奴隷制度を肯定したアリストテレス




 「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」と言った人がいたが、そのような理想主義者の書いたものが「社会契約論」だった。その初めのほうでルソーはアリストテレス ( Aristoteles 前384-前322 ) の「生まれついての奴隷」という言葉を批判しているが、まさにその言葉がふんだんに出てくるのがアリストテレスの 「政治学」だ。

 ルソーと違ってアリストテレスは理想を語った人ではなかった。現実主義者の彼はまず何よりも人間関係の根本にある第一は男と女であり、もう一つは支配と非支配の上下関係であると言った。

 種の保存のための男女関係は当然として、人間が自己保存を図っていくためには平等であってはならない、誰かが指導して誰かがそれに従うという関係に立たなければならない、そして知恵あるものが指導者に、知恵なきものは部下になって汗を出すという関係が欠かせないと彼は言う。上下関係のない社会つまり平等な社会は全員が奴隷になってしまう社会だとも言っている。民主主義社会でも同じことで、民主的とはもちろん全員が奴隷になることではないが、さりとて全員が指導者になることでもない。誰か一人が指導者となり他のものたちはその指示に従っていかなければならないのである。それが嫌ならその組織は滅びるほかないと彼は考える。

 そして、その被支配者の最下層にいるのが奴隷だ。アリストテレスは奴隷が奴隷である理由はその生まれの卑しさであるとする。逆に生まれのよい人間には奴隷を支配する権利があるとも言う。そして生まれのよい人間は生まれのよい人間から生まれてくると言うのだ。

 この奴隷肯定論の中には、家事や料理などは奴隷の仕事であって、自由な市民は政治だけやっていればいいのだというふうな文章もあって、現代人にはかなり面喰らうところがある。しかし、現代でも頭を使う人間やアイデアを出す人間の方が、汗を出して働くしか能のない人間より上に置かれているのは確かである。

 そのほかに、この本を読んで感心するのは、アリストテレスが何事も一つ一つ順番に明らかにしていこうとする態度である。彼は一つのことが明らかになるたびに、「~は以上で明らかである」といって、次に進む。だから、この「明らかである」「明らかに~である」が彼の文章には何度も何度も出てくる。「ここまでは明らかになった。では次へ進もう」という感じである。この彼のやり方は、考えようによっては、なかなかおもしろい。つまり、彼はどんな場合も数学的な証明のやり方を守っているのだ。このやり方で彼は何でもかんでも自分の信じることを「明らかに」してしまう。実にこつこつと「証明」を積み上げていくのだ。彼を「論理」にとり憑かれた人間と言うことさえできるかもしれない。彼は、明らかにする必要のあることが無くなるまでこれを続けるのである。

 アリストテレスはどんな事にも目的があると信じている人である。たとえば、母親は子供を生むときに母乳が出るようになるという事実をとらえて、これは何のためかと考える。そして彼は、母乳は子供がある程度成長するまでの間、母親に子供の食料を手に入れる努力を免除するためだと言うのである。このように彼はこの世のあらゆる出来事に因果関係を見いだしていく。

 また、自然というものをアリストテレスは非常に重視する。世の中の仕組みは、最終的には「自然にできているもの」と「人間が後から作ったもの」の二つに分けられる。この考え方は古代ギリシャ人に共通のものである。そして「自然は全てをうまく作っている」という信仰がアリストテレスにはある。ルソーの「自然に帰れ」などもここから来ているのでないかと思われる。

 ところで、この「政治学」を読む際に注意すべきことは、アリストテレスの言う国、国家とは現代の町や市程度の大きさのものでしかないということである。アリストテレスにとっては村が集まればもう国家ができてしまうのである。

 この本の中身はすべて観察と理屈であるから、小説を読むような面白さはないけれども、それとは違うこの世の謎解きをする面白さがあるといえる。この分析の面白さは読まないと損だと言えるほどのものだから是非一読をお勧めしたい。
 

 アリストテレスの「政治学」 の日本語訳で現在入手しやすいのは二種類しかなく、そのうち読んで意味が分かるのは中央公論社の「世界の名著」の「アリストテレス」に収録された田中美知太郎氏他の訳しかない。これは非常に達意な日本語で書かれた名訳であるが、残念ながら全訳ではない。とくに、一巻途中から始まる奴隷制度肯定論は省略されている。

 しかし、アリストテレスの言葉を引用する人はたいていこの 「政治学」 の第一巻から引用する。なぜなら、たいていの人は第一巻しか読んでいないからである。最近の「天声人語」に「動物は人間のためにある」というアリストテレスの言葉が大学教授からの又聞きとして引用されていたが、これもこの第一巻からである。逆に言うと天声人語氏は第一巻さえ読んでいないということであろうか。それぐらい読みにくい日本語訳しかないと言うわけだろう。だから、ここに第一巻だけでも訳出したことは意味があると信じている。(なお、この訳でも「ですます」調を採用したが、それは例によって古代の散文はすべて黙読されるためではなく人前で話すために書かれたものであるからに他ならない)

 もちろん、第二巻以降にもおもしろいことが書いてある。たとえば、第二巻には、財力を政治家を選ぶ基準の一つにしているカルタゴでは、事実上政治家の地位が売り買いの対象になってしまっている、と書いている。政治家はその人の人格だけで選ぶべきだと言うのである。選挙にいくら金を使っても罰せられないどこかの国で、同じことが起こっているのをここで思い出してもよいだろう。

 このようにアリストテレスは色々といいことを書き残している。だから、ヨーロッパ人は宗教の経典のように崇拝して有り難がってきた。しかし、日本ではそれほど有り難がられない。それは、内容の分かり難さだけではなく、そもそもその中身が知られていないからだとわたしは思う。そしてそれは、読んで意味の分かるに日本語の翻訳がないからであるとも思う。しかし、たとえば英語になら直訳しても意味がとれるものになるため、読み進んでいけるだけの英訳はたくさん存在すると思う。たとえば私が参考にしたペンギン文庫の訳なら適当な解説つきで読みやすいと思う。

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