『嵐が丘』の誤訳の伝統
『嵐が丘』の新訳がつぎつぎに出ているがいいものがない。エミリー・ブロンテの英語は難しいので阿部知二の翻訳でも誤訳だらけなのは有名だが、買っていい翻訳かどうかを知るのは簡単で、第一章の最後の次の2カ所を見ればよい。
1,ロックウッドがヒースクリフの犬に吠えかかられたときのせりふを「焼き印を押してやる」と訳しているかどうか。
2,ロックウッドの帰り際にヒースクリフの口調が変つたことを「助動詞や代名詞を省いたぞんざいな(ぶっきらぼうな)話し方をやめた」という風に訳しているかどうか。
これらはどちらも間違いで、正しくはそれぞれ「指輪の跡をつけてやる(つまり、拳骨を一発くらわしてやる)」と「助動詞や代名詞を省略した単刀直入な話し方になつた(つまり、よそいきではなく率直な話し方になった)」である。
1つめの原文は「signetを押す」で、辞書を引けばそれが指輪に付いている印章であることは誰でも分る。そして、指輪の印章を押すとは、拳骨を食らわすことを意味するのは明らかだろう。
2つめの原文は、”relaxed a little (少しくつろいで)in the laconic style
(簡潔なスタイルで)of chipping off(省く) his pronouns and auxiliary
verbs(代名詞と助動詞を)”である。これが、それまでのぞんざいな話し方を丁寧にしたのでないことは、誰にでもわかると思う。
そもそもヒースクリフはそれまで助動詞や代名詞を省いたぞんざいなしゃべり方などしていない。これをどうして上のように誤訳するのかと言えば、阿部知二から歴代の翻訳がそう訳してきたからだろう。
実際、これらは『嵐が丘』に受け継がれてゐる誤訳の伝統で、翻訳家というものは自分の頭で考えるよりは既存の訳を見ながら翻訳するものだといふことを如実に物語る例である。