民会での反逆罪の被告ラビリウス弁護



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同対訳版

PRO C. RABIRIO PERDUELLIONIS REO AD QUIRITES ORATIO
民会での反逆罪の被告ラビリウス弁護(前63年、キケロが執政官の年)

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I. [1] 第一章 ローマ市民のみなさん、私は普段人の弁護をする時に初めにその理由を言うことはありません。私は誰であれ市民が困っていれば弁護を引き受ける充分正当な理由になると思うからです。しかしながら、ガイウス・ラビリウス氏の生命と名誉と財産の弁護をするにあたっては、私自身の責務を明らかにすることが欠かせないと思うのです。なぜなら、私がこの人を弁護する正当な理由だと思う事は、皆さんがこの人を無罪にする理由になるはずだからであります。

[2] 私がガイウス・ラビリウス氏の弁護を引き受ける気になったのは、昔からの友情と、この人の高い地位と、人道的な配慮と、私の従来の方針が挙げられます。しかし、私がこの弁護を是非とも引き受けねばならないと思ったのは、この国の安全と、執政官としての責務と、そしてとりわけ私が皆さんから執政官という職務と共にこの国の安全を委ねられたからであります。

 というのは、ローマ市民の皆さん、ガイウス・ラビリウス氏がこうして命の瀬戸際に立たされることになったのは、罪を犯したためではなく、人生に悪評を立てられたためでもなく、昔からの正当な理由で市民からひどく敵視されたためでもないのです。それは父祖たちから私たちに伝えられた最大の救済手段、この国の権威と支配を守る最後の拠り所(=元老院最終決議)を奪い取ろうとする企てのためなのです。それは、この国を崩壊させようとする者たちに対抗するための元老院決議と執政官の命令権と閥族派の団結力をこれ以降無力にしようとする企てなのであります。そして、まさにその企てのために、これらの権力を覆そうとする中で、一人の高齢で病弱で孤独な人間が標的にされたのであります。

[3]  さて、この国の救済手段がことごとく力を削がれて骨抜きにされるのを目にした時に、よき執政官の責務は、祖国を助け、国民の生命財産を守るために救援に向かい、市民たちに忠誠を求め、公共の安全を自分の身の安全より優先することであるはずです。もしそうであるなら、これまで危機の時代に当って常に善き市民、勇敢な市民であった皆さんの責務は、全ての反逆手段を封じ込め、この国の守りの砦を固めて、最高指揮権は執政官に、最高議決権は元老院にあると考えて、これに従う人は非難と刑罰ではなく賞賛と名誉に値すると考えることであります。

[4] 以上のようなわけで、まさに私にはこの人の弁護をする責務があり、皆さんには私と一緒にこの人の命を救う義務があるのであります。

II. 第二章 したがって、ローマ市民の皆さん、皆さんは次のように考えていただかなくてはなりません。それは、この国の歴史始まって以来、護民官が引き起こして、執政官が弁護に立ち、ローマの民衆の判断に委ねられた裁判で、これ程重大で、これ程危険に満ち、これ程皆さん全員の優れた見識が求められる裁判はないということであります。なぜなら、ローマ市民の皆さん、この裁判が起こされた目的は、まさにこれ以降は悪党どもの無謀な凶行に対して元老院が決議することも、閥族派が結束して対抗することもなくなり、この国の非常時に安全の砦と拠り所をこの国から無くしてしまうことだからであります。

[5] 以上のような次第でありますから、私がこの人の命と名誉と全財産が掛かったこの大きな戦いにおいて第一になさねばならぬことは、最高最大神ユピテルを初めとして、人智を超えて我が国を導き助け給う不死なる八百万の神々にご加護と恩寵を請い求め、今日という日がこの人を救うだけでなく、この国に安定をもたらす日となるようにと、神々に祈りを捧げることであります。次に、ローマ市民の皆さん、ガイウス・ラビリウス氏というこの哀れむべき無実の人の命とこの国の平和が、同時に皆さんの腕と投票に託されているのでありますから、不死なる神々の意向に最も近い皆さんには、この人の悲運に対して哀れみをかけて、この国の平和のために皆さんの持ち前の英知を発揮していただくことを、私は切にお願いするのであります。

[6] ティトゥス・ラビエヌスよ(=カエサルの副官として『ガリア戦記』に登場する人物、この裁判の告発者)、君は私の努力を妨害するために私が使える時間を短縮して、弁護のために定められた時間をわずか30分にしてしまった。だから、今や我々は極めて不公平な原告の条件と、実に忌まわしい敵の特権に従わざるを得ない。もっとも、君はこの30分の制限で、私から執政官としての仕事を奪ってしまったが、私に弁護人としての仕事だけは残してくれた。なぜなら、この時間で異議を申し立てるのは足りないが、弁護のためには充分だからだ。

[7] もっとも、神域と神聖な森をこの人が穢したと君が主張したことについて私にもっと長い弁護を要求するなら話は別だ。それについて君はラビリウス氏がその罪でガイウス・マケルに告発されたこと以外は何も言わなかった。君はこの件で政敵のマケルがガイウス・ラビリウス氏を告発したことは覚えているのに、宣誓した公平な陪審がどんな判決を下したか忘れているのは驚きだ。

III. [8] 第三章 あるいは、公金横領か公文書焼却についてもっと長く弁護をすべきだろうか。この件ではガイウス・ラビリウス氏の親族のガイウス・クルティウス氏(=妹の夫)が、立派な陪審団のおかげで人格者にとって当然の無実を勝ち取っている。ラビリウス氏本人はこれらの容疑では告発されなかっただけでなく、一言も疑いを受けなかったのだ。あるいは、私は彼の妹の息子の件でもっと熱心に弁護すべきだろうか。ラビリウス氏は家族の葬式を裁判引き伸ばしの口実にするために、妹の息子を殺したと君は言う。しかし、自分の妹の息子よりも妹の夫の方が可愛くて、その結果、妹の夫の裁判を二日延期するために妹の息子の命を残酷にも奪うなどという話にどれほどの信憑性があると言うのだろうか。あるいは、ファビウス法に反して他人の奴隷を拘束したことについて、あるいはポルキウス法に反してローマ市民を鞭で打ったか殺したことについて、私はもっと長々と話すべきだろうか。ガイウス・ラビリウス氏はあれほどの熱意をもって全アプリアから表彰され、格別の好意をもってカンパニアから名誉を与えられ、彼をこの危機から救うために、近所のよしみから想像される以上に広い地域の人たち、いやほとんどその地域全体が駆け付けてきているのだ。実際、この件で罰金を課する際に述べられたこと、つまり彼は自分の貞節も他人の貞節も大切にしなかったなどという事について、どうして私が長々とした演説を用意する必要があるだろうか。

[9] むしろ私はラビエヌスが私の時間を30分にあらかじめ限ったのは、彼の貞節について私に何も言わせないためだと思う。つまり、普通なら弁護人の頑張りを必要とするこれらの容疑に対して、私には30分でも長過ぎたと君が思っているのは明らかだ。一方、もう一つの容疑であるサトゥルニヌス殺害の部分を、君は最小限にしたかった。この部分は弁論家の才能ではなく執政官の救いの手が是非とも必要だからだ。

[10] 君は(=ラビリウスに対する)国家反逆罪の裁判を私が取り止めにしたことを何度も非難するが、それについては悪いのは私であってラビリウス氏ではない。ローマ市民の皆さん、国家反逆罪の裁判を取り止めにしたのはこの国で私が最初で私一人だったとしたらどんなにいいでしょうか。ラビエヌスが悪いことだと言い張るこの事が、私の名声の証拠となればどんなにいいでしょうか。私が執政官の時に公共広場から死刑執行人を追い出し、マルスの野から十字架を取り除くことほど、私にとって望ましいことがあるでしょうか。しかしながら、ローマ市民の皆さん、これは第一に、王を追放して自由になった国から残虐な王政の名残を一掃した我らの父祖たちの手柄なのであります。第二に、これは皆さんの自由が過酷な刑罰の危険にさらされず、寛容な法制度に守られていることを望んだ勇気ある人たちの手柄なのであります。

IV. [11] 第四章 以上のことから、ラビエヌスよ、一体全体、私と君とはどちらが民衆の味方だろうか。まさにこの民会でローマ市民に鎖を掛けて死刑執行人に引き渡すべきだと考え、マルスの野のケンチュリア民会の神聖な場所に市民を罰するために十字架を打ち込んで建てさせようとする君だろうか。それとも民会が死刑執行人によって穢されることを禁じ、ローマの民衆の公共広場から忌まわしい呪いの痕跡を払拭すべきだと言い、清らかな民会と神聖なマルスの野と全ローマ市民の不可侵な肉体と汚れない自由の権利を守るべきだと主張する私だろうか。

[12] この護民官が民衆の味方であり、法と自由の擁護者、保護者だとは聞いてあきれる。ポルキウス法はローマ市民を鞭打つことを禁止した。ところが、この哀れみ深い護民官は鞭打ちの刑を復活させたのだ。ポルキウスはローマ市民を廷吏の手から解放した。ところが、民衆の味方であるラビエヌスは市民の自由を死刑執行人の手に委ねたのだ。ガイウス・グラックスは皆さんの同意なしにローマ市民が死刑になることを禁じる法律を作りました。ところが、民衆の味方であるこの護民官は二人委員を使ってローマ市民を裁判にかけずに、皆さんの同意もなく審理もせずに死刑にしようとしたのです。

[13] 君は見たこともない刑罰と聞いたことのない残酷な言葉でこの国の自由を侵害して、この国の寛容さを試し、この国の慣習を変えようとしているのに、私にポルキウス法を語り、ガイウス・グラックスのことを語り、民衆の自由を語り、民衆の味方のことを語るのだろうか。というのは、慈悲深い民衆の味方である君の好きな「さあ廷吏よ、この手を縛れ」という言葉は、ローマの自由と寛容さにも、ロムルスやヌマ・ポンピリウスにもふさわしい言葉ではない。寛大な民衆の味方である君が喜んで言う「頭を覆って、不幸の木にぶら下げろ」という残酷な言葉は、傲慢で残忍な王タルクィニウスにこそふさわしい。ローマ市民の皆さん、こんな言葉はこの国ではとっくの昔に過去の闇に埋もれ、自由の光に圧倒されて消えた言葉なのです。

V. [14] 第五章 あるいは、もし君のそんな行動が民衆のためであり、いくらかでも公平で正しいことなら、そんな手段をガイウス・グラックスが取らずに置いただろうか。さぞや伯父の死に対する君の悲しみは、兄の死に対するガイウス・グラックスの悲しみよりも重いものだろう。君が見たこともない伯父の死は、ガイウス・グラックスが仲良く共に暮らした兄の死よりもさぞや辛いものなのだろう。もしガイウス・グラックスが君と同じ考えで行動することを望んだのなら、君が伯父の死に復讐することは、彼が兄の死に復讐するのと同じくらい正しいことなのだろう。君の伯父のラビエヌスは誰であれ、ティベリウス・グラックスと同じような憧れの気持ちを後世の人たちに残したのだろう。それとも君の献身ぶりはガイウス・グラックスの献身ぶりよりも大きいのだろうか。君の勇気、君の思慮、君の権威、君の雄弁さは、ガイウス・グラックスよりまさっているのだろうか。ガイウス・グラックスが持っていたそれらの能力がいかに些細なものだったとしても、君の能力と比べたら、とてつもなく大きいと思われることだろう。

[15] しかし、実際にはガイウス・グラックスはこれらの能力で万人にまさっていたのだから、君と彼とでは一体全体どれほどの隔たりがあると君は思っているのかね。しかしながら、ガイウス・グラックスは死刑執行人が自分の民会に立つくらいなら、あれよりはるかに辛い死に方で死んだほうがましだったにちがいない。監察官の法は死刑執行人が公共広場に近づくことも、この空の下で息をすることも、ローマの内側に住むことも許さなかったのだ。ローマ市民の皆さん、この護民官はあの残酷なあらゆる刑罰と言葉を、皆さんの記録でも皆さんの先祖の記録でもなく、年代記の記録、王政時代の記録の中から探し出してきたのです。それ対して、私は持てる全ての力と全ての知恵と全ての言葉と行動力を動員して、その残虐さに反対しようしているのです。それなのに、彼は自分のことを民衆の味方だとあえて言い、私のことを皆さんの利益に反していると言うのでしょうか。ただし、いつか解放されるという希望がない限り奴隷ですら決して耐えることのできないような、こんな仕打ちを皆さんが望ましいと思うなら、話は別ですが。

[16] 民衆法廷の恥辱は辛い事です。罰金刑を受けることも辛い事です。追放されることも辛い事です。しかし、それがどんな辛い事でも、まだいくらか自由はあります。たとえ死が目前に迫ったとしても、私たちは自由のままで死ぬべきなのです。死刑執行人という存在も、頭を覆う行為も、十字架という名前も、ローマ市民の体からだけでなく、ローマ市民の考えからも目からも耳からも遠ざけねばなりません。というのは、こんな事が行われて耐えねばならないこともそうですが、こんな事が提案されたり期待されたり言及されたりすることも、ローマ市民にふさわしくないし、そもそも自由な人間にふさわしいことではないからです。それとも、私たちの奴隷さえも、主人によって一旦解放されると、あらゆる刑罰の恐怖から自由になるというのに、私たちは政治の業績を積んでも、立派な人生を送っても、皆さんから高い地位に就けられても、鞭と首つりの鈎(かぎ)と十字架の恐怖から解放されないというのでしょうか。

[17] だから、ラビエヌスよ、君がこんな冷酷で残忍な裁判をするのを私が忠告して、私が決断して、私が手を回してやめさせたのを、私は認めるし、私は公言するし、誇りにさえ思っている。こんな裁判は護民官にふさわしいものではなく王にふさわしいものだからだ。君はその裁判では、我らの父祖たちの先例を無視し、あらゆる法を無視し、元老院のあらゆる権威を無視し、あらゆる儀式を無視し、鳥占いの公の掟を無視した。しかし、私は与えられたこんな短い時間で君にこの話をすることはない。この事についての審理は後でゆっくりさせてもらうつもりだ。

VI. [18] 第六章 今はサトゥルニヌスの犯罪と、有名な君の伯父の死について話をしよう。ルキウス・サトゥルニヌスはガイウス・ラビリウス氏によって殺されたと君は訴えている。しかしながら、それが嘘であることは、先程クィントゥス・ホルテンシウスがたっぷりと弁護していた間に、ガイウス・ラビリウス氏が多くの人の証言に基づいて証明したとおりだ。一方、もしこの訴訟を最初からやらせてもらえるなら、私はその罪を受け入れて、罪に同意して、有罪を告白するだろう。もしこの法廷が機会を与えてくれて、ローマの民衆の敵であるルキウス・サトゥルニヌスはガイウス・ラビリウス氏の手にかかって殺されたと公言できたら、どんなにいいだろうか。そんな野次でへこたれる私ではない。むしろ、その声に私は励まされている。愚かな人はいるが多くない事がその声で分かるからだ。ここにいるローマの物言わぬ民衆は、私が君たちの野次で動揺すると思ったら、決して私を執政官にしなかったはずだ。野次は今や何と小さくなったことか。君たちは自分たちの愚かさをあらわにする声を出すのをやめた方がいい。それは君たちが少数派であることを認めるだけだ。

[19] もう一度言う。もしこの訴訟を最初からやり直せるものなら、できれば私はルキウス・サトゥルニヌスはガイウス・ラビリウス氏の手にかかって殺されたと喜んで告白して、それは実に立派な犯罪だと言いたい。しかしながら、それは出来ない相談だから、その名誉には値しないが、その罪に値することを告白しよう。すなわち、私はガイウス・ラビリウス氏がルキウス・サトゥルニヌスを殺すために武器をとったことを告白する。ラビエヌスよ、どうしたのだ。君はこれ以上重大な告白を私から期待しているのだろうか。この人に対してこれ以上大きな容疑を君は期待しているのだろうか。人を殺した人と人を殺すために武器をとった人の間に何ら違いはないと考えているなら、君はそんな期待はしなはずだ。なぜなら、もしサトゥルニヌスを殺すことが重罪なら、サトゥルニヌスに対して武器をとったことも当然重罪だからだ。しかしその場合、もしサトゥルニヌスに対して武器をとったことを合法的だと君が認めるなら、サトゥルニヌスを殺したことも合法だと君は認めねばならなくなるだろう(=ここから一頁脱落)。

VII. [20] 第七章 「執政官のガイウス・マリウスとルキウス・ウァレリウス(=フラックス、前100年)は護民官と法務官を適宜招集して、ローマの民衆の支配と尊厳を守るべし」という元老院決議が出たのだ。執政官たちはサトゥルニヌス以外の護民官を招集して、グラウキア以外の法務官を招集した。そして、この国の平和を望む者は武器をとって我々に従えと命令したのだ。すると全員が彼らに従った。執政官ガイウス・マリウスの差配によって、サンクスの神殿と国の武器庫からローマの民衆に武器が与えられた。あとは省略しよう。ラビエヌスよ、ここで今から君自身の考えを尋ねよう。武装したサトゥルニヌスがカピトリウムの神殿を占拠した時、彼と共にガイウス・グラウキアとガイウス・サウフェイウスだけでなく、足枷を付けて懲役に服していたグラックスがそこにいたと言われている。お望みならば、君の伯父のクィントゥス・ラビエヌスをそこに加えてもいい。一方、公共広場では執政官のガイウス・マリウスとルキウス・ウァレリウス・フラックスが武器をとっていた。その後ろでは元老院の全員が武器をとっていた。その時の元老院は、今の元老たちを批判する君たちが、現在の元老院の権威を容易にそぐために誉めそやしてきた元老院だ。元老たちの次には騎士階級が武器をとっていた。ああ、何と立派な騎士たちだったろうか。この国の多くの政治機構と裁判所の権威を一身に背負っていた我らの父の世代の騎士たちだ。そして、その次には、自分たちの安全はこの国の安全にかかっていると考えていた全ての階級の全ての人たちが武器をとっていた。その時ガイウス・ラビリウス氏は一体どうすべきだったと君は言うのだろうか。

[21] ラビエヌスよ、君自身の意見を尋ねる。執政官が元老院決議にしたがって武器をとれと呼びかけた時、元老院の筆頭マルクス・アエミリウス(=スカウルス、前163〜89年)は歩くこともままならなかったが、歩みの鈍(のろ)さが自分の攻撃の妨げではなく逃亡の妨げになると考えて民会に立ったのだ。また、クィントゥス・スカエウォラ(=〜前82年)は高齢と病のために衰弱して手足にがたが来ていたが、槍に体をもたせかけて、肉体の脆弱さに関わらず意気軒昂なところを見せたのだ。さらに、ルキウス・メテッルスもセルウィウス・ガルバもガイウス・セラッヌスもプブリウス・ルティリウスもガイウス・フィンブリアもクィントゥス・カトゥルスも当時の執政官経験者は全員この国を救うために武器をとっていたのだ。そして、グナエウス・ドミティウスとルキウス・ドミティウスとルキウス・クラッススとクィントゥス・ムキウスとガイウス・クラウディウスとマルクス・ドゥルススら法務官全員と貴族の若者たちの全員が駆けつけたのだ。さらには、オクタウィウス家、メテッルス家、ユリウス家、カッシウス家、カトー家、ポンペイウス家の全員と、それにマルクス・レピドゥスと、デキムス・ブルートゥスも、さらには、ラビエヌスよ、君がその指揮下で兵役についたこのプブリウス・セルウィリウス氏も、当時まだ若かったこのクィントゥス・カトゥルス氏も、このガイウス・クリウス氏も、要するに当時の名のある人たちは全員執政官のもとに駆けつけたのだ。ではガイウス・ラビリウス氏は一体全体どうするのが良かったのか。安全な場所に閉じこもって、密かに身を潜めて、家の壁と暗闇を盾にして自分の不甲斐なさを隠していれば良かったのか、それともカピトリウムの神殿に向かって、君の伯父たちに参加して、不名誉な人生から逃れるための死に場所をそこに求めるべきだったのか、それとも、マリウス、スカウルス、カトゥルス、メテッルス、スカエウォラなど全ての良き人々と、安全だけでなく危険をも共にすべきだったのだろうか。

VIII. [22] 第八章 要するに、ラビエヌスよ、そんな時、そんな状況で君ならどうしただろうか。君はいつものように臆病風に吹かれて隠れ家へ逃げ出したい気持ちになっている。そんな時、悪辣なルキウス・サトゥルニヌスが狂ったようにカピトリウムの神殿に来いと君に呼びかけている。その一方で、執政官たちが祖国の平和と自由のために君に招集をかけている。そんな時、君は一体全体どの意見に、どの声に、誰の党派に、誰の命令に一番従いたいと思うのか。「私の伯父はサトゥルニヌスに付いた」と言うかもしれない。では、君の父親は誰に付いたのか。さらに、君の親類のローマの騎士たちは。さらに、君の住む地域と隣の地域の全体は。さらに、ピケヌム地方は。彼らはあの頭のおかしい護民官に従ったのか、それとも執政官の命令に従ったのか。

[23] 私としてはこれだけははっきり言える。それは、いま君が自分の伯父について公言したことは、誰も今まで自分から認めたことはないという事だ。つまり、自分がサトゥルニヌスに付いてカピトリウムの神殿にいたことを認めるような、そんな堕落した人間、自暴自棄な人間、良心を全部かなぐり捨てた人間は今までいなかったのだ。ところが、君の伯父がそこにいたと君は言う。では、彼はそこにいたとしよう。彼は誰かに強制されたわけでもなく、自分の境遇に絶望したわけでもなく、個人的な不幸に強いられたわけでもないのに、そこにいたとしよう。彼はルキウス・サトゥルニヌスとの交際のためにこの国よりもこの男との友情を重視したとしよう。しかし、だからといって、ガイウス・ラビリウス氏は国家に背を向けて、良き人々の武装した群れの中に現れず、執政官の呼び掛けにも命令にも従うべきではなかったと君は言うのかね。

[24] 事態の性格を考えると、ラビリウス氏には次の三つの選択肢があったと思う。それはサトゥルニヌスに付くか、良き人々に付くか、逃げ隠れするかだ。逃げ隠れするのは最も恥ずべき死に値する行為だった。サトゥルニヌスに付くのは狂った悪事に加担することだった。徳義と良心と羞恥心のある人間なら執政官の側に付かざるを得なかったのだ。ところが、君はこの事つまりガイウス・ラビリウス氏が執政官に付いたことを犯罪だと言うのだ。しかし、当時、執政官に逆らうことは狂気の沙汰であり、執政官に背を向けることは恥ずべきことだったのだ。

IX. 第九章 その一方で、ガイウス・デキアヌス(=前98年の護民官)があらゆる点で悪名高いプブリウス・フリウス(=前99年の護民官)を良き人々全員の大きな支援のもとで告発した時に、大胆にもその演説の中でサトゥルニヌスの死を嘆いたことを君は度々口にしているが、デキアヌスはそれで断罪されている。また、セクスティウス・ティティウス(=前99年の護民官)は、自宅にサトゥルニヌスの肖像を持っていたことで、これも断罪されている。その時の裁判の陪審だったローマ騎士階級の人たちは、ローマに敵対して治安を乱した人の肖像を家に置いて悪人の死に名誉を与えたり、無知な人々の同情と悲しみを誘ったり悪事を模倣する意思を見せた者は、不良市民であって国内に留め置くべきではないと判断したのだ。

[25] だから、ラビエヌスよ、私は君が持ってきたその肖像をどうやって手に入れたのか不思議なのだ。なぜなら、セクスティウス・ティティウスが断罪されてから、大胆にもそんな肖像を持っているところを見つかった人は一人もいないからだ。だから、もし君がその事を聞いていたか、あるいはもっと高齢でじかにその事を知っていたら、決してそんな肖像を民会の演壇に持ってきたりしなかったはずだ。セクスティウス・ティティウスはそんな物を家に置いていたために追放されるという憂き目を味わったのだ。君はセクスティウス・ティティウスの人生が暗礁に乗り上げ、ガイウス・デキアヌスの運命が破綻したのをその目で見ていたなら、彼らと同じ轍を踏むようなそんな事を決してしなかったはずだ。ところが君はそれらの事を何も知らないので、こんな馬鹿な事をしているのだ。それもこれも、自分が覚えてもいないような大昔の事件の裁判を引き受けたからだ。あの事件は君が生まれるよりも前に死んだ事件だ。しかも、もし君がもっと高齢だったら、きっと自分が当事者になっていたような事件なのだ。君はそんな事件を法廷に持ち込んだのだ。

[26] それとも、そもそも君は今は亡きどんな人たちを恐ろしい容疑で告発しているのか知らないのかね。さらにいま生きているどれほど多くの人たちを同じ容疑にかけて彼らの命を危険に晒しているか知らないのかね。仮にガイウス・ラビリウス氏がルキウス・サトゥルニヌスに対して武器をとったことで死罪となったとしても、その当時の彼の若さを理由にいくらか減刑を願い出ることが出来るだろう。しかし、もう死んでしまった人たちを私はどうやって弁護すればいいのか。ここにいる人の父親で英知と美徳と人間性に優れたクィントゥス・カトゥルス、威厳と思慮分別に秀でたマルクス・スカウルス、この町で知恵と才能にあふれていた二人のムキウスとルキウス・クラッススと、当時は守備隊とともに町の外にいたマルクス・アントニウス。そのほかに彼らに劣らぬ気高さを持ってこの国の行く末を見守り舵を取っていた人たちを私はどうやって弁護できるだろうか。

[27] 当時元老院と共にこの国の平和を守った高潔で最良の市民だったローマ騎士階級の人たちについて、私は何を言うべきだろうか。当時この国の自由のために武器をとった主計官(=財務官の副官)などあらゆる階級の人たちについて私は何を言うべきだろうか。

X. 第十章 いや、なぜ私は執政官の指示に従った人たちのことばかり話すのだろうか。執政官本人たちの名声はどうなるのだ。ルキウス・ウァレリウス・フラックスは、国政に携わり、政務官として働き、祭祀として儀式を主催したとき、常に一生懸命だったのに、亡くなった後でその人を、私たちはおぞましい殺人の罪で告発するのだろうか。私たちはガイウス・マリウスの名前を死後に汚名を被る人たちに付け加えるのだろうか。彼は祖国の父であり、皆さんの自由と共和国の親と言っていい人だ。その人を亡くなった後で、私たちはおぞましい殺人の罪で告発するのだろうか。

[28] もしサトゥルニヌスに対して武器をとったという理由でガイウス・ラビリウス氏をマルスの野で磔にすべきだとティトゥス・ラビエヌスが考えたのなら、彼を招集した人間は一体どんな罰を受けるべきだと言うのだろうか。君が何度も言うように、サトゥルニヌスは命(いのち)を約束されていたとしても、その約束をしたのはガイウス・ラビリウス氏ではなくガイウス・マリウスであり、もしその約束が守られなかったのなら、その責任もマリウスにある。ラビエヌスよ、マリウスはどんな約束を元老院決議なしで出来ただろうか。君はこんな事も知らないのか。そんなにも君はこの町のことを知らないのか。そんなにも君は我々の制度や仕来りのことを知らないのか。それでは、君は自分の国で政務官をしていると言うよりは、まるで外国を旅しているみたいじゃないか。

[29] 「ガイウス・マリウスは死んで何も分からないのに、どうしてこれが彼にとって害になるのか」と言うかも知れない。本当にそうだろうか。もしガイウス・マリウスが生きている間だけでなく死んだ後も自分の名声が続くことを心に望んでいなかったら、あんなに苦労して、あんなに危険な目に遭いながら生きただろうか。しかし、彼が数知れない敵の軍隊をイタリアで迎え撃って、この国を敵の包囲から解放した時には、自分が死んだら自分の手柄も一緒にあの世に行ってしまうと彼は考えていたはずだと君は言うのだ。ローマ市民の皆さん、そうではありません。誰であれ私たちの中で国家の危機に男らしく立ち向かう人たちは、後世の人たちに報われる希望を持っているものなのです。私は多くの理由から良き人々の精神が神々しく永遠のものであると思いますが、それはとくに高い知性の持ち主ほどあらかじめ未来の事に目を向けて、ひたすら永遠の生を心掛けていると思うからです。

[30] ですから、ガイウス・マリウスやその他の知恵と勇気の傑出した市民たちの精神、人間の世界から神の気高く高潔な世界に到達したと思える数々の精神に掛けて、私は彼らの名声と名誉と思い出を守るために祖国の神々の社を守るつもりで戦います。そして、もし彼らの名誉のために武器を取る必要があるのなら、彼らがこの国の平和を守るために武器をとった時と劣らぬ勇気をもって武器を取るつもりです。というのは、ローマ市民の皆さん、私たちの人生は元々ごく短い期間に限られていますが、栄光は永遠に続くからです。

XI. 第十一章 私たちが今はもうこの世にない人たちに敬意を表わすことは、私たち自身の死に対してより良い環境を用意することです。しかし、ラビエヌスよ、たとえ君がもう二度と会えない人たちを蔑ろにするとしても、いま目の前にいる人たちのことは配慮すべきだとは考えていないのかね。

[31] つまり、君が審理に掛けているあの日にローマにいて当時成人に達していた人たちの中で、武器を取らず、執政官の命令にも従わなかった人は一人もいなかったのである。だから、年齢から当時何をしたか君が推測できる人は全員ガイウス・ラビリウス氏の名前で君によって死罪の告発をされていることになるのだ。しかし、ラビリウス氏がサトゥルニヌスを殺したと君は言う。願わくは事実がそうであってほしいものだ。私は彼のために減刑を求めるどころか褒美を要求するだろう。もしクィントゥス・クロトンの奴隷スカエウァがサトゥルニヌスを殺して自由の身になったのなら、ローマの騎士階級のラビリウス氏にはどんな報酬を与えるべきだろうか。さらにもしガイウス・マリウスが最高最大神ユピテルの神殿に水を供給する水道を断つよう命じたために、またカピトリウムの坂道で悪辣な市民たちを・・・

断片集

羊皮紙から見つかった断片

XII. [32] 第十二章 ですから、元老院が私の主導でこの問題(=不明)を審理した時には、皆さんが世界の分配もカンパニアの土地さえも手振りを交えて大声で心の底から拒否した時ほどには、元老たちは口うるさくもなく冷淡でもなかったのです。

[33] 私が明確に主張していることは、この裁判を起こした人が言っているのと同じ事なのです。それは、もはや皆さんが恐れねばならないような王も氏族も国も残ってはいないということです。この国の中へ入り込めるような外からの悪は存在しません。もしこの国が不滅であることを、この国の栄光が永遠であることを皆さんが望むなら、私たちは自分自身の情念に警戒しなければなりません。そして、治安を乱して革命を求める人々、内部の悪、国内で廻らさらる企みに対して警戒しなければなりません。

[34] こうした悪に対して我らの父祖たちは防護策を遺してくれました。それは執政官が「この国の平和を望む者たちは云々」という声明を出すことなのです。ローマ市民の皆さん、皆さんはこの声明を大切にして下さい。そして、皆さんの判決によって、この国の自由への希望を、この国の平和への希望を、この国の栄光への希望を私から奪わないでください。

[35] もしティトゥス・ラビエヌスがルキウス・サトゥルニヌスと同じように市民を殺害して、牢獄をこじ開けて、武装した者たちでカピトリウムの丘を占拠したら、私は何をすべきでしょうか。私はガイウス・マリウスがしたのと同じように、元老院に諮問して、この国を守るために皆さんを励まして、自らも武器をとって、武装した敵に皆さんと共に立ち向かうことでしょう。しかし、今回は戦争の気配もなく、見たところ武器もなく、暴力も殺人もカピトリウムの丘の占拠もありません。今あるのは悪意ある告発と残酷な法廷です。その全ては国家に仇をなす護民官が始めたことなのです。ですから、私は皆さんに武器を取れと呼び掛けるのではなく、皆さんの権威に対する攻撃に、投票で立ち向かえと呼び掛けることを考えたのです。ですから、私は皆さんの全員に対してここに伏してお願いします。執政官が・・するのはこの国の習慣ではありません。

XIII. [36] 第十三章 彼(=被告ラビリウス氏)は恐れています。この国のために敵に立ち向かって、勇気の証であるこの傷を受けた彼は、いまその名声に傷を受けることを恐れています。敵の侵入に対して一歩も引かなかった彼は、いま市民からの攻撃を恐れています。なぜなら、市民の攻撃に対しては退却するしかないからです。

[37] 彼は幸せに生きるチャンスではなく名誉をもって死ぬチャンスを皆さんに求めているのです。彼は家庭生活を楽しめないことを恐れているのではなく、父親と同じ墓に入れないことを恐れているのです。彼が皆さんに伏してお願いしている事はただひとつです。それは、皆さんが彼から正当な葬儀と国内の死を奪わないで欲しい、祖国のために決して死の危険を厭わなかった彼に、この国の中で死ぬことを許して欲しいということだけなのです。

[38] 以上、私は護民官に指示された時間の限りを尽くしてお話しました。皆さんには、私のこの演説が、友人の危機に対して誠意あるもので、この国の平和にとって執政官として適切なものであることを、是非ともご理解いただきたいのであります。

[38a(fr)] そして彼はローマの国民全員にとってはもちろんのこと、特にローマの騎士階級にとって極めて大切な人なのです。

Translated into Japanese by (c)Tomokazu Hanafusa 2017.4.02.―4.26

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