キケロ『マニリウス法弁護あるいはポンペイウスの指揮権について』
「マニリウス法弁護あるいはグナエウス・ポンペイウスの指揮権について」(前66年)
第三次ミトリダテス戦争の最後の戦いをポンペイウスに任せるべきとするマニリウスの提出した法案にキケロが賛成する演説。第一に、この戦いの重要性、第二に、これが大きな戦いであること、第三に、有能なポンペイウスが適任であることを論じて、最後にこの法案に反対する人たちへの反論へと進む。
第一章
満場にお集まりのローマ市民の皆さん、皆さんを目にすることは私にとっては常に大いなる喜びであります。この演壇こそは皆さんに話しかける最も素晴らしい場所であり、演説をする最も晴れがましい場所であります。
そしてこの演壇に登ることは才能ある全ての人に開かれた名声への入口でもあります。しかしながら、これまで私は若い頃に採用した人生の方針にしたがって意に沿わぬながらも敢えてこの演壇から遠ざかってきたのあります。
なぜなら、これまでの私は若さゆえにこの権威ある場所に近づく勇気がなく、入念に作り上げた完璧な演説でないかぎり皆様にお見せすべきではないと決めていたので、自分の人生のすべてを友人たちの危機を救うために捧げようと考えたからであります。1
ですから、この席に皆さんの権利を守る人たちが次々と現れていた間、私は人々の個人的な問題の処理に真摯に汚れなく取り組んできたのでありますが、その姿勢が皆さんに評価されて、ここに登壇するという名誉を私は手にしたのであります。
というのは、民会の中断のせいで三度も満場一致で私は第一法務官に当選したことが伝えられたのです。その時、ローマ市民の皆さん、皆さんが多くの候補者がいる中で私に対してどれほど高い評価を与えて下さったかということを私はすぐに理解しました。
皆さんが私に官職を与える決断をされたことで、いまこの私には大きな権威が与えられました。さらに、ほぼ毎日油断なく弁論を実践して法廷の経験を積んできたことで、いまこの私には皆さんに話しかける大きな機会が与えられました。
私はこの二つを行使するにあたって、この私に与えられた権威はそれを私に授けてくださった人たちのために使いたいと思っていますし、私の弁論によって何かが達成できるものなら、私の努力に対して高い地位で報いて下さった人たちにその成果をお見せたしいと思っています。2
そして特に次のことは私にとって喜ばしいことだと思っています。それはこのような席からお話するのが不慣れな私に対して、誰にとっても話すに事欠かないテーマが与えられたことであります。なぜなら、私は有徳の人士グナエウス・ポンペイウス氏についてお話すればいいからであります。
彼の素晴らしさについては話し始めたらきりがないでしょう。したがって、私に求められているのは長々と話すことではなく適当なところで切り上げることなのです。3
第二章
では、現在の状況をその始まりからお話ししますと、皆さんの貢納国と同盟国に対して、ミトリダテス(=6世)とティグラネス(=2世、アルメニアの王)という有力な二人の王が困難で危険な戦争を始めたのです(=第三次ミトリダテス戦争の途中の前69年に始まるアルメニア戦役)。ミトリダテスは我々に放置されたことで、ティグラネスは我々に挑発されたことで、アジア(=属州、小アジアの東側三分の一)を支配するチャンスが到来したと思ったのです。
アジアからは数々の手紙が毎日のように名誉あるローマの騎士階級の人たちのもとに届けられています。彼らは税金を徴収するという大切な仕事に従事している人たちです。私と親しい関係にある彼らがこの私にこの国が置かれた状況と彼らの身に迫った危機を伝えてきたのです。4
いわく、いまローマの属州となっているビトゥニアの多くの村々が焼きつくされた。いわく、ローマの貢納国に隣接しているアリオバルザネス(=一世、カッパドキア)の王国の全てが敵の手に落ちた。いわく、大きな功績を残したルクルスがこの戦いから離れた。いわく、彼のあとを引き継いだ人物はこんな大きな戦いを遂行するには能力不足だ。いわく、全ての同盟国と市民たちがこの戦いへ派遣を求めているのはただ一人の将軍だ。その人は誰よりも敵から恐れられている人だ、と。5
現代の状況は以上でもうお分かりでしょう。ではどうすればいいのかを、皆さんに考えて頂きたいのです。私としては、まず最初にこの戦いはどのような戦いか、次にこの戦いはどれほど大きな戦いか、その後でどの将軍を選ぶべきかをお話ししましょう。
この戦いは皆さんが心を奮い立たせて最後まで戦いぬく決意を起こさねばならない戦いなのです。この戦いにはローマの名声がかかっているのです。どの分野においても偉大な名声が、特に軍事面においては最高の名声が父祖たちから皆さんに伝えられております。
さらに、この戦いには同盟国と友好国の安全がかかっています。彼らの安全のために皆さんの父祖たちは多くの激戦をくぐり抜けてきたのです。そして、この戦いにはローマの安定した豊かな収入がかかっています。この収入を失うということは、平時の装いと戦時の支えを失うことなのです。さらに、この戦争には多くの市民の財産がかかっています。ですから、皆さんは国家のためローマ市民のためによく考えねばならないのです。6
第三章
そして、皆さんは常に他の国民にまさる名誉と名声を熱心に求めて来られたのでありますから、第一次ミトリダテス戦争(=前88~84年)でローマ人が被った汚名をそそがねばなりません。この汚名はローマ人の名声の大きな染みとなっているのです。
それは、あの王がある日のこと全アジアの全ての国に手紙による一度の指令、一度の合図で、ローマ市民を皆殺しにするように命じたことであります(=前88年、8万人のローマ人が殺された)。彼は今の今までその悪事に相応しい罰を何も受けずに来ただけでなく、それ以来二十三年間にわたって王位にとどまり続けています。
しかも、彼はポントスとカッパドキアの隠れ家に身を隠そうともせず、自分の祖国から皆さんの貢納国へ進出して、アジアの表舞台に姿を現そうとしているのです。7
今まで我が国の将軍たちはこの王と戦って彼から勝利の勲章は持ち帰りましたが勝利は持ち帰らなかったのです。最強の二人の将軍だったルキウス・スラ氏もルキウス・ムレナ氏もミトリダテスに勝利して凱旋式をあげましたが、その将軍たちによって撃退されて敗走したミトリダテスはなおも王位に留まっているのです。
もちろん、私たちはこの将軍たちの戦績を称賛すべきでありますし、彼らがやり残したことは大目に見るべきでしょう。なぜなら、何と言ってもスラ氏は国命によって戦場からイタリアへ呼び戻されたのですし(=第一次ミトリダテス戦争)、ムレナ氏はスラ氏によって呼び戻されたからです(=第二次ミトリダテス戦争)。8
第四章
一方、ミトリダテスは残された全ての時間を過去の戦争(=第一次、第二次ミトリダテス戦争)を忘れるためではなく、新たな戦争(=第三次ミトリダテス戦争)を準備するために使いました。
彼はその後、隣国ボスポロス王国(=クリミア半島周辺)に侵攻するという口実で、大きな艦隊を建造して装備を終え、膨大な軍団をあらゆる国から調達し終えると、スペインで当時我々と戦っていた将軍(=セルトリウスの反乱前80年~72年)に使節と手紙を送ったのです。「遠く離れた別々の国にある我々の二つの軍隊を一つの作戦に従って海と陸で動かせば、ローマ軍は戦力を二つに分散されて覇権を争うことになる」と伝えたのです(=前75年)。9
しかしながら、一方のセルトリウスが引き起こしたスペインの深刻な危機は、グナエウス・ポンペイウス氏の神がかりな作戦と並外れた武勇によって取り除かれました。他方、アジアではあの有名なルクルス氏が戦いを指揮して、運というよりは彼のすぐれた資質によって初戦で大きな戦果を上げました。
最近の終盤の出来事はルクルス氏の失敗というよりは不運によって引き起こされたと言えましょう。しかし、ルクルス氏については別の機会にしましょう。ただ私は彼の真の名声を私の言葉で傷つけたり偽りの功績をでっち上げるつもりはありません。10
ローマ市民の皆さん、私のこの演説の出発点である帝国の権威と名声について、どんな心構えでいるべきかを皆さんによく考えて頂きたいのです。
第五章
我々の父祖たちは我が国の商人や船主が不当な扱いを受けたときにはしばしば戦争に訴えてきました。皆さんは一つの通告で一度に何千というローマ市民が殺されたことを一体どう考えるべきでしょうか。
ローマの使節がコリントス市に非礼な扱いを受けた時、皆さんの父祖たちは全ギリシアの光であるコリントスの消滅を望んだのです(=前146年)。ミトリダテス王が我が国の執政官クラスの使節(=マニウス・アクィッリウス)を投獄して鞭打ちなどのあらゆる拷問を加えて殺害したのに(=前88年)、皆さんはこの王を罰することもなく放置するのでしょうか。
我らの父祖たちはローマ市民の自由が損なわれることさえも許しませんでした。皆さんはローマ市民の命が奪われたことが見過ごすおつもりでしょうか。我らの父祖たちは使節の権利が言葉によってないがしろにされたことに復讐しました。皆さんは使節が極刑をもって殺害されたのにそれを放置するのでしょうか。11
帝国の高い名声を皆さんに伝えることは我らの父祖たちのこの上ない誇りでした。しかるに、この名声を受け継いだ皆さんがそれを守れないようなことがあれば、それは皆さんにとってこの上ない恥辱となりましょう。それだけは避けて頂きたいのです。
さらに、同盟国の安全が大きな危機に曝されていることを皆さんは一体どう思っておられるのでしょう。ローマの同盟者であり友人でもあるアリオバルザネス王が国外に追放されたのです(=前88年)。ローマだけでなくローマの友人を敵に回した二人の王はアジア全体の脅威になっています。
アジアとギリシアの全ての国が大きな危機に直面して、もはやローマから送られる援軍を待つしかなくなっているのです。ところが、皆さんが既に別の将軍(=グラブリオ)を送ってしまったので、彼らはある将軍を送ってほしいと言い出せないでいます。そんなことをすればかえって危機を増大させてしまうと恐れているのです。12
全てに最高の能力を備えている一人の将軍がいると考える点で、彼らの思いは皆さんと何ら変わることがありません。その将軍は既に彼らの近くまで来ていますが、それだけ余計に彼の到着が待ち望まれています。たとえ海賊退治のためだとしても、彼が近くまで来ているという事実は、その名声とあいまって、敵の攻撃を押しとどめて遅らせたのは明らかなのです。
彼らには公然とローマに物を言うことはできませんが、皆さんが他の属州の同盟国の救済を彼に委ねたように、自分たちの救済も彼に委ねてほしいと、暗黙のうちに求めているのです。
これまで我々が属州を守るために支配権を持たせて送り込んだ多くの総督たちが同盟国の町に来て敵の攻撃と何ら異ならないことをしてきただけに、よけいに彼らはあの将軍を待ち望んでいるのです。彼らはこの将軍が節度と寛大さと優しさを兼ね備えていることを以前から聞いて知っていましたし、今では近くでよく見て知っています。ですから、彼が長くいる国の国民は幸福であると思っているのです。13
第六章
我らの父祖たちは我が国が直接攻撃にさらされていない時でも、同盟国を救うためにアンティオコス王ともフィリップス王ともアエトリア人ともカルタゴ人とも戦端を開きました。ところが、今回我が国は直接攻撃を受けており、しかも、皆さんの大きな税収が危機に瀕しているのです。皆さんは同盟国の安全と帝国の名声を必死で守るべきではないでしょうか。
ローマ市民の皆さん、アジア以外の属州から得られる税金は高が知れていて、その属州を守るにも足りないほどなのですが、アジアはとても肥沃な土地柄で、実りの豊かさと穀物の多様さと牧草地の広さと輸出される物品の多さで、どの地方にも遥かに勝っています。
ですから、ローマ市民の皆さん、もし皆さんが戦時の備えと平時の名誉を維持したければ、この属州を惨禍から守るだけでなく、惨禍の脅威からも守らねばなりません。14
というのは、多くの場合我々は惨禍が起きた時だけ損害を被りますが、税収の場合は惨禍が起きた時だけではなく、その恐れがあるだけで我々は大きな損害を被るのです。
敵の大軍が近くにいる時には、何の襲撃がなくても、家畜は放置され農地は放棄され商人は航海をやめるのです。その結果、港の関税も十分の一税も放牧税も入ってこなくなるのです。危機の噂と戦争の恐れがあるだけで、丸一年分の税収が失われるのです。15
皆さん、我々の納税者たちと徴税者たちは二人の王が巨大な軍隊を擁して近くにいるとどんな気持ちになるか考えてみてください。騎兵隊の一度の攻撃で丸一年の税収が一瞬にして失われるかもしれないのです。税収請負人は牧草地や農地や倉庫や保護地に大勢の部下を置くのは危険だと思うのです。
それなのに、皆さんの役に立っているこれらの人たちを惨禍からだけでなく、既に言ったように、惨禍の恐れから守ってやらないとしたら、皆さんはかの地からの収益を得られるとお思いでしょうか。16
第七章
ローマ市民の皆さん、この戦いがどのようなものであるかを皆さんにお話するときに最後にしようと考えていたことですが、もう一つ皆さんに決して見逃してほしくないことがありませす。それはこの戦争には多くのローマ市民の財産がかかっているということです。ですから、皆さんは自らの英知に傾けてその人達のことをよく考えねばなりません。
特に徴税請負人という極めて名誉ある誇り高い人たちは仕事の基盤をこのアジアに置いています。皆さんは彼らの富と財産のことを考えてやるべきです。そして、私たちは、税収がこの国の力の源泉であることを忘れないのなら、税金を徴収するこの階級こそは他の階級の基盤であると言わねばなりません。17
さらに他の多くの階級の人たちの中には、アジアに多くの資金を蓄えている人もいれば、ローマから遠く離れて自らアジアで熱心に商売している人もいますので、皆さんは彼らのことも考えねばなりません。
これらの多くの市民たちを惨禍から守らねばならないことは、人情あふれる皆さんにはもうお気づきのことでしょう。この市民たちの不幸はすなわち国家の不幸であることは、知性あふれる皆さんにはもうお分かりのことでしょう。
いったん徴税請負人を失ってしまうと、戦いに勝利した後に税収を取り戻したとしても無意味なのです。戦争の惨禍のために請負人たちはその能力を失っていますし、惨禍の恐れのために他の人々も請負人になる意欲が失せてしまっているからです。18
さらに我々はアジアにおけるミトリダテスとの初期の戦いの惨禍から学んだ教訓を忘れてはなりません。アジアで多くの人達が膨大な資産を失った時、支払いが滞ってローマの信用が地に落ちたことを我々は知っています(=前88年)。ある国で多くの人たちが資産を失うと、さらに多くの人たちが同じ災難に巻き込まれずにはすまないのです。
ですから、皆さんはこの危機からこの国を守らねばなりません。すでにお分かりでしょうが、ローマの公共広場に関わるこの信用問題とこの国の経済問題は、アジアのお金と深く結びついており、言わば一心同体なのです。
皆さん、よろしいですか。すでにお分かりのように、アジアの経済が滅ぶことは、同時にローマの経済が弱体化して崩壊することなのです。
ですから、よく考えて頂きたいのです。皆さんは全力でこの戦争にとりかかることをためらうべきでしょうか。この戦いはローマの名声と同盟国の安全と大きな税収を守る戦いであるだけでなく、多くの市民の財産を、それは即ちこの国を守る戦いなのです。19
第八章
以上でこの戦いがどのような戦いであるかについてお話しましたので、つぎは戦いの規模について少しお話しましょう。この戦いの重要性は分かったが、心配するほど大きな戦いにならないのではと言う人がいるかもしれません。しかし、この点で最も大切なことは、万全の対策をけっして怠るべきではないということです。
ところで、私がルクルス氏を勇気と知性にあふれた偉大な将軍であると称賛していることを皆さんに分かっていただくために申しますと、彼がアジアに到着した時、ミトリダテスは万全の補給と装備を備えた大軍を擁していました。
そして、我が国の名高い友好国であるキュジコス(=トロイ近郊)が大軍を率いたミトリダテスによって包囲されて激しい攻撃にさらされていたのです。その国をルクルス氏は彼の武勇と粘り強さと策略によって包囲の危機から救いだしたのです。20
熱意と憎悪に燃えてセルトリウスの部下に率いられてイタリアに急行していた重装備の大艦隊を打ち破って海に沈めたのもまたこのルクルス氏でした。さらに、敵の大軍を数度の戦いによって殲滅し、それまでローマに対してあらゆる入り口を閉ざしていた黒海を我が国の軍隊に道を開いたのもルクルス将軍でした。
また、豪華な装飾品に満ちた王宮があった黒海沿岸のシノペーもアミススも、黒海とカッパドキアの他の多くの町も、ルクルス将軍がやって来ただけで降伏したのです。
その結果、先祖伝来の王国を失ったミトリダテスは他国の王たちのもとに助けを求めて亡命したのです。これらは全てローマ人の同盟国と貢納国に何の損害も与えることなく行われました。
これを見てもルクルス氏が充分な功績をあげたことは明らかです。しかるに、ローマ市民の皆さん、このマニリウス氏の法案の趣旨に反対している人たちの中に、ルクルス氏の功績をこの演壇から同じように賞賛した人は一人としていないのです。21
第九章
ルクルス氏がこれだけやったのに、どうしてこれから大きな戦いになる可能性があるのかという人がいることでしょう。こういう疑問が出るのはもっともなことですから、ローマ市民の皆さん、ここはよく聞いていただきたいのです。第一に、ミトリダテスは自分の王国から逃げ出しましたが、それは話しに出てくるメデアがかつて黒海から逃げ出した時とそっくりでした。
メデアは逃走中に自分の弟(=アプシュルトス)の手足を父親(=アイエテス王)が追いかけてくる海に撒き散らしました。父親は追跡の手を緩めて息子の遺体を手分けして集めて嘆き悲しんだと言われています。
それと同じようにミトリダテスは自分の国から逃げ出す時に、祖先から受け継いだり以前の戦争でアジアじゅうから略奪して自分の国に集めておいた大量の金銀財宝や美術品を残らず黒海に置いていったのです。
その財宝を我軍が必死に掻き集めている間に、王は我々の追っ手からまんまと逃れおおせたのです。息子への悲しみがアイエテスの追跡を遅らせたとすれば、我軍の追跡を遅らせたのは富への喜びだったのです。22
あわてて逃げてきたミトリダテス王を迎え入れたのがアルメニアのティグラネス王でした。彼は落胆して自信を失った失意の王ミトリダテスに自分の富を分け与えて元気づけたのです。
のちにティグラネスの国にルクルスが軍隊を率いてやって来た時には、さらに多くの国々が我々の将軍と戦うために集まってきました。なぜなら、これらの国々は、これまで一度もローマの攻撃対象にされたことがないにもかかわらず、恐怖心を吹きこまれていたからです。
また、ほかにも深刻な噂が野蛮人の国の人々の心に広まっていました。それは我が国の軍隊がこの地方に派遣されたのは財宝に満ちた神殿を略奪するためだという噂です。このようにして多くの民族がかつてない恐怖に囚われていたのです。
一方、我が国の軍隊は、ティグラネスの国から町を奪って戦いに勝利を収めましたが、戦地があまりに祖国から遠くなったためにホームシックにかかってしまいました。23
私はここでこれ以上言うつもりはありません。とうとう我軍の兵隊たちはこれ以上進軍するのは嫌だ、早く帰りたいと言い始めたのです。一方、ミトリダテスは自分の軍隊を増強するだけでなく、さらに多くの国々の王たちから援軍を得ていました。
聞くところによれば、不幸な目に逢った王様が同情を集めて多くの人に助けられるのはよくあることだそうです。特に王たちだけでなく王の国に住んでいる人たちからの同情が集まりました。彼らは王という名前を偉大で神聖なものだと思っているからです。24
こうして一旦敗れたミトリダテスは、敗れる前にはけっして望めない大きな力を蓄えたのです。そこで彼は自分の王国に帰ると、自分が追い出された土地に帰るという僥倖に満足するどころか、勝者である我らの有名な軍隊に攻撃を仕掛けたのです(=前67年)。
ここで、ローマ市民の皆さん、ローマの歴史を書いてきた作家たちに倣って、我軍の敗北の話を省略するのをお許しください。この敗戦はあまりにひどいものだったので、将軍の耳にこの敗戦を伝えたのは軍の伝令ではなく、口伝えの噂だったのです(=ポントス国のゼラの戦い)。25
この深刻な敗戦の惨禍に際して、皆さんは前例に従って指揮官の任期に限度を設ける命令を下しました。ルクルス氏は恐らくある程度この損害を取り返すことが出来たにもかかわらず、この命令に従ってやむなく軍隊の中の兵役を終えた部隊を解散して、残りの部隊をマニウス・グラブリオに引き渡したのです。
私は意図的に多くのことを省略していますので、そこは皆さんが推測で補って、この戦いがどれほど大規模になっているかをご理解いただきたいのです。
この戦いには二人の強力な王が協力しているだけでなく、国力を温存していた新たな国々が参戦してきています。老練な軍隊が敗北したあとを受けて、それを我が国の新任の将軍が引き受けることになったのです。26
第十章
この戦いが必要不可欠な戦いであり、危険な大戦であることの理由は、もう充分お話した思います。あとに残っているのは、この戦いの指揮官を誰にすべきか、この重大事態の対処を誰に委ねるべきかについてお話をすることです。
ローマ市民の皆さん、ローマには勇敢で汚れのない人間が沢山いて、この重大事態とこの大戦を誰に任せたら一番いいか、皆さんは決めかねているのならいいのですが。実際のところ、名声において現役の将軍の誰をも上回り、能力においてローマ史上のどの将軍にも勝る軍人はただ一人グナエウス・ポンペイウスだけなのですから、この問題で皆さんは何を迷うことがあるでしょうか。27
優れた将軍が持つべき資質は次の四つであると私は思います。それは軍事的な知識と能力とその人のもつ名声と運の強さです。それでは、これまでにこの人よりも軍事的な知識にすぐれた人が誰かいたでしょうか。そんな人は誰もいなかったし、いたはずがないのです。
彼は学校で少年時代の教育を終えると、父親の軍隊に入って大きな戦いに参加して、最強の敵(=キンナ、前89年、17歳)を相手に軍事訓練を始めた人です。
少年時代の終わり頃には偉大な指揮官(=スラ)の軍隊に兵士として入隊して(=前83年)、青年時代の初めには自らが強大な軍隊をもつ凱旋将軍になっていました(=前81年、25歳)。
彼は人が政敵と論争するより多くの回数だけ外敵と戦い、人が本で読むより多くの戦争を行い、人が望む以上に多くの公職を果たしてきた人なのです。
彼は青年時代の間に軍事知識を他人から教えられたのではなく、自分が指揮することによって学び、敗北ではなく勝利によって身につけ、出征することではなく凱旋することによって我が物としたのです。
また、彼はこの国家の運命が課したあらゆる戦争を経験してきました。彼は内戦、アフリカ戦争、外ガリア戦争、スペイン戦争、奴隷戦争、海賊戦争等々、様々な敵との様々な戦争を一人で戦ってきただけでなく、それらの全てを終わらせてきたのです。
ですから、これらの戦争を経験した彼が軍事上のあらゆる事に通じているのは明らかでしょう。28
第十一章
これ以上、グナエウス・ポンペイウス氏の能力を正当に表すどんな言葉があるでしょうか。彼を賞賛する言葉はすでに語り尽くされており、皆さんが聞いたことのない新たな言葉を付け加えることはできないのです。
というのは、指揮官に要求される能力は一般に知られている軍事上の能力、すなわち職務に対する熱意、危機の中での勇敢さ、粘り強い行動力、素早い実行力、先読みの知恵だけではないからです。
もちろん、これらについても彼は皆さんが見聞きした他のどの将軍にもまさる高い能力を備えています。29
イタリアがその証人です。イタリア(=ローマの支配地以外の諸都市)が解放されたのはグナエウス・ポンペイウス氏の勇気ある参戦のおかげだと征服者スラが自ら認めています(=前83年)。
シシリアがその証人です。シシリアを取り巻く多くの危険をグナエウス・ポンペイウス氏は戦争の恐怖ではなく素早い作戦によって取り除いたのです(=マリウス派の残党の一掃、前81年)。
アフリカがその証人です。アフリカを制圧していた敵の大軍がグナエウス・ポンペイウス氏によって一敗地にまみれたのです(=前81年)。内ガリアがその証人です。彼がガリア人を滅ぼして我国の軍隊にスペインへの通を開いたのです(=前76年)。スペインがその証人です。彼はスペインで多くの敵を何度も打ち破って屈服させています(=前76~71年)。
さらにまたイタリアがその証人です。恥ずべき奴隷の反乱によってイタリアが危機にさらされていた時、スペインにいた彼のもとに救援の要請がありました。この反乱は彼が来るというだけで勢いを失って下火になり、彼が到着すると息の根を完全に止められたのです(=前71年)。30
つまり世界じゅうの地方と国々と民族が証人なのです。最後に、世界じゅうの海が証人であり、その岸辺にある入江と港が証人です。
ここ数年の間、海に面した世界の国々はどんな軍隊を備えていようとどんな奥まったところにあろうと海賊の目から逃れて安全に暮らせる所はなかったのです。また、航海するにも、冬の海に死の危険を冒して出るか、それとも海賊のうじゃうじゃいる海に奴隷にされる危険を承知で出て行くしかなかったのです。
これほど大規模で不名誉で広範囲に拡散したな積年の戦いを将軍たちが総出でとりかかったとしても一年で終えられると誰が思ったでしょうか。あるいは将軍一人でとりかかったらいつか終えられると誰が思ったでしょうか。31
ここ数年の間皆さんはどの属州も海賊から守れなかったのです。どの貢納国もどの同盟国も守れなかったのです。皆さんの艦隊は誰の支援にも向かわなかったのです。恐怖心から多くの島が放棄され、同盟国の多くの町から人影が消えて海賊に奪われたのです。
第十二章
しかし、私はどうして遠い国の話をする必要があるでしょう。確かにかつてのローマ人にとっては、祖国から遠く離れたところで戦い、帝国の砦によって自分たちの家を守るのではなく、同盟国の運命を守ることが本来の役割でした。
ところが、ここ数年は我国の軍隊は真冬以外にブルンディシウムから海を渡ることがなくなっていたのですから、同盟国にとって海の道が閉ざさていたのは当然だったのです。
ローマの使節を身請けするために金が支払われるようになっていたのですから、海外からローマへ向かった人たちが海賊の餌食になっていたのは仕方がなかったのです。ローマの権威ある役人が海賊の捕虜になって いたのですから、海が商人たちには安全でなくなっていたのは当然だったのです。32
ご存知のように、ローマの港や皆さんの生活を支えている多くの港が海賊たちの支配下にあったのですから、クニドスやコロフォンやサモスなどの名だたる無数の都市が海賊に占拠されていたのは当然だったのです。
それとも船に満ちたラティヌムの有名なカイエタ港が法務官の目の前で海賊に奪われたのを皆さんはご存じないのでしょうか。かつてミセヌム岬(=ナポリ近郊)で海賊と戦った人の子供が同じ場所で海賊にさらわれたのをご存じないのでしょうか。
皆さんが近くで見ている前でローマの執政官の艦隊が海賊に拿捕されて沈められたのですから、オスティア(=ティベルス河口)が海賊に襲われてこの国の不名誉な汚点となったのは仕方がなかったのです。
ああ、まさにその時です、たった一人の人間が信じがたい神がかりの力を発揮して、短い間にこの暗闇の中から我国を救い出したのです。その結果、皆さんは、ついこの前までティベルス川の河口の前まで敵の艦船が現れていたのに、今では地中海に海賊船が出る話も一切聞かなくなったのです。33
そして、皆さんは既にご存じのことですが、これが如何に迅速に達成されたかというお話をこの演説から省くわけにはいきません。
誰があれほど短期間にあれほど多くの土地を訪れ、あれほど多くの航海を出来たでしょうか。そんなことは商売に携わって利益を追求する商人たちでさえも不可能ことだったのです。ところが、グナエウス・ポンペイウス氏の率いる艦隊はそれをやってのけたのです。
まだ航海が危険な時期だというのに、彼はシシリアに渡り、アフリカを偵察して、そこからサルディニアに艦隊とともに向かいました。こうして彼は強力な艦隊の軍事力で我国の三つの穀倉地帯の安全を確保したのです(=前67年)。34
彼はそこからイタリアに戻ると、スペインの二つの属州と外ガリアを艦隊の軍事力によって平定しました。さらに彼はアドリア海の沿岸地方とアカイアなどの全ギリシアに艦隊を送りました。こうして彼はイタリアの二つの海を最強の艦隊と最強の軍事力で守ったのです。一方彼自身はブルンディシウムから出港すると、全キリキアのローマ帝国への併合を四十九日間で成し遂げました。
こうして至る所にいた海賊は全てがことごとく捕まって殺されたか、彼一人の命令と支配のもとに降伏したのです。クレタの海賊(=メテッルス・クレティクスの攻撃を受けていた)がパンフィリア(=小アジア南部)にいるグナエウス・ポンペイウス氏のもとに助命嘆願する使節を送った時も、彼は降伏の願いを受け入れて人質の返還を要求しました。
長期にわたり膨大な地域に拡散して全ての国と民族を苦しめてきた海賊との戦いを、グナエウス・ポンペイウス氏は以上のように、冬の終わりに準備して、春の初めに開始して、夏の盛りに完了したのです。35
第十三章
グナエウス・ポンペイウス氏が指揮官として人間離れした信じがたい能力を持っていることは以上で明らかでしょう。
先ほど話しかけましたが、さらに、彼はそれ以外にも多くのすぐれた能力に恵まれています。というのは、すぐれた指揮官には戦争を遂行する能力だけではなく、それを助ける多くのすぐれた能力が求められるからです。
まず第一に指揮官たるものは並外れた高潔さが要求されます。さらに、指揮官はどんな場合にも節度があり、信頼感があり、人望があって、頭がよく、人情の厚い人間であることが要求されます。
それらの能力についてグナエウス・ポンペイウス氏の場合を少し考えてみましょう。ローマ市民の皆さん、グナエウス・ポンペイウス氏はその全てにおいて最高の能力の持ち主ですが、ほかの人たちと比較すればよけいに明らかになるでしょう。36
というのは、自分の軍隊の百人隊長の位を売りにだして実際に売ってしまったようなとんでもない指揮官がいるからです。また、戦争遂行のために国庫から取り出した金を属州欲しさに政治家たちにばらまいたり、貪欲に利息を稼ぐためにローマに置いていくような、まったく愛国心のかけらもない指揮官がいるのです。
ローマ市民の皆さん、皆さんのそのざわめく様子から、そんなことをする指揮官が誰であるかすでにお気づきのようですね(=前55年の『ピソー弾劾』88、86に同様の指摘)。しかし私は誰であるか言うつもりはありません。ここで私に腹を立てる人がいるとしたら、それは自分のことを言われていると認めた人だということになります。
同様にして、我国の軍隊が行く先々の人たちにひどい損害をかけているのは、指揮官たちの貪欲さのせいであることは、誰でも知っていることなのです。37
ここ数年、我国の指揮官たちがイタリアにあるローマ市民の田畑や町々を行軍したときのことを思い出してみてください。そうすれば、彼らが国外で何をしているか皆さんにも容易に判断がつくでしょう。
ここ数年の間、あなた達の兵隊が冬営して破壊した同盟国の町と、あなた達の兵隊が戦って破壊した敵の町とではどちらが多いと思われるでしょうか。自分の欲望を抑えられない指揮官は兵隊の欲望を抑えることはできないし、人から厳しく批判されるのを嫌がる指揮官は兵隊を厳しく批判できないからです。38
この点でグナエウス・ポンペイウス氏が他の指揮官たちよりはるかに勝っているのは驚くべきことではありません。彼の軍団がアジアに到着してからは、この大軍が友好国の人々に暴力をふるうどころか誰一人傷つけることがなかったと言われています。
今もグナエウス・ポンペイウス氏の兵士たちがどのように越冬しているかの報告が書簡や伝聞で毎日届いていますが、彼は兵士の給料を住民に支払わせたりすることがないのはもちろん、そのような申し出も断っているそうです。
というのは、我々の父祖たちは同盟国や友好国の人たちの家を冬の避難所にすることを望みこそすれ、そこを欲望の発散場所にしようとは思っていなかったからです。39
第十四章
皆さん、よろしいですか。考えても見てください、彼の自制心の強さはこの他にもどれほど多くの事でも見られるかを。
彼の進軍が信じられないほど迅速なのはどうしてでしょうか。彼が最果ての地までこんなに早く辿りつけたのは、漕手の力が優っていたからでも、聞いたことない航海術のせいでも、神風が吹いたからでもありません。それは、彼の軍隊は他の軍隊の進軍を遅らせるようなことには見向きもしないからです。
彼の軍隊は、欲に駆られて略奪に走ったり、女に目が眩んで快楽にふけったり、自然の風景を見て楽しんだり、名勝地に立ち寄って観光したり、疲れて休息をとったりするために、予定した進路から外れることがないのです。特にギリシアの町々の彫刻や絵画などの装飾品は、他の将軍なら手を伸ばさずにはいられないものですが、グナエウス・ポンペイウス氏はそんなものには一顧だにしないのです。40
ですから、この地方の人たちは誰もがグナエウス・ポンペイウス氏はローマから来たのではなく、まるで空から降ってきたかのように思っているのです。昔のローマ人は自制心が強かったという話は外国の人たちの間では今では信じがたい嘘だと思われていました。ところが、それは本当だったと、今やっと彼らは信じ始めているのです。
今や我々の帝国の栄光がこの地方の人々に希望の光を投げ始めているのです。外国の人たちは自分たちの祖先が、他の国を支配下に入れるよりはむしろローマの支配下に入ることを選んだのは、決して故なきことではなかったのだ、それは当時のローマの政治家には自制心があったからだ、と理解するようになっているのです。
さらにグナエウス・ポンペイウス氏は地元民に広く門戸を開いているので、彼らは人から受けた被害の訴えを心置きなく彼に伝えることができると言われています。その結果、彼は王侯にもまさる権威の持ち主なのに、最下層の人間にも対等に付き合える親しみやす人だと思われているのです。41
彼がすぐれた判断力と演説の能力をもっていて、そこに指揮官に相応しい威厳があることは、ローマ市民の皆さんはこの場で何度も聞いてご存じでしょう。
皆さんは彼が同盟国の人にどれだけ信用されていると思われますか。彼は敵国の人間からも誰よりも信用できる人間だと思われてきたのです。彼はまた非常に慈悲深い人なので、彼と戦っている時は彼の戦いの才能をひどく恐ていた敵が、彼に敗れたあとでは彼の慈悲深さに感謝するようになるのです。
それなのに、この度の大戦をこの人に任せることをためらう人が誰かいるでしょうか。彼こそはまさに今の時代の全ての戦いを終わらせるために、神慮によって我々にもたらされた人間なのです。42
第十五章
さらに、戦争の遂行にも軍の指揮にも名声というものが大きな力を持っています。この点でもまたグナエウス・ポンペイウス氏が最も優れていることは誰の目にも疑いのないところです。
我々の指揮官を敵と味方がどう思っているかが、戦争を遂行する際に甚だしく重要なことは誰でも知っていることです。戦場においては確たる理由がなくても、評判や噂だけで人々が軽蔑や恐怖や憎悪や愛情といった感情に駆られるのを私は知っています。
では、世界でかつてこれほど有名な人が誰かいたでしょうか。かつてこれほど戦果を上げた人が誰かいたでしょうか。皆さんがこれほど高い評価を与えた人が誰かいたでしょうか。そして皆さんの評価が彼の高い名声を生み出したのです。43
この演壇から見える公共広場と全ての神殿に詰めかけているローマの民衆が、世界中の人々を巻き込んだこの戦いをグナエウス・ポンペイウス氏ただ一人に任せることを全員で求めたというこの日のニュースは、世界の津々浦々にまで伝わるのです。
戦争において指揮官の名声が大きな意味を持つことを証明するのに、私はこれ以上多言を弄する必要もなければ、他の指揮官の例を引く必要もありません。グナエウス・ポンペイウス氏その人の優れた功績を見れば充分なのです。
かつて彼が皆さんによって海賊退治の指揮を任された日に、それまで供給不足で高値になっていた小麦が突然値下がりして、平和な時代の豊作の年にもなかったほど安くなったのは、まさに彼の名声の賜物なのです。44
さらに、私が先ほど不本意ながら言及した黒海の敗戦の後には、アジア属州には充分堅固な守備隊が不在で、敵の軍事力と士気はますます増大して、同盟国は怯えきっていたのですから、ローマ市民の皆さん、もしその危機に際して、ローマにとって幸いなことに、たままたグナエウス・ポンペイウス氏がその地域にやって来ていなければ、皆さんはアジア州を失っていたことでしょう。
稀有な勝利に舞い上がっていたミトリダテスは、まさに彼がやって来たことによって大人しくなり、大軍を擁してアジアの脅威となっていたティグラネス王は動きを止めたのです。そして、彼の名声の威力はこれ程のものなのですから、彼の実際の戦闘能力がどれ程のものであるかは誰でも容易に想像がつくでしょう。
自分の名声だけで同盟国と貢納国を敵の攻撃から守ったのですから、彼に軍隊と指揮権が与えられたら、それらの国々の安全を確かなものにするのがどれほど容易であるかは明らかでしょう。45
第十六章
さらに、これほど短期間にこれほど広範囲の全ての敵が彼一人の前に降伏した事実もまた、ローマの敵の間におけるグナエウス・ポンペイウス氏の名声の高さを物語っています。
クレタには我国の指揮官(=クイントゥス・メテッルス)と軍隊が既にいたというのに、クレタを代表する使節がはるか彼方のグナエウス・ポンペイウス氏のところにやって来て、クレタの全ての町が彼に降伏することを望んでいると伝えたのです。
さらには、あのミトリダテスもスペインにいるグナエウス・ポンペイウス氏のもとに使節を送ってきたのです(=前75年)。もっともポンペイウス氏は常にこれを使節と見做しましたが、彼のもとに使節を送ることを屈辱と感じる人達は使節ではなくスパイだと言い張りました。
ローマ市民の皆さん、彼の名声はその後の多くの功績と皆さんの高い評価によってますます大きくなったのですから、それがあの二人の王と外国の人々に対してどれほど大きな戦力となるか、皆さんはもうお分かりでしょう。46
私の仕事で残っているのは彼が運の良い男であることをお話しすることですが、これは神の領域に属することなので、許される範囲で控えめにお話しすることにします。誰も自分は運がいいと言うことは出来ませんが、他人の運のよさを語ることなら許されるでしょう。
私の考えでは、ファビウスにしろマルケッルスにしろスキピオにしろマリウスにしろ、多くの偉大な将軍たちはその能力の高さだけでなく、運の良さゆえにしばしば指揮権を委ねられて軍隊を与えられたのです。なぜなら、偉人たちが出世したり名声を得たり大きな戦争で勝利を収めることと運の良さが切り離せないと思われる例は確かにいくつもあるからです。
一方、いま話題となっているグナエウス・ポンペイウス氏の運の良さについては、彼は自分の運を自由に出来るなどとは申しませんが、控えめに見ても、これまでの彼の幸運を思い出せば、これからの彼の幸運にも期待できると思います。こんな言い方なら私は不死なる神々に傲慢な奴だとか恩知らずな奴だと思われることはないでしょう。47
したがって、グナエウス・ポンペイウス氏の意志にはローマ市民も同盟国も敵も、いやそれどころか天候や風向きさえも常になびいてきたのですが、私は彼が国の内外の陸海でどれほどの功績をどれほどの運の良さで成し遂げてきたかを述べるつもりはありません。
ただ私はこれだけは言えるでしょう。それは神々の寵児たるグナエウス・ポンペイウスと同じ幸運を私にも下さいと大胆にも神に祈るような不遜なやからはこれまでに誰一人いなかったということです。この幸運が永遠に彼のものであることを、ローマ市民の皆さん、この国と国民の安全のため、グナエウス・ポンペイウス氏のために、これまで同様これからもお祈り下さい。48
以上から、この戦いが避けられない重要な戦いであって、注意深く遂行すべき大きな戦いですが、それと同時に、皆さんは優れた軍事的知識と傑出した能力と並外れた名声と運の良さを兼ね備えた指揮官にこの戦いを委ねられることが分かったのですから、ローマ市民の皆さん、皆さんは天の恵みであるグナエウス・ポンペイウス氏にこの国の守りと発展を委ねることをどうしてためらうのでしょう。49
第十七章
たとえもし今この時にグナエウス・ポンペイウス氏が無官でローマにいるとしても、彼を指揮官に選んでこの大戦に送り出すべきところです。ところが、優れた多くの能力を兼ね備えた彼が軍隊を従えて偶然にもかの地に居合わせているのです。しかも彼は他に軍隊を持っている指揮官からすぐに軍隊を譲り受けることのできるのです。
我々はこれ以上何を期待すべきでしょうか。ですから皆さん、私たちは神の導きに従おうではありませんか。そして、これまで多くの戦いを任されてその度にこの国を救ってきたグナエウス・ポンペイウス氏に、私たちはこのミトリダテス王との戦いも委ねようではありませんか。50
ところが、国家を深く愛して皆さんの暖かい好意にも恵まれている有名なクイントゥス・カトゥルス氏(=前120頃~61年)も、高い地位と富と美徳と才能と数々の栄光に包まれたホルテンシウス氏も、この考えに反対しているのです。
彼らは多くの場合に皆さんに対して強い影響力を維持してきましたし、これからもそうあるべきであることは私も認めます。しかし、この問題に関しては、どれほど高名な有力者たちが反対しているとしても、私たちは彼らの意見を脇において、事実に基いて考えることで正解にたどり着くことが出来るのです。しかも、私がここまで話してきたこと、即ちこの戦いが重要で大規模でグナエウス・ポンペイウス氏だけが最高の能力を備えていることの正しさは彼らも認めているのですから尚更です。51
では、ホルテンシウス氏はどう言っているのでしょうか。彼はもし全権を一人に委ねるとしたら、ポンペイウス氏が最適であるが、全権を一人に委ねるべきではないと言っているのです。実は似たようなことを彼は前にも言っていたのですが、それはすでに言葉ではなく事実によって否定されています。
アウルス・ガビニウス(=ピソーの同僚執政官になった人)という立派な男が海賊征伐を一人の将軍に委ねるべきとする法案を提出した時、ホルテンシウス氏よ、あなたはその並外れた弁論の力を使って、彼に反対する説得力ある演説を元老院で行いました。さらにあなたはこの演壇からもその法案に反対する演説を長々とやったのです。52
その時もしローマの民衆が自分たちの安全と真の利益を忘れてあなたの意見を採用していたら、一体全体、今日の帝国の名誉と全世界の支配は守られているでしょうか。
それとも、ローマから派遣された財務官と法務官が海賊の人質にされていたあの頃、公私にわたる属州との交通がまったく途絶えていたあの頃、海がことごとく閉ざされて海を越えた公私にわたる貿易に携わることが出来なくなっていたあの頃にも、あなたはこの帝国は守られていると思っていたのでしょうか。53
第十八章
かつて広く海洋を支配していたと言われるアテネや、艦隊と海戦で一大勢力をなしたカルタゴや、最近まで航海術で名声を保ってきたロドスはもちろんのこと、これまで一体どこの小国が、どこの小さな島国が、自国の港も田畑も海岸も自力で守れなかったでしょうか。
ところが、我々の時代に至るまで海戦で無敗の名声を誇っていたあのローマが、なんとガビニウス法が成立する前の数年の間、その収益だけでなく名誉ある帝国の支配の大部分を失っていたのです。54
我国の父祖たちは艦隊によってマケドニアのアンティオコス王とペルセウス王に勝利し、海洋のことを熟知したカルタゴ人を海戦でことごとくうち破っています。ところが、最近の我国は海賊たちにまったく歯が立たなくなっていたのです。
かつてローマは全イタリアだけでなく、遥か彼方の全ての同盟国の安全を帝国の威信で守っていたのです。ですから、例えばデロス島はローマから遠く離れたエーゲ海にあって、あらゆる人たちが至る所から商品と荷物を持ち寄る、富に満ちた城壁もない小さな島ですが、当時は何も恐れるものがなかったのです。
ところが、最近のローマは属州どころかイタリアの海岸や港も、アッピア街道さえも守れなくなっていたのです。それなのに当時のローマの政治家たちは、我国の父祖たちが敵船から分捕ってきた戦利品が飾り付けてあるこの演壇に恥ずかしげもなく登っていたのです。55
第十九章
ホルテンシウスよ、あのようなことを言うあなた達が善意に満ちていることを当時のローマの民衆はよく承知していましたが、この国の安全が危機に瀕して不安に苛まれていたローマの民衆はあなた達の意見に従わない道を選んだのです。
そして一つの法律を成立させて一年間一人の人間に全権を委ねたおかげで、我々はあの不幸で惨めな状態から解放されたのであり、我々はやっと本当にあらゆる民族と国々を海でも陸でも支配していると思えるようなったのです。56
ですから、ガビニウスを副官にしたいというグナエウス・ポンペイウス氏の願いの邪魔立てをするためにガビニウスを、いやポンペイウス氏を、いやもっと正確にはこの両者を批判するのは、なおさら恥ずべきことだと私は思うのです。
ほかの指揮官たちが同盟国や属州を略奪するために自分の望む副官を連れて行ったというのに、この大戦のために自分の望む副官を要求するグナエウス・ポンペイウス氏の願いは聞き入れられないというのでしょうか。
あるいは、ガビニウスが提案した法律によってローマとあらゆる国々の安全と名誉が確保されたというのに、自分が知恵を絞って命がけで実現させた指揮官と軍隊の名誉に、ガビニウスはあずかるべきではないというのでしょうか。57
ガイウス・ファルキディウス、クイントゥス・メテッルス、クイントゥス・カエリウス・ラティニエンシス、グナエウス・レントゥルスら、ここに敬意を表してに名を挙げる人たちは、護民官をやり終えて翌年副官になれたというのに、ガビニウスの法律によって行われるこの戦争で、ガビニウスが護民官として提案して実現したこの指揮官と軍隊において、ガビニウスは副官になる特別の権利があるはずなのに、それを彼らは細かいことを言って反対するのでしょうか(※)。
※ 自分が提案した法律の実行者に自分はなれないというリキニウス法があることを指している。それに例外を作るためにキケロは元老院決議を要求する。
彼が副官に任命されることを、執政官が元老院に提案することを私は期待しています。もし執政官がそれに躊躇したり煩わしく感じるなら、必ずや私が元老院に提案しましょう。誰もこれに反対する命令を出すことはないでしょうから、私は皆さんの支持を頼みに皆さんが与えてくれた権利(♯)を実行するでしょう。
私は護民官の拒否権以外に耳を貸すつもりはありません。彼らが拒否権を発動しようと考えているとしても、彼らは自分たちに何が許されているかをしっかりとよく考えることでしょう。
ローマ市民の皆さん、海賊との戦いとそれに続く戦いにおいてただ一人ガビニウスがグナエウス・ポンペイウス氏の同僚に任命されることに私が賛成しているのは、一人の将軍によって海賊と戦うべきことを皆さんに提案したのはガビニウスであり、皆さんに委ねられた戦いをやりぬいたのがグナエウス・ポンペイウス氏だからです。58
♯ 法務官が元老院決議を提案する権利
第二十章
残るはクイントゥス・カトゥルス氏の忠告についてお話しするだけです。彼は「もしグナエウス・ポンペイウス君一人に全てを委ねてしまったら、その彼に何かあった時に、諸君は誰に希望をつなぐのか」と、皆さんに問いかけました。すると、皆さんは全員声を揃えて「閣下ご自身に!」と言いました。こうして彼は大いに面目を施したのです。
確かにカトゥルス氏は、どんな大きな仕事でもどんな困難な仕事でも、それをこなすだけの知恵と、それを続ける誠実さと、それを完成する能力を備えた人間です。しかしながら、今のこの問題については私は彼とは大きく意見を異にしています。なぜなら、人の命は短く不確かなものであるからこそ、死すべき神々が許したまう限りにおいて、この国は優秀な人の命と才能を活用すべきなのです。59
「だが、我らの父祖たちの前例や慣例に反した新奇なことははすべきではない」と彼は言うかもしれません。しかし、言うまでもないことですが、我らの父祖たちは平時には慣例に従いましたが、戦時には臨機応変にやってきたのであり、新たな危機的状況には新たな考え方を採用してきたのです。
また、カルタゴとスペインを相手にした二度の大戦を終わらせたのも一人の指揮官であり、我が帝国にとって最大の脅威となっていたカルタゴとヌマんティアという二つの強国を滅ぼしたのもスキピオ一人だったことは言うまでもありません。最近では、皆さんと皆さんの父親たちがガイウス・マリウス一人に帝国の希望を委ねて、ユグルタとの戦いも、キンブリ人との戦いも、チュートン人との戦いも彼一人に任せることを決めたことは言うまでもありません。60
カトゥルス氏はグナエウス・ポンペイウス氏について前例のない決定を望まないと言っていますが、皆さんご存じのように、カトゥルス氏はグナエウス・ポンペイウス氏のためにこれまで極めて多くの前例のない決定に全面的に賛成してきたのです。
第二十一章
国家の難局に際して私人でしかない若者が軍隊を集めるほど前例のないことがあるでしょうか。ところが若きグナエウス・ポンペイウス氏はそれをやったのです。その軍隊を私人が指揮するほど前例のないことがあるでしょうか。ところが彼はそれを指揮をしたのです。私人がその軍隊を指揮して勝利をおさめるほど前例のないことがあるでしょうか。ところが彼は勝利をおさめたのです。
元老になる年齢からかけ離れた若者に軍隊と指揮権を与えて、その若者をシシリア(=前82年)とアフリカに派遣して属州の戦いを指揮させるほど前例のないことがあるでしょうか。ところがグナエウス・ポンペイウス氏はこれらの属州でその類いまれな高潔さと威厳と能力を発揮して、アフリカの大きな戦争を終わらせて、軍に勝利をもたらしたのです。
ローマの騎士階級の人間(=グナエウス・ポンペイウス)が凱旋式をあげることほど前例のないことがあるでしょうか。ところが、ローマの民衆はこれを目にしただけでなく、誰もが彼の凱旋行進に詰めかけて熱心に祝ったのです(=前81、71年)。61
二人の高名な執政官(=ブルータスとレピドス、前77年、スペイン戦)がいるというのに、その執政官たちの代わりにローマの騎士階級の人間を危険な戦場に送るほど前例のないことがあるでしょうか。ところが私達はグナエウス・ポンペイウス氏を送ったのです。
当時、執政官の代わりに一私人を戦場に送ることに反対する人がいましたが、それに対してルキウス・フィリッポスは「私は一人の執政官の代わりに彼を送るのではなく、二人の執政官の代わりに彼を送ることに賛成する」と言ったと伝えられています。二人の執政官の仕事を一人の若者に委ねるほどに、この才能ある若者に託された勝利への期待は大きかったのです。
公職につくことが法律で許される年齢になる前に、法を度外視した元老院決議によって執政官になるほど前例のないことがあるでしょうか。ローマの騎士階級の人間が元老院決議によって二度も凱旋式をすることが認められるほど前例のないことがあるでしょうか。これまでの歴史の中で多くの人に対して前例のない決定がなされましたが、それを全部足してもこの人一人に対する決定の数には及ばないのです。62
しかも、グナエウス・ポンペイウス氏について見られるこれほど多くのこれほど重要でこれほど革新的な前例の数々は、クイントゥス・カトゥルス氏を始めとする多くの権威ある偉人たちによって提案されたものだったのです。
第二十二章
そして、グナエウス・ポンペイウス氏を特別に抜擢する彼らの提案はいつも皆さんによって承認されてきました。それなのに、今回のグナエウス・ポンペイウス氏についての皆さんの判断とローマの民衆の提案を彼らが承認しないなどという、不当で耐え難いことがあってはなりません。彼らはそのような事態は避けるべきです。
かつて皆さんは、彼らが異議を唱えたにもかかわらず、すべての人達の中から海賊との戦いを指揮させるために彼一人を選び出したのですから、今やローマの民衆は彼らの異議に反してグナエウス・ポンペイウス氏についての自らの主張を貫くことが許されるのです。63
もし当時皆さんが国家のことをろくに考えもせずに、この主張を気まぐれに言い出したのなら、あの偉人たちがいま自分たちの意見によって皆さんのポンペイウス氏に対する熱意を抑えこもうとするのは正しいと言えるでしょう。
しかし、もし当時皆さんが国家のことをよく考えて、彼らが反対しても皆さんが自分自身の判断によってこの帝国に名誉を施して世界に平和をもたらしたのなら、遂には彼らも他の人達もローマの全民衆の意見に従うべきことを認めざるをえないでしょう。
さらに言うなら、このアジアにおける王たちとの戦いには、グナエウス・ポンペイウス氏の類いまれなる軍事的才能だけでなく、多くの様々な能力が必要とされています。
アジアとキリキアとシリアなどの内陸の王国では、我らの指揮官は敵との戦いに勝利することだけを考えていては成功はおぼつかないからです。さらに、仮に羞恥心と自制心があって比較的穏やかな統治をする指揮官がいるとしても、大勢の欲深い指揮官たちのおかげで誰も彼らがそんな人たちだとは思わないのが現状です。64
ローマ市民の皆さん、ここ数年海外の国々を統治させるために送り込んだ人たちのひどい行状のせいで、私たちがその国々の人々からどれほど憎まれているかはとても言葉では言い表せないほどです。それらの国々の神殿や都市や家のうちで、我々の総督たちによる略奪や破壊や残虐行為をまぬがれたものが一つでもあったと皆さんは思われますか。彼らは自分の略奪欲を満たすために財宝や物資の豊かな町を探しまわっては、戦争をしかける口実を見つけ出そうとしているのです。65
私はこの問題について是非カトゥルス氏とホルテンシウス氏などの高名な人達と是非差しで議論したいところです。なぜなら彼らも同盟国の被害についてはよくご存知であり、彼らの災難をその目で見ておられ、彼らの訴えを耳にしておられるからです。
はたして皆さんが送っている軍隊は同盟国のために敵を懲らしめる軍隊なのか、それとも敵を口実にして同盟国と友邦国を痛めつける軍隊なのか、どちらだと思われますか。指揮官やその副官はもちろんのこと、一人の兵士長の傲慢な要求を充分に満たせるような国はアジアにはどこにもないのです。
第二十三章
ですから、戦争で王たちの軍隊に勝てると思える人が見つかったとしても、もしその人が同盟国のお金にも女性にも子供たちにも、神殿や町の装飾品や王の財宝にも、手を出さないどころか目もくれない人でなければ、アジアの王たちとの戦いに送るには適していないのです。66
これまでローマと友好国になった国が裕福なままでいたことがあったでしょうか。これまで裕福な国が指揮官たちに友好国だと思われた国があったでしょうか。
ローマ市民の皆さん、かつて海に面する国々の人達がグナエウス・ポンペイウス氏の派遣を求めたのは、彼の軍事的な名声のためだけでなく、彼の高潔な精神のためでもあったのです。なぜなら、ローマが艦隊を送ってきても、いつも戦いに負けてローマの恥をさらして帰って行くだけであり、属州総督たちは一部の例外を除いて毎年公金を貯めこんで裕福になっているのを彼らは見てきているからなのです。
一方、グナエウス・ポンペイウス氏一人に全てを委ねるべきではないという人たちは、属州に向けて旅立つ人たちがどんな貪欲を抱いているか、どんな浪費と金儲けを目当てにしているかを恐らく知らないのです。しかし、グナエウス・ポンペイウス氏が特に立派に見えるのは彼自身の美徳のおかげであって、けっして他人の悪行のおかげではありません。67
ですから、長年同盟国の町に軍隊を率いてやって来て歓迎された唯一の指揮官であるグナエウス・ポンペイウス氏に全権を委ねることを、皆さんは躊躇してはなりません。
ローマ市民の皆さん、もし私のこの主張を権威ある人たちの支持によって強化したいと思われるなら、皆さんには百戦錬磨で経験豊かなプブリウス・セルウィリウス氏という支持者がいます。彼は陸海の戦いで非常に大きな功績をあげた人なので、皆さんが戦争について考えるときに最初に相談すべき人です。
さらに皆さんにはガイウス・クリオ氏という支持者がいます。彼は皆さんの支持を得て高い地位について大きな功績を上げた人ですが、豊かな才能と先見の明に恵まれた人でもあります。
さらに皆さんにはグナエウス・レントゥルス氏という支持者がいます。彼が皆さんに与えられた高い地位に相応しい高い見識と権威の持ち主であることはご存知のとおりです。さらに皆さんには誠実さと美徳と堅実さ備えたガイウス・カッシウス氏という支持者がいます。ですから、皆さんは彼らの支持を背にして、私たちの考えに反対している人たちに反論することができるのです。68
第二十四章
以上のような次第なので、ガイウス・マニリウスよ、第一に、私は君のこの法案、その意見、その考え方に敬意を表して強く支持していますし、第二に、私はローマの民衆に支持された君が誰かの暴力や脅しを恐れずに、その意見を守り通すように励ましたいと思っています。
第一に、私は君には充分な勇気と粘り強さがあると思いますし、第二に、これほど多くの民衆がこれほどの熱意をもって、同じ人に再び指揮を執らせたいと集まっているのを私たちは目の前にしているのですから、この法案の価値についても、これを成立させる私たちの能力についても、何も疑うことはないのです。
私自身もまた、自分の情熱と知恵と努力と才能と、そしてまた、ローマの民衆に与えられた支持と法務官としての権限と、私の持つ権威と信用と不屈の精神の全てを、この法案を成立させるために、皆さんとローマの民衆に捧げることをお約束します。69
私はこの主張をするにあたって、誰かに頼まれたからでもなく、グナエウス・ポンペイウス氏の好意を得るためでもなく、危険からの保護や出世の手助けを高い地位にある人から求めるためでもないことを、全ての神々に誓います。特にこの神聖な場所の守護神として政治に携わるすべての人々の心を見通しておられる神々に誓います。
なぜなら、人知の許す限りにおいて、我が身の危険は自らの身を潔く保つことによって容易に排除できるでしょうし、我が身の栄達は他人の贔屓でも広場における演説でもなく、皆さんの願う限りにおいて、自らの勤勉な生き方によって達成できるはずだからです。70
ですから、ローマ市民の皆さん、私がこの主張のためにこれまでに行ってきたことは、全てがこの国のためであることを確言します。私のこの行動は決して誰かの好意を獲得するためではありません。むしろ、私はこの件であからさまな敵だけでなく隠れた敵を不必要に沢山作ってしまったことをよく知っています。しかし、皆さんにとってこれは必要なことだったのです。
ローマ市民の皆さん、私は皆さんから多大な支持を受けてこの地位を与えられたからには、私の個人的な利益をすべて後回しにして、皆さんのご意向と国家の名誉と属州と同盟国の安全を第一に考えることを決心したのであります。71(おわり)
Translatedinto Japanese by (c)Tomokazu Hanafusa 2014-4.11