キケロ『ローマ市民への帰国感謝演説』
キケロ『ローマ市民への帰国感謝演説』
第一章
ローマ市民の皆さん、私が私自身と私の運命を皆さんの安全と平和と調和のために捧げたあの時、私は偉大なるユピテルの神と他の不死なる神々に次のように祈りました。
「もし私が皆さんの安全よりも自分の利益を優先することがあったのなら、私は永遠の罰を受けるようにして下さい。それは自業自得な事ですから。しかし、もし私が昔行ったことがこの国を守るためだったのであり、私の不幸なあの旅立ちが皆さんを救うためだったのであり、あの大胆不敵な者たちがこの国とこの国の良き人々に対して抱いている積年の憎しみが、この国とこの国の優れた人たちではなく、私一人に向かうようにするためだったのなら、
「もし私の行動が、市民の皆さんと皆さんの子供たちに対するこのような気持ちから出たものだったのなら、いつの日か皆さんとこの国の元老たちと全てのイタリアの人々が、私のことを忘れずに私を憐れんで私を呼び戻したいと思うようにして下さい」と。
私はこのように祈りましたが、この祈りが、不死なる神々の思し召しと元老院の証言とイタリアの人々の協力と、政敵たちの告白と市民の皆さんの並々ならぬご支援によって叶えられたことを、私は大いなる喜びとしているのであります。1
ローマ市民の皆さん、もちろん順風満帆の幸福な人生を躓きもなく歩むこと以上に望ましいことはないのですが、それにも関わらず、仮に私の人生が万事について平穏無事であったとしても、私が今享受しているような素晴らしい喜びは得られなかったでありましょう。
人として生まれた者にとって自分の子供以上に愛(いと)しい存在はありません。子供たちを愛し、子供たちの優れた性格を知る私にとって、彼らは自分の命よりも大切な存在なのです。しかし、その子供たちをいま取り戻した喜びは、彼らを授かった時の喜びに勝るとも劣らず大きいのであります。2
また、私にとって弟ほど愛すべき存在はありませんでした。しかし、彼が私のそばにいなかった時の愛しさいは、彼がそばにいた時以上に大きく、皆さんが私を彼の傍らに、彼を私の傍らに戻して下さった今、その愛しさいはひとしお大きいのであります。
また、個人の財産というものは誰にとっても喜びの源でありますが、しかしその喜びはそれが恙無(つつがな)く私の手元にあった時よりも、それが名残りなりとも取り戻されて私の手元に返って来た今の方が、もっと大きいのであります。
友情についても、交遊関係についても、近隣のよしみについても、庇護関係についても、見世物についても、お祭りについても、それらがどれほど楽しいことであるかは、失った時の方が身近にある時よりもよく分かるものなのです。3
地位も名声も名誉も階級も皆さんのご支援も、私の目には常に眩しく輝かしいものですが、それらに何の陰りもなかった時よりも、取り戻された今の方が、私の目にはなおいっそう輝かしいものに見えるのです。
そして、不死なる神々よ、祖国がどれほど愛すべきもので、どれほど喜ばしいものであるかは、とても言葉で表すことができません。
イタリアの美しさ、沢山の町、地方の風景、田園、田畑の実り、ローマの美しさ、人々の人情、共和国の威信、ローマ市民の威光はいかばかりでありましょうか。
これらの全てを以前の私は誰にも劣らず堪能していました。ところが、それらを一度も失ったことのない時よりも、一度失った今の方が全ての素晴らしさがよく分かるのです。それは健康の有り難みは病気をしたことのない人より、大病を患って回復した人の方がよく分かるのと同じなのです。4
第二章
私は何のためにこんな事を言うのでしょうか。何のためか。それは私と私の弟と私の子供たちに対して皆さんが与えて下さった大きなご支援の数々を、ただ言葉で誉め讃えるだけでなく、完璧に数え上げられるほど雄弁な人間、素晴らしい弁論術を駆使できる人間がこれまで誰もいなかったことを、皆さんに知って頂くためであります。
私がこの世に赤子として生を受けたのは当然のことながら両親のおかげですが、その私が執政官としての生を与えられたのは皆さんのおかげです。
両親が私に弟を与えてくれた時には、彼がどんな人間になるかは誰も知りませんでした。皆さんが私に弟を返してくれた時には、優れた忠誠心を持つ人間としてよく知られていたのです。
かつて共和国が存亡の危機にあった時に、私は両親の手を通じてこの国を引き受けましたが、かつて誰もが一人の人間の力によって救われたと思った共和国を、私は皆さん手を通じて取り戻したのであります。
私に子供たちを授けてくれたのは不死なる神々ですが、その子供たちを私に返してくれたのは皆さんであります。
そのほかにも多くの望ましいものを私は不死なる神々によって与えられましたが、もし皆さんのご支援がなければ、この神の贈り物の全てを私は失っていたことでしょう。
最後に、それまでに一つ一つ皆さんから頂いた名誉の全てを私は皆さんの手を通じて取り戻したのです。
つまり、かつて私が両親と不死なる神々と皆さんから頂いたものの全てを今取り戻せたのは、ローマ市民の皆さんのお陰なのであります。5
しかしながら、皆さんのご好意の全てを私はとても言葉で言い尽くすことは出来ません。また、皆さんの熱意に表れた私に対するご好意のお陰で、私は不幸を慰められたばかりか、名声が高められたと思うほどなのです。
第三章
私にはかの高貴なプブリウス・ポピリウス(※)とは違って、私の帰国のために嘆願してくれる若い息子たちや大勢の親族はいませんでした。
※前123年ガイウス・グラックスによって追放された。
私にはかの有名なメテッルス(♯)と違って、若いながらに尊敬をかち得た息子もおりませんでした。
元執政官で権威あるルキウス・メテッルス・ディアデマトスと元監察官のガイウス・メテッルスと彼らの息子たち、当時執政官選挙に出馬したメテッルス・ネポスとメテッルス家の姉妹の息子たちであるルクルス家セルウィウス家スキピオ家の人々も私にはいませんでした。
彼の帰国を求めて、非常に多くのメテッルス家の人たちとその姉妹の息子たちが、皆さんと皆さんのご両親たちに嘆願したのです。
♯前100年サトゥルニヌスの土地法に反対して自ら亡命した。
たとえ彼ら自身の高い名声と大きな業績が彼らの帰国のためには役立たなかったとしても、息子の孝心と親戚の人たちの嘆願と若者たちの喪服姿と年配者たちの涙が、ローマ市民の心を動かすことができたのです。6
また、卓越した栄光に包まれていたマリウスは、過去の高名なこの二人の執政官経験者の後で、皆さんや皆さんの父親の時代に不名誉な運命を味わった私以前の三人目に執政官経験者でしたが、彼の場合も事情は全く異なるものでした。
というのは、彼は人々の嘆願によって復権したのではなく、一部の市民が町を留守にした隙に乗じて軍隊と武力を使って自分でローマに帰って来たからです。
それに対して、私には頼りになる親族も後ろ楯になる縁故関係もなく、武力で反乱を起こす恐れもなかったです。
しかし、そんな私のために、立派な人格者の娘婿ガイウス・ピソーが素晴らしい孝心を発揮して、皆さんに嘆願してくれたのです。
また、最良の弟が悲しみに沈んだ喪服姿で涙を流しながら、毎日私のために憐れな姿をさらして嘆願を繰り返してくれたのです。7
私のただ一人の弟こそは、喪服姿で皆さんの視線を誘い、その涙で私の事を思い出させて、私を懐かしむ気持ちを人々の中に新たにしてくれました。
そして、ローマ市民の皆さん、皆さんが私を取り戻してくれないなら、彼は私と同じ運命に従おうと覚悟していたのです。
この世だけでなくあの世でも、彼は私と切り離されて暮らすことは到底受け入れられないと言ってくれたのです。それほどにも、彼の私に対する愛情は大きかったのです。
私がまだローマにいた時には、私のために元老院だけでなく二万人もの人たちが喪服姿になってくれましたが、私がローマを後にしてから私のために憐れな喪服姿になってくれたのは、皆さんもご存知のようにたった一人でした。
公の場に姿を現すことのできた彼は、ただ一人で、私に忠実な息子、私に優しい父親、私にいつまでも変わらぬ愛情を抱き続ける弟であることを示したのであります。
というのは、私の妻の哀れな喪服姿も、最愛の娘の絶え間ない悲しみも、小さな息子が私の不在を嘆いて子供らしく涙を流すのも、辛い旅の途中だったり、多くの場合は人目を遠ざけた家庭内の出来事だったからです。
第四章
このように、皆さんは多くの親族のためではなく私のことだけを考えて私を復帰させて下さったのですから、皆さんの私に対するご支援はなおさら貴重なものだと言えるのであります。8
私には親族はいず、私を不幸な境遇から救い出すために嘆願してもらえなかったので、自力で何とかしなければならなかったのですが、私を復帰させることを主張して賛同して推進してくれた人たちは非常に多数に昇りました。
その結果、支援者の数の点でも地位の点でも、私は上記で言及した三人の誰をも遥かに上回ったのであります。
それに対して、かの高名で勇気に満ちたプブリウス・ポピリウスも、かの高貴で実直さにあふれたクィントゥス・メテッルスも、皆さんの国と皆さんの支配を守ったマリウスも、元老院は議題にすらしなかったのであります。9
二人の先人の場合は護民官の法案によって帰国したのであって、元老院の決議はありませんでした。
マリウスの場合は、元老院の力で帰国するどころか、元老院を滅ぼしてから自分で帰って来たのであります。マリウスの帰国を助けたのは、国家に対する貢献の思い出ではなく、彼の軍事力と武力だったのです。
一方、私の場合は、元老院が国家に対する私の功績を忘れないようにと繰り返し要請してくれました。そして最初の機会を逃さず、満員の元老院で私の帰国を求める決議をしてくれたのです(=前58年6月『元老院帰国演説3』)。
先の三人が帰国した時には、自治都市や植民市の運動は一切ありませんでしたが、私の場合にはイタリア全土が三度も決議をして私を帰国させてくれたのであります。
先人たちは多くの市民を殺害して自分の政敵を一掃したのちにローマに帰って来たのですが、私の帰国は、私を追い出した者たちが属州を手に入れた後に、私に敵対しながらも非常に温厚で立派な人が執政官の一人に就任して、元老院に動議を提出して実現したのであります。
私を破滅させようと国賊たちに呼び掛けた私の敵は、息だけはしておりますが現実にはすでに死人同然の立場に追いやられているのであります。10
第五章
執政官について言うなら、あの有力な執政官だったルキウス・オピミウスさえもプブリウス・ポピリウスの帰国を元老院やローマ市民に提案したことは一度もありませんでした。
メテッルスの帰国を政敵のマリウスが執政官として提案しなかったのはもちろんですが、マリウスの後任の弁論家アントニウスは一人でも同僚のアルビヌスと合同でも提案しませんでした。
一方、私のために去年の執政官たちは元老院に提案をするように何度も求められましたが、二人は依怙贔屓をしていると見られることを恐れたのであります。
というのは、一人(=ピソー)は私の親戚だったし、もう一人(=ガビニウス)は本人の重罪の裁判を私が担当したことがあるからです(※)。
※キケロがガビニウスの弁護をした記録が残っているのは前54年で、この演説は前57年なので、この演説は偽作であるとする意見がある。
実は彼らは属州割り当ての約束によって取り込まれていたので、元老院の訴えにも良識派の人たちの悲しみにもイタリア全土の嘆きの声にも丸一年間逆らい続けたのであります。
しかしながら、年が改まり主を欠いた共和国が正当な保護者としての執政官に助けを求めると、執政官プブリウス・レントゥルス君は、私の人生と運命と記憶と名声の生みの親、私の守り神であり救済者として、慣例の宗教儀式に関する提案を済ませるやいなや、世俗界のことでは私についての動機を真っ先に提出すべきだと考えたのであります。11
この動議は一人の護民官(※)が拒否権を行使しなければ、その日のうちに決着するはずだったのです。彼は財務官だった時に私が執政官として最大限に厚遇した人間でした。
※『セスティウス弁護』74節、『アッテイクス宛書簡集』74番によれば、アティリウス・セッラヌス・ガヴィアヌス。
全ての元老たちと多くの高名な人たちが彼に撤回するよう懇願し、彼の立派な義父オッピウス君が涙ながらに彼の足元にひれ伏したにも関わらず、彼は熟考するために一晩の延期を要求したのです。
彼はこの一晩を一部の人たちが考えたように賄賂のお返しをするためではなく、賄賂を釣り上げるために使ったことが明らかになっています。その後元老院では他の審議は一切行われませんでした。
様々な妨害工作がなされましたが、元老院の意向は明白だったので、一月のうちに皆さんにこの件が報告されたのです。12
この時の私と私の政敵たちとの対応の仕方には、次のような違いがありました。
私は彼らがアウレリウス壇(※)の中で公然と人々を徴募して百人隊に組織し、カティリナの古参兵を殺戮の希望へ呼び戻したのを知っていました。また、私がリーダーを務めるグループの人々が、私に対する妬みや保身のために、私を見捨てて私の帰国問題から逃げ出して行くのを見ていました。
※『ピソー弾劾』11節と『セスティウス弁護』34節に同じ記述がある。
さらに、当時の二人の執政官は、属州割り当ての約束に釣られて国賊たちの側の支持に回って、自分たちの窮乏と貪欲と情欲を満たすためには、私を縛り上げて国賊どもに引き渡すしかないと考えていたのです。
また、元老院とローマの騎士階級の人たちが私のために涙を流して喪服に着替えて皆さんに嘆願することは布告によって禁止されました。そして、あらゆる属州の契約もあらゆる契約も和解も私の血と引き換えに認められるようになっていました。
こうして、全ての良き人々が私のために私と共に滅ぶことを厭わなくなっていたのです。
しかし、私は自分の身の安全のために武力で決着をつけようとは思いませんでした。なぜなら、勝っても負けても共和国にとって悲惨なことになると考えたのであります。13
それに対して私の政敵たちは、一月に私についての法案が出されると、多くの市民を虐殺して血を川のように流すことで、私の帰国を阻止しようと考えたのです。
第六章
私がローマに不在の間、共和国はこのような状態だったのです。ですから、皆さんは私を復帰させる事と共和国を取り戻す事のどちらも実現すべきだと考えて下さったのです。
一方、私は、元老院が力を失い人々は何をしても罰を受けず、法廷は機能せず公共広場には武器と暴力が跋扈して、個人は法の保護を失って家の中に立てこもり、護民官は皆さんの目の前で暴行され、政務官の屋敷は松明と剣を持った暴徒に襲われ、執政官の束桿がうち折られ、神々の神殿は放火され、共和国は失われたと私は思ったのです。
私はこのように共和制が失われたローマには自分の居場所はないと思ったのです。そして、ローマに国家が取り戻された時こそ私がローマに復帰する時だと確信するに至ったのです。14
私はレントゥルス君が翌年の執政官になることを確信していました。彼は共和国が危機に陥った時に、上級造営官として執政官である私の全ての政策に参加して危機を分かち合ってくれた人でした。彼なら執政官によって傷つけられた私に必ずや執政官として救いの手を差し伸べてくれて、私を癒してくれると思ったのであります。
実際、レントゥルス君が先頭に立って、高潔で人間味あふれる彼の同僚も次第に協力的になってくれました。また、ほかの殆ど全ての政務官も私の帰国を支援してくれたのであります。
その中でもアンニウス・ミロー君とプブリウス・セスティウス君はとりわけ熱心に私を支援してくれました。二人は熱意と勇気と信念と助力に溢れた人だったのであります。
レントゥルス君とその同僚の提案によって、満員の元老院では、皆さんと自治都市と植民市に向かって、私の功績をありうる限りの華々しい言葉で顕彰してから、私の名誉回復の勧告が決議されたのです。この決議に対する拒否権発動はなく一人を除いて全員が賛成してくれたのです。15
そして、執政官と法務官と護民官と元老院とイタリア全土の人々が、親類縁者の支援が全くない私のために市民の皆さんに繰返して嘆願して下さったのです。
さらに、かつて皆さんの支援によって高い地位と名誉を授けられたあらゆる人たちが、レントゥルス君の司会で皆さんに紹介されて、私を復帰させるように市民の皆さんに勧めるだけでなく、この国に対する私の功績をつぶさに報告して賞賛して下さったのであります。
第七章
その中でも最初に皆さんに私の帰国を奨励し懇願してくれたのがポンペイウス氏でした。彼は今も昔もこれからも英知と勇敢さと名声において第一人者であります。
その彼がこの国全体に与えてきた安全と救済と名誉を、ただ一人の無役の私に友人として与えてくれたのであります。伝え聞くところによると、彼の演説は三つの部分に分かれていたということです。
先ず最初に、かつて共和国は私の判断に従って救われたことを皆さんに明らかにして、私の運命とこの国の安全を結びつけて、元老院の権威とこの国の安全とこの功労者の運命を守るように皆さんに促してくれました。
そして、結びの演説で、元老院と騎士階級の人々とイタリア全土が市民の皆さんに対して懇願していることを詳しく話して、最後に私の復帰のために皆さんに対して自らも懇願もし嘆願もしてくれたのであります。16
ローマ市民の皆さん、私がこの人から受けた恩義は人が人から受けたと言うのは許されないほど大きなものであります。
市民の皆さんは、この人の助言とレントゥルス君の意見と元老院の決議に従って、ケンテュリア民会の投票によって私を元の地位に復帰させてくれたのであります。それは私がかつて皆さんのご支援のもとにその同じケンテュリア民会の投票によって就けて頂いた地位なのであります。
その同じ時、同じ場所から、最高位にある人たちも、重要人物たちも、市民のリーダーたちも、執政官経験者たちも、法務官経験者たちも全員が口を揃えて、かつて共和国が私一人の力で救われたことは全員が認める事実であると発言するのを、皆さんは聞いたのであります。
そして、著名な有力市民であるセルウィリウス氏が、共和国は私のお陰で無事に途切れることなく政務官たちの手に伝えられていると言うと、ほかの人たちも同じ趣旨の発言をしてくれました。
さらにその時、皆さんは、有名なゲッリウス氏の意見だけでなく証言を聞いたのです。彼は自分の艦隊が攻撃されて大きな危機を感じたことがあることから、もし私があの危機の時代に執政官でなかったら共和国は滅んでいただろうと、集会で述べてくれたのであります。17
第八章
ローマ市民の皆さん、こうして私はこの国と私の家族のもとに戻って参りました。しかしそれは、これほど多くの証言と、元老院決議と、全イタリアの声と、すべての良き人々の熱意と、レントゥルス君の提案と、他の政務官たちの協力と、ポンペイウス氏の嘆願と、あらゆる人々の支援と、穀物の豊かな供給と値下がりによって私の帰国を嘉(よみ)し給うた神々のお陰であります。
ですから、ローマ市民の皆さん、私の出来る範囲で次のことをお約束致します。
第一に、私は高潔な人たちが神々に対して常に抱くのと同じ敬虔な心をローマ国民に対して常に抱いて、皆さんの意向を神々の意向と同じように大切で神聖なものとして生涯に渡って尊重して参ります。
第二に、共和国がこぞって私をローマに復帰させてくれたからには、私は何があっても共和国に対する義務を怠ることはありません。18
私の意志が変わり果てて勇気も衰えて心根がくじけてしまっているとお考えの人もあるかと思いますが、それは大きな間違いであります。
確かに、ならず者たちが暴力や不法行為や気違い沙汰で私から奪い取れるようなものを私は失ってしまったかも知れません。しかし、勇気のある人間から奪い取れないものは、決して失われることなく留まり続けるものなのです。
かつて私は同郷の勇者マリウスをこの目で見たことがあります(この国を破壊しようとする者たちとだけでなく運命そのものを相手にして戦わねばならないのが我々二人の宿命なのです)。
私が見た時にはすでにかなりの高齢でしたが、彼はその大きな不幸によって心がくじけるどころか、なおも意志強固で若い頃の気の強さを取り戻していたのです。19
私は彼が次のように話すのを聞いたのであります。「自ら包囲して解放した祖国から追放されて、自分の富が敵に奪われたのを人づてに聞いた時も、自分の若い息子が自分と同じ不幸に見舞われているのを目にした時も、沼地に身を潜めているところに急行したミントゥルナエの人々から憐れみを受けて命を救われた時も、かつて私が王国を作ってやったアフリカに小舟でたどり着いて、無一文の自分の身をアフリカ人の慈悲に委ねたた時にも、自分はけっして不幸ではなかっ
た」と。
「しかし、復権してそれまでに失っていた物を取り戻した時、自分は精神の雄々しさを一度も失ったことはないし、これからも失う積りはない」と言ったのです。
しかし、次の点が彼と私の違うところであります。それは、政敵に復讐するのに、彼は自分の権力の拠り所である武力を使いましたが、私は慣れ親しんだ弁論を使うということです。
武力は戦争と内乱の時代に相応しいものですが、弁論は静かで平和な時代に相応しいものだからです。20
マリウスは憤怒の心で仇(かたき)を討つことだけを考えましたが、私は友人への配慮さえも、それが共和国のためになるかどうかを先に考えることでしょう。
第九章
ローマ市民の皆さん、私に仇(あだ)をした人たちは四通りありました。
その第一は、彼らが憎む共和国を彼らの意に反して私が救ったために私と敵対した人たちです。第二は、友達の振りをして私を非道にも裏切った人たちです。第三は、自分の怠惰のために私と同じ地位に着けなかった人たちで、私の名声と栄誉に嫉妬した人たちです。第四は、共和制の守護職の立場にありながら私の安全とローマの平和と自らに委ねられた支配権を売り渡した人たちです。
そして、彼らのそれぞれの行為に対する復讐は、それぞれの攻撃の仕方に応じたものとなるでしょう。
悪人どもに対する復讐は共和国を正しく治めることによって行い、不実な友人には彼らを一切信用せず全てを警戒することによって行い、私を妬んだ者たちには美徳と名誉に専念することによって行い、属州を金で買った人たちには彼らを故国に呼び戻して属州統治の説明を求めることによって行うのであります。21
しかしながら、ローマ市民の皆さん、私が大きな関心のあるのは、政敵たちの非道な悪事にどのように復讐するかよりも、むしろ私のために尽して下さった皆さんにどのようにお礼をするかなのであります。
というのは、悪意に対して仕返しをするのは親切に報いるよりも容易(たやす)いことだからです。何故なら、だめな人間に対して優位に立つよりも良い人間と同列なる方が難しいことだからです。
それに、自分に仇をした人に仕返しをすることは、自分に役立ってくれた人にお礼をするほど大切な事ではないからです。22
敵意は謝罪によって和らぐこともあるし、共和国の危機や公共の利益に関わる時には人は敵意を捨てることがあります。復讐するのが難しくて諦めることもあるし、時が経てば敵意が薄らぐこともあります。
それに対して、いくら謝っても、恩人をなおざりにする事は許されません。よほどの必然性がない限り政治を理由にお礼をしない訳にはいかないし、お礼をするのが困難だという言い訳も立ちません。また、恩義に期限を切ることは出来ないのです。
最後に、復讐に拘泥しない人はいい評判を得ますが、皆さんが私に施して下さったような大きな恩義に報いることをおろそかにする人はひどい批判を受けるものです。単に恩知らずと言われるだけでも辛い事ですが、不敬のそしりを受けかねません。
しかも、恩を返すことはお金を返すのと同じではありません。何故なら、お金を持っている人はまだお金を返していない人であり、お金を返した人はもうお金を持っていない人なのに対して、恩を返した人も恩を感じているし、恩を感じている人は恩を返す人でもあるからです。23
第十章
ですから、私は皆さんのご支援の思い出を誠心誠意永久に大切にして参ります。それは私の命が絶えても失なわれることなく、皆さんの私に対するご支援の記録は私の死後も残るのであります。
私は皆さんに恩返しをするにあたって次のことをお約束して、それを永久に守って行く所存です。
それは、細心の注意をもってこの国のことを考え、勇気をもって共和国を危機から守り、信義をもって正直な意見を表明し、この国のために自由な精神をもって人々の考えに反対し、熱意をもって苦難に耐え、感謝の気持ちをもって皆さんの福祉を図るということです。24
そして、ローマ市民の皆さん、私は次のことを未来永劫に渡って心に留めて参ります。
それは、私にとって神の威光に満ちている皆さんの目に、さらに皆さんの子々孫々の目に、いや世界中の人たちの目に、私がこの国に相応しい人間であると見られるように努めていくということであります。
なぜなら、皆さんはこの国の名誉を保つために私を復帰させることが不可欠であると全員一致の投票で決めて下さったのでありますから。25(おわり)
Translated
into Japanese by (c)Tomokazu Hanafusa 2014.9.18