付2 中村是公(ぜこう)泣く 7・4(夕)
先日(こなひだ)の事、東京新橋の料亭花月でKといふ実業家が、客を待合はせる暫くの間(ま)を、意気な小座敷でひとりちびちびとやつてゐると、隣の一
室(ま)である男が芸者を相手のしんみりした話が襖越しに聞えて来た。
実業家は当世人だけに、他人(ひと)の話を立聴きするのが何よりの好物であつた。談話(はなし)が儲け話か女の噂である場合には、とりわけ身体中(から
だぢゆう)を兎の耳のやうにして偸(ぬす)み聴(ぎき)をした。隣の室(ま)ではかなり酒に醉つたらしい男が、時々腹でも立てたやうに調子を高めるのが聞
えた。
「妓(おんな)でも口説(くど)いてるのだらう、困つた奴(やつこ)さんだ。」
実業家は低声(こごゑ)で呟きながら、酒の冷(さ)めるのをも忘れて襖にぴつたりと耳をおし当ててゐた。
すると、芸者の一人がしんみりとした声でいふのが聞えた。
「さう承はつてみると、亡くなつた先生お一人がおいとしいわね。」
「真実(まつたく)だわねえ。」
今一人の妓が調子を合はせるのが聞えて、二人はそつと深い溜息を吐(つ)いたやうにさへ思はれた。
「何だ、妓は二人なんか。それぢや一向詰らん。」
実業家は蝸牛(かたつむり)のやうに襖に吸ひついてゐた耳を引き外しながら、下らなささうに呟(ぼや)いた。 すると、突如(だしぬけ)に男のおいおい
泣き出すのが聞えて来た。雌に逃げられた狗(いぬ)の泣くやうな声である。実業家は手にとつた盃(さかづき)を下において、慌ててまた襖にすり寄つた。
「亡くなつたあの男に済まんよ。」と隣りの男はべそを掻きながら言つた。「俺といふ者が附いてゐて、そんな真似をさせたんぢや、全く・・・」
男は後(あと)を言ひさしたまゝ、おい/\声を立てて泣き入つてゐるが、声柄(こゑがら)にどこか聞覚えがあるやうに思つて、そつと襖を細目に押しあけ
て覗いてみた。そして飛上がるばかりに吃驚(びつくり)した。泣いてゐたのは、外でもない、鉄道院総裁の中村是公氏であつた。
実業家は冷めた盃を啣(ふく)みながら、是公氏が何を泣いてゐるのだらうと色々想像してみた。後藤〔新平〕男が新聞記者に苛(いぢ)められたからといつ
て泣く程の是公氏でもないと思つた。汽車が頻りに人を轢殺(ひきころ)すからといつて泣く程の是公氏でもないと思つた。実際そんな事で泣いてゐては、幾ら
涙があつても足りる訳はなかつた。実業家は廊下を通る芸者を呼びとめて理由(わけ)を訊いてみた。芸者は笑ひ/\言つた。
「夏目漱石さんの未亡人(おくさま)がね、先生の書物から印税がどつさりお入りになるんで、近頃大層贅沢におなり遊ばしたとやらで、それをあんなに言つ
て悔(くや)しがつてらつしやるんですわ。」
実業家は漱石氏と是公氏とが仲のよかつた事を想ひ出して、感心だなと思つた。そしてその次の瞬間には、自分の女房(かない)が人並外れた贅沢家(や)な
のを想ひ出した。
「俺も是公と友達になつてやらう。」と実業家は腹のなかで一人で定(き)めた。「もしか明日(あす)にでも亡くなつたら、屹度あんな風に俺の為めに泣い
てくれるだらうからな。」(完本『茶話』中576頁 大正7年7月4日大阪毎日新聞夕刊)
ここで紹介したこの二つのコラムを資料として、京都漱石の會の丹治伊津子さんがその会の会報『虞美人草』にそれぞれ
「『虞美人草』の頃 西園寺首相をソデにした漱石」(
虞美人草3号)、
「夏目鏡子と新島八重 -悪妻あっぱれ-」(
虞美人草11号)
と題する小論を発表されてい
る。
前者は、漱石が大学の職を辞して小説家として発表した第一作『虞美人草』の創作経緯を日記等から丹念にたどりながらに、この小説に賭ける漱石の並々ならぬ
意気込みをさらりと描き出した一文で、一見取っ付きにくいこの小説を読むきっかけを与えてくれるだろう。
また後者は、鏡子夫人と八重夫人がともに夫の死後に浪費家として名を馳せたことを、温かい眼差しをもって流利な文章でつづられた興味深い佳編である(同10頁)。いずれも一読をおすすめしたい。