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ソポクレス『アンティゴネ』



登場人物

アンティゴネ オイディプスの娘
イスメネ アンティゴネの妹
老人(たち) テーバイの長老(たち)
クレオン 新しいテーバイの王
エウリュディケ クレオンの妻、ハイモンとメガレウスの母
ハイモン クレオンの息子、アンティゴネの許嫁(いいなずけ)
テイレシアス 予言者
番兵
伝令
召使たち(無言)
ポリュネイケス(死体となっている) オイディプスの息子、エテオクレスの兄弟
メガレウス(言及されるのみ) クレオンのもう一人の息子、テーバイを救うために自殺している


場所  ギリシャのテーバイの王宮の前
 オイディプス追放後、アルゴス軍を率いたポリュネイケスが、テーバイ王エテオクレスと、テーバイの王座をめぐって戦争をおこす。舞台は、この両者が共に戦死してアルゴス軍が引き上げた次の日の 夜明け前の薄明。



プロロゴス

アンティゴネ ああ、妹よ、わたしの大切な妹よ、イスメネ! あなたは知っていたかしら。父オイディプスが残した不幸のうちで、わたしたちが生きている間にまだ終わっていないものがあったのよ。 3

 わたしとあなたの身の上に降りかかったつらいこと、惨めなこと、ひどいこと、恥ずかしいこと、不名誉なこと、わたしはもう全てを見つくしたと思っ ていたわ。

 ところが、支配者が先ほど国中に触れさせたというあの禁令はいったい何よ。あなたはもう聞いている? それとも、わたしたちの一族に対して、不当な仕打ちが加えられようとしているのに、あなたはそれを知らないの?

イスメネ いいえ、アンティゴネ。二人の兄が相打ちで、一日の間に二人とも死んでしまってから、一族についての話は、良くも悪くも、何も聞いていないわ。アルゴスの軍勢が昨夜逃げてしまったことは知っているけど、それで自分の運命が良くなるのか悪くなるのかも分からないでいるの。

アンティゴネ きっとそうだと思ったわ。あたし、あなただけに聞いてほしいことがあって、それであなたを王宮の扉の外に呼び出したのよ。 19

イスメネ 何なの? その様子から、きっと何か悪い話なのね。

アンティゴネ 何とまあ、クレオンはわたしたちの兄たちのお墓を、一人には作って、一人には作らなかったというじゃないの。聞くところだと、あの人は、エテオクレスには、ちゃんと葬式を行ってから、土の下に埋めて、あの世の人たちに大切にされるようにしたのに、 25

 かわいそうに、ポリュネイケスの遺体の方は、埋葬するどころか、弔いをすることさえ禁止する布告を国中に発令したというのよ。彼の遺体は、葬式もせず墓にも入れずに、そのまま放置して、鳥たちのおいしいえさにして空から好きなようにつつかせるというのよ。  30

 この禁令は、あのご立派なクレオンが、あなたとわたしに──とくにこのわたしに対して出したものだということだわ。おまけにあの方は、まだこの禁令を知らない人のために、自分でここに来て発表するというのよ。あの人はこの問題をとっても重く見ていて、もしこれを破る者がいたら民衆の前で石打ちの刑にするということなのよ。  36

 わたしの話はこれだけよ。さあ、あなたは自分が良家の生まれにふさわしい立派な女であることを見せてちょうだい。それとも、あなたは家名を汚す情けない女なの?
 
イスメネ まあ、姉さんたら、馬鹿ねえ、事態がここまで来てしまっているのに、わたしがどうこうしたところでいったい何になると言うの? 40

アンティゴネ あなたにわたしといっしょにやる気があるかどうか、わたしに力を貸してくれるかどうか考えてほしいのよ。

イスメネ あなたはまた何をやらかそうというの? いったい何を考えているのよ?

アンティゴネ わたしといっしょに遺体を運んでくれるか聞いているのよ。

イスメネ それでは、遺体を埋葬しようと考えているのね、国が禁止しているというのに。

アンティゴネ あなたがいやでも、わたしはそうするつもりよ。だって、あの人はわたしたちの兄弟ですもの。 46

イスメネ まあ、恐ろしいことを、クレオンがするなと言っているのに。

アンティゴネ わたしを自分の身内から引き離す権利は、あの人にはないわ。

イスメネ あのね、姉さん! 考えても見てよ。わたしたちのお父さまは、自分で自分の罪を暴いたすえに、両方の目を自分の手で突き刺すという、忌まわしくも不名誉な滅び方をしたのよ。それから、お父さまの妻で同時に母でもあったあの人も、自分で結んだ縄にぶら下がって命を落としたのよ。そのうえに、あの二人の兄たちも、いたましいことに、一日の間に、互いの手にかかって討ち死にしてしまったのよ。 57

 それが今度はわたしたちの番だとでもいうの? 一族のなかで残ったのはもうわたしたち二人だけなのよ。それなのに、法に従わずに、禁令を無視して、王権を踏みにじるようなことをしたら、わたしたちはどんなに惨めな最後を迎えることになるか、よく考えてみてよ。 60

 それに、何よりもわたしたちが女であることを忘れてはいけないわ。男の人たちと争ってはだめなのよ。それに、わたしたちはご主人さまに仕える身だわ。だから、このお指図にも、これよりももっと辛いお指図にも、黙って従うしかないのよ。 64

 だから、わたしはお偉い人たちの言う通りにするわ。そして、あの世の人たちには、こうするしか仕方がないのだと言って、許してもらうことにします。よけいなことに手を出すのは、愚かなことだもの。 68

アンティゴネ あなたにはもう絶対頼まないわ。あとであなたがやる気になっても、わたしはもうあなたといっしょにやるのはいやですからね。あなたは好きなようにしていればいいわ。兄はわたしが埋葬します。それで死ぬならわたしは本望よ。きっとあの世で兄も喜んでくれるわ。そうなればわたしもうれしいわ。浄い罪を犯した上での死ですもの。 74

 なぜって、この世の人よりあの世の人に好かれるほうがずっと大切だからよ。この世の人に好かれても、それは一瞬のこと。ところが、あの世の暮らしは永久に続くのよ。でも、あなたがそれでいいと思うなら、神さまが大切にしておられる掟(おきて)を馬鹿にしていればいいんだわ。 77

イスメネ わたしは神の掟を馬鹿にするつもりなんかありません。でも、国家に逆らうなんて、そんなこと、わたしにはとても出来ないわ。

アンティゴネ あなたはそうやって言い訳をしていればいいんだわ。わたしは誰よりも大切な兄のためにお墓を作りに行って来ますから。 81

イスメネ ああ、馬鹿なことを。わたしは姉さんのことがとても心配だわ。

アンティゴネ わたしの心配なんかやめてよ。あなたはあなたで幸せに暮らすのね。

イスメネ 仕方がないわ。でもそのことは誰にも知られないようにしてね。わたしたちだけの秘密にしてくださいね、わたしもそうするから。 85

アンティゴネ いやよ、密告すればいいんだわ。隠してなんかいないで、このことをみんなに言い触らしたらいい。さもなきゃ、わたし、あなたがもっと嫌いになるから。

イスメネ 姉さんは、こんなぞっとするような計画のために、熱に浮かされているんだわ。

アンティゴネ でも、これをすれば一番大切な人たちが喜んでくれることは確かだわ。

イスメネ それはうまく行ったときの話でしょう。でも、きっと姉さんの思うようには行かないわ。 90

アンティゴネ そうかもしれないわ。でも、失敗すれば、それはその時の話です。

イスメネ 失敗するようなことなら、初めからやらない方が賢明だわ。

アンティゴネ そんなことばかり言っていると、あなたはわたしから嫌われるだけでなく、死んだ兄からもきっと嫌われるわよ。わたしのことはもう放っておいて。わたしは馬鹿だからこんな危険を冒すのよ。でもどんな目に会おうとも、すくなくとも、わたしは不名誉な死に方をすることはないわ。 97

イスメネ そういうことなら行きなさい。(アンティゴネ左手に退場) でもこれだけは忘れないでね。姉さんは、どんなに馬鹿な考えを起こしても、わたしたちの一族にとって、かけがえのない人なのよ。  99

(イスメネ、脇の扉から王宮の中に入る。日が昇る。テーバイの十二人の長老たちからなる合唱隊入場)

パロドス

老人たち(歌う)
 七つの門もつテーバイにかつて現れたことなき美しい太陽の光よ、おまえは金色の目をして、ディルケの泉の上に、とうとう現れた。よろい兜(かぶと)を身につけたまま逃げだした白い盾もつアルゴスの軍勢は、おまえの光を見ると逃げ足を速めた。 109

老人(音楽に合わせて語る)
 その軍は、ポリュネイケスが因縁の争いに決着をつけようと、わが国へ引き入れたもの。馬の毛房のついた兜をかぶり、大勢の兵士を引き連れて、真っ白な翼を広げた荒鷲(わし)のように、鋭い叫び声をあげながら、この土地に舞いこんだ。 116

老人たち(歌う)
 荒鷲は館の屋根に舞い降りると、口を大きく開いて、血に飢えた槍を振りかざして、七つの門を荒らし回った。だが、その顎(あご)がわれらの血に飽き足りて、松明(たいまつ)の火が城壁の櫓(やぐら)に燃え移るまえに、荒鷲は退却を余儀なくされた。軍勢のけたたましい喧噪がそれを追いかけた。荒鷲は龍を敵にしては勝ち目がなかった。 126

老人(音楽に合わせて語る)
 ゼウスは増長した大言壮語を大いに嫌う。アルゴス勢が誇らかな黄金の響きとともに、大河のように攻め入るのをご覧になると、ゼウスは、砦の頂で勝ち鬨(かちどき)を上げようとはやる者へ、稲妻を投げつけた。 133

老人たち(歌う)
 稲妻に打たれた男は、松明を手に、すさまじい音を立てて地上に墜(お)ちた。男は半狂乱で突き進んで、憎しみの嵐を吹きかけていた。だが、その企みは成就せず、大いなる戦(いくさ)の神が、われらの国の強力な援軍となり、残りの者たちを打ち倒して、ことごとくあの世へ導いた。  139

老人(音楽に合わせて語る)
 七つの門を攻める七人の大将は、相手の同数の将軍と相対したが、その青銅の武具は戦勝記念碑の飾りとなった。ただ、同じ父母から生まれた不幸な運命の二人だけは、二本の槍を互いに向けあい、同じ時同じ場所で最期を遂げた。 147

老人たち(歌う)
 だが、誉れ高き勝利の神ニケーが、テーバイの勝利を喜んで、多くの戦車を持つこの国へやって来たからには、もう今度の戦いのことは忘れよう。そして、夜通し歌い踊りながら神々の社(やしろ)をことごとく詣でよう。テーバイを揺すぶり動かすバッカスの神よ、われらの先頭に立て。 154

老人(音楽に合わせて語る)
 おや、そこに、神々のもたらしたこのたびの運命の変転で、この国の新しい王になられた、メノイケウスの子のクレオンさまがお見えになった。長老たち全員にお触れを出して、このような特別の集会を開いたのは、何のためだろう。 161

第一エペイソディオン

(王宮の扉が開いて、クレオン登場。二人の召使を従えている)

クレオン 皆の者、神々はわが国を大きな波で揺り動かされたが、やっと元の平穏な状態に戻して下さった。そこで、わたしは国民の中から特におまえたちに使者を送って来てもらったのだ。 165

 それはほかでもない、おまえたちがライオス殿の王権に対して常に尊敬を払い、オイディプス殿がこの国を支配していたときも同様に、さらには彼が破滅したあとも、彼のご子息たちに対して、堅い忠誠心を示していたことを、わたしはよく知っているからである。 169

 そのご子息たちが、互いに殺し合い、同族の血にまみれて、一日の間に二人とも亡くなってしまわれたので、亡きお二人との血縁から、このわたしが王座とそれに伴うすべての権力をお引き受けすることになったのだ。 174

 さて、どんな人であろうと、実際に王座について命令を下すようにならないと、その人の資質や主義主張や考え方がどのようなものであるかを、充分に知ることはできないのものだ。

 たとえば、全国を支配する地位につくと、ささいな恐怖心から、最善と思うことを押し通せず、それを言い出すこともできないような人がいるが、そのような支配者は最低であると、わたしは以前から思っている。また、自分の国よりも自分の身内を大切にするような支配者も、駄目な支配者だとわたしは思っている。 183

 その反対にわたしは──これはすべてをとこしえに見そなわすゼウスの神に誓って言う──わたしは、平和に代わって災いが国民に迫っているときには、けっして黙ってはいないし、国家の敵を自分の家族として認めるなどということもけっしてない。 188

 というのは、国家とは人々を安全に運んでいく船であり、その船がしっかりと航海を続けていてこそ、わたしたちは真の家族を作ることが出来るということを、わたしは知っているからである。以上、わたしはこのような方針で、この国を繁栄に導いていこうと思っている。 191

 ところで、今もこのような趣旨にしたがって、オイディプス殿のご子息たちについて、次のような命令を国民に対して公布した。

 まず、エテオクレス殿は、この国を守るために戦場に出て勇敢に戦って討ち死にされた方である。したがって、この方はお墓に葬って、亡くなった勇者にふさわしいあらゆる儀式を執り行うべきである。 197

 それに対して、彼の兄については、ポリュネイケスのことだが、あの者は追放された身でありながらこの国に戻ってきて、この国とこの国の氏神さまを炎で破壊しつくそうとしただけでなく、一族の者の血で自分の腹をふくらませ、残りの者たちを奴隷にして連れ帰ろうとした男だ。 202

 それゆえ、この者については次のような布告を国中に発令した。すなわち、何人(なんびと)といえどもこの者に対して墓をつくったり、葬式をあげたりしてはならない。その死体は、野ざらしのまま放置して、鳥や野犬に食わせて、無惨な姿をさらせと。 206

 わたしの考えは以上である。善い人間をさしおいて悪い人間が特別扱いされるなどということは、わたしに関するかぎりこれからもないだろう。いっぽう、国のためにつくした人は、その生死にかかわらず、わたしから栄誉を受けることになろう。 210

老人 メノイケウスの子のクレオンさま、この国にあだなす者、この国につくす者に対して、そのような処遇を与えるのが、陛下のお考えでございますか。もちろん、陛下は、死んだ人間に対しても、はたまた、われらのように生きている人間に対しても、お好きなように法律を定めることがおできになりますが。

クレオン というわけで、おまえたちもわたしの命令が守られるよう見張っていてほしいのだ・・・ 215

老人 それは誰かもっと若い者にお申し付け下さいませ。

クレオン いや、死体の見張りならもういるのだ。

老人 そのほかにわたくしどもに何をしろとおっしゃるのでごさいますか。

クレオン この命令に従わない者に与(くみ)しないでもらいたいのだ。

老人 わざわざ死にたがるような愚か者はおりますまい。 220

クレオン もちろんこの命令に従わない者はそうなる。しかし、金になると思うと人は簡単に堕落するものなのだ。

(番兵、登場)

番兵 陛下に申し上げます。わたくし、大急ぎで息を切らして走って参りましたと申すつもりはありません。実は、わたくし、思い直しては何度も立ち止まり、回れ右をして引き返したりしておりましたからであります。 226

 と申しますのは、わたくしの心がしきりにこう話しかけてきたのであります。
 「お前はばかだ、このまま行ったら、懲らしめを受けに行くようなものではないか」
 「何をおまえはぐずぐずしているのだ。もしクレオンさまがこの話をほかの者から聞いたら、どんな目に会わされると思っているのだ」 230

 こんなことをあれこれ考えておりましたので、足取りが重くなってしまい、なかなか前へ進めなかったのであります。そのために短い道のりが長くなってしまいました。しかし、結局ご報告に参上することに決心いたしました。

 たとえ大したことではないとしても、とにかく申し上げることにいたします。自分の運命にないことがこの身に起こることはないと覚悟を決めて、ここに参ったからでございます。 236

クレオン おまえをそんなにおびえさせている事とは何なのだ?

番兵 まず最初に、自分のことを言わせていただきます。要するに、わたくしはこの事件の犯人ではありませんし、犯人が誰かも存じません。でありますから、わたくしがひどい目に会うとしたらそれはお門違いというものでございます。 240

クレオン うまくわたしの先回りをして、予防線をはったというわけか。おまえの様子から察すると、何か変わった知らせを持ってきたようだな。

番兵 はい、不思議なことが起こったために、ひどく臆病になっているのであります。

クレオン さっさとしゃべらないか。そして、終わったらとっとと帰るがいい。 244

番兵 はい、いまから申し上げます。あの死体のことでありますが、さきほど誰かがそれを埋葬して行ってしまったのであります。つまり、遺体の上にかわいた砂をふりかけて、お供えをして行った者がいるのであります。

クレオン 何だと! そんな大胆なことをやってのけたのは一体どこの誰だ? 248

番兵 それは分からないのであります。あそこにはスコップで掘ったような痕も、つるはしでたたいたような痕も、何も残っていないのであります。土は固くかちかちに干上がっていて、車の通った痕も残っていないのであります。つまり、この犯人は何の手かがりも残していないのであります。 252

 朝一番の番兵がこの事実を報告したときには、全員驚いてあっけにとられてしまいました。なぜと言いますと、あれが全然見えなくなってしまっていたからであります。と言いましても、墓の中に埋められていたというわけではなく、たたりをさけるために人々がよくやるように、砂がうすく全体にかけられていたのであります。そのために、野獣や犬がやってきて死体を食い散らした様子は少しもないのであります。 258

 それから、ひどいののしり合いが始まりました。番兵が別の番兵をつかまえては、おまえがやったのだろうと言い合ったのであります。あげくのはてに殴り合いになったとしても、止めるものは誰もいなかったと思われます。番兵の誰もが容疑者なのですが、誰が犯人かははっきりせず、誰もが自分は知らないと言い「なんなら、焼けた鉄を手に持ってもいい、火の中を歩いてもいい、神に誓ってもいい、自分はやっていないし、やった奴にもこれを企んだ奴にも自分は手を貸してはいない」と言うのです。 267

 とうとう、これ以上調べても無駄とわかったとき、みんなが怖じ気づいてうつむいてしまうようなことを、一人が言い出したのです。わたしたちには返す言葉がありませんでした。しかし、かといってそれでうまくいくとはとても思えなかったのです。  272
 
 というのは、その男は、この事件をあなたにお知らせすべきで、隠すべきではないと言ったからです。この意見はもっともだということになり、くじをひくと、運の悪いことにわたしがこの結構な役を引き当てたのです。  275

 そういうわけで、わたくしは不本意ながら、歓迎されない使いであることは重々承知の上で、陛下の前にこうして参上したのであります。まったく、悪い知らせの使いなど、誰にも喜んでもらえるはずはありません。
 

老人 陛下、わたくしが先ほどから思っていることを申しあげますと、この事件は神さまのご意志の現れではないかという気がいたします。  279

クレオン やめろ。そんなことを言って、わたしをもっと怒らせたいのか。おまえたちは耄碌してぼけていると言われるぞ。今の発言には耳を疑う。それではあいつの死体のことで神々が心をくだいておられるとでも言うのか。 283

 ええ?! あいつは神々のお社と奉納物を焼き払おうとしたのだぞ。神々の国土と神々の掟を混乱に陥れようとしてやって来たのだぞ。そんなやつを神々がまるで功労者のように尊んで、砂でおおったと言うのか。それとも、神々は悪い人間を尊ぶようになったとでも言うのか。  288

 そんなことはありえない。ところが、この国にはかねてからわたしの支配に不満をいだく者がいて、秘かにそんなことを言っているのだ。彼らはわたしに反抗して、首を振って、おとなしくくびきの下につこうとしない連中なのだ。そういう連中がこいつを買収して、こんなことをさせたに決まっている 。 294

 まったく、人間の世界で金ほど悪い習慣はない。金のために国は滅び、金のために民衆は家から追い立てられ、金のために正直者の心が迷わされて恥ずかしい行動に走る。要するに、金のために人間は悪の道に染まり、神を冒涜するあらゆる行動を学ぶのだ。いずれにしろ、金をもらってこんな事をした人間は、必ず罰を受けるのだ。 303

 (クレオン、番兵に対して言う)

 いいか、よく覚えておけ。これをわたしはおまえに対して誓って言う。わたしがゼウスに対する敬意を失わない限り、もしおまえがこの埋葬の真犯人を見つけ出して、わたしの目の前に連れてこないなら、おまえはあの世に行くだけではすまない。その前に、生きたまま縄につるされて、罪を白日のもとにさらすことになるぞ。 309

 そうなれば、おまえは、これからは金はどこからくすねるべきかを知ってからくすねるようになるだろうし、金のために何でもしてはいけないことを学ぶだろう。要するに、不正な利益は人を救うどころか、破滅に導くものだということをよく知るがよいのだ。 314

番兵 ひとこと言ってもかまいませんか。それとも、すぐさまお暇(いとま)した方がよろしいでしょうか。 315

クレオン いい加減にしろ。おまえはまだ不愉快なことを言うつもりか。

番兵 陛下が不愉快になられるのはお耳のほうですか、それともお気持ちのほうですか?

クレオン どこが不愉快になったかを詮索して何になる?

番兵 お耳が不愉快ならわたくしのせいですが、お気持ちが不愉快ならそれは犯人のせいです。

クレオン ああ、まったくおまえは口から生まれたようなやつだ。 320

番兵 そうかもしれませんが、わたくしはこの事件の犯人ではないのです。

クレオン いいや、おまえが犯人だ。おまえは金のために魂を売り渡したのだ。

番兵 ああ、何ということでしょう。あなた様ほどのお方が思い違いをなされるとは不思議なことでございます。

クレオン 今のうちに、生意気を言っているがよい。もしおまえがこの事件の真犯人を明らかにできなかったなら、その時こそ、不正な利益は災いのもとになるとお前は思い知ることだろう。 326

(クレオン、王宮の中へ退場)

番兵 犯人を見つけたいのは山々だ。しかし、見つかるか見つからないかは運次第。いずれにしても、おれがあんたの前に出てくることは二度とあるものか。今おれがこうして生きているのが不思議なくらいだ。これこそまさにもっけの幸いというものだ。 331

(番兵、退場)

第一スタシモン

老人たち(歌う)
 不思議なものは数あれど、人間ほどの不思議はない。南の風が吹き荒れる灰色の真冬の海を、逆巻く怒濤(どとう)をくぐりぬけて行くのもまた人間。神々の中でも最古の神、永遠に実り絶やさぬ大地の神を、毎年(まいとし)休まず鍬を動かしラバで耕し、わずらわせるのもまた人間。  341

 物を思わぬ鳥たちも、野にすむ獣たちも、波打つ海に暮らす魚たちも、網を打ちかけからめとるのは、知恵の豊かな人間なり。山に暮らす羊たちを道具を使って取り押さえ、たてがみ豊かな馬たちと、疲れを知らぬ野の牛に、くびきをかけるのもまた人間。 352

 言葉も、速やかなる知恵も、国を治める熱意さえも、自分自身で身に付ける。どんなことにも知恵を発揮し、田畑を襲う厳しい霜や烈しい豪雨の矢玉からも、逃れる術(すべ)を心得ている。用意なくして未来に臨むことなく、死の神ハデスから逃れる術は見つからなくとも、困難な病から逃れる術は編み出している。 364

 信じ難い知恵と技術を備えた人間も、時によっては幸福に、時によっては不幸になる。国の掟と神の掟をともに忘れぬ人間は、国にとっての名誉となるが、恐れを知らず悪に染まる人間たちは、国から追われることだろう。こんな人間が仲間や家族にいないことを我らは願う。 375

(番兵、アンティゴネを前にして登場)
 

老人(音楽に合わせて語る)
 これは摩訶不思議な、信じられない。だが、あれはどう見てもアンティゴネお嬢さまにちがいない。ああ、おかわいそうに。父オイディプスの不幸にまたこの不幸。一体、どうしたことだ。まさか、あなたが王の掟を破って、馬鹿なことをしているところを捕まって、連れてこられたのではあるまいな。  383

第二エペイソディオン

番兵 事件の犯人はこの娘だ。死体を埋めようとしているところを捕まえたぞ。クレオンさまはどちらにおられる? 385

老人 クレオン様なら屋敷からちょうどいいところに戻って来られたぞ。

クレオン どうしたのだ。どうしてわたしがちょうどいいところに出てきたことになるのだ。

番兵 陛下に申し上げます。人間の世界には絶対にないなどと誓えるようなことはございません。人の決心も考え一つで変わることがあるのでございます。 389

 わたくしもさきほどは陛下の脅し文句に恐れをなして、二度とここへは戻って来ないと誓いました。しかし、思いがけず願いがかなうという、この上なくうれしいことがございました。それで、わたくしは誓いをやぶって、この娘を連れて戻って参りました。 395

 この娘が墓を作っているところを捕らえたのでございます。今回はくじは引いておりません。この幸運な伝令役は、ほかならぬこのわたくしがいただきました。

 では、陛下、娘をお受け取り下さい。ご自分で尋問をなさるなり、お取り調べをなさるなり、ご随意になさって下さい。わたくしはこの災いから解放されて、晴れて自由の身となったのであります。 400

クレオン この娘をどこでどうやって捕まえてきただと? 

番兵 この娘があの男の埋葬をしようとしていたのです。以上であります。

クレオン おまえは正気か? 自分の言っていることが分かっているのか?

番兵 陛下が埋葬を禁じたあの死体をこの娘が埋葬しているところを、わたくしはこの目で見たのであります。これほどはっきりしたことはございますまい。 405

クレオン どのようにして見つけて、どのようにして現場をとり押さえたのだ?

番兵 それはこういうことであります。わたくしたちは、陛下の脅しに駆り立てられて、持ち場に戻ると、死体を覆っていた砂を全部払い落として、腐りかけた体を出来るだけむき出しにしました。 410

 それから、死体から出る悪臭が来ないように、風上の岩の頂に座りました。そして、みんな目をよく見開いて、仕事を怠けるものがいれば、大声でののしって、見張りをつづけていました。 414

 そうしているうちに、丸く輝く太陽が空の真ん中までのぼって、とても暑くなってきました。すると、突然つむじ風が起こって、地面から埃を巻き上げました。困ったことに、その土埃は大地を覆い尽くして、木立という木立を揺らして、あたり一面に広がりました。  420

 わたくしたちは目をつぶって、この災難にじっと耐えました。しばらくして、砂嵐がやむと、この娘が悲しそうに泣いている姿が見えてきたのです。娘はむきだしになった死体を見て、激しく泣いていました。それはまるで雛をとられて空になった巣を見つけた親鳥のようでした。そして、死体にこんなことをした者たちに対して、恐ろしい呪詛の言葉を並べたてました。それから、すぐに死体の上へ乾いた砂を両手でかけて、青銅の美しい水差しから三度御神酒(おみき)をそそぎかけたのです。  431

 その様子を目撃したわたくしたちは急いで駆けつけてみんなで娘を捕らえました。しかし娘はまったく動じる様子がありませんでした。わたくしたちが前の犯行と今度の犯行について問いただすと、娘は何も否定しませんでした。  435

 それはわたくしにとってはうれしいことでも悲しいことでもありました。なぜかと申しますと、自分が災難から逃れたことはうれしいことでしたが、陛下のお身内を災難に引きこんでしまったことが悲しむべきことだったからであります。しかしながら、何と申しましても、わたくしにとっては自分の身の安全が一番大切でございました。 440

クレオン(アンティゴネに) これ、おまえ、うつ向いているおまえだ。おまえは犯行を認めるのか認めないのか。

アンティゴネ はい、やったのはわたしです。否定はいたしません。

クレオン(番兵に) おまえの容疑は消えた。おまえは晴れて自由の身だ。どこへでも好きなところに行くがいい。 445

(アンティゴネに)さあ、次はおまえだ。さあ、答えなさい。要するに、これはどういうことなのだ。おまえはこんなことをしてはいけないというお触れが出ていたのを知らなかったのか。

アンティゴネ いいえ。知っていたわ。知らないわけがない。あのお触れなら誰でも知っていたわ。

クレオン それなのに、おまえはあの禁令をあえて破ろうとしたのか。 449

アンティゴネ そうよ。それは、あのお触れを出したのはゼウスの神でもないし、あの世を治める正義の女神でもないからだわ。神々はあんな掟を人間の世界に対してお決めになってはいないわ。

 それに、あなたの禁令には、神さまがつくった揺るぎない不文律を人間が踏みにじることができるほどの力があるとは思えなかったわ。 455

 この不文律は昨日今日に始まったものではなく、ずっと昔からあったもので、いつ始まったのかは誰も知らないものなのよ。これほどの掟をわたしが誰かの思惑を恐れて破るようなことはありえないわ。もしそんなことをすれば神さまから罰を受けるわ。 460

 たとえあなたのお触れがなくても、当然わたしもいつかは死ぬわ。それに、もし若死にするとしても、それはわたしには有難いことだわ。わたしのように数え切れない災難に取り囲まれて生きている人間には、いっそ死んでしまった方が有難いと、どうして言えないかしら。  464

 だから、死ぬことは、わたしには苦痛でも何でもないのです。でも、わたしの母から生まれた人が死んだのに、その亡骸を葬りもせずに放っておくのは苦痛だわ。そうよ、自分が死ぬことには耐えられても、これだけは我慢できないわ。あなたにはわたしが馬鹿なことをする娘だと思えるでしょうね。でもきっと、人のことを馬鹿呼ばわりする人こそ本当の馬鹿なんだわ。 470
 

老人 この子の強情さは、明らかに父親譲りです。災いを前にしてもひるむことを知りません。

クレオン そのとおりだ。しかし、頑なな心ほどくずれやすいものだということを忘れるな。どんなに折れにくい鉄でも、焼き入れをして硬くなった鉄はよく折れて粉々に砕けることを知っているはずだ。荒くれ馬が小さなくつわ一つでおとなしくなることをわたしは知っているぞ。  478

 他人に仕える分際で、人に偉そうにするとはもってのほかだ。この娘は、決められた掟を破ってその生意気ぶりを見せたばかりだが、今度は、罪を犯しておきながら、それをまた生意気にも得々と自慢しおる。

 わたしはここまで馬鹿にされていながら、この娘に何もできないようでは、もはやわたしは男ではない。この娘こそ男だ。 485

 この娘がたとえわたしの姉の娘であろうと、いや、もっとわたしと血のつながりの濃い者であろうとかまうものか。この娘と、そしてついでにその妹も、極刑を免れないものと知れ。そうだ、妹もこの埋葬のたくらみに加担しているとわたしは睨んでいるのだ。 490

 さあ妹を呼べ。先ほど屋敷の中でうろたえて落ち着きをなくしているのを見たぞ。人に隠れて悪事を企んでも、盗人根性は自ずから明らかになるものだ。しかし、何と言っても、わたしは、現行犯で捕まっていながら自分の犯罪を正当化しようとする人間にはまったく腹がたつ。  496

アンティゴネ わたしを殺す以外にわたしに何か用があるの?

クレオン いいや、何も用はない。それで充分だ。

アンティゴネ だったら、早くしたらどう。あなたが何を言おうと、わたしはあなたの言うことを一言も受け入れることはないわ。そんなことがあるわけがない。あなたもわたしの言うことには賛成できないはずよ。 501

 でも、わたしは自分の兄を埋葬することで、どんなことをしても得られないほど大きな名誉を得たんだわ。ここにいる人たちも、きっとみんなもわたしに賛成してくれているわ。いまは恐ろしくて黙っているだけだわ。ところが、王さまなら、わが世の春を謳歌できるだけでなく、何でも好きなことを言ったりしたり出来るのね。  507

クレオン テーバイの市民の中であの埋葬が名誉だなどと考えているのはおまえ一人だぞ。

アンティゴネ この人たちもわたしと同じ考えだわ。あなたの前をはばかって黙っているだけだわ。

クレオン それならそれで、自分だけ違う行動をとったことを、おまえは恥ずかしく思わないのか。 510

アンティゴネ 兄弟を大切にして何を恥ずかしがることがあるというのよ。

クレオン あの男と立ち向かって殺されたエテオクレス殿もおまえの兄弟ではないのか。

アンティゴネ 同じ父と母から産まれた兄弟ですとも。

クレオン では、どうしてエテオクレス殿にとって非礼ことをしたのか。

アンティゴネ 死んだ人間に聞けば、そんなことは言わないわ。

クレオン おまえは極悪人とエテオクレス殿を同列に扱うつもりか。

アンティゴネ 当然だわ。死んだポリュネイケスはエテオクレスの兄であって、奴隷ではないのだもの。

クレオン しかし、彼はこの国を荒らしに来て死んだのだぞ。この国を守るために死んだ人とは違う。

アンティゴネ それでも、あの世の神さまは、この儀式を要求するのです。

クレオン それでも、善人と悪人とが同じ扱いを受けていいはずがない。

アンティゴネ ひょっとしたら、あの世ではそれが敬虔というものかもしれないわ。

クレオン いいや、敵は死んでも決して味方にはならないものだ。

アンティゴネ いいえ、わたしは憎しみを共にするのではなく愛を共にする人間なのです。

クレオン 愛を共にしたいのなら、あの世に行って、二人をいつくしむがいい。わたしが生きている限り、女の言うとおりにはさせないぞ。

(イスメネ、召使に連れられて王宮から出てくる)

老人(音楽に合わせて語る)
 おやあそこに、イスメネさまが現れた。姉思いの涙に濡れて、眉を曇らせ、美しい頬をぬらし、赤く染まった顔をゆがめて。

クレオン おまえは、わたしの家の中にまるでまむしのように隠れていて、密かにわたしの血をすすっていたのか。わたしは知らずに、自分の王座の転覆をねらう一味を二人も養っていたのだ。さあ、はっきりと言え。おまえは、この埋葬の企みの共犯であることを認めるのか。それとも、知らぬ存ぜぬとあくまでしらばっくれるつもりか。

イスメネ この人が犯人なら、わたしも犯人だわ。合意の上で犯行に及んだのだから同罪だわ。

アンティゴネ あなたが断ったからわたしは一人でやったのだから、あなたにはそんなことをいう権利はないわ。

イスメネ でも、姉さんが窮地にあるときに、妹が姉と苦しみを共にしようとするのは当然よ。

アンティゴネ 誰が犯人かは、あの世の神さまとあの世の人たちがよく知っているわ。口先だけで仲良くしようとする人は、わたしは嫌いよ。

イスメネ 姉さん、わたしにも死なせてよ。そして、姉さんといっしょに兄の弔いをさせて!

アンティゴネ あなたはわたしといっしょに死んではいけません。それに、自分が手がけもしないことを自分のものにしてはいけないわ。わたしが死ねばいいのよ。

イスメネ 姉さんがいなくなったら、わたしは何のために生きていけばいいの?

アンティゴネ クレオンさまにお聞きなさい。あなたはこの人が大切なのでしょう。

イスメネ どうしてそんなにわたしをいじめるの? 何にもならないのに。

アンティゴネ そう、あなたをからかったところで、わたしは辛いだけだわ。

イスメネ とにかく今わたしが姉さんの役にたてることは何もないの?

アンティゴネ あなたは自分の命を大切になさい。逃げたといってあなたを恨みはしないから。

イスメネ なんて悲しいの。それでは、わたしはいっしょに死ぬことはできないの。

アンティゴネ あの時あなたは生きることを、わたしは死ぬことを選んだのよ。

イスメネ わたしが反対したから姉さんはそんなことを言ったんだわ。

アンティゴネ あなたはこちら側の、わたしはあちら側の人たちに立派に思われるということだったわね。

イスメネ でも、禁を破ったということでは、あなたとわたしは同じだわ。

アンティゴネ 元気を出して。あなたは生きるのよ。わたしの魂は、あの世の人たちにお仕えするために、とっくにあの世に行っているのよ。 560

クレオン この娘たちはどいつもこいつも馬鹿者ぞろいだ。一人は生まれつきの馬鹿だが、もう一人は今の今大馬鹿者になりよった。

イスメネ 当然だわ。生まれつきの分別も、悪い境遇にいると狂っておかしくなるものよ。

クレオン そうだとも。おまえの分別は、悪い人間といっしょに悪い事をやると決めたときに失われたのだ。

イスメネ ここにいる姉が死んだら、わたしはどうやって生きていけばいいの?

クレオン ここにいるなどと言うな。おまえの姉はもうこの世の人ではないのだ。

イスメネ じゃあ、あなたは自分の息子の許嫁を殺すつもりなの?

クレオン あの子の結婚相手ならほかにもたくさんいる。

イスメネ でも、この二人ほどは仲睦まじい人たちはほかにはいないわ。

クレオン 悪い女を息子の嫁にするなど、考えただけでも恐ろしい。

アンティゴネ まあ、いとしいハイモン、お父さまはあなたの気持ちをないがしろにしているわ。

クレオン もう結構。たくさんだ。おまえもおまえの結婚話もうんざりだ。

アンティゴネ では本当に、あなたは息子さんとわたしの仲を引き裂くつもりなのね。

クレオン この結婚をやめさせるのは、わたしではなく地獄の神だ。

アンティゴネ どうやら、わたしの死が決まったということね。

クレオン そうだ。おまえとわたしがいっしょに決めたのだ。さあ、家来たち、さっさと二人を屋敷の中へ連れていけ。この女たちを自由にしておかず、しっかりと縛っておくのだ。どんなに腹の座った男でも、死に際になると逃げ出そうとするものだからな。  581

(召使と番兵、アンティゴネとイスメネをつれて王宮の中に入る。クレオンは留まる)

第二スタシモン

老人たち(歌う)
 一生の間不幸を知らずに生きた者こそ幸せ者よ。
なぜなら、ある家がいったん神の呪いに取り憑かれたら、
その家の不幸は代々の子孫に及ぶからだ。

 それは、トラキアから吹く海風にあおられた大波が、
暗い海底を走るとき、黒い砂粒を底から巻き上げ、
嵐に打たれた浜辺が、うなり声を上げるのに似ている。

 由緒あるラブダコス家では、死者の不幸の上に新たな不幸が
次々と重ねられていくのが見える。この家のどの代も呪いから逃がれられない。
この家にはとある神が取り憑いている。この家に救いはない。

 今、オイディプスの家の最後の子孫の上に輝いた希望の光は、
冥土の神にささげる血に染まった砂と、
愚かな言葉と心の迷いによって、消え去った。

 ゼウスよ、人間はどんなに背伸びをしても、あなたの力に勝つことはない。
すべてを誘う眠りも、神が決める年月(としつき)のたゆまぬ歩みも、
あなたの力に勝てはしない。

 時を経ても老いを知らぬ支配者であるあなたは、栄光のオリュンポスに座を占める。
近い未来も遠い未来もまた過去も、次の掟が支配する。
過度なものが死すべき人間を訪れるとき、必ず災いがつきまとう。

 はてしなく広がる希望は、多くの人の楽しみだが、
多くの人にとって、それは浮ついた欲望がもたらす罠である。
無知な人間は、熱い炎に足を焦がしてはじめて、その罠に気がつく。

 ある賢人が格言を残している。
「神が人の気持ちを破滅に導くときは、悪がいつのまにか善に見えてくる。
そうなれば、すぐにでも破滅に陥る」



第三エペイソディオン

(ハイモン、町の方からやってくる)

老人(音楽に合わせて語る)
 だが、ほらそこに、陛下の末のお子さまのハイモンさまがお見えになった。はたして、許嫁のアンティゴネさまの死の決定に、怒っておられるのだろうか、結婚の望みを奪われたことを悲しんで。  630

クレオン そのことについてなら、占い師に聞かなくてもすぐに分かる。(ハイモンに対して) どうなのだ。おまえは許嫁に対するわたしの決定を聞いて、怒ってやってきたのか。それとも、わたしが何をしようと、おまえはわたしの味方でいてくれるのか?  634

ハイモン お父さま、わたしはお父さまの味方です。お父さまはすぐれたそのご見識で、必ずわたしを正しい方向に導いて下さいます。わたしはこれからもお父さまのお導きに従っていきます。わたしの結婚話も、お父さまのすぐれた御指導に比べたら、大した価値はありません。  638

クレオン そうだとも。息子であるおまえはいつもそのような心構えをもって、どんなときでも父の考えにはついてきてくれ。

 人々が自分から生まれた子供たちに素直に育ってほしいと願うのは、まさにこのためなのだ。父親というものは、父に逆らう者を罰するときも、父を助ける者を誉めるときも、子供たちには自分と同じようにしてほしいものなのだ。反対に、役立たずの子供をもつことは、自分にとって災難であるばかりか、敵対する者たちに笑いの種を提供することになる。

 ハイモンよ、おまえは女の色香に迷って快楽にうつつを抜かしてはならんぞ。くだらぬ女を嫁になんぞしたら、一時の熱もじきにさめて冷たい関係になってしまうことを忘れてはいけない。くだらん人間を身内に抱えるほどの災難はないのだからな。

 さあ、あの娘は敵だと思って、唾(つば)でもひっかけてやれ。そして、地獄で結婚しろと送り出してやれ。わたしが捕まえたあの娘は、この国でただ一人の反逆者であることは明らかだ。わたしは国民に対する約束を破るつもりはない。あの娘には死んでもらう。

 娘がこれを不服として家族の氏神さまに訴えるのは自由だ。しかし、もしわたしが自分の家族の中に無法者の存在を許すなら、家の外にいる無法者たちを取り締まるどころではなくなってしまう。家族に対して公正に振る舞える者だけが、社会に対しても公正に振る舞えるのだ。

 掟を踏みにじり、主人に命令しようと思っているようなものを、わたしは認めるわけには行かない。国が選んだ者なら、それが誰であろうと、その人の言うことを聞かねばならないのだ。それが些細なことであっても、それが正しいことであってもなくても、その者の言うことには従うべきなのだ。

 そして、このような従順な人間こそ、戦場の飛び交う矢玉の中に置かれても、少しもひるむことなく、忠実で心強い味方であり続ける人間であり、このような人間こそ 、立派に支配されようとするだけでなく、支配する側にまわっても立派に責任を全うできる人間だと、わたしは信じている。

 まったく、上の者の命令に従わないことほど悪いことはないのだ。そのために家は荒れ、国は滅びるのだ。また戦場では、このために味方の軍勢は混乱に陥って敗走することになる。それに対して、人々に勝利をもたらし、多くの人の命を救うのは、命令に服従する心なのだ。

 こういうわけだから、わたしたちは決められた掟を大切に守らねばならない。決して一人の女の言いいなりになってはいけないのだ。わたしは、自分が権力の座から追放されるなら、是非とも男の手によって追放されたいと思っている。それなら、少なくとも、女にも劣るやつと言われずにすむからだ。 680
 

老人 わたくしがもうろくしてぼけているのでなければ、いま陛下がおっしゃったことは、賢明なお言葉かと存じます。

ハイモン お父さま、神々はわれわれ人間に分別というものを下さいました。これは人間が持っているもので最も価値のあるものです。わたしには、お父さまがいまおっしゃったことが間違っているなどと言うことは出来ませんし、また言うつもりもありません。しかし、ほかの人間にもまた何かいい考えがあるかも知れません。

 とにかく、わたしは父上のために、人が言ったりしたりしていること、あるいは父上に対する批判的な考えのすべてにいつも目を配っています。何故なら、一般の市民は、あなたが耳にして喜ばないようなことをあなたに面と向かって言うのをはばかるからです。

 ところで、わたしの耳には人々が陰で次のように言っているのが聞こえてきたのです。テーバイの国民はあの娘のことをこう言って悲しんでいます。

 「あの娘はまったく不当な目にあっている。誰よりも立派なことをしたために、誰よりも惨めな死を迎えようとしている。あの娘は、戦いで倒れた自分の兄を埋葬して、野犬や野鳥に荒らされないようにしたのだから、むしろ輝やかしい栄誉を受けるべきではないか」

 陰では秘かにこのようにささやかれているのです。

 お父さま、わたしは、何よりもお父さまのしあわせを第一に考えてお話しているのです。いったい、世の子供たちにとって、評判のよい父親を持つことより誇らしいことがあるでしょうか。それは、父親が評判のよい子供を誇らしく思うのと同じことなのです。

 ですから、お父さま、お父さまは今おっしゃった考えだけが正しいなどとは思わないで下さい。自分は特別の才覚や弁舌の持ち主であると思っている人間にかぎって、一皮むけば中身は空っぽだったということがよくあるのです。聡明な人にとっては、人の意見によく耳を傾けて自分の考えを変更するのは、恥でも何でもありません。

 ご存じのように、洪水の激流に襲われたときは、たわむことのできる木は枝も失なうことがないのに対して、たわまない木は根こそぎ倒されてしまいます。これと同じように、船乗りも、帆綱をきつく張って弛めないでいると、船を転覆させてしまい、あとは逆さまにひっくり返って航海するしかなくなります。ですから、さあ、お父さまも、ここはお譲りください。そして、ご機嫌を直して下さい。

 というのは、若輩者のわたしにも一言いわせていただければ、生まれつき何でも知っているのが一番いいことではありますが、実際にはそうはまいりません。ですから、いい意見があれば、それにも耳を傾けるのが正しい道であるとわたしは思っているのです。  723
 

老人 陛下もハイモンさまも、お互いの意見の良いところを取り入れたらよいのではないでしょうか。お二人とも立派なお話をされましたから。

クレオン わたしはこの年になってこんな子供に分別を学ばなければいけないのか。

ハイモン わたしが間違っていると思ったら無視して下さって結構です。ただ、わたしの年齢ではなく、わたしの話の中身をよく考えて下さい。

クレオン というと、おまえはわたしに悪人を敬うようにすすめるのか。  730

ハイモン わたしが悪人を敬えとすすめるわけがありません。

クレオン それでは、あの娘は悪人ではないとでも言いたいのか。

ハイモン テーバイの国民はだれもあの娘を悪人だとは思っておりません。

クレオン すると、国がわたしに何をすべきか指図するということなのか。

ハイモン おやおや、これはまた子供じみたことをおっしゃる。  735

クレオン わたしは人の考えに従ってこの国を治めねばならないというのか。

ハイモン 国は一人の人間のものではないのですよ。

クレオン 支配者が国を好きなようにできないとでもいうのか。

ハイモン それなら、あなたは人のいない国の支配者になるといいのです。

クレオン どうやら、こいつは女の助太刀に来たらしい。  740

ハイモン あなたは女ですか。わたしが助けたいのはあなたなのですよ。

クレオン おお、この親不孝者め、自分の父親に口答えをするとは。

ハイモン 父上が間違いを犯しているのを見かねて申しているのです。

クレオン 自分の国を統治するのが間違いだと言うのか?

ハイモン 神々に対する礼儀を踏みにじっては、統治とは言えません。 745

クレオン ああ、なさけない。女の言い分に引きずられるとは。

ハイモン わたしが私利私欲から申しているのでないことはお分かりでしょう。

クレオン おまえの言うことはどれもこれもあの女のためなのだ。

ハイモン いいえ、あなたのため、わたしのため、そしてあの世の神々のためなのです。

クレオン とにかく、あの女が生きておまえと結婚することはない。 750

ハイモン 彼女は死ぬということですか。それでは、誰かを道連れにしてもよいのですか。

クレオン 親不孝にもほどがある。そんなことを言ってわたしを脅す気か?

ハイモン 愚かな考えに反対するのが、どうして脅すことになるでしょう。

クレオン 愚かなくせして、わたしに説教するとは、けっして許さないぞ。

ハイモン あなたが父でなければ、わたしはあなたを愚か者だと言うしかありません。 755

クレオン おまえは女の奴隷なのだ。もうわたしにくどくどと話しかけるのはやめてくれ。

ハイモン 自分は言いたいことを言うくせに、人の言うことは聞きたくないとおっしゃるのですか。

クレオン なんだと! 畜生め、覚悟しろ。これだけわたしに好き放題にけちをつけたからには、ただではすまないぞ。さあ、あの憎たらしい女をここへつれてこい。この花婿の目の前でいますぐに殺してやる。  761

ハイモン だめです。そんなことは考えてはいけません。あの娘が目の前で殺されるなんてまっぴらです。もう父上にお目にかかることはありません。あなたは気の合う連中と馬鹿をやっておられるといいのです。  765

(ハイモン、町の方へ去る)

老人 陛下、あの方はひどくお怒りのご様子で、急いで立ち去られました。あの年頃には何か辛いことがあると思い詰めるものでございます。

クレオン 放っておけ。あの子は人間の分を忘れて勝手に思い上がっているのだ。しかし、あの子がどうしようと、二人の娘の命を救うことは出来ないのだ。

老人 本当にあの娘たちを二人とも死刑にするおつもりですか。  770

クレオン いや、おまえの言うとおりだ、直接手を下さなかったものは助けてやろう。

老人 それで、あの娘はどんなやり方で死刑にするおつもりですか。

クレオン あの娘は、人跡の途絶えたわびしい場所まで引いていって、生きたまま地下の洞窟に閉じこめるのだ。この国がけっして穢れを受けることがないように、魔よけに必要な食糧だけは置いてくる。娘はそこで自分が崇める唯一の神である、あの世の神に好きなだけ祈るがよい。そうすれば、死を免れることが出来るかもしれない。しかしそれが叶わぬ時こそ、あの娘は、あの世のことばかり後生大事にしていても仕方がないということを知ることだろう。 780

第三スタシモン

老人たち(歌う)
 恋よ、おまえに勝てる者はない。家畜に襲いかかるのも恋、乙女の柔らかな頬を見守るのも恋。海の上にも、けものたちの住む荒れ野にも、おまえはやってくる。不死の神々のもとにも、つかの間の命の人間にも、きっとおまえはやってくる。おまえを心にいだいた者は、たちまち狂う。

 正しい者の心をゆがめ、破滅に導くのもおまえ。父と子のこの争いを引き起こしたのもまたおまえだ。この争いに勝ったのは、明らかに、美しい花嫁の眼差しから生まれた恋心。それはこの世を支配する数々の掟のなかに座をしめる。無敵の女神アフロディテがすべてを操るためだ。 801


(アンティゴネ、召使に連れられて王宮から出てくる)

老人(音楽に合わせて語る)
 今度はわたしが、これを見て、掟にはずれたことをやりそうだ。すべてのものが眠る部屋へとアンティゴネが向かうさまを見れば、もう涙が流れるのを止められない。  805

第四エペイソディオン

コンモス

アンティゴネ(歌う)
 見ていてね、わが祖国の市民たち、最後の道を行くわたしを。太陽の光を見るのもこれが最後。あらゆるものを眠らせる地獄の神ハデスが、このわたしを、生きたままアケロンの川岸へ連れていく。花嫁を送る歌も、花嫁を迎える歌も聞かずに、アケロンに嫁いでいく。  816

老人(音楽に合わせて語る)
 しかし、あの墓穴へ行くおまえは、名誉と称賛に包まれている。つらい病(やまい)にかかったのでも、剣の報いを受けたのでもなく、自分の意志で、生きながら、黄泉の国へ下っていく。それは死すべき人間の世界では例のないこと。  822

アンティゴネ(歌う)
 フルュギアから来たタンタロスの娘ニオベは、シピュロス山の頂で、この上なく残酷な最期を迎えたという。体を締め付ける蔦(つた)のように、岩が彼女を覆い尽くした。人々の話では、涙でやつれた彼女の体を雪が覆い尽くした。それでも悲しむ瞳から溢れる涙で、岩山はなおも濡れているという。その人とよく似た運命でわたしは死んでいく。 833

老人(音楽に合わせて語る)
 しかし、ニオベは神の血筋を引く女神。我らは死すべき人間の子。とにかく、生前も死後にも、神に等しい運命を授かったと言われるのだから、死んだ女にとっては、大したもの。  838

アンティゴネ(歌う)
 ああ、からかっているのね。わたしはまだ生きているのよ。お願いだから、わたしをあざ笑うなら、死んでからにしてちょうだい。ああ、わが祖国よ、この国の富める市民たちよ、ああ、ディルケの泉よ、りっぱな戦車をもつテーバイの神聖な森よ、せめて、あなただけでも見ていてね。

 どんな姿で、どんな掟で、親類縁者に嘆きもされず、石で蓋をした監獄という奇妙な墓に向かったかを。ああ、生きてもいないし死んでもいない不幸なわたしには、あの世にもこの世にも住むところがないのね。  852

老人たち(歌う)
 おまえは恐いもの知らず、あげくのはてに、正義の高みの玉座にはげしくぶつかったのだ。娘よ、おまえの不幸は父親の罪の報いだ。 856

アンティゴネ(歌う)
 あなたたちが触れたのは、わたしのいちばん辛い思い出。父とわが一族にのしかかる運命と、名高いラブダコス一族の終わりのない不幸の全てをわたしに思い起こさせたのよ。

 ああ、恐ろしい母の結婚。わたしの母を父に結びつけた結婚は、自分が産んだ息子との結婚だった。その罪深き親から生まれた不幸なわたし。呪われたわたしは、独り身のままで、その人たちのもとに行って共に暮らすのよ。ああ、不幸な結婚をした兄よ、死んだあなたが、生き残ったわたしの命を奪うのよ。 871

老人たち(歌う)
 死者を尊ぶことは大切だが、権力者は自分に逆らう者を許しはしない。あなたは独りよがりなその気性のために破滅したのだ。 875

アンティゴネ(歌う)
 友も夫もなく、死出の旅に出ようとしているのに、わたしの不幸を悲しむ者はない。悲しいことに、わたしにはこの太陽の神聖な光をもう二度と見ることはできない。わたしの運命を誰も悲しむものはない。わたしの死を悲しむ友だちもない。  882

(コンモス終わり)

クレオン (老人たちに)お前たちも知っておろうが、死を前にした歌や嘆きは、相手をしていると、いつまでもきりが無いぞ。(召使たちに)さあ、娘を早く連れて行け。そして、わたしが命じたとおりに、洞窟の墓穴へ閉じこめて、そのまま一人にしておくのだ。娘が墓の中で死のうが、生き続けようが、知ったことではない。そうしておけば、われわれがこの娘のために穢れを受けることはない。とにかく、娘が地上に戻ってくることはもうないのだ。 890

アンティゴネ ああ、わたしはこれからお墓に行く。それはわたしの花嫁の部屋、地下にある永遠の牢獄。そこでわたしは一族の人たちと出会うのよ。わたしの一族は殆どみんな死に絶えて、今では黄泉の国にいる。人生半ばにして、誰よりも大きな不幸を背負って、わたしは最後に降りていく。

 それでもわたしには夢があるわ。それは、あの世で、お父さまにあたたかく迎えてもらえること。そして、お母さま、あなたにも、お兄さま、あなたにも、喜んで迎えてもらえることよ。

 あなたたちが亡くなったとき、わたしはこの手で亡骸を洗い清めて、お墓に供養のお神酒を注いだのだから。わたしが今日こんな目にあっているのも、ポリュネイケス、あなたの亡骸に埋葬の儀式を施したからよ。

 でも、わたしがあなたを葬ったことは、今でも正しかったと思っています。それは立派な人なら認めてくれるはずよ。

 たとえわたしが人の子の親だったとしても、たとえ、自分の夫が死んでその亡骸が朽ち果てていくとしても、わたしは、国の掟に逆らってまで、これほどの重荷を引き受けたりはしなかった。

 なぜこんなことを言うかというと、それは、夫は死んでも別の人がいるし、子供が死んでも、別の夫から生むことができるけれど、両親がともにあの世に行ってしまった今では、兄弟はもう二度と生まれてはこないから。

 こういう理由から、お兄さま、わたしはあなたを大切に葬ったのよ。でも、それをクレオンは、大それた犯罪だと言うの。そして今、わたしをこうしてつかまえて無理やり連れて行こうとしているのよ。

 不幸なわたしは、婚礼の歌も知らず、夫婦の暮らしも子供を育てることも知らずに、娘のままで、こうして友だちからも見捨てられて、死人たちの住む墓穴へ、生きながら引かれていくのよ。

 でも、わたしは神さまのどんな掟を破ったと言うの。不幸なわたしにとって、神さまがなんの頼りになるの。わたしはどの神さまを助けに呼べばいいの。神さまを大切にしたあげくに、不敬の罪を受けたのよ。

 もちろん、これが神さまの意にそうものだというのなら、わたしは死んで自分の罪を償うわ。でも、罪を犯したのがこの人なら、わたしをひどい目に会わせたこの人こそ、わたしと同じくらいひどい目に会えばいいのよ。  928
 

老人(音楽に合わせて語る) まだ嵐がこの人の心のなかを吹き荒れている。

クレオン(音楽に合わせて語る) だから言わないことじゃない。召使たちにはこの遅れの責任をとってもらうぞ。

アンティゴネ(音楽に合わせて語る) ああ、あの言い方では、いよいよわたしの死ぬ時がやってきたのね。

クレオン(音楽に合わせて語る) そんなことはないから元気を出せと気休めを言うつもりはないからな。

アンティゴネ(音楽に合わせて語る) ああ、わが祖国テーバイよ、わが家の守り神よ、わたしは今にも連れて行かれる。テーバイの長老たちよ、見ていてちょうだい。王家に一人残った女が、神の掟を守ったためにに、どんな人からどんな目に会わされたかを。  943

(アンティゴネ、召使たちに引かれていく)

第四スタシモン

老人たち(歌う)

 あの美しいダナエも、お墓のような牢獄に閉じこめられて自由を失った。彼女は、空の光と別れを告げて、青銅の部屋の暮らしに耐えた。しかし、娘よ、高貴な生まれの彼女は、黄金の雨に姿を変えたゼウスの子を身ごもった。まことに運命の力は恐ろしい。富も、戦も、城壁も、波打つ黒い船も、運命を変えられない。

 ドリュアスの子でエドノイ人の王だった気性の荒いリュクルゴスも自由を失った。罵詈雑言ゆえに、神ディオニュソスによって岩の牢獄に閉じこめられた。そこで恐ろしい狂気から目覚めたとき、狂気の中で暴言を浴びせたのが神だったことを知る。彼はバッカスの祭りの火を消して、神憑り(かみがかり)の女たちを黙らせようとした。そのうえ、笛を愛するミューズの神をも怒らせた。

 シュンプレガデスの黒い岩のあるボスポラス。その近くの岸辺にサルミュデソスというトラキア人の国がある。その国の近くに住む神アレスは、ピネウスの二人の息子が残虐な継母のために忌まわしくも傷つけられて、めくらにされるのを見た。二つの瞳は、血まみれの手によって梭(かい)の先を突き立てられたとき、復讐を誓った。

 母親の不幸な結婚から生まれたこの二人は、哀れにやせ細り、自らの悲しい運命を嘆いた。母親のクレオパトラは、由緒あるエレクテウスの血を引き、北風の神ボレアスの娘として、遠くの国の洞窟で、父親の吹く風に育てられた。駿馬のように軽やかで高い山も軽々と越える神の子なのに、娘よ、その人でさえ、老いた運命の女神の与える試練に耐えた。 987

第五エペイソディオン

(テイレシアス、子供に導かれて入場)

テイレシアス テーバイの長老のみなさま方、われら二人、歩みを合わせてやっと着きましたぞ。二人のうちで目が見えるのはこの子一人、案内(あない)の手を借りるめくらの歩みとはかようなものじゃ。  990

クレオン これはこれはテイレシアス殿、何か変わったことでもありましたか。

テイレシアス それはこれから教えてさしあげる。おまえはこの予言者の言うとおりにするのじゃぞ。

クレオン とにかく、これまでわたしがあなたの忠告に背いたことはありません。

テイレシアス それだからこそ、おまえもこの国の舵取りを間違わずにいるというものじゃ。

クレオン あなたには大変お世話になっておりますので、それは断言してもよろしいでしょう。  995

テイレシアス それならば、よく聞きなされ。おまえは今また運命の瀬戸際に立たされておる。

クレオン どういうことですか? 何をおっしゃるかと、不安でなりません。

テイレシアス わしの占いの術が明らかにしたことをよく聞けば分かるはずじゃ。

 わしはいつものように、すべての鳥が集まる鳥占いの座についた。すると、いままで聞いたことのないような鳴き声が聞こえてきたのじゃ。それは気味の悪い不可解な鳴き方じゃった。わしは鳥たちが爪で互いに傷つけ合って殺し合いをしていると判断した。それは激しい羽ばたきの音から明らかだったのじゃ。 1004

 心配になったわしは、すぐに火の燃えさかる祭壇で生け贄の占いを試した。ところが、生け贄には火がつかず、腿(もも)の肉からにじみ出た汁が灰の上に落ちて、パチパチと音を立てながら煙を巻き上げた。さらには、胆嚢がはじけて空中に飛び散り、腿の骨を包んでいた脂肪が溶け出して、骨がむき出しになってしもうたのじゃ。

 この不可解な儀式の惨憺たるあり様はこの子から教えてもろうた。わしがみなの先達であるとすれば、この子はわしの先達じゃからのう。

 このありさまから分かることは、この国がおまえのやり方がもとで病んでいるということじゃ。国の祭壇も、家々のかまども、いくさに倒れた哀れなオイディプスの子の腐肉を、鳥や野犬が運んでくるために、ことごとく穢(けが)れているぞ。それゆえ、神々はわしが生け贄を捧げて祈っても、腿肉を焼いても、受け入れては下さらないのじゃ。また、鳥たちは、殺された人の血にまみれた脂で腹をふくらませているために、前兆を知らせる鳴き声を立てないのじゃ。 1022

 おまえは、これらのことをとくと考えるがよい。過ちを犯すのは人間の常じゃ。しかし、過ちを犯してもそれを改めるにやぶさかでなければ、その人間はけっして愚かでもないし馬鹿でもない。愚か者の烙印を押されるのは、むしろ我を張りとおす人間のほうなのだ。

 いい加減におまえも死んだ人間の権利は認めてやれ。死者を鞭打ってはならんぞ。死んだ者をもう一度殺したところで、どんな手柄となるというのじゃ。

 わしはよく考えた上で忠告している。役に立つ忠告は素直に受け入れる、これ以上に望ましいことはないぞ。 1032

クレオン ご老人、まるで狩人が獲物を矢で狙うように、みながつぎからつぎへとわたしを狙ってやってきましたが、とうとう占い師のあなたまで来たのですか。

 わたしは、占い師たちによって、さっそく取り引きの材料にされたということですね。あなたもお金儲けに励むがいいでしょう。欲しければ稼いだお金で、サルディスの白金(しろがね)なり、インドの黄金なり、好きなものを買えばいいのです。

 でも、あの者に埋葬の儀式をすることだけは許しませんよ。たとえ、ゼウスの鷲が、あの者の腐肉をくわえてゼウスの玉座に運んだとしても、わたしは穢れを恐れてあの者の埋葬を許すようなことは決してありません。

 わたしはよく知っていますが、そもそも人間の身で神の座を汚すことの出来るような者は一人もいないのです。テイレシアス殿、どんなに賢い人でも、欲に駆られると、恥ずべき考えをきれいな言葉で飾ろうとして、みっともない失敗をするものでございますな。  1047

テイレシアス ああ、お前たちの中に誰かいないのか、わしの言うことが分かる人間は・・・

クレオン 何をですか? みなに向かっていったい何をおっしゃりたいのですか。

テイレシアス 賢明な判断が、どれほど大きな富であるかということをじゃ。 1050

クレオン 愚かな判断が、どれほど大きな災難であるかということですね。

テイレシアス ところが、おまえが巻き込まれているのはまさにその災難じゃ。

クレオン わたしは占い師に対して悪口を言いたくはないのです。

テイレシアス もう悪口を言っているではないか、わしの占いを嘘だと言って。

クレオン とにかく、占い師というたぐいの人間は、みな金を欲しがるものですからな。 1055

テイレシアス 王の血を引く人種も、私利私欲にかられるものじゃ。

クレオン その言葉は、わたしを支配者と分かったうえでの言葉か?

テイレシアス 分かっているとも。あなたはわしのおかげで支配者になった人間だからな。

クレオン あなたは頭のいい占い師だが、腹黒いお人だ。

テイレシアス 心に秘めておくべきことまで、このわしに言わせるつもりか。  1060

クレオン おっしゃるがよい。ただし、それで得をしようなどとは思わないことだ。

テイレシアス おまえにはこのわしがそんなことをするような人間に見えるのか?

クレオン そうだとも。わたしの決心を売り買いすることは出来ないものと覚悟されよ。

テイレシアス おまえの方こそ、覚悟しておけ。おまえは、今日という日が終らぬうちにも、二人の人間の死の償いとして、おまえの身内から一つの遺体をさし出すことになるだろう。

 それは、おまえが生きた人間を無慈悲にも墓の中に閉じこめて、この世の者を地獄に落とし、その一方で、あの世のものである死体を、清めもせず葬儀もせずに、この世にとどめおいたことの報いなのじゃ。

 死者の埋葬は、天上の神々さえもあずかり知らぬこと、ましてやおまえの権限など遠く及ばぬことなのだ。それなのに、おまえはあの遺体を冒涜したのだ。この罪の償いをさせようと、地獄の死人のために復讐を行うエリニュエスの神が、遅まきながら破滅に追い込もうとおまえを待ちうけている。おまえは、これから同じような不幸を味わうことになるのだ。

 わしが金をもらってこんなことをしゃべっているかどうか、よく考えてみるがいい。遠からぬうちに、おまえの家からは、男と女がともに泣き声を上げるのが聞こえてくるだろう。

 いっぽう、兵士たちの切り刻まれた亡骸が犬や野獣や鳥たちによる埋葬を受けて、悪臭がかまどにもたらされた国々は、ことごとくおまえに対して憎しみをもやしているだろう。

 わしが腹立ちまぎれにこんなことを言ったのも、それはおまえがわしを怒らせたからだ。わしがまさに狩人のようにおまえの心に放ったこの矢は、あやまたず的を射抜くぞ。おまえは焼けつく痛みを逃れることはできまい。

 (子供に)さあ、わしを家まで連れ帰ってくれ。この人の怒りの矛先は、わしよりもっと若い人に向けてもらうとしよう。そして今よりもっと丁寧な口の聞き方と、今よりもましな分別を身につけるべきことを学んでもらうとしよう。  1090

(テイレシアス退場)

老人 陛下、あの方は恐ろしい予言を残して立ち去られました。わたくしどもの髪の毛が黒から白に変わるまでの間に、あの方が国民に対して嘘を言ったことは一度もございません。  1094

クレオン わたしもそのことを知っているから、この胸に不安がよぎる。彼の言うことに逆らって災難に巻き込まれるのも恐ろしいことだが、言われるままに動くのも恐ろしいことなのだ。

老人 クレオンさま、ここは、賢明なるご処置が肝要かと存じます。

クレオン どうしたらいいか言ってくれ。そのとおりにしよう。

老人 今から岩の牢獄に行って娘を出しておやりになり、放置してある遺体に墓を作っておやりください。  1101

クレオン 本当にそう勧めるのか。譲歩すべきだと言うのか。

老人 そうでございます。できるだけ急いでくださいませ。災いの神は考え違いをした者の退路を足早に断つと申しますから。

クレオン うむ、残念だ。辛いことだが、命令を撤回しよう。運命に対して勝ち目のない戦(いくさ)はすべきではない。  1106

老人 それなら、ほかの者に委せず、自らお出かけになって実行に移すことでございます。

クレオン ではすぐに行こう。召使いたちも、さあ、一人残らずみな行こう。手に手に斧を持って、ここから見えるあの場所に向かって走るのだ。

 こうして決定を覆した以上は、娘を閉じこめたわたしが自ら娘を解放してやろう。昔からの掟を死ぬまで守りとおすことが最善の道ではないかと、わたしにも思えてきたのだ。 1114


ヒュポルケーマ

老人たち(歌う)

 ああ、バッカスよ。多くの名をもつ神よ。あなたはカドモスの娘の自慢の息子、しかも雷鳴とどろかすゼウスの子。あなたは、名高きイタリアの守り神であり、デメテルを慕って万人が集うエレウシスの谷の支配者でもある。バッカスの信女たちの母国テーバイ、イスメノスの豊かな流れのほとりにあるテーバイ、どう猛な竜の歯から市民が生まれたテーバイに、あなたは住まう。  1124

 あなたは、火花散る松明の煙の中、コーリュキオンのニンフがあなたを慕ってたむろする二つの峰の上にいた。そして、カスタリアの泉に近づき、きづたが絡まるニュサの頂(いただき)を通り過ぎ、ブドウの木が緑なす岸辺を通り、神々しい讃歌に包まれながら、テーバイに向かってやってくる。  1135

 あなたと、稲妻に焼かれたあなたの母は、この国をことのほか愛したまう。この国が恐ろしい病に取り憑かれている今こそ、パルナッソスの高みを越えて、あるいは、波騒ぐ海峡を渡って、この国を浄めに来りたまえ、 1145  

 おお、燃え立つ星々の合唱隊を率いる神バッカスよ、夜の叫びを自在に操る神よ、ゼウスの御子、または、支配者イアッコスと呼ばれる方よ、さあ、姿を現したまえ。夜通し狂乱のダンスであなたを讃えるテュイアスのニンフをしたがえて。 1154


エクソドス

伝令 テーバイの代々の王カドモスとアンフィオンのご城下に暮らす皆々さまに申し上げます。

 他人の人生がどうであろうと、わたくしは、それを誉めたり貶(けな)したりするようなことは決してすまいと、いま思っております。なぜと申せば、日々の運命の変転によって、幸福な人が不幸になったり、不幸な人が幸福になったりするために、現在の状態を見て、明日(あした)それがどうなるかを当てることは、誰にもできないからでございます。

 クレオンさまも、さきほどまでは、わたくしにとっては、うらやむべき存在でした。カドモスの国を敵の手から救い、この国の権力を一手に握って、政治(まつりごと)を取り仕切っておられたからでございます。そのうえ、たくさんの立派なお子様たちにも恵まれておられました。ところが今では全てを失ってしまわれたのでございます。

 と申しますのは、生きる喜びを失った人間は、すべてを失ったに等しいからでございます。それはむしろ生ける屍と申せましょう。立派なお屋敷に住んでいようと、王侯の暮らしをしていようと、生きる喜びがなければ、そんな人生には霞か影ほどの値打ちしかないからでございます。 1171
 

老人 お前が王家の人たちについて持ってきたその悲しい知らせは何だ。

伝令 死人が出たのでございます。その死をもたらしたのは、今もご存命の方でございます。

老人 何だって? 誰が誰を殺したのだ、はっきり言いいなさい。

伝令 ハイモンさまが亡くなられたのでございます。あの方の血を流したのはけっして他人の仕業ではありません。 1175

老人 では父親の仕業なのか、それともご自分の手でなさったことなのか。

伝令 死刑を行った父親に対する怒りから、我とわが身をさいなまれて。

老人 ああ、予言者よ、あなたの言葉はみごとに成就した。

伝令 事態がこうなってしまった以上、みなさんには今後のことをお考え頂かねばなりません。 1179

老人 それよりも、それ、そこに、クレオンさまのお気の毒なお妃エウリュディケさまがお見えになった。たまたま出てこられただけなのか、それともご子息の事件をお聞きになったのか。

エウリュディケ 皆さん、わたしは女神アテナのお参りに行こうと外へ出るところでした。すると、あなたたちの話し声が聞こえてきました。そしてわたしが閂(かんぬき)をはずして扉を引こうとしたとき、わが家の不幸を伝える声がわたしの耳に飛び込んできました。

 その時は怖くなって、侍女(じじょ)の腕の中に倒れて気を失ってしまいましたが、もう大丈夫です。わたしも不幸の味を知らぬ女ではありません。何があったのかわたしにくわしく聞かせてください。 1191

伝令 奥さま、わたくしは現場に居合わせましたので、本当のことを残さずお話しましょう。気休めを言ったところで、嘘はあとで分かります。真実は常に正しいと申しますから。

 わたくしは案内役としてご主人のお供をして、平野(ひらの)の端まで参りました。そこには哀れなポリュネイケスさまの亡骸が犬に食い荒らされたまま放置してありました。わたくしたちは道祖神と地獄の神にお祈りして、お慈悲をもってお怒りをお鎮め下さるようお願いしました。

 そして、ポリュネイケスさまの亡骸をきれいに洗い清めて、刈り取ったばかりの薪を集めて、ご遺体を荼毘(だび)に付しました。そして、あの方の生まれた祖国の土を高く盛り上げて、塚を築きました。

 それから、わたくしたちは娘の洞窟、死神の花嫁の部屋へ向かいました。すると、ある者が、娘の不浄の部屋で鋭い泣き声がするのを遠くから聞きつけて、クレオンさまにお伝えしたのです。

 そこで近づいていくと、痛ましい声がかすかにクレオンさまの耳にも聞こえてきました。するとあの方はうめき声を上げて、悲しみに満ちた声でこうおっしゃいました。

 「まさか、恐れが現実になったのではあるまいな。今日がわたしの生涯で最も辛い日になるのではあるまいな。わたしの耳に息子の声が聞こえるのだ。召使の者たち、今すぐ墓のところまで行って、入り口に積み上げた石のすき間から中に入って、この声が本当にハイモンの声なのか、それとも神さまがわたしを惑わしておられるだけなのか確かめてきてくれ」

 憔悴した王の求めにしたがって、わたくしたちは墓穴の奥まで確かめに行きました。そして、墓の奥に、薄布をよって作ったひもで首をつった娘の姿を見つけました。ハイモンさまは、娘の腰のあたりにすがりついて、あの世へ行った花嫁に涙を流し、父親の仕打ちと、叶わなかった結婚を悲しんでおられました。

 王は息子を見つけると、ひどく嘆いてから、中を進んでいき、泣きながら息子に呼びかけられました。

 「ああ、なさけない。お前は何ということをしてくれたのだ。頭がどうかしてしまったのか。どうしてこんな馬鹿なことをしているのだ。そこから離れてくれ。頼む。お願いだ」

 しかし、息子さんはそれには答えず、父親をものすごい形相でにらみつけて、相手の顔へ唾を吐きかけ剣を抜いたのです。しかし、お父さまが飛びのいたので、切りつけることは出来ませんでした。

 すると、息子さんは、おかわいそうに、自分自身に怒りの矛先を向けて、とっさに剣をご自分の脇腹にあてがって、ぶすりと突き刺したのです。そして、もうろうとして力が入らないままに、娘を自分の腕にかきいだきました。烈しく息をはずませるあの方の口からは、真っ赤な血がほとばしって、娘の白い頬を染めたのです。

 今では、二つの亡骸は抱き合うようにして横たわっています。お気の毒なハイモンさまは結婚式をあの世で挙行されたのです。そして、人間にとって分別を欠くことがどれほど大きな不幸であるかということを、人々に示されました。  1243

(エウリュディケ、宮殿の中に退場)

老人 これはどういうことだ思われる? 奥さまは一言もなしに行ってしまわれた。 1245

伝令 わたくしもさきほどから驚いております。しかし、あの方は、お子さまの悲しい知らせに接して、人前で涙を流すことを嫌われたのかもしれません。家の中で召使たちといっしょにご不幸を嘆くおつもりだと思います。分別のある方ですから、よもや間違いを起こされるようなことはありますまい。 1250

老人 それはどうかな。あまりに悲しまれるのも心配だが、何もおっしゃらないのもかえって心配だ。

伝令 わたくしが中に行って見て参りましょう。奥さまが悲しみのあまり、何かよからぬ考えを胸に秘めておられるのでなければよいのですが。まったくあなたの言うとおりです。全然何もおっしゃらないのもかえって心配です。  1256

老人(音楽に合わせて語る) おや、そこに、陛下がみずからお出ましだ、明らかな罪の報いを手にしながら。こういってよければ、これは他ならぬ自分自身の過ちが作り出した破滅。  1260

クレオン(歌う) ああ、愚かさと強情さのために起きた致命的な過ちだった。ああ、見てくれ。何と、殺した者と殺された者が、血のつながった親子なのだ。これはわたしの愚かな考えがもたらした不幸。

 ああ、息子よ、若くして早死にしたお前、ああ、お前は悪くない。お前が死んであの世に旅立ったのは、わたしの愚かな考えのため。

老人(音楽に合わせて語る) ああ、きっとあなたは何が正しいかを知るのが遅すぎた。  1270

クレオン(歌う) ああ、不幸にして、いま分かったぞ。あの時わたしの頭を打ちのめし、大きな不幸をもたらしたのは、神のしわざ。神がわたしを惑わして残酷な方法をとらせたのだ。ああ、わたしの喜びは踏みにじられた。ああ、これは人間にとって耐え難い苦しみだ。  1276

伝令 どうやら陛下は、ご不幸が新たに加わったことをご存じないままにお出ましになられたご様子。陛下は、その腕に抱えておられるほかに、もう一つのご不幸をお館の中で目にされることでございましょう。  1280

クレオン いったい何だ。いまの不幸以上に大きな不幸があるのか。

伝令 お気の毒なことに、お妃さまが、お亡くなりになられたのでございます。あの方は、すでに亡きこの方の実の母親。この新たな痛手に耐えられなかったのでございましょう。

クレオン(歌う) ああ、ああ、忌まわしい死に神に、この家は取り憑かれている。どうして、どうしておまえは、わたしを苦しめる。さきほど悲しい知らせをもたらしたばかりのおまえが、この上、何を言い出すのだ。ああ、ひん死のわたしにとどめを刺すつもりか。また何を言い出すのだ。ああ、ああ、息子が死んだそのうえに、新たに妻も死んだというのか。

伝令 ご覧ください。いま目の前に出てまいります。 1293

(宮殿の扉が開かれる。エウリュディケの遺体が現れる)

クレオン(歌う) ああ、そこにもう一つの不幸が見える。この上、どんな運命がわたしを待っているのか。息子の亡骸をこの手に抱いたばかりだというのに、目の前にもう一つの亡骸があらわれるとは。おお、不幸な母と不幸な子よ。  1300

伝令 奥さまは、先に名誉の死を遂げられたメガレウス(=テーバイ攻めで戦死)さまのことを声高く悲しまれ、次にこちらのハイモンさまを悼まれ、最後に、息子の死をもたらしたあなたに不幸あれかしと呪われました。そして、祭壇のかたわらで、研ぎ澄ました短剣をつかんで、我とわが身をさいなまれて、ご瞑目なされたのでございます。 1305

クレオン(歌う) ああ、恐怖で足がすくむ。誰かこの胸に、鋭い剣をぐさりと刺してくれ。何と惨めなわたしであろうか。わたしは惨めな不幸に囚われている。

伝令 この子が死んだのも、あの子が死んだのも、みんなあなたのせいだと、ここに横たわる奥さまは、おっしゃいました。

クレオン わたしの妻はどのようにして自害したのか?

伝令 奥さまは、お子さまのこの悲しい死を知らされたとき、ご自分の手で自らの胸を突き刺されたのでございます。 1316

クレオン(歌う) ああ、どれもこれもわたしのせい、わたしの責任だ。ああ、妻よ、わたしがおまえを殺したのだ。なさけないが、ああ、これが真実だ。ああ、召使たちよ、わたしはもう無きに等しい存在だ。わたしを一刻も早くどこかへ連れ去ってくれ。

老人 それはよいお考えです。不幸な人にとって仮にも何かよいことがあるとしたら、目の前の不幸をなるべく短かくすること。これに越したことはありません、

クレオン(歌う) 殺せ、殺せ、わたしにはそれが最善の道。最後の日こそ、わたしには最良の日。殺せ、殺せ、明日なんか見たくない。 1333

老人 それはもっと先になさいませ。今しておくべきことがございます。未来のことは、未来を司(つかさど)る神がなさいます。

クレオン わたしの願いはこの一事につきている。

老人 もう何もおっしゃいますな。死すべき人間には、運命の定めた不幸を逃れるみちはないのです。

クレオン(歌う) わたしをここから連れ去ってくれ。この愚かな男を。おお、息子よ、おまえと、そこいる妻よ、おまえを、心ならずも殺してしまったこのわたしを。ああ、なさけない。

 わたしはどうすればいいのか、何を頼りにすればいいのか、分からないのだ。わたしの手がけたものは全て失敗し、その上、耐えがたい運命が、頭上からわたしに襲いかかった。  1346

老人(音楽に合わせて語る) 思慮分別は、幸せになるために、何よりも大切なもの。神々に対しては、決して不敬なことをしてはならない。思い上がった大言壮語が手痛い報いを受けて、人は年老いてから分別を知る。 1352(了)


※誤字脱字に気づいた方は是非教えて下さい。


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