『パラリスI』



ツイート


希和対訳版はこちら


 デルフィのみなさん、わたしたちの主人であるパラリスが、わたしたちをデルフィに遣わしたのは、この牛の像を神様に奉納するためだけでなく、あの方について、そしてこのお供えについて、間違いのないところをあなたたちにお話しするためなのです。そういうわけで、わたしたちはこちらに参ったわけですので、主人からみなさんに言付かってきた言葉を、今からお話しします。主人は次のように申しております。

「デルフィのみなさん、わたしは、わたしを妬む人たちやわたしを憎む人たちがよその国の人たちの耳に吹聴して回っているような人間ではけっしてありません。もし全ギリシア人にわたしのありのままの姿を伝えることができたら、わたしは全てをなげうってもよいとさえ思っています。

「とりわけ、アポロンの神官であり神の僕(しもべ)であるあなたたちは、いわば神の家の住人、いや神の同居人とさえ言えるでしょう。そのあなたたちに、わたしの真の姿を是非知っていただきたいのです。というのは、もしわたしがあなたたちに対して身の証しをたてて、わたしが残酷な人間だという噂は嘘であることをあなたたちに証明できたなら、ほかのすべての人たちに対しては、もうわたしの身の潔白はあなたたちをつうじて証明されたに等しくなるからです。なんといっても、わたしは、今からお話しすることの証人に、神ご自身になって頂くのです。神様に嘘をついたり騙したりすることなどけっして出来ることではありません。人間を騙すのなら簡単かもしれません。しかし、神様の目をごまかすなど、とりわけこの神様の場合には不可能です。

「さて、アクラガスに生まれたわたしは、けっして民衆の出ではなく、誰よりも高貴な血筋を引き、誰よりも大切に育てられ、誰よりもよい教育を受けましたが、いつも町のためにつくして、市民に対してはいつも思いやりと節度をもって接してきました。

「その頃のわたしは、乱暴だとか、無礼だとか、高慢だとか、身勝手だとかいう非難を人からもらったことは一度もありませんでした。ところが、そんなわたしに対して、反対派の市民たちが陰謀を企んで、あらゆる手段でわたしを排除しようとしていることが分かったのです(当時わたしたちの町は内紛を抱えていました)。その時わたしは、自分の身の安全を図りながら同時に町を救うためには、自分が町の支配者となり、彼らを逮捕して陰謀をやめさせ、力で町に平静をとり戻す以外に方法はないと思ったのです。

「この考えに賛成する人は少なくありませんでした。とくに常識のある人々や町を愛する人たちは、わたしの意図やクーデターの必要性を理解して、わたしに協力してくれたので、クーデターはやすやすと成功したのです。

「その結果わたしは王座につき、町は平静を取り戻しました。いっぽう反対派の市民たちもわたしに服従して、騒ぎを起こすことがなくなりました。とくに権力を掌握した当初は、反対派の処刑や追放や財産没収が必ず行なわれるものですが、わたしは謀反を企てた者たちに対して、こうした処分をまったく行いませんでした。それどころか、信じられないでしょうが、人情とやさしさと温厚さを示して彼らを公平に扱えば、彼らもわたしの味方になってくれるのではないかと期待していたのです。当初、わたしは政敵たちと協定を結んで争いをやめるとともに、その多くの者を顧問や仲間として迎えたのです。

「いっぽう当時、町は役人たちの怠慢のせいで荒廃していました。それは彼らの多くが国家を食い物に、いやそれどころか略奪の対象にさえしていたからです。

「わたしは、水道施設をつくって町を再建するだけでなく、様々な建築物によって町を飾り、城壁を巡らして町を強化したのです。また、町の収入は役人たちの努力によって容易に増やすことができました。また、わたしは子供を大切にして、高齢者を養い、民衆のためにはパンと見せ物を与え、祭や宴会を催しました。いっぽう、少女に乱暴するとか、少年を誘惑するとか、人妻をさらうとか、親衛隊を送るとか、王位をかさに着て脅迫するなどということは、わたしにとっては耳にするのさえ忌まわしいことでした。

「それどころか、わたしはもうそろそろ王をやめて政権の座から降りようと思っていたくらいなのです。わたしは当時、どうしたら身の安全を守りながら王をやめられるだろうかと、そればかり考えていたのです。というのは、独裁者として何もかも全てを一人でするのは大変であるばかりか、人の妬みを買うことがほとほと嫌になっていたからです。また、町が二度とわたしのような独裁者を必要としなくなるようにと、わたしはあれこれ手を尽くしていたのです。

「ところが、愚かにもわたしがこのようなことに気を使っている間に、またしてもわたしに対して陰謀をめぐらす一団が現れたのです。彼らは反乱を企んて、仲間を組織して、武器をそろえ、資金を募って、周辺の町の人々に応援を要請して、さらにはギリシアのスパルタやアテナイに使節を送ろうとまでしていたのです。

「その上、拷問を受けた奴隷が明らかにしたところでは、彼らはわたしを逮捕した後どう扱うかも決めていたし、自らの手でわたしを八つ裂きにしてやると言って、わたしに科する刑罰まで計画していたのです。まったく、わたしがこのような目に会わずにすんだのは、この陰謀を暴いて下さった神々のおかげです。とくにわたしに夢を見せ、また全てを明らかにする密告者をわたしのもとに送ってくださった神アポロンのおかげなのです。

「さて、デルフィのみなさん、一つここで、わたしが味わったのと同じ恐怖を想像してみて下さい。そして、あの時わたしはどうすべきだったのかを、教えていただきたいのです。わたしは親衛隊もなく危うく捕まりそうになっていたのです、そうした状況で何とか生き延びる手段を見つけなければならなかったのです。

「少しの間でいいから、頭の中でアクラガスのわたしの町に身を置いて、陰謀の準備が着々と進む様子を目の当たりにして、彼らの口から出る脅迫の言葉を耳にしてみて下さい。その上で、わたしが何をすべきだったのかを、教えていただきたいのです。

「自分が今にも死に直面しようかという時に、このうえ彼らに人間愛を実践すべきだったのでしょうか。彼らを大目に見て我慢してやるべきだったのでしょうか。さらに、自分の無防備な喉もとを彼らに差し出して、最も大切な自分の家族が目の前で殺されるところを見るべきだったのでしょうか。

「いや、そうではなく、こうしたことは全く愚か者のすることであり、高貴な生まれの人間は、それにふさわしく勇敢に振る舞い、常識のある人間が不当な目に会ったときに当然感じる怒りを感じて、彼らに罰を与え、与えられた状況のもとで可能な限り、将来の自分の身の安全を確保すべきだったのでしょうか。

「あなたたちはおそらくこの後の方に賛成して下さると、わたしは信じています。

「では、実際にわたしはどうしたでしょうか。わたしは首謀者を呼び出して裁判にかけ、証拠調べを行って、彼らが一切否認しなかったので、個々の罪について明快な判決を下しました。

「こうして、わたしは彼らに復讐をしたのですが、わたしが彼らに腹が立ったのは、彼らがわたしに陰謀を企てたからというよりは、むしろわたしが最初から考えていた王座を降りるという計画が彼らのために実行できなくなってしまったからです。

「その後ずっとわたしは自分の身を守るために、私に対していつ陰謀を企むかも知れない者たちを処罰してきました。人々がわたしのことを残酷だと非難するようになったのは、それからなのです。しかし、人々はこうした事態の原因を作ったのは誰なのかを考えもせず、双方の事情も処罰の原因も考慮に入れずに、処罰を下した事とその処罰の外見的な残酷さだけを非難しているのです。

「それは、神殿に入った盗賊をあなたたちが岩場から突き落としたのを見て、誰かが『あなたたちは祭司でありしかもギリシア人でありながら、同じギリシア人を神殿の近くの岩場(その岩場はデルフィの町の近くにあるそうです)から突き落とすような罰をよくも下せたものだ』と言って、あなたたちの残酷さを非難するようなものです。その人は、盗賊が夜中に神殿に押し入って、お供えを引き倒して、神の像に手を触れるようなまねをしたということを考慮に入れずに、こんなことを言うのです。

「もちろん、もし誰かがあなたたちにこんな非難をしたら、あなたたちはきっと笑い飛ばしてしまうと思います。また、他国の人たちも、このような不敬な者に対する残酷さなら、誰もが称賛することでしょう。

「だいたい民衆というものは、国事を司っている人間がどんな人間であるか、それが正しい人間なのか悪い人間なのかをよく調べもしないで、ただ僣主という名前が嫌いなばかりに、僣主であれば、それが善政をしいたアイアコス王であろうとミノス王であろうとラダマントス王であろうと同じように、彼らを何としてでも追放しようと躍起になるのです。というのは、彼らは僣主といえば悪人しか思い浮かばないので、良い僣主もただ同じ名前であるというだけで、悪い僣主と同じように憎しみの目で見てしまうからです。

「実際あなたたちギリシア人の間にも、頭のいい多くの僣主が、悪評を受けながらもまじめで善良な政治を行ったと聞いています。その中の何人かの格言が、あなたたちの神殿に、アポロンへの贈り物や捧げ物として、納められているではありませんか。

「また、立法家たちが刑罰を重視しているという事実もよく考えて頂きたい。恐怖心と刑罰への不安がなければ、法律でほかに何を決めてもどんな役に立つでしょうか。特にわたしたち僣主は力で支配しており、自分を憎むだけでなく謀反を企む者たちといっしょに生活しているのですから、わたしたちにとっては、この刑罰重視はなおさら避けがたいことなのです。

「このような場合には、単なるこけおどしでは何の役にも立ちません。むしろ、こうした事態はヒュドラの神話に似ています。いくら頭を切り落としても、それ以上に多くの処罰の対象が、わたしたちの前に生まれてくるのです。ですから、もしわたしたちが支配を続けようとするならば、ひたすら辛抱強く、新たに生まれて来る頭を切り落とし続けて、まさにヘラクレスの従者イオレオスのように、切り口を焼き続けなければならないのです。

「というのは、いったんこのような状況に陥った人間は、このようなやり方に自分を合わせなければならないからです。さもなければ、隣人に対して寛大に振る舞いながら、自分は殺されてしまう道しか残っていないのです。そもそも、人を懲らしめる大きな理由もないのに、人を鞭打ったり、人の悲痛な叫びを聞いたり、人が殺されるの見たりするのが楽しいような、そんな残忍で野蛮な人間がいると思われますか。

「それどころか、わたしは人を鞭打たせながら何度涙したことでしよう。わたしは自分の運命を嘆いて何度涙を流さねばならなかったことでしょう。わたしは彼らよりももっと重い罰をもっと長い期間にわたって耐えつづけているのです。なぜなら、生来おとなしい性格でありながら、仕方なく残酷であらねばならない人間にとっては、処罰されるよりも処罰するほうが、はるかに辛いことなのですから。

「しかし、率直に言って、もし人を不当に処罰するか自分が殺されるか、どちらか一つを選べと言われたら、当然わたしは、無実の者を処罰するよりも自分が殺される方を、何のためらいもなく選ぶでしょう。しかし、もし『パラリスよ、自分が不当に殺されるのと、反逆者を正当に処罰するのとどちらがいい』と言われたら、わたしは後の方を選ばねばなりません。

「デルフィのみなさん、ここで再びあなたたちに教えて欲しいのですが、自分が不当に殺されるのと反逆者の命を不当に助けるのとではどちらがよいでしょう? 自分が生きるよりも、敵の命を救って自分が殺される方を選ぶような愚か者など、どこにもいないと思います。ところが、このわたしは、自分に対する襲撃を企ててその罪が明らかになった者たちの中から、多くの者たちの命を救ってやったのです。まさに、あなたたちの目の前にいるアカントスとティモクラテスと、そしてその兄弟であるゲオゴラスは、昔からのつきあいの誼みで、わたしが命を救ってやった者たちなのです。

「もしあなたたちがわたしの人柄を知りたいと思ったら、どうかアクラガスへ来る外国人たちに、わたしが彼らにどんな扱いをしているか、わたしが客を友好的にもてなしているかどうかを尋ねてみてください。わたしは、港に見張りやスパイを置いて、誰がどこから入港したかを調べていますが、これもそれぞれの人間にふさわしい土産を帰りに持たせてやるためなのです。

「なかには、わたしとの付き合いを避けるどころか、ギリシアの賢人たちのように、わざわざ自分からわたしのところへやって来る人もいるのです。たとえば、つい先だっても、賢者ピュタゴラスがわたしの町へやって来ました。彼はわたしについて間違った話を聞いていましたが、実物に接した結果、わたしの正しさを認めて、わたしが残酷に振る舞わねばならないことに同情しながら帰っていきました。

「あなたたちは、外国人に対してこれほど友好的な人間が、何も特別な過ちを犯していない自国の人間に対して、不当な振る舞いをすると思うでしょうか?

「あなたたちに対するわたし自身についての弁明は、以上で終わりです。これは決して嘘ではなく本当のことなのです。この話が人々の憎しみではなく称賛を呼ぶことを、わたしは信じています。

「次に今からこのお供え物について、この牛の像がどこからどのようにしてわたしの手に入ったかをあなたたちにお話しましょう。これは、わたしが自分で彫刻家に命じて作らせたのではありません。わたしは、このような物を欲しがるほど頭がおかしくなりたくないものです。

「わたしの町に、鍛冶屋としての腕はよくても悪事にたけたペリラオスという男がいました。この男はわたしの考えをひどく誤解して、もし何か新しい刑罰を考案したら、わたしを喜ばせることができると思ったのです。彼はわたしがいろいろな方法によって処罰することを望んでいると勘違いしたのです。この結果、彼は牛の像を作って、それを持ってわたしのところへやってきたのです。その像は、見たところたいへん美しく非常に細かいところまで本物の牛にそっくりでした。もしそれが動いたり鳴いたりさえしたら、まったく生きている牛だと思ったことでしょう。

「それを見たわたしは、すぐさま大きな声で『これはアポロンに差し上げるのに格好の贈り物になる。この牛の像を是非とも神様のもとに送ろう』と言いました。すると傍らにいたペリラオスは『でもそれは、この像に込められた工夫や、この像の用途をお知りになった後で決めたらいかがでしょう』と言ったのです。それと同時に彼は牛の背中を開けてこう言ったのです。『もし誰かを処罰しようと思ったら、この仕掛けの中に入らせて蓋をして、この笛を牛の鼻につっこんでから、下から火を点けるよう命じてください。そうすると、中の人間は際限のない苦しみに苛まれて、泣き叫んで大きな声を上げますが、その声は笛を通ると、とても清らかな旋律となって、あなたの耳に悲しい牛の鳴き声と葬送歌を聞かせることでしょう。こうして、中の人間が処罰されている間に、あなたは笛の音を楽しむことができるというわけです』

「この話を聞いたわたしは、この男の悪知恵にぞっとするとともに、こんな仕掛けを思いついたことに腹が立ちました。そこで、わたしはこの男にふさわしい刑罰を科してやったのです。わたしはこう言ったのです。『おい、ペリラオス、もしお前の話が単なるでたらめでないというなら、お前が自分でその中に入って泣き叫ぶ人間の真似をして、この仕掛けが本当であることをわれわれに証明してみせろ。本当におまえの言うような旋律が笛をとおって出てくるかどうか見てやるから』

「ペリラオスはわたしの言うとおりにしました。わたしは彼が中に入ると蓋を閉めました。そして下から火を点けるように部下に命じました。そしてあの男にこう言ったのです。『おまえのこのすばらしい仕掛けにふさわしい報酬を受け取るがいい。音楽の名人にふさわしく、おまえが最初にこの笛を奏でるのだ』

「こうして彼は当然の報いを受けて、自分の作った仕掛けのすばらしさをみずから体験したのです。わたしはこの男が中で死んで作品を汚さないようにするために、部下に命じて男をまだ息のあるうちに外に出して、埋葬などせずに岩場から突き落としたのです。そして、わたしはこの牛の像を清めた後に、アポロンへの奉納物としてあなたたちの所へ送ったのです。

「そしてわたしはこの出来事を残らず牛の像に書き込むようにと命じました。すなわち、奉納者であるわたしと職人であるペリラオスの名前を書いて、この男の思いつきから始まって、それに対してわたしの正しい判断、彼が自分にふさわしい罰を受けたこと、そしてこの頭のいい鍛冶屋が考えついた音楽のこと、さらにこの男による最初の演奏まで、すべてを書き込むよう命じたのです。

「デルフィのみなさん、あなたたちは、この使節と一緒にわたしに代わって神様に犠牲を献げて、この牛の像を神殿の中の汚れのない場所に納めてくださるのがいいでしょう。そうすれば、わたしが悪人に対してどのような態度をとる人間か、彼らの悪事への異常な欲求を、わたしがどのようにして罰する人間であるかを、誰もが知ることになるのです。

「わたしはペリラオスを処罰したのです。そして、他の受刑者に音楽を奏でさせるためにこの牛を取っておいたりせずに、わたしはこの牛を神様に奉納したのです。この牛が笛の音を奏でたのはあの職人の吠え声だけなのです。彼にだけこの仕掛けを試すと、それを最後にして、わたしはあの品のない野蛮な歌を止めさせたのです。わたしの人格を知るには、もうこれだけで十分でしょう。

「今回わたしが神様にお送りするのはこれだけですが、わたしがもう罰を与える必要がなくなり次第、ほかの品もどんどん奉納させていただきます」

 デルフィのみなさん、パラリスから言付かってきた言葉は以上で終わりです。すべて真実であり、みな実際にあったことばかりです。わたしたちは真実を知っておりますし、いまわたしたちが嘘をつく理由は何もないのですから、わたしたちの証言は必ずあなたたちに信じて頂けることでしょう。

 しかしながら、不当に悪人とみなされ、意に反して刑罰を科さねばならないあの人のために、もしあなたたちに嘆願する必要があるというのでしたら、わたしたちアクラガス人は、ドーリス系のギリシア人として、あの人をここに受け入れてやってくださるようあなたたちにお願いします。彼はあなたたちの友人になりたいと思っているのです。また、公的にも個人的にも、あなたたちのそれぞれにいろいろと親切にしたいと望んでいるのです。

 ですから、この牛をその手に受け取ってください、そして神様にお供えして、アクラガスとパラリスのために祈ってください。そして、用件を果たさないままでわたしたちを追い返したりしないでください。けっして、彼を辱しめたりしないでください。そして、この上もなく美しくこの上もなく正当なお供えを、神様から奪い取ったりしないでください。

(了)

誤字脱字に気づいた方は是非教えて下さい。

(c)1998-2012 Tomokazu Hanafusa / メール

ホーム