なる乎。
「曩(さき)に王路易第十五の時若くは王路易第十六在位の初年に於て、宰相大臣たる者仮に身を数十百年の後に置き同心協力して一々旧規の陋(ろう)を除き易(か)ふるに新図の美を以てせば、王路易第十六の末年に至りては唯一歩を進めて民主平等の制に入るのみにて足らんのみ。
「王路易は則ち悠々然として議院に臨み、其冠を脱し其剣を釈(と)きロベスピエール以下の人士を一揖(いちゆう)し温和の顔色にて微笑して曰はん、『公等之を勉めよ、我も亦民籍に入りて国の為に力を効(いた)さん』と。因て妻子を携へ州郡沃饒の地を択(えら)び山水明媚の勝を卜(ぼく)し多く美田宅を買ひ優遊以て身を終へて、高踏勇退の美名をも後世に施すことを得たらんのみ。
「猶ほ一言せんに仏蘭西をして前に英国の鑑戒無からしめば其宰相大臣は深く咎むるに足らずして、僕の論は迂(う)に非ざれば刻(こく=酷)なり、唯其れ烱然(けいぜん=明白)たる鑑戒有りて猶ほ鑑戒することを知らず、前車覆へりて後車進めり、是れ当時仏蘭西の宰相大臣は好んで奇禍を後人に遺せりしと謂ふ可し。夫の進化神を妨阻(ばうそ=妨害)したる魔敵なりと謂ふ可し、王路易を擠陥(せいかん)したる罪人なりと謂ふ可し」
洋学紳士更に一杯を釂(のみほ)して又云ひけるは、「所謂車は流水の如く馬は游竜の如く、高帽を被(かう)むり濶袍(くわつぱう)を穿(うが)ち、大逵通衢(だいきつうく)の中(なか)男女雑沓の群を貫串(かんかん)し飛過して顧眄(こべん)せず。
「是(この)人や経世の才を抱き治民の志を持し天子を毗(たす)けて廟廊(べうらう)に趨(はし)るの宰相なる乎、天姿(=才能)機敏にして善く時を覘ひ勢を料り賤買して貴販し、以て陶朱の富を致せる者耶(か)、将た文芸の美学術の巧、素(もと)よりセルワンテスを奴(やつこ)としパスカルを僕(しもべ)とする奇傑の人士なる耶、皆然らざるなり。
「是人や其遠祖某甲(ぼうかふ=ある人)嘗て旗を搴(と)り将を斬るの功有りしが為に爵位を授け采地を賜ひ華胄(くわちう=子孫)連綿として今日に至り、既に才識無く亦学術無きも祖先の朽骨(きうこつ)時々(じじ)光を墓中より放ち其庇蔭を被むり、無作無業(むさむげふ)にして坐(ゐ)ながら禄秩の豊なるを享(う)け醇酒を飲み脆肉(ぜいにく)を啗(くら)ひ優游として日を送る所謂貴族と号する一種特別の物体なり。
「嗚呼一国中此の如きの物体数十百個有るに於ては、縦令(たと)ひ立憲の制を設けて千百万の生霊が果て自由の権を得るも、平等の大義既に欠る有りて其自由の権は真成の物に非ず。何となれば我儕人民朝夕労苦操作(=労働)し其獲る所の幾分を納(い)れて租税に供するは已(や)むを得ざる所なりと雖ども、独り我施政の事務を委託する吏人を食(やし)なふのみならず併せて彼無作無業の物体を食なはざるを得ざるときは、竟(つひ)に真の自由に非ざるなり。
「王公貴人は脳髄廻転体の量果て吾儕よりも多くして且つ重き乎、胃液の分泌血球の発育果て吾儕よりも富める乎、ガール(=ウイーンの医者、骨相学者)をして其頭脳を相せしめば果て吾儕に区別せん乎、若し区別する所有りとせば其区別は果て彼輩の利益と為る可き者吾儕の利益と為る可き者乎。
「吾れ聞く、人類は前脳の発育盛にして獣畜は後脳の発育盛なりと、果て然らば・・・其生るゝや果て錦繍を衣(き)て来りて吾儕の如く赤裸に非ざる乎、其死するや果て其骨と肉と朽壊(きうくわい)せざる乎、還元せざる乎・・・
「若し百万数の国民中三人の貴族有る時は、九十九万九千九百九十七人は此三人の為に自己尊貴の幾分を毀損せらるゝを免れず。此も亦算数の理なり極て明白なり・・・
「吾儕人民や貴族や皆若干元素より組成したる同一肉塊なり。同一肉塊にして其相会するや、我肉塊は低頭して叉手(さしゆ)し彼肉塊は竦立(しようりつ)し微(すこし)く其頭(かうべ)を上下するのみ。相話するや我肉塊は彼肉塊を呼で「サヤ」と称して敬を致す、君の義なり、又「モンセイニヨール」と称して敬を致す、亦君の義なり、彼肉塊は我肉塊を呼で何と称する乎・・・無礼の甚きに非ず乎、恥づ可きの甚しきに非ず乎。
「上古の時乎(か)近古の時乎、幾千年の前乎幾百年の前乎、何の年に在りし乎何の月に在りし乎何の日に在りし乎、当時賢者有り仁者有り、才有り智有り勇有り能有り。是故に其人公と為り侯と為り伯と為り子と為り男と為れり。其人既に賢者なりき仁者なりき才有りき智有りき勇有りき能有りき。是故に其子其孫其曾孫其玄孫其耳孫及び其十世の孫百世の孫、皆賢なり仁なり才なり智なり勇なり能なり庸人(=一般人)に勝れり。
「今後の子孫も亦当(まさ)に庸人に勝る可し。是れ遺伝の理なり、杜撰の推測に非ざるなり。是故に皆亦公たり侯たり伯たり子たり男たり、庸人の上に位せり。今後の子孫も亦当に庸人の上に位す可し。是れ遺伝の理に適する制度なり、不正の設置に非ざるなり。足下(そくか=あなた)未だダルワン(=ダーウィン)、ハエツケル(=ヘッケル)の物類世々(せいせい)遺伝するの説を聞かざる乎・・・噴飯に堪へざるなり。
吾儕数千百万人は公たらず侯たらず伯たらず子たらず男たらず、足下未だ其故を知らざる乎、吾儕数千百万人の遠祖は、定(さだん)で皆不賢なりき不仁なりき無能なりき、是故に皆公侯伯子男たらざりき、是故に吾儕数千百万人も亦皆公侯伯子男たらざるなり、是れ遺伝の理なり、吾儕数千百万人如何に公侯伯子男たらんと欲するも遺伝の理を如何せんや・・・噴飯に堪へざるなり、
「然と雖も凡そ物理の事は皆正格の理と格外の理と有りて存す。故に父若くは祖父若くは曾祖父若くは十世の祖若くは百世の祖若くは千世の祖、不賢不仁不能なりしが為に貴族と為ることを得ざりしも、其子若くは其孫其曾孫其十世百世千万世の孫、或は賢に或は仁に或は能なること時々之有り。故に新たに貴族と為ること亦時々之有り。所謂格外の理なり。今日の学術の未だ究むること能はざる所なり。解剖学や生理学や動物学や物化学や益々其精緻を極むる時は此格外の理も異日必ず明らかにすることを得可し。故に足下必ず平等の義を唱道せんと欲せば先づ物理の学を研究せよ・・・噴飯に堪へざるなり。
「腕に紅鯉の繡(いれずみ)有り背に青竜の彫(ほりもの)有り衣を脱して盤礴(ばんぱく=あぐら)し其顔色得意然たる者は破屋の小民なり、野蛮の破屋の小民なり。渠(か)れ旣に八(はち)若くは熊(くま)の名字有りて猶ほ足らず、必ず紅鯉の八と呼び青竜の熊と呼ぶ時は其喜は則ち知る可きなり。公侯の爵位は無形の繡彫(しうてう)には非ざる乎・・・
「吾れ之を解せり、彼れは有形の繡彫なり故に野蛮なり又破屋なり、此れは無形の繡彫なり故に文明なり又邸第(=邸宅)なり。然れども既に名字有りて又添ゆるに爵名を以てするときは、少(すこし)く彼の紅鯉の八と青竜の熊とに・・・
「曰く彼人や国に勲労有り。其職に居て其勲労有るは当然の事に非ず乎、平生(へいぜい)俸給を享るに非ず乎。曰く異常の大勲労あり、然らば則ち何ぞ異常の銭物を与へて之を賞せずして今代(きんだい)流行せざる繡彫を施して天与の身体を害することを為すや」
南海先生も亦一二杯酒を引き且つ曰く、「紳士君の言は頗(すこぶ)る奇なるに似たるも零々砕々(れいれいさいさい=ばらばら)にして前後連絡無きを奈何せん」
洋学紳士曰く、「先生の高亮明敏なる、僕の錯落の語に於て其取る可きは之を取り其教ゆ可きは之を教へよ。若し尋常論理的の規則に循ふ時は陳腐の話頭(わたう)より説起(せつき)せざるを得ずして、恐くは先生の聴(ちやう)を汚すに足らざらん」
南海先生曰く、「否々。且つ論理の規則に循ひ次序を逐(お)ふて論述せよ。吾れ異日将に綴りて一小冊子と為さんとす。
洋学紳士乃ち云ひけるは、「抑々方今欧州諸国の形勢を察するに英仏独魯の四国最強盛にして、文芸の美なる学術の精なる農工商賈(しやうこ=商売)の昌(しやう)なる百貨の殷(いん=豊富)なる、陸には幾千万の精兵を屯(たむろ)し海には幾千艘(さう)の堅艦を列ね、竜蟠の形虎躍の勢、古より以来未だ今日の隆なるが如き者有らず。
「而して其強盛の勢を槖鑰(たくやく=ふいご)し殷実の富を醞醸(うんぢやう)したる所以の者、其原由(げんいう)は固より多端なりと雖も要するに自由の大義実に此大廈(たいか=大家)の基礎を為せり。
「即ち英国の富強なる、古先(こせん=先祖の )哲王(=立派な王)の遺業に沿因せるも、其大(おほい)に発越(=俊敏)して力を逞(たくま)しくせしは査理第一の時自由の波瀾(はらん)洶湧(きようゆう)して旧弊の堤防を潰決(かいけつ)したるよりして、有名なる大憲令の其間に崛起したる効果最も与りて力有り。
「又仏国の如きも王路易第十四の時早已(つと)に軍旅の威を宣(の)べ文芸の光を発して一代の誉(ほまれ)を騁(は)せしも要するに専擅社会の窖中(かうちゆう)にて蒸出せし所の菌花たるに過ぎずして、真に強盛の勢を固定せしは夫(か)の千七百八十九年革命の偉業の賜なりと謂はざる可らず。
「又日耳曼(ゼルマン=ドイツ)に在ても第十八世紀の時、孛(ぼつ)王非列垤利(フレデリツク)第二の雄勇にして武を四隣に耀(かがやか)せし以来漸く強勢に赴きたるも、仏国革命の旨義(しぎ=意義)の未だ侵入せざるの前に方りては其邦四分五裂して恰も束縄を脱したる薪芻(しんすう=たきぎとまぐさ)の如くなりしが、拿破崙(ナポレオン)第一が共和国指揮官の職を帯び革命の旌旗(せいき)を靡(なびか)して維也納(ウインナ)、伯林(ベルリン)の間に雄飛するに及び、日耳曼の民始て自由の元気を吸納し友愛の滋液を咽下してより以来、形勢一変し風俗一改して駸々乎(しんしんこ)として今日の隆盛を致せり。
「魯失亜(ロシア)の如きに至ては版図の博大なる士馬の数夥(あまた)なるは固より宇内に冠たるも、文物制度に至ては遠く他の三国に遜(ゆづ)る有り、是れ其抑圧の遺禍なりと謂はざる可らず。
「人生百般の事業は譬へば猶ほ酒の如し、自由は譬へば猶ほ酵母の如し。葡萄酒や麦酒や其財料如何に良好なるも若し酵母たる者無きに於ては夫の財料は皆槽底に沈澱して其精気を沸醸せんと欲するも得可らず。
「専制国の事物は皆酵母無き酒なり皆槽底の沈澱物なり。試に専制国の文芸を一観せよ。其中或は観る可き者有るが如きも細(こまか)に是を察する時は千年一様に万個一種にして、変化の態有ること無し。凡そ作者の視聴に呈する現象は皆槽底の沈澱物に過ぎずして作者又其沈澱したる精神を以て之を模写す。其変態無きこと豈宜ならずや。
「人或は言はん、『邦国の富強なるは財貨の殷富なるに由る財貨の殷富なるは学術の精巧なるに由る。何となれば物理学や物化学や動植の学や算数の学や、其効力を把来りて之を工業実地の際に応用し時間を省き体力を倹して其得る所の貨物多くして且つ精なること、大に手指の直に作為する所に勝る。是れ国の殷富なるを致す所以なり。国既に殷富なり。是に於て精兵を蓄へ堅艦を設け釁(きん=隙)を観て出征し地を闢き境を拓き遠く亜細亜、阿非利加の地を略有し、民を移して市場を置かしめ本土の産を賤買して自国の貨を貴売し、利を攫むことを貲(はか)られず(=無限)。工業愈々(いよいよ)熾(さかん)に販路愈々広くして海陸軍備も亦随ふて益々強大なるを致すは、自然の勢なり、自由の制度に縁由(えんいう)するに非ざるなり』と。
「嗚呼此れ其一を知りて未だ其二を知らざる者なり、凡そ人間の事業は尽く相牽聯(けんれん)して交々(こもごも)因果を相為すと雖も仔細に考察する時は其間必ず真個の原因の存する有り。国の殷富なるは学術の精巧なるに原本し学術の精巧なるは国の殷富なるに原本して、是二者交々因果を為すは勿論なり。
「然れども当初学術の精巧なるを得たるは畢竟人士智見の開暢(かいちやう)したるが故なり。然るに智見一たび開暢する時は、人々独り学術の上に於て眼(まなこ)を開くのみならず制度の上に於ても亦眼を啓(ひら)くに至るは必然の理なり。是故に古来何れの国にても、学術の進闡(しんせん)したる世代は必ず政論の隆興したる時候なり。学術や政論や一個智見の根幹より発生する枝葉花実なるが故なり。
「夫れ智見一たび暢発し政論一たび隆興する時は、自由の旨義頓に百般事業の大目的と成りて、学士や芸人や農や工や商賈や苟(いやしく)も一事業を執る者は、皆肆(ほしいまま)に己の思想を伸ばし己の意志を達して拘束の患(うれひ)に遇はざることを願ふて、斯(この)一念日夜胸間に往来して復た除去(のぞきさ)る可らず。
「是時に於て在上の人(=支配者)若し事勢を達観し人情を洞察し、権を恋ひ勢を貪るの鄙念(ひねん)を擺脱(はいだつ=排除)し民間志士の先に立ち旧弊の窓障(さうしやう=遮蔽物)を廓除(くわくぢよ)して自由の大気を流通する時は、社会の機関其運転を逞くし老廃の渣滓(さし)は自然に排泄せられ新鮮の滋液は自然に吸収せられて、学士は益々其議論を精にすることを思ひ芸人は益々其意匠を巧にすることを思ひ農工商賈百般の人皆益々其業を勉励し、上下共に利沢に霑(うるは)ふて所謂殷富の勢を成すことを得るは亦自然の勢なり。僕故に曰く或人の論は其一を知りて未だ其二を知らずと。
「且夫れ世界の大勢は進むこと有りて退くこと無し(=進化の理)。是れ事物の常理なり。此理や古昔(こせき)希臘(ギリシア)に在りて学士輩早已(つと)に之を窺測(きそく)する有りて、即ちヱラクリツトが水流を渉らんとして先づ一足を投じ遽(にはか)に嘆息して『我が今踏破りたる水は已に遠くに流れ去りたり』と云ひしは、正に此理に感発したるなり。但(ただ)当時考験の法式未だ具備せずして学術猶ほ幼穉(=幼稚)に属せしが為に、其言ふ所竟に浮誇(ふこ)の態有るを免れざりき。
「其後第十八世紀の時仏人ヂデロー、コンドルセーの徒は、特に人類社会の中に於て此進歩の理の常々行はれて間断無きことを発見せしが、仏人ラマルク出るに及び動植の学を研究し、始て各種の物皆世代を逐ふて変化して永く一定の種族中に居るに非ざるの説を唱へ、爾来日耳曼ギヨート仏蘭西ジユーフロアー皆ラマルクの説を拡廓して漸く精微に赴き、英人ダルワンに至り其宏博の学と深邃(しんすい)の識とに資(と)り加ふるに考験の法式其精微を極め、生類の母子相伝へて輾転化成するの理を求め及び、特に吾人々類の始祖の出でし所を捜抉(さうけつ)して其秘蘊(ひうん)を発してより、彼ラマルク以下学士の髣髴として窺破(きは)せし所の進化の至理始て大に世に表白するに至れり。
「是に於て凡そ世界万彙(=万物)の蕃庶(ばんしよ=衆多)なる、日月星辰や河海山嶽や動植昆虫や社会や人事や制度や文芸や皆尽く此進化の一理に支配せられて、漸々徐々に前往して已む時無きこと復(また)疑を容れず。請ふ更に細に之を論ぜん。
「夫れ所謂進化とは不完の形よりして完全の形に赴き、不粋の態よりして精粋の態に移るを謂ふ是なり。汎(ひろ)く之を言へば、初め醜なりし者終に美と成り前に悪なりし者後に佳と成るの義なり。
「即ち動物の類に在りては、其初若干原素の相ひ混融して粘滑の一凝塊(ぎようくわい=固まり)を成して、消化機呼吸機等の構造無く唯蠕々(ぜんぜん)然として縮張し、全身の表面よりして食物を吸摂し又其背面よりして渣滓を排泄して僅に生を保ちしも、外間元素社会の刺衝(ししよう)力と自己細胞組織の発暢力と互に触れ交々接して、或は肺を生じ或は胃を生じ更に大に進漸(しんぜん)するに及びては頭脳脊髄の霊より神経繊維の敏なるに至るまで具備せざる莫し。是れ動物進化の理の発顕なり。
「人事も猶ほ此の如きなり。其初め穴居して野処し拾食(しふしよく)して掬飲(きくいん)し男女の交有りて夫婦の契無かりしも、寑(やうや)くにして木を架し石を累(かさ)ねて屋宅(おくたく)斯に興り、或は逐猟(ちくれふ)し或は耕耨(かうどう=耕耘)し男は外に操作し女は内に経営して子を育ひ孫を長ずるに至るが如きは、是れ人事的進化の理の発顕なり。
「政事の点に就て言へば、其初め強者は弱者を凌(しの)ぎ智者は愚者を欺き、脅迫圧服して主人と為り畏懾(ゐせふ)屈従して奴隷と為り、甲仆れ乙起り紛々擾々として統紀無き者、是れ無制度の世なり。
「既にして人々皆闘を厭ひ争を悪(にく)み晏然(あんぜん=安心)として生を送ることを願欲するに際し、一人材徳有る者起りて衆心を収攬し立ちて君と為り、若くは強悍にして姦計に富む者衆庶を籠絡し自ら進みて君と為り、然後(しかるのち)政を発し令を施して一時の治安を図る、是れ所謂君相専擅(せんせん)の制にして政事的進化の理の第一歩なり。
「此種の制度に在ては其君臣官民の両部分を縄束(じようそく)膠着して相離れざらしむるに於て一種無形の器具有りて、復た従前専ら有形の腕力に由りて主人奴隷一時の交際を仮定せしが如くならず、是れ固より一歩を進めたる境界と謂はざる可からず。所謂無形の器具とは何ぞや、曰く君臣の義即ち是れなり。
「蓋し此一義は必ずしも尽く人造の私に出でたるに非ずして、幾分慈愛の心と幾分感恩の心と相抱合して成る所なり。君は其慈愛の心を下に施し民は其感恩の心を上に輸(いた)す是れなり。故に上の慈愛心と下の感恩心との分量愈々多ければ君臣の義愈々重くして上下の交(まじはり)愈々堅し。漢土夏、商、周及び漢、唐等初年の治正(まさ)に是れなり。
「但(ただし)此制度に在て大困難なる病根一有り。何ぞや。夫(か)の民が上に輸す所の感恩心は畢竟君が下に施す所の慈愛心の反射に過ぎざるが故に、君の慈愛心の量一分を減ずる時は民の感恩心の量も亦一分を減じて、其迅速なること響の声に応ずるが如し。然るに君の慈愛心の多寡は元来君一個の資質に属するが故に、不幸にして君たる者若し天姿庸劣なるに於ては群臣如何に啓沃輔導するも一の効果を生ずること無くして、君臣の義斯(ここ)に絶えて乱亡の禍斯(ここ)に生ず。三代、漢、唐の末季正に是れなり。
「且つ縦令ひ天の寵霊に頼りて君主世々至美至良の資質を持して其慈愛心を下に施すこと益々多くして、其反射の効よりして民も亦世々其感恩心を上に輸すこと益々多く、千年万年熙々(きき)暤々(かうかう)の治を保つことを得ると為さん乎、乃ち更に又一大病根の尤も畏る可き者の生ずる有るを見んとす。何ぞや。
「彼民たる者営作して生を計り其獲る所は幾分を官に輸し、此に由りて凡そ邦家の務は悉皆(しつかい)其肩上より卸去(しやきよ)して復た其心を用ひること無くして、学士は唯其文辞の麗なることを思ふのみ芸人は唯其工伎の巧なることを思ふのみ農工商賈は唯其利の贏(えい)なることを思ふのみにして其他を知らず。是に於て其脳膸の作用漸次に萎靡(ゐび)して五尺の身体唯一個の飯袋子(はんたいす)たるに過ぎざるに至りて、即ち学士の文辞芸人の工伎農工商賈の業の如きも終に皆前(さき)に云へる槽底の沈澱物と為りて、生気無く変態無く一国を挙げて唯蠕々然蠢々然たる凝滑の一肉塊と為らんのみ。
「且つ我儕の遠祖が相率ひて自ら君主の治下に帰し百般事務を托して其指令に循ひたるは他に非ず。彼れ無智にして自ら一身の主と為りて生を計ること能はざるが故に姑く其有する所の権理を棄却し一時の安(やすき)を図り、異日其後世子孫の知識益々長ずるを待て将に其れをして自主の権を復せしめんと欲せしなり。
「当時君民の間此の如き明約有りしに非ざるも、其深意を問ふ時は必ず然らざるを得ざり者有り。然るに因襲の久き彼君主は一時我儕遠祖より領収したる権理を持守して肯(あへ)て之を我儕に還(か)へさずして、以為(おも)へらく此れ素(もと)より我有なりと。僕故に曰く、君相専擅の制は愚蒙(ぐもう)にして其無礼を覚らざる者なりと。
「試に世界万国の歴史を繙きて其建基の初より数百千年間政事的旅行の逕路を点検せよ。紛擾無紀の世より出でゝ進化の理第一歩の境界に入りたるの一事は、阿非利加夷蛮の民を除非して余は皆然らざる莫し。
「即ち亜細亜諸国の民は一たび此境界に入りたる以来淹留して未だ進むこと能はざる者なり。欧州諸国に至ては早き者は第十七世紀より、遅き者も亦第十八世紀より第一歩の境界を出でゝ更に第二歩の境界に入れり。是れ即ち東西洋文明の度級の相異なる所以なり、
「猗与(ああ)進化の理乎進化の理乎、前往して倦ざるは汝の常性なり。汝前(さき)に汝が児子を駆り紛擾無紀の曠野を去り専制狭隘の蹊谷に入りて姑く憩休せしめ、其体気強爽なるを待ち更に駆出(かりいだ)して立憲快濶の岡阜(かうふ)に上り益々眼を刮(ぬぐ)ひ胸を蘯(たう)せしめ、更に眸(ひとみ)を転じて仰望すれば緑樹天を摩し雲煙横陳して禽鳥其間に和鳴するを見る。是れ即ち勝景無比なる民主制度の峯巒(ほうらん=峰)なり。
「此峯巒の勝状(しようじやう=勝景)は更に詳(つまびらか)に之を述ぶる有らん。嗚呼進化の理乎進化の理乎、希臘、羅馬の方に盛なる、自由の制度頗る其整備を致せしが如きも畜奴の汚制有りしが為に汝未だ肯て大に其光を放つことを欲せざりき。
「近古に至ては最も首(はじめ)に汝に虔事(けんじ)して崇敬を致せしは英国実に然りと為す。汝が安屈魯撒孫(アングロサクソン)の種族を寵眷(ちようけん)して大不列顚(ブリテン)に光臨せしより、此国の人士相競ふて志を揮ひ気を鼓し自由の旗幟を飜へし、号呼して撞搪し、王査理第一の膏血一たび刑場に迸射(はうしや)して夫の絢爛たる憲章の大文字斯(ここ)に光彩を世に放てり。
「嗚呼進化の理乎進化の理乎、汝素より温仁にして人を殺すことを嗜む者に非ざるも、人情の激する所汝も亦奈何とすること無きなり。人情の旧に拘(かう)し新を怯れ頑迷して路を塞ぐに遇(あ)ふては汝も亦已むことを得ず踢倒(てきたう=蹴つて倒す)して過ぎ去るのみ。我れ固より汝を咎めざるなり。
「所謂進化の理第二歩の界境とは何ぞや、立憲の制即ち是れなり」
洋学紳士又杯を引きて一飲し南海先生に嚮(むか)ふて曰く、「此等陳々腐々の論恐くは先生をして嘔噦(おうえつ=嘔吐)せしめん」
南海先生曰く、「否。欧洲諸国に在ては或は陳腐なるも亜細亜諸邦に在ては猶ほ頗新鮮の気を帯る有り。請ふ倦むこと無くして竟に之を論ぜよ」
洋学紳士乃ち又云ひけるは、「立憲の制に在ても彼君相専擅の制と同く其君長は或は号して帝と称し或は号して王と称し世々相承けて万民の上に儼臨し、又華紳貴族有りて或は公と称し或は侯と称し或は伯と称し子と称し男と称し、亦世々相承け環嚮(くわんきやう)して官家(かんか=天子)を擁衛することも亦専擅国と異なること無し。
「但立憲国に在ては五等爵位の設(まうけ)は多くは其身及び其家の寵栄(ちようえい)を為すに過ぎずして、其爵位に附与する利益は唯上院議員の列に入るの一事有るのみ。其大邑(いふ=大土地)を領し高貲(かうし=財産)を擁するが如きは彼輩が自ら経営して得る所なるが故に、他の農工商賈が自ら封殖して巨財を積めると異なること無し。専制国の貴族が坐ながら民庶の膏血を吸飲して其家を肥すが如きに非ざるなり。是れも亦立憲国の専擅国に比して大に相勝る所以なり。
「且つ専擅の制を出でゝ立憲の制に入りて後人たる者始て個々独立の人身と為ることを得るなり。何ぞや。参政の権なり財産私有の権なり事業を択びて操作するの権なり奉教自由の権なり。其他言論の権と云ひ出版の権と云ひ結社の権と云ひ凡そ此類の諸権は人たる者の必ず具有すべき所にして、此種の権を具備して後始て人たるの声価を有すと為す。
「爰(ここ)に人有らんに、首有りて手無く又は手有りて足無き時は形体的不具の人たるを免れず。彼諸権を有せざる時は是れ精神的不具の人のみ。是故に立憲の制に在ては、民たる者輿望有る人物を票選して代議士と為し托するに立法の大権を以てす。所謂議院なり。是故に議院は全国民意の寓する所にして、宰相大臣は特に議院に隷属して各種の事務を分掌するに過ぎざるのみ。是故に立法権即ち議院は民の為に事務を委託する主人にして、行政権即ち宰相大臣は此委託を受けて事務を処理する役徒たるに過ぎざるのみ。夫れ民たる者既に代議士を出して政務を監督するの権あり。其他天賦の諸権を具有すること固より言を待たざるなり。
「以上論叙する所に由りて之を考ふれば、夫(か)の政事的進化の理第一歩の境界即ち君相専擅の政と其第二歩の境界即ち立憲の政と、相去ること甚だ遼遠なるに非ず乎。
「君相専擅の国に在りては人類と称す可き者は独り王公貴紳有るのみにして、其余百万の生霊は皆精神的不具の飯嚢(はんなう)なるのみ。我儕人民辛勤営作して財を積むも官家若し庫財に乏きか或は不虞(ふぐ=予期せぬ)の費を要する時は、擅(ほしいまま)に令を定めて租税を徴して其用途の果て我儕に益あると否(しから)ざるとは初より之を明示すること無し。是は則ち直ちに我が財を攫み去ると異ならず。何の私有の権か之れ有らん。
「我儕人民意に任せて業に服せんと欲するも煩苛(はんか)の規制有りて自ら肆にすることを得ず。是れは則ち直ちに我身を束縛すると異ならず。何の操作の権か之れ有らん。
「教法(=宗教)に係りては我が心脳を圧束し言論に係りては我が唇舌を鈐戻(けんれい)し、出版せんと欲するか我が手腕を掣係(せいけい)し結社せんと欲するか我が情意を抑遏(よくあつ)し、譬へば猶ほ偶然途上に発生せる草菅(さうかん)の如し。苟も芽を発し根を挿(さしは)さむ時は、或は踏藉(たうせき=踏みにじる)せられ或は抽抜せられて中道にして枯夭(こえう)するのみ。何の自由か之れ有らん。
「且つ此種の国に在りては官途の生甚だ貴くして民間の生甚だ賤しく、現に仕籍に就き吏僚に列する者に論無く(=は勿論)、即ち市井に居て一業に服する者と雖も苟も規模を拡張して大に為すこと有らんと欲する時は必ず官家の庇蔭を借らざるを得ず。
「農や工や商賈や其他百般生業を営むの徒、其田疇広博に其廛肆(てんし=店舗)宏大に其廠屋(しやうおく=工場)壮廓に其使役衆多なる者は問はずして其必ず陽に或は陰に官家私恩の淋滴を乞受(きつじゆ)して其滋液に霑ふことを知るべし。
「即ち文芸を以て高しとする者工伎を以て自ら巧とする者の如き最も権勢の境界と交渉無きが如しと雖も細に覘察(てんさつ)する時は実は然らずして、或は現に身を仕籍に列し或は暗に謁を門閽(もんこん=門番)に通じ諂笑(てんせう=へつらい)諛謔(ゆぎやく)して媚を売り愛を買ふに非ざれば其文章偉麗なること能はず其韵礎鏗鏘(かうさう=鳴り響く)なること能はずして其方伎高妙なること能はず。
「嗚呼官家は猶ほ心臓の如き乎。強靱なる毛髪歯牙の類と雖も血液の養を得ざる時は其枯落すること立どころに待つべきなり。
「夫れ文芸技術の士に在りて猶此の如くなる時は百官有司に至りては果て如何の状を為すや。昔人(せきじん)所謂『官(=職)を公朝に受けて恩(=お礼)を私門に拝し暗夜に憐(あはれみ)を乞ふて白昼に人に驕(おご)る』とは、正に此輩の状態を模写する者に非ず乎。
「人々自ら尊び自ら重んじて嘗(かつ)て屈下(=卑屈になる)せざること是れ丈夫の操守(さうしゆ=節操)に非ず乎。今彼の百官有司の状を観察せよ。果て自尊の気象有る乎自重の意態有る乎丈夫の操守有る乎。若し自尊の気象有り自重の意態有り丈夫の操守有る時は、一日も官職に在ることを得可からざるなり。
「朝(あした)に抗議して侃々(かんかん)の言を発すれば夕には則ち罷黜(ひちゆつ=罷免)の状至る。禄俸の賜(し)を獲(え)ざれば一家数口の者復た活することを得るの道無し。自ら寒餓して死し且つ寒餓して死せしむるよりは寧ろ首を俛(ふ=伏)して緘黙し妻子と団欒して新鮮を茹(く)らひ軽煖を著(つ)くるの愈(まさ)れるに如かず。是れ豈に論理法の最も見易き者に非ず乎。
「何ぞ侃々諤々として昔日に流行して今日に流行せざる人物を模擬することを須ひん哉・・・足下前には某衙に在りて某職に服し後には某庁に在りて某官を守れり。是れ足下官海に游泳(いうえい)すること久しからずと為さず。何ぞ足下の愚頑にして少年習気を脱せざるの甚きや・・・
「然るに凡そ専制の治下に生存する人士に於て最も人をして失笑噴飯せしむるに足る者一有り。是れ実に失笑噴飯せしむるに足ると雖も而かも事の実迹にして、且つ性理の学(=人間の本姓を理として捉へる学、宋学)に徴する時は尤も理に合して必ず然らざるを得ざるを見る。
「何ぞや。曰く彼人士の善く媚(こび)を納れ佞(ねい=へつらい)を呈し儇巧(けんかう)浮滑にして己れを屈することを恥ぢざるに管せず(=拘はらず)、己れと地位を等くして未だ相識らざる者を延接(=面接)し若くは己れの下に位する者を待遇するに至りては、其倨傲なること如何ぞや。
「身を仰(あ)ほぎて竦立し面を側(そば=傾ける)めて横睨(わうげい=横睨み)し、彼れ十言を発すれば己れ徐(おもむろ)に一諾し彼れ哄笑すれば己れ僅に微哂(びしん=微笑)して、磊々落々の風は微塵も有ること無きなり。
「是れ荘重を擬し威厳を飾るの念に出ると雖も抑々亦矜驕(きようけう=高ぶる)して自ら喜ぶ者なり。前の卑屈の状態と相似ずして判然別人なるに非ず乎。曰く然らざるなり。
「夫れ言はんと欲する所を言ひ、為さんと欲する所を為して肆まに自ら舒暢(じよちやう)すること、是れ丈夫児の本性なり。然るに彼れ其初め性を忍び情を抑へ痛く自ら剋戕(こくしやう=殺す)して敢て軽(かるがるし)く発すること無く、久きを経て遂に思はずして善く媚び、慮らずして巧に佞するの田地(=段階)に至りたるも、天稟の情性は終に得て摩滅す可からざる者有り。
「是を以て苟も発舒(はつじよ=伸び伸びする)して後害無きの時機に逢ふ時は、反りて驕傲の態を為して自ら平日卑屈の償を取るのみ。是れ性理自然の勢なり。故に西人の言に曰く、『自由国の人士は温雅にして人と忤(さから)ふこと無く専制国の人士は驕汰(けうたい)にして物に傲(おご)る』と、真に我を欺かざるなり。
「此に由りて之を観れば、自由の制度は独り民生、衣食、経営の間に益あるのみならず、人の心術をして高尚ならしむること誣(し=偽る)ゆ可らざる者有り。嗚呼自由乎、我れ汝を棄てゝ誰と与に適帰(てつき=落ち着く)せん。
「然と雖も夫政事的進化の理を推して之を考ふる時は自由の一義は未だ以て制度の美を尽せりと為す可らずして、必ず更に平等の義を獲て始て大成することを得る者なり。
「何となれば、人々皆尽く諸種の権利を具有して欠る所無く又其権利の分量に於て彼此多寡の差別無きに非ざれば、権利の量の多き者は自由の量も亦多く権利の量の寡き者は自由の量も亦寡きを致すは、是れ避く可らざるの勢なればなり。是故に平等にして且つ自由なること是れ制度の極則なり。
「是故に立憲国に在りて其君主及び五等爵位の設(まうけ)有るが為めに、一国衆民の中に於て更に一種尊貴の物体有りて大に他の物体に区別するが如きは、平等の大義に於て畢竟欠る所有るを免れず。
「彼れ既に自由の旨義の必ず循はざる可らざるを知り憲令を規定し法律を設置し民の諸権を擁護して侵犯を蒙むること無らしむ。是れ其自由の義に於て得たりと為す所以なり。
「然り而して国人の中に就きて其若干数を択取し所謂爵位と称号する無形の繡文(しうぶん)を施して他の物体の上に在らしめ、平等の義に害して之を改むること能はず。夫の政事的進化の理は豈に当に此境界に留まりて已むべけん哉。僕故に曰く、『立憲の制は自ら其過ちを知りて僅に其半を改めたる者なり』と。
「第十七世紀に在りて、英国は他の諸国に先(さきだ)ちて自由の制度を擁立して大に国の光誉を馳せしも、其民資性沈毅(ちんき)に且つ厚重にして一時に尽く旧習は擺脱(はいだつ)して以て新途に進入することを喜ばず。依然として王制を執守(しつしゆ)して今日に至れり。
「然れども深く英国の政を察する時は名は立君と曰ふと雖も実は民主国と甚だ相異なることなくして、君主拠有する所の二三特権を除非する時は其民主国の大統領に異なる所は唯世々相承くるの一事有るのみ。
「是を以て西土の学士政術を論ずるに於て、往々英国の政度(=制度)を以て民主の制中に列して北米聯邦及び仏蘭西、瑞西の諸国と別異することなきは、此れが為めなり。
「然りと雖も所謂『名は実の賓(=従属物)』なるが故に、其実有りて其名有るは固より佳きも其実なくして其名有るが如きは事理(=道理)に於て未だ得たりと為さず。且つや王家儼然として万民の上に臨み世々相ひ承け又五等爵位の設有りて亦世々相ひ承けて夫の平等の大義未だ完全ならざるより、英国人士中高亮(かうりやう=進歩的)にして理義を好むの徒は往々更に一歩を進めて自由の義の外更に又平等の一義を併有して、以て民主の制に循ふことを願欲する者頗衆し。怪しむことなきなり。
「人類なる者は他の動物に比すれば夫の進化の理に循ふこと尤も迅疾(じんしつ=迅速)にして、学士論者は他の人類に比すれば夫の進化の理に循ふこと尤も迅疾なり。而して民主の制は正に政事的進化の理に係る第三歩の境界なればなり。
「立憲の制は、整は則ち整なり備は則ち備なるも、猶ほ人をして隠々然として微(すこし)く頭痛の患(わづらひ)を覚えしむる者有り。吾れ其何の故たるを知らざるなり。我れ其故を知らずと雖も頭痛の患は現に有り。此れ猶ほ炎風の日(=夏)、身に葛衣(かつい)の軽きを著けて頭に鉄帽の重きを戴くが如し。
「民主の制乎民主の制乎、頭上唯青天有るのみ脚下唯大地有るのみ。心胸爽然として意気濶然たり。唯永劫を永しとして前後幾億々年所(ねんしよ=年月)なるを知らず。始なく終なければなり。唯大虚を大なりとして左右幾億々里程(りてい)なるを知らず。外なく内なければなり。
「精神と身体と有る者は皆人なり。孰れを欧羅巴人と為し孰れを亜細亜人と為さん。何ぞ況や英仏独魯をや。何ぞ況や印度支那琉球をや。然(しかる)に今必ず英と云ひ魯と云ひ独と云ふは其国王所有地の名なり。
「人々自ら主として別に主人なき時は国名は唯地球の某部分を指名するに過ぎざるのみ。故に我は某国人なりと云ふは畢竟地球の某部分に居る者なりと云ふの意なり。我と人と畛域(しんいき=境界)有ることなし敵讐の意を生ずることなし。
「然らずして国に一人の主有るに於ては国名は其主人の家号なり。故に我は某国人なりと云ふは畢竟某国王の臣なりと云ふの意なり。此れ我と人と畛域有るなり。斯に於て乎敵讐の意生ずる有り。地球の各部位を割裂し其居民の心をして相互に隔障(かくしやう=隔てる)せしむる者は王制の遺禍なり。
「民主の制乎民主の制乎、其某甲国と云ひ某乙国と云ふは特に地球の部位を劃分(かくぶん)して相呼ぶの便を計るのみ。居民の心意を隔障するに非ざるなり。世界人類の智慧と愛情とを一混して一大円相と為す者は民主の制なり。
「立憲の制悪しからず。民主の制は善し。立憲の制は春なり些の霜雪の気有り。民主の制は夏なり復た霜雪あることなし。漢土(もろこし)人の言に学ばん乎、立憲は賢者なり民主は聖人なり。印度の語を為さん乎、民主は如来なり立憲は菩薩なり。立憲は尊ぶ可し民主は愛す可し。
「立憲は駅舎なり早晩必ず去らざる可らず。其去ること能はざる者は弱行人なり跛人なり。民主は屋宅なり。嗚呼久しくして行旅(かうりよ)して宅に帰へる者は其安きこと何如ぞや。
「仏蘭西は英国に比すれば稍や後れて自由の途に上りたり。然れども一蹴して民主の制に進入せしは真に偉なる哉。英人は多智なり仏人は多情なり。英人は沈毅なり仏人は恢烈なり。英人は一たび進歩の途に上るときは復た失迷すること無し。仏人は其進むこと疾く其退くこと鋭なり。
「嗚呼彼れ豈真に退く者ならん哉。彼れ其王路易第十六の頭を斫(き)り其熱血を掬(くみ)取りて之を欧洲諸国王の頭上に沃(そそ)ぎ、衣無く履(くつ)無く兵無く糧無くして愈々益々奮進し、人々頭上皆平等の大円光を戴き敵丸傷くこと能はず敵刃創くこと能はず、一時に尽く諸国の制度を一変して平等の制と為さんと欲せしが如きは、狂顚に似たる哉。
「拿破崙第一が百挙百克し千戦千勝して孛墺魯英の軍能く当ること無かりしは其韜略(たうりやく=兵法)の奇なるに由ると雖も、抑々当時仏人が平等顚病(てんびやう)の熱気に鼓舞せられて、其体軀其精神並に逈(はる)かに尋常人類の上に出しが為めなり。
「然而て仏人は俄然として其平等大円光の霊験を忘却して反て拿破崙旗幟(きし)の采色(さいしよく)に眩乱(げんらん=眩惑)し、綽約(しやくやく)たる民主の天女を放遣して獰悪なる帝国の猛虎を豢養(かんよう=飼育)し、相率ゐて自ら其餌食(えじき)と為り、甘んじて百年前の時勢に退却して仏国社会の論理頓に其次序を失へり。
「否、是れ正に仏国社会の大文章なり大波瀾なり。英国は能品の文なり、前後次序整然たり。仏国は神品の文なり、突兀(とつこつ=険しい)して次序有ること無し。彼れ其後路易彪立布(ルイ・フイリツプ)を踣(た)ほし査理(シヤルル)第十を踣ほし拿破崙第三を踣ほして民主の政斯(ここ)に其小円団を成せり。
「嗚呼変動居らざること是れ仏国文章の次序なる哉。冒頭より結末に至るまで応接暇あらずして、或は人をして爽快ならしめ或は人をして惨憺たらしめ、或は喜ばしめ或は怒らしむ。英国は一部の学科書なり仏国は一冊の院劇(=演劇)本なり。英はラフアヱルの幀画(たうが)なり仏はミケランジの壁描なり。英は少陵(=杜甫)の律詩なり仏は大白(たいはく)の古風なり。英は程不識(ていふしき)なり仏は李公(りかう)なり。日耳曼は如何。是れ政事国のみ。未だ政理国と為すを得ざるなり・・・」
洋学紳士遽に曰く、「僕偶(たまた)ま興に乗じて喋々(てふてふ)して大に論理の序を失へり。先生、請ふ恕せよ」
是時洋学紳士は一層音声を揚励して曰く、「且つ夫れ大邦に雄拠し百万の精兵を蓄へ百千数の堅艦を列し民物殷阜に土産饒多なる者在りては、富強を以て自らを恃みて一代を雄視(=威勢で他に対する)すること固より難きに非ず。
「疆土狭小に民衆寡少なる者に至ては、理義に拠りて自ら守るに非ざれば他に憑恃(ひようじ=依拠)す可き者有ること無し。陸軍は則ち十許万に過ぎず船艦は則ち十許艘に踰(こ)えず。
「若し大に水陸軍備を張りて他の強国に遜(ゆづ)らざらんと欲する時は、財用の給せざる、重税苛斂(かれん)して以て怨(うらみ)を民に買ふことを免れず。田野を闢(ひら)き農桑を勧むるも、土地の素より狭小なる、暴(にはか)に之を博大にすることを得可らずして、地の出す所は一定の限有りて随意に増殖す可きに非ず。
「工業を興張して利益を機械若くは手技に収めんと欲する乎、貨物殖生するも販路の求むべき無きを奈何せん。試に欧洲諸国財利の形勢を一見せよ。英国は印度を跨有(こいう)して根本を固め、凡そ亜細亜、亜非利加、弥利堅(メリケン)の諸洲至る処地を略し、氓(たみ)を移し以て自ら肥やすの計を規画して遺漏有ることなし。
「仏蘭西は亜非利加に於てアルジヨリーを割有し印度に於て西貢(サイゴン)を割有し支那に於て安南を割有し、其他諸国に至りて拠る所の土地大小有りと雖も、伸ぶる所の威権軽重ありと雖も、皆占侵する所有らざる莫くして、自国貨物の為めに販路を通ずるの策既に固定せざる莫し。
「区々(=微少)一小邦の民たる者(=日本)、今に於て僅々十万数の兵衆を出し十百艘の船艦を発し、遠く地を境外に略して以て本土財利の流注を疎通せんと欲するが如きは、愚に非ざれば狂なり。唯努めて自ら守り自ら足(たらは)すことを求む可きのみなれば、則ち何ぞ此が為めに一策を出すことを求めざるや。一策とは何ぞや、請ふ言はん。
「民主平等の制を建立し人々の身を人々に還(か)へし城堡(じやうほう)を夷(たいら)げ兵備を撤して、他国に対して殺人犯の意有ること無きことを示し、亦他国の此意を挟むこと無きを信ずるの意を示し、
「一国を挙げて道徳の園と為し学術の圃と為し、単一個の議院を置き国の脳膸をして岐裂(=分裂)せざらしめ、凡そ丁年に満ちて白痴瘋癲其他品行に係りて障碍無き者は貧富を論ぜず男女を別たず、皆選挙権有り皆被選挙権有りて皆一個の人と為らしめ、
「地方官は上(かみ)県令より下(しも)戸長に至るまで皆公選と為して行政官に媚ぶることを須ひざらしめ、並に法吏を以て公選と為して亦行政官に媚ぶることを須ひざらしめ、
「大に学校を起し謝金を要すること無くして国人をして皆学に就きて君子と為るの手段を得せしめ、死刑を廃して法律的残酷の絞具を除き保護税を廃して経済的嫉妬の隔障を去り、
「風俗を傷敗し若くは禍乱を煽起するに至らざるより(=限りは)は一切言論、出版、結社に係る条例を罷(や)めて、論者は其唇舌の自由を得聴者は其鼓膜の自由を得筆者は其手腕の自由を得読者は其目睫の自由を得集者は其脛脚の自由を得る等、是れ其綱領なり。細目は別に之を審議せんのみ。
「道徳の園は人之を愛し之を慕ふ、之を壊(やぶ)るに忍びざるなり。学術の圃は人之を利し之を便とす、之を毀つことを欲せざるなり。請ふ、試に一たび之を行はん哉。之を行ふて悪しければ止めんのみ。何の害有るか。
「物化学家を看よ。苟も発見する所有るときは試験室に入りて試験するに非ず乎。試に亜細亜の小邦を以て、民主、平等、道徳、学術の試験室と為さん哉。吾儕或は世界の最も貴ぶ可く最も愛す可き天下太平四海慶福の複合物質を蒸餾することを得ん哉。吾儕或は社会学実験的のプレステリー(Priestley)、ラウオアジエー(Lavoisier)と為らん哉、此れ即ち僕が所謂一策なり。
「且つ夫の進化神は常々蒞(のぞ)みて人類の頭上に在るも、其威怒を奮発することは或は頻数(ひんさく)なる有り或は稀疎(きそ)なる有り。或は百数年に一たび怒を発し或は数千年に一たび怒を発し、其怒を発すること頻数なる時は其怒たるや甚激烈ならざるも、其数千年に一たび怒を発する時は其怒たるや実に懼る可し。
「他なし、吾人々類の姑息なるや、夫の神の其温仁の顔を示し和柔の声を垂るゝの間は不平等の巌石(がんせき)路(みち)に横はるも除かず不自由の荊棘逕(みち)に満るも芟(くさき)らざるが故に、夫の神は其至るに及び自ら其威怒を奮ふて其輪蹄(りんてい)を通ずるは已むことを得ざればなり。
「是故に夫の神を奉ずる政事家の僧侶は各々其国に於て古来夫の神の怒を発したる度数を計(かぞ)へて、苟も其稀疎なりしを認めるときは、其準備に於て奮発勉励してに大に滌蕩(てきたう=洗浄)振刷(=刷新)する所有る可きなり。
「若し政事家の僧侶たる者深く此道理に於て意を用ひざる時は、数十百年の後或は其君主をして英王査理第一と為らしめ仏王路易第十六と為らしめて、君に禍ひし民に禍ひして且つ後世の笑と為るを免れず。戒めざる可けん哉。
「今縦令ひ大に滌蕩改革する所有ること能はざるも、増々巌石を攢列(さんれつ)し益々荊棘を叢植して早晩必ず光臨し来たる所の進化神の通路を梗塞(かうそく)して故(ことさ)らに其震怒(=激怒)を招くが如きは、彼れ誠に何の心ぞや。
「人或は云はん、『民主の制は誠に理に合するも実行するに於て甚だ難き者有り。智識既に進み風俗既に完(まつた)きに非ざれば、民主の制は祗(た)だ以て乱階(=争乱)を為すに足らんのみ。
『大統領有りて行政の職に首長たるも衆民の選挙に頼りて職を獲るが故に其威厳遠く帝王に遜る有るを以て、一日姦豪の非望を覬覦(きゆ)するに遇ふときは官民解体して挙国潰乱するを免れず。且夫れ尊貴の位に在ることを願欲するは人の情なり。
『大統領の職実に選挙に頼りて立つと雖も、他の人民に比する時は固より尊貴にして衆民に誇耀するに足る者有り。是(ここ)を以て民主の国に在りては苟も志気有る者は皆自ら進みて統領の職に登ることを冀幸(きかう)し、百方策を竭(つく)して輿望(よばう=人気)を釣弋(てうよく=獲得)することを求めて、躁進の風終に得て防ぐ可らず。此れ民主国の通患なり。
『立憲の制に至りては此に異なり、帝王の職常主(じやうしゆ)有りて以て非望を鎮圧するに足りて又貴重にして侵す可らざる憲法有るが故に、王公将相の尊と雖も敢て自ら肆にすること能はずして民庶皆其自由を守りて喪はざることを得るなり。
『故に立憲の制は君相専擅の制と民主の制との中間に居る者なり。其君位の尊厳なるが為めに非望を鎮圧するよりして言へば専制国に類する有り、其人民の自由なるよりして言へば民主国に似たる有りて、畢竟此両制度の利を併有して其害無き者と謂ふ可し。
『是を以てモンテスキユーは其法律の精神の書に於て、スチアールミルは其代議政論の書に於て、並に諸制度を論じて其必ず民俗高下の度に適当せざる可らざるの意を言へり』
「嗚呼是言や此れ所謂老生の常談なり。天下進歩の運を妨阻する者なり。着実なるに似て実は非なり。且つ方今現に民主の制に循ふて治を為す者を観察せよ。北米聯邦や仏蘭西や瑞西や、果て其民皆君子に其俗皆醇粋にして欠る所なき乎。然らざるなり。
「大統領改選の期に遇ふ毎に常に禍乱に免れざる乎、然らざるなり。姦雄の徒常(つに)に非望を覬覦するの患有る乎、然らざるなり。
「更に一層を進めて之を論ぜんには、若し立憲国の民たる者唯其尊厳なる君主有るが為めのみにして安寧を得る時は、是れ其安寧の福利は自己の自由の権に頼りて得る所に非ずして君主に頼りて得る所なり。
「嗟乎君主も人なり我も人なり。同一人類の身にして自己の権に頼りて生を為すこと能はずして僅に人に頼りて生を為すが如きは、豈羞づ可きの甚きに非ずや」
洋学紳士更に言を発して云ひけるは、「且つ民主の制度は、兵を戢(おさ)め和を敦くして地球上万国を合して一家族と為らしむるに於て欠く可らざるの一事なり。
「夫れ万国兵を戢め和を敦くするの説は第十八世紀の時に於て仏人アベール・ド・サンピヱール(Abé deSaint-Pierre)始て之を唱へしと雖も、当時此説を善しとする者甚だ寡くして、往々云へるに『是れ終に行ふ可らず』と、又甚き者は或はサンピヱールを謔弄(ぎやくろう)して空論家と為すに至れり。即ちウオルテールの高朗にして尤も意を社会進歩の運に留めしも、サンピヱールの説を聞き猶ほ一二嘲謔(てうぎやく)の言辞を放ちて自ら慧とし自ら聡とせり。
「独りジヤンジヤツクは酷だサンピヱールの説を賛称し其雄偉の筆を振ふてサンピヱールの著書を褒揚して、乃ち言へり、『此れ必ず世に存せざる可らざる一書なり』と。
「其後独乙人カントも亦サンピヱールの旨趣を祖述し、万国平和と題号する一書を著して兵を寝(や)め好(よしみ)を敦くする事の必要たることを論道せり。其言に曰く、『更に一歩を退けて論ぜんには、縦令ひ人心功名を好み克捷(こくせふ=勝利)を喜ぶの情終に除く可らずして平和の実竟に世に施す可らずと為すも、苟も理義を貴尚する者は当に務て此田地に前往することを求む可きなり。他なし、是れ正に人類の責任なればなり云々』と。
「但(ただし)後世学士輩未だサンピヱールの説に満たざる所の者蓋し一有り、其兵を寝むるの手段是れなり。
「凡そ古今諸国の兵を挙げて相ひ攻撃するに至る所以の者其原因多しと雖も、細に之を考ふる時は帝王若くは将相たる者功名を好み武震を喜ぶの一念常に之が厲階(れいかい=禍端)を為せり、故に万国民主の制に循ふに非ざれば兵を寝むるの事終に得て望む可らず。
「サンピヱールは此に慮(おもんばか)らずして当時各国の形勢に於て曾て心を留めずして、唯旧来の制度に沿因して略ぼ更革(かうかく=改革)を加ふること無くして、専ら条約誓盟の末を顧みて以て平和の実を得んと欲せり。
「殊に知らず彼(か)の帝王将相は唯彼我強弱の勢是れ察し、彼れ強くして我れ弱ければ已むことを得ず一時平和を講じ盟を締(むす)びて自ら紓(の=和解)
ぶることを求むるも、一旦国富み兵強きに及びては、盟約千紙有りと雖も豈に復た其桀驁(けつがう=驕り)の志を尼(とど)むるに足らん哉。
「是故に近時仏蘭西の理学士ヱミール・アコラースは、其諸種法律の区別に於て世の所謂万国公法を取りて之を道徳の中に列して之を法律の中に列せず。其意思へらく、
『凡そ法律と云ふ者は必ず之を司掌(ししやう=司る)し之を施行するの公官有りて且つ又違反する者ある時は必ず之を懲罰する有り。否(しから)ざれば竟に真の法律と為す可らず。若夫れ(=しかるに)道徳は履行すると否ざると唯人々の衷情に在るのみ、世の所謂公法も亦此の如し、既に施行に任ずる法衙無く又懲罰を司どる公吏無し。是れ固より法律と為すことを得ず』と。
「アコラース又諸国戦争の種類を論じて曰く、『凡そ戦の由りて起る所の者其目(もく)四有り、曰く王家系統の争なり、曰く宗教の争なり、曰く人種の争なり、曰く商法の争なり』
「顧ふに此四種の原因の中にて、宗教の争と人種の争との如きは近日既に跡を斂(おさ)めて復(また)力を逞しくすること無し。今日に在りては土地の要勝(=要衝)を争ひ若くは貨物の販路を競ふが為めか、或は王家嗣続の権を争ふが為めに兵を用ゆる者実に多きに居る。
「此前の者はアコラースの所謂商法の争にして此後の者は其所謂王家系統の争なり。而して更に其秘蘊を捜抉する時は、其原因孰れに在るを問はず或は帝王其功名を収むるが為めに瑣屑(させつ)の名義を口に藉(し)きて兵を弄するに至る者多きに居る。若夫れ民主の国に至ては自由の理、平等の義、友愛の情の三者を以て社会の根基と為し、其隣国に勝ることを求むるは特に学術の精と財利の富との二点に存するのみ。之を要するに立君国は有形の腕力に頼りて隣国に勝ることを求め、民主国は無形の旨趣に頼りて隣国に勝ることを求むる是れなり。
「サンピヱール一たび万国平和の説を唱へしよりジヤンジヤツク之を頌賛し、カントに至り益々此説を拡充して理学精粋の体裁に合せしむることを得たり。茲に其言を挙げん。
「カントの言に曰く、『万国兵を寝め和を敦くするの好結果を得んと欲する時は諸国皆尽く民主の制に循ふに非ざれば不可なり。諸国既に民主の制に循ふ時は是れ民の身は復た君主の有に非ずして己れの有なり。民苟も自ら有し自ら主たる時は豈に復た自ら好みて相屠斬するの理有らん哉・・・
『二国相攻撃するに方りて凡そ戦より生ずる所の災禍は誰か之れに当る乎。兵を執りて闘ふ者は即ち民なり。金を出して軍費に充るは即ち民なり。廬舎焚焼(ふんせう)せられ田野踏藉(たふせき)せられて其害を受る者は即ち民なり。事平ぐの後国債を募集して善後の策に任ずる者も民なり。而して此種の国債は終に償却し尽すことを得可らず。何となれば戦一たび交はる時は禍(わざはひ)連なりて怨結びて、一旦和を講ずるも久からずして復た発することは避く可らざるの勢なればなり。果て此の如くなる時は、民たる者豈に自ら好みて戦端を開く理有らん哉云々』
「又曰く、『立君の国に在りては然らず。彼の帝王は一国の所有者にして国士(=国民)の員に非ざるが故に、其民の血を灌(そそ)ぎ其民の財を糜(び)することは帝王の意に於て少も恤(うれ)ふる所に非ず』
「何ぞや、両軍既に接して礟彈(はうだん)交々死を放ち銃丸互に創を送り肝脳地に塗(まみ)れ膏血野を潤ほすの時に於て、彼の帝王は或は苑中に在りて游猟し或は宮裡に居りて宴飲して略ぼ平日と異なることなし。且つ彼れ其初め兵を出すや堂々たる名義を以て口に藉(し)くも、実は其民の性命と財産とを賭(かけもの)にして自己の功名を求むるに外ならずして、所謂戦は帝王に在りて畢竟戯楽の一種たるに過ぎざるのみ。
「是故に近時欧洲諸国の学士中、兵を寝め和を敦くするの説を唱ふる者は皆民主の制度を主張し、然後宇内万国を合して一大聯邦を組成せんと欲す。其言誇大なるに似たると雖も、夫の政事的進化の理を推して考察する時は未だ必ずしも然らざるを見る。
「嗚呼進化の理乎、何ぞ速に汝の輪(くるま)を転じ汝の蹄(ひづめ)を運(めぐら)し、栽(う)ゆる者は之を培(つちか)ひ傾く者は之を覆へし、大塊(たいくわい=地球)上幾億々の生霊をして皆熙々皞々(ききかうかう)として生を懐(やす)んぜしめざる乎。
「嗚呼欧洲幾億数自由の人民よ、汝等各々汝の国に在りては民刑諸種の法律有りて、汝の身体汝の財産汝の家室を護りて横さまに害を蒙ること無らしむ。
「即ち兇暴人有りて敢て害を汝の身に加ふる時は、彼の法律は速に懲罰して汝をして自ら慰むることを得せしむ。汝或は汝の財賄(ざいわい)に於て損害を受くること有るも起ちて与に闘ふことを須ひずして、唯一紙の書を持し出訴して足る。則ち彼の公平なる法吏は明文に拠り処断して汝をして償を取らしむ。
「是は則ち汝の生たる、蛮野交闘の危難を出でて文明制度の安靖(あんせい)に入ることを得たりと謂ふ可し。
「汝更に眸を転じて汝が四境の外を視察せよ。汝が隣人の鋳鍛(ちうたん)する所の熕礟(こうはう)鎗銃(さうじゆう)は一日汝を一発の下に轟殺(がうさつ)するが為めなり。汝が廬舎(ろしや)を燬灰(くゐかい)するが為めなり。其構造する所の鉄艦水雷は汝が臨海の屋樹を震衝するが為めなり。汝今日枕を高ふして安眠すると雖も明日或は屍を原野に暴すも未だ知る可らず。
「人と人とは文明の生なり。家族と家族は文明の安なり。人の団聚(だんしゆう)なる民と民とは蛮野の生なり。家族の集合なる国と国とは蛮野の危なり。
「痘瘡(とうさう)の其毒を伝ふるや牛痘(ぎうとう)以て之を避くることを得可し。瘧疾(ぎやくしつ)の其威を肆まゝにするや石炭酸以て之を防ぐことを得可し。隣敵の硝弾は之を避ることを得可からず。火の屋宅を焼き水の舟船を覆すや保険の制以て之を償ふことを得可し。隣敵の兵禍は之を弭(とど)むることを得可からず・・・
「汝真に汝の隣敵が一日汝を斬屠し汝を創戕(さうしよう)し、汝が田宅を焼暴し汝が港湾を轟破することを憂ふる乎。汝何ぞ速に汝が熕砲(こうはう)を銷毀(せうき=溶かす)せざるや。汝が鉄艦を焚焼(ふんせう)せざるや。
「第十九世紀の今日に在りて、真に武震を以て国光と為し侵略を以て国是と為し人の土を奪ひ人の民を殺し、必ず地球の所有主と為らんと欲する者は真に癲狂国なる哉。我れ欧洲の東偏に於て一個の癲狂国有るを見る。其歴世君主の孫謀(そんぼう=子孫のための計画)を観て知る可し・・・
「劇薬を投じて其効力の意外に激甚なりしを見て自ら驚悔する者は日耳曼なり。呉下の阿蒙(ごかのあもう=進歩のないこと)を侮り反りて屈を受けて自ら憤恨する者は仏蘭西なり。多く田宅を買ひ貨財を積みて人の来り攘(ぬす)むことを畏れ百方防禦に苦む者は英吉利なり。
「児童が大人の恣睢(しき)猖狂(しやうきやう)するを見て其心中種々の憂慮有ることを知らず妄に欽羨(きんせん=羨望)して其列に加はらんと欲する者は伊答利なり。顚狂人四五人相共に棍棒を揮ふて乱闘するの間に居て可憐の嬰児が嬉戯遊笑して反りて創傷を免るゝ者は、其れ白耳義(ベルギー)、荷蘭(オランダ)、瑞西(スイス)乎。
「米利堅乎米利堅乎、封建侯国の武士が妄に藩の名誉を抱負して交々勇を賈(か)ひ互に疾視するを観て笑ふて顧みず、専ら家業を勤めて多く財貨を致す者は其れ米利堅乎。
「心神頑鈍にして敏ならず手足重拙にして捷ならざるも軀幹の大なるを恃みて人と闘ふことを怯れざる者は、亜細亜の一大国乎。身体尫羸(わうるゐ=弱い)に志気怯弱なるが為めに相与に一朋を為して時々他の兇童の来り虐するに苦む者は、亜細亜の諸島乎・・・
「咄(とつ=チエッ)。汝其中一神童の在る有るを見ざる乎。彼れ其至る所未だ量る可らざるなり。汝何ぞ盲なるや」
「仏蘭西や日耳曼や、査理大帝の時に在りては此両人実に一体を為せり。其後王路易第十四の仏蘭西妄に日耳曼を伐て之に克ち、其後非列垤利(フレデリツク)第二の孛漏生(プロイセン)は仏蘭西を敗りて怨を報ひたり。
「其後拿破崙第一の仏蘭西又妄に日耳曼を伐て之に克ち、近日維廉帝の孛漏生は仏蘭西を敗りて又怨を報ひたり。世々相攻伐し世々相報復する時は何の窮已(きゆうい=終点)か有るや。維廉帝の孛漏生と拿破崙帝の仏蘭西と実に怨を結べり。孛漏生人の孛漏生と仏蘭西人の仏蘭西とは果て何の怨か有るや。
「孛漏生人の孛漏生と仏蘭西人の仏蘭西と此両人は皆文明人なり皆学術人なり。狶突(きとつ=猪突猛進)の武夫に非ざるなり。仏蘭西は既に仏蘭西人の仏蘭西と為れり、孛漏生一日孛漏生人の孛漏生と為るに於ては、吾れ其結びて兄弟と為るを見る。仏蘭西の機敏なるや孛漏生の沈重なるや、吾れ其結びて有朋と為るを見る。
「魯失亜乎魯失亜乎、狶突の武夫なり。汝も亦歴山(アレキサンドル)帝の魯失亜を去りて魯失亜人の魯失亜と為らん乎。暴亢(ぼうかう)なる虚無党が時々激烈なる手段有るは吾れ固より其深意有るを知るなり。
「英吉利も亦文明人なり学術人なり財を積むことを好む者なり。故に其或は暴を亜細亜、阿弗利加に肆まゝにするは、其実は魯失亜の暴なることを患へて已むことを得ざるに因る乎・・・
「英や仏や魯や独や、汝唯汝の児子中に豪傑と称する怪物を出さゞることを是れ務めよ。不幸にして豪傑の怪物出る時は慎で其言ふ所を聴くこと勿れ。汝若し誤りて其言を聴く時は汝は終に汝の有と為ること能はずして怪物の有と為らん。
「今一言せんには、地球上諸大国多くは皆愚にして立君の制を守りて自ら禍ひし且つ其君に禍ひし或は将に其君に禍ひせんとす。諸小国たる者何ぞ進みて民主の制に入りて自ら福ひし且つ其君に福ひせざるや。
「地球上諸強国多くは皆怯(けふ)にして交々畏れ互に憚りて兵を蓄へ艦を列ねて反りて自ら危くす。諸弱国たる者何ぞ自ら断じて兵を撤し艦を散して以て安きに就かざる」
豪傑の客膝を進めて曰く、「紳士君の言は誠に学士なる哉。学士の言は之を書に筆す可くして之を事に施す可らず。紳士君試に倫敦(ロンドン)、巴勒(パリ)、伯林(ベルリン)、伯徳武児屈(ペテルブルク)に遊び力を竭して君の高論を唱道せん乎、彼国新聞記者は或は其雑報欄中に於て戲れに之を掲げん。政事家は恐くは之を・・・」
洋学紳士遽に曰く、「政事家は必ず之を狂とせん。政事家の為めに狂とせらるゝこと是れ正に僕の自ら誇る所以なり。学士なる哉学士なる哉。今の所謂政事家は天下の最も政事に拙なる者なり。学士なる哉学士なる哉。古人云へり、『理学士政を秉らざる間は真の治平は終に望む可らず』と。信なる哉」
豪傑の客曰く、「紳士君の旨趣は僕詳(つまびらか)に之を解せり。但更に請問す可き一事件有り。抑も紳士君が諸弱小国に勧めて速に民主の制に循ひ且つ速に兵備を撤せしめんと欲するは、其意窃に米利堅、仏蘭西の如き民主国が其志を偉なりとし其業を奇なりとして来り援くることを冀幸(きかう=希望)するに非ざる無きを得ん乎」
洋学紳士対(こた)へて曰く、「否々。一時の幸(しあはせ)を倖(さいはひ)として国の大事を断ずること是れ政事家の動(やや)もすれば計を誤る所以なり。僕は但理義を是れ視るのみ。彼米利堅、仏蘭西の属が我志を偉なりとして我業を奇なりとして我を援輔するか、或は他の魯英独の属が万国均勢の義に由て我を保護するが如きは、皆自(おのづか)ら彼輩の事なり。我れ何ぞ与り知らん」
豪傑の客曰く、「然ば則ち若し兇暴の国有りて、我れの兵備を撤するに乗じ兵を遣はし来りて襲ふ時は之を如何」
洋学紳士曰く、「僕は断じて此の如き兇暴国の有ること無きを知る。若し万分の一、此の如き兇暴国有るに於ては吾儕各々自ら計を為さんのみ。但僕の願ふ所は我衆一兵を持せず一弾を帯びず従容として曰はんのみ、
『吾儕未だ礼を公等に失ふこと有らず。幸に責らるゝの理有ること無し。吾儕相共に治を施し政を為して争訌(さうこう=内紛)すること有ること無し。公等の来りて吾儕の国事を擾(みだ)すことを願はず。公等速に去りて国に帰れ』と。
「彼れ猶ほ聴かずして銃礟を装して我に擬する時は我衆大声して曰はんのみ、『汝何ぞ無礼無義なるや』と。因て弾を受けて死せんのみ。別に繆巧(びうかう=巧妙)の策有るに非ざるなり」
豪傑の客失笑して曰く、「甚き哉理学の旨趣の人心を錮蔽(こへい=盲目にする)するや。紳士君の数時間来滔々の弁を奮ふて宇内の形勢を論じ政事の沿革を述べしも、最後の一着は挙国の民手を拱(きよう)して一時に敵丸の下に斃(たふ)るゝに過ぎざるのみ。談何ぞ容易なるや。有名なる進化神の霊験は果て此の如き者乎。幸にして僕は明に他の衆人が必ず此神の仁心に依頼せざることを知るなり」
洋学紳士曰く、「欧洲学士戦争を非とする者皆曰く『進撃は義に反するも防禦は義に合す』と。其意各個人有する所の正当防禦の権を把り来りて之を邦国に移さんと欲す。
「僕の意を以て之を考ふれば此れ甚だ理学士の旨趣に非ざるなり。何ぞや。元来人を殺すは悪事なり。生理的の秩序を壊(やぶ)るが故なり。是故に寧ろ人我を殺すも我れ人を殺すこと勿れ。其人の盗賊兇漢たると否(しから)ざるとは問ふ所に非ざるなり。何となれば彼れ我を殺さんと欲す故に我も亦彼を殺すと曰ふときは、是れ猶ほ彼れ悪事を為さんと欲す故に我も亦悪事を為すと曰ふが如くなればなり。
「人或は云ふ、『性命は至て貴重なり。然るに彼盗人は故無くて我生命を絶たんと欲す。故に我れの彼れを殺せしは自ら貴重の生命を守るが為なり』と。僕は将に曰はんとす、『生命は誠に貴重なり。我れの性命貴重なるときは人の性命も亦貴重なり。其盗たると否ざるとは論ずる所に非ざるなり。故に我れ専ら自ら禦ぎて我性命を守り以て巡吏の来るを俟つときは大に善し。若し然らずして彼盗の生命を絶つときは復た理学士の旨趣に非ざるなり。故に曰く、正当防禦の権は実際姑く已むことを得ざるが為なり』と。
「然に此を以て之を邦国に移すときは益々理に合せざるを見る。何となれば敵国来寇するに方り我れ苟も我軍を列し我銃を発して自ら防せぐときは、既に是れ防禦中の進撃にして悪事たるを免れざればなり。故に曰く、各個人正当防禦の権を移して邦国の間に用ゆるときは益々理学的の旨趣に非ざるなり。
「豪傑君、僕の意に於て我邦人が一兵を持せず一弾を帯びずして敵寇の手に斃れんことを望むは、全国民を化して一種生きた道徳と為して後来社会の模範を垂れしむるが為めなり。彼れ悪事を為すが故に我も亦悪事を為すと曰ふが如きは是れ即ち君の旨趣なり、何ぞ其れ鄙なるや」
南海先生は此答問を聴き黙して一言も発せざりしが、是に至り更に自ら一飲し因て二客に觴(さかづき)して云へるは、「紳士君の高論は僕既に之を聞くことを得たり。豪傑君、願くは亦偉説を垂示して以て僕に教ゆるあれ」
豪傑の客乃ち云ひけるは、「抑も戦争の事たる、学士家の理論よりして言ふ時は如何に厭忌(えんき)す可きも事の実際に於て畢竟避く可らざるの勢なり。且つ勝つことを好みて負くることを悪むは動物の至情なり。虎獅豺狼(こしさいらう)に論無く虫蛾の類に至るまで苟も両間(=天地の間)に呼息する者皆殺獲を以て事と為さざるは莫し。
「試に看よ。生物の中に就きて愈々霊慧(れいけい=賢い)なる者は愈々猛勇にして愈々蠢愚(しゆんぐ=愚か)なる者は愈々怯懦なり。家鳧(かふ=アヒル)は禽中の最も愚なる者にして家猪(かちよ)は獣中の最も蠢(しゆん=愚か)なる者なり。
「鳧(かも)は唯鶃々(ぎつぎつ)の声を発するのみ、蹄齧(ていけつ=蹴つたり噛んだり)すること能はず。豕(し=豚)は唯喁々(ぎようぎよう)の音を揚ぐるのみ、蹄齧すること能はず。是二物果して温仁なりと為すを得る乎。
「試に小児を看よ。僅に匍匐(ほふく)して身を運するに及びては犬狸(いぬねこ)の属を見れば或は棍(こん=棒)を挙げて之を打ち或は尾を攫んで之を曳きて、彼れ其円穉(えんち)の顔色欣々然(きんきんぜん=嬉嬉)として自ら快とせり。
「其然らざる者は必ず体軀尫弱(わうじやく)にして気力無き者なり。且つ忿怒(ふんぬ)は義気の発なり苟も義気有る者皆怒らざる者莫し。故に狸(ねこ)の鼠を捕ふるは狸の義気なり、狼の鹿を捕ふるは狼の義気なり。是二物豈不仁と為す可けん哉。是二物を以て不仁と為すは畢竟吾儕人類中の言語なるのみ。
「且つ彼の学士は理論を貴びて闘争を賤(いや)しむと雖も、実は亦勝つことを好みて負くることを悪むを免れず。試に看よ。両学士の相嚮(むか)ふて各々其持説(じせつ)を述るに方(あた)りてや、交々論じ互に駁(ばく)し其末や声を励まし膝を動かし目を嗔(いか)らし腕を扼(やく)し、相共に囂々(がうがう)として復た敵家の言ふ所を聴くこと無し。
「彼れ必ず曰はん、『己れの勝つことを好むに非ず。己れが主張する所の理の勝つことを好むのみ』と。遁辞なる哉。若し真に理の勝つことを好むのみならば何ぞ虚心平気にて其旨趣を述べざる乎。
「争は人の怒なり、戦は国の怒なり。争ふこと能はざる者は懦夫(だふ)なり戦ふこと能はざる者弱国なり。人若し争は悪徳なり戦は末節なりと曰はゞ僕は対(こた)へて曰はんとす、『人の現に悪徳有ることを奈何せん。国の現に末節に徇(したが)ふことを奈何せん。事の実際を奈何せん』と」
「是故に文明国は必ず強国なり、戦ふことありて争ふこと無し。厳明なる法律有り、故に人と人とは争ふこと無し。強盛なる兵力有り、故に国と国とは戦ふこと無きこと能はず。
「夫の野蛮の民は常々相争ふて已まず。豈復た戦ふに暇(いとま)有らん哉。是故に古今の史籍に徴するに、昔の文明国は昔の善く戦ふ者なり今の文明国は今の善く戦ふ者なり。斯抜篤(スパルタ)善く戦へり羅馬善く戦へり。近世に在りては英仏独魯最も善く戦ふ者なり。
「是故に世運益々進み智竇(ちとう=知恵)益々開くるに及び其戦に於て兵を用ること益々衆(おほ)く武器益々精(くはし)く城塁益々固し。是故に武備は各国文明の効の統計表なり戦争は各国文明の力の験温器なり。
「二国将に戦はんとする乎、学術最も精なる者、貨財最も富める者必ず勝を獲(う)可し。其武備殷実なるが故なり。五洲の中に就き欧羅巴、文明最も進めり。故に武備最も充てり。戦最も強し。是れ其明証に非ず乎。是れ事の実迹に非ず乎。
「魯失亜兵百余万有り、将に土耳古(トルコ)を呑まんと欲し将に朝鮮を併さんと欲す。日耳曼も亦兵百余万有り。既に仏蘭西を蹋翩(たふへん=蹈み破る)して将に威を亜細亜に伸べんと欲す。仏蘭西も亦兵百余万有り。将に讐を日耳曼に報ぜんと欲し又新に地を安南に略せり。英吉利堅艦百余有り。地球上到る処殖民地無きは莫し。
「且つ近日欧洲諸強国の為す所を見ずや。魯英独仏互に目を嗔らし交々腕を撫で機を視て将に発せんとするの勢は恰も爆発薬を堆積して地上に滾転(こんてん=転がす)するが如し。一時轟然(がうぜん)として迸裂(はうれつ=破裂)する時は、千百万の兵卒は欧洲の野を蹂藉(じうせき)し百千艘の闘艦は亜細亜の海を攪破(かくは=攪乱)せんとす。是時に於て区々として自由平等の義を唱へ四海兄弟の情を述ぶるが如きは真に陸秀夫(=南宋の忠臣。元との戦の最中に皇帝に『大学』の講義をした)の『論語』(=『大学』)なる哉。
「炎熱爞々(ちゆうちゆう)として蒸すが如く焼くが如し。人有り机に対し椅(い)に憑(よ)り或は書を披(ひら)ひて呻吟し或は目を瞑(と)じて反観(はんかん=反省)し、流汗面に漲り背に湛へて自ら其熱を覚えず。
「冬夜将に五更ならんとす。灯(ともしび)微(かすか)に灯冷(ひややか)に硯水(けんすい)磨するに随ふて氷結し、手足頭面、胸腹背脊(はいせき)、一点の温気有ること無し。其人や亦机に対し椅に憑り或は書を披ひて呻吟し或は目を瞑じて反観して自ら其寒を覚えず。
「彼れ果て何の楽む所有る乎。楽む所有り。其楽みたるや極て大なり。彼れ其脳中の智慧方(まさ)に一心衆力の将帥と為り、迭升(てつしよう=帰納)法を銃礟とし迭降(てつかう=演繹)法を船艦とし諸種謬戻(びうれい=誤謬)の勁敵(けいてき=強敵)を撃破して真理の国都に進入せんとす。其楽たるや極て大なり。
「商人は市道不振の勁敵に勝て巨利を攫むことを楽み、農夫は気候不序の勁敵に勝て豊穣を獲ることを楽む。其他一業を執り一技を修むる者皆勝利を求めざる莫し。皆快楽を願はざる莫し。人各々皆楽む所有り国も亦楽む所無かる可けん哉。
「人をして楽ましむる者は各人の心なり。国をして楽ましむる者は宰相の謀策なり武将の韜略(たうりやく)なり。謀策妙にして与国(よこく=同盟国)先を争ふて盟(ちかひ)を我に納れ韜略奇にして敵国一戦の下に破敗す、国の楽たる其れ如何ぞ、
「且つ紳士君は専ら戦争を以て不好事と為し、兵卒の櫛風沐雨の苦(くるしみ)を想像して真の苦と為し、兵卒の焦頭烈脚(せうとうれうきやく)の痛を想像して真の痛と為す。
「真の苦ならん哉、真の痛ならん哉、戦は勇を主とし勇は気を主とす。両軍将(まさ)に合せんとす。気は狂するが如く勇は沸くが如し。是れ別天地なり是れ新境界なり。何の苦痛有らん哉。
「敵軍我を距(へだた)ること若干里にして其処に止舎(ししや)す。我が大将往(さ)きに候騎(=斥候)を遣はして委曲其状を審(つまびらか)にせり。我衆彼山腹を繞(めぐ)り此逕路を過ぎ敵の後に出で敵の横に出で、敵の不意に出で一時に熕礟を発し一斉に鎗銃を放ち煙に乗じて馳突(ちとつ)し風を負ふて撞衝(どうしよう=突進)せば、我れ必ず勝を一撃に決することを得ん。
「吾れ且つ身を挺して先登せん。死せざるを得る乎勇烈三軍に冠たらん。死する乎名を身後に留めん。是れ卒徒の楽なり。其楽あるや極て大なり。且つ紳士君の祁寒(きかん)を畏れず炎熱を怯(おそ)れず書を披ひて呻吟し目を瞑じて反観し自ら以て苦痛と為さず。武夫たる者何ぞ死傷を以て苦痛と為さんや。
「曠野茫々として十里以内人家を見ず。四望すれば岡巒(かうらん)起伏し蜿蜒(えんえん=うねる)し屏風を列ねるが如し。天晴れ風静にして初日(しよじつ)霜を照らし枯草平舗(へいほ)し痩茎(そうけい)蹈むに随ふて摧折(さいせつ)す。晩秋に非れば初冬なり。
「敵軍前に当りて陣す。其衆は十万なる可し十一二万なる可し。其将校は某々なり善く兵を用るの名有り。其士卒は頗る精勁(せいけい=精強)にして其兵仗(へいぢやう=武器)は頗る鋭利なり。
「我軍十万皆剛烈にして素より吾が将略に服す。我れ捷(かち)を得れば銃剣敵の背に接し長駆して都に入り地を裂き金(かね)を要し、和(わ)成りて我王国の武威斯に四隣に光被せん。捷を得ざれば則ち一死以て驍名を世に播(ほど)こさんのみ。是れ大将の楽なり。其楽たるや極て大なり・・・紳士君紳士君、君は筆墨を以て楽と為せ、僕は戎馬(じゆうば)を以て楽と為さん」
南海先生是言を聞き微笑して曰く、「公等年壮に気鋭なり各々其楽を以て楽と為す可し。余の楽む所は唯此れ有るのみ」と。因て又一二杯を連飲し胸を撫で曰く、「快なる哉」
洋学紳士曰く、「豪傑君、方に君と共に国家の大計を論ず。一身の楽を論ずるに非ず。君も亦少(すこし)く本論の外に出るに似たり」
南海先生曰く、「豪傑君善く人心の奥区を捜抉し善く人情の快楽を模写す。性理家の説に得る有る者に似たり」
豪傑君曰く、「僕過てり。請ふ直に本論に入らん。方今宇内万邦の相競ふて武を尚ぶや、凡そ学術の得る所種々精妙の効果は皆資(と)りて以て戎馬の用に供して益々其精鋭を極む。即ち物象の学、物化の学、算数の学の如きは或は以て銃礟を精にし或は以て城塁を堅くし、農工商賈の業の如き或は以て軍器の費に給し或は以て粮食の用に充つ。
「之を要するに凡そ百般の業皆転注匯流(かいりゆう=回流)して力を軍政に輸(いた)さゞる莫し。是れ其百万の兵衆数百千の艦隊が一号令を待て直に敵城を指して進み敵港を望で駛(はし)りて、期会に後れ節度に違ふの患無き所以なり。嗚呼此幾万々虎狼の眼下に在りて国を為す者、軍政を外にして何を恃みて自ら維持せん哉。
「然と雖も彼れ百万の兵有りて我兵十万に過ぎず彼れ千百の艦有りて我艦数十に踰えざるに於ては、日々に練習を事として其精鋭を極むるも要するに児戯に等しきのみ。要するに一時目を怡ばすの観に過ぎざるのみ。此を用(もつ)て以て外侮を禦(ふせ)がんと欲するが如きは愚に非ざれば狂なり。
「我港湾未だ熕轟(こうがう)の害を受けず、是れ幸なるのみ。我堡塁未だ焼夷の禍を被らず、是れ幸なるのみ。彼れ元来我を畏るゝこと有るに非ず。彼れの来寇せざるは彼れ自ら未だ来寇するを得ざる理由有るが故なり。彼れ一日来寇せんと欲せば輒ち来寇せんのみ。則ち我港湾は轟破せられんのみ。我城堡は焼夷せられんのみ。我州郡は割裂せられんのみ。我都城は・・・嗚呼今日に在て衆小邦たる者其れ危殆なる哉。
「然と雖も邦(くに)小なる者は猝(には)かに之を大にせんと欲するも得可らず。邦貧なる者は暴(には)かに之を富(とま)さんと欲するも得可らず。兵寡きも之を増すことを得可らず。艦少きも之を多くすることを得可らず。然ども兵を増し艦を多くし邦を富し邦を大にせざる時は或は亡滅に至るも未だ知る可らず。是れ算数の理なり。
「波蘭(ポーランド)と緬甸(ビルマ)とを見ずや。幸なる哉今日に於て我れ現に邦を大にし邦を富し兵を増し艦を多くするの策在りて存す。何ぞ速に此策に従事せざるや。
「亜細亜に於て乎(か)阿非利加に於て乎、僕偶ま忘れたり、一大邦の在る有り。僕偶ま其名を忘れたり。是れ甚だ博大なり甚だ富実なり而て甚だ劣弱なり。僕聞く此邦兵百余万衆有りと雖も、然ども混擾(こんぜう=混乱)して整はず緩急用を為すに足らずと。僕聞く此邦制度有るも制度無きが如しと。
「是れ極て肥腯(ひとつ)なる一大牲牛(せいぎう)なり。是れ天の衆小邦に餌(えじき)して其腹を肥さしむ所以なり。何ぞ速に往て其半を割(さか)ざるや、其三分の一を割かざるや。
「一紙の詔令を発し尽く国中の丁壮を募る時は之を少くするも四五十万衆を得可し。府庫(=宝物蔵)の財を傾くる時は、之を少くするも数十百艦を賈ふ可し。兵往き商往き農往き学士往き、兵は戦ひ商は販(あきな)ひ農は耕し工は作り学士は教へて、彼邦の半(なかば)若くは三分の一を割取りて我邦とするに於ては、我れ其れ大邦と為らん。
「財阜(ゆた)かに人衆(おお)く乃ち敷くに政教を以てせば、城塁起す可く熕礟鋳る可く、陸には百万の精鋭を出す可く海には百千の堅艦を泛(うか)ぶ可し。我小邦一変して魯失亜と成り英吉利と成らん・・・
「旧小邦は如何(いかん)か之を措置せん。我れ既に新大邦を得たり。旧小邦は何ぞ心に留むることを須(もち)ひんや。
「且つ我君上は親(みづか)ら我中軍に将とし某々々々水師提督と某々々大中少将とを随へて自ら擁衛(ようえい)し、堅牢無比なる某艦に御して海を踰え、往(さき)に我某道の軍の大捷(=大勝)を得たるに乗じ某地を卜して都を奠(さだ)め新に宮殿を起し、構築極て宏麗にして幾層の楼閣挺然(ていぜん)として雲表(うんぺう)に聳え、羽林(=近衛兵)は環列し飛騎は囲屯し儼然たる帝者の居を為せり。故に我君上は我新大邦の君上なり。
「旧小邦は外国の来り取るに任せん。魯失亜先づ来る乎、我れ之を与へん。英吉利先づ来る乎、我れ之を与へん・・・否々此れ上策に非ず。旧小邦には民権家有り民主家有り。彼輩多くは君主を好まず兵隊を好まず。我君主我兵隊は皆新大邦に徙(うつ)れり。故に旧小邦を挙げて之を民権家民主家に与へん。彼輩の喜びは則ち知る可きなり。上策に非ず乎。
「歴代の山陵を如何せん。民権家如何に兇頑にして君主を好まざるも、既に升遐(しようか=崩御)したる君主をも好まずして敢て無礼を陵墓に加ふるに至らんや。年々使節を遣はして幣を奉ぜば何ぞ追遠(ついおん)の礼を欠くに至らんや。
「我既に一大邦を奄有(えんいう=所有)し、土広く民衆(おほ)く兵強く艦堅く、益々農を勧め益々を商を通じ益々工を恵み益々政令を修むるに於ては、我官家は財益々殷阜にして此を以て彼の欧米文明の効力(=成果)を買取り、我庶民も亦財益々殷阜にして此を以て彼の欧米文明の効力を買取るに於ては、彼英仏魯独の悍強なるも復た何ぞ我を侮ることを得ん哉。
「且つ彼英仏独魯の諸国が今日富強を致せし所以の者は一朝一夕の故に非ずして、其原因たる極て滋(しげ)く其手段たる極て蕃(しげ)し。
「或は賢哲王の統御して仁恵を布くあり。或は俊傑宰相の君主を輔けて内外の政を整理する有り。或は名将の武勲を建つる有り。或は碩学の士の至理妙義を唱ふる有り。或は巧芸の士の精器を造る有り。
「昇平(=太平)の時に在ては之を停蓄し之を浸漬(しんし=染込ます)し、兵争の候に於ては之を泄釃(せつし=濾過)し之を攪攤(かうたん=攪拌)し、膏雨(かうう)以て之を潤ほし晴日以て之を晒(さ)らし、或は阻隘(そあい=隘路)を去りて坦夷(たんい=平坦)に就き或は激湍(げきたん=早瀬)を出でゝ穏流に入り、或は右に或は左に或は緩に或は急に、千辛万苦して以て今日文明の境界に透徹せり。
「是れ其年歳を費やし智力を費やし工夫を費やし生命を費やし財貨を費やしたること如何ぞや。然るに我れ一時傍らより其効果を分ち取りて文明の境に闖入せんと欲せば、金を出して買取るに非れば他に手段無きなり。然るに文明の価は極めて貴くして些少の額を以て之を賈ふ可きに非ず。
「故に小邦に在りて暴(には)かに之を買取らんと欲する時は国財頓に尽くるに至らん。若し徐々に金を出して徐々に買取らんと欲するときは、買得たる所未だ幾何(いくばく)ならずして我は則ち彼の為に呑併せられん。何となれば我れ小なりと雖も、彼れ若し我を併呑する時は更に其文明の具を増すに於て幾分益する所有る可ればなり。
「且つ縦令ひ彼温仁にして憐みて敢て我を併呑せざるも、彼れの強大にして我れの弱小なる、我れ自然に消融し自然に糜滅(びめつ)するを免れず。譬ば猶一滴水を炎日に晒すが如し。彼日は必ずしも水を乾すの意有るに非ざるも水は則ち自然に蒸気と為り散滅して已まんのみ。是れ強弱大小の勢なり。
「是故に他邦に後れて文明の具を得んと欲する者は其術多種なりと雖も要するに巨額の金を出して買取るに外ならずして、小邦に在りては其費を給すること能はず。必ず更に一大邦を割取りて己れ自ら富国と為らざる可らず。
「然るに天の寵霊(ちようれい)に頼(よ)りて眼前厖然たる一大邦の在る有りて土壌豊沃にして兵衆軟弱なるに於ては、何の幸か之に踰る有らん。仮ひ(=もし)彼大邦をして強盛ならしめば我割取りて自ら富まんと欲するも得可らず。今幸に彼大邦現に惰懦(だだ)にして与し易き時は、小邦たる者何ぞ速に之を取らざるや。之を取りて自ら富み自ら強くするは取らずして自ら消滅するに勝ること万々ならずや」
豪傑の客更に一杯を飲で又云ひけるは、「且つ縦令専ら内政を修明して異日文明の地を為さんと欲するよりして考ふるも、今の時は外征の策実に已む可らざる者有り。以下之を論ぜん。
「抑も他邦に後れて文明の途に上る者は、一切従前の文物、品式、習尚(=風習)、情意を挙げて之を変更せざる可らず。是に於て国人中必ず旧を恋ふの念と新を好むの念との二者発生して、反対の観を呈するに至るは勢の自然なり。
「其旧を恋ふの徒に在りては凡そ新規の文物、品式、習尚、情意は皆軽浮の状虚夸(きよこ)の態有りて、之を見れば目を汚すを覚え之を聞けば耳を涴(けが)すを覚え之を言へば嘔噦(おうえつ)し之を念へば昏眩(こんげん)す。
「其新を好むの徒は正に之に反して、苟も旧規に属する事物は皆腐壊して一種の臭気有るが如く汲々として唯(ただ)新規是れ求めて後るゝことを恐る。即ち其未だ此の如き極端に至らざる者と雖も、細別する時は必ず此両党中の一に列在することを見る。
「要するに恋旧好新の二者は此種の国民中氷炭相容れざる二元素なり。顧ふに此二元素は之を分析すること甚容易ならざるも、年齢と州俗(しうぞく=風俗)とに由りて判断するときは大抵之を別つことを得可し。
「試に実際に就て点検せよ。齢三十以上の人物は往々皆恋旧家にして三十以下の人物は往々皆好新家なり。即ち三十以上の人物にして自ら務めて新事物を採用して且つ其意(そのい)実(じつ)に之を嗜好するに至りたるが如き者と雖も、仔細に覘考(てむかう)するときは知らず識らず時々恋旧の情発生して其力を逞くするを見る。
「三十以下の人物に至ては、父親の教育或は恋旧家の習を免れざるも其自ら言為する所は自然に好新の元素を包含して恋旧元素と相容れざるを致す。怪しむこと無きなり。
「彼三十以上の人物に在て其十二三齢即ち稍や人事に感触するの齢に及びたる以後は、其の日々に業とする所は詩書(=詩経と書経)を誦(しよう)し語孟(=論語と孟子)を読み否ざれば剣を撃ち槍を揮ひ、又其耳目の触るゝ所心志の遇ふ所旧事物に非ざる莫くして、深く脳膸に印著して復た拭(ぬぐひ)去る可らず。
「若夫れ(=しかるに)三十以下の人物は、其頭脳未だ一点の写影を受けざるに及びて早く已に新事物の為に浸漬(しんし)せられて其好新の念直に一心の主と為ることも得たり。是れ此両齢の好尚(かうしやう=嗜好)を殊にする所以なり。
「人或は云はん、『三十以上の人物と雖も夙に英仏の書を学び若くは翻訳諸書を誦し若くは時勢に鞅掌(あうしやう)して、夫(か)の自由、平等、権理、責任等の旨趣に於て頗る其蘊奥を究め新途に進入すること是れ務めて、肯(あへ)て少壮の後(しりへ)に居らざる者甚衆し。未だ年齢を以て之を別つ可らず』と。
「是れ洵(まこと)に然り。高明の才を持し卓偉の見を具ふる者は固より常理を以て之を論ず可らず。若夫れ其他は年齢の為に局せられざる者実に希なり」
「試に彼三十以上の人物が妻子の間に在る時を観よ。其児子が夏日絹傘を持して日を遮り若くは冬日絨巾(じゆうきん)を纏(まと)ふて寒を防ぐを見るときは、輒ち叱して云ふ、『汝何ぞ脆弱なるや。炎日何ぞ畏るゝに足らん。寒風何ぞ怯るゝに足らん』と。
「是れ其意其児子をして寒暑の刺衝に習はしむるに在らずして、特に其少時曾て此二物(=絹傘と絨巾)を用ひしこと有らざるが為めなり。又其妻が学芸を話説し若くは時々を談論するを聞くときは、輒ち痛く戒(いまし)めて云ふ、『汝一婦人唯中饋(ちゆうき=家事)を司りて足るのみ。今後復た此の如き事を吐出して他人の為に冷笑せらるゝこと勿れ』と。是れ其意或は牝鶏(ひんけい)の晨に至る(=雌鶏が時をつくる)を戒(いましむ)るに在らずして特に其少時に於て婦人が此等の事を話することを聞きしこと有らざるが故なり。
「然而て其児子は窃に笑ふて云ふ、『何ぞ吾父の疎暴にして衛生の道を解せざるや』と。其妻は陰(ひそか)に哂(わら)ふて云ふ、『何ぞ吾良人の頑戇(がんたう=頑愚)にして時風に通ぜざるや』と。故に曰く、恋旧好新の二元素は大概年齢に由りて分別することを得ると。
「又此両元素は亦州俗に由て分別することを得可し。大抵封建の時大邦を享けて租額二十万石以上の者は、大率(おほむね)其四境を閉ぢて外国人の来入ることを禁ぜり。是(ここ)を以て其人畢生の見聞する所は皆邦内の事物に出でずして終身の接遇する所は皆邦内の士女(=男女)に過ぎず。
「是を以て其思想其習尚其被服並に其言語に至るまで自ら一定の態有りて儼然として別に一種族を為せり。即ち租額二十万石以下の小邦と雖も其都邑僻陬(へきすう)に在て外邦と交接せざる者は亦此と異なる無し。
「要するに此等の邦俗は皆質朴にして武を尚び以て国風を成せり。是を以て其人多(おほく)は疎豪(そがう=磊落)にして厚重(こうぢゆう=重厚)なり、鄙野にして雄剛なり。否ざれば忌克(きこく=妬み深い)にして陰険なり、頑鈍にして椎魯(ついろ=鈍感)なり。
「是を以て其人多くは旧を恋ふて新を厭ひ悲壮慷慨の気に富みて縝密(しんみつ=緻密)周匝(しうさふ=周到)の才に乏し。
「若夫れ四通八達の地に国せし者の如きは、其民常々四方の事物に接触し四方の人士に応酬し紛々擾々以て生を為せり。是を以て其俗皆華侈(くわし=贅沢)にして文を喜ぶ。是を以て其人多は旧を棄て新を謀るに於て極て迅速なり。
「若夫れ高明の才を持し卓偉の見を具ふる者は固より常理を以て之を論ずるを得ざるも、其他は邦俗(はうぞく=国風)の為に局せられざる者実に希なり。故に曰く、『恋旧好新の二元素は大概州俗に由て分別することを得る』と。
「然而て彼(か)の後れて文明の途に上りて一旦改革の運に際したる邦国に在ては、此二元素広く朝野に被(かう)むり遍く官民に及び、隠然として挙国人心の中に潜行黙発して到る処互に其力を角(かく)し交々捷利(=勝利)を競ひ、宰相大臣の間に在ては宰相大臣を乖隔(かいかく=隔離)し百僚の間に在ては百僚を乖隔し在野人士の間に在ては在野人士を乖隔し、農工を乖隔し商賈を乖隔し親子を乖隔し夫妻を乖隔し子弟を乖隔し朋友を乖隔し、之を上にしては廟朝(べうてう)百年の大計に於て、之を下にしては民生日常の事業に於て、之を顕著にしては対面堂々の議論に於て、之を隠微にしては飲食嗜好の瑣事に於て、苟も人生機心の寓する所は此二元素必ず相擠排(せいはい)し相剋争して復た調和す可らず。
「是に於て一国の中、朝野官民、学士芸人、農工商賈等従前族類の区画の外に於て別に二大党類を生出するに至る。此れ実に救療し難き大病患なり。
「某大臣某将軍は旧甲藩の人なり某大臣某将軍は旧乙藩の人なり。甲藩は大邦なり、其然らざれば遠陬に僻在(へきざい)して他邦人と交接すること無かりき。其俗質朴にして武を尚び其人疎豪にして厚重なり。否ざれば其人克忌(=忌克)にして陰険なり。
「乙藩は小邦なり、其然らざれば四通の路に国して八達の衢(く)に邑せり。其俗華侈にして文を喜び其人敏慧にして縝密なり。否ざれば其人諂佞にして浮滑なり。我れ是に於て明に其孰れか最も恋旧元素に富みて孰れか最も好新元素に富むことを知る。若夫れ高明の才を持し卓偉の見を具ふる者は之を測ること能はざるなり」
「某大臣某将軍は四五十齢なり。某大臣某将軍は二三十齢なり。我れ是に於て明に其孰れか最も恋旧元素に富みて孰れか最も好新元素に富むことを知る。若夫れ高明の才を持し卓偉の見を具ふる者は我れ是を測ること能はざるなり」
「且つ在野人士中同一自由の義を唱へ同一革進の説を張るの徒に在ても、夫の恋旧好新の二元素隠然として其力を逞くして両家の人をして各々別様の色態を呈せしむ。
「試に看よ。好新元素に富むの徒は理論を貴び腕力を賤しみ、産業を先にし武備を後にし道徳法律の説を鑽研(さんけん=研鑽)し経済の理を窮究(きゆうきう)し、平居(へいきよ)文人学士を以て自ら任じて武夫豪傑の流(=の)叱咤慷慨の態は其痛く擯斥(ひんせき)する所なり。宜(む)べなり此輩の景慕する所はチヱール、グラツトストーンの徒なり拿破崙、ビスマルクの輩に非ざるなり。
「若夫れ恋旧元素に富むの徒は然らず。彼れ其れ自由を認て豪縦(がうしよう)不羈(=身勝手)の行と為し平等を認めて鏟刈(さんがい)破滅の業と為し悲壮慷慨して自ら喜び、法律学の佶屈(きつくつ)なる経済学の縝密なるが如きは其深く喜ばざる所なり。
「是故に此輩をして仏国革命の紀事を誦(しよう)せしむる時は、立法国会及び契約国会が上下紛擾の間に在て不朽の典章を建立して第十九世紀の新世界を開闢(かいびやく)したるが如きは初より心を留めずして、ロベスピヱール、ダントンの徒が相ひ競ふて屠斬(とざん)の暴を恣にせしを見るに及びては蹶起(けつき=立ち上がる)して快と呼び、其為せし所を為さんと欲して流涎三尺なるに至る。怪むこと無きなり。
「此輩は今より二三十年前に在りて皆剣を撃ち槍を揮ひ屍を馬革に裹(つつ)む(=討死すること)を以て無上の栄誉と為せし者にて、其尚武の習は遠く祖先の遺伝する所にして寓(よ)せて(=その象徴は)三尺の剣に在り、其身に至り益々宝重して失はず。廃刀の令出るに及び涙を把りて之を筺裡(くゐやうり=箱中)に蔵(をさ)めしも、心中猶ほ窃に自ら祝(=祈る)して一日取出して之を用ゆるの機会に遭遇することを願はざる莫し。
「其後民権自由の説海外より至るに及び、彼輩は則ち翕然(くふぜん=一致)として之に嚮往(きやうわう=殺到)し所在(しよざい=至る所)相ひ共に結聚して党幟(たうし=党旗)を飜へし、曩日(なうじつ=昔)の武夫一変して儼然たる文明の政事家と為れり。
「嗚呼彼れ豈真の文明政事家ならん哉。彼れ其脳中本(も)と自ら馬革旨義を蓄へ湮鬱(いんうつ=憂鬱)して洩らすこと能はず。適々(たまたま)民権自由の説を聴き其中に於て一種果敢剛鋭(がうえい)の態有るを見て喜びて以為へらく、『是れ我が馬革旨義に類似する有り。如かず封建遺物の馬革旨義に易(か)ふるに海外舶齎(はくせい=舶来)の民権旨義を以てせんには』と。
「彼輩脳膸進化の正史蓋(けだ)し此の如し。固より真の進化に非ざるなり。彼輩太だ国会を好む。其大声疾呼(しつこ)するに便なるを好むなり。其宰相大臣に抗するに便なるを好むなり。
「彼輩太だ改革を好む。旧を棄てゝ新を謀ることを好むに非ざるなり。唯専ら改革することを好むなり。善悪倶に改革することを好むなり。破壊を好む(=は)、其勇に類するが故なり。建置(=建設)を好まず、其怯懦に類するが故なり。尤も保存を好まず、其尤も怯懦に類するが故なり。
「被選権を得ざるが為に国会に入ることを得ざる乎。城南の某街に在て城北の某街に在て傾圮(けいひ=崩れかけ)せる寺院有り、彼輩の倶楽部なり。大臣を攻撃し議士を攻撃し新聞記者を攻撃して余力を遺さず。唯攻撃することを好むが為めに攻撃して初より自ら何の故に攻撃することを知らざるなり。
「既にして一新聞を発兌(はつだ)せり。社説文辞中何の字か最も多き。顚覆、破壊、斬戮(ざんりく)、屠殺等の字は吾れ其甚少からざるを知る。其実辞(じつじ)に在りては肝脳(かんなう)、鮮血、頭足等の字面は用ひて以て詞句を瑰麗(くわいれい=華麗)にする所なり。僕是に於て始て仏のマラー、サンジユスト輩が仏蘭西大革命の前三五年に在て定(さだん)で恋旧家なりしを覚ゆるなり。
「嗚呼恋旧好新の二元素が塁を対して廟廊の上に相値(あ)ふや、邦家の大計に於て妨阻する所(ところ)有ること如何ぞや。此の如き現象は古今歴々証す可くして実に人をして頭を痛め額を蹙(あつ)めしむるに足る。
「恋旧元素は大抵状貌(じやうばう=容貌)魁岸(くわいがん=偉大)にして志気雄豪なり。或は雄豪なるに似たり。而て事に遇ふ毎に猛断峻行(しゆんかう)して後害(こうがい)を顧みず輿論を憚らず、平生無事の日に在ては高拱(かうきよう)緘黙(かんもく)して自ら喜び、一切緻密なる思考を須ひ円滑なる実行を要する事項は瑣砕(ささい=些細)なりとして之が措置を施すことを屑(いさぎよし)とせずして、曰く、『我れ素より迂拙(うせつ=迂闊)にして此事に当るに足らず。誰某(だれぼう)慧巧(けいかう)にして幹錬(かんれん=熟練)なり能く勉励して事に従ふ。彼れ自ら当に之を弁ず可きのみ』と。
「蓋し平生大関係無き事条に於ては専ら愚を以て自ら智とし拙を以て自ら巧とし、其或は知る所を枉げて知らずとし其或は能くする所を故らに能せずとして他人に推諉(すいゐ=委託)して肯て与らず。其意に以為へらく、『是れ小事のみ何ぞ心を用ふるに足らん』と。
「一旦利害の関する所有るに及では頭を昂げて一言し、衆議洶々たるも略ぼ恤(うれ)ふること無く可と無く否と無く必ず其言ふ所を行ふことを以て目的と為して、中道にして遽(にはか)に他人の議に従ふが如きは其極て恥辱とする所なり。
「好新元素は然らずして、事に遇ふ毎に小と無く大と無く必ず慎み必ず重んじ、心を焦し慮(おもんばかり)を凝らし本を揣(はか)り末を度(はか)り、丁寧周匝(しうさふ=周到)にして必ず弊害無きを審(つまびらか)にするに非れば敢て断行すること無し。
「故に其容顔は往々清爽(せいさう=さつぱりした)にして其志趣は往々沈実(ちんじつ)なり。或は沈実なるに似たり。
「恋旧元素は屈撓(くつたう=屈服)すること無きを以て目的と為して好新元素は失敗すること無きを以て目的と為す。看よ古今此二元素が相共に朝(てう=政府)に立つの時に在ては、其施設(=施政)する所往々人をして了解すること能はざらしむ。怪む無きなり。
「其塁を対し相争ふに於て恋旧元素若し捷(かち)を得る時は官の令する所必ず果断の意を帯ぶる有り。好新元素若し捷を獲る時は官の令する所必ず周匝の態を呈する有り。是に於て凡そ若干年来、甚しきは若干月来の施令する所を把りて前後相対比するときは、其趣向極て相(あひ)類(るい)せざるを見る。
「若夫れ(=一方)其薦引(せんいん)し其奨抜(しやうばつ)する所の人物に至ては其相類せざること何如ぞや。彼れ各々其悦ぶ所の者を薦引し、其愛する所の者を奨抜するは自然の情なり。是に於て吏の器局(ききよく=器量)有る者若くは器局あるが如き者は好新元素喜で是を吸引し、吏の操守有る者若くは操守あるに似たる者は恋旧元素好で之を噏納(きふなふ=吸収)す。是れ固より心術的化学の理なり。
「是に於て百司(ひやくし=役所)の主長に論無く、即ち刀筆小吏(たうひつのせうり=下端役人)に至るまで、苟も恋旧元素の吸引する所に非れば必ず好新元素の噏納する所にして、夤縁(いんえん=取り入る)して依附(いふ=頼る)し、矯飾(けうしよく)して粉塗(ふんと)し、以て各々自ら售(う=宣伝)りて後日の地(=足場)を為すことを求め、堂々たる官府を挙げて二元素党類の窟宅(くつたく=巣窟)と為るに至ること史を按じて徴す可きなり。
「紳士君紳士君、一国中朝と無く野と無く両元素交々力を角し互に捷利を競ひ、一旦或は大(おほい)に相抵激(ていげき=激闘)して互に勝敗を一挙に決せんと欲するに及では、国其れ殆(あやう)ひ哉。
「即ち然らずして両元素各々自ら戒めて相共に務て和合することを求むるも、其原質の相容れざるより措置の間自然に阻格(そかく=妨害)の患を生ずること何如ぞや。必ず二元素の一を除去るに非れば国家の事復た為す可らざるなり。
「紳士君紳士君、若し此二元素の一を除くこと能はざるに於ては、君の崇敬する所の進化神は僕固より其霊験無きを見るなり」
洋学紳士曰く、「必ず二元素の一を除くことを要するに於ては、恋旧元素を除かん乎将た好新元素を除かん乎」
豪傑の客曰く、「恋旧元素なる哉。好新元素は譬へば生肉なり恋旧元素は譬へば癌腫なり」
洋学紳士曰く、「君往(ゆ)き(=先程)に僕の言を譏(そし)りて学士の迂論なりと為せり。今は改革の運に際する邦国の二元素を論ずるに及び、其好新元素を存して其恋旧元素を除かんと欲して之を癌腫に比するに至る。君の言恐くは前後相容れざるに似たり。真理を誣(し)ゆ(=誤魔化す)可らざること固より此の如き哉」
豪傑の客笑ふて曰く、「然り。君は純乎たる好新元素なり。民主の制に循ひ且つ兵備を撤せんと欲す。僕は固より恋旧元素なり。武震に頼りて国を救はんと欲す。君は唯生肉を肥やすことを知るのみ。僕は国の為めに癌腫を除くことを求む。癌腫を除かざれば生肉を肥やさんと欲するも得可らざるなり」
洋学紳士曰く、「癌腫を除くの方法は如何」
豪傑の客曰く、「割去らんのみ」
洋学紳士曰く、「君戯言すること勿れ。癌腫は疾病なり固より割去ることを得可し。恋旧元素は人身なり豈割去ることを得可けん哉。君請ふ戯るゝこと勿れ」
豪傑の客曰く、「癌腫は之を割かんのみ。恋旧元素は之を殺さんのみ」
洋学紳士曰く、「恋旧元素を殺すの方法は如何」
豪傑の客曰く、「之を駆りて戦に赴かしむ是なり。彼の恋旧元素は其朝堂に布列する者と市井に家居する者とに論無く、皆太平を厭ひ無事に苦しみて所謂咄々(とつとつ=不満)脾肉(ひにく=もも肉)の生ずることを如何とすることも無し。国家若し令を発して戦端を開くときは二三十万の衆立(たちどこ)ろに麾下に致すことを得可し。
「僕の如き者も亦社会の一癌腫なり。自ら割去りて久く邦家生肉の害を為さゞることを冀ふのみ。癌腫の割断場は亦彼の僕が名を忘れたる阿非利加か亜細亜の一大邦に若くは莫し。
「故に僕は二三十万衆の癌腫家と倶に彼邦に赴き、事成れば地を略して一方に雄拠し別に一種の癌腫社会を打開せん。事成らざれば屍を原野に横(よこた)へ名を異域に留めん。事成るも事成らざるも国の為めに癌腫を割去るの効果は必ず得可きなり。所謂一挙両得の策なり。
「是故に僕が胸中蓄ふる所の第一策は、尽く国内の丁壮を挙げ彼大邦に赴き、小を変じて大と為し弱を変じて強と為し貧を変じて富と為し、然後巨額の金を出して文明の効を買取り一蹴して泰西諸国と雄を競ふことを求むること是なり。
「若夫れ(=一方)内治を修明(しうめい=明らかにする)し制度を釐正(りせい=改正)し風俗を移易(いえき=改革)し後代(こうだい)文明の地を為すが為めに、新図を妨害する恋旧元素を挙げて一時に之を割去るが如きは、第二策なり。
「世の故常(こじやう)に安んじ姑息を守り一切猛断の挙を怯れて唯游移(いうい)揺曳(えうえい)して以て得計と為す者は、此二策を聞くときは皆駭絶(がいぜつ=びつくり)して舌を吐かん。
「僕固より其然るを知れり。然れども古今豪傑の士非常の変に遭遇する者は皆非常の計を出して以て大効を収めざる莫し。『断じて行へば鬼神も之を避く』とは正に此意を謂ふなり。
「且つ政を為す者は時と地とに由り各々其手段を異にす。僕の二策を取りて之を今日の泰西諸国に施す時は直に狂人の行為なり。故を以て孛漏生(プロイセン)
国の如きはビスマルクの宰相たるを以てモルトケの将軍たるを以て、百万の兵を駆りて百万の熕(こう=大砲)を運し、数百年来薪に臥し胆を嘗め仇視して一日も忘れざりし仏国を破敗したるも、和を講ずるに及びては其得る所はローレーン、アルサースの二郡と八億弗蘭(フラン)金とに過ぎざる者は、時と地との勢実に然らしめたるなり。
「僕の二策を今日の亜細亜、亜非利加に施す時は正に其機に合せり。仮りに泰西諸国奇傑(きけつ=豪傑)の士をして今日の亜細亜に在らしめば、僕必ず其断然として此二策の一に循ふて変弱為強の業を建るか、若くは割断癌腫の計を施して遅疑せざるを知るなり。
洋学紳士曰く、「然り。拿破崙第一及び帖木児(チムール)の如きは或は君の両策に出る者なり。世運進歩の大妨害を為す者は此種の怪物なり。自由平等の大義と道徳経済の至術(しじゆつ=施行)とを破壊して腕力社会を開拓する者は此種の怪物なり。
「第十八世紀以後欧洲の山林に於て此種の怪物を生ぜざりせば、民主の旨義は既に大に其管轄を拡めて、学術の機関は既に大に其規模を拓きたらんこと疑無し。試に欧洲豪傑の士を把来りて之を我東方豪傑の士に比較せよ。僕が所謂怪物の豪傑は我東方に於て類似の人有るも、真の豪傑は我東方に於て類似の人物甚だ寡し。
「是れ我東方の欧洲に及ばざる所以なり。看よ、歴山徳(アレキサンドル)や愷撒(カエサル)や拿破崙や、若し劉邦、忽必烈(フビライ)、豊太閤の属を以て之を比する時は幾分か相類する所有るを見るも、ニユートンやラウオアジエーやアタスミツス(=アダムスミス)やオーギユストコントや、誰が類似の人物有る乎。一時猛暴の謀を出して目前を経営する者は皆百年の大計を害する者なり」
豪傑の客曰く、「天下の事は皆理と術との別有り。力を議論の境に逞くする者は理なり、効を実際の域に収むる者は術なり。医道には則ち医理有り医術有り。政事には則ち政理有り政術有り。細胞の説や黴菌の論や、医理なり。熱病に幾尼(キニネ)を投じ黴毒に水銀を用ゆ、医術なり。平等の義や経済の旨や、政理なり。弱を転じて強と為し乱を変じて治と為す、政術なり。君請ふ其理を講ぜよ。僕其術を論ぜん。
「且つ方今の時一たび眼(まなこ)を欧洲諸国の形勢に著(つく)るに於ては、亜細亜の群島に居て活計(かつけい=生存の維持を計る)を為す者は、恰も一点の灯火を把りて之を飆風(へうふう=つむじ風)の前に置くが如し。颯然(さつぜん)として来り撲(う)つ時は其滅すること立ちて俟つ可きなり。憂国の志有る者は今に及びて早く措置を為ざる可らずして、外征の計実に其機に合せりと為す。
「童諺に曰く『夜叉(やしや=鬼)の未だ至らざるに及びて速に其衣裳を濯ふ』とは、今の時実に然りと為す。夜叉とは何ぞや、独仏魯英即ち是なり。
「蓋し近日独仏二国の状勢に係りては、中外諸新聞並に報道を怠らずして或は云ふ『二国戦備甚だ力(つと)む』と。或は云ふ『平和を保つの模様有り』と。或は云ふ『ビスマルク云々の言を為せり』と。或は云ふ『ブーランジヱー云々の状を為せり』と。
「而て僕は特に此二国相讐する所以の故を尋繹(じんえき=研究)して、其破裂の甚だ遠からずして今日に於てせざれば明日に於てし、今歳に於てせざれば明歳に於てす可きを察して復た疑はざるなり。
「夫れ二国の相讐するや、紳士君の言の如く単に拿破崙帝の仏蘭西と維廉帝の孛漏生と怨を結びたるに非ずして、古より以来国と国と怨を結ぶこと未だ此二国の甚だしきが如き者を見ず。是れ其故たる一朝一夕の事に非ずして、拿破崙、維廉の二帝は特に其破裂の時機に遭遇したるに過ぎざるのみ。
「即ちビスマルクは幸にして其破裂の時に逢ふて因て其技倆を逞しくせし者なり、ガンベツターは不幸にして未だ其破裂の機に遇はずして其胆略を顕(あら)はすことを得ざる者なり。
「拿破崙末年寖(やうや)く国民の望に背き、議院中反対党頗る衆多なりしも、戦を孛国に宣するに及びては議院の士皆尽く同意を表して、即ちチヱールの老錬にして口を極て戦の不利なるを論ぜしに満場囂々(がうがう)として沸くが如く、其退きて第宅(ていたく)に帰るに及び無類の小民路上に要(まちぶせ)し礫(こいし)を擲(なげう)ちて之を詐罵(さば=罵倒)せしと云ふ。
「仏国人民の怨を孛漏生に懐きしこと証す可きなり。然も余を以て之を観るに、此二国は其初め未だ必ずしも深く怨を挟むに至らざりしも、第十八世紀の頃より陸軍の強を称する者は必ず指を二国に屈せしより、其交戦する毎に隣国傍観する者予め其勝敗を評して喧囂(けんがう)し、終に二国の民をして各々雄を争ひ力を競ひ互に既往の敗を恥て至恨と為して報復の念をして無窮に相継がしむるに至れり。
「譬へば猶ほ両力士の場に上がるが如し。彼れ其初念(しよねん)は特に一時(いちじ)技を角するに過ぎざるも、満場の看客(=観客)声を揚げて或は東を賛し或は西を称し又其勝負已に決するに及び喝采の声天地を震駭し、此の如きこと数次に至るに及び両力士も亦必ず勝を獲るを以て職分と為して心中に相ひ嫉(にく)むに至る。二国の事情正に是なり。
「故に曰く、二国の相怨むことは一朝一夕の故に非ずして、紳士君の言の如く単に維廉帝の孛漏生と拿破崙帝の仏蘭西と怨を結びたるに非ざるなり。
「魯失亜と英吉利とに至ては洵(まこと)に紳士君の言の如き者有り。蓋し英国は夙に大に意を経済の一辺に用ひ、地球上到る処殖民地有らざる無く財貨の殷阜なること他の諸国の企及(ききふ=匹敵)する所に非ず。
「而て其目的は専ら従来の版図を守りて喪失せざるに在て、更に益々地を拓くことは必ずしも其旨とする所に非ざるも、独り奈何せん彼魯失亜の猛鷙(まうし=鷹)なるや其先王の貽謀(いぼう=孫謀)を堅守して変ぜず。兵威に藉り益々版図を拡むることを求め英国の富盛を妬害(とがい)して一意に其印度の根本を覆へさんと欲して已まず。是れ英国が前に拿破崙と連結してサバストポールの役(えき)有りし所以なり。
「是故に仏と孛(ぼつ)とは其意専ら兵力を競ひ武名を闘はすに在りて地を拓くに在らず。英国は地を衛(まも)り財を守ることを主として武を競ふことを好まず。独り魯失亜は古昔羅馬国に追蹤(ついしよう)し、強兵の力に頼りて益々富国の業を建て富国の資に藉りて益々強兵の威を伸べんと欲す。此れ実に欧洲戦乱の禍を造出する工廠なり。
「然り而て其敢て直に兵を印度に加へざる所以の者は何ぞや。蓋し魯失亜の畏憚(ゐたん)する所は英に非ずして仏なり。仏に非ずして孛なり。己れが東出の虚に乗じて其後を図ることを畏るゝなり。
「是を以て曩(さき)に孛仏の交戦するや魯人は踊躍(ようやく=躍り上る)して相慶し直にクリメーの盟を破りて艦隊を黒海に出せり。故に僕の意に以為へらく、孛仏の兵一日欧洲の野に交はるに於ては、魯軍は則ち砂塵を捲起(けんき)して東方に溢出(いつしゆつ)せん。
「果て此の如くなる時は孛仏兵争の禍は欧洲大陸に局するに非ずして亜細亜海中の諸島も亦其余燄(よえん)を被むるを免れずして、英国艦隊の掠拠(りやくきよ=占領)する所は独り巨文島に留まらざるや疑無きなり。之を要するに孛と仏とは欧洲に在て力を角して魯と英とは亜細亜に出でゝ雄を競ふこと此れ今日の大勢なり。
「嗚呼孛仏の兵は硝煙を欧洲の郊(かう)に漲らし、英魯の軍は塵を亜細亜の大陸に揚げ瀾(なみ)を亜細亜の海洋に簸(あ)ぐるに方(あた)り、彼万国公法は果て戦略に便利なる暴行を抑住するの効を生ず可き乎。
「万国公法果て恃む可らざるに於ては小邦たる者は何に由りて自ら防守することを得る乎。唯速に沈没に垂んたる小艇を去りて隤然(たいぜん)として動かざる大艦に移るの一策有るのみ。危殆なる小邦を棄てゝ安穏なる大邦に赴くの一計有るのみ。
「且つや清浅の流は以て大魚を捕ふ可らず。治平の時は以て奇計を出す可らず。欧亜二洲一時に妖雲を醸出するの候、是れ尤(もつと)も小邦たる者の禍を変じて福と為し弱を変じて強と為すの好機会にして実に千歳の一時なり。
「是時に於て疾雷耳を掩ふに及ばざるの手段を出さずして、区々として田舎の老婆が藍縷(ぼろ)を補綴(ほてつ)するが如き小計策を恃みて徒に国を維持するを求む、僕実に其余地有るに駭(おどろ)くなり」
是時南海先生は更に杯を引きて云ひけるに、「紳士君の旨趣を約言すれば、曰く、『民主平等の制度は凡そ百制度中最も完粋なる者にして世界万国早晩必ず此制度に循はんとす。而て小弱の邦たる者は富国強兵の策は初より望む可らざるが故に、速に此完粋なる制度に循ひ然後水陸軍備を撤去し諸強国万分の一にも足らざる腕力を棄てゝ、無形の理義を用ひ大に学術を興して其国をして極て精細に彫鐫(てうせん)したる美術の作物の如き者と為らしめ、諸強国をして愛敬して犯すに忍びざらしめんと欲する』是なり。
「豪傑君の旨趣を約言すれば、『欧洲諸国方(まさ)に兵争を事として一旦破裂するときは其禍は延(ひ)ひて亜細亜に及ばんとす。故に小弱の邦たる者は是時に於て大英断を出し、国中の丁壮を挙げ甲(かふ)を捲き兵を荷(にな)ふて他の一大邦を攻伐して新に博大の版図を開く可し。即ち未だ此英断を出すこと能はずして専ら内治を修明せんと欲するも、必ず改革の業を妨阻する恋旧元素を除かざる可らずして外征の計終に已む可らず』是なり。
「紳士君の論は醇乎(じゆんこ=純粋)として正なる者なり。豪傑君の論は瑰然(くわいぜん=豪快)として奇(=非凡)なる者なり。紳士君の論は釅酒(げんしゆ=原酒)なり人をして目暈(うん)し頭眩(げん)せしむ。豪傑君の論は劇薬なり人をして胃裂け腸敗れしむ。余老たり。二君の論は余が羸萎(るいい=耄碌)せる脳膸の能く咀嚼消化する所に非ず。二君其れ各々努力し時を俟ちて之を嘗試(しようし=試す)せよ。僕将に之を傍観せんとす」
是に於て二客も亦各々一杯を挙げ南海先生に嚮(むか)ふて云けるに、「吾儕両人已に衷情(ちうじやう=本心)を倒尽(=言ひ尽)して遺す所無し。先生必ず批評して之を教ゆること有れ。是れ至願なり」
南海先生乃ち云けるに、「紳士君の論は欧洲学士が其脳膸中に醞醸(うんぢやう)し其筆舌上に発揮するも未だ世に顕はれざる爛燦(らんさん=絢爛)たる思想的の慶雲(けいうん=前兆)なり。豪傑君の論は古昔俊偉(しゆんゐ)の士が千百年に一たび事業に施し功名を博したるも今日に於て復た挙行す可らざる政事的の幻戯(げんぎ=手品)なり。
「慶雲は将来の祥瑞なり、望見て之を楽む可きのみ。幻戯は過去の奇観なり、回顧して之を快とす可きのみ。倶に現在に益す可らざるなり。紳士君の論は全国人民が同心協力するに非れば施す可らずして、皆恐くは架空の言たるを免れず。
「且つ紳士君は力を極て進化神の霊威を唱説するも、夫の神の行路は迂曲羊腸(やうちゃう=曲折)にして、或は登り或は降り或は左し或は右し或は舟し或は車し或は往くが如くにして反り或は反るが如くにして往き、紳士君の言の如く決(けつし)て吾儕人類の幾何学に定めたる直線に循ふ者に非ず。
「要するに吾儕人類にして妄に進化神を先導せんと欲するときは其禍或は測る可らざる者有り。唯当に其往く所に随ふて行歩すべきのみ。
「且つ所謂進化の理とは、天下の事物が経過せし所の跡に就いて名を命ずる所なり。故に天造草昧(さうまい)の時、世界の人類が交闘(かうとう)互争(がさう)せしが如きも亦進化の一理なり。其一君主の治下に帰せしも亦進化の一理なり。其立憲の制に赴きたるも亦進化の一理なり。其民主の制に入りたるも亦進化の一理なり。
「君主や大統領や貴族や人民や白布(しろぬの)帆の船や蒸滊機の艦や火縄の銃や施条(しでう)の砲や仏(ほとけ)や儒や耶蘇や、凡そ世界人類の経過せし所の迹は皆学士が所謂進化神の行路なり。欧洲諸国或は死刑を廃せし者有り。是れ自ら欧洲諸国の進化なり。阿非利加種族或は人肉を食とする者有り。是れ自ら阿非利加種族の進化なり。
「夫の進化神は天下の最も多情に多愛に多嗜に多欲なる者なり。紳士君紳士君、君若し進化神は立憲若くは民主の制を愛して専擅の制を愛せずと曰ふときは是れ土耳古、白爾失亜(ペルシア)には進化神は有らざる乎。若し進化神は生育の仁を嗜みて殺戮の暴を嗜まずと曰ふときは是れ項羽が趙の降卒四十万人を坑(あな)にせし時は進化神は在らざりし乎。
「封建の時には封建を好み郡県の時には郡県を好み、鎖港の世には鎖港を喜び交易の世には交易を喜び、麦飯を嗜み牛炙(ぎうしや=焼肉)を嗜み濁醪(だくらう=どぶろく)を嗜み葡萄酒を嗜み、大髻(おおたぶさ)を好み被髪を好み、沈石田(しんせきでん)の水墨を愛しランブランドの油画を愛す。吁嗟天下の最も多愛なる者は其れ進化神乎。
「然と雖も進化神の悪む所の者も亦一有り。是れ知らざる可らず。政事家は尤も知らざる可らず。政事家にして進化神の悪む所を知らざるときは其禍実に勝(あげ)て計る可らざる者有り。
「吾儕一書生の如きは或は進化神の悪む所を知らずして書を著はす乎、唯其書の世に售られざるに止まるのみ。図謀(とぼう=陰謀)する所有る乎、唯其身の禁獄若干年若しくは絞罪の刑に遇(あ)ふに止まるのみ。
「政事家にして進化神の悪む所を知らずして施設する所有るときは、幾千万の人類実に其禍を受けん。吁嗟畏る可き哉。進化神の悪む所は何ぞや、時と地とを知らずして言為(げんゐ)すること即ち是れのみ・・・
「僕過てり。縦令ひ政事家にして時と地とを知らずして施設すること有りて幾千万人類が禍を蒙るも、其迹に就て見るときは学士は必ず曰はん、『是れ自ら然らざるを得ざるの理有りて然りし』と、果て然らざるを得ざるの理有りて然りしときは是れ自ら進化神の好む所なり。其悪む所に非ざるなり。故に学士をして王安石の新法を論ぜしめば必ず曰はん、『是れ固より然らざることを得ずして然り』と。
「是に知る、凡そ古今既に行ふことを得たる事業は皆進化神の好む所なることを。然ば則ち進化神の悪む所は何ぞや。其時と其地とに於て必ず行ふことを得可らざる所を行はんと欲すること即ち是れのみ。紳士君、君の言ふ所は今の時に於て斯(この)地に於て必ず行ふことを得可き所と為さん(=思ふ)乎(か)、将た(=それとも)必ず行ふことを得可らざる所と為さん乎。
「紳士君は極て進化神を崇敬する者なり。僕請ふ君の言ひし所に係り亦進化の理に拠りて之を批せん。君幸に咎むること勿れ」
「紳士君は平等の制度を主張し五等公爵の設(まうけ)を以て進化神の悪む所と為して之を巌石に比するに至る。是れ尤非なり。若し進化神にして五等公爵の設を悪むに於ては、何故に旧来有る所の五等公爵の外(ほか)更に又新に貴族を打出(だしゆつ)する乎。
「亜細亜の進化神は固より五等公爵の設を好む者なり。故に旧貴族皆康健(=健康)にして善く飲食し、新貴族皆康健にして善く飲食す。炎夏の候、時に或は瘧疾(ぎやくしつ=マラリア)大に流行する有りて、石炭酸水を沃(そそ)ぎて門閭(もんりよ)に湛(たた)ゆるも猶ほ伝染して十万人衆屍(しかばね)を駢(なら)べて火焰に葬むるに至る。
「而て旧新貴族は並(ならび)に伝染すること無くして並に康健なり。編戸(へんこ)窮乏の民は親子夫妻車を連ねて避病院に赴き車を連ねて荼毘場に赴くも、旧新貴族は依然として高楼の上に居て侍姫(じき)媵妾(ようせふ=腰元)傍(かたはら)より巨扇を揮揚して涼風の不足を補ふて並に皆康健なり。
「余を以て之を考ふれば亜細亜の進化神は殆ど貴族を好みて平民を悪む者の如し。殆ど紳士君の言ふ所に反する者の如し・・・」
南海先生是に至り遽に容(かたち)を改て曰く、「僕の言少く諧謔に渉れり、二君請ふ恕せよ」
南海先生更に杯を引きて云けるに、「紳士君は専ら民主の制を主張するも恐くは政事の本旨に於て未だ達せざる所(ところ)有るに似たり。政事の本旨とは何ぞや。国民の意嚮に循由(じゆんゆう)し国民の智識に適当し、其れをして安靖の楽を保ちて福祉の利を獲せしむる是なり。
「若し俄に国民の意嚮に循はず智識に適せざる制度を用ふるときは、安靖の楽と福祉の利とは何に由て之を得可けん哉。試に今日土耳古、白耳失亜(ペルシヤ)の諸国に於て民主の制を建設せんには、衆民駭愕(がいがく)し喧擾(けんぜう)して其末や禍乱を撥起して国中血を流すに至ること立て待つ可きなり。
「且つ紳士君の所謂進化の理に拠りて考ふるも、専制より出でゝ立憲に入り立憲より出でゝ民主に入ること是れ正に政治社会行旅の次序(=順序)なり。専制より出でゝ一蹴して民主に入るが如きは決て次序に非ざるなり。
「何ぞや。人々頭脳中帝王の思想公侯の意象深く印著して其奥底に在りて隠然として其司命神(しめいしん)の如く其護身符(ごしんふ)の如くなるに方り、俄に民主の制を打開する時は衆庶頭脳為めに眩乱せらるゝこと是れ正に性理の法則なればなり。是時に於て二三少数の人物が独り欣然として其制度の理義に合することを喜ぶも、衆民の惶惑(くわうわく=戸惑ひ)し沸騰するを奈何せん。此れ理の最明白なる者なり。
「且つ世の所謂民権なる者は自ら二種有り。英仏の民権は恢復的の民権なり。下より進みて之を取りし者なり。世又一種恩賜的の民権と称す可き者有り。上より恵みて之を与ふる者なり。
「恢復的の民権は下より進取するが故に其分量の多寡は我れの随意に定むる所なり。恩賜的の民権は上より恵与するが故に其分量の多寡は我れの得て定むる所に非ざるなり。若し恩賜的の民権を得て直に変じて恢復的の民権と為さんと欲するが如きは豈事理の序(ついで)ならん哉。
「嗚呼国王宰相たる者威力を恃みて敢て自由権を其民に還さず。是れ方に禍乱の基にして英仏の民が其恢復的民権の業有りし所以なり。若し然らずして君主宰相たる者時を料り勢を察し其民の意嚮に循ひ其民の智識に適することを求め、自由権を恵与して其分量宜(よろしき)を得るに於ては、官民上下の慶幸(けいかう)何事か之に踰ゆる有らん。
「危難を犯し死亡を冒して千金の利を攫むは坐(ゐなが)らにして十金を受るに如かんや。且つ縦令ひ恩賜的民権の量如何に寡少なるも其本質は恢復的民権と少も異ならざるが故に、吾儕人民たる者善く護持し善く珍重し道徳の元気と学術の滋液とを以て之を養ふときは、時勢益々進み世運益々移るに及び漸次に肥腯(ひとつ=太る)と成り長大と成りて、彼の恢復的の民権と肩を並ぶるに至るは正に進化の理なり。
「紳士君紳士君、思想は種子なり脳髄は田地なり。君真に民主思想を喜ぶときは、之を口に挙げ之を書に筆して其種子を人々の脳髄中に蒔(う)ゆるに於ては、幾百年の後芃々(ほうほう=盛んに伸びる)然として国中に茂生(もせい)するも或は知る可らざるなり。今人々の脳膸中帝王貴族の丱花(くさばな)方(まさ)に根を蔓(まん)するに方(あた)り、君の脳髄中独り一粒の民主種子を萌芽して此に由り遽に豊穣たる民主の収穫を得んと欲するが如きは豈(あに)謬(あやま)らず乎。
「是故に人々の脳髄は過去思想の貯蓄なり。社会の事業は過去思想の発出なり。是故に若し新事業を建立せんと欲するときは、一たび其思想を人々の脳髄中に入れて過去の思想と為ざる可らず。
「何となれば事業は常に果(か)を現在に結ぶも思想は常に因(いん)を過去に取るが故なり。紳士君、君一たび史を繙きて之を誦せよ。万国の事迹は万国の思想の効果なり。思想と事業は迭(たがひ)に累(かさ)なり互に聯(つら)なりて以て迂曲の線を画すること、是れ即ち万国の歴史なり。
「思想事業を生じ事業又思想を生じ是の如くにして変転已まざること、是れ即ち進化神の行路なり。是故に進化神は社会の頭上に儼臨するに非ず又社会の脚下に潜伏するに非ずして、人々の脳髄中に蟠踞する者なり。是故に進化神は人々思想の相合して一円体を成す者なり。
「紳士君、君若し君一箇脳髄中の思想を崇奉し因て衆人をして認て進化神と為して亦之を崇奉せしめんと欲する時は、是れ猶ほ紙上に一点の墨跡を下して衆人をして認めて渾然たる円画と為さしめんと欲するが如し。此は是れ思想的の専擅なり。此れ進化神の喜ばざる所にして学士の戒むべき所なり。
「時世は絹紙なり思想は丹青(=絵の具)なり事業は絵画なり。故に一代の社会は一幅の画幀(がたう)なり。紳士君、君若し未だ調整せざるの丹青を以て将来の画を現在の紙に描かんと欲するが如きは、直に狂顚に類するに非ず乎。君今に於て務て思想の丹青を調整して怠らざるときは、百歳の後其汁液(じふえき)洶々然として社会の碟中(ちようちゆう=小皿の中)に溢るゝに至らん。
「是に於て現在時世の紙絹に描くに現在事業の絵を以てするときは過去思想の彩色は爛然として人目を奪ふて、衆人観る者一称してリユベンに駕(が)しプーサンに跨(こゆ)る美術の好作物と為さんのみ。
「且二君が各々積消両極の論を固執し、一は未だ生ぜざる新思想を望みて妄に進まんと欲し一は既に去りたる旧観戯(=幻戯)を顧みて妄に退かんと欲して、其主趣たる冰炭相容れざるが如きも、僕の察する所に由れば其病源は実は一なり。一とは何ぞや。過虜なり。
「二君皆欧洲強国が百万の貔貅(ひきう=軍隊)を養ひ千万の闘艦を造りて相噬攫(ぜいかく=噛みつく)し又時々来りて亜細亜地方を暴掠するを見て、因て過虜して以為へらく、『彼れ一日必ず百千の堅艦を装ふて来り侵すこともあらん』と。是れ其両極の論の出る所以なり。
「是に於て紳士君は、民権に循ひ敵意を表するの兵備を撤し欧洲人の先を制して其鋭を避けんと欲す。是に於て豪傑君は、大に外征の兵を興し他邦を割取り版図を拡廓(かくかく)し欧洲の擾乱に乗じて巨利を収めんと欲す。
「皆欧洲諸国の形勢に於て過虜する所(ところ)有るが故なり。僕を以て之を観るに、方今孛仏二国が盛に兵備を張るは其勢甚迫れるが如きも実は然らずして、彼れ少く兵を張るときは或は破裂す可きも大に兵を張るが故に破裂すること有ること無し。
「何ぞや。二君、彼の冬日童子が作る所の雪球を看ずや。其初め甚大ならざる間は前後左右意に随ふて推転するを得るも、漸くにして厖然(ばうぜん)たる大円球を成すときは力を極て之を推すも復た動かす可らず。
「今夫の孛仏二童子は各々相競ふて唯其雪球の益々大にして他の球に勝ることを求めて已まず。孛国一万を増すときは仏国も亦一万を増し孛国二万を増すときは仏国も亦二万を増して、其雪球の益々大を成せり。
「而て魯英は方に傍観して此二球の相触るゝを俟つ者なり。然ども彼童子は各々其庭上残雪の有らん限は益々其球を大にすることを求めて未だ遽に門外に推出(おしいだ)さず。顧ふに其庭上雪の尽(つく)る頃は二球或は皆砕けて片屑(へんせつ)と為らんのみ。
「且つ万国講和の論は未だ実行す可らずと雖も、諸国交際の間道徳の旨義は漸く其区域を広めて、腕力の旨義は漸く其封境を狭むること是れ自然の勢にして、紳士君の所謂進化神の行路なり。
「故に魯失亜の如きは其威を亜細亜に宣(の)べ、便地を割有して英の印度を衝かんと欲するも未だ容易に手を下すに至らず。蓋(けだ)し諸国皆其外交の策に至ては専ら腕力を尚(たふと)びて道徳を尚ばざるが如しと雖も、未だ世人の想像するが如くは甚きには非ざるなり。
「仮し孛仏英魯の中其一最も強くして逈(はるか)かに他の三国の上に出るに於ては、専ら腕力に任せ恣睢(しき=勝手気儘)猖獗(しやうけつ)して少も万国の公法を顧みざる可きも、今は然らずして四国強弱の勢大抵相当るが故に彼れ皆已むことを得ずして幾分か公法を守らざるを得ず。是れ衆小邦の頼りて以て呑併を免るゝ所なり。
「且邦国なる者は衆(しゆう)意欲の集合にして君主有り百僚有り議院有り庶民有りて其機関極て錯雑なるが故に、其趣向(=意志)を決(けつ)し其運動を起すこと復た一個人の軽便なるが如くならず。縦令ひ邦国の運動をして一個人の如く軽便ならしめば強者は常に暴を恣にして弱者は常に禍を蒙る可きも、幸に然らずして一万数の兵を出し一百数の艦を遣はさんと欲するときは、君主議し宰相議し百僚議し議院論じ新聞紙論じて、一個人が衣を搴(かか)げ棍を持し徒歩して闘に赴くが如くならず。
「是れ正にゴルドン将軍が命を亜刺比(アラビア)の沙漠に殞(おと)せし所以なり。クールベー提督が終(をはり)を安南の瘴煙(しやうえん=毒気を含むもや)に取りし所以なり。
「故に欧洲諸国の兵は猶ほ虎獅の如し其議院其新聞紙は猶ほ鉄網の如し。而て又諸国均勢の義有り万国公法の約有りて隠然として其手足に膠着(かうちやく)するが故に、夫の獰猛なる虎獅は終歳(しゆうさい)口を開き舌を吐くも遽に其噬齧(ぜいげつ=噛む)を恣にすること能はざるなり。
「僕故に曰く、紳士君の民主制度や豪傑君の侵略旨義や皆欧洲強国の形勢に於て過虜する所有るが為めなりと」
其時二客辞を合して曰く、「若し彼れ一日敢て敢然として来襲(きたりおそ)ふに於ては先生将に何を以て之を待たんとする乎」
南海先生曰く、「彼れ果て他国の評を慮らず公法の議を憚らず議院の論を顧みず敢て狡焉(かうえん)として来襲ふときは我れ唯力を竭(つく)して抗禦(かうぎよ)し、国人皆兵と為り或は要勝に拠りて拒守し或は不意に出でゝ侵撃し進退出没変化測られざるを為し、彼れは客にして我は主なり彼は不義にして我は義なり、我将士我卒徒敵愾(てきがい)の気益々奮揚するに於ては、曷(なん)ぞ遽に自ら防守すること能はざるの理有らん哉(や)。
「是(こ)は(=この点において)則ち武官の職に服する者自ら当に奇計妙策有る可きのみ。且つ我亜細亜の兵終(つひ)に欧洲の兵に当るに足らずと為すときは、紳士君の民主国や豪傑君の新大邦や皆亦陥落する所と為らんのみ。僕も亦別に奇策有るに非ざるなり。
「独り僕のみに非ずして即ち英仏諸国が相互に攻守するも又別に奇策有るに非ざるなり。之を要するに我亜細亜諸邦の兵は此を以て侵伐せんと欲するときは足らざるも、此を以て防守するときは余(あまり)有りと為す。故に務て平時に於て訓練し蒐肄(しうい=探ね学ぶ)して以て鋭を養ふときは、何ぞ遽に自ら守ること能はざることを憂へん哉。何ぞ紳士君の計に従ひ手を束ねて死を俟つことを須ひん哉。何ぞ豪傑君の略に循ひ怨を隣国に買ことを須ひん哉。
「抑々豪傑君の所謂阿非利加か亜細亜の一大邦は僕固より何の邦を指すことを知ること能はず。但所謂大邦若し果て亜細亜に在るときは、是れ宜しく相共に結んで兄弟国と為り緩急相救ふて以て各々自ら援(すく)ふ可きなり。妄に干戈(かんか)を動し輕(かるがるし)く隣敵を挑(てう)し、無辜の民をして命を弾丸に殞(おと)さしむるが如きは尤も計に非ざるなり。
「若夫れ支那国の如きは其風俗習尚よりして言ふも其文物品式よりして言ふも其地勢よりして言ふも、亜細亜の小邦たる者は当に之と好(よしみ)を敦くし交(まじはり)を固くし務て怨を相嫁(か=押しつける)すること無きことを求む可きなり。国家益々土産を増殖し貨物を殷阜にするに及では、支那国土の博大なる人民の蕃庶(はんしよ=衆多)なる実に我れの一大販路にして混々(こんこん)尽ること無き利源なり。
「是に慮らずして一時国体を張るの念に徇(したが)ひ瑣砕(ささい=細かな)の違言を名として徒に争競を騰(あぐ)るが如きは、僕尤も其非計を見るなり。
「論者或は言ふ、『支那国素より怨を我に修めんと欲すること久し。我れ縦令ひ礼を厚くし好を敦くして相結ぶことを求むるも他の小邦の関係よりして彼れ常に憤々の念を懐く有るが故に、一朝機会の遭遇するときは、彼れ或は欧洲強国と謀を協(かな)へ約を通じて以て我を排擠(はいせい=押しのける)し強国の餌に供して自ら利することを計るも未だ知る可らず』と。
「僕を以て之を考ふるに支那国の心を設ること未だ必ずしも此の如きに至らず。大抵国と国と怨を結ぶ所以の者は実形に在らずして虚声に在り。実形を洞察するときは少も疑を置くに足らざるも、虚声を預測するときは頗る畏る可きを見る。故に各国の相疑ふは各国の神経病なり。青色の眼鏡を著けて物を視るときは見る所として青色ならざるは莫し。僕常に外交家の眼鏡の無色透明ならざることを憫(あは)れむなり。
「是故に両邦の戦端を開くは互に戦を好むが為にして然るに非ずして、正に戦を畏るゝが為にして然るなり。我れ彼を畏るゝが故に急に兵を備ふれば彼も亦我を畏れて急に兵を備へて彼此(ひし)の神経病日に熾(さかん)に月に烈しくて、其間又新聞紙なる者あり、各国の実形と虚声とを並挙して区別する所無く、甚きは或は自家神経病の筆を振ひ一種異様の彩色を施して之を世上に伝播する有り。
「是に於て彼の相畏るゝ両邦の神経は益々錯乱して以為へらく、『先んずれば人を制す。寧ろ我より発するに如かず』と。是に於て彼の両邦戦を畏るゝの念俄に其極に至りて戦端自然に其間に開くるに至る。是れ古今万国交戦の実情なり。若し其一邦神経病無きときは大抵戦に至ること無く、即ち戦争に至るも其邦の戦略必ず防御を主として余裕有り義名有ることを得て、文明の春秋経に於て必ず貶譏(へんき)を受ること無きなり。
「論者又云ふ、『支那国博大なるも方に澆季(げうき=末世)の時に接し革命の運に際せり。草沢中必ず一英雄の起る有りて代りて主権を掌握するに非れば土崩瓦解(どほうぐわかい)の勢は竟(つひ)に遏(とど)む可らず』と。
「顧ふに是言や支那国古来帝家の世数(せすう=世代数)を推して之を今の覚羅氏(かくらし=清朝)に当てたるに過ぎずして、今だ当今の勢に切当(せつとう=当てはまる)すと為す可らず。何となれば帝家の世数を以て言ふときは覚羅氏の業は或は老朽して腐壊に属するが如きも、幸にして欧洲文明の元気(=精気)西方より吹来(ふきき)たるが為に枯槁(こかう=枯れる)に垂んたる老木頓に色を改め其枝葉葱々(そうそう=青い)然として再び蔭涼(いんりやう=日蔭)を四表(しへう=四方)に放たんとす。
「且方今朝堂(てうだう=朝廷)に端拱(たんきよう=出仕)して辮髪社会の枢軸を執る者皆賢俊の才にして、特に意を海陸軍備に留め其貴富の資に藉りて一時欧洲文明の効果を購求し、船艦日に張り堡塁月に起り兵制も亦将に一変して欧洲強国の法に倣はんとす。
「此れ豈遽に侮り易らん哉。之を要するに外交の良策は、世界孰れの国を論ぜず与に和好を敦くし、万已むことを得ざるに及ては防禦の戦略を守り、懸軍(けんぐん=侵略)出征の労費を避けて務て民の為に肩を紓(の)ぶる(=やわらげる)こと是なり。我れ若し徒に外交の神経病を起すこと無きときは支那国も亦豈我を敵視せん哉。
洋学紳士曰く、「先生の論は比喩に富み形容に専らにして極て喜ぶ可きも、本旨の在る所は竟に茫洋として影を捉ふるが如きを免れず。先生願くは高旨(=立派な考)の要を摘みて之を示せ」
豪傑の客曰く、「先生の論は吾儕両人の言に於て一も採用せらるゝこと無し。請ふ邦家将来の経綸に於て先生の所見を述べて之を教へよ」
南海先生乃ち曰く、「亦唯立憲の制を設け、上は皇上の尊栄を張り下は万民の福祉を増し上下両議員を置き、上院議士は貴族を以て之に充てゝ世々相承(う)けしめ下院議士は選挙法を用ひて之を取る、是のみ。若夫れ詳細の規条は欧米諸国現行の憲法に就て其採る可きを取らんのみ。是は則ち一時談論の遽に言ひ尽す所に非ざるなり。
「外交の旨趣に至りては務て好和を主とし、国体を毀損するに至らざるよりは決して威を張り武を宣(の)ぶることを為すこと無く、言論、出版、諸種の規条は漸次に之を寛(ゆるやか)にし、教育の務工商の業は漸次に之を張る等なり」
二客是言を聞くや笑ふて曰く、「吾儕素より先生の持論の奇なることを聞けり。若し単に此の如くなるときは殊に奇ならずして今日に在て児童走卒(=下男)も之を知れるのみ」
南海先生容(かたち)を改めて曰く、「平時閑話の題目に在ては或は奇を闘はし怪を競ふて一時の笑柄と為すも固より妨(さまたげ)無きも、邦家百年の大計を論ずるに至ては豈専ら奇を標し新を掲げて以て快と為すことを得んや。但僕の頑放(=頑迷)にして時事に通知せざるよりして言ふ所多くは切実なること能はずして、恐くは二君の求に応ずるに足らざるのみ」
是に於て三人又相共に觴を伝へ、洋火酒既に尽きて麦酒一二瓶を取来り各々渇を医(いや)し、更に宴語すること霎時(せふじ)にして隣鶏忽ち暁を報ぜり。二客驚いて曰く、「請ふ辞せん」
南海先生笑ふて曰く、「公等未だ省せざる乎。公等の辱臨(じよくりん)せらるゝより、鶏声暁を報ずること既に両回なり。公等帰りて家に至れば已に両三年を経過したるを見ん。此れ自ら余が家の暦法なり。二客も亦噱然(きやくぜん=大笑)として大笑し、遂に辞して去れり。後十許日(きよじつ)にして『経綸問答』の書成れり。二客竟に復た来らず。或は云ふ、『洋学紳士は去りて北米に游び豪傑の客は上海に游べり』と。而て南海先生は依然として唯酒を飲むのみ。
中江兆民著『三酔人経綸問答』(明治二十年) |