カント「純粋理性批判」第二版のまえがき





 理性の営みである認識というものを研究する学問が、学問としての確実な進歩をつづけているかどうかは、その結果を見ればすぐに分かる。というのは、さんざ準備を重ねておきながら、仕事に取りかかると途端に行き詰まってしまったり、後戻りをしたり、別の方法を編み出す必要に迫られたり、さらには、この研究に参加する人たちが共通の目標に向かって一致できずにいるのなら、この学問が確実な歩みを進めているどころか、単にあちこちを闇雲にさまよっているだけだと思ってよいだろう。

 このような状況で、この学問が確実に歩みを進めることのできるような道筋を見つけ出しただけでも、理性に対する多大な貢献となるだろう。たとえそれによって、これまでよく考えもせずに目標とされてきた(神の認識などの)多くのことを無意味なことと諦めなければならないとしてもである。

 論理学が遠くの昔からこの確実な歩みをたどっていることは、アリストテレス以来一度も後戻りをする必要がなかったことからも明らかである。もちろん、不必要な細かな区別を廃止したり、認められた学説をもっと分かりやすい形にしたりして、簡潔になりはしたが、それらは学問の確実さの問題ではなく、それで論理学の本体が改善されたと考える必要はない。

 それ以上に注目すべきことは、今日に至るまで論理学が昔のままで少しも進歩することができず、どう見ても出来上がった完成品としか見えないことである。というのは、最近になって論理学を拡張しようとして、心理学の部門を導入して認識の様々な能力(想像力、機知など)を扱おうとしたり、形而上学の部門を作って認識の起源を扱ったり対象の違いに応じた確実性の違いを論じようとしたり(観念論、懐疑論など)、人間学の部門を作って偏見およびその原因と対策について論じたりしているが、これらは論理学の本質に対する無知のなせる技である。

 学問の間の境界を踏み越えることは、学問の世界を広げるどころか汚すだけである。論理学の境界線は極めて厳格に決められている。その目的は、思考の形式的な法則を詳細に説明して厳密に証明することでしかない。その際、その思考が、先天的であるか後天的であるか、その起源や目的は何なのか、それが情緒的な阻害要因に出会うのが必然なのか偶然なのかは、問われないのである。

 論理学がこれほど成功した理由は、ひとえにそれが自らに課した制限のおかげである。論理学では、認識の対象の内容や違いを無視することができる、否、無視しなければならず、そのために、論理学のなかでは、理性は自分自身の働きとその形式だけに取り組むことができる。

 しかし、もし理性が自分自身の働きだけでなく、その対象をも問題としなければならないのなら、理性の働きが確実な学問の道を歩むようになるのは当然はるかに難しいことになる。だから、論理学は予備的な学問として、いわば様々な学問の入り口としての役割だけを果たしているのである。そして、我々が知識を問題にするときには、知識を吟味する前提条件として論理学にたよることはあっても、知識を拡大する役割は、真に学問の名に値する別の学問に求めなければならないのである。

 さて、そのような学問において理性が働いているとすると、その学問の知識のなかには経験に依存しない先天的な知識が含まれているにちがいない。そして、この知識はその対象となるものと次の二つのどちらかの方法でつながっている。その一つは、その対象を理解したり概念化(その概念自体はよそから持ってくる必要がある)するという方法であり、もう一つは、その対象を実現するという方法である。前者を理性の理論的知識(理論理性)とすれば、後者は理性の実践的知識(実践理性)ということになる。

 この両者のいずれの場合においても、理性が対象を完全に先天的に把握している部分、つまり純粋な部分がある。この部分は、経験に依存するものと混同しないために、それが含むものの多少に関わらず、最初に取りのけておかねばならない。

 というのは、家計の場合でも、手に入るものを区別なくむやみに使ってしまうと、あとで家計が苦しくなったときに、収入のどの部分を使っていいのか、どの部分は残しておくべきなのか分からなくなってしまうからである。

 理性によって理論的認識がもたらされる二つの学問である数学と物理学は、経験に頼らずに対象を把握する学問である。ただし、前者の場合は、全く純粋に理性の働きだけで対象を把握するが、後者の場合、ある程度は理性以外の要素も入ってくる。

 数学は人間が理性というものを持つようになった最初のときから、ギリシャ人という驚くべき民族の間ですでに学問としての確固たる道を歩み始めていた。しかし、数学が王道を発見したり、自ら王道を建設するまでの過程は、理性が自分自身を扱うだけでよい論理学の場合ほど簡単だったと思ってはいけない。

 それどころか、わたしは、数学は長い間(特にエジプト人の間で)手探り状態にとどまっていたのではないかと思っている。変革は、一人の人間のすばらしい思いつきから始まった。彼の行った実験によってこの学問は確かな歩みを始め、その後数学はこの正道を踏み外すことなく、学問として休みない進歩を続けている。

 この知の革命は、有名な喜望峰をまわる航路の発見よりもはるかに重要なものだった。にも関わらす、誰がどのようにしてこれを達成したのかという話は伝わっていない。しかし、ディオゲネス・ラエルティウスの伝える話のなかで、常識から見て証明を必要としないような幾何学の極めてささいな定理の発見者の名前が挙げられているということから、新しい方法の発見によってもたらされたこの革命の思い出が数学者たちにとって如何に重要で忘れ難いものだったかが分かる。

 例えば、二等辺三角形の特性を最初に証明した人間(それがタレスでも他の誰かでも同じことだが)の心には、これまでに無いひらめきが起こったのである。彼が発見したのは、図形や図形の概念の中だけに見られるものを観察してそこから図形の特性を読みとるのではなく、経験に頼らずに頭の中だけで組み立てたものに従って図形の特性を作り出さねばならないということだった。

 つまり、経験に頼らずに確かなことを知るためには、自分が頭で考えたもの従って図形のなかに読み込んだものから必然的に導かれることだけを、対象の特性とすべきことを彼は発見したのである。

 自然科学が学問の王道を発見するまでには、さらに長い時間が必要だった。実際、ベーコンが帰納法を提唱して学問の王道の発見のきっかけを与え、またこの道をすでに歩み始めていた人たちの活動を促進したと思われたのは、たかだか百五十年前のことに過ぎない。

 この場合もまた、この道の発見は突如として起こった知的革命の結果だったと言っていい。なお、ここでわたしが言う自然科学とは物理学のように経験に基づく法則に基礎を置くものだけを指している。

 ガリレイが自分で選んだ重さの球を坂に転がしたとき、トリチェリがあらかじめ重さが分かっている水柱を大気によって支えさせたとき、いやもっと下って、シュタールが何かを加えたり取り除いたりすることで金属を石灰に変え、石灰をまた金属に戻したとき(原注)、これらの科学者たちの頭にはある種のひらめきが起こったのである。

  原注 わたしはここで実験による方法の歴史を正確にたどり直すつもりはない。実験の始まりについてはよく分かっていないのである。

   彼らは、理性が認識できるものは理性が自分自身のやり方で作り出したものだけであることを悟ったのである。つまり、理性は自然の導きの言いなりになって進んではいけない。理性は自らすでに不変の法則をもっており、それに基づく判断の理(Prinzipien)に従って自らの道を進んで行くべきなのである。そして、自然からは、理性が自ら作り出した質問に対して答えさせねばならないのである。

訳注;PrinzipとGrundsatzに対する訳語(原理と原則)の選択はあくまで文脈による。カントの用語選択の厳密さについては、「知性には限界があると言ったカント」の(注)を参照。

 なぜなら、自然に対する観察は、あらかじめよく考えた計画に則ったものでなければならず、そうでない行き当たりばったりの観察からは、理性が求める必然性をもった法則を引き出すことはできないからである。

 理性の原則(Prinzipien)に様々な現象が一致したとき、はじめて法則が生まれるのであるから、理性は自らの原則を一方の手に、そして、その原則にしたがって編み出した実験をもう一方の手に、自然に近づき、そこから知識を得なければならないのである。

 しかし、自然から知識を得ると言っても、教師の教えを何でも受け入れる生徒のようなやり方であってはならない。それは、裁判官が証人に質問して答えさせるようなやり方でなければならない。

 したがって、物理学が幸運にも物の見方を改革できたのは、ひとえに次のような素晴らしい思いつきがあったからである。つまり、理性が自分だけで知ることができず自然から学ばねばならないことを自然から求めるときには、理性が自然に対して与えた意味に従って求めねばならない(もちろんこれは自然の中にねつ造することではない)と。

 こうして自然科学は、何世紀にもわたる手探りの時代を経て、やっと確かな歩みを始めたのである。

 形而上学は、経験による知識を完全に超越した理論理性(spekulativen Vernunft)による認識で、数学などと違って概念を直観にあてはめたりせず、ひたすら概念だけを相手にする学問であり、理性の門下生はまた理性であるという完全に孤立した学問である。

 形而上学は、ほかのどの学問よりも古い。それはほかのあらゆる学問が、全てを破壊する野蛮な暗闇に飲み込まれたあとでも、生き残る学問である。にもかかわらず、不幸にして、学問としての確実な歩みをまだ始めることが出来ずにいる。

 なぜなら、理性は、ごく当たり前の経験によって確かめられるような法則を、経験によらない(と称した)説明をしようとして、いつも行き詰まってしまうからである。我々は行きたいところに通じている道を探しあぐねて何度も後戻りしなければならないでいる。

 これまで形而上学の学者たちはいつも争ってばかりいて全く意見の一致を見ることがなかった。形而上学は力自慢の猛者(もさ)たちが技を競うには格好の競技場であったが、これまでどの選手も全く陣地を獲得できず、たとえ勝利を手にしてもそれはいつもつかの間のものにすぎなかった。要するに、形而上学がこれまでずっと手探りをしながらさまよっていたことは明らかである。しかも、最悪なことは、ひたすら概念の世界の中だけをさまよっていたのである。

 では、どうしてこの分野では学問としての確かな道が見つからなかったのだろうか。それはそもそも不可能なことなのだろうか。もしそうなら、どうして我々の理性は、まるでこの道を見つけることが何よりも大切なことのように、必死にこの道を探さずにはいられないのだろう。いやそもそも、最も大切な知識に関していつも我々の期待を裏切り続け、しかもなお期待させることをやめず、結局裏切ることになるこの理性というものは、そもそも信ずるに値しないのではあるまいか。

 それとも、単に我々が正しい道を発見できなかっただけなのだろうか。新たに探求すれば、我々は先人たちよりももっとうまくやれると思えるような何かよい道しるべでもあるのだろうか。

 わたしは、たった一回の突然の革命によって現在の姿に変わることができた数学と自然科学の例こそは、そんな道しるべに充分なりうると思っている。だから、この二つの学問にとって非常に有益だった考え方の変革の本質的なことは何だったのかよく考えて、それと同じやり方を試したらどうかと思うのである。もちろん、同じ理性による認識として、それらが形而上学と類似性を持つ限りでのことである。

 これまで我々は認識というものは全てその対象に一致せねばならないと思ってきた。しかし、この前提に立って、対象に関して経験に頼らず概念だけで何かを発見して、我々の認識を広げようとする試みは全て失敗に終わってきた。

 だから、我々は形而上学の問題でも、あの二つの学問と同じように、対象の方が我々の認識に一致すべきと考えたらもっとうまく行くか試してみるべきなのである。この考え方は、対象が与えられる前にあらかじめ対象に意味を与えて、何とか対象を経験によらずに認識したいという形而上学の願いにもよく一致している。

 まさにコペルニクスの最初の思いつきがこれだった。コペルニクスは、天体の運行を説明するのに、天体が観察者の周りを回っていると考えるとうまく行かないので、天体は動かないものと考えて観察者にその周りを回らせたらうまく行かないか試したのである。

 我々は形而上学でも、対象に対する直観に関して同じようなことを試してみることができる。もし我々の直観が対象の特性に一致せねばならないとすると、どうすれば経験によらずに対象について何かを知ることができるか、私には分からない。しかし、もし(感覚の対象としての)対象の方が我々の直観能力の特性に一致せねばならないとするなら、経験によらずに対象を認識できるかもしれないとわたしは思うのである。

 しかし、直観が認識に変わるためには、わたしはいつまでも直観に止まっているわけにはいかず、直観をその対象である何かに結びつけて、直観によってその対象を把握しなければならない。

 そのとき、わたしは、この対象を把握するのに使う概念の方が対象と一致すると考えるなら、経験によらずに対象について何かを知ることは再び難しくなってしまうだろう。そうではなくて、この対象(あるいは対象はそれが与えられて経験することによってはじめて認識されるから、対象が認識される経験と言ってもよい)の方がこの概念に一致すべきだと考えれば、見通しはもっとよくなる。

 なぜなら、人が経験によって認識するためには知性を必要とするが、その知性の原則は、対象が与えられる前に、我々の中に先天的に存在していると考えられ、あらゆる経験の対象は、この原則の現れである先天的な概念(カテゴリー)に必然的に一致しなければならないからである。

 決して経験の対象とならない(理性が考える限りは)もの、理性だけを通じて考えられる対象、従って必然性をともなう思考対象について考えてみること(それらを考えることは許されているから)は、我々がこれから採用しようとする新しい考え方、つまり、「我々は対象の中にあらかじめ与えておいたものだけを経験によらずに認識できる」という考え方のよい試金石となるだろう。(原注)

原注 この考え方は、自然科学をモデルにしたものであって、テストによって確認したり否定したりできるものの中に純粋理性の要素を求めるものである。ところで、純粋理性が扱う命題は、とくに経験の世界を超えようとするものを取り扱う場合には、自然科学のように、その対象について実験して調べることができない。

 実験できるのは、われわれが経験によらずに想定している概念や原則(Grundsätzen)についてだけである。そして、そのやり方は、それらの概念 や原則を使って、二つの異なった見方から同じ対象を観察することである。つまり、同じ対象を、一方で感覚と知性のそれぞれが経験する対象として、もう一方で思考だけの対象、つまり経験の領域を越えた理性単独の対象として、観察するのである。そして、もし後者の見方で観察した場合には理性が自己矛盾に陥ってしまうのに、前者の二重の見方から観察した場合には純粋理性の原則(Prinzip)とうまく合致する結果が得られるなら、この実験によって、感覚と知性を分ける見方の正しさが確かめられたと言える。

 この試みは期待どおりに成功した。そして、形而上学の前半部分(分析論)は、学問としての確かな歩みを始めた。つまり、先天的な概念(カテゴリー)を扱ったその部分では、先天的な概念に対応する対象が経験の中で与えられ、この概念に一致していることが明らかにされているのである。

 この新しい考え方を使えば、経験に依存しない先天的な認識が可能であることを説明できる。また、そのほかにも、経験の対象の集まりとしての自然の基礎となる様々な法則が、経験に依存することなく存在することを、この考え方によって満足のいく形で証明できる。このどちらも、これまでの考え方では不可能だったことである。

 しかし、形而上学の前半部での先天的な認識が可能であるという議論から、奇妙な結論が導き出された。そして、これは形而上学の後半部分で扱われることになる形而上学の本来の目的にとっては一見非常に不利なものである。なぜなら、経験の世界の境界線を越えることが形而上学の何よりの目的であるはずなのに、先天的な認識によってはそのようなことはできないという結論に達したからである。

 しかしながら、理性による先天的な認識についてのこの結論、つまり、経験によらない先天的な認識は経験の世界の現象だけに関わるものであって、物それ自体はたとえそれ自身にとっては現実的なものであっても、我々には認識できないという前半部の結論の正しさは、それがまさに後半部で扱う目的にとって不利であることによって、間接的に証明されている。

 なぜなら、我々に経験の世界つまり現象の世界をどうしても越えて行こうとさせるのは絶対的な存在であって、理性が物それ自体の中にこの絶対的なものを追い求めて、それによって条件と結果という因果の連鎖を終わらせようとするのは当然のことだからであるが、

 今もし「経験によって得た知識が物それ自体としての対象と一致する」と考えるなら、わざわざ経験の世界を越えて絶対的なものを考えるのは矛盾している。

 それに対して、「対象に対する我々の認識は、我々に与えられたものの認識であって、物それ自体としての対象には一致しない。それどころか、現象として現れた対象の方が我々の認識の仕方に一致する」と考えるなら、絶対的なものを考えたところで何の矛盾も発生しない。

 この結果、絶対的なものは、我々が認識する限りでの対象、つまり我々に与えられる対象の中に見出せるものではなく、我々が知ることのできないような対象、つまり物それ自体の中にだけ見出せるものだということになる。

 こうして、最初に試験的に想定したこと、つまり「現象として現れた対象の方が我々の認識の仕方に一致する」という命題の正しさが確かめられたことになる。(原注)

原注 純粋理性に対するこのようなテストの仕方は、化学の世界で還元法と呼ばれ、一般的には総合的方法と呼ばれているものと非常によく似ている。

 純粋理性の認識は、形而上学の分析論(前半部)においては、二つの全く異質な要素に分けられる。それは、現象としての対象に対する認識と、物それ自体としての対象に対する認識である。次に、弁証論(後半部)においては、理性がどうしても絶対的なものを考えるということが矛盾に陥らないようにするために、この二つのものが再び結合される。そして、純粋理性の認識をこの二つに分けなければこの矛盾が避けられないことが明らかになる。したがって、この区別は正しいのである。

 しかしながら、こうして理論理性は経験を越えた世界ではまったく進歩が期待できないことが明らかになっても、実践的認識(実践理性)には、理性が経験の世界を越えて絶対的なものを認識できる要素があるかどうか、そうやって、形而上学の希望どおりに、実践的な観点からではあるが、先天的な認識を通じて経験の世界の限界を超えることができるかどうかを調べる余地は残っている。

 このようにして、理論理性は認識の領域を拡大するために余地を残してくれたが、まだその中身は埋まっていない。そこで、我々はこの余地を実践的な要素によって、できるだけ埋めれてやればよいのである。いやそうせずにはいられないのである。(原注)

原注 同様にして、コペルニクスが最初は仮説として考えていたことが明確な必然性をもつことが、天体の運行の基本法則によって確認されたのである。それと同時に、この法則によって、ニュートンのいう引力の存在も証明された。もしコペルニクスが、自分の感性には反しているが正しいやり方で、天体が動いて見える原因は天体の側にはなく観察しているわれわれの側にあると考えなかったなら、引力もまた永遠に発見されなかったことだろう。

 わたしは「批判」の本文で、この仮説とよく似た観点の変更が仮説ではなく必然的に正しいことを、空間と時間に対する我々の把握の特性と基本カテゴリーを扱うところで証明している。しかし、この前書きではこれを仮説として示した。それは、このような変更を試すのはこれが最初であることを強調するためであり、最初は何でも仮定的なものだからである。

 形而上学の世界でこれまで行われていたやり方を、幾何学や自然科学を見習って完全に変革しようとすることこそが、この純粋な理論理性に対する「批判」の主な目的である。これは方法に関する本であって、形而上学の体系を著した本ではない。

 しかし、同時にこの本はこの学問の全体像を描いて、その限界と内部の全体的な構造を提示するものである。というのは、純粋な理論理性の特徴は、様々な思考の対象を選択する過程で、自分自身の能力の限界を見極める(感性論)ことができるだけでなく、自分に対して課題を設ける様々なやり方を全て数え上げる(分析論)ことができることであり、そのおかげで純粋理性は形而上学の全体像を描くことができるし、またそうせずにはいられないからである。

 というのは、最初の点、つまり、理論理性の限界について言うなら、経験によらない認識においては、思考の対象とすることができるのは、思考する主体が自分自身の中から取り出したものに限られるからであり、また、第二の点についていうなら、純粋理性は、認識の原則(Erkenntnisprinzipien)について一個の完全に独立した体系を持っているからである。

 それは一個の有機体をなしており、各部分は他の全ての部分のために、全体は各部分のために存在している。したがって、ある原則(Prinzip)を純粋理性のある部分との関係で論じようとすれば、必ず純粋理性全体の使用との関係を考慮に入れて論じる必要がある。

 一方、全体像がはっきりしているために、形而上学は思考の対象の中身を扱う他のどの学問(論理学もその全体像がはっきりしているが、思考の中身ではなく形式だけを扱う学問である)にも見られれない有利な点がある。

 それは、この批判によってもし形而上学が学問としての確かな歩みを始めさえしたら、形而上学は、自分が扱う認識の全領域を完全に把握することができ、自分の仕事を完成させて、もはや何も付け足す必要のないものとして、後の世代の使用に供することができるということである。というのは、形而上学が扱うのは原則(Prinzipien)だけだからである。もちろん、それと同時に原則の限界をも扱うけれども、それを定めるのもまた原則なのである。

 実際、形而上学のような基礎的な学問は完成品でなければならないのである。ゆえに、形而上学については、「やり残したことがあるあいだは、何もしていないのと同じである」(ルカーヌス 2.657)と言わなければならない。

 とはいっても、我々が後の世代に遺(のこ)すなどと言っているものがいったいどんな立派なものなのかと聞く人もいるだろう。では、この批判によって純化されて完成されるとわたしが言う形而上学にはいったいどれほどの価値があるのだろうか。

 この本をざっと読んだだけの人には、ここで行われる議論は、理論理性は経験の世界を越える冒険に踏み出してはいけないという、消極的なものでしかないと思えるかもしれない。もちろん、この本は第一義的にはそういう目的で書かれたものだ。

 しかし、この議論は積極的な面も持っている。なぜなら、理論理性が自分の限界(経験の世界)を踏み越えようとして使う原則(Grundsätze)(例 えば直観)は、理性の使用範囲を(例えば実践的領域に)広げることにはならず、それどころか、よく見れば、それを狭めてしまうことが避けられないからである。

 そのような原則は、もともと感性の領域に属しているために、そのような使い方をすると、感性が全ての領域を扱うようになってしまい、純粋理性が実践的に使われなくなってしまう恐れが生ずる。

 したがって、この「批判」は、理論理性の領域を経験の世界に限定するという意味においては、消極的であるが、そうすることで、純粋理性の実践的使用を妨害し、悪くすれば破壊しかねないものを取り除くという意味では、大変重要な積極的意味を持っている。

 少なくとも、純粋理性を実践的に、つまり道徳的に使用することは絶対必要であり、その時こそ純粋理性は感性の領域を越えねばならないことに思い至るなら、この本が積極的意味を持つことは明白である。

 そのためには、実践理性は理論理性からの助けを必要としないどころか、理論理性から邪魔されない保証が必要である。さもなければ、実践理性は自己矛盾に陥ってしまうのである。

 この「批判」が果たす役割が積極的なものであることを否定することは、警察の役割は、市民が暴力の恐怖から解放されて安心して仕事に打ち込めるようにするだけだといって、その積極的意味を否定するようなものである。

 「空間と時間は感性による直観の形式にすぎない。つまり、空間と時間は対象となるものが現象として存在するための条件にすぎない。さらに、我々が持っている様々なカテゴリー、つまり対象の認識に必要な要素には、必ずそれらに対応する直観が存在する。したがって、我々は何であれ『感性による直観の対象』つまり『現象』として認識できるだけであって、対象を物それ自体として認識することはできない」これらは全て「批判」の「分析論」の部分で証明されている。

 したがって、理論理性によって認識できるのは経験の対象だけに限られているということになる。しかし、ここで忘れてはならないのは、我々は対象を物それ自体として認識できないけれども、物それ自体としての対象を考えることはできるということである(原注)。さもなければ、「現象として現れる本体となるものが無いのに現象が存在する」という不合理なことになってしまうだろう。

原注 対象を認識するには、対象が存在する可能性を証明できなければならない。それが現実に存在することを経験するか、経験によらずに理性の力で証明するかのいずれかが必要である。

 それに対して、我々は自分が自己矛盾に陥らない限り、つまり、その概念を心の中に描けさえすれば、自分の好きなものの存在を考えることは出来る。自分が考えたものに対応するものが現実に存在するかどうかは、その可能性さえも一切気にする必要はない。

 しかし、もしその概念に客観的な有効性を与えたければ、我々が自己矛盾に陥らないというだけでは足りない。それだけでは、論理的可能性は得られても、現実的な可能性は得られないからである。しかしながら、これを補うものは、理論的な認識の源泉に求める必要はない。それは実践的な認識の源泉に求めることもできるからである。

 ところで、我々の「批判」では、経験の対象と物それ自体としての対象との区別は無くてはならないものとされているが、ここで仮にこの区別が存在しないと仮定してみよう。すると、原因結果の因果律の原則(Grundsatz)とそれによって支配された自然のメカニズムが全てのものに当てはまることになり、その結果全てが因果の連鎖の中にあることになってしまうだろう。

 そうなれば、わたしが同じ存在者、例えば人間の精神について、「人間の意志は自由である」と言い、しかも「人間の意志は自然のメカニズムがもつ必然性の論理に支配されている」と言うことはできなくなる。なぜなら、それは自由であると同時に自由でないと言っていることになり、明らかな矛盾に陥るから である。

 と言うのは、この場合には、わたしはこの二つの命題の中で人間の精神をまったく同じ一つの意味で、つまり物それ自体としてとらえており、また、あらかじめ「批判」を経ていない限り、そうせざるを得ないからである。

 しかし、もし我々の「批判」の主張、すなわち、対象は現象と物それ自体の二重の意味でとらえなければならないという主張が間違っていないなら、そして、もしカテゴリーについての議論が間違っていず、因果律の原則(Grundsatz)は現象としてとらえた対象、つまり、経験の対象に限って当てはまり、同 じ対象でも、物それ自体としてとらえた場合には当てはまらないとするなら、

 その場合には、一個の同じ人間の精神について、現象の世界では、つまり、目に見える世界では、自然のメカニズムに必ず従うから自由ではないけれども、物それ自体の世界では、自然のメカニズムには従わないから自由であると考えても、全く矛盾しないのである。

 さて、わたしは自分の精神を物それ自体の観点から見た場合には、経験を通じた観察によってであろうと理論理性によってであろうと、それを認識できない。したがって、わたしは、経験の世界の出来事の究極の原因と見なされるような絶対的存在の特性としての自由を認識することはできない。なぜなら、そもそも時間の制約のもとになく独立して存在するそのような存在をわたしは認識できないからである。というのは、そのようなものを認識するにも、そのようなものは直観できないために概念として把握できないからである。

 しかしながら、わたしは自由を考えることはできる。つまり、自由を思い浮かべることはそれ自体何の矛盾も含んでいないのである。ただしそのためには、我々が「批判」で述べる二つの把握方法、つまり感性による把握(現象の把握)と知性による把握(物それ自体の把握)をしっかり区別して、純粋なカテゴリーもそこから導かれる諸々の原則(Grundsätze)も感性の対象にしか適用できないことを忘れてはならない。

 ところで、道徳は、我々の意志の特徴として、(厳密な意味での)意志の自由の存在を前提としていると仮定してみよう、つまり、自由を前提としなければ不可能であるような実践的な原則(Grundsätze)が先天的に理性の中に存在すると仮定するのである。しかし、それなのに、もし自由を考えることはできないと理論理性によってすでに証明されているとするなら矛盾が発生する。つまり、この仮定はくずれて、道徳は自由意志を前提にできなくなる。

 すると、自由と、それと同時に 道徳(自由の前提条件がくずれた以上、道徳を否定しても矛盾には陥らないから)は、因果の連鎖という自然のメカニズムの支配を認めて退場することになるだろう。

 しかし、実際には、道徳が成立するためには、自由は認識される必要はない。自由が自己矛盾に陥ることなく、思考の対象となりうるだけでよいのである。自由意志に基ずく行為は、別の観点から見ると因果の連鎖という自然のメカニズムに従うだけのことである。

 こうして、道徳の教えと自然に関する学問は両立するのである。ただしそのためには、物それ自体を我々は知ることはできないということ、我々が理論的に知ることができるのは物の現象だけであるということを「批判」を通じて学んでおく必要がある。

 純粋理性に対する「批判」の原則(Grundsätze)が積極的な価値を持つことをここまで説明してきたが、それは霊魂の単一性の議論や神の概念についても当てはまる。ここではそれらについての議論はスペースの都合で省略する。

 要するに、わたしが純粋理性を実践的に使用するために「神」と「意志の自由」と「霊魂の不滅」を想定できるのは、理論理性から分不相応な認識能力を取り去った場合だけなのである。

 なぜなら、理論理性が経験を越えたものを認識するには、実際には経験の対象にしか適用できない原則(Grundsätze)を使わざるを得ないが、この原則はもし経験の対象となり得ないものに適用されると、それを経験の対象つまり現象(超常現象)に変えてしまうのが常だからである。そして、純粋理性を実践的に使用することを不可能にしてしまうのである。

 そこで、わたしは信仰の余地を残すためには認識を否定しなければならなかった。実際には、純粋理性の限界を見極めることなしに形而上学を研究することが可能だという独断的(独善的)傾向こそが、道徳を否定する一切の不信仰の真の原因である。そして、この不信仰は常に非常に独断的(独善的)なものである。

 さて、形而上学の体系を、純粋理性に対するこの批判にしたがって構築して、後の世代に遺すことはそれほど難しくないかもしれないが、しかし、この遺産は決して過小評価されてはならない。

 これまで自己批判をせずでたらめに手探りをしてきたことと、理性が学問の確かな歩みを始めることを比べてみるがよい。そして、研究熱心な若者たちがもっと有効なことに時間を使えるようになることを考えてみるがよい。これまで若者たちは、一般に流布している独断的(独善的)な考え方のおかげで、自分たちには決して理解できないしこれからも誰も理解できないようなことについて悠長に理屈をこねまわし、基礎的な学問の修得を後回しにしてまで、新説を発見するようしきりと励まされてきたのである。

 しかし、この遺産の何より大きな価値は、相手の無知を明確に証明するというソクラテス式のやり方で、道徳と宗教に反対するあらゆる意見を永久に終わらせることが出来るということである。つまり、これからもこれまでと同様に何らかの形而上学は存在するだろうが、そこでは純粋理性が必ず経験の裏付けのない推論に走る姿が見られるだろう。したがって、形而上学の誤りのみなもとをあらかじめ封じておいて、その有害な影響力を永久に奪っておくことは、哲学の最も重要な仕事なのである。

 このようにして、理論理性はこれまで自分のものだと思っていた領域を失い、学問の分野の境界線に重要な変化が生じたわけだが、それにも関わらず、人類全般の問題に関して、そして人類が純粋理性の教えから得られる利益に関して、純粋理性がこれまで占めていた優位が、これによって少しでも損なわれるわけではない。つまり、純粋理性の領土の減少で影響を受けるのは、これまで形而上学を独り占めしていた学者たちぐらいであろう。しかし、人類が純粋理性から引き出すことの出来る利益には何の影響もないのである。

 わたしは頑固な独断論者たちに一度聞いてみたいと思っている。霊魂は死後も存在し続けることを霊魂の単一性から証明したと言い、自然のメカニズムに対する意志の自由の可能性を、主観的必然と客観的実際的必然という無意味でややこしい区別を設ければ証明できると言い、神の存在は最も実在的なものの概念(変化するものは偶然存在するものであるが、動きの始まりをなすものは必然の存在であるという考え方)から推測できると言われているが、そのような主張が学者たちのもとを離れて、大衆の心に到達して、少しでも彼らの考えに影響したことがあるだろうかと。

 そのようなことは一度も起こったことはないし、起こるはずがないのである。なぜなら、彼らの主張は大衆が理解するにはあまりにもややこしすぎるからである。

 例えば、一番目について言うなら、限りある人生に満足できない(例えば自分の全才能を開花するには人生は短すぎる)という誰にでも共通して見られる自然な傾向のために、人々はあの世を思い描くのであり、

 二番目について言うなら、自分の好き嫌いを抑えて実行しなければならない義務があるということを明確に意識するとき、人々は自由というものを意識するようになるのであり、

 三番目について言うなら、自然の至るところに現れているすばらしい美と摂理を見るとき、人々はこの世界の偉大な創始者の存在を信じるようになるのである。

 このように合理的な考え方に基ずくものだけが、大衆のあいだに影響力を持つのであって、このような考え方はこれからも決して失われることはないし、それどころか、ますます大きな信頼を得ることだろう。

 なぜなら、これからの学者は、人類全体に関わる問題に関して、もはや大衆(最も尊重すべき存在である)が容易に到達できるレベルよりも高尚でややこしい議論で相手を煙に巻くべきではなく、誰にでも理解し安く、道徳的な観点から見てもふさわしい根拠を研究すべきであることを、この「批判」を通じて学ぶからである。

 つまり、純粋理性の領域の変化によって影響をこうむるのは、人類全体に関わる真理を自分たちだけが発見して管理していると思い上がっている学者たちだけなのである。彼らは、大衆にはそれを使うことを許しても、肝腎のことは誰にも理解できないようにしているが、実のところは「自分たちも分からないものを自分だけが知っているような顔をしている(ホラティウス『書簡詩』2.1.87)」だけなのだ。

 しかしながら、わたしは、思弁哲学者たちのもっと控えめな要求には考慮を払ったつもりである。理性の批判という学問は、大衆には知られなくても大衆の役に立つような学問であって、思弁哲学者がまさにそのような学問の唯一の管理者であることに変わりはないからである。

 この「批判」は決して大衆受けするようなものにはなれないし、またその必要もない。有益な真理を発見するためのややこしい議論も、それに対する緻密な反論も大衆には分かりにくいものだからである。一方、これらは両方とも学者たちと思索を志す人たちにとっては避けては通れないものであるから、学者たちは、理論理性の扱う領域を一度徹底的に解明しておく必要がある。さもなければ、形而上学者たち(聖職者もまた同様である)は論争に巻き込まれて、あげくに自説をねつ造し始め、その結果、遅かれ早かれ、大衆のあいだに不穏な事態を引き起こすことは必定である。

 そして、この「批判」は、唯物論や宿命論や無神論、自由思想や狂信や迷信など、大衆にとって有害な教説と、大衆には広がりにくくても学者たちには危険な観念論や懐疑論がはびこる前に、その根を断ち切る唯一の手段なのである。

 政府は、もし学者の世界に介入すべきだと考えるなら、学者たちの滑稽な独裁を支援するのではなく、批判の自由を護することが、人類と学問の両方のための賢明な配慮となるだろう。批判の自由こそは、理性の営みを確固とした基盤の上に築くものだからである。学問の世界に張り巡らされた蜘蛛の巣が、批判にさらされて破壊されると、それを学者たちは社会の危機だと騒ぐかもしれない。しかし、元々大衆は彼らの古くさい教説には興味がないし、それが破壊されても痛くもかゆくもないのである。

 ただし、ここでわたしが批判の対象としているのは、学問としての純粋な認識に見られる、理性の独断的な方法のことではない。経験に頼ることなく必然的な原則(Prinzipien)によって厳密な証明をすることは、常に独断的にならざるを得ないからである。

 わたしが批判している独断論とは、理性が様々な概念(哲学上の概念である)や原則を昔ながらの使い方で扱うだけで純粋な認識をうまく扱えると不遜にも考えて、何故どのような資格でそうなるのかを点検しない考え方のことである。

 つまり、独断論とは、同じ純粋理性の独断的な方法でも、自分の能力に対する批判をあらかじめ加える手続きを欠いたもののことである。しかし、独断論に反対するといっても、わたしは大衆性という不遜な名の下で行われる饒舌な軽薄さにも、形而上学を葬り去ることが目的の懐疑論にも、くみするつもりはない。


 訳者注:独断論と懐疑論の対立は古代ギリシア哲学に始まっており、ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』の序章(岩波文庫第一巻23ページ)にもこの両派の対立への言及がある。例えば神の存在を常識的な観点から肯定するストア派は独断論であり、それを理論的にことごとく疑うアカデメイア派が懐疑論である。キケロの『アカデミカ2ルクルス』はこの二つの議論をまとめたものである。


 この「批判」は、形而上学を葬り去るどころか、形而上学を学問としての基盤の上にうち立てるために無くてはならない準備作業なのである。

 そして、学問としての形而上学は、独断的な方法をとって、一般大衆のではなく学者たちの厳格な要求を満たすように、体系的に研究されなければならない。形而上学にこれほど高いレベルが要求がされるのは、形而上学が全く経験に依存せず、理論理性の要求を完全に満たすようにその仕事を遂行しなければならない以上は、当然のことである。

 したがって、この「批判」が示す設計図どおりに将来形而上学の体系を作り上げるときには、我々は独断的方法をとる形而上学者の中で最も偉大な学者、かの高名なヴォルフの厳密な方法に従わねばならない。学者というものは原則(Prinzipien)を順序立てて確認し、概念を明確に定義し、あくまでも厳密な証明を求め、一貫性のない危険な推論の飛躍を避けて、学問としての確かな道を歩むべきことを、彼こそは身をもって示した最初の人である。その時、彼にならって完璧さを求める精神がドイツに生まれたが、この精神は今でもこの国で消えることなく受け継がれている。

 つまり、ヴォルフは形而上学のような学問を学としての確かな道へ導くのに最適な人だった。しかし、彼は、認識の道具としての純粋理性を批判して形而上学の適用範囲を限定する必要があることに思い至らなかった。この失敗は彼一人のせいではなく、当時の思想界の独断的(独善的)傾向のせいである。当時の哲学者たちも、それ以前の哲学者たちも、この問題で人を非難することのできる人は一人もいない。一方、ヴォルフの方法も拒否し、純粋理性を批判する手続きをも拒否する人たちは、窮屈な学問から自由になって、仕事を趣味に、確信を推測に、哲学を名誉を獲得する手段に変えたいだけの人たちである。

 ところで、この本の中には、これを正しく評価してくれた優秀な学者たちの間でも多くの誤解を引き起こした難解な点や曖昧な点があって、これは当然わたしが悪いのだから、この第二版ではできるだけこれを取り除くことにつとめた。

 しかし、この本でとり扱った命題とその証明、およびこの本の網羅的な構成に関しては、何一つ変更する必要を認めなかった。これらは公表前に充分検討を加えておいたからであるが、ここで扱われる題材である純粋な理論理性の性質からしても同じことが言える。

 なぜなら、純粋な理論理性は全体が一つの有機体をなしており、各部分は他の全ての部分のために、全体は各部分のために存在しているから、どんなに小さな欠点でも、それがミスや脱落であっても、必ず明らかになってしまうからである。したがって、この本の全体の構成は今後も変わることはないと信じている。

 この自信はわたしの単なるうぬぼれではない。純粋理性を最も小さな要素から全体を作り上げる過程でも、また逆に全体を(純粋理性の全体像は実践領域における純粋理性の最終目標によって与えられる)最も小さな要素に分析する過程でも、同じように、その一部分を変えるだけで全体の構成に齟齬をきたし人間理性の全体像に矛盾をきたしたという経験にもとづくものなのである。

 しかし、表現方法に関してはまだ変更の余地がある。この版では、まず第一に「感性論」の特に時間の概念に関する部分の誤解を取り除き、第二に「カテゴリー論」(純粋悟性の演繹)のわかりにくさを解消し、「先天的に知性がもっている原則」(純粋悟性の原則(Grundsätze))の証明の不十分さを改善し、最後に、霊魂は理性的なものだとする議論の誤りを指摘した個所(純粋理性の誤謬推理)での誤解を解くことに努めた。

 手を加えたのはここまで、つまり、「超越的弁証論」(「超越的原理論(Elementarlehre)」の後半部である「超越的論理学」 の後半部)の第一章までで、そこからあとは表現を変えたところはない。(原注) わたしにはそれ以上手を加える時間はなかったし、残りの部分には、有能で公平な批評家たちに誤解されたところはなかったからである。称賛に値するこの人たちが誰のことかはいちいち言及しないが、 わたしが彼らの批判に留意したことは、上記の個所を読んでもらえば分かると思う。

 しかしながら、今回の改訂では少しであるが失うものもあった。あまりに本が分厚くなることを避けるために、若干の削除が必要となったからである。それらの個所は、全体の完成度に関わるものではないが、別の意味で役に立っており、なくなっては困ると思う読者もいることだろう。しかし、それらを省く以外に、分かりやすくした記述を入れるスペースを作る方法が見つからなかった。それらは、わたしが提示した命題とその証明に関する基本的な事柄を何も変えるものではないが、前とはまったく違う表現方法をとったために、文中に挿入するだけでは済まなかったのである。

 削除はわずかであるし、その個所は第一版を見れば容易に復活させることもできる。また、書き直したことによってこの本が分かりやすくなったのなら、それは充分この損失の埋め合わせになっているだろう。

 わたしは様々な批評や論文などの刊行物の中でこの本のことが扱われている様子を見て感謝と喜びを感じた。なぜなら、完璧さを求めるドイツ精神は、才気ぶった自由思想の流行で一時的に影が薄くなりはしたが、決して死に絶えてはいないことをそこに発見したからである。

 我々にとって無くてはならない純粋理性の学が同時に学としての厳密さと確実さを備えるためには、この「批判」は避けて通ることができないものである。しかしこの茨の道をものともしない勇敢で聡明な人たちが、この「批判」をマスターしてくれている。これらのすぐれた人たちは、きっと聡明なだけでなく、わたしに欠けている明快な表現力をもっていることだろう。したがって、この本になおも残されている表現上の欠点は彼らによって取り除かれることを期待したい。なぜなら、この本は論破される危険性よりも、理解されない危険性の方が大きいからである。

 これからは、わたしは論争に加わる余裕はないが、敵味方を問わず、与えられた助言には注意深く考慮を払い、将来この予備的な学にしたがって形而上学の体系を構築するときに必ずそれらを活用するつもりである。

 この仕事に携わっている間にわたしもずいぶん年をとった(今月でわたしも64才になる)。だから、かねての計画どおりに、この「批判」が正しいことを理論と実践の両面から証明するために、自然の形而上学と人倫の形而上学を発表するには、もう時間を無駄にしてはいられないだろう。

 したがって、この本をはじめて読む人が必ず直面する難解さを解消したり、この本の主張を全体として擁護したりする仕事は、この本をマスターしたすぐれた人たちに委せるしかないのである。哲学の論文は数学の論文のようにあらゆる面で武装するというわけにはいかないから、細かな点であら探しをされるかもしれないが、議論の体系は、全体として見れば、その程度のことで決して揺らぐものではない。

 しかし、学問の体系は、特にそれが新しい場合は、全体を見渡す能力のある人は少ないし、進んでそうしようという人はもっと少ない。誰しも変化は嫌うからである。

 個別の文章を文脈から切り離して取り上げて比較するなら、一見して矛盾して見えることもあるかもしれない。これはどんな著作でも言えることだが、このように自由な講演形式で議論が進められる場合には特にそういうことがあるかもしれない。他人の見解に頼っている人たちには、そのような矛盾は作品全体の価値を下げるように見えるかもしれない。しかし、全体の主張を理解した人ならそんなものは容易に解消されるだろう。

 ある理論に対して賛成反対の議論がわき起こると、それがはじめは脅威に感じらるものだが、理論がしっかりと自立している場合には、議論によって次第に不整合な点が均(なら)されてくるものである。もしゆがみのない洞察力と真の庶民性を備えた人がこの議論に加わるなら、その理論は短期間で洗練された表現を自分のものにするだろう。

一七八七年四月 ケーニヒスベルクにて

原注 この第二版での本来の追加分(しかも証明に関するものだけだが)は、霊魂を主体とする観念論に対して新たに反論したところ(B276)だけで、そこでは外向きの直観が客観的現実性を持っていることを、厳密に、しかもわたしに言わせれば唯一可能な仕方で証明している。

 観念論は形而上学の本来の目的に関しては無害なものと考えられているが(実際にはそれほど無害ではない)、われわれの外側の世界のもの──われわれの知識の源泉は、われわれの内側の感覚にとってさえ、ひとえにこの外側のものに依存しているが──その存在を受け入れるためにはそのものがあると信じるしかなかったり、もし誰かがそれに疑いの目を向けたとしても証明によって対抗することができないというのでは、まったく哲学の名折れであり、人間の理性一般に対 する冒涜である。

 ところで、上記の証明のなかに分かりにくいところがあるので、3行目から6行目までを、次の文章に差し替えてもらいたい。

 「しかしこの永遠なものはわたしの中の直観ではありえない。というのは、わたしの存在の根拠でわたしのなかに見つけることができるものはどれも単なる印象でしかない。しかし、この根拠は、単なる印象であるために、それとは違う永遠なものを必要としている。この印象の変化も、この印象の変化が起こる時間の中にいるわたし自身の存在も、この永遠なものとの関係なしには考えられない」

 この証明に対しては次のような反論が出るかもしれない。わたしが直接知っているのは自分の内側にあるもの、つまり、外側のものについての印象だけだ。だから、わたしの外側にその印象に対応するものが必ず存在するとは言えないではないかと。

 しかし、わたしは自分の内的な経験によって自分が時間の中にいることを知っている(だから自分の存在が時間によって決定されていることを知っている)。そしてこのことは、単にそういう印象を持っているということではない。それは、自分の存在と結びついていながらも自分の外にある何か(時間)との関係だけで自分の存在が決定されているということを、経験を通じて知っているということである。

 したがって、時間の中の自分の存在を知っているということは、自分の外側の何かと関係があることを知っているということである。したがって、ねつ造でなく経験によって、空想ではなく感覚によって、この外側のものと自分の内側の感覚とは密接に結びついていることになる。

 なぜなら、外側に対する感覚があるということは、すでにそれだけで、直観によって自分の外側にある何かの現実的なものと関係があるということだからである。外側に対する感覚が単なる想像とは違って本当に存在するためには、時間について今見たように、外側に対する感覚が内的な経験を可能にする条件として内的な経験と密接に結びついていればよいのである。

 自分が判断したり知的行動をするときにいつもつきまとう「わたしは存在する」という印象によって自分の存在を頭で知っていて、それと知的な直観だけで、わたしの存在を決定できるというなら、そのために自分の外側の何かと関係があることを知っている必要はない。

 しかしながら、たとえ頭で知っているということが先に来るとしても、わたしの存在を決定する唯一のものである内側の直観は感性の働きであり、時間という制約に縛られている。しかし、この決定の仕方も、わたしの内側の経験も永遠なものに依存している。この永遠なものは、わたしの内側にではなくわたしの外側の何かのもの(例えば時間)の中にあり、その何かのものとの関係でわたしは自分自身を観察しなければならない。

 したがって、一般に経験が可能であるなら、外向きの感覚の現実性は、内向きの感覚と密接に結び付いていることになる。つまり、「わたしの感覚と関わりのあるものがわたしの外側にある」という意識は、「わたしは時間の制約の中にある」という意識と同じくらいに確かなのである。

 わたしの外側にある対象、つまり、外向きの感覚に属する対象は実際にどの直観と対応しているかは(対象は外向きの感覚でとらえるものであって、想像力で作り出すものではない)、経験(内的経験も含めて)と想像を区別する原則(Regeln)にしたがって個々のケースで決めるべきである。その際、実際に外的経験があることが常に根本にある。

 そのほかに次のことも言っておく必要がある。それは、永遠の存在のイメージと永遠に存在するイメージとは同じではないということである。永遠に存在するイメージは移ろいやすく、物質のイメージを含めた他のイメージと同様に変わりやすいものであるかもしれないが、しかも永遠なものとつながっている。

 したがって、永遠なものは我々のあらゆるイメージとは異なるものであり、我々の外側にあるものでなければならない。そして、その存在はわたしの存在を決定するものの中に必ず含まれている。その存在はわたしの存在を決定することではじめてただ一度経験されるのである。この経験が内面で起こるためには、同時にそれが部分的にであっても外側で起こらなければならない。

 どうしてそうなるのか、我々にはこれ以上説明できない。それは、時間の中にあって変化しないもの(この変わらないものと変わるものとの両方があってはじめて、変化の概念が生まれる)を我々がどうして考えられるのかを説明できないのと同じである。

誤字脱字に気づいた方は是非教えて下さい。

(c)2002-2007 Tomokazu Hanafusa / メール

ホーム