キケロ『フォンテイウス弁護』


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PRO FONTEIO

キケロ『フォンテイウス弁護』(前69年、37歳)


属州ガリア総督フォンテイウス(前77〜72年の間の3年間)の不当利得をガリア人が訴えた裁判をキケロが弁護する。

[1]  それが決まり事でなかったとしても、フォンテイウス氏(=前84年都市財務官)はほかのみんなと同じようにして国の負債を返済したのであります。と言うのも、陪審員のみなさん、私はフォンテイウス氏を弁護するにあたって、ウァレリウス法(=ルキウス・ウァレリウス・フラックス、前86年補任執政官)が施行されて以降、君(=告発人マルクス・プラエトリウス)が財務官だった年も含めてティトゥス・クリスピヌスが財務官の年(=この裁判の前年の前70年)まで、全員が同じやり方で国の負債を返済したと主張するからであります。この被告人(=フォンテイウス)は前任者全員を手本にしたのであり、彼の後任者は全員彼を手本にしたと私は言っているのであります。

[2] 君は何を告発し、何を非難しているのか。何故なら、陪審員の皆さん、プラエトリウス君は、借金を4分の1にする帳簿はヒルトゥレイウス(=ウァレリウス法を最初に施行した財務官)によって導入されたと言いながら、その帳簿についてフォンティウス氏が義務を果たしていないと言い張るのは、彼が勘違いしているからか、それとも皆さんを勘違いさせようとしているからか、どちらなのか私には分からないからであります。そこで、マルクス・プラエトリウス君、君に質問しよう。フォンティウス氏は君に非難されていることについて、もし君がことさら称賛しているヒルトゥレイウスを手本にしているとしたら、君は我々の主張を受け入れてくれるだろうか。ところが、君がヒルトゥレイウスを称賛している点について、フォンティウス氏はそれと同じようにしたことが明らかになっているのだ。

君はフォンティウス氏の負債の返済の仕方を問題にしているが、公開された帳簿からはヒルトゥレイウスも同じように返済したことが証明されている。君はヒルトゥレイウスが借金を4分の1にする帳簿を作ったことで彼を称賛しているが、フォンティウス氏もまた同じ種類の借金について同じようにして帳簿を作ったのだ。と言うのは、君が知らずに、その帳簿が別の種類の古い借金に関わるものと考えてはいけないので言うが、その帳簿は同じ理由で同じ種類の借金に関して導入されたものだからだ。実際、アフリカの徴税請負人たちと、アクイレイア(=ヴェネティアから西へイリュリアに向かうイタリアの国境の町)の通行税を請負った徴税請負人たちが…時に…

[3]  …急いで…。陪審員の皆さん、財務官時代のマルクス・フォンテイウス氏に1セステルティウスでも渡したと言う人は一人もいないし、借金の返済に当てられた金を彼が着服したと言う人も一人も、いいですか、一人もいないのです。ですから、帳簿からはこの人がお金をちょろまかしたという証拠も、お金の損失や不足の跡も見つからないでしょう。そもそもこのような裁判で告訴された人は、証人によって非難されるのが見られるものです。なぜなら、通常、役人に金を渡した人間は憎しみに駆られたり義務感に促されたりして証言する気になるのが普通だからです。また、何かに遠慮して証人が発言を控える場合でも、帳簿は必ずや改竄されずに残っているはずなのです。

仮に証人が全員フォンティウス氏の友人であると仮定しましょう。また、これほど多人数の見ず知らずの赤の他人である証人が彼の命を惜しんだと仮定しましょう。また、彼の名声に対して遠慮したと仮定しましょう。しかし、それにも関わらず、実際には記録の性質からも帳簿の構成からも、入金と出金に改竄や抜き取りや矛盾があれば一目瞭然なのです。君が言う人(上記、フォンテイウスに金を渡した人)たちも、ローマ人から入金した金は全て帳簿に記入しているのです。もしすぐに同じ高額の金を他人(=フォンテイウス)に払ったり渡したりして、ローマ人からの入金を誰かに支出することがあっても、少なくとも抜き取ることは出来ないのです。しかしもし、彼らが家に持ち帰ったなら、彼らの金庫から…

[4]  神々もご照覧あれ。2300万セステルティウス(=フォンテイウスに渡った金)に関する証人は見つかっていないのです。いったいどれほどの人間が関わっているのでしょうか。600人以上の人間が関わっているのです。このやり取りはどこで行なわれたのでしょうか。皆さんの目の前のあの国庫で、いいですか、あの国庫で行われたのです。異常な金のやり取りがあったのでしょうか。とんでもありません。全ての金のやり取りには膨大な記録が残っているのです。数歩で登れる国庫よりもアルプス山脈を好んで登り、ローマ人の国庫よりもルテニ人(=ガリア人)の国庫を熱烈に信じて、よく知られた証人よりも知らない証人を、わが国の証人より外国の証人を好んで使い、ローマ人の記録よりも野蛮人の欲望によって犯罪を明白に証明しようと考えるとは、これは何という告発でありましょうか。

[5] 陪審員の皆さん、彼が三人委員(=造幣監督官)と財務官という高額の金銭を取り扱って管理する二つの政務官だった期間については、衆人環視の元で行われて多くの人に関わり、公私の帳簿に記録されている数々の取り引きにおいて、どんな横領の証拠もどんな犯罪の疑いも見つかっていないと報告されています。

[6] 次に、フォンテイウス氏はヒスパニア(=外ヒスパニア)で副官に就任しましたが、それは政情が混乱しきっていた時代で、ルキウス・スッラの大きな軍隊がイタリアにやって来て(=前83〜81年)市民たちが法廷と法律によってではなく武力で争っていました。また、このように共和国が絶望的な状態にあって、どんな…。

[6]の残りから[7]〜[10][11]の初め部分は欠落している。

[11]  この人が総督(法務官)のとき(=前74〜72年)、ガリア州(=ガリア・トランサルピナ州、現代の南仏プロバンス)はひどい借金で打ちのめされたと…。借り換えのために誰がそんな莫大な借金をしたと言うのでしょうか。ガリア人でしょうか。決してそんなことはありません。では誰でしょうか。このガリア州で商売をしているローマ市民たちなのです。彼らの証言を聞こうではありませんか。彼らの帳簿を法廷に提出させようではありませんか。陪審員の皆さん、私はこちらから攻勢に出て告発人に要求しているのです。そうです、私は攻勢に出て証人を要求しているのです。この訴訟で私は他の弁護人が証人を拒否するために使うよりも多くの労力を、証人を要求するために使っています。陪審員の皆さん、私の主張は向こう見ずに聞こえるでしょうが、闇雲に主張しているのではありません。このガリア州はローマの市民権を持つ商人たちで一杯なのであります。ローマ市民抜きでガリア人だけで商売はしていないのです。このガリア州ではローマ市民の帳簿なしには1セステルティウスも動かないのです。

[12] 陪審員の皆さん、私がどこまで踏み込もうとしているか、私がいつものやり方と用心深さと注意深さからどれだけ離れようとしているかご覧ください。彼らはマルクス・フォンティウス氏に金が渡ったことを示す記録が残っている帳簿を一つでも提出すべきなのです。彼らは多くの商人、植民、徴税請負人、牧畜業者の中から証人を一人でも出廷させるべきなのです。そうすればこれが正当な告発であることを私も認めるでしょう。ところが、不死なる神々よ、これは何という訴訟でしょうか。何という弁護でしょうか。

フォンティウス氏は属州ガリアを統治していましたが、そこに住むガリア人たちは、古い話(=カピトリウム占拠)は省けば、一部は、私たちの記憶にあるだけでも、ローマ人と長く苛酷な戦いをした人たちであり、一部は、最近私たちの将軍の軍門に下った人たち、最近戦いで征服された人たち、最近戦勝記念碑に汚名を刻まれた人たち、最近土地と都市を元老院に没収された人たちであり、一部は他ならぬマルクス・フォンティウス氏と戦闘を交えて、さんざ手こずらせた挙句に、ローマの支配と統治のもとに落ちた人たちなのです。

[13] この属州のナルボ・マルティウス(=今のナルボンヌ)には、ローマ市民の植民都市が、ガリア民族に対するローマの前哨基地兼防壁として置かれています。また同様にして、既に述べた(=失われた部分を指すか)ように、都市マッシリアが置かれています。ここには勇敢で忠実な同盟者たちが住んでおり、ローマ人から軍隊と報酬をもらってガリア戦争の危険を防いでいるのです。この属州にはそのほかに大勢のローマ市民とローマ騎士階級の高貴な人たちが住んでいます。

 このような様々な人たちが住んでいるこの属州を、すでに述べたように、マルクス・フォンティウス氏が統治していたのです。彼は敵だった人々を降伏させ、最近降伏して土地を没収された人々をその土地から強制的に退去させました。また、大きな戦いに何度も敗れてローマ人に永遠に服従している別の人々からは、当時世界中でローマ人が行っていた戦い(=前74年のミトリダテス戦争)のために騎兵の大軍を要請し、その騎兵の俸給のために大量の資金を徴発し、さらにヒスパニアの戦争を支えるために大量の穀物を供出させたのです。

[14] 陪審員の皆さん、これだけの戦功をあげた人がいま告発されているのです。皆さんはこの事件の当事者ではありませんが、ローマの民衆と利害を共にしながら、この訴訟を審理なさるのです。彼を訴えているのは、彼に命令されることが不満だった人たちであり、ポンペイウスの命令で土地を退去させられた人たちであり、戦争の殺戮と敗走の中からいま初めて丸腰のマルクス・フォンティウス氏に対して大胆にも手向かっている人たちであります。では、ナルボー市の植民たちは何を望んでいるでしょうか。どう思っているでしょうか。彼らは皆さんがフォンティウス氏を救うことを願っているのです。彼らはフォンティウス氏からは損害を受けなかったと思っているのです。マッシリアの人たちはどうでしょうか。彼らはこの被告人に最高の勲章を贈った人たちです。彼らはここに来ていませんが、彼らの善意、彼らの推薦、彼らの権威が皆さんの心に大きな影響を与えたと言われる結果になることを、皆さんに望んでいるのです。

[15] さらに、ローマ市民たちは何を望んでいるでしょうか。これほど多くの人たちの誰もが、属州と帝国と同盟国とローマ市民から感謝を受ける最高の権利がフォンテイウス氏にはあると考えているのです。

こうして皆さんは、誰がマルクス・フォンテイウス氏に対する攻撃を望んでいるか、誰が彼の救済を望んでいるかが分かったのですから、皆さんは、皆さんの植民たち、皆さんの商人たち、友好的な古くからの同盟者たちを信じて、彼らの望みをかなえるのか、それとも、その怒りのために信じるべきでなく、その不誠実さのために尊敬すべきでない人たちを信じて、その人たちの望みをかなえるのか、どちらにするかを、ご自分たちの公正さとローマ人という地位の要請にしたがって、決断していただきたいのです。

[16] さらに、もし私がこの被告人の勇気と無実を証明出来る立派な人たちはもっと大勢いると言っても、それでも、それらの人たち全員の最高の権威よりも、ガリア人の共謀した意見の方が皆さんには重要でしょうか。陪審員の皆さん、フォンテイウス氏がガリアを統治していた時、ローマ人の大きな軍団と高名な将軍が両ヒスパニアにいたことは皆さんもご存知でしょう。イスパニアの彼らのもとに、どれほど多くのローマ騎士階級の人たち、どれほど多くの軍司令官、どれほど多くの立派な副官たちが、何度(=ガリア州を通って)駆けつけたことでしょうか。そのうえ、グナエウス・ポンペイウス氏の傑出した巨大な軍団は、マルクス・フォンテイウス氏の統治するガリア州で越冬しているのです。もう充分ではないでしょうか。マルクス・フォンテイウス氏が総督の時にガリアで何があったかを証明するのにふさわしい証人がこれほど沢山いるのです。皆さんにはこれはまさに運命の配剤だとは思えないでしょうか。ところが、これほど大勢の人たちの中から、皆さんはこの法廷に証人として誰も出廷させることが出来ないのです。では、この大勢の人たちの中で皆さんが信用できると思うお気に入りの人はどなたでしょうか。その人を今から私は弁護側の証人にしたいと思います。

[17] 陪審員の皆さん、皆さんは私が最初にお話したことがまさに真実であることをまだお疑いでしょうか。この裁判の目的は、この国のために何度も徴発されて大いに不満を持つ人たちの証言によってマルクス・フォンテイウス氏を打ちのめすことで、今後、他の総督たちの支配に手加減を加えさせることなのであります。彼らはローマ帝国の安全を保つためには欠かせない人々が攻撃されるのを目にしているのですから。

マルクス・フォンテイウス氏は道路工事(=ドミティア街道、ナルボーからピレネー)から利益を得たという告発がなされています。それは道路工事を免除したり、工事の結果を無条件に承認して対価を得るというやり方です。もし道路工事に全員が駆り出され、また多くの工事の結果が否認されたのなら、定めしどちらも捏造だということになります。すると、誰も仕事を免除されなかったのに免除されたことに対価が支払われ、多くの結果が否認されたのに承認したことに対価が支払われたことになります。

[18] さらに、たとえこの告訴をこの国の最も優れた人たちに振り向けることができるとしても、それでも皆さんは怒れる証人たちを信じてマルクス・フォンテイウス氏にすべての責めを帰するつもりでしょうか。こう言うのは、罪を他人に転嫁するためではなく、あの道路工事の監督をしていたのは自分の仕事に責任を持って承認できる人たち(=フォンティウスの副官たち)だったと言うためなのです。

実際、マルクス・フォンテイウス氏はもっと大きな国家的事業のために手がふさがっていて、ドミティウス街道の建設は国益に関わるものだったので、自分の優れた副官であるガイウス・アンニウス・ベリエヌス氏とガイウス・フォンテイウス氏にその仕事を任せていたのです。その結果、彼らが監督をして、彼らが自分の権限の範囲内で正しいと思う仕事を命令して、その結果を承認したのです。

この経緯を皆さんは他から知ることは出来なくても、皆さんが書き写した我々の側の往復書簡から確実に知ることが出来たのです。もしそれを皆さんが読んでおられなかったら、フォンテイウス氏が自分の副官たちに書いた内容と、副官たちが彼に返信した内容を読み上げますから、これらの事実についてご審理願います。副官ガイウス・アンニウス宛の書簡と副官ガイウス・フォンテイウス宛の書簡、副官ガイウス・アンニウス発の書簡と副官ガイウス・フォンテイウス発の書簡。

[19] 陪審員の皆さん、この道路工事の方針はマルクス・フォンテイウス氏のものではなく、誰も批判できない人たちの立てたものであることは、いまや充分に明らかだと思います。

次にぶどう酒に関する容疑についてご審理願います。彼らはこれは最も憎むべき重大な犯罪だと主張しています。プラエトリウス君によりますと、この容疑の構成要件は次のようになっております。つまり、もともとガリアにいる時にはマルクス・フォンテイウス氏はぶどう酒(=イタリア産)に関税をかけようとは考えていなったのに、この方針を決定済みとしてローマを出発した(=マージンを受け取る取り引きをしたと疑われているらしい)。

この結果、ティトゥリウス氏(=副官)がトロサ(=トゥールーズ)でぶどう酒1アンフォラ当たり4デナリウスを徴収し、クロドゥヌム(=カステルノーダリ、トゥールーズから南東61キロ)ではポルキウス氏とムニウス氏が3.5デナリウスを、ウルカロー(=カルカッソンヌ、トゥールーズから南東93キロ)ではセルウァエウス氏が2.5デナリウスを徴収した。またこれらの地域では、トロサとナルボー(=地中海に面するナルボンヌ)の間の町コビオマグム(=ブラム、カステルノーダリとカルカッソンヌの間)に泊まるがトロサまでは行かない人からも関税が徴収され、エレシオドゥヌム(=オード県のモンフェラン、トゥールーズの南東45 キロ)ではガイウス・アンニウス氏が敵国(=ルテニ族)へぶどう酒を運ぶ人から6デナリウスを徴収した、と言うことであります。

[20] 陪審員の皆さん、これはその種類において非常に大規模な犯罪であり(この税はわが国の産品に課せられたと言われており、この方針によって莫大な金を集めることが出来たのは私も認めます)憎しみを買う点では最大級の犯罪であります。と言うのは、彼の個人的な政敵たちはこの犯罪の重大さを噂を通じて広めようとしたからであります。

しかし、嘘が明らかな容疑であっても内容が重大であれば、それだけこの容疑を捏造した人のもたらす被害は甚大なものとなると私は思うのです。なぜなら、彼の狙いはこれを聞いた人たちの心を内容の重大さで覆い尽くして、真相に到達することを困難にすることだからです。

ぶどう酒に関する容疑について
ウォコンティ族との戦いについて
越冬地の場所の設定について

[21] 「しかしそのことについてはガリア人は否定している」と言うかもしれません。しかしながら、物事の理屈と数々の証拠はその事実を証明しています。「すると、陪審は証人を信用できないというのか」。しかし、欲深くて、怒っていて、共謀していて、良心のかけらもない証人は、信用できないだけでなく信用してはなりません。実際、もしガリア人の証言によってフォンテイウス氏を有罪だと見なすべきなら、賢明な陪審と公平な裁判長と優秀な弁護士がどうして必要でありましょうか。

「ガリア人がそう言っているからだ。そのことを我々は否定出来ない」。この場合にもし証人が言っているから何の躊躇もなくその言葉を信じるべきだというのが賢明で公平で経験に富んだ陪審の役割だと皆さんが考えるなら、救いの神サルスでも無実の勇敢な男たちを守ることは出来ないでしょう。しかし、逆にもし裁判において個々の事実の評価とその重要性を検討するためには陪審の賢明さが非常に重要だと皆さんが考えるなら、おそらく皆さんの審理の方が私の弁論よりはるかに大きくて重い意味を持つことになるのです。

[22] というのは、私は証人に対する個々の事実についての尋問は常に一度だけ簡潔に行わねばならず、怒った証人に発言の機会を与えず、欲深い証人に権威を与えないために、しばしば尋問を控えねばならないからであります。それに対して、皆さんは同じ事実について何度も検討できるだけでなく、個々の証人についてももっと長時間審理することができるのであります。また、もし我々が誰かの尋問を控えることにした場合には、皆さんはその理由を考えていただかねばなりません。したがって、もし皆さんが証人の言うことを信じるのが法的な定めであり義務であると考えるなら、陪審の優劣や頭の良し悪しを評価する理由はなくなってしまいます。というのは、耳で聞いたことをそのまま単純に受け入れる能力なら、頭の良し悪しに関わらず、誰にでも同じように生まれつき備わっているからです。

[23] では、頭の良さが発揮されるのはいつでしょうか。耳で聞いたことを単純に信じる頭の悪い人と、誠実で頭のいい陪審員の違いはどんな時に明らかになるでしょうか。それはもちろん、陪審が証人の証言を聞いて、それにどれほどの信憑性があるのか、つまり、どれほど心の平静と慎み深さと誠実さと真面目さと、名誉に対する熱意と注意深さと恐怖心をもって証言がなされたかを推測して検討する時であります。

それとも、我々と我々の父祖たちの時代の賢明な陪審員たちが、しばしばわが国の著名な人間についてさえも躊躇せずに行なおうとしたことを、皆さんは野蛮人の証言について行なうのをためらうのでしょうか。いわゆる「新人」だったクイントゥス・ポンペイウス(=前141年執政官)を弾劾するグナエウス(=前141年執政官)及びクイントゥス・カエピオ(=前140年執政官)とルキウス(=前142年執政官)及びクイントゥス・メテッルス(=前143年執政官)の証言は信用されなかったのであります(=前138年)。なぜなら、彼らの有能さと生まれの高貴さと国への貢献に基づく彼らの信用と証言の信憑性は、彼らの欲望と敵意に対する疑いによって損なわれていたからです。

[24] 知恵と威厳と誠実さなどの美徳だけでなく、傑出した地位と才能と功績において、マルクス・アエミリウス・スカウルスに匹敵する人物を、いったい私たちは知っているでしょうか。またそんな人物を私たちは思い出すことができるでしょうか。ところが、宣誓なしのうなずき一つで世界を支配したこの人の宣誓証言は、ガイウス・フィンブリアを告発した時にも、ガイウス・メンミウスを告発した時にも信用されなかったのであります。誰であれ自分の憎む相手を証言によって排除することは許されないのであり、陪審員たちはそのような敵意の乱用を拒否したのであります。また、ルキウス・クラッススが非常に慎み深く賢明で信頼できる人であることは誰でも知っています。しかしながら、彼の言葉は法廷証言と同じ権威があったにも関わらず、マルクス・マルケッルスを敵意をもって告発したときには、彼の証言は信用されなかったのであります。

[25] 陪審員の皆さん、これらの裁判を担当した陪審員たちには、まさに、神のごとき比類のない才知が、そうです、神のごとき叡知があったのです。彼らはどれが捏造された証言か、どれが偶然や時流に流された証言か、どれが賄賂によって堕落した証言か、どれが希望と恐怖に歪められた証言か、どれが敵意などの感情を動機とする証言かを、被告人だけでなく原告と証人についても、自分たちが判断すべきであると考えていたのであります。もし陪審員たちがこの全てを自分たちの叡知で把握することも、心と精神でよく観察することもしないで、法廷で言われたことを神託のごとくに受け入れるべきだと考えるなら、きっと既に私が言ったように、耳が聞こえる人がこの仕事を担当するだけで充分だということになるでしょう。そうなれば、陪審員として事件を裁くために、知恵ある人や経験豊かな人が求められる理由はなくなるでしょう。

[26] それとも、私たちがいま見たローマ騎士階級の人々、最近までこの国の法廷を支配していたローマ騎士階級の人々には、ルキウス・クラッススやマルクス・スカウルスの証言を信用しないだけの根性と不屈さがあったが、皆さんにはウォルカエ人とアッロブロゲス人の証言を信用しないだけの度胸はないとでも言うのでしょうか。しかし、敵意のある証人は信用すべきでないのであります。では、市民同士の党派の争いや国内の中傷から生まれたマルクス・マルケッルスに対するルキウス・クラッススの敵意や、ガイウス・フィンブリアに対するマルクス・スカウルスの敵意の方が、被告人に対するガリア人の敵意よりも大きいとでも言うのでしょうか。ガリア人は最も幸運な人たちでさえも、騎兵と穀物とお金を一度や二度でなく何度も無理やり供出することを強いられた人たちなのです。その他のガリア人たちは、過去に戦争で土地を没収された人たちや、まさに今回の戦いに敗れて征服された人たちなのです。

[27] また、何かの利益のために欲に駆られて証言する人は信用すべきではありません。では、自分たちの政策を批判するクイントゥス・ポンペイウス(=既出)が有罪になれば彼を厄介払い出来るカエピオたちとメテッルスたちが期待した利益は、マルクス・フォンテイウス氏が破滅すれば属州ガリアが税免除と自由を得られると考える全ガリアの利益よりも大きいとでも言うのでしょうか。また、人間そのものに注目するのが正しいことであり、証人については疑いなくそれが最も重要なのであります。では、ガリアの最高の地位にある人をわが国の最高の人たちと同列に扱うだけでなく最下層のローマ市民とも同列に扱うべきだとでも言うのでしょうか。インドゥティオマルス(=アッロブロゲスの族長)は証言するとはどういうことか知っていますか。彼は私たちの誰もが法廷に引き出されたときと同じように恐怖に震えていますか。

[28] 陪審員の皆さん、皆さんは証人として法廷に立つときに、慎みを失なって感情に駆られて証言していると見られないように、いつも証言内容だけでなく言葉遣いにどれほど苦労しているか思い出してみて下さい。さらに、皆さんは何らかの感情が顔に出ないように苦労しておられます。それは証言に立つときに、暗黙のうちに自分が高い道徳心の持ち主であると思われるためであり、証言を終えるまでそう思われ続けるためであります。

[29] まず第一に我々の習慣となっている慎重な言い回し、我々が自分で確かに知っていること、自分で見たことを宣誓して証言するときにも使う「〜と思う」言葉を、インドゥティオマルスはすべての証言から排除して、何についても「知っている」と言いましたが、彼は定めしあの証言に際して我々と同じ恐怖を覚え、我々と同じ事を意図していたことでしょう。というのは、きっとインドゥティオマルスは皆さんやローマ人の間で自分の評判を落とさないように気を使って、「あの男は、これこれの男で、欲得ずくで出鱈目を言った」というような評判が立つのを恐れていたはずだからです。彼は証言に際しては、自国民に対しても我々の告発人に対しても、自分の声と厚顔と図々しさだけを見せればいいとは思っていなかったはずなのです(=皮肉)。

[30] それとも皆さんはこの民族が証言するときに宣誓の厳粛さや不死なる神々に対する恐れに震えているとお考えでしょうか。彼らは他の民族の風習や国民性とは大きく異なっていて、例えば他の民族は自分たちの宗教のために戦争を起こすのに対して、この民族はあらゆる人々の宗教を敵として戦争を起こすのであります。また他の民族は不死なる神々に戦争をする許しと平和を求めるのに対して、この民族はまさに不死なる神々を相手に戦争してきたのであります。

かつて世界の神託所を略奪して破壊するために自分たちの本拠地を旅立ってはるばるデルフィにあるピュティアのアポロン神殿まで行ったのはこの民族なのです(=前278年、ウォルカエ・テクトサゲス族)。我らの父祖たちはユピテル神の名において真実の証言を義務付けようとしましたが、カピトリウムの丘を占拠してそのユピテル神を包囲したのも、敬虔で誠実な証言をする(皮肉)この同じ民族なのであります(=前387年)。

[31] 最後に、彼らは何かの恐れに駆り立てられて神々を宥めようとする場合でさえ、人間を生け贄にして神々の祭壇と社を汚す人たちなのであります。つまり、彼らはまず宗教を犯罪行為によって犯さない限り、宗教を実践することさえできないのであります。そんな彼らにとって、敬虔さや誠実さが何かの意味を持つことがあるのでしょうか。彼らが人身御供という残酷で野蛮な習慣を今日まで維持していることを誰が知らないでしょうか。こうして彼らは不死なる神々さえも人間に対する流血の犯罪によってたやすく宥めることが出来ると考えているのです。そんな彼らにどんな誠実さ、どんな敬虔さがあると、皆さんはお考えでしょうか。皆さんはこのような証人に皆さんと同じ誠実さがあると考えるおつもりでしょうか。彼らが何かを敬虔に慎み深く話すことがあると見做すおつもりでしょうか。

[32] この3年間にガリアに出かけた軍団長たちも、あの属州にいたローマ騎士階級の人たちも、あの属州の商人たちも、最後にガリアにいるローマの同盟者や友人たちも、全員がマルクス・フォンテイウス氏が無罪になることを望んで、公私に渡って宣誓して彼を賞賛しているのです。それにも関わらず、皆さんは敬虔で汚れのない心を持ちながら、ガリア人と一緒になって彼を抹殺することを選ぶおつもりでしょうか。皆さんは何を根拠にして判断するおつもりでしょうか。人々の意見でしょうか。もしそうなら、皆さんにとってはローマ市民の意見よりも敵の意見のほうが重要だと言うのでしょうか。それとも証人たちの立場を根拠にして判断するのでしょうか。もしそうなら、皆さんにはよく知っている人たちよりも見知らぬ人たちを優先したりできるのでしょうか。公平な人たちより不公平な人たちを、ローマ人よりも外国人を、慎み深い人たちよりも欲深い人たちを、金銭ずくでない人たちよりも金銭ずくの人たちを、誠実な人たちよりも不誠実な人たちを、信頼できる良き同盟者と市民たちよりもこの国とこの国民に敵対する人たちを優先したりできるのでしょうか。

[33] あるいは、陪審員の皆さん、皆さんはあの民族のどの国民もローマ人に対して根深い敵意をもって行動しているとは思わないのでしょうか。不正を被った人たちはいつも陪審の助けを求めて腰をかがめて懇願するときは控え目で謙虚な気持ちになるものですが、外套とズボンを身につけてこの辺りを闊歩する彼らがそんな気持ちでいると皆さんはお思いでしょうか。彼らはけっしてそんなことはないのです。それとは正反対に、彼らは野蛮で恐ろしい威嚇の言葉を吐きながら、意気揚々と公共広場をあちこちうろついているのです。陪審員の皆さん、私は告発人たちの口から「もし彼が無罪になれば新たなガリア戦争が起きないように気をつけろ」という忠告を皆さんといっしょに何度も聞かなかったら、彼らがそんなことをするとは信じられなかったでしょう。

[34] 陪審員の皆さん、もしマルクス・フォンテイウス氏がこの訴訟の全てにおいて不利な立場にあって、青春時代が恥ずべきものであり、悪名高い人生を送り、皆さんの前で彼が行なった政治が不正だらけで、良き人たちの証言によって糾弾され、軍団長としては悪事を重ね、家族全員からも嫌われて法廷に引き出されているとしても、また、もしこの裁判で彼がナルボネンシスのローマ人の植民たちと、ローマに忠実この上ないマッシリアの同盟者たちと、全ローマ市民の証言と文書によって追い詰めらているとしても、それでも皆さんは、ガリア人に恐れをなしたとか、彼らの脅しに屈したと思われないように、大いに気をつけねばなりません。なぜなら、皆さんは、ガリア人はご自分たちの父親や先祖が打ち倒した蔑(さげす)むべき連中だとお聞きになったはずだからであります。

[35] ところが今や良き人たちは誰も被告人を非難しないばかりか、皆さんの全ての同胞市民と同盟者たちの誰もが彼を賞賛している一方で、彼を攻撃しているのは何度もローマとローマ帝国を攻撃したのと同じ人たちなのです。また、マルクス・フォンテイウス氏の敵たちが皆さんとローマ人に対して脅し文句を口にする一方で、彼の友人たちと親戚は彼のために皆さんに懇願しているのです。このような状況で票決に臨む皆さんは、名誉と名声を非常に大切にする皆さんの同胞市民だけでなく、海外の国民と民族に対して、敵に屈するよりはローマ市民を救うことを選んだことを見せつけるのをためらうのでしょうか。

[36] ああ、神よご照覧あれ、陪審員の皆さん、彼を無罪放免にすべき理由は色々ありますが、次の理由が重要であります。それは、もし元老院とローマ騎士階級とローマの民衆がガリア人の証言ではなく彼らの脅し文句に影響されて、彼らの望み通りの判決を下したという話がガリアに伝われば、明らかに不名誉な汚点がこの帝国につくということであります。

もしそんなことになって、彼らが戦争を企むことになれば、我々は戦いにかけてはあのインドゥティオマルスの脅しと傲慢さに負けないガイウス・マリウスをあの世から呼び戻さねばならないでしょう。あるいは、アッロブロゲス族とこの前の戦い(=前121年)の残存勢力を武力でもう一度打ち破って征服するために、グナエウス・ドミティウスとクィントゥス・マキシムスをあの世から呼び戻さねばならないでしょう。あるいは、それは出来ないからには、私の友人であるマルクス・プラエトリウス君に頼んで、彼の新規の依頼人たちを戦争から引きとめて、彼らの怒った心と恐ろしい衝動を抑えてもらわねばならないでしょう。あるいは、彼にそれが出来ないなら、彼の補佐告訴人であるマルクス・ファビウス君に頼んで、アッロブロゲス人の間ではファビウス家の名前が轟いているのですから、彼らの気持ちを和らげてもらうことになるでしょう。そして、もし彼らが敗者や従属民の習いである恭順の姿勢を取らずに威嚇の挙に出るなら、ローマ人は戦いを恐れるどころか、勝利への野望を抱くことになると彼らに分からせることになるでしょう。

[37] しかし、被告人が破廉恥な人間であってもガリア人の脅しが功を奏したと思われてはならないのですから、被告人がマルクス・フォンテイウス氏の場合には、皆さんはどうすべきかお分かりでしょう。陪審員の皆さん、マルクス・フォンテイウス氏については―裁判が二度の公判を経て終盤に差し掛かった今こそこれは言っておかねばなりません―マルクス・フォンテイウス氏については、皆さんは敵方から破廉恥な行為についての偽りの告発どころかでっち上げの中傷さえも聞かなかったのであります。しかしながら、特にこのような人生を送ってきた人、選挙運動をし、公職に就き、支配権を行使してきた人で、告発されて被告人となりながら、強欲や厚顔や無謀さから生まれるどんな不行跡も、どんな犯罪も、どんな不名誉な行動も一切告発人からは申し立てられず、真実どころか、何らかの動機や疑惑をにおわす作り話さえも語られることがない、そんな人がどこにいるでしょうか。

[38] 私はわが国の傑出した人物マルクス・アエミリウス・スカウルス氏がマルクス・ブルートゥス(=暗殺者とは別人、職業告発人、『義務について』2巻50節参照)に訴えられた時のことを覚えています。その時スカウルス氏に対して数多くの嘘の告発がなされたことが分かる演説が残っているのです。それが嘘であることを誰が否定するでしょうか。それにも関わらず政敵たちは彼に向かってそんな事を言って攻め立てたのです。さらにマニウス・アクィッリウス氏も、ルキウス・コッタ氏も、プブリウス・ルティリウス氏(=『スカウルス弁護』2節)も、数多くの嘘の告発をされています。最後のルティリウス氏だけは有罪になりましたが、彼は当時の最も立派で高潔な人間の内に数えるべきだと思います。要するに、彼は誰よりも厳格で禁欲的な生き方をしていましたが、裁判では密通と強姦の容疑で数多くの嘘の告発をされたのであります。

[39] 私の考えではわが国で最も才能あふれる最も雄弁な演説家ガイウス・グラックス(前154~121年)が行ったある演説が残っています。その演説の中で彼はルキウス・ピソー(前133年執政官)に対して数多くの恥ずべき犯罪を告発しているのです。しかし、相手が悪すぎました。ルキウス・ピソーは美徳と高潔さに溢れており、善人だらけのあの素晴らしい時代において、ただ一人フルギ(正直者)とあだ名された人だったからです。グラックスから彼を民会に召喚せよと命じられた伝達吏は「ピソーは沢山いますが、どのピソーでしょうか」と言ったところ、グラックスは「自分の政敵を『正直者』とあえて私に呼ばせる気かね」と言ったのです。彼は政敵でさえもまず誉め言葉で呼ばなければ、誰のことか充分伝えられないような人だったのです。彼はあだ名だけで誰であるかだけでなくどんな人間であるかが明らかな人だったのに、それにも関わらず破廉恥な容疑で偽りの不当な告発を受けたのであります。

[40] ところが、マルクス・フォンティウス氏は今回二度の公判で告発されましたが、彼に対しては欲深さ、厚顔さ、残忍さ、無謀さの跡を示すような事は何一つ申し立てられなかったのであります。告発人たちは被告人の非行を何一つ暴露しなかったばかりか、被告人の言葉遣いさえも批判しなかったのです。

彼らには被告人を打ちのめす意志と悪口を言う大胆さはありますが、もしそれと同じくらいに嘘をつくだけの知恵と、事実を捏造するだけの才能があったなら、マルクス・フォンティウス氏は、聞くに耐えない非難にさらされて、先に述べた人たちと同じ不幸にまみれたことでしょう。つまり、陪審員の皆さん、彼は正直者、そうです、まさに正直者であり、人生全般において慎み深く節度があり、道徳的心と責任感と誠実さに満ちた人間なのであります。そんな彼が皆さんの誠実さと皆さんの判断次第の立場に追い込まれており、しかも彼が皆さんの庇護に託され、皆さんの決定に委ねられているのは、皆さんご覧の通りであります。

[41] ですから、正直で勇気ある立派なローマ市民を敵意に満ちた野蛮な民族の手に引き渡すのが正しいのか、それとも友人たちの手に戻すのが正しいのか、よくお考えください。何と言っても全ての事実は、無実の被告人の救済を皆さんの心に訴えかけているのです。その第一には家系の古さがあります。我々も知るように彼の家系は名高きトゥスクルムの町の出であり、数々の戦功の記録にその名を刻む由緒ある家系なのです。次に彼の家は代々法務官を輩出してきました。彼らの政治手法は様々な美徳で輝いていましたが、特にクリーンな政治という評判では際立っていました。次にまだ生々しい彼の父親の思い出があります。彼が殺害されたことは、それを実行したアスクルム人の手だけでなく、あの同盟市戦争(=前90年)全体を犯罪の汚名でけがすことになったのであります。最後に彼本人はその人生全般において清廉潔白であり、軍事面では最高の知恵と勇気の持ち主であるだけでなく、実戦面で現役中最も抜きん出た経験の持ち主なのであります。

[42] ですから、皆さんには忠告は不要でしょうが、もし私から忠告を必要とされるなら、軍事における能力と熱意と運の良さの持ち主であることが明らかな人たちに含まれるこの人の命を守るべく注意深い判断をお下しになるよう、僭越ながら一言ご忠告してよいかと思います。なぜなら、この国にはかつてこのような人材が豊富に存在しましたが、その頃でさえも、彼らの命だけでなく彼らの名誉に対する配慮がなされたからです。今や若者たちの間では軍に対する熱意が忘れられ、勇敢な人々や優れた指導者が高齢になったり、社会の混乱と国の荒廃のために失なわれているのに、私たちは数多くの戦争をやむを得ず引き受けており、また数多くの戦争が思いがけず突発するという時に(=前70年代はスペイン戦争、ミトリダテス戦争、スパルタクス戦争が続いた)、皆さんはどういう行動が求められているのでしょうか。皆さんはこの国の危機の時代にまさにこの人間を救うべきであり、そうすることによって名声と美徳に対する多くの人たちの熱意を掻き立てるべきであると、考えておられるのではないでしょうか。

[43] 皆さん、先のイタリア戦争(=同盟市戦争)でルキウス・ユリウス、プブリウス・ルティリウス(=前90執政官)、ルキウス・カトー、グナエウス・ポンペイウス(=前89執政官)のそれぞれが連れていた副官たちのことを思い出して下さい。その時副官だったマルクス・コルヌートゥス(=前90年法務官)、ルキウス・キンナ(=前90年法務官)、ルキウス・スッラ(=前93年法務官)は法務官級の人間であり戦争経験の豊富な人たちだったことがお分かりでしょう。さらにガイウス・マリウス(=前107年執政官)、タティウス・ディディウス(=前98年執政官)、クイントゥス・カトゥルス(=前102年執政官)、プブリウス・クラッスス(=前97年執政官)と言った人々も軍事の知識を書物からではなく実際の戦争に勝つことで身につけた人たちだったのです。

では元老院の中に目を向けて、この国の内状をよくご覧下さい。皆さんは、このような人たちを懐かしむような事態は起こらないとお考えでしょうか。それとも、そのような事態が起きてもこのような人たちがローマには沢山いるとお考えでしょうか。もし皆さんがこの事を入念に検討されるなら、陪審員の皆さん、戦争に際して精力的に働き、危険に対して勇敢に臨み、経験と訓練に富み、作戦に明るく、危機に際して運の良いこの人を、皆さんはローマに敵対する国々と残虐な人たちの手に引き渡すのではなく、必ずやご自分とご自分の子供たちのためにこの国にしっかりとどめて置くことをお選びいただくことでしょう。

[44] しかし、ガリア人は事実上の戦闘態勢でマルクス・フォンティウス氏に向って大胆不敵に全力で突進して彼を取り囲んでいます。陪審員の皆さん、私にはそれが見えるのです。一方、私たちは皆さんの助けという強力な援軍を得て、あの耐え難く恐ろしい野蛮人に立ち向かおうとしているのです。最初に彼らに対峙するのはローマに忠実で友好的な属州であるマケドニア(=マケドニアから来た証人)であります。彼らはトラキア人の来襲からマケドニアの領土と多くの都市が守られたのはマリウス・フォンティウス氏のおかげであり彼の知恵と軍事力の賜物であるから、いま自分たちはこの人の命をガリア人の恐ろしい攻撃から守るつもりだと言っています。

[45] またもう一方には外ヒスパニア州が控えています。彼らはその規律正しさによってガリア人の貪欲さに対抗できるばかりか、彼らの証言と称賛演説によって邪悪な人間の偽証に反駁できるのです。またまさにガリア州からもローマに忠実で強力な援軍が来ています。この不幸な無実の被告人を助けるためにマッシリアの人たちが町をあげて来ているのです。マッシリアは、かつて自分たちを救った彼にお返しをするだけでなく、ガリア人がローマ人に害を与えるのを防ぐのはその地域を占める自分たちの使命だと考えているのです。

[46] 同様にしてナルボネンシスの植民市もまたマルクス・フォンティウス氏を救うために出撃して来ています。この植民市は被告人の力で敵の包囲から解放されたばかりですが、いま彼が不幸な危機に晒されているのを見て奮起したのであります。最後に、ローマ市民たちは、ガリアとの戦いに際しては当然のことながら、父祖たちの法と慣習に従って、この戦いで兵役免除を求める人間は一人もおりません。その属州(ガリア・トランサルピナ)の全ての徴税請負人と農民と牧畜業者と商人たちが、心と声を一つにしてマルクス・フォンティウス氏を支援しているのであります。

しかし、アッロブロゲス人と他のガリア人の指導者であるインドゥティオマルスは、我々のこの大量の援軍を軽視しているとしても、まさかこの人の母親である優れた女性、この不幸な女性の懐から被告人を、皆さんが見ている目の前で奪い取って引き離すつもりなのでしょうか。とりわけ、その傍らでウェスタの処女が血を分けた弟である被告人を抱きしめて、陪審員の皆さん、皆さんとローマ人による保護を懇願しているというのに。彼女は皆さんと皆さんの子供たちのために、何年にも渡って不死なる神々のご機嫌をとり結ぶことに従事してきたのですから、今回彼女は自分と自分の弟を救うために皆さんのご機嫌をとり結ぶことが出来るはずなのであります。

[47] 不幸な彼女がもしこの人を失うことになれば、彼女にはどのような保護と慰めが残されるのでありましょうか。実際、一般の女性なら自分の保護者を自分で産めるだけでなく、全財産を共に守り分かち合う人と暮らすことができるのですが、未婚の彼女にとって喜びとなる愛情の対象は弟以外には何があると言うのでしょうか。陪審員の皆さん、彼女が皆さんの判決を、不死なる神々と母なるウェスタの祭壇で日々嘆くことになるようなことは避けねばなりません。フォンテイアの夜の苦労と不寝番によって守られてきたあの永遠の炎が、彼女の涙によってかき消されたと言われる事態は避けねばなりません。

[48] ウェスタの処女が皆さんのために不死なる神々に対していつも伸ばしている嘆願の両の手を、今日は皆さんに対して伸ばしているのです。もし神々が彼女の嘆願を退けたならこの帝国の安泰は維持できないのですから、皆さんが彼女の嘆願を退けることは危険な思い上がりであり、そのような事は避けねばなりません。陪審員の皆さん、彼の母親と姉のことを私が話したときに、この勇敢な男マルクス・フォンティウス氏が突然滂沱の涙を流して泣き崩れたのをご覧になりましたか。彼は戦陣ではけっして怯むことがなかった人なのです。彼は武器をとって敵の軍勢の中に何度も突撃した人なのです。それはあのような危機に際して、彼は父親が自分に残したのと同じ慰めを家族に残せると信じていたからなのです。ところが、その同じ人が今は自分が家族の誇りにも助けにもなれないだけでなく、あまりにも辛い悲しみと共に永遠の不名誉と恥辱を不幸な家族に残すことになるのではと恐れて取り乱しているのです。

[49] マルクス・フォンテイウスよ、もしあなたがガリア人の偽証ではなくガリア人の槍で死ぬことを選べていたら、あなたの運命ははるかに違っていたことでしょう。そうすれば、勇気があなたの人生の友となったでありましょう、また栄光があなたの死の道連れとなったでありましょう。ところが実際には、あなたは、かつての勝利と支配の罰を、武力で敗れた者たちや服従を強いられた者たちの気まぐれによって受けることになるとは、何たる苦痛でありましょうか。陪審員の皆さん、この勇気ある無辜の市民をこの危険からお守り下さい。皆さんは外国人の証人ではなく私たちの証人を信じて、敵の欲望ではなく市民の安全を重んじて、全ての人の神殿と祭壇と戦う人たちの無謀さよりは、皆さんの祭事を司る巫女の嘆願を大切にしたことが明らかになるよう留意して頂かねばなりません。最後に、陪審員の皆さん、皆さんにとってはガリア人の脅しよりウェスタの処女の嘆願のほうが大きな力があったことが明らかになるよう心掛けて頂かねばなりません。それこそはローマ人の威信に最も大きく関わることなのであります。

断片集(欠落部分に該当すると思われるが順序等を含めて明白でないため末尾に集められている)

以下でCusはExcerpta Cusana
ニコラウス・クザーヌス(Nicolaus Cusanus、1401年 - 1464年8月11日)による引用集

[1] Cus1. しかし、それは何なのでしょうか。そこにはどんな論理が、どんな慣習が、どんな真実らしさがあるのでしょうか。論理とも慣習とも事の本質とも相容れないものを信じるべきなのでしょうか。

[2] Cus2. まさか、この疑惑はこんな不公平な人の判断に任せていいのでしょうか。

[3] Cus3. 自分の証言のなかに嘘と真実を混ぜる証人にどんな信憑性があるでしょうか。

[4] Cus4. 皆さんはまさにこの証拠を使って他の証拠を退けるべきなのです。

[5] Cus5. 嘘を覆い隠すもの

[6] Cus6. グナエウス・ポンペイウス氏は持ち前の並外れた勇気と運の良さによってヒスパニアでの戦い(=前76~71年、セストリウスとペルペルナの反乱鎮圧)を進めたのであります。

[7] Cus7. 勤勉と熱意によって

[8] Cus8. それはグナエウス・ポンペイウス、この最高の将軍、この勇気あふれる人の支えのもとで実施されたのであります。

[9] Aquila Romanus 33.14(アクィラ・ロマーヌスのラテン語文法書) Mart.Capell.482.2(マルティアヌス・ミンネウス・フェリクス・カペッラ『サテュリコン』) ガリアからの大量の穀物、ガリアから大量の歩兵、ガリアからの大量の騎兵。

[10]Amm. 15.12.4(アンミアヌス・マルケッリヌス『歴史』) (=関税のおかけで)このあとガリア人たちは毒だと思っていたもの(=ワイン)をもっと薄めて飲むことになるでしょう。

[11] Cus9. 彼ら(=原告のガリア人)は何のために戦い、何を企み、何を目指しているのでしょうか。

[12]Julius Victor RLM 397.18(ユリウス・ヴィクトル『ラテン語弁論家』) もし金が算出されていないなら、それはどの金の50分の1でしょうか。

[13]Quint. Inst. 6.3.51(クインティリアヌス『弁論術教程』) プラエトリウス君の母親は生きている間に学校(売春宿)を、死んでから教師(管財人)を雇い入れた(と言われています)。



Translated into Japanese by (c)Tomokazu Hanafusa 2018.5.26-8.17

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