『惜みなく愛は奪ふ』(新字旧かな版)




有島武郎作



Sometimes with one I love, I fill myself with rage, for fear I effuse unreturn'd love;
But now I think there is no unreturn'd love―the pay is certain, one way or another;
(I loved a certain person ardently, and my love was not return'd;
Yet out of that, I have written these songs.)
― Walt Whitman ―

I exist as I am―that is enough;
If no other in the world be aware, I sit content,
And if each and all be aware, I sit content.
One world is aware, and by far the largest to me, and that is myself;
And whether I come to my own to-day, or in ten thousand or ten million years,
I can cheerfully take it now, or with equal cheerfulness I can wait.
― Walt Whitman ―


        一

 太初(はじめ)に道(ことば)があつたか行(おこなひ)があつたか、私はそれを知らない。然し誰がそれを知つてゐよう、私はそれを知りたいと希(こひねが)う。そして誰がそれを知りたいと希はぬだらう。けれども私はそれを考へたいとは思はない。知る事と考へる事との間には埋め得ない大きな溝がある。人はよくこの溝を無視して、考へることによつて知ることに達しようとはしないだらうか。私はその幻覚にはもう迷ふまいと思ふ。知ることは出来ない。が、知らうとは欲する。人は生れると直ちにこの「不可能」と「欲求」との間にさいなまれる。不可能であるといふ理由で私は欲求を抛つことが出来ない。それは私として何といふ我儘であらう。そして自分ながら何といふ可憐さであらう。

 太初の事は私の欲求をもつてそれに私を結び付けることによつて満足しよう。私にはとても目あてがないが、知る日の来らんことを欲求して満足しよう。

 私がこの奇異な世界に生れ出たことについては、そしてこの世界の中にあつて今日まで生命を続けて来たことについては、私は明かに知つてゐる。この認識を誇るべきにせよ、恥づべきにせよ、私はごまかしておくことが出来ない。私は私の生命を考へてばかりはゐない。確かに知つてゐる。哲学者が知つてゐるやうに知つてゐるのではないかも知れない。又深い生活の冒険者が知つてゐるやうに知つてゐるのではないかも知れない。然し私は知つてゐる。この私の所有を他のいかなるものもくらますことは出来ない。又他のいかなる威力も私からそれを奪ひ取ることは出来ない。これこそは私の存在が所有する唯一つの所有だ。

 恐るべき永劫が私の周囲にはある。永劫は恐ろしい。或る時には氷のやうに冷やかな、凝然としてよどみわたつた或るものとして私にせまる。又或る時は眼もくらむばかりかがやかしい、瞬間も動揺流転をやめぬ或るものとして私にせまる。私はそのものの隅か、中央かに落された点に過ぎない。広さと幅と高さとを点は持たぬと幾何学は私に教へる。私は永劫に対して私自身を点に等しいと思ふ。永劫の前に立つ私は何ものでもないだらう。それでも点が存在する如く私もまた永劫の中に存在する。私は点となつて生れ出た。そして瞬(またた)く中に跡形もなく永劫の中に溶け込んでしまつて、私はゐなくなるのだ。それも私は知つてゐる。そして私はゐなくなるのを恐ろしく思ふよりも、点となつてここに私が私として生れ出たことを恐ろしく思ふ。

 然し私は生れ出た。私はそれを知る。私自身がこの事実を知る主体である以上、この私の生命は何といつても私のものだ。私はこの生命を私の思ふやうに生きることが出来るのだ。私の唯一の所有よ。私は凡ての懐疑にかかはらず、結局それを尊重愛撫しないでゐられようか。涙にまで私は自身を痛感する。

 一人の旅客が永劫の道を行く。彼を彼自身のやうに知つてゐるものは何処にもゐない。陽の照る時には、彼の忠実な伴侶はその影であるだらう。空が曇り果てる時には、そして夜には、伴侶たるべき彼の影もない。その時彼は独り彼の衷にのみ忠実な伴侶を見出さねばならぬ。拙くとも、醜くとも、彼にとつては、彼以上のものを何処に求め得よう。かう私は自分を一人の旅客にして見る時もある。

 私はかくの如くにして私自身である。けれども私の周囲に在る人や物やは明かに私ではない。私が一つの言葉を申し出る時、私以外の誰が、そして何が、私がその言葉をあらしめるやうにあらしめ得るか。私は周囲の人と物とにどう繋がれたら正しい関係におかれるのであらう。如何なる関係も可能ではあり得ないのか。可能ならばそれを私はどうして見出せばいいのか。誰がそれを私に教へてくれるのだらう。……結局それは私自身ではないか。

 思へばそれは寂しい道である。最も無力なる私は私自身にたよる外の何物をも持つてゐない。自己に矛盾し、自己に蹉跌し、自己に困迷する、それに何の不思議があらうぞ。私は時々私自身に対して神のやうに寛大になる。それは時々私の姿が、母を失つた嬰児の如く私の眼に映るからだ。嬰児は何処をあてどもなく匍匐する。その姿は既に十分憐れまれるに足る。嬰児は屢々過つて火に陥る、若しくは水に溺れる。そして僅かにそこから這ひ出ると、べそをかきながら又匍匐を続けて行く。このいたいけな姿を憐れむのを自己に阿(おもね)るものとのみ云ひ退けられるものであらうか。縦令(たとひ)道徳がそれを自己耽溺と罵らば罵れ、私は自己に対するこの哀憐の情を失ふに忍びない。孤独な者は自分の掌を見つめることにすら、熱い涙をさそはれるのではないか。

 思へばそれは嶮(けは)しい道でもある。私の主体とは私自身だと知るのは、私を極度に厳粛にする。他人に対しては与へ得ないきびしい鞭打(むちうち)を与へざるを得ないものは畢竟自身に対してだ。誘惑にかかつたやうに私はそこに導かれる。笞(しもと)にはげまされて振ひ立つ私を見るのも、打撲に抵抗し切れなくなつて倒れ伏す私を見るのも、共に私が生きて行く上に、無くてはならぬものであるのを知る。その時に私は勇ましい。私の前には力一杯に生活する私の外には何物をも見ない。私は乗り越え乗り越え、自分の力に押され押されて未見の境界へと険難を侵して進む。そして如何なる生命の威脅(いけふ)にもおびえまいとする。その時傷の痛みは私に或る甘さを味はせる。然しこの自己緊張の極点には往々にして恐ろしい自己疑惑が私を待ち設けてゐる。遂に私は疲れ果てようとする。私の力がもうこの上には私を動かし得ないと思はれるやうな瞬間が来る。私の唯一つの城廓なる私自身が見る見る廃墟の姿を現はすのを見なければならないのは、私の眼前を暗黒にする。

 けれどもそれらの不安や失望が常に私を脅かすにもかかはらず、太初(はじめ)の何であるかを知らない私には、自身を措いてたよるべき何物もない。凡ての矛盾と渾沌との中にあつて私は私自身であらう。私を実価以上に値ぶみすることをしまい。私を実価以下に虐待することもしまい。私は私の正しい価の中にあることを勉めよう。私の価値がいかに低いものであらうとも、私の正しい価値の中にあらうとするそのこと自身は何物かであらねばならぬ。縦(よ)しそれが何物でもないにしろ、その外に私の採るべき態度はないではないか。一個の金剛石を持つものは、その宝玉の正しい価値に於てそれを持たうと願ふのだらう。私の私自身は宝玉のやうに尊いものではないかも知れない。然し心持に於ては宝玉を持つ人の心持と少しも変るところがない。

 私は私のもの、私のただ一つのもの。私は私自身を何物にも代へ難く愛することから始めねばならない。

 若し私のこの貧しい感想を読む人があつた時、この出発点を首肯することが出来ないならば、私はその人に更にいひ進むべき何物をも持ち得ない。太初が道(ことば)であるか行(おこなひ)であるかを(考へるのではなく)知り切つてゐる人に取つては、この感想は無視さるべき無益なものであらう。私は自分が極めて低い生活途上に立つてゐるものであることをよく知りぬいてゐる。ただ、今の私はそこに一番堅固な立場を持つてゐるが故に、そこに立つことを恥ぢまいとするものだ。前にもいつたやうに、私はより高い大きなものに対する欲求を以て、知り得たる現在に安住し得るのを自己に感謝する。

        二

 私の言はうとする事が読者に十分の理解を与へ得なくはないかと恐れる。人が人自身を言ひ現はすのは一番容易なことであらねばならぬ。何となれば、それはその人自身が最もよく知り抜いてゐる筈の事柄だから。

 実際は然しさうではない。私達の用ゐてゐる言葉は謂はば狼穽(らうせい)のやうなものだ。それは獲物を取るには役立つけれども、私達自身に向つては妨げにこそなれ、役には立たない。或は拡大鏡のやうなものだ。私達はそれによつて身外を見得るけれども、私達自身の顔を見ることは出来ない。或は又精巧な機械といつてもよい。私達はそれによつて有らゆるものを造り出し得るとしても、遂に私達自身を造り出すことは出来ない。11 言葉は意味を表はす為めに案じ出された。然しそれは当初の目的から段々に堕落した。心の要求が言葉を創つた。然し今は物がそれを占有する。吃(ども)る事なしには私達は自分の心を語る事が出来ない。恋人の耳にささやかれる言葉はいつでも流暢であるためしがない。心から心に通ふ為めには、何んといふ不完全な乗り物に私達は乗らねばならぬのだらう。

 のみならず言葉は不従順な僕(しもべ)である。私達は屢々言葉の為めに裏切られる。私達の発した言葉は私達が針ほどの誤謬を犯すや否や、すぐに刃を反へして私達に切つてかかる。私達は自分の言葉故に人の前に高慢となり、卑屈となり、狡智となり、魯鈍となる。

 かかる言葉に依頼して私はどうして私自身を誤りなく云ひ現はすことが出来よう。私は已むを得ず言葉に潜む暗示により多くの頼みをかけなければならない。言葉は私を言ひ現はしてくれないとしても、その後につつましやかに隠れてゐるあの睿智(えいち)の独子(ひとりご)なる暗示こそは、裏切る事なく私を求める者に伝へてくれるだらう。

 暗示こそは人に与へられた子等の中、最も優れた娘の一人だ。然し彼女が慎み深く、穏かで、かつ容易にその面紗(ヴェール)を顔からかきのけない為めに、人は屢々この気高く美しい娘の存在を忘れようとする。殊に近代の科学は何の容赦もなく、如何なる場合にも抵抗しない彼女を、幽閉の憂目にさへ遇はせようとした。抵抗しないといふ美徳を逆用して人は彼女を無視しようとする。

 人間がどうして斯程優れた娘を生み出したかと私は驚くばかりだ。彼女は自分の美徳を認めるものが現はれ出るまで、それを沽(う)らうと企てたことが嘗てない。沽ろうとした瞬間に美徳が美徳でなくなるといふ第一義的な真理を本能の如く知つてゐるのは彼女だ。又正しく彼女を取り扱ふことの出来ないものが、仮初(かりそめ)にも彼女に近づけば、彼女は見る見るそのやさしい存在から萎(しを)れて行く。そんな人が彼女を捕へ得たと思つた時には、必ず美しい死を遂げたその亡骸を抱くのみだ。粘土から創り上げられた人間が、どうしてかかる気高い娘を生み得たらう。

 私は私自身を言ひ現はす為めに彼女に優しい助力を乞はう。私は自分の生長が彼女の柔らかな胸の中に抱かれることによつて成就したのを経験してゐるから。しかし人間そのものの向上がどれ程彼女――人間の不断の無視にかかはらず――によつて運ばれたかを知つてゐるから。

 けれども私は暗示に私を託するに当つて私自身を恥ぢねばならぬ。私を最もよく知るものは私自身であるとは思ふけれども、私の知りかたは余りに乱雑で不秩序だ。そして私は言葉の正当な使ひ道すらも十分には心得てゐない。その言葉の後ろに安んじて巣喰ふべき暗示の座が成り立つだらうかとそれを私は恐れる。

 然し私は行かう。私に取つて已み難き要求なる個性の表現の為めに、あらゆる有縁(うえん)の個性と私のそれとを結び付けようとする厳しい欲求の為めに、私は敢へて私から出発して歩み出して行かう。

 私が餓ゑてゐるやうに、或る人々は餓ゑてゐる。それらの人々に私は私を与へよう。そしてそれらの人々から私も受取らう。その為めには仮りに自分の引込思案を捨ててかからう。許されるかぎりに於て大胆にならう。

 私が知り得る可能性を存分に申し出して見よう。唯この貧しい言葉の中から暗示が姿を隠してしまはない事を私は祈る。

        三

 神を知つたと思つてゐた私は、神を知つたと思つてゐたことを知つた。私の動乱はそこから芽生えはじめた。

 或る人は私を偽善者ではないかと疑つた。どうしてそこに疑ひの余地などがあらう。私は明かに偽善者だ。明かに私は偽善者である。さう言明するのが、どれ程偽善的な行為であるぞとの非難が、当然喚び起されるのを知らない私ではない。それにもかかはらず私は明かに偽善者であると言明せねばならぬ。私は屢々私自身に顧慮する以上に外界に顧慮してゐるからだ。それは悲しい事には私が弱いからだ。私は弱い者の有らゆる窮策によく通じてゐる。僅かな原因ですぐ陥つた一つの小さな虚偽の為めに、二つ三つ四つ五つと虚偽を重ねて行かねばならぬ、その苦痛をも知つてゐる。弱いが故に強ひて自分を強く見せようとして、いつでも胸の中を戦慄させてゐねばならぬ不安も知つてゐる。苦肉の策から、自分の弱味を殊更に捨て鉢に人の前にあらはに取り出して、不意に乗じて一種の尊敬を、さうでなければ一種の憐憫を、搾り取らうとする自瀆も知つてゐる。弱さは真に醜さだ。それを私はよく知つてゐる。

 然し偽善者とは弱いといふことばかりがその本質ではない。本当に弱いものは、その弱さから来る自分の醜さをも悲惨さをも意識しないが故に、その人はそのままの境地に満足することが出来よう。偽善者は不幸にしてただ弱いばかりでなく、その反面に多少の強さを持つてゐる。彼は自分の弱味によつて惹き起した醜さ悲惨さを意識し得る強さをも持つてゐるのだ。そしてその弱さを強さによつて弥縫(びほう)しようとするのだ。

 強者がその強味を知らず、弱味を知らない間に、偽善者はよくその強味と弱味とを知つてゐる。人はいふだらう、偽善者の本質は、強味を以て弱味を弥縫するばかりでなく、その弥縫に無恥な安住を敢てする点にあると。だから偽善者は救はるることが出来ないのだと。かう云つて聞かされると私は偽善者の為めに弁解をしないではゐられない心持になる。私自身が偽善者であるが故に自分自身の為めに弁解しようとするだけではない。偽善者そのものになり代つて、偽善者の一人なる私が、義人に申し出たいと思はずにはゐられないのだ。

 何事にも例外はある。その例外を殊更に色濃く描くのをひかへて見て貰つたら、偽善者といふものが、強味を以て弱味を弥縫するところに無恥な安住をしてゐるといふのは、少しさばけ過ぎた見方だとは云はれまいか。私は義人が次の点に於て偽善者を信じていただきたいと思ふ。それは偽善者もまた心窃かに苦しんでゐるといふ一事だ。考へて見てもほしい。多少の強さと弱さとを同時に持ち合はしてゐるものが、二つの力の矛盾を感じないでゐられようか。矛盾を感じながら平然としてそこに無恥の安住をのみ続けてゐることが出来ようか。

 偽善者よ、お前は全くひどい目に遇はされた。それは当然な事だ。お前は本当に不愉快な人間だから。お前はいつでも然り然り否々といひ切ることが出来ないから。毎時(いつ)でもお前には陰険なわけへだてが附きまつわつてゐるから。お前は憎まれていい。辱しめられていい。悪魔視されていい。然しお前の心の隅の人知れぬ苦痛をそつと眺めてやる人はないのか。お前が人並に見られたい為めに、お前自身にさへ隠さうと企ててゐるその人知れぬ苦痛を一寸でも暖かく触らうといふ人はないのか。偽善者よ、私は自身偽善者であるが故によくそれを知つてゐる。義人のすぐ隣に住むと考へられてゐる罪人(己れの罪を知つてそれを悲しむ人)は自分の強味と弱味との矛盾を声高く叫び得る幸福な人達なのだ。罪人の持つものも偽善者の持つものも畢竟は同じなのだ。ただ罪人は叫ぶ。それを神が聞く。偽善者は叫ばうとする程に強さを持ち合はしてゐない。故に神は聞かない。それだけの差だと私には思へる。よきサマリヤ人と悪しきサドカイ人とは、隣り合せに住んでゐるのではないか。偽善者なる私は屢々他人を偽善者と呼んだ。今にして私はそれを悲しく思ふ。何故に私は人と人との距てをこんなに大きくしようとはしたらう。

 かう云つたとて私は、世の義人に偽善者を裁く手心をゆるめて貰ひたいと歎願するのではない。偽善者は何といつても義人からきびしく裁かれるふしだらさを持つてゐる。私はただ偽善者もその心の片隅には人に示すのを敢てしない苦痛を持つてゐるといふ事を知つて貰へばいいのだ。それが私の弁解なのだ。

 私もその苦痛は持つてゐた。人の前に私を私以上に立派に見せようとする虚妄な心は有り余るほど持つてゐたけれども、そこに埋めることの出来ない苦痛をも全く失つてはゐなかつた。そして或る時には、烏が鵜の真似をするやうに、罪人らしく自分の罪を上辷りに人と神との前に披露もした。私は私らしく神を求めた。どれ程完全な罪人の形に於て私はそれをなしたらう。恐らく私は誰の眼からも立派な罪人のやうに見えたに違ひない。私は断食もした、不眠にも陥つた、痩せもした。一人の女の肉をも犯さなかつた。或る時は神を見出だし得んためには、自分の生命を好んで断つのを意としなかつた。

 他人眼(よそめ)から見て相当の精進と思はれるべき私の生活が幾百日か続いた後、私は或る決心を以て神の懐に飛び入つたと実感のやうに空想した。弱さの醜さよ。私はこの大事を見事に空想的に実行してゐた。

 そして私は完全にせよ、不完全にせよ、甦生してゐたらうか。復活してゐたらうか。神によつて罪の根から切り放された約束を与へられたらうか。

 神の懐に飛び入つたと空想した瞬間から、私が格段に瑕瑾の少い生活に入つたことはそれは確かだ。私が隣人から模範的の青年として取り扱はれたことは、私の誇りとしてではなく、私のみじめな懺悔としていふことが出来る。

 けれども私は本当は神を知つてはゐなかつたのだ。神を知り神によりすがると宣言した手前、強ひて私の言行をその宣言にあてはめてゐたに過ぎなかつたのだ。それらが如何に弱さの生み出す空想によつて色濃く彩(いろど)られてゐたかは、私が見事に人の眼をくらましてゐたのでも察することが出来る。

 この時若し私に人の眼の前に罪を犯すだけの強さがあつたなら、即ち私の顧慮の対象なる外界と私とを絶縁すべき事件が起つたら、私は偽善者から一躍して正しき意味の罪人になつてゐたかも知れない。私は自分の罪を真剣に叫び出したかも知れない。そしてそれが恐らくは神に聞かれたらう。然し私はさうなるには余りに弱かつた。人はこの場合の私を余り強過ぎたからだといはうとするかも知れない。若しさういふ人があるなら、私は明かにそれが誤謬であるのを自分の経験から断言することが出来る。本当に罪人となり切る為めには、自分の凡てを捧げ果てる為めには、私の想像し得られないやうな強さが必要とせられるのだ。このパラドックスとも見れば見える申し出では決して虚妄でない。罪人のあの柔和なレシグネーション(=resignation諦め)の中に、昂然(かうぜん)として何物にも屈しまいとする強さを私は明かに見て取ることが出来る。神の信仰とは強者のみが与かり得る貴族の団欒だ。私は羨しくそれを眺めやる。然し私には、その入場券は与へられてゐない。私は単にその埓外にゐて貴族の物真似(ミミクリー)をしてゐたに過ぎないのだ。

 基督の教会に於て、私は明かに偽善者の一群に属すべきものであるのを見出してしまつた。

 砂礫(しやれき)のみが砂礫を知る。金のみが金を知る。これは悲しい事実だ。偽善者なる私の眼には、自ら教会の中の偽善の分子が見え透いてしまつた。こんな事を書き進むのは、殆ど私の堪へ得ないところだ。私は余りに自分を裸にし過ぎる。然しこれを書き抜かないと、私のこの拙い感想の筆は放(な)げ棄てられなければならない。本当は私も強い人になりたい。そして教会の中に強さが生み出した真の生命の多くを尊く拾ひ上げたい。私は近頃或る尊敬すべき老学者の感想を読んだが、その中に宗教に身をおいたものが、それを捨てるといふやうなことをするのは、如何にその人の性格の高貴さが足らないかを現はすに過ぎないといふことが強い語調で書かれてゐるのを見た。私はその老学者に深い尊敬を払つてゐるが故に、そして氏の生得の高貴な性格を知つてゐるが故に、その言葉の空しい罵詈でないのを感じて私自身の卑陋(ひろう)を悲しまねばならなかつた。氏が凡ての虚偽と堕落とに飽満した基督旧教の中にありながら、根ざし深く潜在する尊い要素に自分のけだかさを化合させて、巌(いはほ)のやうに堅く立つその態度は、私を驚かせ羨ませる。私は全くそれと反対なことをしてゐたやうだ。私は自分が卑陋であるが故に、多くの卑陋なものを見てしまつた。私はそれを悲しまねばならない。

 然し私は自分の卑陋から、周囲に卑陋なものを見出しておきながら、高貴な性格の人があるやうに、それを見ないでゐることはさすがに出来なかつた。卑陋なものを見出しながら、しらじらしく見ない振りをして、寛大にかまへてゐることは出来なかつた。その程度までの偽善者になるには、私の強味が弱味より多過ぎたのかも知れない。そして私は、自分の偽善が私の属する団体を汚さんことを恐れて、そして団体の悪い方の分子が私の心を苦しめるのを厭つて、その団体から逃げ出してしまつた。私の卑陋はここでも私に卑陋な行ひをさせた。私の属してゐた団体の言葉を借りていへば、私の行(おこなひ)の根柢には大それた高慢が働いてゐたと云へる。

 けれども私は小さな声で私にだけ囁きたい。心の奥底では、私はどうかして私を偽善者から更に偽善者に導かうとする誘因を避けたい気持がないではなかつたといふことを。それを突き破るだけの強さを持たない私はせめてはそれを避けたいと念じてゐたのだ。前にもいつたやうに外界に支配され易い私は、手厳しい外界に囲まれてゐればゐる程、自分すら思ひもかけぬ偽善を重ねて行くのに気づき、そしてそれを心から恐れるやうになつてはゐたのだ。だから私は私の属してゐた団体を退くと共に、それまで指導を受けてゐた先輩達との直接の接触からも遠ざかり始めた。

 偽善者であらぬやうになりたい。これは私として過分な欲求であると見られるかも知れないけれども、偽善者は凡て、偽善者でなかつたらよからうといふ心持を何処かの隅に隠しながら持つてゐるのだ。私も少しそれを持つてゐたばかりだ。

 義人、偽善者、罪人、さうした名称が可なり判然区別されて、それがびしびしと人にあてはめられる社会から私が離れて行つたのは、結局悪いことではなかつたと私は今でも思つてゐる。

 神を知つたと思つてゐた私は、神を知つたと思つてゐたことを知つた。私の動乱はそこから芽生えはじめた。その動乱の中を私はそろそろと自分の方へと帰つて行つた。目指す故郷はいつの間にか遙に距つてしまひ、そして私は屢々蹉(つまず)いたけれども、それでも動乱に動乱を重ねながらそろそろと故郷の方へと帰つて行つた。

        四

 長い廻り道。
 その長い廻り道を短くするには、自分の生活に対する不満を本当に感ずる外にはない。生老病死の諸苦、性格の欠陥、あらゆる失敗、それを十分に噛みしめて見ればそれでいいのだ。それは然し如何に言説するに易く実現するに難き事柄であらうぞ。私は幾度かかかる悟性の幻覚に迷はされはしなかつたか。そしてかかる悟性と見ゆるものが、実際は既定の概念を尺度として測定されたものではなかつたか。私は稀にはポーロのやうには藻掻いた。然し私のやうには藻掻かなかつた。親鸞のやうには悟つた。然し私のやうには悟らなかつた。それが一体何にならう。これほど体裁のいい外貌と、内容の空虚な実質とを併合した心の状態が外にあらうか。この近道らしい迷路を避けなければならないと知つたのは、長い彷徨を続けた後のことだつた。それを知つた後でも、私はややもすればこの忌わしい袋小路につきあたつて、すごすごと引き返さねばならなかつた。

 私は自分の個性がどんなものであるかを知りたいために、他人の個性に触れて見ようとした。歴史の中にそれを見出さうと勉めたり、芸術の中にそれを見出さうと試みたり、隣人の中にそれを見出さうと求めたりした。私は多少の知識は得たに違ひなかつた。私の個性の輪廓は、おぼろげながら私の眼に映るやうに思へぬではなかつた。然しそれは結局私ではなかつた。

 物を見る事、物をそれ自身の生命に於てあやまたず捕捉する事、それは私が考へてゐたやうに容易なことではない。それを成就し得た人こそは世に類なく幸福な人だ。私は見ようと欲しないではなかつた。然し見るといふことの本当の意味を弁へてゐたといへようか。掴み得たと思ふものが暫くするといつの間にか影法師に過ぎぬのを発見するのは苦い味だ。私は自分の心を沙漠の砂の中に眼だけを埋めて、猟人から己れの姿を隠し終(おほ)せたと信ずる駝鳥のやうにも思ふ。駝鳥が一つの機能の働きだけを隠すことによつて、全体を隠し得たと思ひこむのと反対に、私は一つの機能だけを働かすことによつて、私の全体を働かしてゐると信ずることが屢々ある。かうして眺められた私の個性は、整つた矛盾のない姿を私に描いて見せてくれるやうだけれども、見てゐる中にそこには何等の生命もないことが明かになつて来る。それは感激なくして書かれた詩のやうだ。又着る人もなく裁たれた錦繍のやうだ。美しくとも、価高くあがなはれても、有りながら有る甲斐のない塵芥に過ぎない。

 私が私自身に帰らうとして、外界を機縁にして私の当体(たうたい)を築き上げようとした試みは、空しい失敗に終らねばならなかつた。

 聡明にして上品な人は屢々仮象に満足する。満足するといふよりは、人の現象と称(とな)へるものも、人の実在と称へるものも、畢竟は意識の――それ自身が仮象であるところの――仮初めな遊戯に過ぎないと傍観する。そこに何等かの執着をつなぎ、葛藤を加へるのは、要するに下根粗笨(そほん)な外面的見断に支配されての迷妄に過ぎない。それらの境を静かに超越して、嬰児の戯れを見る老翁のやうに凡ての努力と蹉跌との上に、淋しい微笑を送らうとする。そこには冷やかな、然し皮相でない上品さが漂つてゐる。或は又凡てを容れ凡てを抱いて、飽くまで外界の跳梁に身を任かす。昼には歓楽、夜には遊興、身を凡俗非議の外に置いて、死にまでその恣まな姿を変へない人もある。そこには皮肉な、然し熱烈な聡明が窺はれないではない。私はどうしてそれらの人を弾劾することが出来よう。果てしのない迷執にさまよはねばならぬ人の宿命であつて見れば、各々の瞬間をただ楽しんで生きる外に残される何事があらうぞとその人達はいふ。その心持に対して私は白眼を向けることが出来るか。私には出来ない。人は或はかくの如き人々を酔生夢死の徒と呼んで唾棄するかも知れない。然し私にはその人々の何処かに私を牽き付ける或るものが感ぜられる。私には生来持ち合はしてゐない或る上品さ、或る聡明さが窺はれるからだ。

 何といふ多趣多様な生活の相だらう。それはそのままで尊いではないか。そのままで完全な自然な姿を見せてゐるではないか。若し自然にあの絢爛な多種多様があり、独り人間界にそれがなかつたならば、宇宙の美と真とはその時に崩れるといつてもいいだらう。主義者といはれる人の心を私はこの点に於てさびしく物足らなく思ふ。彼は自分が授かつただけの天分を提(ひつさ)げて人間全体をただ一つの色に塗りつぶさうとする人ではないか。その意気の尊さはいふまでもない。然しその尊さの蔭には尊さそのものをも冰(こほ)らせるやうな淋しさが潜んでゐる。

 ただ私は私自身を私に恰好なやうに守つて行きたい。それだけは私に許される事だと思ふのだ。そしてその立場からいふと私はかの聡明にして上品な人々と同情の人であることが出来ない。私にはまださもしい未練が残つてゐて、凡てを仮象の戯れだと見て心を安んじてゐることが出来ない。そこには上品とか聡明とかいふことから遙かに遠ざかつた多くの vulgarityが残つてゐるのを私自身よく承知してゐる。私は全く凡下な執着に駆られて齷齪(あくせく)する衆生の一人に過ぎない。ただ私はまだその境界を捨て切ることが出来ない。そして捨て切ることの出来ないのを悪いことだとさへ思はない。漫然と私自身を他の境界に移したら、即ち私の個性を本当に知らうとの要求を擲つたならば、私は今あるよりもなほ多くの不安に責められるに違ひないのだ。だから私は依然として私自身であらうとする衝動から離れ去ることが出来ない。

 外界の機縁で私を創り上げる試みに失敗した私は、更に立ちなほつて、私と外界とを等分に向ひ合つて立たせようとした。

 私がある。そして私がある以上は私に対立して外界がある。外界は私の内部に明かにその影を投げてゐる。従つて私の心の働きは二つの極の間を往来しなければならない。そしてそれが何故悪いのだ。私はまだどんな言葉で、この二つの極の名称をいひ現はしていいか知らない。然しこの二つの極は昔から色々な名によつて呼ばれてゐる。希臘(ギリシア)神話ではディオニソスとアポロの名で、又欧洲の思潮ではヘブライズムとヘレニズムの名で、仏典では色相と空相の名で、或は唯物唯心、或は個人社会、或は主義趣味、……凡て世にありとあらゆる名詞に対を成さぬ名詞はないと謂つてもいいだらう。私もまたこのアンティセシスの下にある。自分が思ひ切つて一方を取れば、是非退けねばならない他の一方がある。ジェーナス(=Janus)の顔のやうにこの二つの極は渾融(こんゆう)を許さず相反(そむ)いてゐる。然し私としてはその二つの何(いづ)れをも潔く捨てるに忍びない。私の生の欲求は思ひの外に強く深く、何者をも失はないで、凡てを味ひ尽して墓場に行かうとする。縦令私が純一無垢の生活を成就しようとも、この存在に属するものの中から何かを捨ててしまはねばならぬとなら、それは私には堪へ得ぬまでに淋しいことだ。よし私は矛盾の中に住み通さうとも、人生の味ひの凡てを味ひ尽さなければならぬ。相反して見ゆる二つの極の間に彷徨ふために、内部に必然的に起る不安を得ようとも、それに忍んで両極を恐れることなく掴まねばならぬ。若しそれらを掴むのが不可能のことならば、公平な観察者鑑賞者となつて、両極の持味を髣髴して死なう。

 人間として持ち得る最大な特権はこの外にはない。この特権を捨てて、そのあとに残されるものは、捨てるにさへ値しない枯れさびれた残り滓のみではないか。

        五

 けれども私はそこにも満足を得ることが出来なかつた。私は思ひもよらぬ物足らぬ発見をせねばならなかつた。両極の観察者にならうとした時、私の力はどんどん私から遁れ去つてしまつたのだ。実験のみをしてゐて、経験をしない私を見出した時、私は何ともいへない空虚を感じ始めた。私が触れ得たと思ふ何(いづ)れの極も、共に私の命の糧にはならないで、何処(いづこ)にまれ動き進まうとする力は姿を隠した。私はいつまでも一箇所に立つてゐる。

 これは私として極端に堪へがたい事だ。かのハムレットが感じたと思はれる空虚や頼りなさはまた私にも存分にしみ通つて、私は始めて主義の人の心持を察することが出来た。あの人々は生命の空虚から救ひ出されたい為めに、他人の自由にまで踏み込んでも、力の限りを一つの極に向つて用ゐつつあるのだ。それは或る場合には他人にとつて迷惑なことであらうとも、その人々に取つては致命的に必要なことなのだ。主義の為めには生命を捨ててもその生命の緊張を保たうとするその心持はよく解る。

 然しながら私には生命を賭しても主張すべき主義がない。主義といふべきものはあるとしても、それが為めに私自身を見失ふまでにその為めに没頭することが出来ない。

 やはり私はその長い廻り道の後に私に帰つて来た。然し何といふみじめな情ない私の姿だらう。私は凡てを捨ててこの私に頼らねばならぬだらうか。私の過去には何十年の遠きにわたる歴史がある。又私の身辺には有らゆる社会の活動と優れた人間とがある。大きな力強い自然が私の周囲を十重二十重(とへはたへ)に取り巻いてゐる。これらのものの絶大な重圧は、この憐れな私をおびえさすのに十分過ぎる。私が今まで自分自身に帰り得ないで、有らん限りの躊躇をしてゐたのも、思へばこの外界の威力の前に私自身の無為を感じてゐたからなのだ。そして何等かの手段を運(めぐ)らしてこの絶大の威力と調和し若しくは妥協しようとさへ試みてゐたのだつた。しかもそれは私の場合に於ては凡て失敗に終つた。さういふ試みは一時的に多少私の不安を撫でさすつてくれたとしても、更に深い不安に導く媒(なかだち)になるに過ぎなかつた。私はかかる試みをする始めから、何かどうしてもその境遇では満足し得ない予感を持ち、そしてそれがいつでも事実になつて現はれた。私はどうしてもそれらのものの前に at home に自分自身を感ずることが出来なかつた。

 それは私が大胆でかつ誠実であつたからではない。偽善者なる私にも少しばかりの誠実はあつたと云へるかも知れない。けれど少くとも大胆ではなかつた。私は弱かつたのだ。

 誰でも弱い人がいかなる心の状態にあるかを知つてゐる。何物にも信頼する事の出来ないのが弱い人の特長だ。しかも何物にか信頼しないではゐられないのが他の特長だ。兎は弱い動物だ。その耳はやむ時なき猜疑に震へてゐる。彼は頑丈な石窟に身を託する事も、幽邃(いうすい)な深林にその住居を構へることも出来ない。彼は小さな藪の中に彼らしい穴を掘る。そして雷が鳴つても、雨が来ても、風が吹いても、犬に追はれても、猟夫に迫られても、逃げ廻つた後にはそのみじめな、壊れ易い土の穴に最後の隠れ家を求めるのだ。私の心もまた兎のやうだ。大きな威力は無尽蔵に周囲にある。然し私の怯えた心はその何れにも無条件的な信頼を持つことが出来ないで、危懼と躊躇とに満ちた彷徨の果てには、我ながら憐れと思ふ自分自分に帰つて行くのだ。

 然し私はこれを弱いものの強味と呼ぶ。何故といへば私の生命の一路はこの極度の弱味から徐(おもむ)ろに育つて行つたからだ。

 ここまで来て私は自ら任じて強しとする人々と袖を別たねばならぬ。その人々はもう私に呆れねばならぬ時が来た。私はせうことなしに弱さに純一になりつつ、益々強い人々との交渉から身を退けて行くからだ。ニイチェは弱い人だつた。彼もまた弱い人の通性として頑固に自分に執着した。そこから彼の超人の哲学は生れ出たが、そしてそれは強い人に恰好な背景を与へる結果にはなつたが、それを解して彼が強かつたからだと思ふのは大きな錯誤といはねばならぬ。ルッソーでもショーペンハウエルでも等しくさうではなかつたか。強い人は幸にして偉人となり、義人となり、君子となり、節婦となり、忠臣となる。弱い人はまた幸にして一個の尋常な人間となる。それは人々の好き好きだ。私は弱いが故に後者を選ぶ外に途が残されてゐなかつたのだ。

 運命は畢竟不公平であることがない。彼等には彼等のものを与へ、私には私のものを与へてくれる。しかも両者は一度は相失ふ程に分れ別れても、何時かは何処かで十字路頭にふと出遇ふのではないだらうか。それは然し私が顧慮するには及ばないことだ。私は私の道を驀地(まつしぐら)に走つて行く外はない。で、私は更にこの筆を続けて行く。

        六

 私の個性は私に告げてかう云ふ。

 私はお前だ。私はお前の精髄だ。私は肉を離れた一つの概念の幽霊ではない。また霊を離れた一つの肉の盲動でもない。お前の外部と内部との溶け合つた一つの全体の中に、お前がお前の存在を有(も)つてゐるやうに、私もまたその全体の中で厳しく働く力の総和なのだ。お前は地球の地殻のやうなものだ。千態万様の相に分れて、地殻は目まぐるしい変化を現じてはゐるが、畢竟そこに見出されるものは、静止であり、結果であり、死に近づきつつあるものであり、奥行のない現象である。私は謂はば地球の外部だ。単純に見るとそこには渾沌と単一とがあるばかりとも思はれよう。けれどもその実質をよく考へてみると、それは他の星の世界と同じ実質であり、その中に潜む力は一瞬時にして、地殻を思ひのままに破壊することも出来、新たに地表を生み出すことも出来るのだ。私とお前とは或る意味に於て同じものだ。然し他の意味に於て較べものにならない程違つたものだ。地球の内部は外部からは見られない。外部から見て、一番よく気のつく所は何といつても表面だ。だから人は私に注意せずに、お前ばかりを見て、お前の全体だと窺つてゐるし、お前もまたお前だけの姿を見て、私を顧みず、恐れたり、迷つたり、臆したり、外界を見るにもその表面だけを伺つて満足してゐる。私に帰つて来ない前にお前が見た外界の姿は誠の姿ではない。お前は私が如何なるものであるかを本当に知らない間は、お前の外界を見る眼はその正しい機能を失つてゐるのだ。それではいけない。そんなことでは縦令お前がどれ程齷齪して進んで行かうとも、急流を遡らうとする下手な泳手のやうに、無益に藻掻いてしかも一歩も進んではゐないのだ。地球の内部が残つてゐさへすれば、縦令地殻が跡形なく壊れてしまつても、一つの遊星としての存在を続ける事が出来るのだ。然し内部のない地球といふものは想像して見ることも出来ないだらう。それと同じに私のないお前は想像することが出来ないのだ。

 お前に取つて私以上に完全なものはない。さういつたとて、その意味は、世の中の人が概念的に案出する神や仏のやうに、完全であらうといふのではない。お前が今まで、宗教や、倫理や、哲学や、文芸などから提供せられた想像で測れば、勿論不完全だといふことが出来るだらう。成程私は悪魔のやうに恥知らずではないが、又天使のやうに清浄でもない。私は人間のやうに人間的だ。私の今のこの瞬間の誇りは、全力を挙げて何の躊躇もなく人間的であるといふことに帰する。私の所に悪魔だとか天使だとか、お前の頭の中で、こね上げた偶像を持つて来てくれるな。お前が生きなければならないこの現在にとつて、それらのものとお前との間には無益有害な広い距離が挾まつてゐる。

 お前が私の極印を押された許可状を持たずに、霊から引放した肉だけにお前の身売りをすると、そこに実質のない悪魔といふものが、さも厳(いか)めしい実質を備へたらしく立ち現はれるのだ。又お前が肉から強ひて引き離した霊だけに身売りをすると、そこに実質のない天使といふものが、さも厳めしい実質を備へたらしく立ち現はれるのだ。そんな事をしてる中に、お前は段々私から離れて行つて、実質のない幻影に捕へられ、そこに、奇怪な空中楼閣を描き出すやうになる。そして、お前の衷には苦しい二元が建立(こんりふ)される。霊と肉、天国と地獄、天使と悪魔、それから何、それから何……対立した観念を持ち出さなければ何んだか安心が出来ない、そのくせ観念が対立してゐると何んだか安心が出来ない、両天秤にかけられたやうな、底のない空虚に浮んでゐるやうな不安がお前を襲つて来るのだ。さうなればなる程お前は私から遠ざかつて、お前のいふことなり、思ふことなり、実行することなりが、一つ残らず外部の力によつて支配されるやうになる。お前には及びもつかぬ理想が出来、良心が出来、道徳が出来、神が出来る。そしてそれは、皆私がお前に命じたものではなくて、外部から借りて来たものばかりなのだ。さういふものを振り廻して、お前はお前の寄木細工を造り始めるのだ。そしてお前は一面に、悪魔でさへが眼を塞ぐやうな醜い賤しい思ひをいだきながら、人の眼につく所では、しらじらしくも自分でさへ恥かしい程立派なことをいつたり、立派なことを行つたりするのだ。しかもお前はそんな蔑むべきことをするのに、尤もらしい理由をこしらへ上げてゐる。聖人や英雄の真似をするのは――も少し聞こえのいい言葉遣ひをすれば――聖人や英雄の言行を学ぶのは、やがて聖人でもあり英雄でもある素地を造る第一歩をなすものだ。我れ、舜の言を言ひ、舜の行を行はば、即ち舜のみといふそれである。かくして、お前は心の隅に容易ならぬ矛盾と、不安と、情なさとを感じながら、益々高く虚妄なバベルの塔を登りつめて行かうとするのだ。

 悪いことには、お前のさうした態度は、社会の習俗には都合よくあてはまつて行く態度なのだ。人間の生活はその欲求の奥底には必ず生長といふ大事な因子を持つてゐるのだけれども、社会の習俗は平和――平和といふよりも単なる無事に執着しようとしてゐる。何事もなく昨日の生活を今日に繋ぎ、今日の生活を明日に延ばすやうな生活を最も面倒のない生活と思ひ、さういふ無事の日暮しの中に、一日でも安きを偸(ぬす)まうとしてゐるのだ。これが社会生活に強い惰性となつて膠着してゐる。さういふ生活態度に適応する為めには、お前のやうな行き方は大変に都合がいい。お前の内部にどれ程の矛盾があり表裏があつても、それは習俗的な社会の頓着するところではない。単にお前が殊勝な言行さへしてゐれば、社会は無事に治まつて泰平なのだ。社会はお前を褒めあげて、お前に、お前が心窃かに恥ぢねばならぬやうな過大な報償を贈つてよこす。お前は腹の中で心苦しい苦笑ひをしながらも、その過分な報償に報ゆるべく益々私から遠ざかつて、心にもない犬馬の労を尽しつつ身を終らうとするのだ。

 そんなことをして、お前が外部の圧迫の下に、虚偽な生活を続けてゐる間に、何時しかお前は私をだしぬいて、思ひもよらぬ聖人となり英雄となりおほせてしまふだらう。その時お前はもうお前自身ではなくなつて、即ち一個の人間ではなくなつて、人間の皮を被つた専門家になつてしまふのだ。仕事の上の専門家を私達は尊敬せねばならぬ。然し生活の習俗性の要求にのみ耳を傾けて、自分を置きざりにして、外部にのみ身売りをする専門家は、既に人間ではなくして、いかに立派でも、立派な一つの機械にしか過ぎない。

 いかにさもしくとも力なくとも人間は人間であることによつてのみ尊い。人間の有する尊さの中、この尊さに優る尊さを何処に求め得よう。この尊さから退くことは、お前を死滅に導くのみならず、お前の奉仕しようとしてゐる社会そのものを死滅に導く。何故ならば人間の社会は生きた人間に依つてのみ造り上げられ、維持され、存続され、発達させられるからだ。

 お前は機械になることを恥ぢねばならぬ。若し聊かでもそれを恥とするなら、さう軽はずみな先き走りばかりはしてゐられない筈だ。外部ばかりに気を取られていずに、少しは此方を向ひて見るがいい。そして本当のお前自身なるお前の個性がここにゐるのを思ひ出せ。

 私を見出したお前は先ず失望するに違ひない、私はお前が夢想してゐたやうな立派な姿の持主ではないから。お前が外部的に教へ込まれてゐる理想の物指(ものさし)にあてはめて見ると、私はいかにも物足らない存在として映るだらう。私はキャリバンではない代りにエーリヤルでもない。悪魔ではない代りに天使でもない。私にあつては霊肉といふやうな区別は全く無益である。また善悪といふやうな差別は全く不可能である。私は凡ての活動に於て、全体として生長するばかりだ。花屋は花を珍重するだらう。果物屋は果実を珍重するだらう。建築家はその幹を珍重するだらう。然し桜の木自身にあつては、かかる善悪差別を絶したところにただ生長があるばかりだ。然し私の生長は、お前が思ふ程迅速なものではない。私はお前のやうに頭だけ大きくしたり、手脚だけ延ばしたりしただけでは満足せず、その全体に於て動き進まねばならぬからだ。理想といふ疫病に犯されてゐるお前は、私の歩き方をもどかしがつて、生意気にも私をさしおいて、外部の要求にのみ応じて、先き走りをしようとするのだ。お前は私より早く走るやうだが、畢竟は遅く走つてゐるのだ。何故といへば、お前が私を出し抜いて、外部の刺戟ばかりに身を任せて走り出して、何処かに行き着くことが出来たとしても、その時お前は既に人間ではなくなつて、一個の専門家即ち非情の機械になつてゐるからだ。お前自身の面影は段々淡くなつて、その淡くなつたところが、聖人や英雄の襤褸布(ぼろきれ)で、つぎはぎになつてゐるからだ。その醜い姿をお前はいつしか発見して後悔せねばならなくなる。後悔したお前はまたすごすごと私の所まで後戻りするより外に道がないのだ。

 だからお前は私の全支配の下にゐなければならない。お前は私に抱擁せられて歩いて行かなければならない。

 個性に立ち帰れ。今までのお前の名誉と、功績と、誇りとの凡てを捨てて私に立ち帰れ。お前は生れるとから外界と接触し、外界の要求によつて育て上げられて来た。外界は謂はばお前の皮膚を包む皮膚のやうになつてゐる。お前の個性は分化拡張して、しかも稀薄な内容になつて、中心から外部へ散漫に流出してしまつた。だからお前が、私を出し抜いて先き走りをするのも一面からいへば無理のないことだ。そしてお前は私に相談もせずに、愛のない時に、愛の籠つたやうな行ひをしたり、憎しみを心の中に燃やしながら、寛大らしい振舞ひをしたりしたらう。そしてそんな浮薄なことをする結果として、不可避的に心の中に惹き起される不愉快な感じを、お前は努力に伴ふ自らの感じと強ひて思ひこんだ。お前の感情を訓練するのだと思つた。そんな風にお前が私と没交渉な愚かなことをしてゐる間は、縦令山程の仕事をし遂げようとも、お前自身は寸分の生長をもなし得てはゐないのだ。そしてこの浅ましい行為によつてお前は本当の人間の生活を阻害し、生命のない生活の残り滓を、いやが上に人生の路上に塵芥として積み上げるのだ。花屋の為めに一本の桜の樹は花ばかりの生存をしてゐてもいいかも知れない。その結果それが枯れ果てたら、花屋は遠慮なくその幹を切り倒して他の苗木を植ゑるだらうから。然し人間の生活の中に在る一人の人間はかくあつてはならない。その人間が個性を失ふのは、取りもなほさず社会そのものの生命を弱めることだ。

 お前も一度は信仰の門をくぐつたことがあらう。人のすることを自分もして見なければ、何か物足りないやうな淋しさから、お前は宗教といふものにも指を染めて見たのだ。お前が知るであらう通りに、お前の個性なる私は、渇仰的といふ点、即ち生長の欲求を烈しく抱いてゐる点では、宗教的といふことが出来る。然し私はお前のやうな浮薄な歩き方はしない。

 お前は私のここにゐるのを碌々(ろくろく)顧みもせずに、習慣とか軽い誘惑とかに引きずられて、直ぐに友達と、聖書と、教会とに走つて行つた。私は深い危懼を以てお前の例の先き走りを見守つてゐた。お前は例の如く努力を始めた。お前の努力から受ける感じといふのは、柄にもない飛び上りな行ひをした後に毎時でも残される苦しい後味なのだ。お前は一方に崇高な告白をしながら、基督のいふ意味に於て、正しく盗みをなし、姦淫をなし、人殺しをなし、偽りの祈祷をなしてゐたではないか。お前の行ひが疚(や)ましくなると「人の義とせらるるは信仰によりて、律法の行ひに依らず」といつて、乞食のやうに、神なるものに情けを乞うたではないか。又お前の信仰の虚偽を発(あば)かれようとすると「主よ主よといふもの悉く天国に入るにあらず、吾が天に在(ましま)す神の旨に遵(よ)るもののみなり」といつてお前を弁護したではないか。お前の神と称してゐたものは、畢竟するに極く幽(かす)かな私の影に過ぎなかつた。お前は私を出し抜いて宗教生活に奔つておきながら、お前の信仰の対象なる神を、私の姿になぞらへて造つてゐたのだ。そしてお前の生活には本質的に何等の変化も来さなかつた。若し変化があつたとしても、それは表面的なことであつて、お前以外の力を天啓としてお前が感じたことなどはなかつた。お前は強ひて頭を働かして神を想像してゐたに過ぎないのだ。即ちお前の最も表面的な理智と感情との作用で、かすかな私の姿を神にまで捏ねあげてゐたのだ。お前にはお前以外の力がお前に加はつて、お前がそれを避けるにもかかはらず、その力によつて奮ひ起たなければならなかつたやうな経験は一度もなかつたのだ。それだからお前の祈りは、空に向つて投げられた石のやうに、冷たく、力なく、再びお前の上に落ちて来る外はなかつたのだ。それらの苦々しい経験に苦しんだにもかかはらず、お前は頑固にもお前自身を欺いて、それを精進と思つてゐた。そしてお前自身を欺くことによつて他人をまで欺いてゐた。

 お前はいつでも心にもない言行に、美しい名を与へる詐術を用ゐてゐた。然しそれに飽き足らず思ふ時が遂に来ようとしてゐる。まだいくらか誠実が残つてゐたのはお前に取つて何たる幸だつたらう。お前は絶えて久しく捨ておいた私の方へ顔を向けはじめた。今、お前は、お前の行為の大部分が虚偽であつたのを認め、またお前は真の意味で、一度も祈祷をしたことのない人間であるのを知つた。これからお前は前後もふらず、お前の個性と合一する為めにいそしまねばならない。お前の個性に生命の泉を見出し、個性を礎としてその上にありのままのお前を築き上げなければならない。

        七

 私の個性は更に私に告げてかう云ふ。
 お前の個性なる私は、私に即して行くべき道のいかなるものであるかを説かうか。

 先ず何よりも先に、私がお前に要求することは、お前が凡ての外界の標準から眼をそむけて、私に帰つて来なければならぬといふ一事だ。恐らくはそれがお前には頼りなげに思はれるだらう。外界の標準といふものは、古い人類の歴史――その中には凡ての偉人と凡ての聖人とを含み、凡ての哲学と科学、凡ての文化と進歩とを蓄へた宏大もない貯蔵場だ――と、現代の人類活動の諸相との集成から成り立つてゐる。それからお前が全く眼を退けて、私だけに注意するといふのは、便りなくも心細くも思はれることに違ひない。然し私はお前に云ふ。躊躇するな。お前が外界に向けて拡げてゐた鬚根(しゆこん)の凡てを抜き取つて、先を揃へて私の中に揷(さ)し入れるがいい。お前の個性なる私は、多くの人の個性に比べて見たら、卑しく劣つたものであらうけれども、お前にとつては、私の外により完全なものはないのだ。

 かくてやうやく私に帰つて来たお前は、これまでお前が外界に対してし慣れてゐたやうに、私を勝手次第に切りこまざいてはならぬ。お前が外界と交渉してゐた時のやうに、善悪美醜といふやうな見方で、強ひて私を理解しようとしてはならぬ。私の要求をその統合のままに受け入れねばならぬ。お前が私の全要求に応じた時に於てのみ私は生長を遂げるであらう。私はお前が従ふ為めに結果される思想なり言説なり行為なりが、仮りに外界の伝説、習慣、教訓と衝突矛盾を惹き起すことがあらうとも、お前は決して心を乱して、私を疑ふやうなことをしてはならぬ。急がず、躊(ため)らはず、お前の個性の生長と完成とを心がけるがいい。然しここにくれぐれもお前に注意しておかねばならぬのは、今までお前が外面的の、約束された、習俗的な考へ方で、個性の働きを解釈したり、助成したりしてはならぬといふ事だ。例へば個性の要求の結果が一見肉に属する慾の遂行のやうに思はれる時があつても、それをお前が今まで考へてゐたやうに、簡単に肉慾の遂行とのみ見てはならぬ。同様に、その要求が一見霊に属するもののやうに思はれても、それを全然肉から離して考へるといふことは、個性の本然性に背いた考へ方だ。私達の肉と霊とは哲学者や宗教家が概念的に考へてゐるやうに、ものの二極端を現はしてゐるものでないのは勿論、それは差別の出来ない一体となつてのみ個性の中には生きてゐるのだ。水を考へようとする場合に、それを水素と酸素とに分解して、どれ程綿密に二つの元素を研究したところが、何の役にも立たないだらう。水は水そのものを考へることによつてのみ理解される。だから私がお前に望むところは、私の要求を、お前が外界の標準によつて、支離滅裂にすることなく、その全体をそのまま摂受して、そこにお前の満足を見出す外にない。これだけの用意が出来上つたら、もう何の躊躇もなく驀進すべき準備が整つたのだ。私の誇りかなる時は誇りかとなり、私の謙遜な時は謙遜となり、私の愛する時愛し、私の憎む時憎み、私の欲するところを欲し、私の厭ふところを厭へばいいのである。

 かくしてお前は、始めてお前自身に立ち帰ることが出来るだらう。この世に生れ出て、産衣(うぶぎ)を着せられると同時に、今日までにわたつて加へられた外界の圧迫から、お前は今始めて自由になることが出来る。これまでお前が、自分を或る外界の型に篏(は)める必要から、強ひて不用のものと見て、切り捨ててしまつたお前の部分は、今は本当の価値を回復して、お前に取つてはやはり必要欠くべからざる要素となつた。お前の凡ての枝は、等しく日光に向つて、喜んで若芽を吹くべき運命に逢ひ得たのだ。その時お前は永遠の否定を後ろにし、無関心の谷間を通り越して、初めて永遠の肯定の門口に立つことが出来るやうになつた。

 お前の実生活にもその影響がない訳ではない。これからのお前は必然によつて動いて、無理算段をして動くことはない。お前の個性が生長して今までのお前を打ち破つて、更に新しいお前を造り出すまで、お前は外界の圧迫に余儀なくされて、無理算段をしてまでもお前が動く必然を見なくなる。例へばお前が外界に即した生活を営んでゐた時、お前は控へ目といふ道徳を実行してゐたらう。お前は心にもなく善行をし過すことを恐れて、控目に善行をしてゐたらう。然しお前は自分の欠点を隠すことに於ては、中々控目には隠してゐなかつた。寧ろ恐ろしい大胆さを以て、お前の心の醜い秘密を人に知られまいとしたではないか。お前は人の前では、秘かに自任してゐるよりも、低く自分の徳を披露して、控目といふ徳性を満足させておきながら、欲念といふやうな実際の弱点は、一寸見には見つからない程、綿密に上手に隠しおほせてゐたではないか。さういふ態度を私は無理算段と呼ぶのだ。然し私に即した生活にあつては、そんな無理算段はいらないことだ。いかなる欲念も、畢竟お前の個性の生長の糧となるのであるが故に、お前はそれに対して臆病であるべき必要がなくなるだらう。即ち、お前は、私の生長の必然性のためにのみ変化して、外界に対しての顧慮から伸び縮みする必要は絶対になくなるべき筈だ。何事もそれからのことだ。

 お前はまた私に帰つて来る前に、お前が全く外界の標準から眼を退けて、私を唯一無二の力と頼む前に、人類に対するお前の立場の調和について迷つたかも知れない。驀地にお前が私と一緒になつて進んで行くことが、人類に対して迷惑となり、その為めに人間の進歩を妨げ、従つて生活の秩序を破り、節度を壊すやうな結果を多少なりとも惹き起しはしまいか。さうお前は迷つたらう。

 それは外界にのみ執着しなれたお前に取つては考へられさうなことだ。然しお前がこの問題に対して真剣になればなる程、さうした外部的な顧慮は、お前には考へようとしても考へられなくなつて来るだらう。水に溺れて死なうとする人が、世界の何処かの隅で、小さな幸福を得た人のあるのを想像して、それに祝福を送るといふやうなことがとてもあり得ないと同様に、お前がまことに緊張して私に来る時には、それから結果される影響などは考へてはゐられない筈だ。自分の罪に苦しんで、荊棘(いばら)の中に身をころがして、悶(もだ)えなやんだ聖者フランシスが、その悔悟の結果が、人類にどういふ影響を及ぼすだらうかと考へてゐたかなどと想像するやうなものは、人の心の正しい尊さを、露程も味つたことのない憐(あは)れな人といはなければならないだらう。

 お前にいつて聞かす。さういふ問ひを発し、さういふ疑ひになやむ間は、お前は本当に私の所に帰つて来る資格は持つてはゐないのだ。お前はまだ徹底的に体裁ばかりで動いてゐる人間だ。それを捨てろ。それを捨てなければならぬ程に今までの誤謬に眼を開け。私は前後を顧慮しないではゐられない程、緩慢な歩き方はしてゐない。自分の生命が脅かされてゐるくせに、外界に対してなほ閑葛藤(かんかつとう)を繋いでゐるやうなお前に対しては、恐らく私は無慈悲な傍観者であるに過ぎまい。私は冷然としてお前の惨死を見守つてこそゐるだらうが、一臂(いつぴ)の力にも恐らくなつてはやらないだらう。

 又お前は、前にもいつたことだが、単に専門家になつたことだけでは満足が出来なくなる。一体人は自分の到る処に自分の主(あるじ)でなければならぬ。然るに専門家となるといふことは、自分を人間生活の或る一部門に売り渡すことでもある。多かれ少かれ外界の要求の犠牲となることである。完全な人間――個性の輪廓のはつきりまとまつた人間となりたいと思はないものが何処にあらう。然るにお前はよくこの第一義の要求を忘れてしまつて、外聞といふ誘惑や、もう少し進んだところで、社会一般の進歩を促し進めるといふやうな、柄にもない非望に駆られて、お前は甘んじて一つしかないお前の全生命を片輪にしてしまひたがるのだ。然しながら私の所に帰つて来たお前は、そんな危険な火山頂上の舞踏はしてゐない。お前の手は、お前の頭は、お前の職業は、いかに分業的な事柄にわたつて行かうとも、お前は常にそれをお前の個性なる私に繋いでゐるからだ。お前は大抵の分業にたづさはつても自分自身であることが出来る。しかのみならず、若しお前のしてゐる仕事が、到底お前の個性を満足し得ない時には、お前は個性の満足の為めに仕事を投げ捨てることを意としないであらう。少くともかかる理不尽な生活を無くなすやうに、お前の個性の要求を申出すだらう。お前のかくすることは、無事といふことにのみ執着したがる人間の生活には、不都合を来す結果になるかも知れない。又表面的な進歩ばかりをめやすにしてゐる社会には不便を起すことがあるかも知れない。然しお前はそれを気にするには及ばない。私は明かに知つてゐる。人間生活の本当の要求は無事といふことでもなく、表面だけの進歩といふことでもないことを。その本当の要求は、一箇の人間の要求と同じく生長であることを。だからお前は安んじて、確信をもつて、お前の道を選べばいいのだ。精神と物質とを、個性と仕事とを互に切り放した文明がどれ程進歩しようとも、それは無限の沙漠に流れこむ一条の河に過ぎない。それはいつか細つて枯れはててしまふ。

 私はこれ以上をもうお前にいふまい。私は老婆親切の饒舌の為めに既に余りに疲れた。然しお前は少し動かされたやうだな。選ぶべき道に迷ひ果てたお前の眼には、故郷を望み得たやうな光が私に対して浮んでゐる。憐れな偽善者よ。強さとの平均から常に破れて、或る時は稍々強く、或る時は強さを羨む外にない弱さに陥る偽善者よ。お前の強さと弱さとが平均してゐないのはまだしもの幸だつた。お前は多分そこから救ひ出されるだらう。その不平均の撞着の間から僅かばかりなりともお前の誠実を拾ひ出すだらう。その誠実を取り逃すな。若しそれが純であるならば、誠実は微量であつても事足りる。本当をいふと不純な誠実といふものはない。又量定さるべき誠実といふものはない。誠実がある。そこには純粋と凡てとがあるのだ。だからお前は誠実を見出したところに勇み立つがいい、恐れることはない。

 起て。そこにお前の眼の前には新たな視野が開けるだらう。それをお前は私に代つて言ひ現はすがいい。

 お前は私にこの長い言葉を無駄に云はせてはならない。私は暖かい手を拡げて、お前の来るのを待つてゐるぞよ。

 私の個性は私にかく告げてしづかに口をつぐんだ。

        八

 私の個性は少しばかりではあるが、私に誠実を許してくれた。然し誠実とはそんなものでいいのだらうか。私は八方摸索の結果、すがり附くべき一茎の藁をも見出し得ないで、已むことなく覚束ない私の個性――それは私自身にすら他の人のそれに比して、少しも優れたところのない――に最後の隠家を求めたに過ぎない。それを誠実といつていいのだらうか。けれども名前はどうでもいい。或る人は私の最後の到達を私の卑屈がさせた業(わざ)だといふだらう。或る人は又私の勇気がさせた業だといふかも知れない。ただ私自身にいはせるなら、それは必至な或る力が私をそこまで連れて来たといふ外はない。誰でもが、この同じ必至の力に促されていつか一度はその人自身に帰つて行くのだ。少くとも死が間近かに彼に近づく時には必ずその力が来るに相違ない。一人として早晩個性との遭遇を避け得るものはない。私もまた人間の一人として、人間並みにこの時個性と顔を見合はしたに過ぎない。或る人よりは少し早く、そして或る人よりは甚だおそく。

 これは少くとも私に取つては何よりもいいことだつた。私は長い間の無益な動乱の後に始めて些かの安定を自分の衷に見出した。ここは居心がいい。仕事を始めるに当つて、先づ坐り心地のいい一脚の椅子を得たやうに思ふ。私の仕事はこの椅子に倚ることによつて最もよく取り運ばれるにちがひないのを得心する。私はこれからでも無数の煩悶と失敗とを繰り返すではあらうけれども、それらのものはもう無益に繰り返される筈がない。煩悶も必ず滋養ある食物として私に役立つだらう。私のこの椅子に身を託して、私の知り得たところを主に私自身のために書き誌しておかうと思ふ。私はこれを宣伝の為めに書くのではない。私の経験は狭く貧しくして、とてもそんな普遍的な訴へをなし得ないことを私はよく知つてゐる。ただ私に似たやうな心の過程に在る少数の人がこれを読んで僅かにでも会心の微笑を酬ゆる事があつたら、私自身を表現する喜びの上に更に大きな喜びが加へられることになる。

 秩序もなく系統もなく、ただ喜びをもつて私は書きつづける。

        九

 センティメンタリズム、リアリズム、ロマンティシズム――この三つのイズムは、その何れかを抱く人の資質によつて決定せられる。或る人は過去に現はれたもの、若しくは現はるべかりしものに対して愛着を繋ぐ。そして現在をも未来をも能ふべくんば過去といふ基調によつて導かうとする。凡ての美しい夢は、経験の結果から生れ出る。経験そのものからではない。さういふ見方によつて生きる人はセンティメンタリストだ。

 また或る人は未来に現はれるもの、若しくは現はるべきものに対して憧憬を繋ぐ。既に現はれ出たもの、今現はれつつあるものは、凡て醜く歪んでゐる。やむ時なき人の欲求を満たし得るものは現はれ出ないものの中にのみ潜んでゐなければならない。さういふ見方によつて生きる人はロマンティシストだ。

 更に又或る人は現在に最上の価値をおく。既に現はれ終つたものはどれほど優れたものであらうとも、それを現在にも未来にも再現することは出来ない。未来にいかなるよいものが隠されてあらうとも、それは今私達の手の中にはない。現在には過去に在るやうな美しいものはないかも知れない。又未来に夢見られるやうな輝かしいものはないかも知れない。然しここには具体的に把持さるべき私達自身の生活がある。全力を尽してそれを活きよう。さういふ見方によつて生きる人はリアリストだ。

 第一の人は伝説に、第二の人は理想に、第三の人は人間に。

 この私の三つのイズムに対する見方は誤つてゐないだらうか。若し誤つてゐないなら、私はリアリストの群れに属する者だといはなければならぬ。何故といへば、私は今私自身の外に依頼すべき何者をも持たないから。そしてこの私なるものは現在にその存在を持つてゐるのだから。

 私にも私の過去と未来とはある。然し私が一番頼らねばならぬ私は、過去と未来とに挾まれたこの私だ。現在のこの瞬間の私だ。私は私の過去や未来を蔑(ないがし)ろにするものではない。縦令蔑ろにしたところが、実際に於て過去は私の中に滲み透り、未来は私の現在を未知の世界に導いて行く。それをどうすることも出来ない。唯私は、過去未来によつて私の現在を見ようとはせずに、現在の私の中に過去と未来とを摂取しようとするものだ。私の現在が、私の過去であり、同時に未来であらせようとするものだ。即ち過去に対しては感情の自由を獲得し、未来に対しては意志の自由を主張し、現在の中にのみ必然の規範を立しようとするものだ。

 何故お前はその立場に立つのだと問はれるなら、さうするのが私の資質に適するからだといふ外には何等の理由もない。

 私には生命に対する生命自身の把握といふ事が一番尊く思はれる。即ち生命の緊張が一番好ましいものに思はれる。そして生命の緊張はいつでも過去と未来とを現在に引きよせるではないか。その時伝説によつて私は判断されずに、私が伝説を判断する。又私の理想は近々と現在の私に這入りこんで来て、このままの私の中にそれを実現しようとする。かくて私は現在の中に三つのイズムを統合する。委(くは)しくいふと、そこにはもう、三つのイズムはなくして私のみがある。かうした個性の状態を私は一番私に親しいものと思はずにゐられないのだ。

 私の現在はそれがある如くある外はない。それは他の人の眼から見ていかに不完全な、そして汚点だらけのものであらうとも、又私が時間的に一歩その境から踏み出して、過去として反省する時、それがいかに物足らないものであらうとも、現在に生きる私に取つては、その現在の私は、それがあるやうにしかあり得ない。善くとも悪くともその外にはあり得ないのだ。私に取つては、私の現在はいつでも最大無限の価値を持つてゐる。私にはそれに代ふべき他の何物もない。私の存在の確実な承認は各々の現在に於てのみ与へられる。

 だから私に取つては現在を唯一の宝玉として尊重し、それを最上に生き行く外に残された道はない。私はそこに背水の陣を布いてしまつたのだ。

 といつて、私は如何にして過去の凡てを蔑視し、未来の凡てを無視することが出来よう。私の現在は私の魂にまつはりついた過去の凡てではないか。そこには私の親もいる。私の祖先もいる。その人達の仕事の全量がある。その人々や仕事を取り囲んでゐた大きな世界もある。或る時にはその上を日も照し雨も潤した。或る時は天界を果から果まで遊行する彗星が、その稀れなる光を投げた。或る時は地球の地軸が角度を変へた。それらの有らゆる力はその力の凡てを集めて私の中に積み重つてゐるのではないか。私はどうしてそれを蔑視することが出来よう。私は仮りにその力を忘れてゐようとも、その力は瞬転の間も私を忘れることはない。ただ私はそれらのものを私の現在から遊離して考へるのを全く無益徒労のことと思ふだけだ。それらのものは厳密に私の現在に織りこまれることによつてのみその価値を有し得るといふことに気が付いたのだ。畢竟現在の中に摂取し尽された過去は、人が仮りにそれを過去といふ言葉で呼ばうとも、私にとつては現在の外の何物でもない。現在といふものの本体をここまで持つて来なければ、その内容は全く成り立たない。

 私は遊離した状態に在る過去を現在と対立させて、その比較の上に個性の座位を造らうとする虚(うつ)ろな企てには厭き果てたのだ。それは科学者がその経験物を取り扱ふ態度を直ちに生命にあてはめようとする愚かな無駄な企てではないか。科学者と実験との間には明かに主客の関係がある。然し私と私の個性との間には寸分の間隙も上下もあつてはならぬ。凡ての対立は私にあつて消え去らなければならぬ。

 未来についても私は同じ事が言ひ得ると思ふ。私を除いて私の未来(といはず未来の全体)を完成し得るものはない。未来の成行きを考へる場合、私といふ一人の人間を度外視しては、未来の相は成り立たない。これは少しも高慢な言葉ではない。その未来を築き上げるものは私の現在だ。私の現在が失はれてゐるならば、私の未来は生れ出て来ない。私の現在が最上に生きられるなら、私の未来は最上に成り立つ。眼前の緊張からゆるんで、単に未来を空想することが何で未来の創造に塵ほどの益にもなり得よう。未来を考へないまでに現在に力を集めた時、よき未来は刻々にして創り出されてゐるのではないか。

 センティメンタリストの痛ましくも甘い涙は私にはない。ロマンティシストの快く華やかな想像も私にはない。凡ての欠陥と凡ての醜さとを持ちながらも、この現在は私に取つていかに親しみ深くいかに尊いものだらう。そこにある強い充実の味と人間らしさとは私を牽きつけるに十分である。この饗応は私を存分に飽き足らせる。

        一〇

 然しながら個性の完全な飽満と緊張とは如何に得がたきものであるよ。燃焼の生活とか白熱の生命とかいふ言葉は紙と筆とをもつてこそ表はし得ようけれども、私の実際の生活の上には容易に来てくれることがない。然し私にも全くないことではなかつた。私はその境界がいかに尊く難有きものであるかを幽かながらも窺ふことが出来た。そしてその醍醐味の前後にはその境に到り得ない生活の連続がある。その関係を私はこれから朧ろげにでも書き留めておかう。

 外界との接触から自由であることの出来ない私の個性は、縦令自主的な生活を導きつつあつても、常に外界に対し何等かの角度を保つてその存在を持続しなければならない。或る時は私は外界の刺戟をそのままに受け入れて、反省もなく生活してゐる。或る時は外界の刺戟に対して反射的に意識を動かして生活してゐる。又或る時は外界の刺戟を待たずに、私の生命が或る已むなき内的の力に動かされて外界に働きかける。かかる変化はただ私の生命の緊張度の強弱によつて結果される。これは智的活動、情的活動、意志的活動といふやうに、生命を分解して生活の状態を現はしたものではない。人間の個性の働きを言ひ現はす場合にかかる分解法によるのは私の最も忌むところである。人間の生命的過程に智情意といふやうな区別は実は存在してゐないのだ。生命が或る対象に対して変化なく働き続ける場合を意志と呼び、対象を変じ、若しくは力の量を変化して生命が働きかける場合を情といひ、生命が二つ以上の対象について選択をなす場合を智と名づけたに過ぎないのだ。人の心的活動は三頭政治の支配を受けてゐるのではない。もつと純一な統合的な力によつて総轄されてゐるのだ。だから少し綿密な観察者は、智と情との間に、情と意志との間に、又意志と智との間に、判然とはその何れにも従はせることの出来ない幾多の心的活動を発見するだらう。虹彩を検する時、赤と青と黄との間に無限数の間色を発見するのと同一だ。赤青黄は元来白によつて統一さるべき仮象であるからである。かくて私達が太陽の光線そのものを見窮めようとする時、分解された諸色をいかに研究しても、それから光線そのものの特質の全体を知悉することが出来ぬと同様に、智情意の現象を如何に科学的に探究しても、心的活動そのものを掴むことは思ひもよらない。帰納法は記述にのみ役立つ。然し本体の表現には役立たない。この簡単な原理は屢々閑却される。科学に、従つて科学的研究に絶大の価値をおかうとする現代にあつては、帰納法の根本的欠陥は往々無反省に閑却される。

 さて私は岐路に迷ひ込まうとしたやうだ。私は再び私の当面の問題に帰つて行かう。

 外界の刺戟をそのまま受け入れる生活を仮りに習性的生活(habituallife)と呼ぶ。それは石の生活と同様の生活だ。石は外界の刺戟なしには永久に一所(ひとところ)にあつて、永い間の中にただ滅して行く。石の方から外界に対して働きかける場合は絶無だ。私には下等動物といはれるものに通有な性質が残つてゐるやうに、無機物の生活さへが膠着してゐると見える。それは人の生活が最も緩慢となるところには何時でも現はれる現象だ。私達の祖先が経験し尽した事柄が、更に繰り返されるに当つては、私達はもう自分の能力を意識的に働かす必要はなくなる。かかる物事に対する生活活動は単に習性といふ形でのみ私達に残される。

 チェスタートンが、「いかなる革命家でも家常茶飯事については、少しも革命家らしくなく、尋常人と異らない尋常なことをしてゐる」といつたのはまことだ。革命家でもない私にはかかる生活の態度が私の活動の大きな部分を占めてゐる。毎朝私は顔を洗ふ。そして顔を洗ふ器具に変化がなければ、何等の反省もなく同じ方法で顔を洗ふ。若し不注意の為めにその方法を誤るやうなことでもあれば、却つてそれを不愉快の種にする位だ。この生活に於ては全く過去の支配の下にある。私の個性の意識は少しもそこに働いてゐない。

 私はかかる生活を無益だといふのではない。かかる生活を有するが為めに私の日常生活はどれ程煩雑な葛藤から救はれてゐるか知れない。この緩慢な生活が一面に成り立つことによつて、私達は他面に、必要な方面、緊張した生活の欲求を感じ、それを達成することが出来る。

 然しかかる生活は私の個性からいふと、個性の中に属させたらいいものかわるいものかが疑はれる。何故ならば、私の個性は厳密に現在に執着しようとし、かかる生活は過去の集積が私の個性とは連絡なく私にあつて働いてゐるといふに過ぎないから。その上かかる生活の内容は甚だ不安定な状態にある。外界の事情が聊かでも変れば、もうそこにはこの生活は成り立たない。そして私がこれからいはうとする智的生活の圏内に這入つてしまふ。私は安んじてこの生活に倚りかかつてゐることが出来ない。

 又本能として自己の表現を欲求する個性は、習性的生活にのみ依頼して生存するに堪へない。単なる過去の繰り返しによつて満足してゐることが出来ない。何故なら、そこには自己がなくしてただ習性があるばかりだから、外界と自己との間には無機的な因縁があるばかりだから。私は石から、せめては草木なり鳥獣になり進んで行きたいと希ふ。この欲求の緊張は私を駆つて更に異つた生活の相を選ばしめる。

        一一

 それを名づけて私は智的生活(intellectual life)とする。

 この種の生活に於て、私の個性は始めて独立の存在を明かにし、外界との対立を成就する。それは反射の生活である。外界が個性に対して働きかけた時、個性はこれに対して意識的の反応をする。即ち経験と反省とが、私の生活の上に表はれて来る。これまで外界に征服されて甘んじてゐた個性はその独自性を発揮して、外界を相手取つて挑戦する。習性的生活に於て私は無元の世界にゐた。智的生活に於て私は始めて二元の生活に入る。ここには私がいる。かしこには外界がある。外界は私に攻め寄せて来る。私は経験といふ形式によつて外界と衝突する。そしてこの経験の戦場から反省といふ結果が生れ出て来る。それは或る時には勝利で、或る時には敗北であるであらう。

 その何れにせよ、反省は経験の結果を似寄りの部門に選び分ける。かく類別せられた経験の堆積を人々は知識と名づける。知識を整理する為めに私は信憑すべき一定の法則を造る。かく知識の堆積の上に建て上げられた法則を人々は道徳と名づける。

 道徳は対人的なものだといふ見解は一応道理ではあるけれども、私はさうは思はない。孤島に上陸したばかりの孤独なロビンソン・クルーソーにも自己に対しての道徳はあつたと思ふ。何等の意味に於てであれ、外界の刺戟に対して自己をよりよくして行かうといふ動向は道徳とはいへないだらうか。クルーソーが彼の為めに難破船まで什器食料を求めに行つたのは、彼自身に取つての道徳ではなかつたらうか。然しクルーソーはやがてフライデーを殺人者から救ひ出した。クルーソーとフライデーとは最上の関係に於て生きることを互に要求した。クルーソーは自己に対する道徳とフライデーに対する道徳との間に分譲点を見出さねばならなかつた。フライデーも同じ努力をクルーソーに対してなした。この二人の努力は幸に一致点を見出した。かくて二人は孤島にあつて、美しい間柄で日を過したのみならず、遂に船に救はれて英国の土を踏むことが出来た。フライデーが来てからは、その孤島には対人的道徳即ち社会道徳が出来たけれども、クルーソー一人の時には、そこに一の道徳も存在しなかつたと云はうとするのは、思ひ誤りでありはしまいか。道徳とは自己と外界(それが自然であらうと人間であらうと)との知識に基(もとゐ)する正しい自己の立場の決定である。だから、道徳は一人の人の上にも、二人以上の人々の間にも当然成り立たねばならぬものだ。但し両方の場合に於て道徳の内容は知識の変化と共に変化する。知識の内容は外界の変化と共に変化する。それ故道徳は外界の変化につれてまた変化せざるを得ぬ。

 世には道徳の変易性(へんえきせい)を物足らなく思ふ人が少くないやうだ。自分を律して行くべき唯一の規準が絶えず変化せねばならぬといふ事は、直ちに人間生活の不安定そのものを予想させる。人間の持つてゐる道徳の後には何か不変な或るものがあつて、変化し易い末流の道徳も、謂はばそこに仮りの根ざしを持つものに相違ない。不完全な人間は一気にその普遍不易の道徳の根元を把握しがたい為めに、模索の結果として誤つてその一部を彼等の規準とするに過ぎぬ。一部分であるが故に、それは外界の事情によつては修正の必要を生ずるだらうけれども、それは直ちに徹底的に道徳そのものの変易性を証拠立てるものにはならない。さう或る人々は考へるかも知れない。

 それでも私は道徳の内容は絶えず変易するものだと言ひ張りたい。私に普遍不易に感ぜられるものは、私に内在する道徳性である。即ち知識の集成の中から必ず自己を外界に対して律すべき規準を造り出さうとする動向は、その内容(緊張度の増減は論じないで)に於て変化することなく自存するのを知つてゐる。然し道徳性と道徳とが全く異つた観念であるのは、誰でも容易に判る筈だ。私に取つては、道徳の内容の変化するのは少しも不思議ではない。又困ることでもない。ただ変へようと思つても変へることの出来ないのは、道徳を生み出さうとする動向だ。そしてその内容が変化すると仮定するのは私に取つて淋しいことだ。然し幸に私はそれを不安に思ふ必要はない。私は自分の経験によつてその不易を十分に知つてゐるから。

 知識も道徳も変化する。然しそれが或る期間固定してゐて、私の生活の努力がその内容を充実し得ない間は、それはどこまでも、知識として又道徳として厳存する。然し私の生活がそれらを乗り越してしまふと、知識も道徳も習性の閾(しきゐ)の中に退き去つて、知識若しくは道徳としての価値が失はれてしまふ。私が無意識に、ただ外界の刺戟にのみ順応して行つてゐる生活の中にも、或は他の或る人が見て道徳的行為とするものがあるかも知れない。然しその場合私に取つては決して道徳的行為ではない。何故ならば、道徳的である為めには私は努力をしてゐなければならないからだ。

 智的生活は反省の生活であるばかりでなく努力の生活だ。人類はここに長い経験の結果を綜合して、相共に依拠すべき範律を作り、その範律に則つて自己を生活しなければならぬ。努力は実に人を石から篩(ふる)ひ分ける大事な試金石だ。動植物にあつてはこの努力といふ生活活動は無意識的に、若しくは苦痛なる生活の条件として履行されるだらう。然し人類は努力を単なる苦痛とのみは見ない。人類に特に発達した意識的動向なる道徳性の要求を充たすものとして感ぜられる。その動向を満足する為めに人類は道徳的努力を伴ふ苦痛を侵すことを意としない。この現はれは人類の歴史を荘厳なものにする。

 誰か智的生活の所産なる知識と道徳とを讃美しないものがあらう。それは真理に対する人類の倦むことなき精進の一路を示唆する現象だ。凡ての懐疑と凡ての破壊との間にあつて、この大きな力は嘗て磨滅したことがない。かのフェニックスが火に焼かれても、再び若々しい存在に甦つて、絶えず両翼を大空に向つて張るやうに、この精進努力の生活は人類がなほ地上の王なる左券(さけん)として、長くこの世に栄えるだらう。

 然し私はこの生活に無上の安立(あんりふ)を得て、更に心の空しさを感ずることがないか。私は否と答へなければならない。私は長い廻り道の末に、尋ねあぐねた故郷を私の個性に見出した。この個性は外界によつて十重二十重に囲まれてゐるにもかかはらず、個性自身に於て満ち足らねばならぬ。その要求が成就されるまでは絶対に飽きることがない。智的生活はそれを私に満たしてくれたか。満たしてはくれなかつた。何故ならば智的生活は何といつても二元の生活であるからだ。そこにはいつでも個性と外界との対立が必要とせられる。私は自然若しくは人に対して或る身構へをせねばならぬ。経験する私と経験を強ひる外界とがあつて知識は生れ出る。努力せんとする私とその対象たる外界があつて道徳は発生する。私が知識そのものではなく道徳そのものではない。それらは私と外界とを合理的に繋ぐ橋梁に過ぎない。私はこの橋梁即ち手段を実在そのものと混同することが出来ないのだ。私はまた平安を欲すると共に進歩を欲する。潤色(elaboration)を欲すると共に創造を欲する。平安は既存の事体の調節的持続であり、進歩は既存の事体の建設的破棄である。潤色は在るものをよりよくすることであり、創造は在らざりしものをあらしめることである。私はその一方にのみ安住してゐるに堪へない。私は絶えず個性の再造から再造に飛躍しようとする。然るに智的生活は私のこの飛躍的な内部要求を充足してゐるか。

 智的生活の出発点は経験である。経験とは要するに私の生活の残滓である。それは反省――意識のふりかへり――によつてのみ認識せられる。一つの事象が知識になるためにはその事象が一たび生活によつて濾過されたといふことを必要な条件とする。ここに一つの知識があるとする。私がそれを或る事象の認識に役立つものとして承認するためには、縦令その知識が他人の経験の結果によつて出来上つたものであれ、私の経験もまたそれを裏書したものでなければならぬ。私の経験が若しその知識の基本となつた経験と全然没交渉であつたなら、私は到底それを自分の用ゐ得る知識として承認することは出来ない筈だ。だから私の有する知識とは、要するに私の過去を整理し、未来に起り来るべき事件を取り扱ふ上の参考となるべき用具である。私と道徳とに於ける関係もまた全く同様な考へ方によつて定めることが出来る。即ち知識も道徳も既存の経験に基いて組み立てられたもので、それがそのまま役立つためには、私の生活が同一軌道を繰り返し繰り返し往来するのを一番便利とする。そしてそこには進歩とか創造とかいふ動向の活躍がおのづから忌み避けられなければならない。

 私の生活が平安であること、そしてその内容が潤色されることを私は喜ばないとはいはない。私の内部にはいふまでもなくかかる要求が大きな力を以て働いてゐる。私はその要求の達成を智的生活に向つて感謝せねばならぬ。けれども私は永久にこの保守的な動向にばかり膠着して満足するだらうか。

 一個人よりも活動の遅鈍になり勝ちな社会的生活にあつては、この保守的な智的生活の要求は自然に一個人のそれよりも強い。平安無事といふことは、社会生活の基調となりたがる。だから今の程度の人類生活の様式下にあつては、個人的の飛躍的動向を無視圧迫しても、智的生活の確立を希望する。現代の政治も、教育も、学術も、産業も、大体に於てはこの智的生活の強調と実践とにその目標をおいてゐる。だから若し私がこの種の生活にのみ安住して、社会が規定した知識と道徳とに依拠してゐたならば、恐らく社会から最上の報酬を与へられるだらう。そして私の外面的な生存権は最も確実に保障されるだらう。そして社会の内容は益々平安となり、潤色され、整然たる形式の下に統合されるだらう。

 然し――社会にもその動向は朧ろげに看取される如く――私には智的生活よりも更に緊張した生活動向の厳存するのをどうしよう。私はそれを社会生活の為めに犠牲とすべきであるか。社会の最大の要求なる平安の為めに、進歩と創造の衝動を抑制すべきであるか。私の不満は謂れのない不満であらねばならぬだらうか。

 社会的生活は往々にして一個人のそれより遅鈍であるとはいへ、私の持つてゐるものを社会が全然欠いてゐるとは思はれない。何故ならば、私自身が社会を組立ててゐる一分子であるのは間違ひのないことだから。私の欲するところは社会の欲するところであるに相違ない。そして私は平安と共に進歩を欲する。潤色と共に創造を欲する。その衝動を社会は今継子(ままこ)扱ひにはしてゐるけれども――そして社会なるものは性質上多分永久にさうであらうけれども――その何処かの一隅には必ず潜勢力としてそれが伏在してゐなければならぬ。社会は社会自身の意志に反して絶えず進歩し創造しつつあるから。

 私が私自身になり切る一元の生活、それを私は久しく憧れてゐた。私は今その神殿に徐(おもむ)ろに進みよつたやうに思ふ。

        一二

 ここまでは縦令たどたどしいにせよ、私の言葉は私の意味しようとするところに忠実であつてくれた。然しこれから私が書き連ねる言葉は、恐らく私の使役に反抗するだらう。然し縦令反抗するとも私はこれで筆を擱くことは出来ない。私は言葉を鞭つことによつて自分自身を鞭つて見る。私も私の言葉もこの個性表現の困難な仕事に対して蹉(つまづ)くかも知れない。ここまで私の伴侶であつた(恐らくは少数の)読者も、絶望して私から離れてしまふかも知れない。私はその時読者の忍耐の弱さを不満に思ふよりも私自身の体験の不十分さを悲しむ外はない。私は言葉の堕落をも尤(とが)めまい。かすかな暗示的表出をたよりにしてとにかく私は私自身を言ひ現はして見よう。

 無元から二元に、二元から一元に。保存から整理に、整理から創造に。無努力から努力に、努力から超努力に。これらの各々の過程の最後のものが今表現せらるべく私の前にある。

 個性の緊張は私を拉して外界に突貫せしめる。外界が個性に向つて働きかけない中に、個性が進んで外界に働きかける。即ち個性は外界の刺戟によらず、自己必然の衝動によつて自分の生活を開始する。私はこれを本能的生活(impulsive life)と仮称しよう。

 何が私をしてこの衝動に燃え立たせるか。私は知らない。然し人は自然界の中にこの衝動の仮りの姿を認めることが出来ないだらうか。

 地球が造られた始めにはそこに痕跡すら有機物は存在しなかつた。そこに、或る時期に至つて有機物が現はれ出た。それは或る科学者が想像するやうに他の星体から隕石に混入して地表に齎されたとしても、少くとも有機物の存在に不適当だつた地球は、いつの間にかその発達にすら適合するやうに変化してゐたのだ。有機物の発生に次いで単細胞の生物が現はれ出た。そして生長と分化とが始まつた。その姿は無機物の結晶に起る成長らしい現象とは多くの点に於て相違してゐた。単細胞生物はやがて複細胞生物となり、一は地上に固着して植物となり、一は移動性を利用して動物となつた。そして動物の中から人類が発生するまでに、その進化の過程には屢々創造と称せらるべき現象が続出した。続出したといふよりも凡ての過程は創造から創造への連続といつていい。習性及び形態の保存に固着してカリバン(=Caliban)のやうに固有の生活にしがみ附かうとする生物を或る神秘な力が鞭ちつつ、分化から分化へと飛躍させて来た。誰がこの否む可らざる目前の事実に驚異せずにはゐられよう。地上の存在をかく導き来つた大きな力はまた私の個性の核心を造り上げてゐる。私の個性は或る已みがたい力に促されて、新たなる存在へ躍進しようとする。その力の本源はいつでも内在的である。内発的である。一つの花から採取した月見草の種子が、同一の土壌に埋められ、同一の環境の下に生(お)い出ても、多様多趣の形態を取つて萠え出づるといふドフリスの実験報告は、私の個性の欲求をさながらに翻訳して見せてくれる。若しドフリスの Mutation Theoryが実験的に否認される時が来たとしても、私の個性は、それは単にドフリスの実験の誤謬であつて、自然界の誤謬ではないと主張しよう。少くとも地球の上には、意識的であると然らざるとに係はらず、個性認識、個性創造の不思議な力が働いてゐるのだ。ベルグソンのいふ純粋持続に於ける認識と体験は正しく私の個性が承認するところのものだ。個性の中には物理的の時間を超越した経験がある。意識のふりかへりなる所謂反省によつては掴めない経験そのものが認識となつて現はれ出る。そこにはもう自他の区別はない。二元的な対立はない。これこそは本当の生命の赤裸々な表現ではないか。私の個性は永くこの境地への帰還にあこがれてゐたのだ。

 例へば大きな水流を私は心に描く。私はその流れが何処(いづこ)に源を発し、何処に流れ去るのかを知らない。然しその河は漾々(やうやう)として無辺際から無辺際へと流れて行く。私は又その河の両岸をなす土壌の何物であるかをも知らない。然しそれはこの河が億劫(おくごふ)の年所(ねんしよ)をかけて自己の中から築き上げたものではなからうか。私の個性もまたその河の水の一滴だ。その水の押し流れる力は私を拉して何処かに押し流して行く。或る時には私は岸辺近く流れて行く。そして岸辺との摩擦によつて私を囲む水も私自身も、中流の水にはおくれがちに流れ下る。更に或る時は、人がよく実際の河流で観察し得るやうに、中流に近い水の速力の為めに蹴押(けお)されて逆流することさへある。かかる時に私は不幸だ。私は新たなる展望から展望へと進み行くことが出来ない。然し私が一たび河の中流に持ち来(きた)されるなら、もう私は極めて安全でかつ自由だ。私は河自身の速力で流れる。河水の凡てを押し流すその力によつて私は走つてゐるのだけれども、私はこの事実をすら感じない。私は自分の欲求の凡てに於て流れ下る。何故ならば、河の有する最大の流速は私の欲求そのものに外ならないから。だから私は絶対に自由なのだ。そして両岸の摩擦の影響を受けねばならぬ流域に近づくに従つて、私は自分の自由が制限せられて来るのを苦々しく感じなければならない。そこに始めて私自身の外に厳存する運命の手が現はれ出る。私はそこでは否むべからざる宿命の感じにおびえねばならぬ。河の水は自らの位置を選択すべき道を知らぬ。然し人間はそれを知つてゐる。そしてその選択を実行することが出来る。それは人間の有する自覚がさせる業である。

 人は運命の主であるか奴隷であるか。この問題は屢々私達を悒鬱(いふうつ)にする。この問題の決定的批判なしには、神に対する悟りも、道徳律の確定も、科学の基礎も、人間の立場も凡て不安定となるだらう。私もまたこの問題には永く苦しんだ。然し今はかすかながらもその解決に対する曙光を認め得た心持がする。

 若し本能的生活が体験せられたなら、それを体験した人は必ず人間の意志の絶対自由を経験したに違ひない。本能の生活は一元的であつてそれを牽制すべき何等の対象もない。それはそれ自身の必然な意志によつて、必然の道を踏み進んで行く。意志の自由とは結局意志そのものの必然性をいふのではないか。意志の欲求を認めなければ、その自由不自由の問題は起らない。意志の欲求を認め、その意志の欲求が必然的であるのを認め、本能的境地に置かれた意志は本能そのものであつて、それを遮る何者もないことを知つたなら、私達のいふ意志の自由はそのまま肯定せられなければならぬ。

 智的生活以下に於てはさういふ訳には行かない。智的生活は常に外界との調節によつてのみ成り立つ。外界の存在なくしてはこの生活は働くことが出来ない。外界は常に智的生活とは対立の関係にあつて、しかも智的生活の所縁になつてゐる。かくしてその生活は自由であることが出来ない。のみならず智的生活の様式は必ず過去の反省によつて成り立つといふ事を私は前に申し出した。既になし遂げられた生活は――縦令それが本能的生活であつても――なし遂げられた生活である。その形は復(また)と変易することがない。智的生活は実にこの種の固定し終つた生活の認識と省察によつて成り立つのである。その省察の持ち来たす概念がどうして宿命的な色彩を以て色づけられないでゐよう。だから人の生活は或は宿命的であり或は自由であり得るといはう。その宿命的である場合は、その生活が正しき緊張から退縮した時である。正しい緊張に於て生活される間は個性は必ず絶対的な自由の意識の中にある。だから一層正しくいへば、根柢的な人間の生活は自由なる意志によつて導かれ得るのだ。

 同時に本能の生活には道徳はない。従つて努力はない。この生活は必至的に自由な生活である。必至には二つの道はない。二つの道のない所には善悪の選択はない。故にそれは道徳を超越する。自由は sein であつて sollenではない。二つの道の間に選ぶためにこそ努力は必要とせられるけれども、唯一筋道(ひとすじみち)を自由に押し進むところに何の努力の助力が要求されよう。

 私は創造の為めに遊戯する。私は努力しない。従つて努力に成功することも、失敗することもない。成功するにつけて、運命に対して謙遜である必要はない。又失敗するにつけて運命を顧みて弁疏させる必要もない。凡ての責任は――若しそれを強ひて言ふならば――私の中にある。凡ての報償は私の中にある。

 例へばここに或る田園がある。その中には田疇(でんちう)と、山林と、道路と、家屋とが散在して、人々は各々その或る部分を私有し、田園の整理と平安とに勤(いそし)んでゐる。他人の畑を収穫するものは罪に問はれる。道路を歩まないで山林を徘徊するものは警戒される。それはさうあるべきことだ。何故といへば、畑はその所有者の生計のために存在し、道路は旅人の交通のために設けられてゐるのだから。それは私に智的生活の鳥瞰図を開展する。ここに人がある。彼はその田園の外に拡がる未踏の地を探険すべき衝動を感じた。彼は田園を踏み出して、その荒原に足を入れた。そこには彼の踏み進むべき道路はない。又掠奪すべき作物はない。誰がその時彼の踏み出した脚の一歩について尤(とが)めだてをする事が出来るか。彼が自ら奮つて一歩を未知の世界に踏み出した事それ自身が善といへば善だ。彼の脚は道徳の世界ならざる世界を踏んでゐるのだ。それは私に本能的生活の面影を微かながら髣髴させる。

 黒雲を劈(つんざ)いて天の一角から一角に流れて行く電光の姿はまた私に本能の奔流の力強さと鋭さを考へさせる。力ある弧状を描いて走るその電光のここかしこに本流から分岐して大樹の枝のやうに目的点に星馳(せいち)する支流を見ることがあるだらう。あの支流の末は往々にして、黒雲に呑まれて消え失せてしまふ。人間の本能的生活の中にも屢々かかる現象は起らないだらうか。或る人が純粋に本能的の動向によつて動く時、誤つて本能そのものの歩みよりも更に急がうとする。そして遂に本能の主潮から逸して、自滅に導く迷路の上を驀地に馳せ進む。そして遂に何者でもあらぬべく消え去つてしまふ。それは悲壮な自己矛盾である。彼の創造的動向が彼を空しく自滅せしめる。智的生活の世界からこれを眺めると、一つの愚かな蹉跌として眼に映ずるかも知れない。たしかに合理的ではない。又かかる現象が智的生活の渦中に発見された場合には道徳的ではない。然しその生活を生活した当体(たうたい)なる一つの個性に取つては、善悪、合理非合理の閑葛藤(かんかつとう)を揷(さしはさ)むべき余地はない。かくばかり緊張した生活が、自己満足を以て生活された、それがあるばかりだ。智的生活を基調として生活し、その生活の基準に慣らされた私達は動々(やや)もするとこの基準のみを以て凡ての現象を理智的に眺めてゐはしないか。そして智的生活を一歩踏み出したところに、更に緊張した純真な生活が伏在するのを見落すやうなことはないか。若しさうした態度にあるならば、それはゆゆしき誤謬といはねばならぬ。人間の創造的生活はその瞬間に停止してしまふからだ。この本能的に対しておぼろげながらも推察の出来ない社会は、豚の如く健全な社会だといひ得る外の何物でもあり得ない。

 自由なる創造の世界は遊戯の世界であり、趣味の世界であり、無目的の世界である。努力を必要としないが故に遊戯と云つたのである。義務を必要としないが故に趣味といつたのである。生活そのものが目的に達する手段ではないが故に無目的といつたのである。緩慢な、回顧的な生活にのみ囲繞(ゐねう)されてゐる地上の生活に於て、私はその最も純粋に近い現はれを、相愛の極、健全な愛人の間に結ばれる抱擁に於て見出だすことが出来ると思ふ。彼等の床に近づく前に道徳知識の世界は影を隠してしまふ。二人の男女は全く愛の本能の化身となる。その時彼等は彼等の隣人を顧みない、彼等の生死を慮らない。二人は単に愛のしるしを与へることと受け取ることとにのみ燃える。そして忘我的な、苦痛にまでの有頂天、それは極度に緊張された愛の遊戯である。その外に何物でもない。しかもその間に、人間のなし得る創造としては神秘な絶大な創造が成就されてゐるのだ。ホイットマンが「アダムの子等」に於て、性慾を歌ひ、大自然の雄々しい裸かな姿を髣髴させるやうな瞬間を讃美したことに何んの不思議があらう。そしてエマアソンがその撤回を強要した時、敢然として耳を傾けなかつた理由が如何に明白であるよ。肉にまで押し進んでも更に悔いと憎しみとを醸さない恋こそは真の恋である。その恋の姿は比べるものなく美しい。私は又本能的生活の素朴に近い現はれを、無邪気な小児の熱中した遊戯の中に見出すことが出来ると思ふ。彼は正しく時間からも外聞からも超越する。彼には遊戯そのものの外に何等の目的もない。彼の表面的な目的は縦令一個の紙箱を造ることにありとするも、その製作に熱中してゐる瞬間には、紙箱を造る手段そのものの中に目的は吸ひ込まれてしまふ。そこには何等の努力も義務も附帯してはゐない。あの純一無雑な生命の流露を見守つてゐると私は涙がにじみ出るほど羨ましい。私の生活がああいふ態度によつて導かれる瞬間が偶(たま)にあつたならば私は甫(はじ)めて真の創造を成就することが出来るであらうものを。

 私は本能的生活の記述を蔑ろにして、あまり多くをその讃美の為めに空費したらうか。私は仮りにそれを許してもらひたい。何故なら、私は本能的生活を智的生活の上位に置かうと思ふからだ。誰でも私のいふ智的生活を習性的生活の上におかぬものはなからう。然し本能的生活を智的生活の上におかうとする場合になると、多くの人々はそこに躊躇を感じはしないだらうか。現在人類の生活が智的生活をその基調としてゐるといふ点に於て、その躊躇は無理のないことだともいへる。単に功利的な立場からのみ考へれば、その躊躇は正当なことだとさへいへる。然し凡ての生存は、それが本能の及ぶだけ純粋なる表現である場合に最も真であるといふ大事な要件が許されるならば、本能的生活は私にとつて智的生活よりもより価値ある生活である。若し価値をもつてそれを定めるのが不当ならば、より尊い生活である。しかも私はこの生活の内容を的確に発想することが出来ない(それはこの生活が理智的表現を超越してゐるが故でもある)。その場合私は、比喩と讃美とによつてわづかにこの尊い生活を偲ぶより外に道がないだらう。

        一三

知的生活の構造

        一四

 本能といふ言葉を用ゐるに当つて私は多少の誤解を恐れないではない。この言葉は殊に科学によつてその正しい意味から堕落させられてゐる。といふよりは、科学が素朴的に用ゐたこの言葉を俗衆が徹底的に歪め穢してしまつた。然し今はそれが固有の意味にまで引き上げられなければならない。ベルグソンはこの言葉をその正しき意味に於て用ゐ始めた。ラッセル(私は氏の文章を一度も読んだことがないけれども)もまたベルグソンを継承して、この言葉の正当な使用を心懸けてゐるやうに見える。

 本能とは大自然の持つてゐる意志を指すものと考へることが出来る。野獣にはこの力が野獣なりに赤裸々に現はれてゐる。自然科学はその現はれを観察して、詳細にそれを記述した。そしてそれが人類の活動の中にも看取せられるのを附け加へた。この記述はいふまでもなく明かな事実である。然しその事実から、人類の活動の全部が野獣に現はれた本能だけから成り立つとは、科学は結論してゐないのだ。然るに人は往々にして科学の記述を逆用しようとする。これは単なる誤解とのみ見て過すことが出来ないと私は思ふ。

 人間は人間である。野獣ではない。野獣が無自覚に近い心でなすところを人は十分なる自覚をもつてなしてゐるのである。若し人がその自覚を逆用して、肉にまで至る愛の要求のない場合に、単に外観的に観察された野獣の本能に走つたならば、それは明かに人間の有する本能の全体的な活動といふことが出来ない。同時に、人間の本能の中から野獣と共通な部分を理智的に引き離して、純霊といふやうな境地を捏造しようとするのは、明かに本能に対する謂れのない迫害である。本能は分解とは両立することが出来ない。本能はいつでもその全体に於て働かねばならぬ。人間の本能――野獣の本能でもなく又天使の本能でもない――もその本能の全体に於て働かねばならぬ。そこからのみ、若し生れるならば、人間以上の新しい存在への本能は生れ出るだらう。本能を現実のきびしさに於て受取らないで、ロマンティックに考へるところに、純霊の世界といふ空虚な空中楼閣が築き上げられる。肉と霊とを峻別し得るものの如く考へて、その一方に偏倚(へんい)するのを最上の生活と決めこむやうな禁慾主義の義務律法はそこに胚胎されるのではないか。又本能を現実のきびしさに於て受取らないで、センティメンタルに考へるところに肉慾の世界といふ堕落した人生観が仮想される。この野獣の過去にまでの帰還は、また本能の分裂が結果するところのもので、人間を人間としての荘厳の座から引きおろすものではないか。私の生活が何等かの意味に於てその緊張度を失ひ、現実への安立(あんりふ)から知らず知らず未来か過去かへ遠ざかる時、必ずかかる本能の分裂がその結果として現はれ出るのを私はよく知つてゐる。私はその境地にあつて必ず何等かの不満を感ずる。そして一歩を誤れば、その不満を医(いや)さんが為めに、益々本能の分裂に向つて猪突する。それは危い。その時私は明かに自己を葬るべき墓穴を掘つてゐるのだ。それを何人も救つてくれることは出来ない。本当にそれを救ひ得るのは私自身のみだ。

 私の意味する本能を逆用して、自滅の方に進むものがあるならば、私はこの上更にいふべき何物をも持たぬだらう。本当をいへば、誤解を恐れるなら、私は始めから何事をもいはぬがいいのだ。私は私の柄にもない不遜な老婆親切をもうやめねばならぬ。

        一五

 人間は人間だ。野獣ではない。天使でもない。人間には人間が大自然から分与された本能があると私はいつた。それならその本能とはどんなものであるかと反問されるだらう。私は当然それに答へるべき責任を持つてゐる。私は貧しいなりにその責任を果さう。私の小さな体験が私に書き取らせるものをここに披瀝して見よう。

 人間によつて切り取られた本能の流れを私は今まで漫然とただ本能と呼んでゐた。それは一面に許さるべきことである。人間の有する本能もまた大自然の本能の一部なのだから。然しここまで私の考察を書き進めて来ると、私はそれを特殊な名によつて呼ぶのを便利とする。

 人間によつて切り取られた本能――それを人は一般に愛と呼ばないだらうか。老子が道の道とすべきは常の道にあらずといつたその道も或はこの本能を意味するのかも知れない。孔子が忠信のみといつたその忠信も或はこれを意味するのかも知れない。釈尊の菩提心、ヨハネのロゴス、その他無数の名称はこの本能を意味すべく構出されたものであるかも知れない。然し私は自分の便宜の為めに仮りにそれを愛と名づける。愛には、本能と同じやうに既に種々な不純な属性的意味が膠着してゐるけれども、多くの名称の中で最も専門的でなく、かつ比較的に普遍的な内容をその言葉は含んでゐるやうだ。愛といへば人は常識的にそれが何を現はすかを朧ろげながらに知つてゐる。

 愛は人間に現はれた純粋な本能の働きである。然し概念的に物事を考へる習慣に縛られてゐる私達は、愛といふ重大な問題を考察する時にも、極めて習慣的な外面的な概念に捕へられて、その真相とは往々にして対角線的にかけへだたつた結論に達してゐることはないだらうか。

 人は愛を考察する場合、他の場合と同じく、愛の外面的表現を観察することから出発して、その本質を見窮めようと試みないだらうか。ポーロはその書翰の中に愛は「惜みなく与へ」云々といつた、それは愛の外面的表現を遺憾なくいひ現はした言葉だ。愛する者とは与へる者の事である。彼は自己の所有から与へ得る限りを与へんとする。彼からは今まであつたものが失はれて、見たところ貧しくはなるけれども、その為めには彼は憂へないのみか、却つて欣喜し雀躍する。これは疑ひもなく愛の存するところには何処にも観察される現象である。実際愛するものの心理と行為との特徴は放射することであり与へることだ。人はこの現象の観察から出発して、愛の本質を帰納しようとする。そして直ちに、愛とは与へる本能であり放射するエネルギーであるとする。多くの人は省察をここに限り、愛の体験を十分に噛みしめて見ることをせずに、逸早くこの観念を受け入れ、その上に各自の人生観を築く。この観念は私達の道徳の大黒柱として認められる。愛他主義の倫理観が構成される。そして人間生活に於ける最も崇高な行為として犠牲とか献身とかいふ徳行が高調される。そして更にこの観念が、利己主義の急所を衝くべき最も鋭利な武器として考へられる。

 さう思はれることを私は一概に排斥するものではない。愛が智的生活に持ち来たされた場合には、さう結論されるのは自然なことだ。智的生活にあつては愛は理智的にのみ考察されるが故に、それは決して生活の内部にあつて働くままの姿では認められない。愛は生活から仮りに切り放されて、一つの固定的な現象としてのみ観察される。謂はば理智が愛の周囲――それはいかに綿密であらうとも――のみを廻転し囲繞してゐる。理智的にその結論が如何に周匝(しうさふ)で正確であらうとも、それが果して本能なる愛の本体を把握し得た結論といふことが出来るだらうか。

 本能を把握するためには、本能をその純粋な形に於て理解するためには、本能的生活中に把握される外に道はない。体験のみがそれを可能にする。私の体験は、縦しそれが貧弱なものであらうとも――愛の本質を、与へる本能として感ずることが出来ない。私の経験が私に告げるところによれば、愛は与へる本能である代りに奪ふ本能であり、放射するエネルギーである代りに吸引するエネルギーである。

 他のためにする行為を利他主義といひ、己れのためにする行為を利己主義といふのなら、その用語は正当である。何故ならば利するといふ言葉は行為を表現すべき言葉だからである。然し倫理学が定義するやうに、他のためにせんとする衝動若しくは本能を認めて、これを利他主義といひ、己れのためにせんとする衝動若しくは本能を主張してこれを利己主義といふのなら、その用語は正鵠(せいこう)を失してゐる。それは当然愛他主義愛己主義といふ言葉で書き改められなければならないものだ。利と愛との両語が自明的に示すが如く、利は行為或は結果を現はす言葉で、愛は動機或は原因を現はす言葉であるからだ。この用語の錯誤が偶々(たまたま)愛の本質と作用とに対する混同を暴露してはゐないだらうか。即ち人は愛の作用を見て直ちにその本質を揣摩し、これに対して本質にのみ名づくべき名称を与へてゐるのではないか。又人は愛が他に働く動向を愛他主義と呼び、己れに働く動向を利己主義と呼ぶならはしを持つてゐる。これも偶々人が一種の先入僻見(へきけん)を以て愛の働き方を見てゐる証拠にはならないだらうか。二つの言葉の中、物質的な聯想の附帯する言葉を己れへの場合に用ゐ、精神的な聯想を起す言葉を他への場合に用ゐてゐるのは、恐らく愛が他を益する時その作用を完(まつと)うし得るといふ既定の観念に制せられてゐるのを現はしてゐるやうだ。この愛の本質と現象との混淆から、私達の理解は思ひもよらぬ迷宮に迷ひ込むだらう。

        一六

 愛を傍観していずに、実感から潜りこんで、これまで認められてゐた観念が正しいか否かを検証して見よう。

 私は私自身を愛してゐるか。私は躊躇することなく愛してゐると答へることが出来る。私は他を愛してゐるか。これに肯定的な答へを送るためには、私は或る条件と限度とを附することを必要としなければならぬ。他が私と何等かの点で交渉を持つにあらざれば、私は他を愛することが出来ない。切実にいふと、私は己れに対してこの愛を感ずるが故にのみ、己れに交渉を持つ他を愛することが出来るのだ。私が愛すべき己れの存在を見失つた時、どうして他との交渉を持ち得よう。そして交渉なき他にどうして私の愛が働き得よう。だから更に切実にいふと、他が何等かの状態に於て私の中に摂取された時にのみ、私は他を愛してゐるのだ。然し己れの中に摂取された他は、本当をいふともう他ではない。明かに己の一部分だ。だから私が他を愛してゐる場合も、本質的にいへば他を愛することに於て己れを愛してゐるのだ。そして己れをのみだ。

 但し己を愛するとは何事を示すのであらう。私は己れを愛してゐる。そこには聊かの虚飾もなく誇張もない。又それを傲慢な云ひ分ともすることは出来ない。唯あるがままをあるがままに申し出たに過ぎない。然し私が私自身をいかに深くいかによく愛してゐるかを省察すると問題はおのづから別になる。若し私の考へるところが謬つてゐないなら、これまで一般に認められてゐた利己主義なるものは、極めて功利的な、物質的な、外面的な立場からのみ考察されてはゐなかつたらうか。即ち生物学の自己保存の原則を極めて安価に査定して、それを愛己の本能と結び付けたものではなかつたらうか。「生物発達の状態を研究して見ると、利己主義は常に利他主義以上の力を以て働いてゐる。それを認めない訳には行かない」といつたスペンサーの生物一般に対しての漫然たる主張が、何といつても利己主義の理解に対する基調になつてゐはしないだらうか。その主張が全事実の一部をなすものだといふことを私も認めない訳ではない。然しそれだけで満足し切ることを、私の本能の要求は明かに拒んでゐる。私の生活動向の中には、もつと深くもつとよく己れを愛したい欲求が十二分に潜んでゐることに気づくのだ。私は明かに自己の保存が保障されただけでは飽き足らない。進んで自己を押し拡げ、自己を充実しようとし、そして意識的にせよ、無意識的にせよ、休む時なくその願望に駆り立てられてゐる。この切実な欲求が、かの功利的な利己主義と同一水準におかれることを私は退けなければならない。それは愛己主義の意味を根本的に破壊しようとする恐るべき傾向であるからである。私の愛己的本能が若し自己保存にのみあるならば、それは自己の平安を希求することで、智的生活に於ける欲求の一形式にしか過ぎない。愛は本能である。かくの如き境地に満足する訳がない。私の愛は私の中にあつて最上の生長と完成とを欲する。私の愛は私自身の外に他の対象を求めはしない。私の個性はかくして生長と完成との道程に急ぐ。然らば私はどうしてその生長と完成とを成就するか。それは奪ふことによつてである。愛の表現は惜みなく与へるだらう。然し愛の本体は惜みなく奪ふものだ。

 アミイバが触指を出して身外の食餌(しよくじ)を抱へこみ、やがてそれを自己の蛋白素(プロトプラズム)中に同化し終るやうに、私の個性は絶えず外界を愛で同化することによつてのみ生長し完成してゆく。外界に個性の貯蔵物を投げ与へることによつて完成するものではない。例へば私が一羽のカナリヤを愛するとしよう。私はその愛の故に、美しい籠と、新鮮な食餌と、やむ時なき愛撫とを与へるだらう。人は、私のこの愛の外面の現象を見て、私の愛の本質は与へることに於てのみ成り立つと速断することはないだらうか。然しその推定は根柢的に的をはづれた悲しむべき誤謬なのだ。私がその小鳥を愛すれば愛する程、小鳥はより多く私に摂取されて、私の生活と不可避的に同化してしまふのだ。唯いつまでも分離して見えるのは、その外面的な形態の関係だけである。小鳥のしば鳴きに、私は小鳥と共に或は喜び或は悲しむ。その時喜びなり悲しみなりは小鳥のものであると共に、私にとつては私自身のものだ。私が小鳥を愛すれば愛するほど、小鳥はより多く私そのものである。私にとつては小鳥はもう私以外の存在ではない。小鳥ではない。小鳥は私だ。私が小鳥を活きるのだ。(Thelittle bird is myself, and I live a bird)“I live abird”……英語にはこの適切な愛の発想法がある。若しこの表現をうなづく人があつたら、その人は確かに私の意味しようとするところをうなづいてくれるだらう。私は小鳥を生きるのだ。だから私は美しい籠と、新鮮な食餌と、やむ時なき愛撫とを外物に恵み与へた覚えはない。私は明かにそれらのものを私自身に与へてゐるのだ。私は小鳥とその所有物の凡てを残すところなく外界から私の個性へ奪ひ取つてゐるのだ。見よ愛は放射するエネルギーでもなければ与へる本能でもない。愛は掠奪する烈しい力だ。与へると見るのは、愛者被愛者に直接の交渉のない第三者が、愛するものの愛の表現を極めて外面的に観察した時の結論に過ぎないのを知るだらう。

 かくて愛の本能に従つて、私は他を私の中に同化し、他に愛せらるることによつて、私は他の中に投入し、私と他とは巻絹(まきぎぬ)の経緯の如く、そこにおのづから美しい生活の紋様を織りなして行くのだ。私の個性がよりよく、より深くなり行くに従つて、よりよき外界はより深く私の個性の中に取り込まれる。生活全体の実績はかくの如くして始めて成就する。そこには犠牲もない。又義務もない。唯感謝すべき特権と、ほほ笑ましい飽満とがあるばかりだ。

        一七

 目を挙げて見るもの、それは凡てが神秘である。私の心が平生の立場からふと視角をかへてゐる時、私の目前に開かれるものはただ驚異すべき神秘があるばかりだ。然しながら現実の世界に執着を置き切つた私には、かかる神秘は神秘でありながらあたり前の事実だ。私は小児のやうに常に驚異の眼を見張つてゐることは出来なくなつた。その現実的な、散文的な私にも、愛の働きのみは近づきがたき神秘な現はれとして感ぜられる。

 愛は私の個性を哺(はぐ)くむために外界から奪ひ取つて来る。けれどもその為めに外界は寸毫も失はれることがない。例へば私は愛によつてカナリヤを私の衷に奪ひ取る。けれどもカナリヤは奪はるることによつて幸福にはなるとも不幸福にはならない。かの小鳥は少くとも物質的に美しい籠(それは醜い籠にあるよりも確かにいいことだらう)と新鮮な食餌とを以て富ませられる。物質の法則を超越したこの神秘は私を存分に驚かせ感傷的にさへする。愛といふ世界は何といふいい世界だらう。そこでは白昼に不思議な魔術が絶えず行はれてゐる。それを見守ることによつて私は凡ての他の神秘を忘れようとさへする。私はこの賜物一つを持ち得ることによつて、凡ての存在にしみじみとした感謝の念を持たざるを得ない。

 愛は与へる本能をいふのだと主張する人は、恐らく私のこの揚言を聞いて哂(わら)ひ出すだらう。お前のいふことは夙(とう)の昔に私が言ひ張つたところだ。愛は与へることによつて二倍する、その不思議を知らないのか。愛を与へるものは与へるが故に富み、愛を受けるものは受けるが故に富む。地球が古いほど古いこの真理をお前は今まで知らないでゐたのか、と。

 私はそれを知らないではない。然し私はその提言には一つの条件を置く必要を感ずる。愛が与へることによつて二倍するといふ現象は、愛するものと愛せられたるものとの間に愛が相互的に成り立つた場合に限るのだ。若しその愛が完全に受け取られた場合には、その愛の恵みは確かに二倍するだらう。然し愛せられるものが愛するもののあることを知らなかつた時はどうだ。或はそれを斥けた時はどうだ。それでも愛は二倍されてゐる事と感ずることが出来るか。それは一種感情的な自観の仮想に過ぎないのではないか。或は人工的な神秘主義に強ひて一般的な考へを結び付けて考へる結果に過ぎないのではないか。

 若し愛が片務的に動いた場合に、愛するといふことを恩恵を施すといふ如く考へてゐる人には、愛するといふ行為に一種の自己満足を感ずるが故に、愛する人の受ける心の豊かさは二倍になると主張するなら、それは愛の作用を没我的でなければならぬと強言する愛他主義者としてはあるまじきことだといはねばならぬ。その時その人は愛することによつて明かに報酬を得てゐるからである。報酬を得て(それが人からであらうと、神からであらうと)、若しくは報酬を得ることを期待し得てする仕事が何で愛他主義であらうぞ。何で他に殉ずる心であらうぞ。愛するのは自分のためではなく、他人のためだと主張する人は、先づこの辺の心持を僻見なく省察して見る必要があると思ふ。彼等はよく功利主義々々々々といつて報酬を目あてにする行為を蛇蝎の如く忌み悪んでゐる。然るに彼等自身の行為や心持にもさうした傾向は見られないだらうか。その報酬に対する心持が違ふ。それは比べものにならぬ程凡下(ぼんげ)の功利主義より高尚だといはうか。私にはそんな心持は通じない。高尚だといへばいふ程それがうそに見える。非常に巧みな、そして狡猾な仮面の下に隠れた功利主義としか思はれない。物質的でないにせよ、純粋に精神的であるにせよ(そんな表面的な区別は私には本当は通用しないが、仮りにある人々の主張するやうな言葉遣ひにならつて)、何等かの報酬が想像されてゐる行為に何の献身ぞ、何の犠牲ぞ。若し偽善といひ得べくんば、これこそ大それた忌はしい偽善ではないか。何故なら当然期待さるべき功利的な結果を、彼等は知らぬ顔に少しも功利的でないものの如くに主張するからだ。

 或はいふかも知れない。愛するといふことは人間内部の至上命令だ。愛する時人は水が低きに流れるが如く愛する。そこには何等報酬の予想などはない。その結果がどうであらうとも愛する者は愛するのだ。これを以てかの報酬を目的にして行為を起す功利主義者と同一視するのは、人の心の絶妙の働きを知らぬものだと。私はそれを詭弁だと思ふ。一度愛した経験を有するものは、愛した結果が何んであるかを知つてゐる、それは不可避的に何等かの意味の獲得だ。一度この経験を有(も)つたものは、再び自分の心の働きを利他主義などとは呼ばない筈だ。他に殉ずる心などとはいはない筈だ。さういふことはあまり勿体(もつたい)ないことである。

 愛は自己への獲得である。愛は惜みなく奪ふものだ。愛せられるものは奪はれてはゐるが、不思議なことには何物も奪はれてはゐない。然し愛するものは必ず奪つてゐる。ダンテが少年の時ビヤトリスを見て、世の常ならぬ愛を経験した。その後彼は長くビヤトリスを見ることがなかつた。そしてただ一度あつた。それはフロレンスの街上に於てだつた。ビヤトリスは一人の女伴(づ)れと共に紅い花をもつてゐた。そしてダンテの挨拶に対してしとやかな会釈を返してくれた。その後ビヤトリスは他に嫁いだ。ダンテはその婚姻の席に列つて激情のあまり卒倒した。ダンテはその時以後彼の心の奥の愛人を見ることがなかつた。そしてビヤトリスは凡ての美しいものの運命に似合はしく、若くしてこの世を去つた。文献によればビヤトリスは切なるダンテの熱愛に触れることなくして世を終つたらしい。ダンテの愛はビヤトリスと相互的に通ひ合はなかつた(愛は相互的にのみ成り立つとのみ考へる人はここに注意してほしい)。ダンテだけが、秘めた心の中に彼女を愛した。しかも彼は空しかつたか。ダンテはいかにビヤトリスから奪つたことぞ。彼は一生の間ビヤトリスを浪費してなほ余る程この愛人から奪つてゐたではないか。彼の生活は寂しかつた。骯髒(かうさう=「孤高」)であつた。然しながら強く愛したことのない人々の淋しさと比べて見たならばそれは何といふ相違だらう。ダンテはその愛の獲得の飽満さを自分一人では抱へきれずに、「新生」として「神曲」として心外に吐き出した。私達はダンテのこの飽満からの余剰にいかに多くの価値を置くことぞ。ホイットマンも嘗てその可憐な即興詩の中に「自分は嘗て愛した。その愛は酬いられなかつた。私の愛は無益に終つたらうか。否。私はそれによつて詩を生んだ」と歌つてゐる。

 見よ、愛がいかに奪ふかを。愛は個性の飽満と自由とを成就することにのみ全力を尽してゐるのだ。愛は嘗て義務を知らない。犠牲を知らない。献身を知らない。奪はれるものが奪はれることをゆるしつつあらうともあるまいとも、それらに煩はされることなく愛は奪ふ。若し愛が相互的に働く場合には、私達は争つて互に互を奪ひ合ふ。決して与へ合ふのではない。その結果、私達は互に何物をも失ふことがなく互に獲得する。人が通常いふ愛するものは二倍の恵みを得るとはこれをいふのだ。私は予期するとほりの獲得に対して歓喜し、有頂天になる。そして明かにその獲得に対して感激し感謝する。その感激と感謝とは偽善でも何でもない。あるべかりしものがあつたについての人の有し得るおのづからの情である。愛の感激……正しくいふとこの外に私の生命はない。私は明かに他を愛することによつて、凡てを自己に取り入れてゐるのを承認する。若し人が私を利己主義者と呼ばうとならば、私はさう呼ばれるのを妨げない。若し必要ならば愛他的利己主義者と呼んでもかまはない。苟も私が自発的に愛した場合なら、私は必ず自分に奪つてゐるのを知つてゐるからだ。

 この求心的な容赦なき愛の作用こそは、凡ての生物を互に結び付けさせた因子ではないか。野獣を見よ、如何に彼等の愛の作用(相奪ふ状)が端的に現はれてゐるかを。それが人間に至つて、全く反対の方向を取るといふのか。そんな事があり得べきではない。ただ人間は nicetyの仮面の下に自分自らを瞞着しようとしてゐるのだ。そして人間はたしかにこの偽瞞の天罰を被つてゐる。それは野獣にはない、人間にのみ見る偽善の出現だ。何故愛をその根柢的な本質に於てのみ考へることが悪いのだ。それをその本質に於て考へることなしには人間の生活には遂に本当の進歩創作は持ち来されないであらう。

 智的生活の動向はいつでも本能を堕落させ、それを第二義的な状態に於てのみ利用する。智的生活の要求するものは平安無事である。この生活にあつては、愛の本質よりもその現はれが必要である。内部の要求はさもあらばあれ、互に与へ合ふ事さへやれば、それで平安は保たれてゆく。それ故に倫理道徳は義務と献身との徳を高調する。人は遂にこの固定的な概念にあざむかれる。そして愛のないところに、愛が行ふのと同じ行ひをする。即ち愛の極印なき所有物を外界に向つて恥ぢることもなく放射する。けれども愛の極印のない所有物は、一度外界に放射されると、またとはその人に返つて来ない。その時彼にとつては行為の結果に対する苦い後味が残る。その後味をごまかすために、彼は人の為めに社会の為めに義務を果し、献身の行ひをしたといふ諦めの心になる。そしてそこに誇るべからざる誇りを感じようとする。社会はかくの如き人の動機の如何は顧慮することなく、直ちに彼に与へるのに社会人類の恩人の名を以てする。それには智的生活にあつては奨励的にさうするのが便利だからだ。そんな人はそんな事は歯牙にかけるに足らないことのやうに云ひもし思ひもしながら、衷心の満ち足らなさから、知らず知らずそれを歯牙にかけてゐる。かくてその人は愛の逆用から来る冥罰(みやうばつ)を表面的な概念と社会の賞讃によつて塗抹し、社会はその人の表面的な行為によつて平安をつないで行く。かくてその結果は生命と関係のない物質的な塵芥となつて、生活の路上に醜く堆積する。その堆積の余弊は何んであらう。それは誰でも察し得る如く人間そのものの死ではないか。

        一八

 愛は個性の生長と自由とである。さうお前はいひ張らうとするが、と又或る人は私にいふだらう。この世の中には他の為めに自滅を敢へてする例がいくらでもあるがそれをどう見ようとするのか。人間までに発達しない動物の中にも相互扶助の現象は見られるではないか。お前の愛己主義はそれをどう解釈する積りなのか。その場合にもお前は絶対愛他の現象のあることを否定しようとするのか。自己を滅してお前は何ものを自己に獲得しようとするのだ。と或る人は私に問ひ詰めるかも知れない。科学的な立場から愛を説かうとする愛己主義者は、自己保存の一変態と見るべき種族保存の本能なるものによつてこの難題に当らうとしてゐる。然しそれは愛他主義者を存分に満足させないやうに、又私をも満足させる解釈ではない。私はもつと違つた視角からこの現象を見なければならぬ。

 愛がその飽くことなき掠奪の手を拡げる烈しさは、習慣的に、なまやさしいものとのみ愛を考へ馴れてゐる人の想像し得るところではない。本能といふ言葉が誤解をまねき易い属性によつて煩はされてゐるやうに、愛といふ言葉にも多くの歪んだ意味が与へられてゐる。通常愛といへば、すぐれて優しい女性的な感情として見られてゐはしないか。好んで愛を語る人は、頭の軟かなセンティメンタリストと取られるおそれがありはしまいか。それは然し愛の本質とは極めてかけ離れた考へ方から起つた危険な誤解だといはなければならぬ。愛は優しい心に宿り易くはある。然し愛そのものは優しいものではない。それは烈しい容赦のない力だ。それが人間の生活に赤裸のまま現はれては、却つて生活の調子を崩してしまひはしないかと思はれるほど容赦のない烈しい力だ。思へ、ただ仮初めの恋にも愛人の頬はこけるではないか。ただいささかの子の病にも、その母の眼はくぼむではないか。

 個性はその生長と自由とのために、愛によつて外界から奪ひ得るものの凡てを奪ひ取らうとする。愛は手近い所からその事業を始めて、右往左往に戦利品を運び帰る。個性が強烈であればある程、愛の活動もまた目ざましい。若し私が愛するものを凡て奪ひ取り、愛せられるものが私を凡て奪ひ取るに至れば、その時に二人は一人だ。そこにはもう奪ふべき何物もなく、奪はるべき何者もない。

 だからその場合彼が死ぬことは私が死ぬことだ。殉死とか情死とかはかくの如くして極めて自然であり得ることだ。然し二人の愛が互に完全に奪ひ合はないでゐる場合でも、若し私の愛が強烈に働くことが出来れば、私の生長は益々拡張する。そして或る世界が――時間と空間をさへ撥無(はつむ=排斥)するほどの拡がりを持つた或る世界が――個性の中にしつかりと建立される。そしてその世界の持つ飽くことなき拡充性が、これまでの私の習慣を破り、生活を変へ、遂には弱い、はかない私の肉体を打壊するのだ。破裂させてしまふのだ。

 難者のいふ自滅とは畢竟何をさすのだらう。それは単に肉体の亡滅を指すに過ぎないではないか。私達は人間である。人間は必ずいつか死ぬ。何時か肉体が亡びてしまふ。それを避けることはどうしても出来ない。然し難者が、私が愛したが故に死なねばならぬ場合、私の個性の生長と自由とが失はれてゐると考へるのは間違つてゐる。それは個性の亡失ではない。肉体の破滅を伴ふまで生長し自由になつた個性の拡充を指してゐるのだ。愛なきが故に、個性の充実を得切らずに定命(ぢやうみやう)なるものを繋いで死なねばならぬ人がある。愛あるが故に、個性の充実を完うして時ならざるに死ぬ人がある。然しながら所謂定命の死、不時の死とは誰が完全に決めることが出来るのだ。愛が完うせられた時に死ぬ、即ち個性がその拡充性をなし遂げてなほ余りある時に肉体を破る、それを定命の死といはないで何処に正しい定命の死があらう。愛したものの死ほど心安い潔い死はない。その他の死は凡て苦痛だ。それは他の為めに自滅するのではない。自滅するものの個性は死の瞬間に最上の生長に達してゐるのだ。即ち人間として奪ひ得る凡てのものを奪ひ取つてゐるのだ。個性が充実して他に何の望むものなき境地を人は仮りに没我といふに過ぎぬ。

 この事実を思ふにつけて、いつでも私に深い感銘を与へるものは、基督の短い地上生活とその死である。無学な漁夫と税吏(みつぎとり)と娼婦とに囲繞された、人眼に遠いその三十三年の生涯にあつて、彼は比類なく深く善い愛の所有者であり使役者であつた。四十日を荒野に断食して過した時、彼は貧民救済と、地上王国の建設と、奇蹟的能力の修得を以ていざなはれた。然し彼は純粋な愛の事業の外には何物をも択ばなかつた。彼は智的生活の為めには、即ち地上の平安の為めには何事をも敢へてなさなかつた。彼はその母や弟とは不和になつた。多くの子をその父から反(そむ)かせた。ユダヤ国を攪乱するおそれによつてその愛国者を怒らせた。では彼は何をしたか。彼はその無上愛によつて三世にわたつての人類を自己の内に摂取してしまつた。それだけが彼の已むに已まれぬ事業だつたのだ。彼が与へて与へてやまなかつた事実は、彼が如何に個性の拡充に満足し、自己に与へることを喜びとしたかを証拠立てるものである。「汝自身の如く隣人を愛せよ」といつたのは彼ではなかつたか。彼は確かに自己を愛するその法悦をしみじみと知つてゐた最上一人といふことが出来る。彼に若し、その愛によつて衆生を摂取し尽したといふ意識がなかつたなら、どうしてあの目前の生活の破壊にのみ囲まれて晏如(あんじよ)たることが出来よう。そして彼は「汝等もまた我にならへ」といつてゐる。それはこの境界(きやうがい)が基督自身のものではなく、私達凡下の衆もまた同じ道を歩み得ることを、彼自身が証言してくれたのだ。

 やがて基督が肉体的に滅びねばならぬ時が来た。彼は苦しんだ。それに何の不思議があらう。彼は自分の愛の対象を、眼もて見、耳もて聞き、手もて触れ得なくなるのを苦しんだに違ひない。又彼の愛の対象が、彼ほどに愛の力を理解し得ないのを苦しんだに違ひない。然し最も彼を苦しめたものは、彼の愛がその掠奪の事業を完全に成就したか否かを迷つた瞬間にあつたであらう。然し遂に最後の安心は来た「父よ(父よは愛よである)我れわが身を汝に委(ゆだ)ぬ」。そして本当に神々しく、その辛酸に痩せた肉体を、最上の満足の為めに脚の下に踏み躙(にじ)つた。

 基督の生涯の何処に義務があり、犠牲があるのだらう。人は屢々いふ、基督は有らゆるものを犠牲に供し、救世主たるの義務の故に、凡ての迫害と窮乏とを甘受し、十字架の死をさへ敢へて堪へ忍んだ。だからお前達は基督の受難によつて罪からあがなはれたのだ。お前達もまた彼にならつて、犠牲献身の生活を送らなければならないと。私は私一個として基督が私達に遺して行つた生活をかく考へることはどうしても出来ない。基督は与へることを苦痛とするやうな愛の貧乏人では決してなかつたのだ。基督は私達を既に彼の中に奪つてしまつたのだ。彼は私の耳に囁いていふ、「基督の愛は世の凡ての高きもの、清きもの、美しきものを摂取し尽した。悪しきもの、醜きものも又私に摂取されて浄化した。眼を開いて基督の所有の如何に豊富であるかを見るがいい。基督が与へかつ施したと見えるもの凡ては、実は凡て基督自身に与へ施してゐたのだ。基督は与へざる一つのものもない。しかも何物をも失はず、凡てのものを得た。この大歓喜にお前もまた与かるがいい。基督のお前に要求するところはただこの一つの大事のみだ。お前が縦令凡てを施し与へようとも永遠の生命を失つてゐたらそれが何になる。お前は偽善者を知つてゐるか。それは犠牲献身といふ美名をむさぼつて、自己に同化し切らない外物に対して浪費する人をいふのだ。自己に同化し切つたものに施すのは即ち自己に施すのだといふ、世にも感謝すべき事実を認め得ない程に、愛の隠れ家を見失つてしまつた人のことだ。浪費の後の苦々しい後味を、強ひて笑ひにまぎらすその歪んだ顔付を見るがいい。それは悲しい錯誤だ。お前が愛の極印のないものを施すのは一番大きな罪だと知らねばならぬ。そして愛の極印のあるものは、仮令お前がそれを地獄の底に擲(なげう)たうとも、忠実な犬のやうに逸早くお前の膝許に帰つて来るだらう。恐れる事はない。事実は遂に伝説に打勝たねばならぬのだ」と。

 本当にさうだ。私は愛を犠牲献身の徳を以て律し縛めてゐてはならぬ。愛は智的生活の世界から自由に解放されなければならぬ。この発見は私にとつては小さな発見ではなかつた。小さな弱い経験ではあるが、私の見たところも存分にこれを裏書きする。私が創作の衝動に駆られて容赦なく自己を検察した時、見よ、そこには生気に充ち満ちた新しい世界が開展されたではないか。実生活の波瀾に乏しい、孤独な道を踏んで来た私の衷に、思ひもかけず、多数の個性を発見した時、私は眼を見張つて驚かずにはゐられなかつたではないか。私が眼を据ゑて憚りなく自己を見つめれば見つめるほど、大きな真実な人間生活の諸相が明瞭に現はれ出た。私の内部に充満して私の表現を待ち望んでゐるこの不思議な世界、何だそれは。私は今にしてそれが何であるかを知る。それは私の祖先と私とが、愛によつて外界から私の衷に連れ込んで来た、謂はば愛の捕虜の大きな群れなのだ。彼らは各々自身の言葉を以て自身の一生を訴へてゐる。そして私の心にさへよき準備ができてゐるならば、それを聞き分け、見分け、その真の生命に於て再現するのは可能なことであるのを私は知る。私は既に十分に持つてゐる。芸術制作の素材には一生かかつて表現してもなほあり余るものを持つてゐる。外界から奪ひ取る愛の働きを無視しては、どうしてこの明らさまな事実を説明することが出来ようぞ。しかも私の愛はなほ足ることを知らずに奪はうとしてゐる。何んといふ飽くことを知らぬ烈しいそれは力だらう。

 私達を貫く本能の力強さ。人間に表はれただけでもそれはかくまでに力強い。その力の総和を考へることは、私達の思考力のはかなさを暴露するやうなものであらうけれども、その限られた思考力にさへ、それは限りなく偉大な、熱烈なものとして現はれるではないか。

        一九

 私は他を愛する形に於て凡てを私の個性の中に奪つてゐる。私はより正しきものを奪ひ取らんが為めに、より善く、より深く愛せねばならぬ。自己を愛することがかつ深くかつ善いに従つて、私は他から何を摂取しなければならぬかをより明瞭にし得るだらう。

 愛する以上は、憎まねばならぬ一面のあるのを忘れることが出来ない、愛憎のかなたにある愛、さういふものがあるだらうか。憎愛の二極を撥無して、陰陽を統合した太極といふやうな形の愛、それは理論的に考へて見られぬでもないことではあるが、かくの如きものが果して私達人間の生活を築き上げてゆく上になくてはならぬ重大問題だらうか。少くとも私には、それは欲求であり得る外価値を持つてゐない。神の世界に於ては、或は超越的形而上学の世界に於ては、かかることは捨ておかれぬ喫緊事として考へられねばならぬだらう。然しながら一箇の人間としての私に取つては、それよりも大切な事は私が愛しかつ憎むといふ動かすことの出来ない厳然たる事実があるばかりだ。この一見矛盾した二つの心的傾向の共存は、私をいらだたせかつ不幸にする。何故ならば、私の個性はいかなる場合にも純一無雑な一路へとのみ志してゐるからである。

 然しながらよく考へて見ると、愛と憎みとは、相反馳(あいはんち)する心的作用の両極を意味するものではない。憎みとは人間の愛の変じた一つの形式である。愛の反対は憎みではない。愛の反対は愛しないことだ。だから、愛しない場合にのみ、私は何ものをも個性の中に奪ひ取ることが出来ないのだ。憎む場合にも私は奪ひ取る。それは私が憎んだところの外界と、そして私がそれに対して擲つたおくりものとである。愛する場合に於ては、例へば私が飢えた人を愛して、これに一飯を遣つたとすれば、その愛された人と一飯とは共に還つて来て私自身の骨肉となるだらう。憎しみの場合に於ても、例へば私が私を陥れたものを憎んで、これに罵詈を加へたとすれば、憎まれた人も、その醜い私の罵詈も共に還つて来て私の衷に巣喰ふのだ。それには愛によつての獲得と同じやうに永く私の衷にあつて消え去ることがない。愛はそれによつて、不消化な石ころを受け入れた胃腑(ゐのふ)のやうな思ひをさせられる。私の愛の本能が正しく働いてゐる限りは、それは愛の衷に溶けこまずに、いつまでも私の本質の異分子の如くに存続する。私は常住それによつて不快な思ひをしなければならぬ。誰か憎まない人があらう。それだから人間として誰か悒鬱な眉をひそめない人があらう。人間が現はす表情の中、見る人を不快にさせる悒鬱な表情は、実に憎みによつて奪ひ取つて来た愛の鬼子(おにご)が、彼の衷にあつて彼を刺戟するのに因るのではないか。私はよくこの苦々しい悒鬱を知つてゐる。それは人間が辛うじて到達し得た境界から私が一歩を退転した、その意識によつて引き起されるのだらう。多少でも愛することの楽しさを知つた私は、憎むことの苦しさを痛感する。それはいづれも本能のさせる業ではあるけれども、愛するより憎むことが如何に楽しからぬものであるかを知つて苦しまねばならぬ。恐らくはよく愛するものほど、強く憎むことを知つてゐるだらう。同時に又憎むことの如何に苦しいものであるかを痛感するだらう。そしてどうかして憎まずにあり得ることに対して骨を折るだらう。

 憎まない、それは不可能のことだらうか。人間としては或は不可能であるかも知れない。然し少くとも憎悪の対象を減ずることは出来る。出来る筈であるのみならず、私達は始終それを勉めてゐるではないか。愛と憎みとが若し同じ本能から生れたものであるとすれば、それは必ず成就さるべきものだ。如何なるものも、或る視角から憎むべきものならば、他の視角から必ず愛すべきものであることに私達は気附くだらう。ここに一つの器がある。若しも私がその器を愛さなかつたならば、私に取つてそれは無いに等しい。然し私がそれを憎みはじめたならば、もうその器は私と厳密に交渉をもつて来る。愛へはもう一歩に過ぎない。私はその用途を私が考へてゐたよりは他の方面に用ゐることによつて、その器を私に役立てることが出来るだらう。その時には私の憎みは、もう愛に変つてしまふだらう。若し憎みの故にその器を取つて直ちに粉砕してしまふ人があつたとすれば、その人は愛することに於てもまた同様に浅くしか愛し得ない人だ。愛の強い人とは執着の強い人だ。憎みの場合に於いても、かかる人の憎みは深刻な苦痛によつて裏付けられる。従つて容易にその憎しみの対象を捨ててはしまはない。そしてその執着の間に、ふとしたきつかけにそれを愛の対象に代へてしまふだらう。

 かくして私の愛が深く善くなるに従つて、私はより多くを愛によつて摂取し、摂取された凡てのものは、あるべき排列をなして私の衷に同化されるだらう。かくて私の衷にある完(まつた)き世界が新たに生れ出るだらう。この大歓喜に対して私は何物をも惜みなく投げ与へるだらう。然しその投げ与へたものが如何に高価なものであらうとも、その歓喜に比しては比較にもならぬほど些少なものであるのを知つた時、況(ま)してや投げ与へたと思つたその贈品すら、畢竟は復た自己に還つて来るものであるのを発見した時、第三者にはたとひ私の生活が犠牲と見え、献身と見えようとも、私自身に取つては、それが獲得であり生長であるのを感じた時、その時、私が徹底した人生の肯定者ならざる何人であり得よう。凡ての人がかくの如く本能の要求によつて生活し、相交渉した時、そこに本当の健全な社会が生れ出ないで何が生れ出よう。凡ての行為が義務でなく遊戯であらねばならぬとの要求が真に感ぜられた時、人間の生活がこれから如何に進展せねばならぬかの示唆は適確に与へられるのだ。この本能を抑圧する必要のある、若しくは抑圧すべき道徳の上に成り立たねばならぬとの主張の上に据ゑられた人類の集団生活には見遁すことの出来ないうそがある。このうそを、あらねばならぬことのやうに力説し、人間の本能をその従属者たらしめることに心血を瀉(そそ)いで得たりとしてゐる道学者は災ひである。即ち智的生活に人間活動の外囲を限つて、それを以て無上最勝の一路となす道学者は災ひである。その人はいつか、本能的体験の不足から人間生活の足手まとひとなつてゐた事を発見する悲しみに遇はねばならぬだらうから。

        二〇

 愛せざるところに愛する真似をしてはならぬ。憎まざるところに憎む真似をしてはならぬ。若し人間が守るべき至上命令があるとすればこの外にはないだらう。愛は烈しい働きの力であるが故に、これを逆用するものはその場に傷けられなければならぬ。その人は癒すべからざる諦めか不平かを以てその傷を繃帯する外道はあるまい。
        ×
 愛は自足してなほ余りがある。愛は嘗て物ほしげなる容貌をしたことがない。物ほしげなる顔を慎めよ。
        ×
 基督は「汝等互にさばくなかれ」といつた。その言葉は普通受け取られてゐる以上の意味を持つてゐる。何故なら愛の生活は愛するもの一人にかかはることだ。その結果がどうであつたとしたところが、他人は絶対にそれを判断すべき尺度を持つてゐない。然るに智的生活に於ては心外に規定された尺度がある。人は誰でもその尺度にあてはめて、或る人の行為を測定することが出来る。だから基督の言葉は智的生活にあてはむべきものではない。基督は愛の生活の如何なるものであるかを知つておられたのだ。ただその現はれに於ては愛から生れた行為と、愛の真似から生れた行為とを区別することが人間に取つては殆んど不可能だ。だから人は人をさばいてはならぬのだ。しかも今の世に、人はいかに易々とさばかれつつあることよ。
        ×
 犠牲とか、献身とか、義務とか、奉仕とか、服従の徳の説かれるところには、私達は警戒の眼を見張らねばならぬ。かくて神学者は専制政治の型に則つて神人の関係を案出した。かくて政治家は神人の例に則つて君臣の関係を案出した。社会道徳と産業組織とはそのあとに続いた。それらは皆同じ法則の上に組立てられてゐる。そこには必ず治者と被治者とがあらねばならぬ。そして治者に特権であるところのものは被治者には義務だ。被治者の所有するところのものは治者の所有せざるものだ。治者と被治者とは異つた原素から成り立つてゐる。かしこには治者の生活があり、ここには被治者の生活がある。生活そのものにかかる二元的分離はあるべき事なのか。とにもかくにも本能の生活にはかかる分離はない。石の有する本能の方向に有機物は生じた。有機物の有する本能の方向に諸生物は生じた。諸生物の本能の有する方向に人間は生じた。人間の有する本能の方向に本能そのものは動いて行く。凡てが自己への獲得だ。その間に一つの断層もない。百八十度角の方向転換はない。
        ×
 今のやうな人間の進化の程度にあつては、智的生活の棄却は恐らく人間生活そのものの崩壊であるであらう。然しながら、その故を以て本能的生活の危険を説き、圧抑を主張するものがあるとすれば、それは又自己と人類とを自滅に導かうとするものだといはれなければならぬ。この問題を私がこのやうに抽象的に申し出ると異存のある人はないやうだ。けれども仮りにニイチェ一人を持ち出して来ると、その超人の哲学は忽ち四方からの非難攻撃に遭はねばならぬのだ。
        ×
 権力と輿論(よろん)とは智的生活の所産である。権威と独創とは本能的生活の所産である。そして現世では、いつでも前者が後者を圧倒する。

 釈迦は竜樹(りゆうじゆ)によつて、基督は保羅(ポーロ)によつて、孔子は朱子によつて、凡てその愛の宝座から智慧と聖徳との座にまで引きずりおろされた。
        ×
 愛を優しい力と見くびつたところから生活の誤謬は始まる。
        ×
 女は持つ愛はあらはだけれども小さい。男の持つ愛は大きいけれども遮られてゐる。そして大きい愛は屢々あらはな愛に打負かされる。
        ×
 ダヴィンチは「知ることが愛することだ」といつた。愛することが知ることだ。
        ×
 人の生活の必至最極の要求は自己の完成である。社会を完成することが自己の完成であり、自己の完成がやがて社会の完成となるといふ如きは、現象の輪廻相を説明したにとどまつて、要求そのものをいひ現はした言葉ではない。

 自己完成の要求が誤つて自己の一局部のそれに向けられた瞬間に、自己完成の道は跡方もなく崩れ終る。
        ×
 一人の人の個性はその人の持つ過去全体の総和に過ぎないとある人はいふだらう。否、凡ての個性はそれが持つ過去全体の総和に「今」が加はつたものだ。そして「今」は過去と未来とを支配し得る。
        ×
 ラッセルは本能を区別して創造本能と所有本能の二つにしたと私は聞かされてゐる。私はさうは思はない。本能の本質は所有的動向である。そしてその作用の結果が創造である。
        ×
 何故に恋愛が屢々芸術の主題となるか。芸術は愛の可及的純粋な表現である。そして恋愛は人間の他の行為に勝つて愛の集約的(インテンシティフ)な、そして全体的な作用であるからだ。
        ×
 試みに没我的愛他主義者に問ひたい。あなたがその主義を主張するやうになつてから、あなたはあなた自身に何物をも与へなかつたのですか。縦令何ものかを与へたとしても、それは全然他を愛する為めの生存に必要なために与へたのですか。然し与へられない為めに悶死する人がこの世の中には絶えずいるのですね。それでもあなたはその人達を助ける為めに先づ自分に必要なものを与へてゐるのですか。そこに何等かの矛盾を感ずることはありませんか。
        ×
 私は自分自身を有機的に生活しなければならない。そのためには行為が内部からのみ現はれ出なければならない。石の生長のやうにではなく、植物の萠芽のやうに。
        ×
 一艘の船が海賊船の重囲に陥つた。若し敗れたら、海の藻屑とならなければならない。若し降つたら、賊の刀の錆とならなければならない。この危機にあつて、船員は銘々が最も端的にその生命を死の脅威から救ひ出さうとするだらう。そしてその必死の努力が同時に、その船の安全を希はせ、船中にあつて彼と協力すべき人々の安全を希はせるだらう。各員の間には言はず語らずの中に、完全な共同作業が行はれるだらう、この同じ心持で人類が常に生きてゐたら。少くとも事なき時に、私達がこの心持を蔑ろにすることがなかつたならば。
        ×
 習性的生活はその所産を自己の上に積み上げる。智的生活はその所産を自己の中に貯へる。本能的生活は常にその所産を捨てて飛躍する。

        二一

 私は澱みに来た、そして暫く渦紋を描いた。
 私は再び流れ出よう。
 私はまづ愛を出発点として芸術を考へて見る。
 凡ての思想凡ての行為は表象である。
 表象とは愛が己れ自ら表現するための煩悶である。その煩悶の結果が即ち創造である。芸術は創造だ。故に凡ての人は多少の意味に於て芸術家であらねばならぬ。若し謂ふところの芸術家のみが創造を司り、他はこれに与らないものだとするなら、どうして芸術品が一般の人に訴へることが出来よう。芸術家と然らざる人との間に愛の断層があるならば、芸術家の表現的努力は畢竟無益ではないか。

 一人の水夫があつて檣(ほばしら)の上から落日の大観を擅(ほしいま)まにし得た時、この感激を人に伝へ得るやう表現する能力がなかつたならば、その人は詩人とはいへない、とある技巧派の文学者はいつた。然し私はさうは思はない。その荘厳な光景に対して水夫が感激を感じた以上は、その瞬間に於て彼は詩人だ。何故ならば、彼は彼自身に対して思想的にその感激を表現してゐるからだ。

 世には多くの唖の芸術家がいる。彼等は人に伝ふべき表現の手段を持つてはゐないが、その感激は往々にして所謂芸術家なるものを遙かに凌ぎ越えてゐる。小児――彼は何といふ驚くべき芸術家だらう。彼の心には習慣の痂(かさぶた)が固着してゐない。その心は痛々しい程にむき出しで鋭敏だ。私達は物を見るところに物に捕はれる。彼は物を見るところに物を捕へる。物そのものの本質に於てこれを捕へる。そして睿智の始めなる神々しい驚異の念にひたる。そこには何等の先入的僻見がない。これこそは純真な芸術的態度だ。愛はかくの如き階級を経て最も明かに自己を表現する。

 けれども私達の多くはこの大事な一点を屢々顧みないやうな生活をしてはゐないか。ジェームスは古来色々に分派した凡ての哲学の色合は、結局それをその構成者の稟資(ひんし)(temperament)に帰することが出来るといつてゐる。これは至言だといはなければならぬ。私達の生活の様式にもまた同様のことがいはれるであらう。或る人は前人が残し置いた材料を利用して、愛の(即ち個性の)表現を試みようとする。又或る人は愛の純粋なる表現を欲するが故に前人の糟粕(さうはく)を嘗めず、彼自らの表現手段に依らうとする。前者はより多く智的生活に依拠し、後者はより多く本能的生活に依拠せんとするものである。若し更にジェームスの言葉を借りていへば、前者を strong-minded と呼び、後者を tender-heartedと呼ぶことが出来ようか。

 智的生活に依拠して個性を表現しようとする人は、表現の材料を多く身外に求める。例へば石、例へば衣裳、例へば軍隊、例へば権力。そして表現の量に重きをおいて、深くその質を省みない。表現材料の精選よりもその排列に重きをおく。「始めて美人を花に譬へた人は天才であるが、二番目に同じことをいつた人は馬鹿だ」とヴォルテールがいつた。少くとも智的生活に固執する人は美人を花に譬へる創意的なことはしない。然しそれを百合の花若しくは薔薇の花に譬へることはしない限りでない。その点に於て彼は明かに馬鹿でないことが出来る。十分に智者でさへあり得る。然しその人は個性の表現に於て delicacyの尊さを多く認めないで、乱雑な成行きに委せやすい。所謂事業家とか、政治家とか、煽動家とかいふやうな典型の人には、かかる傾向が極めて多くあり易い。

 全く実用のためにのみ造られた真四角な建築物一つにもそこに個性の表現が全然ないといふことは出来ない。然しながらその中から個性を、即ち愛を捜し出すといふことは極めて困難なことだ。個性は無意味な用材の為めに遺憾なく押しひしがれて、おまけに用材との有機的な関係から危く断たれようとしてゐる。然し個性が全く押しひしがれ、関係が全く断たれてしまつたなら、その醜い建築物といへどもそこに存在することは出来ないだらう。それは何といつても、かすかにもせよ、個性の働きによつてのみその存在をつなぎ得るのだ。けれども若し私達の生活がかくの如きもののみによつて囲繞されることを想像するのは寂しいことではないか。この時私達の個性は必ずかかる物質的な材料に対して反逆を企てるだらう。

 かかる建築物の如きものが然しもつと見えのいい形で私達の生活をきびしく取り囲んでゐることはないだらうか。一人の野心的政治家があるとする。彼は自己の野心を満足せんが為めに、即ち彼の衷にあつて表現を求めてゐる愛に、粗雑な、見当違ひな満足を与へんが為めに、愛国とか、自由とか、国威の宣揚とかいふ心にもない旗印をかかげ、彼の奇妙な牽引力と、物質的報酬とを以て、彼には無縁な民衆を煽動する。民衆はその好餌に引き寄せられ、自分等の真の要求とは全く関係もない要求に屈服し、過去に起つた或る同じやうな立派な事件に、自分達の無価値な行動を強ひて結び付けて、そこに申訳と希望とを築き上げ、そしてその大それた指導者の命令のまにまに、身命をさへ賭してその事業の成就を心がける。そして、若し運命がその政治家に苛酷でなかつたならば、彼は尨然(ばうぜん)たる国家的若しくは世界的大事業なるものを完成する。然しそこに出来上つた結果はその政治家の肖像でもなく、民衆の投影でもなく、粗雑な不明瞭な重ね写真に過ぎない。そしてそれは当事者なる政治家その人の一生を無価値にし、民衆全体の進歩を阻止し、事業そのものは、段々人間の生活から分離して、遂には生活途上の用もない瓦礫となつて、徒らに人類進歩の妨げになるだらう。このやうな事象は、その大小広狭の差こそあれ、私達が幾度も繰り返して遭遇せねばならぬことなのだ。しかも私達は往々その悲しい結果を暁(さと)らないのみか、かくの如きはあらねばならぬ須要(しゆえう)のことのやうに思ひなし易い。

 けれども幸ひにして人類はかくの如き稟資の人ばかりからは成り立つてゐない。そこにはもつと愛の純真な表現を可能ならしめようとする人がある。さうしないではゐられない人がある。そのためには彼は一見彼に利益らしく見える結果にも惑はされない。彼には専念すべきただ一事がある。それは彼の力の及ぶかぎり、愛の純粋な表現を成就しようといふことだ。縦令その人が政治にかかはつてゐようが、生産に従事してゐようが、税吏であらうが、娼婦であらうが、その粗雑な生活材料のゆるす限りに於て最上の生活を目指してゐるのである。それらの人々の生活はそのままよき芸術だ。彼等が表現に役立てた材料は粗雑なものであるが故に、やがては古い皮袋のやうに崩れ去るだらうけれども、そのあとには必ず不思議な愛の作用が残る。粗雑な材料はその中に力強く籠められる愛の力によつて破れ果て、それが人類進歩の妨げになるやうなことはない。けれども愛の要求以上に外界の要求に従つた人たちの建て上げたものは、愛がそれを破壊し終る力を持たない故に、いつまでもその醜い残骸をとどめて、それを打ち壊す愛のあらはれる時に及ぶ。

 愛の純粋なる表現を更に切実に要求する人は、地上の職業にまで狭い制限を加へて、思想家若しくは普通意味せられるところの芸術家とならずにはゐられないだらう。その人々は愛が汚されざらんが為めに、先づ愛の表現に役立たしむべき材料の厳選を行ふ。思想に増して純粋な材料を、私達人間は考へつくことが出来ない。哲人又は信仰の人などといはれる人は――若しそれがまがひものでなかつたなら――ここにその出発点を持つてゐるに違ひない。普通意味せられるところの芸術家、即ち芸術を仕事としてゐる人々は思想を具象化するについて、思想家のやうに抽象的な手段によらず、具体的な形に於てせんとするものだ。然しながらその具体的な形の中(うち)、及ぶだけ純粋に近い形に依らうとする。その為めに彼等は洗練された感覚を以て洗練された感覚に訴へようとする。感覚の世界は割合に人々の間に共通であり、愛にまで直接に飜訳され易いからである。感覚の中でも、実生活に縁の近い触覚若しくは味覚などに依るよりも、非功利的な機能を多量に有する視覚聴覚の如きに依らうとする。それらの感覚に訴へる手段にもまた等差が生ずる。

 同じ言葉である。然しその言葉の用ゐ方がいかに芸術家の稟資を的確に表はし出すだらう。或る人は言葉をその素朴な用途に於て使用する。或る人は一つの言葉にも或る特殊な意味を盛り、雑多な意味を除去することなしには用ゐることを肯(がへ)んじない。散文を綴る人は前者であり、詩に行く人は後者である。詩人とは、その表現の材料を、即ち言葉を智的生活の桎梏から極度にまで解放し、それによつて内部生命の発現を端的にしようとする人である。だからその所産なる詩は常に散文よりも芸術的に高い位置にある。私は僅かばかりの小説と戯曲とを書いたものであるが、そのささやかなる経験からいつても、表現手段として散文がいかに幼稚なものであるかを感じないではゐられない。私の個性が表現せられるために、私は自分ながらもどかしい程の廻り道をしなければならぬ。数限りもない捨石が積まれた後でなければ、そこには私は現はれ出て来ない。何故そんなことをしてゐねばならぬかと、私は時々自分を歯がゆく思ふ。それは明かに愛の要求に対する私の感受性が不十分であるからである。私にもつと鋭敏な感受性があつたなら、私は凡てを捨てて詩に走つたであらう。そこには詩人の世界が截然として創り上げられてゐる。私達は殆んど言葉を飛躍してその後ろの実質に這入りこむことが出来る。そしてその実質は驚くべく純粋だ。

 或はいふ人があるかも知れない。私達の生活は昔のやうな素朴な単純な生活ではない。それは見透(みとほ)しのつかぬほど複雑になり難解になつてゐる。それが言葉によつて現はされる為めには、勢ひ周到な表現を必要とする。詩は昔の人の為めにだ。そして小説と戯曲とは今の人の為めにだ、と。

 私はさうは思はない。表現さるべき最後のものは昔も今も異ることがないのだ。縦令外面的な生活が複雑にならうとも、言葉の持つ意味の長い伝統によつて蕪雑(ぶざつ)になつてゐようとも、一人の詩人の徹視はよく乱れた糸のやうな生活の混乱をうち貫き、言葉をその純粋な形に立ち帰らせ、その手によつて書き下された十行の詩はよく、生の統流を眼前に展(ひら)くに足るべきである。然しそれをなし得るためには、詩人は必ず深い愛の体験者でなければならぬ。出でよ詩人よ。そして私達が直下に愛と相対し得べき一路を開け。

 私は又詩にも勝つた表現の楔子(けつし)を音楽に於て見出さうとするものだ。かの単独にしては何等の意味もなき音声、それを組合せてその中に愛を宿らせる仕事はいかに楽しくも快いことであらうぞ。それは人間の愛をまじり気なく表現し得る楽園といはなければならない。ハアモニーとメロディーとは真に智的生活の何事にも役立たないであらう。これこそは愛が直接に人間に与へた愛子だといつていい。立派な音楽は聴く人を凡ての地上の羈絆から切り放す。人はその前に気化して直ちに運命の本流に流れ込む。人間にとつては意味の分らない、余りに意味深い、感激が熱い涙を誘ひ出す。そして人は強い衝動によつて推進の力を与へられる。それが何処へであるかは知られない。ただ望ましい方向にであるのは明かに感知される。その時人は愛に乗り移られてゐるのだ。

 美術の世界に於て、未来派の人々が企図するところも、またこの音楽の聖境に対する一路の憧憬でないといへようか。色もまた色そのものには音の如く意味がない。面もまた面そのものには色の如く意味がない。然しながら形象の模倣再現から這入つたこの芸術は永くその伝統から遁れ出ることが出来ないで、その色その面を形の奴婢にのみ充ててゐた。色は物象の面と空間とを埋めるために、面は物象の量と積とを表はすためにのみ用ゐられた。そして印象派の勃興はこの固定概念に幽かなゆるぎを与へた。即ち絵画の方向に於て、色と色との関係に価値をおくことが考へつけられた。色が何を表はすかといふことより、色と色との関係の中に何が現はれねばならぬかと云ふことが注意され出した。これは物質から色の解放への第一歩であらねばならぬ。しかしこの傾向は未来派に至つて極度に高調された。色は全く物質から救ひ出された。色は遂に独立するに至つた。

 然し音楽が成就しただけのことを未来派は絵画に於て成就し得てゐるだらうかといふ問題はおのづから別に考へられなければならぬ。私はこれらの芸術に対して何等具体的の知識を持つてゐるものでない。だから私はかかる比較論に来ると口をつぐむ外はない。けれども未来派の傾向を全然斥けらるべきものだと主張する人に対しては、私は以上の見地からこの派の傾向の可能性を申し出ることが出来はしないかと思つてゐる。若し物象が具象化されなければ満足が出来ないと人がいふならば、その人の為めには、文学の領内に詩と小説とが併存するやうに、これまでのやうな絵画を存続させておくのもまた妨げないだらう。然しながら美術家の個性が益々高調せられねばならぬ時はやがて来るだらう。その時になつて未来派のやうな傾向が起るのは、私の立場からいふと、極めて自然なことであるといはねばならぬのだ。

 人間は十分に恵まれてゐる。私達は愛の自己表現の動向を満足すべき有らゆる手段を持つてゐる。厘毛の利を争ふことから神を創ることに至るまで、偽らずに内部の要求に耳を傾ける人ほど、彼は裕かに恵まれるであらう。凡ての人は芸術家だ。そこに十二分な個性の自由が許されてゐる。私は何よりもそれを重んじなければならない。

        二二

 私はまた愛を出発点として社会生活を考へて見よう。

 社会生活は個人生活の延長であらねばならぬ。個人的欲求と社会的欲求とが軒輊(けんち)するといふ考へは根柢的に間違つてゐる。若しそこに越えることの出来ない溝渠(こうきよ)があるといふならば、私は寧ろ社会生活を破壊して、かの孤棲(こせい)生活を営む獅子や禿鷹の習性に依らう。

 然しかかる必要のないことを私の愛は知つてゐる。社会生活に対する概念の中に誤つた所があるか、個人生活の概念の中に誤つた所があるかによつて、この不合理な結論が引き出されると私は知つてゐる。

 先づ個人の生活はその最も正しい内容によつて導かれなければならぬ。正しき内容とは何をいふのか。智的生活が習性的生活を是正する時には、私は智的生活に従つて習性的生活を導かねばならぬ。本能的生活が智的生活を是正する時には、私は本能的生活に従つて智的生活を導かねばならぬ。即ち常に習性的生活の上に智的生活を、智的生活の上に本能的生活を置くことを第一の仕事と心懸けねばならぬ。正しき内容とはそれだけのことだ。

 習性的生活と智的生活との関係についてはいふまでもあるまい。習性的生活が智的生活の指導によつて適合を得なければならないといふのは自明のことであるから。

 然しながら智的生活が本能的生活によつて指導されねばならぬといふことについては不服を有つ人がないとはいへない。智的生活は多くの人々の経験の総和が生み出した結果であり約束であるが、本能的生活は純粋個性内部の衝動であるが故に、必ずしも社会生活と順応することが出来ないだらうとの杞憂は起りがちに見えるからである。

 けれども私は私の意味する本能的生活の意味が正しく理解されることを希ふ。本能の欲求はいつでも各人の個性全体の上に働くところのものだ。その衝動は常に個性全体の飽満を伴つて起る。この例は卑陋(ひろう)であるかも知れないが、理解を容易ならしむる為めにいつて見ると、ここに一人の男がいて、肉慾の衝動に駆られて一人の少女を辱かしめたとしよう。肉慾も一つの本能である。その衝動の満足を求めたことは、そのまま許されることではないか。さう或る人は私に詰問するかも知れない。私はその人に問ひ返して見よう。あなたが考へる前に先ずあなたをその男の位置におけ。あなたが肉慾的にのみその少女を欲してゐるのに、あなたはその少女に近づく時(全く固定的な道徳観念を度外視しても)、何等の不満をもあなたの個性に感じなかつたか。あなたはまたあなたと見知らない少女の姿全体に、極度の恐怖と憎悪とを見出したらう。あなたはそれに少しでも打たれなかつたか。そしてそこに苦い味を感じなかつたか。若しあなたに人並みの心があるなら、私のこの問に応じて否と答へるの外はあるまい。だから私はいふ。その場合あなたが本能の衝動らしく思つたものは、精神から切り放された肉慾の衝動にしか過ぎなかつたのだ。だからあなたはその衝動を行為に移す第一の瞬間に既に見事に罰せられてしまつたのだ。若しあなたが本当に本能の(個性全体の)衝動によつてその少女を欲するなら、あなたは先ずその少女にあなたの切ない愛を打ち明けるだらう。そして少女が若しあなたの愛に酬(むく)いるならば、その時あなたはその少女をあなたの衷に奪ひ取り、少女はまたあなたを彼女の衷に奪ひ取るだらう。その時あなたと少女とは二人にして一人だ(前にもいつた如く)。そしてあなたは十分な飽満な感じを以て心と肉とにおいて彼女と一体となることが出来る。その時、その事の前に何等の不満もなく、その事の後には美しい飽満があるばかりだらう。(これは余事にわたるが好奇な人のために附け加へておく。若し少女がその人の愛に酬いることを拒まねばならなかつた場合はどうだ。その場合でも彼の個性は愛したことによつて生長する。悲しみも痛みもまた本能の糧だ。少女は永久に彼の衷に生きるだらう。そして更に附け加へることが許されるなら、彼の肉慾は著しくその働きを減ずるだらう。そこには事件の精神化がおのづから行はれるのだ。若し然しその人の個性がその事があつたために分散し、精神が糜爛(びらん)し、肉慾が昂進したとするならば、もうその人に於て本能の統合は破れてしまつたのだ。本能的生活はもうその人とは係はりはない。然しそんな人を智的生活が救ふことが出来るか。彼は道徳的に強ひて自分の行為を律して、他の女に対してその肉慾を試みるやうなことはしないかも知れない。然しその瞬間に彼は偽善者になり了(おほ)せてしまつてゐるのだ。彼はその心に姦淫しつづけなければならないのだ。それでもそれは智的生活の平安の為めには役立つかも知れない。けれどもかくの如き平安によつて保たれる人も社会も災ひである。若し彼が或る動機から、猛然としてもとの自己に眼覚める程緊張したならばその時彼は本能的生活の圏内に帰還してゐるのだ。だから智的生活の圏内に於ける生活にあつてこそ、知識も道徳もなくて叶はぬものであるが、本能的生活の葛藤にあつては、智的生活の生んだ規範は、単にその傷を醜く蔽(おほ)ふ繃帯にすらあたらぬことを知るだらう)。その時精神は精神ではなく、肉慾は肉慾ではない。両者は全くその区別を没して、愛の統流の中に溶けこんでしまふ。単なる形の似よりから凡ての現はれと同じものと見るのは、甚しき愚昧な見断である。

 この一つの例は私の本能に対する見解を朧ろげながらも現はし得たではなからうか。かくの如く本能は、全体的なそして内部的な個性の要求だ。然るに智的生活はこれとは趣きを異にしてゐる。縦令智的生活は、長い間かかつた、多くの人の経験の集成から成り立つものだとはいへ、その個性に働く作用はいつでも外部からであつて、しかも部分的である。その外部的である訳は、それが誰の内部生活からも離れて組み立てられたものであるからだ。それは生活の全部を統率するために、人間によつて約束された規範であるからだ。それなら何故部分的であるか。智的生活にあつては義務と努力とが必要な条件として申し出られてゐるからだ。義務にも努力にも、人間の欲求の或る部分の棄捨が予想されてゐる。或る欲求を圧抑するといふ意識なしには、義務も努力も実行されはしない。即ち個性の全要求の満足といふ事は行はれ得ない約束にある。若しかかる約束にある智的生活が生活の基調をなし、指導者とならなければならぬとしたら、人間は果して晏如としてゐることが出来るだらうか。私としてはそれを最上のものとして安んじてゐることが出来ない。私はその上に、私の個性の全要求を満足し、しかもその満足が同時によいことであるべき生活を追ひ求めるだらう。そしてそれは本能的生活に於て与へられるのだ。本能的生活によつて智的生活は内面化されなければならぬ。本能的生活によつて智的生活は統合化されなければならぬ。かくいへば、私が、本能的生活は智的生活を指導せねばならぬと主張した理由が明かになると思ふ。

 然らば社会生活は私がいつた個人の生活過程を逆にでも行かねばならぬといふのか。社会生活にあつては、智的生活をもつて本能的生活の指導者たらしめ、若しくは習性的生活をもつて智的生活の是正者たらしめねばならぬとでもいふのか。若し果してさうならば、社会生活と個人生活とはたしかに軒輊するであらう。私にはさうは思はれない。社会の欲求もまたその終極はその生活内部の全体的飽満にあらねばならぬ。縦令現在、その生活の基調は智的生活におかれてあるとも、その欲求としては本能的生活が目指されてゐねばならぬ。社会がその社会的本能によつて動く時こそ、その生活は純一無雑な境地に達するだらう。

 ここで或る人は多分いふだらう。お前の言葉は明かにその通りだ。進化の過程としては、社会もまた本能的生活に這入ることを、その理想とせねばならぬ。けれども現在にあつては、個人には本能的生活の消息を解し、それを実行し得る人があるとしても、社会はまだかかる境地に達せんには遠い距離がある。かかる状態にあつて、個人生活と社会生活とが軒輊するのは当然なことではないかと。

 私はこの抗議を肯じよう。然しこの場合、改めねばならぬのは個人の生活であるか、社会の生活であるか、どちらだ。両者の間に完全な調和を持ち来すために進歩させねばならぬ生活は、どちらの生活だ。社会生活の現状を維持する為めに、私達はここまで進んで来た個人生活を停止し若しくは退歩させて、社会生活との適合に持ち来さねばならぬといふのか。多くの人はさうあるべき事のやうに考へてゐるやうに見える。私は断じてこれを不可とする。

 変らねばならぬものは社会の生活様式である。それが変つて個人の生活様式にまで追ひ付かねばならぬ。

 国家も産業も社会生活の一様式である。近代に至つて、この二つの様式に対する根本的な批判を敢へてする二つの見方が現はれ出た。それは個性の要求が必至的に創り出した見方であつて、徒らなる権力が如何ともすべからざる一個の権威である。一時は権力を以て圧倒することも出来よう。然しながら結局は、現存の国家なり産業組織なりが、合理的な批判を以てそれを打壊し得るにあらずんば、決して根絶することの出来ない見方である。私のいふ二つの見方とは、社会主義であり、無政府主義である。

 この二つの主義のかくまでの力強さは何処にあるか。それは、縦令不完全であらうとも、個性の全的要求が生み出した主義だからである。社会主義者は自ら人間の社会的本能が生み出した見方であると主張するけれども、その主義の根柢をなすものは生存競争なる自然現象である。生存競争は個性から始まつて始めて階級争闘に移るのだ。だからその点に於て社会主義者の主張は裏切られてゐる。無政府主義に至つては固より始めから個性生活の絶対自由をその標幟(へうし)としてゐる。

 社会主義はダーウィンの進化論から生存競争の原理を抜いてその主張の出発点としたことは前に述べた通りだ。クロポトキンはこれに対立して無政府主義を宣言するに当り、進化論の一原理なる相互扶助の動向を取つてその論陣を堅めた。両者共に、個性から発して動植物両界の致命的要素たる本能であるとせられてゐる。一方の主義者は生存競争の為めの相互扶助だと主張し、一方の主義者は相互扶助の為めの生存競争だと主張する。私はここで敢へて主義者の見地を裁断しようとも思はないし、又私の自然科学に対する空疎な知識はそれをすることも許しはしない。

 然し私はかういふことを申し出して見たい。ケーベル博士がそのカント論に於て「生物学に於て取り扱はれる動物本能は、畢竟人間にある本能の投影に過ぎない。認識作用が事物に遵合(コンフォーム)するのではなく、却つて事物(現象としての)が認識作用に遵合するのである」といつた言葉は、単に唯心論者の常套語とばかりはいひ退けてしまふことが出来ない。そこには動かすことの出来ない実際的睿智が動いてゐるのを私は感ずることが出来る。惟(おも)ふに動物には、ダーウィンが発見した以外に幾多の本能が潜んでゐるに相違ない。そしてそれがより以上の本能の力によつて統合されてゐるに相違ない。然しながら十九世紀の生物学者は、眼覚めかけて来た個性の要求(それは十八世紀の仏国の哲学者等に負ふところが多いだらう)と社会の要求との間に或る広い距離を感じたのではなかつたらうか。そして動物中に行はれる現状打破の本能を際立つて著しいものと認めたのではなかつたらうか。然しその時学者達の頭の中には、個性は社会を組織する或る小さな因子としてのみ映つてゐたらう。しかのみならず科学的研究法の必然的な条件として、凡てのものを二元的に見ることに慣らされてゐた。彼等はひとりでに個性と社会とを対立させた。従つてその結論も個性と社会との中、個性に重きを置いた場合には生存競争として現はれ、社会に重きを置いた場合には相互扶助として現はれたのだ。然し前者には社会が、後者には個性が、少しも度外視されてゐはしない。

 私達はこの時代的着色から躍進しなければならぬと私は思ふ。私は個性の尊厳を体験した。個性の要求の前には、社会の要求は無条件的に変らねばならぬことを知つた。そして人間の個性に宿つた本能即ち愛が如何なる要求を持つかを肯んじた。そして更に又動物に現はれる本能が無自覚的で、人間に現はれる本能が自覚的であるのを区別した。自覚とは普遍智の要求を意味する。個性はもはや個性の社会に対する本能的要求を以て満足せず、個性自身、その全体の満足の中にのみ満足する。そこには競争すべき外界もなく、扶助すべき外界もない。人間は愛の抱擁にまで急ぐ。彼の愛の動くところ、凡ての外界は即ち彼だ。我の正しい生長と完成、この外に結局何があらうぞ。

  (以下十余行内務省の注意により抹殺)
 私はこの本質から出発した社会生活改造の法式を説くことはしまいと思ふ。それはおのづからその人がある。私は単にここに一個の示唆を提供することによつて満足する。私が持つて生れた役目はそれを成就すれば足りるのだから。

 宗教もまた社会生活の一つの様式である。信仰は固より人々のことであるが、宗教といへばそれは既に社会にまで拡大された意味をもつてゐる。そして何故に現在の宗教がその権威を失墜してしまつたか。昔は一国の帝王が法王の寛恕を請ふために、乞食の如くその膝下(ひざもと)に伏拝した。又或る仏僧は皇帝の愚昧なる一言を聞くと、一拶(いつさつ)を残したまま飄然(へうぜん)として竹林に去つてしまつた。昔にあつては何が宗教にかくの如き権威を附与し、今にあつては、何が私達の見るが如き退縮を招致したか。それは宗教が全く智的生活の羈絆に自己を委ね終つたからである。宗教はその生命を自分自身の中に見出すことを忘れて、社会的生活に全然遵合(コンフォーム)することによつて、その存在を僥倖しようとしたからだ。国家には治者と被治者とがあつて、その間には動向の根柢的な衝突が行はれる。宗教は無反省にもこの概念を取つて、自分に適用した。神(つまり私はここで信仰の対象を指してゐるのだ。その名は何んでもいい)は宗教界にあつて、国家に於ける主権者の位置にある。彼は人からあらゆる捧げものを要求する。人の生活は畢竟神の前にあつては無に等しい。神は凡ての権能の主体である。人は神の前にあつて無であることを栄誉としなければならない。神に対し自己を犠牲にすることが彼の有する唯一の権利(若しさういふ言葉が使へるなら)である。神の欲するところと人の欲するところとの間には、渡らるべき橋も綱もない。神と人とは全く本質を異にした二元として対立してゐる。

 国家の組織が無反省にそのまま人民によつて肯定せられてゐた時代には、この神人関係の概念もまた無反省に受取られることが出来たらう。然し個性の欲求が、愛の動向が、体達せられた今にあつては、この神人関係の矛盾は直ちに苦痛となつて、個性によつて感ぜられる。生活根源の動向は凡て同じ方向に向上しなければならぬ。私達は既に石から人間に至るまでの過程に於て、同じ方向に向上して来た本能の流れを見た。私達の内部生命は獲得によつてのみ向上飛躍するのを見た。然るに現存の宗教は、神にのみその動向を認めて、人間にはそれを拒まうとしてゐるではないか。

 或る人は私に告げるであらう。時勢に取り残されたるものよ。お前は神人合一の教理が夙(とう)の昔から叫ばれてゐるのを知らないのか。神は人間と対立してゐるやうなものではない。実に人間の衷にあつて働くべきものだ。人間は又神の衷にあつて働くべきものだ。神と自己とを対立させるが故に、人間は堕落するのだ。神の要求はそのまま人間の要求でなければならぬのだ。お前はそれをすら知らないで、一体何んの囈言(たはごと)をいはうとするのだと。然らば私はその人に向つて問ひたい。それなら何故今でも教壇の上からやむことなく犠牲の義務と献身の徳とが高調して説かれなければならないのだらう。神は嘗て犠牲を払ひ献身を敢へてしたか(基督教徒はここで基督の生涯を引照するだらう。然し基督の生涯が犠牲でも献身でもないことは前に説いた)。然るに現在教壇からは、神にないものが人間にあらねばならぬとして要求されてゐるのはどうしたことなのか。私はそれが人間性の根本に対する理解の不十分から来てゐるのではないかと疑ふ。そしてその疑ひに全く理由がないではあるまいと思ふ。神人合一といふ概念だけは自然の必要から建て上げられた。それは政治に於て、専制政体が立憲政体に変更されたのとよく似てゐる。その形に於ては或る改造が成就されたやうに見える。立法の主体は稍々移動したかも知れない。しかも治者と被治者とが全く相反した要求によつて律せられてゐる点に於ては寸毫も是正されてはゐないのだ。神と人とは合一する。その言葉は如何に美しいだらう。然しその合一の実が挙がつてゐなかつたら、その美しい空論が畢竟何の益になるか。

 私はかくの如き妥協的な改良説を一番恐れなければならない。それはその外貌の美しさが私をあざむきやすいからである。

 宗教が国家の機械、即ち美しい言葉でいへば政務の要具たることから自分を救ひ出さねばならぬことは勿論であるが、現存の国家がその拠りどころとする智的生活、その智的生活から当然抽出される二元的見断から自分自身を救ひ出して、愛の世界にまで高まらなかつたら、それは永久にその権威を回復することが出来ないだらう。

 私は神を知らない。神を知らないものが神と人との関係などに対して意見を申し出るのは出過ぎたことだといはれるかも知れない。然し宗教が社会生活の一様式として考へ得られる時、その様式に対して私が思ふところを述べるのは許されることだと思ふ。私の態度を憎むものは、私の意見を無視すればそれで足りる。けれども私は私自身を無視しはしない。

 教育といふものに就いても、私はここでいふべき多くを持つてゐる。然し聡明な読者は、私が社会生活の部門について述べて来たところから、私が教育に対して何をいはうとするかを十分に見抜いてゐられると思ふ。私は徒らな重複を避けなければならない。然しここにも数言を費すことを許されたい。

 子供は子供自身の為めに教育されなければならない。この一事が見過されてゐたなら教育の本義はその瞬間に滅びるのみならず、それは却つて有害になる。社会の為めに子供を教育する――それは驚くべく悲しむべき錯誤である。

 仕事に勤勉なれと教へる。何故正しき仕事を選べと教へないのか。正しい仕事を選び得たものは懶惰であることが出来ないのだ。私は嘗て或る卒業式に列した。そこの校長は自分が一度も少年の時期を潜りぬけた経験を持たぬやうな鹿爪らしい顔をして、君主の恩、父母の恩、先生の恩、境遇の恩、この四恩の尊さ難有さを繰返し繰返し説いて聞かせた。かのいたいけな少年少女たちは、この四つの重荷の下にうめくやうに見やられた。彼等は十分に義務を教へられた。然し彼等の最上の宝なる個性の権威は全く顧みられなかつた。美しく磨き上げられた個性は、恩を知ることが出来ないとでもいふのか。余りなる無理解。不必要な老婆親切。私は父である。そして父である体験から明かにいはう。私は子供に感謝すべきものをこそ持つておれ、子供から感謝さるべき何物をも持つてはゐない。私が子供に対して払つた犠牲らしく見えるものは、子供の愛によつて酬いられてなほ余りがある。それが何故分らないのだらう。正しき仕事を選べと教へるやうに、私は、私の子供に子供自身の価値が何であるかを教へてもらひたい。彼はその余の凡てを彼自身で処理して行くだらう。私は今仮りに少年少女を私の意見の対象に用ゐた。然し私はこれを中等教育にも高等教育にも延長して考へることが出来ると思ふ。学問の内容よりも学問そのものを重んじさせるといふこと、知識よりも暗示を与へるといふこと、人間を私の所謂専門家に仕立て上げないことなど。

        二三

 私は更に愛を出発点として男女の関係と家族生活とを考へて見たい。

 今男女の関係は或る狂ひを持つてゐる。男女は往々にして争闘の状態におかれてゐる。かかる僻事(ひがごと)はあるべからざることだ。

 どれ程長い時間の間に馴致(じゆんち)されたことであるか分らない。然しながら人間の生活途上に於て女性は男性の奴隷となつた。それは確かに筋肉労働の世界に奴隷が生じた時よりも古いことに相違ない。

 性の殊別は生殖の結果を健全にし確固たらしめんがために自然が案出した妙算であるのは疑ふべき余地のないことだ。その変体が色々な形を取つて起り、或る時はその本務的な目的から全く切り放されたプラトニック・ラヴともなり、又かかる関係の中に、人類が思ひもかけぬよき収得をする場合もないではない。私はかかる現象の出現をも十分に許すことが出来る。然しそれは決して性的任務の常道ではない。だから私が男女関係の或る狂ひといつたのは、男女が分担すべき生殖現象の狂ひを指すことになる。男女のその他の関係がいかに都合よく運ばれてゐても、若しこの点が狂つてゐるなら、結局男女の関係は狂つてゐるのである。

 既に業(すで)に多くの科学者や思想家が申し出たやうに、女性は産児と哺育との負担からして、実生活の活動を男性に依託せねばならなかつた。男性は野の獣があるやうに、始めは甘んじて、勇んでこの分業に従事した。けれども長い歳月の間に、男性はその活動によつて益々その心身の能力を発達せしめ、女性の能力は或る退縮を結果すると共に、益々活動の範囲を狭めて行つて、遂にはその活動を全く稼穡(かしよく)の事にのみ限るやうになつた。かうなると男性は女性の分をも負担して活動せねばならぬ故に、生活の荷は苦痛として男性の肩上にかかつて来た。男性はかくてこの苦痛の不満を癒すべき報償を女性に要求するに至つた。女性は然しこの時に於ては、実生活の仕事の上で男性に何物をか提供すべき能力を失ひ果ててゐた。女性には単に彼女の肉体があるばかりだつた。そしてその点から prostitutionは始まつたのだ。女性は忍んで彼女の肉体を男性に提供することを余儀なくされたのだ。かくて女性は遂に男性の奴隷となり終つた。そして女性は自らが在る以上に自分を肉慾的にする必要を感じた。女性に殊に著しい美的扮装(これは極めて外面的の。女性は屢々練絹の外衣の下に襤褸(つづれ)の肉衣を着る)、本能の如き嬌態、女性間の嫉視反目(姑と嫁、妻と小姑の関係はいふまでもあるまい。私はよく婦人から同性中に心を許し合ふことの出来る友人のないことを聞かされる)はそこから生れ出る。男性は女性からのこの提供物を受取つたことによつて、又自分自らを罰せなければならなかつた。彼は先づ自分の家の中に暴虐性を植ゑつけた。専制政治の濫觴(らんしやう)をここに造り上げた。そして更に悪いことには、その生んだ子に於て、彼等以上の肉慾性を発揮するものを見出さねばならなかつた。

 これは私がいはないでも多くの読者は知つてそして肯んずる事実であらうと思ふ。私はここでこの男女関係の狂ひが何故最も悪い狂ひであるかをいひたい。この堕落の過程に於て最も悪いことは、人間がその本能的要求を智的要求にまで引き下げたといふ点にあるのだ。男女の愛は本能の表現として純粋に近くかつ全体的なものである。同性間の愛にあつては本能は分裂して、精神的(若し同性間に異性関係の仮想が成立しなければ)といふ一方面にのみ表現される。親子の愛にしても、兄弟の愛にしても皆等しい。然し男女の愛に於て、本能は甫(はじ)めてその全体的な面目を現はして来る。愛する男女のみが真実なる生命を創造する。だから生殖の事は全然本能の全要求によつてのみ遂げられなければならぬのだ。これが男女関係の純一無上の要件である。然るに女性は必要に逼れるままに、誤つてこの本能的欲求を智的生活の要求に妥協させてしまつた。即ち本能の欲求以外の欲求、即ち単なる生活慾の道具に使つた。そして男性は卑しくもそれをそのまま使用した。これが最も悪いことだつたと私は云ふのだ。これより悪いことが多く他にあらうか。

 楽園は既に失はれた。男女はその腰に木の葉をまとはねばならなくなつた。女性は男性を恨み、男性は女性を侮りはじめた。恋愛の領土には数限りもなく仮想的恋愛が出現するので、真の恋愛をたづねあてるためには、女性は極度の警戒を、男性は極度の冒険をなさねばならなくなつた。野の獣にも生殖を営むべき時期は一年の中に定まつて来るのに、人間ばかりは已む時なく肉慾の為めにさいなまれなければならぬ。しかも更に悪いことには、人間はこの運命の狂ひを悔いることなく、殆んど捨鉢な態度で、この狂ひを潤色し、美化し、享楽しようとさへしてゐるのだ。

 私達は幸ひにして肉体の力のみが主として生活の手段である時期を通過した。頭脳もまた生活の大きな原動力となり得べき時代に到達した。女性は多くを失つたとしても、体力に失つたほどには脳力に失つてゐない。これが女性のその故郷への帰還の第一程となることを私は祈る。この男女関係の堕落はどれ程の長い時間の間に馴致されたか、それは殆んど計ることが出来ない。然しそれが堕落である以上は、それに気がついた時から、私達は楽園への帰還を企図せねばならぬ。一人でも二人でも、そこに気付いた人は一人でも二人でも忍耐によつてのみ成就される長い旅に上らなければならない。

 私はよくそれが如何に不可能事に近いとさへ思はれる困難な道であるかを知る。私もまたその狂ひの中に生れて育つて来た憐れな一人の男性に過ぎない。私は跌(つまづ)きどほしに跌いてゐる。然し私の本能のかすかな声は私をそこから立ち上らせるに十分だ。私はその声に推し進められて行く。その旅路は長い耽溺の過去を持つた私を寂しく思はせないではない。然しそれにもかかはらず私は行かざるを得ない。

 この男女関係の狂ひから当然帰納されることは、現在の文化が男女両性の協力によつて成り立つものではないといふ事だ。現時の文化は大は政治の大から小は手桶の小に至るまで悉く男子の天才によつて作り上げられたものだといつていい。男性はその凡ての機関の恰好な使用者であるけれども、女性がそれに与かるためには、或る程度まで男性化するにあらざれば与かることが出来ない。男性は巧みにも女性を家族生活の片隅に祭りこんでしまつた。しかも家族生活にあつても、その大権は確実に男性に握られてゐる。家族に供する日常の食膳と、衣服とは女性が作り出すことが出来よう。然しながら饗応の塩梅と、晴れの場の衣裳とは、遂に男性の手によつてのみ巧みに作られ得る。それは女性に能力がないといふよりは、それらのものが凡てその根柢に於て男性の嗜好を満足するやうに作られてゐるが故に、それを産出するのもまたおのづから男性の手によつてなされるのを適当とするだけのことだ。

 地球の表面には殆んど同数の男女が生きてゐる。そしてその文化が男性の欲求にのみ適合して成り立つとしたら、それが如何に不完全な内容を持つたものであるかが直ちに看取されるだらう。

 女性が今の文化生活に与らうとする要求を私は無下に斥けようとする者ではない。それは然しその成就が完全な女性の独立とはなり得ないといふことを私は申し出したい。若し女性が今の文化の制度を肯定して、全然それに順応することが出来たとしても、それは女性が男性の嗜好に降伏して自分達自らを男性化し得たといふ結果になるに過ぎない。それは女性の独立ではなく、女性の降伏だ。

 唯外面的にでも女性が自ら動くことの出来る余地を造つておいて、その上で女性の真要求を尋ね出す手段としてならば、私は女権運動を承認する。

 それにも増して私が女性に望むところは、女性が力を合せて女性の中から女性的天才を生み出さんことだ。男性から真に解放された女性の眼を以て、現在の文化を見直してくれる女性の出現を祈らんことだ。女性の要求から創り出された文化が、これまでの文化と同一内容を持つだらうか、持たぬだらうか、それは男性たる私が如何に努力しても、臆測することが出来ない。そして恐らくは誰も出来ないだらう。その異同を見極めるだけにでも女性の中から天才の出現するのは最も望まるべきことだ。同じであつたならそれでよし、若し異つてゐたら、男性の創り上げた文化と、女性のそれとの正しき抱擁によつて、それによつてのみ、私達凡ての翹望(げうばう)する文化は成り立つであらう。

 更に私は家族生活について申し出しておく。家族とは愛によつて結び付いた神聖な生活の単位である。これ以外の意味をそれに附け加へることは、その内容を混乱することである。法定の手続と結婚の儀式とによつて家族は本当の意味に於て成り立つと考へられてゐるが、愛する男女に取つては、本質的にいふと、それは少しも必要な条件ではない。又離婚即ち家族の分散が法の認許によつて成り立つといふことも必要な条件ではない。凡てかかる条件は、社会がその平安を保持するために案出して、これを凡ての男女に強制してゐるところのものだ。国家が今あるがままの状態で、民衆の生活を整理して行くためには、家族が小国家の状態で強国に維持されることを極めて便利とする。又財産の私有を制度となさんためには、家族制度の存立と財産継承の習慣とが欠くべからざる必要事である。これらの外面的な情実から、家族は国家の柱石、資本主義の根拠地となつてゐる。その為めには、縦令愛の失はれた男女の間にも、家族たる形体を固守せしめる必要がある。それ故に家族の分散は社会が最も忌み嫌(きら)ふところのものである。

 おしなべての男女もまた、社会のこの不言不語の強圧に対して柔順である。彼等の多数は愛のない所にその形骸だけを続ける。男性はこの習慣に依頼して自己の強権を保護され、女性はまたこの制度の庇護によつてその生存を保障される。そしてかくの如き空虚な集団生活の必然的な結果として、愛なき所に多数の子女が生産される。そして彼等は親の保護を必要とする現在の社会にあつて(私は親の保護を必要としない社会を予想してゐるが故にかくいふのだ)親の愛なくして育たねばならぬ。そして又一方には、縦令愛する男女でも、家族を形造るべき財産がないために、結婚の形式を取らずに結婚すれば、その子は私生児として生涯隣保の擯斥(ひんせき)を受けねばならぬ。

 社会からいつたならば、かかる欠陥は縦令必然的に起つて来るとしても、なほ家族制度を固執することに多分の便利が認められよう。然し個性の要求及びその完成から考へる時、それはいかに不自然な結果を生ずるであらうよ。第一この制度の強制的存在のために、家族生活の神聖は、似而(にて)非(ひ)なる家族の交雑によつて著しく汚される。愛なき男女の結合を強制することは、そのまま生活の堕落である。愛によらざる産子(さんし)は、産者にとつて罪悪であり、子女にとつて救はれざる不幸である。愛によつて生れ出た子女が、侮辱を蒙(かうむ)らねばならぬのは、この上なき曲事(きよくじ)である。私達はこれを救はなければならない。それが第一の喫緊事だ。それらのことについて私達はいかなるものの犠牲となつてゐることも出来ない。若しこの欲求の遂行によつて外界に不便を来すなら、その外界がこの欲求に適応するやうに改造されなければならぬ筈だ。

 愛のある所には常に家族を成立せしめよ。愛のない所には必ず家族を分散せしめよ。この自由が許されることによつてのみ、男女の生活はその忌むべき虚偽から解放され得る。自由恋愛から自由結婚へ。

 更に又、私は恋愛そのものについて一言を附け加へる。恋愛の前に個性の自己に対する深き要求があることを思へ。正しくいふと個性の全的要求によつてのみ、人は愛人を見出すことに誤謬なきことが出来る。そして個性の全的要求は容易に愛を異性に対して動かさせないだらう。その代り一度見出した愛人に対しては、愛はその根柢から揺ぎ動くだらう。かくてこそその愛は強い。そして尊い。愛に対する本能の覚醒なしには、縦令男女交際にいかなる制限を加ふるとも、いかなる修正を施すとも、その努力は徒労に終るばかりであらう。

        二四

 もう私は私の饒舌(ぜうぜつ)から沈黙すべき時が来た。若し私のこの感想が読者によつて考へられるならば、部分的に於てでなく、全体に於て考へられんことを望む。殊に本能的生活の要求を現実の生活にあてはめて私が申出た言葉に於てさうだ。社会生活はその総量に於て常に顧慮されなければならぬ。その一部門だけに対する凝視は、往々にして人を迷路に導き込むだらう。

 私もまた部分的考察に走り過ぎた嫌ひがないとはいへない。私は人間に現はれた本能即ち愛の本能をもつと委しく語つてやむべきであつたかも知れない。然しもう云はれたことは云はれてしまつたのだ。

 願はくは一人の人をもあやまることなくこの感想は行け。

        二五

 あまりに明かであつて、しかも往々顧みられない事実は、一つの思想が体験的の検察なしに受取られるといふことだ。それは思想の提供者を空しく働かせ、享受者を空しく苦しめる。

        二六

 ニイチェが「私は自分が主張を固執するために焼き殺される場合があつたら、それを避けよう。主張の固執は私の生命に値ひするほど重大なものではない。然し主張を変じたが故に焼き殺されねばならぬといふのなら、私は甘んじて焼かれよう。それは死に値ひする」といふ意味のことをいつたさうだ。この逆説(パラドックス)は正しいと私は思ふ。生命の向上は思想の変化を結果する。思想の変化は主張の変化を予想する。生きんとするものは、既成の主張を以て自己を金縛(かなしば)りにしてはなるまい。

        二七

 思想は一つの実行である。私はそれを忘れてはゐない。

        二八

 私の発表したこの思想に、最も直接な示唆を与へてくれたのは阪田泰雄(やすを)氏である。この機会を以て私は君に感謝する。その他、内面的経験に関りを持つた人と物との凡てに対して私は深い感謝の意を捧げる。

        二九

 これは哲学の素養もなく、社会学の造詣もなく、科学に暗く宗教を知らない一人の平凡な偽善者の僅かばかりな誠実が叫び出した訴へに過ぎない。この訴へから些かでもよいものを聴き分けるよい耳の持主があつたならば、そしてその人が彼の為めによき環境を準備してくれたならば、彼もまた偽善者たるの苦しみから救はれることが出来るであらう。

 凡てのよきものの上に饒(ゆた)かなる幸あれ。




>底本:「惜みなく愛は奪ふ」新潮文庫、新潮社
>   1955(昭和30)年1月25日発行
>   1968(昭和43)年12月20日25刷改版
>   1974(昭和49)年8月30日34刷(入力)
>   1987(昭和62)年10月5日58刷(校正)
>入力:村田拓哉
>校正:土屋隆 染川隆俊
>2003年7月28日作成
>青空文庫作成ファイル:
>このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(>http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたつ
>たのは、ボランティアの皆さんです。

※これは上記の青空文庫のファイルをもとに、それを読み乍ら、旧かなにして、振仮名を付替へ、適宜(=)内に注釈を加へたものである。

誤字脱字に気づいた方は是非教へて下さい。
2006.04.Tomokazu Hanafusa / メール

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