これは、暇にまかせて一日中机の前にいるときに心に浮かんだことを適当に書きとめておいたものである。したがって、実にくだらない馬鹿馬鹿しいものである。(序段)
この世に生まれた人間にとって理想とすべきことは多いようだ。
最高の理想は天皇の位だが、これはおそれ多いこと。皇族方は子々孫々にいたるまで我々一般人とは血統が違う。摂政関白こそが我々にとっての最高の理想だ。下の方の位でも舎人(とねり)になれたら十分自慢できる。いくら落ちぶれても孫の代までは上品そうだ。しかし、それより位が下がると、出世したと得意がるのさえ実にみっともないことである。
一方、何をおいても最低なのが坊さんだ。清少納言が「人に石ころのように扱われる」と書いたのももっともである。有力者にのし上がっても、全然すごいとは思えない。むしろ、増賀(ぞうが)上人が言ったように、名声を求めるのは仏の教えに反している。本当の世捨て人なら理想とすべき面もあるかもしれないが。
人は容姿はすぐれているのがいいと思われがちだが、実際には、話をして不愉快でなく口数が少なく感じのいい人こそ、いつまでも一緒にいたいと思うような人である。逆に、外見がよくても性格が悪いことが分かるとがっかりする。家柄や容貌は生まれつきだが、性格の方は努力次第でどうにでもなる。しかし、外見と性格がよくても教養がないと、醜くて下品な人に簡単に言い負かされてしまって情け無いことになる。
何と言っても、本当の学問を身につけて、漢詩、和歌、音楽に堪能であることが理想だ。その上に朝廷の儀式や政治に関してずば抜けて詳しい人をすごい人というのだ。男なら、さらさらと筆が達者で、音楽に合わせてうまく歌がうたえて、酒も適度にたしなめるのがよい。(第1段)
何でもずば抜けているのに女にはまったく興味がないという男がいるが、そういう男は重要なものが欠落している点で、水晶で出来ているのに底のない杯のようだと言っていい。
夜露で着物を濡らしながら、あてどなくさまよい歩いて、親の注意も世間の非難も上の空で効き目がなく、あれこれ思い悩んで、あげくに幾晩も一人で眠れぬ夜を過ごす、というのがいいのである。
とはいっても、女狂いというのもだめで、女に軽々しく扱われないようにしておくのが望ましい。(第3段)
常に来世に思いを馳せながら、仏の道に精進するのがすぐれた生き方である。(第4段)
同じ世捨人でも、世に入れられない悲しみからよく考えもせずに急に決心して出家したというのではなく、世の中から忘れられて、門を閉じたまま、何を当てにするということもなく日々を送っている。そういう世捨人になりたいものだ。
顕基の中納言(源顕基)は「無実の罪で流された場所から月を眺めていたい」と言ったというが、まったくわたしも同感である。(第5段)
貴族だろうと平民だろうと、子供はない方がいい。
前の中書王(中務卿兼明親王)も九条の太政大臣(藤原信長)も花園の左大臣(源有仁)も、どなたも自分の血筋が絶えることを願っておられた。
『大鏡』によれば、染殿の大臣(藤原良房)も「子孫などない方がいいのですよ。逆にぐうたら息子ができたら大変です」とおっしゃったそうだ。
聖徳太子も自分の墓を作らせるときに「あれもいらない。これもいらない。わたしは子孫を残すつもりはないのだから」とおっしゃったという。(第6段)
人間の露のような命がもし永遠に続くとしたら、人間の煙のような命がもし消え去ることなくこの世に留まるとしたら、この世の面白みもきっと無くなってしまうだろう。人生は限りがあるからいいのである。
命あるものの中で、人間ほど長生きするものはない。蜻蛉(かげろう)のように一日で死ぬものもあれば、蝉のように春も秋も知らずに一生を終えるものもある。それと比べたら、人生はその内のたった一年でも、ゆったりと暮らすなら、実に長く感じるものである。それを不足に思って、いつまでも生きていたいと思うなら、たとえ千年生きても一夜の夢のように短いと感じることだろう。
どうせ永久には生きられないのに、どうして長生きして醜い老人になろうとするのか。「命長ければ辱多し」と言うではないか。長くてもせいぜい四十前に死ぬのが見苦しくなくていいのである。
もしそれ以上生きるようなことがあれば、人は外見を恥じる気持ちを忘れて人前に姿をさらすようになるだろう。また、死が近づくと子孫が大切になって、孫子の栄える将来まで長生きしたくもなるだろう。さらには、この世に対する執着心ばかりが強くなって、風流も分からなくなってしまうだろう。まったく嘆かわしいことである。(第7段)
人の心を迷わすものでは、色欲に勝るものはない。人の心とはたわいないものなのである。
女の匂いにしても、それは本人の匂いではなく、服に付けた一時的なものだと分かっていても、いい匂いのする女に出会うと、男は必ず胸がときめくものだ。
久米の仙人が洗濯女の白いふくらはぎを見て神通力を失ったという話があるが、実際そういうこともあるかもしれない。なぜなら、女の素肌のつやつやとふっくらとした美しさこそは、まさにこの色欲を掻き立てるものだからである。(第8段)
髪の美しい女こそ男の目を引きつけると思われているようだが、風情のある女の魅力は話をする様子で障子越しにも伝わってくるものである。
いや、女というものはただそこにいるだけで何かにつけて男の心を惑わすものだ。そもそも、女がくつろいで寝ることなく、我が身をかえりみず、耐え難いことにも耐えるのは、ひとえに愛欲の心があるからである。
実際、愛欲の道はかくも根が深くその源は極めがたい。確かに、五官と思考力がもたらす数多い欲望はどれも修行によって捨て去ることが出来る。しかし、その中で愛欲の迷いを捨てることがもっとも難しい。これは老いも若きも愚者も賢者も同じことである。
そもそも、巨大な象も女の髪で編んだ綱につながれると大人しくなるといい、秋には女の履いた下駄の木で作った笛の音に必ず鹿が集まってくるというではないか。男が自ら忌み恐れ遠ざけるべきものは、まさに女がもたらすこの迷いである。(第9段)
「気心の合う人とじっくり話し合いたい。風流なことについても世の中のはかなさについても、心おきなく話をしたい。そうすれば、楽しいだろうし満ち足りた気持ちになるだろう」と、いつもそう思う。だが、実際にはそんな相手に巡り会うことはまずない。それどころか、相手と話を合わせるのに忙しくて、よけいに孤独感におそわれることの方が多い。
確かに、人が口に出して言う程のことなら互いに受け入れる価値はあるかもしれない。しかし、多少意見の違う人間同士なら、相手の意見を否定して言い争ったり、理詰めで議論をすすめたりしてこそ、無聊(ぶりょう)も慰むものだと思う。
ところが、実際には、通り一遍のたわいないことを話す分にはよくても、ちょっとした愚痴を言うにつけても、残念ながら、相手は自分とは別の人間である以上、とても心の友とは呼べないところがあるのは仕方のないことである。(第12段)
一人で明かりの下に本を広げて、見知らぬ世界の住人を友とすることほど、心なごむことはない。わたしの好きな本は『文選』の感動的な巻、『白氏文集』『老子』『荘子』である。わが国の学者が書いたものでも、昔のものには感動させられることが多い。(第13段)
季節の変化ほど面白いものはない。
「秋ほど素敵な季節はない」という人は多い。確かにそうかもしれないが、春の景色を見るときの感動はそれ以上だとわたしは思う。春の鳥がさえずり始め、おだやかな光が差し込み、垣根の下に雑草が生えだす。それから、あたりに霞がたなびくようになると桜が咲き始めるのだ。
ところが、ちょうどその頃に雨が降りつづいて、桜は気ぜわしく散ってしまう。そして、新緑の季節の到来。どれも心浮き立つことばかりである。花は橘というが、昔のことを偲ばせるのは香り高い梅の花だ。それに清楚な山吹の花、しなやかな藤の花、どれも捨てがたい。
「木々の枝葉が青々と茂る灌仏会(かんぶつえ)や葵祭りのころこそ、逆にこの世の悲しさ切なさを痛感する」という人がいるが、わたしもその一人だ。菖蒲を軒にさす端午の節句や、田植えが始まるころに、水鶏(くいな)の泣く声を聞くと切なさが募ってくる。
真夏の日の夕方、貧しい家に夕顔が白く咲いて、蚊取り線香が煙っている景色もまた一興だ。神社で行われる夏越しの祓(はら)いも面白い。
秋の七夕祭りは清楚な魅力がある。夜は日毎に肌寒さがまし、雁が鳴きながら空を渡ってくる。萩の下葉が色づき、稲を刈って干す光景も見られる。秋は素敵なものを数えればきりがない。台風の翌朝(あさ)の空もまたいい。
こんなふうに数え上げるのは、まったく源氏物語や枕草子の二番煎じだが、同じ事をしていけないという法はない。それに言いたいことを言わないでいると腹に悪いと言うから、筆にまかせて書いているのである。どうせすぐに破り捨てる気晴らしの産物だから、人に読んでもらうつもりはない。
冬の景色も決して秋に負けてはいない。水辺の緑の上に紅葉が散り残っている光景、霜が降りて真っ白になった朝の景色、庭の小川から蒸気が立ち上っているところなどは、なかなかのものだ。
師走に人がせかせかしているのを見るのは、最高に愉快だ。二十日すぎの寒々として澄み切った空に誰も振り向かないような荒涼とした月が出ているのを眺めるときの切なさといったらない。
宮廷で仏名会(ぶつみょうえ)が行われたり、荷前(のさき)の勅使が出るのは、また格別な見物(みもの)である。そのような儀式が正月の準備の間に立て続けに行われるのが面白いのである。大晦日の夜に追儺(ついな)の儀式があると思うと元日の朝にはもう四方拝(しほうはい)の儀式が行われる、このあわただしさがいいのだ。
町では、大晦日の夜の暗闇の中を、誰かが松明を持って夜中過ぎまで忙しそうに走り回って、門をたたいては何か大声で言っている。しかし、そんな音も夜明けとともに無くなって静けさがあたりを覆う。年越しの切なさを痛感する瞬間である。
祖先の霊を迎える魂祭(たままつり)を大晦日にする習慣は都ではすたれたが、それが東国に残っているの見たときには感動したものである。
こうして夜が明けていく元旦の空の景色は、昨日とたいして変わらないのに何かすっかり新しくなったような気がするのも面白い。大通りは軒ごとに立てられた門松でにぎわい、新年を祝っている様子もまたいいものである。(第19段)
誰だったかある世捨て人が「わたしはもうこの世には何も思い残すことはないが、ただ、この空に別れを告げるのだけはさびしい」と言ったが、まったくわたしも同感である。(第20段)
風も吹かないのに花が散るように、人の気持ちは移り変わっていく。親しかった頃にいとしいと思って聞いた言葉はどれもみな覚えているのに、親しかった人は自分の手の届かないところに行ってしまう。これが世の習いとはいっても、別離は人の死よりもはるかに悲しいものだ。
だからこそ、白い糸が色に染まることを悲しみ、道が二つに分かれていくことを嘆く人もいたのである。堀河天皇の時代の歌に、
昔見し妹(いも)が墻根(かきね)は荒れにけり、つばな混じりの菫のみして
(むかし親しかった人の垣根も今は荒れ果て、雑草の中のスミレだけが昔をしのぶよすがである)
という歌がある。
このさびしい景色も、そんな思いを歌ったものだろう。(第26段)
雪がきれいに降り積もったある朝、わたしは用事があってある人のところに手紙を送った。ところが、雪のことを何も書かずに送ったところ、こんな返事が送られてきた。
「あなたは今朝の雪についてわたしがどう思うかお尋ねになりませんのね。そんなひねくれた心根の人のおっしゃることに、わたしはとても耳を貸す気にはなりませんわ。あなたの性格には、わたくし、つくづく嫌になりました」
これを見てわたしは思わず笑ってしまった。この人が故人となった今となっては、こんなことも忘れがたい思い出である。(第31段)
字が多少下手でも遠慮せずどんどん手紙を書いたほうがいい。むしろ、自分の悪筆をみっともながって人に書いてもらったりする方が嫌みである。(第35段)
富と名声の追求に心を奪われて、休むことなく苦労を重ねて一生を過ごすのは馬鹿げたことである。
富が多いということは、災いも多いということである。富はさまざまな災難や面倒を引寄せる。たとえ空に届くほどの富を築いても、死後にはそれが人々の災いとなる。
愚か者が見て喜ぶような贅沢品もまた無益なものである。大きな牛車、よく肥えた馬、宝飾品なども、心ある人が見たら馬鹿げたものに見えるだろう。
金は山に捨て、宝石は川底に投げ込むべきだ。富に目がくらむのは、愚かな人間のすることである。
不朽の名声を長く後の世にとどめることが理想のように言われている。しかし、例えば、出世した人や高貴な人は必ずしも優秀な人間とは限らないのだ。頭が悪くて駄目な人間でも、良い家に生まれて良い人に見出されたら、出世して高給取りになることもある。
一方、ずばぬけて優秀な賢人や聖人でも、自分から進んで低い地位にとどまっていたり、不遇のままで一生を終えたりする人はたくさんいる。ひたすら出世を願ってやまないのも、また愚かな人のすることである。
すぐれた知性と教養で名声を残すことなら望ましいように思えるが、よく考えてみると、名声にこだわることは、人の評価にこだわることである。しかし、誉める人もけなす人もどちらもいずれは死んでしまう。彼らの話を伝え聞いた人もまたじきに死んでしまうのである。だから、誰に気兼ねすることもないし、誰に知られたいと思う必要もないのである。
なまじ名声など手に入れると、かえってそれがもとで人に批判されることにもなる。まして、自分が死んだ後に名前が残っても何も得なことはないのだ。名声を願う人も、また愚かな人というべきだろう。
ただ、あくまで知性と教養を磨きたいという人のために、「知恵が生まれると嘘も生まれる」ということを言っておこう。教養を身につけることも、結局は人間の欲望の積み重ねでしかないのである。
人から聞いて知ったことや、勉強して学んだことは、本当の教養ではない。では、何を本当の教養と言うべきだろうか。それは、善とか悪とか言っても、根本は同じであって、本当の善などどこにもないことを知ることである。
真の人間にとっては、知性も教養も功績も名声もどうでもいいことである。そんな人の存在を誰が知り、誰が人に伝えるだろうか。これはなにも教養を隠して愚か者のふりをすることではない。こういう人ははじめから教養のあるなしとか損得勘定には無縁の暮らしをしているのである。
迷妄にとらわれて富と名声を追い求めることは、以上のように、そのどれをとっても無意味なことであって、論ずるに値しないし、望むに足らぬことなのである。(第38段)
ある人が法然上人に「念仏の行をしているときに眠くなって続けられなくなることがあります。この障害はどうすれば克服できるでしょうか」とお尋ねしたところ、「目が覚めてからまた念仏してください」と答えられたそうである。じつに尊いことであった。
また、「往生は、一定(いちじょう)と思へば一定、不定(ふじょう)と思へば不定なものです」とおっしゃったという。これも尊い。
また、「疑いながらも念仏すれば往生します」ともおっしゃった。これもまた尊い。(第39段)
五月五日に上賀茂の競馬を見物したときのことである。わたしの乗った牛車の前に一般の人たちが大勢立って全く競馬が見えなかった。そこで、わたしたちは全員車から降りて馬場の柵に近づこうとした。しかし、あたりはたくさんの人でごった返していたので、誰もかき分けて入っていけそうになかった。
このとき、馬場の向こう側で栴檀(せんだん)の木に登って木の股に腰をかけて見物している一人の法師がいた。ところが、その法師は木につかまってはいるものの、こっくりこっくりと居眠りをしていて、木から落ちそうになると目を覚ますということを繰り返していた。
この有り様を見たある人がこの法師を馬鹿にして「なんて愚かなやつだろう。あんな危ない木の上にいながら、のんきに居眠りをしているよ」と言った。
それに対してわたしは思いつくままに「わたしたちの命の終わる時は今この瞬間に来るかも知れないのに、それを忘れて物見遊山をして一日を過ごしているわたしたちの方が、愚かな点では遥かにまさっているのに」と言った。
するとわたしの前にいた人たちが「まことにそのとおりでございますね。本当に愚かなのはわたしたちでございます」と言いながら、みんなで後ろを振りむいて「ここにお入りなさいませ」と場所を空けてわたしを呼び入れてくれた。
この程度の理屈なら誰でも思いつくものだが、場合が場合だけに、思いがけない気がして胸を打つところがあったのかもしれない。人間は情で生きているから、何かの折に感動するのは珍しいことではないのである。(第41段)
仏教の修行は老後になってからと呑気に構えていてはいけない。古い墓もその多くは若い人の墓である。
人は予期せぬ病に冒されて、突然この世を去るのである。そして、その時初めて過去の過ちを知る。過ちとは他でもない、後でやればいいことを先にやり、急いでやるべきことを後回しにしたことだ。そうやって過ぎてしまった過去のことを悔やむのである。まさに後悔先に立たずだ。
我々は死が刻々と自分の身に迫っていることを常に心に懸けて、そのことを片時も忘れてはいけない。そうしてはじめて、世俗の汚れから遠ざかることもできるし、仏教の修行に真剣に取り組むこともできるのである。
昔、ある高僧は人が訪ねてきてあれこれ要件を伝えようとしたのに対して、「今は火急の事態が迫っている。それがもう今日明日のことなのだ」と言って、耳をふさいで念仏を唱えて、とうとう往生を遂げたという。これは『往生十因』という書物にある話である。
一方、心戒という高僧は、この世の無常を思うあまりに、じっと座っていることが出来ずいつも蹲踞の姿勢をとっていたという。(第49段)
仁和寺のある僧侶は年を取るまで一度も石清水八幡宮に参詣したことがなかった。このことを情けないと思ったので、ある日思い立って、たった一人で歩いてお参りに行った。ところが、この僧は極楽寺と高良神社などに参拝しただけで満足して帰ってきてしまった。
そして、仲間の僧侶に向かってこう言ったという。
「年来の思いをとうとう果たしました。聞きしにまさる尊いお社でした。それにしても、お参りに行った人が誰も彼も山へ登っていったのはどうしてでしょう。わたしも気にはなりましたが、自分は神社にお参りするために来たのだと思って、山には行きませんでした」
ちょっとしたことでも指導者のいるのが望ましいということである。(第52段)
家屋を設計するときは、夏の住みやすさを基本にしなければならない。冬の間はどんな家でも住むことが出来るが、設計のまずい家は夏の暑い頃には住みづらいものである。
庭の水は深いと涼しさが感じられない。水は浅くて流れているのが、遥かに涼しげである。細かい文字を読んだりするには、引き戸の部屋の方が釣り上げ式の蔀戸(しとみど)の部屋より明るくてよい。
天井の高い部屋は冬が寒く灯りをつけても暗い。また、家を建てるときには、用途を特定しない部屋を作るのが、見た目も面白みがあるし、いろんな役に立ってよい。
以上は、ある話し合いの席で言われていたことである。(第55段)
へたな歌についての歌物語は聞いていてがっかりする。歌の道を少しでも知っている人は、そんな歌を使った歌物語をとくとくとはしないものだ。
そうじて、歌の道を何も知らない人が歌物語をするのは馬鹿馬鹿しくて聞いていられないものである。(第57段)
久しぶりに会った人から、相手の身の上話ばかりを延々と聞かされるほど、白けることはない。どんなにうち解けた間柄の人でも、しばらくぶりの再会なら、少しは遠慮というのものがあっていい。ところが、二流どころの人間と来たら、ちょっと外出しただけでも、その日の出来事を、息つく暇もなくしゃべっては一人でおもしろがっているものだ。
一流の人なら、大勢の人に話をしても、一人の人に話すような話し方をするので、自然と他の人も耳を傾けるものだが、そうでない人の話し方となると、誰にともなく大勢にむかって話しかけて、しかも見てきたような作り話をして、一同を大笑いさせるなど、実に不作法なものである。
話をするときに、面白いことを言っても自分ではそれほど興に入らずにいるか、それとも、面白くもないことを言って自分で大笑いするかで、だいたいその人の素性が知れるものである。
人の外見の善し悪しや、人の学問のあるなしを論じ合う場合も、自分のことを引き合いに出す人がいるが、まったく困ったものである。(第56段)
「修行をしようという気持ちがあるなら、どこで暮らしていても同じだ。自宅にいて人付き合いを続けていても、来世を願うのは難しいことではない」という人がいる。この人は来世を願うことがどんなことか知らない人である。
そもそも世をはかなんで生き死にの世界を超越する決心をした者が、何が面白くて一日中人にこき使われたり家のやりくりに専念したりできるだろうか。心は周囲の環境に影響されやすいから、静かな環境の中にいないと仏の道の修行は難しいのである。
とはいっても、今の人は昔の人ほど辛抱強くないから、山の中に入っても飢えをしのいだり雨風をふせいだりする手だてがなくては長続きしない。だから、場合によってはどうしてもこの世に執着しているように見えることが生じてくる。それに対して、「それでは世を背いた意味がない。そんなことならどうして世捨て人になったのか」などと言うのは言い過ぎである。
一度世を捨てて修行の世界に入った者の欲望は、世渡り上手の人間のどん欲さと比べたら微々たるものである。紙の布団と麻の着物と一膳の飯と粗末なおかずを買うのにどれだけのお金がいるだろう。その程度のものならすぐに手に入るから、満足するのも早いものである。その上に世捨て人であることを恥じる気持ちがあれば、たとえこの世に執着しているように見えても、世俗から遠ざかって仏の道に近づくのは容易なことである。
人間としてこの世に生まれた以上は、何としても世を捨てるのが望ましい。悟りの境地を目指すこともなく、ひたすらこの世に執着しているような人は、どこにもいる動物と少しも違わないと言えるのではないだろうか。(第58段)
大事を決行しようと思う人は、緊急な用事も気になることもすべてほっぽりだして、すぐに決行すべきである。
「もうすこし後で。これをやってしまってから」とか「どうせなら、あのことだけは片づけてしまってから」とか「あれがあのままでは人に笑われる。後で人に非難されないように始末をつけてから」とか「何年もかかることではないので、あのことが終わるのを待とう。すぐに済むことだ。何もあわてることはない」などと考えていると、避けられない用事が次から次へと際限もなく出てきて、いつまでたっても決行に踏み切れないものだ。
だいたい、人のすることを見ていると、多少志のある人は、みんなこういう風に計画倒れで一生を終えてしまっているようだ。
しかし、近所に火事が迫ってきて逃げようというのに、「もう少ししてから」などとと言う人がいるだろうか。命を失いたくなければ、格好などかまわず、財産もほっぽりだして逃げることだ。
命は人の都合を待ってはくれない。死の訪れの素早いこと避け難いことは、水火の難の比ではない。死が迫っているというときに、年老いた親や、幼い子供、主人から受けた恩、他人の情けなどを、捨てられないと言って、捨てないでいてよいのだろうか。(第59段)
今の延政門院さまが幼かったとき、父親の上皇さまのお屋敷に行く人に歌をことづけた。それは、
ふたつ文字(こ)牛の角文字(い)直ぐな文字(し)ゆがみ文字(く) とぞ君はおぼゆる
という歌だった。父親を深く慕っておられたのである。(第62段)
九州地方の治安を担当していたある役人の話である。この男は大根を万病の妙薬と信じて毎朝二本ずつ焼いて食べるのを長年の習慣にしていた。
ある時、男の屋敷から人が出払っている隙(すき)をついて、敵が来襲して屋敷を取り囲んでしまった。すると屋敷の中に二人の武士が現われて、命を惜しまず奮戦して、敵を全部撃退してしまった。
男は不思議に思ってこの二人に「ふだんこの辺りではお見かけしないお二人が、わたしのためにこれほど熱心に戦って下さるとは、あなたたちは一体どなたですか」と尋ねると、「わたしたちは、あなたが薬効を信じて長年の間毎朝食べてくださっている大根でございます」と言って姿を消してしまったという。
何事も深く信じていればこのような御利益(ごりやく)があるということだろう。(第68段)
書写山の開祖性空上人(しょうくうしょうにん 1007年没)は法華経を読経するという功徳を積み重ねて六根清浄(ろっこんしょうじょう)を達成した人だと言われている。
この上人が旅の宿りの仮小屋に入ったとき、豆殻を燃料にして豆がぐつぐつと煮える音が聞こえてきた。その音は上人の耳には次のように聞こえた。
「赤の他人でもないあなたたちが、わたしたちを何というひどい目に会わせるのです。おうらみします」
それに対して燃料となった豆殻がぱちぱちと燃える音は上人の耳には次のように聞こえたという。
「すき好んでやっているのではありません。わが身を焼かれることがどれほど耐え難くても、どうしようもないのです。そんなにおうらみ下さるな」(第69段)(cf.
魏曹植 七歩詩 『世説新語』(5世紀)より)
わたしは、人の名前を聞くと名前からその人の顔をついつい勝手に想像してしまう。ところが、実際に会ってみると、思ったとおりの顔をしている人はいない。
また、わたしは、昔の物語を聞くと、その話が近所の人の家の出来事のように思えてしまうし、登場人物も自分の知りあいの誰かのことのように思ってしまうが、これは誰でもそうなのだろうか。
また、わたしは今初めて自分が見たことや人から聞いたこと、心の中で思ったことを、「これは以前にもあったことだ、いつのことか思い出せないが、確かにこんなことがあった」と、何かの折りにふと思うことがあるが、これもわたしだけのことだろうか。(第71段)
事実は面白くないからか、世間の言い伝えの多くは皆嘘である。
もともと人は事実を誇張して話す傾向があるが、それが昔のことや遠方のことだと勝手に話を作ってしまう。そして、それが何かの文章になったりすると、もうそれがそのまま定説となってしまうのだ。
様々な分野の名人たちの腕前なども、教養のない人やその道に詳しくない人はやたらと神業のように言いたてるものだが、専門家はそんな話は相手にしない。何についてもうわさ話と実際に見るのとは大違いだからである。
ところで、言ったそばから嘘だと分かるのに、お構いなしに口から出任せに作り話をするのは、すぐにでたらめと分かるからまだいい。また、人から聞いたことを自分ではあやしいと思いながらも鼻をぴくつかせながら話すのは、嘘つきというほどのことでもない。
それに対して、いかにももっともらしく所々話をぼかして、よく知らないという振りをしながら、しかも辻褄を合わせてつく嘘は罪深い嘘である。また、自分の評判を上げてくれるような嘘は、誰も強く否定できないものだ。さらに、誰もが面白がるような嘘の場合には、一人で否定しても仕方がないと黙って聞いている人さえも証人にして、いよいよ本当の話になってしまう。
いずれにしてもこの世は嘘だらけだから、ただ珍しくもなくありふれたことだけをそのまま受け入れておけば万事間違いがない。下賤の者の話は、聞けば驚くようなことばかりだが、立派な人の話にはあまり珍しいことはないのである。
もっとも、神仏の奇跡の話や、聖人の伝記までを一概に信じるなと言っているのではない。この場合は、世間にある嘘を本気で信じるのは馬鹿げているが、「それは事実ではない」などと言うのも無益である。だから、たいていの場合は、本当の事のように人と調子を合わせておけばよい。つまり、ひたすら信じるべきでもないが、疑いをかけて馬鹿にすべきでもないということだ。(第73段)
人々がアリのごとく寄り集まって、町中を東へ西へ、南へ北へとせわしなく走り回っている。その中には、貴族もいれば平民もいる。老人もいれば若者もいる。彼らはみなどこかへ出かけていき、また家に帰っていく。そして、夜になると寝床に入り、朝になるとまた起き出してくる。それからまた何をするのか。この世に執着し、利益を求めて休むことがない。
健康第一と体を大切にして一体何を待つというのか。行き着くところは、老いと死だけではないか。しかも、その老いと死は一瞬も歩みを止めることなく、すぐにやってくるのだ。
そんなものを待つ間にどんな楽しいことがあるだろう。ところが、迷いにとらわれた者には、この恐ろしさが分からない。富と名声の追求に夢中になって、終わりの近いことが見えなくなっているからである。一方、愚かな人は老いと死の到来を悲しがる。彼らは変化の理法が分からずに、永久不変の生を願うからである。(第74段)
暇ですることがないといって嘆く人がいるが、どうしてそんなことを言うのか不思議だ。何事にも煩(わずら)わされずにたった一人でいるのが最善なのである。
世の中に出ると外界の誘惑にさらされて心が乱れやすく、人とつきあっても相手に合わせるために思いどおりの事がしゃべれない。人とじゃれあったり喧嘩をしたり、嘆いたり喜んだりで、心は休むときがない。次々と考えがわき上がり損得勘定に忙しい。思い乱れ酔いしれて、酔いのうちに幻を見る。胸はときめき落ち着きを失い、ものにとらわれて自分自身を見失う。世の中の人間はみんなこんなふうだ。
仏の道を知らない人でも、都会の喧噪を離れて静かな場所で何事にも煩わされずに心の平静を保つなら、誰でもしばしの安楽が得られると言っていいのではないか。「生活、交際、芸能、学問など世間とのつながりを断て」とは『摩訶止観』という仏典にも書かれていることである。(第75段)
世間の人々の間でしきりに噂になっていることを、何の関係もないはずの人間が事情をよく知っていて、それを人に話して聞かせたり、人に尋ねてさらに聞き出そうとしているのを最近よく見かけるが、感心できないことである。
特に田舎に住んでいる坊さんなどが、他人の身の上のことをまるで自分のことのように聞いてまわって、どうしてそこまで知っているのかと思えるほどの情報を集めては言い触らしているようである。(第77段)
最近流行り始めたばかりの珍しいことを有り難がって吹聴してまわる人がいるが、これもわたしは感心しない。そういうことは流行遅れになってしまうまで全然知らないでいるのが格好いいのだ。
仲間内だけで話しつけている話題や物の通称などを、新たな参加者がいるのに、仲間同士だけで符丁を使って言い合って、にやにやしたり目配せしたりして、分からない人をつんぼさじきに置くのは、無教養な田舎者が必ずすることである。(第78段)
どんな場合でも知ったかぶりはしない方がよい。
ちゃんとした人なら、たとえよく知っていることでも、そんなに知ったようなしゃべり方はしないものだ。ところが、田舎者は何を聞かれても知っているような受け答えをする。もちろん、彼らもこちらが顔負けするほどよく知っていることはあるが、自分で自分のことをすごいと思っているその態度が見苦しいのだ。
自分の得意な方面のことでも、けっして軽々しく口出しすることなく、人から聞かれて初めて話しをするような人こそ、立派な人なのである。(第79段)
どういう訳か、人はみな自分の専門外のことばかりに熱心である。武芸にばかり打ち込んでいる僧侶がいるかと思うと、弓の使い方は知らないが仏教には通じているという顔をした武士たちが、集まって連歌をしたり音楽を楽しんだりしている。
しかし、専門家のすることでも下手だと馬鹿にされるのに、専門外の人間のすることに誰が見向きもするだろうか。
ところが、僧侶ばかりか、総じて公卿や殿上人のような上流の貴族たちの中にも武芸に熱心な人は多い。
しかし、百回戦って百回勝ったとしても、それで武芸の名声が決まるわけではない。というのは、確かに、運良く敵をやっつけることが出来れば、誰でも勇者として讃えられることはあるだろう。しかしそれはあくまで一時的なことである。武士の名声とは、たとえ矢尽き刀折れることがあっても、死ぬまで負けるということを知らずに天寿を全うした者だけに与えられるのである。
したがって、生きている間は武芸を自慢することはできない。だから、武士の家に生まれてこなかったような者が、人間よりもむしろ畜生の道に近いこんな振舞いに打ち込んでも何の得にもならないのである。(第80段)
ある人が「薄絹で装丁した本は表紙が壊れやすいのが難点だ」と言ったのに対して、頓阿(とんあ)が「薄絹の本は表紙が上も下も外れたあとがいいのです。巻物も螺鈿(らでん)飾りの軸から貝がとれたあとがいいのですよ」と応じたが、これには感心させられた。
数冊で一部となる本が不揃いなのは見苦しいことであると一般には言われている。それに対して、弘融僧都が「何でも必ず完璧に全部を揃えようとするのは愚かな人のすることだ。不揃いなのがいいのです」と言ったが、これも流石(さすが)である。
総じて、何でも全部が完全に整っているのはよくないことだ。やり残したことをそのままにしておくのが面白く、先に楽しみを残すことにもなる。
「皇居を作るときは、必ず未完成の部分を残さなければいけない」とある人も言っている。先人の書き残した仏教や儒教の本も、必ずと言っていいほど章や段が欠けているものである。(第82段)
人は誰でも多少ひねくれたところがあるから、たまには嘘をつくこともある。しかし、なかには真っ正直な人間もいる。そして、たとえ自分はひねくれていても、そういう人徳のある人を見れば、見習いたいと思うのが普通だ。
ところが、このめったにない人徳者を見て憎しみを抱く人がいる。そして「大利を得ようとして小利を捨て、本心を偽り上辺(うわべ)を飾って名声を得ようとしている」などと悪口を言う。まったく愚かさも極まれりと言うべきである。
わたしに言わせれば、自分とは考え方の違う人間を誰でも悪く言うこういう人間は、進歩や改善ということのない人である。わずかな利益を得るために嘘をつくことを止められないこういう人間は、他人の徳を学ぶことが不可能な人である。
狂人の真似をして大通りを走れば、すなわち狂人である。悪人の真似をして人を殺せば、すなわち悪人である。逆に、駿馬(しゅんめ)を真似る馬は駿馬の一員となり、中国の聖王舜(しゅん)を真似る人は舜の仲間となる。上辺を偽っても人の徳を真似る人は、人徳者というべきなのである。(第85段)
山奥に猫またというものがいて人間を食い殺すという噂がたっていたころ、誰かが「山だけじゃない。この辺りでは年寄り猫が猫またに化けて、人に襲いかかるという話だぞ」と言いだした。
行願寺付近に住む某阿弥陀仏とかいう連歌師の僧侶は、これを耳にして「一人歩きの多い自分などは特に気を付けねば」と思っていた。
ところが、そんな折りも折り、ある所で連歌の会が終わると深夜になってしまった。帰り道をたった一人で小川(こかわ)という川近くまで来たときだった。噂に聞く猫またがすうっと自分の足元まで近づいたと思う間もなく、ぱっと飛びあがって首の辺りに食らいついてきたのだ。
肝をつぶした僧はそれを払いのける力もなく、腰を抜かして川の中に転がり込んだ。そして「助けてくれ。猫またが出た、猫またが出た」と叫んだ。すると、近所の家々から灯りを持った人が走り出てきた。見るとこの辺りでは顔馴染みの僧侶である。「どうしたんですか」と言いながら、川の中から助け起こしたが、連歌で獲得した賞品の扇も小箱も懐にあったものはみんな水浸しになってしまっていた。九死に一生を得た思いの僧は、這うようにして自分の家の中に入ったという。
飼い犬が暗闇の中の主人を見つけて飛び付いたのを勘違いした大騒ぎだったのである。(第89段)
赤舌日(しやくぜつにち)が凶日とされているが、このことは陰陽道とは関係がない。昔はこんな忌み日はなかった。最近になって誰かが言い出して嫌うようになったのである。
「この日起こったことは全うせず」といって、赤舌日に言ったことやしたことは叶わないし、手に入れた物は無くなるし、企てたことは成就しないと言われている。しかし、こんなことはでたらめである。吉日を選んでやって全うしなかったことを数えても、同じ結果になるはずだ。
なぜなら、この世は常に変化して留まることがないからである。あると思ったものは無くなるし、始めたことは終わりまで続かない。志が成就することはないし、願い事は叶わない。人の心は移ろいやすい。いや、全ての物事は仮初めなのだ。いかなるものも一瞬として同じ所に留まってはいない。赤舌日などといって騒ぐのは、この道理を知らないからである。
「吉日に悪事を犯せば必ず凶となるし、凶日に善をなせば必ず吉となる」という言葉がある。吉凶は日によるのではなく、人によるのである。(第91段)
「ある牛を買おうとした人が、売り手に対して明くる日に金を払って牛を引き取ると言った。ところが、その牛が夜の間に死んでしまった。これによって売り手は損をしたが、買い手は得をしたことになる」とある人が言った。
それを横で聞いていた人がこう言った。
「牛の持ち主は確かに損はしたが、一方で大きな得をしている。なぜなら、生ある者が自分の死の近いことを知らないという点では、牛も人間も同じだ。ところが、どういう訳か牛は死んだのに持ち主は生きている。人が一日生き延びたことは千金の重みがあるが、それに比べたら牛の代金などガチョウの羽よりも軽い。この人はわずかの金を失いはしたが千金の命を得たのだから、決して損をしたとは言えない」と。
するとまわりの人は全員これを馬鹿にして「その道理があてはまるのは、牛の持ち主だけに限らない」と言った。するとこの人は次のように言った。
「そうだ。だから、死を嫌うなら生を大切にすべきである。日々生を喜び楽しむべきである。ところが、愚かな人はこの楽しみを忘れて、苦労してほかの楽しみを捜し求める。この宝を忘れて、危険を冒してほかの宝をむさぼり求めるのだ。しかも、けっして満足することがない。
「そもそも、生きている間に生を楽しまずに、死に際になって死を恐れるなどという、そんな道理があるはずがない。なぜなら、人がだれも生を楽しもうとしないのは、死を恐れていないからなのだ。ところが、人が死を恐れないと言う場合、それはただ死が近づくことを忘れているだけなのである。しかし、もしこれが外面的な生死に拘泥(こうでい)しないという意味なら、その人は真の道理を身につけた人だということになる」
こう言うと、他の人たちはますます馬鹿にして笑った。(第93段)
ものに取り付いて消耗させ最後にはそのものを滅ぼしてしまう、そのようなものは数知れない。例えば、体に取り付くシラミ、家に巣食うネズミ、国にひそむ謀反(むほん)人。それは一般人にとってはお金であり、聖人君子にとっては道徳であり、僧侶にとっては仏の教えである。(第97段)
偉い坊さんたちが言ったことをまとめて『一言芳談』という名前の本にしたものを読んだことがある。そのうちでわたしが気に入って覚えているものは以下のとおり。
一、したほうがいいか、やめておいたほうがいいかと迷っているうちは何もしない方がよいことが多い。
二、来世を願うなら、財産はぬかみそ漬けの壺一つも持ってはならない。お経の本や仏像も高価なものを持つのはよくないことだ。
三、世捨て人は、何も無くても困らないような暮らし方をするのが最もよい。
四、高位の僧侶は位を捨て、知恵者は知恵を捨て、金持ちは金を捨て、一芸に秀でた人はその芸を捨てるべきである。
五、悟りを求めるとは簡単なことである。つまり、何よりも、暇な人間になって、世の中の出来事に煩わされないようにすることである。
そのほかにもあったが忘れた。(第98段)
高野山の証空上人が京へのぼったときのこと。途中の狭い道で上人の乗った馬が女を乗せた馬と鉢合わせになった。その時、相手の馬方が手綱を無理に引いて、上人の馬を堀に蹴落としてしまった。
かんかんに怒った上人は相手をなじってこう言った。「この、世にも希な狼藉者め。そもそも仏の弟子には四つあってな、比丘(びく)が一番上に来るのじゃ。その下が比丘尼(びくに)で、その下が優婆塞(うばそく)で、その下が優婆夷(うばい)なのじゃ。その優婆夷などという身分のものが比丘を堀へ蹴落とすとは、前代未聞の悪行じゃ」。
ところが、相手の馬方は「何をおっしゃっているのかさっぱりわかりませんな」と言ったので、上人はさらに怒って「何を言うか。この無知無学の下郎めが」と言い放った。しかし、その時上人は自分のあまりの言い過ぎに気づいた様子で、馬を引き上げて急いでその場から立ち去ったという。
さぞ立派な喧嘩ぶりであったにちがいない。(第106段)
亀山天皇の時代に物好きな女官たちが「女から話しかけられて、とっさにうまい返事ができる男はなかなかいないものよ」と言いあって、若い男性が出勤してくるたびに「ホトトギスの声はお聞きになりましたか」と話しかけて試してみたことがあった。
すると、後に大納言になった何とかいう人は「わたくしは未熟者でして、聞けませんでした」と答え、後の堀川の内大臣殿は「岩倉あたりで聞いたように思います」と答えたという。それに対して「こちらは満点ね。でも、あちらは未熟者云々がよけいだったわ」などと批評しあったそうだ。
だいたい男は女に笑われないように育てるべきだといわれている。だから「浄土寺の前の関白(九条師教)殿は幼いころ安喜門院さまに上手に育てられたのでお言葉使いがご立派でいらっしゃる」と言われたりするするし、山階の左大臣(西園寺実緒)殿が「身分の卑しい女に見られただけでも、恥ずかしくて緊張してしまう」などとおっしゃったりもする。もし世の中に女がいなくなれば、冠や着物の乱れを直す男はいなくなるということだろうか。
しかし、これほど男を緊張させる女というものが、いったいどれほど素晴らしいものかと言えば、これがどれもこれもろくでもない者ばかりだ。女というものは自分勝手で欲深で物の道理が皆目分からない生き物である。口先は達者なくせに人の口車には乗りやすく、どうでもいいことでもこちらから尋ねるとなかなか言わない。それで用心深いのかと思うと、とんでもないことを、聞かれもしないのに自分からぺらぺらとしゃべり出すのだ。はかりごとを巡らして表面をつくろうことにかけては男の悪知恵もかなわないが、化けの皮が後ではがれることが分からない。愚かでひねくれものなのが女というものだ。
そんな女の言うままになってよく思われようとすることが、どれだけくだらないことか分かるはずだ。どうして女の前で緊張する必要などあろうか。いっぽう、頭のいい女というのもまた困りもので、気味が悪いから敬遠するしかないだろう。
女を上品だとか素敵だとか思うようになったら、それはまさに女に迷って自分を見失っているということなのである。(第107段)
この世は一瞬を無駄に過ごす人ばかりである。これは一瞬の貴重さを知っていながら無駄に過ごすのだろうか、それとも知らずにそうするのだろうか。
一瞬の貴重さを知らない人のために言うなら、わずか一銭のお金でも、これを貯めることによって、貧乏人が金持ちになることを思えばよい。だからこそ、商人はけっして一銭を無駄にしないのである。逆に、一瞬一瞬は目に見えないけれども、それを無駄に過ごし続けていると、命の終わるときは瞬く間にやってくるのだ。
したがって、世を捨てた人は、一日や一月といった長い時間を惜しむのではなく、現在の一瞬が無駄に過ぎるのを惜しむべきである。
もし誰かがやって来て「おまえの命は明日には必ず尽きる」と告げたとしたら、今日一日が終わるまでの間、自分はいったい何を目的にして、何をするか考えてみればよい。
我々が生きている今日という日が、この最後の日でないとどうして言えよう。ところが、その一日の多くは、食事をしたり、トイレに行ったり、眠ったり、しゃべったり、歩いたりという、やむを得ないことで使われてしまうのである。もしその残りのわずかな時間を、無駄なことを言い、無駄なことを考え、無駄なことをして過ごすとしたら、さらには、そんな風に月日を過ごし、そんな風に一生を送るとしたら、まったく愚かなことではないか。
中国の高僧恵遠(えおん)は、法華経の翻訳の書記だった謝霊運が、いつも心を自然に向けて詩ばかり書いていたので、白蓮社には入れなかったという。
一瞬でも時間を無駄に過ごすなら、そのとき人は死人と同じになるのである。では、何のために一瞬を惜しむのかと言えば、それは心の中の迷いを捨てて、世間の俗事から縁を絶って、仏の道の修行をするか、それとも何もしないでいるためである。(第108段)
木登りが上手いことで有名になった男が、高い木に弟子を登らせて剪定作業をさせていた。この男は弟子が非常に危険なところにいる間は、何も注意しなかったのに、弟子が木から降りてくるとき、しかも、軒先の高さまで来たときになってやっと「気をつけて降りろ。怪我をするなよ」と声をかけたのである。
わたしは「どうしてそんなことを言うのか。こんなに低いところなら、飛び降りても大丈夫だろうに」と尋ねた。すると、「よく聞いてくれました。弟子も目がまわるほど高いところや、枝が危険なところでは、自分で自分のことを心配しますから、わたしは何も言いません。怪我をよくするのは、簡単なところに来たときなのです」と答えた。
この男は卑賤な身分の男だが、言うことは聖人の教えと何ら変わらない。蹴鞠(けまり)も、難しい球をうまく蹴り上げたあとで、簡単だと思うような球をよく蹴り損なうと言われているようだ。(第109段)
たとえば明日(あした)遠い所へ旅立つという人がいるとして、そんな人に心が穏やかなときにすべき用件を持ち掛けたりする人がいるだろうか。また逆に、急用で忙しい人や嘆き悲しむ事のある人は、ほかのことに注意が向かないし、人の不幸や喜びを知っても駆けつけたりしないだろう。また、だからといってそれを礼儀知らずと非難する人もいないだろう。
概して、老境に入った人や病気がちな人、さらには世捨て人についても、これと同じことが言えるはずだ。
確かに、人間の礼節はどれを省略していいというものはない。しかし、世間の義理は欠くべきでないと、必ずこれを果たそうとしたら、やりたいことが山ほど出てきて、体は疲れ、心は安まるときがなく、一生を些細な雑務に忙殺されて、人生は空しく終わってしまうだろう。
しかし、「日は暮れたが前途は遠い。しかも自分の人生はもう先が見えている」と思ったら、その時こそ世俗との縁を絶つ時である。そうなればもう約束を守ることも、礼儀を気にすることもなくなるのだ。無理解な人に馬鹿にされようと、気狂い扱いされようと、情けないと思われようと、構うことはない。人にそしられても、もう苦にはならないし、仮に誉められたとしても、そんなものを聞く耳さえないのである。(第112段)
家で飼う動物に馬と牛がある。自由を束縛するのはかわいそうだが、馬と牛は無くてはならない動物だから仕方がない。また、犬は家の守りとしては人よりすぐれているので必ず飼うべき動物である。とはいえ、どこの家にもいるのでわざわざ買ってきて飼うことはない。
これ以外の動物は家で飼う必要はない。檻にこめられ鎖につながれた動物が野山を思う悲しみも、翼を切られ籠に入れられた鳥が雲を恋しがる嘆きも止むときがない。自由を奪われた悲しみが耐え難いことは、動物の身になって考えれば分かることである。心ある人がそんなものを見て楽しいはずがない。生き物が苦しむのを見て喜ぶのは、中国の桀(けつ)や紂(ちゅう)のような残酷な人間のする事である。
鳥を愛したと言われる王子猷(おうしゆう)は、林の中で遊ぶ鳥を眺めて散歩の友としたのであって、けっして捕まえて苦しめたりはしなかった。
そもそも「珍しい鳥や動物は国で飼ってはならない」と中国の書物にも書いてある。(第121段)
勝負事で負けが込んだ相手が有り金を全部賭けてきた場合には勝負をしてはいけない。そういう場合は、ツキが変わって相手が連勝するときが来たと思うべきである。この時が分かる者をすぐれた博打打ちと言うのだ。
これは、ある人から聞いたことである。(第126段)
顔回(がんかい)の志は人に労を施さないことだったという。それは要するに、人を苛めたり困らせたりしないということであり、貧しい民衆の思いを踏みにじるべきではないということである。
それなのに、幼い子供を騙し、脅し、からかって面白がる人がいる。しかし、冗談だと分かる大人には何でもないことが、子供心には大きなショックとなるため、子供は本気で恐れ驚き恥ずかしがる。そんな子供を困らせて面白がるのは情けのある人間のすることではない。
喜び怒り悲しみ楽しみといった感情は実体のないものだが、大人でもそれを現実のものと思って執着しないではいられない。だから、肉体を傷つけるより心を傷つける方が、人がこうむる被害は大きいのだ。
体が病気になるのも、その原因の多くは心の中にある。外から来る病気は少ないものだ。薬を飲んで汗を出そうとしてもなかなか出ないのに、恥や恐怖を感じただけで汗をかくのも、汗の原因が心にあるからに違いない。凌雲という楼閣にある額に字を書いて下りてきたら白髪になっていたという書家の例もあるではないか。(第129段)
何事も人と競うことなく、己をまげてでも人に従い、相手を優先して自分を後回しにするのが一番である。
どんな遊び事にも勝ちたがる人はいるものだ。勝って愉快な気分を味わいたいからである。相手より能力が優れていることを楽しみたいのである。ということは、負けたら面白くないと言うことでもある。わたしが言うように、わざと負けて相手を喜ばせようとするのは、もっと面白くないことだろう。
しかし、そもそも人をがっかりさせて喜ぶのは徳にもとる行為である。親しい人間の間で行われるゲームなども、実は、相手を騙したり裏切ったりして自分の知能が優っていることを楽しむことである。しかし、これは礼儀作法に反することだ。だから、たわいない遊び事に端を発したことが、長く恨みの種として残る例は多い。これらはみな人と競いたがることからくる弊害である。
人に勝ちたければ、ひたすら儒教や仏教を学んで、その知識で人に優ろうとすることだ。そうすれば人の道を学んで、能力をひけらかしたり人と競ったりすべきでないことを思い知るだろう。高い地位を辞退したり、大きな利得を捨てる人がいるのも、ひとえに学問のなさしむるところである。(第130段)
貧乏人は金をやるのが礼儀だと思い、年寄りは体力を使うのが礼儀だと思いがちだ。しかし、身の程をわきまえて、できないものはできないと手を引くのが賢明なやり方である。それを認めようとしないのも、身の程知らずに無理にがんばるのも、いずれも間違いである。
貧乏人が分を忘れると盗みを働くようになり、体力のない老人が分を忘れると病気になるのが落ちである。(第131段)
高倉院の法華堂の三昧僧で何とかいう名の律師が、ある時鏡を手にして自分の顔をよく見ると、それがあきれるほど醜いことに気がついた。それで自分の顔がつくづく嫌になり、鏡さえも嫌になって、それからはずっと鏡を遠ざけて手に取ることもなくなった。そして、この僧は人付合いを一切やめてしまい、お寺のお勤めのとき以外は自分の家にこもっていたという。この話をわたしは感心しながら聞いたものである。
たとえ賢そうな人でも、他人の身の上をあれこれ言うばかりで、自分のことは知らないものである。しかし、自分のことさえ知らない者が他人のことが分かる道理のあるはずがない。だから、自分を知る者を物知りというべきなのである。
ところが、人はみな顔が醜くてもそれを知らず、頭が悪くてもそれを知らず、芸が拙くてもそれを知らず、情けない境遇にいてもそれを知らず、年老いてもそれを知らず、病気になっていてもそれを知らず、死が近づいていてもそれを知らない。その上、仏道の修行が足りないことも知らないのだ。
こうして、人はみな自分で自分の欠点を知らないのだから、他人がそれについてどう言っているかなど知るよしもない。もっとも、顔は鏡を見れば分かるし、年は数えれば分かるから、誰でも自分のことを全然知らないわけではない。しかし、知っていながら何もしないのは知らないのと同じだと言っていい。
とはいっても、わたしは顔を変えろとか年を減らせとか言っているのではない。自分が見苦しいと知ったら、すぐに身を引くべきであり、年老いたと知ったら引退してのんびり暮らすべきであり、修行が足りないと知ったら、徹底して修行に励むべきなのである。
そもそも、自分を歓迎しない人たちと交わるのは恥ずかしいことだ。顔が醜くて頭が悪いのに勤めに出たり、何も知らないのに学者とつきあったり、芸が未熟なのに名人と同席したり、白髪頭のくせに若者の席に連なったりすることは恥である。
しかしながら、それ以上の恥は、手の届かないものを欲しがり、叶わないことを訴え、来るはずのないことを待ち、人に遠慮し、へつらうことだ。
これらは人がもたらす恥ではない。この世に執着することで自分が自分にもたらす恥である。そして、この執着心がいつまでも無くならないのは、人生を終えるという重大事が目前に迫っているということの自覚がないためにほかならない。(第134段)
つれづれ草 下