キケロ作『老年について』
第一章 大カトーが語る老後の楽しさ
「ティトゥス殿、私があなたをお助けして、いまあなたを悩ましている御心労からお救いすれば、どんな御褒美がいただけますか。」
かの英雄ティトゥス・フラミニヌス将軍(=前197年マケドニアのフィリップ五世を破った)に向かって「たいした富はないが純朴さにみちたギリシアの羊飼い」(=将軍に敵の背後の裏山への間道を教えてローマ軍のマケドニア戦勝利のきっかけを与えた)が話しかけたのと同じ言葉で、ティトゥス・アッティクス君、僕は君に話しかけさせてもらおう。もっとも、君がフラミニヌス将軍のような心労に悩まされていないのは僕も知っている。
なぜなら、僕は君の沈着冷静ぶりをよく知っているからだ。君がアテナイから「アッティカの」というあだ名だけでなく、教養と知識を持ち帰ったことは僕も理解している。もっとも、時には君も僕と同じことに多少は心を乱されているかもしれないが、それに対する慰めはもっと大きな仕事なので、別の機会に譲ろう。いまは君のために老後について何か書くことにした。1
僕は僕たち二人に共通するこの重荷、差し迫ってはいなくても確実にやってくる老いの重荷から君と僕自身を解放したいのだ。もっとも、君は何につけてもそうだが、この重荷にもほどよく賢明に耐えているし、これからもきっと耐えていくだろう。だが、僕は老後について何か書きたいと思ったとき、僕の脳裏に浮かんだのは君のことだ。この本は君に贈るのに相応しいものだし、僕たち二人が一緒に利用できるからだ。この本を書くのはとても楽しかった。おかげで老後の煩わしさを取り去ることができたし、老後を快く楽しいものにできたからだ。2
哲学に従って生きていれば一生悩みなしに過ごせるのだから、哲学のことはどれだけ褒めても褒め足りない。僕は哲学については沢山書いてきたしこれからも書くつもりだが、君のために書いたこの本は老後についてのものだ。ケオスのアリストンの『老後論』の話し手はオーロラから不死の生を得たティトノスだったが、僕は老いた大カトーにする(神話は信憑性がないからね)。彼の話しなら信憑性がある。カトーが老後を楽しく送っているのを不思議に思っているラエリウスと小スキピオが、カトーの家で質問してカトーがそれに答える形にした。彼の言うことが彼の書いた本よりも博識に見えたら、それは彼が老後になってから熱心に勉強したギリシア文学のおかげだと思って欲しい。しかし、これ以上何を言う必要があるだろうか。カトー本人の言葉が老後に対する私の考えを説明してくれるのだから(=想定されている時代はカトーの死の前年の前150年、カトー84才、スキピオ35才、ラエリウス36才のときである)。3
第二章 長生きして不満を言う矛盾
スキピオ「マルクス・カトーよ、あなたのすぐれた英知には多くのことでいつも感心していますが、特にあなたが少しも老いを負担にしていない事にはいつも驚いています。多くの老人たちは老後は嫌なもので、この重荷はエトナ山よりも重いと言っているほどなのに。」
カトー「スキピオ君とラエリウス君、そんなに難しくもないことに君たちは感心しているようだね。もともと幸福な人生を送る知恵も財力も持ちあわせていない人には、人生はいつでも辛いものなんだ。しかし、人生のあらゆる幸福を自分自身でまかなえる人にとっては、誰にも必ず自然にやってくるものを辛いと思うはずはないんだよ。
「その典型が老後だ。みんな長生きしたいくせに、長生きしたら長生きしたで不平を言う。愚か者はこういう矛盾した事をする。彼らは老いは思ったより早く来たと言う。それは勝手に思い違いをしていただけのことだ。子供が大人になるより大人が年寄りになる方がどうして早いことがあるだろうか。それに、八十年かかって年寄りになるより八百年かかる方が楽だと言えるだろうか。過ぎ去った年月がいくら長くても、愚かな老人の苦痛を和らげることはできないし、それは何の慰めにもならないのだ。4
「だから、君たちは僕の英知をいつも褒めてくれるとしても(君たちの僕に対する評価にしろ、賢者という僕のあだ名にしろ、僕がそれに相応しい人間ならいいのだが)、僕が賢いとしたら、それは僕が自然の力に従って生きることを最高の指針としているからなんだ。人生のあらゆる部分は自然の力でうまく作られている。それなのに、人生の最終幕だけは怠惰な詩人が作ったように出来が悪いとは僕には思えないんだ。
「人生に最終幕は必ずやってくる。それは木の実や大地の実りが時期が来るとしなびて落ちるのようなものだ。そのことにいちいち腹を立てても仕方がない。それなのに自然に逆らおうするのは、むかし巨人族が神々と戦ったのと同じで勝ち目がない。」5
ラエリウス「おっしゃるとおりです、カトー。でも、僕たちも長生きすると思うし、とにかく長生きはしたいですから、どうすれば老後を楽しく過ごすことが出来るかを、早めにあなたから学べたら、とてもありがたいのです。これはスキピオもそうだと思います。」
カトー「ラエリウス君、君たち二人がそんなに喜んでくれるのなら、一つ話してみよう。」
ラエリウス「ご面倒でなければお願いします、カトー。私たちがこれから踏み出すことになる長い道のりを、あなたが踏破して、いま到達した所がどんな所なのか知りたいのです。」6
第三章 老後の不満の原因は性格にある
カトー「ラエリウス君、僕は出来るだけのことをやってみよう。僕はよく同年輩の仲間たちから不平不満を聞かされるんだ(古いことわざで言うように類は友を呼ぶというやつだ)。C.サリナトール(=前188年執政官)やS.アルビヌス(=前186年執政官)のような執政官を経験した人たちが、最近は楽しみがなくなってしまってもう生きていても仕方がないとか、以前は大切にしてくれていた人たちに最近は無視されるようになったと言っていつも嘆いている。しかしそれは嘆くべきことじゃないと僕は思うんだ。それが高齢になったせいで起こることなら、僕を含めて高齢者なら誰にでも起こるはずだけれど、実際には老後を何の不満もなく過ごしている人を僕は沢山知っている。むしろ彼らは欲望の縛りから自由になったことを喜んでいるくらいだし、家族から馬鹿にされることもないようだね。そういう不平不満は年齢のせいではなくて本人の性格に原因があるのさ。性格が穏やかで慎みのある人は老後も不満なく過ごせている。逆にがめつくてがつがつしている人は年齢に関わらずいつもぼやいてばかりいるのさ。」7
ラエリウス「おっしゃるとおりです、カトー。でも、あなたがご自分の老後に不満がないのは、あなたに地位も財力もあるからだという人がいるかもしれませんね。それは誰にもあることじゃないと。」
カトー「ラエリウス君、その意見にも一理はあるだろう。でも決してそれが全てじゃない。テミストクレスはセルフォス(=エーゲ海の小さな島)という国の人と口論になって、「あんたが成功したのはあなたの偉大さではなく祖国の偉大さのおかげだ」と言われた時、「それはそのとおりだ。僕がセルフォスの人間だったらけっして有名になれなかったし、君がアテナイ生まれだったとしても有名にはなれなかっただろうよ」と答えた。老年期についてもこれと同じようなことが言える。賢い人でもあまりに貧しくては楽しい老後をすごせないし、愚かな人はどんな財力があっても老後が辛いものになるだろうね。8
「そして老後を楽しく過ごすために最も役立ってくれるのが、スキピオ君、ラエリウス君、若いうちから立派な生き方をしていることなんだよ。これをちゃんと守っていると、長い人生の終わり頃には素晴らしい実り(=人に大切にされるということ)をもたらしてくれるんだ。なぜなら、これが一番大切なことなんだが、その実りは人生の最後になっても無くなることがないからだよ。それだけではなく、立派な人生を送ったという意識、良心に恥じない多くの行動の思い出ほど楽しいことはないんだ。」9
第四章 名将ファビウスの幸福な老後
「若い頃、僕(=前234~149)は既にかなり高齢だったクイントゥス・ファビウス・マキシムス(=前280~203)、タレントゥムをカルタゴから奪還した(=前209)あのファビウスにまるで同年輩のような愛着を感じていた。彼は厳しさと優しさを併せ持っていたからだ。年をとっても若い頃の性格そのままの人だった。僕が彼を敬愛しはじめた時には、彼は高齢というほどでないがかなりの年輩だった。
「ファビウスが最初に執政官になったのは僕が生まれた翌年であり、四度目の執政官になったのは僕が年少兵としてカプアに出征した時(=前214年)、その五年後にタレントゥムに出征したのだった。それから五年後に僕は財務官になった。それはトゥディタヌスとケテグスが執政官の年だった(=前204)。その時かなりの高齢だった彼は弁護士の報酬と贈り物に関するキンキウス法の提案者になった。また彼はかなりの高齢になってからも若い人のように戦争に出かけて、暴れまわる若きハンニバルを持ち前の忍耐強さで弱らせた。これについては我々の友人エンニウス(=前239~169)が書いてる。
一人の男がのろのろ作戦で国土を取り戻した、
彼は評判よりも安全を重視した。
その結果、彼の名声はいよいよ輝いている。10
「彼がタレントゥムを奪還した時の何という用心深さ、何という判断力。町を捨てて要塞の中に逃げ込んだサリナトール(=実際はマカートゥス。キケロの思い違い)が「ファビウスよ、君は僕のお陰でタレントゥムを奪還したんだぞ(=要塞に立てこもってタレントゥムを守ったと言いたいのである)」と自慢しながらこう言ったとき、ファビウスは笑いながら「確かにそうだ。君が町を失っていなければ僕は永久に取り戻せなかったからね」と言った。これは僕がこの耳で聞いたことだ。
「彼は戦争中だけでなく平和のときにも優れた政治家だった。彼が二度目の執政官の時に、護民官のガイウス・フラミニウスが元老院決議に反してピケヌムのガリア人の土地を市民に分配しようとしたのを、同僚の執政官のS.カルヴィリウスが何もしないのに、全力で反対した。卜占官だった時には、国家のためになる行動は全てが大吉であり、国家に反する提案は全てが大凶だと言ってのけた。11
「この人の素晴らしさを僕は沢山知っている。彼の息子は執政官にもなった有名な人だったが、その息子に死なれた時の彼の態度ほど立派なものはなかった。その時の弔辞が出版されているが、それを読むとどんな哲学者もうさん臭く思えてしまうほどだ。
「彼は公の場だけでなく家庭の中でも立派な人だった。会話上手で教え上手で、歴史の知識にもあふれ、法律や占いの知識にもあふれていた。ローマ人にしては文学の知識にもあふれていた。彼はあらゆる戦争のことを知っていた。自国の戦争だけでなく外国の戦争のこともよく知っていた。当時の僕は彼の会話をあまりにも聞き惚れていたので、彼が死んだ時のことまで考えてしまうほどだった。実際彼を失ったとき僕は教えを請う相手がいなくなってしまった。12
第五章 老人が不幸に思う四つの理由
「ファビウスについて何のためにこんなに沢山話したかというと、それは君たちも分かるだろうが、この人のような年寄りを不幸だと言うのは許されないからだ。誰もが大スキピオやファビウスのようにはなれないし、都市の攻略や、陸戦や海戦、凱旋式を思い出にできるわけでもない。しかし、静かに汚れなく上品に送った人生には静かで穏やかな老いというものがある。例えばプラトンがそうだった。彼は八十一才でもなお本を書きながら亡くなった。イソクラテスもそうだった。彼は『パンアテナイア祭演説』と題する本を九十四歳の時に書いてからその五年後に亡くなっている。イソクラテスの師匠のレオンティノスのゴルギアスは百七歳まで生きたが、研究生活をずっと続けていた。彼はどうしてそんなに長生きしたいのかと聞かれて、長生きして悪いことは何もないからだと答えたという。学者らしい立派な答えだ。13
「ところが、愚かな人たちは自分の欠点や失敗を高齢のせいにする。さっき言ったエンニウスはそんなことはなかった。
いつも最終コースで勝利した名馬オリンピアは、
今は老いて静かに休んでいる。この馬のように
彼は自分の老いを名馬の老いに例えている。詩人エンニウスのことはきっと君たちもよく覚えているだろう。フラミニヌス(=既出の将軍と同名の息子)とアキリウスが執政官の今年(=前150年)は、彼が死んでから十九年目にあたる。彼が死んだのはカエピオとフィリッポスが執政官の年だった。それは六十五才の僕がウォコニウス法に賛成する演説を持ち前の大声で行ったときだった。七〇才まで生きた彼は、貧困と老いという所謂大きな二つの重荷をまるで楽しんでいるかのように見えたものだ。14
「僕の考えでは、老人が不幸に思う理由は四つあると思う。その一つ目は年をとると仕事が出来なくなること、二つ目は体が弱くなること、三つ目は快楽が失われること、四つ目は死に近づくことだ。それらがどういうことなのか、はたして正しい理由なのかどうかを一つ一つ見ていこう。
第六章 年寄りには頭を使う仕事がある
「年をとると仕事が出来なくなるというが、それはどんな仕事のことだろうか。多分若さと体力がいる仕事だ。では、年寄りのする仕事はないだろうか。たとえ体力はなくても知力で行うような仕事はないだろうか。ファビウスは何もしなかっただろうか。スキピオ君、君の父親であり、僕の息子(立派な男だった)の舅だったパウルス(=前182執政官)は何もしなかっただろうか。さらに、ファブリキウス(=前282年執政官)、クリウス(=前290年執政官)、コルンカニウス(=前280年執政官)は知恵と助言で国を支えたのに、彼らは何もしなかったと言うのだろうか。15
「アッピウス(=前306年執政官、アッピア街道を作った)は晩年には目が見えなくなったが、元老院がピュロス王(=前3世紀のマケドニア王)と和平を結んで条約締結に傾いたとき、彼は決然として(エンニウスが次の詩によれば)、
これまではいつも正しかった君たちの判断力は
どこで間違った道へ逸れてしまったのか。
と力強い言葉で演説した。この詩は有名だが、本人の演説も残っている。これは彼が二度目の執政官を務めてから十七年後に行われた演説だ。二度執政官を務めた間には十年経っており、最初の執政官の前には監察官もしている。ここからピュロス王との戦いの時には彼がかなり高齢だったことが分かる。また実際そう伝わっている。16
「だから、年をとったら仕事が出来なくなるという根拠は何もないのである。それは、船の航海で多くの者たちがマストに登ったり甲板を走り回ったり船底の水を汲み出したりしている間、操舵手が舵を握って静かに船尾に座っているのを見て、操舵手は何もしていないと言うようなものである。しかし、操舵手は若者たちのやる仕事は何もしていないが、彼らよりはるかに大事な仕事をしているのだ。それは体力や体の素早い動きではなく、知恵と判断力と信頼があってはじめて出来る仕事だ。そして、人が年をとればそうした能力が無くなるどころかますます増えていくのである。17
「僕は兵士としても司令官としても使節としても執政官としても様々な戦争に携わったが、いまでは戦場を離れている。いまの僕が君たちの目には何もしていないように見えるだろうか。ところが、元老院に対してどの国と戦うべきか、どのように戦うべきかを指図しているのは僕なのだ。僕は長い間ずっと悪巧みをしてきたカルタゴと戦うべきだと随分早くから言っている。僕はカルタゴの滅亡を見届けるまでは決してカルタゴへの恐れを捨てるつもりはない。18
「スキピオ君、カルタゴを滅ぼすという名誉はきっと君のために残されているんだ。君のお爺さん(=大スキピオ、前236~184)がやり残した仕事を君が完成してくれたまえ。君のお爺さんが死んでから今年で三十三年だ。彼の思い出は僕たちみんなに永久に受け継がれるだろう。彼は僕が監察官になる前の年に亡くなっている。それは僕が執政官になった9年後だ。僕が執政官の年(=前195年)に、彼は二度目の執政官に選出されている。
「その彼がもし百歳まで生きていたら、彼は長生きしたことを後悔しただろうか。飛んだり走ったり槍を投げたり剣を振るったりはできなくても、彼は知恵と分別と判断力を使って戦ったはずだ。老人たちにこの能力があるからこそ、我々の父祖たちは国の最高評議機関を元老院と名づけたのだ。19
「スパルタでも政治の最高機関を担うのは老人たちであり、元老という名で呼ばれている。もし君たちが外国のことを聞いたり読んだりすれば、どんな偉大な国家も若者たちのせいで衰退して、それが倒れかけたところを老人たちによって支えられて再建されるのを見出すだろう。
おい、どうして君たちはこんな立派な国をこんなに早く失ってしまったのか。
これはナエヴィウスの劇の中の台詞である。それに対する答えは沢山あるがこの答えが一番的を射ている。
若い弁論家と愚かな若者たちが現れたからだ。
無茶をするのは若い盛りの人たちであり、知恵を働かすのは年寄りの仕事なのだ。20
第七章 老いても活躍した詩人と哲学者たち
「しかし、年をとれば記憶力が衰えると言うかもしれない。確かに記憶力は鍛えなければ衰える。しかし、元々物覚えが悪かったのかもしれない。テミストクレスは市民の名前を全部覚えていたが、その彼が年をとるとアリスティデスをリュシマコスと呼ぶようになると思うかい。
「僕だって今の世代だけでなくその父親もその祖父の名前も覚えている。墓標も読んでいるが、それで記憶力をなくなるという迷信を僕は恐れない。なぜなら、墓標を読めば死者のことを思い出すからだ。自分の金をどこに埋めたか忘れた老人の話は聞いたことがない。老人も自分の気にしていることは全部覚えている。法廷召喚日も覚えているし、誰に金を借りたか、誰に金を貸したかは忘れたりしない。21
「老いた法律顧問、老いた神祇官、老いた卜占官、老いた哲学者たちは何と豊かな記憶力をもっていることか。熱意と努力が続く限り、年寄りでも知力が損なわれることはない。それは著名人や政治家だけでなく、一般人の平穏な人生でも同じである。
「ソフォクレスは高齢になっても悲劇を書いた。その熱意のために家業をおろそかにしていると思われて、息子たちから裁判所に呼ばれたことがある。我が国でも財産の管理が出来ない父親を禁治産者にすることがあるが、息子たちは審判員にソフォクレスを痴呆老人として禁治産にするよう求めたのだ。その時、この老人は自分の手に持っている出来たばかりの悲劇『コロノスのオイディプス』を審判員たちに朗読してみせて、痴呆老人がこの詩を作ったと思うかと問いかけた。この結果彼は自由放免の判決を得たのだ。22
「ソフォクレスや、ホメロス、ヘシオドス、シモニデス、ステシコロス、それに前にも言ったイソクラテス、ゴルギアス、代表的な哲学者のピタゴラス、デモクリトス、プラトン、クセノクラテス、後のゼノン、クレアンテス、あるいは、ローマで君たちも見たストア派のディオゲネスは、晩年になって自分の仕事をやめざるを得なかっただろうか。それとも全員、死ぬまで自分の仕事を続けただろうか。23
「まあ、こんな高級な仕事は別としても、我が国のサビニー地方で農業を営む僕の友人や隣人たちも同じことである。農繁期には、種を蒔いたり、収穫したり、穀物を蓄えたりと、いつも働いている人たちだ。彼らのことで驚くようなことはあまりない。一年先まで生きていると思っている年寄りは農夫だけではないからである。しかし、彼らが偉いのは自分には関係がないと分かっていることにも精を出すところである。つまり農夫は
次の時代の役に立つ樹を植える。
これは我らのカエキリウス(=前2世紀の喜劇詩人)の『若者仲間』という喜劇の中の言葉である。」24
第八章 年寄りだっていろいろ忙しい
「カエキリウスが次の時代のことを考える老人について書いたのはよかったが、次のように書いたのは頂けない。
老いよ、お前がやって来る時、ほかに嫌なことは何も
連れて来なくても、一つだけ連れてくればもう沢山だ。それは
長く生きていると見たくないものを沢山見ること。
「しかし、年寄りは見たいと思っていたことも沢山見られるのだ。見たくないものを見るのは若者にもある。次のカエキリウスの詩はさらに頂けない。
年をとってから一番惨めに思うのは
自分が人から嫌がられていると感じること。25
「僕は年寄りは嫌がられるどころか喜ばれていると思う。賢い老人にとって素質ある若者は喜びであって、彼らに大事にされることで老後は楽しいものになる。それと同じように、若者たちは自分たちを立派な生き方に導いてくれる老人の教えを喜びとするである。君たちが僕の喜びであるように僕も君たちの喜びになっているのは明らかだと思う。
「ご存知の通り、年寄りたちは怠惰で無気力などころか、いつもせかせかと忙しくしている。それぞれが若い頃からやっていることがあるし、新たに学ぶことだってあるのだ。
「例えば、ソロン(=前6世紀のアテネの詩人、政治家)は毎日何かを学びながら歳を重ねていると自分の詩の中で自慢気に語っている。僕もまた年をとってからギリシア文学を学んだ。まるで長い飢えを癒やそうとするように僕は貪欲にむさぼって自分のものにした。それをいま僕が例として使っているのは見ての通りだ。ソクラテスが竪琴をやっていたと聞いたときは、竪琴をやろうかと思ったが(古代の人たちは竪琴を学んだものだ)、文学の方に精を出したんだ。26
第九章 老人に若者の体力はいらない
「僕はもう若い頃の体力へのあこがれはない(体力がなくなる事が二つ目のテーマだったね)。それは若い頃に牛や象のような体力にあこがれなかったのと同じだ。何であれ自分に出来る物を使うのがいいし、何をするにも体力に応じて行うのがいい。
「クロトナ(=南イタリア)のミロー(=前6世紀のレスリングの選手)は晩年に運動場で選手たちが練習しているのを見て、自分の筋肉をしげしげと眺めながら涙を流して「今ではこれも死んだも同然だ」と言ったというが、これほど情けない言葉があるだろうか。死んだも同然なのは筋肉のほうではなく、そんなことを言うお前自身だ。愚か者め、お前が有名なのはお前のお陰ではなく、お前が若い頃の筋肉と体力のお陰なのだ。
「我が国の高名な法学者セクストゥス・アエリウス(=前195年執政官)はそんなことは言わなかった、ずっと昔のティトゥス・コルンカニウス(=前280年執政官)も、少し戻ってプブリウス・クラッスス(=前205年執政官)もそんなことは言わなかった。彼らはローマ市民に法律を教えた人たちだが、人生の最期の時まで働き続けたのである。27
「弁論家は年をとって体力がなくなることを心配する。なぜなら、弁論家の仕事は知力だけではなく体力もいるからだ。確かに声の響きはどういうわけか年をとるほど輝きを増してくる。僕の年は御存知の通りだが、声の響きは保っている。しかし、年寄りには穏やかで静かな演説が相応しいし、雄弁な年寄りの落ち着いた静かな演説は聞き手を引き付けるものだ。また、演説が出来なくても、スキピオ君やラエリウス君のような若者に物を教えることは出来る。老人にとっては熱心な若者たちに取り巻かれていること以上に楽しいことはない。28
「老人にも若者に物を教えたり色んな仕事を教えたりする体力くらいはあるのだ。そしてこの仕事ほど大事な仕事はない。スキピオ家のグナイウス(=前222年執政官)とプブリウス(=前218年執政官)も、君の二人の祖父であるパウルス(=既出のパウルスの父)と大スキピオも、良家の若者たちに取り囲まれてとても幸せそうだった。どれほど体力が衰えても、若者を一人前の人間にするために物を教えることが楽しくないわけがない。もっとも、体力の衰えは年のせいではなく若い頃の不行跡のせいであることのほうが多いものだ。多くの年寄りは若い頃に自堕落な暮らしをして弱らせてしまった体を引きずっているだけなのだ。29
「クセノフォンによると、ペルシャ王キュロス(=前6世紀)は死に臨んで行った談話の中で、自分は年をとってからも若い頃と比べて体力の衰えを感じたことはないと言ったという。僕は子供の頃に見たルキウス・メテッルス(=前251年執政官)のことをよく覚えている。彼は二度目の執政官になった四年後に大神祇官になっが、二十二年間もその祭司職を務めた。彼は死ぬまで体力に満ちていたので、若い頃を懐かしがることはなかった。僕自身については言うまでもないことだ。もっとも、自分の話しをするのは年寄りの特権で、僕の年頃の人には許されることだが。30
第十章 人生行路は一方通行である
「ホメロスの叙事詩『イリアス』のなかでネストールがたびたび自分の功績を語っているのを君たちは知っているだろうか。彼は三世代も生きた年寄りだったが、自分のことをくどくど話しても偉そうには見えなかったし、おしゃべりだと言われる心配はなかった。実際、ホメロスが言うように「彼の口からは蜜より甘い言葉が流れ出ていた」が、その甘美な演説には体力をまったく必要としなかった。それどころかギリシアの総大将アガメムノンは剛力のアイアス十人ではなくネストールのような人が十人いて欲しい、そうすればきっとトロイをすぐに落とせると言っている(=『イリアス』2巻371行以下)。31
「自分のことに戻ると、僕はいま八十四才だ。僕もキュロス王と同じことが言いたいところだが、そうもいかない。僕は兵卒として財務官としてポエニ戦争(=前219年~201年)に行ったし、執政官としてスペインにも行った。四年後グラブリオーが執政官の年(=前191年、アンティオコス3世と戦った)には司令官としてテルモピュライで戦った。だが、もうその頃の体力は今の僕にはない。だがこれだけは言える。ご覧のとおり僕は年をとったが全く弱ってはいない。元老院でも公共広場でも友人や庇護民や客人の間でも、僕はまだまだ現役だ。僕は昔の有名なことわざには全然同意できない。それは「長く長老でいたければ早く老成しろ」(=出展不明)だ。僕は長く年寄りでいるのも嫌だし、早くから年寄り臭くなるのも嫌だ。今まで僕は家に引きこもって自分に会いに来た人を門前払いにしたことはないんだ。32
「僕には君たちの体力はない。しかし君たちも百人隊長ポンティウスの体力はあるまい。だからといって彼のほうが優れているだろうか。自分の力をしっかりセーブして、自分の能力に応じて頑張ればいいのだ。そうすれば、体力がなくて困ることはない。ミローはオリンピアの競技場を牛をかついで歩いたと言われている。スキピオ君、君はミローの体力とピュタゴラスの知力のどちらが欲しいかね。要するに、体力という結構な物がある間はそれを使えばいいが、無くなったからといって泣き言を言わないことだ。それとも、青年たちは子供時代を懐かしみ、さらに少し年をとっては青春時代を懐かしむべきだと言うのだろうか。人生の行路は決まっている。自然の道は一つしかない。それは一方通行なのだ。そして人生のそれぞれの時代にはそれぞれの長所がある。子供のか弱さ、若者の活力、大人の重々しさ、老人の成熟は、それぞれが自然の賜物であり、それぞれの時代に享受すべきものなのである。33
「スキピオ君、君の祖父の客人で90歳になるマシニッサ(=北アフリカのヌミディア王)が今どうしているか君は聞いていると思う。彼は歩いて旅に出た時はけっして馬には乗らないし、馬で旅に出た時は馬から降りようとはしない。雨が降っても寒気がおそっても、頭にかぶりものはしない。彼の体は健康そのもので、王としての仕事を全てこなしている。年をとっても運動と節制で若い頃の体力は何とか維持できるんだよ。
第十一章 老いの衰えには入念な備えがいる
「年寄りには体力はないが体力を求められることもない。僕の年頃になれば法律や規則によって体力を必要とする仕事は免除されている。出来ないことは要求されないし、出来ることも無理強いされることはない。34
「確かに、まったく仕事ができないほど体力のない老人は沢山いる。だが、体力がないのは老人だけのことではない。健康を損った人はみんなそうだ。大スキピオの息子つまり君の義理の父親(=~前180年)はまったく健康に恵まれなかった。もしそうでなければ彼はこの国の二人目の光明となったろうに。というのは、彼は父親譲りの精神力に加えて豊かな学識があったからだ。
「若者でさえ体力を失うことがあるのだから、年寄りに体力がなくても不思議ではない。だから、ラエリウス君、スキピオ君、老いとは戦わないといけない。老いの衰えには入念な備えが必要だ。老いとの戦いには病と戦うのと同じ覚悟がいる。35
「そのためには健康に配慮して、酒はほどほどにして、適度な運動と食事で筋力を維持しなければいけない。しかし、体力も大事だが知力はもっと大切だ。油を注さないでいる火が消えてしまうように、知力は老いに任せていると衰えてしまうのである。それに、肉体は使えば疲れて動きが鈍くなるが、心は使えば使うほど動きが軽快になる。
「カエキリウスが『喜劇に出てくる愚かな老人』と呼んだ人たちは、騙されやすく、物忘れしやすく、だらしのない老人のことを指している。しかし、どの年寄りもこうなのではなく、無気力で寝てばかりいる年寄りがこうなってしまう。生意気や不摂生は老人の短所というよりは若者の短所である。しかし、これもすべての若者ではなく不品行な若者にだけ見られることである。それと同じように、老人ボケと言われる現象も無気力な老人がなることであって、年寄り全員がなるわけではない。36
「アッピウス(=既出)は盲目の老人でいながら、四人のしっかりした息子と五人の娘と、あの立派な家と、あれほど多くの庇護民の主(あるじ)として君臨したものだ。彼は寄る年波に負けずに弓のようにぴんと張った心を失わず、頑健な肉体を保っていたからである。彼は一族郎党に対して権威だけでなく命令権をも維持していた。彼は奴隷たちからは恐れられ、自由人たちからは尊敬され、みんなから大切にされていた。彼の家では父祖伝来の風習と規律が生きていたのである。37
「実際、年をとってかも、自分の立場を守って、権威と権力を保ち、最後の息を引き取るまで家族に対する支配力を維持しているなら、立派なものである。僕は若者にも老成したところがあっていいと思うし、老人にも若々しさがあっていいと思う。こういう心掛けで暮らしていると、体は老いても心は老け込まいものだ。
「僕は『起源論』の第7巻を書いていて、昔の記録をいろいろ集めている。今は有名な裁判で僕が弁護した演説に手を加えているところだ。卜占官の法律、神祇官の法律、市民法も研究しているし、ギリシア文学もよく勉強している。また、記憶力を維持するためにピュタゴラス派のやり方に従っている。自分の言った事聞いた事したことを毎日夕方に思い出すのである。これは脳味噌の訓練で、いわば精神の運動場だが、ここでびっしょり汗をかいても体力の不足を感じることはあまりない。また、友人の相談にも乗るし、しばしば元老院に行ってはじっくり考えた問題をすすんで提案したり主張したりするが、これも体力ではなく知力でやっている。
「もしこうしたことが出来ないなら、僕は長椅子に座って自分が出来なくなったことを考えて、それを楽しみとするかもしれない。そうならずに僕が今こうして忙しくしていられるのも、これまで僕が送ってきた人生のおかげだ。いつもこんな労力を払ってあくせく暮らしていると、老いが忍び寄って来ることにも気付かない。こういう風に暮らしていれば、人生は知らないうちに徐々に老いを迎える。人生は突然終わるのではなく、長い時間をかけて燃え尽きるものなのだ。38
第十二章 年寄りは快楽の誘惑から自由である
「次は高齢者の不満の三つ目で、年をとると快楽が失われるということだ。しかし、若い頃に一番悪さをするものが年をとって無くなるなら、これはいいことじゃないか。タレントゥムの高名なアルキュタス(=ピタゴラス派の哲学者、プラトンと同時代の人)という人の古い演説があるから、優秀な君たちには是非聞いて欲しい。僕は若い頃ファビウス将軍とタレントゥムにいた時にその演説のことを教えてもらった。彼は『自然が人間に与えたもので肉体の快楽ほどひどい害悪はない』と言ったそうだ。『この快楽に対する強い欲望が起こると、人はそれを満たすために闇雲に突っ走る。39
『祖国に対する裏切りも、国家の転覆も、敵との内通もこれが原因で起こる。どんな悪事もどんな犯罪の企ても、快楽の欲望が原因でないものはない。レイプや不義密通などといった恥ずべき行為に人を走らせるのも快楽の誘惑以外にはないのだ。生まれつき人間には知性という素晴らしいものが与えらているが、この神の贈り物に対する最大の敵が快楽なのだ。40
『この欲望が人を支配している時には、節度の入り込む余地はない。快楽の支配のもとでは美徳は維持できない。あらん限りの激しい情欲に突き動かされている人を考えてみれば、これはさらに明らかだ。この快楽が続く限りその人は知性も理性も思考力も何も使うことが出来ないのは疑いがない。だから、もし快楽がさらに大きく、さらに長びいて、精神の光が消えてしまうようなことになれば、これほど忌まわしくて破壊的なものはないのだ。』と彼は言うのだ。
「アルキュタスはこの話をサムニウム人(=イタリア半島中部)C.ポンティウスにしたのだ(この人はカウディヌムの戦い(=前321年)で両執政官アルビヌスとウェトゥリウスを降伏させた人の父親である)。僕の客人で昔からローマの友人であるタレントゥムのネアルコスは、この話を自分の父祖たちから聞いたと言っている。それはカミッロスとクラウディウスが執政官の年(=前349年)で、ちょうどタレントゥムに来ていたアテナイのプラトンもその会話に参加していたということだ。41
「何のためにこんな話をするか。それは『快楽を理性の力で撥ねのけられなくても、年をとれば良からぬ事をしたくなくなるのだから、老いは歓迎すべき』ということを、君たちに分からせるためだ。快楽は分別を損なう。快楽は理性と知性の敵である。快楽は人を盲目にする。快楽は美徳に資するところが全くないのである。
「僕は不本意ながら、勇者ティトゥス・フラミニヌスの弟のルキウス・フラミニヌスが執政官になってから7年後に元老院から追放したが、それは放縦な行為は咎めておかねばと思ったからだ。彼は執政官としてガリアにいた時、宴席で娼婦にねだられて、死刑囚を連れてきて首をはねさせた。彼は兄のティトゥスが僕の前に監察官をしていたときには罰を免れた。しかし、監察官となった僕とフラックスは(=前184年)、個人の非行が帝国の不名誉に直結するあんな恥ずべき行為が許されてよいわけがないと思ったのだ。42
第十三章 老後の楽しみを禁じる必要はない
「次は父祖たちが子供の頃に老人たちから聞いてそれを僕が父祖たちから何度も聞いた話だ。ファブリキウス(=既出)はピュロス王へ使節として言ったとき、テッサリアのキネアス王(=ピュロス王の友人)から次のようなことをしばしば聞いて驚かされた。それは、我々のすることは全て快楽に照らして判断すべきと主張する人(=エピクロス)がアテネにいて、哲学者を自称しているというのである。すると、彼からその話を聞いたクリウスとコルンカニウス(=二人とも既出)は『サムニウム人とピュロス王がその思想に染まってくれたらいい。そうすれば彼らが快楽に囚われているときに簡単に征服できる』といつも言っていたというのだ。
「クリウスは自分より5年前に4度目の執政官になったデキウス(=前295年執政官)が戦場で国のために命を捧げたことをよく知っていた。ファブリキウスとコルンカニウスもデキウスの知り合いだった。三人は自分たちの経験とデキウスの行動から、この世には損得を度外視して追求すべきもの、それ自体ゆえに素晴らしいものがあって、優れた人たちは快楽を無視してそれを追求すると思っていたのだ。43
「何のためにこんなに長々と快楽について話すのか。それは年寄りになれば快楽にあまり用がなくなるのは、非難すべきであるどころか、むしろ歓迎すべきだと言いたいからだ。年寄りは宴会もご馳走の山も大酒も欲しくない。だから、悪酔いもないし胃を壊すことも夜更かしもなくなる。
「快楽の魅力にはなかなか抵抗できないので多少譲歩するなら(人はまさに魚のように快楽という餌食に引き寄せられることから、プラトンはいみじくも快楽を「悪へ誘う餌」と名づけた(=『ティマエウス』69D))、年寄りに度を越したご馳走は無用だが、つつましい親睦会を楽しむぐらいはいい。
「例えば、ドゥイリウスという人(=前260年執政官)はカルタゴを初めて海で破った人だが、僕が子供の頃、年老いた彼が夕飯から帰るのを見かけた時には、いつも提灯持ちと笛吹きを楽しげに引き連れていたものだ。こんなことは私人としては前例のないことだが、英雄にはこの程度の贅沢は許されたのである。44
「人の話はこのあたりにして僕の話をしよう。まず僕には教団仲間がいる。この教団は僕が財務官だった時に(=30歳)キュベレ神の儀式を受け入れてから始まったものだ。僕はこの教団の仲間と質素な食事会をしていたが、その頃は若かったのでにぎやかなものだった。しかし、それも年を経るにつれて次第に大人しくなった。というのは、その教団の親睦会の楽しみは食欲を満たすことより集まった友人との会話の方にあったからだ。
「我らの父祖たちは友人たちと食事のテーブルにつくことを、親睦を深める会なので親睦会(コンウィウィウム)と名づけた。これをギリシア人は飲み会や食事会と呼んだが、こんな名前ではこの集まりの実に些細な要素を過大に評価することになってしまう。45
第十四章 打ち込めるものがある老後は楽しい
「僕は会話が好きだから昼間から親睦会を楽しんでいる。そこでは同年輩の人たちはかなり減ってしまったが、君たちのような若者たちとの会話を楽しんでいる。年をとって飲食の欲求がなくなり会話に集中できるようになったのは、僕にとっては大変好都合だ。それでも、年をとってなお飲食の快楽を求める人がいるなら(快楽に対する欲求は誰にもある程度は許されているから、僕は快楽に対して宣戦布告しているとは思われたくない)、老人にそういう楽しみが全く無いとは言わない。
「僕が楽しんでいるのは、飲食の席に主人役を置く父祖たちのやり方だったり、酒が出てから上席の人が会話を始めるやり方だ。盃も例えばクセノフォンの『饗宴』(=2、26、ネットにあり)にあるように、小さくて酒のしずくですぐに一杯になるもので楽しんでいるし、夏は冷酒、冬は陽の光か炎で温めた酒で楽しんでいる。このやり方を僕はサビニーにいる時はいつもやっている。毎日隣人たちの親睦会に加わって、夜遅くまで色んな話をして楽しんでいるんだ。46
「そうではなくて、年を取れば五感の喜びが失われるのが問題だと言うかもしれない。それはそのとおりだ。しかし、年を取ればそんな欲も無くなってしまう。そして欲がないのは楽なのだ。ソフォクレスはある人に『お年をめされてから色事の方はどうですか』と聞かれて、『そんなのはまっぴらだ。やっとあの狂った暴君から逃れて、ほっとしているのに』と答えたという。そういう事が好きな人には無くなるのは辛いかもしれないが、飽き飽きしている人には、そういう事は有るより無いほうが楽なのだ。一方、欲が無い人はそういう事は無くても困らない。結局、欲がないほうが楽しいということになる。47
「ところが、若者はそんな快楽をすすんで享受する。しかし、さっき言ったようにそんなのは些細な事だし、たっぷりとは言わなくても年寄りにも全然無いわけではない。例えば、有名な俳優のトゥルピオ・アムビウィウスを最前列の席で見れば一番楽しいが、一番後ろで見ても楽しいことに変わりはない。それと同じように、若い頃は快楽を間近で楽しめるが、年をとってから距離をおいて好きなだけ見るのも楽しいものだ。48
「しかし、性欲、野心、競争、敵対心などあらゆる欲望への勤めを終えて、精神が自分を取り戻して伸び伸び暮らせることの何と素晴らしいことか。研究や学問という生き甲斐のある人にとっては、老後の引退生活ほど楽しいものはない。スキピオ君、君の父上の友人であるガッルス君(=前166年執政官)が大空と大地の測定に打ち込んでいたのを僕たちは知っている。彼は何かの記録を夜から始めて朝になったり、朝から始めて夜になったりしたことが何度もあった。日食や月食をずっとまえに僕たちに予言するのを彼はどれほど楽しみにしていたことか。49
「そんな難しいことでなくても頭を使うことは沢山ある。作家ナエウィウス(=前3世紀)は『ボエニ戦争』、プラウトゥスは喜劇『トルクレントゥス』と『プセウドルス』に打ち込んだ。晩年のリウィウス・アンドロニクスを僕は見たことがある。彼は僕が生まれる6年前、ケントとトゥディタヌスが執政官の年(=前240年)に劇を上演して、僕の若い頃まで生きていた。
「またプブリウス・クラッスス(=既出)も、数日前に大神祇官になった当代のスキピオ・ナシカ(=前155年執政官、前141年死去)も神祇官法と市民法に打ち込んだ。いま挙げた人たちはみんなこうした研究をしながら輝かしい晩年を過ごしたのだ。エンニウスに「説得の女神の神髄」と呼ばれたケテグス(=既出)が、年をとってからどれほど弁論に打ち込んでいたかも僕は知っている。
「美食や見世物や色事などの喜びがこういう高級な喜びと比べられるだろうか。知恵ある人たちや教育のある人たちの場合、こうした学問への熱意は年とともに大きくなるばかりで、前に言ったソロンが詩の中で毎日学びなら齢を重ねていると言ったのは真実をついていたのである。こうした精神的な喜びにまさるものはないのだ。50
第十五章 農業の楽しみ
「次は農業の楽しみについて話そう。僕は農業の楽しみに心酔している。農業は年をとっても変わらず楽しめるし、農業にいそしむことで僕は賢者の生き方に最も近づけると思っている。農業は大地に預金口座をもっているようなものだ。この銀行はけっして支払いを拒否しないし、受け取ったものには必ず利息をつけて返してくれる。金利は安いのもあるが大抵はかなり高い。
「もっとも、僕が楽しみにしているのは利息だけではない。それは大地が持っている自然の活力である。大地が耕やされて柔らかくなると、その懐の中に種が蒔かれる。大地がそれを受け入れると、大地はまず種を奥深く隠して(オッカエコー)閉じ込めてしまう(耕耘(オッカティオー)という言葉はこの単語(オッカエコー)から来ている)。次に大地はその温かい懐で種を抱きしめて、種をふくらませて中から若芽を引き出す。若芽は根に支えられて徐々に成長する。節のある茎がまっすぐ伸びると、芽が鞘の中にくるまれる。その鞘からまた芽が出てくる時に、穂の中に一列に並んだを実をつける。芽は小鳥のついばみに備えて尖った穂先に守られる(=小麦)。51
「葡萄の由来と栽培と成長について僕が語る必要はあるまい。農業が老後の楽しみとなることを知ってもらうために僕が農業の楽しさを話せばきりがない。大地から生まれる全ての植物の力は素晴らしいものである。イチジクや葡萄のあの小さな種からあれほど大きな幹や枝が生えてくるのである。挿し枝、接ぎ穂、切り枝、挿し木、取り木の手法がもたらす実りの素晴らしさには誰もが驚き魅了される。
「葡萄は自然に下へ向かう性質があるので支えがないと地面を這ってしまう。そこで地面に下がらないように自ら巻きひげを手のように使って何であれ出会ったものに巻き付こうとする。農家は葡萄の若枝が繁茂して色んな方向へ無闇に広がってしまわないように、くねくねと這い進む若枝をはさみで切って剪定する。それが農家の技術である。52
「そして春になると切り残した若枝の節からつぎつぎと新芽が出てくる。その芽から葡萄の房が現れるのだ。房は大地の水分と太陽の熱で成長する。最初は非常に酸っぱいが、やがて熟して甘くなる。房は葡萄の枝に覆われて適度な暖かさを保ちつつ、太陽の極度の熱から守られるのである。葡萄は実がなるのが何より楽しみだが、その姿も美しい。
「つまり、葡萄は実が色々使えるのが楽しいだけでなく、すでに言ったように、葡萄の木の性質をよく知って育てるのが楽しいのである。葡萄の支柱の配列、葡萄の蔓が横木に絡みついている様子、枝を縛ったり、挿し木で繁殖させたり、すでに言った剪定をしたり、必要な枝を残したりするのが楽しいのだ。土地を肥やすためには、水を撒いたり掘ったり鋤いたりするのも欠かせない。53
「施肥も重要である。これも農業についての僕の本に書いた。ところが、あのヘシオドスが農業について書いた詳しい本の中には施肥については何も書いていない。一方、ホメロスはヘシオドスよりも何百年も前の人だが、帰らぬ息子を待ちわびるラエルテス(=オデュッセウスの父親)が農地を耕して、そこに肥料を与えるところを描いている。
「農業は畑や牧草地や葡萄畑や植林地だけでなく、家の庭や果樹園や家畜の飼育や蜜蜂の養蜂や色んな花の栽培でも楽しめる。また植物を種から育てるだけでなく、接ぎ木で育てるのも楽しい。接ぎ木ほど農業の技術の巧みさが見られるものはないからである。54
第十六章 老後は農業で楽しくなる
「農業の楽しみについてならいくらでも話せるが大分長くなった。許してくれたまえ。農業のことになると熱くなってつい長話になってしまう。年をとるとお喋りになるものだ。これでは年寄りには何の欠点もないとはいえないが。
「さらに言えば、クリウスはサムニウム人とサビニー人とピュロス王を破って凱旋式を上げたが、晩年を農業をして暮らした。彼の村を見たことがあるが(うちからそう遠くない)、彼の質素な暮らしとその時代の人の生き方はどんなに褒めても足りないくらいだ。55
「彼が炉端に座っているところにサムニウム人が大きな金塊をもって来た時、彼はそれを断った。そして『金塊を持つことが立派ではなく、金塊を持っている人を支配するのが立派なのだと僕は思う』と言ったという。こんな高貴な精神の持ち主が老後を楽しめなかったはずがない。
「だが、脱線しすぎないように農業の話に戻ると、キンキナトゥス(=前5世紀)は独裁官に選ばれたという知らせを畑を耕しているときに受け取ったと言われている。これが本当なら、当時は元老たちも年をとれば農業をしていたということになる。王座を狙っていたマエリウスを騎兵団長のアハラに逮捕させて殺させたのはこの独裁官だ。元老院に招かれたクリウスや他の老人たちも農場に住んでいた。だから、彼らを呼びに行った伝達吏は旅人と呼ばれた。
「では、農業をして楽しんでいた彼らの老後は不幸なものだったのだろうか。僕の考えでは、農業をして過ごす老後ほど幸せな老後はないのである。農業は人の役に立つ仕事であるだけではなく、いま言ったような楽しみとなるし、人間生活と神の儀式に必要なあらゆる物を豊富にもたらしてくれるからである。これらは人生に無くてはならない以上は、僕も物欲を認めるにやぶさかではない。
「実際、勤勉な善き家長の蔵はつねに葡萄酒とオリーブオイルと穀類に満ちており、農場はどこも豊かであり、豚と山羊と羊と鶏と牛乳とチーズと蜂蜜に満ちている。さらに農家には庭があって、第二のご馳走とまで呼ばれている。仕事の手が空いた時に鷹狩や狩猟をすることも、農業の楽しみをさらに豊かにしてくれる。56
「草原の緑や規則正しい並木、葡萄畑とオリーブ園の美しさについて多くを語る必要があるだろうか。簡単に言うと、よく手入れされた農地ほど利用価値があり、見た目にも美しいものはない。農業を楽しむのに高齢であることは妨げにならない。むしろ、老後の生活は農業に向いている。というのは、冬に日光浴をしたり火を炊いて暖を取り、夏に日陰や水辺で涼をとるのに、農地ほどよい所はないからである。57
「武具も馬も槍も木刀もボールもまとめてくれてやる。水泳も駆けっこ遊びももういらない。多くの遊び事の中から年寄りにはサイコロ遊びだけ残してくれたらいい。いや、それさえ要りはしない。そんな物がなくても老後は充分楽しめるのだ。58
第十七章 大切にされる老人になるべし
「クセノフォンの本は色々と有益だから、君たちも熱心に読んでいるだろう。是非おすすめする。『オイコノミコス(家政論)』という彼の本は財産の管理のことを扱ったものだが、その中でクセノフォンは農業のことを言葉を尽くして賞賛している。彼は農業に打ち込むことほど王者に相応しいことはないと言うのだ。それは、その本の中でソクラテスがクリトブロスに話した次の話を読めば分かる。
『ペルシャの王子キュロス(=前5世紀)は頭のいい政治家だった。スパルタの英雄リュサンドロスがサルディスに会いに来て同盟国からの貢ぎ物を持ってきた時、キュロスはリュサンドロスを親切にもてなしたが、なかでも丁寧に植樹された庭園を彼に見せたという。
『大きく育った木々がサイコロの五の目の形に整然と並んでいる様子や、きれいに耕して仕切られた土や、花々から漂ってくる甘美な香りに驚いたリュサンドロスは、この庭園を設計して造成した人間の心配りと技量に感心すると言った。
『するとキュロスは「いや、これは全部私が設計しました。私が整備して、私が配置したのです。ここの多くの木は私が自分の手で植えたものです」と答えたという。するとリュサンドロスはキュロスの紫の衣とつやの良い体と、沢山の金や宝石で飾られたペルシャ風の装具をまじまじと見ながら、「キュロス殿、あなたが幸福な人だと言われるているのは本当ですね。あなたは運の良さだけでなく美徳をお持ちなのですから。」と言ったそうだ。』59
「このキュロスの幸運を味わうことが老人には許されているのだ。多くの活動がそうだが、特に農業は年寄りでも歳を重ねならがら死ぬまでやり続けることができる。ウァレリウス・コルウィヌス(=前4世紀)は引退してからは畑を耕して、百才まで農業を続けたと言われている。彼が最初に執政官になってから六回目の執政官になるまでに四十六年もある。なんと彼は、我らの父祖たちが考えていた生まれてから老後の始まるまでの年数だけ公職に就いていたのである。しかも、彼は年をとってからますます大切にされた。だからその分だけ苦労が減ったので、彼は壮年期よりも幸福だった。年寄りにとって最高の贈り物は人々に大切にされることである。60
「ルキウス・メテッルス(=既出)はどれほど大切にされたか。アウルス・カラティヌス(=前249年独裁官)がどれほど大切にされたか。この人の墓碑銘には『人々が一致してこの人をこの国の第一人者であると認めていた』とある。そのあとの部分も含めて彼の墓に刻まれているこの詩は有名である。彼はまさに重要人物で、彼の評判のよさについては全ての人の意見が一致していた。近くでは大神祇官になったプブリウス・クラッスス(=既出)と、その後同じ職についたマルクス・レピドゥス(=前187年)がどれほど立派な人だったか我々は知っている。パウルスと大スキピオについて、またさっき言ったファビウスについては何を言う必要があるだろうか。彼らはその意見だけではなく、そのうなずきさえ重視された。国に貢献した老人は非常に大切にされる。それは若い頃のどんな楽しみよりも貴重なことなのである。61
第十八章 老人の気難しさは変えられる
「私の話の中で忘れて欲しくないのは、若い頃の努力の基礎の上に築きあげた老後が素晴らしいと言った話である。黙っていても大事にされるような老後でなければ不幸であると(=38節)。いつか僕がこう話した時には誰もがそのとおりだと言ってくれた。頭が白くなってシワが増えたからといって急に偉くなるわけではない。立派に過ごしたそれまでの人生があってこそ、老後になって人に大切にされるのである。62
「挨拶をされる、意見を求められる、道を譲られる、起立される、誘われる、送ってくれる、相談されるというような当たり前の事が年寄りに対する尊敬の表れである。こういう礼儀を我々のようなモラルの高い国民はきちんと守っている。
「さっき名を挙げたスパルタのリュサンドロスによれば、老人が最も住みやすい国はスパルタだという。実際、これほど老人が尊敬され大切にされる国はない。次のような話が伝わっている。アテナイの祭日の催しで一人の老人が劇場に入って来たとき、大勢の観客がいたのにアテナイ人は誰も彼に席を譲ろうとしなかった。ところが、その日はスパルタ人が使節として来て指定席に座っていた。老人が彼らの方に近づいて行くと、彼らは全員一斉に立ち上がって老人に座を譲ろうとして迎え入れたのである。63
「このスパルタ人に対して満場の観客から何度も拍手が送られた時、スパルタ人の一人が「アテナイ人は何が正しいか知っているのにそれを実行しようとしない」と言ったという。我々の神祇官団にもいろいろ優れた習慣があるが、いまのテーマでいうと、年長者に発言の優先権があることがそれにあたる。しかも、年長の卜占官は地位の高い人だけでなく支配権をもつ人からも優先権を与えられるのである。こうして人々から大切にされることの有難味と比べたら、肉体の快楽など物の数ではない。年をとってからこうした丁寧な扱いを受ける人こそ、へぼ役者のように最終幕でとちることなく、人生という芝居を最後まで演じきった人だと僕は思う。64
「年寄りは不機嫌で、心配症で、怒りっぽくて、気難しいと言う人がいる。捜せば欲張りな老人もいるかもしれない。しかし、これは性格のせいであって年のせいではない。しかし、こうした不機嫌などの短所はけっして正当化出来ないが弁解の余地はある。彼らは自分が無視され、見下され、馬鹿にされていると思っているのだ。それに、弱った体には少しの侮辱もひどくこたえるのである。
「こうした短所は良い習慣を身につけることで改善できる。これは実生活からもわかるが、テレンティウスの劇『兄弟』の中の二人の父親の変わり様を見ても分かる。一人の父親は何と厳格で、もう一人は何と寛大だったことか。それがどうなったか。どんな葡萄酒も古くなれば酸っぱくなるとは限らないように、誰もが年をとると気難しくなるとは限らないのだ。老人が厳格なのはいいがそれも程度もので鬱陶しいのはだめだ。65
「年寄りが欲張りなのは何の意味があるのか僕には分からない。残りの旅路は短いのに、旅費をもっと要求するほど馬鹿げたことはないからだ。
第十九章 死は恐れるに足らず
「老人が不幸に思う四つ目の理由は死が近いことだ。これは年寄りの大きな悩みの種で老後を不安にする最たるものである。確かに、年寄りは死から遠くない。それにしても、それまでの長い人生の間に死は軽蔑すべきものであることに気付いていないのは情けない。死によって魂が完全に消滅するものなら死は取るに足らないことだし、逆に死によって魂が永遠の生命を授かるのなら死は望ましいことだ。そして、これ以上のことはもうないのである。66
「死んでも不幸にならないし、ことによると幸福になるのだとすれば、どうして死を恐れる必要があるだろうか。しかしながら、いくら若くてもその日の夕方まで生きていることを全く疑わないというのはあまりに無邪気である。年寄りより若者のほうが事故にあって命を落とすことが多いのである。若者のほうが病気になりやすいし、重病にもなりやすいし、なかなか治らない。だからこそ、長生きして老人になる人は少ないのだ。
「もし老人が沢山いれば、世の中はこんなに愚かしいものではなくなるだろう。なぜなら、老人は知性と理性と思慮深さを持っているからだ。もし老人がいなかったら国なんか一つもなかっただろう。死が近いことに話を戻すと、それはいま言ったように若者にも年寄りにも共通のことなのに、どうして死が近いことが老いの罪なのか。67
「僕は最愛の息子を失って、死がどの年頃の人にも降りかかることを身をもって知った。スキピオ君、君も将来を嘱望された兄弟をなくしている。老人と違って若者は長い将来を望めると言うかもしれない。しかし、それは愚かな望みだ。不確かなものを確かなものと考えたり、偽りを真実と考えるほど愚かなことがあるだろうか。老人には何の望みもないというかもしれない。だが、老人は若者が望むものを既に手に入れている。だから、それだけ老人は若者よりはましな境遇にいる。若者は長生きを望むが、老人はすでに長生きしているのだ。68
「しかし、いったい全体、人間にとって長いと言えるものがあるだろうか。我々にもし最高の長寿が与えられて、タルテッソスの王様(=前6世紀)のような寿命が期待できるとしても―スペインのカディスにアルガントニウスという人がいて八十年間王座にあったのち百二十歳で死んだというのをある本(=ヘロドトス『歴史』1巻163節)で読んだことがある―、いつか最後の時が来るものを長いとは少しも思えないのだ。最後の時が来れば過ぎ去った時間は消えてしまっている。消えずに残るのは徳に則った正しい行動の結果だけである(=9節)。月日は去り行くのみであり、過ぎ去った時間はけっして戻って来ない。未来を知ることも出来ない。だから、誰もが自分に与えられた寿命に満足するしかないのだ。69
「役者は自分の出る場面で喝采を受けたら、もう最後まで舞台に残っている必要はない。賢者と言われる人もみんなと一緒に終幕を迎える必要はない。短い人生も立派に生きようとすれば充分長いからである。かと言って、長生きしたことを嘆く必要はない。それは、楽しい春が過ぎて夏と秋が来ても農家は嘆かないのと同じである。なぜなら、春は青春時代と同じく将来の実りを約束する季節であり、夏と秋はその実りを収穫する季節だからである。70
「そして、老後の実りとは、何度も言ったように(=9節など)、それまでの沢山のいい事の思い出である。ところで、何であれ自然に起きたことはいい事のうちに数えるべきである。そして、老人にとって死ぬこと以上に自然なことはない。ところが、これは若者にとっては不自然なことである。若者の死は炎を大量の水で消すようなことだと思う。しかし、老人の死は自然に何の力も加えずに火が燃え尽きて消えるようなものだ。またそれは木から果実が落ちるのに似ていると言える。まだ熟していない果実はなかなかもぎ取れないが、熟した実は自然に落ちる。それと同じように若者の生命は力ずくで奪われるが、老人は成熟することで奪われる。成熟することは僕には大いなる喜びである。死が近づくのは、長い航海のあとで陸が見えてきて、やっと港に入ろうとしているようなものだ。71
第二十章 死を恐れなければ老人に恐いものはない
「ところで、老年期は青年期とちがって生きている限り終わりがない。しかも、ちゃんと自分の義務を果たしながら、死を軽視できるなら、年寄りは威張って生きていられる。だから、若者とちがって老人は恐いもの知らずになれる。僭主ペイシストラトスに対するソロンの答えにはそれが表れている。ソロンはペイシストラトスに「あんたは一体どうしてそんなに自信満々に私に逆らえるのか」と聞かれて、「長生きのおかげだ」と答えたという。
「一方、人間にとって最も望ましい最期とは、自然がおのれの創造物を、精神と感覚を損なわぬまま、自らの手で解体する時である。船や家を解体するのも、それを作った人間が最も手際よく解体できる。それと同じように、人間は人間を作り出した自然の力によって解体されるのが一番いいのである。そして、新しく作られたものは壊れにくいが、古くなったものは壊れやすい。だから、老人は残り少ない人生にしがみつくべきでもないし、無闇に捨て去るべきでもないということになる。72
「ピタゴラスは司令官の命令なしに勝手に人生という砦(とりで)や自分の部隊から逃げ出してはいけないと言った。この司令官とは神のことである。賢人ソロンの墓には、『僕が死んだら友人たちはきっと悲しんで泣いてくれ』と書いてある。彼は自分の仲間に大切にされることを願ったのだ。一方、エンニウスは
誰も私の死を涙で飾る必要はないし、泣きながら弔(とむら)いをする必要はない
と言った。僕はこちらの方がいいと思う。73
「エンニウスは死んだあとに永遠の命が来るのだから死を嘆く必要はないと考えたのだろう。死ぬ感覚はあるかもしれないが、それは老人にとっては一瞬のこと。死んだあとには心地よい感覚があるか、それとも何の感覚もないかのどちらかである。しかし、僕たちは死を軽視できるように若い頃から訓練しておく必要がある。さもなければ、誰も安心して生きていられない。死は確実であるが、それは今日かもしれない。いつ死に襲われるかもしれないとびくびくしていて、どうして落ち着いて暮らせようか。74
「これについては長々とした議論は必要ない。この問題で僕が思い出すのは、祖国を解放するために殺されたルキウス・ブルータスでも、死ぬために進んで馬に拍車をかけた二人のデキウスでも、敵との約束を守ろうとして処刑されに旅立ったマルクス・アティリウスでも、カルタゴ軍の進軍を身をもって阻止しようとした二人のスキピオでも、カンネーの敗北における自分の同僚の無分別を死をもってあがなった君の祖父のパウルスでも、残酷な敵ハンニバルさえ埋葬の礼を欠かさなかったマルクス・マルケルスでもなく、僕が『起源論』で紹介したわが軍団兵の若者たちのことである。あの未熟で素朴な若者たちは、二度と帰らない覚悟でしばしば戦地に向かって敢然と旅立った。彼らでさえ死を軽視したことを思えば、成熟した老人がどうして死を恐れることがあろうか。75
「要するに、僕の考えでは、自分が打ち込むものに全部満足すれば、それはもう人生に満足したことなのである。子供は子供らしいことに打ち込む。しかし、若者がそれに熱中することはない。若者には若者の楽しみがある。中年になれば中年でまた違うものに熱中する。しかし年寄りがそれに熱中することはない。年寄りには最後に打ち込むことがある。そして、若い頃の熱意が消えていったように、年寄りの熱意も消える時がくる。そして、その時が人生に満足した時であり、死への準備ができた時なのだ。76
第二十一章 魂は永遠だと哲学者たちは言っている
「僕が死についての自分の考えを敢えて君たちに話すのは悪いことではあるまい。僕は死に近づいただけ死のことをよく分かるようになったからだ。
「スキピオ君、ラエリウス君、僕は君たちのお父さんとはとても親しかった。彼らは有名な人達だったが、僕は彼らが今もどこかで生きているような気がするのだ。彼らは今こそ人生の名に値する人生を生きていると思う。
「なぜなら、僕たちはこの肉体という檻の中に閉じ込められている間は辛い強制労働を強いられているからだ。空にいる魂が高い棲家から引きずり降ろされて、いわば大地に埋め込まれているのである。大地は神の永遠の本姓と対極にある存在だ。不死な神々がこの魂を人間の肉体の中に投げ入れたのは、人間に大地を支配させて、天上の世界の秩序を観察してそれに倣って秩序ある世界を作らせるためだと僕は思う。これは僕が一人で考えたことではなく、偉い哲学者たちの意見を聞いてそう思うようになったのだ。77
「僕は『宇宙に満ちている神聖な魂から人間の魂が汲み取られたことは疑いがない』というピタゴラス派の人たちの考えを聞いたことがある。彼らは我々の同胞でイタリアの哲学者とかつて呼ばれていた人たちだ。またソクラテスが生涯最後の日に魂の不死について語ったことも知っている。彼はアポロンの神託が最高の賢者だと言った人である。だから、この僕がこれ以上何を言おう。
「僕は信じている。人間の魂は実に素早く働き、昔の出来事を実によく覚えて、未来をよく予想し、多くの教養と知識と独創力を備えている。数々のこんなに素晴らしい能力をもつ魂が永遠の生命を授かっていないはずがないと。
「人間の魂は永久に動いているものであり、その動きには始まりがない。なぜなら自ら動いているからである。またその動きには終わりがない。なぜなら、決して自分自身を捨て去ることがないからである。また、魂の本質は単一なものであり、自分と異なるものと混じり合っていないので、分割することはできない。魂が分割できないものなら滅びることもあり得ない。
「人間が生まれる前から多くのことを知っているのは確かなことである。ほんの子供が難しい事を学んだり、無数のことを素早く身につけていくのは、その時それを初めて知ったのではなく、すでに知っていることを思い出したからにほかならない。これはプラトンも言っていることである。78
第二十二章 死についてのキュロス王の意見
「クセノフォン(=『キュロスの教育』第8巻第7章17~22)によれば、キュロス王は死に臨んで次のように言ったという。『私の大切な息子たちよ、私が君たちのもとから去ったとしても、けっして居なくなったとは思わないで欲しい。私が君たちと一緒にいた間は、君たちは僕の魂をその目で見ることはできなかった。しかし、君たちは僕の魂がこの肉体の中にあることを僕の行動を通じて知っていたのだ。これからは僕の魂は見えないけれども存在しつづけていると思って欲しい。79
『有名な人間の名声が死後も維持されるのは、自分の思い出が長く保たれるように、彼らの魂が我々に働きかけるからにほかならない。魂は死すべき肉体の中にいる間は生きていられるのに、そこから抜け出たら死んでしまうわけがない。愚かな肉体から脱け出た魂が愚かであるわけがない。それどころか、魂はあらゆる肉体とのつながりから解放されて、純粋で汚れなきものになり始めたとき、英知を手にするのだ。そして、人間が死によって崩壊する時、多くの部分はどこへ去るか誰の目にも明らかである。自分が生まれた所へ帰って行くのだ。ところが魂だけは肉体の中にある時も肉体から去った時もどこにいるかは誰の目にも見えない。80
『君たちも知っているように、眠りほど死に似たものはない。眠っている時に人間の魂は神的な性質を最もよく発揮する。魂は眠りの中でくつろいで自由になった時に、将来の多くの出来事を予知するのである。この事からも、魂が肉体の束縛から解放された時に、魂がどうなるかは明らかである。したがって、もし事実がこの通りなら、私を神として崇拝して欲しい。逆にもし魂が肉体と共に滅びるものなら、君たちはこの美しい世界を支配している神々を崇拝してほしい。そして、愛情をこめて私の思い出を伝えて欲しい。』81
第二十三章 人生は仮の宿りである
「キュロス王が死に臨んで話したことは以上のようなことだが、では我が国ではどうだろう。スキピオ君、君のお父さんのパウルスであれ、君の祖父のパウルスと大スキピオであれ、大スキピオの父親であれ、父方の叔父であれ、我が国にも立派な人たちは数えきれない。その彼らがもし後の世が自分と関係することを知らなかったら後世の記憶に残るような偉業を成そうとしたとは思えないのだ。
「年寄りがよくやるように僕も少し自分の自慢をさせてもらうと、もし僕の名声が人生の終わりと共に終わると知っていたら、僕は昼も夜も平時も戦時もこれほどの苦労を引き受けたと君たちは思うだろうか。そんなことなら、何の苦労も争いもなく呑気な人生を送るほうがずっとましだったのではないだろうか。ところが、僕はまるでこの世を去った時から自分の魂にとっての本当の人生が始まるかのように、自分を奮い立たせて、後の世のことをずっと視野に入れて生きてきたのだ。それなのに、もし魂の不死が事実でないなら、どんなすぐれた人間の魂も不朽の名声を求めて努力したりしないだろう。82
「賢い人は平然として死を迎え、愚かな人はびくびくしながら死を迎えるのはどうしてだろう。それは、賢い人には遠くを見通す眼力があって、より良い世界に旅立つことが見えているからであり、愚かな人は眼力が乏しくて、それが見えないからではなかろうか。
「僕は敬愛する君たちのお父上に会いたくて仕方がないのだ。いや僕の知人だけでなく、話に聞いた人、本で読んだ人、自分の本の中に書いた人たちに会いたくて仕方がない。彼らのもとに旅立とうとしている僕を誰かが引き止めようとしても難しいだろう。たとえ若返らせてくれると言ってもだめだ。もしどこかの神が僕をこの年から赤ん坊の頃へ引き戻して、揺り篭の中で泣くようにしてやると言っても断固お断りだ。もう完走してゴール間近に来ているのにスタートラインに連れ戻されるなんてまっぴらだ。83
「だって、これ以上生きていて何の得があるというのだ。もっと苦労が増えるだけじゃないか。たとえ得があるとしても、満ち足りる時は来るし限度はある。多くの人は学問のある人たちさえも自分の人生に不満を言う。しかし、僕はそんなことはしたくない。僕は自分の人生に悔いはない。なぜなら自分が生まれたのは無駄ではなかったと思える人生を送ったからである。それに、人生からの旅立ちは家からではなく宿屋を出るようなものだ。人生とは仮の宿りであって終(つい)の棲家ではないのである。
「旅立ちの日、僕はこの混乱と腐敗の巷(ちまた)をあとにして、魂の神聖な集会に向かうのだ。なんと素晴らしい日じゃないか。その日、僕はいま言った人たちのところへ、そして息子のところへ旅立つのだ。あれほど親孝行ないい子はなかった。あの子が僕の遺体を焼くはずだったのに、僕があの子の遺体を焼くことになったが、あの子の魂は僕を見捨てることなく、僕を待ちながら、僕がいつかやってくることを知っている所にきっと去って行ったのだ。この不運に僕は勇敢に耐えたように見えたかもしれないが、僕は平然と耐えたのではなく、息子との別れは長くないと考えて自分を励ましていただけだ。84
「僕が老後を重荷としていないことを、スキピオ君とラエリウス君はいつも不思議に思っていると言ったが、老後は煩わしいものではなく楽しいものだという理由は以上のようなわけだ。僕は人間の魂の不死を信じているが、もしこれが間違いなら喜んで間違っていたい。僕が生きている間はこの愛すべき間違いを奪わないでもらいたい。
「もし二流の哲学者が言っているように死んだら何も感じなくなるのなら、この間違いを死んだ哲学者たちから笑われる心配はない。もし我々が不死の命を授かっていないのなら、人は時が来れば消え去るのが望ましい。なぜなら、多くの物に限度があるように、人生にも限度があるからだ。芝居でいうなら老後は人生の最終幕である。満足したら倦怠は避けねばならない。僕が老後について言えることは以上だ。君たちには是非とも長生きしてもらいたい。そうすれば僕が話したことの正しさを実際の経験を通じて証明できるだろう。」85(おわり)
Translated into Japanese by (c)Tomokazu Hanafusa 2013.12.24