土井晩翠訳『イーリアス』あらすじ他


(一)梗概
『イーリアス』とは「イーリオン(トロイエーすなわちトロイア)の詩」という意味である。本詩の歌うところは、アカイア(ギリシア)軍勢が十年にわたって、小アジアのトロイアを攻囲した際起った事件中の若干部分である。これより先、トロイア王プリアモスの子パリス(一名アレクサンドロス)が、スパルタ国王メネラーオスの客として歓待されたおり、主公の厚情を裏切って、絶世の美人、王妃ヘレネー(ヘレン)を誘拐して故国に奪い去った。ヘレネーはその昔列王諸侯がいっせいに望むところであったが、ついにメネラーオスの娶るところとなった。それ以前に佳人の父は彼らに、誰人の妻となるにせよ、もしその夫より佳人を奪う者あらば、協力して夫を助けて奸夫を膺懲(ようちょう=こらしめる)すべしとの誓いを立てさせた。こういう次第でメネラーオスの兄、ミケーネ王アガメムノーンが、列王諸侯を四方から招いて連合軍およそ十万人をひきいて、船に乗じてトロイアの里に上陸し、十年の攻囲を行ったのである。トロイアは死力を尽くして城を防いだ。しかし城を出でて戦うことをあえてしない。トロイア軍中第一の勇将ヘクトールさえも敵し得ない英雄アキレウスが、連合軍に加っていたからである。しかるに十年目の連合軍中に内訌(ないこう=うちわもめ)が起った。総大将アガメムノーンが威に誇って、一女性のゆえにより、アキレウスを辱しめたのである。後者は激しく怒って、もはや連合軍のために戦うことはしないと宣言して、部下の将士をまとめて岸上の水陣へしりぞいた。『イーリアス』はここから筆を起す。「女神よ、アキレウスの怒りを歌え」と。アキレウスの怒りおよびその結果、最後にその怒りの解消——以上が『イーリアス』の中心題目である。これを中心としてトロイア落城の前51日間に起った様々の事件が詩中に歌われている。アキレウスが退陣したのでトロイア軍は進出した。二十四巻の『イーリアス』中、初めの十五巻は両軍相互の勝敗の叙述である。のちにトロイアが優勢となりアカイア軍は散々に敗退する。そのときアキレウスの親友パトロクロスはこれを座視するに忍びず、友の戦装を借り、進んで勇をふるって数人の敵将を倒したが、最後にヘクトールに殺され、その戦装が剝ぎ取られる。ここにおいてアキレウスは、初めて猛然と立ちあがり、アガメムノーンと和解して戦場に躍りいで、敵軍一切を追い払い、ただ一人踏み留ったヘクトールを倒して、パトロクロスの仇を討ち、死体を兵車につないでこれを友の墓のめぐりをひきずり行くこと十日に及ぶ。その後敵王プリアモスは神命により、ひそかに人目をかすめてアキレウスの陣を訪い、賠償を出して愛児の死体を乞うた。アキレウスこれを許して数日の休戦を承諾する。敵王は死体を城中に携え帰り葬儀を行なう。『イーリアス』はここに終る。

なお二十四巻の一々にわたってその梗概を記せば左の通りである。

第一巻 アポローンの祭司クリューセース、アガメムノーンに辱しめられ、復讐を祈る(第一日)。疫病(二日~九日)。評定の席開かる。続いて争論。アガメムノーンその戦利の美人クリューセーイスを失えるつぐないとして、アキレウスの美人ブリーセーイスを奪う。アキレウス悲憤のあまり神母テティスに訴う(十日)。神母はオリンポス山上に、十日の旅ののち帰り来れる大神ゼウスにまみえ、アキレウスが今の屈辱に代えて光栄を得る時まで、トロイア軍に戦勝あらしめたまえと乞う(二十一日)。

第二巻 大神ゼウス「夢」の精を遣わして、アガメムノーンをあざむき、トロイア軍と戦わしむ。両軍の勢揃い(二十二日)。

第三巻 両軍の会戦ならびに休戦。パリスとメネラーオスとの一騎討ち。負けたるパリスは愛の神アプロディーテに救わる(同日)。

第四巻 トロイアの将パンダロス、闇に矢を飛ばしてメネラーオスを射り、休戦の約を破り戦闘起る(同日)。

第五巻 ディオメーデスの戦功。アプロディーテーと戦う(同日)。

第六巻 敵将グラウコスとディオメーデスとの会見。ヘクトール城中に帰り、妻子に面す(同日)。

第七巻 ヘクトールとパリス戦場に進む。アイアスとヘクトールとの決闘、未決に終る。両軍おのおの評議。トロイアの講和使しりぞけらる(二十三日)。死者を葬るために休戦。アカイア軍水陣の周囲に長壁を築き、塹壕を穿(うが)つ(二十四日)。

第八巻 戦闘。トロイア軍クサントスの岸に夜中に屯営(二十五日)。

第九巻 アガメムノン謝罪の使いをアキレウスに送り救援を乞う。アキレウスこれを拒む(二十五日)。

第十巻 ディオメーデスとオデュッセウスとの夜間の進撃。敵の間謀ドローンをほふる(二十五日夜より二十六日まで)。

第十一巻 アガメムノンの戦功、その負傷。ディオメーデスおよびオデュッセウスの負傷。軍医マカオーンの負傷(二十六日)。

第十二巻 トロイア軍進んで敵の塁壁を襲う(二十六日)。

第十三巻 海神ポセイドンひそかにアカイア軍を助く。両軍諸将の激戦(二十六日)。

第十四巻 天妃ヘーラー計って天王ゼウスを眠らしむ(二十六日)。

第十五巻 天王覚めてトロイア軍を助く。アイアス水陣を防ぐ(二十六日)。

第十六巻 パトロクロスはアキレウスの戦装を借りて陣頭にすすみ、サルペドンらの猛将を倒し、最後についにヘクトールに殺さる(二十六日)。

第十七巻 パトロクロスの死体を争いて両軍の激戦(二十六日)。

第十八巻 パトロクロスの死を聞き、アキレウスの慟哭。神母テティス来って彼を慰め、新たな武装をヘーパイストスに作らしむ(二十六日)。

第十九巻 アキレウスとアガメムノンとの和解。復讐の決心(二十七日)。

第二十巻 諸神戦場に出現。アキレウス、勇をふるってアイネイアスおよびヘクトールと戦ってこれを走らす(二十七日)。

第二十一巻 スカマンドロスの河流、死体によりて溢ふる。アキレウス溺れんとして、ポセイドーンに救わる(二十七日)。

第二十二巻 ヘクトールひとり踏み留ってアキレウスと戦い、ついに殺さる(二十七日)。

第二十三巻 パトロクロス、アキレウスの夢に現わる。パトロクロスの葬儀(二十八日)。弔祭(二十九日)

第二十四巻 ヘクトールのしかばねの凌辱(三十日~三十八日)。これを憐みて諸神の集会(三十九日)。プリアモス王ひそかに敵陣を訪い、ヘクトールのしかばねをあがなう。あがない得たるヘクトールをトロイアの諸人悲しむ(四十日)。ヘクトール火葬の準備(四十一日~四十九日)。火葬(五十日)。

 註 日の分ち方はオスカール・ヘンケ博士(Oskar Henke Die Gedichte Homers)による。


(三)如何に『イーリアス』を読み始むべきか
例えば大美術館を訪い、美術品を研究鑑賞せんとする。何らの予備知識なくここに臨まば、目は応接にいとまなく、得るところは呆然漠然たる印象のみであろう。かかる場合には、案内記を読み、館中の何物が優秀の作品なるかをわきまえ、まずこれに視線を注ぎ、よくよくその傑作を鑑賞してしかるのち全体に向かうがよろしい。

文学上の雄編大作に対する場合も同様である。内容のあらましを知了したのち、まず編中の優秀の部を再三読み味わい、しかるのち、初めから順を追って最後まで読了するが賢いやり口である。

ホメーロス以外の他の例を取らば『バイブル』である。『バイブル』はホメーロスとともに万古不朽の書であるが、『創世記』第一章から『黙示録』の最後まで読み通すことは容易ではない。ヘレン・ケラーは『バイブル』全部を通読したことを寧ろ後悔したという事である。『バイブル』中、まず第一に読むべきものは何々か、これに関する委細はこの文の正面の目的でないから省略する。

そこで『イーリアス』に返る。全編の梗概を知了した上は、詩中の優秀な部分若干を読み、これを読み慣れた上で初めから順を追って最後に至るがよろししい。

優秀な二三の例を次に挙げる。

アンドロマケーとヘクトールとの別れ(六巻390行以下)。
サルペードーンの奮進(十二巻289行以下)。
パトロクロスの奮戦と最期(第十六巻全部)。
最後の二十四巻。
『イーリアス』の核心部第一巻、第九巻、第十一巻、第十六巻以下第二十四巻まで(計十二編)これを『アキレウス物語』として刊行したものがある。

(四)固有名詞の発音について
ギリシア語の発音は今日に伝わらぬ。種々の学者が各々その意見に従って、好む通りに発音している。(1)英国風(2)大陸風(3)近代ギリシア風(4)古典風の少くも四通の発音がある。私は比較的一般に多く用いらるる(4)を取って固有名詞を発音した。

 (Blassの『古代ギリシア語発音』(1890年英訳)に詳説がある)

一般に外国の固有名詞の発音は難題である。特に詩歌において左様である。『仮名手本忠臣蔵』をロンドンで英訳した時、固有名詞のある者は英語に調和せぬので、自由に取捨したそうだ。『新約聖書』の日本語訳にはギリシア原音ヨーアンネース(Ἰωάννης)をヨハネ、ペトロス(Πέτρος)をペテロと直してある。ちと極端の例えだが日本、東京、神田区をニホ、トキヨ、カダク、と直すようなものである。ホメーロスの原名を欧州各国は勝手に直している。英国はホーマー、ドイツはホメール、フランスはオメール、イタリアはオメーロである。みなその国語の調べのためである。(中華民国はホメーロスを荷馬と書く!)

ギリシア文法によると固有名詞も格によって形が変る。その上いわゆる詩的特権(ライセンス)によって、時としては長短自在である。例えばパトロクロスはパートロクロスとなり得る。(Brasse's A Greek Gradus1842年刊行)

漢文学の上に見ると、固有名詞の詩的特権は同じくはなはだしい。杜甫の『秋日詠懐一百韻』のなかに六朝の書聖顧愷之(こがいし)の名を一字省いて顧愷といい、駱賓王(らくひんおう)の『帝京編』に公孫弘を孫弘と言う、公孫は姓、弘は名である、すなわち公孫の姓の上の名一字を省いたのである。かかる例は無数である。要は調のために取捨するのである。

私もこの訳において同様の原理に由る固有名詞の発音を採用した。例えば第一巻冒頭近くにアカイアと発音したものは、原音はアーカイアーであるが、調のために縮めて、かくしたのである。アートレイデースをアトレイデース、メネラーオスをメネラオスとしたのは他の例である。



2023.3.9 Tomokazu Hanafusa/ メール

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