E.H.カーの『歴史とは何か』再読
E.H.カーの『歴史とは何か』をより善く理解するために
. 歴史とは歴史家が研究対象とした歴史の背後にある思想を再現することなのだ。だからこそ、すべての歴史は思想の歴史であると言へるのである。だから、現代の思想によつて、過去の出来事を評価するべきではない。
歴史とは未来と現代と過去との対話であって、現代の視点から過去を断罪するものでもないし、過去の事実のみを語るだけのものでもない。人類の未来にとって何がよいのかといふことを常に意識したものでなければならない。
歴史について考える上でこのように示唆に富む言葉が、この本の中の至る所に散りばめられてゐる。その他にも、個人主義の発展と功利主義の発展が不可分な
こと、個人は常に社会の枠組みの中で人間になるのであり、個人と社会は一体であること、学問が法則の追究から仮説の追究へと変遷した過程、人類が自意識を
開拓していく過程など、有益なテーマ満載である。
このようにこの本はとても重要なことが沢山書いてあるのにも関わらず、翻訳がまずいために非常に難解な本になっている。この本の翻訳のまずさは単に誤訳があちこちにあるというレベルではないことは、原書を手にすればすぐにわかることである。
特に「」の中にくくられている文章にひどい訳が多いし、後半になると、誤解に基く意訳が頻繁に現われてくる。訳文としても、全体的に不要な「的」が多いようだ。
もちろん、現状でも何とか意味がくみ取れないことはない。しかし、是非原典を手に入れて、よく読んで頭の中にしっかり留めておきたい本である。EHカー
の英語は講演のもので、それ自体は読みやすいものだが、マルクスやヘーゲルを、そして誰よりもカール・ポッパーを意識した内容になっているので、それなりの難しさはある。
しかし、和訳はこれしかないので、誤訳を直しながら読むしかない。幸いなことに、この翻訳は、ない方がましと言ふほどひどくはないのだ。
そこで、以下で翻訳を読みながら分かりにくいと思ったところだけを選んで、原書に当って部分的に訳し直してみた。単語レベルの訳し直しで始めたものだ
が、前後が分からないと何故訳し直す必要があるかわからないかもしれないし、重要な所はそれだけ読んでも意味があると考えたので、なるべく前後も含めて訳
してみた。だから、これだけ読んでも『歴史とは何か』がもっと近づきやすいものになると思う。
以下、先頭の頁数は岩波新書の頁数、訳文の後の算用数字はペンギン文庫中のペリカンブック What is History? (1964版の再版)の頁数である。
23頁
ここでイギリスの歴史家たちを引き合いに出すわけに行かなかったのは
→
イギリスの歴史家たちが関心を示そうとしなかったのは 20
26頁
「歴史というのは、歴史家がその歴史を研究しているところの思想が歴史家の心のうちに再現したものである。」
→
「歴史とは、歴史家が研究している時代の思想を歴史家の心のうちに再現することである。」 22
31頁
現代の眼を通してでなければ、私たちは過去を眺めることも出来ず、過去の理解に成功することも出来ない、
→
私たちが過去を眺め、過去の理解に到達することが出来るとしても、それは現代の眼を通してでしかない、 24
32頁
これらはいずれもある政治的な連繋やある特別の解釈を宣言しているものなのであります。
→
これらはいずれも一種の政治的共感の表明であり、特定の解釈をすることの宣言なのであります。 25
33頁
これは不思議な命令です。過去を愛するというのは、とかく、年老いた人たち、年老いた社会の昔を懐かしむロマンティシズムの現われであり、現在および未来
に対する信念と関心の欠如の兆候であります。きまり文句にはきまり文句で報いるとして、私は「過去の永代所有権」から人間を解放するような決まり文句を選
びましょう。歴史家の機能は、過去を愛することではなく、自分を過去から解放することでもなく、現在を理解する鍵として過去を征服し理解することでありま
す。
→
これでは分かりにくいでしょう。過去を愛すると言えば、老人や時代遅れの社会が抱く
ノスタルジックな感情の意味と取られがちで、現在や未来に対する自信も関心もないことの現われと思われてしまうからです。わたしも負けずに月並みな言い方
をすれば、私は「死者による支配」から脱け出すことを意味する言い方を選ばねばなりません。歴史家の役割は、過去を愛することでも過去にとらわれないこと
でもなく、現在を理解する手掛かりとして過去を学び理解することであります。25,26
39頁
歴史家と事実の関係は平等な関係
→
歴史家と事実の関係は対等な関係 29
47頁
さて、ここで、私の大きな脱線もようやく終わることになります。
→
さて、ここで、私の大きな脱線の要点を述べることにいたします。35
49頁
現実政治という名称
→
レアルポリティーク(Realpolitik 現実的政策)という名称 36
51頁
まだドイツにはあの強力な男が現われなかったのです。
→
まだドイツには強力な人間が現われなかったのです。(49頁末の「強力な人間」の繰り返し)37
52頁
フィッシャー〔Herbert Fisher〕
→
フィッシャー〔H.A.L.Fisher〕(147頁のフィッシャーと同一人物)38
イギリス史では、彼は、支配階級が、秩序ある、かなり静的な社会のうちで地位および権力を合理的に追求する力があった最後の時期へ溯って行きました。
→
イギリス史では、彼は、支配階級が、秩序と落ちつきのある社会の中で、地位と権力の追求を理性的に行えた最後の時代にまで溯りました。38
53頁
いかなる思想も、いかなる革命も、いかなるリベラリズムもなかったので、ネーミアは
→
いかなる思想も、いかなる革命も、いかなるリベラリズムもまだ存在しなかったのです。つまり、ネーミアは 38
54頁
「・・両党ともプログラムや理想を忘れている・・」
→
「・・両党とも綱領や理想を忘れている・・」(229頁と同じ)39
56頁
『国家的理性の概念』
→
『国家理性の概念』(つまり、道徳と対立する利己的な国家のこと)40
政治の世界は国家的理性と、政治にとって外的な倫理との間の決着のつかぬ闘争の舞台になってしまったが、この倫理も結局は国家というものの生命や安全を無視することは出来ないというわけなのです。
→
政治の世界は、国家的理性と道徳との間の決着のつかぬ闘争の舞台になっているが、道徳は政治には無関係なものであり、最終的に道徳が国家の生命と安全より優先されることはあり得ないというのです。40
しかし、歴史家にとって興味があるのは、現在といっても、そこに三つのーー
いや、四つの時期が対照も鮮かに相次いで存在しており、それをマイネッケが歴史的過去のうちに反映させているその様子なのです。
→
しかし、歴史家にとって興味があるのは、マイネッケが、三つあるいは四つの自分が生きた時代を、それも相続く極めて対照的な時代を、歴史の過去のうちに投影させたそのやり方なのです。41
という理由の一つは、一三〇頁ばかりに亙ってホイッグ的解釈を非難しているにも拘わらず、私が索引を頼らずに発見できた限りでは、フォックスーー但し、歴
史家に非ずーーを除くと一人のホイッグの名も、アクトンーー但し、ホイッグに非ずーーを除くと一人の歴史家の名も挙げていないのです。
→
という理由は何と言っても、一三〇頁ばかりに亙ってホイッグ的解釈を非難しているにも拘わらず、私が索引に頼らずに発見できた限りでは、歴史家でもないフォックス以外は一人のホイッグの名もなく、ホイッグでもないアクトン以外には一人の歴史家の名も挙げていないからです。41
62頁
『歴史的不可避性』
→
『歴史の必然性』44
63頁
そこに何か子供っぽいもの、少なくとも、子供らしいものを認めるでしょう。
→
そこに何らかの幼稚さを、少なくとも、純朴さを認めるでしょう。45
近頃は、この学説の信奉者も右の金言には次第に気がひけて来た様子ですが
→
近頃は、この学説の信奉者も次第に気がひけて来た様子ですが(shy of itのitは金言ではなく、この学説を指す)45
65頁
私は第一点に力を注ぐ必要はないと思います。
→
私は第一点にさほど力を注ぐ必要はないと思います。47
66頁
個人としての人間を取扱う伝記と、全体の部分としての人間を取扱う歴史とを区別するのも、また、良い伝記は悪い歴史を生むと考えるのも、捨て難いもので
す。かつてアクトンは次のように申しました。「ある個性的な人間から吹き込まれた関心ほど、人間の歴史観に誤謬と不正とを生むものはない。」しかし、この
区別も真実のものではありません。
→
個人としての人間を取扱う伝記と、全体の部分としての人間を取扱う歴史とを区別し
て、良い伝記を作れば悪い歴史になると、考えたくなるものです。かつてアクトンは次のように申しました。「個々人の性格に感動して抱いた興味ほど、人間の
歴史観に誤謬と不正とを生むものはない。」しかし、この区別もまた非現実的なものであります。47,48
67頁
誰も歴史を書いたり読んだりする義務があるわけではありませんし、歴史的でない過去については立派な本が書けないということもありません。しかし、「歴
史」という言葉は、社会の中にいる人間の過去を研究する手段という意味にだけ用いるーー本公演ではそうしようと考えておりますーーことが出来るというのが
慣わしであると考えます。
→
誰もが歴史を書きあるいは読まねばならないわけではありませんし、歴史でなくても、
過去に関する立派な本を書くこともできるのであす。しかし、私たちには慣習として「歴史」という言葉を、社会の中にいる人間の過去について研究する方法に
対してだけ用いる権利があると思いますし、本公演ではそのような意味で「歴史」という言葉を使う積りであります。48
71頁
私の第二の考察の方は、立派に証明済みのものであります。多くの異なった思想的潮流に属する著述家も、異口同音、個々の人間の行為は、行為者が、いや、他のすべての個人が意図もせず欲求もしなかった結果を生むことがよくある、と主張して参りました。
→
(歴史と個人についての)私の第二の考察の正しさは、第一の考察よりも多くの証言に
よって裏付けられております。つまり、様々な学派の著述家が、個々の人間の行為は、それを行った当人もほかの誰一人も意図しないし求めもしなかった結果を
もたらすことがよくある、一致して主張しているからです。50
83頁
「彼は核現象の動きを知ろうといふ烈しい衝動を持っていたが、それは誰かが台所の様子を知ろうというのと同じ調子であった。彼が、ある根本法則を利用するという旧式な理論の流儀で説明を求めていたとは思わない。何が起っているかを知っている間は、彼は満足していた。」
→
「彼は核現象の進行状況を知ることについて激しい情熱を持つてゐたが、それは台所の
進行状況を知ることについて言へるのと同じやうな意味だつた。私は彼がある根本法則を利用する古典的な学問の流儀で真相を探ろうとしてゐたのではないと信
じてゐる。何が起つてゐるか分かりさへすれば、それで彼は満足だったのだ。」59
例へば、プロテスタンティズムと資本主義との関係についてのマックス・ヴェーバーの有名な診断を取り上げてみましょう。
→
例へば、プロテスタンティズムと資本主義には関係があるといふマックス・ヴェーバーの有名な学説を取り上げてみましょう。60
「挽臼はわれわれに封建領主の社会を与え、蒸気機関はわれわれに産業資本家の社会を与える」
→
「挽臼はわれわれに封建領主をもつ社会を与え、蒸気機関はわれわれに産業資本家をもつ社会を与える」60
86頁
「今まで錯雑した現実の中で私たちを導いてくれた安らかな方式を失う時、
→
「今まで錯雑した現実の中を導いてくれた居心地のいい法則を失う時、60
87頁
私は、社会学の方法に関する一つの一般的な発言を引用しないわけには参りません。
→
私は、社会学の方法に関する一つの普遍的な宣言を引用しないわけには参りません。61
ある場合には過度の単純化という危険を冒しても特殊的な要素を取り出す必要がある
→
過度の単純化という危険を冒しても、ある状況の中の特殊の要素だけを取り出して扱う必要がある 61
「われわれは自分の方法を意識しながら進んでいかなければならない。われわれは蓋然的で部分的な仮説を徹底的に検査して、いつも今後の訂正の余地を残すような暫定的な近似値で満足しなければならない。」
→
「われわれは手探りをしながら前進しなければならない。つまり、多くのありそうな仮説、不完全な仮説を試してみなければならない。しかも、先に進んだ時に訂正の余地が残るやうな一時的でおおよその仮説で満足しなければならないのである。」61
88頁
しかし、不注意な人にとって類推が危険な陥穽であることは周知の通りですから、次のような議論を恭しく検討することにしましょう。
→
しかし、よく言われているように、類似点は不注意な初心者にとっての落とし穴ですから、次のような反論を慎重に検討しましょう。62
94頁
「社会的再適応における幾つかのばらばらな技術的諸問題」
→
「社会を改善するための一連の個別の技術的問題」(世界の名著68の373頁下?)66
96頁
古代ギリシアがローマに与えた衝撃のことは誰でも知っています。
→
古代ギリシアがローマに与えた影響のことは誰でも知っています。67
97頁
古典的教育の刻印は十九世紀のイギリスの新しい支配階級に強く押捺されておりました。
→
古典教育の刻印は十九世紀のイギリスの新しい支配階級に深く刻み込まれておりました。(ギリシャローマのことを教える教育のこと) 67
98頁
今日の科学は、論理上、帰納というのは、蓋然性とか、無理のない信仰とか、そういうものを生むに過ぎないと考える態度へ傾いて来ていますし、また、科学上
の命題を一般的な規則や手引きーーその蓋然性は特殊な行動によってしかテストされませんーーとして扱おうとして来ています。
→
今日の科学は、帰納法が論理的に生み出せるのは、ありそうな事や合理的な考えだけだという事を忘れないようにしていますし、科学上の命題を一般的規則や手引きとして、つまりその蓋然性は特定の行為によってしか検証できないものとして扱うことに益々熱心であります。68
101頁
「いろいろの経験を包み込み、集め、整理する際の範疇さえ、観察者の社会的地位によって異なる」
→
「様々な経験をグループ化したり、まとめたり、整理する際に使用するカテゴリーさえ、観察者の社会的立場によって違ってくる」(世界の名著68の261頁下)70
104頁
十七世紀、十八世紀、十九世紀を支配して参りました古典的な知識理論は、いずれも知る主体と知られる客体との明確な二分法を前提としておりました。
→
十七、十八、十九世紀に普及しておりました古典的な認識論は、いずれも知る主体と知られる客体との明確な二分法を前提としておりました。72
105頁
過去五十年間、哲学者たちがこの知識理論を疑い始め、知識の過程は、主観と客観とを別々に立てるのではなく、ある程度まで両者間の相互関係および相互依存を含むものであると認めるようになったのは驚くに当たりません。
→
過去五十年間に、哲学者たちがこの古典的認識論を疑い始め、認識の過程は、主体と客体とを厳しく分離するのではなく、ある程度まで両者間の相互関係および相互依存を含むものであると認めるようになったのは驚くに当たりません。73
107頁
「・・現世の事件と人間のドラマを完全に処理し尽すまでは、それより広大な問題を持ちだしてはならない。」
→
「・・世俗の出来事と人間ドラマを人並みに片付けるまでは、それより大きな動機を持ちだすことは許されない。」74
ルター派の神学者カール・バルトは天上の歴史と地上の歴史との完全な分離を宣言して、後者を俗権に委ねているのですから、
→
ルター派の神学者カール・バルトは神々の歴史と世俗の歴史との完全な分離を宣言して、後者を俗人の手に委ねているのですから、74
「技術的な歴史」
→
「技術(=人為)の歴史」(ラテン語のartの意味)74
108頁
技術的な歴史というのは、みなさんや私などがいつも書こうとしている、いや、バターフィールド教授自身が今まで書いてきた唯一の歴史であります。
→
技術の歴史こそは、みなさんや私などがいつも書こうとしている歴史であり、バターフィールド教授自身が今まで書いてきた唯一種類の歴史であります。74、75
111頁
「歴史家は裁判官ではない。まして、厳格な裁判官ではない。」
→
「歴史家は裁判官ではない。まして、首つり判事(つまり死刑を乱発する裁判官)ではない。」77
「非難する時にわれわれが忘れてしまうのは、われわれの法廷は、現に生きて活動している危険な人々のために設けられた現代の法廷であるのに、被告たちは既に当時の法廷で審かれていて、二度も有罪とか無罪とかの判決を受けることは出来ないという大きな違いである。
→
「彼らを非難する時われわれは現在の人間と過去の人間との重要な区別を忘れてしまう
のです。つまり、われわれの法廷は、現に生きて活動している危険人物のために設けられる今の法廷であるのに対して、過去の時代の人間は当時の法廷が既に判
決を下しており、今から有罪無罪の判決をもう一度受けさせることは出来ないのです。77
114頁
勝てば官軍です。苦難は歴史につきものです。すべて歴史の偉大な時代には、その勝利と共にその不幸があるものです。
→
そして敗者が常に犠牲を払うのです。犠牲は歴史につきものです。すべて歴史の偉大な時代には、勝利者と犠牲者がいるものです。79
115頁
小さな悪を選ばねばならぬ、やがて善になるかも知れぬ悪を選ばねばならぬ、
→
より小さい悪を選ばねばならぬ、善い結果を求めて悪いことをしなければならなぬ、(thatは目的の接続詞)79
ジョンソン博士は、現在の不平等を維持する理由として、その方が小さい悪だ、という暴論を持ち出しました。「万人平等という状態になったら、幸福な人間は一人もいないであろうから、それに比べれば、ある人々が不幸である方がよい。」
→
ジョンソン博士は、現実が不平等でありつづける事を正当化するのに勇敢にもより小さい悪という根拠を持ち出しました。「万人が平等という状態になっても、幸福な人間が一人もいないのなら、ある人々が不幸である方がよい。」79,80
116頁
根本的変化の時期であります。
→
急激な変動の時期であります。80
イヴァン・カラマーゾフの有名な無関心のポーズは飛んでもない間違いであります。
→
イヴァン・カラマーゾフの有名な挑戦的態度は英雄らしい間違った考えであります。(『カラマーゾフの兄弟』第五篇四の末、入場券を返す云々。翻訳は江川卓のものを推奨)81
歴史家は、神学者が受難の問題に対して答える以上に断定的な答えを持ってはおりません。
→
犠牲の問題に対して歴史家は神学者と同様に最終的な答えを持ってはおりません(no more~than)81
119頁
私たちの道徳的判断というものは、それみずから歴史の創造物である概念的な枠の中で行われるものなのです。
→
私たちが道徳的な判断を下す場合に用いる概念の枠組は、それ自体歴史が作り出すものなのです。82
これらの観念は
→
これらの概念は(同じ単語の派生形concept-の訳語がここから観念に変わってしまっている)82
120頁
これらの観念を用いるという実践的問題は、歴史的な見方を通して初めて理解も出来、論議も出来るものなのです。
→
これらの概念を実際に適用する際に起るいかなる問題も、それを理解したり議論したりすることは、歴史的な観点のもとで初めて可能となるのです。82
古典経済学の法則で育てられた理論家たちは、計画というものは、そもそも合理的な経済過程に対して非合理的な侵入をすることだと非難しています。例えば、
計画者たちは価格政策において需要供給の法則に縛られることを拒否するのであるから、計画経済下の価格は何らの合理的基礎を持つことが出来ない、と申しま
す。
→
古典経済学の法則で育てられた理論家たちは、計画経済とは、基本的には、合理的な経
済過程に対する非合理的押しつけだとして非難しています。例えば、計画経済の立案者たちは価格政策において需要供給の法則に縛られることを拒否するので、
計画経済下の価格は何ら合理的基礎を持つことが出来ない、と申します。82,83
121頁
それゆえにこそ、歴史家は「善」とか「悪」とかいう非妥協的な絶対者を用いるよりは、「進歩的」とか「反動的」とかいう比較的性質の言葉を用いてその道徳
的判断を表現する傾向があるので、これは、さまざまは社会や歴史的現象をある絶対的規準との関係においてではなく、それらの相互関係において規定しようと
する企てなのであります。
→
それゆえにこそ、歴史家は「善」とか「悪」とかいう確固たる絶対的な規準を用いるよ
りは、「進歩的」とか「反動的」とかいう相対的性質の言葉を用いて道徳的判断を表現する傾向があるのです。これは、さまざまは社会や歴史的現象をある絶対
的規準との関係においてではなく、それら相互の関係において捉えようとする試みなのであります。 83
平等、自由、正義、自然法というような自称絶対者の実際の内容となりますと、時代により、大陸によって異なっているのです。
→
平等、自由、正義、自然法というような一見絶対的なものも、その実際の内容は、時代や所によって異るのです。84
今日の科学ーとりわけ、社会科学ーが完全な独立性を要求することはありません。しかし、歴史は、歴史の外部にある或るものに根本的に依存していて、それによって、他のすべての科学から分離されるというようなものではないのです。
→
今日のどの科学ー特に社会科学ーも完全な独立性を要求することはありません。歴史もまた、歴史以外の何かに根本的に依存していて、それによって、他のすべての科学から分離されるというようなものではないのです。(few - butの構文)84
123頁
科学という言葉自身、知識のいろいろな方法および技術を用いる、いろいろな分野を含んでおりますので、歴史を科学に入れようという人たちよりも、歴史を科学から除こうとするいう人たちの方が重荷を負うことになるようです。
→
科学という言葉自身、知識の様々な分野を包含しており、それらもまた様々な方法と技術を用いておりますので、歴史を科学に入れようという人たちよりも、歴史を科学から除こうとするいう人たちの方が負担が大きいようです。84
除こうという議論が、自分たちの選ばれた仲間から歴史家を追い払いたがっている科学者の側から出ているのでなく、むしろ人文研究の一部門としての歴史の地位を守りたがっている歴史家や哲学者の側から出ているというのは意味深いことです。
→
この歴史家排除論は、科学者たちが自分たちの会員制クラブから歴史家を追い払いたがって、生まれたものではなく、むしろ歴史家や哲学者が人文学の一部門としての歴史の地位を守りたがって生まれたというのは意味深いことです。84
124頁
歴史家を地質学者から引き離している割れ目
→
歴史家を地質学者から引き離している裂け目 85
この亀裂を修理する方法
→
この亀裂を修復する方法 85
植物学の初球クラスに出席しなさいと勧められた技師がいるという話は聞いたことがありません。
→
工学技師が植物学の初球クラスに出席しなさいと勧められたという話は聞いたことがありません。85
ある時は、本ケンブリッジ大学の教科目としての歴史も、古典研究は難しすぎる、科学は堅過ぎると考える人たちを入れる頭陀袋と思われることがありました。
私がこの講演でお伝えしようと思っております一つの感想は、歴史は古典研究よりも遙かに難しい問題であり、あらゆる科学と全く同じように堅い科目だと言う
ことであります。しかし、右の救済策は、歴史家たち自身の間に自分の仕事に対する一層強い信念があることを含んでおります。
→
本ケンブリッジ大学の歴史学科は、古典学は難しすぎるし科学は厳格過ぎると考える人
たちを入れる頭陀袋だとしばしば思われております。私はこの講演によって、歴史学は古典学よりも遙かに難しい教科であり、あらゆる科学と全く同じくらい厳
密な教科だと言う印象を皆さまにもって頂きたいと願っております。しかし、右の救済策は、歴史家たち自身の間に自分の仕事に対する一層強い信念をもたらし
てくれるはずなのです。85
125頁
サー・チャールズ・スノーは、このテーマを扱った最近の講演の中で、科学者の短期なオプティミズムと、彼の謂わゆる文学的インテリの低い声および反社会的感情とを対照させていますが、これは急所を衝いております。
→
サー・チャールズ・スノーは、この問題を扱った最近の講演の中で、科学者の厚かましいオプティミズムと、文学的インテリと彼が呼ぶ人たちの控えめな発言および世の中に背を向けた態度とを対照させていますが、これは一理あります。85
この人たちは私たちに向かって、歴史は科学ではない、と忙しく喋り、科学は何であり得ないか、何であるべきでないか、何をすべきでないか、と説明しているため、歴史の研究を仕上げる時間も、歴史の可能性を生かす時間もないのです。
→
この人たちは私たちに向って「歴史は科学ではない」と言い、「科学は何であり得ないか、何であるべきでないか、何をすべきでないか」を明らかにすることに性急なあまり、歴史学の功績と歴史学の可能性に対して一顧だにする余裕もないのです。86
科学者、社会科学者、歴史家は、いずれも同じ研究の異なった部門に属しているのです。つまり、どれも人間とその環境との研究であって、あるものは環境に対する人間の作用の研究であり、他のものは人間に対する環境の作用の研究なのです。
→
科学者、社会科学者、歴史学者は、いずれも同じ研究の異なった部門に属しているのです。それらは、人間とその環境の研究であり、環境に対する人間の作用の研究であり、人間に対する環境の作用の研究なのです。86
物理学者、地質学者、心理学者、歴史家の前提や方法は細部で大きく違います。
→
物理学者、地質学者、心理学者、歴史学者の前提や方法はそれぞれ大きく違います。86
126頁
また、私は、歴史がもっと科学的になるにはもっと忠実に自然科学の方法に従わねばならぬという命題を受け入れようとは考えておりません
→
また、私は、歴史がもっと科学的になるにはもっと忠実に物理学の方法に従わねばなら
ぬという主張にくみする積りもありません(physical scienceは物理学、natural
scienceは自然科学と使い分けされている。次の文では歴史家と物理学者が言及されている。社会科学が物理学の方法によるべきかという議論については、『歴史主義の貧困』の序論以下に何度も言及されている)86
けれども、歴史家と物理学者とは、説明を求めるという根本的な目的でも、また、問題を提出し、これに答えるという根本の手続でも同じなのです。他のすべての科学者もそうですが、歴史家も「なぜ」と尋ね続けるところの動物なのです。
→
ただ、歴史学者と物理学者とは、ものごとを明らかにするという基本的な目的でも、また問と答という基本的な手続でも同じなのです。歴史学者も、他の全ての科学者と同じく、絶えず「なぜ」と問い続ける生き物なのです。86
128頁
人間は、「その幻想だけで支配されているものではなく」、人間の行動は「事物の本質」に由来する或る法則乃至原理に従うものである。
→
人間は、「自分の気まぐれだけに支配されているものではなく」、人間の行動は「物事の道理」に由来するある種の法則や原理に従うものである、と。88
129頁
原因や法則は、ある時は機械的に考えられ、ある時は生物的に考えられ、ある時は、形而上学的に、ある時は経済的に、またある時は心理的に考えられました。
→
原因と法則は、ある時は力学的な言葉で、ある時は生物学的な言葉で考えられ、またある時は形而上学的なものと考えられ、ある時は経済学的なもの、またある時は心理学的なものと考えられました。88
「オクサスおよびジャクサルテスの流域における諸蛮族間の消長隆替を除いて、何一つ語るものがないとすれば、それに何の意味があるのか。」
→
「もしあなたがオクサスとジャクサルテス(いずれも中央アジアの河)の岸辺を支配する蛮族の交代を描くだけで、何もそれ以上詳細に語るものがないなら、そんな歴史に何の意味があるだろう。」88
その原因の一部はある哲学上の疑念にあるのですが
→
それは一つにはある種の哲学的あいまいさのためですが 88
130頁
また、他の人々はさまざまな原因ー機械的、生物的、心理的などーを区別して、歴史的原因を独自の範疇と見ております。
→
また他の人々は原因を力学的原因や生物学的原因や心理学的原因など様々なものに細分して、歴史的な原因も一つの独自な範疇と見做しております。88
「どんなことがあっても、われわれは、何かある一つの原因の働きだけを重視して・・・その結果がこれと混ざり合っている他の諸原因を無視することだけはしないように気をつけねばならない。」
→
「どんなことがあっても、われわれは、何かある一つの原因の働きだけを重視して・・・他の多くの原因を無視することだけはしないように気をつけねばならない。その一つの原因が、他の多くの原因がもたらす結果と関わり合っているからである。」89
131頁
中にはなれるでしょうが、上になるのは難しいでしょう。
→
中の部類には入れるでしょうが、上の部類に入るのは難しいでしょう。89
132頁
イギリスの勢力および繁栄の上昇(the rise of British power and prosperity)
→
イギリスの勢力の伸暢と繁栄 90
すべて歴史に関する議論というものは、諸原因における優越性という問題の周囲を回転しているのであります。
→
あらゆる歴史的な議論は、様々な原因に優先順位をつける問題をめぐつて行われるのであります。90
と注意しております。
→
と書いております。(noteは言及する)90
新鮮な洞察
→
最新の洞察 90
133頁
「・・原因と結果とのより大きな分化へ・・」
→
「・・原因と結果とのさらなる細分化へ・・」
けれども、歴史家の方は、過去を理解しようとの一心で、科学者と同様、解答の多様性を単純化し、ある解答を他の解答に従属させざるを得ないと同時に、諸事件の混沌のうちへ、特殊的諸原因の混沌のうちへ、ある秩序と統一とを導き入れざるを得ないのです
→
けれども、歴史家の方は、それと同時に、過去を理解しようとの一心で、科学者と同
様、解答の多様性を単純化し、ある解答を他の解答に従属させ、諸事件の混沌と特殊的諸原因の混沌の内へある秩序と統一とを導き入れざるを得ないのです
(simultaneosly は前文で言った多様化と同時に単純化も必要と言う意味。-,-,andは三つのものをつなぐ)90,91
「教育を受けたいという要求を鎮めるような何か偉大な一般化」へのヘンリ・アダムスの追求
→
ヘンリ・アダムスが追い求めた「教養に対する私の渇望を満たしてくれる何か偉大なる普遍化」(oneは私を含めた一般的な人々)91
それにしても、歴史家は
→
それにもかかわらず、歴史家は 91
134頁
その一つには「歴史における必然、別名、ヘーゲルの謂わゆる『奸計』」というレッテルが、もう一つには「歴史における偶然、別名、クレオパトラの鼻」というレッテルが貼ってあります。
→
その一つには「歴史の決定論、或いは、ヘーゲルの悪知恵」というラベルが、もう一つには「歴史の偶然、或いは、クレオパトラの鼻」というラベルが貼られています。91
先ず、こういう陥穽が出来た次第について少し申し上げねばなりません。
→
先ず最初に、ここでなぜこの話をするかについて、少し申し上げねばなりません。91
これらの書物は、ポッパーがナチズムの精神的祖先と考えるヘーゲルーとプラトンーへの、また、一九三〇年代のイギリスの左翼の知的風潮であった、かなり浅
薄なマルクス主義への反動から強烈な感情的影響を受けて書かれたものです。主たる標的はヘーゲルおよびマルクスの決定論的歴史哲学と称するもので、ポッ
パーはこれを『歴史主義』という乱暴な名称で一括しております。
→
これらの書物は、プラトンと共にナチズムの精神的祖先として扱われたヘーゲルと、一
九三〇年代のイギリスの左翼知識人の間で流行していた浅薄なマルキシズムに対する強烈な感情的反発のもとで書かれたものです。主たる標的はヘーゲルとマル
クス両者の所謂決定論的な歴史哲学であり、それらは『歴史主義』という侮蔑的な名前のもとに一括されております。91
そこではプラトンの攻撃は行っておりませんが、これは恐らくオックスフォード大学を支える古代的柱石への尊敬の名残からでありましょう。その中で、ポッパーと同じ非難に加えて、ポッパーに見られぬ議論を述べております。
→
彼はプラトンへの攻撃は行っておりませんが、それは恐らくオックスフォードの権威を支える古代の柱石への尊敬の名残からでありましょう。また彼はこの非難に対する論拠としてポッパーには見られぬものを付け加えています。92
135頁
その他の点ではあまり変化はありません。しかし、当然のことでしょうが、サー・アイザイア・バーリンは人気もあり、広く読まれている著述家であります。こ
の五、六年間、イギリスおよびアメリカでは、歴史に関する論文を書いた限りの、いや、歴史的著作に真面目な論評を加えた限りの人間なら殆んど例外なく、異
口同音、ヘーゲルとマルクスと決定論に知ったかぶりの軽蔑の態度を見せ、歴史における偶然の役割を認めないという馬鹿らしさを指摘したのであります。
サー・アイザイアにその弟子たちの責任まで負わせるのは、恐らく当を得ないでしょう。サー・アイザイアは、ナンセンスなことを言っている時でも、魅力と愛
嬌とに富んだ言い方をしていますので、私たちも我慢が出来るのです。その弟子たちとなりますと、ナンセンスなことを繰り返すだけで、一向に愛嬌がない始末
です。いずれにしろ、これは珍しい話ではありません。チャールズ・キングスリといえば、イギリスの欽定講座担当の近代史教授諸君のうちで格別に優れた人と
いうわけでもなく、恐らくはヘーゲルを読んだこともなく、マルクスの名を聞いたこともない人だと思いますが、一八六〇年の就任講演の中で、人間は「自分自
身の存在の法則を破るという不思議な力」を持っていると述べ、これをもって、いかなる「不可避的連鎖」も歴史には存在し得ないということの証拠にいたしま
した。しかし、幸いなことに、われわれはキングスリを忘れてしまいました。ポッパー教授およびサー・アイザイア・バーリンは、この夙に死んだ馬に鞭を振っ
て、生きているように見せかける空しい努力を内緒で続けているので、この混乱を片づけるのには、少し我慢が必要になります。
→
その他の内容はポッパーと似たようなものなのです。ところが、当然のことながら、
サー・アイザイア・バーリンは有名な著述家で多くの読者をもっています。この五、六年の間に、イギリスとアメリカでは、歴史に関する論文を書いた人たちだ
けでなく、歴史作品に真面目な評論を書いた人たちまで、殆んど誰もがヘーゲルとマルクスと決定論に対して知ったかぶりの軽蔑的態度を見せて、歴史における
偶然の役割を認めないことの愚かしさを指摘するに至りました。サー・アイザイアに彼の信奉者の行動に対する責任を問うのは、恐らく不公平でしょう。彼は、
ナンセンスなことを言っている時でも、魅力と愛嬌とに富んだ言い方をしていますので、私たちも大目に見ています。彼の信奉者たちはそのナンセンスなことを
繰り返すだけで、魅力的な言い方は出来ないのです。いずれにしろ、彼らのどの話にしても何も新しいことはありません。チャールズ・キングスリは、当大学の
近代史欽定教授の内でもそれほど著名な人ではなく、恐らくヘーゲルを読んだこともマルクスのことを聞いたこともないはずの人ですが、一八六〇年の就任講演
の中で、人間は「自分自身の存在法則を打ち破る不思議な力」を持っていると述べ、これをもって、歴史にはどんな「必然的連鎖」も存在し得ないことの論拠に
いたしました。しかし、幸いなことに、われわれはキングスリを忘れてしまいました。ところが、ポッパー教授とサー・アイザイア・バーリンが一緒になって、
まさにこの死んだ馬に鞭打って、生き返ったようにしてしまったのです。ですから、この厄介な問題を取り除くために、しばらくのご辛抱を願います。92,93
136頁
ー願わくは、異議の起らざらんことをー
→
ーこれには異論はないと思いますー93
決定論とは、すべての出来事には一つあるいは幾つかの原因があって、一つあるいは幾つかの原因のうちのあるものに変化がない限り、右の出来事に変化はあり得ないという信仰である、
→
決定論とは、あらゆる出来事には一つ以上の原因があって、その原因の何かが異ならない限り、別の起り方をした可能性はない、という考え方である、93
人間の行為が原因を持たず、したがって、決定されていないというような、そんな人間は、前の講演で触れた社会の外部にある個人と同様、一つの抽象的観念であります。
→
ある人間の行為が何の原因も持たない、即ち決定されていないと言うような、そんな人間は、我々が以前の講演で議論した社会の外側にいる個人同様、一個の抽象概念でしかありません。93
137頁
昔、ある人たちは、明らかに自然現象は神の意志に支配されているのであるから、この自然現象の原因を探求するのは神を涜すものだと考えて、自然科学者の仕
事に反対したことがありました。われわれが人間の現実の行為の原因を説明するのに対して、これらの行為は人間の意志によって支配されているという理由で
サー・アイザイア・バーリンが反対するのは、これと同じような考え方であります。そして、恐らく、彼の反対は、こういう種類の議論が行われていた当時の自
然科学と同じ発展段階に今日の社会科学がある事を示しているのでしょう。
→
大昔には、自然現象の原因を探求することは神を冒涜することだと考える人たちがいま
した。自然現象は明らかに神の意志に支配されているからだというのです。人間の行動の原因を明らかにすることにサー・アイザイア・バーリンが異議を唱える
のも、人間の行動は人間の意志に支配されているからというのですから、彼の理屈は自然現象の場合と同じ理屈になります。ということは、この事実は、今日の
社会科学が、自然科学に対してこの種の異議が唱えられた頃と同じ発展段階にある事を示しているのかもしれません。94
138頁
しかし、そんなことをなさって、あなたはサー・アイザイア・バーリンの激怒を招くことになるのではないか、私はそれを惧れているのです。と申しますのは、
スミスの行動を因果的に説明することによって、あなたがヘーゲルおよびマルクスの決定論的な前提を鵜呑みにし、スミスを下等な人間として非難する義務を
怠った、といって彼はひどく嘆くでしょうから。
→
しかし、そんなことをすればサー・アイザイア・バーリンの激しい怒りを招くのではな
いか、私はそれを心配しているのです。と申しますのは、あなたがスミスの行動を原因によって説明するということは、ヘーゲルとマルクスの決定論による考え
方を鵜呑みにして、スミスを下等な人間として非難する義務を怠ったということだ、と彼は強く抗議するはずだからです。95
139頁
右の特別なケースについてスミスに責任があると見るか否かは、あなたの実践的判断の問題です。けれども、あなたが非難したからといって、それは、あなたが、スミスの行為には何の原因もないと認めていることにはなりません。
→
右の特別なケースについてスミスに責任があると見るか否かは、あなた方が実際に判断する問題です。けれども、あなた方がスミスに責任があると見たからといって、それは、あなた方が、スミスの行為には何の原因もないと認めていることにはなりません。95
140頁
また、歴史家は不可避性という問題に苦しむこともありません。
→
それと同時に、歴史家は必然性の問題に悩むこともありません。96
141頁
歴史上は何事も、違った事件が起るには、先行の原因が違っていなければならぬ、という形式的な意味においてでなければ、不可避的ではないのです。歴史家で
ある以上、私は「不可避的」、「免かれ得ぬ」、いや「避け得ぬ」、いや「免かるすべもなき」などという言葉を用いずに仕事を進める用意は立派に出来ており
ます。こういう言葉を用いなかったら、人生はもっと単調なものになるでしょう。しかし、こんな言葉は詩人と形而上学者とにお任せすることにします。
→
歴史において何かが必然的だというのは、もし違う事が起きていたとすればそれに先行
する原因が違っていたはずである、という形式的な意味でしかありません。歴史家としての私は「必然的な」「不可避な」「逃れ難い」さらには「免かるすべな
き」などという言葉を無しで済ませる覚悟は充分出来ております。これからの人生は少々味気ないものになるでしょう。しかし、今後はこれらの言葉の使用は詩
人と形而上学者にお任せすることにしましょう。96
こうした不可避性に対する非難が無益で無意味なものに見えてくる半面(ママ)、近年は、この非難を続けようとする熱情が非常に高まっているように思われますので、
→
必然性に対するこのような攻撃は実に不毛で無意味であるにも関わらず、近年この種の攻撃は非常に激しくになつていると思われますので、96
「未練」学派→
「あったかもしれぬ学派」96
142頁
歴史上の未練を話題にして楽むことはいつでも出来ることです。しかし、これは決定論とは関係のないことです。決定論者なら、そういう事実が生ずるには、また別の原因がなければないであろう、と答えるほかはありますまい。同様に、こういう仮定は歴史とは関係のないものです。
→
歴史上の「あったかもしれぬ」を話題にして楽むことは常に可能です。しかし、このよ
うに別の原因を想定することは決定論とは何の関係もありません。というのは、それに対して決定論者は、もしそういう事が生じたとしたら、原因もまた違って
いたはずだ、と言うだけだからです。また、このような想定問答と歴史とは何の関係もありません。97
143頁
そのために、この人たちが歴史を読む場合、起ったかも知れぬ、もっと快い事件について勝手気儘な想像をめぐらせたり、何が起ったか、また、なぜ彼らの快い
夢が実現しなかったのかを説明するという自分の仕事を淡々と続けて行く歴史家に腹を立てたりするということになっているのです。
→
その具体的な現れとして、彼らは歴史を読みながら、起ったかも知れぬもっと快い事件
について勝手気儘な想像をめぐらせたり、歴史家に腹を立てたりするのです。というのも、歴史家は何が起ったか、なぜ彼らの快い夢が実現しなかったかを明ら
かにするという自らの仕事を淡々とやり続けるだけだからです。97
145頁
クレオパトラの美貌に対して余計な失礼な話であります。
→
クレオパトラの美貌に対してあまりにも失礼な話であります。98
146頁
チャンスについて
→
偶然について(日本語ではチャンスは好機という意味)98
147頁
前に引用した一節
→
前(六〇頁)に引用した一節 100
歴史には型というものはない、と宣言し
→
(原文にはない)100
「原因もなく、理由もなく、必要もない」
→
「原因もなく、理由もなく、必然性もない」100
精神が破産
→
精神が破綻 100
歴史的事件の絶頂ではなく、その谷底を進んでいく集団や国民にあっては、歴史におけるチャンスや偶然を強調する理論が優勢になるものです。
→
歴史上の様々な出来事の頂点ではなくどん底にいる集団や民族にあっては、歴史における偶然や運を強調する理論が優勢になるものです。101
148頁
信仰の典拠を暴露したからといって、
→
(偶然に対する)信仰の源(みなもと)を明らかにしたからといって、101
「一つの戦闘の偶然的結果というような特殊な原因・・」
→
「一度の戦争の偶然の結果のような特定の原因・・」101
「もし世界史にチャンスの余地がなかったとしたら、世界史は非常に神秘的な性格のものになるであろう。もちろん、チャンスそのものは発展の一般的傾向の一
部になり、他の形態のチャンスによって埋め合わされる。しかし、発展の遅速は、初め運動の先頭に立つ人々の性格の『偶然的』性格を含む、こうした『偶然
事』に依存する」
→
「もし世界の歴史に偶然の入り込む余地がないとしたら、世界の歴史は非常に神秘的な
性格を帯びるであろう。もちろん、一つの偶然はそれ自体としては物事の進展の中の一般的な流れの一部に組み込まれて、別の様々な形の偶然によって相殺され
てしまう。しかしながら、進展の遅い速いはそのような『偶然の出来事』に依存するものであり、それには最初の動きの先頭に立っている様々な個人の『偶然』
の性格が含まれている」101
149頁
このように、マルクスは歴史におけるチャンスを三つに分けて弁護したのです。第一に、それはあまり重要ではなく、事件のコースを「速めたり」「遅くした
り」することは出来ても、それをー含みから言ってー根本的に変えることは出来ない。第二に、一つのチャンスは他のチャンスによって埋め合わされ、結局は
チャンスが帳消しになってしまう、と述べました。第三に、特に諸個人の性格がチャンスの例になっています。
→
ここでマルクスは、歴史の偶然を説明するために三つの言い訳を提出しています。第一
に、それはあまり重要ではなく、事件のコースを「速めたり」「遅くしたり」することは出来ても、密接に関わって、それを急激に変えることは出来ない。第二
に、一つの偶然は別の偶然によって相殺され、結局は偶然は帳消しになってしまう。第三に、偶然は特に様々な個人の性格の中に現われるものである、とマルク
スは述べたのです。(chanceをチャンスと訳している。「と述べました」の位置がなぜか第二と第三の間に来ている)101
幾つかの偶然が相互に埋め合わせ、帳消しになるという学説を、トロツキーは次のような巧妙な類推によって補強しております。
→
偶然が相互に埋め合わされて帳消しになるというこの理論は、トロツキーの次の巧妙な類推によって補強されています。102
「歴史の全過程というのは、歴史法則が偶然的なものを通して屈折することである。生物学上の用語を使えば、歴史法則は偶然的なものの自然淘汰を通して実現されると言ってよい。」
→
「歴史の全過程は偶然の出来事による歴史の法則の屈折である。生物学の言葉で言うなら、歴史の法則は、偶然の出来事の自然淘汰によって実現される。」102
正直のところ、この学説は不十分のもの、説得力のないものと私は考えます。確かに、今日では、歴史における偶然の役割は、その重要性を強調しようとする人
たちの手でひどく誇張されています。しかし、偶然は存在するのです。ただ速くしたり遅くしたりするだけで、変えはしない、と言うのは言葉の手品です。
→
この理論は不十分であり説得力がないと言わざるを得ません。今日では、歴史における
偶然の役割は、その重要性を強調することに熱心な人たちによってひどく誇張されているのです。しかし、偶然は現実に存在するものです。それが単に速くした
り遅くしたりするが変えはしない、と言うのは言葉のごまかしです。102
151頁
原因が歴史的過程に対する歴史家の解釈を決定すると同時に、歴史家の解釈が原因の選択と整理とを決定いたします。
→
歴史家の選んだ様々な原因が、歴史の過程に対する歴史家の解釈を決定すると同時に、歴史家の解釈が、歴史家による原因の選択と整理とを決定いたします。103
これらの偶然をどこかへ隠そうととしても、また、いずれにせよ、これらは無意味なものであった、ととぼけようとしても、それは無駄なことです。
→
これらの偶然の存在を誤魔化そうとしたり、それらは幾つかの点で無意味であつたと言い張っても無駄なのです。103
これらが全く偶然的なものである限りは、歴史の合理的解釈の中にも、また、重要な諸原因の間に歴史家が認める上下関係の中にも入っておりません。
→
これらは、それが偶然の出来事である限りは、歴史の合理的解釈の中にも、歴史家が構築する重要な諸原因の上下関係の中にも入ってきません。103
152頁
歴史的過程のうちに意味を見出し、そこから結論を導き出そうという歴史家の試みは、結局、「経験の全体」に均整のとれた秩序を考えようという試みにほかな
らぬ、歴史における偶然の存在はこの試みを失敗に終わらせてしまう、というのです。けれども、正気の歴史家なら「経験の全体」を包み込もうなどという空想
的なことをやろうとは言わないでしょう。彼は、自分が選んだ歴史のある部分や側面についてさえ、事実の小さな破片しかしか包み込むことは出来ないのです。
科学者の世界とおなじことですが、歴史家の世界は、現実の世界を写真にとったものではなく、むしろ、有効性の差こそあれ、歴史家をして現実の世界を理解さ
せ征服させる作業上のモデルなのであります。歴史家は過去の経験から、それも、彼の手の届く限りの過去の経験から、合理的な説明や解釈の手に負えると認め
た部分を取り出し、そこから行為の指針として役立つような結論を導き出すのです。
→
歴史の過程のうちに意味を見出し、そこから結論を導き出そうという歴史家の試みは、
結局、「経験の総体」に均整のとれた秩序を与えようという試みにほかならぬ、歴史における偶然の存在はこの試みを失敗に終わらせてしまう、というのです。
けれども、まともな歴史家なら誰も「経験の総体」を扱かおうなどと突拍子もないことをする気など起らないものです。彼は自分が選んだ歴史の分野、あるいは
歴史の側面のそのまた小さな事実の断片しか扱うことが出来ないのです。歴史家が作り出す世界は、科学者が作り出す世界と同じく、現実の世界を写真のように
映し出したものではなく、むしろ一つの作業模型であり、そのお陰で歴史家は多少とも効果的に現実の世界を理解し学ぶことができるのです。歴史家は過去の経
験、それも彼の手に入る範囲の過去の経験から、合理的な説明や解釈に叶うと思われる部分を抽出して、そこから教訓として役立つような結論を導き出すので
す。103,104
153頁
こうした手続は哲学者に、いや、ある種の歴史家にも当惑とショックとを与えるかも知れません。
→
哲学者だけでなく一部の歴史家は、こうした手続に対して戸惑いと憤りを覚えるかも知れません。104
154頁
もちろん、愛煙家であったから、ロビンソンは殺されたのです。歴史におけるチャンスと偶然とを信じる人々が言っていることは、いずれも申分なく真実であり、申分なく論理的であります。
→
確かに、ロビンソンが死んだのは愛煙家だったからであります。歴史における偶然と運の役割を熱烈に信仰する人々が言っていることは、実に正確であり実に論理的であります。105
155頁
タルコット・パーソンズ
→
タルコット・パーソンズ(9頁参照)105
歴史家が、自分の目的にとって有意味な事実を涯しない事実の大海から選び出すのと全く同じように、彼は、歴史に有意味な因果の連鎖を、いや、それだけを多
数の原因結果の多くの連鎖の中から取り出すのです。そして、歴史的意味の規準とは、彼の考えている合理的な説明および解釈の型の中へ事実を嵌め込む彼の能
力ということなのです。別の原因結果の連鎖が偶然的なものとして斥けられねばならないのは、原因と結果との関係に違いがあるからではなく、この連鎖それ自
体が無意味であるからです。歴史家はそれをどうすることも出来ません。それは合理的解釈の手に負えませんし、過去にとっても、現在にとっても無意味なので
す。
→
歴史家は、自分の目的にとって有意義な事実を果てしない事実の大海から選び出すのと
全く同じように、多数の因果の連鎖の中から歴史的に有意義な因果の連鎖だけを取り出すのです。しかも、歴史的に有意義であるかどうかの規準は、彼自身の合
理的説明と解釈の型にそれらを嵌め込むことが出来るかどうかで決まるのです。それ以外の因果の連鎖は偶然なものとして排除しなければなりませんが、それは
その因果のつながりが別の種類のものだからではなく、その因果の連鎖自体が的外れだからです。歴史家はそのような因果の連鎖を扱うことが出来ません。それ
は合理的解釈に適合しないし、過去にとっても現在にとっても無意味なのです。105
しかし、将軍たちが美貌の女王に夢中になっていたために戦闘に敗れたとか、国王が猿を寵愛していたから戦争が起ったとか、愛煙家であったために轢き殺されたとか説くのは、一般的命題としては意味をなしません。
ところが、あなたが普通の人間に向かって、ロビンソンが殺されたのは、運転手が酩酊していたせいであるとか、・・そうおっしゃたなら、その人はこれを全
く賢明で合理的な説明だと思うでしょう。更に、その人が区別しようと考えたら、これがーー煙草を喫みたいというロビンソンの欲望ではなくーーロビンソンの
死の「本当」の原因だとさえ言うでしょう。
→
しかし、将軍たちが美貌の女王に夢中になっていたために戦闘に敗れたとか、国王が猿を寵愛していたから戦争が起ったとか、人が愛煙家であったために轢き殺されたとか説くのは、普遍的な説明としては意味をなしません。
その一方で、あなたが普通の人間に向かって、ロビンソンが殺されたのは、運転手が
酩酊していたせいであるとか、・・そうおっしゃたなら、その人はこれを全く賢明で合理的な説明だと思うでしょう。更に、その人が正確な違いに興味があるな
ら、煙草に対するロビンソンの欲望ではなく、これこそがロビンソンの死の「本当」の原因だと言うかもしれません。106
157頁
通常、理性という能力は何かある目的のために用いられるものであります。時々、インテリは戯れに理性を用いたり、自分で理性を用いたと考えたりするものです。しかし、一般的に言って、人間はある目的のために理性を用いるものです。
→
通常、論理的思考力は何かある目的のために用いられるものであります。時にはインテリたちが楽しみのために推論し、また推論していると思うことがあるかもしれません。しかし、一般的に言って、人間はある目的のために論理を用いるものです。106
159頁
このトリックが私の言うことを簡略にしてくれておりますので、さだめし、便利な略図としてお許し下さったことと思います。
→
このトリックは私の言うことを短く平易なものにすることに役立っておりますので、寛大な皆さんは恐らくこれを便宜上の簡略表現と見做して下さったことと思います。108
160頁
未来というものを深く感じていた。」
→
未来に対して確信を抱いていた。」
私の考えでは、優れた歴史家たちは、意識すると否とに拘らず、未来というものを深く感じているものです。
→
私の考えでは、優れた歴史家たちは、意識すると否とに拘らず、未来に対して確信を抱いているものです。108
162頁
「われわれが生まれる以前に過ぎ去った永遠の時間が、われわれにとって無関係なものであることを考えてみよ。これは、自然がわれわれの死後の未来の時間を映してくれる鏡である。」
→
「われわれが生まれる前の果てしない過去の時間が、われわれにとって如何に無縁なものであるかを考えてみればよい。このことは、われわれが死んだ後の未来の時間がどんなものであるかを教えている。」110
163頁
明るい未来に対する詩的なヴィジョンが、過去の黄金時代への復帰というヴィジョンの形になったもので、歴史の過程を自然の過程と同じに考えた循環的な見方です。歴史はどこにも生きておりませんでした。
→
明るい未来への詩的な展望は、過去の黄金時代の復帰への展望という形をとりました。それは、歴史の過程を自然の過程になぞらえた循環的な物の見方です。歴史はまだどこにも存在してはおりませんでした。110
「われ涯しなき領土を与えぬ」というのは甚だ非古典的な思想で、そのために、やがて、ウェルギリウスは半ばキリスト教の予言者として認められるに至ったのです。
→
「われ永遠の支配権を与えぬ」というのは甚だ非古典的な思想で、そのために、後にウェルギリウスはある意味でキリスト教の予言者として認められることになったのです。110
すなわち、歴史そのものが、弁神論になったのです。これが中世的歴史観でした。
→
すなわち、歴史そのものが、神の正しさを証明する理論になったのです。これが中世の歴史観でした。110
164頁
こうして、かつてわれわれを憎み悩ませていた時間というものが、今は親切で創造的なものになりました。
→
こうして、かつてわれわれに敵対し、われわれを蝕んでいた時間というものが、今は親切で創造的なものになりました。110
166頁
西洋の没落というのは、もう引用句が要らないくらいファミリアな言葉になりました。
→
西洋の没落というのは、もう括弧で括る必要がないくらいありふれた言葉になりました。112
強烈な階級的偏見
→
強烈な階級意識(sense of class)112
167頁
この進歩という問題については、なぜ、一九五〇年代の意見だからといつて、その方が一八九〇年代の意見よりも実際に正しいとせねばならないのか、・・私にはその理由が判りません。
→
進歩というこの問題に関して、そんな事実(大学教授が自分で洗い物をすることなど)で、一八九〇年代の意見よりも一九五〇年代の意見を正しいとせねばならない、・・と思っているのではありません。112
先ず最初に、進歩と進化とに関する混乱を片づけておこうと思います。啓蒙時代の思想家たちは、明らかに衝突する二つの見方を信じておりました。彼らは自然
の世界における人間の地位を認めようと努力し、そのために、歴史の法則は自然の法則と同じものと考えていました。その半面(ママ、反面)、彼らは進歩とい
うことを信じていたのです。しかし、如何なる根拠があって、自然を進歩するものとして、あるゴールへ向って絶えず前進するものとして取扱うことが出来るで
しょうか。
→
先ず最初に、進歩と進化についての混乱を片づけておこうと思います。啓蒙時代の思想
家たちは、一見して両立しがたい二つの見方を採用しておりました。彼らは自然の世界における人間の立場を正当化しようとしました。つまり、歴史の法則を自
然の法則と同じものと見做したのです。その一方で、彼らは進歩を信じていたのです。しかし、如何なる根拠があって、自然を進歩するものとして、ある目標へ
向って絶えず前進するものと見做すことが出来るでしょうか。113
168頁
ポテンシャルな能力
→
潜在能力 114
169頁
文明は紀元前四千年にナイル河流域で発明されたという信仰がありますけれども、今日では、これは、天地創造の時を紀元前四〇〇四年と定めた年代記より信用できるというわけではありません。
→
文明は紀元前四千年にナイル川流域で発明されたという考え方がありますけれども、今日では、これは、天地創造を紀元前四〇〇四年に置いた年表と同様、信憑性は低いのです。(no moreーthan)114
170頁
そして、これこそ、歴史は単に進歩の記録ではなく、「進歩する科学」であるーーもしお望みならーー歴史は二つの意味においてーー事件のコースとして、これらの事件の記録としてーー進歩するものである、というアクトンの主張の意味なのです。
→
そして、これこそ、歴史は単に進歩の記録ではなく、「進歩する科学」でもあるという
アクトンの主張の意味なのです。これは、歴史は様々な出来事の過程であると同時に出来事の記録でもあるという、言葉の二つの意味において未来を志向するも
のである、と言い換えてもいいでしょう。115
171頁
哲学者ブラドリは、進化の類推が流行して時代に執筆活動をしていた人で、「宗教的信仰にとっては、進化の目的ということは・・・既に進化してしまったものとして現われる」と申しました。しかし、歴史家にとっては、進歩の目的は、既に進化してしまったものではありません。
→
哲学者ブラッドリーは、進化との類推が流行して時代に執筆活動をしていた人で、「宗教的信仰にとっては、進化の目的は・・・進化が終了したものとして現われる」と申しました。しかし、歴史家にとっては、進歩の目的は、進化の終了した地点ではありません。115
羅針盤は大切な、本当に欠くことの出来ない道案内です。しかし、それは道路図ではありません。
→
羅針盤は大切な、本当に欠くことの出来ない道しるべです。しかし、それはルートマップではありません。115,116
172頁
ヘーゲルやマルクスが挙げている二つか四つの文明、トインビーが挙げている二十一の文明、文明は勃興、衰態、崩壊を経過して行くという、文明を人間の一生のように見る理論ーーこういう図式はそれ自体としては無意味なのです。しかし、こういう図式は、
→
ヘーゲルやマルクスが挙げている四つあるいは三つの文明にしろ、トインビーが挙げている二十一の文明にしろ、文明が勃興・衰態・崩壊を経過するとする循環理論にしろ、こういう図式はそれ自身で意味のあるものではありません。むしろ、こういう図式は、(no-but)116
173頁
彼らに対して陋劣な策略を弄した歴史が有意味な合理的なものであり得ないのは明らかなことです。しかし、
→
確かに、自分に対し下劣な犯罪行為をしてきたような歴史が有意義で道理にかなったものではあり得ません。しかしながら、117
例えば、市民的権利を万人の上に拡大しよう、刑事訴訟法を改正しよう、・・・こういう努力をする人たちは意識的には正に右のようなものを求めているのです。言替えれば、「進歩」させようとか、・・実現しようとか、そういうことを意識的に求めているのではありません。
→
例えば、市民的権利を万人の上に拡大しよう、刑事訴訟法を改正しよう、・・・と努力
する人たちは意識的にはそのようなことだけをしようとしているのであって、「進歩」させようとか、・・実現しようとか、そういうことを意識的にしているわ
けではありません。(原書、'law'or'hypothesis'or progressは'law'or'hypothesis'of
progressの誤植か)117
174頁
しかし、このことは進歩の概念を無効にするわけではありません。
→
だからと言って、進歩の概念の値打ちが下がるわけではありません。117
空虚な概念ではない」
→
無意味な概念ではない」(無意味はemptyの辞書では下の方の意味)117
マルクスは人間の労働を全構造の基礎として論じていますが、「労働」という言葉に十分に広い意味を与えるなら、この方式も結構なものと思います。
→
マルクスはその全体系の基礎として人間の労働を扱っていますが、「労働」に十分広い意味(資産の獲得と環境の利用)を与えるなら、(労働に対する)このような考え方も可能でしょう。117
175頁
むしろ、疑われているのは、二十世紀に入ってから私たちの社会形成の働きに、また、国内的にしろ、国際的にしろ社会的環境の支配に、何か進歩があったか、
明らかな退歩があったのではないか、という点なのです。社会的存在としての人間の進化は宿命的に技術の進歩に遅れて来たのではないでしょうか。
→
むしろ、疑われているのは、二十世紀に入ってから私たちの社会的な秩序形成と、各国
内の社会環境や国際的な社会環境の支配に、何か進歩があったか、明らかな退歩(世界大戦を意味する)があったのではないか、という点なのです。社会的存在
としての人間の進歩は技術的進歩に致命的な後れをとっているのではないでしょうか。118
社会組織の諸問題に対する私たちの理解力が、また、この理解力に照らして社会を組織する善意が退歩しているという主張は、全く誤りだと思います。
→
社会的組織の問題に対する私たちの理解力と、この理解力によって社会を組織しようとする私たちの善意が後退しているという主張は、全く誤りだと思います。118
176頁
ただし、私たちが、大陸間、国家間、階級間にバランス・オブ・パワーの移動が進んでいるために生じた戦争と動乱の時代を生きているところから、これらの能力と性質の負担が恐ろしく殖え、積極的成果に対するその有効性を制限し挫折させているのです。
→
むしろ、私たちが生きているこの時代は、大陸間・国家間・階級間における力の均衡の
変動期であり、それに起因する戦争と混乱の時代でありまして、その間、私たちの能力と道徳的性質は度重なる恐ろしい重圧を受けて、その力を十分に発揮でき
ず、肯定的な結果を生み出せないでいるのです。118
私は人間の完成可能性や地上における未来のパラダイスなどを信じているつもりははありません。
→
私は人類が完成の域に達する可能性や未来における地上の楽園を信じているつもりははありません。119
この限りでは、私は、完成は歴史のうちでは実現され得ない、と説く神学者や神秘主義者と同意見ということになるでしょう。しかし、私は、ゴールーといって
も、私たちがそれへ向かって前進して初めて規定され得るような、その有効性は、それに到達する過程で初めて証明されるようなゴールーへ向う限りない進歩、
すなわち、われわれが必要としたり考えたりすることが出来るような、限度というものを持たぬ進歩の可能性と言うことで満足しようと思います。
→
この限りでは、私は、人類の完成は歴史の中では達成できない、と説く神学者や神秘主
義者と同意見ということになるでしょう。むしろ、私は様々な目標に向う無限の進歩の可能性で満足しょうと思います。進歩には限界などないし、そんな限界な
どわれわれには想像できないし想像する必要もないのです。またこの目標は、それに向かって前進しながら設定するしかないものであり、目標の有効性もまたそ
れに到達する過程で確認するしかないものなのです。119
177頁
すべて文明社会というものは、まだ生れぬ世代のためを思って、現存の世代に犠牲を押しつけるものです。
→
あらゆる文明社会は、これから生れてくる世代のために、現行の世代に様々な犠牲を強いるものです。119
「後代への義務という原理は、進歩の観念から直接に流れ出るものである。」恐らく、これは弁明を必要としないでしょう。もし必要だとしても、私は、それを弁明する他の方法を知らないのです。
→
「子孫への服従という原理は、進歩の観念の当然の結果である。」恐らく子孫への服従について説明する必要はないでしょう。もし必要だとしても、私にはこれ以上の説明は不可能です。119
客観性という言葉そのものが誤解を招きますし、仮定を基礎としているものです。
→
客観性という言葉自体誤解を招きやすいものであり、結論を先取りするものです。119
知識理論
→
認識論 119
178頁
私たちは、両者の間にある相互関係および相互作用の複雑な過程に相応しい新しいモデルが必要なのです。
→
両者(主体と客体)の相互関係と相互作用の複雑な過程に相応しい新たなモデルが、私たちには必要なのです。119末
歴史における客観性ーまだこの便宜的な言葉を使うとしますとーというのは、事実の客観性ではなく、単に関係の客観性、つまり、事実と解釈との間の、過去と現在と未来との間の関係の客観性なのです。
→
歴史の客観性ーなおこの便利な言葉を使うべきとしてーとは事実が客観的であることではあり得ません。それは単に関係が客観的であること、つまり、事実と解釈の間の関係、過去と現在と未来の関係が客観的であるということなのです。120
179頁
しかし、どうしても、これは進化する目的になります。なぜなら、過去の進化的解というのは歴史の必然的な機能なのですから。
→
しかしながら、この目的は必然的に発展的なものとなります。なぜなら、過去を発展的に解釈することが歴史の必然的役割なのですから。121
180頁
「歴史家にとっては」とバターフィールド教授が言うところを見ますと、歴史家が後について行かなくてもよい或る領域を暗に自分のために残しているのでしょ
うが、「唯一の絶対者は変化である。」歴史における絶対者というのは、そこから私たちが出発するところの、過去にある或るものでもなく、また、現在にある
或るものでもないのです。なぜなら、すべて現在の思考は必然的に相対的なものですから。
→
「歴史家にとって、唯一の絶対者は変化である。」とバターフィールド教授が言ったと
き、恐らく彼は歴史家たちが必しも自分に従うには及ばない領域をそれとなく自分のために取っておいたのです。歴史における絶対的なものとは、私たちが出発
点とする過去の何かではありません。一方、それは現在の何かでもないのです。なぜなら、現在におけるあらゆる思考は必然的に相対的なものだからです。121
そして、過去に対する私たちの解釈を究極的に審ばくような標準を与えます。この歴史における方向感覚があってこそ、私たちは過去の諸事件に秩序を与え、こ
れを解釈するーーこれが歴史家の仕事ですーーことが出来るのであり、また、未来を眺めながら現在における人間のエネルギーを解放し、これを組織するーーこ
れが政治家、経済学者、社会改革者の仕事ですーーことが出来るのです。
→
そして、その絶対的なものが、過去に対する私たちの解釈を最終的に判断する際の試金
石になるのです。歴史におけるこの(未来への)方向意識があってこそ、私たちは過去の諸事件に秩序を与え、これを解釈することが出来るのです。そして、こ
れが歴史家の仕事なのです。また、この方向意識があってこそ、未来を眺めながら現在における人間のエネルギーを解放し、これを組織することが出来るので
す。これが政治家、経済学者、社会改革者の仕事なのです。121,122
181頁
「現代の人々が、この平等の漸次的進歩的な発展こそ同時に彼らの歴史の過去であり未来であると知ったなら、このただ一つの発見によって、右の発展にはわが主の意志という聖なる性質が与えられる。」
この未完のテーマについて歴史の重大な一章が書かれ得ることになりました。
→
「現代の人々が、平等の漸進的な発展こそ彼らの歴史の過去であり未来でもあると知ったなら、このただ一つの発見によって、この発展に主の意志の神聖な性質が与えられる。」これは今なお未完成なこのテーマについて書かれた歴史の重要な一章なのです。122
182頁
「歴史家は過去を想像し、未来を想起する」
→
「歴史家は過去を推測し、未来を思い出す」122,123
過去が未来に光を投げ、未来が過去に光を投げるというのは、歴史の弁明であると同時に歴史の説明なのであります。
→
過去が未来を明らかにし、未来が過去を明らかにすることが、歴史を正当化することであり歴史を明らかにするなのであります。123
183頁
もちろん、彼がただ事実を正しく手に入れているというのではなく、彼が正しい事実を手に入れている、言い換えれば、重要性の正しい規準を用いているという
のです。私たちがある歴史家を客観的であると呼ぶ時、私たちは二つのことを考えているのだと思います。先ず、第一に、その歴史家が、社会と歴史とのうちに
置かれた自分自身の状況から来る狭い見方を乗り越える能力ーー前の講演で申し上げましたように、半ばは、いかに自分がこの状況に巻き込まれているかを認識
する能力、謂はば、完全な客観性が不可能であることを認識する能力に依存するところの能力ーーを持っていることを意味します。第二に、その歴史家が、自分
の見方を未来に投げ入れてみて、そこから、過去に対してーーその眼が自分の直接の状況によって完全に拘束されているような歴史家が到達し得るよりもーー深
さも永続性も優っている洞察を獲得するという能力を意味します。
→
それはもちろん、彼が単に事実を正しく手に入れているということではなく、彼が正し
い事実を選んでいるということ、言い換えれば、彼が重要性の正しい規準を適用しているということです。私たちがある歴史家を客観的であると呼ぶ時、私たち
は二つのことを考えているのだと思います。先ず第一に、その歴史家が、社会と歴史の中の自分自身の状況に関する限られた見方を乗り越える能力を持っている
ことを意味します。この能力は、以前の講演で申し上げましたように、いかに自分がこの状況に巻き込まれているかを認識する能力、即ち、完全な客観性が不可
能であることを認識する能力にある程度は左右されます。第二に、その歴史家が、自分の見方を未来に投影することによって過去に対する洞察力を獲得する能力
を意味します。こうして得られた洞察力は、自分の視界を自分自身の身近な状況によって完全に制限されている歴史家には手に入れることの出来ない深さと持続
性を備えています。123
184頁
歴史記述は進歩する科学です。と申しますのは、それが諸事件のコースーーそれ自身が進歩するものですがーーに対する洞察に絶えず広さと深さとを与えて行こうとするからです。
→
歴史の編纂とは進歩する科学なのです。それは、歴史の編纂は、様々な出来事の過程に対する洞察力を常に拡大深化させようと努めることであり、その出来事の過程自体が進歩するものであるという意味なのです。124
現代の歴史記述は、過去二世紀間、右のような進歩への二重の信仰のうちに成長して来たもので、もしこの信仰がなかったら、今日まで生き延びることは出来な
かったでしょう。なぜなら、この進歩の信仰こそ、歴史記述に重要性の規準を与え、本当のものと偶然のものとを区別する標準を与えるものでありますから。
→
現代の歴史の編纂は、過去二世紀の間、このような進歩への二重の信念のうちに成長し
て来たものであり、この信念なしに生き残ることはできないのです。なぜなら、この信念こそ、歴史の編纂に重要性の規準を与え、本当のものと偶然のものを区
別する試金石をもたらすものだからです。124
186頁
現に存在するものは全てが正しい、と言わぬまでも、やがて存在するものであろうものは全てが正しいという意味を含んでいる、と申します。
→
(歴史的判断の規準を未来に求める理論は)今は全てが正しくなくても、未来は全てが正しいという意味を含んでいる、と申します。125
歴史家はただ方向を認めたのではなく、それを裏書きしたのです。
→
歴史家はこの方向を認めただけではなく、それを支持もしたのです。125
彼が過去の研究に用いた重要性のテストは、歴史の進んで行くコースについての感覚というだけでなく、彼自身がこのコースに道徳的責任があるという感覚なのです。「存在」と「当為」、事実と価値との間にあるという対立は解消してしまいました。
→
彼が過去を扱うときに適用した重要性の規準は、歴史の進んで行く方向についての意識だけでなく、この方向に対して彼自身が道義的に関わっているという意識でもあるのです。「である」と「であるべき」、事実と価値の間にあると言われる分裂は消えていました。125
誰も彼もこの見方を堅く明白にーーといっても、程度はいろいろですがーー守っていました。
→
誰も彼もがこの見方に対して揺るぎなくしかも多少ともはっきり傾倒していました。125
187頁
しかし、これは筋道が違うと思います。何人かの歴史家や歴史著述家を思いつくままに選んで、この人たちがこの問題をどう考えていたかを調べてみましょう。
→
この道は間違っていると思います。何人かの歴史家や歴史著述家を思いつくままに選んで、この人たちが「歴史とは何か」というこの問題についてどう感じていたかを見てみましょう。125
ギボンは、その歴史物語の中で回教の勝利を論じるのに相当の頁を費したのを当然のことと考え、「マホメットの弟子たちが東洋的世界ではまだ聖俗両権を握っ
ているから」という理由を挙げました。しかし、彼はこう附け加えています。「七世紀から十二世紀にかけて、スキト平原から襲ってきた野蛮人の大群について
は、こういう労力を払う必要はないであろう。」なぜなら、「ビザンチン王国の権威がこの乱暴な攻撃を撃退して切り抜けて来ていたから。」これは納得の行く
話です。
→
ギボンは、回教の勝利のために自分の作品の中に相当の頁を割いた理由として、「マホ
メットの弟子たちが東洋世界ではまだ聖俗両権を握っている」ことを挙げました。それに続けて、「しかし、七世紀から十二世紀にかけて、スキタイ平原から
襲ってきた野蛮人の大群については、こういう労力を払う必要はないであろう。」、なぜなら、「ビザンチン王国の権威がこの乱暴な攻撃を撃退して切り抜けて
来ていた。」からだと言うのです。これは当然なことだと思います。(ギボンの原文ではButもギボンの文章である)126
ルイ15世のことを「世界無法精神の化身」と名づけました。
→
ルイ15世のことを「齟齬を来した世界の化身」と名づけました。(The French Revolution, by Carlylはネットで読める。solecismは文法違反、マナー違反とあるが、文法の崩壊か)127
189頁
「これはまた何という新しい広汎な目の廻る運動であろう。これは制度の、社会組織の、個人の精神の運動であり、しかも、それらが昨日は協力し合っていたか
と思うと、今日は気が狂ったように衝突し合っている始末。これも仕方がない。『世界無法精神』もついに弱り切って崩壊してしまったのであるから。」
→
「これは何と新しい目の廻るような広汎な変動であろう。これは制度の、社会組織の、
個人の精神の変動である。曾てこれらは協力し合って機能していたのに、今では転げ回り軋みながら気が狂ったように衝突し合っている。これは避けられないこ
とである。一つの齟齬を来した世界が崩壊して到頭お払い箱になろうとしているのである。」127
この規準も歴史的です。ある時代に適切であったものが次の時代には無法になる、そのために非難されるのです。
→
この尺度(solecism)はまたしても歴史的なものです。ある時代に適切であったものが次の時代には齟齬を来すものになり、そのために非難されるのです。127
右のような見方
→
(適切なものが不適切になるという)右のような見方 127
これは珍妙な評価だと思います。しかし、現在の私の関心事は判断の規準にあります。
→
私は(レーニンを失敗者だとする)この判断には与しません。むしろ、ここでの私の関心事は判断の規準にあります。127
191頁
これは、即席の判断を下させるような規準ではなく、むしろ、存在するものはすべて正しい、という見解に屈服するような規準です。
→
(「最も役に立つもの」という規準は)これは、即席の判断を下させるような規準ではなく、存在するものはすべて正しいという見解に屈服するような規準でもありません。(not A or B は~でも~でもない)128
193頁
組織全体を崩壊させてしまったのでしょうか。
→
全世界を崩壊させてしまったのでしょうか。129
私が申し上げたいのは、一九二〇年代の歴史家の方が一八八〇年代の歴史家よりも客観的判断に近いということ、今日の歴史家の方が一九二〇年代の歴史家よりも近いということ、紀元二〇〇〇年の歴史家の方がもっと近いであろうということです。
→
私が申し上げたいのは、一九二〇年代の歴史家の方が一八八〇年代の歴史家よりも、今日の歴史家の方が一九二〇年代の歴史家よりも、さらに恐らくは紀元二〇〇〇年の歴史家の方が、客観的判断に近いということです。130
194頁
いかに価値体系というものが環境の事実によって作られているか、
→
いかに価値体系というものがその環境にある様々な事実によって作られているか、130
196頁
アメリカの建国者たちが独立宣言の中で、すべての人間は平等に作られたという自明の真理に触れております場合、
→
アメリカの建国者たちが独立宣言の中で、すべての人間は平等に作られているということを自明の真理だと言っております場合、131,132
これを真理と見るべきか否かを疑うでしょう。
→
これを真理と呼ぶ事が正しいかどうかを問題にするでしょう。132
197頁
歴史はその本質において・・ーー古風な言葉に反対でないならーー進歩であります。
→
歴史はその本質において・・ーーみなさんがこの時代遅れの言葉を素直に受け取って下さるならーー進歩であります。132
私たちがどこから来たのかという信仰は、私たちがどこへ行くのかという信仰と離れがたく結ばれております。
→
私たちがあるどこかの地点から来たという考え方は、私たちがあるどこかの地点に向いつつあるという考え方と離れがたく結ばれております。132
200頁
この変化の最も目立った側面といえば、十五、六世紀に金融や商業を、後には産業を基礎とする新しい階級に初めて権力を与えた社会革命に匹敵する一つの社会革命であります。
→
この変化の最も際立っている点は、これが一つの社会革命だということであります。この社会革命は、十五、六世紀に金融や商業を基礎とする新しい階級に、後には産業を基礎とする新しい階級に権力を与えた社会革命に匹敵するものです。133
深さの変化と、地理的な広がりの変化とでも申しましょうか
→
奥行きの変化と、地理的範囲の変化とでも申しましょうか 133
歴史というものは、人間が時の流れを自然的過程ーー四季の循環とか人間の一生とかーーとしてではなく、それに人間が意識的に巻き込まれ、また、人間が意識的に影響を与え得るような、そういう特殊的事件の連鎖として考え始める時に始まります。
→
歴史が始まるのは、人間が時の流れを四季の循環や人間の一生のような自然の過程と考えるのではなく、人が意識的に関わって影響を与えることのできる具体的な事件の連続と考え始める時なのです。134
201頁
ところが、現代はこの奮闘を革命的に広げてしまいました。現代の人間が理解しようとし、働きかけようとしているのは、彼の環境だけでなく、彼自身なのです。
→
ところが、現代ではこの努力の範囲が革命的な規模で広がっています。いまや人類が理解して影響を与えようとしている対象は、自分の環境に止まらず、自分自身にまで広がっているのです。134
202頁
ルソーは人間の自己理解および自己意識の未知の深遠を切り開き、自然の世界と伝統的文明とに対する新しい見方を人間に教えたのです。トックヴィルが言いま
したように、フランス革命は「必要なのは、当時の社会秩序を支配していた伝統的慣習のコンプレックスを廃して、その代はりに、人間理性の働きと自然法則と
に発する単純な基礎的なルールを打ち樹てることであるという信仰」によって鼓舞されたものであります。アクトンは、彼の原稿の中のある注で次ぎにように述
べました。「その時まで、人々は、自分たちが求めているものが自由であることは知らなかった。」
→
ルソーは人間の自己認識と自意識に新たな奥行きを開拓して、自然の世界と伝統的文明
とに対する新しい見方を人間に教えたのです。トクヴィルは言いました。フランス革命を鼓舞したのは「当時の社会秩序を支配していた伝統的慣習の固定観念の
代はりに、人間理性の働きと自然法に基くごく単純なルールを打ち立てることが必要であるという考え方」だったと。「人々は、その時初めて、自分たちが求め
ているものが何であるかを知って、自由を求めたのです。」とアクトンは、自分の原稿の中の注で述べました。134
「八十七年前、われわれの父親たちは自由を信じて、この大陸に新しい国家を作り、すべての人間は平等に作られたという信条のために献げた。」
このリンカンの言葉が告げておりますように、アメリカ革命は珍しい事件でした。
→
「八十七年前、われらの父祖はこの大陸に新しい国家を作った。それは自由のうちに抱かれ、全ての人間は平等に作られているという信条に捧げられたものである」このリンカンの言葉が告げておりますように、アメリカ革命は唯一無比の事件でした。135
十七、八世紀になりますと、人間は自分の周囲の世界とその法則とをもう完全に意識するようになりました。この法則はもはや測り難い摂理という神秘的な掟で
はなく、理性が受け入れることの出来る法則となりました。けれども、それは人間の従う法則であって、人間みずからが作る法則ではありませんでした。次の段
階の人間は、環境および自己自身に対する人間の力を、また、自分で法則を作って、その下に生きるという権利を十分に意識せねばならなかったのです。
→
十七、八世紀には、既に人類は自分の周囲の世界とその法則を完全に意識するように
なっていました。この法則はもはや測り難い摂理という神秘的な掟ではなく、理性が受け入れることの出来る法則でありました。けれども、それはなお人間の従
う法則であって、人間みずからが作る法則ではありませんでした。それが次の段階では、人間は、環境と自分自身に対する人間の力と、自分で法則を作りその下
に生きる権利とを、十分に意識することになったのです。135
203頁
ヘーゲルは、摂理の法則を理性の法則に変じた、そういう観念を基礎としております。
→
ヘーゲルは、理性の法則に転じた摂理の法則という観念を基礎としております。135
彼はアダム・スミスに共鳴しています。
→
彼はアダム・スミスとそっくりにこう書いています。(次の引用はヘーゲルの『歴史哲学』(J.Sibree訳とほぼ同じ。岩波文庫『歴史哲学講義』55頁)のもの)135
人間は「この合理的意図を実現する行為を営みながら、これを利用して自分たちの欲求ーーの意味はあの合理的意図とは別のものであるーーを満足させている。
→
人間は「この理性の意図を実現するまさにそれと同時に、理性の意図とは異なる意味を持つ自分たちの欲望を満足させている。」(『歴史哲学講義』64頁)136
204頁
「理性の奸計」
→
「理性の狡知(悪知恵)」136
ヘーゲルはフランス革命の哲学者であり、歴史的変化を、人間の自己意識の発展を実在の本質と見た最初の哲学者でありました。
→
ヘーゲルはフランス革命の哲学者であり、歴史的変化の中と、人間の自意識の発展の中に、現実の本質を見た最初の哲学者でありました。136
205頁
マルクスの最後的な綜合では、歴史というのは三つのものーーこれらは互いに不可分のもので、一貫した合理的全体を形作っているのですがーーを意味しており
ました。第一は、客観的な、主として経済的な法則に合致した事件の動き、第二は弁証法的過程を通して行われる思惟の、これに対応する発展、第三は、これに
対応する、階級闘争という形態の行動で、これが革命の理論と実践とを調和し統一するのです。
→
マルクスの最終的な体系においては、歴史は三つのものを意味しており、それらは互い
に不可分であり、一貫した理性的な全体を形成しております。それは、客観的な主に経済法則に合致した様々な事件の進展と、それに伴う弁証法的過程による思
想の発展と、さらにそれに伴う階級闘争という形の行動であります。この三つめのものが革命の理論と実践を調和させ結びつけるのです。136
「生産および流通の当事者の心中に作られる生産法則の観念は、本当の法則とはひどく違うであろう」
→
「生産と流通の当事者の心の中にある生産法則についての概念は、実際の法則とはひどく違っているものである」137
フォイエルバッハに関する有名なテーゼ
→
有名な『フォイエルバッハに関するテーゼ』137
207頁
もう一人、理性に新しい広がりを加えた現代の大思想家はフロイトであります。
→
もう一人、理性に新しい奥行きを加えた現代の大思想家はフロイトであります。(今は奥行きに話の続きであり、広がりの話はもっと後の中国などの話)138
208頁
フロイト自身は固定不変の人間性という考へ方を十分に脱却してはおりませんでしたけれども、人間行動の根源を一層深く理解するための、そして、合理的過程を通じてこれを意識的に変更するための道具を与えてくれたという意味で現代世界に属している人なのです。
→
フロイト自身は固定不変の人間性という考へ方から十分に脱却してはおりませんでした
けれども、人間の行動のルーツをより深く理解するための道具を与え、ひいては理性的過程を通じて人間の行動を意識的に変更するための道具を与えてくれたと
いう意味で現代世界に属している人なのです。139
209頁末
歴史家は、自分の行為を知ることが出来ますし、知らねばなりません。
→
歴史家は、自分が何をしているかを知ることが出来ますし、知るべきなのです。139
210頁
一九三〇年代になりますと、人々は「経済人の終焉」ということを言い始めました。「経済人」というのは、終始一貫、経済法則にしたがって自分の経済的利益
を追求する人間という意味ですが、この時期以来、少数の十九世紀の生き残りを除けば、もう誰もこういう意味の経済法則を信じるものはいなくなりました。
→
一九三〇年代になりますと、人々は「経済人の終焉」(ドラッカー)ということを言い
始めました。「経済人」というのは、終始一貫、経済法則にしたがって自分の経済的な利益を追求する人間という意味ですが、その時以来、少数の十九世紀の生
き残りを除けば、もう誰もこういう意味の経済法則の存在を信じるものはいなくなりました。140
今日の経済学は、幾つかの数式であるか、甲が近くにいる乙をいかに押しのけるかというような実際的研究であります。
→
今日の経済学は、幾つかの数式であるか、ある人たちが別の人たちを如何にこき使うかの実際的研究であります。140
211頁
イングランド銀行が最大の力を振っていた時代でさえ、それは巧妙な操作者とか操縦者とか考えられず、経済の傾向の客観的な半自動的な登録者と考えられていたのです。
→
イングランド銀行が最大の力を振っていた時代でさえ、それは巧妙な仲買人や相場師ではなく、経済の動向の客観的で半自動的な記録係と考えられていたのです。140
215頁
もし個人化の過程についてアカデミックな例をお望みでしたら、過去五、六十年間、歴史、科学、個々の科学に行われた広大な多様化のこと、その結果として個人の専門化が猛烈に多様になったことをお考え下さい。
→
もし個人化の過程についてアカデミックな例をお望みでしたら、過去五、六十年間にわたる歴史や科学などあらゆる学問の大幅な多様化のこと、それに伴う個人の専門の種類が非常に増えたことをお考え下さい。143
生産の合理化というのは、それより遙かに重要なことを意味します。
→
生産の合理化というのは、それ自体より遙かに重要なことを意味します。143
217頁
簡単に非難を加え得るようなある暗い現象に向けられたものです。
→
簡単に非難を加え得るような特定のネガティブな現象に向けられたものです。144
こうしたキャンペーンは、これを推進する人たちの手中では、ある望ましい方向に個々のメンバーを作り上げることを通して、そういう方向に社会を作り上げる
ための意識的な合理的な過程なのであります。もう一つ、こういう危険のあくどい例は、商業広告業者や政治的宣伝家によって提供されております。実は、多く
の場合、二つの仕事はダブっているのです。
→
こうしたキャンペーンは、これを推進する人たちの手になると、ある望ましい方向に社
会の個々の構成員を作り上げることを通して、そういう方向に社会を作り上げるための意識的で理性的な過程となるのであります。その他にこうした脅威の見逃
せない例は、商業広告業者や政治的宣伝家によって提供されております。実は、多くの場合、この二つの仕事は重なっているのです。144
しかし、理性といっても、他の例で検討して参りましたように、ただ研究のために用いられているのではなく、建設的に用いられており、それも静的でなく、動的に用いられているのです。
→
しかしながら、理性は、ここでも他の例で見てきたのと同じく、ただの研究対象として利用されるのではなく積極的に利用されており、固定したものとしてではなく変化するものとして利用されているのです。145
218頁
私はこの光景を少し誇張しました。とにかく、全体として、その通りに違いありませんし、それは他のいろいろな方面についても言えることです。
→
私はこの光景を少し誇張して描きました。しかし、この光景は大筋で間違っておりませんし、これは他のいろいろな分野にも当てはまると思います。145
この方法は、それが理性の濫用を生んでいるだけに、他の方法より悪いように思われます。
→
このやり方が何らかのやり方より悪いと見えるのは、理性の濫用につながるからです。145
219頁
否定的な面をもっていた
→
否定的な面をもっている 145
むしろ、こういう悪は、
→
むしろ、こういう害悪は、146
220頁
しかし、懐疑派や犬儒派や何と言おうと、破滅の予言者たち、特に、今までの特権的地位が掘り崩されている国々のインテリの間の予言者たちが何を言おうと、私は、堂々と、これを歴史における進歩の素晴らしい事例と見たいと思います。
→
しかし、懐疑主義者や皮肉屋たちや不幸の予言者たちが何と言おうと、特に、かつての特権的地位を失いかけている多くの国々のインテリたちが何と言おうと、私は、堂々と、これを歴史における進歩の素晴らしい事例と見たいと思います。146
これに比べますと、フランス革命の動乱は小さなものであったとはいえ、それでも、新世界を引き入れて、旧世界のバランスを回復するという地理的な帰結を持ったものです。
→
これに比べますとフランス革命の動乱は小さなものであったとはいえ、それでも、新世界を引き入れて、旧世界のバランスを修正するという地理的な帰結を持ったのです。147
遙かに物凄いものであります。
→
遙かに徹底したものであります。147
約四百年の後に、世界の重心は西ヨーロッパから決定的に去りました。
→
約四百年の間に、世界の重力の中心は明らかに西ヨーロッパから離れてしまったのであります。147
221頁
西ヨーロッパは・・合衆国が発電所と管制塔と両方の役を勤めている国家群になってしまいました。
→
西ヨーロッパは・・合衆国に権力の中心と指令塔との両方を持つ寄せ集めの集団になってしまいました。147
現在、世界の重心が、西ヨーロッパという別館を含む英語使用世界にあるか、今後、久くあるか、という点は決して明らかではありません。
→
世界の重力の中心が、西ヨーロッパという付録付きの英語使用圏に今現在あるのか、あるいは将来も長期に渡ってあるのか、という点は決して明らかではありません。147
今日、世界の動きに向って思うままに指図しているのは、東ヨーロッパ、アジア、そのアフリカにおける延長部分という大地域であるように思われます。
→
今日、世界の大勢を左右しているのは、東ヨーロッパとアジアにアフリカを加えた巨大な大陸であると思われます。147
今日では、「変化を知らない東方」というのは、何とも使い古された常套語であります。
→
今日では「不変の東方」は、全く時代遅れの言い方になっているです。147
話は、一九〇二年の日英同盟から、つまり、アジアの一国がヨーロッパ列強の魔法の輪に初めて仲間入りした時から始まります。
→
よくある話は、一九〇二年の日英同盟から、つまり、初めてアジアの一国がヨーロッパ列強の特権階級に仲間入りした時から始まります。147
日本がロシアに挑戦し、これを打ち破って自分の昇進を宣言し、これによって二十世紀の大革命を燃え上がらせる最初の火花を点じたのは、恐らく、偶然の一致でありましよう。
→
日本がロシアに挑戦して勝利することで自分の昇進を世界に知らしめ、これが二十世紀の大革命に火を付ける最初の火花の点火となったというのは、恐らく、偶然の一致と見なされるかもしれません。147
第一次世界大戦は厳密には世界戦争ではなく、ヨーロッパの内乱ーーヨーロッパという実体が存在すると仮定すればーーで、それが世界的規模の影響を生んだのです。
→
ヨーロッパという纏まったものがあるとすれば、第一次世界大戦は正確には世界大戦ではなく、ヨーロッパの内乱でしたが、それが世界的規模の結果をもたらしたのです。147
222頁
この点で意味深いのは、
→
ここで重要なのは、148
そして、私が未来を見つめることが出来ないうちは、これを世界史的展望における一つの漸進的な発展として眺めさせるような判断の規準など判りはしないのです。
→
そして、現代だけを見る限り、これを世界史的展望における一つの前進的な発展と見なさないような判断の規準を私は思いつくことが出来ません。(anything butで否定)148
223頁
間を動揺する
→
間を揺れ動く 148
過去に対するしびれるようなノスタルジア
→
過去に対する無力なノスタルジア 148
歴史家にとっては特別な結果を生んでおります。
→
特に歴史家にとって様々な結果をもたらしております。148
中世の教会は「中世における唯一の合理的制度」であった
→
中世の教会は「中世における唯一の理性的な制度」であった 149
現世的社会は教会によって形作られ、組織されていたもので、それ自身の合理的生命を持つものではありませんでした。
→
中世の俗社会は教会によって形作られ、組織されていたものであり、それ自身の理性的な生命力を持つものではありませんでした。149
224頁
歴史的実体
→
歴史の主体(historical entities)149
R・グリーンは、いずれかと言えば、足で書く歴史家でしたけれども、最初の『イギリス民衆史』を書いて名声を博しました。
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R・グリーンは、どちらかと言えば、無名の歴史家でしたけれども、最初の『イギリス民衆史』を書いて名声を博しました。(pedestrian historian)149
225頁ー226頁
しかし、それと一緒に、以前から私たちの教科目を永代所有権のように重たく圧迫していたイギリス史の地方主義を、英語使用世界という、もっと陰にこもった、しかし、同様に危険な地方主義で補強するというある種の危険が生まれて来たのです。
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しかし、それは、今まで死者の手のように我国のカリキュラムを苦しめてきた英国史の偏りをさらに強固にするかなりの危険性を秘めているのです。それはもっとたちの悪い同じくらいに危険な英語使用圏への偏りであります。150
こういうポピュラーな歪みを正すことこそ、大学というものの義務であります。
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この種のよく普及した歪みを正すことこそ、大学の義務であります。150
226頁
平易な日常の英語で
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(ラテン語をやめて)平易な日常英語で 151
227頁
標題の文書
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標題の試験問題 151
将来、過ぐる十年間にケンブリッジ大学が生んだ最大の歴史的著作と見るであろうものは、
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最近十年間にケンブリッジ大学で生まれた最大の歴史的著作と今後見なされる可能性の高いものは、151
そう考えますと、ゾッとします。
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この考えはあまりゾッとしません。151
こういう内輪の実情を世間のお耳に入れるというようなことは、それが二十世紀中葉のイギリスの大部分の大学およびイギリスのインテリ全般の象徴と信じられる事実がなかったら、私は行わなかったでありましょう。
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私がこのような内輪の恥を衆目の下にさらすようなことをしたのは、これが二十世紀半ばの英国の他の大部分の大学と一般的知識人を象徴する出来事だと信じるからであります。151
ヴィクトリア時代の島国根性を衝いた気の抜けた古い冗談
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ヴィクトリア時代の島国根性に関する言い古された冗談 151
228頁
「革命、すなわち、謂わゆる自由主義」
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「革命、あるいは所謂自由主義」152
「一般的思想の出現を私たちは革命と呼びます」
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「私たちが革命と呼ぶところの一般的な概念の到来」152
228頁~229頁
「自由主義者は思想の時代を始める」
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「自由主義者は思想の支配を始める」152
229頁
自由主義のうちの生き残っているものは、
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自由主義の生き残りは、152
疑いもなく、アクトンの時代は、傲慢な自信とオプティミズムとによって毒され、その信仰の基礎である構造が不安定な本質のものであることを掴んでいませんでした。
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疑いなく、アクトンの時代の人々は、傲慢な自信と楽観主義に冒され、その自信の根拠となる社会構造が不安定なものであることを十分理解していませんでした。153
230頁
保守主義の証明書
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保守主義の特徴(hall-mark) 153
しかし、徹底的な経験主義という形態で徹底的な保守主義が同じく親しみ易く表現されておりまして、これが今日では大変にポピュラーになっております。それ
は、一番ポピュラーな形態では、トレヴァ・ローパー教授の、「急進派が、勝利は疑いもなくわれわれのものだ、と絶叫する時、賢明な保守派がその鼻を叩いて
やる」という言葉に窺われるでしょう。
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しかし、今日でも同じ様に、徹底的な保守主義を徹底的な実践主義という聞き慣れた形で表わすことが、非常に流行しております。その一番流行した形は、トレヴァ・ローパー教授の、「急進論者たちが、勝利は疑いもなく自分たちのものだと叫ぶ時には、賢明な保守主義者たちはやつらの鼻面を殴るのだ」という言葉に見い出せるかもしれません。
153
「涯もなく底もない海を航海している」
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「広大な底なしの海を航海している」153-154
われわれの唯一の願いといえば「水平に浮んでいる」ことだけである。
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われわれの唯一の目的は「安全で沈まないでいる」ことだけである。154
231頁
社会の将来に関する広汎な思想
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社会の将来に関する急進的で遠大な思想 154
今や、彼の謂わゆる「ジェファソンージャクソンーF・D・ルーズベルトの線」に対する反動を迎えるに至った、と述べ、「健全な保守主義の見地で書いた」合衆国史のために弁じだのです。
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今や彼の所謂「ジェファソンージャクソンーF・D・ルーズベルトの方向」に反撃する時が来たと思うと述べ、「健全な保守主義の観点から書かれた」合衆国史の必要性を熱心に訴えたのです。154
「断片的な社会工学」
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「漸次的な社会工学」(中央公論社『歴史主義の貧困』94頁)154
232頁
「断片的な修理」
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「つぎはぎの繕い」(同上書)154
「目的」の批判を除くことは特に強調されておりますし
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「目的」に対する批判は排除すべきであると特に強調されておりますし 155
233頁
不断に動く世界に対する行き届いた感覚
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不断に動く世界に対する浸透した意識 155
しかし、大切なことは、この変化がもはや成功、チャンス、進歩として考えられずに、恐怖の対象として考えられている点であります。
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しかし、大切なことは、変化がもはや成功、チャンス、進歩として考えられずに、恐怖の対象として考えられている点であります。155
234頁
これはひどい無理解だと思われ、それが心配の種なのですが、もっとも、世界的規模の運動が止まってしまうという心配ではなく、イギリスーーに加えて、恐らくは英語使用諸国ーーが一般的前進の後に取り残され、力なく諦めて郷愁の沈滞に陥って行くという心配なのです。
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これはひどい無理解だと思われ、それが心配の種なのですが、その心配とは、世界的規模の運動が阻止される心配ではなく、イギリスと恐らくは他の英語使用諸国が全体的な進歩の後に取り残され、力なく諦めて郷愁の沈滞に陥ってしまうかもしれないという心配なのです。156
誤字脱字および意味不明の個所に気づいた方は是非教えて下さい。
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