高校の勉強は中学と比べると一段と難しい。とは言っても、大人の世界ではすべて常識レベルのことばかりである。だから、学校の授業が難しいと思ったら、それは教師の教え方が下手であることを意味している。その場合は、さっさと、予備校や塾へ行くか、参考書中心に切り替えることである。
ふつうの学生は思いも寄らないことかもしれないが、教師にはうまいへたがある。予備校や塾の教師はへたでは通らないから首になってしまう。しかし、学校の教師は首にならない。塾や予備校と違って、公立の学校の教師は競争原理が働かないのだ。世の中には驚くほど上手に教える教師がいるもので、わたしは東京の予備校に行って初めて知った。
しかし、誰もが東京の予備校に行ける分けるではないから、地方の人間はその代わりに参考書を買う。そして、学校の授業はおつきあい程度にして、参考書を中心に自分で勉強するのだ。学校がくれる教科書は、よい教師があって初めて役に立つものである。
次に、参考書を買う場合は、基礎から教えているものを買わなければいけない。「よくわかる〜」「基礎からの〜」「親切な〜」(これは『親切な物理』だけだが)などと書いてあるのがよい。「チャート式」なら緑(今のシリーズでは白)だ。簡単でどんどん先へ進めるようなものがよい。たとえば『基礎からの英語』。
「チャート式」の赤とか「大学への〜」「〜研究」とかは、やさしい参考書が終わった後で買う本である。先に難しい本を買うと、できないのでいやになるだけだ。
高校の勉強は量が多いから、要領よくやる必要がある。たとえば、教科書や参考書で勉強するときは、前から問題を全部やっていくのではなく、まず問題は飛ばして、説明文だけを一通り読んでしまうという方法がよい。全体を知っていれば、部分に対する理解が早まるからである。
記憶することもたくさんある。記憶は一つの本だけでやろうとすると難しい。同じことを複数の本で勉強すると覚えやすい。
たとえば、歴史や地理なら、教科書や参考書だけでなく、新書もので同じものを扱っているものを読むとよい。図書館・図書室を活用する。
古文も教科書だけでなく、現代語訳の文庫本などをどんどん読む。また、古典作品を解説している本を読んだり、田辺聖子など古典好きの作家の本も読むとよい。現代語訳だけ読んでしまっても構わない。内容を知っていれば、得をすることは確実だ。
古語辞典は小さいものがよい。どんどん引いて読めるからである。大きいと引くのがおっくうになる。
小さいものとは次のようなもの。
大修館『基本古語辞典』 --- 『古文研究法』の小西甚一が一から作った記念碑的古語辞典。片手で使えるが内容が濃く、ぼろぼろになるまで使える名著である。この後出たハンディータイプの古語辞典は、みんなこれの真似である。私が高校時代にこれに出会ったときには、これで古文はやれると思ったものだ。絶版だが古本屋にある。
小学館『ポケット・プログレッシブ全訳古語例解辞典』 --- 全訳古語例解辞典コンパクト版第二判の縮刷。だだし、文字が小さすぎて目に悪い。
『三省堂古語辞典』 --- 薄い本なのに『徒然草』『土佐日記』『竹取物語』『更級日記』『方丈記』『奥の細道』『紫式部日記』『伊勢物語』の語彙はほぼカバーしている。もちろん、抜けもある。例えば「役」。
明治書院『詳解古語辞典』 --- 基本文献の語彙がよくカバーされており、非常に丁寧に作ってある。高校生には十分な内容を備えている。ただし、現代仮名遣いと歴史的仮名遣いの対照表が付いてないのが残念。古本屋に行けば300円以下で並んでいてお買い得。
『角川最新古語辞典』 --- 『角川新版古語辞典』から項目を選んで例文に部分訳を付けて学習向きにしたもの。内容は本体よりも改善され、現代かなづかいの項目を作るなどの工夫がされている。一語一語の説明も非常に詳しい。その代わり語彙のカバーは前の二つより大分劣る。紙が分厚いのも欠点。
三 省堂『例解古語辞典ポケット版』 ---『三省堂古語辞典』(1974年刊)の例文に解説を付け加えたもの(初版1980年刊)。『風の書評』で話題になった。学習用としてはこの辞書が今のところ最善か。『古今和歌集』を読むのに非常に重宝する辞典。(第二版では「役」など、語彙が増えている。ただし、死んだ女の「口を吸う」話が今昔物語巻15・2にあるというのは巻19・2の間違い。第三版でも修正されず)
その他のポケット版はさらに分厚くて使いにくい。
新入生に大きな辞書を推薦する高校があるが、生徒に勉強させるためというより、リベート目当てと思った方がいい。
そこに載っていないときは、図書室に行って大きいのを引いてみる。しかし、古文の場合、辞書は万能ではないので、最後は岩波の古典大系や小学館の古典文学全集を見るしかない。
講談社『古語辞典』は主要な十一の古典の単語を全部掲載しているのが特徴。それ以外に『大鏡』や『平家物語』の単 語もよく載っている。「根性」や「悪心」など現代と同じ意味の単語も載っているので、これだけ引いていれば間に合ってありがたい。訳語と用例だけの簡潔な構成。地図も詳しい。また、「たづねまどわす」「かくれしのぶ」などの合成語まで載っていて、『源氏物語』を読むときには手放せない。古文を読むときは、この辞書と次の辞書が一番頼りになるようだ。
岩波『古語辞典』も「川」など今と同じ意味の言葉もたくさん載せている。これがない古語辞典もある。昔も同じ意味だったと確認するだけだが、それで安心してつぎへ進める。助辞の部が別扱いになっているのが使いにくい感じがする。この辞書は言葉の説明が中心なので、そのものずばりの訳語を探すには不向きかもしれない。だが、習熟してくると最後にはこればかり使うようになる。古い版は表紙が紙でめくりにくいので、2,3センチほど残してハサミでちょんぎると軽くて使いやすくなる。新しいのが3000円+税もするが、同じものでちょっと前の日付なのが2427円+税で買える。スーパーの本屋などに売れ残っていれば儲けもの。
角川『新版古語辞典』は出版年度は古いが、丁寧に作られていて引きやすい。ただし、語彙も訳も前の二つに劣るようだ。また、現代と同じ意味の単 語の掲載はないから確認できない。例えば、「用心」。
旺 文社『古語辞典』は、重要語句が選別されて詳しく記述されて、重要な訳語が太字で書かれて見つけやすいのが特徴。特に、時代による意味の変遷の記述が秀逸。改訂を繰り返して使いやすさも向上させている。しかし、説明が詳しい分だけ語彙はちょっと少ない。例えば「かきおろす」「還着」(これは講談社と角川のみ掲載)。また「す(為)」に「見なす」の意味が、「うらめし」に「かなしい」の意味がなかったりする。このあたりで角川古語辞典に劣る。それでいて、先に出た角川と語釈と用例がまったく同じことがよくあってびっくりさせられる。現代と同じ意味の単語の掲載はない。結局、重要古語中心の利用に限られがち。各高校の推薦でよく売れているので、箱は汚くても中身はまっさらのものが古本屋にある。
小学館の『新選古語辞典』は、新選とは名ばかりでとても 古くて使いにくい。箱は変えているが中身は古いまま。初学者向きではない。高校時代に買って往生して、引つ越しの時に捨ててしまった。その後、古本屋で百円なのを見つけてまた買って使ってみたが、印象は同じ。上級者にとってはよい本なのかもしれない。次の三省堂の『新明解古語辞典』にそっくりの項目が沢山あってびっくりする。
三省堂の『新明解古語辞典』は、昭和28年に日本で初めて作られた古語辞典である『明解古語辞典』を発展させたもの。日本の古語辞典の殆どはこの『明解古語辞典』を下敷に作られているらしいことは、採用された単語とその用例の類似から推定できる。『新明解古語辞典』の第二版を古本屋で百円で購入して他の古語辞典と比べながら使ってみたが、岩波の古語辞典を除けば最善の古語辞典ではないかと思われる。一見とっつきが悪いが、多くの例文に翻訳がついていたり、歴史的仮名遣い を教えるための項目があったりして、初心者に対する配慮もあり、非常に使いやすい。
小西甚一が『基本古語辞典』の序文で、多くの古語辞典が先行辞書の丸写しであるなかで「さすがに良心的だと感心させられた古語辞典がひとつだけ 存在する」と書いてゐるのは、これではないか。
但し、「心より外(=心外、不本意)」が載っていない。「嫁ぐ」は載っているが、その「性交する」という意味が載っていない。つまり、完璧な古語辞典はないので、完璧を期すなら岩波、角川、講談社、三省堂と複数持つ必要がある。古本屋で古い版を買えば、それも可能だ。最新版と言っても、おまけが増えただけの物、色附けしただけのものが多く、中身に遜色はないと思ってより。
たくさん出ている全訳古語辞典のたぐいは、三省堂『例解古語辞典』の例文に解説を付けるという試みや、『新明解古語辞典』の例文に部分訳を付ける試みをさらに進めたものだが、そこまでされると読む方は面倒になる。例文を読むために辞書を引くわけではないからである。どれも訳文自体がいまいちの感がある。全訳古語辞典が訳語、例文ともにどれもよく似ているのは、古語辞典の伝統か。全訳している分、単語数は少なく、教科書ガイドの中身を片っ端から全部集めて作ったような辞典である。つまり、教科書ガイドがあれば、買う必要はないと思われる。辞書とは教科書から先に進んで自分で勉強するための物だからである。
『広辞苑』や『新潮国語辞典』など大きな国語辞典にも、しっかり古語が載っている。「現代かな使い」で引けるから、かえって使いやすいかもしれ ない。普通の国語辞典にも基本的な古語は載っている。本来、昔は古語辞典などはなかった。
岩波の古典大系や小学館の古典文学全集は新しい方を使うこと。とくに、古い方の古典大系の『更級日記』はダメ。岩波文庫の『土佐日記』は、古い方の古典大系の『土佐日記』を文庫にしたもので中身は同じ。
さらに、古典の一般書でも古いものは、写本を忠実に活字にしてあって、学校で習う歴史的仮名づかいに統一していないために、単語を辞書で調べる のに苦労するものがあるので注意。
例えば、岩波文庫の『大鏡』や岩波古典大系の『平家物語』。岩波文庫版『平家物語』は、本文は歴史的仮名遣いに統一されたが、何故か漢字のふりがなだけを現代仮名遣いにしてしまったため、やはり古語辞典では調べにくい。そこで、文庫では講談社文庫の『平家物語』を使うしかない。角川文庫版『平家物語』より注が多く字も大きく、ふりがなも全部付いていて便利。文庫版はどれも古本屋でよく見かける。
漢文の場合も、漢和辞典の小さめのを買ってどんどん引くのだ。
最近の漢和辞典は昔の『角川漢和中辞典』などとは違って、漢文学習用に非常に便利になっている。
『漢語林』(大修館)が助字の説明が非常に親切で画期的。 訳語も丁寧に詳しく並べてある。この辞書では「之」に同格の意味があることがわかる。『漢字源』のように特定の意味が抜けているということはあまりない。しかし、『新字源』『新選漢和』には及ばない。
『漢字源』(学研)は有名な『学研漢和大字典』の縮小版だが、教科書レベルの例文をほぼ網羅していて、返り点送りがな付きで虎の巻になるし、英和辞典のような使い方ができるようになっているのが特徴である。ところがところが、親字の意味=訓読みで抜け落ちているものが非常に多くて、本格的に漢文を読むのには適さない辞書である。しかし「詫異」(たい 驚き怪しむ)は載っている。
私の持っている版(改訂新版6 刷)は薄くて、『漢語林』に載っている「」」「剚」などが載っていないようなことがあったが、現行版はJIS第3・第4水準や異字体も網羅し、語法の説明も充実して、内容的に元の『学研漢和大字典』を越えてしまっている。しかし、それだけ本がものすごく分厚くなり、使いにくくなってしまった。 『漢字源』のCD-ROM版は例文が読み下し文になっている。ただし、電子辞書やCD-ROM版の漢和辞典は、収録されている漢字がJIS第1・第2水準に限定されていることが多いので、漢文に出てくる全ての漢字が引けないことがあることに注意。旧字体も載っていないことがある。例えば、「教」の旧字体の「ヘ」は載ってない。
『新選漢和辞典』(小学館)のコンパクト版。この小ささにも関わらずかなり内容が充実している。漢文学習用の語法欄もついている(第七版)し、見出しの数も多くて「媲」(へい)も載っている。訳語は『新字源』に次いで充実しているし、時には越えている場合もある(例えば、于=取る)。漢字の掲載数では『新字源』を超えている。しかし、どういう訳か「矞」が載ってない。
Web上にある中国人の作った漢文のテキストには中国新字体の漢字が交じっていて、そのままでは日本人には使えないが、その新字体もこの辞書では親字の項目として採用されているので、元の漢字を知ることが容易である。『新字源』もコンパクトでよい。漢文の訓読み(訳語)は実は辞書によってバラバラであるが、この辞書の訓読みが一番網羅的で信頼できると思われる。『漢字源』に載っていない訓読みもこちらには全部載っている。『春秋左氏伝』などの漢文を本格的に読もうとする人には必須の辞書である。例えば「殺」に「狩猟によって獲物を得る」が載っているのは、私の知る限りこれだけである。
また、熟語には時々中国語としての発音と意味が付け加えられており、同じ熟語でも中国語では意味が違うことが分るようになっている。これは他の漢和辞典と最も異なる特徴である。
助字解説は本分の中ではなく巻末にまとめてあるため、いちいち漢字を探し出す必要がなく便利だが、解説や訳はなく上級者向き。
今時の辞書にはめづらしく区点コードが載っていない。しかし、「行われる」に「流行する。もてはやされる」の意味があることもしっかり載っている。「第」の「しばらく」の訓も載っている。「与」の「おいて」の訓は巻末の助字解説に載っている。これを学習向けの内容にしたのが『角川必携漢和辞典』でちよっと大きめの本である。
また、これはここで挙げた小型の辞書の中で、新字体の成立ち(例、国は「俗の囯に点を加えたもの」)が書いてある唯一の辞書である(他は明治書院と小学館のもの)。
『新漢語辞典』(岩波書店)は日本語の中の漢字を読むことに主眼をおいた辞書で、漢文を読むための辞書ではないようだ。
『明解漢和辞典』(三省堂)は現状では最も小さくて賢い漢和辞典。この辞書の見返しにある部首索引の項目は他の辞書より断然多いが、それは一つの部首の分類に含まれる漢字の数を少なくして、欲しい漢字を捜しやすくしているからだ。例えば、「冀」「秉」などは他の辞書では読み方が分からなければなかなか捜せないが、この辞書なら「冀」は「北」の分類、「秉」は「乗」と同じ「ノ」の分類ですぐに見つかる。
こうして漢字を形から引く本来の方式を守っているので、他の漢和辞典のように音訓索引が本の前の方ではなく後ろにある。熟語の配列も他の辞書のように読みのあいうえお順ではなく、漢字の画数順になっている。
ただし、『明解漢和辞典』には日本人の漢文にしか出てこない漢字は載ってないので、森鴎外の『伊沢蘭軒』の漢詩などを読むには語彙不足。だが、漢文の勉強には充分の内容。本が小さいだけ字も小さいのは仕方がない。三省堂の長澤規矩也著の他の漢和辞典は、全部これをもとに拡充していったもの。『新明解漢和辞典』になると『明解漢和辞典』よりも熟語も例文もかなり充実してくる。このクラスの漢和辞典のなかでは、この辞典が熟語も熟語の例文も最も豊富である。ただし、最近のものと違って例文には返り点が付いているだけで、訓読みも現代語訳も付いていない。
この辞典には熟語の「頃之(しばらくして)」や「職由(主としてもとづく)」が載っているし、『新字源』にも『新選漢和』にもない漢字(例えばこ「惎」)がよく載っている。『左子伝』からとった例文が他のどれよりも沢山載っているのもこの辞典の特長だ。陸奥宗光の『蹇蹇録』や頼山陽の『日本外史』を読むときには、この辞典がきっと助けになる。
最新の第四版では新たに漢字の中国語発音とJISコードが付いたが、各ページの縁にあった漢字の一覧表示が消えたので、形から引く手掛かりが一つ減ったと言える。音訓索引は、訓読みをもっと増やしたら便利なのにと思うのだが、むかしのままである。
旧漢字の扱いが悪く、小さい活字で見にくいのも欠点か。例えば「ヘ」は別項目になっていないのでどんな字なのか分らない。。
『パーソナル現代漢字辞典』は新書版なのにとても漢字の数が多くて、森鴎外の『即興詩人』に使われてい「媲」(へい)も入っている。音読みと訓読みと、どんな熟語があるかだけを知りたい場合に携帯用として便利か。ただし意味は書いていない。このほかにも新書版の漢和辞典がいろいろ出ていて最近は使いやすくなっている。
『全訳漢辞海』(三省堂)は現行版の『漢字源』に匹敵する詳しい内容で、非常に優れたものである(とはいえ上記「媲」(へい)は載ってない)。学研の『漢 字源』が始めた、訳語に例文を付けるという英和辞典のやり式が徹底して実行してある。だから、なぜそんな意味があるのかはよく分かる。意味が抜け落ちていることはないようだ。熟語の「頃之(しばらくして)」も載っている。(芥川龍之介が使う「荅布」も乗ってゐるが、中江兆民が使う熟語「尫羸」、「繆巧」、親字「狶」は載ってゐない)一方、全訳と言うだけあって、例文には全部に現代 語訳が付いているが、返り点送りがな無しの原文にいきなり現代語訳を見せられても、なぜそういう意味になるのか初学者には分かりにくい。やはり漢文の理解は文語の読み下し文から始めるしかないのではないか。かなり情報量が多く、紙が薄くて本が大きいので、上級者向き。(以上は、第一版について)
2006年に出た第二版では、読み下し文が全ての漢文に付け加えられ、その上新JISに対応して親字の数が大幅に増えたが、国字の熟語を 減らし、当たり前の項目を減らし、人名を本文に組み入れたりしたので、却つてページ数は10頁ほど減り、しかも紙を薄くしたので、第一版よりかなりハンディーになっている(新JIS対応で『漢字源』が馬鹿でかくなったのとは好対照である)。第一版よりも紙もめくりやすものが使われており、色んな面で使いやすくなったと思われる。これなら初心者からも使えるのではないか。
但し、熟語には出典が書いてあるだけで、実際に引用はされていない場合が殆どである。実際に引用して、しかもそれを読み下し+全訳した、本格的な『大漢辞海』或いは『漢辞洋』或いは『全訳 字源』が出ないかなと思う。
以上は持っているもの。以下は本屋で見ただけ。
そもそも漢文の勉強のために新たに漢和辞典を買う必要はないが、「新人」の意味に「新妻」がない漢和辞典しか家にないなら、勉強用に小さいものを買うとよい。わたしの経験から言って、大きなものを買っても持て余すだけである。買うにしても古本屋のもので充分である。
『旺文社漢和中辞典』は親字の数も多く「媲」(へい)も載っている。それにもかからず、語法の解説も丁寧である。大きな本なので、図書館で使うと良い。これだと「与」に「おいて」の読みがあることがわかる。
それにしても、漢文を読む人間は今時どんどんいなくなっているのに、漢和辞典は最新の『漢辞海』を筆頭にして、漢文を読む道具としては、どんどん便利なものになってきている。まったく不思議なことである。
英語の単語も、それだけで覚えようとするとなかなか覚えられない。単語を覚えたあとすぐにその単語の出てくる文章を読むと印象が強まって暗記しやすくなる。
また、英語の場合、中学で学んだ教科書で中学レベルの単語をしっかり復習しておくと、先が楽になる。これは、数学も古文も同じである。高校の勉強の主なものは、みな中学でやったことばかりであることに気づくことが多い。
英和辞典もどんどん引く。学生時代は読んでもよく分からない英文でも読まなければいけない。となると、辞書で出てくる単語の意味を片っ端から調べるしかない。そのときに、CD-ROM辞書が便利。
また、英和辞典は一冊ではなく、主なものを一冊決めたら、あとは複数を使ってあちこち引くほうが効率が良い。完璧な辞典はないし、あちこち引くほうが覚えやすい。
『ジーニアス英和辞典』、『グローバル英和辞典』、発音記号がカタカナの『ヴィスタ英和辞典』がよい。ハンディータイプのもあったら持っているとよい。小さいとどんどん引くのに便利である。研究社の『英和大辞典』は値段が高いから、図書室にあるものに使うとよい。たいていの疑問は解決する。
いつも使う英和辞典を一つ決めたら、それを徹底して使う。辞書はきれいに使おうと思ってはいけない。一度引いた単語や一度調べた意味は印を付けておいて、二度目に引いたときに分かるようにしておく。こうして何度も同じ単語を初めての気持で引く愚を避けるようにする。このようにして重要な単語に一渡り印がついて、ほとんどの単語を二度目に引くような状態になったら、その辞書は自分のものになっている。それと同時に、英語の力が一段階上がっていることに気付くはずだ。
和英辞典はあまり使わないので、小さいのが一冊あればよい。英文法の参考書は本屋で立ち読みする。
英文和訳の勉強は、英語を日本語に訳してノートに書いておく。教室で教師の訳と比べるのである。予備校ではみんなやっている。
英語のヒヤリングは、むかしと違ってネイティブの英語の発音がテレビやラジオにあふれているために、特別の教材を買う必要なくなった。特にニュースは勉強しやすい。
そのやり方は、まずニュースを何かに録音(録画)しておいて、繰り返して聞きながらノートに文字にする。つぎに、それをそのニュースと同じ内容のニュース記事と比べて直していくのだ。たとえば、CNNのニュースならCNNのホームページを読んで確かめればよい。またFENなどラジオの定時ニュースは、ロイターかAPかのどちらかのニュースなので、聞いたものの正しさをアメリカのYahooなどで確認できる。
これを三ヶ月も続けていると、意識しなくてもニュースの英語が自然に耳に入ってくるようになる。そしてニュースというものが実にゆっくりとはっきり読まれていることが分かるのだ。
英語のヒヤリングで重要なことは、文章の中での強弱のアクセント(音の強い弱い)と、高低の抑揚(音の上がり下がり)を聞くだけでなく、自分で発音してみて、よく覚えることである。英語は強弱のアクセントと高低の抑揚が分るようになると、文や意味の区切りが分るようになって、ヒヤリングの進歩が早くなる。
といっても、知らない単語は聞き取れないので、語彙(vocablary)を増やすことも大切だ。
数学は、公式はとりあえず丸暗記する。あとはすぐに解けるような簡単な練習問題をたくさんやることだ。
数学は数Tが一番難しい。数U、数Vとなるほどやさしくなる。グラフや図形が出てきたり、話が具体的になってくるからだ。逆に、高校で最初に習う数Tの因数分解などは理屈だけなので非常に難しい。これが出来ないからといってあきらめないことだ。
数学は特に教師のうまい下手がある。しかし、いちばんやさしい参考書を使えば必ずできるようになる。自分の頭で考
えようと頑張ると行き詰まる。考え方を覚えておく。これは物理なども同じ。学校が配る問題集をよく分からないまま、言われるままにやっていると失敗する。参考書でマスターしていれば、学校の問題集も簡単に解けるようになる。
数学や物理は論理的思考力を身に付ける訓練である。将来何の役に立つのかなどと心配する必要はない。
教科書ガイド、虎の巻などもどんどん利用する。特に古文・漢文と英語は便利だ。
ところで、辞書、参考書は新品である必要はない。古本屋だとめちゃくちゃ安く買える。特に学校では基礎的なことを勉強するのだから、古い辞書でも全然困らない。古典を読むのにどうして新しい辞書がいるだろう。
中学時代は、中間テストと期末テストの前だけ集中して勉強して、あとはクラブ活動に専念していても充分やっていけるが、高校では学ぶ量がべらぼうに多いから、勉強は毎日やる必要がある。
したがって、決め手となるのは頭の善し悪しではなく、要領と工夫である。いったんやり方が分かると、あとは、どれだけ時間をかけたかで勝負が決まる。高校の勉強は常識の範囲だからである。
あと、勉強はスポーツと一緒で、努力の結果がテストの点数として現れるのは三ヶ月後である。あせってはいけない。着実に行くことだ。