『御成敗式目(貞永式目)』一覧






第一条

一、可修理神社專祭祀事

右神者依人之敬增威、人者依神之德添運、然則恆例之祭祀不致陵夷、如在之禮奠莫令怠慢、因茲於關東御分國々并庄園者、地頭神主等各存其趣、可致精誠也、兼 又至有封社者、任代々符、小破之時且加修理、若及大破、言上子細、隨于其左右可有其沙汰矣

一、神社を修理し、祭祀を専らにすべき事

 右、神は人の敬ひによつて威を増し、人は神の徳によつて運を添ふ。然れば則ち恒例の祭祀は陵夷(りようい=衰退)を致さず、如在(によざい=神を祭る) の礼奠(れいてん=供物)は怠慢せしむるなかれ。これによつて関東御分の国々ならびに庄園に於ては、地頭神主ら各(おのおの)その趣を存し、精誠を致すべ き なり。兼てまた有封(うふ=封戸のある)の社に至つては、代々の符(=太政官符)に任せ、小破の時は且(かつがつ)修理を加へ、もし大破に及び子細を言上 せば、その左右(さう=状況)に随てその沙汰(=指示)あるべし。


第二条

一、可修造寺塔勤行佛事等事

右寺社雖異崇敬是同、仍修造之功、恆例之勤宜准先條、莫招後勘、但恣貪寺用、於不勤其役輩者、早可令改易彼職矣

一、寺塔を修造し、仏事等を勤行すべき事

 右、寺社異なると雖も崇敬これ同じ。よつて修造の功、恒例の勤め、宜しく先条に准じ後勘(こうかん=後日の咎め)を招(まね)ぐことなかるべし。但し恣 (ほしいまゝ)に寺用を貪り(=私用に回して)、その役を勤めざるの輩に於ては、早く彼の職を改易せしむべし。


第三条

一、諸國守護人奉行事

右々大將家御時所被定置者、大番催促謀叛殺害人〈付、夜討強盜山賊海賊〉等事也、而至近年分補代官於郡鄕、宛課公事於庄保、非國司而妨國務、非地頭而貪地 利、所行之企甚以無道也、抑雖爲重代之御家人、無當時之所帶者、不能驅催、兼又所々下司庄官以下、假其名於御家人、對捍國司領家之下知云々、如然之輩可勤 守護所役之由、縱雖望申一切不可加催、早任大將家御時之例、大番役并謀叛殺害之外、可令停止守護之沙汰、若背此式目相交自餘事者、或依國司領家之訴訟、或 就地頭土民之愁鬱、非法之至爲顯然者、被改所帶之職、可補穩便之輩也、又至代官可定一人也

一、諸国守護人奉行(=守護の権限)の事

 右、右大将家の御時定め置かるゝ所は、大番(=京都の警備)催促、謀叛、殺害人<付、夜討、強盗、山賊、海賊>(=承久の乱の後に付け加へ られた)等の事なり。しかるに近年に至りて代官を郡郷に分補(=任命)し、公事(=年貢以外の雑税や賦役)を庄保(=荘園と保つまり国衙領)に宛て課(お ほ=課税)せ、国司に非ずして国務(= 国の支配権)を妨げ、地頭に非ずして地利を貪る(=国司や地頭の権限を奪つてゐる)。所行の企て甚だ以て無道なり。

 そもそも重代の御家人(=在地領主)たりと雖も、当時(=現在)の所帯(=領地)無き者は、駆催(かけもよほ=大番役)すことあたはず。兼 てまた所々の下司(=荘園の管理人、多くは武士である。領所・領家が上司)庄官以下、その名を御家人に仮りて(=御家人を自称して)、国司領家(=荘園領 主)の下知と対捍(=対抗)すと云々。しかる如きの輩は、守護役(=大番役)を勤むべきの由(よし)たとへ望み申すと雖も一切催(=採用)を加ふべから ず。

 早く右大将家御時の例に任せ、大番役ならびに謀叛殺害の外、守護の沙汰(=権限)を停止せしむべし。もしこの式目 に背き自余の事に相交る者、或は国司領家の訴訟により、或は地頭土民の愁鬱(=愁訴)につき、非法の至り顕然たる者は、所帯の職を改められ穏便の輩(とも がら)を補(ほ=任命)すべきなり。また代官に至つては一人(いちにん)を定むべきなり。

第四条

一、同守護人不申事由、沒收罪科跡事

右重犯之輩出來時者、須申子細隨左右之處、不決實否不糺輕重、恣稱罪科之跡、私令沒收之條、理不盡之沙汰、甚自由之姧謀也、早注進其旨、宜令蒙裁斷、猶以 違犯者、可被處罪科、次犯科人田畠在家并妻子資財事、於重科之輩者、雖召渡守護所、至田宅妻子雜具者、不及付渡、兼又同類事、縱雖載白状、無財物者更非沙 汰之限

一、同じく守護人、事の由を申さず、罪科の跡(=罪人の所有物)を没収する事

 右、重犯の輩出来の時は、須(すべから)く子細を申し左右(さう=指示)に随ふべきのところ、実否を決せず、軽重を糺(たゞ)さず、恣(ほしいまゝ)に 罪科の跡と称して私に没収せしむるの条、理不尽の沙汰甚だ自由の奸謀(=奸計)なり。早くその旨を注進し、宜しく裁断を蒙るべし。なほ 以 て違犯する者は罪科に処せらるべし。

 次に、犯科人(=罪人)の田畠在家ならびに妻子資財の事。重科の輩に於ては守護所(守護の役所)に召し(=逮捕、以下多くの場合同 じ)渡すと雖も、田宅妻子雑具に至つては付け渡すに及ばず。兼てまた同類(=共犯者)の事。たとへ白状(=自白書面)に載すると雖も、財物(=盗品の現 物)無くば更に沙汰の限りに非ず。

第五条

一、諸國地頭令抑留年貢所當事

右抑留年貢之由、有本所之訴訟者、即遂結解可請勘定、犯用之條若無所遁者、任員數可辨償之、但於爲少分者早速可致沙汰、至過分者三箇年中可辨濟也、猶背此 旨令難澁者、可被改所職也

一、諸国地頭、年貢所当(=収めるべき年貢)を拘留(=横領)せしむる事

 右、年貢を抑留するの由、本所(=領主、荘園の名義人)の訴訟有らば、即ち結解(けつげ=精算)を遂げ勘定(=本所が調査結果を記載した上申 書)を請ふべし。犯用(=盗用)の条もし遁るゝところ無き者は、員数に任せて(=数量どほり)これを弁償すべし。但し少分たるに於ては早速沙汰を致すべ し。過分に至る者は三箇年中に弁済すべきな り。なほこの旨に背き難渋せしむる者は、所職(しよしき=地頭職)を改めらるべきなり。

第六条

一、國司領家成敗不及關東御口入事

右國衙庄園神社佛寺領、爲本所進止、於沙汰來者、今更不及御口入、若雖有申旨、敢不能敍用、次不帶本所擧状、致越訴事、諸國庄園并神社佛寺領、以本所擧状 可經訴訟之處、不帶其状者既背道理歟、自今以後不及成敗

一、国司領家(=ここでは本所)の成敗は、関東御口入(くにふ=口出し、介入)に及ばざる事

 右、国衙庄園神社仏寺、本所(=荘園の名義人)の進止(=命令)として沙汰(=決定)し来るに於ては、今更御口入に及ばず。もし申す旨(=幕府に提訴) ありと雖も 敢て敘用(=採用)するあたはず。

 次に、本所の挙状(=推薦状、裁判権の幕府への委嘱)を帯びず越訴(=幕府による裁判を不当に要求する)致す事、諸国庄園ならびに神社仏寺領は本所の 挙状を以て訴訟を経べきのところ、その状を帯びざる者は、既に道理に背く歟(か=なり。疑問ではなく強い肯定)。自今以後成敗に及ばず。

第七条

一、右大將家以後代々將軍并二位殿御時所宛給所領等、依本主訴訟被改補否事

右或募勳功之賞、或依宮仕之勞拜領之事、非無由緖、而稱先祖之本領於蒙裁許、一人縱雖開喜悅之眉、傍輩定難成安堵之思歟、濫訴之輩可被停止、但當時給人有 罪科之時、本主守其次企訴訟事、不能禁制歟、次代々御成敗畢後擬申亂事、依無其理被弃置之輩、歴歳月之後企訴訟之條、存知之旨罪科不輕、自今以後不顧代々 御成敗、猥致面々之濫訴者、須以不實之子細被書載所帶之證文

一、右大将家以後代々の将軍ならびに二位殿(=北条政子)御時宛て給はれし所領等、本主(=旧主)の訴訟により改補(=解任)せらるゝや否やの事

 右、或は勲功の賞に募り、或は宮仕(みやづかひ=幕府への奉功)の労によつて拝領の事、由緖(=正当性)無きに非ず。しかるに先祖の本領(=旧領地)と 称し裁許(=勝訴)を蒙るに於ては、一人たとへ喜悦の眉を開くと雖も、傍輩(=御家人)も定めて安堵の思ひを成し難き歟。濫訴の輩停止せらるべし。但し、 当時(=現在)の給人 (=所有者、知行人)罪科あるの時、本主その次(ついで=機会)を守り(=見定めて)、訴訟を企つる事は、禁制することあたはざる歟。

 次に、代々の御成敗畢(をは)りて後、申し乱らんと擬する(=企てる)の事。その理無きによつて棄て置かるゝ の輩、歳月を歴(へ)るの後、訴訟を企つるの条、存知の旨(=動機)、罪科軽からず。自今以後、代々の御成敗を顧みず、猥(みだ)りに面々(=各自)の濫 訴を致す者は、須(すべから)く不実の子細を以て、帯ぶる所の証文に書き載せらるべし。

第八条

一、雖帶御下文不令知行、經年序所領事

右當知行之後過廿箇年者、任右大將家之例、不論理非、不能改替、而申知行之由、掠給御下文之輩、雖帶彼状不及敍用

一、御下文(=幕府の出した権利証書)を帯ぶると雖も知行せしめず年序(=年数)経たる所領の事

 右、当知行(=現在の実効支配)の後、廿箇年を過ぎたる者は、右大将家の例に任せ、理非を論ぜず、改替するあたはず。而るに知行の由を申し(=嘘をつい て)御下文を掠め給はるの輩、彼の状(=御下文)を帯ぶと雖も敘用(=採用)するに及ばず。

第九条

一、謀叛人事

右式目之趣兼日難定歟、且任先例且依時議、可被行之

一、謀叛人の事

右、式目の趣、兼日(=あらかじめ)に定め難き歟。且先例に任せ、且時議(=時宜)によつてこれを行はるべし。


第十条

一、殺害刃傷罪科事〈付、父子咎相互被懸否事〉

右或依當座之諍論、或依遊宴之醉狂、不慮之外若犯殺害者、其身被行死罪并被處流罪、雖被沒收所帶、其父其子不相交者、互不可懸之、次刃傷科事同可准之、次 或子或孫、於殺害父祖之敵、父祖縱雖不相知、可被處其罪、爲散父祖之憤、忽遂宿意之故也、次其子若欲奪人之所職、若爲取人之財寶、雖企殺害、其父不知之由 在状分明者、不可處縁座

一、殺害刃傷の事〈付、父子の咎、相互に懸けらるゝや否やの事〉

 右、或は当座の諍論により、或は遊宴の酔狂によつて、不慮の外(=過失でなく)にもし殺害を犯す者は、その身死罪に行はれ、ならびに(=もしくは)流刑 に処せられ、所帯没収せらるゝと 雖も、その父、その子相交はらざる者は、互にこれを懸くべからず。

 次に、刃傷の科の事も同じくこれに准ずべし。

 次に、或は子、或は孫、父祖の敵を殺害する に 於ては、父祖たとへ相知らずと雖も、その罪に処せらるべし。父祖の憤りを散ぜんがため、忽ち宿意を遂ぐる故なり。

 次に、もし人の所職を奪はんと欲し、もし 人の財宝を取らんとなし、殺害を企つと雖も、その父知らざるの由、在状(=さうであること)分明の者は、縁座(=連座)に処すべからず。

第十一条

一、依夫罪過、妻女所領沒收否事

右於謀叛殺害并山賊海賊夜討強盗等重科者、可懸夫咎也、但依當座之口論、若及刃傷殺害者、不可懸之

一、夫の罪過によつて、妻女の所領没収せらるゝや否やの事

 右、謀叛殺害ならびに山賊海賊夜討強盗等の重科に於ては、夫の咎に懸かるべきなり。但し当座の口論により、もし刃傷殺害に及べばこれを懸くべからず。

第十二条

一、惡口咎事

右鬪殺之基起自惡口、其重者被處流罪、其輕者可被召籠也、問注之時吐惡口、則可被付論所於敵人、又論所事無其理者、可被沒收他所領、若無所帶者、可處流罪 也

一、悪口咎の事

 右、闘殺の基(もとひ)は悪口より起る。その重き者は流罪に処せされ、その軽き者は召し籠めらるべきなり。問注(=裁判)の時悪口を吐けば、則ち論所 (=争点の領地)を敵人に付けらるべし。また論所の事、その理無き者は、他の所領を没収せらるべし。もし所帯なき者は、流罪に処せられるべきなり。

第十三条

一、毆人咎事

右被打擲之輩爲雪其恥、定露害心歟、毆人之科甚以不輕、仍於侍者可被沒收所領、無所帶者可處流罪、至于郞從以下者可令召禁其身也

一、人を殴(う)つ咎の事

 右、打擲せらるゝの輩はその恥を雪(そゝ)がんため定めて害心を露す歟。人を殴(う)つの科、甚だ以て軽からず。よつて侍(=武士)に於ては所領を没収 せらるべ し。所帯無き者は流罪に処すべし。郎従以下(=家来)に至つては、その身を召し禁ぜしむべき也。

第十四条

一、代官罪過懸主人否事

右代官之輩有殺害以下重科之時、件主人召進其身者、主人不可懸科、但爲扶代官、無咎之由主人陳申之處、實犯露顯者、主人難遁其罪、仍可被沒收所領、至彼代 官者可被召禁也、兼又代官或抑留本所之年貢、或違背先例之率法者、雖爲代官之所行、主人可懸其過也、加之代官若依本所之訴訟、若就訴人之解状、自關東被召 之、自六波羅被催之時、不遂參決、猶令張行者、同又可被召主人之所帶、但隨事之躰可有輕重歟

一、代官(=守護代、地頭代)の罪科は主人に懸かるや否やの事

 右、代官の輩、殺害以下の重科あるの時、件の主人その身を召し進(=差出)ぜば主人に科を懸くべからず。但し代官を扶(たす)くるために、咎無きの由を 主人陳じ申すのところ、実犯(じつぼん)露顕せば、主人その罪遁(のが)れ難し。よつて所領を没収せらるべし。彼の代官に至つては召し禁(=逮捕監禁)ぜ らるべきなり。

 兼てまた代官、或は本 所 (=荘園の名義人)の年貢を抑留し、或は先例の率法(りつぱふ=割合の規定)に違背する者は、代官の所行たりと雖も主人にその過(とが)を懸くべきなり。

  加之(しかのみならず)代官もし本所の訴訟により、もしくは訴人(=原告)の解状(げじやう=訴状)につき、関東よりこれを召され、六波羅よりこれを催 (もよほ=呼 出)さるゝの時、参決(=申し開き)を遂げず、なほ張行(ちやうぎやう=強行)せしむる者は、同じくまた主人の所帯を召さるべし。但し、事の躰に随ひて軽 重ある べき歟。

第十五条

一、謀書罪科事

右於侍者可被沒收所領、若無所帶者、可被處遠流也、凡下輩者、可被捺火印於其面也、執筆之者、又與同罪、次以論人所帶之證文爲謀書之由、多以稱之、披見之 處、若爲謀書者、最任先條可有其科、又無文書之紕繆者、仰謀略之輩、可被付神社佛寺之修理、但至無力之輩者、可被追放其身也

一、謀書(ぼうしよ=文書偽造)の罪科の事<付、論人(=被告)の所帯する証文を以て謀書と称する事>

 右、侍に於ては所領を没収せらるべし。もし所帯なき者は遠流に処せらるべきなり。凡下(=武士以外)の輩は火印をその面に捺さるべきなり。執筆の者もま たともに同罪た り。

 次に論人(=被告)所帯(=所持)の証文を以て謀書たるの由、多く以てこれを称す。披見のところ、もし謀書たらば、最も先条に任せその科あるべし。ま た文書の紕繆(ひびう=誤謬)無くば、謀略の輩(=偽つて相手の文書偽造を言ひたてた者)に仰せて神社仏寺の修理に付せらるべし。但し無力の輩(=財力の ない者)に至つて は、その身を追放せらるべきなり。

第十六条

一、承久兵亂時沒收地事

右致京方合戰之由依聞食及、被沒收所帶之輩、無其過之旨、證據分明者、宛給其替於當給人、可返給本主也、是則於當給人者、有勳功奉公故也、次關東御恩輩之 中、交京方合戰事、罪科殊重、仍即被誅其身、被沒收所帶畢、而依自然之運遁來之族、近年聞食及者、縡已違期之上、尤就寬宥之儀、割所領内、可被沒收五分 一、但御家人之外下司庄官之輩、京方之咎、縱雖露顯、今更不能改沙汰之由、去年被議定畢、者不及異儀、次以同沒收之地、稱本領主訴申事、當知行之人、依有 其過沒收之、宛給勳功之輩畢、而彼時之知行者非分之領主也、任相傳之道理可返給之由訴申之類、多有其聞、既就彼時知行普被沒收畢、何閣當時領主、可尋往代 之由緖哉、自今以後可停止濫望矣

一、承久兵乱の時の没収地の事

 右、京方(=京都側に味方した)の合戦を致すの由、聞しめし及ぶによつて、所帯を没収せられし輩、その過(とが)無きの旨、証拠分明ならば、その替を当 給人(たうきふにん=現 在の所有者)に宛て給ひ、本主(=本来の持ち主)に返し給ふべきなり。これ則ち、当給人に於ては勲功の奉公あるの故なり。

 次に、関東御恩の輩の中、京方の 合戦に交はりし 事、罪科殊に重し。よつて即ちその身を誅せられ、所帯を没収せられ畢(をは)んぬ。しかるを自然(=万に一つ)の運によつて遁れ来るの族(やから)、近年 聞こしめし及ぶ 者、縡(こと)すで違期(ゐご=時期が過ぎた)の上、もつとも寛宥(=寛恕)の儀につき、所領内を割き五分の一を没収せられるべし。但し、御家人のほかに 下司庄官の輩は、京方の咎、縦へ露顕すると雖も、今更改沙汰(=解雇)することあたはざるの由、去年議定せられ畢んぬ、者(てへれば=と言へれば)異儀に 及ばず。

 次 に、同じく没収の地を以て、本領主(=本来の領主)と称し訴へ申す事。当知行の人その(=本領主)過あるによりてこれを没収し、勲功の輩に宛て給ひ畢ん ぬ。しかるを、彼の時(=承久の乱後)の知行の者は非分(=分不相応)の領主なり相伝の道理に任せてこれを返給すべきの由、訴へ申すの類(たぐひ)多くそ の聞こえあり。既に彼の時の知行につきて、あまねく没収せられ畢んぬ。何ぞ当時(=現在)の領主を閣(さしお)きて、往代(=昔)の由緖を尋ぬべけんや。 自今以後、濫望(らんまう)を停止すべし。

第十七条

一、同時合戰罪過父子各別事

右父者雖交京方、其子候關東、子者雖交京方、其父候關東之輩、賞罰已異、罪科何混、又西國住人等、雖爲父雖爲子、一人參京方者、住國之父子不可遁其咎、雖 不同道、依令同心也、但行程境遙音信難通、共不知子細者、互難被處罪科歟

一、同じ時の合戦の罪科は父子各別(=別々)なる事

 右、父は京方に交ると雖もその子関東に候(こう)じ、子は京方に交ると雖もその父関東に候ずるの輩は、賞罰すでに(父と子で)異なり、罪科なんぞ混(ひ とし)からん。また西国の住人等は父たりと雖も子たりと雖も、一人京方参ぜし者は、住国の父子その咎を遁るべからず。同道せずと雖も、同心せしむるによつ て なり。但し行程境遥かにして音信通じ難く、共に子細を知らざる者は、互ひに罪科に処せられ難からん歟。

第十八条

一、讓與所領於女子後、依有不和儀、其親悔還否事

右男女之號雖異、父母之恩惟同、法家之倫雖有申旨、女子則頼不悔還之文、不可憚不孝之罪業、父母亦察及敵對之論、不可讓所領於女子歟、親子義絶之起也、既 敎令違犯之基也、女子若有向背之儀者、父母宜任進退之意、依之女子者爲全讓状、竭忠孝之節、父母者爲施撫育、均慈愛之思者歟

一、所領を女子に讓り与へたる後、不和の儀あるによつて、その親悔い還す(=取り戻す)や否やの事

 右、男女の号異なると雖も、父母の恩これ同じ。法家(=律令の法律家)の倫(りん=言ひ分)申す旨有りと雖も、女子則ち悔い還(=取り戻)さゞるの文に 頼みて、不孝の罪業憚るべからず。父母また敵対の論に及ぶを察し、所領を女子に讓るべからざる歟。親子義絶の起りなり、既に教令(=親の言付け)違犯の基 な り。女子もし向背(きやうはい=裏切り)の儀有らば、父母宜しく進退(しだい=自由)の意に任すべし。これによつて、女子は讓状(ゆづりじやう=相続の証 明書)を全うせんがため忠孝の節を竭(つく)し、父母は撫育を施さんがため慈愛の思ひを均(ひと)しうする(=変へない)ものならん歟。

第十九条

一、不論親疎被眷養輩、違背本主子孫事

右頼人之輩、被親愛者如子息、不然者又如郞從歟、爰彼輩令致忠勤之時、本主感歎其志之餘、或渡宛文、或與讓状之處、稱和與之物對論本主子孫之條、結構之趣 甚不可然、求媚之時者、且存子息之儀、且致郞從之禮、向背之後者、或假他人之號、或成敵對之思、忽忘先人之恩顧、違背本主之子孫者、於得讓之所領者、可被 付本主之子孫矣

一、親疎(=血縁の無い者が)を論ぜず眷養(けんやう=所領を譲られた)せらるゝ輩、本主の子孫に違背する事

 右、人を頼(たの=人の保護下にある)むの輩、親愛せらるれば子息の如く、然らずばまた郎従の如き歟。ここに彼の輩、忠勤を致さしむるの時、本主その志 に感嘆するの余り、 或は宛文を渡し、或は讓状を与ふるのところ、和与(=相続ではなく贈与)の物と称して本主の子孫に対論(=敵対)するの条、結構(=企て)の趣甚だ然るべ か らず。媚を求むるの時は、且は子息の儀を存し、且は郎従の礼を致し、向背の後は、或は他人の号を仮り(=他人への贈与として)或は敵対の思ひを成し、忽ち 先人の恩顧を忘る。本 主の子孫に違背せば、讓りを得たるの所領に於ては、本主の子孫に付せらるべし。

第二十条

一、得讓状後、其子先于父母令死去跡事

右其子雖令見存、至令悔返者、有何妨哉、況子孫死去之後者、只可任父祖之意也

一、讓状を得るの後、その子父母に先んじ死去せし跡の事

 右、その子見存(=現存)せしむと雖も、悔い還さしむるに至つては何の妨げ有らんや。況や子孫死去の後は、只父祖の意に任すべきなり(=代襲相続になら ない)。

第二十一条

一、妻妾得夫讓、被離別後、領知彼所領否事

右其妻依有重科於被弃捐者、縱雖有往日之契状、難知行前夫之所領、又彼妻有功無過、賞新弃舊者、所讓之所領不能悔還

一、妻妾、夫の讓を得、離別せらるゝの後、彼の所領を領知するや否やの事

 右、その妻重科あるによつて棄捐(きえん)せらるゝに於ては、たとへ往日の契状(=譲状)有りと雖も、前夫の所領を知行し難し。また彼の妻功有りて過無 く、新しき(=新しい妾)を賞し旧きを棄てば、讓る所の所領悔い還すあたはず。

第二十二条

一、父母所領配分時、雖非義絶、不讓與成人子息事

右其親以成人之子令吹擧之間、勵勤厚之思、積勞功之處、或就繼母之讒言、或依庶子之鍾愛、其子雖不被義絶、忽漏彼處分、侘傺之條非據之至也、仍割今所立之 嫡子分、以五分一可宛給無足之兄也、但雖爲少分於計宛者、不論嫡庶、宜依證跡、抑雖爲嫡子無指奉公、又於不孝之輩者、非沙汰之限

一、父母所領配分の時、義絶に非ずと雖も、成人の子息に讓り与へざる事

 右、その親成人の子を以て吹挙(すいきよ=幕府に推挙)せしむるの間、勤厚(きんこう)の思ひを励まし労功(=功労)を積むのところ、或は継母の讒言に つき、或は庶子の鍾愛により、その子(=成人の子)義絶せられずと雖も、忽ち彼の処分(=財産分与)に漏る。侘傺(たくさい=落ちぶれること)の条、非拠 (=非道)の至りな り。よつて今立つる所の嫡子(=相続人、弟がなることもある)の分を割き、五分一を以て無足(=無給)の兄に宛て給るべきなり。但し少分たりと雖も計らひ 宛つるに於ては、 嫡庶を論ぜず(=嫡子庶子いづれの場合も)、宜しく証跡(=譲状の文面)によるべし。抑も嫡子(=長男)たりと雖もさしたる奉公(=幕府勤務)無く、また 不孝の輩に於ては、沙汰の限りに非 ず。

第二十三条

一 女人養子事

右如法意者、雖不許之、右大將家御時以來至于當世、無其子之女人等讓與所領於養子事、不易之法不可勝計、加之都鄙之例先蹤惟多、評議之處尤足信用歟

一 女人養子(女がとる養子)の事

 右、法意(=律令)の如くばこれを許さずといへども、右大将家の御時以来当世に至るまで、その子なきの女人(=未亡人)ら所領(=夫から譲られた領地) を養子に讓り与ふる事、不易の法(=先例)勝計(せうけい=全てを数える)すべからず。しかのみならず都鄙の例先蹤(=慣習)これ多し。評議のところもつ とも信用に足る歟(=足るなり)。

第二十四条

一、讓得夫所領後家、令改嫁事

右爲後家之輩讓得夫所領者、須抛他事訪夫後世之處、背式目事非無其咎歟、而忘貞心令改嫁者、以所得之領地、可宛給亡夫之子息、若又無子息者、可有別御計

一、夫の所領を讓り得たる後家、改嫁(=再婚)せしむる事

 右、後家たるの輩、夫の所領を讓り得ば、須(すべから)く他事を抛(なげう)ちて夫の後世を訪(とぶら)ふべきのところ、式目(=道理)に背く事その咎 無きに非ざ る歟(=咎が必ずある)。しかして忽ち貞心を忘れ改嫁せしめば、得る所の領地を以て亡夫の子息に宛て給るべし。もしまた子息無くば別の御計らひあるべし。

第二十五条

一、關東御家人以月卿雲客爲婿君、依讓所領、公事足減少事

右於所領者讓彼女子雖令各別、至公事者隨其分限可被省宛也、親父存日縱成優如之儀、雖不宛課、逝去後者尤可令催勤、若募權威不勤仕者、永可被辭退件所領 歟、凡雖爲關東祗候之女房、敢勿泥殿中平均之公事、此上猶令難澁者、不可知行所領也

一、関東御家人、月卿(=公卿)雲客(=殿上人)を以て婿君(ぜいくん=公武通婚)となし、所領を讓るによつて、公事足(くじあし=賦役、兵役の義務のあ る領地)減少 の事

 右、所領に於ては彼の女子に讓り各別(かくべつ=独立)せしむると雖も、公事に至つてはその分限(=所領)に随ひて省(はぶ=割り当て)き宛てらるべき なり。親父(しんぷ)存する日は、たとへ優恕(=宥恕)の儀を成し宛て課(おほ)せず(=親が代行する)と雖も、逝去の後はもつとも催勤(=賦役を実行) せしむべし。もし権威(=嫁入り先の京都の公家)に募り勤仕せざる者は、永く件の所領を辞退せらるべき歟。凡そ関東祗候(しこう=将軍家宮仕、京都に行か ずに鎌倉にゐる)の女房たりと雖も、敢へて殿中(=将軍の居場所)平均(へいぎん=当然)の公事に泥(なづ=とどこほる)むなかれ。この上なほ難渋せしむ る者 は、所領を知行すべからず。

第二十六条

一、讓所領於子息、給安堵御下文之後、悔還其領、讓與他子息事

右可任父母意之由、具以載先條畢、仍就先判之讓、雖給安堵御下文、其親悔還之、於讓他子息者、任後判之讓、可有御成敗

一、所領を子息に讓り、安堵の御下文(=幕府による相続の承認)を給はるの後、その領を悔い還し、他の子息に讓り与ふる事

 右、父母の意に任すべきの由、具(つぶさ)に以て先条(=十八条と二十条)に載せ畢んぬ。よつて先判(せんばん=先の証文)の讓に就きて安堵の御下文を 給はると雖も、その親これを悔い還し、他の子息に讓り与ふるに於ては、後判(こうはん=後の証文)の讓に任せて御成敗(=決定)あるべし。

第二十七条

一、未處分跡事

右且隨奉公之淺深、且糺器量之堪否、各任時宜可被分宛

一、未処分の跡の事

 右、且は奉公の浅深に随ひ、且は器量(=能力)の堪否(かんぷ=有無)を糺(たゞ)し、各時宜に任せて分ち宛てらるべし。

第二十八条

一、搆虚言致讒訴事

右和面巧言掠君損人之屬、文籍所載、其罪甚重、爲世爲人不可不誡、爲望所領企讒訴者、以讒者之所領、可宛給他人、無所帶者可處遠流、又爲塞官途搆讒言者、 永不可召仕彼讒人

一、虚言を搆へ、讒訴を致す事

 右、面を和らげ言を巧み、君を掠(かす=あざむく)め人を損ずるの属(たぐひ)、文籍(もんじやく)載する所(=昔の書物を見れば)、その罪甚だ重し。 世のため人のため誡 めざるべからず。 所領を望まんがため讒訴を企てる者は、讒者の所領を以て他人(=第三者)に宛て給ふべし。所帯無き者は遠流(をんる)に処すべし。官途(=他人の仕官)を 塞がんがため讒言 を 搆ふる者は、永く彼の讒人を召仕ふべからず。

第二十九条

一、閣本奉行人、付別人企訴訟事

右閣本奉行人、更付別人内々企訴訟之間、參差之沙汰不慮而出來歟、仍於訴人者暫可被押裁許、至執申人者可有御禁制、奉行人若令緩怠、空經廿箇日者、於庭中 可申之

一、本奉行人を閣きて、別人に付きて訴訟を企つる事

 右、本奉行人(=担当の裁判官)を閣(さしお)きて、更に別人に付きて内々訴訟を企つるの間、参差(しんし=食ひ違ひ)の沙汰(=判決)不慮にして出来 せん歟。よつて訴人に於ては暫く裁許(=判決)を抑へらるべし。執申人(とりまうしにん=別の人に取次ぐ人)に至つては、御禁制あるべし。奉行人もし緩怠 せ しめ、空しく二十箇日を経ば、庭中(=法廷)に於てこれを申すべし。

第三十条

一、遂問註輩、不相待御成敗、執進權門書状事

右預裁許之者、悅強縁之力、被棄置之者、愁權門之威、爰得理之方人者、頻稱扶持之芳恩、無理之方人者、竊猜憲法之裁斷、黷政道事職而斯由、自今以後慥可停 止也、或付奉行人、或於庭中、可令申之

一、問注(=ここでは裁判)を遂ぐるの輩、御成敗を相待たず、権門(=有力者)の書状を執り進む事

 右、裁許(=勝訴)に預るの者は強縁の力を悦び、棄て置かるゝの者は権門の威を愁ふ。ここに得理の方人(かたうど=味方、ここは勝訴した人)は頻りに扶 持(=手助け)の芳恩と称し、無理の方人(=敗訴した人)は窃かに憲法の裁断(=公正な裁判)を猜む(=疑ふ)。政道を黷(けが)すこと職(しよく)とし て(=もつぱら)これに 由(よ)る。自今以後慥(たし)かに停止すべきなり。或は奉行人(=裁判官)に付き、或は庭中(=法廷)に於て、これを申さしむべき。

第三十一条

一、依無道理不蒙御裁許輩、爲奉行人偏頗由訴申事

右依無其理不關裁許之輩、爲奉行人偏頗之由搆申之條、太以濫吹也、自今以後、搆出不實企濫訴者、可被收公所領三分一、無所帶者可被追却、若又奉行人有其誤 者、永不可召仕

一、道理無きによつて御裁許を蒙らざる輩、奉行人偏頗(へんぱ=えこひいき)をなすの由訴へ申す事

 右、その理(=道理)無きによつて裁許(=勝訴)に関(あづか)らざるの輩、奉行人の偏頗たるの由を搆へ申す(=強弁)の条、太(はなは)だ以て濫吹 (らんすい=狼藉)なり。自今以後、不実を搆へ出て濫訴を企つる者は、所領の三分一を収公(しうこう=没収)せらるべし。所帯無き者は追却(=追放)せら るべし。もしまた奉行人その誤り有らば、永く召 仕へらるべからず。

第三十二条

一、隱置盜賊惡黨於所領内事

右件輩雖有風聞、依不露顯不能斷罪、不加炳誡、而國人等差申之處、召上之時者、其國無爲也、在國之時者、其國狼藉也云々、仍於縁邊之凶賊者、付證跡可召 禁、又地頭等至穩置賊徒者、可爲同罪也、先就嫌疑之趣召置地頭於鎌倉、彼國不落居之間、不可給身暇矣、次被停止守護使入部所々事、同惡黨等出來之時者、不 日可召渡守護所也、若於拘惜者、且令入部守護使、且可改補地頭代也、若又不改代官者、被沒收地頭職、可被入守護使

一、盗賊悪党を所領の内に隠し置く事

 右、件の輩、風聞有りと雖も、露顕せざるによつて断罪にあたはず、炳誡(へいかい=懲戒)を加へず。しかるに国人等差し申す(=告発)のところ、召上ぐ るの時はその国無為なり、在国の時はその国狼藉なり(=評判の悪党を証拠がないので罰せずにゐたが、鎌倉に呼び出してゐる間は平穏で、その国にゐるときは 不穏で ある)と云々。よつて縁辺(=鎌倉の外)の凶賊に於ては、証跡(=この事実)に付きて召禁(=逮捕)ずべし。また地頭等賊徒を隠し置くに至つては、同罪た るべきなり。先づ嫌疑の趣に就きて地頭を 鎌倉に召し置き、彼の国落居(=泥棒が逮捕されて平穏になる)せざるの間は身暇を給ふ(=返す)べからず。

 次に守護使(=守護の使者、警官)の入部(=立ち入 り)を停止せらるゝ所々(=神社などの荘園)の事、同じく悪党ら出来の時は不日(=すぐに)守護所に召し渡すべきなり。もし拘惜(くしやく=かくまふ)に 於ては、且は守護使を入部せしめ、且は地頭代を改補(=解任)すべきなり。もしまた代官を改めずば、地頭職を没収せられ、守護使を入れらるべし。

第三十三条

一、強竊二盜罪科事付放火人事

右既有斷罪之先例、何及猶豫之新儀哉、次放火人事、准據盜賊宜令禁遏

一、強窃二盗の事。付、放火人の事

 右、既に断罪の先例有り。何ぞ猶余(=猶予、ためらひ)の新儀(=評議)に及ばんや。次に放火人の事、盗賊に準拠し、宜しく禁遏(きんあつ=拘禁)せし むべし。

第三十四条

一、密懷他人妻罪科事

右不論強姧和姧、懷抱人妻之輩、被召所領半分、可被罷出仕、無所帶者可處遠流也、女之所領同可被召之、無所領者又可被配流之也、次於道路辻捕女事、於御家 人者百箇日之間可止出仕、至郞從以下者、任右大將家御時之例、[可]可剃除片方鬢髮也、但於法師罪科者、當于其時可被斟酌

一、他人の妻を密懐(=密通)する罪科の事

 右、強姦和姦を論ぜず人妻を懐抱(くわいはう=性交)するの輩、所領半分を召され、出仕を罷めらるべし。所帯なき者は遠流に処すべきなり。女の所領同じ くこれを召さるべし。所領なくばまた配流せらるべきなり。次に道路の辻に於て女を捕ふる事(=強姦)、御家人に於ては百箇日の間出仕を止むべし。郎従以下 に至つては、右大将家の御時の例に任せ、片方の鬢髮(びんぱつ=頭髪)を剃り除く(=丸坊主にする)べきなり。ただし、法師(=坊主)の罪科に於ては、そ の時に当りて斟酌せらるべ し。

第三十五条

一、雖給度々召文不參上科事

右就訴状遣召文事及三箇度、猶不參決者、訴人有理者、直可被裁許、訴人無理者、又可給他人也、但至所從牛馬并雜物等者、任員數被糺返、可被付寺社修理也

一、度々召文を給ふと雖も参上せざる科の事

 右、訴状に就きて召文(=呼び出し状)を遣はす事三箇度に及び、なほ参決せざるは、訴人(=原告)理有らば直ちに裁許(=勝訴)せらるべし。訴人理無く ば、また(=第三者)に給ふべきなり。但し、(=被告の)所従牛馬ならびに雑物等に至つては、員数に任せて糺し(=調べて)返され、(=呼び出しに応じな かつた被告は)寺社の修理に 付せらるべきなり。

第三十六条

一、改舊境、致相論事

右或越往昔之堺、搆新儀案妨之、或掠近年之例、捧古文書論之、雖不預裁許無指損之故、猛惡之輩動企謀訴、成敗之處非無其煩、自今以後遣實檢使糺明本跡、爲 非據之訴訟者、相計越境成論之分限、割分訴人領地内、可被付論人之方也

一、旧き境を改め、相論を致す事

 右、或は往昔の堺(=境界)を越え、新儀の案(=謀計)を搆へてこれ(=往昔の堺)を妨げ、或は近年の例を掠め(=無視して)、古き文書(もんじよ)を 捧げてこれを論ず。裁許(=勝訴)に預らずと雖も指せる損無きの故、猛悪の輩ややもすれば謀訴を企つ。成敗の処(=裁判所)その煩ひ無きに非ず。自今以 後、 実検使を遣し、本跡(=正当な境界)を糾明し、非拠の訴訟をなす者は、境を越えて論を成すの分限(=面積)を相計らひ、訴人領地の内を割き分ちて論人の方 へ付けらるべ きなり。

第三十七条

一、關東御家人申京都、望補傍官所領上司事

右々大將家御時一向被停止畢、而近年以降企自由之望、非啻背禁制、令覃喧嘩歟、自今以後、於致濫望之輩者、可被召所領一所也

一、関東の御家人が京都(=天皇、朝廷)に申し、傍官(=同じ荘園の中の同僚の御家人)の所領の上司(うはづかさ=領所、領家)を望補(=自分の任命を要 求)する事

 右、右大将家の御時一向に停止せられ畢んぬ。而して近年以降自由(=自分勝手)の望を企て、啻(ただ)に禁制に背くのみに非ず、喧譁に覃(およ)ばしめ ん歟。自今以後、濫望(=濫妨)を致すの輩(ともがら)に於て、所領一所を召(=没収)さる可き也。

第三十八条

一、惣地頭押妨所領内名主職事

右給惣領之人、稱所領内掠領各別村事、所行之企難遁罪科、爰給別御下文、雖爲名主職、惣地頭若伺尫弱隙、有限沙汰之外、巧非法致濫妨者、可給別納御下文於 名主也、名主又寄事於左右、不顧先例、違背地頭者、可被改名主職也

一、惣地頭(=名主を総轄するために幕府が派遣した地頭)、所領内名主職を押妨する事

 右、惣領を給はるの人(=惣地頭)所領内と称して各別(=統轄権限外)の村を掠め領する事、所行の企て罪科遁れ難し。 ここに別(=特別)の御下文を給はり、名主(みやうしゆ=荘園の管理人)職たりと雖も、惣地頭もし尫弱(おうじやく=弱体、幼少)の隙(ひま)を伺ひ、限 りある沙汰 (=正当な権限)の外、非法を巧(た く)み濫妨(=掠奪)を致さば、別納(=惣地頭を通さず年貢を納める)の御下文を名主に給ふべきなり。

 名主また事を左右に寄せて(=自分勝手をする)、先例を顧みず、地頭に違背せば、名主職を改めらるべきなり。

第三十九条

一、官爵所望輩、申請關東御一行事

右被召成功之時、被注申所望人者、既是公平也、仍非沙汰之限、爲昇進申擧状事、不論貴賤一向可停止之、但申受領檢非違使之輩、於爲理運者、雖非御擧状、只 有御免之由、可被仰下歟、兼又新敍之輩、巡年廻來浴朝恩者、非制限

一、官爵(=何位であるか)所望の輩、関東の御一行(=推薦状)を申し請くる事

 右、成功(じやうごう=朝廷から金銭で官位を買ふ)を召さるゝの時、所望の人を注し申さるゝ者(=リストアップ)は、既にこれ公平なり。よつて沙汰の限 りに非ず。昇進のため挙状(=幕府の推薦状)を申す(=申請する)事、貴賤を論ぜず一向これを停止すべし。但し、受領・検非違使(=朝廷に権利 が有る官職)に申すの輩、 理運(=幸運にも任命される)たるに於ては、御挙状に非ずと雖も、ただ御免(=幕府の許可)あるの由仰せ下さるべき歟。兼てまた新敘の輩、巡年(=毎年) 廻り来り、朝 恩に浴する者は制限あらず。

第四十条

一、鎌倉中僧徒、恣諍官位事

右依綱位亂﨟次之故、猥求自由之昇進、彌添僧綱之員數、雖爲宿老有智高僧、被越少年無才之後輩、即是且傾衣鉢之資、且乖經敎之義者也、自今以後不蒙免許昇 進之輩、爲寺社供僧者、可被停廢彼職也、雖爲御歸依之僧、同以可被停止之、此外禪侶者、偏仰顧眄之人、宜有諷諫之誡

一、鎌倉中の僧徒、恣に官位を諍ふ事

 右、綱位(=僧侶の高位につくこと)によつて﨟次(らつし=年功の序)を乱すの故に、猥りに自由の昇進を求め、いよいよ僧綱(そうがう=高位の僧)の員 数を添(そ=増す)ふ。宿老有智の高僧たりと雖も、少年無才の後輩に越さる。即ちこれ且は衣鉢の資を傾け、且は経教の義に乖(そむ)く者なり。自今以後、 免 許を蒙らず昇進の輩、寺社の供僧(ぐそう=ここでは神社の僧侶)となる者は、彼の職を停廃せらるべきなり。御帰依(=幕府付き)の僧たりと雖も同じく以て これを停止せらるべし。この外(=鎌倉以外)の禅侶(=僧侶)は、偏に顧眄(こべん)の人(=親近者)に仰せて、宜しく諷諫(ふうかん=それとなく)の誡 あるべし。

第四十一条

一、奴婢雜人事

右任右大將家御時之例、無其沙汰過十箇年者、不論理非不及改沙汰、次奴婢所生男女事、如法意者雖有子細、任同御時之例、男者付父、女者付母也

一、奴婢雑人の事

 右、右大将家御時の例に任せて、その沙汰無く(=訴訟を起こさず)十箇年を過ぎば、理非を論ぜず改沙汰(=所有主の変更)に及ばず。次に、奴婢所生(し よせい=生んだ)の男女(=子供)の事、法意(=古法)の如くば子細有り(=別の定めがあり、母の主人の所有)と雖も、同じき御時の例に任せ、男は父に付 け (=父母の所属が異なる場合には、父の主人の所有)、女は母に付く(=母の主人の所有)べきなり。

第四十二条

一、百姓迯散時、稱逃毀令損亡事

右諸國住民迯脱之時、其領主等稱迯毀、抑留妻子奪取資財、所行之企甚背仁政、若被召決之處、有年貢所當之未濟者、可致其償、不然者、早可被糺返損物、但於 去留者宜任民意也

一、百姓逃散の時、逃毀(とうき=犯罪者の財産没収)と称して損亡(そんまう=損害を与へる)せしむる事

 右、諸国の住民逃脱の時、その領主ら逃毀と称して、妻子を抑留し資財を奪ひ取る、所行の企て甚だ仁政に背く。もし召し決(=百姓を連れ戻して事情を聞 く)せられるゝのところ、年貢所当の未済有らば、その償ひを致す(=没収財産から)べし。然らざれば、早く損物を糺(ただ)し返さるべし。但し、去留(= 領地 に留まるかどうか)に於ては宜しく民意(=百姓の判断)に任すべきなり。

第四十三条

一、稱當知行掠給他人所領、貪取所出物事

右搆無實掠領事、式目所推難脱罪科、仍於押領物者、早可令糺返、至所領者、可被沒收也、無所領者、可被處遠流、次以當知行所領、無指次申給安堵御下文事、 若以其次始致私曲歟、自今以後可被停止

一、当知行と称して他人の所領を掠め給はり、所出物(=年貢など)を貪り取る事

 右、無実(=不実)を搆へ掠め領する事、式目(=道理)の推す所、罪科脱れ難し。よつて押領物に於ては早く糺し返さしむべし。所領(=本人の所領)に至 つては没収 せらるべきなり。所領無き者は遠流に処せらるべし。

 次に、当知行(=実効支配)の所領を以て、指せる次(ついで=機会)無く安堵御下文を申し給(=申請)はるの事。もしその次を以て始めて私曲(=悪事) を致す歟(=なり)。自今以後、停止せらるべし。

第四十四条

一、傍輩罪過未斷以前、競望彼所帶事

右積勞効之輩、企所望者常習也、而有所犯之由、令風聞之時、罪状未定之處、爲望件所領、欲申沈其人之條、所爲之旨敢非正義、就彼申状有其沙汰者、虎口之讒 言蜂起不可絶歟、縱使雖爲理運之訴訟、不被敍用兼日之競望

一、傍輩(=他の御家人)の罪過未断以前、彼の所帯(=所領)を競望(けいばう=競ひ望む)する事

 右、労效(=功労)を積むの輩、所望を企つるは常の習ひなり。しかるに所犯(=罪科)あるの由、風聞せしむるの時、罪状未定のところ、件の所領を望まん が ため、その人を申し沈めんと欲するの条、所為(しよゐ=行動)の旨敢て正義に非ず。彼の申状に就きてその沙汰あらば、虎口の讒言(=人を陥れるための讒 言)蜂起(=大量に起こり)して絶ゆべからざる歟。たとへ理運(=正当)の訴訟たりと雖も、兼日(=罪科決定前)の競望を敘用(=採用)せられず。

第四十五条

一、罪過由披露時、不被糺決改替所職事

右無糺決之儀有御成敗者、不論犯否定貽鬱憤歟、者早究淵底可被禁斷

一、罪過のよし披露の時、糺決せられず所職を改替する事

 右、糺決(=吟味、弁明)の儀無く御成敗有らば、犯否を論ぜず、定めて鬱憤を貽(のこ=残)す歟(=なり)、てへれば早く淵底(ゑんてい=罪科の真相) を究め禁断(=処罰)せらるべし。

第四十六条

一、所領得替時、前司新司沙汰事

右於所當年貢者、可爲新司之成敗、至私物雜具并所從馬牛等者、新司不及抑留、況令與恥辱於前司者、可被處別過怠也、但依重科被沒收者、非沙汰之限

一、所領得替(とくたい=交代)の時、前司(=前任)新司(=新任国司)の沙汰の事

 右、所当年貢に於ては新司(=新任国司)の成敗たるべし。私物雑具ならびに所従(=従者)馬牛等に至つては新司抑留に及ばず。況や恥辱(=無礼)を前司 に与へしめば、別の過怠(=刑罰)に処せらるべきなり。但し、重科によつて(=前司が)没収せられば、沙汰の限りにあらず。

第四十七条

一、以不知行所領文書、寄附他人事<付、以名主職不相觸本所、寄進權門事>

右自今以後於寄附之輩者、可被追却其身也、至請取之人者、可被付寺社修理、次以名主職不令知本所、寄附權門事、自然有之、如然之族者、召名主職可被付地 頭、無地頭之所者、可被付本所

一、不知行(=実効支配してゐない)の所領の文書を以て、他人に寄附(=譲渡。有力者を後ろ盾にして実効支配していない土地の所有権を得ようとする企て) する事<付、名主職(みやうしゆ=荘園の管理人)を以て本所(=荘園の名義人)に相触(=連絡)れず、権門(=有力者)に寄進する事>

 右、自今以後寄附の輩に於ては、その身を追却(=追放)せらるべきなり。請け取るの人に至つては寺社の修理に付せらるべし。

 次に、名主職を以て本所に知 らしめず、権門に寄附するの事。自然(=時々)これ有り。然る如きの族は、名主職を召し(=解任)地頭に付(=引き渡す)せらるべし。地頭無きの所は本所 に付せらる べ し。

第四十八条

一、賣買所領事

右以相傳之私領、要用之時、令沽却者定法也、而或募勳功或依勤勞、預別御恩之輩、恣令賣買之條、所行之旨非無其科、自今以後慥可被停止也、若又背制符令沽 却者、云賣人云買人、共以可被處罪科

一、所領を売買する事

 右、相伝の私領を以て、要用(=必要)の時、沽却(=売却)せしむるは定法なり。而るに或は勲功に募り、或は勤労によつて別の御恩(=恩領)に預るの 輩、恣に売買 せしむるの条、所行の旨その科無きに非ず。自今以後、慥かに停止せらるべきなり。もしまた制符(=この禁令)に背き沽却せしめば、売人と云ひ買人と云ひ、 共 に以て罪科に処せれるべし。

第四十九条

一、兩方證文理非顯然時、擬遂對決事

右彼此證文理非懸隔之時者、雖不遂對決、直可有成敗歟

一、両方の証文理非顕然の時、対決を遂げんと擬する事

 右、かれこれの証文の理非(=是非)懸隔(けんかく=顕然)の時は、対決(=公判)を遂げずと雖も、直ちに成敗あるべき歟。

第五十条

一、狼藉時、不知子細出向其庭輩事

右於同意與力之科者、不及子細、至其輕重者、兼難定式條、尤可依時宜歟、爲聞實否、不知子細、出向其庭者、不及罪科

一、狼藉の時、子細を知らずその庭に出向く輩の事

 右、同意(=暴力行為に共謀)与力(=加勢)の科に於ては子細に及ばず(=当然である)。その軽重に至つては、兼て式条に定め難し、もつとも時宜による べき歟。実否を聞かんがため、子細(=事情)を知らずその庭(=狼藉の現場)に出向く者は罪科に及ばず。

第五十一条

一、帶問状御敎書、致狼藉事

右就訴状被下問状者定例也、而以問状致狼藉事、姧濫之企難遁罪科、所申爲顯然之僻事者、給問状事一切可被停止

一、問状(もんじやう=原告を通じて被告に出す尋問状)の御教書(みげうしよ)を帯び、狼藉を致す事

 右、訴状に就きて問状を下さるゝは定例(=誰にでもあること)なり。しかして問状を以て狼藉(=原告が問状を悪用)を致すこと、奸濫(=脅迫、詐欺)の 企て罪科遁れ難し。申す所 顕然の僻事(=悪事)たらば、問状を給すること一切停止せらるべし。


起請

  御評定間理非決斷事

右愚暗之身、依了見之不及、若旨趣相違事、更非心之所曲、其外、或爲人之方人乍知道理之旨、稱申無理之由、又爲非據事、號有證跡、爲不顯人之短、乍令知子 細、付善惡不申之者、意與事相違、後日之紕繆出來歟、凡評定之間、於理非者不可有親疎、不可有好惡、只道理之所推、心中之存知、不憚傍輩、不恐權門、可出 詞也、御成敗事切之條々、縱雖不違道理一同之憲法也、誤雖被行非據一同之越度也、自今以後相向訴人并縁者、自身者雖存道理、傍輩之中以其人之説、致違亂之 由有其聞者、已非一味之義、殆貽諸人之嘲者歟、兼又依無道理、評定之庭被弃置之輩越訴之時、評定衆之中、被書與一行者、自餘之計皆無道之由、獨似被存之 歟、者條々子細如此、若雖一事、存曲折令違犯者

梵天帝釋四大天王惣日本國中六十餘州大小神祇、殊伊豆筥根兩所權現三嶋大明神八幡大菩薩天滿大自在天神部類眷屬、神罰冥罰各可罷蒙者也、仍起請如件
    貞永元年七月十日
齊藤兵衞        沙彌    淨圓
佐藤          相模大掾  藤原業時
太田町野康俊弟之    玄蕃允   三善康連
後藤大夫判官      左衞門少尉 藤原朝臣基綱
二階堂信濃民部大夫入道 沙彌    行然
矢野外記大夫      散位    三善朝臣倫重
町野民部大夫      加賀守   三善朝臣康俊
二階堂隱岐入道     沙彌    行西
中條          前出羽守  藤原朝臣家長
三浦          前駿河守  平朝臣義村
大外記         攝津守   中原朝臣師貞
北條          武藏守   平朝臣泰時
北條          相模守   平朝臣時房

于時天正七年己卯五月一日書之畢

起請

御評定の間、理非決断の事

 右、愚暗の身、了見の及ばざるによつて、もし旨趣(=内容)相違(間違ひがある)せんこと、更に心の曲る所にあらず。

 そのほか、或は人の方人(かたうど=味方)として道理(=正しい)の旨を知りながら、無理(=不正)の由を称し申し、また非拠(=間違つたこと)の事を 証跡ありと号し、人の短を顕はさざらんがため、子細を知りながら、善悪(=悪事)につきてこれを申さゞるは、意(こゝろ)事(こと)と相違し、後日の紕繆 出来(いで きた)る歟。

 凡そ評定(=評議会)の間、理非に於ては親疎あるべからず。好悪(=人の好き嫌ひ)あるべからず。ただ道理の推す所、心中の存知(=考へ)、傍輩を憚ら ず、権門(=有力者)を恐れず、詞(ことば)を出すべきなり。

 御成敗の事切(ことき=決定した)るの条々、たとひ道理に違はずと雖も一同の憲法(=正義)なり。誤つて非拠(=不正)に行はると雖も一同の越度(をち ど= 失敗)なり。

 自今以後、訴人ならびに縁者に相向つて(=訴人のゐる場で)、自身は道理を存ずる(=正しい判断する)と雖も、傍輩(=他の評定衆)の中(=の一人が) その人(=自分)の説を以て聊(いさゝ)か違乱(=反論)を致すの由、その聞えあらば、すでに一味(=評定衆の結束)の義に非ず。殆ど諸人の嘲りを貽 (のこ)さんもの歟。

 兼てはまた、道理無きによつて評定の庭に棄て置かるゝ(=訟が棄却になつた)の輩、越訴(をつそ=再審請求)の時、評定衆の中(=の一人が)一行(=推 薦状)を書き与へらるれば、自余(=他の評定衆)の計(はかりごと=判断)皆無道(=間違ひ)の由、独りこれを存ぜらる(=一人で判断する)ゝに似たる 歟。

 てへれば、条々子細かくの如し。もし一事たりと雖も、曲折を存じ(=曲がつた考へ)、違犯(=違背)せしめば、梵天帝釈、四大天王、惣じて日本国中六十 余州の大小神祇、殊に伊豆箱根両所権現、三島大明神、八幡大菩薩、天満大自在天神、部類眷属、神罰冥罰、各罷り蒙るべきものなり。よつて起請件(くだん) の如し。

貞永元年七月十日

斉藤兵衛        沙弥    浄円
佐藤          相模大掾  藤原業時
太田町野康俊弟之    玄蕃允   三善康連
後藤大夫判官      左衛門少尉 藤原朝臣基綱
二階堂信濃民部大夫入道 沙弥    行然
矢野外記大夫      散位    三善朝臣倫重
町野民部大夫      加賀守   三善朝臣康俊
二階堂隠岐入道     沙弥    行西
中条          前出羽守  藤原朝臣家長
三浦          前駿河守  平朝臣義村
大外記         摂津守   中原朝臣師貞
北条          武蔵守   平朝臣泰時
北条          相模守   平朝臣時房


『御成敗式目』「北条泰時消息書き下し」
  御式目事

 雑務御成敗(=裁判)のあひだ、おなじ躰(てい=種類)なる事をも、強きは申とをし、弱きはうづもるゝやうに候を、ずいぶんに精好(せいごう=配慮)せ られ候へども、おのづずから人にしたがうて軽重などの出来(いでき)候ざらんために、かねて式条をつくられ候。その状一通まいらせ候。

 かやうの事には、むねと(=専ら)法令(=律令)の文につきて、その沙汰あるべきにて候に、ゐ中(=田舎)にはその道をうかゞい知りたるもの、千人万人 が中にひとりだにもありがたく候。

 まさしく犯しつれば、たちまちに罪に沈むべき盗人夜討躰のことをだにも、たくみ企てゝ、身をそこなう輩おほくのみこそ候へ。まして子細を知らぬものゝ沙 汰しおきて候らんことを、時にのぞみて法令にひきいれてかんがへ候はゞ、鹿穴ほりたる山に入りて、知らずしておちいらんがごとくに候はんか。

 この故にや候けん、大将殿の御時、法令(=律令)をもとめて御成敗など候はず。代々将軍の御時も又その儀なく候へば、いまもかの御例をまねばれ候なり。

 詮ずるところ、従者主に忠をいたし、子親に孝あり、妻は夫にしたがはゞ、人の心の曲れるをば棄て、直しきをば賞して、おのづから土民安堵の計り事にてや 候とてかやうに沙汰候を、京辺には定めて物をも知らぬ夷戎(えびす)どもが書きあつめたることよなと、わらはるゝ方も候はんずらんと、憚り覚え候へば、傍 痛き次第にて候へども、かねて定められ候はねば、人にしたがふことの出来ぬべく候故に、かく沙汰候也。

 関東御家人守護所地頭にはあまねく披露して、この意(こゝろ)を得させられ候べし。且は書き写して、守護所地頭には面々にくばりて、その国中の地頭御家 一人ともに、仰せ含められ候べく候。これにもれたる事候はゞ、追うて記し加へらるべきにて候。あなかしく。

   貞永元 八月八日                  武藏守(御判)
 駿河守殿



これは「日本史アーカイブズ」(閉鎖したらしい) http: //jparchives.sakura.ne.jp/document/medieval/db/shikimoku_01.html
以下のページにある各条文等を一覧にして、さらに漢文を旧漢字にし、書き下し文に読み仮名と注釈(=この頁の作者の理解)を加えて作成したものである。

漢文の部分は以下の古文書の草書版の記載に合はせて一部を改めた。

 京都大学付属図書館の谷村文庫『貞永式目』天正7 写(草書版)   http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/t060/image/1/t060s0003.html
 奈良女子大坂本龍門文庫善本電子画像集 御成敗式目 大永版(楷書版)   http://mahoroba.lib.nara-wu.ac.jp/y05/html/357/index.html

草書版の解読には以下のデータベースを利用した。

 東京大学史料編纂所データベースの電子くずし字字典 http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/

条目の意味については、以下を参考にした。

 「御成敗式目」 http://park1.aeonnet.ne.jp/~hyy/daiiti-gamen.html
 「現代語訳 『御成敗式目』全文」   http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/goseibaishikimoku/index.htm
 徹底歴史研究同盟 http://www2.airnet.ne.jp/shibucho/jouei.html

 『日本精神文化大系 第四巻 鎌倉時代篇』藤田徳太郎代表編輯(御成敗式目の51条と追加8条の読み下し文と注釈が含まれている)
 『日本的革命の哲学』山本七平著 PHP文庫(御成敗式目を読むことになったきっかけはこの本である。殆どの式条と多くの追加法の解説が含まれている)
 『全譯吾妻鏡』別巻の「吾妻鏡用語注解」(なお本書の全訳とは、漢文を読み下し文にしたということで、現代語訳ではない)
 『中世政治社会思想 上』(日本思想大系21)岩波書店 御成敗式目全条と主な追加法のテキスト、およびその解釈が含まれている。『極楽寺殿御消息』も この本に含まれている。頭注と補注を主に参考にした。上記本文は上記古文書に合せたものであって、大系本のテキストに一致させていないので、一部漢 字の用法が異なっている。

※誤字脱字間違いに気づいた方は是非教えて下さい。

2008.8 (c)Tomokazu Hanafusa(花房 友一) / メール


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