Philologie(文献学)は世間で通俗的に言語学と訳されてゐる言葉である。併し言語学は必ずしもフィロロギーではないことを注意しなければならぬ。例へばソシュール(Fer. de Saussure, Cours de LinguistiqueGe'ne'rale)によれば、言語の研究はギリシアにおいて文法学としてはじまつたが、それが主にF・A・ヴォルフの学派(十八世紀後半)によつてはじめて、所謂フィロロギーと呼び慣はされるやうになつたに過ぎない。しかもこのフィロロギーは主に古典語と古典語の解釈法に止まつてゐて、まだ活きた言葉の研究ではなかつたので、本当の言語学はこのヴォルフ的な「フィロロギー」をつき抜けて、比較文法学へまで発達し(F.Bopp)、やがて本来の科学的な言語学(それはもはやフィロロギーではなくて Linguistiqueと呼ばれる)の段階に這入つたのだ、と説明されてゐる。でフィロロギーなるものが必ずしも言語学と一致しないばかりではなく、実は言語学が横合ひから之に触れ又は之れを横切り交叉する処の或る一地帯を意味してゐるに他ならない。フィロロギー(文献学)はフィロロギーで、その後言語学とは比較的別なコースを辿つて展開されてゐるやうに見える。つまり例のヴォルフ的な「フィロロギー」は、単に言語が文献学と交叉した地点に他ならなかつたわけで、従つてフィロロギーを特に文献学、更に「文学」とさへ訳す理由があるのである。ヴォルフのこのフィロロギーは更に一般の文芸理論乃至芸術理論とも交叉してゐる(例へばボーザンケトの美学史を見よ―― B. Bosanquet, A History of Aesthetic. Chap.IX)。単なる言語学ではない所以だ。
文書を解読するのは、云ふまでもなく単に言葉や文章を理解するためでなく、そこに盛られた思想や観念をかうして理解するためである。処で何でもがさう簡単に徒手空拳で理解出来るものではないので、理解の用具を提供するものが実は言葉や文章そのものだが、古典にぞくしてゐたり外国のものであつたり、又あまりに専門的な術語に基くものであつたりすれば、この理解の用具の使ひ方自身を又理解するための用具が必要となる。かうした理解の用具、技法が解釈なのであつて、理解はいつもこの解釈を通じて行なはれる。フィロロギーはかうした言葉や文章が盛つてゐる思想の解釈の技法を伝承して学問に仕上げたもののことで、狭い意味に於ける「解釈学」(Interpretationswissenschaft ――Hermeneutik)をその哲学的核心としてゐるのである。――なぜ狭い意味に於けるといふかと云へば、この解釈学はまだ言葉(乃至文章)の説明といふ直接目的を離れてゐないからである(その内でも更に最も狭い意味で解釈学といふ言葉を使へば、言葉や文章の文法学的説明が解釈の事になる)。言葉の説明といふ直接目的から離れないこの狭義のフィロロギー=解釈学の立場はA・ベックなどが最も忠実にこれを代表してゐる(A. Boeckh,Enzyklopaedie und Methodologie der philologischen Wissenschaften――ここでは言葉の説明――解釈の仕方が四つに区別されてゐる)。
この跳躍の最初の準備は恐らくドロイゼン(J. G. Droysen,Historik)の内にある。彼によれば理解は歴史学的方法の本質だといふことになるのである。処がG・ジンメルの『歴史哲学の諸問題』になると、理解といふこの歴史的認識そのものが、もはや単に歴史学の方法であるに止まらず、やがて一般的な哲学的態度そのものを決定するものとなるのである。これが最も大規模に展開されたものは云ふまでもなくディルタイであつて、彼は一方その精神科学の記述方法を例の解釈学から受取つてゐると共に他方、理解こそ、かうした精神科学の記述を通して表はされるその所謂「生の哲学」の、認識理論の枢軸をなしてゐるものだ。吾々の生活は歴史に於て客観化されて表現される、この表現が本当の精神なのであつて、この精神の把握を通して初めて、吾々は却つて自分自身の生活を知ることが出来る。――表現の解釈こそ生の理解なのだ。哲学は生が歴史の内に表現されたものの解釈を通して生みづからを自己解釈し従つて又自己理解することなのだ、とディルタイは主張する。――かくて歴史に於ける理解といふものを踏み台にして、文献学乃至解釈学は、歴史哲学にまで、又更に哲学そのものの方法にまで、高められる。この際、この文献学乃至解釈学によつて支援される「歴史学」や「生の哲学」が、どういふ素性のものであるかは、今更説明するまでもないことだらう。
古代の思想のメカニズムでは、言語と論理(古代論理)とは極めて親しい関係に立つてゐる。例へばE・ホフマンの論文(E. Hoffmann,Sprache und die archaischeLogik)によれば、秘儀(ミュステリオン、語るを許さず)――神秘(ミュスティック、語る能はず)――神話(ミュトス、語らんと欲す)=ミュトス(話)――エポス(言葉)――ロゴス(思惟)といふ具合に、言語と論理との親近関係をつけることが出来る。つまり語ることを問題にしてゐる前の系列と、考へることを問題にする後の系列とがミュトスによつて直接に連なつてゐるのである。処が近代の論理はかうした言葉から独立することをこそその使命としてゐる。
第四、古典的範疇は翻訳され得ねばならぬ。併し翻訳はいつも翻訳に止まる。――狭い意味に於ける翻訳は一つの国語の文章を他の国語の文章で置き換へる事だが、広い意味の翻訳は、一般に文化の紹介を意味してゐる。どれも文献的労作である点で変らない。シュレーゲルのシェークスピア翻訳や、カーライルのゲーテ紹介などはこの二つの意味を兼ね具へたものであつた。正にかうした翻訳こそフィロロギーの使命であり、現在の実際問題解決に対するフィロロギーの唯一の寄与の仕方なのである。――だが翻訳は翻訳であつて原物ではない。未開、古代的、古典的な文書や言葉であつても、又同時代的な同一文化水準の外国語でも、言葉として或る程度まで翻訳は可能でなくてはならぬ(この文学上の翻訳の問題に就いては野上豊一郎氏「翻訳論」――岩波講座『世界文学』の内を見よ。なほフェノメノロギッシェな試論としては L. F. Clauss, Das Verstehen des sprachlichenKunstwerks, 1929 ― Husserls Jahrbuch, Ergaenzungsbandなどがある、尤も之は大したものとは思はれないが)。だが広い意味の翻訳は文化の紹介なのだから、問題はこの種の文学上の翻訳に止まることは出来ない。今何より大事なのは範疇乃至範疇組織の翻訳の問題なのである。
だがリードの主著(Inquiry into the Human Mind on the Principles of CommonSense)が、人間の外部的諸感官の問題から出発してゐることは多少の注意に値する。と云ふのは、五官に共通する感官によつて、実は初めて人間の意識的統一が成り立つわけだが、この人間的、個人的統一がなければ、社会に於ける個人間に共通するといふ常識なる統一も成り立たないのは云ふまでもないし、それから又逆に、常識といふものが初めて、他面に於て個人々々の意識の統一を齎すものだといふ事実も見逃してはならないからである。一人の個人の意識の統一を齎すものは、一方個人心理的に云へばコイネー・アイステーシスであると共に、その同じ関係が、個人を社会心理的に見ると、所謂常識となるのである。個人意識の統一といふ点から見れば、だからアリストテレス的共通感官の概念と、リード的常識の概念との、実質的な連絡がハッキリするわけだ。
併し、日本は決して世界を征服するのではないらしい。現に学習院教授紀平正美博士によると、日本精神とは「他人と合同調和」する精神から流れ出たものだといふのである(「日本精神に関する一考察」)。今日では、一頃列強と呼ばれたブルジョア諸国が支那分割を夢みた場合のやうな植民政策は実行不能になつたから、他人を「合同」したのでは決して「調和」が保たれないといふことが世界の外交常識になつてゐる。だからこの言葉は決して日本の世界征服を意味するものではあり得ない。「和平」を愛する国民が日本国民だとも博士はこの書物で云つてゐる。それに西洋人の他人に対する態度は take andgive(とりやり)であるが、日本人のは「やりとり」ださうである。即ち伊藤証信氏流に云ふと、日本国民が如何に無我愛的であるかが、この点からも伺ひ知ることが出来るわけだ。日本民族の隣人愛、即ち隣国愛は、支那満州帝国に対するその友誼から見ても、もはや疑ひのない処である。