教科書を教へない播磨中学の英語の授業



 
 
    夏休みということで親戚の子の英語を見てやつたら、学校の授業では教科書はほとんどやらないと言つてゐるのを聞いて驚いた。教師によつては教科書の本文と 訳を黒板に書いて、それを生徒にノートに写させてそれで終はりだと言ふのだ。

    定期テストでも教科書からは出題しないと言ふ。だから、塾の授業もそれに合はせて、教科書の予習をやらないで問題集ばかりやるのだと言つてゐ る。

    しかし、これでは英語は好きにはなれないし得意にもならないだらう。出来る子は出来るだらうが、こんな授業ではせつかく小学校時代に英語を勉 強してきた子供たちを英語嫌ひにしてしまふだけだと思はれる。

    教科書が非常にうまく作られてゐることは英語を真面目に勉強したことのある人間なら誰でも知つてゐることだ。確かに現行のニュークラウンを見 せてもらつたら、テキストの内容が特殊で使ひにくいやうではある。しかし、これは内容の面白さを出すためにの工夫だと受け取るべきだらう。

    だから、これが教へにくいからと言つてそれを適当に済ませて、あとはプリントや副教材といふやり方はどうかと思ふ。それに、下手な教師に他の 教師が合はせるような試験のやり方はやめるべきだと思ふ。

    教科書を使つてちやんと教へられない教師には、加印地区のベテラン教師やOBなど上手な教師に教科書の教へ方を教へてやつて、子供たちには教 科書を教へるようにすべきである。


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