キケロ『わが家について』



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DE DOMO SUA AD PONTIFICES
ORATIO M. TVLLI CICERONIS

キケロ『わが家について』(前57年9月29日)

第一章
 尊き神官の皆さん、我らの父祖たちは多くの素晴らしい制度を作り出してくれましたが、その中で何よりも素晴らしいのは、神々の宗教儀式を采配する人と国政の最高の地位を占める人は同じ人でなければならないと定めた事であります。その結果、高名な高官が共和国を運営しながら宗教を守り、宗教を正しく理解しながら共和国を守って来たのであります。

 そして、もし重大な問題がローマの神官たちの判断と采配に掛かる時があるとすれば、この問題こそはまさにそれであります。この問題は余りにも重要であるために、共和国のあらゆる名誉と、全ての市民の自由と生命財産の安全および家屋敷と祭壇とその神々の存立が、あげて皆さんの英知と信義と権能に委ねられていると思われるほどであります。1

 皆さんは今日この日に次の事を決めて頂かねばなりません。それは、皆さんがこれからは、正気を無くして堕落した政務官の手から不埒でヤクザな市民(=閥族派つまり良き人でない市民)たちの後ろ楯を奪いとるのか、それとも彼らに神々の儀式という新たな武器を与えるのかということであります。というのは、あの共和国の疫病神が護民官としてやったことは、人間の公正さという観点からはとうてい正当化できないものでありますが、彼がそれを不死なる神々の宗教によって正当化することを許されるとすれば、これからは別の儀式、別の神官、別の解釈者が必要となるからであります。

 しかし、尊き神官の皆さん、もし逆に、共和国がある者に抑圧され、ある者に見捨てられ、ある者に売り飛ばされていた時代に、不埒な市民たちの熱狂のもとに行われたことが、皆さんの権威と英知によって無効とされるなら、私たちは祭司の職に高位の人間を選ぶべきとした我らの父祖たちの方針をまさに称賛することが出来るのであります。2

 しかしながら、あの気の触れた男は、私がここ数日この元老院でこの国について提案したことに難癖をつければ、誰かのご機嫌をとれると思い込んでいるので、私は話の順序を変えて、あの気の触れた男の弁論に、いや弁論などということはあの男に出来るはずもありませんので、あの男の雄叫びに答えることにしましょう。彼はこんな事をいつもやっていて、誰からも咎められないのをいいことに、そんなやり方を我々には耐え難い図々しさで鍛えてきたのであります。

第二章
 そこでまず最初に、気狂いじみた君にお尋ねしたいのは、ここにいる人たちはその思慮分別だけでなくその姿それ自体によって共和国の名誉を維持している人たちです。それなのに、君は私がローマ市民を救うためにはグナエウス・ポンペイウス氏に仕事を任せるべきだという考えを表明したことに彼らが怒っているとか、これからは彼らが宗教の重要な問題について私の留守中とは異なる考え方をするとか、どうして思うのでしょうか。君は自分の悪事と不品行を罰する復讐の女神に悩まされたからではないのでしょうか。3

「当時あなたは神祇官たちに尊敬されていたが、民衆側に鞍替えした今ではあなたは彼らには不評に違いない(=民衆に人気のあるポンペイウスを支持したから)」とあの男は言っていますが、本当にそうでしょうか。無知な大衆の最大の欠点は定見というものがなく、天気のように気が変わりやすいことですが、君はその欠点をこの神祇官たちに当てはめるつもりでしょうか。しかし、彼らはその重要な地位のためにそのような定見のなさとは無縁なのです。また、宗教の不変の確固たる法と古くからの前例と権威ある記録文書は、そのような気まぐれを許さないのです。

「あなたは元老院にとって欠くことの出来ない人であり、あなたのために良識派の人たちが喪服を着たのであり、この国があなたの不在を嘆いた、あなたはそんな人ではないでしょうか。あなたが復帰することで元老院はその権威を取り戻したと私たちは思っていたのに、あなたは帰って来た早々に、その元老院の権威を裏切ったのでしょうか。」とあの男は言っています。私は自分の提案について述べる前に、まず君のこの恥知らずな意見に対して答えましょう。4

第三章
 共和国の疫病神である君は、武力と戦争の恐怖と執政官の悪事と乱暴者たちの脅しと奴隷の召集と神殿の占領と広場の占拠と元老院の抑圧によって、私を自分の家と祖国から退去して、閥族派の人たちが不埒な市民と戦う事態を避けるようにさせておきながら、元老院と全ての閥族派の人々とイタリア全土の人々が私を熱望して、共和国を守るために呼び戻して復権させたことを、君は認めるのでしょうか。

「しかし、あなたはあの混乱した日にカピトリウムの元老院に登院すべきではなかった。」と彼は言っています。5

 ところが、その大混乱している間、私は元老院には登院せずに家でじっとしていました。君が以前から閥族派の人々を殺すために用意していた奴隷たちが、悪人やゴロツキどもからなるいつもの君の手勢と共に武装して、君と一緒にカピトリウムにやって来ていることはみんな知っていたからです。

 私はこの知らせを受けたので、家に留まっていたのです。私に君と君の剣闘士たちに殺人を再開する機会を与えなかったのです。これは確かなことです。

 そのうち心配したローマの民衆が穀物の不足もあってカピトリウムの丘に集まって来ると、君の悪の手下たちはパニックになって剣を失ったり奪われたりしてちりぢりに逃げ去ったという知らせがもたらされたので、私は手勢も部隊も連れずにわずかな友人たちと一緒に元老院に登院したのです。6

 この国と私にとっての最大の貢献者である執政官のプブリウス・レントゥルス君に私は招かれていたのです。君の兄弟で私の政敵だったにも関わらず、私との反目よりも君の要請よりも私の名誉ある帰国を重んじてくれたクィントゥス・メテッルス(ネポス)君に私は招かれていたのです。私の口から感謝の言葉を聞こうと集まったあれだけ大勢の市民たちの群衆に私は名指しで呼び出されていたのです。しかも、彼らはつい最近私を助けてくれたばかりなのです。そして何より、君と君の逃亡者の一団があそこから立ち去ったことが確かだったのです。それなのに、私は元老院に登院すべきではなかったというのでしょうか。

 私がカピトリウムで二人の執政官によって開かれている元老院議会に出かけたからといって、君はよくも私を「カピトリウムのよそ者」と呼んでくれたものです。私はカピトリウムと全ての神殿の守りぬいた人間なのです。元老院に登院するのが恥辱である時があるというのでしょうか。それとも、審議されていた法案を私は拒否して、それを審議にかけた人たち(=執政官)を非難すべきだったというのでしょうか。7

第四章
 最初の問に対して私が言えることは、元老院に登院することは良き元老の義務だということです。やっかいな時には元老院に登院しないと決めている人たちとは、私は意見を異にするのであります。自分が妨害したい相手にとってはそんな愚かな考え方は好都合であることを彼らは理解出来ないのです。もっとも、中には元老院に行くと危険だと思って、恐怖心から元老院に登院しなかった人もいるそうです。

 私はそれを非難しませんし、何か心配すべきことがあったかどうかを詮索するつもりもありもせん。それぞれの人にはそれぞれの判断で心配すべきことがあると思います。私が何故心配ではなかったのかと君は聞くのでしょうか。それは君があそこから立ち去ったことが確かだったからです。閥族派の人たちの中に元老院は安全でないと考える人がいた時に、どうして私は同じように思わなかったのかと君は聞くのでしょうか。それなら聞きますが、私がローマに留まるのは安全ではないと考えた時、彼らはどうしてローマに留まったのでしょうか。それとも、私の恐怖を他の人たちが全く感じないのはよくて、私一人は自分の恐怖も他人の恐怖も感じなけれはならないというのでしょうか。8

 それとも、私はこの二人の執政官を批判する演説をしなかったのは間違いだと言うのでしょうか。この国に多大な貢献をした私が有罪判決も受けてもいないのに、有罪判決を受けた犯罪者による罰に耐えている状況を終わらせようと法案を提出してくれた彼らを、よりによってこの私が非難すべきだったと言うのでしょうか。

 彼らは私を救うために見せてくれた好意において抜きん出ていたのですから、彼らがたとえ間違いを冒したとしても、私だけでなく閥族派の人たちみんなが許すべきところなのです。その彼らは素晴らしい政策を提案している時に、よりによって彼らのお陰でかつての名誉を回復できた私が、彼らを批判すべきだったのでしょうか。

 しかし、私はどんな提案をしたというのでしょうか。それは第一に、私が民衆の会話を聞いて心に固めていたものであり、第二に、先日来元老院の中で広く話題になっていたものであり、さらに、元老たちの大多数が同調して支持したものなのです。したがって、私の提案はけっして急に出てきた予想外のものでもないのです。仮にこの提案に欠点があるとしても、それは提案者のせいではないし、ましてやそれを支持した人たちの誰のせいでもないのです。9

 元老院の判断は民衆の威圧の下で行われたので自由な判断ではなかったと言う人がいます。しかし、もし欠席した人たちが怯えていたと言うなら、出席した人たちは怯えていなかったことになります。その一方で、もし欠席した人ぬきでは何も自由に決議できなかったとしても、全員が出席した時に執政官がこの元老院決議を無効にする討議を始めようとしているのです。するとその討議は元老全員の異議によって退けられたのであります。

第五章
 しかし、私はこの提案の発起人であり支援者なのですから、この提案について考えて見ましょう。いったい何が間違っていると言うのでしょうか。まず、これまでにない新しい方針を打ち出さねばならない理由はなかったのかどうか(1)、次に、私はこの穀物供給の問題に特別な関わりがなかったのかどうか(2)、さらに、我々はもっと別の人に任せるべきだったのかどうか(3)。

 新しい方針を打ち出さねばならなかった理由とは、まさに飢餓であり、暴動であり、君と君の仲間たちが企んでいた計画だったのです。君はこの機会を利用して、無知な大衆を扇動して、穀物価格を口実に略奪行為をまた始めるつもりだったのです。10

 穀物を供給する属州が穀物を持っていなかったり、持っていても恐らく売り手の貪欲さから別の場所に移していたり、ローマが飢饉のときに支援物資としてすぐに送って喜ばれるために、見張りをつけて隠していたのです。それはあやふやな噂話ではなく、危機は目の前で起きていたのです。それは我々が推測で言っていたことではなく、既に我々の身に降り掛かっていたことなのです。

 穀物価格が高騰して、もはや価格の高騰ではなく完全な供給不足と飢饉の恐れが広まっていたのです。執政官メテッルスは元老院をコンコルディア神殿で開いていると、民衆がそこに集まってきたのです。もし民衆が集まってきた理由が本当に彼らの苦しみと飢餓だったのなら、執政官はその問題を取り上げて元老院は何らかの方針を打ち出すべきだったでしょう。しかし、穀物価格を口実に君が暴動をけしかけていたのなら、我々が全員で君の馬鹿げた計画の裏をかこうとしたのは当然のことではないでしょうか。11

 さらに、もし両方とも正しくて、飢饉が人々を暴動に駆り立てると同時に、君がこの傷口に出来た腫れ物のような存在だったのなら、元々の病だけでなくそこに発生した病を治す手当てを施す必要はなおさら大きかったのではないでしょうか。すなわち、穀物価格の高騰が目の前にあり、そのあとに飢餓が近付いていたのですが、それで終わらずに投石事件まで起こったのです。もし民衆の苦しみが投石の原因で誰も扇動していないのなら、これは深刻な病であります。しかし、もし投石の原因がプブリウス・クローディウス君の扇動だけだったのなら、それは犯罪者のよくやる手口でしかありません。

 しかし、もし両方ともがその原因で、民衆が自発的に投石に駆り立てられるような状況にあって、さらに暴動を起こそうとする者たちが武器を準備をしていたのなら、まさに共和国は執政官と元老院による助けを必要としていたとは思えないでしょうか。そして、実際には両方ともが原因であるのは明らかだったのです。つまり、穀物価格が極度に高騰して穀物不足が深刻化した結果、人々が穀物価格高騰の長期化と飢餓の到来を恐れていたことは誰にも否定できないのです。その上に、平和と秩序の敵であるあの男がこの状況に乗じて、放火と殺人と略奪の口実にしようとしたのです。尊き神官の皆さん、この事は皆さんがたとえその目で確かめなくとも、疑うべくもない事実なのであります。12

 君の兄弟で執政官のクィントゥス・メテッルス君が投石で攻撃されて石をぶつけられたと言って、公開の元老院で彼が名指しで報告した人たちは誰なのでしょうか。彼が名前を挙げたのはセルギウスとロッリウスでした。このロッリウスとは何者でしょうか。それは今でも剣を持って君に付き従っている男です。君が護民官の時、その男は、私のことは言うまでもなく、グナエウス・ポンペイウス氏の暗殺を任せて欲しいと言った男であります。セルギウスとは何者でしょうか。カティリナの腹心であり、君のボディーガードであり、暴動の旗持ちであり、商店主たちの扇動者であり、暴行傷害の前科持ちであり、刺客であり、投石者であり、公共広場を荒らして元老院を襲う男であります。

 穀物価格が高騰した時、君は無知な貧困者たちを口実にして、こうした者たちを先頭に立てて、執政官と元老院と金持ちたちの財産に突然襲いかかる計画を立てていたのです。君は平和には活路が見出だせないので、ゴロツキたちの軍勢を無法者のリーダーたちのもとに配置していたのです。暴動が一触即発のこのような状況に破滅的な松明が近づかないようにすることは元老院の仕事だったのではないでしょうか。13

第六章
 以上がこれまでにない新しい方針を打ち出さねばならなかった理由であります(1)。では、私には穀物供給の問題に特別な関わりがなかったのかについて考えて見ましょう。君の手下のセルギウスとロギウスとその他の疫病神たちがあの投石の時に誰の名前を呼んだのでしょうか。穀物価格の責任は誰がとるべきだと彼らは言ったのでしょうか。それは私ではなかったでしょうか。

 さらに、君の雇われ人たちの群衆は夜中に穀物を私に要求しなかったでしょうか。私は穀物の問題を采配していなかったし、穀物を自分のところに隠し持ってもいなかったし、その件では管理権も裁量権も持っていなかったのです。

 ところが、流血の惨事を目論んでいたあの男はあらかじめゴロツキどもに私の名前を教え、無知な大衆に私の名前を吹き込んでいたのです。確かに、最高神ユピテルの神殿で満員の元老院が一人を除いて私の名誉を回復する決議をした時、突然その日高値の穀物価格が予期せぬ低下を見せたのです。14

 それを見て、不死なる神々が私の帰国を神意 によって承認したのだと言った人たちがいました。それは私も同感です。それに対してこの事を次のように説明する人たちがいました。つまり、私が亡命している間は暴動の不安が日常的だったが、平和と調和のへの希望が私の帰国に置かれていたので、今や戦争の不安がほぼ払拭された結果、穀物の価格が変わったのだと言ったのです。しかし、閥族派の人たちが私の帰国で安値になったと強調していたのに、私の帰国後にまた穀物価格が上昇したので、穀物の要求が私に向けられたのであります。

第七章
 要するに、君の配下の者たちは君にそそのかされて私の名前を呼んだのです。しかし、君の軍団がばらばらになって追い払われたあとで、あの日カピトリウムの丘に集まっていたローマの民衆もまた、元老院に来るようにと、その日は登院していなかった私の名前を呼んだのです。15

 私はその期待に応えて登院したのです。私が意見を求められたのは、既に多くの意見が述べられたあとでした。私は共和国にとって最も為になると思う提案をしましたが、私にはそれ以外の選択肢はなかったのであります。私に求められていたのは穀物の供給と安値でしたが、この件を私がどうにか出来るはずはなかったのです。私は閥族派の人たちのしつこい要求にさらされ、不埒な市民たちからは耐えがたい野次を浴びせられていました。

 そこで私は自分より有能な友人(=ポンペイウス)にこの仕事を委ねたのです。私はこの恩人に自分の仕事を押し付けようとしたのではありません。そんなことなら自分でやって失敗したほうがましなのです。そうではなくて、私は皆さんと同じく、グナエウス・ポンペイウス氏なら我々の期待することを、彼の誠実さと知恵と勇気と権威と、その上にその持ち前の運の良さをもってすれば、容易に達成できると思ったからなのです。16

 ある意味では、不死なる神々が私の帰国によって大きな利益をローマ国民に与えて下さったと言うことも出来るでしょう。私の亡命で穀物が不足して飢饉が起こり荒廃と殺人と放火と略奪と悪人の跋扈と逃走と恐怖と不和が起きたように、私の帰国によって田畑の豊作と穀物の供給と平和の希望と心の平静と、裁判と法と人々の調和と元老院の権威が私と共に戻って来たと考えることも出来るでしょう。

 しかし、そうでないのなら、私は帰国にあたって私の知恵と私の助言と私の熱意によってローマ国民の大きな支援のお返しをしなけれはならなかったのです。いずれにせよ、穀物供給に関する限り、この国が当時陥っていた危機的状況に再び陥らないようにすることを、私は皆さんに保証し約束し誓約します。この問題への私の関わりについては今はこれで充分であり、これ以上言う必要はないと思います(2)。17

 これは私だけの特別な義務なのです。それを実行するための私の提案は間違っているでしょうか。問題は極めて重要であり、また大きな危機に関わっていたことは、この国が飢餓だけでなく殺人と放火と荒廃に見舞われていることからも誰も否定できないのです。なぜなら、穀物高騰の問題には、いつもこの国が陥った苦難を自分の犯罪に利用しようと人々の災いを探しまわっているあの男の存在が絡んでいたからです。

 あの男は例外的な権限を一人の人間に与えるべきではなかったと言っています。私は君に他の人に対するのと同じように答えるつもりはありません。他の人になら「グナエウス・ポンペイウスは多くの危険な戦争を遂行する例外的な権限を与えられている。もしこの事に反対するなら、それはローマの勝利に反対するのに等しい」と私は言うでしょう。18

 私は君にはこんなことは言いません。この答えは「問題を一人に任せるべきならグナエウス・ポンペイウスに任せるのが最善だ。しかし、誰か一人に例外的な権限を与えるのは反対だ。とはいえ、それがポンペイウスに与えられた場合には、彼の能力にふさわしい決定としてその事を称賛しはしても邪魔をすることはない」と言う人に通用するものだからです。

 もっとも、私は彼らの反対意見を認めることができません。なぜなら、グナエウス・ポンペイウス氏が数々の勝利によってローマの名声を高めて、ローマの支配に栄光をもたらしたのは、彼が祖国の防衛の任務を例外的に任されたからなのです。ただし、私は彼らの考えの一貫性は認めます。かつて私はポンペイウス氏にミトリダテスとティグラネスと戦う例外的な権限を与えることを支持した(※)のですから、私もまた一貫性を失うべきではないのです。

※この時の演説が『マニリウス弁護あるいはポンペイウスの指揮権について』である。19

 ですから、私は彼らとは議論できるのです。一方、君は誰か一人に例外的な権限を与えるべきではないなどとどうしてぬけぬけと言えるのでしょうか。アレクサンドロス王(=エジプト王)の弟であるキプロス王プトレマイオスはアレクサンドロスと変わらぬ正当性でキプロスを支配していたのに、君は不当な法を作って何の調査もせずに彼の財産を没収して、ローマの民衆を自分の犯罪に巻き込んだのです。そして、彼は彼の父と祖父とその祖先の代から我々の同盟・友好関係にあったにも関わらず、彼の王国と彼の富と財産に対するローマによる競売を告知したのです。そして、この金を持ち帰る権限と、もしプトレマイオスが自分の権利を守ろうとしたら戦争を起こす権限を、君はマルクス・カトー君に与えたのです。20

   君はカトー君を立派な人間だと言うでしょう。確かに彼は高潔で思慮深くて勇敢で愛国心に満ちた実に素晴らしい人です。その美徳と知恵と生き方は特に賞賛に値するでしょう。しかし、誰か一人に国の例外的な権限を与えるべきではないと言っている君にとって、それが何の関係があるのでしょうか。

第九章
 私が指摘する君の一貫性のなさはこれだけではありません。君が自分の法案で例外的に名指しで役職と指揮権を与えたカトー君ですが、かつて君は彼のことを君の手下のセルギウスとロッリウスとティティウスとその他の殺人と放火の黒幕たちの攻撃にさらしていたのです。また、君は彼を市民の死刑執行人と呼び、有罪宣告を受けていない人間の殺害の首謀者と呼び、極刑の提唱者と呼んでいたのです。しかも、君は彼がその仕事に相応しいから厚遇したのではなく、彼が自分の悪事の邪魔だったからローマから追い出しただけなのです。おまけに、君のやり方はあまりにも出鱈目だったので、この悪事の動機を誰の目からも隠すことが出来なかったのです。21

 君はカエサル氏から送られた「カエサルからプルケルへ」と言う手紙を集会で読み上げました。カエサル氏が「元執政官」とか「護民官」という肩書きを付けずに名前だけで呼んだことを、君はカエサル氏の親愛の情の表れだと言っています。次に君がマルクス・カトー君を遠ざけて君の護民官の仕事の邪魔を出来ないようにしたこと、今後例外的な権限を与えることに関してカトー君の口を塞いだことを、カエサル氏は祝福していると言っています。

 カエサル氏は君にそんな手紙を送っていないか、もし送ったとしても、民会で読み上げることをカエサル氏は望まなかったはずです。しかし、その手紙が本当にカエサル氏の手紙にしろ君の捏造にしろ、君がその手紙を読み上げたことで、カトー君に例外的な権限を与えた君の狙いが明らかになってしまったのです。22

 しかし、カトー君のことはもういいでしょう。彼の並外れた美徳と権威と信頼の置ける仕事ぶりと節度は、君の法律と施策の不正を覆い隠しているかのようです。さらに、かつてない堕落した悪辣で恥知らずな人間(=ガビニウス)に、誰があの肥沃なシリアを与え、あの平和な民族と戦争をすることを許し、土地を買うためと決まっていた金を国庫から盗み出して与えて、無限の命令権を付与したのでしょうか。

 もともと君はキリキアを彼に割り当てていたのに、約定を変更して、これも例外的にキリキアをある法務官の属州に変えたのです。そして、賄賂の額を釣り上げてからカビニウスを特に選んでシリアを与えたのです。さらに、下劣で残虐でインチキで全ての悪事と情欲の穢れにまみれたルキウス・ピソーに、多くの元老院決議と義理の息子(=カエサル)の新しい法律によって自由となった人々(=マケドニア)を隷属民として与えたのではないでしょうか。彼は特別待遇のお礼と属州割り当ての見返りとして君のために私を見殺しにしたのですが、さらに君は国庫を彼と山分けにしたのではないのでしょうか。23

 まったく信じがたい話です。最大の民衆派政治家だったガイウス・グラックスは執政官が赴任する属州を割り当てる権限を元老院から取り上げるどころか、逆にその割り当てを毎年元老院決議によって決めることをセンプロニウス法によって定めたのです(※)。ところが、君は元老院がこの法に従って決めた割当てを無効にして、二つの属州をくじ引きをせずに例外的に執政官たちを指名して、共和国のあの疫病神たちにくれてやったのです。それなのに、私が現下の既に絶望的とも言われている重大事態の処理を、共和国の危機に何度も選ばれた偉大な人物を指名して任せたことを、君は間違っていると言うのでしょうか。

※執政官が選挙で選ばれる前にあらかじめ退任後に赴任する属州の割り当てを元老院が決めておくことを定めた法律。ガイウス・センプロニウス・グラックス(グラックス兄弟の弟)が護民官だった前123年に作った法律。

第十章
 さらには、君が元老院を舵取りの座から締め出し、国民を船から追い出して、自分が海賊の首領となって海賊たちの汚れた群れを引き連れて、帆を一杯にはって航海をしていた時、共和国は先の見えない暗雲と嵐に包まれていました。その時、君が発表し決定し約束し取引したことを実現していたなら、この世界のどこに例外的な権力の及ばないない場所、クローディウス君、君の命令権の届かない場所があったでしょうか。

24  そして、とうとうグナエウス・ポンペイウス氏が立ち上がってくれたのです。私は彼が聞いてどう思うとしても自分の思ったことをそのまま言おうと思っています。彼の怒りはあまりにも長い間心の奥深く秘められていましたが、それがとうとう表に現れて来たのです。そして、突如として共和国を救うために乗り出して来たのであります。悪人たちによってうち砕かれていたこの国、弱体化して恐怖に打ちひしがれていたこの国を、彼はかつての自由と名声の希望へと鼓舞してくれたのです。この人を穀物問題に例外的に当たらせるべきではなかったと言うのでしょうか。

 ところが、君は法律を作って、穀物の公私の蓄えも、全ての属州の穀倉地帯も、全ての買い付け人も、全ての倉庫の鍵も、セクストゥス・クロエリウスという堕落した放蕩者に渡してしまったのです。この男は君の情欲の毒味役、貧しい悪党、君の妹を舌先三寸で寝盗った君の寝室の兄弟なのです。そして、その法律のせいで、まず穀物価格の高騰が起こって、次に穀物不足が起ったのです。そして、飢餓と放火と殺人と略奪の恐怖が迫ってきたのです。つまり頭の狂った君が全ての人の財産に狙いをつけていたのです。

25  実際、あの非道な疫病神はセクストゥス・クロエリウスの穢れた口から穀物の采配が取り上げられたことが気にくわないのです。共和国が最大の危機に臨んでポンペイウスに助けを求めたことが気にくわないのです。しかし、共和国はポンペイウスによって何度も救われて発展してきたことを思い出したのです。それなのにクローディウス君は例外的な法案は一切認められないと言うのです。

 では、父親殺しで兄弟殺しの君が私にために提出したと言う法案はどうだったのでしょうか。あれは例外的な法案ではなかったのでしょうか。

 神々と人間が共和国の守護者と呼んで、それを君自身も認めた市民を、有罪宣告どころか告訴もせずに破滅させるために、君は法律ではなく悪辣な特例法規を提出することが許されたと言うのでしょうか。元老院の嘆きも、閥族派の人たちの悲しみも、イタリア全土の嘆願も無視して、共和制を破壊して人質にした君にはそんなものを提出することが許されたというのでしょうか。

 一方、ローマの民衆によって求められ、元老院によって求められ、共和国の危機のために求められていた私は、ローマの人々を救うために自分の意見を言うことが許されなかったのでしょうか。

26  たとえ、この提案によって高められたグナエウス・ポンペイウス氏の名声が公共の利益に結びつかなったとしても、自分の復権のために尽してくれた人の名声を高めようとしたと思われただけでも、きっと私は誉められてしかるべきでしょう。

第十一章
 彼らは復権した私を昔と同じ手を使って倒せるなどと望むのはやめるべきのです。執政官経験者である私とグナエウス・ポンペイウス氏との友情の連合は、この国にかつてないほどに強固なものなのですから。

 私はポンペイウス氏の名声のためにローマの民衆の前で誰よりはっきりと語り、元老院では誰よりも繰り返して語ってきました。また私は彼の名声のためにどんな苦労も、どんな敵対関係も、どんな争いも引き受けてきたのです。彼もまた私に対する敬意と、私の功績に対する賞賛と、私の親切に対する返礼を欠かしたことはないのです。

27  この二人の結びつき、共和国を正しく運営するための二人の協力関係、日常生活における思いやりのこもった実に仲の良い二人の関係を、一部の人たちは作り話や偽りの中傷で引き裂いたのです。彼らは、彼には私のことを警戒して用心するように忠告し、その一方で私には、彼が私にひどい敵意を抱いていると言ったのです。その結果、私は彼に求めるべき支援を安心して要請することができず、彼もまた一部の悪人たちのせいで疑心暗鬼になって、危機的状況にあった私が必要としていたものを快く提供すると言えなかったのです。

28  尊き神官の皆さん、私の過ちの代償は大きいものでした。私は自分の愚かさを後悔しています。恥ずかしく思ってもいます。私とこの名高い勇敢な紳士との仲は、私の何かの事情による急拵えのものではなく、ずっと以前から先を見越して二人で引き受けてきた労苦によって共に深めてきたものなのです。私はこれほど深い友情から引き離されようとしているのに、ただ手を拱いていたのです。私は誰を明白な敵として拒否すべきなのか、あるいは誰を偽りの友人として疑うべきなのか、分からなくなっていたのです。

 ですから、「キケロは何を考えているのか。彼は自分がどれ程の権威の持ち主なのか知らないのか。自分の過去の業績の大きさも知らないし、自分がどれほどの名誉とともに帰国したのかも知らないのか。彼は自分を見捨てた男にどうして世辞を言うのだろうか」とまた同じことを言って私の虚栄心をくすぐるのはやめるべきなのです。

29  私は当時引き留められなかったものの、見捨てられたとは思っておりません。あの共和国存亡の危機の時に、私にとって不利になることを誰がどのようにして行ったかを、私は明らかにすべきだとは思っておりません。もし私が皆さんのためにあの不名誉な苦杯を飲み干すことがこの国の役に立ったのなら、それが誰の裏切りによってもたらされたのかを明らかにせず黙っているのもこの国の役に立つことなのです。

 しかしながら、誰よりもこの私を救い出すためにグナエウス・ポンペイウス氏が先頭に立って熱意を傾けてくれたことと、皆さんの各々が身の危険を顧みずそれぞれの能力と努力を傾けて、祈りを捧げて尽力して下さったことを私は喜んで公言するでしょうし、これを黙っているのは恩知らずな人間のすることなのです。

第十二章
   プブリウス・レントゥルス君、君が私の救済のことだけを夜も昼も考えていた時に、ここにいるポンペイウス氏は君の全て計画に参加してくれたのです。彼は君がそれを実施する時の最も重要な支援者であり、それを手配する時の最も信頼できる味方であり、それを成し遂げる時の最も力強い援軍だったのです。彼は自治都市と植民市に自ら足を運んでくれました。熱心に支援を申し出ているイタリア全土に援助を要請してくれました。彼は元老院で最初に立って意見を述べてくれました。そしてその意見が元老院によって承認されると、ローマの民衆に対して私の救済を懇願してくれました。30

 したがって、クローディウス君、君は神祇官たちが元老院で私の穀物についての意見を聞いて私に対する態度を変えたという話はやめたほうがいいでしょう。実際、グナエウス・ポンペイウス氏に対する神祇官たちの考えは私の考えと違わないのです。ローマの民衆の期待と私に対するグナエウス・ポンペイウス氏の尽力と私の置かれた立場を思えば、私が何をなすべきかを神祇官たちが知らないわけがないのです。そんなことはないと思いますが、たとえ私の意見が神祇官の誰かの気持ちを害したとしても、ポンペイウス氏は宗教儀式については神祇官として、共和国については市民として、まさに儀式の法を守り共和国を救うために必要な決定をしたはずなのであります(3)。31

 尊き神官の皆さん、私が本来のテーマ以外のことについて当初の意図を越えて予想外に長々とお話ししてしまったことを私はよく存じております。しかし、私は自分にかけられた嫌疑を皆さんの前で晴らしたかったのであります。また、皆さんが好意をもって熱心に聞いて下さったので、ついつい話が長くなってしまいました。この埋め合わせとして、私は皆さんの判断を仰ぐことになる本来の問題についての話は短かく切り上げることにいたします。この問題は宗教儀式の法に関する部分と共和国の法に関する部分に分けられますが、多くの言葉を必要とする宗教儀式に関する部分は省略して、共和国の法に関することだけをお話することにします。32

 なぜなら、宗教と神聖な事柄と儀式と祭儀について神祇官団に説明を試みることほど傲慢なことはないからです。実際、誰かが皆さんの書物の中に見つけたことを皆さんに語るほど愚かなことはないでしょう。また、我らの父祖たちが皆さんだけが知っていて皆さんだけに相談すべきであると考えたことを他人が詮索することほどおせっかいなことはないのです。

第十三章
   私が言いたいのは、国の法つまりこの国が採用している法律によれば、裁判も受けずに市民の誰かがあのようなひどい目に会う可能性はなかったということなのであります。市民の生命財産は元老院あるいは国民あるいは個々に任命された裁判官による判決なしに奪われることがないということは、この国に王がいた時にも存在した法であり、我らの父祖たちによって私たちに伝えられた法であり、自由な社会にとって固有の法なのであります。33

 クローディウス君、君は私が君の政策を根こそぎ覆そうとはしないと思っているのでしょうか。また、君は正当な手続きによっては何一つしていないこと、君は護民官ではなかったこと、今現在も君は貴族階級の人間であるという明白なことを私が議論しないと思っているのでしょうか。

 私は神祇官の人たちの前で話しているのです。ここには卜占官の人たちも出席しているのです。そこで私にこの国の基本的な法律を扱うのです。

 尊き神官の皆さん、養子縁組の法とはどういう法律でしょうか。もちろん、養子をとる人はもう子供を作れない人あるいは子供を作ろうとして作れなかった人でなければなりません。次に、神祇官団が個々の場合について養子をとる動機と血筋と家柄と祭儀を審査するのが通例です。君の養子縁組についてはこの内のどの審査を受けたのでしょうか。君の場合は、養父はまだ二十歳かそれ以下なのに元老(=30才以上)を養子にするのですから、子供が動機と言えるでしょうか。養父はまだ子供を作れる年齢で、しかも妻がいるので、これから子供が作れるのです。すると、彼はその息子に長男としての相続権を与えることはなくなるのです。34

 さらに、クローディウス家の祭儀はどうなるのでしょうか。君はそれが失われてもいいのでしょうか。君が養子になる時に、これらの全ての審査が神祇官によって行われたはずなのです。

 それとも、君に対する審査は、騒ぎを起こして共和国を混乱させるつもりなのか、養子になるのは彼の息子になるためではなく、護民官になってローマを根底から覆すためなのか、というものだったのでしょうか。それに君はその通りだと答えたのでしょうか。神祇官の人たちもそれを立派な理由だと言って、養子になることを認めたというのでしょうか。

 確かに、これまで養子をとった人の年齢は審査の対象とはなっていません。例えば、グナエウス・アウフィディウスとマルクス・プピウスの場合は、二人とも私の記憶ではかなりの高齢で一方はオレステスを、もう一方はピソーを養子にしました。しかし、これらの養子縁組は他の多くの養子縁組と同様に、氏族名と財産と祭儀を相続させるためのものでした。

 ところが、クローディウス君、君はフォンテイウス氏になったはずなのにそうなっていないし、養親の相続人にもなっていない。父方の祭儀を捨てて養家の祭儀に入ることもしていません。君は祭儀を混乱させて君が捨てた氏族と君が汚した氏族の両方をごちゃ混ぜにしたのです。そして、ローマ市民の後見と相続の正当な法律を無視して、不自然なことに自分が父親になれるような年下の人間の養子になったのです。35

第十四章
 私は神祇官の人たちの前で話しているのです。私が言いたいのは、君のあの養子縁組は神祇官の法に則って行われたものではないということです。第一の理由は君たち二人の年齢です。君の養親は君の息子になれる年齢だったし、ひょっとしたら実際に君の息子だったのです。第二の理由は、通例では養子を取る動機が審査されることです。養子を取る人は自然にしていてはもう手に入らないものを神祇官の正式な法によって求めなければならないし、養子をとったことで氏族の名誉と宗教の祭儀が損なわれることがあってはならないのです。

 特にインチキや欺瞞やペテンが行われてはならないのです。そして、息子として養子にするという虚構の縁組が本当の息子の認知と可能な限りそっくりに見えなければなりません。36

 では、これほどはっきりしたペテンがあるでしょうか。まだ髭も生えていない若者が、妻がいて健康だというのに、ローマの元老を養子にしたいと言うのです。しかも、彼が養子になるのは、相手の息子になるためではなく、貴族であることをやめて護民官になれるようにするためで、これは誰でも知っていることなのです。さらに、これが公然と行われたのです。というのは、彼は養子になった途端にその関係を解いて、養父の息子でなくなったからです。こんな養子縁組でいいのでしょうか。

 家々の祭儀の庇護者たるべき皆さんが、もしこんな養子縁組を承認したら、全ての家の祭儀は滅んでしまい、貴族は一人もいなくなってしまうでしょう。貴族のままでは護民官になることは許されないし、かといって執政官に立候補することも制限されている(=執政官の一人は平民出身に限られた)。貴族には神官の空席がないので、平民だったらなれる神官にもなれない。そんな貴族の地位に誰が留まろうとするでしょうか。平民になる方が有利なのですから、誰もが同じようにして人の養子になることでしょう。37

 そうなれば、ローマには祭儀の王もフラーメン(祭司)もサリイー(マルスの神官)もあっと言う間にいなくなるでしょう。神官団の半数はいなくなるし、ケントゥリア民会の議長もクリア民会の議長もいなくなるでしょう。また、もし貴族の政務官が選ばれなくなると、ローマの民衆に対する保護も必ずや無くなってしまうでしょう。なぜなら、暫定執政官は貴族であって貴族によって選ばれる必要があるので、暫定執政官がいなくなってしまうからです。

 私が神祇官の人たちに申し上げたことは、君のあの養子縁組はこの神祇官団の決議による承認を得ていないばかりか、あらゆる神祇官の法に反しており、無効と見なさねばならないと言うことであります。しかしながら、もしこの養子縁組が無効になれば、君が護民官になったことも全て無効になることは君も分かるでしょう。38

第十五章
39 次は卜占官の人たちです。私は卜占官の奥義書を詳しく調べるつもりはないし、卜占官の法を研究するほど物好きではありません。私は一般人として身に付けたことを知っているだけです。それは集会でよく占い師の回答として明らかにされたことだけなのです。それによると天空の観察(※)が行われている間は民会を開くことは許されないとなっています。君のための法律(=養子縁組を認める法律)がクリア民会で成立したと言われる日に天空の観察が行われていたことを君は図々しくも否定するのでしょうか。

※天空観察する権利は執政官、法務官、上級造営官、と前58年以降の護民官に与えられていたとされている。

 ここに使命感と信頼感と責任感に溢れる名士であるビブルス君が来ておられます。彼は君の養子縁組を認める法律が成立したまさにその日、執政官として天空観察をしていたことを私は断言できます。「お前はそうやって不屈の政治家カエサル氏の政策を否定するつもりか」と言われるかも知れません。とんでもありません。私は彼の政策には何の興味もありません。ただカエサル氏の政策を私の生命財産に対する攻撃に利用した者がいることが問題だと言っているのです。39

 しかし、いま天空観察について私が簡単に言及したことを主張したのは他ならぬ君なのです。君は自分の護民官の任期が終わりに近づいて力を失った頃、突如として天空観察の支持者として姿を現したのです。君は民会にビブルス君と卜占官を呼び出しました。そして、卜占官が君の質問に対して「天空観察が行われている間は民会を開くことは出来ない」と答えたのです。また、ビブルス君は君の質問に対して「私は天空観察をしていた」と答えたのです。またビブルス君は君の兄のアッピウス(※)に呼び出された時、「君は占いに反して養子になったのでけっして護民官ではなかった」と集会で発言したのです。

※アッピウス・クラウディウス・プルケル、前97~48年、キケロの同僚の卜占官、前56年法務官、前54年執政官、前53~51年キリキア総督、前50年監察官。クローディウス(前92~52年)の兄。弟とは違って一貫して閥族派。

 実際、それ以降の君の行動は、カエサル氏の政策は全てが占いに反して行われたので元老院によって無効にされるべきだということに費やされました。そして彼はもしカエサル氏の政策が無効になったら、ローマの守護神である私を自分の肩に乗せてローマに連れ帰ってやると言ったのです。この男の出鱈目ぶりはどうでしょうか。彼は自分が護民官だったときにカエサルの政策に強く関わっていたくせに、その政策を取り消そうとしたのですから。40

 その上に、もし君が護民官としてやったことの全てを神祇官が祭儀の法によって否定し、卜占官が占いの規則によって否定してくれたら、君はもう何も望むことはないでしょう。それとも、もっとはっきりした民衆の法を持ち出すべきでしょうか。

第十六章
 私はあの日の第6時(=12時)頃に、同僚のガイウス・アントニウス君(ヒュブリダ)の弁護をしていて、不幸な彼の訴訟に関係する共和国の状況(♯)に不満をこぼしました。それを不埒な連中が有力な政治家たち(=カエサル)に私が言ったのとはまるで違う言葉で伝えたのです。その3時間後に君の養子縁組が成立したのです(※)。

♯前60年から始まった三頭政治による独裁政治。 ※スエトニウス『カエサル伝』20節参照。

 ほかの法案の場合には公示から採決まで24日経つ必要があっても、養子縁組の法案は3時間で充分なら、私は何も文句はありません。しかしもし同じ規則を守るべきならどうなるでしょう。実際、元老院はカエキリウス・ディディウス法(=24日ルール)に反して提案されたマルクス・ドゥルススの法は国民に対する拘束力がないと宣言したのです。41

 今や祭儀の法、占いの規則、民衆の法とあらゆる種類の法によって、君が護民官だったことは否定されているのは君もよく分かるでしょう。

 しかし、こんなことをいくら言っても仕方がありません。なぜなら、高明な人やこの国の指導者の一部の人たちが、君には民会を開く正当な権利があったと、色んな所で言っているのを私は知っているからです。彼らは私の件で、君の法案によって共和国が葬られたと言いながらも、その葬儀は悲しく不幸なものだが正当に宣告されたものだと言ったのです。

 彼らは、共和国に多大な貢献をした市民である私について君が提案した法案は、共和国の葬儀を宣告したに等しいが、それは占いに反することなく提案されたので、正当な手続きで行われたと言ったのです。したがって、おそらく私は君を護民官にした政策を無効にすることは許されないでしよう。なぜなら、彼らは君の護民官就任を承認したのですから。42

 そこで君はここにおられる全ての点で高名並びなきプブリウス・セルウィリウス氏(前97年護民官、前79年執政官)と同じくらいに正当で合法的な護民官だったとしましょう。では、君はどの法、どの慣習、どの前例によって、有罪判決を受けていない市民を指名してその市民権を奪う法律を提案したのでしょうか。

第十七章
 特例法規つまり個人に対する法律を提案することは、神聖な法と十二表法によって禁じられています。ですから、これまで誰もそんな法律を提案したことはないのです。これほど残酷なもの、有害なものはなく、この国とは相容れないものなのです。財産没収公告という言葉と、スラの時代のあらゆる不幸を思い出す時、何が最も残酷なことだったでしょうか。恐らくそれはローマ市民を指名してその罰が裁判なしに決められたことなのです。43

 尊き神官の皆さん、皆さんは護民官が自分の好きな人間に対して財産没収の公示をする権限を皆さんの権威と判断によって与えるつもりでしょうか。というのは「キケロはこの町にいるべからず、キケロの財産は我が物にすべしと、汝らは望んで命令すべし」とはまさに財産没収の公示ではないかお尋ねしたいからです。言葉は違っても実質的にはそういう法案だからです。これが民会の決定でしょうか。これが法律でしょうか。これが法案でしょうか。一人の市民がたった一行の短い文章で市民権を奪われるなどという、そんなことを皆さんは認めるのでしょうか。こんなことにこの国は耐えられるのでしょうか。

 実際、私はそれでひどい目に遭ったのです。私はもうどんな暴力もどんな攻撃も恐れることはありません。妬み深い人たちは私に対する怒りを晴らし、不埒な者たちは私に対する憎悪を晴らし、不実な人たちは私に裏切りと悪事をやり尽くしたからです。私は堕落した市民たちの憎悪の標的となっていたのです。ところがその私を助けるために今やあらゆる町とあらゆる階級とあらゆる神々と人々が意見を表明して下さったのです。44

 尊き神官の皆さん、今や皆さんは自分自身と皆さんの子供たちとその他の市民たちのために、皆さんの権威と叡智を傾けて、よく考えるべき時なのです。

 我らの父祖たちが設立した民衆の法廷には次のような配慮がなされています。第一に、市民権に関する罰が課せられた人には罰金は課せられないこと。第二に、誰かの告発はあらかじめ予告された日に行われねばならないこと。政務官による告発の提示は罰金などの求刑が行われるまでに日を空けながら3度行われること。4回目の告発で24日後が判決の日として予告されること。さらに、被告には多くの情状酌量を求めることが許され、民衆は被告の嘆願に耳を傾け、釈放を求める支援活動が容易であること。最後に、占いや何か正当な理由で判決日が無効になった場合には、訴訟全体も判決も無効にすべきこと等々が規程されているのです。

 告発と告発人と証人がいる場合でさえも、法律にはこのような規定があるというのに、出廷を命じられたこともなく召喚も告発もされたことのない人の市民権と子供たちと全財産について、雇われ人と刺客と貧乏人と破産者が投票して、それが法律と見なされるほど不当なことがあるでしょうか。45

第十八章
 私は地位と名声と正義と共和制によって守られてきた人間です。また、私の財産が狙われていたのでもないのです。私の前に立ちはだかったものは、政治情勢の変化と時代の趨勢以外には何もなかったのです。そんな人間である私に対してこんな事が出来るなら、豊かな財産に恵まれて多くの貧しい浪費家たちの羨望の的になっている人たちで、政治的な地位からも耀かしい名声からも無縁な人生を送っている人たちの身には、一体何が起こるでしょうか。46

 皆さんは、もし護民官にこんな自由を与えたら、若者たち、特に護民官の地位を貪欲の眼差しで狙っているような若者たちがどうなるか、少しは考えてもみて下さい。いいですか、もしこんな特権が出来れば、護民官団は誰も彼もが金持ちの財産目当てに共謀するようになるでしょう。そして民衆に略奪や施しの希望を与えるようになるでしょう。

 ところで、この法案の起草者は実に法に精通した人なのです。「キケロに火と水を与えることを禁止すると、汝らは望んで命令すべし」。こんな残酷で不当な宣告はどんな極悪人に対してさえも裁判なしに行うべきではありません。ところが、実際の法案では「禁止する」とはなっていないのです。ではどうなっているでしょうか。「禁止した」となっているのです。何という卑劣漢、何という悪党でしょうか。クロエリウスは、まだ禁止していない人間に対して禁止したという法案、自分の舌よりも汚らわしいこんな法案を君のために書いたのです。

 セクストゥス・クロエリウスよ、君は弁証家でこの方面にも詳しいでしょうから、失礼ながらお尋ねしますが、起こっていないことを起こったことにして民会に提案したり、民会がそんな事を言葉によって命じたり、投票によって承認することが出来るのでしょうか。47

 クローディウス君、君は選りによって二本足だけでなく四本足の生き物の中でさえ最も汚らわしいこんな起草者、こんな助言者、こんな助手を使って共和制を滅ぼしたのです。君はクロエリウスが法律を破るのを業とする人間であって、法律を書く人間は別にいることを知らないほど愚か者でも頭が狂った人間でもなかったのです。

 ただ君の周りには法律を書く専門家も、何かしら慎みのある人もいなかったのです。君は人が雇うような法律の起草者を雇えなかったし、望み通りの家を建てる建築家を雇えなかったし、思うような神官を雇えなかったのです。また、略奪物を山分けするにも、君の剣闘士仲間の他には買い手も保証人も見つからず、君のあの財産没収公告の採決にも、盗人と刺客しか投票人が見つからなかったのです。48

第十九章
 君が若い盛りに元気よく広場の真ん中を人気の男娼として飛び回っていた頃、君一人の友情に守られて幸せだった君の友人は、選挙に出た時君の部族のパラティヌス族の支持も得られずに落選したのです。君の友人が法廷に出た時には、原告としても被告としても、君が嘆願したにも関わらず、裁判に負けたのです。

 最後にあの新入り仲間のリグス(※)は君に買収されて君の法案と告訴状に署名した男ですが、自分の兄弟のマルクス・パピリウスの遺言の中に自分のことが悪く書いてあったので、パピリウスの死について訴えると言った男です。そしてセクスティウス・プロペルティウス(=有名な詩人の父親)に告発状を出したのですが、実際の告発には踏みきれなかったのです。他人(=クローディウス)の支配下にある身分であり、悪事の片割れだったので、誣告罪で訴えられることを恐れたからです。49

※前58年の護民官でキケロ側からクローディウス側に寝返った。『セスティウス弁護』68節以下参照。

 このように指一本でも一声でも、略奪であれ投票であれ、この法律の何かに関わった者はどこへ行こうと拒絶され後ろ指を指されて立ち去っているのです。こんな法律を私は正当に提案された法律であるかのように話しているのでしょうか。

 次に、もしあの財産没収公告が無効となるような言葉で書かれているとすればどうでしょうか。というのは、「キケロは元老院決議を捏造したがゆえに」とあるからです。つまり、もし私が元老院決議を捏造したのなら、君の法案は成立します。しかし、もしそうでなければ、君の法案は成立しないのです。

 私は元老院決議を捏造していないだけでなく、ローマ建国以来私ほど元老院に忠実な者はいないことは、元老院がそう宣言していることで充分でしょう。

 君が法律と呼んでいる物が実は法律ではないことを私はいくらでも示せるでしょう。そのほかにも、君は複数の内容が含まれる法案を一度の投票で成立させています(※)。あの立派なドゥルススが自分の複数の法案でスカウロスとクラッススを顧問にしても達成できなかったことを、あらゆる悪事と犯罪に関わる君がデキウスとクロエリウスの助けがあれば達成できると言うのでしょうか。50

※複数の事柄を一つの法案にすることはカエキリウス・ディディウス法によって禁じられていた。

 君の法案では私を受け入れることは禁じていましたが、私がローマから出て行くことは命じていなかったのです。君は私にローマ滞在を禁止するとは言えなかったのです。

第二十章
 では君は何が言えたでしょうか。私は有罪だと言えたでしょうか。しかし、私が有罪でなかったのは確かです。私は追放されたと言えたでしょうか。どうしてそんなことが出来たでしょうか。私にローマから出て行けとは書いてもいないのです。私を迎え入れた者に対する罰則は書いてありますが、そんなものは誰も気にしませんでした。一方、追放についてはどこにも書いていないのです。

 しかし、それはいいでしょう。では、公共の建物の管理権はどうなのでしょうか。そもそもリキニウス法によって法案提出者の君は管理者になれなかったのです。さらに、名前の登録はどうなのでしょうか。それが私の財産を取り上げる事とは別だということが君には分からないのでしょうか(※)。

※複数の事柄を一つの法案にしているということ。

 さらに、神祇官に対する君の申し立てはどうでしょうか。君は私の屋敷を聖別して、私の屋敷に記念物を建てて、肖像を奉納して、それを君はたった一つの法律によってやったと言っていますが、それを君は私を標的にして成立させた法律と同じ法律だと思っているのでしょうか。51

 君は先祖代々ローマと常に友好国だったキプロスの王位とその全財産を一人の競売人によって競売にかけたのと、亡命者たちをビュザンティウムに連れ戻したのを、一つの法律によって行いましたが、それとまるでそっくりなのです。

「私はどちらの件も同じ人間(=カトー)にやらせたからだ」と彼は言っています。そのほかに君は小アジアで貢納金を取り立てる仕事も、そこからヒスパニアに行く仕事も同じ人(=ガビニウス)に任せました。さらに、その人はそこからローマに帰ると執政官に立候補することを許されて、その人が執政官になると属州シリアを手に入れましたが、それらは一人の人間のしたことだから、全ては一つの事だと言うのでしょうか。52

 しかし、その問題を全部君の奴隷と盗人たちで決めずにローマの民衆に諮っていたら、民衆はキュプロス王の件は賛成してもビュザンティウムからの亡命者の件は反対した可能性はないのでしょうか。いいですか、カエキリウス・ディディウス法の趣旨は、複数の事案を一つの法案にすることによって、国民に望まないことを受け入れさせたり、望んでいることを拒否させたりするのを防止することではないのでしょうか。

 さらに、君が暴力によって成立させたものが法律でしょうか。暴力によって行なわれたのが明らかな事が正当に行われた事だと言えるでしょうか。それとも、ローマの占領下で君の法案が採決された時に投石も戦闘もなかったので、この国を破滅に追い込むのにたいした暴力は使わなかったと言うのでしょうか。53

第二十一章 
 街から自由人だけでなく奴隷たちを呼び集めてアウレリウス壇で公然と兵士を徴募した時、君は暴力を準備していなかったのでしょうか。君が布告を出して商店を閉めさせた時、無知な大衆の暴力ではなく立派な人たちの節度と分別を求めたというのでしょうか。君がカストールの神殿に武器を集めさせた時、君は暴力沙汰にならないようにしていたのでしょうか。

 君はカストール神殿の階段を壊して撤去させて、勇気ある人たちを神殿の入り口の階段から排除したのは、穏やかに事を運べるようにするためだったと言うのでしょうか。集会で私の帰国のために発言した閥族派の人たちに、君は自分のところに出頭するように命じてから、彼らの支援者たちを暴力と剣と投石で散り散りにした時、君は暴力に断固反対すると表明したと言うのでしょうか。54

 しかし、一人のこんな狂った護民官の気違いじみた暴力を粉砕して打ち勝つことは、勇気ある閥族派の人たちが力を集めたら容易に出来たでしょう。

 しかし、さらに君はガビニウスにシリアを与え、ピソー(※)にマケドニアを与えて、二人に無限の命令権と大金を与えると、その見返りとして、君の後ろ楯となって君に何でもする権限を与えることを彼らに求めたのです。すると、彼らは君に武装集団と、自分たちが信頼している百人隊長たちと、資金と奴隷たちを与えたのです。そして、彼らは、ひどい演説で君を助けて、元老院の権威を嘲笑い、ローマの騎士階級を死と財産没収で脅し、私を脅して震い上がらせ、殺害と武装闘争を通告したのです。

※二人ともその時(前58年)の執政官。ガビニウスの背後にはポンペイウス、ピソーの背後にカエサルがいた。

 そして、自分たちの仲間を差し向けて閥族派の人たちで満ちていた私の屋敷を財産没収の恐怖で満たし、閥族派の人たちの群れを私から引き離して、私から元老院の保護を奪い取り、この最高階級の人々が私のために戦うことだけでなく喪服に着替えて涙ながらに嘆願することも禁止したのです。それなのに、少しも暴力はなかったと君は言うのでしょうか。54

第二十二章
 そもそも私は何故ローマを去ったのでしょうか。人々は何を恐れたのでしょうか。私のことはいいでしょう。私は生まれつきの臆病者としましょう。ではあれだけ多くの勇気ある人たちは、ローマの騎士階級の人たちは、元老院は、全ての閥族派の人たちは、何を恐れたのでしょうか。もし暴力がなかったら、どうして彼らは臆病者の私を叱責して引き留めたり、私に腹を立てて見限るのではなく、涙ながらに私を見送ったのでしょうか。それとも、もし父祖たちの慣習と制度で裁かれたら私はローマにいても勝てないかもしれないと恐れたのでしょうか。56

 私が恐れたのは告訴と裁判だったのでしょうか、それとも裁判抜きの特例法規をだったのでしょうか。仮に私が裁判を恐れたとして、それは私の立場が明らかではなかったからでしょうか。仮に私の立場がよく知られていなかったとして、それを私は明らかに出来なかったからでしょうか。それとも、私は自分の正しさを証明できなかったからでしょうか。しかし、私の立場の正しさはそれ自体明らかだったのであり、仮に私が不在でも私は無罪放免になったほどだったのであります。

 私の立場の正しさは、私が元の地位に復帰することをあらゆる人々が待ち望んで呼び戻したほどであり、それは国賊であるあの男も不承不承に認めたことなのであります。それにも関わらず、元老院と全階級と、私を復帰させるためにイタリア全土から馳せ参じてくれた人たちは、裁判で私の身を守ることにそれほど熱心ではなかったのでしょうか。57

 それとも、裁判に何の危険もなかったとすれは、私が恐れたのは特例法規だったのでしょうか。もしそうなら、誰もそれに拒否権を発動してくれなかったのでしょうか。それほどにも私には友人がいなかったのでしょうか。それほどにも共和国には政務官がいなくなっていたのでしょうか。さらに、もし部族が呼び集められたら、彼らは共和国の救済に貢献した私だけでなく、どの市民に対してであれ、財産没収公告を承認したでしょうか。

 あるいは、もし私がローマに留まっていたら、あの古手の陰謀団と君の堕落した貧しい兵士たちと悪辣な執政官の新たな武装集団が、私の命を見のがしてくれたでしょうか。私は残酷なこれらの悪人たちに譲歩してローマにいなかったにも関わらず、彼らの心は私の悲しみによっては満足しなかったのであります。58

第二十三章
 君たちは私の妻を連れ去ってあらゆる残酷な拷問を加えて苦しめましたが、私の哀れな妻が君たちにどんな損害を与えたというのでしょうか。私の娘が喪服を着て絶え間なく泣き続ける姿には誰もが心動かされて涙したというのに、君たちがそれを愉快に思ったのは、彼女が君たちにどんな害を与えたからでしょうか。私がローマに不在の間、誰も私の幼い息子が涙にくれている姿しか見なかったというのに、君たちはあの子を何度も待ち伏せして殺そうとしたのは、あの子が君たちにどんな危害を加えたからでしょうか。

 私の弟は君たちに何をしたのでしょうか。私の弟は私がローマから去った後で属州から帰って来てからは、私が復帰しない限り自分は生きていく価値がないと考えていました。そして、前代未聞の彼の悲しみように全ての人々が憐れみを感じたのです。そんな彼が何度も君たちの剣と暴力によって危険な目に遭わされたのです。59

 しかし、私が非難すべき君たちの冷酷な仕打ちは、私と私の家族自身に対するものだけではなかった。君たちは私の家と壁と柱と扉に対しても憎しみと敵意に満ちた残忍な戦いを仕掛けてきたのです。私がローマを退去してから全ての金持ちの財産と、全ての属州の富と、四分領太守と王たちの財産を、野心と貪欲さでむさぼり漁った君が、私の銀器や家具に対する欲望に目がくらんだのではありますまい。

 全アカイアとテッサリアとボエオティアとギリシアとマケドニアと全ての野蛮人の国々とローマ市民の富を君からもらったあのカンパニアの執政官(ピソー)も、シリアとバビロニアとペルシャという無傷の平和な国々を略奪用にもらった同僚ダンサー(ガビニウス)も、私の屋敷と柱と扉を欲しがっていたわけではありますまい。60

 君の手勢とカティリナの軍団も、私の屋敷のレンガと石ころで自分たちの欲望を満たそうとしたのではあるますまい。敵の町を破壊するのは、どんな敵でもそうするのではなく、残酷な戦いをして殺し合った敵の町を破壊するのです。それも獲物に誘われたからではなく憎しみに駆られたからなのです。なぜなら、相手の残虐さによって私たちの心が怒りに燃えている時には、相手の住居や住まいさえも戦いの相手だと思えるからなのです…。61

第二十四章
 私に関してどんな法律も提出されなかったし、法廷に召喚されもしなかったし、召喚されたのに欠席したのでもありません。私は君の申し立ての中でさえ立派な市民だったのです。それなのに、私のパラティヌスの屋敷とトゥスクルムの別荘はそれぞれ執政官と呼ばれていた人たちの手に移されたのです。私の屋敷の大理石の柱はローマの民衆が見ている前で執政官の義理の母親のもとに運ばれました。隣の執政官の地所には私の別荘の備品や飾りだけでなく樹木も移されて、別荘は根こそぎ破壊し尽くされました。それは略奪欲ではなく(略奪するようなものがあったでしょうか)残酷な憎しみのためだったのです。

 パラティヌスの屋敷は失火ではなく放火によって焼失しました。そして、執政官たちは宴会を開いて陰謀団から祝福を受けて、執政官の一方はカティリナのお気に入りだったと言い、もう一方はケテグスの従兄弟だと言ったのです。62

 尊き神官の皆さん、私が身を挺して閥族派の人たちの首筋から追い払ったのは、このような暴力、このような犯罪、このような狂気だったのです。悪党たちのあらゆる攻撃と長い間蓄えられた暴力、押さえつけられた無言の憎しみによって育まれていた暴力が、大胆な指導者を得て一気に吹き出したのです。それを私は一身に受け止めたのです。

 執政官の松明が護民官の手によって私一人に投げつけられ、私がかつて弱体化した陰謀団の邪悪な飛び道具が、ことごとく私一人の身体に突き刺さったのです。もし多くの勇敢な男たちの言うとおりに、私があの暴力に対して暴力で立ち向かったとしたら、私は戦いに勝利して多くの悪党たちを退治したかも知れません。しかし、逆に、私は共和国とともに倒れて、閥族派の人たちが全員殺されて、敵の望みどおりになる可能性もあったのです。63

 私は元老院とローマの民衆が無事でさえいれば、私がローマに凱旋する日はそう遠くはないと思っていました。私がかつて救った共和国に私の居場所がないことがそんなに長く続くはずがないと思っていたのです。しかし、もし私の帰国が許されなかったら私はどうしたでしょうか。私は共和国の名高い男たちが軍を救うために決死の覚悟で敵の真っ只中に飛び込んで行った話を聞きもし読みもしていました。その私が共和国を丸ごと救うためにわが身を捧げることに躊躇したでしょうか。しかも私はデキウス親子よりも恵まれた立場にあったのです。というのは、彼らは自分の名声を耳にすることさえなかったのに対して、私は自分の手柄をこの目で見ることが出来たからです。

第二十五章
 私は苛酷な運命を担うことによって、全ての悪人たちの全ての暴力を受け止めました。その結果、あれほど大きな不幸とあれほど大きな破壊の後には、それ以上の残酷さが入り込む余地はなくなったのです。こうして君の狂気はくじかれ、君の攻撃は力を削がれたのです。64

 次に君に狙われたのはカトーでした。君は何をしようとしたのでしょうか。自分の不利益を取り除くためには彼に名誉を与えるしかなかったのです。君には何が出来たでしょうか。それは彼を追い出して、キプロスの財宝を集める仕事に向かわせることでした。それで君はキプロスの略奪は出来なくなりましたが、略奪はほかでも出来たのです。君はカトーをただここから追い出したかったのです。君は邪魔なカトーをまるで昇進させるようにしてキプロスへ追放したのです。悪党どもにとって目障りな私たち二人は追放されたのです。一人は不名誉な昇進によって、一人は名誉ある転落によって。65

 さらに、あの男は人々の敵というよりは人倫の敵だということを皆さんには知って頂かなくてはなりません。と言うのは、彼は私を追放してカトーを追い払うと、今度は今も昔も自分の全ての政策の助言者であり激励者であると集会で公言していたグナエウス・ポンペイウス氏を攻撃し始めたのです。彼はポンペイウス氏がこの国の第一人者だと誰からも思われていることを知っていたので、自分の気違い沙汰をいつまでも見逃してはくれないと思ったのでしょう。

 そこで、彼はポンペイウス氏の友人(ティグラネス)の王の息子で異国から来た捕虜を罠に掛けて、彼の保護下から盗み出したのです(※)。彼はあの勇者をこの侮辱で挑発したことで、ポンペイウス氏との戦いに私を攻撃しようとした軍勢を使えると思ったのです。それは私が閥族派の人たちを危険にさらして戦いたくなかった相手でした。彼は初めのうちは二人の執政官に助けてもらっていましたが、そのうちカビニウスが約束を反故にして、味方はピソーだけになってしまったのです。66

※クローディウスはこのためにポンペイウスの腹心ガビニウスの支持を失い争いとなる。その際、クローディウスの暴徒によってガビニウスの束桿が折られた。キケロ『ピソー弾劾』27、28節参照。

 彼がやった殺人と投石と敗走は皆さんご存知のとおりです。そうして最強の軍団を失った後でも、彼が毎日武器と計略を使って、グナエウス・ポンペイウス氏を易々と公共広場と元老院から追い出して自宅に閉じ込めたのも皆さんご存知のとおりです。この事から、皆さんはあの男が初めに行使できた暴力がどれ程大きな力を持っていたかが分かるでしょう。すでにばらばらになって消え失せた後でも、それはグナエウス・ポンペイウス氏にとって脅威となったのですから。67

第二十六章
 すでにこれらの事をしっかり見通している人がいたのです。それは共和制と私とそして何よりも真実を大切にしたルキウス・コッタでした。賢明なる彼は元老院で一月一日に意見を述べた時、私を帰国させるための法案を提出する必要はないという意見を表明したのです。そして「キケロ君は国のためを考えて嵐の前に身をかがめたのであり、自分の事よりは皆さんや他の市民たちの事を大切にしたことは明らかである。武装した暴力と組織的な虐殺と革命的な独裁によって、キケロ君は追放されたのである。キケロ君の市民権を奪う法律を成立させることは出来なかったし、法的な文書も有効な文書も何もなく、全ては法と父祖たちの慣習に反して、暴力と狂気によって出鱈目に行われた事である」と彼は述べたのであります。

 そして、「仮にあの文書(※)が法律だとしたら、執政官は元老院に動議を提出することも、私が意見を言うことも許されていない。しかし、その二つが共に行われたのであるから、キケロ君を帰国させる法律を提案することを元老院は決議する必要がない。そんなことをすれば、法律ではなかったものを法律と認めることになってしまう」と述べたのです。あれ以上に共和国にとって真っ当な意見、素晴らしい意見は誰も言えなかったのであります。なぜなら、彼はあの男に悪の烙印を押すことによって、将来似たような災難が共和国に降りかかるのを防ごうとしたからであります。68

※キケロを追放する法律。「誰であろうと元老院に提案したり、決議をしたり、議論したり、話をしたり、投票したり、法を起草したりしてはならない」という条文があった(『元老院での帰国感謝演説』8節参照)。

 私のために見事な演説をしてくれたグナエウス・ポンペイウス氏も、私を擁護する意見を発表してくれた神祇官の皆さんも、あの法律は法律ではなく、むしろ一時の気の迷いであり、犯罪的な禁止命令であり、狂気の言葉であることを気付いていないことはなかったのです。むしろ皆さんは、民衆の同意なしに私が帰国して、のちのち民衆の反発が私の身に降りかからないように配慮して下さったのであります。

 同様の配慮から元老院は、神祇官団が私の家について判断を下すべきであるという勇者ビブルス君の意見に従ったのです。それはあの男のした事は法的にも宗教的にも正しい事は何もないことに疑いを持っていたからではなく、あの大勢の悪人たちの中から将来私の家は宗教的な禁忌が除去されていないと言う人間が出て来ないようにするためだったのです。なぜなら、元老院は私について意見を述べる度に必ずあの法律は法律ではないと宣言したからです。なぜなら、元老院はあの男の文書によって意見を表明することを禁じられていたからであります。69

 この事はあの似た者同士のピソーとガビニウスも知っていました。法律と判例を恐れる彼らは、満員の元老院が彼らに私のための動議を提出するよう毎日しつこく求めた時、それは認められないとは言わずに、あの男の法律のためにそれは出来ないと言ったのであります。実際、彼らはそう言うしかなかったのです。何故なら、彼らの行動を妨げた法律は、あの男が二人にマケドニアとシリアを割り当てたのと同じ法律だったからです。

第二十七章
 レントゥルス君、君は無役の時も執政官になってからもこの法律はけっして法律ではないと考えていました。何故なら、護民官たちが私の帰国の提案をした時に次期執政官として私に関する意見を何度も公表しているからです。一月一日になると彼は目的が達成されるまで私の問題を元老院の討議に掛け、法案を公表して成立させてくれました。もしあの文書が法律なら、それはどれも許されない事だったのす。

 それどころか、プブリウス・クローディウス君とは赤の他人のピソーとガビニウスが法律であると見做したものを、君の同僚の高貴なクィントゥス・メテッルス君はプブリウス・クローディウス君の従兄弟であるにも関わらず、君と一緒に私の問題を元老院に掛けた時に、あの法律は法律ではないと宣言したのです。70

 ところで、クローディウスの二つの法律を恐れたあの二人は、他の法律をどれほど尊重していたでしょうか。法律の正当性についての元老院の意見は最も重みがあるのです。その元老院が私の問題を諮問された時には何時でも、あの男の法律は法律ではないと宣言したのです。レントゥルス君、君も私に関する法律を提案する時には、この事を考慮に入れていたのです。

 だから、君の法案は「キケロはローマに帰ってよい」ではなく、「キケロはローマに帰ること」としたのです。なぜなら、君はもともと私に出来たことを出来るようにする法案にする積もりはなかったからです。私が共和国に戻るのは復権した結果というより、ローマの民衆の命令で呼び戻された結果であると思われるようにしたかったのです。71

 悪の権化である君がこんな私を図々しくも亡命者と呼んだのでしょうか。君こそはひどい犯罪と汚名の烙印を押されて、どこへ行ってもそこが君の亡命先になっているのです。そもそも亡命者とは何でしょう。それは不幸な人であっても不名誉な人ではないのです。

 それでは、どんな場合に亡命者は不名誉な人になるのでしょうか。それが犯罪者に対する罰である場合には事実として不名誉であり、それが有罪判決を受けた人の罰である場合には世間体が不名誉なのです。では、私がその名前で呼ばれるのは、私が犯罪者だからでしょうか、それとも有罪判決を受けたからでしょうか。

 私は犯罪者だったでしょうか。仲間たちから「幸福なカティリナ」と呼ばれている君も、これまで私を犯罪者と呼んできた人たちも、今ではそんなことは言えなくなっています。どんな無知な人でも私の執政官時代の行動を犯罪だと言う人はもういないのです。どんなにひどい国賊でも私の思慮分別のおかげでこの国が救われたことを今では認めているのです。72

 大きな議会であろうと小さな議会であろうと、私の行動を素晴らしいと最大の賛辞を呈さなかった議会はこの世にないのです。

 その中でも元老院こそはローマだけでなく世界中のあらゆる国民と君主たちにとっての最高の議会なのです。その元老院が、共和国の安寧を願う全ての人々に対して、私一人を救うためにローマに集まることを決議したのです。そして、かつて私がローマにいなかったら共和国は立ち行かなかったように、私が帰国しない限り共和国に未来はないと宣言したのです。73

 元老院階級の次に高い地位にあるのが騎士階級であります。国家の歳入に関わる彼らの全ての団体が私の執政官時代の行動に最大の賛辞を送る決議をしました。私たちと共に国の会計や公文書の記録に携わっている秘書官たちも、共和国に対する私の貢献について自分たちの考えを公表しようとして決議をしました。我らの父祖たちは町々の民衆に委員会や議会のような物を設置させましたが、この町のどの団体も、下町も山の手も、私の帰国と復権について高らかに決議しない所はなかったのです。74

 自治都市と植民市とイタリア全土の町が行った忘れがたい素晴らしい決議について私はどう言えばいいでしょうか。私は彼らの決議によって祖国に帰って来ただけでなく、天に昇る階(きざはし)を与えられたと思うのです。レントゥルス君、君が私に関する法律を提案した日こそは、ローマの民衆が自分たちの人口のおびただしさ偉大さをその目で知った日だったのです。皆さんが認めるように、マルスの野の集会があれほど華やかに賑わったことは嘗てなかった事なのであります。そこにはあらゆる民族とあらゆる階級とあらゆる世代の人たちが集まったのであります。

 様々な都市と民族と属州と君主たち、要するに全世界の人たちが、私の人類に対する貢献に対して一致した決議をしたことは言うまでもありません。私のローマへの到着、ローマへの入城はどんなものだったでしょうか。私に対する祖国の歓迎ぶりは、救いの光明の復活に相応しいものだったでしょうか、それとも、君たちカティリナの仲間が私のことをいつもそう言っていたように、残虐な独裁者の復帰に相応しいものだったでしょうか。75

 あの日、喜びに満ちた多くのローマの民衆は、私に対して礼を尽くして、私を城門からカピトリウムへ、さらに私の家まで送り届けてくれたのです。その時の私の喜びはあまりに大きかったので、今では君の邪悪な暴力を退けようとせずに金を出して購うべきだったと思うほどなのです。その結果、あの転落がその名に相応しいものだとしても、そんな言葉で誹謗中傷されることはなくなり、私の執政官時代の行動は非常に多くの名誉ある宣言と証言と決議によって認められているので、今や誰もそれをあえて非難する人はいないのであります。

第二十九章
 実際、君は私を誹謗中傷しながらも私の不名誉の事ではなく、むしろ私の功績を明らかにしたのです。君ほど頭のおかしな人は思いつかないほどであります。なぜなら、君は一度私を誹謗中傷するなかで私がこの国を二度救ったことを認めているからです。それは一度目は、出来るなら永遠に記憶すべきと誰もが考える私の行為(=カティリナの仲間の処刑)、極刑で罰すべきと君が考える私の行為によってこの国を救った事であり、二度目は、君と君の多くの仲間たちからの閥族派の人たちへの激しい攻撃を、私が自分の体で受けとめて、私が以前に武力に頼らずに救ったこの国を戦争の危機から救った事なのです。76

 したがって、私の亡命は犯罪者に対する罰ではなかったと言っていいでしょう。しかし、有罪判決に対する罰だったと言うかも知れません。それはどの判決でしょうか。何かの法律によって誰かが私を告発したでしょうか。誰かが私を召喚したでしょうか。誰かが出廷日を指定したでしょうか。有罪判決を受けていない人が有罪判決に対する罰を受けることなどあり得るでしょうか。これが民衆の味方である護民官のやり方でしょうか。しかし、君が自分を民衆の味方だと言えるのは、君が民衆の役に立った時だけなのです。

 しかし、ローマ市民は誰も本人の意に反して市民権と自由を失うことはないというのが、我らの父祖たちから伝えられた法理であります。そのことを君は自分自身の経験から学ぶことが出来たのです。なぜなら、あの養子縁組に合法的な所は一つもなくても、彼の息子となる君の生殺与奪の権利をプブリウス・フォンテイウスが握ることを認めるかどうかを、君は聞かれたはずだからです。ですから、君にお尋ねしますが、もし君がこのことを認めなかったのに30のクリア族区がこれを認めるように君に命じたら、その命令は有効だったのでしょうか。けっしてそんな事はないのです。

 なぜでしょう。それは、我らの父祖たちは見せ掛けだけの民衆の味方ではなく、真に民衆のためを思って知恵を働かせて、ローマ市民は誰も意に反して自由を失うことはないという法理を打ち立てたからなのです。77

 実際、市民権を扱う十人委員が市民の自由に関して不当な裁決を下したとしても、この問題についてだけは、本人が望み次第一旦下された決定を再議に付すよう我らの父祖たちは定めたのであります。

 市民権は誰も意に反して民衆の命令によって失うことがあってはならないのであります。

第三十章
 例えば、ラテン植民市に移り住んだローマ市民は、自分の意思で名前を登録しない限りラテン人にはなれなかったのです。たとえ死刑の判決を受けた人でも、国籍を変えるために出かけた国に受け入れられるまではローマの市民権を失うことはなかったのです。彼らが国籍変更を余儀なくされたのは、市民権を剥奪されたからではなく、屋根と水と火の提供を禁じられたからなのです。78

 ローマの民衆は独裁者スラの提案に従ってケントゥリア民会で多くの自治都市の市民権を奪いました。彼らはその領土も奪いました。これは領土については有効でした。それは民衆の権利だったからです。しかし、市民権についてはスラの武力支配が終わるとともに効力を失ったのです。

 ウォラテッラエ人がまだ武装していたころ、この国の共和制を復活させた勝者スラ(=閥族派)はケントゥリア民会で彼らの市民権を奪うことは出来ませんでした。その結果、ウォラテッラエ人は今日でもローマ市民であるだけでなく最良の市民として私たちと共に市民権を享受しているのです。

 それなのに、共和制の破壊者であるプブリウス・クローディウス君は、貧しい雇われ人だけでなく奴隷たちを集めて民会を招集して、その日はローマに居なかったと言い張るフィドゥルスを最初の投票者として、執政官級の人間(=私)の市民権を奪うことができたというのでしょうか。79

 しかし、もしフィドゥルスがローマにいなかったのなら、彼の名前を最初の投票者として法律に書き込むとは、君は何と無謀なことをしたのでしょうか。インチキをしたのにもっと増しな支持者を見つけられなかったとは、何と情けないことでしょうか。反対に、もしフィドゥルスが最初に投票したのに(住む所に不自由する彼でも広場で野宿すればそれぐらいは出来たでしょう)それを否定したければ、どうしてその日はカディスにいたと宣誓しないのでしょうか。君はインテラムナエにいたと言って通用したのですから、

 我々の市民権と自由を守っている法では、護民官が「汝らは望んで命令するか」と問いかけてフィドゥルスのような人が百人いて「望んで命令する」と言えば誰でも市民権を失うことは避けられないと、君は考えているのでしょうか。それでも君は民衆の味方であると言えるのでしょうか。もしそうなら、市民権と自由は、圧政も政務官の権力も過去の判例も、多くのことで最大の力を持っているローマの民衆全体の権力さえも揺るがすことは出来ないと法で定めた我らの父祖たちは、民衆の味方ではなかったことになるでしょう。80

 さらに、人から市民権を奪った君が公共被害救済の法を提案したのです。その事にアナグニアの某メヌッラ氏はとても喜んで、その法律のお礼に銅像を私の屋敷の中に立てたのです。しかし、その場所は君のために大きな損害を被った場所だったので、君の法律とその像の碑文の中身が嘘であることがばれてしまったのです。この出来事にアナグニナアの立派な人たちとても腹を立てました。それは、あの剣闘士がアナグニナアの町で行った悪事に対する憤りの比ではなかったのです。81

第三十一章
 まだあります。君はフィドゥルスに君の法案に賛成したことを否定されましたが、自分の護民官としての政策を有力者の名声で権威付けするために権力者の抱き込みには成功しました。

 ところが、その法案には私の市民権だけでなくローマの民衆が私に与えてくれた名誉ある地位を傷つけるような条文が一つもないとしたら、それでも君は私を貶めるために喋り続けるのでしょうか。私が先の執政官の非道な悪事の後で元老院とローマの民衆とイタリア全土から数多くの栄誉を授けられたことは君も見て知っているのであります。さらに、私がローマを離れていた時でさえ君は自分の法律によって私が元老であることを否定できなかったのであります。

 というのは、私に火と水を与えることを禁止する条文は君の法案のどこにあったのでしょうか。そのような法案をガイウス・グラックスがプブリウス・ポピリウスに、サトゥルニヌスがメテッルス(ヌミディクス)に、つまり治安を乱す人たちが勇敢で立派な市民に対して出したことがありますが、彼らは「禁止する」と書いたのであって「禁止した」とは書かなかったのです。そんな法案はあり得ないからです。また、監察官が私に元老院の席を与えないようにする規定は君の法案のどこにあったのでしょうか。有罪判決を受けた人にこの禁止命令が出た場合でも、この規定は法案の中に書くものなのです。82

 このことを君の法律を書いたクロエリウスに聞いてみるといいのです。彼にここに出てくるように言えばいいのです。彼は隠れているのでしょうが、君が探すように命じたら、彼は君の姉に顔をうずめて隠れているのが見つかるでしょう。

 君の父親(♯)は君とは似ても似つかない立派な市民でしたが、彼に対して護民官が法案を発表した時、キンナの支配下(※)では公平な裁判が受けられないため出廷を拒否して命令権を剥奪されました。しかし、まともな精神の持ち主なら誰も彼を亡命者とは呼ばなかったのです。

♯アッピウス・クラウディウス・プルケル、89年法務官、79年執政官。

※キンナは前87~84年の執政官。88年にマリウスに追放されてキンナが死んだ84年にローマに復帰した(ドイツ語版ウィキペディア)。

 彼に対する罰は合法的なものでしたが、当時の圧政下では恥ずべきことではなかったのです。一方、私は出廷を求められたことも告発されたことも護民官に召喚されたこともないのです。そんな私が有罪判決に対する罰を受けることがあり得たでしょうか。何よりそのような罰はあの法案には書かれていないのです。83

第三十七章
 君の父親に対する不当な扱いと私の境遇の違いをよく考えて欲しいのです。君の父親は立派な市民で高名な人の息子でしたが(君の祖父はとても厳しい人だったので、もしあの人が生きていたらきっと君は生きていられなかったでしょう)、自分の甥で監察官だったルキウス・フィリップスによって元老院名簿から除外されたのです。

 ルキウス・フィリップスはあの時代に監察官を志望した人なので、共和国が決めたことに反対できなかったのです。それに対して、ルキウス・コッタ氏(前65年執政官、前64年監察官)は監察官をした経験がありましたが、彼はもし私がローマを離れている時に監察官だったら、元老院名簿に私の名前を含めて読み上げたと元老院で宣誓したのです。84

 私の陪審席に代わりの人を選んだ人は誰もいなかったのです。私がローマを離れている間に、私がローマにいた場合とは異なる遺言を書いた友人は誰もいなかったのです。ローマ市民だけでなくローマ市民でない人で、君の法律に反して私を受け入れて助けることをためらった人は誰もいなかったのです。

 最後に満場の元老院が、私のための法案が成立するずっと以前に、マルクス・トゥリウス(=キケロ)を受け入れた国々に対する感謝決議を行ったのであります。もとへ、「共和国に最大の貢献をした市民であるマルクス・トゥリウスを」であります。こうして私が追放されたあとも元老院は私のことを常にローマ市民であるだけでなく優れたローマ市民であると見做していたというのに、この国の疫病神である君だけは私の復帰を認めないのでしょうか。85

 ローマの古い年代記によると、カエソ・クインクティウスとフリウス・カミッルスとセルウィリウス・アハラは、共和国に大きな貢献をした人たちだったにも関わらず、扇動された民衆の怒りと暴力に曝されたことがありました。彼らはケントゥリア民会で有罪判決を受けて亡命しましたが、怒りを鎮めた民衆によって元の地位に呼び戻されたと言われています。

 彼らは有罪判決を受けたにも関わらずその亡命は高貴な彼らの名声を少しも損なうどころか、むしろ高めたのです。何の苦もなく不幸もなく人生を全うする方が望ましいですが、何もひどい目に遭わないより、市民に望まれて復帰する方が永遠の名声を高めることにつながるのです。私の場合、民衆の判決もなしに亡命したのであり、その後あらゆる人たちの素晴らしい決議を受けて帰って来たのです。それなのに、私の亡命が人から誹謗中傷される理由になるでしょうか。 86

 プブリウス・ポピリウスは勇敢で志操堅固な閥族派の市民であったにも関わらず、その人生には亡命以上に彼の名声を高めたことはなかったのです。もし彼が悪党たちに追放されて閥族派の人たちに呼び戻されていなかったら、誰が共和国に対する彼の貢献を覚えているでしょうか。メテッルス(ヌミディクス)は軍事の統率力に秀でた人で、監察官としても優れており、その人生は高潔さに溢れていました。しかし、彼の名声を永遠に忘れがたいものにしたのは、彼の亡命だったのです。

第 三十三章
 しかし、彼らの追放は不当なものでしたが法に則ったものでした。また、彼らが帰国したのは政敵が殺害された後のことで、護民官の法律によるものでした。彼らのためには元老院の助言も、ケントゥリア民会の決議も、イタリア全土の決議も、市民たちの要求もなかったのです。それでも、政敵から加えられた不正は彼らの名誉を傷付けることはなかったのです。それに比べて私の場合は、何の地位も失うことなく出国して、共和制と共にローマから姿を消したのであり、君が殺害もされず君の兄(=アッピウス・クラウディウス、既出)が法務官なのに、大きな名誉と共に帰国したのです。しかも私の復帰には一人の執政官の尽力ともう一人の執政官の同意があったのです。それなのに、君の不正によって私の名誉が傷付くのは避けられないと君は考えるのでしょうか。87

 もしローマの民衆が怒りと憎悪に駆られて私をローマから追い出して、その後共和国に対する私の貢献を思い出して考えを改めて、自分たちの思い違いと不正を悔い改めて私を復帰させたとしたら、この民衆の判断は私にとっては恥辱ではなく名誉となるべきだとまともな頭の持ち主なら誰もが考えたでしょう。

 実際、誰一人として私を民衆の法廷に呼び出さなかったのですから、告発されてもいない私が有罪判決を受けたはずがないのです。私は追放されたとは言え、戦っていたら勝てないことはなかったのです。それどころか、私はローマの民衆から常に支持され賛美され高い地位を与えられているのですから、私ほど民衆から人気のある人が誰かいるでしょうか。88

 それとも、君はローマの民衆とは金で雇われた人たちで、扇動されて政務官に暴力を加えたり元老院を包囲したり、毎日殺人と放火と略奪をしたがっている人たちのことだと思っているのでしょうか。しかし、その君が考える民衆とは商店を休みにしなければ(=略奪されるから)集められなかった人たちであり、レンティデイウスやロッリウスやプラグレウスやセルギウスといった連中を君が頭目に据えたような人たちなのです。諸国の君主たちと外国の国々と世界中の民族が恐れる誇り高いローマの民衆の姿とは、君にとっては奴隷と雇われ人と犯罪者と貧乏人を寄せ集めた暴徒の集団でしかなかったのです。89

 君が元老院とイタリア全土の熱意あふれる決議に反対する演説をする機会が与えられた時、君がマルスの野で見たものがローマの民衆の美しい真の姿だったのです。あの日、卑劣漢である君が見たものこそ、王たちの主人でありあらゆる民族の勝利者であり支配者であるローマの民衆だったのです。あの輝かしい日に、この国のあらゆる指導者とあらゆる階級とあらゆる世代の人々が、一人の市民を救うためではなくこの国を救うためだと考えて投票したのです。しかも、マルスの野にやって来た人々は商店が休みになってやって来た人々ではなく、町が休みになって来た人々だったのです。90

第三十四章
 当時この共和国に執政官が居ようと居まいと、この民衆の力に頼れば私は君の向こう見ずな狂気と非道な悪事に苦もなく対抗できたことでしょう。

 しかし、武器を使った暴力に対抗して、国の後ろ楯もなく国のために立ち上がる道を私は選びませんでした。それは、護民官ティベリウス・グラックスに対する無役の勇者プブリウス・スキピオ(ナシカ・セラピオ)の蛮勇を私が評価していないということではありません(※)。共和制の維持には後ろ向きだと言われていた当時の執政官プブリウス・ムキウスは、事件が起きると直ちにこのスキピオの行為を多くの元老院決議によって擁護し称賛したのです。

※このスキピオは前133年に護民官ティベリウス・グラックスを殺害した。

 それに比べて私の場合は、君を殺しても執政官と戦わねばならないし、君を殺し損ねたら君と執政官の両方と戦わねばならなかったのです。91

 当時はその他にも恐るべき相手は沢山いたのです。この国は奴隷たちの手に落ちかねなかったのです。これは本当です。昔の陰謀団から生き残った悪人たちの腐りきった心の中には、閥族派の人たちに対するそれほど強い憎しみが取り付いていたのです。

 ここで君は私に自慢するなと言っています。私がいつも自慢話をするのを耐え難いと言っているのです。君は面白い人ですね。私はいつも自分はユピテルでミネルバは自分の妹だと言っていると。何と気の利いた面白いことを言ってくれるではありませんか。

 ミネルバをユピテルの妹(=本当は娘)であると考える君の無知に比べたら、自分をユピテルと呼ぶ私の傲慢さなどたいした事はありません。しかし、君が自分の妹を処女にしておかなかったのに対して、私は自分の妹が(=ミネルバと同じく)処女であることを請け合います。君こそ自分をユピテルと言わないように気を付けるべきです。なぜなら、君には一人の女を妹とも妻(=ジュノーはユピテルの妹であり妻である)とも呼べる理由があるのですから。92

第三十五章
 私には偉そうに自慢する癖があると君がけなすので言わせてもらいますが、これまで私がやむを得ずする以外に自分の話をするのを誰が聞いたというのでしょうか。なぜなら、もし私が盗みや収賄や不業績を責められている時に、祖国を救ったのは私だ、私が方針を決めて私が危険を冒して苦労したからだと答えたら、私は罪を認めていると見られるでしょう(=情状酌量を求めているから)。しかし、手柄を自慢しているとは言われないはずなのです。

 しかし、もし共和制のこの大きな危機の時代までの間に、私が批判されている事がまさに私が祖国を破滅から救ったあの時に一度冷酷に振る舞ったことだったらどうでしょうか。私はこの批判に答えず済ましたり、控えめに答えるべきだったでしょうか。93

 むしろ私は祖国を救うために元老院の助言のもと閥族派全員の同意を得て成し遂げた快挙の素晴らしさを語り続けることが、共和国にとって大切なことだと思ったのです。とりわけ、私の力でこの町と共和国の安全が保たれたことをローマの民衆の前で誓約して語ることは、この国では私だけに許されることだったのです。今では私の冷酷さに対する非難はかき消えています。なぜなら、私が冷酷な独裁者ではなく慈悲深い父親として、あらゆる熱心な市民によって求められ呼び戻されて復権したことは周知の事実だからです。94

 ところが、新たな非難が飛び出して来たのです。今度は私がローマを退去したことが標的となったのです。これに対して私は最大限の自画自賛以外で答えることは出来ません。尊き神官の皆さん、私は何を言うべきでしょうか。私は罪の意識にさいなまれて逃亡したと言うべきでしょうか。しかし、私が非難されている行為は犯罪であるどころか、人類の歴史上最大の美挙だったのです。私は民衆の法廷が恐かったと言うべきでしょうか。しかし、そんな法廷は提案されなかったのです。もし仮に提案されたとしても、私は自分の名声を倍にして法廷を出たことでしょう。私には閥族派の人たちの支援がなかったと言うべきでしょうか。それを言えば嘘になります。私は死を怖れたと言うべきでしょうか。それを言うのは恥辱であります。95

第三十六章
 要するに、私はやむを得ない場合にしか言わないことを言っているだけなのです。私はこれまで名声を手に入れるために自分のことを偉そうに言ったことは一度もありません。それは自分に向けられた批判を跳ね返すためだけなのです。ですから、私が今から言うことを私は声を大にして言うのであります。

 元老院は力を失い、ローマの騎士階級はパニックに陥り、ローマ全市が不安にさいなまれていた時に、悪辣な陰謀家たちに扇動された暴徒が、一人の護民官をリーダーにして執政官たちの協力を得て、私というよりは私を通じて閥族派の人たちに攻撃を仕掛けようとしていたのです。その時私は思いました。私がこの戦いに勝利したとしても残された共和制は脆弱なものとなってしまう、もし私が敗れたら共和制は消えてしまうと。

 こう考えた私は、憐れな妻との別離と、最愛の子供たちの孤独と、離れていく最愛の素晴らしい弟の苦境と、強く結ばれた家族の突然の崩壊を思って涙しました。しかし、そのどれよりも私はこの町の市民の命を優先したのです。そして、市民が全滅して共和制が滅ぶより、私一人が退去して共和制がつまづく方がよいと考えたのです。そして、もし勇敢な人たちが生きていれば、倒れている私を引き起こしてくれると思ったのです(実際その通りになりました)。逆にもし私が閥族派の人たちと共に死んでしまえば、共和制が再興する可能性は全くなくなると思ったのです。96

 尊き神官の皆さん、私は誰にも信じられない大きな辛酸を味わったのです。それを私は否定しません。私があまりにも落胆し過ぎていると言い、もっと分別を持てと言った人たちがいましたが、当時の私は分別どころではありませんでした。それとも、あれほど多くの様々な幸福から引き裂かれた時に(それは涙なしには語ることができないので、ここで言及するつもりはありませんが)、私は人間らしさを忘れ、誰もが持つ自然な感情を捨て去れたとでも言うのでしょうか。

 もし私にそんな事が出来たとしたら、私は失っても平気な物を共和国のために手放したのですから、自分の行為を自画自賛したり、自分は共和国に大きな貢献をしたと言うべきではないでしょう。また、私はそのような分別を美徳の表れというよりは単なる感覚の欠如であると考えるでしょう。それは硬くなった皮膚が火の熱を感じないのと同じだからです。 97

第三十七章
 私は自らこれほど大きな辛酸を嘗め、ローマが占領された時に敗者が味わう不幸をローマが健在のまま一人で味わい尽くし、身内の抱擁から引き離され、自分の家が破壊され、財産は略奪され、祖国を守るために祖国を失い、ローマの民衆がくれた高い栄誉を奪われ、最も高い名声の地位から突き落とされ、政敵たちが紫の縁飾りの付いた正装を着て、悲しんでもいない葬式の費用を請求しているのを見たのです。

 私は市民を守るためにこの全てに耐えたのです。しかも、私は何にも動じない分別の持ち主ではなく、自分自身と家族を愛する人間であり、耐えることが辛い普通の人間なのです。ここに最高に素晴らしい名誉があるのです。自分には大切でもなく愛してもいない物を共和国のために平気で捨てても、それは共和国に対する愛情の証しにはならないのです。そうではなく、手放すことに大きな苦痛を伴う物を共和国のために捨てる人こそ真の愛国者であり、自分の家族への愛情より祖国の救済を優先する人なのであります。98

 したがって、祖国にとってのあの悪魔、あの疫病神がこれを聞いてたとえ気を悪くするとしても、彼の方から挑発してきたのですから、私が今から言う話を聞かなければなりません。共和国を私は二度救ったのです。一度目は執政官の時であり、文民である私は軍人たちに勝利して共和国を救いました。二度目は無役の時であり、私は武装した執政官に譲歩することで共和国を救ったのです。この二つの危機から私は大きな収穫を得たのです。一度目の収穫は、私のために元老院決議によって元老院と閥族派の人たちが全員喪服に着替えてくれるのを見たことであり、二度目の収穫は、元老院とローマの民衆とあらゆる人たちが、公的にも私的にも、私の帰国なしにこの国は救われないと宣言してくれたことでした。99

 しかし、尊き神官の皆さん、今回の私の帰国の成否は皆さんの審判にかかっているのであります。というのは、もし皆さんがこれまでいつも熱意と知恵と決議と宣言によって一貫して私のために尽くしてくれたようにして、私を元の家に戻して下さるなら、私は本当の意味で帰国したと思えるでしょう。しかし、もし私の家が返されないだけでなく、その家が私の政敵にとって、私の苦難と彼らの不正と国家の不幸の記念碑となるなら、今回の出来事は帰国というよりは永遠の罰であると考えない人がいるでしょうか。

 尊き神官の皆さん、私の家はローマの町のどこからでも見えるところにあるのです。もしあの場所にそんな記念碑が、というよりは私の政敵の名前が刻まれたそんな墓があり続けるなら、私はこの町に住んで自分と共和制に対する戦勝記念碑が立っているのを見続けるよりは、どこか別のところに移り住むべきなのです。100

第三十八章
 それとも、私によって救われたと元老院が全員一致で何度も決議したこの町の中で、政敵であり国賊である男の手によって自分の家が倒されて、同じ男によって神殿が建てられて、閥族派の人たちの悲しみが癒える時がけっして来ないようにローマ市民の目にさらされるのを眺められるほどに、私は感情のない人間になって、何を見ても恥ずかしいと思わないようになれるとでも言うのでしょう。

 王座を求めたスプリウス・マエリウスの家が倒されて平地にされた時、その地にマエリウスの平地という名前が付けられてこの罰の正しさが承認されたのは、この罰がマエリウスにとって公平な処置だったとローマの民衆が見なしたからなのです。スプリウス・カッシウスの家も同じ理由で壊されて、その場所に大地の神の神殿が建てられました。ウァックスの野はかつてマルクス・ウァックスの家があった所で、それが没収されて倒された跡地ですが、彼の悪事が土地の名前によって永遠に記録されているのです。

 マルクス・マニリウスはカピトリウムの坂からガリア人の攻撃を撃退しましたが、自分の功績による栄光に満足できませんでした。彼は王座を狙っていると見なされたのです。そのために彼の家は壊されて、いまその場所はご存知のように二つの林に覆われています。我らの父祖たちはこうする事が悪辣な市民に対する最大の罰となると思ったのです。私はそれと同じ罰を甘んじて受けることになるのでしょうか。私は後の世の人たちに陰謀と悪事を鎮圧した者ではなく、その首謀者でありリーダーであったと思われても仕方がないのでしょうか。101

 尊き神官の皆さん、元老院が健在であり皆さんが国の決定に指導的役割を果たしているというのに、名誉あるローマの民衆がこんな不名誉で不合理で恥ずべき事態に耐えられるのでしょうか。キケロの家がマルクス・フルウィウス・フラックスの家と結ばれて、国が下した罰の記念碑と見られることにローマの民衆が耐えられるのでしょうか。マルクス・フラックスはガイウス・グラックスと一緒に国の秩序を乱したという理由で元老院決議によって死罪になった人であります(前121年)。彼の家は破壊され没収されたのであります。その場所には後にクィントゥス・カトゥルス(前102年執政官)がキンブリ族から奪った戦利品を使って回廊を建てたのです。

 あの祖国の怨霊かつ悪の首謀者がピソーとガビニウスを先頭に立ててこの町を乗っ取って占拠して牛耳るやいなや、あの男はこの高名な故人の記念碑を破壊して、私の家をフラックスの家と結び付けたのであります。そして、元老院が機能していないことをいいことに、彼はかつて元老院が町の破壊者に下した罰を、元老院によって祖国の守り神と宣言された人に対して下したのであります。102

第三十九章
 この町の最も美しい場所であるパラティヌスの丘にあんな回廊(=カトゥルスの回廊のあとにクローディウスが建てた回廊)が立っていることを皆さんは放置するのでしょうか。それは護民官の狂気と執政官の悪事と陰謀家たちの残虐さと共和国の破滅と私の苦難の印として、人類の永遠の記憶に刻み込まれることになるのです。共和国を今も昔も変わらず愛している皆さんなら、さぞやこの回廊を破壊することを決議するだけでなく、必要があれば自ら腕力を振るって破壊したいことでしょう。それとも、あの敬虔な神官の迷信に基づく聖別には人を近づけない力があるとでも言うのでしょうか。103

 ああ、あの事件に軽薄な連中は笑いが止まらないでしょう。しかし、少しでも真面目な人間があの事件のことを耳にしたら大きな憤りを感じずにはいられないでしょう。プブリウス・クローディウスは大神祇官の家から神聖さを奪い取った(=ボナ・デア神を冒涜したことを指す)男なのです。その男が私の家に神聖さを持ち込んだと言うのでしょうか。宗教的儀式を司る神官である皆さんは、この男を国の宗教のお手本であり教師であると見做しているとでも言うのでしょうか。

 ああ、不死なる神々よ、汝らに聞いて頂きたい。プブリウス・クローディウスは神々の祭儀を大切にしているでしょうか。彼は神々の意思を恐れているでしょうか。彼は人間世界の出来事は神々の崇拝に深く結び付いていると考えているでしょうか。彼はここにいる貴顕紳士達の権威を馬鹿にしているのではないでしょうか。尊き神官の皆さん、彼は皆さんの名声を悪用しているのではないでしょうか。彼の口から敬虔な言葉が漏れ出てくることなどあり得るのでしょうか。宗教儀式について厳格な決議をしたことで元老院を非難した時、君はその口で宗教を下品な言葉で冒涜したのです。104

第四十章
 尊き神官の皆さん、この信心深い男(=クローディウス)をよくご覧下さい。そして、よろしければ立派な神官の務めとして、信心にも程があること、過度に迷信深くなってはいけない事をこの男に教えてやって下さい。狂信者よ、どうして君(=クローディウス)は馬鹿げた迷信家になって、他人の家で行われる宗教儀式(=ボナ・デア)を覗き見る必要があったのでしょうか。

 君は男の宗教だけでなく女の宗教にも参加しないと神々を充分になだめられないと思うほどおつむが弱いのでしょうか。君の祖先たちは個人の祭儀を重んじて国の祭司を統轄していましたが、そのうちの誰かがボナ・デアの祭儀に参加したという話を君は聞いたことがあるのでしょうか。盲目になった人(=アッピウス・クラウディウス、前312年監察官)を含めて、そんな人は一人もいないのです。

 ここからも世の人々が大きな誤解をしているのは明らかです。アッピウスは見てはならないものを故意に見たから視力を失ったのではないのです。それに対して、見てはならないものを見ただけでなく不貞の罪を犯して神の祭儀を汚したあの男(=クローディウス)は、目が受けるあらゆる罰を心の盲目として被ったのです。尊き神官の皆さん、こんな清潔な、こんな敬虔な、こんな高潔な、こんな信心深い大先生が、優れた市民の家を自分の手で破壊してその同じ手でその家を聖別したと言っていることに衝撃を受けないのでしょうか。105

 クローディウス君、君のやった聖別とは何だったのでしょうか。「私はそれが許されるように法律を作った」と言うかもしれません。それなら、君は「もし法に反する提案が含まれているなら、その提案は無効である」(=『カエキナ弁護』95節参照)と但し書きを付けなかったのでしょうか。尊き神官の皆さん、これからは皆さんの誰かの家や祭壇やかまどや家の守り神が護民官の気紛れに支配されても法に反しないと言うつもりでしょうか。誰かが興奮した人たちを使って誰かを襲撃して打ちのめしてから、一時的な狂気の発作の内にその人の家を破壊するだけでなく、その家を後々までも永久に宗教的な束縛で拘束したとしても、それは法に反しないと言うつもりでしょうか。106

第四十一章
 尊き神官の皆さん、宗教儀式を行うときには不死なる神々の意向が何であるかを解釈することが重要であると私は聞いております。その上、神々に対して敬虔であるということは、神々の意向と神々の意図についての高潔な理解を必ず伴うものであって、不正なこと不名誉なことを神々に要求するのは許されない事であると考えられているのであります。

 あの汚らわしい男は全権を掌握している時でも、私の家を譲渡したりプレゼントしたりする相手を見つけられなかったのであります。彼はあの土地と家に対する欲望に燃えていて、ただその為にあの忌まわしい法案によってあの立派な紳士が私の財産の所有者になろうとしたのです。しかしながら、まさにあの狂信的な思い付き(=聖別すること)のせいで、彼は自分の欲望を燃え上がらせたあの家を所有することに踏み切れなかったのです。そして、私の家は悪辣な人間の雇った忌まわしい盗賊団によってうち壊されてしまいました。しかしながら、かつて不死なる神々は私の知恵と努力のおかげで自分たちの神殿を失わずにすんだのです。その神々が私の家の跡地に移り住むことを望んだと、皆さんはお考えでしょうか。107

 プブリウス・クローディウスの汚れて血塗られた一団を除けば、これほど多くの民衆の中で少しでも私の財産に手をつけた人は一人もいないのであります。誰もが自分の力に応じてあの嵐の時代に私を守ろうとしてくれたのです。その一方で、略奪の仲間となるにしろ略奪物を買い受けるにしろ、何らかの仕方で略奪に手を染めた人たちは、私的な制裁と国の裁きによる罰を免れなかったのであります。

 私の財産に少しでも手をつけた人は、誰もが人々から最悪の人間だと言われたのです。それなのに、不死なる神々はその財産の中から特に私の家を熱望したでしょうか。ところが、君のあの美しい自由の女神は、いわば囚われの屋敷に入るために、私の家の守り神と私の家のかまどの神を追い出したのです。108

 個々の市民の家庭以上に全ての宗教によって神聖視され固く保護されているものが何かあるでしょうか。そこには祭壇があり、そこにはかまどがあり、そこには守り神があり、そこで儀式と礼拝と祭儀が行われるのです。そこは全ての人々によって神聖視されている避難所であり、ここから誰かを無理やり引き離すことは神を冒涜することなのであります。

第四十二章
 であるからこそ、なおさら皆さんはあの男の狂信的な思い付きを皆さんの耳から跳ね除けなければならないのです。彼は我らの父祖たちが宗教によって安全なもの神聖なものと定めた物を、宗教に反して揺るがしただけでなく、宗教の名において破壊したのですから。109

 しかし、君の女神はどんな神なのでしょうか。君が奉納したのですから、きっと良い女神(ボナ)に違いないのでしょう。「自由の女神」だと彼は言っています。君はこの町じゅうから奪った自由を女神にして私の家に置いたのでしょうか。

 君は最高権力をもつ君の仲間たち(=ピソー、ガビニウス)から自由を奪った人なのです。君はカストール神殿の入口を万人から閉ざした人なのです。

 君はここにおられる高明な人物(=マルクス・ルクルス)を、ローマの民衆が聞いているところで、下男たちに踏みつけにするように命じた人なのです。彼は最高の氏族から生まれた人で、民衆の高い支持を得ており、神祇官と執政官の経験をもち、優れた美徳と自制心を備えた人なのです。私は君がどんな顔をしてこの人の顔を見られるのか不思議でなりません。

 さらに、君は暴虐な例外法規を提案して私を有罪判決もなしに追放した人なのです。君はこの世界の第一人者(=ポンペイウス)を家に閉じ込めた人なのです。君は堕落した人たちを武装させて中央広場を占拠した人なのです。

 その君が自由の女神の像をあの家の中に置かせたのでしょうか。あの家こそ君の残酷な支配の証拠であり、ローマの民衆の哀れな隷属の証(あかし)なのです。

 そもそも、この国全体が奴隷の支配下に落ちるのを防ぐために欠かせなかった人間が、自由の女神によって自分の家から追い出されるなどと言うことがあってよいのでしょうか。110

第四十三章
 しかし、君はどこであの自由の女神を見つけて来たのでしょうか。私は詳しく調べてみたのです。聞くところによると、ギリシアのタナグラに一人の娼婦がいました。彼女の大理石の像がタナグラから遠からぬ所の墓に立っていました。それをここにいる信心深い自由の神官と縁続きの、ある高貴な人(=クローディウスの兄アッピウス・クラウディウス、既出)が造営官職の飾りに持ち帰ったのです。彼は見世物の豪華さで前任者の誰にも引けを取りたくなかった。そこで彼はローマの民衆のためと称してギリシア本土と島々の神殿や公共の場所に遺されている彫像や絵などの美術品をことごとく安い値段で買い叩いて自分の家に持ち帰ったのです。111

 彼は選挙の競争相手に自分の名前と頭文字が同じ候補さえいれば、造営官にならなくても、執政官のルキウス・ピソーによって法務官に選ばれることが分かると、造営官の仕事に使う道具は自分の金庫と別荘にしまい込んだのです。

 そして、墓から持ってきた娼婦の像をあの男(=クローディウス)にプレゼントしたのです。それはこの国の自由の象徴というよりは彼らの逸楽の象徴だったのです。そんな女神をわざわざ冒涜する人がいるでしょうか。それはもともと娼婦の似姿をした墓の飾りであり、盗人がくすねて来て罰当たりな男が置いた物なのです。私はこんな女神に自分の家から追い出されることになるのでしょうか。こんな女神が共和国を打ち倒して勝利を収めるのでしょうか。こんな女神が共和国の戦利品によって飾られるのでしょうか。永遠の屈辱の思い出となるように元老院が倒された証拠として建てられた記念碑の中に、こんな女神が鎮座し続けるのでしょうか。112

 ああ、クィントゥス・カトゥルス(前78年執政官)よ。(これは息子さんの方ですが、父親の方を先に呼ぶべきでしょうか。しかし、息子の思い出の方が新しいし、私の仕事との繋がりが深いのです)。あなたは私はいずれ共和国から大きな報酬を手にするだろう、それは日に日に大きくなっていくだろうと、言いましたが、何とひどい勘違いだったことでしょうか。執政官が二人とも共和国に仇をなすことなどあり得ないとあなたは言いました。ところが、元老院を屈服させて狂った護民官に引き渡した執政官が二人も現れたのです。彼らは布告と命令によって元老たちが私のために弁明するのも、私のために民衆に嘆願するのも禁止したのです。彼らは私の家が壊されて略奪に遭うのを傍観したのです。彼らは焼け残った私の財産を自分たちの屋敷に運ぶように命じたのです。113

 父親のカトゥルス(前102年執政官)の話に移りましょう。クィントゥス・カトゥルスよ、マルクス・フラックスはあなたの兄弟の義理の父親なのに、あなたは共和国に対して邪悪な計画を立てたこの人の記憶を人々の心と目から根こそぎ消し去るために、彼の家をあなたの戦利品を使った記念碑にすることを望んだのです。あなたがあの回廊を建てようとした時に、誰かがあなたに「いつか元老院の権威と閥族派の人たちの意向を無視する護民官が現れて、執政官たちの黙認だけでなく手助けを得て、あなたの記念碑を破壊する日が来るだろう」と言ったら、あなたはどう答えたでしょうか。さらに「執政官の時に元老院の助けを得て共和国を救った市民の家にその回廊をつなげる日が来るだろう」と言ったら、あなたはどう答えたでしょうか。きっとあなたは「この国がひっくり返らない限りそんな事はあり得ない」と答えたのではないでしょうか。114

第四十四章
 皆さん、よく見て下さい、突出して制御不能な欲望を持つあの男の許しがたくも図々しい面の皮を。あの男は記念碑や宗教のことを真剣に考えたことがあるでしょうか。彼は豪勢な暮らしをするために有名な二つの大きな屋敷をつなげたかっただけなのです。私がローマを離れたことで市民を皆殺しにする口実がなくなると、すぐにあの男はクィントゥス・セイウス氏に家を売ってくれと要求しました。セイウス氏がこれを断ると、最初は日の光が届かないようにしてやると脅したのです。

 ポストゥムス(=セイウス)氏は「私が生きている限りはこの家がお前の物になることはない」と断言しました。するとこの明敏な若者は彼の言葉から自分は何をすべきかを悟ったのです。彼はセイウス氏を公然と毒殺したのです。彼は入札者たちが疲れはてた時に評価額のおよそ半額でその家を買い取りました。私は何のためにこんな話をしているのでしょうか。115

 それは、私のあの家はほとんどの部分が聖別されていないと言うことであります。カトゥルスの回廊につなげられたのは私の屋敷の十分の一もないのです。しかも、遊歩道と記念碑と自由が抑圧してタナグラから持ってきた自由の女神像は単なる口実だったのです。

 彼は美しい眺望のパラティヌスの丘にある回廊が欲しかっただけなのです。それは三百フィートにわたって多くの部屋が隣接する舗装された大規模な列柱廊で、他の点でも豪華さと壮麗さでどの家にもはるかに勝るものだったからです。

 しかし、信心深いあの男は私の家を自分で売って自分で買ったのに、あれほどの暗黒時代に彼は買い手として自分の名前を出す勇気がなかったのです。彼は立派さゆえに貧しいスカトー氏(注)を買い主にしたのです。スカトー氏は今まで生まれ故郷のマルシに雨露をしのぐ屋根一つ持ったことがない人なのです。その人にパラティヌスの丘の豪勢な屋敷を買ったと言わせたのです。そして、あの男はその屋敷の低い方の半分を自分の養子先のフォンテイウス一族ではなく自分が捨てたクローディウス一族に割り当てたのです。そこに名前を登録したのは、クローディウスの一族の多くの人たちの中でも堕落した貧乏人と犯罪者ばかりでした。

注 このスカトーはウェッティウス・スカトー(Vettius Scato)の家門に連なる不動産業者(『ローマ革命』142頁注2)。

第四十五章
 尊き神官の皆さん、皆さんは全てにわたってこんな一貫性のない、こんな前代未聞のやり方と、これほどひどい図々しさと大胆さと貪欲さをお認めになるつもりでしょうか。116

 「神祇官が一人その場にいた」と言うかも知れません。我々はいま神祇官の皆さんの前で議論しているのです。それなのに、君は神祇官団ではなく神祇官が一人いたと言うことを恥ずかしいとは思わないのでしょうか。何と言っても君は護民官だったのですから、君は神祇官団に出席を要請どころか命令できたのです。君が神祇官団を使わなかったのはよしとしましょう。では、神祇官団の内のいったい誰が来ていたのでしょうか。君は神祇官の権威を必要としていました。しかし、それはどの神祇官も持っていますが、権威というものは年齢と地位によって大きくなるものです。また、君は神祇官の知識を必要としていました。しかし、どの神祇官も知識は持っていますが、年を取るほど知識は豊かになるものです。117

 ではいったい誰がいたのでしょうか。「私の妻の弟(※)がいた」と言うかも知れません。その人に権威を求めるとしても、彼の年ではまだ権威を身に付けていないでしょう。また、その若者が権威を身に付けているとしても、その縁故関係のおかげでそんな権威は台無しになっていると考えるべきでしょう。一方、その人に知識を求めるとしたら、ごく数日前に神祇官団に入ったばかりの人の知識など微々たるものではないでしょうか。

※ピナリウス・ナッタ、クローディウスの妻フルウィアの弟。

 しかも彼は君に世話になったばかりで恩義を感じていたのです。というのは、君は実の兄(=クラウディウス・プルケル)を差し置いて妻の弟を神祇官にしてやったからなのです。もっとも、その点で君は実の兄がへそを曲げないように充分配慮したことでしょうが。つまり、君には神祇官団の中に親友がいるのに、その儀式に神祇官団も、ローマの民衆に選ばれて公職に着いていた神祇官も使えなかったのです。それなのに、君はあれを聖別と呼ぶのでしょうか。神祇官がいたと言っても、それは君に促され、姉にせがまれ、母親に無理強いされた人だったのです。118

 尊き神官の皆さん、私の問題に関する皆さんの決定がほかの人たちの財産にどういう影響があるかよく考えてほしいのです。もし神祇官が門柱を握って何か言ったら彼はその言葉で誰の家でも聖別できると、皆さんは考えるのでしょうか。むしろ、神々の名誉のために我らの父祖たちが定めたそのような聖別、そのような神殿と社殿の儀式は、市民に損害をもたらさないものではないでしょうか。ところが、一人の市民が倒れていたところを共和国が手ずから助け起こしたのに対して、一人の護民官が執政官の軍事力を握って、狂信的な思い付きを起こしてその人の家に押し入ったのです。119

第四十六章
 では、もしあの男に似た人間が(あの男の真似をしたがる人間は跡を絶たないものです)私とは似ても似つかず共和国に大きな貢献もしていない人間に暴力を加えて、神祇官を使ってその人の家を聖別したとしたら、皆さんは自らの権威をもってその行為が有効であると認定するのでしょうか。皆さんは「そんな事をする神祇官がどこにいるか」と言うでしょう。では、同じ人が神祇官と護民官に同時になることは出来ないでしょうか。あの有名なマルクス・ドゥルススは護民官であると同時に神祇官でした。もし彼が自分の政敵のクィントゥス・カエピオの屋敷の門柱を握って二言三言唱えたら、カエピオの屋敷は聖別されたのでしょうか。120

 私は神祇官の法については何も申しませんし、実際の聖別の言葉についても、宗教儀式についても何も申しません。私はそれを知らないことを隠す積もりはないし、たとえ知っていても知らない振りをするでしょう。他の人々に私は面倒な奴だと思われたくないし、皆さんに詮索好きと思われたくないからです。もっとも、皆さんの知識は世に溢れているので、我々の耳にまでよく入って来るのです。

 聖別の時には門柱を握らなければならないことは私も聞いたことがあると思います。その門柱とは神殿の入口と扉にある門柱のことです。聖別の時に遊歩道の門柱などこれまで誰も握ったりしていません。クローディウス君、もし君が遊歩道にある彫像や祭壇を聖別したのなら、私たちは宗教の禁忌に触れずにそれらの場所を変えることは出来ないでしょう。しかし、君はそんな事を言うことは許されません。なぜなら、神祇官は遊歩道の門柱を握ったと君は言ったからです(=まず、神官による遊歩道の聖別を否定。次に護民官による聖別の効果を否定する)。121

 しかし、私は当初の意に反して、聖別について語っているようですし、皆さんの法と宗教について議論しているようです。

第四十七章  しかしながら、私は全てが古来の伝統と慣習に則った厳粛な言葉によって行われたと認めてもいいのです。それでも私は共和国の法によって自分を守ることでしょう。元老院と閥族派の人たちはこの国が無事で居られるのは私一人の尽力のお陰だと何度も全員で宣言したのです。その私がローマから退去した時に、君は悪辣な執政官たちと一緒になって共和国を卑劣な盗賊団の手の中に押さえこんだのです。私は自分が救った祖国が自分のために滅ぶことを望まなかったのです。その私の家を君が一人の神祇官を使って聖別したことを、再興した共和国は耐えられるでしょうか。122

 尊き神官の皆さん、もしこんな儀式を許したら、国民の財産を守る方法は無くなってしまうでしょう。それとも、神官が門柱を握って不死な神々を祭るための言葉を、市民を破滅させるために利用した場合に、その不正行為は宗教の神聖な名によって有効なら、護民官が同じく古来の伝統と慣習に則った言葉で誰かの財産を聖別するのも有効なのでしょうか。

 実際に、父祖たちの記録によれば、ガイウス・アティニウス(前131年護民官)が自分を元老院から追放した監察官クィントゥス・メテッルス(マケドニクス)と、君の祖父のクィントゥス・メテッルス(クレティクス)と同じく君の祖父のプブリウス・セルウィリウスと、君の曾祖父のプブリウス・スキピオの財産を、演壇にコンロを置いて笛吹を雇って聖別したことがありました。その時どうなったでしょうか。その護民官の乱暴な行為は大昔のいくつかの前例に従って行われましたが、あの高名なメテッルスに損害をもたらしたでしょうか。けっしてそんな事はなかったのです。123

 監察官だったレントゥルス氏(前70年)に対してある護民官が同じ事をしたのも我々は知っています。彼はレントゥルス氏の財産を何かの禁忌で縛れたでしょうか。しかし、他の人の話はもういいでしょう。君もまた頭を覆ってから集会を開いてコンロを置いてガビニウスの財産を聖別したのです。君がシリアとアラビアとペルシアの王国を与えた君の友達のあのカビニウスです。もしその時の行為が無効なら、どうして私の財産については有効だったのでしょうか。またもしそれが有効だったのなら、どうして君と一緒に共和国の血税をむさぼったあの浪費家が、国庫の金を使ってトゥスクルムに天まで届くような別荘を建てたのでしょうか。一方、私は町全体が残骸になることを許さなかったというのに、その私には自分の家の残骸を見ることさえ許されなかったのです。124

第四十八章
 ガビニウスのことは後にしましょう。では、あの勇敢で高潔なニンニウス君は君の例に倣って君の財産を聖別したのではないでしょうか。それは自分については無効だと君は言うのでしょうか。すると、君があの輝かしい護民官時代に作った法律は他人を破滅させるためのもので、自分に向けられた時には拒否できるのでしょうか。逆に君のやった聖別が法的に有効なら、君の財産の内で聖別されていないものが何かあるというのでしょうか。

 それとも、君のやった聖別は法的には無効だが宗教的な拘束力があると言うのでしょうか。そうすると君が笛吹きを証人として呼んだり、コンロを置いたり祈ったり、古い言葉を使ったりしたのは何のためだったのでしょうか。君が人を怯えさせようと嘘を吐いたり騙したり神の意志を悪用したりしたのは何のためだったのでしょうか。なぜなら、もしあれが有効だったら、ガビニウスはもちろんのこと、君の家も君の他の持ち物もケレス神に聖別されていることになるからです。しかし、もしあれが戯れ事だったとしたら、君ほど汚らわしい人がいるでしょうか。なぜなら、君は嘘と冒涜によってあらゆる神聖なものを汚したのですから。125

 「ガビニウスに間違ったことをしたのは私も認めている」と言うかも知れません。それは君が他人に対して設けた罰が自分に向けられると分かったからです。しかし、あらゆる悪事と不正行為の手本である君がガビニウスには間違ったことをしたと認めたのです。カビニウスの子供時代の非行と青春期の放蕩とその後の惨めな窮乏と執政官時代の盗みはみんな知っていることですから、君のせいでカビニウスが不幸になったとしてもそれは当然の報いと言えるのです。そのガビニウスに対して認めたことが、私には認められないと言うのでしょうか。集会の民衆がみんな見ている前でやった聖別よりも、一人の若者の前でやった聖別の方が意味が大きいと君は言うのでしょうか。126

 「聖別には大きな宗教的拘束力がある」と彼は言っています。

第四十九章
 皆さん、あの男はまるでヌマ・ポンピリウスのようなことを言うではありませんか。尊き神官の皆さん、そしてフラーメン(祭司)の皆さん、彼の言葉から学ぼうではありませんか。儀式の王よ、あなたも同じ氏族の人間の言葉から学ぼうではありませんか。もっとも、彼はこの氏族から去りましたが、それでも、宗教に身を捧げた人間から全ての宗教の掟を学ぼうではありませんか。さらに、聖別とは誰が何をどのようにすることなのか彼から教えて貰おうではありませんか。

 それとも、君はこんな事は出鱈目でもどうでもいい、聖別とは誰でもしたい人がしたい物を好きなやり方でしていいと言うのでしょうか。聖別をしたという君は誰だったのでしょうか。君はどの掟、どの法、どの前例、どんな権限によって聖別したのでしょうか。いつローマの民衆は君をこの仕事に就けたのでしょうか。

 なぜなら、民衆の同意なしに家も土地も祭壇も聖別してはならないとする護民官の古い法(前304年頃)があることに私は着目しているからです。当時この法律を提案したクィントゥス・パピリウスは、有罪判決を受けていない市民の家や財産が聖別される危険性があるとは考えてもいないし疑いもしなかったでしょう。なぜなら、そんな事は許されなかったし、誰もそんな事はしなかったので、禁止する理由もなかったからです。むしろ、禁止しても悪事を防止することにはならず、その可能性を教えていると思われたほどでした。127

 しかしながら、当時聖別された家は個人の家ではなく聖所と呼ばれる建物でした。また土地の聖別も私たちの土地に対して勝手に行うものではなく、指令官が敵から奪った土地に対して行うものだったのです。祭壇が立てられたのも聖別される場所を神聖にするためでした。ですから、パピリウスは民衆が命じないかぎりこんな事をするのを禁止したのです。もし君がこの法律が私たちの家と土地についても当てはまると解釈するなら、私はそれを否定しません。しかし、私が聞いているのは、君が私の家を聖別するためにどんな法律を成立させたのか、君はいつそんな権限を手に入れたのか、君は何の権利があって私の家を聖別したのかということです。いま私が問題にしているのは宗教のことではなく私たちみんなの財産のことです。またそれは神祇官の法のことではなく、この国の法の事なのです。

第五十章
 パピリウス法は民衆の命令(=法律)なしに家を聖別することを禁止してます。これは国の神殿のことではなく私たちの家のことであるとしていいでしょう。それなら、君の法律の中に聖別の一語がどこにあるか示してください。もしなければ、それは法律ではなく君の悪意と残酷さの表れでしかないのです(※)。128

※108節ではキケロの家の聖別はクローディウスの法律に書かれていることを前提に議論しており、矛盾している。その原因はキケロはこの演説を帰国前の間違った情報に基づいて書いており、帰国後に書き改めたが前後の整合性を取るまでに至っていないからだとされている。

 もし共和国が遭難したあの時代に君が全てを把握できたなら、あるいはローマが大火に見舞われたあの時代に君の法律の起草者がビュザンティウムからの亡命者たちやブロギタロスの使節たちのために手形を書く代わりに、一心に君の法令ならぬあの奇怪な代物を書いていたなら、事実はともかく法律用語に関するかぎり、君は完璧なことが出来ていたはずなのです。

 ところが、その間君たちは手形を書いたり、属州割当ての約束をしたり、王の称号を売り出したり、あらゆる種類の奴隷を町中で召集したり、政敵を仲直りさせたり、若者たちのために新たな官職を用意したり、セイウス氏に毒薬を用意したりしていたのです。さらに、元老院の守護者をなくし、閥族派の人たちを永遠に悲しませ、執政官の裏切りで占拠した共和国を護民官の暴力で支配し続けるために、帝国の守護神であるグナエウス・ポンペイウス氏に対する暗殺計画を立ていたのです。彼も君もこれらのことで多忙を極めていた上に、何より頭が混乱して目が見えなくなっていたのですから、多くのミスを犯したのは不思議ではありません。129

 尊き神官の皆さん、このパピリウス法は、君(=クローディウス)のように悪意と狂気に満ちた場合ではなく、次のような立派な動機に基づく場合にも、どれほど効力を持っているかをご覧ください。監察官のクィントゥス・マルキウスはコンコルディア神の像を作らせてそれを公共の場所に置いていました。この像を監察官のガイウス・カッシウスが元老院の中に移した時、皆さんの一団に、その像と元老院をコンコルディア神のために聖別することに異論があるかどうか相談したのです。

第五十一章
 尊き神官の皆さん、この二人の人間、この二つの時代、この二つの出来事を比べてください。カッシウスは節度と責任感のある監察官だったのに対して、この男は並外れて破廉恥な悪徳護民官でした。カッシウスの時代は民衆が自由を謳歌し元老院が国政の舵取りをしている平和な時代でした。それに対して君の時代はローマの民衆の自由が抑圧され元老院の権威が失われた時代だったのです。

 カッシウスの行動は正義と叡知と権威に満ちていました。監察官とは我らの父祖たちが元老院の権威の番人(君はこれを廃止してしまいましたが)となるよう定めた人でしたが、彼は元老院の中に置いたコンコルディア神の像を聖別して、元老院をこの女神のために聖別しようとしたのです。130

 彼の意図は立派なものであらゆる称賛に値するものでした。というのは、元老院という神聖な場所をコンコルディア神への崇拝と結び付ければ、元老たちに党派心と仲違いを捨てて意見を表明する教訓となると考えたからです。

 それに対して、君は剣と脅しと布告と特例法案と、目の前にいる落ちこぼれの集団と、どこかにいる軍隊の脅威と、執政官の共謀と不純な契約とで、この国を隷属状態にしておきながら、自由の女神像を立てて宗教を尊重する振りをするどころか、恥知らずにも宗教を笑い物にしたのです。カッシウスは誰の迷惑にもならないで聖別できるコンコルディアの像を元老院の中に置いたのに対して、君は共和国の最大の功労者のいわば血と汗の結晶の中に、民衆の自由の象徴ではなく君の逸楽の象徴を置いたのです。131

 しかも、カッシウスは神祇官団に相談しましたが、君は誰に相談したでしょうか。君が何か個人的な計画をして、家庭の清めをしたり祠を建てたいと思う場合、ほかの人たちと同じ昔からの習慣に従って神官に任せるでしょう。それなのに、君は町の有名な場所に前代未聞の忌まわしい祠を建てて新しい神域を創設する時には、この国の神官に相談すべきだと思わなかったのでしょうか。もし神祇官団を招く必要がないと思ったとしても、君は経験と地位と権威あるこの人たちの誰かに聖別について相談すべきだとは思わなかったのでしょうか。君は彼らの高い権威を馬鹿にしていたのではなく恐れていたのです。

第五十二章
 それとも、君はプブリウス・セルウィリウス氏(前79年執政官)やマルクス・ルクルス氏(前73年執政官)に(私は執政官の時にこの二人の知恵と助言によって君たちの手と喉元から共和国を救い出したのです)、市民の家を聖別するには一体どんな言葉と儀式によるべきか問い合わせる勇気があったでしょうか。それもただの市民の家ではなく、この町とこの帝国を守ったと第一に元老院が、次に全ての階級とイタリア全土が、さらに全民族が証言した市民の家なのです。132

 ああ、忌まわしく有害なこの国の汚点よ、君は二人にどう言って尋ねたでしょうか。「ルクルス様、セルウィリウス様、私がキケロの家を聖別する間、同席して下さい。そして何を言えばいいか教えてください、そして、門柱を握っていて下さい」とでも言ったのでしょうか。彼らはその権威でローマ人の地位と帝国の威信を支えてきた人たちですから、厳しい言葉で君の願いを跳ねのけて「君の気違い沙汰に加わることも祖国を滅ぼす悪巧みを手助けすることも出来ない」と言ったことでしょう。その時、さすがの図々しさと恥知らずの君でも、顔面蒼白になり目は虚ろになって声を失ったことでしょう。133

 こうなると分かっていた君は自分の義弟のところ行ったのです。彼は君が選んだといよりは他の人から相手にされないあぶれものだったのです。しかし、もし彼が苦行を終えたヘラクレスから祭儀を学んだという伝承のある一族の出であるなら、勇気ある人(=キケロ)が苦難のただ中にあってまだ生きて呼吸をしているのに、その人の頭の上に自分の手で墓を据えるような残酷な真似は出来ないはずなのです。

 おそらく彼は何も言わず何もしなかったのです。母親の不行跡(&)の報いとして、無言で役を演じて他人の犯罪に名前を貸したのです。さもなければ、口ごもりながら何か言って門柱を震える手で握っただけで、通例の事も正確な事も型通りの事も何もしなかったのです。彼は自分の義父で執政官に選ばれたムレーナ君(前62年執政官)が、この国を滅ぼそうとする陰謀(♯)の証拠をアッロブロゲス人たちと一緒に、執政官だった私(前63年)にもたらしたのを知っていました。彼はムレーナ君が私によって、一度目は個人として(※)二度目は国民とともに、二度も救われた事を聞いていたのです。134

&母親とクローディウスの関係を指す

♯カティリナの陰謀

※前63年に行われた執政官選挙で買収したと同じ年に訴えられた。『ムレーナ弁護』参照

 ですから、この新米の神祇官が祭司になってから初めてこんな儀式を行おうとして声を出した時に、舌はもつれ手が震え気力が失せて恐怖で気絶したのではと思わない人が誰かいるでしょうか。あれだけの神祇官団の中から祭儀の王もフラーメン(祭司)も神祇官もいない中で、意に反して他人の悪事に加担することを無理強いされて、汚れた婚姻関係を結んだことに対する大きな罰を受けているのですから。135

第五十三章
 しかし、神祇官は自ら常に自分たちの儀式だけでなく民衆の命令に従ってきたという聖別に関する国の法の話に戻りましょう。そして、皆さんの覚書には、監察官のガイウス・カッシウスがコンコルディア像の聖別について神祇官団に相談したこと、それに対して大神祇官のマルクス・アエミリウスが神祇官団を代表して答えたことが記録されています。その答えは、ローマの民衆によって指名され任命された人が民衆の命令によって聖別しなければ、その像は正しく聖別されたとは言えないというものだったのです。

 さらに、ティトゥス・フラミニヌスとクィントゥス・メテッルスが執政官の年に(前123年)、高貴な生まれのリキニアがウェスタの巫として神聖な祭司の職に就いて、祭壇と祠と神像の台座をタルペイウスの岩の下で聖別しましたが、その時彼女のこの行為を法務官セクスティウス・ユリウスが元老院決議に従って神祇官団に相談したのです。すると、大神祇官のプブリウス・スカエウォラが神祇官団を代表して「ガイウスの娘リキニアが公共の場所で民衆の命令なしに行った聖別は神聖なものとは見なされない」と答えたというのです。この問題を元老院がどれほど厳格にどれほど注意深く扱ったかを、当時の元老院決議から皆さんは容易に知ることができるでしょう。元老院決議を読み上げて下さい。

    元老院決議136

 皆さんはこの決議の中で、都市法務官に対してリキニアが聖別したものは神聖ではないことを確認すること、文字が彫られていたなら削除することが命じられていることがお分かりでしょうか。私たちは一体どうなってしまったのでしょうか。当時の神祇官たちは高潔な監察官が清められた神域でコンコルディア像を聖別することを禁じたのです。その後、元老院は神祇官の意見に従って神域において聖別された祭壇を撤去すべきと決議して、その聖別の文字の記録が存在することも禁じたのです。

 それに対して、祖国の嵐、平和を乱す竜巻である君は、共和国が難破して闇に包まれ、ローマの民衆が嵐に飲み込まれて、元老院が倒されて追い出された時に、君は全ての宗教を冒涜しておいてから、自分が破壊してから造った物を宗教の名によって汚したのです(=聖別したこと)。そして、自らの身を苦難と危険にさらしてこの町を守った人間の心臓部分に、共和国が破壊された記念碑(=自由の女神)を置いたのです。そして、カトゥルスの名前を削って閥族派の人たちの悲しみの印を刻み込んだのです。君はこの国があんな物をいつまでも我慢すると思ったのでしょうか。それはたかだか共和制が私とともにローマから追い出されている間だけのことだとは思わなかったのでしょうか。137

 そして、尊き神官の皆さん、もし(1)聖別をすることが許されていない人が、(2)聖別することが許されない物を聖別したとすれば、私が三つ目に言ったこと、つまり(3)彼は儀式が必要とする慣習と言葉によらずに聖別したということを、どうして私が証明する必要があるでしょうか。

第五十四章
 私は最初に皆さんの知識についても、神聖な儀式についても、神祇官の隠された法についても語るつもりはないと言いました。これまで私が聖別の法について言ったことは、何かの秘密の文書から探し出したことではありません。それは世の中に広く知られていること、政務官が公然と行っていることであって、神祇官団に報告されていることなのです。しかし、儀式に於いて何を言い何を命じ何に触れ何を握るのが正しいのかは皆さんだけが知っていることなのです。138

 もし私の家の聖別の全てが最も優れた神祇官だったと言われるティベリウス・コルンカニウスの知識に基づいて全てが行われたことが確かであるとしても、あるいは、多くの人が嫉妬から偽りの宗教的問題を言い立てて妨害したにも関わらず、挫けることなくそれらを退けてカピトリウムを聖別したホラティウス・プルウィッルスが今回のような聖別を行ったとしても、それでも、犯罪には宗教は効力を持たないのです。いわんや、未熟な若者で新米の神官が、姉の懇願と母親の脅しに促されて、何も知らないまま、不本意ながら、神祇官団から離れて、文書もなく、相談する人もなく、助手もなく、こっそりと、心も舌も震えながらやったと言われている事に効力のあるはずがないのです。

 そのうえ、あの不純な男、神を冒涜する全ての宗教の敵、男の間で女として女の間で男としてたびたび許されない事をしたあの男は、心も声も舌も定まらずに、あの聖別を大慌てで出鱈目にやったのです。139

第五十五章
 尊き神官の皆さん、あの男が滅茶苦茶なことを言って不吉な言葉を連発し、何度も取り消したり、戸惑ったり、いらいらしたり、ためらったりして、皆さんの書物に書いてあるのとは全く違う発言と行動をしたことは、当時皆さんに報告されております。また、それはその後町の話題にもなっています。それも不思議なことではありません。なにしろこれほど気違いじみた悪事をしようと言うのですから、あれほど図々しい男でも恐怖心を抑えることは出来なかったのであります。

 どんな野蛮で粗暴な海賊でも、神殿を略奪した後で悪い夢や良心の呵責に駆られて、人気のない海岸で祭壇を聖別して悪事で汚した神意を祈りの言葉で宥める時には、恐怖に震えない者はいないのです。あの略奪者がローマのあらゆる神殿と家々を荒し回った後で、あれほど多くの悪事を厄払いするために一つの祭壇を不正なやり方で聖別しようとした時に、あの男の心がどれだけ大きな不安にとらわれていたか、皆さんに想像できるでしょうか。140

 彼は自分が支配権を手にしたことに慢心して、信じがたい大胆さを身につけていたのです。それにも関わらず、いざ聖別するとなると何度も失敗して間違いを犯さずにはいられなかったのです。何と言っても、彼が連れて来た教えを受けた神祇官は、何も知らないのに無理やり指南役をさせられた人だったのですから。

 そもそも、不死なる神々には大きな意志の力があるのです。それは共和制そのものにもあるのです。不死なる神々は自らの神殿の守護者がひどいやり方で追放されたことをご存知なのです。ですから、神々は自らの神殿を出てその人間の家に移るのをお望みでなかったのです。そこで、神々はあの気の狂った男の心を不安と恐怖でかき乱したのです。

 共和制は私と共にローマから追い出されたのでありますが、それが自分を破壊した人間の前に姿を現したのです。そして、あの制御不能の乱暴者から共和制と私の復活をずっと要求していたのです。ですから、あの男は不安に悩まされ、狂気にさいなまれ、悪事に動転して、形式通りの儀式もできず神聖な言葉も言えなかったとしても何の不思議があるでしょうか。141

第五十六章
 尊き神官の皆さん、聖別については以上のような次第ですが、今や皆さんは私のこうした細かい議論は忘れて、共和国全体のことに注意を向けて頂きたいのです。かつて皆さんは共和国を多くの勇気ある人たちと共に支えてこられましたが、この問題に関しては皆さんだけが共和国をその肩で支えておられるのです。

 元老院が全会一致で一貫した考え方を表明して来たのは、常に皆さんが私のために見事に牽引役を果たして下さったからでした。イタリアが大きな運動を起こして、自治都市が協力を申し出て、マルスの野で集会が開かれ、全ケントゥリアが一致した意見を発表したのも、皆さんが先頭に立って導いて下さったからでした。さらにあらゆる組合、あらゆる階級の人たち、あらゆる裕福な人たちとそれを夢見る人たちがいます。この全ての人たちが、私の名誉のために私を支援して宣言を出して下さったのです。そして、それら全ての成果が維持され守り抜かれることが皆さんの手に委ねられていると誰もが思うことでしょう。142

 最後に、この町とこの帝国を守っている不死なる神々は、私が共和国に復帰したことが神の意思によるものであることを全ての民族と後世の人たちに明らかにするために、私の復帰が人々に祝福されて実りあるものになることを自らを祭る神官たちの権限と判断に委ねたと、私には思われるのです。

 尊き神官の皆さん、私のこの帰国、この復権は、私が私の家と住まいと祭壇とカマドと家の守護神を取り戻すことにかかっているのです。あの男はその悪辣な手先を使って神棚も神々の祠も打ち壊してしまったのです。そして、執政官を先頭に立ててこの町を殆ど占拠した時、この町の強力な守り神の家であるという理由で私の家だけは破壊しておくべきだと考えたのです。ところが、今や皆さんの力によって、それらの家の神々と私の家族の神々が、私と一緒に私の家に帰されることになるのです。143

第五十七章
 であるがゆえに、汝、カピトリヌスの神よ、その御恵みゆえにローマの民衆が最善の神と呼び、その御力ゆえに最大神と呼びし神よ、汝、ユノー女王神よ、また汝、ミネルバ女神よ、常に我が知恵を助け我が苦難の証人となりしこの町の守護神よ、我、汝らに求めん。

 さらに汝ら、我が家の守り神々よ、ことに我を帰国させんために力になりし神々よ、いまその居場所を我と争いし神々よ。また、汝ら、この町およびこの共和国の守り神々よ、我、その神殿より忌まわしき破壊の炎を払い除けし神々よ、さらに、汝、ウェスタ女神よ、我、その純潔な神官らを向こう見ずなる乱暴者らの悪事から守り、母なるその永遠の炎が市民の血によりて消え、あるいは町を襲いし付け火と交わることを許さざりし神よ、汝らに求めん。144

 かつて共和国が存亡の危機にありし時、我、汝らの儀式と神殿を守らんがため、堕落せし市民の狂気と武力の前に自らの身命を曝せしなら、さらには、彼ら我との争いにて閥族派たる人々を皆殺しにせんこと狙いし時、我、汝らを証人として呼び出だし、我と我が家族を汝らの保護に委ね、再び我と我が身を捧げしなら、

 すなわち、その時およびそれ以前の執政官時に、あらゆる我が利益と報酬をなおざりにし、自らの心遣いと思考力と警戒心の全てを傾け、仲間の市民を救わんがために尽力せしなら、復活せし共和制を我に享受せんことを許されたし。逆にもし、我が採りし手段にして祖国の役に立たざりしなら、我、自らの家族より遠ざけられ永遠の苦難に耐えるべし。かくなる場合、我、自らの住まいに戻らん時、かく命懸けなる我が献身を無意味と否定されたりしと思うべし。145

 尊き神官の皆さん、私はローマに復帰したように見えますが、皆さんご存知のように、私は家を奪われているだけでなく、ローマ全市も奪われているのであります。なぜなら、人びとで賑わうこの町のどこからも、あの記念碑ならぬ祖国の傷が真正面に見えるからであります。あんな物を見るくらいならいっそ死んでしまいたいという私の思いを、皆さんはご理解頂けるでしょう。ですから、私の帰還によって共和国が復活すると皆さんが思ったその私に、名誉の飾りだけでなく、祖国の町の眺めを返して頂くことを是非ともお願いしたいのです。146

 私の個人財産を使えるのはほぼ私一人に限られています。子供たちに残す遺産としては父の名前と思い出で充分なのです。

 しかしながら、私の家が奪われたままであることは、私の不名誉であり悲しみであり、共和国の大きな名折れであります。私の家は犯罪者の手に奪われて、盗賊どもに占拠され破壊されて、さらに酷いことに、見せかけの宗教を使って作り変えられてしまっているのです。尊き神官の皆さん、私の帰国が不死なる神々と元老院と、ローマの民衆とイタリア全土と、属州と諸外国と、常に私の救済のために先頭に立って尽力して下さった皆さんにとって喜ばしい事であるなら、皆さんがその権威と熱意ある決議によって帰国させて下さったこの私を、今度は元老院が望む通りに、皆さんのその手でわが家に戻して下さるよう御願いする次第であります。147




Translated into Japanese by (c)Tomokazu Hanafusa 2014.12.5―2015.1.28

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