おしゃべりであることについて

(アミヨ版プルターク作『モラリア』より)



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本訳はアミヨ訳の仏語版に基づくものである。ギリシャ語テキストと英訳はLoeb Plutarch Moralia VIを参照した。また和訳は岩波文庫『饒舌について』と西洋古典叢書6『おしゃべりについて』を参考にさせていただいた。


1 おしゃべりであるという病気を哲学で治そうとするなら、それはかなり厄介で困難な仕事になるだろう。なぜならおしゃべりな人はいつもしゃべってばかりいて人の話を聞かないから、彼らに対しては、哲学が治療の手段とするところの言葉を使えないからである。

 つまり、口をつぐむことが出来ない人の最大の欠点は他人の話を聞こうとしないことである。彼らはいわば自発的な聾(つんぼ)であって、自然が彼らに耳を二つ与えたのに口を一つしか与えなかった事にさぞかし不満であるにちがいない。

 エウリピデスが頭の悪い聴衆に対して「水が漏れる器を水で満たすことができないのと同じように、馬鹿な人間の頭を知恵のある言葉で満たすことはできない」と言ったのはけだし名言であるが、おしゃべりな人について言うなら、「人の話を聞かない人間の頭を、よい忠告で満たすことはできない」とか、「人の話は聞かないし、聞かれもしないのに話し続けるような人間には、何を言っても馬の耳に念仏である」と言うべきだろう。

 仮にも彼らが人の話を少しばかり聞くとしても、それは言わば言葉の引潮のようなもので、一息ついた後で、前にも増して大きな波となって押寄せて来るのである。

 オリンピアの町のヘプタフォノス(七つの音の)と呼ばれる柱廊では、人が一声発すると何重にも反響して、あたり一面にこだまする。それと同じように、おしゃべりな人間に対しても一言しゃべるやいなや、その言葉はすぐさま何倍にも増えて至る所に響き渡るのである。そして「人の心の奥底に隠された触れてはならぬ琴線をかき乱す」のである。

 したがって、おしゃべりな人間の耳の穴の導管は脳みその中へ通じているのではなく、直接舌につながっていると言ってよい。そのため、人から聞いた言葉は、ほかの人間なら頭の中に留まるところが、おしゃべりな人間の場合には言葉がすぐに外へ流れ出てしまい、空の容れ物のようにあたりを転がり回って、意味もなく大きな音をたてるのだ。

2 しかしながら、とにかくこの病に対するあらゆる治療法を試みるために、おしゃべりな人たちに対してまず次の言葉をかけることから始めてみよう。「友よ、しゃべるな。沈黙にはたくさんの利点がある」

 沈黙がもたらす何より大きな二つの利点は、人の話を聞けることであり、人から話を聞いてもらえることである。ところが、おしゃべりな人はこのどちらも手にすることができない。だから、彼らはこの二つに関して欲求不満にならざるを得ない。他の欲求、例えば金銭欲や名誉欲や色欲などの心の病ならば、少なくとも何らかの方法によって自分たちの欲求を満たすことができる。ところが、おしゃべりな人は自分の話を聞いてくれる人をいくら捜しても見つけることができない。これこそおしゃべりな人の最大の悩みである。

 実際、人々は仲間と一緒に座って談笑していようが柱廊で散歩していようが、おしゃべりな人が来たと見るやいなやその場を離れようとするが、それはまさに撤収の合図というにふさわしいほど急いで行なわれる。

 あるいは、人々の集りに突然沈黙が訪れて誰もが口をつぐんでしまう時には「ヘルメスの神が舞い降りた」というが、まさにそれと同じように、知り合いの集りや宴会の席におしゃべりな人が姿を現すと、この男に話すきっかけを与えまいとして誰もがみな口をつぐんでしまう。それでも男が自分から口を開くと見るや、人々はみんな言わば嵐が到来する前に席を立って出て行ってしまうだろう。それは北風が岩礁の上でかすかにざわめくのを聞いた船乗りが、嵐の前兆を読み取って港に避難するのと似ている。

 かくして、おしゃべりな人は旅に出ても、進んで彼と同席して飲み食いする人もいなければ、進んで彼と同じ宿に泊る人もいないという事態に至るのである。なぜなら、彼はどこでもしつこく人の後ろに付きまとって、ある時は人の服の袖を引っ張り、ある時は人の髯を引っ張り、ある時は人の脇をこづいてくるのであり、そんな人間からは、まさに誰かが言ったように、「三十六計逃げるに如かず」なのである。

 また哲学者アリストテレスは、自分に向って荒唐無稽な話をして「先生、すごいことじゃないですか」と何度も繰り返すしつこい男にうんざりして、「全然だね。それより君のおしゃべりにじっと付き合っていられる人がいたらその方がずっとすごいことだよ」と言ったとか。また、別の男が長話をしたあとで「先生、私の長話にうんざりでしょう」と言ったのに対して、「いやそうでもないよ、他のことを考えていたものでね」と言ったとか。

 つまり、人はたとえおしゃべりな人と付き合わされることになっても、外見上耳だけはおしゃべりの洪水に向けながらも、心の中では勝手に別のことを考えているのである。したがって、おしゃべりな人は自分の話を進んで聞いてくれる人を見つけることはできないし、自分の話を信用してくれる人を見つけるのはもっと難しい。というのは、俗に女たらしには子種がないと言われるのと同様に、おしゃべりな人の話には実がなく何の利益ももたらさないからである。

3 ところで、人間の体のなかで舌だけが歯というバリケードによって厳重に囲まれているが、それは舌が出しゃばって、内側から手綱を引いている理性の言うことを聞かない時に、血が出るほど噛んでその横暴を抑えるためである。なぜなら、誰かがが言ったように「口は災いの元」だからである。

 戸締りのない家や留金のない財布は持っていても仕方がないと言いながら、自分の口の戸締りには全く留意することなく、まるで黒海からの海流さながらに、外に言葉を垂れ流しにしている人たちは、言葉が世の中で一番価値が低いものと思っているのだろう。

 だからこそ、こういう人の話は信じてもらえないのである。ところが、話をする目的は信じてもらうことであり、言葉の本来の目的は聞き手の信用を得ることなのである。にもかかわらず、おしゃべりな人はたとえ本当のことを言ったとしても決して信用されないのである。

 それは例えば、湿気た容器に入れた小麦が、見た目の分量は増えているが品質は低下いるのと似ている。同様にして、おしゃべりな人の話は出任せな内容によって分量が増えているために、話の信憑性は完全に損なわれているのである。

4 ところで、教養があって名誉を重んじる人間ならば誰でも酒に酔うことに対しては用心深くするものである。怒りは狂気の隣人だと言う人がいるが、それなら酔いは狂気の同居人であろう。いやむしろ酔いは狂気そのものだとさえ言える。時間的な長さの点では狂気より劣ってはいるが、やむを得ずなるのではなく自分から進んでなる点では狂気より悪質である。そして何よりも酔っぱらいが非難されるのは節度無くおしゃべりになることである。

 ある詩人が言っているように、「どんなに真面目な人もどんなに聡明な人も酒に酔えば歌い踊り笑い出して、言ってはならないことを言う」。歌い踊ることに比べて、最後のものは最も恐ろしく危険なことである。

 おそらく詩人はここで哲学者たちの間で問題となっているほろ酔いと深酔いの違いをこっそり明かにしようとしたのであろう。つまり、普段より陽気になって歌ったり躍ったりするのが前者であり、余計なことをしゃべるようになるのが後者である。実際、ことわざにも「人はしらふの時に隠していることを酔ったときに明らかにする」とある。

 だからこそ、例えば哲学者ビアスは酒の席で黙っていることをおしゃべりな同席者に「馬鹿な奴だ」と、からかわれた時、「馬鹿な人間が酒を飲んで黙っていられるか」と応じたのである。

 また、アテネの一市民がペルシャ王の使節をもてなしたとき、使節たちに楽しんでもらうために宴会の席に当時アテネに住んでいた哲学者を全員招待したところ、他の哲学者たちはみな使節たちと会話をしてそれぞれ自分の説を開陳し始めたのに、ゼノンだけは一言もしゃべろうとしなかった。そのために使節たちはゼノンの機嫌をとろうと酒をすすめながら、「あなたのことを王にどのようにお伝えしましょう」と問いかけると、「アテネには酒の席でも黙っていられる年寄りが一人いたとだけお伝え下さい」と答えた。

 酒に酔わない人間の沈黙は深淵なる叡智と高遠な神秘に満ちており、それに対して酔っぱらいのおしゃべりはやかましいばかりで分別も理性もない。

 哲学者たちは酔っぱらうということは酒の席でおしゃべりになることであると定義している。つまり、いくら深酒をしても品位を保って沈黙を守っている限り誰にも非難されることはないが、おしゃべりになったとたんに酔っぱらい扱いされるのである。

 しかし、酔っぱらいがおしゃべりになるのは酒の席に限られているが、おしゃべりな人はどこでもおしゃべりである。彼らは市場でもおしゃべりだし、劇場でもおしゃべりである。歩いていても座っていてもおしゃべりである。彼らは夜昼見境なくおしゃべりなのである。

 また、もしおしゃべりな人が病人の見舞いに来たりすれば、病気よりもたちが悪くて、病人の体をよけいに悪くしてしまうし、おしゃべりな人が船に乗っていたりすれば、乗客たちは波のうねりで気分が悪くなるよりひどい気分にさせられる。おしゃべりな人に褒められることは、おしゃべりな人に無視されるよりも迷惑である。たとえ善人でもおしゃべりな人と付き合うくらいなら、悪人でも寡黙な人と付き合う方がましである。

 ソフォクレスの悲劇の中でネストール老人は、言葉を荒げて激昂するアイアスを宥めようとして「アイアスよ、ぼくは君を咎(とが)めはしない。口は悪くても行いは立派だからね」と穏やかに言ったが、おしゃべりな人に対してはこうは言えない。おしゃべりであることは、どんな立派な行為も台無しにしてしまうからである。

5 昔リュシアスが、裁判をすることになった人に頼まれて法廷弁論を書いてやったことがあった。ところが、その人は何度も読み返したあげく、がっかりした様子でリュシアスのもとにやってきて「最初に読んだ時はとてもよく出来ていると思ったのですが、何度も読んでいるうちに平凡で今ひとつ説得力がないように思えてきました」と言ったのである。それに対してリュシアスは「何だって? これを陪審員たちの前で読むのは一回だけだということを君は知らないのかね」と答えたという。

 リュシアスの弁論の美しさとその説得力の大きさは誰もが明白に認めるところであり、金髪のミューズのご加護を受けていると言ってもよいほどである。そんな彼の弁論でも何度も繰返せば色あせて見えるのである。

 またホメロスについては不思議なことが沢山言われているが、その中でホメロスだけが読者を決して厭きさせないのは、同じことの繰り返しがなく常に新らしい魅力に満ちているからだというのは真実である。実際、長い物語にありがちな退屈と倦怠をホメロスが如何に恐れ回避しようとしたかは、彼自身の次の詩句からも明らかである。「すでにはっきり言ったことを後から繰り返して言うと嫌みになる」

 だからこそ、ホメロスは聴衆を次々と新しい話に導くのであり、話の新しさで聴衆の耳を厭きさせないようにしているのである。一方、それとは反対におしゃべりな人たちは、書き物板に書いては消しまた書いては消しする人のように、同じことばかり言って人を退屈させるのである。

6 したがって、わたしたちは第一に次のことをおしゃべりな人たちに対して指摘しておきたい。

 酒は元々我々の楽しみのため美食のためにあるものなのに、無理やり水で割らずに大量に飲ませようとする人がいるおかげで、酒は不快で迷惑なものになっている。それと同じように、言葉は元々人々に有益で楽しい話し合いのためにあるものなのに、時と場所をかまわずのべつ言葉を使おうとする人のおかげで、言葉は不快で迷惑なものになっている。

 その結果、おしゃべりな人は自分では楽しませていると思う人に苦痛を与え、尊敬されたいと思う人から軽蔑され、愛されたいと思う人から憎まれる。

 恋愛に必要な全ての魅力を備えておりながら自分に近寄って来る人間をことごとすはねつけ追い払ってしまうような人は不作法だと言われても仕方がないが、それと同じように、自分が話をすることで人から避けられたり嫌われたりするような人は、不作法で育ちが悪く教養がないと思われても仕方がない。

7 おしゃべりであること以外の心の病や病癖についていうなら、あるものは危険であり、あるものは人に嫌われ、あるものは軽蔑の対象となるが、おしゃべりであることはこれら全ての欠点を持ち合せている。なぜなら、おしゃべりな人はでたらめを言うため人に軽蔑され、悪い知らせをもたらすため人に嫌われ、秘密を漏らすために危険だからである。

 アナカルシスが、昔ソロンの家で酒を振舞われたあと寝入ったとき、左手を股間に右手を口の上に置いているのを目撃されたのも同じ理由からだ。というのは、彼は口を制御する方が強い力がいると考えたからである。実際、そのとおりであろう。

 確かに性欲を制御できずに破滅した人は数知れないが、秘密が漏れたために破滅した大きな都市や国家の数もそれに勝るとも劣らず多いのである。

 スッラに包囲されたアテネがそうだった。当時は諸事切迫した状況下にあり、スッラはアテネ陥落のために長い時間をかける余裕がなかった。つまり、一方ではミトリダテスが小アジアに侵入して荒し回ってをり、他方ではマリウスの一党が復権してローマで大きな力をふるっていた。

 そんなとき、「ヘプタカルコン地区の防備が手薄だ。アテネはこの地区から陥落する危険がある」とおしゃべりな老人たちが床屋で話し合っているのを、町にいたスパイが聞きつけてスッラに注進したのである。

 スッラはすぐさまその日の深夜にその地区に兵を移動して町に入り、言わば略奪の限りをつくした。しかしそれだけではなく、スッラはアテネの住民に対してひどく怒っていたため、町を死体で満たしてケラメイコス通りを血で真赤に染めたのである。

 その原因は町の敵対行為よりもむしろ住民たちの言葉による侮辱だった。住民たちは城壁の上でスッラとその妻のメテッラを嘲って、「スッラは挽き割り粉をまぶした桑の実だ」などと悪口を言いながら踊ったのである。

 こうして、プラトンの言ったように、アテネ人は言葉というこの世で最も軽いものと引き換えに、極めて重くて残酷な代償を払ったのである。

 ローマがネロの圧制から解放されるのを妨(さまた)げたのも、一人の男のおしゃべりだった。ネロを暗殺する手筈が全て整い、いよいよ翌日決行となった前日の夜のこと、暗殺を企てた男が劇場に行った時に、ネロの眼前に引き出される野獣の前に投げ出されることになっていた哀れな囚人が入口で自分の運命を嘆いているのを眼にした。

 男は囚人に近付いて行って耳元で「今日一日が無事に済むことだけを祈りたまえ。明日は私に感謝することになるはずだ」とささやいたのだ。

 囚人はすぐにその言葉に隠された意味を悟ると、「確かな物を捨てて不確かな物を追いかける人間は愚かだというがその通りだ」と考えて、自分の命を救うための正義にかなった方法ではなく、確実な方法を選んだ。つまり、ネロの元へ行って先の男がささやいたことを密告したのである。その結果、先の男は直ちに逮捕されて拷問に会い、火であぶられ鞭で打たれて、先程自分からすすんで告白したことを、不幸にも今度は無理やり告白させられたのであった。

8 一方、哲学者ゼノンは、拷問に対する恐怖から意に反して自分が何か重大な秘密を漏すのではないかと思って、独裁者の面前で自分の舌を噛み切って吐き出した。

 また、ハルモディオスとアリストゲイトンの二人の恋人だった娼婦レアエナの誠実さと忍耐強さは立派な形で酬われた。アテネの僭主に対する陰謀の成就という大きな夢を彼女はこの二人と分かちあっていた。彼女は愛の女神を仲立ちとして二人の恋人と杯を交わして秘密を守ることを誓っていたのである。

 二人が計画に失敗して殺された後、彼女は拷問にかけられて、まだ見つかっていない他の加担者の名前を言えと迫られたが、誰の名前も明かすことはなかった。ハルモディオスとアリストゲイトンが彼女に惚れたのは自分たちの名に恥じない行為だった事を、彼女はこうして証明したのである。

 その後、アテネ市民はこの事実を記念して舌のない雌ライオンの銅像を作って、アクロポリスの門の入口に置いた。この獣の勇敢さによって彼女の不屈の魂を、舌を作らなかったことによって、秘密を漏さなかった彼女の口の堅さを顕彰したのである。

 言ってしまった言葉がもたらす利益は、言わずにいる言葉が有する利益ほど大きくない。なぜなら、言わずにいる言葉はこれからいつでも言うことが出来るが、言ってしまった言葉は、言った人の元を離れて既に至る所に広まっているから、もはや言わなかったことに出来ないからである。

 だからこそ、我々はしゃべることを人から学び、しゃべらないでいることを神々から学ぶのである。というのは、犠牲の儀式など神聖な儀式において人はしゃべらないでいることを求められるからである。

 また、ホメロスは雄弁で名高いオデュッセウスを寡黙で無口な人間にした。ホメロスはオデュッセウスの妻も息子も乳母も無口にした。例えば、乳母は「樫の木のように、固い鉄のように、これから私は無口になります」と言っている。オデュッセウス自身も自分の素性を明かすまでは妻のそばに居ながら、「妻が涙に暮れるのを見て心に憐れみを懐(いだ)きながらも、その眼は岩のように動かず、表情一つ変えなかった」

 それほどにも彼の唇は我慢強かった。理性は彼の肉体のあらゆる部分を自分の命令に従わせた。だから、彼の眼は全く涙を流さず、彼の舌は一言も漏らさず、彼の心は決して揺れ動くことなく、ため息一つつかなかったのである。

 「彼の心はじっと動かず、しつかりと感情を隠していた」。理屈の通じない体の隠れた部分の動きまでも彼の理性が支配して、血流も呼吸をも思うままにコントロールしたのである。

 オデュッセウスの家来たちもたいていは寡黙だった。彼らは巨人キュクロプスに引裂かれて地面に打ち付けられたのに、オデュッセウスに逆らう言葉は一言もなく、巨人の眼を突き刺すために巨大な杭の先を焼いていることを密告することなく、巨人に生きたまま食われてもオデュッセウスの秘密をけっして漏らすことはなかったが、それは主人に対する比類ない忠誠心の表れだった。

 また、ピッタコスはエジプト王が羊を送って来て、そこから最悪かつ最善の部分を切離すように依頼された時、羊の舌を切って送り返したのも、同じ意味で正解である。なぜなら、舌こそは寡黙であることによって世界に最善をもたらし、おしゃべりであることによって最悪をもたらす物だからである。

9. エウリビデスの芝居の中でイノーは「わたしは何時しゃべるべきか何時黙るべきかを知っている」と自分のことを誇らしく語った。なぜなら、貴族や王家の生れの者は先ず最初に黙ることを学び、その後でしゃべることを学ぶからである。

 アンティゴノス王は、撤退の時期はいつかと息子に問われて、「何を心配している。お前にはラッパが聞えないのか?」と言った。アンティゴノスは自分の帝国の後継者である息子に対しても機密を守ったのである。それによって彼はこうしたことを軽々しくをしゃべるべきできではないと息子に教えたのだ。

 老将メテッルスもまた同様の機密事項について質問された時、こう答えた。「もしわたしのシャツがこの機密に通じていると分かったら、わたしはこのシャツを脱いで火の中にくべてやる」

 エウメネスはこれから戦う敵がクラテロスであることを知ると、それを秘密にして自分の味方には誰にも教えなかった。それどころか、敵はネオプトレモスであると偽って伝えたのである。なぜなら、味方の兵士たちはネオプトレモスを軽蔑していたのに対して、クラテロスの名声にあこがれその勇気を愛していたからである。

 こうしてエウメネス以外は誰も相手がクラテロスであることを知らぬままに戦って勝利し、戦場で相手を誰とは知らぬままにクラテロスを殺したのである。相手がクラテロスであったことを知るのは、彼が死んだ後のことだった。

 味方に真実を告げないというこの作戦はかくも見事な勝利をもたらしたのであるが、味方の兵士たちは、隠されたいた敵がかくも偉大で恐るべき敵であったことを知ると、エウメネスが自分たちを信用せず敵の名を教えなかったことに不平を言うどころか、黙っていたエウメネスの賢明さを賞賛した。

 また仮に不平を言われたとしても、人を信用しないことで不平を言われながらも生きている方が、人を信用しすぎたことを悔みながら死んでいくより余程ましである。

10. ところで、自分が秘密を教えた相手がその秘密を守らなかったといって公然と非難する人がいるが、どうしてそんな厚かましいことができるだろう。なぜなら、そもそも人に知られてならないことは他人に教えるべきではないからである。

 我々がもし自分の重大な秘密を他人に教えてその人に秘密を守ることを求めるなら、それは自分よりその人の方を信用していることになる。そして、もしその人が我々と同程度の口の固さなら、当然我々は破滅するだろう。しかし、もしその人が我々よりも口が固ければ、奇跡的に我々は破滅をまぬがれるだろう。なにしろ、我々以上に我々を大切に思ってくれる人に出合ったのだから。

 友人に秘密を教えて何が悪いというかもしれない。しかし、その人にも友人がいて秘密を教えるだろう。また、その友人にもまた友人がいる。かのようにして、口の軽さの連鎖によって話は成長し増殖し続けるのだ。

 一という数は自分の領域を越えることがなく常に自分自身に留まって一であり続ける。だから単一と言われるのである。二という数は自分の領域を越えた分裂の始りを意味する。つまり、それは一を倍することによって直ちに自分自身の外に出て多数になることである。

 それと同じように、話も最初に知った人間の領域に留まるかぎり、それは正に秘密である。しかしそれがその人間の領域を出て他人のもとに至るとき、うわさという名前を持ち始めるのである。なぜなら、ホメロスがいうとおり、言葉には羽が生えているからである。

 鳥は一度手元から放してしまったら、それをもう一度捕まえて元の場所に戻すことは難しいが、それと同じで、言葉は一度口から出てしまったら、軽快に羽をはばたかせて飛んで行き人から人へと伝わるので、それを捕まえて元の場所に戻すことは出来ない。

 また、強風にあおられた船なら、錨(いかり)やロープを使ってその動きを緩めたり止めたり出来るが、言葉が一旦口という港を出て行ってしまったら、もはや帰る港はないし、それを止めることのできる錨もない。そして言葉は異常な雑音と巨大な反響をともなって進み、最後はどこかの岩にぶつかって砕けちり、その言葉を発した人間を恐ろしい渦巻の中に投げ込むのである。

 「高いイダの山の周囲の全ての森でさえ、小さな火があればあっという間にすべてが燃え尽きる。まさにそのようにして、口を謹むことを忘れたら、たった一人に漏らした秘密でさえも町中に知れわたるだろう」

11. ある時ローマの元老院が秘密の議題について何日も会議を続けたことがあったが、議題が知らされず会議が非公開だったために、かえって詮索の的となって国民の想像力をかき立てた。

 ある元老の妻は普段は慎み深かったがやはり女であり、秘密の議題とは一体何なのか教えてほしいとしつこく夫にせがんだ。そして、「あなたから聞いたことは人には絶対しゃべらない」と誓いを立てたり、「この誓いを破ったらこの身に祟(たた)りあれ」と祈ったりと大騒ぎをして、あげくの果てに眼に涙を浮べて「夫に信用されないなんて私ってほんとうに不幸な女なんだわ」と言いだす始末だった。

 困り果てた夫は、妻の愚かさ加減をテストしてみることにした。そして、「君には負けたよ。あの事はぞっとするほど恐ろしいことだが、君に教えないわけにはいかないね。実はね、神官たちの報告によると、一羽のヒバリが金色の鉄兜をかぶり、槍をもって飛んでいるところを目撃されたのだ。この不思議な現象がはたして我国にとって吉兆なのか凶兆なのか我々には分からないので、鳥占いの専門家に相談しているところなんだ。このことは決して他言するなよ」といったのである。

 しかし、夫が元老院に出かけるやいなや、妻は最初に来たメードを捕まえると、髪の毛をかきむしり胸を叩いて泣きながらこう言った。「ああ、どうしましょう。私の夫は、この国は、一体どうなるのでしょう」。

 こう言われたメードは「どうなさつたのですか」と聞かない訳にはいかない。婦人はこの質問を引き出すやいなや、夫に聞いた話をメードにすっかり話してしまった。そして最後に、おしゃべりな人が話の最後につける例のフレーズである「人に言っちゃ駄目。内緒よ」を付け加えた。

 メードは夫人の元から離れると出かけていき、暇そうにしている女友だちに今聞いた話を全て打ちあけた。すると、その女は自分に会いに来た男友だちに打ちあけた。このようにしてこの噂は元老院の全ての人間に知れ渡ってしまった。そこへこの話を考え出した当の男が元老院にやって来たのである。

 彼の友人たちは彼を見つけるとこう話しかけた。「君は家からまっすぐここに来たのかね」「そうだよ」「とするとまだあの話は聞いてないんだね」「何か変ったことでもあったのかね」「一羽のヒバリが金色の鉄兜をかぶり槍をもって飛んでいるところを目撃されたんだ。執政官たちはそのことで話し合っているそうだよ」

 男は苦笑いしながら「妻よ、お前はもう少し待ってくれたらよかったのに。さっき私が言った話が私より先に元老院に着いてるぢゃないか」と独りごちた。そして執政官たちのところへ行って彼らを要らぬ苦労から解放してやった。

 それから自分の妻を懲らしめるために、自宅に帰るなりこう言った。「お前のおかげで私は破滅だ。元老院の秘密が私の家から漏れたことが分かったのだ。お前の口の軽さが原因で私はこの国から追放されなければならなくなった」妻は自分から漏れたことを否定しようとして言った。「でもあの事はあなただけでなく三百人の元老たちはみなさんごぞんじぢゃないの?」「そんな事があるものか。だって、あれはお前を試すために私が作った作り話なんだから」

 この賢明な元老は自分の妻を試すのになかなかうまくやった。つまり、出来の悪そうな容れ物を試すのにぶどう酒やオリーブ油ではなく単なる水をそそいでみたのである。

 一方、皇帝アウグストゥスの側近で老いた皇帝の愚痴を聞かされていたフルヴィウスはちがっていた。皇帝は家族の中での孤独を嘆いた。娘の生んだ息子のうち二人には先立たれ、一人残っているポストゥムスは讒言(ざんげん)によって追放され幽閉されている。おかげで、妻リヴィアの連れ子を帝国の継承者にするしかない。しかしポストゥムスが憐れでならないから、あの子を流罪地から呼戻す決心だと言ったのである。

 ところが、フルヴィウスはこの話を自分の妻に話してしまった。すると妻はそれをリヴィアに話したのである。リヴィアは厳しく皇帝にあたった。「以前からご自分の孫を呼び戻すお積もりなら、どうしてすぐにそうなさらずに、帝国の後継者になる方の恨みと復讐の対象に私をなすったのです」

 翌朝、フルヴィウスがいつものように皇帝のもとに朝の挨拶に行って、「皇帝に神のご加護がありますように」というと、「このフルヴィウスの馬鹿者めが」と言われた。フルヴィウスはこれを聞くとすぐにその意味を悟り、急いで家に帰って妻を呼び出してこう言った。「皇帝はわたしが皇帝の秘密をしゃべったことを知っておられた。こうなればもうわたしは自害するしかない」

 それに対して妻は言った。「そうなさるのがよろしいですわ。わたしと長年共に暮していながら、わたしのおしゃべりを用心なさらなかったのですから。でも、わたしが先に逝きます」そして剣をとって夫より先に自害したのである。

12. だから、喜劇作家のピリッピデスが自分をひいきにしてくれるリュシマコス王から「わたしのものを何なりとそなたに取らせよう」と言われたときに「何でも頂きますが、王の秘密だけはご容赦願います」と答えたのは賢明だった。

 詮索(せんさく)好きはおしゃべりであることに劣らぬ悪癖であるが、おしゃべりである事とは切っても切れない関係にある。多くしゃべるためには多く知っておく必要があり、特に多くの秘密を知っておく必要があるからである。

 だからおしゃべりな人は、何か秘められた事はないかと至る所を探(さぐ)って嗅ぎ回り、おしゃべりの醜悪なネタの在庫を増やそうとする。その後の彼らはまるで氷をつかんだ子供のようになる。つまり、手放したくはないが、さりとてじっと手の中に持ってもいられないのだ。

 いやむしろ、彼らにとって人の秘密を知っているということは、ヘビをふところに入れて抱いているようなものと言える。つまり、胸を食い破って出てきてしまうので、いつまでも胸に留めていられないのである。

 また、タツノオトシゴとマムシは自分の身を引き裂いて子を生むと言われているが、それと同じように、おしゃべりな人が秘密の話をこらえきれずに口から漏らすときには、みずからの身を傷つけて滅ぼしてしまうのである。

 勝利という意味のカリニコスというあだ名のセレウコス大王は、ガリア人との戦いに敗れて軍を失い兵を失って、王冠を捨てマントを脱いで三四人の者といっしょに馬にまたがり、人里離れた間道を通って落ちのびていた。

 そして、とうとう馬も人も精根尽き果てた頃に、とある百姓の小さな家にたどり着いた。そこで幸い家の主人を見つけたのでパンと水を求めた。百姓はパンと水だけでなく、畑で取れたものをふんだんに提供して、思いつく限りのもてなしをした。

 そのうちとうとう相手が大王であることに気づき、困窮した王を自分の家に迎えることになった運命の巡り合わせを喜んだ。喜びすぎてそれを抑えることが出来ず、身分を偽り素性を隠して自分が誰だか知られたくない王の気持ちを忖度(そんたく)することができなかった。

 彼は王を街道筋まで案内すると別れ際に「さようならセレウコスさま」言ったのである。王は彼の手をとって抱擁を与えるふりをして引き寄せると、部下の一人にこっそり合図をして、剣で男の首を切り落させた。「首は物を言いながら切られ、鮮血が土埃(ほこり)の上に流れた」

 この男はもし少しの間だけ口を謹(つつ)しんでいられたなら、あとで王が勢力を回復して権力を取戻したときに、男が振舞ったご馳走(ちそう)と持て成しに対してよりも、むしろその沈黙に対して感謝して、必ずや大きな褒美を与えたことだろう。ただこの男は王をもてなしたこともあり、王に期待を抱いて自分の舌を抑えられなかったのは仕方がないと言える。

13. しかしながら、たいていのおしゃべり屋は何ら説明できる理由もなく自らの身を滅ぼしてしまう。

 例えば、ディオニシウス王の専制がいかに堅固で、これを崩壊させるのはダイヤモンドを壊すくらいに困難だと床屋の客が話し合っていたときに、床屋が笑いながら「あんたらがディオニシウスについて何でそんなことをおっしゃるのか不思議ですね。わたしはディオニシウスの喉元にしょっちゅうカミソリを当てているのですよ」と言ったところ、この話がディオニシウスの耳に届いて、即刻この床屋は磔(はりつけ)にされている。

 床屋はたいていの場合大変なおしゃべりであるが、これは理由のないことではない。なぜなら、普段から町の最大の話好きが床屋に腰をおろしに集ってくるので、彼らのおしゃべりをいつも聞いていると、自然におしゃべりが身に付いてしまうからである。

 だから、おしゃべりの床屋が白いリンネルでアルケラオス王の体をおおってから、「王様、おひげはどのようにさせて頂きましょうか」と聞くと、王が「黙ってやってくれたらいい」と答えたのは秀逸だった。

 アテネ軍がシチリアで大敗したという知らせを最初に伝えたのも床屋だった。この床屋はアテネのピレウス港で店を開いていたが、そこでシチリアから逃げ帰つた奴隷にこの悲報を聞いたのである。彼はすぐに店を放り出したまま大急ぎで町の方へ駈けだした。誰かに遅れをとってこの敗北の不幸な知らせを最初に町にもたらすという名誉を横取りされないか心配だったのである。

 この知らせが町に知れわたるやいなや、予想通り住民たちはショックを受けた。そこで急遽住民集会が開かれた。そしてこの知らせを誰がもたらしたか調べることになった。床屋が連れてこられて尋問を受けた。ところが、彼はその知らせをもたらした男の名前を知らないだけでなく、名前も素性も知らない男から聞いた話だと白状したのである。

 市民たちは怒り出して叫んだ。「こいつを拷問にかけろ。こいつを縛り上げろ。こいつは嘘つきだ。この話はこいつの作り話だ。誰かほかにこの話を聞いた者がいるのか。誰かこいつの話を信用する者がいるのか。車責めの車輪をもってこい」

 床屋は車輪の上に縛られたが、まさにその時、戦場からなんとか逃げ出してきた人たちが敗北の確かな情報をもって到着した。住民はそれぞれ集会を離れて、家に帰って自分の身内の不幸を嘆いた。広場には可哀想な床屋が車輪に縛られたまま残されたのである。

 夕方遅くになってやっと床屋は刑吏によって縄をほどかれたが、それでもなおこの男は刑吏に話しかけた。「我等がニキアス将軍の最期の様子がどんなだったか、もうみんなは聞いたかね」

 おしゃべりという癖は習慣によってこれほどにも度し難く抜き難いものとなるのである。

14. そもそも悪い知らせをもたらした人は、それを聞いた人から憎まれるものである。それは苦い薬やくさい薬を飲んだ人が、その薬の容れ物も嫌いになるのと似ている。だから、ソフォクレスの劇の中の番兵とクレオンの対話は、悪い知らせとそれをもたらした人間を巧みに区別している。

 番兵 わたしの報告で陛下が不愉快になられたのはお耳のほうですか、それともお気持ちのほうですか?
 クレオン お前の報告でわたしのどこが不愉快になったかを詮索して何になる?
 番兵 お耳が不愉快ならわたくしの報告のせいですが、お気持ちが不愉快ならそれは事件のせいです。

 つまり、我々に悪い知らせをもたらした者は、我々に不正を犯した者と同じくらい我々にとって憎らしい存在なのである。それにもかかわらず、一度おしゃべりの癖がついた者はしゃべらずにはいられない。

 昔、青銅神殿と呼ばれたスパルタのミネルバ神殿が荒らされたとき、中に一本の空瓶が発見された。住民が集って来て、この空瓶は一体何を意味するのかについて白熱の大議論になった。そのうち、集りの中の一人の男がこう言いだした。

 「みなさん、よろしければこの瓶についてのわたしの考えをお話しましょう。わたしの想像では、盗賊たちはこの危険な仕事に取りかかるに前に、まず毒人参の汁を飲んでおいて、この瓶にぶどう酒を入れてきたのだと思います。それで、もし運良く捕まらず無事に逃げおおせたときには、死なないためにぶどう酒を飲むのです。というのは、ぶどう酒には毒にんじんの毒を中和する力があるからです。また、仮に捕まった時には拷問にかけられる前にたいした苦しみもなく死ぬことができるというわけです」

 男の話が終るとそこにいた人たちは、この男のいう計画があまりに緻密で考え尽されたものであるため、とても想像だけで思いつくものではなく、きっと別の方法で知ったのに違いないと思った。

 そこで彼らは男を四方から取り囲むとこの男に尋問を始めた。「お前は誰だ」「どこから来た」「誰の知合いだ」「今の話をどうやって知った」などと尋問したのである。そうやって彼らはとうとう男に神殿荒しの一味であることを自白させたのである。

 イビュコスを殺した者たちも同じようにして捕まった。彼らは劇場で芝居を見て楽しんでいたが、たまたま鶴の群れが空を飛んでいるのを目にして、互いに「死んだイビュコスのかたき討ちが来たぞ」と言ったのである。

 イビュコスは以前から行方不明であり町中で捜索が行なわれていたので、彼らのすぐ近くに座っていた人がこの言葉を聞きつけて、すぐに当局に通報した。こうして彼らは逮捕されて罰を受けたのであるが、彼らを罰したのは鶴ではなくて彼ら自身のおしゃべり癖だった。つまり彼らのおしゃべり癖が復讐の女神となって、彼らの犯した殺人を彼ら自身によって暴露させたのである。

 例えば、我々の体で言うなら、傷ついて痛む個所は周囲から汚れた体液を引きつけるが、おしゃべり屋の舌もまたいつも熱をもって腫れあがっており、隠された秘密の臭いをかぎつける者たちを自分の周囲に引きつけずにはいない。

 だから、おしゃべり屋の舌は城壁で囲むか、舌の前に理性の砦(とりで)を築いて、不適当なおしゃべりがべらべらと流れ出るのを堤防のように食いとめる必要がある。そうすれば我々もガチョウよりましな存在になれるかもしれない。

 というのは、ガチョウはキリキアを出て鷲(わし)の群棲するタウロス山の上を渡るときには、全員がくちばしに大きな石をくわえて、それを閂(かんぬき)かくつわ代りにすると言われているからである。そのおかげでガチョウは夜中に鳴き声をたてることがなくなり、鷲に気付かれずに渡って行けるのである。

15. ところで、この世で最も危険な人間、悪辣な人間とはどのような人間かと問われたら、それは他でもない裏切り者のことであると誰もが答えるであろう。

 にもかかわらず、デモステネスによれば、エウトゥクラテスはマケドニアからもらった材木で家の屋根を造ったし、ピロクラテスはピリッポス王から大金をもらって、女と高級魚を買って裕福な暮らしをした。また祖国エレトリアを売ったエウフォルボスとピラグロスはペルシャ王から広大な領地をもらった。

 ところが、おしゃべりな人間は何の代償も要求せず、人から求められなくても、只で自分から裏切りを働く人である。彼らは敵に馬を渡したり城塞を開いたりする代わりに、訴訟や反乱や政府の陰謀に関わる秘密を人に漏らすのである。しかも、それは人に感謝されることが目当てではない。逆に、彼らは自分の話を聞きたがる人に感謝するのである。

 だから、自分の財産を狂ったように使いまくる浪費家に対する非難の言葉、「君は気前がよいのではない。君は人に物をやって喜ぶ病気なんだ」はおしゃべり屋についてもよく当てはまる。つまり、「そんなことを暴露しに来るなんて、君は僕の友だちじゃない。君は何でもかんでもぺらぺらしゃべって喜ぶ病気なんだ」

16. こう言ったからといって、おしゃべりという悪癖を非難するものとばかり思って聞いてはいけない。それはむしろこの悪癖を直すための言葉であると思わなければいけない。

 つまり、心の病を克服するためには判断と訓練が必要であり、そのうちまず判断が行なはれて現状が認識されなければならない。なぜなら、心の病をいわば摘出して、この病から解放される訓練をするにしても、その病を厭わしく思っていなければならないからである。

 そして、この病を厭わしく思うようになるためには、この病のせいでどれほど不名誉なことになるか、どれほど損害を被るかを道理によって理解していなければならない。

 例えば、おしゃべりな人は人に好かれようとして嫌われ、人を楽しませるつもりで不愉快にし、誉められようとして軽蔑されることや、あるいは、おしゃべりな人は浪費するだけで何も収穫を得られず、味方を傷つけて敵を助け、自分自身を破滅に追い込んでいることを理解しなければならないのである。

 したがって、この病を治療するための第一の処方箋はこの病によって引き起こされる不都合、不名誉、不幸について考察してこれを明らかにすることでなければならない。

17. つぎに、第二の処方箋とは、おしゃべりの逆についての考察でなければならない。つまり、沈黙を奨励し賞賛する声に耳を傾け、自分もそうするようにすることであり、寡黙であることの威厳、神秘的な荘重さ、神聖さを記憶に留めることである。そして、だらしないおしゃべり屋よりも、簡潔に話をする人間、わずかな言葉で多くの内容を表せる人間を、人はどれほど賞賛し、どれほど愛し、どれほど賢明だとみなすかを、常によくわきまえることである。

 プラトンが賞賛するのもまた、言葉遣いがぎゅっと凝縮している率直で簡潔な人であり、彼はそれを投げ槍のうまい人に譬(たと)えている。

 また、例えばスペインのケルティベリア人は鉄から鋼(はがね)を作るときに、鉄を地中に埋めて粗悪な土壌成分を精製するが、それと同じようにスパルタ人の言葉遣いは修飾的要素がなく、余分なものが取り除かれており、鍛錬されて効率的で生き生きとして鋭利なものになっている。

 リュクルゴスは国民を子供の時から鍛えて、沈黙することによって蓄えられる言葉の力を教えた。話し相手に対して格言の重々しさと巧みな論理をもって答えるあの魅力は、他ならぬ豊かな沈黙に由来しているのである。

 だから、おしゃべり屋の人たちは、まとまりと優雅さと重厚さを備えたスパルタ人の短く鋭い言葉を、常に自分の眼前に置いて手本とするのがよいだろう。

 例えば、スパルタ人はマケドニアのピリップに「ディオニシウスはコリントにあり」と言ってやったし、別のときにピリップが「仮りの話、わたしが攻め込めば、お前たちは完全に破滅だ」とスパルタに書いてよこしたとき、スパルタ人は返書に「仮りの話なり」とだけ書いた。さらには、デメトリオス王が腹を立てて「スパルタは一人しか使節を送って来ないのか」とどなったとき、その使節は落ち着き払ってこう答えた。「一対一なり」

 古代の人々の間でも口数の少ない人は高く評価された。例えば、全ギリシャの代表を集めた隣保同盟の議員たちは、デルフィ島のアポロン神殿の門の上に刻むのにホメロスのイリアスやオデュッセイアでもなく、またピンダロスの讃歌でもなく、「汝自身を知れ」とか「過ぎたるは及ばざるがごとし」とか「保証人に不幸あり」といった短い格言を選んだ。彼らは短文の中に巧みな表現を込めた簡潔で率直な言葉を高く評価したのである。

 そもそもアポロン神自体、簡潔単純な神託を出すことをよしとしている。だからこそ、人々はアポロン神を曖昧なという意味のロクシアスと呼ぶのである。アポロンは明瞭な言葉よりはむしろ短い言葉を好んだからである。

 実際、自分の考えを言葉ではなく合図や象徴によって伝えようとする人間はさまざまな場面で高く評価されているのではなかろうか。

 例えば、ヘラクレイトスは国の結束と平和について自分の考えを述べてほしいと国民から要請されたとき、彼は冷たい水の入ったコップを手にもって演壇にのぼると、その中に小麦粉を振りかけてハッカの小枝で混ぜて飲み干してから立ち去つた。彼はそれによって、僅かなもの、手近にあるもので満足して余計なものを求めないこと、それが国を平和と結束のもとに保つことであることを伝えようとしたのである。

 また、スキタイ族の王スキュルロスは80人の子供を残したが、死ぬ直前に槍の束を一つもってこさせると、子供たちに順番に渡して折ってみるように命じ、誰も折れないのを見ると、次ぎにその束から槍を一本ずつ抜き出して全てを安々と折って見せた。こうして子供たちに、彼らが一致団結すれば無敵であるが、内輪もめや仲違いを起こすと、彼らの支配は弱体化し短命に終わることを教えたのである。

18. こうした話を読んで心に留めている人間は、おそらく、おしゃべりに対して大した喜びを感じなくなるはずである。とは言え、私自身についていうなら、自分がしゃべることによく注意して、自分がこうと決めたことを自分自身で常に守り続けることが如何に大きな英知を要するかを考える時、あのローマ人の召使の話は私(アテネ人)を大いに忸怩(じくじ)たる思いにさせる。

 弁論家のプブリウス・ピソーは召使のおしゃべりに煩わされたくなかったので、「聞かれたことだけに答えてあとは何も言うな」と召使に命じた。

 ある日、皇帝クローディウスのために宴を開こうと思い、クローディウスを招待するように命じてから、思いつく限りの盛大な宴会の準備をした。さて、宴会の時間が来たとき、他の招待客は全員来ているのに皇帝の姿だけは見えなかった。ピソーはいつも皇帝を招待する役をしている召使を何度も送って皇帝に出席の意向があるのか尋ねさせた。

 しかし、いくらたっても皇帝は来そうにないので、ピソーが召使に「お前は本当に皇帝をお招きしに行ったのか?」と言うと「行きました」と答える。「ではどうしていらっしゃらないのか?」と聞くと「行けないとおっしゃいましたので」と答えた。「なぜすぐにわたしにそれを言わなかったのだ」と言うと「お尋ねにならなかったからです」と答えたという。

 この召使はローマ人だった。これがアテネ人の召使だったら、田んぼを耕しながらでも、自分の主人に向って今度の平和条約の条項がどうのとしゃべり続けるところだ。習慣というものはこれほどに重要なのである。そこで習慣のもつ力について今から考えてみよう。

19. おしゃべりな人の舌の暴走は手綱もはみもこれを止めることが出来ないので、ただ習慣の力によって舌を訓練してこの悪癖を忘れさせるしかない。

 そのためには先ず最初に、集まりの中で誰かが質問をしたときには他の誰も先にそれに答えようとしないのを見極めるまで自分は黙っている習慣を身に付けることである。というのは、ソフォクレスが「駆けっこと話し合いでは目的も基準も違う」と言うように、質問に答えることは一方的にものを言うのとは違うからである。

 駆けっこなら人より先に行く人間が賞品を手に出来るが、質問に答える場合は、他の人が立派に答えたらそれを誉めたたへて、礼儀正しく上品な人だという評判を得られたら充分である。

 また人の答が不充分であった場合に、その人が知らないと思われることを穏やかに指摘したり、その人の答えに欠けている点を補ってやるのは、けっして不愉快なことでも迷惑なことでもない。

 しかし何よりも気をつけないといけないのは、質問が自分以外の別の人間に向けられているときは、その人を差し置いて先に答を言ったりしないことである。

 なぜなら、この場合にしろ他の場合にしろ、他人が求められているものを、頼まれもしないのにその人を押しのけて自分から提供したり約束したりするのは、恐らく立派な事とは言えないからである。

 というのは、そんなことをするのは、人に求められたものを与えられない人間として一方を侮辱し、自分の求めるものを誰が与えられるか分からない人間として他方を侮辱することになりかねないからである。

 いやそれ以上に、そのように軽率にいちはやくせっかちに答えると、あつかましい奴だとか偉そうな奴だとか言われがちである。というのは、質問された人の答をそのように横取りすることは、「この男をどうしたいのか」「この男が何を知っているというのか」「私がいるのにどうして他の人に聞くのか」と言っているのと同じことだからである。

 また、しばしば我々が人に質問するのは、答を知りたいと強く願っているからではなく、テアイテトスやカルミデスに対してソクラテスがやったように、単にその人と親しくしたり、会話を楽しむきっかけにしたいだけという場合もある。

 だから、人の答を横取りして、人の目と耳と考えを自分の方に向けさせることは、人が口づけしようとしている相手に先回りして急に口づけをするのと同じことである。

 さらに言えば、質問された人が答えられなかったり答えようとしない場合でも、決して逸(はや)ることなく、ごく控えめにうやうやしく、しかも質問者の意図に十分配慮しながら、質問された人の代理として答えるようにするのが望ましい。

 なぜなら、質問された人がうまく答えられなくても仕方がないと大目に見られることはあるが、横からしゃしゃり出て人の発言をさえぎってまでして答を言った者は、その答がたとえ正解でも見苦しいのに、万一それが間違っていたりすれば皆の笑い物になることは必定である。

20. おしゃべりな人がつぎに熱心に訓練すべきなのは、自分が質問されて答える場合についてである。そのような場合に、おしゃべりの悪癖に染まっている人が気をつけるべきことは、単に楽しむことや、こちらを笑いものすることが目的で、話をさせようとしている人に対して、こちらが真面目にちやんと答えていると思わせないことである。

 というのは、必要もなく暇つぶしだけのためにおもしろい質問を考えて、おしゃべりな人に質問を出して、おしゃべりさせようとする人がいるからである。そういう人にはよく注意して、話す機会がもらえてうれしいとばかりに軽々しく急いで口を開かず、質問者の性格をじっくりと観察することである。

 また、質問されてもすぐ答えずに何もせずに沈黙の時間を置くようにする習慣をつけるべきである。なぜなら、その黙っている間に質問者はさらに何か適当なことを言い足すことができるし、質問された者もどう答えるべきかよく考えることができる。逆に、そそっかしく急いでしゃべりだしたりして質問者をせかせたりすると、質問を最後まで言わせずに、しばしば質問者が求めているのとは別の答をしてしまうことがある。

 アポロンの巫女は求められないうちに神託をすぐに出すが、それはホメロスがいうように、この神は「口を閉じた無言の者に耳を傾け、言い出す前に考えを察するからである」。

 しかし賢い答え方をしたい人は、自分の考えがまとまり、質問者の意図を充分に理解するまで待たなければならない。「鎌を求めて櫛を得る」という諺のような事になってはならないのである。

 このような妙なことにならないためには、おしゃべりに対して逸る気持ちや、おしゃべりへの無節操な欲求を常に抑制し制限することが必要である。そして、ずっと以前から舌の上にできたうみか炎症を取り除く機会が、質問によって与えられたことを喜んでいるかのような印象を与えないようにしなければならない。

 ソクラテスは運動のあとで喉の渇きをコントロールする訓練をしていた。つまり、相撲や駆けっこなどで汗をかいて井戸からバケツで水を汲んでも、最初の一杯は地面にまいてからでないと水を飲まないことにしていたのだ。こうして彼は肉体の欲望を訓練して、理性が指示する時まで待つようにさせたのである。

21. さてここまで来れば、人の質問に対しては三つの答え方があることを理解すべきだろう。その第一は必要な答であり、第二は丁寧な答であり、第三は余計な答である。

 例えば、誰かに「ソクラテスはご在宅ですか」と聞かれたとき、不機嫌でいやいや答える人なら、「家には居ません」と答えるだろう。もっとスパルタ風に簡潔な言い方をするなら、「家には」を省略して単に「居ません」とだけ答えるだろう。

 例えば、スパルタ人は、ピリップが町に自分を迎え入れてくれないかと手紙を寄こした時は、いつも紙に大きく「ノー」とだけ書いた返事を送ったものだ。

 しかし、もう少し丁寧に答えようとする人なら、「彼は両替所に行っているので家には居ません」と言うだろう。さらにもっとたくさん言いたい人なら、「そこで客人を待っているのです」と付け加えるだろう。

 ところが、余計なおしゃべりをしたがる人で、特にコロフォンのアンティマコスを読んだ人ならこう言うだろう。

 「彼は両替所に行っているので家には居ません。そこでアルキビアデスが手紙で紹介したイオニアの客人を待っているのです。アルキビアデスはいまミレトスにいてペルシャの太守ティッサペルネスの家にいます。ティッサペルネスは元々スパルタ寄りだったのが、アルキビアデスが気に入って今ではアテネ寄りになっています。つまり、アテネに帰りたいアルキビアデスががんばってティッサペルネスをアテネ側に寝返らせたのです」

 要するに彼はツキジデスの『戦史』の第八巻全体の内容を長々と述べ続けて、聞き手をあっぷあっぷさせることだろう。うかうかしていると、聞き手はミレトスに内乱が起こりアルキビアデスがもう一度亡命するところまで付き合わされるかもしれない。

 要するに、人の質問に答えるときには何よりも簡潔にして無駄口を避けるべきなのである。そして、質問に対する答は、その中心と周囲にあるものが、質問者が知りたいと願い意図するところと一致しなければならないのである。

 カルネアデスがまだ無名だった頃、パラエストラで討論をしていたところ、カルネアデスの声が大きいので、その場所の支配人が人を使って声を小さくするように言って来た。カルネアデスは非常に高くて太い声だったのである。

 そこでカルネアデスが「どれくらいにすればいいのか声の大きさの基準を教えてくれ」というと、相手はうまい答え方をした。「大きさの基準は、あなたが話している相手の人間の聴覚だ」と言ったのである。

 質問に対する答の言い方についても、これと同じことが言える。つまり、答を出す人間が守るべき基準は質問者の意図なのである。

22. さらに、空腹でもないのに食べたくなるような食べ物と、喉が渇いていないのに飲みたくなる飲み物は避けよとソクラテスは言ったが、それと同じように、おしゃべりな人は、自分が一番好きな話題、ついつい長話をしてしまう話題は用心して避けるようにして、その話題が出て来そうになったら先手を打ってさえぎらなければならない。

 実際、例えば軍人はふつう戦争の話や手柄話をよくする。ホメロスはしばしばヘクトールに戦場での武勇談や手柄話をさせている。また、大きな訴訟、困難な訴訟に勝った人、他人の予想に反して国王の寵愛を受けた人などは、しばしばこの悪癖を持っている。

 それは病気のようなもので、自分がどういう手段で宮廷に入ったか、どのように国王に紹介されたかとか、どのような弁論によって相手方や告発者側に勝ったか、どのような賞賛を得たかを繰り返し何度も思い出してはしゃべらずにいられない。

 喜劇の中の眠れない人間がおしゃべりになる以上に、喜びに心躍る人間はおしゃべりになる。そしてその喜びは同じ話を繰り返すたびによみがえり新鮮さを取り戻す。だから、彼らはあらゆる機会をとらえて同じ話に戻って来るのである。

 「痛むところにはついつい手が伸びる」という諺があるが、逆にうれしい事にはついつい話が及ぶのである。そしてその思い出をさらに補強してふくらまそうとするのである。

 同じことは恋をする人間にも当てはまる。彼らは自分の恋人の思い出を新たにするような話を繰り返して大半の時間を過ごす。そして、もし自分の話を聞いてくれる人がいないときには、五感も魂も持たない物体を話し相手にするのである。例えば、「ああ、いとしき寝台よ」とか「バッカスが恋の女神とみなす幸多きランプよ」という具合である。

 しかしながら、実際のところ、おしゃべりな人は「大理石の上の白線」と言われるように、話題に関しては見境がない。それでもある種の話題には特に愛着があるので、そういう話題こそは警戒して控えるようにしなければならない。なぜなら、楽しみや満足が大きい話題ほどいつまでもやめられないからである。

 自分が一番経験があり一番優れていると思える事柄についての話も、同じようにやめられなくなる。なぜなら、誰にも名誉欲があり自己愛がある以上は、人より優れていることの話に大半の時間をさいて、ますます優位に立とうとしたがるからである。

 例えば、読書家は物語を語り、文法家は文法を語り、旅行家は外国を語りたがる。しかしながら、注意すべきはまさにここなのである。猛獣がいつもの獲物のもとに向かうのに似て、おしゃべりの話題はいつも自分の得意な分野に向かいがちだからである。

 その点で、キュロス王はすぐれた資質を持っていたことが分かる。彼は自分と同年配の子供に挑戦するときは、相手の名誉を傷つけて不愉快にしないため、自分は相手より何が劣っているかを学ぶために、決して自分の方がすぐれている競技を選ばず、自分の方が経験の浅い競技を選んだ。

 ところが、それとは反対に、おしゃべりな人は、自分の知らないことを学べるような話題が出てくると、少しの間の沈黙の代価を払うことにも耐えられず、その話題を嫌って遠ざけようとする。そしてあたりをうろうろして、自分が何度も繰り返したいつもの話題になるまでそうし続けるのである。

 例えば、たまたまエポロスの本を二三巻を読んだ我が町のある男が、町中の人をうんざりさせたことがあった。彼は自分が出席するどんな集まりやパーティーでも、レウクトラの戦とその後日談をやって、いつも集まりを台なしにしたのである。おかげで彼はエパミノンダスと呼ばれるようになった。

23. それでも彼のおしゃべりはこの病気の中でも一番ましな方である。だから、おしゃべり屋は彼のような話題に限定すべきである。そうすれば彼らの言葉遣いに文学用語があふれるようになって、それほど不愉快なものでなくなるだろう。

 そのほかに、おしゃべりな人たちは一人で物を書く習慣をつけるようにすべきである。例えば、ストア派のアンティパテルは、圧倒的な雄弁でストア派を論破していたカルネアデスと、一対一で論戦をする能力がなく(これが真相に近い)、あるいはその意志がなかったので、何冊も書物を書いて、それによってカルネアデスに反論した。そのためにアンティパテルは「カラモボアス」と呼ばれた。これは「ペンによるおしゃべり屋」という意味である。

 おしゃべりな人たちが人の集まりから毎日少しずつ遠ざかって、このように影と戦って一人で秘かにおしゃべりをするようになれば、彼らはもっとつき合いやすくなって、いっしょに居ても耐えられる存在になるだろう。

 それは人間が投げる棒きれや石に向って怒りを発散した犬が、人間に対してはおとなしくなるのと似ている。

 しかしながら、おしゃべりな人にと何より役に立ついい方法は、いつも自分より偉い人や自分より年上の人のそばにいるようにすることである。そうすれば相手の威厳とか品格に対する遠慮の気持ちや畏敬の念から、おしゃべりな人もだんだんと黙っていられるようになる。

 そして、我々が何か言いたくなったときや、口もとに何か言葉が浮かんできたときには、我々がこれまで述べた訓練の方法に、次の自己問答を常に組み合わせるようにすべきだろう。

 それは「いま口にのぼって来て口から出て行こうとしている話は何か」「私の舌は何のためにこの話を外に出そうとしているのか」「これを言うとどんなよいことがあるのか」「黙っていればどんな悪いことがあるのか」である。

 というのは、言葉というものは、何とかして降ろさないといけない重い荷物とはちがって、言ってしまった後でも消えずに残るからである。

 人がしゃべるのは、自分のためか、自分の必要を満たすためか、他人のためか、あるいは、互いに会話を楽しむためか、仕事の苦労を和らげるためか、愉快な会話を味付けにして気晴らしをするためか、休暇を楽しむためである。

 だから、もしその話が言った本人のためにならず、聞く者にとって必要でもなく、その話に何の魅力も楽しみもない場合には、その話をする必要性はどこにもない。つまり、無駄で不必要な行動があるように、無駄で不必要な話もあるのである。

 とどのつまり、シモニデスの次の格言を常に手元に置いて時々思い出すことが大切である。「しばしば人は自分がしゃべつたことを後悔するが、黙っていたことで後悔することはない」。

 また、訓練することは非常に効果的であり、全てが訓練によって達成できることを忘れてはならない。それは咳やしゃっくりを止めるために、人々がどれほど苦労し、気を使い、苦痛に耐えるかを考えれば分かることである。

 また、「黙っていれば喉が渇かずにすむ」とヒポクラテスは言っているが(『流行病』第6巻3-19)、沈黙の長所や効用はそれだけではない。沈黙は誰かに悲しみや苦しみをもたらすことがないし、その責任を問われることもないのである。

 誤字脱字に気づいた方は是非教えて下さい。

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