I. Penelope Vlixi ペネロペからウリクセスへ
II. Phyllis Demophoonti ピュリスからデモポンへ
III. Briseis Achilli ブリセイスからアキレウスへ
IV. Phaedra Hippolyto パイドラからヒッポリュトスへ
VI. Hypsipyle Jasoni ヒュプシピュレーからイアソンへ
VIII. Hermione Oresti ヘルミオネからオレステスへ
IX. Deianira Herculi デイアネイラからヘラクレスへ
X. Ariadne Theseo アリアドネーからテセウスへ
XI. Canace Macareo カナケーからマカレウスへ
XIII. Laodamia Protesilao ラオダメイアからプロテシラオスへ
XIV. Hypermestra Lynceo ヒュペルメストラからリュンケウスへ
XVII. Helene Paridi ヘレネーからパリスへ
XVIII. Leander Heroni レアンドロスからヘーローへ
XIX. Hero Leandro ヘーローからレアンドロスへ
XX. Acontius Cydippae アコンティウスからキューディッペーへ
XXI. Cydippe Acontio キューディッペーからアコンティウスへ
【解題】 ウリクセスはオデュッセウスのラテン名。周知のごとく、トロイ遠征に参加したギリシア軍の大将たちの一人。トロイ陥落後十年間を海上に漂浪して故国イタカにたどりつく(ホメロスの詩篇『オデュッセイア』の主題)。ペネロペは彼の妻、あまたの求婚者たちに悩まされながらも、一人息子テレマコスと共に夫の帰宅を持ちわびて留守宅をまもっている女の典型ともいえようか。この書簡の背景として作者が念頭においているのは、もちろんホメロスの両詩篇である。
ウリクセスよ、これはあなたの妻ペネロペが、帰りの遅いあなたに送る便りです。でもあなたの方からの返事など要りません。あなたさえ帰って下されば!
Troja jacet certe, Danais invisa(嫌われた) puellis;確かに、トロイは陥落しました——ギリシアの女たちには目の仇のあのトロイは。しかし、プリアモスもトロイ全市も、私にはどうだっていいのです。
o utinam tum, cum Lacedaemona(対) classe petebat, 1-5ああ、いっそあの時、はるばる船でスパルタを訪れた時、あの姦夫めが、荒れ狂う海の波に呑まれてしまったらよかったのです!
non ego deserto jacuissem frigida lecto,そうすれば私も、見捨てられた閨(ねや)の床に、つめたい身を横たえることもなかったでしょう。ひとり残されて、月日ののろい足取りをかこつこともなかったでしょう。
nec mihi quaerenti spatiosam fallere(紛らす) noctemまた、長々しい夜のすさびに、機織りで寡婦の手を疲れさせることもなかったでしょう。
Quando ego non timui graviora pericula veris(事実)?事実よりもはるかに大きな危険の数々に、いつ私がおびえなかったことがあるでしょうか?愛というものは、不安と恐れに満ちたものです。
in te fingebam(想像) violentos Troas ituros;あらくれたトロイ人があなたに襲いかかろうとするのを、まざまざと目に浮かべました。ヘクトールの名を聞いただけで、いつも真青になりました。
sive quis Antilochum narrabat ab hoste revictum(負かす), 1-15アンティロコスが敵にたおされたという話をきけば、アンティロコスが恐れの因(もと)を作るのです。
sive Menoetiaden falsis cecidisse sub armis,パトロクロスがいつわりの武具を着てたおれたときけば、計略にも失敗がありますまいかと、泣けました。
sanguine Tlepolemus Lyciam tepefecerat hastam;トレポレモスの熱い血がサルペードーンの槍を染めたと聞けば、トレポレモスの死で、私の不安はまたよみがえるのです。
denique, quisquis erat castris jugulatus Achivis,ともかく、ギリシア軍の陣営で、誰が敵の手にかかって死のうと、愛するものの胸は、氷よりもつめたく凍ってしまいます。
Sed bene consuluit(配慮する) casto deus aequus amori.しかし、公平な神様は貞女の愛に味方されてトロイはみごと灰燼に帰し、夫もまた無事でした。
Argolici rediere duces, altaria fumant; 1-25ギリシア軍の大将らは帰国して、祭壇には香がたかれ、祖国の神々にトロイの戦利品が捧げられました。
grata ferunt nymphae pro salvis dona maritis;無事だった夫たちに、花嫁らは感謝の贈物を運び、夫らはまた、自分たちの手で陥落させたトロイの運命を歌います。
mirantur justique senes trepidaeque puellae;心ただしい老人たちも、小心な乙女たちも、ただ感じ入り、話しをする夫の口もとに、妻はじっと見入るのです。
atque aliquis posita monstrat fera proelia mensa,ある者はかたわらの食卓に、はげしい合戦の様を描き、酒のしずくで、トロイ城市を写します、
'hac ibat Simois; haec est Sigeia tellus;「ここがシモイスの流れ、ここがシゲイオンの岡。ここに老プリアモスの王宮がそびえ、
illic Aeacides, illic tendebat Ulixes; 1-35そしてこちらにアキレウス、あちらにはウリクセスが陣取っていた。ここで、ひき裂かれたヘクトールの屍が、馬をおじけさせて走らせたのだ」
Omnia namque tuo senior te quaerere missoあなたの消息は全部、老ネストールが尋ねて行った息子に話し、そして息子が私に話してくれました。
rettulit et ferro Rhesumque Dolonaque caesos,あなたの剣でたおされたレーソスとドローン——一方は眠りの、他は策略の犠牲となったあの話もききました。
ausus es—o nimium nimiumque oblite tuorum!—大胆にもあなたはトラキアの陣営に夜襲をしかけて(妻や子をなんと忘れっぽいんでしょう!)、
totque simul mactare viros, adjutus ab uno!一度にたくさんの敵を殺しました。しかも味方はただ一人です。でもあなたは、誰はおいても私を念頭にして、用心深く振舞われました。
usque metu micuere sinus, dum victor amicum 1-45それにしてもあなたが凱歌を挙げ、マエナロスの名馬を御して味方の陣へ乗りこんだと聞くまでは、私の胸はこわさにふるえどおしだったのです。
Sed mihi quid prodest vestris disjecta lacertisでも私には、トロイがあなた方の手で攻めとられ、もとあった城壁が土くれに帰したとしても、それが何になりましょう——
si maneo, qualis Troja durante manebam,この私がトロイの存命だった時と同じように、いつまでも、夫から離れて暮らさなければならないとしたら。
diruta sunt aliis, uni mihi Pergama restant,ほかの人たちにとっては陥落したトロイも、私にだけは、生き残っているのです——たとえ城内には勝利者が住み、捕われの牛で畠を耕しているにしても。
jam seges est, ubi Troja fuit, resecandaque falce昔のトロイ城も今はこがねの麦畠、プリュギア人の血で肥えた土地が、刈入れを待って豊かに波うっている。
semisepulta virum curvis feriuntur aratris 1-55半ばに埋もれたもののふらの骨が、反りかえった鋤にうたれ、朽ちほろびた宮殿のあとには夏草がおい繁っている。
victor abes, nec scire mihi, quae causa morandi,しかし、勝利したあなたは帰って来ない! しかもどうして遅くなっているのか、またこの世のどこに——情ないことよ! しのび隠れているのかも、知るよしがないのです。
Quisquis ad haec vertit peregrinam litora puppim,イタカの岸に舟を寄せれば、誰もみな、私にあなたのことをくどくどと尋ねられては帰ります。
quamque tibi reddat, si te modo viderit usquam,どこかであなたに出会ったら、渡してくれと、この手でしたためた手紙が託されます。
nos Pylon, antiqui Neleia Nestoris arva,老ネストールの郷国——ピュロスにも人を遣りました、しかしピュロスからは、覚つかない便りしかとどきません。
misimus et Sparten; Sparte quoque nescia veri. 1-65スパルタにも使者をやりました、実状はスパルタからも知り得ません。どこの国に住んでいるやら、どこでぐずぐずしているのやら、見当もつかないのです。
utilius starent etiamnunc moenia Phoebi—いっそ今なおアポローンの城壁がそびえていてくれたなら! (戦勝の祈願を今になってうらむとは、なんという軽率さ!)
scirem ubi pugnares, et tantum bella timerem,そうすれば、あなたがどこで戦っているのかもわかります。気懸りなのは戦争のことだけ、私の心配も、大勢の人とわかち合えたことでしょう。
quid timeam, ignoro—timeo tamen omnia demens,今の私には、何を心配していいのかもわかりません——それでいて、ただわけもなく、何事も気に懸かる。私の心配は、果てしのない世界にひろがります。
quaecumque aequor habet, quaecumque pericula tellus,海や陸にひそむどんな危険も、こんなに遅い帰宅の原因ではあるまいかと、疑われるのです。
haec ego dum stulte metuo, quae vestra libido est, 1-75それにしても、こんな他愛もない私の心配をよそに、あなたの方は、例の男の好き心で、異国の恋のとりこになっていないとも限りません。
forsitan et narres, quam sit tibi rustica(やぼ) conjunx,ひょっとしたらこんなことをしゃべっているかもわかりません ——「私の妻は何とも野幕くさくて、羊毛のきめ細かさにしか興味のない女!」
fallar, et hoc crimen tenues vanescat in auras,どうか思い違いでありますよう、このような悪口は、そよ吹く風にかき消されて、帰ろうと思えば帰れるものを、どうか遠くへ去り給うな!
Me pater Icarius viduo discedere lecto父親のイーカリオスは、私に寡婦の閨を捨て去るようにと、しきりに勧めて、いつまでもためらう私を叱ります。
increpet usque licet—tua sum, tua dicar oportet;叱られてもかまいません——私はあなたのもの、あなたの妻と当然に呼ばれなければなりません。ペネロペはこの後いついつまでも、ウリクセスの妻なのです。
ille tamen pietate mea precibusque pudicis 1-85私の誠意と良心の懇願にまけて、父は自分の頑固さを和らげました。
Dulichii Samiique et quos tulit alta Zacynthos,ドリキウムやサモスの男たち、また高いザキュントスの生れの者たち——放蕩無頼のこの連中が、私に求婚を迫っておしかけます。
inque tua regnant nullis prohibentibus aula;誰さまたげるものもなく、あなたの客間をわがものにして、あなたの財宝もまた私の心もひきむしるのです。
quid tibi Pisandrum Polybumque Medontaque dirumピサンドロスやポリボスや、あつかましいメドーン、強欲なエウリュマコスやアンティノオス、またそのほかの者どものことを、どうお話ししましょうか。
atque alios referam, quos omnis turpiter absensこの連中をみな、留守のあなたは、不名誉にも御自分の汗と血であがなった財産で養っているのです!
Irus egens pecorisque Melanthius actor edendi 1-95この恥しらずな財産荒らしの最後に加わるのが、文なしのイーロスと家畜荒らしの立役者メサンティオスです。
Tres sumus inbelles numero, sine viribus uxor私たちの数といえば、いくさなどには縁のない三人だけ——夫のいない妻、年老いたラエルテス、それにまだ子供のテレマコスです。
ille per insidias paene est mihi nuper ademptus,この子は、先頃みなの反対をおして、ピュロスへ行こうと準備中に、待伏せられてあやうく命をおとすところでした。
di, precor, hoc jubeant, ut euntibus ordine fatisどうか神様、私たちの寿命も然るべき順序をたどり、あの子が母と父の目をつむらせてくれますよう!
hac faciunt custosque boum longaevaque nutrix,この私たちの味方になるのは、家畜の番人と年老いた乳母、三番目には、いやしい豚小舎の忠実な守役(もりやく)です。
sed neque Laertes, ut qui sit inutilis armis, 1-105しかし、ラエルテスは武器をとるには甲斐もなく、敵にむかって陣頭指揮など及びもつかず、
Telemacho veniet, vivat modo, fortior aetas;またテレマコスも、(健在なれば!)いずれはたのもしい成年に達するでしょうが、今はまだ、父の援助と保護が必要です。
nec mihi sunt vires inimicos pellere tectis.私にも、敵をこの館から追いだすだけの力はありません。私たちのたのみの綱はあなただけです、一刻もはやくお帰り下さい!
est tibi sitque, precor, natus, qui mollibus annisあなたには今——またこれから先も——子供があります、この子の若いうちに、父の武芸を修業させなくてはなりません。
respice Laerten; ut tu sua lumina condas,ラエルテスのことも考えてください——やがては息子の手が老いの目をつむらせてくれようと期待して、人生の最後の日日を堪えつづけているのです。
Certe ego, quae fueram te discedente puella, 1-115私はきっとご出発の折にはほんの娘同然でしたのに、今すぐお帰りになっても、さぞおばあさんになった一と思われましょう。
【解題】デモポンはアテナイの英雄テセウスの子。トロイ遠征に参加し、木馬の勇士の一人としてトロイ陥落にひと役果たした。トロイかる帰国の途中、 トラキアはストリュモンの河口に漂着、そこの王シトンの娘、この書簡の女主人公ピュリスに恋されて結婚した。が、まもなく望郷の念やみがたく、固く再帰を誓って故国アテナイに立ち去った。伝えによれば、ピュリスはそのとき途中まで彼を見送り、一つの手箱を手渡し、帰る望みがなくなるまでは開かないようにと言って別れた。(ただしこの話は書簡では言及されない)。
さて約束の日が来たがデモポンは姿を現わさず、ピュリスは毎日港に出て夫を待ちわびたがついにむなしく、絶望のあまりうらみを残して自殺した。一方デモポンは帰国後キュプロスに移住し、他の女と結婚していたが、ある日彼女から渡された手箱を開いたところ、突然恐怖に襲われ乗っていた馬から落ち、おのれの刀に刺されて死んだという。
これは、デモポンよ、ロドペー(トラキアの山脈)であなたをもてなした女、ピュリスが、約束の時が過ぎてもまだいらっしゃらないあなたのことを、おうらみする便りです。
cornua cum lunae pleno semel orbe coissent(>coeo集まる),ふたつの角が合わさって、ひとたび月が満ちたなら、トラキアのこの浜辺に、あなたの船は錨をおろす、との約束でしたが、
luna quater latuit, toto quater orbe recrevit; 2-5早すでにその月は四度かけ、また四度、満月を迎えたのです。しかし、トラキアの海の波は、アッティカの船を運んではまいりません。
tempora si numeres—bene quae numeramus amantes—過ぎた月日を数えてごらんになれば——私たち恋するものは、正確にそれを数えています——私のうらみごともけっして早すぎるとはいえますまい。
Spes quoque lenta fuit; tarde, quae credita laedunt,希望もまたなかなか去ろうとはしないのです。信ずることでかえって傷手を受けるとすれば、いそいでそれを信ずるわけにはいきません。今でさえ愛する私は、あなたの不実を認めたくないのです。
saepe fui mendax pro te mihi, saepe putavi何度も私は、あなたのために自分自身をあざむきました、吹きすさぶ南風が白い帆を逆もどりさせているのだ、と私は思ったものです。
Thesea devovi, quia te dimittere nollet;お父君のテセウスさまを呪いもしました——あの方があなたを手離そうとなさらないからだと。でもあなたの航路をさえぎるのは、おそらく父君ではありますまい。
interdum timui, ne, dum vada tendis ad Hebri, 2-15ときにはまたヘブロス(トラキアを流れる河)の河口にむかって進んでこられる最中に、あなたの船が白(しら)ぎたつ海の波にのみこまれて、難破したのではなかろうかと、恐れもしました。
saepe deos supplex, ut tu, scelerate, valeres,ああ、ひどい人、あなたがどうか御無事でありますようにと私は何度も神々にお頼みしました、祈願の言葉や、かぐわしい香を供えて。
saepe, videns ventos caelo pelagoque faventes,何度も私は、空や海に順風の吹き渡るのを見て、自分自身に言いきかせました——「もしあの方がお元気なら、かならずおいでになる」 と。
denique fidus amor, quidquid properantibus obstat,要するに、愛とは忠実なもの。何事であれ、急ぐ人をさまたげるあれこれのことを思いえがいて、いろんな口実を探し出すのに、私はたいへんに知恵がまわるのでした。
at tu lentus abes; nec te jurata reducuntでもやっぱりあなたの不在は長すぎます。誓いをかけた神々も、あなたを連れもどしてはくれません、私の愛に動かされて、もどる気配もありません。
Demophoon, ventis et verba et vela dedisti; 2-25デモポンよ、あなたは帆といっしょに誓いの言業まで、風に任せてしまったのですか。帆は帰ることを忘れ、言葉は信義を忘れるとは、情けない!
Dic mihi, quid feci, nisi non sapienter amavi?どうぞおっしゃってください—— 私の愛し方があまり賢明ではなかった、という以外に、なんの落ち度が私にあるのでしょうか。あなたの愛をかち得たことが、そもそものあやまちだといわれればそれまでですが。
unum in me scelus est, quod te, scelerate, recepi;私にただ一つ悪い行ないがあるとすれば、それはあなたを——悪者のあなたを迎え入れたということなのです、しかしこの悪行は、なかみもうわべも、善行の名にこそ値しましょう。
jura fidesque ubi nunc, commissaque dextera dextrae,誓約や信義はいったいどうなったのですか、右手と右手の約束はどこへ行ってしまったのです。まことしやかに何べんも口にされた神様は、今はどこにおられるのですか。
promissus socios ubi nunc Hymenaeus in annos,借老同穴を誓った結婚の約束は、いったいどうなったのですか——私にとっては、それが妻の座の確かな保証でもありましたのに。
per mare, quod totum ventis agitatur et undis, 2-35あなたははっきりとお誓いになったのです——一面に風や波で揺れる海、あなたが何度もそれを渡り、また渡るはずになっていたあの海にかけて、
perque tuum mihi jurasti—nisi fictus et ille est—また風に揺られるその海を鎮めたまう神(ポセイドーン)——もしこれもでたらめでないとすれば——あなたの祖父君にあたるその神にかけて、
per Venerem nimiumque mihi facientia tela—また愛神と愛神の武器——私にこのうえもない傷手を与えた、ひとつは弓、ひとつは松明のあの武器にかけて、
Junonemque, toris quae praesidet alma maritis,また結婚の床を守護したまう神妃ユーノーと、篝火を運ばせたまう女神(デーメーテール)の秘儀にかけて。
si de tot laesis sua numina quisque deorumもしもこの神様たちが、それぞれ、神威をけがされたその報復をなさったとしたら、あなたのいのちは一つではとうてい足りますまいに。
Ah, laceras etiam puppes furiosa refeci— 2-45それにしても、私としたことが、ばらばらにこわれた船を直してやったとは、狂気の沙汰——まるであなたから捨てられるために、船の竜骨を頑丈にしたも同然ですのに!
remigiumque dedi, quod me fugiturus haberes.しかも櫂まで与えて——逃げて行けといわぬばかりに!ああ、われとわが武器で作った傷を、苦しまねばならないとは!
credidimus blandis, quorum tibi copia, verbis;いとも巧みなあなたの甘い言葉を、私は信じました。あなたの血統と先祖の名を、私は信じました。
credidimus lacrimis—an et hae simulare docentur?あなたの涙を、私は信じました——それにしても、この涙さえ佯(いたわ)ることを学べるのですか、涙の術というものがあって、意のままに流せるものなのですか?——
dis quoque credidimus. quo jam tot pignora nobis?また神々も、私は信じました。こんなにたくさんの誓約が、どうして私に必要だったのですか、私を虜にするためなら、その中のどれかひとつで足りますものを。
Nec moveor, quod te juvi portuque locoque— 2-55私は、港や寝場所を与えて、あなたを援助したことを、別にくやしいとは思いません——ただしかし、あなたへの心づくしは、これだけにとどめておくべきでしたが。
turpiter hospitium lecto cumulasse jugali客人のもてなしに、はしたなくも、結婚の床というおまけまでつけたこと、あなたのからだにこのからだをより添わせたこと、それを私は後悔します。
quae fuit ante illam, mallem suprema fuissetあんなことになるその前の夜で、私の生涯が終わってくれたなら、私は潔らかな乙女の身で、死んでいくこともできたでしょうに!
speravi melius, quia me meruisse putavi;でも私は、もっと大きな仕合せを望んだのでした、それ相応のことはしたつもりでしたから。どんな望みにせよ、分相応のものならば、いだいてもかまいますまい。
Fallere credentem non est operosa puellam信じきっている娘をだますことは、たとえお手柄にせよ、たいして骨は折れません、女の純情さには、思いやりをこそかけてやってしかるきでした。
sum decepta tuis et amans et femina verbis. 2-65恋をする女なればこそ、私はあなたにだまされたのです、それを誉れと思うなら、どうかそれがこのうえもないあなたの誉れとなりますよう!
inter et Aegidas, media statuaris in urbe,アイゲウス(アテナイの王でテセウスの父)の子孫にまじって、都のまん中に、どうかあなたの記念像が立てられますよう——もちろんその前には、幾多の功績を讃えられて、偉大な父君の像も立つわけですが——
cum fuerit Sciron lectus torvusque Procrustesそして、スキーロスや、残忍なプロクルステースや、シニスのこと、あるいは半牛半人の怪物(ミノタウロス)や、
et domitae bello Thebae fusique bimembresまたテーバイの征伐や半人半馬族(ケンタウロイ)の潰走のこと、さらにはまた、冥府の神の暗黒の宮殿への訪問のこと、などがそこに読まれたあとで、
hoc tua post illos titulo signetur imago:そのうしろにあるあなたの像には、どうかこういう文句が銘されますよう ——「これなるは、おのれを愛しかつもてなしたる女をば、たばかりもてとらえし者。」
de tanta rerum turba factisque parentis 2-75父君のあれほどたくさんの功業の中から、あなたの天分に受け継がれたのは、ただひとつ、父君に捨てられたクレタの乙女(アリアドネー)のこと。
quod solum excusat, solum miraris in illo;父君には弁解の必要のあるあのことだけが、あなたには賞讃の的でした。父の悪巧みだけを、あなたは——破廉恥にも!——相続したのです。
illa—nec invideo—fruitur meliore maritoけれども彼女アリアドネーは——うらやむわけではありませんが——ずっと立派な夫(バッコスのこと)に恵まれて、二頭の虎に車駕をつないで、はるか天上に坐しています。
at mea despecti fugiunt conubia Thraces,私といえば……私がないがしろにしたトラキアの男たちでさえ、私との結婚を避けている始末、私が同郷の男をさしおいて、遠い異国の男を選んだからというので。
atque aliquis 'jam nunc doctas eat,' inquit, 'Athenas;しかも中にはこんなことを言う男もいます 「あんな女など、さっさと学識ぶったアテナイへ行っちまうがいい、武器を手もつトラキアを治めてくれる者はほかにもいる。
exitus acta probat.' careat successibus, opto, 2-85結末を見ればやったことの良し悪しはわかるからな。」結果だけを見て人の行為を計るような人に、成功は覚つかないとは思いますが。
at si nostra tuo spumescant aequora remo,けれども、私たちの海がもう一度、あなたの櫂でこがれることがもしあるならば、そのときにはきっと、(わたしは)自分にもまた身内の人たちにも、よく相談(?)したと言われもしましょう。
sed neque consului, nec te mea regia tangetしかし今は、相談どころか、二度とふたたび、私の宮殿があなたを迎えたり、またあなたの疲れたからだが、ビストーニア(トラキアの別名)の泉で洗われることもないのです。
Illa meis oculis species abeuntis inhaeret,私の目には、去って行かれるあなたのお姿がありありと残っています、この港からいよいよ船でお立ちになろうというあのときの。
ausus es amplecti colloque infusus amantisあなたは人目もかまわず、私の首に腕を巻きつけ、唇を強く押しあてて、長い接吻をしてくれました。
cumque tuis lacrimis lacrimas confundere nostras, 2-95あなたの涙を私の涙にまじえながらに。船出には絶好の風でさえ、あなたにはうらみの種。
et mihi discedens suprema dicere voce:そして最後に、あなたはこうおっしゃって去られたのです——「ピュリスよ、お前のデモポンをどうか忘れないで待っていてくれ。」
Expectem, qui me numquam visurus abisti?私は、こんりんざい会うつもりもなしに去った人を、待たなければいけないのですか。私の海はまっぴらというその船を、待たなければいけないのですか。
et tamen expecto—redeas modo serus amanti,ええ、待ちましょうとも——どんなにおそくなってもかまいません、どうかあなたの恋人のところへ、お帰りになってください、そうすれば、約束を違えたといっても、ただ時間の点だけですもの。
Quid precor infelix? te jam tenet altera conjunx私としたことが、何をあわれに願っているのでしょう、たぶん、あなたにはもう別の花嫁が待ちかまえていて、私にはろくに注いでもらえなかった愛が、あなたがたふたりの間に育っているかもしれないのに。
jamque tibi excidimus, nullam, puto, Phyllida nosti. 2-105そして私は、あなたの視界からは消えてしまって、ピュリスという名前さえ忘れられてしまったかもしれないのに。ピュリスっていったいどこの誰か?とお尋ねならば、申し上げましょう——
quae tibi, Demophoon, longis erroribus actoデモポンよ、それは、遠く海をさまよい渡って来たあなたを、トラキアの港と宿でもてなした女、
cuius opes auxere meae, cui dives egentiあなたの富を自分の富でふやしてやった女、素寒貧のあなたに莫大な贈物を与え、さらにもっと与えようとしていた女、
quae tibi subjeci latissima regna Lycurgi,あなたにリュクールゴスの広大な王国を献げた女——女の私にはとても治めきれないほどのその領土には、
qua patet umbrosum Rhodope glacialis ad Haemum,冷たい雪をいただくロドペーの山脈が、森繁るハイモスの山裾まで遠く拡がり、そこに聖なるヘブロスの河が急な流れをなしてうねっています。——
cui mea virginitas avibus(兆し) libata sinistris 2-115そしてまた、あなたのためにおとめの純潔を、祝福をうけることもなく捧げた女、操正しい処女の帯を、いつわりのあなたの手で解かれた女、それが私、ピュリスです。
pronuba Tisiphone thalamis ululavit in illis,私たちの婚礼にはティーシポネー(復讐女神のひとり)が介添役として、不吉な叫び声を挙げ、また人目を避ける夜の鳥が、かなしみの歌を奏でていました。
adfuit Allecto brevibus torquata colubris,その座に居合わせたのは、蝮を首に巻いたアレクトー(復讐女神のひとり)、そして燃えていたあかりは、葬いの篝火だったのです。
Maesta tamen scopulos fruticosaque litora calco悲しみにくじけながらも、あぶない岩角や、灌木の茂る浜を踏みしだき、広々とした海の見渡せる場所を、私は求めるのです。
sive die laxatur humus, seu frigida lucent陽に溶けて地面もゆるむ日中も、冷たく星々の輝く夜も、かなたの沖を眺めやって、私は風の動きを確かめるのです。
et quaecumque procul venientia lintea vidi, 2-125そして、遠くからやって来る白い帆布を目にすると、ありがたや、ついに念願がかなえられたかと喜ぶのです。
in freta procurro, vix me retinentibus undis,たゆとう海がまず初手に送りよこす潮の、その波をさえものともせずに、私は海の中へかけて行きます。
quo magis accedunt, minus et minus utilis asto;けれども、船がだんだん近づくにつれて、そこに立ちつくす甲斐もなくなり、やがては気も遠くなって、侍女たちに抱きかかえられて帰るのです。
Est sinus, adductos modice falcatus in arcus;とある入江があって、鎌のようにいくらか弧をえがいているのですが、その尖端は巨大な岩塊を荒々しく突き出しております。
hinc mihi suppositas immittere corpus in undasここから私は、遥かに下の波の中へ、身を投げようかと思ったこともありました、もしあなたの裏切りがこのまま続くものなら、いずれはそのようなことになりましょう。
ad tua me fluctus projectam litora portent, 2-135海の波が私をあなたのいるアッティカの浜辺まで運んでいって、無残な屍となった私の姿を、あなたのお目に入れたいもの!
duritia ferrum ut superes adamantaque teque,薄情なことにかけては、鉄にも、金剛石にも、また御自身にも負けないほどのあなたでも、きっとそのときはおっしゃるでしょう。「ピュリスよ、何もこんなにまでして、私のあとを追わなくてもよかったのに!」
saepe venenorum sitis est mihi; saepe cruenta何度も、毒薬を飲みたいと思いました、何度も、剣で胸を刺し貫き、血まみれになって死にたいと願いました。
colla quoque, infidis quia se nectenda lacertisまたこの首を、あなたの不実な腕に喜んで抱かれたこの首を、綱にくびりたいと願いました。
stat nece matura tenerum pensare pudorem.いさぎよく命を絶って、乙女の純潔を償う覚悟はできております、どんな死を選ぶにしても、たいして手間取りはしますまい。
Inscribere(未受2) meo causa invidiosa sepulcro. 2-145私の墓に、どうかあなたの手で、私のいとわしい死のいわれを銘してください——こんな文句か、それともこれに似たもので、あなたの名ものちの世に伝わるでしょう、
PHYLLIDA DEMOPHOON LETO DEDIT HOSPES AMANTEM;「デモポン、ピュリスをばほろぼしたり彼をもてなし、彼を愛したる女をば。死の因を与えしは彼、女はみずから手をば加えぬ。」
【解題】この書簡の材料はホメロスの『イリアス』、特にその中の第一巻と第九巻である。
ブリセーイスはトロイ周辺の小市リュルネーソスのアポローンの神官であったブリセウスの娘。この市をトロイ遠征中にアキレウスがその部下たちと攻略し、ブリセーイスの父や兄弟や夫を殺し、彼女を捕虜として連れ帰り、身辺に仕えさせて寵愛した。トロイ戦役の十年目、ギリシア軍の王アガメムノーンはアポローンの憤りをなだめるために自分の捕虜クリュセーイスをを父の手に返還しなければならなくなったが、その代償としてアキレウスの女ブリセーイスを奪った。これがギリシア軍に破滅を招いた『アキレウスの怒り』の発場である(第一巻。のちにアガメムノーンはおのれの非を悔い改め、奪った娘ブリセーイスはもちろん、ほかにも莫大な償い代を添えてアキレウスに和解を申し出たが、アキレウスは頑としてこれをしりぞけ、いっそ自分の部下を率いて故国プティアへ帰るとまで主張した(第九巻)
この書簡は、そのときブリセーイスがアガメムノーンの幕舎からアキレウスに宛てたもの。
あなたがお目を通されるのは、奪い去られた女ブリセーイスからの便り、異国の女の手では、ギリシア語もまともには綴れませんが。
quascumque aspicies, lacrimae fecere lituras;またお目ざわりな汚れやしみは、みんな涙のなしたしわざ、けれども、涙もまた言葉に匹敵する重みを持ちましょう。
Si mihi pauca queri de te dominoque viroque 3-5私には主君(あるじ)でありまた夫でもあるあなたにもし少しばかりうらみごとを申してさしつかえなければ、主君(あるじ)であり夫でもあるそのお方に、いささかのうらみごとを申し上げます。
non, ego poscenti quod sum cito tradita regi,王(アガメムノーン)がよこせと言ったので、さっそく私を手渡してしまわれましたが、これは別段あなたの罪ではありません……がしかし、やはりあなたの罪だともいえましょう。
nam simul Eurybates me Talthybiusque vocarunt,というのは、エウリュバテースとタルティビオス (アガメムノーンからの使者)が私を呼びに来たとき、 すぐさま私はその二人に手渡されて、連れ去られたのです。
alter in alterius jactantes lumina vultum彼ら二人は互いに互いの顔を見つめ合って、口にこそ出しませんでしたが、いったい私たちの愛はどうなったのかと、いぶかったものです。
differri potui; poenae mora grata fuisset.ひきのばすことはいくらもできました、別れの苦痛を少しでも先へのばしてもらえたら、どんなにありがたかったことでしょう。それなのに、私は別れを借しむ口づけさえできなかったのです!
at lacrimas sine fine dedi rupique capillos— 3-15ただ私は、とめどもなく涙を流し、髪の毛をひきむしっただけ—— かわいそうに、もう一度虜れの非運に陥ちたような気さえしました。
Saepe ego decepto volui custode reverti,何度も私は、番人の目を盗んで逃げだそうとしました、しかしそばには敵がいて、臆病な私をつかまえてしまうでしょう。
si progressa forem, caperer ne, nocte, timebam,たとえ違くまで逃げおうせても、今度は暗闇の中で捕虜にされて、プリアモス家の嫁たちの誰かに、贈物にされてしまうかもしれません。
Sed data sim, quia danda fui—tot noctibus absum渡されなければならなかったものなら、渡されてもかまいません。それにしても、こんなに幾夜もあなたのお側から離れたまま、ついぞ呼び戻されたためしもないとは何をぐずぐずと、いつまでも腹を立てていらっしゃるのです。
ipse Menoetiades tum, cum tradebar, in aurem私が向こうへ手渡されるとき、あのメノイティオスの子(パトロクロス)が私にそっとおっしゃいました、「泣くことはない、しばらくすればまた戻ってこれるのだよ。」
Nec repetisse parum; pugnas ne reddar, Achille! 3-25私を呼び戻さなかったというだけなら、まだしも、私を返すなといって、アキレウスよ、あなたは頭張っておられます!ほんとにまあ、ずいぶんとご熱心な恋人ぶり!
venerunt ad te Telamone et Amyntore nati—あなたのもとに使節がまいりました、テラモーンの子(アイアース)とアミォントールの子(ポイニクス)——一方はあなたの近親、他はあなたの養育者——
Laertaque satus, per quos comitata rediremそれにラエルテスの子(オデュッセウス)です、そして私もこの人たちに連れられて帰ることになっていました。慇懃な懇願に加えて、莫大な贈物が添えられました——
viginti fulvos operoso ex aere lebetas,銅づくりのみごとな釜が二十、重さも細工もいずれ劣らぬ鼎が七、
addita sunt illis auri bis quinque talenta,加えるに黄金十タレント、ついぞ負けることを知らぬ駿馬が十二、
quodque supervacuum est, forma praestante puellae 3-35それから余計なことに、町を攻略したとき捕虜にした、レスボスのみめよい女たち、
cumque tot his—sed non opus est tibi conjuge—conjunxしかもこのほかに——あなたには妻の必要などさらさらないのに——アガメムノーンの三人のうちのひとりの娘までくれてやるというのです。
si tibi ab Atride pretio redimenda(取り戻す) fuissem,これらは、あなたがアガメムノーンから私の身柄を解放したければ、あなたが提供するはずのもの。ところが、それをくれるというのに、あなたは受け取ろうとはなさらないのです。
qua merui culpa fieri tibi vilis, Achille?アキレウスよ、私はいったいなんの罪があって、あなたの目にそれほどつまらない女として映るのですか。あなたの愛はそんなにすばやく私から逃げてしまうほど気粉れなものだったのですか。
An miseros tristis fortuna tenaciter urget,苛酷な運命は、みじめな者どもをいよいよみじめに圧しひしぎ、一度不幸が始まったら、もう二度と平安なときは訪れないのでしょうか。
diruta Marte tuo Lyrnesia moenia vidi— 3-45リュルネーソスの城壁が、あなたの軍勢に破壊されるのを、私は見ました——私にはこのうえもなく大切な父祖の国でしたが。
vidi consortes pariter generisque necisque血をわけた三人の兄たちがともどもに死んでいくのを、私は見ました、みな私の母が生んだ子でしたのに。
vidi, quantus erat, fusum tellure cruentaまた、私の夫が大地をあけに染めて、血まみれの胸をはずませながら、大文字に倒れたのを私は見ました。
tot tamen amissis te compensavimus unum;これほどのものを失いながら、私はただあなたひとりに、その代償を見出だしたのです、あなたは私にとって、主君であり夫であり、また兄でさえありました。
tu mihi, juratus per numina matris aquosae,海からお生まれになったあなたの母神(テティス)にかけて、あなたは私におっしゃったものです——捕われ女になったのがかえって私には仕合せだった、
scilicet ut, quamvis veniam dotata, repellas 3-55そうでなければ、たとえ持参金つきでやって来ても、そんな財産になど目もくれずに私を追いはらってしまうからと。
quin etiam fama est, cum crastina fulserit Eos,今はそれどころか、噂によれば、明日の曙が輝いたら、雲を運ぶ南風に帆を挙げて、あなたは船出なさるおつもりとか。
Quod scelus ut pavidas miserae mihi contigit aures,こんなひどい話が、あわれな私の耳に伝わって私を驚かしたとき、私の胸は、血の気も元気もいっペんになくなってしまいました。
ibis et—o miseram!—cui me, violente, relinquis?あなたはこのみじめな私をどこに置いて、無情にも行こうとなさるのですか。あとに残された私は何を頼りに生きればいいのですか。
devorer ante, precor, subito telluris hiatuいっそ私は、割けた大地に呑みこまれるか、それとも、赤く燃える雷電に焼かれたほうがまし、
quam sine me Pthiis canescant aequora remis, 3-65海が、私なしで、プティア(アキレウスの郷国)人らの櫂で泡立てられ、あなたの船の去っていくのをひとり残されて眺めるくらいなら。
si tibi jam reditusque placent patriique Penates,もしあなたが、どうしても国へ帰って父祖の館を仰ぎたいとのお心なら、あなたの船にとって私はけっして大きな重荷ではありますまい。
victorem captiva sequar, non nupta maritum;捕われ女として私は、勝利者のあなたのお伴をするだけ、花嫁として夫のあなたについていくわけではありません。それに、私のこの手は、機を織るにはもってこいです。
inter Achaeiadas longe pulcherrima matresあなたの奥様にはアカイアの中でもとりわけ美しい方が、お興入れなさるでしょう、
digna nurus socero, Jovis Aeginaeque nepote,そういう方なら、ゼウスとアイギナの孫であられるあなたの父君(ペーレウス)や、海の老人ネーレウスの姫であるあなたの母君を、舅や姑にしても恥ずかしくはないでしょう。
nos humiles famulaeque tuae data pensa trahemus, 3-75私はただいやしい奴隷女のひとりとして、与えられた仕事に精を出し、糸巻き棒を一生懸命まわしましょう。
exagitet ne me tantum tua, deprecor, uxor—ただ、あなたの奥様が、どうか私につらく当たりませぬよう——なんとなくその方は私にはやさしくなさそうな気がするのです——
neve meos coram scindi patiare capillosまた、その方があなたの目の前で私の髪をむしったりしたら、どうか、それをお止めになって、物柔かにこうおっしゃってください「この女も、もとは私の愛人だった」と。
vel patiare licet, dum ne contempta relinquar—いいえ、そんなことをなさらなくても結構です、それよりも、私をみじめに置き去りにすることだけはやめてください!これだけはほんとうに、骨にまで刺さるほど恐ろしいことですから。
Quid tamen expectas? Agamemnona paenitet irae,それにしても、あなたはいったい何を待ち望んでおられるのですか——アガメムノーンはみずからの怒りを悔い改め、さらに全ギリシア軍が、悲しみをこめてあなたの足もとにひれ伏しているではありませんか。
vince animos iramque tuam, qui cetera vincis! 3-85どんなものにも勝てるあなたが、ご自分の激情や怒りに勝てないのですか、ヘクトールをご覧なさい、少しも休まずにギリシア軍を襲っているではありませんか。
arma cape, Aeacide, sed me tamen ante recepta,アキレウスよ、さあ、武器をお執りなさい!——ただしその前に私をひき取ってから!——そして軍神の加護のもとに、敵をさんざんに蹴散らしなさい。
propter me mota est, propter me desinat ira,私のためにかきたてられた怒りなら、どうかまた私のためにそれを鎮めてください。私があなたの鬱憤の原因ならば、同時にその調停者ともなりましょう。
nec tibi turpe puta precibus succumbere nostris;また私の懇願に屈することを恥とは思し召すな、オイネウスの子(メレアグロス)も、妻の懇願に動かされて武器を執りました。
res audita mihi, nota est tibi. fratribus orba私はただ話に聞いただけですが、あなたは直接それを御存じのはず——兄弟たちを奪われた母親は、望みをかけたわが子の命に呪いをかけたのです。
bellum erat; ille ferox positis secessit ab armis 3-95戦争が起こりました、しかし彼(メレアグロス)は腹を立てて武器を捨てたまま、戦場を離れ、かたくなに心を閉ざして祖国への援助を拒みました。
sola virum conjunx flexit. felicior illa!しかしただ妻だけが、彼の心をやわらげることができたのです。彼女は私よりも仕合せでした、私の言葉はなんの重みもなしに消えていくのですもの!
nec tamen indignor nec me pro conjuge gessiだからといって、腹を立てるわけではありません、私はただ奴隷女として、やや頻繁に主君(あるじ)の夜伽に召し出されただけで、別に妻として振舞ったわけではありませんから。
me quaedam, memini, dominam captiva vocabat.ある捕虜の女が、私を「奥様」と呼んだのを覚えていますが、私は答えたものです「隷従の重みに、もう一つそんな名前まで加えるのか」と。
Per tamen ossa viri subito male tecta sepulcro,ところで私は、満足に葬ってやることもできなかった私の夫の遺骨にかけて、つねに畏敬の念で思い浮かべるあの遺骨にかけて、
perque trium fortes animas, mea numina, fratrum, 3-105また、祖国のために、そして祖国とともに、命を散らした私の三人の兄たちの雄々しい霊にかけて、
perque tuum nostrumque caput, quae junximus una,また同じ枕に横たえた私とあなたの頭にかけて、そしてまた、私の一族の血を味わったあなたの剣にかけて、
nulla Mycenaeum sociasse cubilia mecum私は誓います——ミュケーナイの王(アガメムノーン)はただの一度も、私と床をわかったことはありません、もし私がいつわりを申し上げたら、それこそ置き去りになさっても結構です。
si tibi nunc dicam, fortissime: 'tu quoque juraさて、今もし私があなたに、「勇士アキレウス様、どうかあなたも誓ってください。私の留守にどんな楽しみも味わわなかったと」そう言えば、あなたはきっと拒否なさるでしょう。
at Danai maerere putant—tibi plectra moventur,ギリシア人らは、あなたが悲嘆にくれているとばかり思いこんでいるのに、あなたはこっそり、愛人の熱い抱擁に身をうずめて、竪琴などを弾いていらっしゃる。
et quisquam quaerit, quare pugnare recuses? 3-115なぜ戦を拒んでいるかといえば、戦争など危険千万、堅琴や夜の歓楽や恋のほうがおもしろいから。
tutius est jacuisse toro, tenuisse puellam,床に入って女の子を抱いたり、トラキアの堅琴(楽神はトラキアの生まれ)を爪弾いたりするほうが、ずっと安全なわけですもの。
quam manibus clipeos et acutae cuspidis hastam,左右の手に、大楯と穂先鋭い槍を持ったり、頭に重い兜をかむるよりも。
Sed tibi pro tutis insignia facta placebant,けれどもかつては、身の安泰よりも功名手柄があなたの喜びでした、戦場でかちえた誉れこそ何よりの楽しみでした。
an tantum dum me caperes, fera bella probabas,それとも、荒々しい合戦を好んだのは、私を捕虜にした時のことだけで、私の祖国もろとも、あなたの戦への礼讃もいっしょに滅んでしまったのですか。
di melius! validoque, precor, vibrata lacerto 3-125ああ神様お願いです、どうかあのペーリオンの槍がたくましいアキレウスの腕にふりしごかれて、ヘクトールの脇腹を貫きますよう!
mittite me, Danai! dominum legata rogaboギリシア人らよ、私をあの方のもとへ遣わしてください、私が使節としてわが主君(あるじ)に頼んでみましょう、伝言にはたくさんの接吻もいっしょに混ぜ合わせて運びましょう。
plus ego quam Phoenix, plus quam facundus Ulixes,きっと私は、ポイニクスや、雄弁なオデュッセウスや、またテウクロスの兄君(アイアース)よりも、じょうずに役目を果たしてみせます。
est aliquid collum solitis tetigisse lacertis,いつもやっていたように、この腕であなたの頭を抱きしめたり、目のあたりにこの胸を拡げてなつかしい思いをかきたてたりするだけでも、何ほどかのことはありましょう。
sis licet immitis matrisque ferocior undis,いくら情け知らずで、母神(テティス)の海の波より荒らくれた心の持ち主であっても、また私がひと言もしゃべらなくても、私の涙に、きっと折れてくれるでしょう。
Nunc quoque—sic omnes Peleus pater impleat annos, 3-135もう一度、お願いします——かくはまた、父君ペーレウスもめでたく天寿をまっとうされ、かくはまた、御子ピュロスも、武運めでたく戦に参じますよう!
respice sollicitam Briseida, fortis Achille,アキレウス殿、どうかブリセーイスのせつない願いをきいてください、いつまでも剛情に、あわれな私を放っておかないでください。
aut, si versus amor tuus est in taedia nostri,それとも、もしも私への愛情が嫌気に変わってしまったのなら、あなたなしで生きることを強いるよりも、いっそ死ぬことを強いてください!
utque facis, coges. abiit corpusque colorque;いいえ、今でさえそうなのですから、きっと強いるでしょう。もはやからだの力も抜け、顔の色も失せました、わずかに残る気力も、ただ一条のあなたへの望みで支えられているにすぎません。
qua si destituor, repetam fratresque virumque—もしそれも奪われたなら、今は亡い兄たちや夫のあとを追うまで——別にあなたにとっては、ひとりの女に死を命じたからとて、自慢の種にもなりますまいが。
cur autem jubeas? stricto pete corpora ferro; 3-145でもどうして命じたりなさるのです。ご自分で剣を抜いて、私のからだをお突きなさい、胸を突き刺されれば、流れ出る血はまだありましょう。
me petat(攻撃する) ille tuus, qui, si dea passa fuisset,どうぞあなたの剣を——もしあのとき女神アテナが見逃がしていたら、アトレウスの子の胸を突き刺していたかもしれないあの剣を、この私へ向けてください。
A, potius serves nostram, tua munera, vitam!ああ、それよりも、あなたの賜物であるこの命を助けてやってください、勝利者のあなたが敵である私に恵んでくださったものを、今はあなたの愛人として私は請い求めるのです。
perdere quos melius possis, Neptunia praebentあなたが減ぼすべきもっとましな敵は、ネプチューンが作ったトロイの城内にいくららいます、殺毅の相手ならトロイ人の中に探してください。
me modo, sive paras impellere remige classem,そして私には、船を率いてお帰国なさるにせよ、またここにおとどまりなさるにせよ、主君(あるじ)たる者の権利で、「戻っておいで」とひと言命じたまえ。
【解題】 パイドラはクレタ王ミーノスとパーシパエーの娘、アテナイの王テセウスの妻。一方ヒッポリュトスはテセウスとアマゾン族の女王ヒッポリュテー(あるいは、メラニッペー、アンティオペーとも)の間にできた子で、パイドラにとっては義理の息子にあたる。古伝を要約すれば、ヒッポリュトスは森と狩猟の処女神アルテミス(=ディーアナ)を崇め、狩猟に専念して女の愛を忌みきらっている。これをねたむ愛神アフロディーテー(=ウェヌス)は、ひそかに継母パイドラの胸に恋の矢を射こみ、こうして彼女は義理の子に道ならぬ恋を燃やす。ヒッポリュトスの拒絶によって邪恋は破局して、彼女は夫テセウスに息子を讒訴する書置きをして自殺、激怒した父ののろいによってヒッポリュトスもむざんな死をとげる。悲劇詩人エウリーピデースの現存する作品『ヒッポリュトス』はこれに取材したもの、ほかにセネカの『パイドラ』、ラシーヌの『フ ェードル』など。
クレタの女パイドラがアマゾンの子ヒッポリュトスに祝福を送ります。私自身の祝福はあなた以外の人からはけっして得られませんが。
perlege, quodcumque est—quid epistula lecta nocebit?どんなことが書いてあっても、どうか最後までお読み下さい。手紙を読んでも、べつに悪いことではありますまい。あなたに喜ばれそうなことが、この中にないとも限りません。
his arcana notis terra pelagoque feruntur. 4-5こうした文字にしるされて、いろいろな秘密が、陸や海をこえ渡ります。敵も敵から手紙をうけて目をとおす習いです。
Ter tecum conata loqui ter inutilis haesit私は三度、あなたに話しかけようとして、舌は三度、甲斐もなくこわばりました。三度声が、口の中でとぎれました。
qua licet et sequitur, pudor est miscendus amori;それでいい間は、愛にははじらいが伴うべきです。はずかしくて言えないことは書きなさいと、愛は命じました。
quidquid Amor jussit, non est contemnere tutum;アモル(愛神)のいいつけを無視しては、無事では済まされません——おそれ多い神々をさえ、法と王権で支配しているからです。
ille mihi primo dubitanti scribere dixit:このアモルが、書きしぶっている私に言ったものです「書きなさい!鉄のような男でも降参の手をさしのべよう」
assit et, ut nostras avido fovet igne medullas, 4-15どうか愛(アモル)が私に味方して、はげしい恋の焔で骨のずいまで私を焼いたように、あなたの胸にも恋の矢を射とおして、つもる思いをはらしてくれますよう。
Non ego nequitia socialia foedera rumpam;ゆめゆめ私は、軽はずみな心から、結婚の掟を破ろうというのではありません、私の名は——問いただしてもかまいませんが——どんな罪にもかかわりがありません。
venit amor gravius, quo serius—urimur intus;ただ、私に愛がおそく訪れたので、それだけに悩みもひどく、身のうちは火と燃えて、見えない傷手(いたで)に、胸がうずくのです。
scilicet ut teneros laedunt juga prima juvencos,新しいくびきが、いたいけな若牛をいため、革の手綱が、牧場の仲間からえり出された若駒に、こらえようもないのと同じく、
sic male vixque subit primos rude pectus amores,私のうぶな心も、はじめての愛の試錬にしのび難い思いをしています。こんな重荷は私の心にはうまく添いません。
ars fit, ubi a teneris crimen condiscitur annis; 4-25若いころに過ちから学んだ人には、恋も技術になりましょうが、年頃をすぎて恋を味わったものには、悩みはただますばかり。
tu nova servatae capies libamina famae,大切にまもられてきた貞潔のほこり——その最初の捧げものを、あなたはつみとれるのです。しかも、道をはずす点では、私もあなたも事情はおなじ。
est aliquid, plenis pomaria carpere ramis,枝しげる果樹園から果実をつむこと、華奢な指で、バラの初花をちぎること——そこには何ほどかのことはありましょう。
si tamen ille prior, quo me sine crimine gessi,ともあれ、これまであやまちもなく保ってきた私の純潔が、不慣れな汚点でよごされても、
at bene successit, digno quod adurimur igni;分相応の色恋に燃えているのが、せめてものさいわいです。身分のいやしい不倫相手は、不倫そのものより害だから。
si mihi concedat Juno fratremque virumque, 4-35たとえユーノーが、兄にして夫たるユピテルを私にあげるといっても、私にとっては、ヒッポリュトスが、ユピテルよりもすばらしく見えるのです。
Jam quoque—vix credes—ignotas mittor in artes;私はもう、未知の技の習得に——信じがたいといい給うな——乗り出しました、野の獣たちに立ちまじって走りまわりたいと心もはやります。
jam mihi prima dea est arcu praesignis adunco私のいちばん大事な神様——それは曲った弓にとりわけ名高いデロス島生まれの狩猟の女神ディアナです。
in nemus ire libet pressisque in retia cervis私もあなたを見ならって、森へ出かけ、野鹿を罠においつめ、また猟犬を叱咤して、山の嶺々を走りたい。
aut tremulum excusso jaculum vibrare lacerto,また、腕をふるって力いっぱい槍を投げ、草おいしげる地面のうえに、このからだを休ませたいのです。
saepe juvat versare leves in pulvere currus 4-45またある時は、疾駆する俊馬を手綱で御しながら、土ぼこりのなか軽快に車駕をはしらせるのに快をおぼえ、
nunc feror, ut Bacchi furiis Eleleides actae,またある時は、バッコスの狂気にふれた女たちのように、イーダの山あいを太鼓ひびかせてかけめぐったり、
aut quas semideae Dryades Faunique bicornesまた、森の妖精や、二本角の牧神たちの霊気にふれて狂乱する女たちのように、私も狂気にかけられるのです。
namque mihi referunt, cum se furor ille remisit,こんな狂乱がしずまった後で、人からこのいっさいを聞かされて、言葉をなくした私は、この身を焼く恋に気づいたのです。
Forsitan hunc generis fato reddamus amorem,おそらくこの愛は、私の宿命かもしれません。私の血統全体にたいする償いを、ウェヌスがもとめているのかもしれません。
Juppiter Europen—prima est ea gentis origo— 4-55ゼウスが雄牛の姿に身をかえて契りを結んだあのエウロペーが私の血統のはじめです。
Pasiphae mater, decepto subdita tauro,私の母パーシパエーは、雄牛をあざむいて身をまかせて、重荷となる恥ずかしい怪物を産みました。
perfidus Aegides, ducentia fila secutus,不実なテセウスは、私の姉に助けられ、導きの糸に従って、迷路に満ちた宮殿からのがれました。
en, ego nunc, ne forte parum Minoia credar,そして私がいやしくもミーノスの血を引く娘ならば、この私が最後に血統の掟(おきて)に服するわけです!
hoc quoque fatale est: placuit domus una duabus;一つの家が二人の女に愛されたのもまた宿命の力——私はあなたヒッポリュトスの美しさに、姉アリアドネーはあなたの父親テセウスの魅力に、とらえられたのです。
Thesides Theseusque duas rapuere sorores— 4-65テセウスとテセウスの子が、二人の姉妹を奪ったのです。クレタの宮殿のおかけで、二つの戦勝記念碑を建てるがいい。
Tempore quo nobis inita(訪ねる) est Cerealis Eleusin(主),おもえばあの時、私がエレウシスの町を訪ねようとした時、クレタの地が私をひきとめてくれたからよかったのです!
tunc mihi praecipue (nec non tamen ante placebas)以前にもあったことですが、わけてもあの時私はあなたにほれぼれといたしました。
candida vestis erat, praecincti flore capilli,衣服は白く輝き、髪は花冠に縁どられ、顔は恥じらいの赤味に染まっていました。
quemque vocant aliae vultum rigidumque trucemque,容貌がきつくてけわしいと、ほかの女たちは申しましたが、このパイドラには、そのきついところが、男らしいと見えました。
sint procul a nobis juvenes ut femina compti!— 4-75女のような化粧をした男たちは私にはいりません。男の美しさには適度な手入れがいいのです。
te tuus iste rigor positique sine arte capilliあなたには、そのきついところが、無造作にたれたその髪が、ひいでた顔のそのかすかな土ぼこりが、よく似あいます。
sive ferocis equi luctantia colla recurvas,あらくれた馬の頑強な首を、あなたが手綱でそらせて、馬の脚をカーブすれすれにめぐらせるとしには、あなたの姿にほれぼれするし、
seu lentum valido torques hastile lacerto,たくましい腕でしなやかな槍をふりしごく時、たくましいその腕が、私の目をとらえて離しません。
sive tenes lato venabula cornea ferro.また、幅広の穂先をつけたミズキの狩の槍を手にする時も。要するに、あなたがなさるどんなことも、それを見る私をうっとりさせてしまうのです。
Tu modo duritiam silvis depone jugosis; 4-85しばしの間、あなたのその情(つれ)なさを、山あいの森に捨ててください。私はあなたのいくさの獲物として死ぬほど価値ある女ではありません。
quid juvat incinctae studia exercere Dianae,愛の女神の功徳をものの数ともせず、帯しめ上げた狩の女神ディアナの道に精進するだけでは、どうにもなりますまい。
quod caret alterna requie, durabile non est;交代で体まないことには、何事もなが続きしません。この休息が体力を補強し、また足腰の疲れも回復させます。
arcus—et arma tuae tibi sunt imitanda Dianae—あなたの弓も——ディアナの武具がいいお手本です——一度も弦(つる)をはずさなければ、たるんでしまいます。
clarus erat silvis Cephalus, multaeque per herbas森々に名の高いケパロスも——彼の矢にうたれて、たくさんの獣たちが草むらのなかに倒れましたが——
nec tamen Aurorae male se praebebat amandum. 4-95あのケパロスも、曙女神(アウロラ)の愛に身をまかすのをためらいせんでした——かしこい女神は老いた夫のそばを離れて、この若者のもとへ通ったのです。
saepe sub ilicibus Venerem Cinyraque creatumしばしば、ヒイラギの樹の下で、ウェヌスとアドニス(キニュラスの子)はあたりの草をしとねに、二人のからだを横たえました。
arsit et Oenides in Maenalia Atalanta(奪);また、オイネウスの子メレアグロスも、マイナロスのアタランタに思いこがれて、彼女は愛の証しの勝利の獣を手に入れたのです。
nos quoque quam primum turba numeremur in ista!さあはやく、私たちもこの恋人たちの仲間入りをしましょう!恋をとりのぞいたら、あなたの森も野暮な田舎にすぎますまい。
ipsa comes veniam, nec me latebrosa movebunt私が行ってお伴をしましょう。ほのぐらい岩屋も、斜めの牙でおそろしいあの野猪も、私は恐くはありません。
Aequora bina suis oppugnant fluctibus isthmon(地峡), 4-105二つの海が一つの峡(はざま)に荒波をぶつけあって、せまい陸地が両側の海の音を聞いている所——
hic tecum Troezena(対) colam(住む), Pittheia regna;ここがピッテウスの領国、トロイゼン——私はここで、あなたといっしょに住みたいのです。今となっては、ここが私には祖国よりなじみ深くなりました。
tempore abest aberitque diu Neptunius heros;折しも、ネプトゥーヌスの栄えある子(テセウス)は、今も、またこの先も、ながらく不在——彼に親しいペイリトース(ラピタイ族の王)の岸辺が、彼をひきとめているのです。
praeposuit Theseus—nisi si manifesta negamus—テセウスがこのパイドラよりもあなたよりも、あのペイリトースを愛しているのは否定しえない事実です。
sola nec haec ad nos injuria venit ab illo;彼が私たちに加えた侮辱はこれだけではありません。もっとひどい傷手を、私たちは二人とも受けています——
ossa mei fratris clava perfracta trinodi 4-115私の兄(ミーノタウロス)は三つ瘤(こぶ)の棍棒でうち砕かれて、地に骨を散らしましたし、姉(アリアドネ)は野獣の餌食に捨てられました。
prima securigeras inter virtute puellasあなたを産んだアマゾンは、斧をもつ女たちの中でも武勇ならびない女丈夫——産みの子のたくましさに恥じない母君でした。
si quaeras, ubi sit—Theseus latus ense peregit,その母君は今はどこに?非道にもテセウスが剣で脇をつらぬいたのです。愛の徴(しる)しの産みの子も、母君の助けにはなりませんでした。
at ne nupta quidem taedaque accepta jugali—しかも彼女は (正式)の花嫁として、結婚を祝いの松明で迎えられたのではありません、そのわけはただ、あなたを庶子のままにして王位を継がせまいがため。
addidit et fratres ex me tibi, quos tamen omnisさらに彼は私に子供(=デーモポン、アカマース)を生ませて、あなたの弟として加えました、しかし、その子らを育てたのは、私ではなく彼だったのです。
o utinam nocitura tibi, pulcherrime rerum, 4-125ああ!あなたに——世にたぐいもない美貌のあなたに——不利益になるこの子らは、産みの苦しみの中で、臓腑もろともひき裂かれてしまえばよかったのです!
i nunc, sic meriti lectum reverere parentis—さあ早く、ここへ来て、ご立派な父親のふしどに、敬意を表しなさい。父親は自分の閨(ねや)を、自分勝手に捨ておいて、少しもかえりみない人なのです。
Nec, quia privigno(継子) videar coitura(セックスする) noverca(継母),ところで、私が継母の身で、義理の息子と関係する、そんな風に見えるからといって、ただの虚名に心怖じしてはいけません。
ista vetus pietas, aevo moritura futuro,古くさい徳義心など、新しい時代とともに減び去るもの——いにしえのサトゥールヌスの時代でさえ、そんなものは野暮くさいものだったのです。
Juppiter esse pium statuit, quodcumque juvaret,ゼウスは何事であれ楽しいことを、徳義にかなうと定められました——妹を妻にもつ神様なればこそ、どんなことをしようとかまわぬわけです。
illa coit(結合する) firma(奪) generis junctura(絆) catena(鎖), 4-135ただ、愛の神ウェヌスが手ずから結び合わされた絆(きずな)だけが人々をかたくつなぎとめるのです。
nec labor est celare, licet peccemus, amorem.たとえ間違いを犯しても、恋を隠し立てするのはたやすいこと。肉親という名で、不義は隠されてしまいます。
viderit amplexos aliquis, laudabimur ambo;たとえ抱き合っているところを誰かに見られても、私たちはどちらも賞讃されるのです——継母ながら義理の子に誠意があると私も言われましょう。
non tibi per tenebras duri reseranda mariti酷薄な夫の門を暗闇の中でこじ開けたり、番人の目をごまかしたりする必要も、あなたにはありません。
ut tenuit domus una duos, domus una tenebit;一つ屋根が二人をまもってきたように、これからも同じ屋根が私たちをまもってくれるでしょう。あなたは誰はばからず接吻をしてきたように、これからも、誰はばからず接吻すればいいのです。
tutus eris mecum laudemque merebere culpa, 4-145私といっしょなら無事安泰、罪が賞讃をかち得させましょう、たとえ私の臥床で見つけられてもいっこうに構いません。
tolle moras tantum properataque foedera junge—さあ、ためらいをふり捨てて、愛の交歓に急いでいらっしゃい!今私にはつれないアモルも、願わくばあなたに慈悲をたれさせ給え!
non ego dedignor supplex humilisque precari.私はまた、あなたの前にひれ伏して、嘆願の手をのべることも恥じません——自尊心も高ぶった言葉も、今はどこへやら!
et pugnare diu nec me submittere culpaeそれに私は、どこまでも戦いぬいて、けしてあやまちを犯すまいと決心したのですが——愛が何かを決心できるとすれば、……
victa precor genibusque tuis regalia tendoしかし、私は負けました。そしてあなたの膝に高貴な腕をさしのべて嘆願するのです!愛するものは体面などかまっておれません、
depudui, profugusque pudor sua signa reliquit. 4-155廉恥心は恥をすて、旗をすてて退却したのです。どうか私の告白に免じて、あなたのかたくなな心をやわらげて下さい!
quod mihi sit genitor, qui possidet aequora, Minos,海原しろすミーノスが私の産みの親だとて何になりましょう、私の先祖(ユピテル)の手からいかずちがふり放たれようと何でしょう、
quod sit avus radiis frontem vallatus acutis,私の祖父(=ヘーリオス、母パーシパエの父)がさん然たる光輝をこうべにいただき、暖かい日中をくれないに燃える戦車で駆けていようとも、何でしょうか。
nobilitas sub amore jacet! miserere priorum生まれの高貴さも、愛の神の足もとにひれふすのです。私の先祖を憐れと思い、私には無理ならば、せめて私の血筋に優しくしてください!
est mihi dotalis tellus Jovis insula, Crete—私の持参金には、ゼウスの島、クレタがあります、わがヒッポリュトスのためになら、全宮殿が奴隷にもなりましょう。
Flecte, ferox, animos! potuit corrumpere taurum 4-165どうか心を曲げて下さい、私の母はあらくれた雄牛をさえ邪恋に誘うことができたのです!あなたは強情な雄牛よりも酷薄なのですか。
per Venerem, parcas, oro, quae plurima mecum est!今の私にはかけがえのない大切な御神——ウェヌスにかけて、お願いです、私をあわれんでください。あなたにしても、あなたをないが しろにするような女を愛さないでください。
sic tibi secretis agilis dea saltibus assit,また、あの脚ばやの(狩の)女神が、人気のない森のなかであなたを守ってくれますよう。また、深い森が野獣を獲物に差し出しますよう。
sic faveant Satyri montanaque numina Panes,サテュロスや山にすむ牧神パーンの恵みをうけて、あなたの槍につらぬかれて野猪どもがたくさんたおれますよう。
sic tibi dent Nymphae, quamvis odisse puellasまたニンフたちも——あなたがいくら女嫌いで有名であるにしても——あなたのために、渇きをいやす流れの水をめぐんでくれますように!
Addimus his precibus lacrimas quoque; verba precantis 4-175私の祈りには涙もまじっています、祈りの言葉を読みながら、私の涙も目に浮かべてくださいませ。
【解題】パリスはトロイ王プリアモスの子。誕生のおりトロイ滅亡の凶兆ありとしてイーダ山中に捨てられ、そこで羊飼いとして成長した。ニンフのオイノーネーはその当時の彼の愛人。パリスは例の「美の審判」で美神(ウェヌス)の寵を得、その賜としてギリシアの美婦、メネラオスの妻ヘレネを奪い、トロイ戦争の発端を作ったのは周知の通り。この書簡はテニソンの詩Oenone' の粉本となった。
V-XII,XVII,XX,XXIの冒頭2行は削除
これにお眼を通すのを、新しいお配偶(つれあい)(=ヘレネ)がいけないとでも?いいえお読みになって。恐いギリシア人が、書いたのではありませんもの。
Pedasis Oenone, Phrygiis celeberrima silvis,プリュギアの森々に名も高い泉の妖精——オイノーネーが、傷ついた心の嘆きを私の夫——そう呼んでよろしければ——に訴えるのです。
Quis deus opposuit nostris sua numina votis? 5-5いったい、どの神様が、私の大切な願いを挫かれるのでしょう。なんの罪咎あって、私がいつまでもあなたのお傍におれないのでしょう。
leniter, e merito quicquid patiare, ferendum est;相応の報いならば、おとなしく我慢もします。でも、いわれのない罰を受けるのは、たまりません。
Nondum tantus eras, cum te contenta maritoまだあの頃は、あなたもそんなに偉くはなかった。でも私は満足して、嫁(とつ)いだのです。偉大な河神の娘でしたのを。
qui nunc Priamides (absit reverentia vero)今はプリアモス家の殿君でも——憚(はば)からずに申し上げれば——当時はただの牧童でした。その牧童に、妖精が甘んじて嫁いだのです。
saepe greges inter requievimus arbore tectiしばしば家畜の群れに交じり、樹蔭に二人で休みました。草の上に、木の葉を積んで、それを臥床に。
saepe super stramen faenoque jacentibus alto 5-15また敷藁や、高く積んだ乾し草の上に、共寝もしました——賤(しず)の小屋に、真っ白な霜を防いで。
quis tibi monstrabat saltus venatibus aptos森の中の狩猟場や、岩蔭にある獣の隠れ家を、誰があなたに教えましたか?
retia saepe comes maculis distincta tetendi,粗目の網を張りに行くお伴も、よくしたものです。また長い尾根伝いに、脚疾(あしばや)の猟犬を追いもしました。
incisae servant a te mea nomina fagiあなたの彫った橅(ぶな)の木々は、私の名前を守っています。利鎌(とがま)の跡もしるく、オイノーネーの文字が読めます。
et quantum trunci, tantum mea nomina crescunt; 5-25幹といっしょに、私の名も伸びて行く。橅よ、ぐんぐん伸びて、私の名を高くかかげておくれ!
また、小川のほとりに立つ白楊樹(ポプラ)——お前も永らえておくれ、分厚いその樹皮には、こんな詩句が刻まれている——
"CUM PARIS OENONE POTERIT SPIRARE RELICTA,
もしもパリスが オイノーネーを
見捨ててなおも生きるなら
クサントスの河の流れも 逆(さか)しまに、源さして、さかのぼるべし。
クサントスよ、さあ早く後ろを向いて、泉の方へ逆流しなさい!パリスはオイノーネーを見捨てて平気でいるのですから。
Illa dies fatum miserae mihi dixit, ab illa思えばあの日が、私の悲運の始まりでした。あの日から、愛の風吹きは変じて、ひどい暴(あらし)が始まった——
qua Venus et Juno sumptisque decentior armis 5-35ほかでもない、ウェヌスとユーノー、それに、楯を手にしてひときわ気高い、裸身のミネルウァが、あなたの審判の前に、立ち現われたあの日です。
attoniti micuere sinus gelidusque cucurrit,それをあなたが話した時、おどろきに胸は高鳴り、氷が背筋を走り、ふるえは骨をさえ貫きました。
consului (neque enim modice terrebar) anusqueさっそく、姥(うば)たちに相談しました——尋常な恐怖ではありませんもの——また、高齢の翁(おきな)たちにも。結果は、明らかに凶!
Caesa abies sectaeque trabes et classe parataもみの木が倒され、船材が削られて、船支度はととのいました。濃紺の海の波が、蝋(ろう)ぬりの櫂を迎えました。
flesti discedens. hoc saltim parce negare;別れ際に、あなたは泣きました——せめてこれだけは否定なさいますな!
[et flesti et nostros vidisti flentis ocellos;] 5-45悲しい思いに、二人は共に、涙を流しました。
non sic appositis vincitur vitibus ulmus,楡(にれ)の木に、ぶどうのつるがからみつく、それにもまして、あなたの腕は、私の首に巻かれました。
ah quotiens, cum te vento quererere teneri,風が船出の邪魔をする、などとこぼして、あなたは何度も、仲間から笑われました——申し分のない順風だったのに。
oscula dimissae quotiens repetita dedisti!別れてはまた立ち戻り、何度も私に接吻(くちづけ)しました。「さようなら」と、なかなかお口にも出せなかった!
Aura levis rigido pendentia lintea maloそよ吹く風が、硬い帆桁の垂れ布をはためかせ、漕ぐ櫂に、海の波は白ぎ立ちました。
prosequor infelix oculis abeuntia vela, 5-55遠ざかる船の帆を、眼のとどく限り追って行く、不幸な私——しとどの涙に、砂浜も濡れました。
utque celer venias, virides Nereidas oro—早く帰って来すよう、とみどりの海乙女(ネーレイデス)に祈りました——それはすなわちわが身の破減になるのですが(=ヘレネを連れてくることになる)。
votis ergo meis, alii(与) rediture, redisti?それで、私の願い通り、お帰りになりました——別の女のために!私としたことが情け知らずの恋がたきに、切ない祈りをこめたのです!
Aspicit(面する) immensum moles nativa profundum自然のままの巨巌(おおいわ)が、涯しない海原を望んで、山みたように、海の波をはばんでいる。
hinc ego vela tuae cognovi prima carinaeそこから私は、誰より先に、あなたの船の帆を認めて、波の間を駆けて行きたい思いにかられました。
dum moror, in summa fulsit mihi purpura prora. 5-65とかくする間に、船の舳先(へさき)に、ふと紫がきらめいて、ぎくりとしました。あなたが身に着ける色ではありません。
fit propior terrasque cita ratis attigit aura:はやての風に、船は近寄り、陸に着きました。そして、私が見たのはまぎれもない女の顔——わなわなと、この胸は慄(ふる)えました。
non satis id fuerat—quid enim furiosa morabar?—あまつさえ——また私も馬鹿みたように、それを呆然と見ているなんて!——女は恥知らずにも、あなたの胸にぴったりと身を寄せていた!
tunc vero rupique sinus et pectora planxiその時さすがに私も、懐をかきむしり、胸をうちたたき、濡れた両頬を、硬い爪でひき裂きました。
implevique sacram querulis ululatibus Iden悲しみのおめき声で、イーダの聖峰を満たし、いとしい巌々(いわいわ)にまで、涙をば届かせました。
sic Helene doleat defectaque conjuge ploret, 5-75ヘレネも、これほどに嘆くがいい。恋しい男に捨てられて泣くがいい。先に与えたこの苦しみを、後で自分も、味わうがいい!
Nunc tibi conveniunt, quae te per aperta sequantur今あなたとねんごろなその女は、あなたに随いて海原を越え、正式の夫を捨てて来たような女です。
at cum pauper eras armentaque pastor agebas,しかし、あなたが貧しい羊飼いだった頃、その貧しい人の妻だったのが、オイノーネーです。
non ego miror opes, nec me tua regia tangit私は富貴には、驚きません。あなたの王宮にも、別段心は動きません。プリアモス家の、あまたいる嫁たちの仲間に入るのも望みません——
non tamen ut Priamus nymphae socer esse recuset別に、プリアモスがニンフの舅になるのを嫌がるとか、后(きさき)ヘカベーに、私が嫁として肩身が狭いとか、そんなはずはありますまいが。
dignaque sum et cupio fieri matrona potentis; 5-85私だってそれ相応、また富貴の殿御(とのご)の奥方になるのも、嫌ではありません。私の手は、王笏にもきっと似つかうでしょう。
nec me, faginea quod tecum fronde jacebam,橅の葉を敷いて、あなたと共寝していたからとて、あなどり給うな。紫染めの臥床の方が、ずっと私にはふさわしいのです。
Denique tutus amor meus est; ibi nulla paranturそれに、私の愛は物騒ではない——戦争をひき起したり、仇討ちの船が波路を渡ったりもしませんから。
Tyndaris infestis fugitiva reposcitur armis;逃げたテュンダレオースの娘(ヘレネ)を返せといって、敵は武器でおびやかしています。こんな持参金を、図々しいあの女は、あなたの閨(ねや)へ持ち込んだのです。
quae si sit Danais reddenda, vel Hectora fratrem,そんな女は、すぐさまギリシア人に返したものかどうか、兄上のヘクトールや、デーイポボスや、またポリュダマースにお訊きなさい。
quid gravis Antenor, Priamus quid suadeat ipse, 5-95年の功を重んじて、堅実なアンテーノールや、また父王プリアモスに訊けば、なんとおっしゃって?
turpe rudimentum, patriae praeponere raptam.祖国よりも、奪われの女を大事にするなんて、どだい卑劣です。恥さらしなのはあなたの側、あちらの夫が武器を執るのも当然です。
Nec tibi, si sapias, fidam promitte Lacaenam, 5-100また、分別がおありなら、ラコニア女を信用なさいますな。いくら易々とあなたに身を任かせたからとて。
ut minor Atrides temerati foedera lectiアトレウス家の弟君(メネラオス)が、踏みにじられた婚姻におめき上げて、奪われた愛の傷手(いたで)を、嘆いているように、
tu quoque clamabis. nulla reparabilis arteあなたも今に泣きわめくでしょう。瑕(きず)ついた操は、もはやとりつくろう術(すべ)もない。一度失われたら、それきり。
ardet amore tui; sic et Menelaon amavit; 5-105あなたに首ったけですって?メネラオスにだってそうでした。それを信じていたばかりに、あの人は今、空の閨(ねや)に臥せっています。
felix Andromache certo bene nupta marito;しあわせなのはアンドロマケー!——しっかりした旦那様に嫁ぎましたもの!その兄様をお手本に、私を大事な妻と守るべきでした。
tu levior foliis, tum cum sine pondere suciそれをあなたは、木の葉よりも浮気っぽい——水気もぬけてかさかさに枯れた葉が、気ままな風に、散って舞うよう。
et minus est in te quam summa pondus arista,また、絶え間もない陽差しに焼かれて、痩せかわいた芒(のぎ)の先ほども、あなたには重みがありません。
Hoc tua (nam recolo) quondam germana canebat思えば昔、あなたの妹(カッサンドラ)が、こんなことを歌いました。髪をふり乱して、私に、予言の歌をー
"quid facis, Oenone? quid arenae(砂) semina mandas? 5-115「何をする?オイノーネー!なぜ砂に種を播く?砂浜を牛で鋤(すき)引いたとて、甲斐もない。
Graia juvenca venit, quae te patriamque domumque「ギリシアの若雌牛(ヘレネ)がやって来る、お前を、祖国を、また家を、滅ぼそうとやって来る。あな恐ろしや、ギリシアの若雌牛がやって来る!
dum licet, obscenam ponto demergite puppim!「今のうちに、 きたならしいあの船を海に沈めよ!ほれ、あんなにトロイ人の血を載せている!」
dixerat; in cursu famulae rapuere furentem,言い終えて、狂乱の態(てい)で走るのを、侍女たちがとらえました。私も、亜麻色の髪の毛が、ぞっくりと逆立ちました。
ah, nimium miserae vates mihi vera fuisti;ああ!あまりにも予言は真実すぎた——ほら、まぎれもなくその若雌牛が、私の牧場をわが物にしているのです。
sit facie quamvis insignis, adultera certe est; 5-125彼女の容色が、どんなに勝れていても、不貞な女には変わりない。他国の男に身を任せて、婚姻の神々を見捨てたのですから。
illam de patria Theseus, nisi nomine fallor,昔テセウスが——もし名前に間違いがなければ、何でもテセウスとやらが、前にも、彼女を故国から奪って行ったとか。
a juvene, et cupido, credatur reddita virgo?年若のしかも熱々(あつあつ)な殿御のもとから、まさか生娘のまま帰って来ますまい。どうしてそんなによく知っているかと? 愛すればこそ。
vim licet appelles et culpam nomine veles;暴力という呼び名で、罪をかばうかもしれません。でもそんなに何度も奪われるのは、自分の方から仕掛けるから。
at manet Oenone fallenti casta marito—オイノーネーは、あざむいた夫にまで貞節なのに……それにしてもあなたの流儀で、彼女の方もあなたをあざむくかもしれません。
Me Satyri celeres (silvis ego tecta latebam) 5-135すばしこいサテュロスたち——あの跳ねっかえりの連中が、私をしつこく追い廻しました。森の中にそっと隠れている私を。
cornigerumque caput pinu praecinctus acuta角の生えた頭をば、とがった松葉でぐるりと巻いた牧神も、涯てもないイーダの尾根で、追いました。
me fide conspicuus Trojae munitor amavit;トロイの壁を築いたあらたかな御神(アポロン)も、私を愛し、
[id quoque luctando; rupi tamen ungue capillosまた神秘の賜物を、私の手に授けました。
quaecumque herba potens ad opem radixque medendi病を癒やすどんな草も、霊験のあるどんな根も、この世にありとある限り、私は知っています。
me miseram, quod amor non est medicabilis herbis!しかし悲しいかな、愛は薬草では癒やされません!術に長(た)けても、施す術はありません。
[ipse repertor opis vaccas pavisse Pheraeas草を育てる豊穣な大地も、また神様にも、かなわない救いの道を、あなたは授けることができるのです。
et potes et merui. dignae miserere puellae! 5-155あなたは授け、私は受ける資格があります——そのふさわしい女をば、どうか可哀そうと思って下さい!私はけっして、ギリシア軍を伴なって、血みどろな戦争を仕向けたりしません——
sed tua sum tecumque fui puerilibus annis子供の時分と同じように、私は今もあなたのもの。またこれから先も、あなたのものでありたいと願うのです。
【解題】 イアソンはテッサリアはイオールコス(イオルコス)の王アイソーン(アイソン)の子、有名なギリシア の古潭『アルゴーナウタイ』の遠征の主人公。この 遠征潭の概略については、第十二書簡「メデアからイアソンへ」の解題を参照されたい。
ヒュプシピュレーは、エーゲ海の北部、ヘレスポントス間近に横たわる島レムノスの王トアスの娘。この島の女たちは勇敢にも自分の父や兄弟や夫たちを皆殺しにして女たちだけの国を作り、ヒュプシピュレーがそこの女王になっていた、いわゆる「女護が島」である。アルゴー船の乗組員たちがこの島に立ち寄ったとき、最初は武器に訴えるいざこざも起きたようだが、そこは男と女の仲で、じきに意気投合して交歓を重ねた。ヒュプシピュレーはイアソンと深い仲となり、およそ二年の滞在の日がすぎて彼がやむなく島を立ち去るときには、彼のたねを胎に宿していた。イアソンは子の安産を祈り、固く再会を誓って遠征の途についたが、コルキスで首尾よく目的を達すると、金羊毛のほかに、そこの王女メデアまで伴い、レムノスにはなんの音沙汰もなしに帰国してしまった。約束を反古にされた女ヒュプシピュレーの恨みをこめた手紙がこれである。
みごとに金羊毛を手に入れて、あなたはテッサリアの浜に帰還の船をお着けになったとか。
gratulor incolumi(与) quantum sinis; hoc tamen ipso私の知りえましたかぎりで、あなたの御無事を祝福します。でも、せめてそのことぐらいは、あなた自身のお手紙で報らせてもらいたかったもの。
nam ne pacta tibi praeter(通って) mea regna redires, 6-5あなたに捧げたこの国へは、風の便(べん)が得られなくて、寄りたくても、寄れなかったのかもしれません、
quamlibet adverso signatur epistula vento,しかし、風の吹きまわしが悪くても、手紙なら書けそうなもの、ヒュプシピュレーに挨拶を送るのは当り前のことでしたのに。
Cur mihi fama prior quam littera nuntia venit:次の話を、どうして私はあなたのお手紙でなくて、噂でしか聞けなかったのでしょう。軍神の聖牛が曲がった軛(くびき)につながれたこと、
seminibus jactis segetes adolesse virorum種を播(ま)くと、穀物のかわりに武者たちが生まれ出たこと、彼らを滅ぼすのにあなたの右手を必要としなかったこと、
pervigilem spolium pecudis servasse draconem,不眠の竜が羊の皮を見張っているのに、黄金もまばゆいその皮衣を、あなたの大胆な手で奪ったこと。
hoc ego si possem timide credentibus "ista 6-15もし私がこうした事柄を、半信半疑で聞く人たちに、「あの方がご自分で、そう手紙に書いてよこしたの」と言えたなら、どんなに鼻も高かったことでしょう。
Quid queror officium lenti cessasse mariti?しかし、夫がただ筆不精をきめこんでいるのでしたら、なんで恨みごとなど申しましょうか、私があなたの妻であるかぎりは、いくらでも大目に見ておれましょう。
barbara narratur venisse venefica tecum聞くところによれば蛮族の魔術使の女(メデア)があなたについて来て、私に約束された結婚の床を、あなたとわかっているというではありませんか。
credula res amor est. utinam temeraria dicarとかく愛は何でも信じやすいものです、私が早合点で、根も葉もない罪を夫に着せているのでしたら、ありがたいのですが。
nuper ab Haemoniis hospes mihi Thessalus oris先ごろ、ハイモニア(テッサリアの別称)の岸辺から、テッサリア人がひとり、客人としてやって来ました、彼が私の館の敷居をまたぐかまたがないかに、
"Aesonides," dixi, "quid agit meus?" ille pudore 6-25私は、「私の夫、アイソーンの子イアソンはどうしていますか」と尋ねました。すると彼はいかにも当惑したように、じっと地面に目を伏せたまま。
protinus exsilui tunicisque a pectore ruptis私はすぐ跳びだして、胸から衣をむしりとって、叫びました——「生きているのですか、それとも…私の運も尽きたのか」
"vivit," ait. timidum quod amat; jurare coegi.「生きております」と、彼は答えました、が、愛する者は臆病です、私は彼に誓わせました。神様を証人として、ようやく私は、あなたの御無事なことを信じたのです。
Utque animus rediit, tua facta requirere coepi:心が平静に戻ってから、今度はあなたのお手柄を訊くことになりました、彼は物語ります——青銅の足をもった軍神の雄牛が、地面を耕したこと、
vipereos dentes in humum pro semine jactos種のかわりに竜の牙が大地に播かれると、突然、武具を装った男たちが立ち現われたこと、
terrigenas populos civili Marte peremptos 6-35地から生い出でたこの武者たちが、互いに相手を殺し合い、わずか一日の短い命を終わらせたこと、
devictus serpens. iterum, si vivat Jason,そして竜が討ちとられたこと、など。ここで私は、もう一度、イアソンは無事かどうかと訊ねます、望みと恐れとが交互に、信と不信を入れ替えます。
Singula dum narrat, studio cursuque loquendiさて、しだいに委細に及ぶにつれて、話にも調子がつき、勢いこんだ話し手は、ついに口をすべらせて、私の傷手を明るみに出しました。
heu, ubi pacta fides? ubi conubialia juraああ!私ととりかわした誠心(まごころ)はどこへ行ったのですか、また結婚の誓いや、祝いの松明は?——いっそ葬式用に使えとでもいうのですか?
non ego sum furto tibi cognita. pronuba Juno私は人目を忍んであなたと深い仲になったのではありません、(結婚の守り神)ユーノーの介添えで、額に花冠を飾るヒューメンの祝福を受けました、
at mihi nec Juno nec Hymen, sed tristis Erinys 6-45が、今思えば、それはユーノーでもヒューメンでもなく、陰気な復讐女神(エリーニュス)が血にまみれた姿で、死の篝火(かがりび)を運んだのです
Quid mihi cum Minyis(>Minyae)? quid cum Dodonide pinu?そもそも、ミニュアース人ら(アルゴー船の一乗組員のこと)が私になんの関わりがあったのか、ドードナの松(アルゴー船を指す)が私になんの関わりがあったのか、また梶取りのティピスが私の祖国(レムノス)と何の関わりがあったのか。
non erat hic aries villo spectabilis aureo,ここレムノスには、金色の羊毛で人目を奪う雄羊(おひつじ)もいなかったし、またここは老アイエーテース(コルキスの王)の領地でもなかったのです。
certa fui primo—sed me mala fata trahebant—最初私は、女の手で異国の軍勢を追い払う決心でした——しかし不幸な運命にひきずられてしまったのです——。
Lemniadesque viros—nimium quoque!—vincere norunt:レムノスの女たちは、殿原を征服することなど朝飯まえ、この勇敢な女軍を率いて、事に当たらなければならなかったのに!
Urbe virum vidi tectoque animoque recepi. 6-55私は町で夫に出会い、自分の館(やかた)どころか、心の中へまで迎え入れてしまいました。ここであなたは、二度の夏と、二度の冬を過ごしました。
tertia messis erat, cum tu dare vela coactusそして三度目の秋、どうしても船出しなければならなくなったとき、あなたは、溢れでる涙の下から、こんなことを言いました——
"abstrahor, Hypsipyle. sed dent modo fata recursus;「ヒュプシピュレーよ、私はいやでもお前から離れなくてはならぬ、だが運命がきっと再会の機会を与えてくれよう。今お前の夫としてここを去っていくように、今後もつねに、私はお前の夫であるだろう。
quod tamen e nobis gravida celatur in alvo,「ところで、私からお前の胎内に宿された子が、どうか無事に誕生して、私らはともどもに、同じ子の父となり母となりたいもの。」
Hactenus. et lacrimis in falsa cadentibus oraあなたはここまで言うと、今思えば佯(いつわ)りのあの顔に涙をはらはらと流して、あとはもう何も言えなくなってしまったのです。
Ultimus e sociis sacram conscendis in Argon; 6-65仲間たちからいちばん遅れて、あなたは聖なるアルゴー船に乗り込みました。船は風で帆をいっばいにふくらませて、飛ぶように走って行きます。
caerula propulsae subducitur unda carinae:勢いよく進む船首の下には、濃紺の波が長く尾をひき、あなたは陸を、私は海をじっと見つめます。
in latus omne patens turris circumspicit undas;八方に視野を拡げる塔があって、あたりの海を見渡しています。私はそこへ足を運びましたが、しとどの涙が顔も胸も濡らします。
per lacrimas specto cupidaeque faventia menti涙を通して眺めやれば、両の目は、せつない私の胸中を察してか、いつもより遠くまで届きます。
adde preces castas immixtaque vota timori加えるに、乙女の真心をこめた祈り、そして不安をまじえた誓願・・この誓願も、今はあなたが御無事であるからには、めでたく成就されたわけ。
Vota ego persolvam? votis Medea fruetur! 6-75警願が成就された?御利益にあずかるのはメデアなのに!私の心はうずきます、しかも怒りと入り混じって、恋もますますつのります。
dona feram templis, vivum quod Jasona perdo?イアソンがただ無事だからとて、感謝の捧げ物を私は神殿へ運ぶのですか、自分の受けた損失のために、犠牲(いけにえ)の羊を神前に捧げるのですか。
Non equidem secura fui semperque verebar,けっして私も安心していたわけではありません。ただ私が常日ごろ恐れていたのは、あなたの父君が、アルゴス(ここではギリシアの古名)の町からあなたの花嫁を選びはしないかということでした。
Argolidas timui—nocuit mihi barbara paelex!アルゴスの女たちを私は恐れていたのに・・蛮族のあばずれ女が私の身を亡ぼそうとは!まったく予期していなかった敵から、私は深傷を負いました。
nec facie meritisque placet, sed carmina novitあの女は美貌や功績であなたの寵を得たわけではありません、彼女は呪歌(まじない)に精通し、魔法の鎌で恐ろしい毒草を刈りとるのです。
illa reluctantem cursu deducere Lunam 6-85彼女は無理やりに月を軌道からはずしたり、日輪の車駕(くるま)を闇の中へ隠したりするのです。
illa refrenat aquas obliquaque flumina sistit,彼女は、水の流れをさまたげたり、河のうねりをせきとめたり、また、森や岩を、生きもののように、元の場所から動かしたりするのです。
per tumulos errat passis discincta capillis帯を解き、髪を振り乱して墓場をうろつき、まだ熱い火葬壇から、これと定めた骨を拾うのです。
devovet absentis simulacraque cerea figitそして、遠く離れた人に呪いをかけたり、蝋の人形を作って、その肝の中へ無残にも鋭い針を突きたてたり・・
et quae nescierim melius: male quaeritur herbisそのほか、私たちの知らないほうがいいようなことなど(をするのです)。本来愛は、人柄や容姿の美しさでかち得られるべきなのに、彼女はそれを魔術でおびき寄せるのです。
Hanc potes amplecti thalamoque relictus in uno 6-95こんな女を、あなたは抱いたりできるのですか、誰もいない部屋の中で、彼女と二人だけになって、静まりかえった夜中を、平気で眠れるのですか。
scilicet ut tauros, ita te juga ferre coegit:わかりきったことですが、彼女はちょうどあの雄牛どもにしたように、あなたを無理やりにつなぎ、そしてあの兇暴な竜を眠らせたように、魔術であなたを手なずけているのです。
adde quod ascribi factis procerumque(>procer 複属) tuisqueそればかりではありません、彼女はあなたたちの功業の中へ、あつかましく自分の名を出しゃばらせて、そのために夫の手柄が妻の蔭にかくれる始末。
atque aliquis Peliae de partibus acta venenisあまつさえ、イオルコス王のペリアース(ペリアス、金羊毛探索の命令を与えた王)に味方する者の中には、あなたの功業は彼女の魔術のおかげだと主張して、人々を信じさせている者もいます——
non haec Aesonides, sed Phasias Aeetine「プリクソスの雄羊の黄金の皮衣を奪ったのは、アイソーンの子イアソンではなくて、コルキス王アイエーテースの娘メデアなのだ」と。
non probat Alcimede mater tua—consule matrem!— 6-105あなたの母君のアルキメーデーにしても——母君に相談してごらんなさい——また父君のアイソンにしても、北の涯の蛮地(コルキス)から花嫁を迎えることに、賛成のはずはありますまい。
illa sibi a Tanai Scythiaeque paludibus udaeあんな女は、タナイス(ヨーロッパとアジアを境する河、今のドン河)の河べりか、湿ったスキュティアの沼地、それともまだ遠く、彼女の故郷のコルキスから、自分の夫を探すがいいのです。
Mobilis Aesonide(呼) vernaque incertior aura,浮気心のイアソン、春風よりも定かならぬ心の持ち主よ、どうしてあなたの約束の言葉には、少しも重みがないのでしょうか。
vir meus hinc ieras, vir non meus inde redisti—私の夫として、あなたはここを去られたのに、私の夫として、帰っては来られなかった、去る人の妻であったら、同じく帰った人の妻でありたいものを!
si te nobilitas generosaque nomina tangunt:もしもあなたが、身分の高さや高貴な血統に心をひかれるなら、この私は、人も知るとおり、ミーノス(クレタの伝説の王)の血をひくトアースの娘です!
Bacchus avus: Bacchi conjunx redimita corona 6-115またバッコスは私の祖父、そのバッコスの花嫁(アリアドネー)は額に冠を載き、群らがる星座を従えて、その星々を燦然と輝かしております。
dos tibi Lemnos erit, terra ingeniosa colenti;またあなたへの持参金ともなるこのレムノスは、よく肥えて農耕には最適の土地、しかし、もろもろの持参金にもまして、私自身が、あなたへの何よりの贈物となるでしょう。
Nunc etiam peperi. gratare ambobus, Jason—今はそれどころか私はもう母親になりました、イアソン、どうか私たち双方のために祝福してください!身重のからだもあなたのたねを宿すと思えば、少しもつらいとは思いませんでした。
felix in numero quoque sum prolemque gemellamしかも数にまで恵まれて、双生児の世継ぎを生みました、産神様のお恵みで、愛のかたみを二人(エウネオスとネプロポノス)まで設けたのです。
si quaeris, cui sint similes, cognosceris illis:子供たちは誰に似ているかですって?まるであなたと瓜二つ、人をだますことを知らないだけで、ほかは父親とそっくりです。
legatos quos paene dedi pro matre ferendos; 6-125私はこの子たちを母親代りの使節としてあなたのもとへ送ろうかとも思いました——しかし恐ろしい継母がこの旅立ちをさえぎりました。
Medeam timui—plus est Medea noverca—私はメデアを恐れたのです、メデアはただの継母とはわけが違います。メデアの手はどんな大それたことでもやってのけるのです。
Spargere quae fratris potuit lacerata per agros自分の弟(アプシュルトス)を八つ裂きにして野原にばらまくことさえできた女が、私の子供たちを容赦するでしょうか。
hanc, tamen o demens Colchisque ablate venenis,コルキスの毒草で血迷った気違い女!こんな女にあなたは血道を挙げて、ヒュプシピュレーとの結婚を反古にしたというのですか。
turpiter illa virum cognovit adultera virgo,彼女は娘にあるまじき恥知らずなやり方であなたを手に入れたのですが、あなたと私を結び合わせたのは貞淑な絆(きずな)でした。
prodidit illa patrem—rapui de caede Thoanta. 6-135彼女は父親を裏切りましたが、私は父トアースを死からかばいました。彼女はコルキスを見捨てましたが、私はレムノスにとどまっています。
Quid refert, scelerata piam si vincit? et ipsoもし、身持ちの悪い女が操正しい女にまさり、ほかならぬその罪業を持参金にして、夫を手に入れたというのであれば、今さら何を言うことがありましょう。
Lemniadum facinus culpo, non miror, Jason!イアソンよ、私はレムノスの女たちの振舞いを非難はしても、けっして感心とは思いません——どんな弱い者でも、激すれば武器をとるもの。
dic age, si ventis ut oportuit actus iniquisさあ、おっしゃいませ、もしあなたが、前みたいに、逆風に追いまくられて、仲間といっしょにまたこの波止場へ入って来たとすれば、
obviaque exissem fetu comitante gemello—そして私が双生児の子供を連れてあなたに出会ったとしたら——そんなことになるくらいなら、あなたはいっそ大地に呑みこまれたいところでしょうが——
quo vultu natos, quo me scelerate videres? 6-145そのときあなたはいったいどんな顔で、子供たちや私を御覧になるおつもりですか。裏切りの代償に、どのような死に方をあなたは選ぶおつもりですか(=あなたの裏切りは万死に値する)。
ipse quidem per me tutus sospesque fuisses,かりに私のおかげで、命だけは無事にとりとめても、それはけっしてあなたがそうされるに値するからではなく、私が慈悲深いからなのです。
paelicis ipsa meos implessem sanguine vultus,しかしあの毒婦のほうは、ぜひともこの手にかけて、その返り血を私の顔と、彼女が魔術で私から奪い去ったその人の顔とに浴びせたいもの!
Medeae Medea forem. quod si quid ab altoメデアに対しては、私もまたメデアになりましょう。ああ、もし正義の神ゼウスが天の高座(たかみくら)から、私の願いを少しでもおききとどけくださるなら、
quod gemit Hypsipyle, lecti quoque subnuba nostriどうかヒュプシピュレーのこの苦しみを、私の恋がたきにも味わわせて、今の私と同じ運命に会わせてください、
utque ego destituor conjunx materque duorum, 6-155今私が妻であり二人の子供の母でありながら、あわれな様に見捨てられているように、彼女もまた同じく二人の子供と夫とを失いますよう!
nec male parta diu teneat peiusque relinquat:悪い手段で手に入れたものは、いつまでも持ちこたえないで、もっと悪い失い方をしますよう——国を追われて、世界じゅうをさまよいながら、隠所を探しますよう!
quam fratri germana fuit miseroque parenti弟に対し、また父に対してそうであったように、子供に対しても、また夫に対しても残酷な母となり、また妻となりますよう!
cum mare, cum terras consumpserit, aera temptet;海にも陸にも逃げ道を失って、大空にそれを探しますよう、力もなく、望みも絶えて、殺害の血にけがされてさまよいますよう!
haec ego, conjugio fraudata Thoantias, oro.かくこそ私、欺かれた妻——トアースの娘は祈ります、呪われた床をわかちあう妻と夫よ、どうかおすこやかに!
【解題】 ディードーは、 ウェルギリウスの詩篇『アエネイス』の中の(第一歌および第四歌)美しい悲恋物語の女主人公としてあまりにも名高い。この書簡詩の作者ももちろんこれを前提にしている。
トロイ陥落後アエネーアス(トロイ方の勇将の一人)は家門の守護神を戦火から救い出し、老父アンキーセースを背負い、子のユールス(別名アスカニウスとも)を手にひいて、家来たちと海に逃れ、遠いイタリアに新しい玉国を築くために苦離の旅を続ける。七年目、目指すラティウムを目前にシチリアの沖で難破して、リュビアの沿岸新興の国カルタゴの浜に漂着、そこで助けられて女王ディードーの宮殿に迎えられ、ねんごろにもてなされる。役女の思いやりはやがて恋心に変わり、二人がある日狩りに出て岩蔭ににわか雨を避けた折に、ついに恋は結ばれる。しかし、アエネーアスにはトロイの家系を守りローマを建国するという大使命があり、このために女王の懇願と哀訴をふり切って再びイタリアを目指す。絶望したディードーは火葬の積み薪を作らせこれに登って死ぬのである。ディードーは別名エリッサともいい、もともとテュロス王の娘で富裕なシュカイオスの妻となったが、兄ピュグマリオーンのために夫を殺害され、北アフリカのビュルサに逃れ、そこで新しい王国カルタゴを興こしたと伝えられる。
こうして、運命の声にまねかれ、マイアンドロス (小アジアの河)の流れの ほとり、露にぬれた草にふして、白鳥は歌うのです。
Nec quia te nostra sperem prece posse moveri,あなたに語りかけるのは、べつに私の嘆願であなたを動かしえようと期待してのことではありません。神にさえ見はなされて、私はこれを書きました。
sed meriti famam corpusque animumque pudicum 7-5当然のむくいとはいえ、ほまれもきよいからだもまた心もみじめに失った私にはいまさら言葉を失うことなど、とるにたりません。
Certus es ire tamen miseramque relinquere Didonそれにしてもあなたはしかと、哀れなディードを見捨てて、去って行くおつもりですか。同じ風が、船の帆もろとも、あなたの約末まで運び去ってしまうのですか。
certus es, Aenea, cum foedere solvere navesあなたはしかと、アエネーアスよ! 纜(ともづな)も愛の誓いも解きすてて、いずことも知れないイタリアの王国を目ざすおつもりですか。
nec nova Karthago, nec te crescentia tangunt新興のカルタゴにも、高々とそびえゆく城壁にも、またあなたの手にまかされる王権にも、心を動かされないのですか。
facta fugis, facienda petis; quaerenda per orbemあなたは成しとげたことを逃れ、成しとぐべきことを求める——ある土地を探しあてれば、また別の土地をこの世界に探さたくてはすまないのです。
ut terram invenias, quis eam tibi tradet habendam? 7-15かりに土地を見出したにしても、誰がそれをあなたに明け渡すでしょうか、誰が見知らぬ者に田畠を譲るでしょうか。
alter habendus amor tibi restat et altera Didoまた別の愛が、別のディードーが、あなたを待ち、また別の約束をして、彼女を裏切ろうというわけですか。
quando erit, ut condas instar Karthaginis urbemカルタゴに比肩するほどの都を建設し、はるか城の高みからあなたの民を眺めみる——それはいつの日でしょう。
omnia ut eveniant, nec di tua vota morentur,また、すべてのことが実現されて、あなたの願いがたちどころにかなえられても、これほどあなたを愛する妻が、いったいどこに見つかりましょうか。
Uror ut inducto ceratae sulpure taedae,私の胸は、さながら燐をそそいだ松明か、煙る神炉にくべられた香のように、燃えています。
Aeneas oculis vigilantis semper inhaeret; 7-25アエネーアスの姿は、寝もやらぬ目にたえずまとわりついて、夜も昼も、心に浮かぶのはアエネーアスのことばかり。
ille quidem male gratus et ad mea munera surdusたしかに彼は恩知らずです、私の心尽くしにも、まるで唖同様——これ程ぞっこんまいっていなければ、(あんな人は)いっそいなくなった方がまし。
non tamen Aenean, quamvis male cogitat, odi,でも、あの人からいくらあしざまに思われても、私はアエネーアスを憎めない、彼の不実を嘆き、嘆きながらに思いはいよいよつのるばかり。
parce, Venus, nurui, durumque amplectere fratrem,ウェヌスよ、あなたには嫁にもあたるこの私をあわれみ給え! また兄の神アモルよ、情ない弟をとらえて恋の戦場に参じさせ給え。
aut ego quem coepi—neque enim dedignor—amare,あるいはせめて、この私から思いを懸けたー別に恥とも思いませんが——あの人が、たしかな愛の徴しを私に与えてくれますよう。
Fallor et ista mihi falso jactatur imago: 7-35私は間違っている。こんなはかない幻にあざむかれているのだ。母神のやさしい心などに、彼は縁がない。
te lapis et montes innataque rupibus altisあなたを産んだのは、厳や山、それとも高い絶壁に生える樫の木、あなたを産んだのはたけしい獣か、
aut mare, quale vides agitari nunc quoque ventis:それとも荒海——ごらんなさい、その海は今もこんなに風でさわいでいる、それなのに、あなたは逆まく浪のなかを船出しようというのです。
quo fugis? obstat hiems. hiemis mihi gratia prosit!どこへ逃げるのです。嵐が邪魔をしているではありませんか——嵐よ、私に幸いせよ!——ごらんなさい、東風が海面をはげしくかき立てているではありませんか——
quod tibi malueram, sine me debere procellis;あなたに頼むべきことを、私は暴風に頼まなくてはならない、波や風の方が、あなたの心よりも正直なのです
Non ego sum tanti, —quod non censeris inique?— 7-45あなたが海原遠く私を逃げるからといって、けして私ごとき者のために、(どうしてこんなに憎い人を悪く言えないのか!)あなたが破減してはなりません。
exerces pretiosa odia et constantia magno,もしも、あなたが私のいない所で、犬死でもなさったら、この上もない高価な代償で、私の恨みを買うことになりましょう。
jam venti ponent, strataque aequaliter undaもうすぐ、風もおさまり、平らけくしずまった海面に、碧の神馬を御してトリトーン(海神の子)が進むことでしょう。
tu quoque cum ventis utinam mutabilis essesあなたもどうか、風のように心を変えてくれますよう。樫よりも無情でなければ、きっと変わるでしょう。
quid, si nescires, insana quid aequora possunt,狂った海がどんなに恐しいか御存知でしょう。波がどんなに頼りにならないか、幾度も御経験のはずです。
ut, pelago suadente etiam, retinacula solvas, 7-55たとえ鎮まった海に船出をしても広い海にはたくさんの災いが隠れています。
nec violasse fidem temptantibus aequora prodest;また、誓いを破って海に出る者に福はありません。海こそは、偽誓に罰を加える所なのです。
praecipue cum laesus amor, quia mater Amorum愛を踏みにじった場合はなおさらのこと、というのは、愛の母神(ウェヌス)が、キュテーラ(エーゲ海上の島)の波間から裸身の御姿を現わされたと伝えられます。
Perdita ne perdam, timeo, noceamve nocentiたとえわが身は滅びてもあなたを滅ぼしたくはない、自分は傷つけられてもあなたを傷つけたくはない。敵であっても難破して波に溺れさせたくはないのです。
vive, precor! sic te melius quam funere perdam,どうか生きながらえて! もしもそんなことになったら、死よりもむごい別れ方です。あなたはそれよりも、私の破減の因として、のちのちまで伝えられなければなりません。
finge, age, te rapido—nullum sit in omine pondus!— 7-65かりにもあなたが——こんな予言に何の重みもありませんよう——吹きまくる旋風に巻きこまれたとしたら、あなたの胸はどんなでしょう——
protinus occurrent falsae perjuria linguaeいつわりの誓いの言葉や、トロイ人の裏切りで死に追いやられたディードーが、直ちに思い浮かぶでしょう。
conjugis ante oculos deceptae stabit imagoあなたの眼の前には、あざさむかれた妻の姿、髪をふり乱し血にまみれた哀れな姿が現われるでしょう。
quidquid id est "tantum merui! concedite!" dicas,その時になって「悪かった、許してくれ」などと言ってもどうなりますか、ある限りの天罰が、あなたの頭上にふりかかるのを覚悟しなくてはなりますまい。
Da breve saevitiae spatium pelagique tuaeque;無情な海も、無情なあなたも、もう少し猶予してくれたら! 待てば、安全な旅という大きな報いが得られるはず。
nec mihi tu curae; puero parcatur Julo! 7-75あなたのことを気遣うからではありません、子供のユールスを助けて、と願うのです。あなたは私の死を手柄とすれば十分でしょう。
quid puer Ascanius, quid di meruere Penates?でも、幼いアスカニウスや、家神になんのとががありましょうか——戦火から救い出された神々が、波にのまれてもよいのですか。
sed neque fers tecum, nec, quae mihi, perfide, jactas,しかし——あなたはどちらもきっと連れてはいないのです。ただ口で言いふらすだけで、聖像もまた老父も、あなたの肩にはなかったのです。
omnia mentiris; neque enim tua fallere lingua皆嘘っぱち! それにしても、あなたの口先にだまされたのは私が最初ではありません。私が最初の犠牲者というわけではありません。
si quaeras ubi sit formosi mater Juli—可愛いいユールスの母(クレウサ)はどこに、と尋ねれば、無情な夫にひとり残されて死んだー
haec mihi narraras—sat me monuere! merentem 7-85あなたがそう言いました。私にとってこれ以上の警告はなかったのです! こがれ死にしたところで当然の報いです。私の過ちには、どんな罰も小さすぎるでしょう。
Nec mihi mens dubia est, quin te tua numina damnent:もとより、あなたも神々の罰を受けていることを私は疑いません。海や陸に、今七度目の冬が荒れ狂っているのです。
fluctibus ejectum tuta statione recepi波に投げ出されたあなたを、私は安全な波止場に迎え入れて、ろくに名も知らないあなたに、王国を譲りました。
his tamen officiis utinam contenta fuissemでもこの心尽くしだけに満足して、あんな結婚の噂など葬り去られてしまえばよかったのです。
illa dies nocuit, qua nos declive sub antrum思えばあの日が災いの因でした。暗雲の空からにわかに降り出した大雨を、傾斜した岩屋のかげに、私たちは避けたのでしたが、
audieram vocem; nymphas ululasse putavi: 7-95あの時私が聞いた声を、ニンフたちの(結婚の)祝歌と思ったのですが、——あれは、私の運命に対する復讐女神の合図だったのです。
Exige, laese pudor, poenas, violate (現行テキストはここで2行脱落と見る)Sychaei踏みにじられた操よ! 裏切られたシュカイオスよ!私を罰し給え。哀れや私は、恥に満ちてその罰に進み行く。
est mihi marmorea sacratus in aede Sychaeus;大理石の祠の中ーみどりの茂り葉の正面、羊毛の白布に覆われて、亡夫シュカイオスの像がまつられています。
hinc ego me sensi noto quater ore citari;私は、そこから四度、聞きなれた声が私を呼ぶのを耳にしました——かすかな声で、「エリッサよ、おいで」と。
Nulla mora est: venio, venio tibi debita conjunx,—参ります、今すぐ参ります——私は当然あなたの妻ですから。私の罪に対する恥かしさのために、すっかり遅くなってしまいました。
da veniam culpae; decepit idoneus(相応しい) auctor; 7-105私の罪をどうか許して下さい。私を破減させたのは、けっしていやしい人ではありません。彼もまた、犯した罪ゆえに、私の憎しみを買っているのです。
diva parens seniorque pater, pia sarcina nati,女神を母に持ち、老父を肩に負うその孝心が、私に、夫としても末長く誠実であろうとの望みを抱かせました。
si fuit errandum, causas habet error honestas:過ちを犯したにしても、私のその過ちには、それ相応の理由もあったのです。ただ、彼に誠意さえあったなら少しも恥じるところはなかったでしょう。
Durat in extremum vitaeque novissima nostraeこれまでに私がたどって来た悲運は、なお絶えることもなく、私の生涯の最後の日までつきまとうのです。
occidit internas conjunx mactatus ad aras私の夫は、自分の館の祭壇の前で、血にまみれてたおれ、この恐るべき罪のむくい(報酬)を受けたのが私の兄でした。
exul agor cineresque viri patriamque relinquo 7-115夫の遺骨も生まれ故国も後にして、私は流竄の身となり、苦難の道を敵に追われながらたどったのです。
applicor ignotis fratrique elapsa fretoque;兄の手と海を逃れて、私は見も知らぬ浜辺に上陸し、そして手に入れたその土地を、恩知らずなあなたにやってしまったのです。
urbem constitui lateque patentia fixi私は都を建て、近隣の国々にもうらやまれる程の長い長い城壁を築きました。
bella tument. bellis peregrina et femina temptor戦争が起こりましたー異国から来た女の身で戦争の脅威にも堪えました。 粗末ながらも城門も作り、やっと合戦の準備もしました。
mille procis placui, qui me coiere querentes百千の男たちが私に言寄っていたのに、私が見も知らぬ男との結婚を選んだために、皆不平を鳴らしました。
quid dubitas vinctam Gaetulo tradere Jarbae? 7-125なぜあなたは私を縛って、ガエトゥーリアのイアルバスの手にひき渡さなかったのです。そのような残酷な仕打ちにも、私は喜んで手をさしのべたでしょうに。
est etiam frater, cuius manus impia poscitまた兄もいることです。私の夫の血でけがされた彼の手が、私の血でもう一度染められることもできたでしょう。
pone deos et quae tangendo sacra profanas!神々や聖像を放しなさい。あなたが触れただけでけがれてしまいます。不敬な右手で天上の神々を祀るのはよくないことです。
si tu cultor eras elapsis igne futurus,もしあなたが戦火から救い出した神々の司祭者になるならば、戦火から救い出されたことを、神々も迷惑に思うことでしょう。
Forsitan et gravidam Didon, scelerate, relinquasひょっとしたら、すでに身重のディードーをあなたは非道にも、見捨てて去ろうとしているのです。あなたの分身が私の胎内に宿っているかもしれないのです。
accedet fatis matris miserabilis infans 7-135母親の運命に、哀れな子供まで道づれにさせて、あなたは、まだ産まれないわが子の下手人にさえなるわけです。
cumque parente sua frater morietur Juli,母とともに、ユールスの弟も死ぬのです、一つの罰が、二人を一緒に運び去るのです。
"Sed jubet ire deus." vellem, vetuisset adire「だが去れと神が命じ給う」と言うのですか、いっそ来ることも禁じられたらよかったのです!トロイ人の足がフェ二キアの土地など踏まなければよかったのです!
hoc duce nempe deo ventis agitaris iniquis本当にこの神の御導きであなたは無情の波(風)にもまれ、長い年月を荒海の上で過して来たのですか。
Pergama vix tanto tibi erant repetenda labore,もしトロイ城がヘクトールの存命中のままであったなら、再びそこへ戻るのになんの苦労もいらなかったでしょうに。
non patrium Simoenta petis, sed Thybridis undas— 7-145でもあなたが目指すのは、父祖の国トロイヤのシモイスではなく、ティベルの流れです…。しかし、求める土地にたどり着いてもあなたはただの異国人。
utque latet vitatque tuis obtrusa carinis,しかも、それは遥か遠くに雲隠れて、あなたの船を拒んでいます。年老いてやっとそこまでたどりつけるかも、あぶないものです。
Hos potius populos in dotem ambage remissaいっそ放浪の旅などあきらめて、私の持参金にこの国と民とを、また私が持って来たピュグマリオーンの富をお受けなさい。
Ilion in Tyriam transfer felicius urbemめでたさもいやましに、トロイをテュニスの都にあわせ、王座と聖なる笏を手にお入れなさい!
si tibi mens avida est belli, si quaerit Julus,もしあなたの心が戦争を熱望するなら、もしユールスが、戦場での輝かしい功名を求めるなら、
quem superet, nequid desit praebebimus hostem; 7-155望むものにこと欠きません——敵を提供しましょう。ここには、平和の法も、兵乱の戦場もあるのです。
tu modo—per matrem fraternaque tela, sagittas,どうかあなただけは——母神にかけ兄弟(アモル)の優しい弓矢にかけて、また、あなたの逃避行の伴、トロイの聖なる神々にかけて——
sic superent, quoscumque tua de gente reportatあなたの氏族の生残りを大事に守りおおせて、あんな酷い戦さになど、もうこんりんざい遇いませんよう!
Ascaniusque suos feliciter impleat annosそしてアスカニウスも、めでたく寿命を全うし、老アンキーセースも、安らかに骨を埋めますよう!
parce, precor, domui, quae se tibi tradit habendam!また、いずれはあなたの手に譲られる家も、無事でありますよう! ただ、愛したというほかに、どんな罪が私にあるというのですか。
non ego sum Phthias magnisque oriunda Mycenis, 7-165私はテッサリアのプティア(アキレウスの故国)の女でもなく、ミュケーナイ王国(アガメムノンの領地)の生まれでもありません。私の夫や父が、あなたに刃向かったわけでもありません。
si pudet uxoris, non nupta, sed hospita dicar;もしあなたが、私を妻として恥じるなら、花嫁でなく、他国の女とも呼ばれましょう。あなたのものである限り、ディードーはどんな名で呼ばれても構いません。
Nota mihi freta sunt Afrum plangentia litus;アフリカの岸辺をあらう海については、私はよく存じています。船旅のできる時期とできない時期もきまっています。
cum dabit aura viam, praebebis carbasa ventis;微風が旅を許す時、帆を風にあてるのです。今は、海の浮き草が船を岸にひきとめています。
tempus ut observem, manda mihi: certius ibis,潮時を見計らうのは私におまかせなさい。も少しすれば出発できましょう——そうなれば、あなたがとどまると言っても、私が許しません。
et socii requiem poscunt, laniataque classis 7-175仲間の部下たちも休息を欲しています、ずたずたにされた船体も修理半ばで、しばらくの猶予が必要です。
pro meritis et siqua tibi debebimus ultra,これまで受けたその上に、なおもいくばくかあなたから受けられるとしたら、その恩恵にかけて、また、私のはかない結婚の望みにかけて、どうかしばらく待って下さい。
dum freta mitescunt et amor, dum temperat usum,やがては海もしずまり、愛もしずまり、時の経つのに馴れて、悲しみに堪えることも覚えるでしょうから。
Si minus, est animus nobis effundere vitam;もし駄目なら、私はいのちを断つ覚悟です。あなたも私に対して、いつまでも冷酷でいられるはずがありません。
aspicias utinam, quae sit scribentis imago;せめて、これを書いている私の姿が眼に入ったら!書いている私の膝には、トロイの剣が置いてあるのです。
perque genas lacrimae strictum labuntur in ensem, 7-185抜かれた刀身に、頬を伝って涙がこぼれていますが、もう直ぐそれは、涙の代りに血で染められましょう。
quam bene conveniunt fato tua munera nostro!あなたのこの贈物は、私の運命になんとふさわしい品でしょうか。わずかばかりの費用で、あなたは私を葬ってくれるわけです。
nec mea nunc primum feriuntur pectora telo:また私の胸は今はじめて、弓矢の傷を受けるわけではありません、そこにはすでに、はげしい愛の傷手があるのです。
Anna soror, soror Anna, meae male conscia culpae,妹アンナよ! 私の罪の哀れな共犯者よ!はやく私の遺骨に最後の香油を注いでおくれ、
nec consumpta rogis inscribar Elissa Sychaei,そして、もがり火で焼いたなら、「シュカイオスの妻——エリッサ」とは銘るさずに、大理石の墓の上には、二行の詩をこう刻んでおくれー
PRAEBUIT AENEAS ET CAUSAM MORTIS ET ENSEM. 7-195「死の原因と剣とを与えしはアエネーアス。ディードー、自らの手をば加えて、はかなくなりぬ」
【解題】オレステスは、ミュケーナイの王トロイ遠征軍の総大将アガメムノーンとクリュタイメーストラの子。父の仇討ちのために叔父アイギストスと母クリュタイメース トラを殺し、母殺しの呪いを受けて狂い、故国を追われて流浪したが後に罪を浄められて帰国した。この伝説はギリシア悲劇などで好んで取り扱われているので有名である(アイスキュロスの三部作『オレステイア』エウリピデースの『オレステス』その他が現存する。
ヘルミオネはスペルタの王メネラオス(アガメムノーンの弟)と美姫へレネーの娘。したがってオレステスには従姉妹にあたる。彼女をめぐってオレステスとアキレウスの子ピュルス (別名ネオプトレモス)が、ギリシア古伝説には珍しい三角関係にあった。伝えによれば、彼女の祖父テュンダレオスがメネラオスの留守中に彼女をオレステスと婚約させたが、のちに、トロイ攻略のためにアキレウスの子の援助がどうしても必要となったとき、メネラオスはトロイ陥落のあかつきは娘を妻に与えるからという約束でピュロスを出陣させ、ピュロスは父親メネラオスの約束をたてに帰国後へルミオネーを手に入れた。ここまでがこの書簡の背景である。後日譚では、このことを不満とするオレステスは一味と謀り、神託伺いにデルポイの聖地を訪れたピュロスをそこに待ち伏せて暗殺し、ヘルミオネはふたたび彼の元に戻り、やがて一子をもうけた(この話はエウリピデス『アンドロマケ』で取り扱われている)。
父親ゆずりの頭固者、アキレウスの子ピュロスが、世の旋、神の掟にもそむいて、私を館の中に閉じ込めて押えています。
quod potui renui, ne non invita tenerer, 8-5押えられるのはいやだと言って、抵抗するのが、私には精いっぱい、それ以上、かよわい女の腕ではどうすることもできません。
"quid facis, Aeacidae(呼<Aeacides)? non sum sine vindice!" dixi私は言いました!「何をするのです、アキレウスの子ピュロスよ、私にも保護者がいないわけでありません、この女には、れっきとした主人がついているのです。」
surdior ille freto clamantem nomen Orestisしかし、私がいくらオレステスの名を叫んでも、ピュロスはまるで荒海よりも聞こえぬふり、そして髪の毛も乱れるままに、私を館の中へひきずって行きました。
quid gravius capta Lacedaemone serva tulissem,かりにラケダイモン(スパルタ)が占領されて、ギリシアの娘たちが蛮族の敵に掠奪されて、私が奴隷女の境涯に陥ちたとしても、これほど辛い目にあったでしょうか。
parcius Andromachen vexavit Achaia victrix,ギリシアの戦火が、プリュギア(トロイのこと)の富を焼き尽くしたとき、勝利者たるアカイア軍も、アンドロマケ(ヘクトールの妻)を、これほどむごい目には会わせませんでした。
At tu, cura mei si te pia tangit, Oreste, 8-15それにしても、オレステスよ、私に対するまことの思いやりが、もしもあなたにおありなら、当然にあなたのものである私のほうへ、勇気に満ちた救いの手をさしのベてください、
an si quis rapiat stabulis armenta reclusis,もしも誰かが柵を破ってあなたの家畜を奪ったなら、すぐにもあなたは武器を執られましょう、それなのに、妻を奪われながら、腰を上げようともなさらぬのですか。
sit socer exemplo nuptae repetitor ademptae,奪われた妻の返還を求めて、立ち上がったあなたの舅(ヘルミオネの父メネラオス)をお手本になさいませ、あの方には、ひとりの女が戦の正当な原因となりました。
si pater ignavus vidua stertisset in aula,もし父が意気地もなくて、寝取られた館の中で高いびきをかいていたら、私の母(へレネ)は、前と同じく、パリスの妻でいたでしょう。
Nec tu mille rates sinuosaque vela pararis私はあなたに、千の船、千の帆を準備せよとは申しません、また多数のギリシアの軍勢を集めなくてもよろしいのです、ただあなたひとりが来てくだされば。
sic quoque eram repetenda tamen, nec turpe marito 8-25しかし私だってあのような求められ方(ヘレネの場合)をしてもよかったでしょう、また夫にしても、愛する妻のために激しい戦をすることは、恥ではありません。
quid, quod avus nobis idem Pelopeius Atreus,ペロプスの子アトレウスは私たちにとって共通の祖父なのですから、たとえあなたが私の夫でなかったとしても、あなたは私の従兄弟なのです。
vir, precor, uxori, frater succurre sorori;どうかお願いです、夫としてまた従兄弟として、妻であり従姉妹である私に、救いの手をのべてください——二つの絆があなたの務めをせかせています。
Me tibi Tyndareus, vita gravis auctor et annisさて、私をあなたに妻として約束したのは、思慮といい年配といい貫禄十分のテュンダレオス、この祖父が孫娘の仲介者でした。
ところが父はこれを知らずに、私をアキレウスの子に約束しました。しかし、順序からいっても権威からいっても、祖父は父よりまさります。
cum tibi nubebam, nulli mea taeda nocebat; 8-35私があなたに嫁いだとき、私たちの結婚で傷ついた人は、誰もいません。もし私がピュロスと結ばれれば、傷つくのはあなたなのです。
et pater ignoscet nostro Menelaus amori;父メネラオスも、私たちの愛を許してくれましょう、ご自分でも、翼ある神(愛神)の矢に屈服なさったのですもの。
quem sibi permisit, genero concedet amorem.自分自身に許した愛を、婿のために認めぬはずはありません。また父に愛された私の母も、自分のお手本で私たちを助けてくれましょう。
tu mihi, quod matri pater est. quas egerat olimあなたと私の間柄は、私の父と母の場合と同じです、そして、トロイから来た男(パリス)が振舞ったことを、今ピュロスが私に対して振舞っているのです。
ille licet patriis sine fine superbiat actis;彼がおのれの父親の手柄を際限もなく自慢するなら、あなたにだって、親の功業を引き合いに出す材料はいくらもあります。
Tantalides omnes ipsumque regebat Achillem; 8-45タンタロスの子孫(アガメムノーン)は、アキレウスはもちろんのこと、ギリシア全軍に君臨していました、彼はただ一部の大将、あの方はその大将たちの総大将でした。
tu quoque habes proavum Pelopem Pelopisque parentem;あなたはまたあなたで、先祖にはぺロプスを持ち、さらにその父としてゼウスをお持ちです。正確に数えてごらんなさい、あなたはゼウスの五代目の子孫なのです。
Nec virtute cares. arma invidiosa tulisti;またあなたは武勇にも欠けてはおりません。あなたのお執りになった武器はいまわしいものでしたが(父の復讐のための叔父殺しと母殺し)、しかしそれは父君があなたにゆだねたもの——ほかにどうしょうもなかったのです。
materia vellem fortis meliore fuisses;もっと立派なことであなたの武勇が示されたらよかったのですが。でもあのような事態を生みだしたその動機は、あなたが選んだものではなく、はじめから与えられていたのです。
hanc tamen implesti; juguloque Aegisthus apertoともかくあなたはそれを果たしました、アイギストスは喉を切り開かれて、前に御父君がそうしたように、館を血で染めました。
increpat Aeacides laudemque in crimina vertit; 8-55その賞讃すべき行為をまるで罪業でもあるかのように、アキレウスの子は、あなたを非難します——私が側にいてにらんでもとんとお構いなし。
rumpor et ora mihi pariter cum mente tumescunt私は身も張り裂けんばかり、心も顔も見る見るふくれあがって、おしこめられた怒りの炎がこの胸を焼きこがします。
Hermione coram quisquamne objecit Oresti,ヘルミオネの面前でオレステスの悪ロを誰かが言ったことがあるでしょうか、そしてそれを聞く私には腕の力も、鋭い剣もないのでしょうか。
flere licet certe; flendo diffundimus iram,たしかに泣くことだけはできます、私は泣くことで憤りを押し流すのです、滝のように涙を胸に伝わらせて。
has semper solas habeo semperque profundo;私が持っているのはただこの涙だけ、そしていつもそれを注ぐのです、枯れることを知らないその泉で、両の頬をぐっしょり濡らしながら。
Num generis fato, quod nostros errat in annos, 8-65いったい、先祖を見舞った何かの運命が、私たちの代にまで尾をひいて、私たちタンタロス家の女はいついつまでも、誘拐の憂き目に会わなければならないのでしょうか。
non ego fluminei referam mendacia cycni私は、川にいた白鳥が嘘をついたこと(=鷹に追われていると)を、その白鳥の羽の中にゼウスが隠れていたことを非難つもりはありません。
qua duo porrectus longe freta distinet Isthmos,長くせりだしたイストモスが、海を二つにへだてる所——そこでヒッポダメイアは他国人(ペロプスのこと)の車駕に乗せられてさらわれました。
[Castori Amyclaeo et Amyclaeo Polluciまたスパルタの女(ヘレネ)は、イーダの山麓から海を越えて来た客人にさらわれて、わが身のために、アルゴスの武士(もののふ)たちに武器を執らせました。
vix equidem memini. memini tamen: omnia luctus, 8-75かすかながら、私は今でも覚えいます——すべてが恐れと不安に満ちていました。
flebat avus Phoebeque soror fratresque gemelli,祖父も、叔母ポイベーも、双生児の兄(カストールとポルックス)も泣いていました、またレーダは天上の神々、とりわけ自分の夫にもあたるゼウスに、祈りを捧げました。
ipsa ego non longos etiam tunc scissa capillosそしてこの私は、まだそのころは短かった髪の毛をむしりながら、叫んだものです 「お母様、私を置いて、私を置いて行ってしまうの?」
nam conjunx aberat. ne non Pelopeia credar,(そんなことになったのも)夫が不在だったから!ペロプスの血は争えません、ごらんなさい、私もこうしてネオプトレモス (ピュロスの別名)の餌食にされようとしています。
Pelides utinam vitasset Apollinis arcus(複対)!ああ、ペーレウスの子(アキレウス)がアポローンの弓で殪(たお)されずにすんだなら!父親はさぞかし息子のわがままをこらしめたでしょうに。
nec quondam placuit nec nunc placuisset Achilli 8-85昔そうだったように今でもきっと、アキレウスは、男が妻を奪われて、やもめの身の上を嘆くのを、喜びはしますまい。
quae mea caelestes injuria fecit iniquos(敵の)?いったい私にどんな罪があって、天上の神々の怒りを招いたのでしょう、またどのような不幸な星まわりを、嘆かなければいけないのでしょう。
parva mea sine matre fui; pater arma ferebat;私は幼いころを母なしで過ごしたのです、父はいくさをしていました。二人とも生きているのに、私はみなし児同然でした。
non tibi blanditias(複対) primis, mea mater, in annisお母様!私は生涯の最初の年月、舌もよくまわらない片言であなたに甘えることもできませんでした。
non ego captavi brevibus tua colla lacertis,短い腕であなたの首に抱きついたり、あなたの膝に坐ってやさしい愛撫をうけることもなかったのです。
non cultus(名) tibi cura mei, nec pacta marito 8-95私はあなたから手塩にかけて育てられることもなく、また結婚の約束ができて新しい寝部屋に入ったときも、あなたの世話を受けませんでした。
obvia prodieram(過去完<prodeo) reduci(形) tibi—vera fatebor—あなたが故国に帰られたとき、私はお迎えに行きましたが、——包まずに申し上げれば ——私は自分の母親であるあなたのお顔を知らなかったのです!
te tamen esse Helenen, quod eras pulcherrima, sensi;しかし、あなたがこのうえもなく美しかったので、この女性がヘレネだと、すぐ私にはわかりました——しかしあなたには、ご自分の娘が誰なのか、さっぱり見当もつきませんでしたが!
Pars haec una mihi, conjunx bene cessit Orestes;オレステスを夫に持てたことが、私にとってせめてもの仕合せでした。しかしこの仕合せも、あの方がご自分のために奮闘なさらなければ、奪われてしまいます。
Pyrrhus habet captam reduce et victore parente;勝利を得て帰国した父メネラオスから、ピュロスは私を手に入れた——亡ぼされたトロイが、私にもたらした贈物はこれなのです!
cum tamen altus equis Titan radiantibus instant, 8-105ともかくも、太陽神が天高く神馬を駆る日中は、私の不幸もいくぶんは紛れて慰められます。
nox ubi me thalamis ululantem et acerba gementemけれども夜が訪れて、嘆きの声を挙げながら寝部屋に入り、悲しみの床にうつ伏せば、
pro somno lacrimis oculi funguntur obortis眠りもやらぬ両の目にはただ涙がこみあげるばかり。そしてどんな手段に訴えてでも、まるで敵からのように夫(ピュロス)から私は逃がれようとするのです。
saepe malis stupeo rerumque oblita lociqueときには、不幸のために正気を失い、事態も場所柄もかえりみずに、われ知らずスキュロスの男(ピュロス)のからだに手をかけました。
utque nefas sensi, male corpora tacta relinquoそしてその恐ろしさに気がつくと、危害を加えようとしたそのからだから離れても、私の手は血でけがされてしまったような気がします。
saepe Neoptolemi pro nomine nomen Orestis 8-115ときにはまた、ネオプトレモスの名のかわりに、オレステスの名が私のロから漏れ、そしてその間違いを、私は吉兆かなんぞのように喜ぶのです。
Per genus infelix juro generisque parentem,あわれや私は、私の血統とその血統の親の神——海や、大地や、天界を轟かす御神(ゼウス)にかけて誓います、
per patris ossa tui, patrui mihi, quae tibi debent,また、あなたが勇敢にもみごとに仇を討った父君(アガメムノン)、いまは墓の下に眠りたもうあなたの父君、私には伯父君の遺骨にかけて誓います——
aut ego praemoriar primoque exstinguar in aevo,私は、若い身空を朽ち果てて死んで行かないかぎり、タンタロス家の女として、タンタロス家の殿の妻となりましょう。
【解題]】ギリシア神話中の最大の英雄であるヘラクレスの生やその数多い事蹟についてここに詳述することはできないが、有名な十二の功業その他についてこの書簡でしばしば言及されているものに関してはそれぞれの個所の注を参照されたい。
デイアネイラはアイトリアの都市カリュドンの王オイネウスとアルタイアの娘でメレアグロスの妹にあたる。伝えによれば、ヘラクレスは冥府に降っ際(十二の功業の一)、メレアグロスの魂に会って妹デイアネイラと結婚するように頼まれた。そこで彼は地上に帰って、折から彼女に求愛していた河神アケロオスと争って勝利し、彼女を妻にした。カリュドンで一子ヒュロスをもうけたあと、二人は旅に出たが、途中エウエーノス河を渡るとき、半人半馬(ケンタウロス)のネッソスが渡河の手助けをロ実にデイアネイラを犯そうとした。これを見つけたヘラクレスは水蛇(ヒュドラ)の毒を浸した矢でネッソスを射た。息をひき取るとき、ネッソスは流れ出る自分の血をデイアネイラに示し、これは恋の媚薬である、他日夫が心変わりしたときにこの血を浸した布を彼の身に着(つ)けさせればかならず元の愛を取り戻せよう、と言い残したので彼女はその血の染みた布を大事に保存した。
のちにヘラクレスがエウボイアの都市オイカリアを攻略し、そこの王女イオレーを捕虜として寵愛したとき、デイアネイラは夫の愛を失うまいとしてくだんの布を夫の下着として彼のもとに送った。ヘラクレスがこれを身に着けるとたちまちネッソスの毒血がからだを犯し、苦痛に耐えかねて彼はオイテー(テッサリアとアイトリアの境にある山脈)の山中で、自ら火葬壇に登って焚死した。この報せを受けたデイアネイラも絶望して死ぬ。この説話はソボクレースの『トラキスの女たち』の主題となっており、作者もこの悲劇作品を念頭においていることは言うまでもない。
私たちの栄誉の中に、また一つオイカリア(エウボイアの町)が加えられたことを祝福します、しかし征服者たるあなたが、征服された者の前に屈したことは恨みのたね。
fama Pelasgiadas subito pervenit in urbesほんとうの事とはとうてい思えないいかがわしい噂が、たちまちのうちに、ギリシアの町々に拡がりました。
quem numquam Juno seriesque immensa laborum 9-5ユーノー(の怒り)にもまた数知れぬ難業苦業にも、ついぞ挫けなかったその人を、イオレーが鞭につないだ、という噂です。
hoc velit Eurystheus, velit hoc germana Tonantis,エウリュステウス (ミュケーナイの王、ユーノーの命を受けてヘラクレスに十二の難業を課した)もさぞかしこれを喜ぶでしょう、雷の神(ゼウス)の妹神、あなたには継母にあたるお方(ユーノー)も、あなたの生涯のこの汚点を、手を打って喜ぶでしょう。
at non ille velit, cui nox (si creditur) unaしかしあの方、あなたほどの人物を身ごもらせるのに、とても一夜では間に合わなかったといいますが、その方はけっして喜ばれますまい。
Plus tibi quam Juno nocuit Venus: illa premendoユーノーよりも愛神のほうが、あなたには大きな災いとなりました、あちらは迫害によってあなたを高めたのに、こちらは低くその足で、あなたの首を抑えています。
respice vindicibus pacatum viribus orbem,御覧なさい、緑のネーレウス(海神)が広い陸地を取り囲んでいるこの世界は、あなたの恵み深い力によって平定されました。
se tibi pax terrae, tibi se tuta aequora debent; 9-15地上の平和も、安全な海も、みなあなたのおかげです。あなたの功績は遠く東と西の涯の国にまで及びました。
quod te laturum est, caelum prius ipse tulisti:いずれはあなたを担うことになる天穹(てんきゅう)を、それより先にあなたがご自分で担われました、アトラース(天空を支える巨人)のかわりにヘラクレースの背に支えられて、夜空の星々がきらめきましたが。
quid nisi notitia(悪名) est misero quaesita pudori,もしこれまでの功績を、こんな醜態でしめくくるのなら、いったい、みじめな恥による悪名以外に何を求めたのでしょうか。
tene ferunt geminos pressisse tenaciter angues,ほんとうにあなたは、人の噂のとおり、揺籠にいる子供のころから、すでにゼウスの子たるにふさわしく、二匹の蛇をしめ殺したのですか。
coepisti melius quam desinis; ultima primis始めのほうが終わりよりもましでしたね、竜頭蛇尾とでも申しましょうか、大人になった今のあなたと、子供のころのあなたとは少しも似てい ません。
quem non mille ferae, quem non Stheneleius hostis, 9-25千の野獣も、宿敵ステネロスの子(エウリュステウス)も、またユーノーも降参させることのできなかったその人を、愛が降参させてしまいました。
At bene nupta feror, quia nominer Herculis uxor,ともかく私はよい縁に恵まれた、と人も言います—— ヘラクレスの妻と呼ばれ、また舅には、天上高く悍馬駆り雷電を放ちたもう御神(ゼウス)を持っているからと。
quam male inaequales veniunt ad aratra juvenci,しかし、不釣合いな牛同士を一つの鋤につなごうとしても、うまくいかないのと同じで、あまり夫が偉すぎると劣った妻は圧迫を受けるだけ。
non honor est sed onus(対) species(主 見せかけ) laesura ferentes(担う人):名誉といってもただ見てくれのよいうわべだけで、そのような重荷を担う人をかえって苦しめるのです。仕合せな結婚を願うなら、釣合いのとれた夫を持たなくてはいけません。
vir mihi semper abest, et conjuge notior hospes私の場合、夫はいつも不在です、そして妻のある男としてよりも、むしろ諸国を旅する客人としてのほうが有名で、怪物やおそろしい獣どものあとを追いかけてばかりいるのです。
ipsa domo vidua votis operata pudicis 9-35そして私は館でただひとり後家暮らし、どうか夫が恐ろしい敵にたおされませぬようにと、貞節な祈願にあけくれているのです。
inter serpentes aprosque avidosque leones大蛇や、野猪や、貪婪な獅子や、また、三つの口で襲いかかろうとする犬(地獄の番犬ケルベロス)などの幻が、目の前にちらつきます。
me pecudum fibrae simulacraque inania somniいけにえにされた獣の臓腑が夢の幻に現われたり、その他もろもろの、真夜中の夢のお告げが私の心をゆさぶります。
覚つかない噂話の囁きに吉兆をうらない、あるときは、はかない望みで不安をぬぐい、あるときは、不安のために望みを絶つのです。
mater abest queriturque deo placuisse potenti,母君(アルクメーネー)はお留守です——大神 (ゼウス)の寵愛を得たことをいつも嘆いておられますが。また父君アンピトリュオーンも息子ヒュロスもここにはおりません。
arbiter Eurystheus astu(策略) Junonis iniquae 9-45ユーノーの不当な怒りの代理人たるエウリュステウス、そしてまたいつまでも続く女神の怒り、それが私には骨身にこたえます。
Haec mihi ferre parum; peregrinos addis amores,これを耐えるだけでも並みたいていのことではありません。それなのに、あなたは他国の女との浮気沙汰まで加えるのです、手当たりしだいの女に子供を生ませて平気だというのです。
non ego Partheniis temeratam vallibus Augen私は別に、パルテニオン(アルカディアの山)の谷間で手籠めにされたアウゲー(テゲアの王アレオスの娘)や、オルメニオスの娘(アステュダメイア)のお産のことを、言うつもりはありません。
non tibi crimen erunt, Teuthrantia turba, sorores,またテスピオスの(五十人の)娘たち——あれだけの人数の中であなたから除け者にされた女はひとりもおりませんでしたが——そのことであなたを非難しようとも思いません。
una, recens crimen, referetur adultera nobis,ここではただ、ごく最近の御乱行——あのオムパレー(リュディアの女王)のことを申しましょう、おかげで、私は遠いリュディアのラモス(オムパレーとヘラクレスとの子)の継母にされてしまったわけですが。
Maeandros, totiens qui terris errat in isdem, 9-55同じ土地で何度も流れの向きを変え、疲れた水をしばしば逆さまにするあのマイアンドロス(小亜のリュディアとカリア間を流れる河)が
vidit in Herculeo suspensa monilia(首飾り) collo,天穹さえも軽々と支えたあのヘラクレスの頸に、宝石の首飾りがぶらさがっているのを見たのです。
non puduit fortes auro cohibere lacertos頑丈な腕に黄金を巻きつけ、固い筋肉に宝石を飾ったりして、恥ずかしいとも思わなかったのですか。
nempe sub his animam(目) pestis Nemeaea(主) lacertisまったく、その腕がかつて、ネメアの禍いであるあの獅子をひねり殺して、その皮は今でもあなたの左の肩掛けになっているのです!
ausus es hirsutos(もじゃもじゃ) mitra(奪) redimire capillos!また臆面もなく、蓬髪(ほうはつ)にターバンを巻きました!白楊樹の葉枝のほうがヘラクレスの髪にはよく似合うのに。
nec te Maeonia lascivae more puellae 9-65またあなたは、はすっぱ女のように、マイオニアの帯を腰に巻いたりして、その不様な恰好を恥じなかっ たのですか。
non tibi succurrit crudi Diomedis imago,人間の肉で馬を養ったあの残忍なディオメーデース(トラキアの王)の姿を、あなたは思い浮かべなかったのですか。
si te vidisset cultu Busiris in isto,もしブーシーリスがそんな恰好をしているあなたを見たら、勝利者のあなたを敗者の彼が、恥じるでしょう。
detrahat Antaeus duro redimicula collo,またアンタイオス(リュビアに住む巨人、ヘラクレスに相撲をいどみ、敗れて殺された)は、あなたの太い頸から首飾りをもぎとって、こんな女々しい男に負かされた無念を晴らすでしょう。
Inter Ioniacas calathum(かご) tenuisse puellas聞くところによると、あなたはイオニアの女たちにまじって、女主人(オムパレー)の笞にびくびくしながら、毛糸の籠を持ったとか。
non fugis, Alcide, victricem mille laborum 9-75あなたは、ヘラクレスよ、千の難業を克服したあなたの手を、ぴかぴかした毛糸籠に入れても平気なのですか、
crassaque robusto deducis(紡ぐ) pollice(親指) filaそして頑丈な親指で粗い毛糸をつむぎ出し、美しい女主人に言いつけられた仕事を、忠実に果たしたのですか。
a! quotiens, digitis dum torques stamina duris,ああ、不器用な指で糸をよじるたびに、力あまったあなたの手は何度紡錘(つむ)をこわしたことでしょう!
[Crederis infelix scuticae tremefactis habenis女主人の足もとに… [二行半テクストが径しい]
[eximiis pompis, immania semina laudim]そしてあなたは、いっそ隠していればよいものを、自分の手柄話に花を咲かせるのです——
scilicet immanes elisis faucibus hydros 9-85喉をしめられて、幼いあなたの手のまわりに尾を巻きつけた巨大な蛇のこと、
ut Tegeaeus aper cupressifero Erymanthoテゲアの猪が糸杉しげるエリュマントスに住みついて、巨大なからだで土地を荒らしていたこと。
non tibi Threiciis adfixa penatibus ora,トラキアの王(ディオメーデース)の館に掛けられた頭骸骨や、人間の生肉で肥やされた雌馬の話もはぶかれません。
prodigiumque triplex, armenti dives Hiberiイベリアの雄牛に富むゲーリュオネース——三頭一身のあの怪物の話、
inque canes totidem trunco digestus ab unoまた同じく一つの胴から三つの首が岐(わか)れていて、髪の毛には恐ろしい蝮をはやしているケルベロスの話、
quaeque redundabat fecundo vulnere serpens 9-95あなたに切られるごとに新しい首の数がふえて、ほかならぬ損失を富に転ずるあの(レルネーの)水蛇の話、
quique inter laevumque latus laevumque lacertumあなたの左の脇と左の腕の間に、喉をしめつけられて、巨体の重みを沈ませたあの(ネメアの獅子の)話、
et male confisum pedibus formaque bimembriまた、テッサリアの尾根伝いをあなたに追われて、おのれの脚に自信を失った半人半馬のケンタウロス……。
Haec tu Sidonio potes insignitus amictuよくもあなたはこんな話を、テュロス染めの(紫色の)衣裳を着けながら話すことができましたね、そんなおめかしをしてよくも舌が回りましたね。
se quoque nympha tuis ornavit Iardanis armisしかも、イアルダースの娘(オムパレー)のほうはあなたの武具で自分を装い、捕われ人(ヘラクレス)の名高い勝利品を自分の手に納めてしまったのです。
i nunc, tolle animos et fortia gesta recense(列挙せよ): 9-105さあ、大いに元気を出して、勇ましい武勲談を繰り返しなさい。男である権利はもう彼女のほうに移ってしまったのです。
qua tanto minor es, quanto te, maxime rerum,あなたがどんなに偉かろうと、どんなに大勢の人を征服しようと、そのあなたを彼女が征服したからには、あなたは彼女より劣るわけ。
illi procedit rerum mensura tuarum,あなたの功績を計る尺度は、彼女に譲られました、さあ財産を明け渡しなさい、あなたの賞賛の相続人は彼女です。
o pudor! hirsuti costis exuta leonis恥ずかしや!乱れ髪の獅子の腹からはいだ毛皮が、柔らかい女人の胴を覆っています——
falleris et nescis: non sunt spolia illa leonis,あなたは感違いしていらっしゃる——それは獅子の分捕り品ではなくて、あなたからの分捕り品、あなたは獣の、彼女はあなたの勝利者なのです。
femina tela tulit Lernaeis atra venenis, 9-115毛糸を巻いた紡錘(つむ)の重みにも、耐えかねるほどの女人が、レルナ(の水蛇)の毒で真黒に染められた矢を背負い、
instruxitque manum clava domitrice ferarumそして手には野獣どもの征服者たるあなたの梶棒をたずさえて、恋人の武具で装ったおのれの姿を、鏡に映して眺めたのです!
Haec tamen audieram; licuit non credere famae,しかし、こうしたことは人の話に聞いただけ、噂話など信用しなくてもかまいません、それに苦痛といっても、ただ耳を通して、軽く心に触れるだけです。
ante meos oculos adducitur advena paelex,ところが今度は、私の目の前へ他国の情婦(おんな)(イオレー)が連れられて来ました、こんな災難を、見て見ぬふりはできません。
non sinis averti: mediam captiva per urbem顔をそむけることも許されないのです。捕われ女が町のまん中を堂々とやって来ては、いやでも目に入ります。
nec venit incultis captarum more capillis: 9-125しかも捕われの女らしく髪を振り乱し、不幸な運命を物語る悲しい顔つきでやって来るならまだしも、
ingreditur late lato spectabilis auro,からだに一面の黄金を飾り、——ちょうどあなたがプリュギアでそんな身なりをしていたように——大手を振って進んで来ます。
dat vultum populo sublimis ut Hercule victo: 9-130あたかもヘラクレスを征服したかのように、得々としてあたりを見おろすその様子は、まるでオイカリアや彼女の父が今なお健在かと思われるばかり。
forsitan et pulsa Aetolide Deianiraきっと彼女はアイトーリスからデイアネイラを追い出して、妾(めかけ)という名を捨てて、正妻の座におさまろうというつもりなのでしょう。
Eurytidosque Ioles atque Aonii Alcidae(属)そして、エウリュトスの娘イオレーとアーオニアの勇士ヘラクレスとが、悪名高い結婚の神のとりもちで恥知らずな縁を結ぶことでしょう。
mens fugit admonitu, frigusque perambulat artus, 9-135考えただけでも気が遠くなって、からだじゅうに寒気が走り、両の手も膝の上でしびれてしまいます。
Me quoque cum multis, sed me sine crimine amasti;あなたは大勢の女たちの中でもこの私だけは、けがれのない愛情で愛してくれました。私が原因(もと)で二度の戦いをなさったことを、あなたも後悔はなさりますまい。
cornua flens legit ripis Achelous in udis河神アケローオス(デイアネイラをヘラクレスと争った)は、泣きながら落ちた角を濡れた堤の上に拾い集め、傷ついた額を泥にまみれた水の中へ沈めました。
semivir occubuit in letifero Euenoまた、半人半馬のネッソスは、蓮の生えたエウエーノスの河に沈み、毒の血で流れの水を染めました。
sed quid ego haec refero? scribenti nuntia venitだが私はなぜこんなことをのんきに話しているのでしょう。手紙を書いているところへ、風の便りが舞い込みました——私が送った衣の毒で、夫が死にかかっていると!
ei mihi! quid feci? quo me furor egit amantem? 9-145ああ、私はなんということをしでかしたのか、恋しさのあまりとはいえ、なんという狂気の沙汰か!よこしまなデイアネイラよ、お前はなぜ死ぬことをためらうのか。
An tuus in media conjunx lacerabitur(引き裂く) Oeta,オイテーの山中でお前の夫が死に瀕しているのに、これほどの大罪の張本人であるお前は、生き残ろうというのですか。
siquid adhuc habeo facti, cur Herculis uxorもし今なお私がヘラクレスの妻にふさわしい行ないを何かしなければならないならば、今こそ私の死が、二人の愛のかたみとなりますよう!
tu quoque cognosces in me, Meleagre, sororem!兄君メレアグロスよ、あなたもきっと私の中にご自分のほんとうの妹をお認めになりましょう!よこしまなデイアネイラよ、お前はなぜ死ぬことをためらうのか。
Heu devota domus! solio(玉座) sedet Agrios alto;ああ、呪われたわが館よ!アグリオス(オイネウスの弟)は誇らしげに王座に坐り、父オイネウスはすべてを奪われ、みじめな老齢にしいたげられています。
exulat ignotis Tydeus germanus in oris; 9-155兄テューデウスは見知らぬ浜に追放の身をかこち、もうひとりの兄(メレアグロス)は、おのれの寿命を運命の焔に縛られているのです。
exegit ferrum sua per praecordia mater.また母(アルタイアー)はわれとわが胸を鋭い刃(やいば)で刺しました。よこしまなデイアネイラよ、お前はなせ死ぬことをためらうのか。
Deprecor hoc unum per jura sacerrima lecti,私たちの結婚の神聖な絆にかけて、ただ一つだけお願いします——私があなたの死を企んだとはゆめゆめ思われませぬよう。
Nessus, ut est avidum percussus harundine pectus,ネッソスが欲情に飢えた胸を矢に射たれたとき、私にこう告げたのです ——「わしのこの血は愛に対して効験がある。」
illita Nesseo misi tibi texta veneno.そのネッソスの毒の血で染められた衣を私はあなたのもとへ送りました。よこしまなデイアネイラよ、お前はなぜ死ぬことをためらうのか。
Jamque vale, seniorque pater germanaque Gorge 9-165もうお別れです、年老いた父上よ、妹ゴルゲーよ、生まれ故郷よ、故郷を追われた兄上よ。
et tu lux oculis hodierna novissima nostrisまたこの目にはこれが見納めの今日の光よ、そして夫よ——もしながらえることができますれば!——また愛し児ヒュロスよ、さようなら!
【解題】アリアドネーはクレタ王ミーノースの娘。半人半牛の怪物ミーノタウロスを退治に島へ赴いたアッティカの英雄テセウスに深い思いを寄せ、怪物をたずねて迷宮(ラビリュントス)にはいるテセウスに案内代りの糸玉を与える。勝利を得たテセウスは彼女を連れて島を脱け出したが、途中、ナクソスの島に彼女を捨てて去った。いわゆる「アリアドネーの嘆き」は古来美術や詩歌の好題材である。ティティアン描く「ナクソスのアリアドネー」もこの詩にヒントを得たもの。
どんな獣でもあなたよりは慈悲深いと知りました。ほかに誰を信じていようと、これ程ひどい目には会いますまいに。
この便りは、テセウスよ、あの浜辺からあなたに宛てるもの、船が私を残してあなただけを運んで行ってしまったあの浜辺——
in quo me somnusque meus male prodidit et tu, 10-5ここで眠りと、そしてあなたが私を無残に裏切りました。あなたは私が眠っている間にひどいいことを企みました。
Tempus erat, vitrea quo primum terra pruina(霜)ようやく大地がきらきらしい霜を敷きつめ、葉群(はむれ)に隠れる鳥たちが喞言(かこちごと)を始める頃おい。
incertum vigilans ac somno languida movi(完)まだしかとも覚めやらず、寝つかれたからだを横臥せのまま手を延ばして、テセウスをとらえようとしました——
nullus erat. referoque manus iterumque retemptoが誰もいない!手を引っ込めてはまたのばす、床の隅々まで腕を動かす——が誰もいない!
excussere(完複) metus somnum; conterrita surgo恐怖が眠りを吹き飛ばし、仰天してたち上がる。見捨てられた臥床から、まっさかさまに身を投げ出して。
protinus adductis sonuerunt pectora palmis 10-15たちまち胸は、掌にうたれて鳴りました。寝乱れの髪もそのままむしられました。
Luna fuit; specto siquid nisi litora cernam;月がありました、浜のほかになんぞ見えはすまいかと、うち眺めても、眼に映るのは、ただ荒磯の景色ばかり。
nunc huc, nunc illuc et utroque sine ordine, curro,ここやかしことあてどもなく駆けて廻れば、乙女の足は、深い砂にはばまれます。
interea toto clamanti litore "Theseu!"その間も浜の限りを、「テセウス!」と呼ばわれば、がらんとした巌々が、あなたの名を送り返すだけ。
et quotiens ego te, totiens locus ipse vocabat;私があなたを呼ぶごとに浜もあなたを呼ぶのです。哀れな私に、浜も力を貸したげでした。
Mons fuit; apparent frutices in vertice rari; 10-25とある山頂にまばらな茂みが見える、そこから絶壁がさしかかって、ざわめき寄せる海の波に喰い入っています。
ascendo; vires animus dabat; atque ita late私は登りました——一生懸命ですから——そうして眼路も遥かに海原を望み見ました。
inde ego—nam ventis quoque sum crudelibus usa—そこから私は——なんと風さえ無情なこと——疾(はやて)の南風に満々と帆が張られているのを見たのです。
ut vidi haut dignam quae me vidisse putarem;とうてい見ようはずもない光景を見た時、からだは氷よりも冷たくなり、気も半ば失せました。
nec languere diu patitur dolor. excitor illo,呆然と立ちつくすのは、悲しみが許しません。悲しみに励まされ、奮いたたされて、声を限りにテセウスを呼ぶのです。
"quo fugis?" exclamo "scelerate revertere Theseu! 10-35「どこへ逃げるの?意地悪なテセウス、お帰りなさい!舟を返しなさい、仲間が一人足りませんわ!」
Haec ego. quod voci deerat, plangore replebam;私はこう叫びしたが、声では足りないところを、胸を撃って補いました。鞭うつ音と言葉とをまじえながらに。
si non audires, ut saltem cernere posses,あなたの耳に聴こえなければ、私はせめて眼に見えるように、いっぱいに手をのばして合図しました。
candidaque imposui longae velamina virgaeまた真っ白な着物を高い枝にかかげました。忘れた心もこれを見てこの私を思い出すように!
jamque oculis ereptus eras. tum denique flevi;でもあなたはもう視界から奪われて、とうとう私も泣けて来ました、それまでは悲しみのために、やわらかな瞳も無感覚になっていたのに。
quid potius facerent, quam me mea lumina flerent, 10-45あなたの舟をもう見ることができなくなっては、私の眼も、泣くよりほかに、何する術がありましょう。
aut ego diffusis erravi sola capillis,オーギュゲスの神(バッコス)に憑かれた巫女(バッカ)のように、髪ふり乱してひとりさまよい、
aut mare prospiciens in saxo frigida sedi,あるいは海を見やりながら、冷たく岩に坐る、まるで自分が、下の石と同じ石になったみたいに。
saepe torum repeto qui nos acceperat ambos,時に臥床に戻っても、前には二人を迎えたのに、もはやそこに、二人が揃うはずもない。
et tua quae possum pro te vestigia tangoそれでせめてあなたの代りに、床の寝跡に触れるのです、あなたのからだで温もった寝具にも。
incumbo lacrimisque toro manante profusis 10-55うつ伏せば、しとどの涙で床も濡れる、私は叫ぶのです 「ふたりでここに臥したのを、ふたりにして返してよ!
"venimus huc ambo; cur non discedimus ambo?「ふたりでここに来たものを、ふたりいっしょになぜ出て行かないの、どこにいるの、私の大事な人は!——おお不実な臥床!」
Quid faciam? quo sola ferar? vacat insula cultu;どうしよう、ひとりでどこへ行こう、こんな荒れ果てた離れ小島で。人の気配も、牛の姿も見えはしない。
omne latus terrae cingit mare; navita nusquam.陸地は一面の海に囲まれ、舟人もなく、漠とした海路を渡る舟もない。
finge dari comitesque mihi ventosque ratemque,かりに船や風、また舵取りが見つかっても、私の行く先はどこにある?私はもう生まれ故国には帰られない。
ut rate felici pacata per aequora labar, 10-65鎮まった海原を、舟で幸い渡れても神がよろずの風をなだめても、やはり私は流竄(るざん)の身の上!
non ego te, Crete, centum digesta per urbes,もう私はクレタを、百の都もつクレタを見ることはあるまい、ゼウス神の生誕を誇るその国を。
at pater et tellus justo regnata parentiともあれ父が、義(ただ)しい父の治める国が——その大切なものが、私の所業で裏切られたのです——
cum tibi, ne victor tecto morerere recurvo,勝利はしても、曲りくねった奥殿(ラビュリントス)で相果てぬよう、出道をたどる導き役に、糸をあなたに手渡した、
tum mihi dicebas: "per ego ipsa pericula juroあの時には、あなたも言いました——「ほかならぬこの危険にかけて誓う、共に生きてある限り、君は私のものだ」
Vivimus, et non sum, Theseu, tua, —si modo vivit, 10-75二人とも生きている、それなのに私は、テセウス、あなたのものではありません——かりにも女が、不実な男の裏切りで葬られても、なお生きているといえるなら。
me quoque, qua fratrem mactasses(殺す), improbe, clava(棍棒)!この私をも、兄(ミーノタウロス)を殺したそのこん棒で、殺してしまえばよかったのです。そうすれば、不実な人よ、あなたのあの誓いも、私の死で解消されたものを。
nunc ego non tantum, quae sum passura, recordor,今私がとくと思案するのはただゆく末のことだけでなく、ともかくおよそ置き去られた女が受けるとかくの運命。
occurrunt animo pereundi mille figurae,次々と心に浮かぶ、百千の破減の姿——死ぬことが、死を延ばすより、責め苦は少ない。
jam jam venturos aut hac aut suspicor illac,はやくも見える、ここにまたかしこに、襲いかかる狼の群れ——貪婪な牙で、臓腑をばひき裂こうとして。
forsitan et fulvos tellus alat ista leones? 10-85赤毛の獅子も、この土地に住んでいるやも知れぬ。凶暴な虎も、あるいは島にいるでしょう。
et freta dicuntur magnas expellere phocas(アザラシ);また波間には大きな海豹(あざらし)が跳り出るという!鋭いやいばをこの脇腹につき刺しても、何が禁(と)めましょう。
Tantum ne religer dura captiva catena,ただ、苛酷な枷(かせ)に、虜(とら)われの身となるのはまっぴら。隷従の手に苦役を強いられるのだけはいやです。
cui pater est Minos, cui mater filia Phoebi,私の父はミーノース王、私の母はポイボス神の娘、それに——もっとよく覚えていますが——私はあなたの許嫁(いいなずけ)でした。
si mare, si terras porrectaque litora vidi,海や陸また長浜を見渡せば、海にも港にも、あまた恐ろしい危険ばかり。
caelum restabat; timeo simulacra deorum; 10-95残った天空——だが神々の御姿が恐ろしい。猛獣たちのほしいままな餌食となるほか、道はない。
sive colunt habitantque viri, diffidimus illis;たとえ男たちがここに住みなしていても、私はもう信じません——他国の男の恐ろしさを、身に傷ついて知ったから。
Viveret Androgeos utinam, nec facta luissesああ、アンドロゲオース(ミーノスの子、アテナイで死)が死なずにいてくれたら!またあの不祥事を償うために、ケクロープスの国(アテナイ)が人身御供などせずに済んだら!
nec tua mactasset nodoso stipite, Theseu,またテセウス、あなたも節くれだった棍棒を手に振り上げて、半ばは人、半ばは牛の怪物を屠(ほふ)らずに済んだなら!
nec tibi, quae reditus monstrarent, fila dedissem,また私も、出口をば教える糸を、あなたに与えなかったら。何度もとらえて手にたぐられたあの糸を!
non equidem miror, si stat victoria tecum 10-105あなたが勝利を占めて、径物は倒れ、クレタの地を轟(とどろ)かせましたが、それも驚くには足りません。
non poterant figi praecordia ferrea cornu;鉄の心はとうてい角では突き刺せませんもの。楯はなくても、あなたの胸は安全でした。
illic tu silices, illic adamanta tulisti,燧石(ひうちいし)でも、金剛石でも、あなたの胸なら平気です。『テセウス』という燧石にも負けないものが、そこにあるから!
Crudeles somni, quid me tenuistis inertem?ああ、他愛もなく私をとりこめた——無慈悲な眠り! いっそその場限りに、永遠の夜闇に押しこめられてしまったら。
vos quoque crudeles venti, nimiumque paratiまた風も無慈悲なことよ、待っていたと言わんばかりに!また風の息吹きも、いたずらに私の涙を煽る。
dextera crudelis, quae me fratremque necavit, 10-115私も兄も殺したあの無慈悲な右手、また望む私にあなたが与えた、ただ空名のあの誓い——
in me jurarunt somnus ventusque fidesque:私に謀叛(むほん)を企てたのは、眠りと風とあの誓い——三つ揃って女ひとりを裏切りました。
Ergo ego nec lacrimas matris moritura videboされば私は、死んで行くのに、母の涙を見られまい。私のまぶたを指で閉ざしてくれる人もいまい。
spiritus infelix peregrinas ibit in aurasあわれ魂魄(こんぱく)は、行くえ定めぬ風に運ばれ、友の手が、遺骸を安置して香膏(こうこう)を注ぎもすまい。
ossa superstabunt volucres inhumata marinae;骨は埋められず、海鳥にさらされよう。果たしてこれが、私の手柄にふさわしい葬儀でしょうか。
ibis Cecropios portus patriaque receptus, 10-125やがてあなたは故国ケクロープスの港に迎えられ、誇らしげに群集の前に立たれるでしょう。
et bene narraris letum taurique viriqueそしてあっぱれ、半人半牛の怪物退治や、迷路を通わす巌の館を、物語るでしょう。
me quoque narrato sola tellure relictam;ぜひ私のことも——孤島に置き去られた私のことも、話して下さい!あなたの手柄話から私をつまみ出す法はありませんもの。
nec pater est Aegeus, nec tu Pittheidos Aethraeあなたのお父様はアイゲウスではありません、またあなたは、ピッテウスの娘アイトラーの息子でもない。あなたを産んだのは、巌と荒海!
Di facerent ut me summa de puppe videres,ああ、せめて、船の軸先からをごらんになったら、痛ましい私の姿が、あなたの心を動かしたでしょうに!
nunc quoque non oculis, sed qua potes, aspice mente 10-135そして今も、眼でだめなら、せめて心で眺めて下さい。波うち寄せる絶壁にしがみついているこの私を。
aspice demissos lugentis more capillos死者を悼む人のように、解けて乱れたこの髪や、涙の雨で重くなったこの服をごらんなさい。
corpus ut impulsae segetes aquilonibus horretからだは、北風にうたれる立ち穂のように慄えて、綴る字も、手のおののきに怪しく揺れるのです。
non te per meritum, quoniam male cessit, adoro;こうしてあなたにお願いするのは、私の功績(てがら)のためではありません。それはあたらと無に帰しました——私のしたことにお礼は要りません。
sed ne poena quidem. si non ego causa salutis,でも、罰はひどい!かりに私があなたのいのちの恩人でないとしても、あなたが私を殺すそんないわれ はありません。
Has tibi plangendo lugubria pectora lassas 10-145いたましい胸をたたいて疲れたこの手を、あわれ私は、海原遥かに差しのべます。
hos tibi qui superant ostendo maesta capillos;とり残されたこの髪を、嘆きながらに示します!あなたゆえに流された、その涙にかけて、お願いです——
flecte ratem, Theseu, versoque relabere velo;船を返し給え、テセウス、帆の向き変えて帰り給え!もしその前に死んでいたら、せめて骨をたずさえ給えや。
【解題】この書簡で扱われている説話はギリシア神話の中ではあまり有名なものではない。作者はおそらく、エウリピデースの失われた作品『アイオロス』——ナウク『ギリシア悲劇断片集』291ページ以下——を粉本としたものと思われる。
カナケーは風の王アイオロス(『オデュッセイア』に登場する)とエナレテーの娘。彼女は自分の兄マカレウスと道ならぬ恋に陥ち、子供まで生んだが、そのことが父に発覚して、父は激怒し、子供を野に棄てさせ、彼女には剣を渡して自害を命じた。
もし私の書いた手紙がお目に触れないままで、行方知らずになるようなことがあるとすれば、それはほかならぬ書き手の流した血で、この巻き紙が浸されてしまうからでしょう。
dextra tenet calamum, strictum tenet altera ferrum私は今、右手にペンを、左手に剣を握り、そして膝の上に紙を拡げています。
haec est Aeolidos fratri scribentis imago; 11-5こんな姿で、私アイオロスの娘は、兄上に手紙をしたためているのです、こうすれば、どうやら、残酷な父もお気に召すことでしょう。
Ipse necis cuperem nostrae spectator adessetそれよりも父がみずからこの場に居合せて、私の最期を見届けてくれたらと思います、本人の目の前で、私は自害を遂げたいのです。
ut ferus est multoque suis truculentior euris(東風),自分の眷族(けんぞく)である東風(エウロス)よりも、ずっと猛々しくて、情け知らずの父のこと、涙ひとつこぼさずに私の傷を眺めるでしょう。
scilicet est aliquid cum saevis vivere ventis;たしかに、荒々しい風どもと暮らすことは何ほどかのことはあるもの、あの方には自分の家来どもの気性が、そのまま乗り移ってしまったのです。
ille Noto Zephyroque et Sithonio(トラキアの) Aquiloni南風(ノトス)や、西風(ゼピュロス)や、トラキアに住む北風(アクイロー)や、また気紛れな東風(エウロス)を、あの方は支配しています。
imperat heu! ventis; tumidae non imperat irae 11-15なるほど、風どもを支配はしても、自分のふくれあがった怒りを支配することはできません、彼の不徳にくらべれば、あの方の治めている領土などちっぽけなもの。
quid juvat admotam per avorum nomina caelo父祖たちの名を天に向かって呼ばわっても、またその中に、ゼウスの御名を挙げえても、なんの役に立ちましょうか。
num minus infestum(危険な), funebria munera, ferrum女人の手には持つまじき武器——死の門出の贈物であるこの剣が、それで危険性を鈍らせるとでもいうのでしょうか。
O utinam, Macareu, quae nos commisit in unum,ああ、マカレウスよ、いっそあのときが——私たち二人を一つの絆(きずな)に結び合わせたあの時が——私の死後のことだったら!
cur umquam plus me, frater, quam frater amastiいったいなんの因果で、あなたは兄なのに兄以上の愛を私にそそぎ、また私も、あなたに対して妹としてはあるまじい仲となったのでしょうか。
ipsa quoque incalui, qualemque audire solebam, 11-25私も熱い思いに燃えました、よく話には聞いていましたが、しかとは知らぬある神(アモル)を、私の熱い胸で感知しました。
fugerat ore color, macies adduxerat artus,顔の色つやは失せ、からだはみるみるやせました、ほんのわずかの食べ物を、無理やりに口に入れたにすぎません。
安らかな眠りもかなわず、一夜はまるで一年の長さ、そして、どこが苦しいというのでもないのに、嘆息ばかり洩れるのです。
nec cur haec facerem, poteram mihi reddere causamどうしてこんなことになったのか、自分でも見当がつきません、愛するとはどんなことなのか、わきまえてもいなかったのです。しかしそれがほかならぬ愛でした。
Prima malum nutrix animo praesensit anili;最初に乳母が、私の悩みを年寄りの察しのよさで、感づきました、私にはじしめてこう言ったのは、乳母でした 「お姫様、恋をしていらっしゃいますね」
erubui gremioque pudor dejecit ocellos; 11-35私は思わず顔を赤らめて恥ずかしさに目を膝へ伏せまた。無言のうちにも、これが十分、白状の合図となりました。
jamque tumescebant vitiati pondera ventrisとかくするうち、はやくもお胎(なか)には、道ならぬ恋の実りがふくらんで、病みおとろえた私のからだは、秘密の重荷を担うことになりました。
quas mihi non herbas, quae non medicamina nutrixおよそ考えうるあらゆる草や療薬を持って来て、乳母は手荒な療治を試み、
ut penitus nostris—hoc te celavimus unum—お胎の中で大きくなる子供を、根こそぎにしてしまおうとつとめました——このことだけはあなたに隠しておりましたが——。
a! nimium vivax admotis restitit infansけれども、幼な子の命はあまりにもたくましく、どのような荒療治にも抵抗し、無事に見えない敵の手をまぬがれました!
jam noviens erat orta soror pulcherrima Phoebi 11-45太陽神のいとうるわしい妹(月神)が、はやくも九度の巡行を終え、やがて十月目の月が、光を運ぶ神馬をば夜空に駆るころ、
nescia, quae faceret subitos mihi causa dolores,突然に私を襲った苦しみ——その原因を私は理解できませんでした、初陣(ういじん)の兵士同様、私ははじめての産みの床についたのです。
nec tenui vocem. "quid" ait "tua crimina prodis?"うめき声を抑えることもできません、「なぜ(声を立てて)ご自分の罪をあばかれますか」と、腹心の老女は、叫びを挙げる私の口を塞ぎます。
quid faciam infelix? gemitus dolor edere cogit,私はかわいそうに、どうしたらいいのですか、苦痛が私にうめくことを強いるのに、恐れと恥と、私の乳母がそれをとめるのです。
contineo gemitus elapsaque verba reprendo私はうぬき声を押し殺し、洩れようとする言葉を押し返し、仕方なしに、自分の涙を呑むばかり。
mors erat ante oculos et opem Lucina negabat 11-55死が目の前に迫っていました、産神(ルキーナ)にも見放されたのです——もし死ねば、死もまた重い罪となったでしょう——
cum super incumbens scissa tunicaque comaqueそのときあなたは私の上にかがみこみ、着物も髪もひきむしり、あなたの胸を私の胸に当てて暖めてくれました。
et mihi "vive, soror, soror o carissima," aistiそして私に言いました——「妹よ、おお最愛の妹よ、どうか死なないでくれ、ひとつのからだで二人の命を滅ぼさないでくれ!
"spes bona det vires; fratri nam nupta futura es.「あかるい希望で、生きる力を取り戻すよう、だってお前はこの兄の花嫁になるのだから、お前を母親にしたこの私の妻になるのだから。」
Mortua, crede mihi, tamen ad tua verba revixi私はいったんは死んだはずでしたのに、あなたの言葉で、また生きかえりました、そして過ちを犯してできたお胎の子も産まれました。
quid tibi grataris? media sedet Aeolus aula; 11-65しかし喜んでもおれません。屋敷の広間のまん中には父アイオロスが構えています、父の目から、この過ちを隠さなくてはなりません。
frondibus infantem ramisque albentis olivae老女は一生懸命、白いオリーヴの葉枝と細い飾り紐で、子供を隠しました、
fictaque sacra facit dicitque precantia verba;神様への献げ物に見せかけて、お祈りの言葉を唱えると、召使たちも、また父も、献げ物に道を開けてくれました。
jam prope limen erat. patrias vagitus(産声) ad aures今しも広間の敷居に近づいた、そのとき、赤子の泣き声が父の耳にとどきました、子供はわれとわが声に裏切られたのです。
eripit infantem mentitaque sacra revelatアイオロスは幼な子をわしづかみにして、いつわりの儀式の正体をあばきました、父の狂おしい叫び声が王宮をひびかせました。
ut mare fit tremulum, tenui cum stringitur aura, 11-75そよ風がさらさらと海面(うなも)を撫でるとき、海は一面に小波(さざなみ)立ち、また熱い南風(ノトス)で、とねりこの葉枝がうちそよぐ、
sic mea vibrari pallentia membra videres;ちょうどそのように、青ざめた私のからだはふるえおののき、また身を横たえている寝台も揺れて動きました。
irruit et nostrum vulgat clamore pudorem寝室へ走り込んで来た父は、呼び声で私の恥を屋敷じゅうにひろめ、あわれな私の顔に手をかけるのをあやうく思いとどまりました。
ipsa nihil praeter lacrimas pudibunda profudi.私はただうろたえて、涙を流すほかにはすべもなく、氷のように冷たい恐怖で、舌もしびれて動きません。
Jamque dari parvum canibusque avibusque nepotem父はもう、自分の孫を人気のない場所へ捨てて、野犬や鳥どもの餌食にしてしまえといっているのです。
vagitus dedit ille miser—sensisse putares— 11-85赤児は、まるでそのことを悟ったかのように、泣きわめきます、祖父に頼むにしても、泣き声を立てることしかできませんから。
quid mihi tunc animi credis, germane, fuisseお兄さん、あのときの私の気持がどんなだったか——もちろんご自分のお気持から推しはかることができましょう——
cum mea me coram silvas inimicus in altas憎い敵が私の産みの子を私の目の前で森の奥深くに運んで、山に住む狼の餌食にしよようとしたあのとき。
exierat thalamo. tunc demum pectora plangi父が寝室から出てしまってから、やっと私は(悲しみに)胸をたたき、自分の頬にかたい爪を走らせました。
Interea patrius vultu maerente satellesとかくするうち、父の側近の者が悲痛な面持ちでやって来て、およそこの身には聞くまじい言葉を告げたのです——
'Aeolus hunc ensem mittit tibi'—tradidit ensem— 11-95「この剣をアエオロス様があなたに遺わされました」と、剣を私に手渡し、「わが身の所行を顧みて父の心を知れとの仰せです」
scimus et utemur violento fortiter ense;知りますとも、そして恐ろしい武器(えもの)を勇敢に使いましょう。父からの贈物をこの胸に授けましょう。
his mea muneribus, genitor, conubia donas?お父様、これが私への結婚のお祝いなのですか、このような持参金で私を豊かにしてくれるのですか。
tolle procul, decepte, faces, Hymenaee, maritasあざむかれた婚礼の神(ヒメナイオス)よ、さあ遠くへ篝火(かがりび)を片づけて、罪深い館から一目散に逃げるがよい。
ferte faces in me quas fertis, Erinyes atrae,黒いヴェールを被った復讐女神(エリニュエス)らよ、御身(おんみ)たちのたずさえる松明を運んで来て、私の火葬壇をその火で照らすがよい。
nubite felices Parca meliore sorores; 11-105愛する妹たちよ、あなたがたはもっとよい運を得て、仕合せな結婚をしておくれ、しかしまた失われた姉のことも、どうか忘れないように。
Quid puer admisit tam paucis editus horis?ほんの片時生きただけのあの子が、何をいったいしでかしたのでしょう、生まれるか生まれないかの赤子が、何をして祖父を傷つけたのでしょう。
si potuit meruisse necem, meruisse putetur(接);もしもあの子が死に値することが出来たのなら、死ぬのも仕方がなかったと言えましょう。しかし、かわいそうに、あの子は私の罪の巻きぞえにされただけなのです。
nate, dolor matris, rapidarum praeda ferarum,愛(いと)し子よ、母の傷心(いたで)よ、猛々しい野獣の餌食よ、あわれや、ほかならぬ誕生の日に八つ裂きにされた子よ!
nate, parum fausti miserabile pignus amoris,愛し子よ、呪われた愛の不幸なかたみよ、これがお前の生涯の最初の日でした、そしてこれがまたその最後の日でした!
non mihi te licuit lacrimis perfundere justis(当然の), 11-115お前の亡骸(なきがら)に悲しみの涙を注ぎかけることも、またお前の墓に切り髪を供えることも、私にはできなかったのです。
non super incubui, non oscula frigida carpsi;お前の上に身をかがめて、冷たい唇に口づけることもなく、貪欲な獣たちが、私の産みの子を無残に引き裂いてしまったのです。
Ipsa quoque infantis cum vulnere prosequar umbras;われとわが身に手をかけて、私も亡き子のあとを追いましょう、子を奪われていつまでも母と呼ばれたくはありません。
兄よ、——不幸な妹があなたにかけた望みも今はむなしくなりましたが——どうか、あなたの子供の散らばった骨を拾い集めてください、
そしてそれを母の所へ運んで、同じ墓に伸よく納め、小さくとも一つの壺が二人の骨を守りますよう。
私たちのことをお忘れなく、どうか御無事で!そしてどうか、私の傷ついたからだに涙を注ぎ、あなたを愛しあなたに愛された妹の亡骸を、どうかいとい給うな。
あまりにも愛されすぎた妹のこの伝言を、あなたは、なにとぞ、果たし給え、私は父の伝言を果たしますゆえ。
【解題】 これはギリシアの名高い古伝説、アルゴーの遠征譚(アルゴーナウタイ)のエビソードに題材をとったもの。概略すれば、イアソンはテッサリアのイオールコスの王アイソーンの子。王位を奪った叔父ペリアースの命令で、金毛の羊皮を求めて、五十人の勇士を率いアルゴー船に乗組んで黒海沿岸のコルキスに到着する。一行を迎えたコルキスの王アイエーテースは、金羊毛を手渡す条件として、幾つかの試練を課する——火を吹く猛牛に鋤をつけて軍神の土地を耕し、そこに竜の歯を播き、産まれ出る戦士たちと果し合いをする。しかも、金羊毛は不眠の巨竜によって見張られている!この難題はイアソンに熱い思いを寄せる王女メデアの協力によってはじめて成就された。彼女はアイエーテースとエイデュア(別伝では魔女ヘカテー)の娘で、太陽神の孫にあたり、魔術に精通している。彼女はこの魔術でイアソンを助けて、首尾を達せしめ、彼に伴って祖国を脱出する。追跡する父を止めるために弟アプシュルトスを八つ裂きにして野にばらまきさえした。イアソンの故国イオールコスに帰りついて、アイソーンから王位を奪ったペリアースを娘たちの前で釜の中に入れて殺し、コリントスに逃れる。ここで、イアソンは王クレオーンの妻グラウケー(別名クレウーサ)に心を移し、妻に迎えようとする。メデアの激しい愛はたちまち憎しみと復讐の念に変じ、婚礼の席へ毒を塗った衣を贈って花嫁とその父を殺し、あまつさえ自分と彼との間にできた子供まで殺害し、竜車で天駆けってアテナイに逃れる。
伝説の全般を扱ったものには、アポロニオス・ロディオス(前三世紀)の叙事詩『アルゴーナウタイ』。恋のためにいっさいを犠牲にしたメデアの激情を扱ったものには、エウリピデースの同名の悲劇作品がある。
ともかく、忘れもしません、あなたが私の術に助けを求めた時、コルキスの王女だった私があなたのために尽力したのです。
tunc quae dispensant mortalia fila sorores,いっそあの時、人間の運命の糸を紡ぐ姉妹神が、私の巻糸を切りほどいてしまったらよかったのです。
tum potui Medea mori bene! quidquid ab illo 12-5そうすればメデアも思いきりよく死ねたでしょうに。あれ以来、私の生涯はことごとく懲罰の日日でした。
Ei mihi! cur umquam juvenalibus acta lacertis無念千万!いったい何故に、若い勇士たちの腕に漕がれて、ペーリオンの舟(アルゴー号)がプリクソス(金の羊毛の元の持ち主、メデアの妹カルキオペーの夫)の雄羊を探し求めたのでしょうか。
cur umquam Colchi Magnetida vidimus Argonどういうわけで、私たちコルキス人がマグネシア(テッサリアの地名)のアルゴー船を見たり、またギリシアの勇士たちがパーシス(コルキスの川)の流れに喉をうるおしたりすることになったのでしょうか。
cur mihi plus aequo flavi placuere capilliまた、どうして私があなたの金髪や、あなたの品のよさや、うわべだけの言葉の優しさに、ことのほか心を奪われたのでしょうか。
aut, semel in nostras quoniam nova puppis harenasしかしまた、いったん異国の船が、大胆な男たちを運んで、私たちの海岸についたからには、
isset anhelatos non praemedicatus in ignes 12-15いっそ恩知らずのイアソンなど、呪薬(じゅやく)のまもりなしに、灼熱の火をふく雄牛どもの口のなかへ突進したらよかったのです。
semina jecisset totidem quot semina et hostes,まけばたちまち敵が生まれるというあの種をまいて、種まく人がおのれの種まきで身を亡ぼせばよかったのです。
quantum perfidiae tecum, scelerate, perisset!そうすれば、あなたのようなひどい人といっしょに、どれほどの裏切りがほろび、また私の頭上からも、どれほどのわざわいがはらい落とされたかわかりません。
Est aliqua ingrato meritum exprobrare voluptas;恩知らずの人を、与えた恩で非難するのは、なにがしかの慰めです。この慰めにひたること、これが私にとって、あなたから得られるただ一つの喜びなのです。
jussus inexpertam Colchos advertere puppimあなたはコルキスへ新造舟をむけるように命じられて、私の祖国の幸福な領土へ、上陸しました。
hoc illic Medea fui, nova nupta quod hic est; 12-25そこ(コルキス)でのメデアは、今ここ(イオルコス)でのあなたの新しい花嫁(グラウケー)と同じ立場だったのです——彼女の父親(コリント王クレオーン)と同じように、私の父親も富裕でした、
hic Ephyren bimarem, Scythia tenus ille nivosa彼が二つの海に囲まれたエピュレー(コリントスの古名)を支配するなら、私の父(アイエーテース)は、ポントスの左岸、雪をいただくスキュティアに至る全領域を、手中におさめていたのです。
Accipit hospitio juvenes Aeeta Pelasgos,あなたがたギリシアの一行は、アイエーテースに迎えられて、絵模様の寝椅子に、異郷のからだを横たえました。
私はその時あなたを認め、そしてあなたを識りそめました。それが私の心の破滅のはじめでした。
et vidi et perii! nec notis ignibus arsi,一目見て、完全にまいったのです。異常なはげしさで私の胸は燃えました——まるで、神々に捧げられた大かがり火のように。
et formosus eras et me mea fata trahebant: 12-35あなたが美しかっただけでなく、運命が私をひきずっていました。あなたの目は、私の目から光を奪ってしまったのです。
perfide, sensisti! quis enim bene celat amorem?裏切者よ!あなたは見ぬいていました—— 誰だって愛は隠せません。情火は自分を裏切って、おもてに露われますから。
Dicitur interea tibi lex, ut dura ferorumさて、あなたにはしかるべき義務が課せられました ——まず、猛々しい雄牛のくびに、なれない鋤をとりつけること、
Martis erant tauri plus quam per cornua saevi,その雄牛は軍神(マルス)の所有で、ただ角が荒々しいばかりでなく、その吐く息は恐ろしい焔です。
aere pedes solidi praetentaque naribus aera,足は青鋼で固められ、鼻も青銅張り、しかも吐きだす焔で真黒に焼けている!
semina praeterea populos genitura juberis 12-45それからまた、人間を産む種子を、命令通りにあなたの手で、広い畠にまかなければなりません。
qui peterent natis secum tua corpora telis:その人間どもは共に産まれた武具をたずさえて、あなたに襲いかかる——農夫にとってはいとも迷惑な収穫というわけです。
lumina custodis succumbere nescia somnoそして最後に、眠りに屈することを知らない番人巨竜の目を、なんとかして、あざむかなくてはなりまん。
Dixerat Aeetes: maesti consurgitis omnes,アイエーテースが、言いおえた時、あなたがたは一同、悲しげに席を立ち、高い食卓が、深紅色の寝椅子から片づけられました。
quam tibi tunc longe regnum dotale Creusaeその時のあなたの気持には、クレウーサの持参金の王国も、舅にあたるクレオーンも、権勢家の父の娘も、なんと縁遠い存在だったでしょう!
tristis abis. oculis abeuntem prosequor udis 12-55悲しげに立ち去って行くあなたを、涙に濡れた目で私は見送り、声もかすかにつぶやきました「ご無事で」と。
ut positum tetigi thalamo male saucia lectum,私はととのえられた寝部屋の床に臥してからも悲しみに胸はうずき、涙にかきくれて長い長い夜を過ごしました。
ante oculos taurique meos segetesque nefandae,雄牛の姿や、不吉な収穫(とりいれ)の様子が私の目に浮かんで、苦悶は夜通し、目の前から消えません。
hinc amor, hinc timor est—ipsum timor auget amorem.一方には愛、一方には恐れ、そして恐れが愛をつのらせます。夜が明けて、寝部屋にやって来た親しい妹(カルキオペー、自分の息子がアルゴナウタイ)は、
disjectamque comas aversaque in ora jacentem髪を乱し、うつぶせに横たわっている私を見出しましたが、何もかも涙でぐしょ濡れです。
orat opem Minyis, alter petit, impetrat alter, 12-65妹はあなたの仲間たちを助けるように私に求めました。一方が求めれば、一方は応じます—— イアソンのために彼女が頼んだことを、私は実行したのです。
Est nemus et piceis et frondibus ilicis atrum,松とひいらぎの葉におおわれたほの暗い森——そこには陽の光もほとんどとどきません。
sunt in eo—fuerant certe—delubra Dianae:その森の中に、ディアナの祠(ほこら)が、今はどうか、もとはありました。異国風に作られた黄金の女神の像が立っています。
noscis an exciderunt mecum loca? venimus illuc;あなたは覚えているでしょう。それとも、あの場所も私もいっしょに、あなたの心から消えたのでしょうか。私たちはそこへ行きました。あなたが先に話を切りだして、いつわりの舌でこう言いました。
"jus tibi et arbitrium nostrae fortuna salutis「ひとえに私の安否は、あなたの裁決にゆだねられている、私の生も死もあなたの掌中に握られているのです。
perdere posse sat est, siquem juvet ipsa potestas; 12-75「権力を愛するものは、人を破滅させられるだけ満足かもしれません、しかしもし私を救っくれたら、あなたの名声は一段と増すでしょう。
per mala nostra precor, quorum potes esse levamen,「あなたによって救われ得るこの災厄にかけて、あなたの素姓にかけて、万物を見るあなたの祖父(太陽神)にかけて、
per triplices vultus arcanaque sacra Dianae「三重の顔(ヘカテー)とディアナの秘儀にかけて、まだ他にもあるかもしれないあなたの同族の神々にかけて、お願いです——
o virgo, miserere mei, miserere meorum,「どうか姫君よ、私と私の仲間たちをあわれみ給え!あなたのおかげで、私があなたの永遠の夫と呼ばれるようにして下さい。
quodsi forte virum non dedignare Pelasgum—「もしもあなたがギリシア人の夫を恥と思わないならばですが——しかし、神々でさえもそれ程たやすく私の願いをかなえてくれるものでしょうか?
spiritus ante meus tenues vanescet in auras, 12-85「万が一、あなた以外の女が、私の花嫁として迎えられようものなら、たちまち私の命は、吹く風に消し飛んでしまいますように!
conscia sit Juno sacris praefecta maritis「婚姻の掟を守護するユーノーも、また、今、私たちがいる大理石のこの祠にまします女神も、どうかご照覧あれ!」
Haec animum—et quota pars haec sunt?—movere puellae今はろくに跡かたもないこの言葉が、単純な乙女心を動かしました。私とあなたの右の手が、しっかりと組まれました。
vidi etiam lacrimas—an pars est fraudis in illis?あなたの目には涙さえ見えたのに——あれも芝居の一役でしたか!こうして、たちまち私という女は、あなたの言葉のとりこになってしまいました。
jungis et aeripedes inadusto corpore taurosあなたはからだを焼かれることもなく、青銅の足をもつ雄牛もつなぎとめ、固い土に、命じられた鋤もひきました。
arva venenatis pro semine dentibus imples, 12-95あなたは耕された地面を、種に代って毒のある牙で満たすと、剣と楯をもった戦士らが産まれてきました。
ipsa ego, quae dederam medicamina, pallida sedi,私自身も、呪薬を授けてはありましたが、武器を手に突然現われて来る男たちを見て、ただ青くなっておりました。
donec terrigenae—facinus mirabile!—fratresが、やがて、奇蹟のごとく地面から産まれた兄弟どもは、剣を抜いて同士討ちをはじめたのです。
Insopor ecce vigil squamis crepitantibus horrens見よ、その時眠りを知らぬ番人は、鱗をさか立て、恐ろしいうなりをあげ、胴をくねらせて地をはらうのです。
dotis opes ubi erant? ubi erat tibi regia conjunxその時、どこに持参金の富が、どこにあの王家の花嫁(グラウケー)が、どこに二つの海の波をわけるイストモス(コリントス)があったでしょうか。
illa ego, quae tibi sum nunc denique barbara facta, 12-105今ではあなたにとって、縁もない異国の女になりはてたこの私、今あなたには見るも貧しく、いとわしいこの私が、
flammea subduxi medicato lumina somno呪薬で、らんらんと燃える竜の眼をつむらせて、金羊毛を無事にあなたに手渡して盗ませたのです。
proditus est genitor, regnum patriamque reliqui,私は父を裏切り、自分の祖国を捨てましたが、その代償として得たものは、島流し同然の境涯なのです。
virginitas facta est peregrini praeda latronis,処女の宝は渡り者の海賊に掠奪され、最愛の妹を大切な母(エイドゥイア)と共に置き去りにしたのです。
At non te fugiens sine me, germane, reliqui.だが、弟(アプシュルトス)よ、あなたは私が逃げるとき置き去りにはしませんでした。——このことだけは、文字で書くのに忍びません。
quod facere ausa mea est, non audet scribere dextra. 12-115この右手がしでかしたことを、同じ右手は文字には書けないのです。私は、あなたともろ共にひき裂かれるべきだったのです。
nec tamen extimui—quid enim post illa timerem?—それなのに私は少しも恐れることなくあんなことをした。その後、私に恐いものが何かあったでしょうか——女の身で、しかも罪を犯して、海に出ました。
numen ubi est? ubi di? meritas subeamus in alto,どこに神意が、どこに神々がいるのですか。海の上で、当然の罰を私たちは受けなければなりませんでした。あなたは裏切りの罰を、私は軽信の罰を。
Compressos utinam Symplegades elisissentシュンプレガデスの巌が私たちを押しつぶし、私とあなたの骨と骨がくっついてしまえばよかったのです。
aut nos Scylla rapax canibus misisset edendos!それとも、どんらんなスキュッラが私たちを沈ませて、犬どもに喰わせてしまったらよかったのです——恩知らずな者どもを懲らしめるのにスキュッラはびったりですから。
quaeque vomit totidem fluctus totidemque resorbet, 12-125また、波を吐きだしては吸いこむというあのカリュブディスが、私たちをシチリアの波の下に沈めたらよかったのです。
sospes ad Haemonias victorque reverteris urbes;しかし、あなたは無事安泰で、テッサリアの都(イオルコス)に勝利者として帰還し、父祖の神々に金羊毛を奉納しました。
Quid referam Peliae natas pietate nocentes孝心から邪道に陥ちたペリアースの娘たちのこと——娘の手で肢体を切断された父親のこと、それを言う必要もありますまい。
ut culpent alii, tibi me laudare necesse est,人が私を非難しても、あなたは私を褒めなければなりません——私があれ程の罪を重ねたのは、それは只々あなたのためだったのですから。
ausus es—o justo desunt sua verba dolori!—それなのに、よくもあなたは——当然なこの憤りを言葉ではあらわせません!——よくもこんなことを言えたものです——「わしの館からさっさと出て行け!」
jussa domo cessi natis comitata duobus 12-135言われた通り私は館を出ました。二人の子と、それから、これまでずっと大事にして来たあなたへの愛を道連れにして。
ut subito nostras Hymen cantatus ad aures突然、結婚の祝歌が私の耳に聞こえてきます。松明の燃えだす音が響きます。
tibiaque effundit socialia carmina vobis,あなたがたには睦(むつ)びの歌を調べる笛の音が、私には、葬礼のラッパよりも哀れにひびくのです。
pertimui, nec adhuc tantum scelus esse putabam,恐ろしや!これ程の冒瀆があり得ようとは、思いも及びませんでした。しかし私の心は氷のように凍っていました。
turba ruunt et "Hymen" clamant "Hymenaee!" frequenter;人の群がつめかけて、「ヒューメン!ヒュメナイエ」としきりに叫ぶ——その声が近くなればなる程、私はいたたれたくなって来ます。
diversi flebant servi lacrimasque tegebant— 12-145私の召使たちは顔をそむけ涙を隠して泣いていました、こんな忌まわしいことを知らせる使者に、誰が好んでなるでしょうか。
me quoque quidquid erat potius nescire juvabat,私にしても、どんなことであろうと、知らずにいたほうがありがたかったのです。私の心は、まるで事実を確かめたかのように、悲しみにふさがりました——
cum minor e pueris casu studione videndiそれは下の子が、たまたま見たい一心でか、二重戸の外側の敷居に立った時だった、
"hinc" mihi "mater adi! pompam pater" inquit "Jason彼は言いました、「お母さん、ここへいらっしゃい。ほら、行列の先頭にお父さんが、金びかの服を着て、馬を進めて来る!」
protinus abscissa planxi mea pectora vesteやにわに、私は衣をひきちぎり、胸をたたきました。私の爪で顔も無事では済みません。
ire animus mediae suadebat in agmina turbae 12-155群集の列の真只中へ、結髪の花飾もかなぐり捨てて、駆け出したいと心もはやります。
vix me continui, quin sic laniata capillosこのとおりに髪もふり乱して、「私の夫です!」と叫んで、あなたを取り抑えたいのを、辛うじてこらえました。
Laese pater, gaude! Colchi gaudete relicti!私にはずかしめをうけた父よ、よろこぶがいい!私に見捨てられたコルキス人たちよ、よろこぶがいい!弟の亡霊よ、今こそ私の供養をうけるがいい!
deseror amissis regno patriaque domoque私は捨てられました。王権も祖国も家も、また、ただ一つの頼みの綱——夫をも失いました。
serpentes igitur potui taurosque furentes,巨竜や狂暴な雄牛をさえ意のままにできた私が、一人の夫にお手上げなのです。
quaeque feros pepuli doctis medicatibus ignes, 12-165精通した呪いで猛火を払いのけた私が、自分の胸の炎をはらう術を知らなかったのです。
ipsi me cantus herbaeque artesque relinquuntあの呪歌も薬草もまた秘術も私を見捨て、女神も、ヘカテーの秘儀も何の効験をも現わしません。
non mihi grata dies, noctes vigilantur amarae昼は私にいとわしく、夜はつらくて寝もやらず、心地よい眠りも、あわれな胸からたち去るのです。
quae me non possum, potui sopire draconem.巨竜を眠らせても、自分を眠らせることができない——私の治療は、私以外の人にしか役に立ちません。
quos ego servavi, paelex amplectitur artus私が助け出した人のからだを、あだし女が抱いています。私の苦労の実りを、彼女はわが物にしているのです。
Forsitan et, stultae dum te jactare(自慢する) maritae 12-175ひょっとしたら、あなたは愚かな花嫁に向かっていかにも誇らしげに、邪悪な耳をくすぐるようなことをしゃべっているかもしれません。
in faciem moresque meos nova crimina fingas.新しい罪をでっち上げて、私の顔をつぶし品性を傷つけなさい。彼女も私を笑い、私の欠点を喜ぶがよろしい、
rideat et Tyrio jaceat sublimis in ostro—テュロス染めの深紅の衣を着て誇らしげに、笑うがよろしい。今に泣きわめき、 私の焔にもまさる焔で焼かれるのです。
dum ferrum flammaeque aderunt sucusque veneni,剣と火と、そして毒汁が、私の手もとにある限り、メデアの敵は誰ひとり復讐を受けずには済みません。
Quod si forte preces praecordia ferrea tangunt,けれども、もしも私の嘆願で鉄の心も動くとすれば、今こそ、私の言葉——自尊心にも恥じる程のちっぽけな言葉をお聴きください。
tam tibi sum supplex, quam tu mihi saepe fuisti, 12-185私は今、かつて何度もあなたが私に対してなさったように、嘆願者として、あなたの足もとにひざまずくのもためらいません。
si tibi sum vilis, communis respice natos:もしこの私があなたにとってつまらぬ女なら、せめて、私たちに共通のこの子たちのことを考えてください。継母はこの子たちにさぞかしつらくあたるでしょう。
et nimium similes tibi sunt, et imagine tangorそれにまた、この子たちはあまりにもあなたに生きうつしです、この似顔をしみじみと、眺める度に私の目は涙で濡れます。
per superos oro, per avitae lumina flammae,お願いです——神々にかけて、祖父の電光にかけて、私の手柄と私たちの契りの徴しの二人の子にかけて、
redde torum, pro quo tot res insana reliqui!どうか妻の座を返して下さい——ただそのためにこそ、あれだけのものを見捨てて来たのです。約束の言葉を守って下さい。私の助けにもなって下さい。
non ego te imploro contra taurosque virosque, 12-195私はあなたに、雄牛や戦士に立ち向うように頼んでいるのではありません。あなたの助けで竜を眠らせようというのではありません。
te peto, quem merui, quem nobis ipse dedisti,私が求めているのはあなた——苦労してやっと手に入れ、自分からもすすんで私のものになってくれたあなたです、ともどもに同じ子の親になったあなたです。
Dos ubi sit, quaeris? campo numeravimus illo,持参金はどこにある?とおっしゃるのですか。金羊毛を持ち去るためにあなたが耕さなければならなかったあの平野で、支払いました。
aureus ille aries villo spectabilis alto,ふさふさと深い毛で人目を奪う黄金の雄羊——返してくれと言っても、あなたは承知しますまい——それが私の持参金です。
dos mea tu sospes, dos est mea Graia juventus.無事に救われたあなたの命も、ギリシアの勇士たちも、みんな私の持参金です。ひどい人よ、これとあなたのシーシュポス(=コリントス) の富とを比べてごらんなさい!
quod vivis, quod habes nuptam socerumque potentes, 12-205あなたが生きていること、花嫁や権勢家の舅(しゅうと)を持てること、また恩知らずになれることさえ、みんな私のおかげです。
quos equidem actutum(すぐに)—sed quid praedicere poenamそんな連中などいっそひと思いに・・——いや、報復の前触れなどしても仕方がありません。途方もない惨事を私の憤りは産みかけているのです。
quo feret ira sequar. facti fortasse pigebit;私は憤りの赴くままに従うまで。しでかしたことを後悔することもありましょう。しかし、裏切りの夫に折入って頼んだことも悔まれます。
viderit ista deus, qui nunc mea pectora versat.私の胸でいま思案の渦をめぐらせている神のお計らいにまつばかり、たしかに私の胸のうちには、なんともしれぬ一大事が企まれているのです!
【解題】ラオダメイアはアカストスとアステュダメイアの娘で、テッサリアの王イーピクロスの子プロテシラオスの妻となったが、新婚まもなく、夫はトロイ遠征に参加するために故国を去った。夫プロテシラオスは受妻家でもあったがまた功名心にはやる若武者で、最初にトロイに上陸したものが最初に討死にするという神託があったにもかかわらず、それを知りつつトロイに一番乗りして、ヘクトールに討たれた。伝えによれば、ラオダメイアは夫の戦死の報を受けたとき、三時間だけこの世に返してくれるように神に祈願し、その祈願が叶えられて夫に会い、ふたたび夫が冥府に去らなければならなくなったときその腕に抱かれて自害し、死の旅を共にしたという。また別伝では——この書簡にもあるように——彼女は夫の姿に似せた蝋人形を作らせて、夫の戦死後も毎晩床に入れて抱いて寝ていたが、舅イーピクロスがこれを知り、彼女の悲しみを絶つために人形を火中に投じたところ、彼女もその火中に身を投じて焼け死んだという。二人のロマンはエウリピデースの悲劇作品の扱うところとなったが、その作は現存しない(ナウク『ギリシア悲劇断片集』671ページ以下)。
この書簡は、ギリシア軍がまだトロイに上陸する前、ボイオティアの港町アウリスに軍船を勢揃いさせて出発を待つ間に夫へ宛てたもの。戦争を呪い平和を願う女心が巧みに表現されていて興味が深い。
なお、本文中〔〕で囲った部分はテクストの真正さに疑いが持たれるもの。
テッサリアの女ラオダメイアがテッサリアの君に挨拶を送ります。妻の便りが愛する夫のもとへ無事に届きますよう。
Aulide te fama est vento retinente morari:噂によれば、あなたは風にさまたげられてアウリスに踏みとどまっておいでとか。ああ、あなたが私からお逃げになるときに、どうしてその風が吹いてくれなかったのでしょうか。
tum freta debuerant vestris obsistere remis; 13-5あのときこそ、海はあなたがたの漕ぐ櫂(かい)を邪魔しなければならなかったのです、波が荒れるのには、あのときがちょうどよい機会でした。
oscula plura viro mandataque plura dedissemそうすれば、もっとたくさんの接吻や、もっとたくさんの伝言を、わが夫に託せたでしょうに、あなたに言いたいこともたくさんありました。
raptus es hinc praeceps et qui tua vela vocaret,それなのに、あっという間に、あなたは逃げ去ってしまいました。それに、あなたの帆を招いた風は舟乗りが望みこそすれ、けっして私が望んだものではありません、
ventus erat nautis aptus, non aptus amanti;舟乗りには好ましくても、愛する者には好ましくない風でした。私は否応なしに、プロテシラオスよ、あなたの抱擁からもぎ離され、
linguaque(主) mandantis(属mei) verba imperfecta reliquit;形見(かたみ)の言葉も皆まで言えず、ただやっと、「さようなら」という悲しい言葉が言えただけ。
Incubuit Boreas abreptaque vela tetendit, 13-15北風(ボレアス)が舞いおりて、さっと帆を拡げたかと思うと、はや愛するプロテシラオスはかなたに遠ざかっていました。
dum potui spectare virum, spectare juvabatそれでも夫を眺められる間は、眺めることが喜びでした、そして私の目はあなたの目をどこまでも追いかけます。
ut te non poteram, poteram tua vela videre,あなたの姿が見えなくなっても、あなたの帆を見ることはできました、帆はいつまでも私の目をとらえていました。
at postquam nec te nec vela fugacia vidi,しかしとうとう、あなたの姿も、逃げ足はやい船の帆も、見えなくなって、広い海のほかに眺めるものもなくなったとき、
lux quoque tecum abiit, tenebrisque exanguis obortisあなたばかりか明りまで消えて失せ、目の前は突然の闇に包まれ、私は血の気もなく、地面に膝をくずしたといわれます。
vix socer Iphiclus, vix me grandaevus Acastus, 13-25その私をかろうじて舅のイーピクロスと老齢の父アカストス、そして悲しみに包まれた私の母が、冷たい水で生き返らせてくれました。
officium fecere pium, sed inutile nobis:しかしこの人たちの真心こもった親切も、私にとっては無益のわざ、悲惨な身の上で死ぬこともできなかったとは、浅ましいかぎりです。
Ut rediit animus, pariter rediere dolores;意識が戻ると、苦しみもそれといっしょに戻って来ました、まっとうな愛が貞節な妻の胸を噛み砕くのです。
nec mihi pectendos cura est praebere capillos私にはもう、髪をととのえようという気もおこりません、黄金をちりばめた衣裳をまといたいとも思いません。
ut quas pampinea tetigisse Bicorniger hastaちょうど、噂に聞く、二本角の神(酒神バッコス)の葡萄葉の笏杖に触れた女たちのように、私は狂気に駆られて、あちこちへさまようのです。
conveniunt matres Phylaceides et mihi clamant: 13-35ピュラケー(テッサリアの町)の刀自たちが集まって、私にこう叫びます——「ラオダメイア様、お妃らしくその胸に衣裳をおつけなさい!」
scilicet ipsa geram saturatas murice lanas,ではこの私が、豪奢な紫染めの着物を着なくてはいけないのですか、あの方がイーリオス(トロイの別名)の城壁の下で戦をしておられるのに。
ipsa comas pectar? galea caput ille premetur?あの方が重い兜をかむっているのに、私は髪を結うのですか、夫はごつごつした武具をよろっているのに、私は新調の着物を身につけるのですか。
qua possum, squalore tuos imitata laboresむしろ私はぼろをまとって、精いっぱいに、夫の労苦をまねて、この戦争の幾年月をつらい気持で過ごしたいのです。
Dyspari Priamide, damno formose tuorum,プリアモスの子、悪党パリスよ、美貌がもとで一族に破減を招く男よ!お前が客人として不届き千万であったのなら、敵としても腰抜けであるがよい!
aut te Taenariae faciem culpasse maritae 13-45いっそお前がラコニアの花嫁(ヘレネ)の顔に、あばたを見つけるか、それとも彼女が、お前の顔を嫌ったらよかったのに!
tu, qui pro rapta nimium, Menelae, laboras,またメネラオスよ、あなたは奪われた妻のことを嘆くあまりに、その仇討ちで、いったいどれほど多くの人たちに涙の種をまいたことでしょう!
di, precor, a nobis omen removete sinistrum神々よ、願わくば、不吉な兆を私らから除きたまい、私の夫が凱旋の神ユピテルに勝利の武具を献(ささ)げられますよう!
sed timeo, quotiens subiit miserabile bellum;しかし悲惨な戦争の情景を思い浮かべるとそのたびに私の心は恐ろしさに満ち、まるで陽に溶ける雪のように、目には涙が流れるのです。
Ilion et Tenedos Simoisque et Xanthus et Ideイーリオン(トロイの別称)やテネドス(トロイ沿岸にある島)、またシモイスやクサントス(ともにトロイ平原を流れる河)それにイーダ(トロイ近郊の山脈)など、ただその名を聞いただけでも恐ろしくなります。
nec rapere ausurus, nisi se defendere posset, 13-55あの遠来の客(パリス)にしても、もし奪ったヘレネを守れないなら、あえて掠奪しようとはしなかったはず、彼はトロイヤ軍の強さを知っていたのです。
venerat, ut fama est, multo spectabilis auro噂によれば、あの若者はたくさんの黄金をきらびやかに飾ってやって来たそうです、まるでプリュギアの富をわが身にたずさえて来たと言わんばかりに。
classe virisque potens, per quae fera bella geruntur—それに艦隊や兵(つわもの)どもを恃(たの)み——それで今はげしい戦がか戦われているわけですが——そのほか、彼の王国のどれほどの部分がつき従ったものやら(わかりません)。
his ego te victam, consors Ledaea gemellis,おそらくこれがあのレーダの娘、双子たちの妹ヘレネを征服したのかもしれません、またこれが、ギリシア人らに禍いを及ぼすのかもしれません。
[Hectora nescio quem timeo; Paris Hectora dixit〔よくは知りませんがヘクトールという人を私は恐れます、パリス の話によれば、ヘクトールは手を血みどろにして、むごたらしい戦いを挑むそうです。〕
Hectora, quisquis is est, si sum tibi cara, caveto: 13-65ヘクトールがたとえどんな男にせよ、もしあなたが私を大切に思われるなら、どうか彼に気をつけてください、彼の名はしかとお胸に刻んで、ゆめ忘れたまわぬよう!
hunc ubi vitaris, alios vitare mementoまた彼を避けたら、ほかの人々を避けるのもどうかお忘れなく、あちらにはたくさんのヘクトールがいるものと思(おぼ)し召せ。
et facito ut dicas, quotiens pugnare parabis:そして戦の用意をなさるたびに、どうかご自分にこう言いきかせてください——「命だけは大切にせよと、ラオダメイアがわしに言いおった」
si cadere Argolico fas est sub milite Trojam,もしトロイがギリシア軍の手で滅ぼされる運命にあるならば、どうかあなたにだけはかすり傷一つ負わせないで、滅んでくれますよう!
pugnet et adversos tendat Menelaus in hostes,またメネラオス殿は、勇ましく敵の面前に進み出て戦われますよう、敵のまっただ中で花嫁を求めるのが夫たる者の務めですもの。
causa tua est dispar: tu tantum vivere pugna,しかしあなたの場合は違います、あなたはただ生きるために、そして愛する妻のふところへ帰れるように、戦われますよう。
Parcite, Dardanidae, de tot, precor, hostibus uni,トロイ人らよ、どうかあまたいる敵の中から、ただひとりだけは見逃がしてください、彼のからだから私の血が流れ出ないように。
non est quem deceat nudo concurrere ferro彼には、抜き身の剣で敵と渡りあったり、がむしゃらに敵の面前へ胸を差し出したりすることはふさわしくありません。
fortius ille potest multo, quam pugnat, amare.彼は戦をするよりも、恋するほうがずっと得意です、戦争はほかの人たちに任せて、プロテシラオスには恋をさせなさい!
Nunc fateor: volui revocare, animusque ferebat; 13-85今白状しますが、私はあのときあなたを呼び戻そうと思いました、しかし心がはやるばかりで、舌のほうは不吉な予兆の恐ろしさで、動かなくなってしまったのです。
cum foribus velles ad Trojam exire paternis,あなたがトロイを目ざして、父祖の館の戸口を出ようとなさったとき、あなたの足が敷居につまずきましたが、あれがその予兆です。
ut vidi, ingemui, tacitoque in pectore dixi:私はそれを見て、思わずうめき声をあげ、ひそかに胸の中でつぶやきました——「どうかこれは、夫が無事帰国するとのしるしでありますように」と。
haec tibi nunc refero, ne sis animosus in armis.私が今このことを申し上げるのは、あなたが戦場で無茶をなさりはせねかと恐れるからです、でもこんな恐れは、みな風の中へ吹き飛ばしてしまってください。
Sors quoque nescio quem fato designat(選ぶ) iniquo,ところでまたある神託によれば、誰かはわかりませんが、ギリシア人の中で最初にトロイの地を踏んだ者が、不幸な死に出会うといいます。
infelix, quae prima virum lugebit ademptum! 13-95かわいそうに、その人の妻は、最初に夫の死を嘆かなくてはなりますまい。あなたはどうかあまり功名心に駆られませぬよう、神々にお祈りします。
inter mille rates tua sit millensima puppis千の船の中でどうかあなたの船は千番目になって、すっかり遭ぎへらされた波の上をいちばんうしろから進みすよう!
hoc quoque praemoneo: de nave novissimus exi!またこれもあらかじめご注意申し上げておきますが、船からは最後にお降りなさいませ、お急ぎになるその土地は、あなたの祖国ではありませんから。
cum venies, remoque move veloque carinamしかしお帰りになるときは、櫂と帆で船をせき立てて、一刻も早く故郷の浜辺に上陸なさいますよう!
Sive latet Phoebus seu terris altior exstat,太陽が隠れているときも、また地上に高く昇るときも、昼はあなたが私の心配の種、夜はまたあなたが私を訪れて、
nocte tamen quam luce magis. nox grata puellis, 13-105昼よりも夜はなおせつない思い——寝ている項(うなじ)の下をやさしい腕で支えてもらえる女たちには、夜ほどありがたいものはないでしょうが。
aucupor in lecto mendaces caelibe somnos;私は孤り寝の床に臥して、かりそめの夢を追います、まことの快(よろこ)びを欠く私を、佯(いつわ)りの快びが慰めるのです。
Sed tua cur nobis pallens occurrit imago?それにしてもなぜ、あなたの青ざめたお姿が、私の前にあらわれるのでしょう、なぜあなたの唇から、数々の恨み言が洩らされるのでしょう。
excutior somno simulacraque noctis adoro;眠気を払って、夜の幻に私は祈ります。テッサリアにあるどの祭壇も、私のお供えで煙っていないものはありません。
tura damus lacrimamque super, qua sparsa relucet,私は香をたき、それに涙を注ぎます、そうすると、ちょうど神酒を注いだときのように、炎はばっと燃え上がるのです。
quando ego te reducem cupidis(複奪) amplexa lacertis 13-115いったいいつ私は、無事に帰られたあなたをせつない腕に抱きしめて、からだじゅうの力も抜けるほどの喜びにひたる ことができるのでしょう。
quando erit, ut lecto mecum bene junctus in unoいったい何時になったらあなたは、一つの床に私と結ばれて、輝かしい武勲談に花を咲かせることができるのでしょう。
quae mihi dum referes, quamvis audire juvabit,あなたがそれをお話しになるとき、私もどんなにか夢中になって聞き入ることでしょうが、でもその間にたくさんの接吻を、やったりやらされたりすることでしょう。
semper in his apte narrantia verba resistunt;話じょうずなあなたの言葉もそのためにいつも途切れます、でもこの甘い休憩が、舌をいっそう活気づけましょう。
Sed cum Troja subit, subeunt ventique fretumque;しかしトロイを思い浮かべるとき、私の心に浮かぶのは、はげしい風や海です、そして明るい希望は不安な恐れに負けて、消えてしまいます。
hoc quoque, quod venti prohibent exire carinas, 13-125風が船出の邪魔をしている、というそのことでさえ、私を不安にします—— 波にさからってまであなたがたは出発しようとなさっているのです。
quis velit in patriam vento prohibente reverti?風が邪魔をしているときには故国へ帰ろうとする人もいないのです、それなのに、あなたがたは、海がいけないといっているのに、故国から船出なさろうというのです(アウリスでの勢揃いとトロイ出陣を言う)。
ipse suam non praebet iter Neptunus ad urbem.ほかならぬネプトゥーヌス(海神)が御神の都(トロイ)への海路を閉ざされているのです。どこへ進もうというのですか、みなめいめいの家郷へお帰りなさい!
quo ruitis, Danai? ventos audite vetantes!どこへ進むのですか、ギリシア人(びと)らよ。行く手をさえぎる風のいうことを聞きなさい!それはただの偶然ではありません、出発をおくらせているのは神々のお仕業なのです。
quid petitur tanto nisi turpis adultera bello?そんな大がかりな戦争で何を求めるのかといえば、ただ恥さらしな浮気女ひとり!さあ今のうちに、ギリシアの船々よ、向きを変えなさい!
sed quid ago? revoco? revocaminis(属) omen abesto 13-135でも私としたことが何をしているのでしょう、呼び戻す?いいえ、呼び戻すなんて縁起の悪いことはあってはなりません。それよりもどうか、優しい微風が、いやが上にも海の波を鎮めますよう!
Troasin(複与>Troas) invideo, quae si lacrimosa suorum私はトロイの女たちを妬(ねた)みます、たとえ彼女たちが自分の夫や兄弟の涙ぐましい最期をその目で見ることになるとしても、また敵(ギリシア人)が遠く離れていないにしても。
ipsa suis manibus forti nova nupta marito新婚の花嫁は頼もしい夫のために、自分の手で兜をかむせ、ダルダノス(トロイ市の創建者)の武器を手渡せるのですから。
arma dabit, dumque arma dabit, simul oscula sumet—そうして、武器を手渡しながら、同時に接吻(くちづけ)をしてもらえるのです——このようなお務めは双方にとって楽しいもの——
producetque virum dabit et mandata revertiそしてまた、夫の先に立って進みながら、無事の帰還を命じてこう言うでしょう——「どうかこの武器をふたたびゼウスのもとに納めたまえ」と。
ille ferens dominae mandata recentia secum 13-145夫はまた愛妻の伝言をいつも新しく胸に浮かべて、家のことを忘れずに、用心深く戦うでしょう。
exuet haec reduci clipeum galeamque resolvetそして夫が帰れば、妻は楯や兜をはずして、疲れた夫のからだを、暖かいふところに迎え入れるでしょう。
Nos sumus incertae, nos anxius omnia cogit,それにひきかえ、心細いのは私たちです、私たちにはすべてが不安の種、恐怖が仮想の危険を現実の不幸に変えてしまいます。
dum tamen arma geres diverso miles in orbe,けれどもあなたが、遠い異国で戦をなさっている間は、あなたのお顔をそのままの蝋人形を、私は大切に持っております。
illi blanditias, illi tibi debita verbaその人形に向かって、私は甘い言葉や妻としての忠告を言ってきかせ、やさしく抱きしめてやるのです。
crede mihi, plus est, quam quod videatur, imago; 13-155嘘ではありません、その人形はただの見かけ以上のもの、蝋に声さえ与えれば、プロテシラオスその人です。
hanc specto teneoque sinu pro conjuge veroまことの夫のかわりに、私はこれを眺め、これを胸に抱き、まるで返事をしてもらえるかのように、つもる思いを訴えるのです。
Per reditus corpusque tuum, mea numina, juroあなたの御帰還と、私には神様同然のあなたのお身にかけて、また私たちの愛と結婚との篝火(かがりび)にかけて、私は誓いす——
[perque quod ut videam canis albere capillis,〔またあなたがいっしょに持ち帰れたなら、真白に白髪の生えるまでこの目で見届けたいと思うあなたの頭にかけて〕
me tibi venturam comitem, quocumque vocaris, 13-163あなたのお招きになる所なら、どこへなりとも私はお伴をします、たとえもしもの——あな恐ろしや!——ことがありましょうとも。また御無事でながらえましょうとも。
ultima mandato claudetur epistula parvo: 13-165最後に短い伝言で、この手紙を終わらせます——もし私を少しでも大切と思し召すなら、どうかご自身を大切になさりますよう。
【解題】ヒュペルメストラはダナオス——ホメロスなどに見えるギリシア人の古い呼称の一つダナオイの名祖——の五十人の娘(ダナイデス)の一人。ダナオスは兄弟のアイギュプトス——エジプトに名を与えた人物——と王権を争い、アイギュプトスとその五十人の息子たちを恐れて祖先の地アルゴスに逃がれたが、この五十人の息子たちがあとを追いかけて来て、彼の娘たちに結婚を求めた。ダナオスはやむを得ずこれを承知し、娘たちをひとりひとり五十人の兄弟たちに割り当てたが、婚礼のおりにあらかじめ娘たちに剣を手渡して、祝宴の酒で酔いつぶした花婿たちを初夜の床で殺すように命じた。娘たちは皆父の命に従ったが、ひとり最年長のヒュペルメストラだけは、貞節な心から、自分の夫に選ばれたリュンケウスを助け、夜中に逃がしてやった。このために彼女は父に捕えられて獄につながれる。この書簡はその獄中からのもの。
これはヒュペルメストラが、大勢の従兄弟たちの中のただひとりに宛てる便りです——残りの従兄弟たちは皆花嫁の手にかかって倒れてました。
clausa domo teneor gravibusque coercita vinclis;私は今館の中に閉じこめられて、重い鎖につながれています、誠実な妻であったということが、劫罰の原因なのです。
quod manus extimuit jugulo(のど) demittere(突き刺す) ferrum, 14-5あなたの喉に突き立てることを、私の手がためらったがために、私は罪を問われているのです。もしそれをやってのけたら、賞讃を受けたでしょうが。
esse ream praestat, quam sic placuisse parenti;しかし、そのようにして父の歓心を買うよりも、罪を問われるほうがまし。殺害の血でこの手がけがれなかったことを、私は悔いません。
me pater igne licet, quem non violavimus, urat,私が結婚の掟を破らなかったからとて、父がその火で私を焼いてもかまいません、婚礼の祝いの松明(たいまつ)を、この顔へ投げつけてもかまいません。
aut illo jugulet, quem non bene tradidit ensem,あるいはまた、父が悪意をもって私に手渡したあの剣で私を刺し殺すのもいいでしょう、夫の身代りとなって、私は花嫁として死んで行きます…
non tamen ut dicant morientia "paenitet!" ora,しかし「悪かった」とは死んでも口にしますまい。誠実であることを侮やむ妻は、誠実な妻ではありえません。
paeniteat sceleris Danaum saevasque sorores; 14-15父ダナオスと残酷な姉妹たちこそ罪を悔いなければならないのです、不法を働いたあとに後悔はつきものですから。
Cor pavet admonitu temeratae(汚す) sanguine noctis血にけがされたあの夜のことを思い出すと心臓がちぢみます、突然のふるえが筆取る手を麻痺(まひ)させてしまいます。
quam tu caede putes fungi(実行する) potuisse mariti,夫を殺害することも可能だと思われていたその手が、自分では犯していない殺害のことを 書くのもこわいのです。
Sed tamen experiar. modo facta crepuscula(たそがれ) terris,しかし書いてみましょう。——ちょうどたそがれが地上に迫り、一日は終わり夜が始まろうというときでした。
ducimur Inachides magni sub tecta Pelasgi私たちイナコス(ダナオスの始祖)の娘たちは、アルゴスの王宮の中を導かれ、そして舅(しゅうと) (アイギュプトス)がみずから、武器を隠し持った花嫁たちを迎えます。
undique collucent praecinctae lampades auro; 14-25黄金で縁どられた燭台は、いたるところに燃え輝き、神の心にそむく不信心な香が聖炉にくべられ、
vulgus "Hymen, Hymenaee!" vocant. fugit ille vocantes;並みいる人々が、「ヒューメン!ヒュメナイエ!」といっせいに叫びます。しかし神(結婚を司る神)はその叫びに耳をかしません、ゼウスの妃神(ユーノー)もご自分の都(アルゴス)を見捨てたのです。
ecce mero dubii comitum clamore frequentes見よ、(花婿らは)酒で足取りも径しく、仲間たちの盛んな歓声を冷びながら、濡れ髪に新しい花を飾り、
in thalamos laeti—thalamos sua busta—feruntur意気揚揚と花嫁の部屋——いうなればおのれの墓場——へ繰り込んで、棺台(ひつぎだい)ともいうべき初夜の床に、身を横たえるのです。
Jamque cibo vinoque graves somnoque jacebant今はもう、酒と馳走と、それに眠りでからだも重くとりこめられて、彼らは臥せっていました、なんの不安もなくアルゴスの町全体が、深い静けさに沈んでいたのです——
circum me gemitus morientum audire videbar 14-35ふと私にはあたりに断末魔のうめき声が聞こえるような気がしました、いやたしかに聞こえたのです、それはほかならぬ私が恐れていたことでした。
sanguis abit, mentemque calor corpusque relinquitいっペんに血が退き、心もからだも熱を奪われて、私は新床の中で、氷のように冷くなっていました。
ut leni Zephyro graciles vibrantur aristae,軽やかな西風(ゼピュロス)で細い芒(のぎ)の先が揺れるように、また涼風(すずかぜ)が白楊(ポプラー)のしげり葉をふるわせる、
aut sic, aut etiam tremui magis. ipse jacebasちょうどそれか、あるいはそれよりもっと、私はふるえていました。あなたのほうは、すやすやと眠っていましたが——私が差し上げておいたのは眠りを招く酒でしたから。
Excussere metum violenti jussa parentis;しかし兇暴な父の命令が、私の恐怖を払いました。私は身を起こして、わななく手に剣をつかみます。
non ego falsa loquar. ter acutum sustulit ensem, 14-45けっして嘘を申しません……鋭い刃(やいば)は三度、この手にかざされました、悪意に満ちたその剣は、また三度、元へ戻されました。
admovi jugulo—sine me tibi vera fateri;ついに私はあなたの喉元に剣を当てました——ほんとうのことを白状するのをお許しください——父から手渡された兇器を、私はあなたの喉に当てました。
sed timor et pietas crudelibus obstitit ausisしかし、恐怖と、妻の情愛が、残酷な行為をさまたげました、貞潔なこの右手が、ゆだねられた義務を拒んだのです。
purpureos laniata sinus, laniata capillos紫の衣裳を裂き、髪の毛をむしりながら、かすかな声で私はこう言ったものです——
"saevus, Hypermestra, pater est tibi; jussa parentis「ヒュペルメストラよ、お前の父は残酷なのだ、 父の命令を果たすがよい、目の前にいるその男を彼の兄弟たちの仲間入りさせるがよい!・・
femina sum et virgo, natura mitis et annis; 14-55「でも私はまだうら若い女人の身、性(さが)も年も優しい盛りなのです。きゃしゃなこの手は荒くれた武器を持つようにはできていません。・・
quin age dumque jacet, fortis imitare sorores;「そんなことは言わずに、さあ、この男が寝ている間にお前の姉妹たちを見習うがよい、全部そろって夫を殺せば、聞こえもよいではないか!
si manus haec aliquam posset committere caedem,「もしもこの手がいささかでも殺害を犯しうるものなら、むしろわが身の死で赤く染められましょう。・・
at meruere necem patruelia regna tenendo;「いや、この男たちは叔父(ダナオス)の領国(リビア)を奪い取ったために、このような死に値するのだ、
[Ille ferox solus solio sceptroque potitur;] 14-113
cum sene nos inopi turba vagamur inops. 14-114
「私たち姉妹は、頼るべない老父とともに頼るべもなく流浪しなければならないのに。・・
finge viros meruisse mori: quid fecimus ipsae?「たとえ夫が死に値すると考えるにせよ、私たちはいったい何をしでかしたのでしょう。どんな罪を犯したからとて、私は誠実であってはいけないのですか。
quid mihi cum ferro? quo bellica tela puellae? 14-65「そもそも剣が、私になんの関わりがあるのです、戦さの武器が、若い娘になんの関わりがあるのです——羊毛や糸巻棒のほうが、この手にはずっとふさわしいのに」
Haec ego. dumque queror, lacrimae sua verba sequunturこう言って、嘆いていると、言葉のあとをついて涙が流れ、私の目から落ちてあなたのからだにふりかかります。
dum petis amplexus sopitaque bracchia jactas,またあなたが私を抱こうとして、覚めやらぬ両の腕を投げかけたりなさると、あやうくその手を私の剣が傷つけそうになりました。
jamque patrem famulosque patris lucemque timebam.もはや私は、父と父の奴僕(どぼく)たちと、それに夜明けの光が恐ろしくなり、ついにこう言ってあなたの眠りを追い払ったのです——
"surge age, Belide, de tot modo fratribus unus!「さお起きなさい、ベーロス (アイギ プトスとダナオスの父)の子よ、あまたの兄弟の中でただひとり生き残った人よ!ぐずぐずしては、今日のこの夜が、あなたには永遠の夜になってしまいます!」
territus exsurgis, fugit omnis inertia(主) somni, 14-75びっくりしてあなたはとび起きました。ものぐさな眠気など、いっぺんにけし飛んでしまいます、臆病な手に物々しい武器が持たれているのを、認めたのですもの。
quaerenti causam "dum nox sinit, effuge!" dixi,訳を訊ねるあなたに私は言いました ー「夜の闇に乗じてお逃げなさい!」闇に乗じてあなたは遁れ、そして私は残りました。
Mane erat et Danaus generos ex caede jacentes朝となり、ダナオスは、殺されて倒れている婿たちの数をかぞえます。罪行の総数にあなたひとりが足りません。
fert male cognatae jacturam(損失) mortis in uno近親殺しのただひとりの損失が彼にとっては耐えがたくて、流された血が少なすぎるとて、不平たらたら。
abstrahor a patriis pedibus raptamque capillis私は父の足でひき回され、髪の毛をむしられて——これが貞心の受けた褒美です!——牢屋にぶちこまれました。
Scilicet ex illo Junonia permanet ira, 14-85言うまでもないことながら、ユーノーの怒りは、人間の女(河神イナコスの娘イーオー)が雌牛となり、そして雌牛から女神となったあのとき以来、絶えることもなく続いているのです。
at satis est poenae teneram mugisse puellamか弱い少女が牛になって、今の今まであれほど美しかったのに、たちまちゼウスの寵愛を失ったというだけでも存分の罰ではありませんか。
astitit in ripa liquidi nova vacca parentis雌牛になったばかりの彼女は、父なる河の岸に立ち、その父の流れに、自分のものとも思われぬ角を映したのです。
conatoque queri mugitus edidit ore嘆きの言葉を挙げようとするその口から、もれるのはただ牛のほえ声、彼女はおのれの姿とおのれの声に恐怖しました。
quid furis, infelix? quid te miraris in unda?なぜ狂うのか、あわれな女よ!水に映るおのれの影をなぜ驚いて見つめるのか。新しいからだに生えた足の数を、なぜお前は数えるのか。
illa Jovis magni paelex metuenda sorori 14-95大神ゼウスの寵をうけ、神妃ユーノーにも恐れられたほどのお前が、今では木の葉や芝草で、はげしい餓えをしのぎ、
fonte bibis spectasque tuam stupefacta figuram泉で喉をうるおしては、そこに映るおのれの姿に、呆然となり、おのれのたずさえる武器(角のこと)がおのれを傷つけはすまいかと恐れるのです。
quaeque modo, ut posses etiam Jove digna videri,つい先ほどまでは、ゼウス神にさえ相応(ふさ)うほどの富貴だったお前が、今は裸で裸の地面に臥せっています。
per mare, per terras cognataque flumina curris;お前が、海の上を、陸の上を、また近親(祖父オーケアノス)の流れの上をさすらえば、海も陸もまた河も、お前のために道をあけます。
quae tibi causa fugae? quid tu freta longa pererras?何ゆえにお前は逃避するのか、遠い海原をなぜお前はさまようのか——お前のその姿から逃がれるすべもあるまいに。
Inachi, quo properas? eadem sequerisque fugisque; 14-105イナコスの娘よ、どこへ急ぐのか、お前が逃げようとするものは、いつもお前についてまわるのに。お前はお前自身の導きであり、またお前自身の従者です。
Per septem Nilus(主) portus emissus in aequor七つの口を海に注ぐニールス(ナイル河)が、ついに狂乱の雌牛の面をはぎ、もとの寵姫の顔を露わしました。
ultima quid referam, quorum mihi cana senectusしかし、白髪の老人たちからきかされた遠い昔の話など、どうして今さら持ち出す必要がありましょうか。私たちの時代にも、嘆きの種はいくらもあります。——
bella pater patruusque gerunt; regnoque domoque父ダナオスと叔父アイギュプトスが戦(いくさ)を交え、私たちは領国と館を追われて、地の涯(はて)に役げ出されました。
de fratrum populo pars exiguissima restat; 14-115たくさんの従兄弟たちの中で、生き残ったのはわずかひとり。殺された人たちも、殺した人たちもひとしく私を嘆かせます、
nam mihi quot fratres, totidem periere sorores;従兄弟たちと同じだけの姉妹たちを私は失ったのですから。双方のために私は涙を注ぎましょう。
en ego, quod vivis, poenae crucianda reservor:ごらんなさい、この私は、あなたが無事であるがために、残されて劫罰を受けようとしているのです。いったい正真(しょうしん)の罪人なら、どのような目に遇うのでしょうか、賞讃されるべき行為のために罪を問われ、
et consanguineae quondam centesima turbaeそしていずれは従兄弟と姉妹たちの中で、ただひとりの従兄弟を徐いて、百番目に不幸な死を遂げるとしたら。
At tu, siqua piae, Lynceu, tibi cura sororisしかし、夫リュンケウスよ、もしもあなたがいささかなりとも貞心の従姉妹を大切と思し召すなら、また私のあなたへの貢献に恥じないほどの方ならば、
vel fer opem vel dede neci; defunctaque vita 14-125どうか救いの手をのべたまえ。またたとえ死ぬにまかせたとて、命絶えた私の亡骸を、どうか人目を忍ぶ火葬壇の上へ載せたまえ。
et sepeli(葬る) lacrimis perfusa fidelibus ossaそして真心こもるあなたの涙で、しとどに濡れる私の骨を、地下に葬り、その墓の上に、短い銘をこう刻ませたまえ——
"exul Hypermestra, pretium pietatis iniquum,「これなるは流竄(りゅうざん)のヒュペルメストラ
貞心の不当の報いに
おのが従兄弟のために払いし死をば
わが身もて耐えて忍びぬ」
書きたいことはまだ沢山ありますが、鎖の重みに手は疲れ、恐怖で気力も消え果てました。
【解題】サッポーは言うまでもなくアイオリスはレスボス島生まれのギリシア随一の女流詩人(この「名婦」中唯一の史上の名婦である)。往古流布した伝説によれば、彼女は美貌の若者バオーンに熱烈な思いを寄せたが、失恋して絶望の果て、エピロスのデウカリア湾に臨むレウカースの断崖から身を投げたといわれる。この伝説はギリシア喜劇詩人の作中にも取材されているが、もちろん史実の程は怪しい。この書簡はシチリア島に失踪した若者に宛てたもの。
ひたぶるな右の手の、この文字を眺めただけで、直ぐにも私のだとあなたの眼にはお判りでしょうか。
an, nisi legisses auctoris nomina Sapphus,それともサッポーという執筆者の名を読まなければ、この書簡が誰から来たのかわかりませんか——
Forsitan et quare mea sint alterna requiras 15-5おそらくはまた、これが聯行のエレゲイアで書かれているのを、いぶかるかもしれません。抒情(リュリカ)の調べが、私にはずっと似合っているのにと。
flendus amor meus est; elegiae flebile carmen;愛ゆえに、私は歎かずにはいられません。歎きの歌がエレゲイアです。どんな堅琴も、私の涙には合わないのです。
Uror ut indomitis ignem exercentibus Euris私は燃えてます。まるで容赦もない東風(エウロス)に焔を煽られ、豊穣な秋の野面(のづら)が、烈しく燃えて焼かれるように。
arva, Phaon, celebras diversa(離れた) Typhoidos Aetnae;パオーンよ、君住む里は燃えるエトナ山のはるか彼方。そのエトナ山の焔にも劣らない灼熱が、私を焦がしています。
nec mihi, dispositis quae jungam carmina nervis,端正な絃の調べに、歌を合わせたりはできません。歌は、ものを思わない心の仕業!
nec me Pyrrhiades(<Pyrrhias<Pyrrha) Methymniadesve(<Methymna) puellae, 15-15ピュッラ町の乙女たちも、メテュムナ町の娘たちも、また同性愛の乙女たちも、私には魅力がない。
vilis Anactorie, vilis mihi candida Cydro,少女アナクトリエーもとるにたりない。白くまばゆいキュドローも、いとわしい。アッティスにほれぼれと見入ったのも、昔のこと。
atque aliae centum, quas non sine crimine amavi.その他あまたの、私がこれまで愛した——それも罪なしとせずーー女たちも。悪い人ね、かつては大勢の女たちのものだったその私の愛を、今は何と、あなたがひとり占め。
Est in te facies, sunt apti lusibus anni,何といってもあなたは美貌、それに愉しい盛りの年頃——おお、見る眼をだましくらませるその美貌!
sume fidem et pharetram—fies manifestus Apollo;竪琴と箙(えびら)をお執りなさい——あなたは紛れもないアポローン。頭に角を載せれば一バッコスです。
et Phoebus Daphnen, et Cnosida Bacchus amavit 15-25アポローンもダプネーを、またバッコスもクレタの乙女(アリアドネー)を愛しました。どちらも抒情詩など心得ない女でしたのに。
at mihi Pegasides(ミューズ) blandissima carmina dictant;ところが私には、この上もなく甘美な歌を、詩神らが授けてくれて、私の名は、はやくも世界中に謳(うた)われてます。
nec plus Alcaeus, consors patriaeque lyraeque同じ故郷の、同じ詩歌の仲間ーアルカイオスも、これほど誉れは高くない、彼の方が歌の響きは荘重ですが。
si mihi difficilis formam natura negavit,気むずかしい自然が私に美貌を拒みました。が、私は天賦の才でその損失を償います。
sum brevis. at nomen, quod terras impleat omnes,背は低くても、私の名が、あらゆる国々を満たしています。名が私の背丈(せたけ)なのです。
candida si non sum, placuit Cepheia Perseo 15-35色も白くありません。でもケーペウス(エチオピア王)の娘アンドロメーダは、ペルセウスに好かれました——お里まる出しの色黒でしたのに。
et variis albae junguntur saepe columbaeしばしば、白い鳩が違った色の鳩と番(つが)い、また黒い雉鳩が、緑の鳥(オウム)に愛されます。
si, nisi quae facie poterit te digna videri,もしも容色があなたにも恥じない程に見えない限り、どんな女もあなたのものになれないなら、それこそどんな女も、あなたのものにはなれますまい。
At mea cum legerem, sat jam formosa videbar:でも歌をよんだ時には、私も十分美しく見えました。いつも言葉が上品なのは私ひとり、とあなたは誓ったもの。
cantabam, memini —meminerunt omnia amantes—よく歌ったのを覚えています——恋するものは何でも覚えていますから——歌っている私に、あなたはこっそり接吻(くちづけ)をしたものです。
haec quoque laudabas, omnique a parte placebam— 15-45これがまたあなたの嘆賞の的(まと)。あらゆる点で、私は魅力がありました。が、わけてもそれは、恋の務めの際でした。
tunc te plus solito lascivia nostra juvabat常にもましてあなたを有頂天にさせる床のいたずら——すばやい仕草や、戯れの甘い囁き。
et quod, ubi amborum fuerat confusa voluptas,そしてまた二人の悦びが一つに溶け合ったその後には、得も言えぬけだるさが、疲れたからだを襲ったものです。
Nunc tibi Sicelides veniunt nova praeda puellae.今は、シチリアの女たちが、あなたの新しい獲物。私にとってレスボスが何?シチリアの女に私はなりたい!
o vos erronem tellure remittite vestra,おお、 さすらいの若者をあなたたちの土地から送り返して!ニーソス(シチリアのメガラの創建者)の母たちやニーソスの花嫁たちよ!
nec vos decipiant(騙す) blandae mendacia linguae: 15-55いつわりの甘い言葉にだまされますな!今あなた方に告げているのは、以前私に告げたもの。
tu quoque quae montes celebras, Erycina, Sicanos(シチリアの)また、シチリアの山々に鎮まり給うエリュクスの御女神も、御身の眷属(けんぞく)、この詩人を護り給え。
an gravis inceptum peragit fortuna tenoremいったい、苛酷な運命は始めの歩調の通りに、いつまでも辛い道をたどるものなのか?
sex mihi natales ierant, cum lecta(拾った) parentis私は六つの齢を迎えて間もなく、若く逝(ゆ)いた父親の、骨を集めて涙を注ぎました。
arsit iners frater meretricis(娼婦) captus amore腑甲斐(ふがい)のない私の兄は、商売女にうつつを抜かして、財を散じ汚名を流しました、
factus inops agili peragit freta caerula remo, 15-65よんどころもなく、今は素早い櫂(かい)を手に、みどりの海を放浪の旅、よからぬことで失くした富を、よからぬ手段で探しています。
me quoque, quod monui bene multa fideliter, odit;また、ためを思ってあれこれと苦言するこの私を、憎んでいます、それも私の率直な心、また律義な舌がさせましたのに。
et tamquam desit, quae me sine fine fatiget,まるで苦労の種にこと欠くとでもいうように、幼い娘(サッポーの娘クレイス)がまた私の心配を積み重ねます。
Ultima tu nostris accedis causa querelis;私の繰り言の最後に来るのが、あなたです。私の舟は順風に運ばれてはおりません、
ecce jacent collo sparsi sine lege capilliごらんなさい、髪は乱れてばらばらに、頸(くび)のあたりを覆っています。 まばゆい宝石が、指を飾ってもおりません。
veste tegor vili, nullum est in crinibus aurum, 15-75身にまとう服も粗末、金の髪飾りもなく、アラビアの到来物で、髪が香ってもいません。
cui colar infelix aut cui placuisse laborem(接現)?あわれ私は、誰のためにお化粧を?誰に好かれようとて心を砕く!私のお化粧の原因だったその人は、もういない。
molle meum levibusque cor est violabile telis私の心は繊細で、ほんの軽い矢にも傷つき易い、それがいつも原因で、私はいつも恋の虜(とりこ)。
sive ita nascenti legem dixere(完3複) Sororesあるいは生まれながらに、姉妹神(運命の三女神)らがこうと定めて、私の人生が、粗い糸では織られなかったのか、
sive abeunt(変化する) studia in mores artisque magistraそれとも、習いが性となり、私の技芸(わざ)の御主(おんあるじ)——詩神(ターリア)が私の心を織細にし給うたのか。
quid mirum, si me primae lanuginis(和毛) aetas 15-85されば、柔毛の生え初めしその年頃が、私を虜にしたからとて、何の不思議がありましょう?男でさえ恋しかねない年頃です。
hunc ne pro Cephalo raperes, Aurora(オーロラ), timebam—曙女神(アウロラ)よ、あなたがケパロスの代りに、このひとを奪いはすまいか、と私は心配でした。きっとあなたは奪ったでしょうよ、はじめの恋人(ケパロス)がひきとめなかったら!
hunc si conspiciat, quae conspicit omnia, Phoebe,何でも見つける月女神(ポイベー)が、もしこのひとを見つけたら、今度はパオーンが(エンデュミオンの代わりに)、氷い眠りに落とされたでしょう。
hunc Venus in caelum curru vexisset eburneo,このひとなら美神(ウェヌス)も、象牙の車駕で天界へ運んだでしょう、ただ、夫の軍神(マルス)がこの人に惚れかねないと、用心したまで。
o nec adhuc juvenis, nec jam puer, utilis aetas,まだ大人でもなく、はや子供でもない、魅力の年頃! 人生の華(はな)、すばらしき青春!、
huc ades inque sinus, formose, relabere nostros: 15-95さあここへ、さあここへ、この懐へ戻り給え、美わしき人よ!私を愛して、とは言いません、私に愛されて、と願うのです。
Scribimus et lacrimis oculi rorantur obortis;書きながらに、涙がこみ上げて眼に溢れます。ごらんなさい、ここにこの通り、汚点(しみ)がいっぱいできました。
si tam certus eras hinc ire, modestius isses,あなたはたとえここを去ろうと心に決めても、もっと適当な去り方もできたでしょうに。せめてこう言って行くくらい——「レスボスの恋人よ、さらば!」
non tecum lacrimas, non oscula nostra tulisti;しかし、あなたは私の涙も見ず、私に接吻(くちづけ)もしてはくれなかった。とどのつまり、私はその先にどんな嘆きが待っているか、それさえ懸念しなかった、
nil de te mecum est, nisi tantum injuria. nec tu,あなたが私に残していったのは、ただひどい仕打ちだけ。またあなたも、私のことを思い出させる愛の徴しを何一つ持って行きません、
non mandata dedi. neque enim mandata dedissem 15-105かたみの言葉も贈らなかった。かたみの言葉を贈るにしても、ただ、「私を忘れ給うな」というよりほかはなかったでしょうが、
per tibi—qui numquam longe discedit— Amorem私たちの愛にかけて——愛よ、ゆめゆめ遠く離れてはならじ!また九柱の、私を護りの詩神にかけて、誓います——
cum mihi nescio quis "fugiunt tua gaudia" dixit誰やらが私に、「お前の好きなひとがいなくなった!」と告げた時、しばし泣くことも、物言うこともできませんでした。
et lacrimae deerant oculis et verba palato,眼は涙を、舌は言葉を失って、胸は氷のように凍ってしまいました。
postquam se dolor invenit nec pectora plangiやがて悲しみからわれに帰ってからは、恥も忘れて、胸をうち、髪をむしっておめきあげました。
non aliter quam si nati pia mater adempti 15-115それは、ちょうど慈(やさ)しい母が、死んだ子供のなきがらを、積み上げた殯火(もがりび)へ運ぶ、その姿にも変わりません。
gaudet et e nostro crescit maerore Charaxus喜んだのは兄のカラクソスで、私の愁嘆に上機妹。眼の前を行きつ戻りつ、
utque pudenda mei videatur causa doloris,私の悲しみの原因を、いかがわしいものに見せようとして、「何を悲しんでいる?娘が死んだとでも言うのか!」・・
non veniunt in idem pudor atque amor; omne videbat愛と慎みは、一つには折り合いません。みんなが見ていました——懐もひき裂かれて、胸乳も私は露わでした。
Tu mihi cura, Phaon; te somnia nostra reducunt—心に思うのは、パオーン、ただあなただけ。眠れば夢があなたを連れ戻す——美しい昼よりもなお輝かしい夜の夢。
illic te invenio, quamvis regionibus absis; 15-125そこで私はあなたを見つける、いくら遠くに離れていても。ただ、眠りの中の喜びは長くは続かない。
saepe tuos nostra cervice onerare lacertos,しばしば、私のうなじがあなたの腕に、またしばしば、あなたのうなじが私の腕にもたれます。
oscula cognosco, quae tu committere lingua接吻(くちづけ)も覚えます——心地よい舌の愛撫、それを受けたりまた与えたり。
blandior interdum verisque simillima verba折々に、しどけなく、ありありと現(うつ)つの言葉をしゃべります。口は私の官能の目覚めた番人。
ulteriora pudet narrare, sed omnia fiunt—それから先を話すのは恥ずかしい、でも何もかも起こります、悦びに、われにもなく取り乱してしまうのです。
At cum se Titan ostendit et omnia secum, 15-135しかし、太陽(ティターン)が顔をのぞかせ、地上を照らし出せば、たちまち眠りは、私を見捨てる——その悲しさよ。
antra nemusque peto, tamquam nemus antraque prosint:私の目指すのは、岩洞や森。森や岩洞が、何かの足しになるみたいに——でもそれが、私の悦楽の秘密を見知った場所です。
illuc mentis inops, ut quam furialis Enyoそこへ、正気の態もなく、まるで狂乱のエニューオー(戦いの女神)に触れられたように、頭に髪を振り乱して走ります。
antra vident oculi scabro(凸凹の) pendentia tofo,眼に見えるのは、ごつごつした崖に覆われた岩洞——それも私には、ミュグドニア(プリュギア)の大理石にも匹敵しました。
invenio silvam, quae saepe cubilia nobis森を見つけます、しばしば私たちの臥床となって、葉蔭に覆ってくれた森を。
at non invenio dominum silvaeque meumque. 15-145しかし主(ぬし)を——森と私の主を、見つけることはできません。場所だけではつまらない、その主こそが、この場所の宝でした。
cognovi pressas noti mihi caespitis herbas;見覚えのある芝生の、圧しつけられた草の跡。私たちのからだの重みで、地面が凹んでいるのがわかります。
incubui tetigique locum qua parte fuisti;身を横たえて、昔あなたが坐った場所に、そっと触れれば、流れる涙に、懐かしい草々もしとどに濡れる。
quin etiam rami positis lugere videntur私ばかりか、樹々の枝さえ葉を落として、嘆くよう。また甘い歌声を響かせる鳥もいない。
sola virum non ulta pie maestissima materただ悲しく悼ましい母(プロクネー)が、復讐の思いも新たに、嘆きの娘イテュースを歌うばかり。
ales Ityn, Sappho desertos cantat amores— 15-155鳥は亡き子(イテュース)を、サッポーは失われた愛を歌う——ただそれだけ。ほかはただ、 真夜中のような静けさです。
Est nitidus vitroque magis perlucidus omni水晶よりも美しく透き徹った、聖い泉がある——そこには神様が住んでいる、と大勢が信じています。
quem supra ramos expandit aquatica lotos,水の忘憂樹(ロートス)がその上に枝を拡げて、こんもりと茂みを作り、柔かい緑の芝草が、あたりの地面を覆っています。
hic ego cum lassos posuissem flebilis artus,そこに私は疲れたからだを横たえて、悲しみの涙にふけっていました、と、眼の前に、ひとりの水妖精(ナイアース)が姿を現わし、
constitit et dixit: "quoniam non ignibus aequisかたわらに立って言いました。「鎮めようもない焔に焼かれているなら、アンブラキアの地をこそ、目指すがよい。
Phoebus ab excelso, quantum patet, aspicit aequor(海原)— 15-165「ポイボス神が高みから、拡がる限りの海原を見渡す所。人呼んでアクティウムの海、あるいはレウカースの海とも称える。
hinc se Deucalion Pyrrhae succensus amore「ここから、昔デウカリオーンはピュッラへの愛に焦れて、身を投げたが、からだは少しも傷つかず水をうった。
nec mora, versus amor fugit lentissima mersi「たちまちに、水中に沈んだ彼の劇しい恋情は向きを変えて頑固な胸から消えて、デウカリオーンは恋の焔から救われた。
hanc legem locus ille tenet. pete protinus altam「これがその地に定まる習わし、直ちに高いレウカースに赴き、恐れずに断崖から跳び降りるがよい!」
Ut monuit, cum voce abiit. ego territa surgoこう忠告すると、彼女の姿は声もろともに消えました。驚いて私は立ちあがる、眼は涙を抑えることもできません。
ibimus, o nymphe, monstrataque saxa petemus; 15-175行きますとも、ニンフ!あなたの教えたその断崖を指して。恐れもとく消えよ、狂おしい愛に負かされて!
quidquid erit, melius quam nunc erit. aura, subito—どのようになろうとも、今よりはまし、風よ、早くおいで!私のからだも、大して重くはない。
tu quoque, mollis Amor, pinnas suppone cadenti,優しい愛神(アモル)!お前も、倒れかかる私の下へ翼を拡げておくれ。このまま死んだら、レウカースの波も恨みをうけようから。
inde chelyn(竪琴) Phoebo, communia munera, ponam,さてその折はポイボス神に竪琴を——御神にも私にも共通の賜(たまもの)を、献げましょう、その下に、相並ぶ二行の詩句を、こう刻んで
"grata lyram posui tibi, Phoebe, poetria Sappho:「これなる琴(リュラ)は、楽神(ポイボス)に詩人サッポー捧げしもの、それはわれらにもまた御神にもふさわしかるべし」
Cur tamen Actiacas miseram me mittis ad oras, 15-185それにしても、なぜあなた(パオーン)は哀れな私をアクティウムの岸へやるのです?さすらいの足を、自分でこちらへ戻すこともできるのに。
tu mihi Leucadia potes esse salubrior unda;あなたこそレウカースの波にもまして、私を救えます。姿といい、功徳といい、あなたはポイボスにもなれましょう。
an potes, o scopulis undaque ferocior omni,それともあなたは——ああ、巌よりも浪よりも恐ろしい人!——私が死んだら、その死の張本人を平気で名乗っていられるのですか?
a quanto melius tecum mea pectora jungi,私にしても、きりそそる巌から身を投げるより、この胸をあなたの胸に任せる方が、どれ程ましなことか!
haec sunt illa, Phaon, quae tu laudare solebasこれは、パオーン!あなたがいつも賞めたたえたあの胸です。天賦の才に満ちていると、あなたの目にも映った胸です。
nunc vellem facunda forem! dolor artibus obstat 15-195今こそよどみなく歌わん ——と望んでも、嘆きが技(わざ)の邪魔をする。天賦の才も、私の不幸の前にはことごとく屈してしまう。
non mihi respondent veteres in carmina vires;いにしえの歌の力も、もう湧いて来ません。悲しみに撥(ばち)も黙し、悲しみに琴も鳴りません。
Lesbides aequoreae, nupturaque nuptaque proles,ああ、レスボスの波の娘(こ)らよ!乙女たちよ!花嫁たちよ!アイオリスの竪琴に名を響かせた女たちよ!
Lesbides, infamem quae me fecistis amatae,不評判な私の愛を受けたレスボスの女たちよ!私の竪琴の周りに集まるのはもうおやめなさい!
abstulit omne Phaon, quod vobis ante placebat,今までのあなたたちの慰めは、みんな……パオーンが奪ってしまった!ほんに私としたことが、「パオーン様」とあやうく呼んでしまいそう。
efficite ut redeat. vates quoque vestra redibit. 15-205どうかしてあの人を連れて来て!そうすればあなたたちの詩人も、戻って来ます。私に霊感を与えたのは、あの人、それを奪ったのも、あの人です。
Ecquid ago precibus pectusve agreste movetur,でもはたして懇願が役に立つのか、冷酷な心を動かせるのか。それとも冷たく凍ったままで、言葉はいたずらに西風が運ぶのか?
qui mea verba ferunt, vellem tua vela referrent;風が私の言葉を運ぶのなら、あなたの帆も運び返してくれるよう!情け分別がおありなら、あなたも当然そうするはず、何をぐずぐずしているのです!
sive redis, puppique tuae votiva paranturもし帰ろうとして、愛の徴しの贈り物を、船の舳(へさき)に備えているのなら、何をぐずついて私の胸をひき裂くのです?
solve ratem! Venus orta mari mare praestat(示す) amanti.纜(ともづな)をお解きなさい!恋する人のためなら、ウェヌスも海から現われて先導してくれましょう。風も船路を急がせましょう。あなたはただ纜を解くだけでいい!
ipse gubernator residens in puppe Cupido; 15-215クビドーが自ら、舳先(へさき)に立って舵(かじ)をとってくれましょう。自ら華奢な手に、帆をかかげたり捲き返したりしてくれましょう。
sive juvat longe fugisse Pelasgida Sappho—それとももし、このサッポーから遠く逃げて、それを愉快とされるなら——いいえ、私から逃げ出す理由なんかありません——
hoc saltem miserae crudelis epistula dicat,
無情な便りで哀れな私に、せめてこう告げ給え——レウカースの海に死を求むべし!
以上の和訳は筑摩書房『世界文学大系ローマ文学集』所収のものに一部手を加えたものである。ただしそれは15番までしかない。16番から21番の和訳は『ヘーローイデス』(平凡社)にある。以下ではそれをもとにして、分かりにくい所は変更した。
【解題】パリスがヘレネを略奪してトロイに連れ帰ったことで、トロイ戦争が起こったことは、周知の通りであるが、このパリスの手紙は、パリスがスパルタに着いたあと、夕食の後にメネラオスがクレタに出かけて、ベッドに一人でいるヘレネーに出した手紙となっている。
Hanc tibi Priamides mitto, Ledaea, salutem,レダの娘ヘレネーよ、あなたにプリアモスの子パリスが幸福を願う手紙を送ります。僕の幸福はあなたが与えることによってのみ得られるのです。
Eloquar(言う), an flammae non est opus(必要だ) indice notae(明らかな),僕は自分の恋心を言葉にすべきでしょうか?それとも、この恋はすでにあなたが知っているので言う必要はなく、僕の恋は僕が思う以上にすでに明らかなのでしょうか?
ille quidem lateat malim, dum tempora dentur 16-5何の恐れもなく恋の喜びを味わえる時が来るまで、この恋を隠しておくほうがよかったと僕は思います。
sed male dissimulo; quis enim celaverit ignem,でも、僕は本心を隠すのは苦手です。だって、誰が恋の炎を隠せるでしょうか?恋はいつも自分の炎で明らかになってしまうのですから。
si tamen expectas, vocem quoque rebus ut addam:でも、事実を言葉にしてほしいとあなたが言うのなら、言いましょう。僕は恋に身を焼かれています。これであなたは僕の気持ちを言葉で知ったことになります。
parce, precor, fasso(>fateor), nec vultu cetera duroお願いです。告白した僕を許してください。無粋な顔をせずにあなたの美しさにふさわしい顔をして最後まで読み通してください。
Jamdudum gratum est, quod epistula nostra recepta僕の手紙が受けとられたことを、僕は喜んでいます。それで、僕自身も同じように受けとられる望みが出てきたからです。
quae rata sit; nec te frustra promiserit, opto, 16-15僕の願いは、その希望が実現して、僕をこの航海へ促したキューピッドの母ウェヌス(ビーナス)があなたを僕のものにしてやると約束したことがむだにならないことです。
namque ego divino monitu—ne nescia pecces—そうです。知らないあなたが間違わないために言えば、僕はこの女神の導きでやってきたのです。この企ては神の強い意志なのです。
praemia magna quidem, sed non indebita(不当な) posco:僕の求める褒美は大きいものですが、不当なものではありません。女神ウェヌスがあなたを僕の妻にくれるというのは女神の約束なのですから。
hac duce Sigeo dubias(危険な) a litore feci僕は女神を水先案内人にしてペレクロスの船でトロイの岸から広大な海を渡って危険な航海を進めてきました。
illa dedit faciles auras ventosque secundos—女神は優しいそよ風と順風を送ってくれました。海から生まれた女神ですから、彼女が海を支配しているのは当然です。
perstet(接 変わらない) et ut pelagi, sic pectoris adjuvet(助長) aestum(高ぶり), 16-25僕に対する女神の好意が変わることなく、海原だけでなく、この恋の炎の後押しをしてくれて、僕の願いをその港であるあなたのもとへ届けてくれますように。
attulimus flammas, non hic invenimus, illas.この恋の炎を僕はここへ運んできましたが、ここで見つけたのではありません。これこそ僕がこんなに遠くまで旅をしてきた理由なのです。
nam neque tristis hiems neque nos huc appulit error;というのは、僕がここへ辿り着いたのは嵐や針路を誤ったせいではないのです。スパルタが僕の艦隊の目的地だったのです。
nec me crede fretum merces(対>merx商品) portante carina僕は商品を運んで帰るために船で海に乗り出したと思わないでください。僕が持っている物はどうなろうとかまわないのです。
nec venio Graias veluti spectator ad urbes;ギリシアの町を見物するために来たのでもありません。僕の国の町のほうが豊かです。
te peto, quam pepigit(約束) lecto(寝台) Venus aurea nostro; 16-35僕は黄金のウェヌスが僕の寝室に約束したあなたに会うためにやって来たのです。僕はあなたをまだ見たこともないときから会いたかったのです。
ante tuos animo vidi quam lumine vultus;僕はあなたの顔をこの目で見る前に心で見ていました。最初にあなたのことを噂に聞いたときに僕の心は射抜かれていたのです。
nec tamen est mirum, si sic cum polleat(必ず〜) arcu(弓),また、これは不思議なことではありません。強力な弓から放たれた矢が遠くから僕に命中して、僕は恋に落ちたのです。
sic placuit fatis; quae ne convellere(くつがえす) temptes,これは運命だったのです。それをあなたがくつがえそうと試みないように言うなら、嘘偽りなく語る僕の言葉を聞いて下さい。
matris adhuc(なお) utero(子宮) partu(出産) remorante(手間取る) tenebar;母の出産が難産で、僕はまだ胎内に留まっていましたが、子宮はしかるべき重みがかかって今にも生まれそうでした。
illa sibi ingentem visa est sub imagine somni 16-45彼女は燃え上がる巨大な松明を月満ちた子宮から産み出す夢を見たのです。
territa consurgit metuendaque noctis opacae彼女は驚いて起き上がると、夜の暗がりに見た恐るべきことを老いた夫の王プリアモスに話し、王は占い師たちに話しました。
arsurum(燃える) Paridis vates(主) canit Ilion igni—占い師はトロイがパリスの火で炎上するだろうと告げたのです。それは、僕の胸に燃える炎のことだったのです。それがいま起きていることなのです。
forma vigorque animi, quamvis de plebe videbar,(捨て子として育って羊飼いをしていた)僕は庶民の出と思われていましたが、容姿と精神のきらめきが、隠された生まれの高さを示していました。
est locus in mediis nemorosae vallibus Idae森深いイーダ山の谷あいに一つの場所があります。街道からはずれ、松やトキワガシの木が生い茂り、
qui(奪) nec ovis(主複) placidae nec amantis saxa capellae 16-55おとなしい羊も、岩場を好む山羊も、大きな口でゆっくりと反芻する牛もえさ場とはしていない場所なのです。
hinc ego Dardaniae muros excelsaque tecta僕は体を木にもたせかけて、ここからトロイの城壁と高くそびえる屋根と海を眺めていました。
ecce, pedum pulsu visa est mihi terra moveri—するとどうでしょう。大地が多くの足に踏みしだかれて揺れ始めたのです。これから話すことは、とても本当とは信思えないでしょうが、本当のことなのです。
constitit ante oculos actus velocibus alis僕の目の前に立ちあらわれたのは、速やかな翼で飛んできた、巨大なアトラスとプレイオネーの孫ヘルメスでした。
fas vidisse fuit, fas sit mihi visa referre—見ることが許されたのだから、それを語ることも許されるでしょう。神ヘルメスの五本の指は黄金の杖を握っていました。
tresque simul divae, Venus et cum Pallade Juno, 16-65一緒に三人の女神、ウェヌスとアテネとユーノーが草地の上にたおやかな足を下ろしたのです。
obstipui, gelidusque comas erexerat(立てる) horror,僕は肝を潰しました。冷たい恐怖で髪の毛が逆立ったのです。そのとき僕に翼ある使いの神ヘルメスが言ったのです。「恐れを捨てよ。
'arbiter es formae; certamina siste(終わらせる) dearum,「お前は美の審判者だ。三人の女神うちで誰が一番美しい女神であるかという彼女たちの争いを決着させよ」。
neve(そして〜しないように) recusarem, verbis Jovis imperat et se僕が拒まぬように、神ヘルメスはユピテルの名において命令を下すと、すぐさま天の道を空へ昇って行ったのです。
mens mea convaluit(強くなる), subitoque audacia venit僕は気を取り直しました。急に勇気が湧いてきたのです。恐れることなく、女神たちそれぞれに目を向けて観察しました。
vincere erant omnes dignae judexque querebar 16-75誰もが勝者になる資格がありました。全員を勝ちと出来ないことに、審判である私は嘆きました。
sed tamen ex illis jam tunc magis una placebat,にもかかわらず、すでにそのとき三人のうちから僕は一人を選んでいました。それはあなたもご存知のとおり、恋心を起こす女神だったのです。
tantaque vincendi cura est; ingentibus ardent勝利への執念はすごいものです。誰もが必死にたいへんな贈り物で僕に選ばれようとしました。
regna Jovis conjunx, virtutem filia jactat;ユピテルの奥さまユーノーは王位を、ユピテルの娘アテネは人にまさる武勲をくれると言いました。僕自身も王位と武勲のどちらをほしいか迷いました。
dulce Venus risit 'nec te, Pari, munera tangant(動かす)するとウェヌスが微笑んで言ったのです、「パリスよ、そんな贈り物に動かされてはなりません。どちらも不安と恐怖に満ちていますよ。
'nos dabimus, quod ames(接), et pulchrae filia Ledae 16-85「私はお前に愛するものをあげましょう。美しきレダの娘、母にまさって美しい娘をお前に抱かせてあげましょう」。
dixit, et ex aequo(等しく) donis formaque probatis女神はこう言ったのです。そして、贈り物でも美しさでも私に気に入られた彼女は、勝利を携えて天へ戻っていったのです。
interea sero versis ad prospera fatisそのうちに、やっと僕の運命は好転して、形見のお守りが本物と分かり、僕は王の息子であることが判明したのです。
laeta domus nato per tempora longa recepto,息子が長い時間ののちに戻ったことで、王の家は喜びました。そして、トロイはこの日を祝日に加えたのです。
utque ego te cupio, sic me cupiere puellae;そして、いま僕があなたに求愛しているように、多くの娘たちが僕に求愛しました。だから、あなたは多くの娘のあこがれの的を独り占めできるのです。
nec tantum regum natae petiere ducumque, 16-95王侯や将軍たちの娘たちが僕に求愛しただけではなく、ニンフたちも僕に求愛したのです。
quam super Oenonen facies mirarer(未完)? in orbeでも、ニンフ・オイノーネー(第五歌参照)以上の美人はいませんでした。この世で、あなたの次では、彼女ほどプリアモスの義理の娘になるのにふさわしい女はいないでしょう。
sed mihi cunctarum subeunt fastidia, postquamしかし、テュンダレオスの娘ヘレネーよ、僕にあなたと結婚する希望が生まれてからは、僕はどの娘も嫌いになりました。
te vigilans(眠らない) oculis, animo te nocte videbam,僕はあなたの姿を、起きている時はこの目で、夜になって寝ているときは夢の中で見ていました。
quid facies praesens, quae nondum visa placebas?まだ見ないうちから僕が愛したあなたを実際に目の前にしたら、僕はどれほど愛することでしょう?恋の炎が遠くこの地にあったときから、僕はすでに恋の炎に燃えていたのです。
nec potui debere(与えずにおく) mihi spem longius istam, 16-105僕は燃える思いをこれ以上抑えられなくなったので、憧れの人を求めて海を渡ることにしたのです。
Troica(奪) caeduntur Phrygia pineta securiそこで、トロイの松がトロイの斧で切り倒されました。さらに、航海に必要な木々が切り倒されました。
ardua proceris(高い) spoliantur Gargara silvis(木々),ガルガラの険阻な峰から聳え立つ木々が刈り取られ、広大なイーダ山から無数の木材が僕のもとへ届けられました。
fundatura citas flectuntur(曲げる) robora(主) naves,樫の木が快速の船の骨組みとするためにたわめられ、湾曲した船体に肋骨材がはめ込まれました。
addimus antennas(帆桁) et vela sequentia malo(帆柱);僕がマストに帆と帆桁を取りつけると、鈎状に曲がった船尾には神々が描かれました。
qua tamen ipse vehor, comitata(付き添われた) Cupidine parvo 16-115けれども、僕が乗る船には、あなたとの結婚を保証する女神ウェヌスの姿がかわいいキューピッドに付き添われて描かれたのです。
imposita est factae postquam manus ultima classi,最後の仕上げが行われて船団が完成すると、すぐさま僕はエーゲ海に乗り出そうとしました。
at pater et genetrix inhibent(妨げる) mea vota rogando(懇願する)ところが、父と母が懇願して僕の願いの実現を妨げたのです。僕が意図した旅は、愛情に満ちた彼らの言葉によって先延ばしにされたのです。
et soror effusis ut erat(いつものように) Cassandra capillis,妹のカッサンドラーはいつものように髪を振り乱した姿で、僕らの船がいまや帆を上げようとしていたときに
'quo ruis?' exclamat, 'referes(未) incendia tecum!叫んだのです、「どこへ急ぐの?あなたは大火を連れて戻るでしょう!あなたはこの水面を渡って求めている炎がどれほど大きいかを知らないのよ!」。
vera fuit vates; dictos invenimus ignes 16-125彼女の予言は本当でした。言われたとおりの炎を僕は見つけたのです。そしてこの胸の中に愛の激しい炎が燃え上がっているのです。
portubus egredior ventisque ferentibus usus僕は港から出発し順調な風にも恵まれて、スパルタのニンフよ、あなたの住む陸地へ船を着けました。
excipit(歓迎する) hospitio(歓待) vir me tuus: hoc quoque factum(est)あなたの夫が僕を歓迎しましたが、このこともまた神の配慮と意図によるものでした。
ille quidem ostendit, quidquid Lacedaemone(奪) tota彼はなんであれスパルタ全土で見る価値のあるもの、見事なものを見せてくれました。
sed mihi laudatam cupienti cernere formamしかし、僕は評判の美貌を是非とも見たかったので、それ以外のものは僕の目には入らなかったのです。
ut vidi, obstipui praecordiaque(S) intima(奥) sensi 16-135それを見たとき、僕は肝を潰して、茫然としたまま、胸の奥底で新たな不安が膨れ上がるのを感じました。
his similes vultus, quantum reminiscor, habebat,ウェヌスが僕の審判を受けにやって来たとき、女神はあなたにそっくりの顔をしていたことを僕は思い出したのです。
si tu venisses pariter certamen in illud,もしあなたが一緒にあの審判の場に来ていたら、ウェヌス女神の勝利は覚束ないものだったでしょう。
magna quidem de te rumor(主) praeconia(告知) fecit,噂のせいであなたはたいへんな評判になっていました。あなたの美貌を知らない国はどこにもなかったのです。
nec tibi par usquam Phrygiae(属) nec solis ab ortuトロイでも東方のどこでも、あなたに肩を並べる名声をもつ美女は他にいないかったのです!
credis et hoc nobis? minor est tua gloria(評判) vero, 16-145そして、これだけはあなたに信じて欲しいのですが、それは、あなたの評判は真実には及ばないということです。噂はあなたの美しさを過小評価していたのです。
plus hic invenio, quam quod promiserat illa(fama),僕がここで見つけたものは噂が約束したもの以上でした。あなたの名声は実物に凌駕されていたのです。
ergo arsit merito, qui noverat(過去完) omnia, Theseus,だからこそ、あなたの美しさの全てを知ったテセウスは恋に燃えたのであり、彼ほどの勇士にとってあなたがふさわしい戦利品と思われたのは当然だったのです。
more(風習) tuae gentis nitida(奪) dum nuda(主) palaestra(奪)それはあなたがスパルタ人の習慣で女なのに、光る体育場の競技に裸の男たちと裸でいっしょにいたときのことだったのです。
quod rapuit, laudo; miror quod reddidit umquam.彼があなたを盗み出したことを私は賞賛しています。しかし、彼があなたを返したことは驚きです。そんな素敵な戦利品なら変わらぬ心で持ち続けるべきでした。
ante recessisset(離れる) caput hoc cervice cruenta, 16-155僕ならたとえこの頭が血まみれになって首から離れようとも、あなたが僕の寝室から奪われることはなかったでしょう。
tene manus umquam nostrae dimittere vellent(未完接 同意する)?僕の両手があなたを手放すことに同意したりするでしょうか?あなたが僕の胸元から離れていくことに、僕は生きて耐えられたでしょうか?
si reddenda fores, aliquid tamen ante tulissemたとえあなたを返さなければならかったとしても、僕ならその前に愛の印を何か手に入れずにおかなかったでしょう。僕の愛をまるきり無駄にしはしなかったでしょう。
vel mihi virginitas esset libata vel illud例えば、僕はあなたの純潔を摘み取ったか、さもなくば、あなたの純潔を損なわずに奪えるものを奪ったでしょう。
Da modo te, quae sit Paridis constantia nosces(未):あなたは僕に身を預けてくれさえすれば、僕の気持ちの強さが分かるでしょう。僕の恋の炎を消せるのは火葬の炎だけなのです。
praeposui regnis ego te, quae maxima(f.) quondam 16-165僕はユピテルの后でかつ妹の偉大な女神ユーノーが僕にかつて約束した王位よりもあなたのほうが価値があると思ったのです。
dumque tuo possem circumdare bracchia collo,あなたの首のまわりに両腕を投げかけられるかぎり、僕にとって女神アテネがくれるという武勲も価値は低いのです。
nec piget aut umquam stulte legisse videbor;いま僕は後悔していないし、これからも愚かな選択をしたと思うことはないでしょう。僕の気持ちは堅まっています。この願いはいつまでもやむことはないでしょう。
spem modo ne nostram fieri patiare caducam,あなたはこれほど苦労して求めるに値する人なのです。どうか僕の希望が失望に変わることだけはないようにしてほしいと、僕は祈るばかりです。
non ego conjugium generosae(高貴な) degener(卑しい) opto,僕は卑しい身分でありながら高貴な女性と結婚したがっているのではあひません。だから、信じてください、僕の妻となってもあなたの恥とはならないのです。
Pliada, si quaeres, in nostra gente Jovemque 16-175調べれば、僕の一族には、途中の祖先は別として、アトラスの娘の一人とユピテルが見つかるでしょう。
regna parens Asiae, qua nulla beatior ora(国) est,父はアジアの王国を支配しています。それはどこよりも栄えた国で、広大な領土ゆえに巡回することもままならない国なのです。
innumeras urbes atque aurea tecta videbisあなたはそこで無数の町々と黄金に輝く家々を目にするでしょう。そして、神殿を見ればその神々に相応しい立派さなものだと言うでしょう。
Ilion aspicies firmataque turribus altisあなたはトロイと、高い矢倉で防備を固めた城壁と、アポロンの竪琴の調べによって築かれた城壁を見るでしょう。
quid tibi de turba narrem numeroque virorum?どうしてあなたに国民の人口の豊かさを語る必要があるでしょうか?あの国土に収まりきらないほどの人口があるのです。
occurrent(未) denso tibi Troades agmine matres 16-185トロイの婦人たちがびっしりと並んであなたを迎えるはずなのです。トロイの婦人はトロイの王宮の広間に入らないほどいると思うでしょう。
o quotiens(何度) dices: 'quam pauper Achaia nostra est!'あなたは「私たちのギリシアはなんて貧しいのでしょう」と何度も言うでしょう。どの家一つをとっても都に匹敵する富があると思うでしょう。
nec mihi fas fuerit Sparten contemnere vestram:だからといって、僕があなたのスパルタをさげすむことは出来ないでしょう。あなたが生まれた国は僕にとっては豊かな国なのですから。
parca(けち) sed est Sparte(=Sparta), tu cultu(飾り) divite(裕福な) digna;しかし、スパルタは貧しい国です。あなたには裕福な暮らしがふさわしいのです。そんなに美しいあなたにスパルタは似合わないのです。
hanc faciem largis sine fine paratibus(衣装) utiあなたほど美しければ、限りなく豊かに飾り立てて、新奇な贅沢にひたるのがふさわしいのです。
cum videas cultus nostra de gente virorum, 16-195あなたがトロイの男たちの身なりを見るときには、トロイの娘たちはどんな身なりをしていると思うでしょうか?
da modo te facilem nec dedignare maritum,あなたはスパルタの田舎で生まれた娘なのですから、プリュギアの夫を見下さないで、どうか僕に優しくしてください。
Phryx(プリュギアの) erat et nostro genitus de sanguine, qui nuncいま神々が飲むネクタルを水で割っているガニュメデスはプリュギアの生まれで、僕の一族だったのです。
Phryx erat Aurorae conjunx, tamen abstulit illumアウローラの夫ティトーノスもプリュギア人でした。にもかかわらず、夜の終点を画している女神は彼をさらったのです。
Phryx etiam Anchises, volucrum(複属つばさ) cui mater Amorumアンキーセースもプリュギア人でした。翼持つキューピッドの母ウェヌスは彼とイーダの峰で喜んでしとねをともにしました。
nec, puto, conlatis forma Menelaus et annis 16-205また、あなたが審判者となるなら、見かけと年で比べて、メネラオスが僕よりまさるとあなたが思うことはないはずです。
non dabimus certe socerum tibi clara fugantem少なくとも僕と結婚すれば、あなたの義理の父親は、メネラオスの父アトレウスのように、恐ろしい料理を出して、太陽に目を背けさせ、驚愕したその馬たちを後戻りせるような人ではないのです。
nec Priamo pater est soceri de caede cruentusまた僕の祖父は、メネラオスの祖父ペロプスのように、妻ヒッポダメイアの父親を殺して血まみれになったり、その御者ミュルティロスを海に投げ落としてその海(ミュルトス海)にその罪の跡を残しているような人ではないのです。
nec proavo Stygia(奪) nostro captantur in undaまた僕の曾祖父は、ペロプスの父タンタロスのように冥界の川の中で果実をつかもうとしたり、水の中で水を欲しがるような人ではないのです。
[quid tamen hoc refert, si te tenet ortus ab illis?[しかし、彼らの子孫のあの男があなたを自分のものにしているとすれば、こんなことを言って何になるでしょうか?しかも、この家の義理の父はあなたの父ユピテルだと言われているのです。]
heu facinus! totis indignus noctibus ille 16-215ああ、あなたに相応しくないあの男が夜中じゅうずっとあなたを抱きしめて、あなたの愛撫を楽しんでいるなんて、これはもう犯罪です。
at mihi conspiceris(受2) posita(奪) vix denique mensa,ところが、僕があなたの姿を見られるのはようやく夕食が出されたときなのです。そして、そのときも僕の心を傷つけることばかりなのです。
hostibus(敵) eveniant convivia talia nostris,そのあと宴の席で酒が出されるたびに僕が味わっていることは、願わくば僕ではなく僕の敵どもに味わってもらいたいものです。
paenitet hospitii, cum me spectante lacertosあの野暮な男がまさに僕の目の前で両腕をあなたの首にまわすときには、僕は来なければよかったと思いました。
rumpor et invideo (quianam non omnia narrem?)あの男があなたの服の下に手を入れてあなたの体を愛撫したときには、僕は嫉妬で胸が張り裂けんばかりでした(僕はすべてを語らずにはいられません)。
oscula cum vero coram non dura daretis(未完接), 16-225ですが、あなたたちが人前で愛情のこもった口づけを交わしたときには、それが見えないように僕は盃を手に取って目の前にかざしました。
lumina demitto cum te tenet(抱く) artius ille,あの男があなたをさらに抱き寄せたときには、僕は視線を落としました。口の中で無理やり入れる食べ物がねちねちと増えるばかりでした。
saepe dedi gemitus; et te—lasciva!—notavi僕は何度も嘆息をつきました。すると、悪い人であるあなたは僕の嘆息に笑いをこらえきれないでいるのに僕は気付きました。
saepe mero volui flammam compescere, at illa僕は何度も酒で心の炎を鎮めようとしましたが、炎は大きくなるばかりでした。酔いは炎に火を注ぐだけでした。
multaque ne videam, versa cervice recumbo;もうそれ以上は見ていられないので、僕か顔をそむけて寝そべりました。しかし、僕の目はすぐにあなたの方へ引き戻されるのでした。
quid faciam, dubito; dolor est meus illa(対) videre, 16-235どうしたらいいか僕は迷いました。あなたのしていることを見ると僕の心は痛みます。しかし、あなたの顔から目を離せば、僕の心はもっと痛んだからです。
qua licet et possum, luctor(努力する) celare furorem,できるかぎり僕は狂おしい思いを隠そうと努めました。しかし、いくら隠そうとしても恋は顕れてしまうのです。
nec tibi verba damus; sentis mea vulnera, sentis!僕はあなたを騙せませんでした。あなたは僕が傷ついていることに気付いていたからです。願わくは、気付いていたのがあなた一人だけでありますように。
a, quotiens lacrimis venientibus ora reflexi,ああ、僕は湧き出る涙を隠すために何度顔を背けたことでしょう。あの男に僕の涙の理由を聞かれたら困るからです。
a, quotiens aliquem narravi potus amorem,ああ、酔った僕は何度恋の物語をしたことでしょうか。その一語一語を僕はあなたの眼差しに向けて投げかけながら、
indiciumque mei ficto sub nomine feci; 16-245他人の名前を使って僕自身のことを語っていると合図を送りました。いいですか、その恋する男とは本当は僕のことだったのです。
quin etiam ut possem verbis petulantius uti,それだけではありません。僕はもっと情熱的な言葉を使うために、一度ならず酔ったふりもしました。
Prodita sunt, memini, tunica(奪) tua pectora laxa僕は覚えています。ゆったりしたトゥニカからあなたの胸がはだけて、露わな乳房が僕の目に見えたことがありましたが、
pectora vel puris nivibus vel lacte tuamve(→母)その乳房は純白の雪か牛乳か、あるいは白鳥となってあなたの母親を抱いたユピテルよりも白く輝いていました。
dum stupeo(呆然とする) visis(光景)—nam pocula forte tenebam—僕はそれを見て恍惚となリました――たまたま盃を手にしていたので―—指のあいだからねじり細工の取っ手がすべり落ちたほどでした。
oscula si natae dederas, ego protinus illa(oscula) 16-255あなたが娘のヘルミオネーにキスすることがあれば、僕はすぐにその娘の幼い唇にキスして、あなたと間接キスして喜びました。
et modo cantabam veteres resupinus(後ろへ寄りかかり) amoresまた、ある時は僕は仰向けになって昔の恋の歌を歌ったり、ある時は、うなずきで秘密の合図を送ったりしたのです。
at comitum primas, Clymenen Aethramque, tuarumしかし、あなたの侍女頭のクリュメネーとアイトラーに、ついさっき思いきっておべっかを使ってみましたが、
quae mihi non aliud, quam (se)formidare, locutae二人ともただ「おおこわ」としか言って、僕が君との取り持ちを懇願している途中で行ってしまいました。
di facerent, pretium magni certaminis esses,あなたが何かの大きな競技の賞品で、勝った人があなたと結婚できるのだったらよかったのです。
ut tulit Hippomenes Schoeneida praemia cursus, 16-265たとえばヒッポメネースはスコイネウスの娘アタランタと徒競走をして彼女を手に入れましたし、プリュギア王タンタロスの子ペロプスは馬車競技でヒッポダメイアを手に入れたのです。
ut ferus Alcides Acheloia cornua fregit,また荒くれのヘラクレスはデーイアネイラとの結婚を争ってアケローオスと格闘してその角を粉砕しました。
nostra per has leges audacia fortiter issetそういうルールだったら僕も勇気を出して勇敢に戦って、あなたは僕の労苦の功績となることを覚悟したことでしょう。
nunc mihi nil superest nisi te, formosa, precari,しかし、いまの僕にできることは、美しき人よ、あなたが許してくださるなら、あなたの足にすがりついてあなたに懇願することだけなのです。
o decus, o praesens geminorum gloria fratrum,ああ、あなたは美の誉れです。ああ、あなたは双子の兄弟の現世の栄光です。ああ、あなたがもしユピテルの娘でなければ、あなたはユピテルの妻になるのにふさわしい人なのです。
aut ego Sigeos(シゲウム) repetam te conjuge portus 16-275僕はあなたと結婚してトロイの港に戻れないのなら、このまま亡命者としてスパルタの地で死んだほうがましなのです!
non mea sunt summa(奪 先) leviter destricta(主かする) sagitta(奪)恋の矢は先が僕の胸を軽くかすっただけではないのです。僕の恋の痛手は骨まで達しているのです!
hoc mihi (nam repeto(思い出す), fore ut a caeleste sagitta思い起こせば、いつも真実を語る僕の妹が、僕は神の矢に刺し貫かれるだろうと予言したのは、このことだったのです。
parce datum fatis, Helene, contemnere amorem—ヘレネーよ、お願いです、運命によって定められたこの恋をないがしろにしないで、受け入れてください。そうすれば神はあなたの願いどおりになるでしょう。
multa quidem subeunt; sed coram ut plura loquamur,僕にはまだまだ書きたいことがありますが、この続きはあなたに会ってから話したいので、夜みんなが寝静まったころに、僕をあなたのベッドに迎え入れてください。
an pudet et metuis Venerem temerare(汚す) maritam 16-285あなたは恥かしいとでも言うのでしょうか。夫との愛を汚し、正式な夫婦の床の貞潔な契りを裏切ることが恐いとでも言うのでしょうか?
a, nimium simplex Helene, ne rustica(野暮) dicam,ああ、ヘレネーよ、あなたはあまりにも純真、いやあまりにも野暮ったいのです。あなたのような美しい人が不貞をせずにいられると思うのでしょうか?
aut faciem mutes aut sis non dura, necesse est;あなたは醜くならないのなら、素直になるしかないのです。美しさと貞節は両立しないのですから。
Juppiter his gaudet, gaudet Venus aurea furtis;ユピテルも黄金のウェヌスもこのような秘め事を大好きです。だって、ユピテルをあなたの父にしたのは、こういう秘め事の結果ではありませんか。
vix fieri, si sunt vires in semine morum,遺伝が性格に影響するなら、ユピテルとレダの娘のあなたが貞潔でいるのは、まず無理なことなのです。
casta tamen tum sis, cum te mea Troja tenebit, 16-295でも、僕のトロイに住まうときには、あなたにも貞潔でいてほしいのです。そのときは、あなたの不貞は僕一人だけであってほしいのです。
nunc ea peccemus quae corriget hora jugalis(結婚の),さあ、過ちを犯すなら、結婚式をあげることで正せる過ちを犯しましょう。ただウェヌスが僕に空約束をしなかったことを願うばかりです。
ipse tibi hoc suadet rebus non(solum) voce maritus(夫),けれども、あなたの夫も言葉だけでなく行動によってもあなたにそうするように勧めているのです。彼は客人の秘め事の邪魔にならないように出かけたのですから。
non habuit tempus, quo Cresia regna videret彼がクレタの王国を訪ねる機会としてこれ以上の好機はなかったのです。ああ、なんと抜け目のない夫でしょう。
'res, et ut Idaei(トロイの) mando(命ずる) tibi,' dixit iturus,出かけるときに彼は言いました、「妻よ、私はそなたに申しつける。私になり代わってこのトロイの客人のお世話をするのだぞ」と。
neglegis(怠る) absentis, testor(はっきり言う), mandata(命令) mariti; 16-305はっきり言いいましょう、あなたは夫の留守中にするよう命じられたことを怠っているのです。あなたはあなたの客人のお世話を全くしていないのですから。
huncine tu speras hominem sine pectore dotesテュンダレオスの娘よ、あんな鈍い男にあなたの美しさの値打ちか十分に分かると思うのですか?
falleris: ignorat, nec, si bona magna putaret,それはあなたの思い違いというものです。彼にはあなたの良さは分からないのです。もし彼があなたのことを貴重な財産だと思っていれば、よそから来た男に自分の宝を預けたりはしないでしょうから。
ut(たとえ〜でも) te nec mea vox nec te meus incitet ardor,たとえあなたが僕の言葉にも僕の熱意にも応えてくれなくても、僕はあの男が自分で用意してくれた機会を利用せずにはいられません。
aut(さもなければ) erimus(未) stulti(愚かな), sic ut superemus(まさる) et ipsum,もしこんな安全な時間が無駄に過ぎていくとしたら、僕はあの男の上を行く愚か者となるでしょう。
paene suis ad te manibus deducit amantem; 16-315あの男はみずから恋人の手を引いてあなたの所へ連れてきたようなものなのです。あなたもお人好しの夫の命令を実行してください。
sola jaces viduo tam longa nocte cubili(寝床);あなたは一人で長い夜を寂しいベッドで横になっていて、僕も一人で長い夜を寂しいベッドで横になっているのです。
te mihi meque tibi communia gaudia jungant(接);さあ、あなたは僕と結ばれて、僕はあなたと結ばれて、喜びを分かち合いましょう。そうすれば、寂しい夜は真昼よりまぶしいものとなるでしょう。
tunc ego jurabo quaevis tibi numina mequeそのとき僕は、どんな神にかけてもあなたに誓いを立てるでしょう。そして、僕はあなたの言葉によるあなたの掟で自分自身を縛ることでしょう。
tunc ego, si non est fallax fiducia nostri,そのとき僕は――もし僕が自信過剰でなければ――あなたが僕の国に来たいと思うように、その場でしてあげます。
si pudet et metuis ne me videare secuta, 16-325もしあなたが僕のあとを追ったと人に思われるのが恥ずかしくて心配だというなら、この罪のすべての責めは僕一人で負いましょう。
nam sequar Aegidae factum(行動) fratrumque tuorum;というのは、僕はテセウスとあなたの兄弟カストールとポリュデウケスを真似るつもりだからです。あなたにとってこれほど身近な例はないでしょう。
te rapuit Theseus, geminas Leucippidas(ヒーラエイラとポイベー) illi(カストールとポリュデウケス);テセウスはあなたを、あの双子の兄弟はレウキッポスの双子の娘たちをさらったのです。僕はこうした例の四人目になるのです。
Troja classis adest armis instructa virisque;トロイの艦隊が武器と勇士を積んで待っています。やがてオールと風が速やかな旅路をもたらすでしょう。
ibis Dardanias ingens regina per urbes,あなたが女帝のごとくにトロイの町を通るとき、民衆は新しい女神の降臨だと信じるでしょうし、
quaque feres gressus, adolebunt(燃やす) cinnama(シナモン) flammae, 16-335あなたが歩みを進める先々でシナモンが焚かれて香り、犠牲獣が屠られて血に染まった地面に倒れるでしょう。
dona pater fratresque et cum genetrice sorores僕の父と兄弟たち、姉妹たちとその母たちとすべてのトロイの娘たち、トロイの誰もがあなたに贈り物をもたらすでしょう。
ei mihi! pars a me vix dicitur ulla futuri.残念ですが、これから何が起こるかについて僕の言葉ではわずかしか伝えられません。あなたが手にするものはこの手紙にはとうてい書ききれないでしょう。
nec tu rapta time, ne nos fera(激しい) bella sequantur,僕があなたを盗み出したあとに続いて激しい戦争が起こるのではないか、強大なギリシアが兵を起こすのではないか、などとあなたは恐れることはありません。
tot prius(かつて) abductis ecqua(いったい) est repetita(取り戻す) per arma?これだけ多くの女がさらわれたのに、いったり誰かがかつて武力で取り戻されたことがあるのでしょうか?僕を信じてください。誘拐で戦争が起きるなどと心配するのは無意味なことなのです。
nomine ceperunt Aquilonis Erechthida Thraces 16-345トラキア人が北風の神のためと称してエレクテウスの娘オーレイテゥイアをさらいましたが、トラキア人の国は無事に戦争から免れました。
Phasida(パーシスの) puppe nova vexit Pagasaeus(パガサの) Jason,テッサリアのイアソンはコルキスの娘メデアを新らしい船で連れ去りましたが、テッサリアの国土はコルキスの軍隊に侵略されることはなかったのです。
te quoque qui rapuit, rapuit Minoida Theseus;あなたをさらったテセウスはミノスの娘パーシパエーをもさらいましたが、ミノスはクレタ人の兵を全く起こさなかったのです。
terror in his ipso maior solet esse periclo;このようなことでは、いつも「案ずるより産むが易し」なのです。やみくもに何でも心配するのは恥ずべきことなのですよ。
finge(想像) tamen, si vis, ingens consurgere bellum:それでも大きな戦争が起きると思いたければ思えばいいでしょう。僕も兵を持っているし、凶器も持っています。
nec minor est Asiae quam vestrae copia terrae: 16-355トロイの富はスパルタにけっして負けていないし、人にも馬にも恵まれています。
nec plus Atrides animi(勇気) Menelaus habebitアトレウスの息子のメネラオスのほうがこのパリスより勇敢だったり、武勲でこのパリスにまさるとあなたが思うことはないはずです。
paene puer caesis abducta armenta recepi(奪還する)僕がまだ子供だった頃さらわれた家畜を敵を殺して取り返したことがあります。そのおかげでアレクサンドロスと呼ばれるようになったのです。
paene puer juvenes vario certamine vici,僕がまだ子供だった頃さまざまな競技で若者たちをうち負かしたのです。僕が勝った人たちのなかにはイーリオネウス(アイネイアースの部下)やデーイポポス(パリスの兄で後のヘレネの夫)がいたのです。
neve(〜しないように) putes, non me nisi(以外で) comminus esse timendum,僕が強いのは接近戦だけとあなたに思われないように言いますが、僕の放った矢は狙った的に過つことなく突き刺さるのです。
num potes haec illi primae dare facta juventae, 16-365あなたはこれが若い頃のあの男にできたと請け合えるでしょうか。あなたはアトレウスの伜にも弓術の心得はあると言えるのでしょうか?
omnia si dederis(完接), numquid dabis Hectora fratrem?仮にあなたが彼は何でもできると請け合うとしても、彼にもヘクトールのような兄弟がいると言うのでしょうか?ヘクトールなら一人で無数の軍勢に匹敵すると思うでしょう。
quid valeam nescis et te mea robora fallunt;あなたは僕の能力を知らないのです。あなたは僕の腕前に気づいていないのです。あなたが嫁ぐことになる相手の男がどんな人間か、あなたは知らないのです。
aut igitur nullo belli repetere(未受2) tumultu,ですから、あなたを取り戻そうとして大規模な戦争が起きることはないのです。しかし、もし起きたとしても、ギリシア軍は僕の軍隊に敗北するでしょう。
nec tamen indigner pro tanta sumere ferrumとはいえ、これほどの花嫁を得るために、僕は戦いを挑むことにやぶさかではありません。大きな獲物は戦いを駆り立てるものですから。
tu quoque, si de te totus contenderit orbis, 16-375もし仮にあなたのために世界が戦うことになれば、あなたも永遠の名声を得ることになるでしょう。
spe(奪) modo non timida(奪) dis hinc egressa secundisあなたはただ不安を捨てて希望だけをもってここから出発してください。神は私たちの味方です。安心して約束された贈り物を要求してください。
[パリスさま、私が読んでしまったものを読まなかったことに出来るなら、私はまだ自分を貞淑な女のなかに保てたことでしょう。]
Nunc oculos tua cum violarit epistula nostros,あなたの手紙で私の目が汚れてしまった今となっては、返事を書かないことはたいした自慢にしかならないと思いました。
ausus es hospitii temeratis(奪けがす) advena sacrisあなたは大胆にも、異国から来て歓待の神聖な掟を踏みにじり、正式に結婚した妻の操を揺さぶろうとしているのです。
scilicet idcirco ventosa per aequora vectum 17-5スパルタの岸の港が風吹き荒れる海原を渡ってきたあなたを迎えいれたのは、さしずめ、そんなことのためだった。
nec tibi, diversa quamvis e gente venires,異なる民族の出身であるあなたを、私たちの王宮の扉が閉め出さなかったのも、そんなことのためだったのです。
esset(動) ut officii merces(主 代価) injuria(述) tanti,あれほどの敬意を払われた見返りに不正を働くために入国したあなたは、客なのか敵なのか、どちらだったのでしょうか?
nec dubito quin haec, cum sit tam justa, voceturきっと、私のこの非難はどんなに正しくても、あなたから見ればきっと野暮ったいと言われるでしょう。
rustica sim sane, dum non oblita(sim) pudorisええ、私は貞節を忘れず、汚れのない人生を保てさえすれば、私は野暮で結構です。
si non est ficto(見せかけの) tristis mihi vultus in ore 17-15私は無理に難しい顔をしていないし、正座して眉毛をしかめて恐い顔はしてはいませんが、
fama tamen clara est, et adhuc sine crimine vixi,私の評判は一点の曇りもなく、これまで過ちなく生きてきました。私と寝たと言って自慢している間男はいないのです。
quo magis admiror, quae sit fiducia coeptiそれだけに、あなたが何を信じてこんな企てをしたのか、どうして私とベッドをともにできると思ったのか不思議です。
an quia vim nobis Neptunius attulit heros,ネプトゥーヌスの血筋の英雄テセウスが私に暴力を働いたので、私は一度さらわれたのだから、二度さらわれても当然だと思われているのでしょうか?
crimen erat nostrum, si delenita(誘惑する) fuissem;私が誘惑されたとしたら、それは私の罪だったでしょうが、さらわれたとき、「いやだ」と言う以外に私に何ができたでしょうか?
non tamen e facto fructum(満足) tulit ille petitum; 17-25それでも彼はその行為によって求めた果実を手にすることはなかったのです。私は恐い思いをしましたが、何の実害も受けずに戻ったのです。
oscula(キス) luctanti(抵抗する) tantummodo(〜だけ) pauca protervus(厚かましい)彼は恥知らずにも嫌がる私から口づけを一度だけ奪いましたが、それ以上のことは何もしなかったのです。
quae tua nequitia est, non his contenta fuisset.ふしだらなあなたなら、こんなことで満足しなかったでしょう。くわばらくわばら。彼はあなたのような人間ではなかったのですわ。
reddidit intactam minuitque modestia crimen彼は私を傷ものにせずに返してくれたのです。彼は自制心のおかげで大きな罪を犯さずに済んだのです。若いのにきっと自分の行ないを後悔したのですわ。
Thesea paenituit, Paris ut succederet illi,テーセウスがあそこで踏みとどまったのは、パリスさまがそのあとを受け継いで、私の名前がいつまでも人々の口にのぼるようにするためだったのでしょうか?
nec tamen irascor—quis enim succenset(suscenseo腹を立てる) amanti?— 17-35でも、私は怒っていませんわ。自分に恋する人に誰が腹を立てるでしょうか?ただし、それはあなたの言う恋が偽りでないかぎりのことです。
hoc quoque enim dubito, non quo fiducia desit,だって、私は信じられないからです。というのは、私が自分に自信がないからでもないし、自分の美しさに確信が持てないからでもありません。
sed quia credulitas damno solet esse puellisそれは、娘たちは男の言うことを軽々と信用するとひどい目に遭うことが多いうえに、男たちの言うことには嘘が多いそうですから。
at peccant aliae, matronaque rara pudica est.ほかの女たちは不貞を犯している、貞節な婦人はまれだと言うかもしれません。しかし、私がそのまれな女性たちの中にいて何がいけないのでしょうか?
nam mea quod visa est tibi mater idonea, cuiusというのは、あなたは私の母を誘惑したユピテルが手本になると思って、それを真似たら私も口説き落とせると思っているようですが、
matris in admisso(不貞) falsa sub imagine lusae 17-45母レダの不貞はユピテルの偽りの姿に騙されるという勘違いがあったのです。間男は羽毛で覆われていたのですから。
nil ego, si peccem, possum nescisse; nec ullusもし私が過ちを犯せば、何も知らなかったことにはなりません。私の罪をかばうような勘違いは何もなかったと言われるでしょう。
illa bene erravit vitiumque auctore redemit.母の過ちには悪意はなかったのです。彼女の罪は相手がユピテルであることで償われました。それに対して、私が罪を犯しても幸せと言われるようなユピテルがどこにいるでしょうか?
et genus et proavos et regia nomina jactas;あなたは生まれや曾祖父や王家の有名な方々を自慢しますが、こちらもれっきとした高貴な家で、十分に名高いのです。
Juppiter ut soceri proavus taceatur et omne舅の祖父のユピテルのことや、有名なタンタロスの子ペロプスとテュンダレオスのことはいずれも言うまでもありません。
dat mihi Leda Jovem cycno decepta parentem, 17-55私の父は白鳥の姿で母をだましたユピテルなのです。彼女は偽りの鳥を本当の鳥と信じ込んでひざに抱いたのでした。
i nunc et Phrygiae late primordia(起源) gentis遠くプリュギアの一族の始まりからプリアモスとその父ラーオメドーンのことを語るのはもうおやめなさい。
quos ego suspicio; sed qui tibi gloria magna est私は彼らを尊敬しますが、あなたにとって偉大な栄光であり、五代前のユピテルが、私からはたった一代前なのですよ。
sceptra tuae quamvis rear esse potentia terrae,あなたの国の支配力は大きいと思われますが、それでも、こちらの支配力もそれに劣らないと思います。
si jam(次に) divitiis locus hic numeroque virorumまた、こちらが富や人口でそちらに負けているとしても、少なくとも、あなたの国は蛮族です。
munera tanta quidem promittit epistula dives 17-65たしかに、あなたのお手紙は豪勢な贈り物をたっぷりと約束していますから、これなら女神様たちの心でも動かせたでしょう。
sed si jam vellem fines transire pudoris,でも、仮に私が貞節の境界線を越えようと望むとすれば、贈り物よりあなた自身の方が好ましい過ちの原因となったでしょう。
aut ego perpetuo famam sine labe tenebo私に落ち度のない評判をずっと保つ気がなくなれば、贈り物よりはむしろあなたのことを求めてついて行くことになるでしょう。
utque ea non sperno, sic acceptissima semper仮に私が贈り物を拒まないとしても、贈り物の価値は贈り主が誰であるかで決まるもので、つねにそれが一番好ましい贈り物なのです。
plus multo est, quod amas, quod sum tibi causa laboris,でも、それよりもっと大切なことは、あなたが私を愛してくれていること、あなたが私のために苦労してくれたこと、私を欲しくてこんなに遠くまで海を渡って来てくれたことなのですよ。
illa quoque, adposita(奪) quae nunc facis, improbe, mensa, 17-75あなたは、悪い人です。食事が出されてからあなたがしていたことは、気づかぬふりに努めてはいても、私は気づいていたのですよ。
cum modo me spectas oculis, lascive, protervis(厚かましい),ある時は、厚かましい眼つきで私をじっと見ていましたね。いやらしい人、私のことを食い入るように見てくるので、私はとても目を合わせられませんでしたわ。
et modo suspiras, modo pocula proxima nobisある時は溜め息をついて、ある時は私が飲んだすぐ後で私の盃を手に取って、私が飲んだところからあなたも飲みましたね。
a, quotiens digitis, quotiens ego tecta(秘密の) notaviああ、あなたが指で秘密の合図を送るのを、あなたが眉で話しかけているのを、私は何度気付いたことでしょう。
et saepe extimui ne vir meus illa videret,私はそれを夫が見たのではないかと何度も心配し、あなたがよく隠さずに送る合図に私は顔を赤らめました。
saepe vel exiguo vel nullo murmure dixi 17-85私は小声か声をひそめて何度もつぶやきました、「この恥知らず!」と。本当にこう言ったのです。
orbe quoque in mensae legi sub nomine nostro,また、私は丸テーブルの上に酒を指でなぞって書いた私の名前の下に「われ愛す」と書かれているのを読みました。
credere me tamen hoc oculo renuente negavi.そんなことは信じられないと私は目で訴えました。ああ、情けない。私としたことが、こんな話の仕方を身に付けたなんて!
his ego blanditiis, si peccatura fuissem,もし私が過ちを犯すつもりだったなら、私もこんなやり方で口説き落とされていたでしょう。こんなやり方で私の心は虜になっていたかもしれません。
est quoque, confiteor, facies tibi rara, potestqueそのうえ、あなたはたぐいまれな美男子であることは私も認めます。あなたとベッドを共にしたいと思う娘もいるでしょう。
altera sed potius felix sine crimine fiat, 17-95あなたは私の慎み深さを浮気な恋のために失わせるよりは、私以外の女を不貞の罪を犯さずに幸せにしてあげなさい。
disce modo exemplo formosis posse carere;さあ、私を手本にしてあなたも美女なしで生きることを学びなさい。楽しいことを控えることは美徳なのです。
quam multos credis juvenes optare, quod optas?どれほど多くの若者があなたと同じ望みを抱くと思っているのですか?それとも、あなた一人だけが女を見る目があるとでも言うのでしょうか?
non tu plus cernis, sed plus temerarius audes;あなたは人より見る目があるというよりは、人より図々しいだけなのです。あなたは人よりウィットがあるというより、厚顔無恥なだけなのです。
tunc ego te vellem celeri venisse carina,あなたは、未婚の私に対して百千もの求婚者が現れたときに、快速船で来ていればよかったのです。
si te vidissem, primus de mille fuisses; 17-105もし私がその時あなたに出会っていたら、百千の求婚者の中であなたが一番だったことでしょう。私の夫でさえ私のこの判断を許してくれるでしょう。
ad possessa venis praeceptaque gaudia serus;あなたは来るのが遅すぎたのです。もう愛の喜びは先に他人の所有になってしまっているのです。あなたの望みは遅すぎたのです。あなたが求めるものは他人のものになっているのです。
ut tamen optarim(完接) fieri tua Troica conjunx,しなし、仮に私があなたのトロイの妻になることを望むことがあるとしても、メネラオスが私の夫であることに不満はないのですわ。
desine molle, precor, verbis convellere pectusお願いです。このか弱い胸を言葉でくつがえすのはやめてください。愛しているとおっしゃるなら、私を苦しめないでください。
sed sine(me) quam tribuit sortem fortuna tueri運命が授けた私の定めを守らせてください。私の操を奪うような恥ずべきことを望まないでください。
at Venus hoc pacta est, ut in altae vallibus Idae 17-115しかし、それがウェヌスの約束だと言うかもしれません。イーダの峰の谷あいで三人の女神があなたの前に裸身をさらして、
unaque cum regnum, belli daret altera laudemひとりは王権を、もうひとりは戦争の栄誉を与えようとしたとき、三人目は「テュンダレオスの娘ヘレネをめとらせよう」と言ったのですよね。
credere vix equidem caelestia numina possumしかし、天上の神々が自分の美しさをあなたの審判に委ねたなんて私はとても信じられませんわ。
utque sit hoc verum, certe pars altera ficta est,仮にその話が本当だとしても、少なくともこの話の残りの、審判の報酬が私だと言う部分は作り話です。
non est tanta mihi fiducia corporis(容姿), ut me私はそれほど容姿に自信がありません。ですから、私を最高の贈り物にすると女神が言ったとは思えないのです。
contenta est oculis hominum mea forma(主) probari; 17-125私の美しさなど人間の目で見て褒められれば十分です。私を褒めるウェヌスは私を嫉妬します。
sed nihil infirmo(否定する); faveo quoque laudibus istis;でも、あなたの称賛を疑っているわけではありません。むしろありがたく思っています。私はなぜ自分がなりたいと思っているものではないと、わざわざ言うでしょうか?
nec tu succense nimium mihi creditus aegre(あなたは私に信じられていない);私があなたの称賛をなかなか信じないことを怒らないでください。大事なことは信用するまで時間がかかるのがつねですから。
prima mea est igitur Veneri(与) (me)placuisse voluptas;ですから、私にとって第一に嬉しいことは、私がウェヌスの眼鏡にかなったのことで、その次に嬉しいことは、あなたが私のことを何より優れた褒美だと思ったこと、
nec te Palladios(>Palladiusパッラスの) nec te Junonis honoresつまり、あなたがアテナやユーノーの賞品よりも噂に聞いただけのヘレネーの美貌がまさると考えたことです。
ergo ego sum virtus, ego sum tibi nobile regnum: 17-135つまり、私はあなたにとって武勲であり、高貴な王権です。そう思ってくれる人を愛さないなら、私は情のない女になってしまいます。
ferrea, crede mihi, non sum; sed amare repugno信じてください。私は情のない女ではなく、私のものになるとは思えない人を愛することを拒んでいるのです。
quid bibulum(吸収する) curvo proscindere(耕す) litus(岸) aratro(すき)なぜ私が乾いた砂浜を鋤で耕したり、自分の立場そのものが否定している望みを追求しようとするでしょうか?
sum rudis ad Veneris furtum(不貞) nullaque fidelem —私はこれまで不貞を働いたことはありません。まして悪知恵を使って真面目な夫を欺いたことなど神に誓って一度もありません。
nunc quoque, quod tacito(秘密の) mando mea verba libello,いまもこうして私は秘密の手紙を書いていますが、こんなことのために文章を書くなんて私にとっては前代未聞のことなのです。
felices, quibus usus adest! ego nescia rerum 17-145経験豊かな女たちは幸せです。私は世の中のことが分からないので、不貞をしようとしてもなかなか難しいに違いないのです。
ipse malo metus est; jam nunc confundor et omnes不安そのものがすでにやっかいの種なのです。私はもうすでにわけがわからなくなっています。あらゆる人の目が私の顔に注がれているように感じるのです。
nec reor hoc falso; sensi mala murmura vulgiこれは私の思い違いではないのです。私の耳には多くの人の悪い噂話が聞こえています。侍女のアイトラーがいくつかの声を知らせてくれました。
at tu dissimula, nisi si desistere(やめる) mavis.でも、あなたは恋することをやめる気がないなら、恋心を隠してください。どうしてあなたが恋することをやめる必要があるでしょうか。あなたは恋心を隠せるからです。
lude, sed occulte! maior, non maxima, nobis芝居をするのです。でもこっそりと。メネラオスが留守なだけ、私たちには最大ではなくとも、ずっと大きな機会はあるのです。
ille quidem procul est, ita re cogente, profectus; 17-155たしかに彼は遠くにいます。やむをえぬ事情で出発しました。突然の旅立ちですが、大切で正当な理由があったのです。
aut mihi sic visum est. ego, cum dubitaret an iret,少なくとも、私はそう思いました。私は彼が行くかどうか迷っていたとき、「行ってらっしゃいませ。できるだけお早いお帰りを!」と言いました。
omine(餞、祈り) laetatus dedit oscula, 'resque domusqueこの祈りの言葉を喜んだ彼は私に口づけすると、「私のこと、家のこと、それにトロイの客人の世話を頼むぞ」と言ったのです。
vix tenui risum, quem dum compescere(抑える) luctor(努力する),私は笑いがこらえられずに噛み殺そうとしながら、ただ一言「はい」と答えるのが精一杯でした。
vela quidem Creten(対) ventis dedit ille secundis;たしかに彼はクレタに向けて順風に帆をあげましたが、だからといって、あなたは何でも許されていると思ってはいけません。
sic meus hinc vir abest ut me custodiat absens. 17-165私の夫はここを留守にしていますが、留守中も私に目を光らせているのです。それとも、あなたは王侯には長い腕があると言われていることをご存じないのですか?
forma quoque est oneri; nam quo constantius ore私にとって美貌は重荷でもあるのです。殿方が口をそろえて私を褒めれば褒めるほど、それだけ夫が心配になるのはもっともですわ。
quae juvat, ut nunc est, eadem mihi gloria damno est,私の喜びである評判が実際には私には足手まといになっているのです。世評を欺くほうがよかったくらいなのです。
nec quod abest hic me tecum mirare relictam;彼がここから出かけて私をあなたと一緒に残したことは驚くに当たりません。彼は私が貞淑な女だと信じているのですから。
de facie metuit, vitae confidit, et illum彼にとって私の美しさは心配の種ですが、私の振る舞いについては信頼しています。私の美しさのせいで心配していますが、私が貞淑なので安心しているのです。
tempora ne pereant ultro data praecipis, utque 17-175向こうから転がり込んできた好機を無にするな、お人好しの夫を存分に利用しよう、とあなたは言います。
et libet et timeo, nec adhuc exacta(決まった) voluntas(意志)その気はあるものの恐くもあり、まだ十分に决心が固まったわけではありません。私の気持ちは揺れているのです。
et vir abest nobis et tu sine conjuge dormis,私の夫は留守であり、あなたは寂しいベッドで横になっています。そして、あなたと私は互いに相手の美貌の虜です。
et longae noctes(sunt) et jam sermone coimus夜はまだまだ長く、私たちはすでに言葉で結ばれています。そして、あなたどうしようもなく魅力的で、ひとつ屋根の下にいるのです。
et peream si non invitant(引き起こす) omnia culpam;これだけそろって私が罪に走らないとしたら、死んだほうがましなのです。にもかかわらず、不安のせいでとにかく私は踏み切れないでいるのです。
quod male persuades, utinam bene cogere(id) posses! 17-185あなたは口説いてもできなかったことを、私に無理強いしてくれたらよかったのです。私の野暮ったさを力ずくで払い落としてくれたらよかったのです。
utilis interdum est ipsis injuria passis(injuriam)(patior被る).不正行為は被害者自身に利益をもたらすことがときにはあるものです。少なくとも私は無理強いされたほうが幸せになったことでしょう。
dum novus est, potius coepto pugnemus(接) amori!私は恋が初まったばかりで新しいあいだに抵抗するつもりです。炎は点いてすぐならわずかの水を振りかけるだけで消えるものです。
certus in hospitibus non est amor; errat, ut ipsi,客人の恋はうたかたの恋です。その恋は本人と同じように彷徨うものです。たしかな恋だと思っても、すぐに消えてしまいます。
Hypsipyle testis, testis Minoia virgo est;ヒュプシピュレーが証人です。ミノスの娘パーシパエーが証人です。二人とも至らなかった結婚のことを嘆きました。
tu quoque dilectam multos, infide, per annos 17-195不実なあなたは、長い年月にわたり愛したオイノーネーを捨てたと言われています。
nec tamen ipse negas; et nobis omnia de teあなたはそれを否定しません。教えて上げましょう、私はあなたのことをすべて調べようと、たいへん心を砕きました。
adde quod, ut cupias constans in amore manere,それに、あなたがずっと変わらぬ愛を持ち続けたくても、それは出来ないのですわ。すでにトロイ人たちがあなたを連れ帰ろうと船の帆を張っているのですから。
dum loqueris mecum, dum nox sperata paratur,あなたが私と話をしているあいだに、あなたがあこがれの一夜を用意しているあいだに、あなたを祖国へ送り届ける風がいまにも吹くでしょう。
cursibus(航路) in mediis novitatis plena relinques(未)あなたはまだ新しい恋の喜びを旅の途中で捨ててしまうのですわ。風とともに私たちの恋は消えてしまうのですわ。
an sequar, ut suades, laudataque Pergama visam 17-205それとも、お勧めのとおりにあなたについて行けば、私は誉れあるトロイを訪ね、偉大なるラーオメドーンの家の嫁となれるのでしょうか?
non ita contemno volucris praeconia(告知) famae,それでも、私は翼のある噂が広める醜聞を馬鹿には出来ません。噂は世界中を私の醜聞で満たすでしょう。
quid de me poterit Sparte(主), quid Achaia tota,私のことをスパルタが、ギリシア全土が、アジアの諸民族が、あなたのトロイがどう言うでしょうか?
quid Priamus de me, Priami quid sentiet uxor私のことをプリアモスとプリアモスの妻はどう思うでしょうか?また、多くのあなたの兄弟やトロイの嫁たちはどう思うでしょうか?
tu quoque qui poteris fore me sperare fidelemあなたにしても、どうして私がこのさき貞節でいると期待できるでしょうか。あなたという実例のせいで私のことが心配にならないのでしょうか。
quicumque Iliacos intraverit advena portus, 17-215誰であれ異国の男がトロイの港に入るたびに、あなたにとって恐れと不安の原因となるでしょう。
ipse mihi quotiens iratus 'adultera!' dices,怒ったあなたは私に向かって、「浮気者」と何度言うでしょうか!その非難は私だけでなくあなたにもあてはまることを忘れて!
delicti fies(未) idem reprehensor et auctor.あなたは私に過ちをそそのかしておきながら、私の過ちを非難することになるのです。願わくは、そんな恥辱を被るくらいなら、その前に大地が私を飲み込んでくれますように。
at fruar Iliacis opibus cultuque beatoしかし、あなたは言うかもしれません。私はトロイの富と幸せな暮らしを満喫することになる、約束したものよりもっと豊かな贈り物を受け取れるのだ、と。
purpura nempe mihi pretiosaque texta dabuntur,さだめし、紫色の高価な織物を私はいただけるのでしょう。山積みの金塊で私は富者になるのでしょう!
da veniam fassae! non sunt tua munera tanti; 17-225こんなことを言っても許してください。あなたの贈り物は祖国を捨てるほどの値打ちはないのです。とにかく私はこの国に愛着があるのです。
quis mihi, si laedar, Phrygiis succurret in oris?私がトロイにいて被害を受けたら、誰が私を助けてくれるでしょうか。どこで兄弟の助けを、どこで父の助けを求められるでしょうか。
omnia Medeae fallax promisit Jason:イアソンがメデアにした約束はすべて偽りでした。そして、結局彼女はイアソンの家から追い出されたのです。
non erat Aeetes, ad quem despecta rediret,その時、彼女の父アイエーテースも、母イーデュイアも、姉カルキオペーもこの世になく、見捨てられた彼女が戻る先はなかったのです
tale nihil timeo, sed nec Medea timebat;こんな心配は私にはありませんが、メデアも心配してはいませんでした。でも、明るい希望はしばしば予期に反した結果になるものです。
omnibus invenies(未), quae nunc jactantur in alto, 17-235いま沖で翻弄されているどの船にとっても、考えてみれば、港を出たときには海は穏やかだったのです。
fax quoque me terret, quam se peperisse cruentamあなたのお母さまがお産の前日に、血まみれの松明を産み落とした夢を見たという話も私を不安にさせます。
et vatum timeo monitus, quos igne Pelasgoまた、予言者たちの忠告も心配です。ギリシア勢の火でトロイが炎上することを予言したと言われているからです。
utque favet Cytherea tibi, quia vicit habetqueキュテーラの女神ウェヌスは、あなたの審判のおかげで勝利をおさめ、二つの戦勝記念碑を得たのですから、あなたの味方でしょう。
sic illas vereor, quae, si tua gloria vera est,しかし、それだけに私は残りの二人の女神が心配です。あなたの自慢話が本当なら、他の二人の女神はあなたの審判のせいで面目を失ったのですから。
nec dubito, quin te si prosequar arma parentur. 17-245もし私があなたについて行ったりしたら、戦争が準備されるのは疑いありません。ああ、なんということか、私の恋のために戦いの惨禍が起こるのです。
an fera Centauris indicere bella coegitそれとも、テッサリアの娘ヒッポダメイアがケンタウロスに誘拐された時には、テッサリアの勇士たちが彼らに激しい戦いを宣告したというのに、
tu fore tam justa(奪) lentum Menelaon in iraメネラオスや双子の兄弟やテュンダレオスが、これほど正当な怒りに駆られても、ぐずぐずしているとあなたはお考えでしょうか。
quod bene te jactes et fortia facta loquaris,あなたは勇敢な手柄話をしてずいぶんと自慢なさいますが、あなたの言葉にそのお顔は似合いません。
apta magis Veneri quam sunt tua corpora Marti.あなたの手足は戦場より色恋に向いています。戦争は勇士たちにやらせて、パリスさま、あなたはいつも恋をしておられたらよいのです。
Hectora, quem laudas, pro te pugnare jubeto; 17-255あなたが賞賛するヘクトールに戦いを代わってくれとお言いなさい。あなたの武勲にふさわしいのは別の戦争なのです。
his ego, si saperem pauloque audacior essem,私がその道に通じてもう少し大胆だったら、あなたの武勲を利用するところですが、そんなことは世渡り上手な娘なら誰でもすることでしょう。
aut ego deposito sapiam fortasse pudoreあるいは、ひょっとすると私も恥を捨てたらその道に詳しくなるかもしれません。そうなれば迷いながらもやっと負けを認めて降伏するでしょう。
quod petis, ut furtim praesentes ista loquamur,あなたはこっそり会ってこの相談をしたいとおっしゃいますが、あなたが相談と言いながら何を狙っているかは分かっています。
sed nimium properas, et adhuc tua messis(収穫) in herba(植物) est(時期尚早).でも、あなたは急ぎすぎです。まだ時期尚早なのです。ここでぐっとこらえたら、あなたの願いにもいいことがあるかもしれませんよ。
hactenus; arcanum(秘密の→opus) furtivae(密かな) conscia mentis 17-265私の手紙は以上です。もう指が疲れたので、心の秘密を伝える手紙で、ひそかにやり取りをするのは終わりにしましょう。
cetera per socias Clymenen Aethramque loquamur,あとは侍女のクリュメネーとアイトラーを通じてお話しましょう。この二人は私の友でもあり相談相手でもあるのです。
【解題】ヘレスポントス(現ダーダネルス)海峡を挟んだ男女の恋の物語。レアンドロスは毎夜海峡を泳いで恋人ヘーローのもとに通う。しかし、嵐の晩に…。詳しい話は後6世紀のムーサイオスの叙事詩『ヘーローとレアンドロス』(『ギリシア恋愛小曲集』岩波文庫所収)にでている。
[ヘーローよ、レアンドロスがいつものように波間を泳いで君のもとに届けようとしたこの手紙を、本人が着いたときに、彼の手から受け取ってくれ。]
Mittit Abydenus, quam mallet(未完接) ferre, salutem,セストスの娘よ、アビュドスから私が送るこの伝言は、海の波が静まったら、君のもとに自分で届けたかったものだ。
si mihi di faciles, si sunt in amore secundi,神が僕と僕の愛に味方してくれるなら、 君は心ならずもこの僕の手紙をその目で読んでくれるだろう。
sed non sunt faciles; nam cur mea vota morantur 18-5だが、ぼくには神の後押しはない。何ゆえ神はわが願いの成就を妨げるのか、何ゆえ僕に勝手知ったる海を泳がせてくれないのか?
ipsa vides caelum pice nigrius et freta ventis君も見るとおり、空は瀝青よりも黒く、海は風で荒れ、空ろな船も近づけないでいる。
unus, et hic audax, a quo tibi littera(文字) nostra一人の勇気ある水夫が港から船出した。彼が僕の手紙を君のもとへ届けてくれる。
ascensurus eram, nisi quod cum vincula prorae(舳先)もし出帆したときに、アビュドスじゅうの人が見ていなかったら、ぼくも乗り込んでいはずだった。
non poteram celare meos, velut ante, parentes,僕はもう前のように両親にこの恋を隠せなくなったんだ。恋は秘めておきたいと思っても顕れてしまうものなんだ。
Protinus haec scribens, 'felix, i, littera!' dixi, 18-15この手紙を書こうとして僕は最初にこう言った。「行け、幸せな手紙よ。今にも彼女はその美しい手をお前に差し伸べるだろう。
forsitan(ひょっとして) admotis(近付ける) etiam tangere(触れる) labellis(唇),「ひょっとして、彼女はその雪のように白い歯で封を切ろうとして、お前に近付けた唇で触れさえするだろう」。
talibus exiguo dictis mihi murmure verbis,ぼくはこんな言葉をつぶやいてから、残りの言葉を右手で紙に向かって書いたんだ。
at quanto mallem(未完接), quam scriberet, illa nataret,しかしながら、僕はこの手には手紙を書くより、水をかいて泳いでほしかった。泳ぎ慣れた海を切って懸命に僕を運んでほしかった!
aptior illa quidem placido(静かな) dare verbera ponto;確かにこの右手は凪(な)いだ海面を鞭打つことには向いている。にもかかわらず、この手はぼくの気持ちの相応しい下僕(しもべ)なのだ。
Septima nox agitur(過ごす), spatium mihi longius anno, 18-25海が波音を轟かせて沸き立つようになってから、ぼくは七日目の夜をすごしているが、ぼくには一年より長く感じるよ。
his ego si vidi mulcentem(宥める) pectora somnum(眠る)もし僕がこれらの夜にぐっすり眠って胸の悩みをを忘れていたら、海がずっと荒れていてもよかったと思う。
rupe sedens aliqua specto tua litora tristisぼくは悲しみながら岸壁の上に座って、君の岸辺を眺めているが、体が行けない君のもとにぼくの心は向かっている。
lumina(対) quin etiam summa(奪) vigilantia turreそれどころか、君の家の塔に夜通しかかげられる灯りがぼくの目には見える。いや、見えるように思うんだ。
ter mihi deposita est in sicca vestis harena;ぼくは三たび乾いた砂の上に服を脱ぎ捨てて、三たび裸になって困難な旅路に乗り出そうとした。
obstitit inceptis tumidum juvenalibus aequor(主), 18-35しかし、若さゆえの大胆な企てを膨れ上がる海が立ちはだかった。泳ぎ出すぼくに立ち向かう海はぼくの頭を呑み込んだのだ。
at tu, de rapidis(猛烈な) immansuetissime(呼 野生の) ventis,だが、ああ、北風の神ボレアースよ、どんな強風よりも乱暴なやつよ、どうしてお前は僕に対して意固地な戦いをしているのか?
in me, si nescis, Borea, non aequora, saevis(猛威をふるう).ボレアースよ、教えてやろう、お前が猛威を振るっている相手は海ではなく、ぼくなのだ。もしお前が恋を知らなかったら、お前は何をしただろうか?
tam gelidus quod sis, num te tamen, improbe, quondam実に冷酷で残酷なお前だが、その昔アッティカの娘オレイテュイアに恋の炎を燃やしたことをお前は否定できるのか?
gaudia rapturo(掴む) siquis tibi claudere velletもし恋の喜びを得ようとするお前が空の道を閉ざされたら、お前はどうして耐えられただろうか?
parce, precor, facilemque move moderatius auram! 18-45お願いだ、手を引いてくれ。もっと穏やかに優しい風を吹いてくれ。そうすればヒッポテースの子アイオロスもきっとお前に二度と辛い命令を下さないだろう。
Vana peto; precibusque meis obmurmurat ipseぼくの祈りはむなしかった。ぼくの祈りに対してボレアースは轟きで答えるのみだ。あの神が巻き上げる波はまったくおさまる様子がない。
nunc daret audaces utinam mihi Daedalus alas!今この僕にダイダロスが勇気ある翼をくれないものか。たとえ、彼の息子のイカロスがその翼で飛んで落ちた海はここから遠く離れていなくても。
quidquid erit, patiar, liceat modo corpus in auras何があろうと僕は耐えるだろう。何度も危険な海に浮かんだこの体を空へ持ち上げられされすればいいのだ。
Interea, dum cuncta negant ventique fretumque,風と海によって何もかも拒まれているいま、 僕は最初の隠れた逢瀬のことに思い出している。
nox erat incipiens—namque est meminisse voluptas— 18-55夜のとばりが降りるころ、恋する僕は父の家から外へ出た。あれは素敵な思い出だ。
nec mora, deposito pariter cum veste timore家を出るとすぐに僕は衣服ともども恐れも脱ぎ捨てて、 海の水をしなる腕でかいて泳ぎだした。
luna fere tremulum(揺れる) praebebat lumen eunti月はずっと揺れる光でぼくの行く手を照らしていた。まるで僕の旅路に忠実につき添ってくれているようだった。
hanc ego suspiciens, 'faveas, dea candida,' dixi,そのとき僕は月を見上げて言ったんだ。「白く輝く女神よ、ぼくの味方になってくれ。ラトモスの岩場でのエンデュミオーンとの情事を思い出してくれ!
non sinit Endymion te pectoris esse severi;「エンデュミオーンはお前が僕に厳しい態度をとることを認めないだろう。お願いだ。僕の密かな逢瀬を優しく見守ってくれ。
tu dea mortalem caelo delapsa petebas; 18-65「女神であるお前は天からくだって人間を求めたが、真実を言うことが許されるなら、僕が求める彼女も女神なのだ。
neu(neve〜しないように) referam mores caelesti(与) pectore dignos,「彼女の品格は神の品格にも匹敵することは言うまでもない。彼女の美しさはまさに神の域に達している。
a Veneris facie non est prior ulla tuaque;「ビーナスとお前の美しさは別として、彼女にまさる女はいない。僕の言葉が信じられないなら、自分の目で見てほしい。
quantum, cum fulges(輝く) radiis argentea puris,「お前が汚れなき光線で白銀の輝きを放つときには、天空の全ての星はお前の光にかなわない。
tanto formosis formosior omnibus illa est;「それとおなじく、彼女はどんな美人よりも美しい。月の女神よ、お前にそれが分からないなら、お前の目は節穴だよ」
Haec ego, vel certe non his diversa, locutus 18-75僕はこう言って、いや少なくともこれと違わぬことを言って、僕のために進んで道を開けてくれる海に運ばれていった。
unda repercussae(属 反射した) radiabat(光る) imagine lunae波は月の姿を映して光り、静寂の夜は昼のように輝いていた。
nullaque vox usquam, nullum veniebat ad aures 18-80どこにも音はなく、ぼくの耳に届くものと言えば、ぼくの体に押しのけられた水のざわめきだけだった。
Alcyones solae memores Ceycis(ケーユクス) amati(属)僕の耳に聞こえたのはケーユクスを愛してやまぬアルキュオネーという鳥の甘美な嘆き声だけだった。
Jamque fatigatis umero sub utroque lacertis(腕)すでに両の二の腕に疲労がたまっていたけれど、僕は勇気を出して水面高く伸び上がった。
ut procul aspexi lumen, 'meus ignis(恋人) in illo est: 18-85そして、遠くに導きの灯りを見つけたとき、「あの灯りの中で輝いているのは僕の恋人だ。あの岸辺には僕の栄光がある」と僕はひとりごちた。
et subito lassis vires rediere lacertis,すると、突然、疲れた腕に力が甦ったんだ。波がそれまでより弱まったように思った。
frigora(冷たさ) ne possim gelidi(氷のような) sentire profundi(深海),熱愛する僕の胸の中で燃える愛の炎のおかけで、ぼくは氷のような深海の冷たさを感じることはなかった。
quo magis accedo propioraque litora fiunt,僕が岸に近づくほどに、岸が僕に近づくほどに、残る距離が縮まってゆくほどに、前進する僕の喜びはますます高まった。
cum vero possum cerni quoque, protinus addisやがて対岸の人たちに僕の姿が見えるところへ来ると、君に見られていることで、僕はさらに勇気づけられ元気になったんだ。
nunc etiam nando dominae(恋人) placuisse laboro(骨を折る), 18-95僕はさらに張り切ってぼくの恋人に好かれようとして泳いだ。僕は君に見てもらおうと両腕で水をかいたんだ。
te tua vix prohibet nutrix descendere(降りる) in altum;君の乳母は君が海の中へ降りようとするのを止めようとした。たしかに僕にはそう見えたし、僕の見間違いではなかった。
nec tamen effecit, quamvis retinebat euntem,乳母は君を引き止めようとしたけれど、君の足が波打ち際で濡れることを止められなかったね。
excipis amplexu feliciaque oscula jungis—君は僕を抱擁で出迎えて、挨拶の口づけを僕と分け合った。ああ、偉大な神々よ、口づけこそ海を越えて求めるに値するものだ!
eque tuis demptos umeris mihi tradis amictus君は自分の肩から衣を脱いで僕に手渡してくれた。そして、海の水で濡れたぼくの髪を乾かしてくれたね。
Cetera(対) nox et nos et turris conscia novit(完) 18-105後のことは夜と僕たちだけが知っている。そのほかに、僕たちと夜を分け合ったあの塔と、僕が海を渡る道しるべとなる灯りも知っている。
non magis illius numerari gaudia noctisヘッレースポントスの海草の数が数えきれないように、その夜の楽しみは数えきれないものだった。
quo brevius spatium nobis ad furta dabatur,僕たちの隠れた逢瀬に与えられた時間が短かければ短かいほど、僕たちはそのひとときを無駄にしないように努めたからだ。
Jamque fugatura(奪) Tithoni conjuge noctemすでにティートーノスの妻たる曙の女神が夜を追い払おうとして、彼女を先導する明けの明星が昇っていた。
oscula congerimus properata(急いだ) sine ordine raptim(急いで)僕たちは狂ったように急いで性急な口づけを交わしたね。そして、夜は短かすぎると嘆いたね。
atque ita cunctatus monitu nutricis amaro 18-115それでも僕は乳母の厳しい言葉に促されて、しぶしぶ塔をあとにして寒々とした岸辺へ向かった。
digredimur flentes repetoque ego virginis aequor僕たちは泣きながら別れたね。僕は君の姿が見えなくなるまでずっと振り返りながら、むかし継母に追われた処女ヘッレーが溺れ死んだという海へ戻って行った。
siqua fides vero est, veniens hinc(ここから) esse natator,信じてもらえなくても本当のことを言うと、僕はここから君のもとに行くときには立派に泳げたけれども、ここへ戻るときは波に流されるばかりだった。
hoc quoque, si credes: ad te via prona videtur;これも信じられなくても本当のことだが、君のもとへ向かうときは海は下り坂のようだったが、君のもとから帰るときには、やる気のない海は昇り坂のようだった。
invitus repeto patriam; quis credere possit?誰も信じてくれないだろうが、僕はいやいや故郷へ戻った。ぼくはいまいやいや自分の町に留まっている。
Ei mihi! cur animis juncti secernimur undis, 18-125ああ、心で結ばれた僕たちはどうして波で隔てられているのだろう。僕たち二人は心は一つなのに、どうして一つの地に住めないのだろう?
vel tua me Sestus, vel te mea sumat(接) Abydos;僕が君のいるセストスに住むか、君が僕のいるアビュドスに住むべきなのだ。君は僕の国が好きだし、ぼくは君の国が好きなのだから。
cur ego confundor, quotiens confunditur aequor?どうして僕の心は海が乱れるたびに乱れるのだろう?どうして気まぐれな風なんかに僕を邪魔する力があるのだろう?
jam nostros curvi norunt delphines amoresいまでは弓なりになって跳ねるイルカたちも僕たちの恋のことを知っている。僕のことは魚たちもよく知っているに違いない。
jam patet attritus solitarum limes aquarum,いまでは僕がいつも渡る海には踏みならされた道ができている。何度も車輪に踏みしだかれた道と同じように。
quod mihi non esset nisi sic iter(方法), ante querebar; 18-135こんなやり方でしか会えないことを前は嘆いていた僕だけれども、いまは風のせいでこの方法もないことを嘆いているんだ。
fluctibus(波) immodicis Athamantidos aequora canentアタマースの娘ヘッレーの海(ヘレスポントス)は高波のせいで白く濁って、船が港にいても安全とは言えないほどだ。
hoc mare, cum primum de virgine nomina mersa,この海はそこで溺れ死んだ処女(ヘッレー)のために今の名前が最初に付けられたときにも、こうだったに違いない。
est satis amissa(奪) locus hic infamis(悪名高い) ab Helle est,この海はヘッレーを奪ったことで十分に悪名高い。たとえ僕を助けたところで、その名前に記された罪が消えることはない。
invideo Phrixo, quem per freta tristia(荒れ狂う) tutum僕はプリクソスが羨ましい。荒れ狂う海の上を黄金の毛皮の羊に運ばれて無事に越えたのだから。
nec tamen officium pecoris navisve requiro, 18-145でも、僕は羊や船の世話になる必要はない。この肉体で切り開ける海がありさえすればいい。
parte egeo nulla; fiat modo copia nandi,僕には足りないものはない。泳ぐ機会がありさえすれば、僕は一度に船と船乗りと客になるだろう。
nec sequor aut Helicen(大熊座) aut qua Tyros(主=Tyrii) utitur Arcton(小熊座);僕が泳ぐときの目印は大熊座でもないし、フェニキア人が目印にする小熊座でもない。僕の恋には他の人が使う星座はいらない。
Andromedan alius spectet claramque Coronamアンドロメダと明るいアリアドネの冠と、厳寒の極にきらめくカリストーの熊座は他の人が目印にすればいい。
at mihi quod Perseus et cum Jove Liber amarunt,でも、僕はペルセウスが愛したアンドロメダも、ユピテルが愛したカリストーもバッカスが愛したアリアドネも、危険な旅の目印とはしたくない。
est aliud lumen, multo mihi certius istis, 18-155それらの星よりずっと確かな別の灯りが僕にはある。これを目印とすれば僕の恋は暗闇のなかでも迷うことはない。
hoc ego dum spectem, Colchos et in ultima Ponti(黒海の果),これを目印にしていれば、僕は黒海の果てのコルキスへも行けるだろう。テッサリアのアルゴー号が通った道も行けるだろう。
et juvenem possim superare Palaemona nandoパライモーンという若者にも、魔法の草を噛じったために突如として神に変身させられたグラウコスにも僕は泳ぎで勝てるだろう。
Saepe per assiduos languent(弱る) mea bracchia(主) motus,休みなく動かしていると、時には僕の腕はぐったりと疲れて広大な水を引き寄せられなくなる。
his ego cum dixi: 'pretium non vile laboris,すると僕は自分の腕に言ったものだ。「この苦労にはご褒美が待っている。じきに彼女の襟足がお前たちのものになる」と。
protinus illa valent, atque ad sua praemia tendunt, 18-165するとすぐに腕は元気になって、褒美に向かって進んでいった。それはまるでオリンピア競技場の出走ゲートから飛び出した競走馬のようだった。
ipse meos igitur servo, quibus uror, amoresこうして僕は僕の胸を焼き焦がす恋人から目を離さないんだ。星々よりも神の世界にふさわしい娘よ、ぼくは君を道しるべにしているのだ。
digna quidem caelo es — sed adhuc tellure morare(留まる),そうだ、君は神の世界にふさわしい。だが、いまはまだ地上に留まってほしい。さもなくば、僕にも天界に行く道を教えてほしい。
hic es et exigue(めったに) misero contingis(出会う) amanti,君は地上にいる。なのに、憐れな恋人のぼくは君にめったに会うことができない。僕の心とともに海は乱れている。
quid mihi, quod lato non separor aequore, prodest?僕たちを隔てる海が広くないことが、何の役に立つだろうか?海が狭いからといって僕たちを阻む障壁が低いと言えるだろうか?
an malim(ましだ), dubito, toto procul orbe remotus 18-175むしろ、僕たちははるか世界の両端に離れていて、君も希望も僕の手に届かない所にあると思うほうがましかもしれない。
quo propius nunc es, flamma(奪) propiore calescoところが、君が近くに来れば、それだけ僕を燃え上がらせる炎も近くなる。君はいつもそばにいるわけではないのに、希望はいつもそばにいる。
paene manu quod amo, tanta est vicinia, tango;愛する彼女はほとんど手が触れるほど近くにいるのに、ああ、この近さのせいで僕は何度も涙する。
[velle quid est aliud fugientia prendere poma[これでは、逃げ去る果実を掴もうしたり、逃げる流水への希望を唇で追うのとおなじことだ]
Ergo ego te numquam, nisi cum volet unda, teneboすると、僕が君を抱擁するのは波の気まぐれ次第で、嵐のときは僕は幸せになれないのか?
cumque minus firmum nil sit quam ventus et unda, 18-185風と波ほど当てにならないものはないのに、僕の望みはいつも風と波次第なのか?
aestus adhuc tamen est. quid, cum mihi laeserit aequorいまはまだ夏だが、海を荒らすスバルと牛飼い座とカペラが出てきたらどうしたらいい?
aut ego non novi, quam sim temerarius(向う見ず), aut me僕は自分がどれほど向こう見ずなことが出来るかまだ分からないんだ。でも分かったら、嵐のときでも無謀な恋のキューピッドが僕を海へ送り出してくれるだろう。
neve(〜しないため) putes id me, quod abest, promittere, tempus,天候が悪いからこんな約束をしていると君に思われないために、すぐにこの約束が嘘でないことを見せてやる。
sit tumidum paucis etiam nunc noctibus aequor;これから数晩は海が荒れるかもしれない。でも、海が受け入れてくれなくても僕は決行するつもりだ。
aut mihi continget felix audacia salvo 18-195もし僕が無事にこの無謀な行為に成功できなければ、そのときは死がこの恋の苦悩を終わらせてくれるだろう。
optabo tamen ut partis(対がわ) expellar in illasそれでも僕は祈るだろう。僕が向こう岸に打ち上げられて、難破したこの体が君の港にたどり着きますようにと。
flebis enim tactuque meum dignabere corpus君は涙を流して、厭わずに僕の亡骸に触れて、「彼の死の原因は私です」と言うだろう。
scilicet interitus(死) offenderis(気を悪くする) omine nostri,きっと、僕の死の予言に君は気を悪くしているだろう。ぼくの手紙のこの個所は君には不愉快だろう。
desino; parce queri. sed ut et mare finiat iram,もうやめよう。だから君も怒るのはやめてほしい。さあ、今度は海の怒りを収めるために、どうか、僕の祈りに君の祈りを合わせてほしい。
pace brevi nobis opus est, dum transferor isto; 18-205僕の願いは僕が向こう岸へ渡るまでの短い凪だ。僕が君の岸に着いたあと嵐はまた続けばいいのだ。
istic est aptum nostrae navale carinae君のもとには僕の船にぴったりのドックがある。僕の船にはそこよりも居心地よく泊まれる海はない。
illic me claudat Boreas, ubi dulce morari est;ボレアースはそこに僕を閉じ込めたらいい。そこに留まるのは楽しいことだ。そのときには僕はもう泳ぐ気がせず、用心深くなるだろう。
nec faciam surdis convicia(非難) fluctibus ulla聞く耳をもたない高波を非難することもなく、泳いで行こうとしている僕に海が意地悪だと嘆くこともないだろう。
me pariter venti teneant tenerique lacerti,どうか、風とたおやかな腕が一緒に僕を引き止めてくれますように。どうか、この二つの原因で僕がそちらに足止めされますように。
cum patietur hiems, remis ego corporis utar; 18-215嵐が許してくれ次第、僕はこの腕を櫂にして漕ぎ出すだろう。君はただずっと灯りを見えるところにかかげてくれたらいい。
interea pro me pernoctet(接 夜を過ごす) epistula(主) tecum,それまでは僕の代わりにこの手紙に君との一夜を過ごさせてくれ。願わくは、すぐあとに僕自身が着くはずだから。
レーアンドロスよ、来てよ。そして、あなたが言葉で送ってくれたあなたの愛情を私に行動で示してよ。
longa mora est nobis omnis, quae gaudia differt.私たちの恋の喜びを先延ばしするどんな猶予も私には果てしなく思えるの。こんなことを言ってごめんなさい。私の恋は辛抱強くないのです。
urimur igne(奪) pari, sed sum tibi viribus impar: 19-5私たちは互いに同じ恋の炎に燃えていますが、耐える力はあなたに劣るのよ。男の人のほうが生まれつき我慢強いのだと思います。
ut corpus, teneris ita mens infirma puellis;男の人は狩りをしたり、田畑を楽しく耕したりと、色んな暇つぶしで長い時間を過ごします。
aut fora vos retinent aut unctae dona palaestrae,広場に足を止めるもよし、香油が光る体育場を楽しむもよし、轡で従順な馬の首の向きを変えるもよしです。
nunc volucrem laqueo(罠), nunc piscem ducitis hamo(釣針),鳥に罠を仕掛けたり、魚に釣針を垂らしたり、夜遅い時間は酒の飲んで紛らずでしょう。
his mihi summotae(与), vel si minus acriter urar, 19-15こういったことの出来ない私には、たとえこんなに激しく身を焦がしていなくても、私に出来ることはあなたを恋しがることだけなのよ。
quod superest facio, teque, o mea sola voluptas,私は自分の出来ることをしているのよ。あなたは私のただ一つの喜びなのよ。私はあなたを恋しているのよ。この思いはとても報われることのできないものなのよ。
aut ego cum cana de te nutrice susurro,そして私は年老いた乳母とあなたのことを囁き声で話して、あなたの旅路を遅らせている原因は何なのか不思議に思っているのです。
aut mare prospiciens odioso concita ventoあるいは、海を眺めて、憎たらしい風にあおられた海を、あなたが言うのとほとんど同じ言葉で非難しています。
aut ubi saevitiae paulum gravis unda remisit,あるいは、荒波の激しさが少しだけ弱まって、来られるようになっているのに、どうしてあなたは来ないのかと嘆いています。
dumque queror lacrimae(主) per amantia lumina manant(流れる), 19-25私が嘆いていると、あなたを愛する両方の目から涙が流れます。私の秘密を知る老女は震える手でそれを拭います。
saepe tui specto si sint in litore passus(足跡),私は何度もあなたの足跡が浜辺にないか捜しました。砂浜があなたの足跡をいつまでも消さないでいるかのように。
utque rogem de te et scribam tibi, siquis Abydo私はあなたのことを尋ねるために、アビュドスから来た人がいないか尋ね、あなたに手紙を出すために、アビュドスへ行く人がいないか尋ねました。
quid referam, quotiens dem vestibus oscula, quas tuさらに、あなたがヘッレースポントスの海に入るときに脱いだ衣に私は何度口づけしたでしょう?
Sic ubi lux acta est et noctis amicior horaこうして昼が過ぎ、もっと優しい夜がその日を終わらせて明るい星々を見せたとき、
protinus in summa vigilantia lumina tecto 19-35すぐさま私は館の最上階に夜更かしの灯りを置いて、いつものあなたの旅路を導く目印とするのです。
tortaque(紡いだ) versato ducentes stamina(織り糸) fuso(紡錘)そして、撚り糸を糸巻きを回しながら引き出して、女の仕事をしながら長い待ち時間を紛らすのです。
quid loquar interea tam longo tempore, quaeris:そんなに長いあいだ私は何を話すことがあるのかとあなたは尋ねるのですか?私の口に上るのは、レーアンドロスよ、あなたのことばかりです。
'jamne putas exisse domo mea gaudia, nutrix,「ばあや、私のいとしい人はもう家を出たと思う?それとも、みんなが起きているので、家族の目が恐いのかしら?
jamne suas umeris illum deponere vestes,「あの人はもう肩から服を脱ぎ捨てて、たっぷりオリーブ油を体にすり込んでいると思う?」。
adnuit illa fere; non nostra quod oscula curet, 19-45彼女は同意したようでした。それは私の感謝のキスが欲しかったからではなく、老いた彼女はもう眠くなったので頷いただけでした。
postque morae minimum 'jam certe navigat,' inquam,私は少し間を置いて言いました。「きっと彼はもう海に乗り出しているわ。しなる腕で水をかいて泳いでいるわ」。
paucaque cum tacta(奪) perfeci stamina terra,わずかな糸を仕上げて糸巻きが地面に着くと、あなたはもう海の真ん中まで来ているかしらと言いました。
et modo prospicimus, timida(奪) modo voce precamur,そして私は海を眺めたり、臆病な声で祈ったりしました。順風が吹いてあなたの旅が楽になりますようにと。
auribus incertas voces captamus et omnem私の耳はどんなささいな物音も捉えました。そして、どの音を聞いてもあなたが着いたに違いないと思いました。
Sic ubi deceptae pars est mihi maxima noctis 19-55こんなふうにして私は長い夜を紛らしながら、夜の大部分を過ごしたとき、疲れた両目に眠りが忍びこむのです。
forsitan invitus mecum tamen, improbe, dormisひょっとして、不実なあなたは好きでもないのに私といっしょに眠って下さるんですわ。あなたは本心では来たくないのに、来て下さるんですわ。
nam modo te videor prope jam spectare natantem,だって、夢の中のあなたはもう近くまで泳いで来ています。そして、いまあなたは濡れた両腕を私のうなじにかけています。
nunc dare quae soleo, madidis(濡れた) velamina membris(体),いまあなたはいつものように濡れた体をタオルでおおい、いまあなたは自分の胸で私の胸を抱きしめて冷えた体を暖めています。
multaque praeterea linguae(与) reticenda modestae他にもあなたは色んなことをしてくれますが、私の口から言うのははばかれます。その行為は嬉しくても、言葉にするのは恥ずかしいからです。
me miseram! brevis est haec et non vera voluptas; 19-65ああ、憐れな私。この束の間の喜びは現実ではないのです。目覚めるとともにあなたの姿はいつも消え去るのですから。
firmius, o, cupidi tandem coeamus amantes,ああ、愛し合い求め合う私たちなら、もっとしっかりと結ばれるはずなのです。私たちの歓びは嘘のない真実のものであるはずなのです。
cur ego tot viduas(独身の) exegi frigida noctes?どうして私はひとり凍えながらこんなに多くの夜を過ごしたのでしょうか?どうしてあなたは幾度も私から離れて、のんびり留まったままなのでしょうか?
est mare, confiteor, non jam tractabile nanti;たしかに、いまの海はもう泳ごうとしても泳げるものではありません。でも、昨日の夜は風がもっと穏やかでした。
cur ea praeterita est? cur non ventura timebas?なのにどうして昨夜あなたは来なかったのでしょうか?どうしてあなたは起きるはずのないことを恐れたのでしょうか?どうしてあなたは絶好のチャンスを無にして、旅を決行しなかったのでしょうか?
protinus ut similis detur(接) tibi copia(チャンス) cursus(旅路), 19-75似たようなチャンスはすぐに生まれるかも知れません。 でも、きっとチャンスを掴むのは早ければ早いほどよかったのです。
at cito mutata est jactati forma profundi(海).しかし海は表情をすぐに変えて嵐になると言うかもしれません。でも急いで来れば、その前に来られますわ。
hic, puto, deprensus nil quod querereris(未完接) haberes仮にここで嵐に追いつかれても、あなたには嘆くことは何もないはずです。私の腕の中に飛び込んでしまえば、あなたはもうどんな嵐もへっちゃらですわ。
certe ego tum ventos audirem laeta sonantesそうなれば少なくとも私は風の音を聞いても平気でしょうし、 海が鎮まることをもう祈ったりはしないでしょう。
quid tamen evenit, cur sis metuentior undaeそれなのに、あなたは前より波を恐がるようになっています。以前は馬鹿にしていた海に対していまでは恐れを抱いているのです。いったい何があったのでしょうか?
nam memini, cum te(奪) (aequor)saevum veniente minaxque(威嚇的な) 19-85だって、まえにあなたが来たときには、海はいまと似たようなもので、同じように荒れていて危険だったことを私は覚えていますもの。
cum tibi clamabam: 'sic tu temerarius esto,そのとき私はあなたにこう言ったものです。「向こう見ずなのはいいけれど、あなたの勇気が私を不幸にして涙をこぼさせないようにしてくださいね」と。
unde novus timor hic, quoque(どこへ) illa audacia fugit?なぜ今回はこれまでになく恐がっているのですか?以前の大胆さはどこへ行ってしまったのですか?海を見下していたあの泳ぎの達人はいまどこにいるのですか?
sis tamen hoc potius, quam quod prius esse solebas,でも、やはり前のあなたに戻るより、いまのあなたでいてください。静かな海を安全に渡って来てください。
dummodo(〜である限り) sis idem; dum(〜である限り) sic, ut scribis, amemurあなたがいまのまま変わらずにいてくれて、あなたの手紙から分かるとおり、私たちが相思相愛で、この愛の炎が冷たい灰にならないかぎりは、それでいいのです。
non ego tam ventos timeo mea vota morantes, 19-95私の心配は、私の願いが風に妨げられることよりも、あなたの愛が風のように揺らぐことなのです。
neu(=neve) non sim tanti, superentque pericula causam私はそんなに値打ちがなくなり、危険がその原因を上回り、あなたの苦労に対するご褒美として、私は物足りなく思われるのではないか、ということです。
interdum metuo, patria ne laedar et impar(匹敵しない)ときどき、私の生まれが仇となって、アビュドス出の婿にはトラーキア出の娘の私では釣り合わない、と言われはしまいかと心配しているのです。
ferre tamen possum patientius omnia, quam siただし、私はどんなことでも我慢強く耐えられますが、あなたが別の女に心を奪われて楽しんでいたり、
in tua si veniunt alieni colla lacertiその女の腕があなたの首に巻きつたり、新しい恋が私たちの恋を終わらせることには耐えられません。
a, potius peream, quam crimine vulnerer isto, 19-105私はあなたの浮気で傷つくくらいなら、死んだほうがましです。あなたが浮気をするなら、その前にわたしの命が尽きて欲しい。
nec quia venturi dederis mihi signa doloris,でも、こんなことを言うのは、あなたを見ていて不幸の兆候を見つけたからでも、予期せぬ噂に心を乱されたからでもありません。
omnia sed vereor — quis enim securus amavit?私は何もかもが不安なのです。実際、恋をしていながら心安らかな人が誰かいるでしょうか?離れている恋人の不安はなおさらつのらずにはいられません。
felices illas, sua(二人) quas praesentia(主) nosse恋人と一緒にいる女は幸せです!結ばれた体は真の不貞を知ることだけを命じて、根も葉もない不貞を恐れることを禁じますから。
nos tam vana movet, quam facta injuria fallit(気づかない),私の場合は、実態のないことで不安になる一方で、実際の不貞は気づくことは出来ないのです。しかも、どちらの見誤りも同じ痛みをもたらすのです。
o utinam venias! aut ut ventusve paterve 19-115ああ、どうかあなたが来てくださいますように。もし来られなくても、それは女のせいではなくて、風のせいかお父さまのせいでありますように。
quodsi quam sciero(=scivero), moriar, mihi crede(きっと), dolendo;しかし、もしそれがだれか女のせいだと私が知ったら、きっと、私は悲しみのために死んでしまうでしょう。あなたがもし私の命が尽きることを願っているのなら、あなたはすぐにでも過ちを犯せばいいのですわ。
sed neque peccabis, frustraque ego terreor istis,でも、あなたは過ちを犯さないでしょう。また、そんなことで私が不安を抱くのは無意味なことなのです。もしあなたが来ないとすれば、それは私たちの仲を妬んだ嵐が邪魔をしているからですわ。
me miseram! quanto planguntur litora fluctu,ああ、憐れな私。なんと大きな波が岸に打ちつけていることでしょうか!空はなんと黒い雲に覆われて見えなくなってしまっていることでしょうか!
forsitan ad pontum mater pia venerit Hellesひょっとして、ヘッレーの母のネペレーが娘かわいさから海へやって来て、海に沈んだ娘のために滂沱の涙を流して泣いているかもしれません。
an mare ab inviso(うとましい) privignae(継子) nomine dictum 19-125あるいは、うとましい継子ヘッレーの名がついた海を女神に姿を変えた継母イーノーがいじめているのでしょうか?
non favet, ut nunc est, teneris locus iste puellis;この場所は、いまもそうですが、か弱い娘たみに好意を示しません。この海でヘッレーは命を落としましたし、この海のせいで私は苦しんでいます。
at tibi flammarum memori, Neptune, tuarumでも、ネプトゥーヌスよ、あなたはご自身の恋の炎を忘れず、どのような恋も風で邪魔をしてはなりません。
si neque Amymone nec, laudatissima forma,それとも、アミューモーネーと、右に出る者なしと評判の美しさのテューローがあなたの手ごめにされたという話は嘘でしょうか、
lucidaque Alcyone Calyceque Hecataeone nata,輝けるアルキュオネーと、ヘカタイオーンの娘カリュケーと、まだ髪の毛を蛇で結っていなかったときのメドゥーザと、
flavaque Laudice caeloque recepta Celaeno 19-135金髪のラーオディケーと、天界に迎えられたケラエノーと、私がその名を本で読んだ娘たちの話は嘘なのでしょうか。
has certe pluresque canunt, Neptune, poetae少なくともこの娘たちは、いえもっと多くの娘たちがか弱い体を、ネプトゥーヌスよ、あなたの体に添わせたと詩人たちは歌っています。
cur igitur, totiens vires expertus amoris,では、これほど何度も恋の神キューピッドの力を知っていながら、どうして私たちの恋の通い路を嵐によって閉ざすのですか?
parce, ferox, latoque mari tua proelia misce;荒々しい神よ、やめてください。あなたの戦いは広い海と交えてください。二つの土地を隔てるこの海は狭いのです。
te decet aut magnas magnum jactare carinas偉大なあなたにふさわしいのは、大きな船を翻弄することか、あるいは、艦隊全体に乱暴な仕打ちを加えることなのです。
turpe deo pelagi juvenem terrere natantem, 19-145泳いでいる若者を海の神が恐がらせるのは恥ずべきことです。それは小さな池に波を起こすようなものなのです。
nobilis ille quidem est et clarus origine, sed nonあの人はたしかに高貴な生まれ、高名な家の出ですが、あなたが嫌うオデュッセウスの血筋は引いていないのです。
da veniam servaque duos. natat ille; sed isdem彼にお慈悲をお与えください。そして私たち二人をお救いください。泳ぐのは彼ですが、同じ海にレーアンドロスの身の安否と私の希望がかかっているのですから。
sternuit en(ほら) lumen—posito nam scribimus illo—ほら、灯りがぱちぱちと音をたてました。これを書くために置いた灯りです。ばちぱちと音をたてて、私たちに吉兆をくれました。
ecce, merum nutrix faustos instillat(たらす) in ignesご覧なさい、さい先のよい炎に乳母が酒をたらし、「明日、私たちは三人になるということですわ」と言って、自分もその酒を飲みまた。
effice nos plures evicta(勝つ) per aequora lapsus, 19-155ああ、私が胸の奥まで迎え入れた人よ、海を乗り越えて滑るようにしてこちらへ来てください。そして私たちを三人にしてください。
in tua castra redi, socii desertor amoris;あなたは戦友のキューピットから逃げ出したのですか?恋の戦いに戻ってきてください。何のために私の体は寂しいベッドに横たわっているのでしょう?
quod timeas, non est! auso Venus ipsa favebit,あなたは恐れることなどありません。勇気のある人にはビーナスも手助けするでしょう。海から生まれた女神は海の道を平らにならしてくれるでしょう。
ire libet medias ipsi mihi saepe per undas,私自身も何度か波間を渡っていきたいと思いますが、この海はいつも男の人のほうが安全です。
nam cur hac(ここを) vectis(渡る) Phrixo Phrixique sororeだって、プリクソスとその妹ヘッレーがここを通ったとき、女のほうだけが溺れてこの大海原に名前を残したではありませんか?
Forsitan ad reditum metuas ne tempora desint, 19-165ひょっとして、帰りの時間のことを気にしているのですか。それとも、行って帰るという二重の労苦の重荷に耐えられないと言うのですか。
at nos diversi medium coeamus in aequorでは、二人それぞれ反対方向から出発して海の真ん中で結ばれましょう。海の上で顔を見合わせながら口づけをしましょう。
atque ita quisque suas iterum redeamus ad urbes;そうして、それぞれまた自分の町へ戻りましょう。束の間のことですが、何ももないよりはましでしょう。
vel pudor hic utinam, qui nos clam cogit amare,ああ、私たちに忍ぶ恋を強いている恥じらいの心が恋のために消えてしまってほしい。さもなければ、臆病な恋心は人の噂のために消えてしまいます。
nunc male res junctae, calor et reverentia pugnant.いまは熱い恋心と慎みの心という二つの相性の悪いものがせめぎ合っています。私はどちらに従うべきか迷っています。一方は適切なことで他方は楽しいことです。
ut semel intravit Colchos Pagasaeus Jason, 19-175かつてペガサイのイアソンはコルキスに着いたとき、メデアを船足の速い船に乗せて連れ去りました。
ut semel Idaeus Lacedaemona venit adulter,トロイで育った姦夫パリスはかつてスパルタへやって来たとき、ヘレネーをさらってすぐさま帰国しました。
tu quam saepe petis quod amas, tam saepe relinquis,ところが、あなたは自分の恋人を求めてやってくるたびに、恋人を置いて帰るのです。しかも、あなたは海が船で渡るのが難しくなるたびに、泳いで渡るのです。
sic tamen, o juvenis, tumidarum(膨れた) victor aquarum,たしかに、あなたは若く、海の高波にうち勝ってきました。しかし、どうかあなたは海を見下すだけでなく、海を恐れて欲しいのです。
arte laboratae merguntur(溺れる) ab aequore naves;海は精巧に組み立てられた船も沈めるのです。あなたは自分の体には船の櫂にまさる能力があると思うのですか?
quod cupis, hoc nautae metuunt, Leandre, natare; 19-185レーアンドロスよ、あなたは泳ぐことが好きですが、水夫たちは泳ぐことを恐れます。彼らが泳ぐのはいつも船が難破した結果だからです。
me miseram! cupio non persuadere quod hortor,ああ、憐れな私。私は自分の求めていることに従って欲しくないのですから。お願い。どうか私の警告など気にせずに、自分の意志を強く貫いてください。
dummodo pervenias excussaque saepe per undasただ、あなたは私のもとに来てくれさえすれば、何度も波間をかいて疲れた腕を私の首筋に投げかけてくれさえすればいいのですから。
Sed mihi, caeruleas quotiens obvertor(向かう) ad undas,でも、私は水色の波へ眼差しを向けるたび、私の臆病な胸はわけの分からない悪寒で凍えます。
nec minus hesternae confundor imagine noctis,それに、私は昨夜の夢にも心を乱されています。そのお清めは私が供物を捧げて済ませてありますが。
namque sub aurora, jam dormitante lucerna(ランプ), 19-195というのは、明け方近く、すでに灯りも消え始めて、いつも正夢を見る時刻に、
stamina de digitis cecidere sopore remissis,眠気でほどけた指から糸が落ちて、頭を枕の上に横たえたときでした。
hic ego ventosas nantem delphina per undas私は風すさぶ波間を泳ぐ一頭のイルカを見誤りようもなくはっきりと見たように思いました。
quem postquam bibulis illisit(打ちあてる) fluctus harenis,イルカは海から乾いた砂地に打ちあげられると、憐れにも、イルカは波に見捨てられると同時に命にも見捨てられました。
quidquid id est, timeo; nec tu mea somnia rideそれが何を意味するにせよ、私は恐いのです。あなたも私の夢を馬鹿にしないでください。海が静かでなければ、あなたはその体を海に委ねないでください
si tibi non parcis(大切にする), dilectae parce puellae(恋人), 19-205あなたはたとえ自分を大切にしなくても、いとしい恋人のことは大切にしてください。あなたが無事でなければ、私はとうてい無事ではいられませんから。
spes tamen est fractis vicinae pacis in undis;でも、私の希望は、波が弱まっているので海が凪になるのが近いことにあります。そのときには穏やかな旅路を胸いっぱいにかき分けてやってきてください。
interea, quoniam nanti freta pervia(通れる) non sunt,それまでは、海は泳いで渡れないのですから、私の送った手紙で憎らしい待ち時間を紛らしてくださいね。
【解題】並外れた美男子アコンティウスはこれも類いまれな美貌の娘キューデッペーに恋し、その思いを遂げようと策略を講じた。すなわち、恋の女神アプロデー(ウェヌス)の神力が宿る黄金のリンゴ(ないし、マルメロ)の表面に「私はアコンティウスの妻になる」との言葉を刻みつけ、このリンゴをデロス島のアルテミス(=ディアナ)神殿でキューディッペーの足元に転がし、彼女にその言葉を口にさせる。つまり、アルテミス女神を立ち会いに彼女に結婚の誓言をさせるというものであった。策略は成功したが、キューディッペーはこの出来事を誰にも話さなかったため、両親は彼女に別の許嫁を決めてしまった。そのために、アコンティウスは思いを果たせない一方、キューディッペーはこの許嫁との婚礼が準備されるたびに病にかかり、二人とも苦しむこととなった。第二十歌、第二十一歌はこの時点で書かれた手紙という設定を取る。しかし、結局、このあと困難な状況は解消される。アポロン神への神託伺いによって病気の原因が分かり、キューディッペーも事情を両親に打ち明けたことから、二人はめでたく結婚することになる。
[キューディッペーよ、お前を騙したリンゴに書いてあったアコンティウスの見捨てられた名前を受け入れよ]
Pone metum! nihil hic iterum jurabis amanti;恐がることはないよ。君はこの手紙を読んでも恋する男にもう一度誓いをさせられることはないんだから。僕には一度の約束で十分だ。
perlege! discedat(接) sic corpore languor(病) ab isto最後まで読んでおくれ。そうすれば、君の体から病は消え去るだろう。君の体のどこが痛んでも、それは僕の痛みなんだから。
quid pudor ora subit? nam, sicut in aede Dianae, 20-5なぜ君は顔を赤らめるんだ?というのは、君はディアナの神殿にいたときのように、生まれのいい頬を赤らめていると思うからだよ。
conjugium pactamque fidem(約束), non crimina posco;僕が求めるのは結婚と誠意ある約束であって、なんら不名誉なことではないんだ。君を愛する僕は君の夫となる定めであり、僕は女たらしではないんだ。
verba licet repetas(思い出す), quae demptus ab arbore fetus(実)あの言葉を思い出しておくれ。僕が木からもいで投げたリンゴで君の清らかな手元へ届けた言葉を。
invenies(未) illic id te spondere(約束), quod optoそこには君が僕と結んだ約束が書いてあるはすだ。あの約束は、たとえ女神が忘れても、乙女よ、君は忘れないで欲しい。
nunc quoque idem cupio, sed idem tamen acrius illud;僕の君への気持ちは変わらない。いやそれどころか、前より強くなっているんだよ。恋の炎はじらされているあいだに勢いを増して大きくなるんだ。
quique fuit numquam parvus, nunc tempore longo 20-15これまでも恋心は決して小さくはなかったが、いまや長い時間と、君が僕にくれた希望のために成長した。
spem mihi tu dederas; meus hic tibi credidit ardor.君は僕に希望をくれた。僕のこの情熱は君を信じている。君はこの事実を否定できない。女神が証人だ。
adfuit et, praesens ut erat, tua verba notavit女神はそこにいた。そして証人として君の言葉を聞いて、髪を振ってそれを受け入れたと思う。
deceptam dicas nostra te fraude licebit,君は僕の企みに騙されたと言っても僕はかまわない。ただし、ぼくの企みの原因はぼくの恋心だったと言ってくれるかぎりはね。
fraus mea quid petiit, nisi uti tibi jungerer uni?僕のあの企みは何のためだったのか?それは君だけと結ばれるためのものだったんだ。君が怒っているあの企みには、君をぼくのものにする力がある。
non ego natura(奪) nec sum tam callidus(巧妙な) usu; 20-25僕は生まれつきずる賢くはないし、後からずる賢くなったのでもない。娘よ、信じておくれ、ぼくは君のためにずる賢くふるまっただけなんだ。
te mihi compositis(組み立てた) (siquid tamen egimus) a seけれども、君を僕にしばりつけたあの言葉を書いたのは企み豊かなキューピッドなんだ。僕は彼に従っただけなんだ。
dictatis ab eo feci sponsalia(婚約) verbis僕はキューピッドに教えられた言葉によって君と婚約したんだ。キューピッドを法律顧問として僕はずる賢くふるまったんだ。
sit fraus huic facto nomen, dicarque dolosus,愛するものを欲しいと思うことが企みをこらすことならば、ぼくのこの行動を企みと呼んでもいいし、僕をずる賢い人だと言ってもいい。
en, iterum scribo mittoque rogantia verba!ほら、こうしてまた僕は手紙を書いて、嘆願の言葉を送るよ。これは君にとっては新たな企みで、君を困らせることになるんだね。
si noceo, quod amo, fateor, sine fine nocebo, 20-35もし僕が愛することで君を傷つけるなら、認めよう。僕はいつまでも君を傷つけることになるし、いくら君が僕の求愛を警戒しても、僕は君に求愛し続けるよ。
per gladios alii placitas rapuere puellas;恋した娘を剣の力で奪い取った人もいるのに、慎重に言葉を選んで書いているこの手紙が罪になるだろうか?
di faciant, possim plures imponere nodos,君にどうしても約束を履行してもらえるように、僕にもっと君を束縛できる手段があればいいのだが。
mille doli restant, clivo(坂) sudamus in imo;企みなら無数にある。僕の努力はまだ鳥羽口なんだよ。恋する僕は何一つ試さないではいられないだろう。
sit dubium, possisne capi; captabere(未受2求愛される) certe.君の心を捕らえられるか分からないけれど、僕は求愛し続けるつもりだ。結果は神のみぞ知るだが、それでも、僕は君の心をとらえてみせる。
ut partem effugias(接), non omnia retia falles, 20-45君が僕の罠のいくつかはかわせても、すべてをかわせはしないよ。君が思うよりたくさんの罠をキューピッドは張りめぐらしたからね。
si non proficient artes, veniemus ad arma,企みが効を奏さなければ、僕は腕力に頼ることにするよ。君を欲しくてたまらないこの胸に君を抱いて連れ去ることにするよ。
non sum qui soleam(しがちである) Paridis reprehendere factum僕はパリスの行動を非難するよくあるタイプの人間ではないし、夫になるために男らしく振る舞った人を咎めることはしないよ。
nos quoque—sed taceo. mors huius poena rapinae僕もまた――いや、言わないでおこう。この略奪に対する罰が死であるとしても、君を手に入れられないことに比べれば取るに足らないだろう。
nata esses formosa minus, peterere modeste;君がそんなにも美しくなかったとしたら、僕の求愛も控えめになっただろう。君の美貌が僕を大胆な方向に走らせるんだよ。
tu facis hoc oculique tui, quibus ignea cedunt 20-55僕にそうさせるのは君と君の瞳なんだ。それは星の輝きにもまさっていて、それが僕の恋に火をつけたんだよ。
hoc faciunt flavi crines et eburnea cervix僕にこうさせるのは君の金髪と象牙のように白いうなじ、それに、僕の首に差し伸べられることを願うその腕なんだよ。
et decor et vultus sine rusticitate pudentesそしてその美しい顔、野暮ではない恥じらいをもったその顔、さらに、テティスもかなわないと思うような足だよ。
cetera si possem laudare, beatior essem,ほかの魅力も褒めることができるなら、僕はもっと幸せだろう。しかし、その姿はどこをとっても非の打ち所がないのは疑いがない。
hac ego compulsus, non est mirabile, forma,こんな美しさに駆り立てられた僕が、誓いという担保を君から取っておきたいと思ったとしても、不思議はない。
denique, dum captam tu te cogare(接2受) fateri, 20-65要するに、君が降参するしかないと認めるときには、僕の企みによって降参したと言って欲しいんだよ。
invidiam patiar, (modo〜限り)passo sua praemia dentur.忍耐に代償がある限り、僕は君の怒りを甘んじて耐えるつもりだ。これほどの罪を犯している僕にどうして何の見返りもないのか?
Hesionen Telamon, Briseida cepit Achilles;テラモーンはヘーシオネーを、アキッレスはブリセーイスを手に入れた。二人はたしかに自分たちを勝ち取った男に従ったのだ。
quamlibet accuses et sis irata licebit,怒った君を僕が満喫できるかぎり、君はいくら僕を非難しても、どれほど怒ってもかまわない。
idem qui facimus, factam tenuabimus(未 弱める) iram,君を怒らせる僕が、その怒りを鎮めてあげるよ。だから、君の怒りを宥める機会を少しでもつくっておくれよ。
ante tuos liceat flentem consistere(立つ) vultus(視線) 20-75許しを請う僕が君の前に泣きながら立つのを許しておくれ。涙にふさわしい言葉を加えるのを僕に許しておくれ。
utque solent famuli(奴隷), cum verbera saeva verentur,奴隷たちが非情な鞭打ちを恐れるときのように、君の膝にすがりつこうと両手を伸ばすのを僕に許しておくれ。
ignoras tua jura; voca(召喚)! cur arguor(非難する) absens?君は僕に対する支配力を知らないんだ。君の法廷に僕を召喚しておくれ!なぜ君は僕がいないところで僕を非難するんだ?女主人がするように、ここに来なさいと早く僕に命令しておくれ。
ipsa meos scindas(引きちぎる) licet imperiosa capillos,君はうむを言わせず僕の髪の毛を引きむしることも出来る。君の指で僕の顔に青あざをつけることも出来る。
omnia perpetiar; tantum fortasse(ひょっとして) timebo,どんなことも辛抱しよう。ただ僕が心配なのは、ひょっとして君の手が僕のせいで傷まないかということだ。
sed neque compedibus(足枷) nec me compesce(束縛) catenis(鎖); 20-85でも、足かせや鎖で僕を縛ることはしないでおくれ。僕はいつまでも君への変わらぬ愛に縛られているんだから。
cum bene se quantumque volet satiaverit(完接満足) ira(主),そうして、怒って君のしたいだけのことをしてすっかり満足したら、君は心の中で言うだろう、「彼の愛はなんて辛抱強いのかしら」と。
ipsa tibi dices, ubi videris omnia ferre:僕はどんなことにも耐えられると分かったとき、君は心の中で言うだろう、「これだけよく我慢できる人なら、私の奴隷にしよう」と。
nunc reus(被告) infelix absens agor, et mea, cum sitいま僕は不幸な欠席裁判を受けている被告なんだ。しかも、僕の言い分は完璧なのに、弁護人がいないので負けている。
†hoc quoque quod jussit sit scriptum injuria(主) nostrum;†僕が書いたあの言葉がたとえ悪企みだったとしても、君が怒るべき相手は要は僕だけのはずだ。
non meruit falli mecum quoque Delia; si non 20-95だから、君は僕の誓いと一緒にディアナとの誓いも破るべきではないんだよ。かりに君が僕との誓いを守るつもりはなくても、女もとの誓いは守らないといけないよ。
adfuit et vidit, cum tu decepta rubebas,君が僕の企みに引っかかって顔を赤らめたとき、女神はそこにいて見ていたし、君の声を耳に入れて忘れぬように胸におさめたのだから。
omina re careant! nihil est violentius illa,桑原桑原!滅相もないことだが、神の気持ちが傷つけられたと分かったときのあの女神ほど猛威を振るうものはないんだ。
testis erit Calydonis aper sic saevus, ut illoその証拠はカリュドンの猪だ。猪は怒り狂ったが、それにも劣らず母親は息子に対して怒り狂った。
testis et Actaeon, quondam fera creditus illis,アクタイオーンもその証拠だ。その昔彼は以前はともに獣を殺していた犬たちに獣と見なされて殺された。
quaeque superba parens saxo per corpus oborto 20-105また傲慢な母親ニオベーも証拠だ。彼女は体全体が石になって、いまもミュグドニアの地で涙にくれている。
ei mihi! Cydippe, timeo tibi dicere verum,ああ、キューディッペーよ、君のためではなく自分のために作り話をしていると思われたくないので、僕がこんなことを言うのは憚(はばから)れるんだが、
dicendum tamen est. hoc est(こういうわけだ), mihi crede, quod aegraやはり、言っておこう。信じておくれ、君が婚礼の日が来るたびに何度も病気で床に伏す原因は、こういうわけなんだ。
consulit ipsa tibi, neu(〜しないために) sis perjura, laborat,つまり、これは女神の君に対する思し召しなんだ。女神は君が偽誓の罪を犯さないように動いてくれているんだ。君が約束を守ることで健康になることを望んでいるんだよ。
inde fit, ut, quotiens existere perfida temptas,つまり、君が偽誓の罪を犯そうとするたびに、女神が君の過ちを叱っているんだよ。
parce(控える) movere feros animosae virginis arcus; 20-115荒々しい弓を持つ気性の激しい処女神を挑発するのはやめてほしい。君が女神を受け入れさえすれば、女神は優しくなるだろう。
parce, precor, teneros corrumpere(損なう) febribus(熱) artus;お願いだ。か弱い手足が熱病で弱まらないようにしておくれ。君の美しさを僕のために大切にしておくれ。
serventur vultus ad nostra incendia nati,僕の心に火をつけるために生まれたその美貌を大切にしておくれ。色白の顔に浮かぶ穏やかな赤みを大切にしておくれ。
hostibus et si quis ne fias nostra repugnat僕に敵対して君と僕の結婚を邪魔立てする人たちは、君が病いのときの僕の気持ちを味わえばいい!
torqueor(苦しむ) ex aequo vel te nubente vel aegra,僕は君の結婚話と君の病いによって同じくらいに心が引き裂かれているんだ。僕はどちらも同じくらいに望んでいない。
maceror(弱まる) interdum(時々), quod sim tibi causa dolendi 20-125ときどき僕が君の苦しみの原因だ、僕の企みが君を傷つけていると思うと、僕は身も細る思いだ。
inque caput nostrum dominae perjuria quaeso(祈る)僕は祈る、君の偽誓の罪が僕の頭上に降りかかるように、僕が罰を受けることで君が守られるように!
ne tamen ignorem, quid agas, ad limina crebro(頻繁に)それでも、君の具合はどうなのか知りたくて、悩んだ僕はひそかに何度も君の家の近くを行ったり来たりしている。
subsequor ancillam furtim famulumve requirens,ひそかに侍女や召使いのあとをつけて、睡眠や食事が君にどんな効果があったか尋ねている。
me miserum, quod non medicorum(医者) jussa ministroああ、情けない。僕は医者の指示を実行することも、手をさすることも、病床に付き添うこともできないのだから!
et rursus miserum, quod me procul inde remoto, 20-135さらに情けないのは、僕が君から離れているときに最もいてほしくない男がひょっとすると君のそばにいることだ。
ille manus istas effingit et assidet aegrae神に嫌われているあの男は、君の手をさすりながら君の病床に付き添っている。あの男のことは神とともに僕も嫌いだ。
dumque suo temptat(調べる) salientem(脈打つ) pollice venam,あの男は指を当てて脈をとりながら、それを口実に君の白い腕を何度もつかみ、
contrectatque(愛撫) sinus et forsitan oscula jungit;ひょっとしたら君の胸元を愛撫して唇を合わせもする。彼女への奉仕と比べて、お前の得た報酬は大きすぎる。
quis tibi permisit nostras praecerpere(横取り) messes?誰がお前に僕の獲物を横取りしていいと言った?誰がお前に人の縄張りへの道を開いた?
iste sinus meus est! mea turpiter oscula sumis! 20-145その胸は僕のものだ。恥知らずにも僕の口づけを奪うとは!ああ、僕のために約束された体から手を離すんだ。
improbe, tolle manus! quam tangis, nostra futura est;不埒な奴め、手を離すんだ。お前が手を触れている娘は僕のものになることが決まっている。これからそんなことをすると、お前は間男になってしまうぞ。
elige de vacuis quam non sibi vindicet(所有権を主張) alter;お前は独身女の中から、他の男が所有権を主張しない女を選べばよい。教えてやろう、その物件にはちゃんとした持ち主がいるんだ。
nec(また〜しないために) mihi credideris(接完): recitetur formula pacti(契約);また、お前が僕を信じなくてもいいように、誓約の内容を読み上げよう。また、お前に嘘だと言わせないために、彼女自身に読ませよう。
alterius thalamo, tibi nos, tibi, dicimus, exi(命);他人の寝室から出て行くんだ。お前だ、僕はお前に言っているんだ。お前はここで何をしているんだ?出て行け。そのベッドは空いてはいない。
nam quod(〜だが) habes et tu gemini(同様の) verba altera pacti, 20-155というのは、お前もまた僕のと同じような契約書をもう一つ手にしているが、だからといって、お前の言い分が僕の言い分と対等なわけではないからだ。
haec(彼女) mihi se pepigit, pater hanc tibi, primus ab illa;僕との契約は彼女が結んだものだが、お前との契約は父親が結んだものだ。父親は彼女の次に位する。彼女にとって父親の気持ちより自分の気持ちのほうが大切なのは間違いない。
promisit pater hanc, haec se juravit amanti;お前との約束は父親がしたものだが、僕との約束は恋する僕に彼女が誓ったものだ。父親の証人は人間だが、彼女の証人は女神だ。
hic metuit mendax, haec(彼女) et perjura vocari;父親は嘘をついたと言われるのを恐れ、彼女は偽誓したと言われるのを恐れている。前者と後者のどちらの恐れが大きいか、お前には分からないのか?
denique ut amborum conferre(比べる) pericula possis,要するに、二人のうちのどちらが危険であるかを比べるには、結果に目を向ければいい。彼女は病床に伏しているが、父親は元気だ。
nos quoque dissimili certamina mente subimus; 20-165僕とお前とではこの争いに立ち向かう精神状態が異なる。希望の大きさも違えば、恐れの大きさも違う。
tu petis ex tuto; gravior mihi morte repulsa(拒否) est,お前の求婚はリスクがない。僕の求婚を断られることは死刑より重い。お前は彼女をひょっとしたらこれから愛するかもしれないが、僕はもうすでに愛しているのだから。
si tibi justitiae(公平), si recti cura fuisset,もしお前が公平さと正義の心得のある者なら、自分から進んで僕の恋に勝ちを譲ったはずだ。
nunc, quoniam ferus hic pro causa pugnat iniqua,しかしながら、この野蛮な男が対等でないのに勝ちを譲らない以上は、キューディッペーよ、話は君の次第だ。
hic facit ut jaceas et sis suspecta Dianae;君が病いに伏しているのも、ディアナに嫌われているのも、元はといえばあの男のせいだ。君が自分の身を案じるなら、君はあの男が家に近づくのを禁じるべきだ。
hoc(奪) faciente subis tam saeva pericula vitae, 20-175あの男のせいで君はこんなにもひどい命の危機に直面しているからには、君の代わりに、こんな状況をもたらしたあの男が死ねばいいんだ!
Hunc si reppuleris(追い返す), nec quem dea damnat amabisもし君があの男を追い返したら、君は女神が断罪した男を愛することはないし、君はすぐに、そのあと僕も救われるだろう。
siste metum, virgo! stabili potiere(未2手に入れる) salute,乙女よ、恐がることはないんだよ。君の誓いを知っている神を崇めさえすれば、君は揺るぎない健康を手に入られるよ。
non bove mactato caelestia numina gaudent,天上の神々が喜ぶのは牛の犠牲ではなく、誰も見ていなくても約束を守ることなんだ。
ut valeant aliae, ferrum patiuntur(耐える) et ignes,健康になるために、患部を切ったり焼いたりすることを受けいれる女性もいれば、苦い薬をいやいや飲んで助かる女性もいるが、
nil opus est istis; tantum perjuria vita(避ける) 20-185君にはそんなことは必要ない。ただ君は偽誓を避けて、交わした約束を守って、君と僕を救えばいいんだ!
praeteritae(過去の) veniam dabit ignorantia(主) culpae:君の過去の偽誓の罪は、それが罪だと知らなかったことで許されるだろう。また、誓いを読み上げたことを君は忘れていたんだ。
admonita es modo(いま) voce mea cum casibus(災難) istis,しかし、そのことを君はいま僕のこの手紙によって思い出しただけでなく、誓いを破ろうとするたびに経験した病気によって思い出していた。
his quoque(〜さえ) vitatis in partu nempe rogabis,たとえこの病の危機を乗り越えても、君はお産のときに、安産を願って女神ディアナにきっと祈るだろう。
audiet(未) et repetens quae sunt audita requiret,女神はそれを聞いて、以前に聞いた誓いを思い出して、君がどの夫の子を産もうとしているか尋ねるだろう。
promittes(未) votum; scit te promittere falso. 20-195君は満願成就のお供えの約束をするだろうが、君が約束を守らないのを女神は知っている。君は誓うだろうが、君が誓いを守らないかもしれないことを女神は知っている。
non agitur de me; cura(奪) maiore laboro.これは僕の問題ではない。もっと大きな配慮から僕は苦心しているんだ。僕の胸が不安になるのは君のためなんだよ。
cur modo te dubiam(危険な) pavidi flevere(完) parentes,ご両親がいまの君の容体を心配して涙を流しているのに、君は自分の不注意でしたことをなぜ彼らに知らせていないんだ?
et cur ignorant? matri licet omnia narres.なぜ彼らは知らないんだ?君の母親にはすべてを話してもいいんだよ。キューディッペーよ、君は自分のしたこと(=リンゴの誓いを読んだこと)を恥じる必要はまったくないんだよ。
ordine(順番に) fac referas ut sis mihi cognita primum,どうやって君が僕に見染められたかを、順番に君は母親に話すことだ。あれはその人が女神ディアナに犠牲を捧げていたときだった。
ut te conspecta(奪) subito, si forte notasti, 20-205君も気づいたかもしれないが、僕は君を見るやいなや、突然、その場に立ちつくして、君の姿に目が釘づけになったんだ。
et te dum nimium miror, nota certa furoris,君をほれぼれと見とれるうちに、僕の肩から外套が落ちた。激しい恋の明らかな兆候だ。
postmodo nescioqua venisse volubile(転がる) malumそれから、どこからかリンゴの実が一つ転がってきた。そこにはずる賢い企みに満ちた言葉が書かれていた。
quod(関) quia sit lectum sancta praesente Diana,それを女神ディアナの前で君が読み上げたために、女神に聞かれて君は誓いの言葉に束縛された。
ne tamen ignoret, scripti sententia quae sit,そこに何が書かれていたか君の母親に知らせるために、君がかつて読んだ言葉をもう一度繰り返すんだ。
'nube(嫁ぐ), precor' dicet(未) '(illi)cui te bona numina jungunt; 20-215彼女は言うだろう、「お願いだから、善き女神が結ぶ相手に嫁いでちょうだい。あなたが誓った人を私の家の婿にしてちょうだい。
quisquis is est, placeat, quoniam placet ante Dianae.'「その人が誰であっても、その人に決めましょう。ディアナが決めた人だから」。彼女が本当の母親ならきっとそう言うはずだ。
sed tamen ut quaerat(接) qui sim qualisque videto:けれども、僕が誰でどういう人間か、かならず彼女が尋ねるように配慮しておくれ。そうすれば女神が君たちのためを考えていたことが分かるだろう。
insula, Coryciis quondam celeberrima nymphis,エーゲ海の中にかつてコリュキオンのニンフたちがたむろしたケオスという名前の島がある。
illa mihi patria est; nec, si generosa(高貴な) probatis(調べる)そこが僕の祖国だ。さらに、もし君たちが高貴な家名を尊ぶなら、僕はけっして無名の祖先から生まれたと非難されることはない。
sunt et opes nobis, sunt et sine crimine mores; 20-225僕は財産もあるし、性格も非の打ちどころがない。それに何と言っても、僕と君の結びの神はキューピッドなんだ。
appeteres(接未完) talem vel non jurata maritum;君がもし誓っていなくても、こんな男なら夫にしたいと思うだろう。しかし、君は誓ったんだから、こんな男でなくても夫にすべきなんだ。
haec tibi me in somnis(夢の中で) jaculatrix(狩人) scribere Phoebe(ディアナ);この手紙を書けと女神ディアナが寝ている僕に命じたし、この手紙を書けとキューピッドが起きている僕に命じたんだ。
e quibus alterius mihi jam nocuere sagittae,そのうちのキューピッドの矢が僕の心を射止めた。君はディアナの矢に殺されないように気をつけておくれ。
juncta salus nostra est—miserere meique tuique:僕たちは一蓮托生だ。君は僕だけでなく君自身にも憐れみをかけてほしい。いまこそ君は一度に二人の人間を救うんだ。
quod si contigerit, cum jam(〜いなや) data signa sonabunt, 20-235君がそうしてくれたら、合図の音が鳴り響き、デロス島で満願成就の犠牲獣の血が流される日がきて、
aurea ponetur mali felicis imago,幸運のリンゴの黄金像が奉納され、そこに二行の縁起が刻まれるだろう。
"effigie pomi testatur Acontius huius「このリンゴの像によって、リンゴに刻まれたことが成就したとアコンティウスは証言する」
longior infirmum ne lasset(疲れさせる) epistula(主) corpusこれ以上手紙が長くなって君の病弱な体に負担をかけてはいけないので、お決まりの言葉で締めくくろう。お元気で。
[アコンティウス様、あなたの手紙がいつものように着きました。また私の目が罠にかかりそうになりました。]
Pertimui scriptumque tuum sine murmure legi,私は恐くて恐くて、知らないうちに神様に誓わないように、あなたのお手紙を声に出さずに読みました。
et, puto, captasses(接過去完 罠に掛ける) iterum, nisi ut ipse fateris,あなたもお認めのように、もし私の誓いが一度で十分だとご存知でなかったら、あなたは私を再び罠にかけたことでしょう。
nec lectura fui, sed si tibi dura fuissem, 21-5私は読むべきではなかったのですが、あなたにつれなくしたら、ひょっとして、厳しい女神の怒りを倍加したかもしれません。
omnia cum faciam, cum dem pia tura(香) Dianae,私がディアナ女神に何をしても、敬虔な香を捧げても、それでもあなたを贔屓して、
utque cupis credi, memori(執拗な) te vindicat(復讐) ira(奪):あなたに言わせれば、女神は執拗な怒りをもってあなたのために私に仕返しをしているのです。この女神は愛するヒッポリュトスに対してもこれほどの贔屓はしませんでした。
at melius virgo favisset virginis annis,でも、女神も乙女なのですから、乙女の年頃の私を贔屓すべきでしょう。もしや、女神は私の乙女の時代を早く終わらせようとしているのではと心配です。
languor(病) enim causis non apparentibus(明らか) haeret,というのは、私は原因不明の病にとりつかれているからです。この病はどんな医者でも治せないのです。
quam tibi nunc gracilem(痩せた) vix haec rescribere(返信する) quamque 21-15やっと起き上がって今あなたにこの返事を書いている私がどれほどやせ細って、どれほど青ざめた体をしているか、考えてもみて下さい。
huc timor accessit, ne quis nisi conscia nutrixそのうえ、いま私たちが言葉のやり取りをしていることを、私の秘密を知る乳母以外の誰かが気づきはしまいかという不安が加わっています。
ante fores sedet haec quid agamque rogantibus 'intus',乳母は部屋の前に座って、私の具合を尋ねる人があると、私が安心して手紙を書けるように、「部屋でおやすみです」と答えます。
mox, ubi, secreti(引き篭もり) longi causa optima, somnusでもそのうち、引き籠りの最適の口実である「お休みです」も、あまり長く続けば信用されなくなります。
jamque venire videt quos non admittere durum est,とうとう、部屋に入れないわけにはいかない人たちがやって来ると、乳母は咳払いのふりをして、申し合わせておいた合図を送ります。
sicut erant(いつものように), properans verba imperfecta relinquo, 21-25私はいつものように急いで書きかけの言葉をそのままにし、書き始めた手紙をあわてて懐に隠します。
inde meos digitos iterum repetita fatigat;そこからまた取り出した手紙を書くと指がぐったりします。私にとってこの過程がどれほど大きな負担になっているかは、あなたも手紙を見れば分かるでしょう。
quo(関) peream si dignus eras, ut vera loquamur,実を言えば、あなたがそれに値する人なら、私は死ぬまで書いてもいいのです。でも、私はあなたにはもったいないくらい人が良すぎると言われるでしょう。
ergo(さてはOLD4) te propter totiens incerta salutisさては、私がこれほど何度も命を脅かされているのはあなたのせいだったのですね。あなたの企てのせいで、私は罰を受けて、いまも罰を受けているのですわ。
haec nobis formae te laudatore superbaeこれが、あなたに美しいと褒められていい気になったことの見返りです。あたたに好かれたことが身の破滅になるのです。
si tibi deformis, quod mallem, visa fuissem, 21-35もし私があなたに醜い女と思われたなら、私の体はたとえけなされても危機に陥って救いを必要とすることはなかったのであり、そのほうがましでした。
nunc laudata gemo(嘆く), nunc me certamine vestro私は褒められたためにいま悩んでおり、自分の美しさのために苦しんでおり、あなたたちが争っているために死にかかっているのです。
dum neque tu cedis, nec se putat ille secundum,あなたは彼に譲らず、彼も自分が二番手だとは思っていないなら、あなたと彼は互いに相手の望みを妨害しているのです。
ipsa velut navis jactor, quam certus(いつも) in altum私はまるで船が北風に沖へ追いやられ、また海流によって引き戻されるようにいつも翻弄されています。
cumque dies caris optata parentibus instat,いとしい両親の待ち望んだ日が迫るにつれて、それと同時に私の体はひどい熱に襲われます。
nunc mihi conjugii(結婚) tempus crudelis(主) ad(←) ipsum 21-45結婚しようというまさにそのときに、残酷な死神ペルセポネーが容赦なく私の家の戸を叩くのです。
jam pudet et timeo, quamvis mihi conscia non sim,今では私は恥ずかしいのです。また、やましい気持ちはありませんが、私が神々の機嫌を損ねるようなことをしたと思われないか心配なのです。
accidere haec aliquis casu contendit, et alter私がこうなるのは偶然の一致だと言う人もいます。また別の人は神々が彼を受け入れるのを拒否しているからだと言います。
neve nihil credas in te quoque dicere famam,あなたに悪い噂が立っていないとお思いにならないために言えば、一部の人はこれがあなたの魔術のせいだと考えています。
causa latet, mala nostra patent; vos(S) pace movetis(V)原因は分かりませんが、私の病ははっきりしています。あなたたちが平和を取り去って激しい戦いを起こしているので、私が犠牲になっているのです。
dic mihi nunc, solitoque tibi ne decipe more; 21-55さあ、答えてください。いつものように私を騙さないでください。恋のせいであなたは私を殺しかけているのですから、もし私を憎んだら私をどうするでしょうか(=救うのではないか)?
si laedis quod amas, hostem sapienter amabis;もしあなたが自分の愛する相手を傷つける人なら、あなたは自分が憎む相手をいとおしむのが道理でしょう。お願いです、私を救うために、私を憎んで私の死を願うようにしてください。
aut tibi jam nulla est speratae cura puellae,さもなければ、あなたは自分が思いを寄せた娘のことがいまでは全く気にならず、無情にも、謂れなく痩せ衰えて死んでいく私を放置していることになります。
aut dea si frustra pro me tibi saeva rogaturあるいは、もしあなたが私を救うために非情な女神に祈っても無意味なら、あなたが私に自慢している女神のご加護はあなたにはないことになるのです。
elige, quid fingas: non vis placare Dianam:あなたは次の二つから好きなほうを選べばいいのです。つまり、女神ディアナを宥めようとしないなら、あなたは私を救おうとしない人になるです。それとも、女神を宥められなければ、あなたは女神に愛されない人になるのです。
vel numquam mallem vel non mihi tempore in illo 21-65私はエーゲ海に浮かぶデロス島のことをあの時だけでなく一生知らずに過ごせばよかったのです。
tunc mea difficili deducta(出帆) est sidere navisあのとき、私の船は悪い星回りのもとで船出しました。航海を始めるにはげんの悪い時間だったのです。
quo pede processi? quo me pede limine movi?私はどちらの足から出かけ、どちらの足から家の門を出て、どちらの足から色どり鮮やかな早船に乗り込んだでしょうか?
bis tamen adverso redierunt carbasa vento:しかしながら、船は逆風で二度港に戻されました。いいえ、嘘です。私は間違っていました。あれは順風だったのです。
ille secundus erat qui me referebat euntem風は旅立つ私を連れ戻そうとして、不幸な航路を妨げようとしたのですから、あの風は順風だったのです。
atque utinam constans contra mea vela fuisset! 21-75あのままずっと私の帆に向かい風が吹いていたらよかったのです。でも、ここで風の気まぐれに不平を言っても愚かなことです。
mota loci fama(奪) properabam visere(訪問) Delon私は噂を聞いてデロス島に早く着きたかつたので、船の進みが緩慢だと思っていました。
quam saepe ut tardis(のろい) feci convicia(罵倒) remis私は櫂の漕ぎ方がのろいと何度も文句を言い、風を受ける帆の数が少ないと何度も不満をもらしました。
et jam transieram Myconon, jam Tenon et Andron,船はいまやミュコノス島を過ぎて、テノス島とアンドロス島を過ぎてから、真っ白なデロス島が私の目に飛び込んできました。
quam procul ut vidi, 'quid me fugis, insula' dixi島が遠くに見えたとき、私は言いました、「島よ、あなたはどうして私から逃げて行くの。まさか、以前のように海を漂っているのではないでしょうね?」と。
institeram terrae, cum jam prope luce peracta(過ぎる) 21-85私が島に上陸したとき、すでに日はほとんど没していて、太陽神は紫の馬たちをくびきからはずそうとしていました。
quos idem solitos postquam revocavit ad ortus,その馬たちが太陽神によってまたいつもの日の出へと呼び戻されると、母の言う通りに私は髪を整えました。
ipsa dedit gemmas digitis et crinibus aurum母はみずから私の指に宝石をはめて、髪に黄金の髪飾りをつけて、私の肩にみずから衣を着せました。
protinus egressae superis, quibus insula grata(愛でる) est,私たちはすぐに出発し、この島を贔屓にしている神々にお参りして、黄金色の香と酒を捧げました。
dumque parens aras votivo sanguine tingit母が神の祭壇を奉納の犠牲獣の血で濡らし、刻んだはらわたを煙を上げる炉に積み上げるあいだに、
sedula me nutrix altas quoque ducit in aedes 21-95勤勉な乳母は私を高い神殿へ案内しました。そのあと、私たちはあちこちの聖域に足を向けました。
et modo porticibus spatior modo munera regum私は柱廊を散策したり、王侯たちの貢ぎ物や至る所に立っている彫像を見学しました。
miror et innumeris structam de cornibus aramまたヤギの無数の角で築かれた祭壇や、女神がお産のときに支えにした木も見学しました。
et quae praeterea (neque enim meminive libetveその他いろいろデロス島にあるものを見学しましたが、いちいち思い出せないし、見たものすべてを言うのは憚られます。
Forsitan haec spectans a te spectabar, Aconti,アコンティウスさま、あなたはひょっとして、私がこれらを見学をしているところを見て、私のうぶな様子から騙せそうな娘だと思ったのでしょう。
in templum redeo gradibus sublime Dianae; 21-105私は高い階段をのぼってディアナの神殿に戻りました。いったい私にとってそこより安全なところがどこにあったでしょうか?
mittitur ante pedes malum cum carmine tali—そのとき私の足元にリンゴが投げられたのです。そこには、こんな言葉が書かれていました――ああ情けない、いままたあなたに結婚を誓いそうになりました。
sustulit hoc nutrix mirataque 'perlege' dixit.それを取り上げた乳母は驚いて私に「読んでください」と言ったのです。それで私は、偉大なる詩人さま、あなたの企みに満ちた言葉を声に出して読んだのです。
nomine conjugii dicto confusa pudore,結婚という言葉を口にして恥ずかしさから狼狽した私は、顔全体が真っ赤になるのが分かりました。
luminaque in gremio veluti defixa tenebam,私はあなたの企みに手を貸した自分の眼差しを、胸元に釘付けにしたまま動かしませんでした。
improbe, quid gaudes aut quae tibi gloria parta est? 21-115あなたは悪い人ですわ。あなたはなぜ喜んだのでしょうか?あなたはどんな手柄を立てたというのでしょうか?男子が乙女をたぶらかしてどんな名誉を手に入れたというのでしょうか?
non ego constiteram(>consisto立つ) sumpta(奪) peltata(主) securi(斧),私があなたの前に現れたとき、私はトロイの地に立ったアマゾンの女王ペンテシレーアのように、斧と丸盾を携えてはいませんでした。
nullus Amazonio caelatus(仕上げる) balteus(帯) auro,黄金で飾られたアマゾンの剣帯、ヘラクレスがヒッポリュテーから奪ったような戦利品を、あなたは持ち帰ったわけでもないのです。
verba quid exultas tua si mihi verba dederuntもしあなたが私のような迂闊な小娘を騙して企みにはめたとして、あなたには何を勝ち誇ることがあるでしょうか?
Cydippen pomum(果物), pomum Schoeneida(アタランテ) cepit;アタランテーと同じようにキューディッペーもリンゴのせいで捕まりました。あなたはさしずめ第二のヒッポメネースになるのでしょうか?
at fuerat melius, si te puer iste tenebat, 21-125しかし、恋の松明をもっているとあなたが言う少年がもしあなたを捕らえているなら、
more bonis solito spem non corrumpere fraude;あなたは善人が普通にするようなことをすべきで、自分の希望の対象を企みで盗み取ろうとしないほうがよかったのです。あなたは私を説き伏せるべきで、私を罠で捕らえるべきではなかったのです。
cur, me cum peteres, ea non profitenda putabas,あなたが私と結婚したいと思ったときに、私があなたと結婚したいと思うようなことを私に言うべきだと、なぜあなたは思わなかったのでしょうか?
cogere cur potius quam persuadere volebas,もし私があなたにプロポーズされたらあなたと一緒になる可能性があるなら、どうしてあなたは私を説得せずに無理強いするほうを選んだのでしょう?
quid tibi nunc prodest jurandi formula juris(誓約)形どおりの誓約と、口でその場の女神を証人としたことが、いまのあなたに何の役に立っているでしょうか?
quae jurat, mens(心) est. nil conjuravimus illa(奪); 21-135誓いは心でするものですが、私は心では何も誓ってはいません。言葉に信用をもたらすのは心だけなのです。
consilium(思慮) prudensque(賢明な) animi sententia jurat誓いは熟慮の上の選択つまり決断であり、そのような意図的な行動でない限り何の拘束力もありません。
si tibi conjugium volui promittere nostrum,もし私が意図してあなたと婚約したのなら、あなたは当然の婚約の権利として要求すればいいのです。
sed si nil dedimus praeter sine pectore vocem,でも、私の与えたものが気持ちのこもらない言葉だけだったのなら、あなたは力のない言葉を無駄に得ただけなのです。
non ego juravi: legi jurantia verba;私は誓ったのではなく、誓いの言葉を読んだだけなのです。私はそんなやり方であなたを夫に選んではいけなかったのです。
decipe sic alios, succedat epistula pomo: 21-145そのやり方であなたは男たちを騙せばいいのです。リンゴの代わりに手紙を使うのです。うまくいくなら、そのやり方で金持ちたちから大金をせしめたらいいのです。
fac jurent reges sua se tibi regna daturos王侯たちに自分の王国をあなたに与えると誓わせるといいでしょう。そうして、世界中の好きなもの全部を自分のものにすればいいのです。
maior es hoc(奪) ipsa(奪) multum, mihi crede, Diana,また、もしあなたの書いた手紙で神の助けを得られるなら、きっとあなたはディアナ女神に対しても優位に立てるでしょう。
cum tamen haec dixi, cum me tibi firma negavi,しかしながら、私は以上のように言いましたし、あなたに従うことを強くお断りしましたし、私の誓約についての私の言い分をしっかり主張しましたが、
confiteor, timeo saevae Latoidos iram正直に言えば、私は非情な女神ディアナの怒りが恐ろしく、私の病は女神の怒りのせいではないかと思っています。
nam quare, quotiens socialia(婚姻の) sacra parantur, 21-155さもなければ、結婚式の準備が整うたびに、どうして花嫁になろうとする私の体は病におちいって寝込んでしまうのでしょうか?
ter mihi jam veniens positas Hymenaeus ad arasすでに三度も結婚の神は私のためにしつらえた祭壇を訪れては去りました。彼は結婚式場の入口で背を向けたのです。
vixque manu pigra totiens infusa(注ぐ) resurgunt彼が緩慢な手で何度も油を注ぎ直しても灯りはなかなか点らず、火を揺さぶっても松明はなかなか燃え立たないのです。
saepe coronatis stillant(滴る) unguenta(香油) capillis花冠をのせた彼の髪の毛からしばしば香油が滴り落ち、裾を引きずる長衣はたっぷりのサフラン染めで輝いているのです。
cum tetigit limen, lacrimas mortisque timoremでも、彼が結婚式場の入口に着いて、そこにあるのは涙と死の恐怖など、すべてが自分の儀式とはかけ離れていることを認めると、
et pudet in tristi laetum consurgere turba, 21-167彼は悲しげな人々の集まりの中で嬉しげに立ち上がるのが恥ずかしくなって、長衣の赤い色が顔に移るのです。
proicit ipse sua deductas fronte coronas 21-165彼は頭から花冠を引きちぎって投げ捨て、光り輝く髪から厚く塗ったバルサムを拭い取るのです。
at mihi, vae(ああ) miserae! torrentur(焼く) febribus artusしかし、ああ、情けない。手足の節々は熱く腫れて、ふとんは必要以上に重いのです。
nostraque plorantes(泣く) video super ora parentes私の顔の前には悲嘆にくれる両親の姿が見えました。そばにあるのは婚礼の松明ではなく、死出の松明だったのです。
parce laboranti, picta(奪) dea laeta pharetra,色鮮やかな箙の女神ディアナさま、病に苦しむ私をお助けください。神アポロンの病をいやす救いをお授けください。
turpe tibi est, illum causas depellere leti, 21-175あなたのお兄様のアポロンは私の死の原因を取り去れるのに、逆にあなたが私の死の責任を負うのは、あなたにとって恥辱です。
numquid, in umbroso cum velles fonte lavari,私はあなたが木陰の泉で水浴びしていたときに、うっかりあなたの水浴びを見たとでも言うのでしょうか?
praeteriive tuas de tot caelestibus aras,それとも、私が数多くの神々の祭壇のなかであなたの祭壇だけ見過ごしたとでもいうのでしょうか。それとも、あなたたちの母レートーが私の母親によって馬鹿にされたとでもいうのでしょうか?
nil ego peccavi, nisi quod perjuria legi私が犯した過ちはただ、偽りの誓いを読み上げたこと、そして不吉なことが書いてあったのに文字が読めることを見せたことだけですわ。
tu quoque pro nobis, si non mentiris amorem,さあ、あなたもその愛が嘘でないというなら、私のために香を捧げてください。私を殺しかけたその手で私を助けてください。
cur, quae succenset quod adhuc tibi pacta puella 21-185約束された娘がまだあなたの妻になっていないことを怒っている女神が、どうして私をあなたの妻になれないようにするでしょうか?
omnia de viva(me) tibi sunt speranda: quid aufertあなたの希望の全ては私が生きていることにかかっています。どうして女神は非情にも私から命を奪い、あなたから私への希望を奪うのでしょうか?
nec tu credideris(接) illum, cui destinor(決定する) uxor,私を妻にする定めにあるあの人が私の病いの体に手を置いて愛撫しているとは思わないでください。
assidet ille quidem, quantum permittitur, ipse彼はたしかに許されるかぎりは付き添ってくれていますが、彼は彼で私のベッドが二人のベッドでないことを忘れることはありません。
et jam nescioquid de te sensisse videtur;彼はすでにあなたの存在に感づいているようです。というのも、時々こっそり涙をこぼしますし、
et minus audacter blanditur et oscula rara 21-195彼の愛情表現もためらいがちで、まれにしかキスをしようともせず、私を「僕のいとしい人」と呼ぶときもおずおずとしているからです。
nec miror (eum)sensisse, notis cum prodar apertis:私ははっきりとした仕草で自分の気持ちを明らかにしていますから、彼があなたの存在に気づいていても私は驚きません。私は彼が来ると反対側に向きを変え、
nec loquor, et tecto simulatur lumine somnus,話もしないで、目を閉じて眠っているふりをして、彼が私にさわろうとすると、その手をはねのけるからです。
ingemit et tacito suspirat(ため息) pectore, me quod彼はわけもなく私を怒らせたことを嘆いて、無言のうちに胸から溜め息を漏らします。
ei mihi, quod gaudes et te juvat illa simultas!ああ情けない、あなたが喜ぶようなことを言うなんて。私が彼を嫌っているのを知って嬉しいでしょう。ああ情けない、あなたに私の気持ちを打ち明けてしまうなんて。
quod nisi lenta foret, tu nostra justius ira, 21-205でも、もし私が鈍感でなければ、彼よりあなたのほうが私の怒りを買うのにふさわしかったのです。あなたは私に罠を仕掛けたのですから。
scribis, ut invalidum liceat tibi visere corpus:お手紙には、私の病気見舞いを許してほしいと書いてあります。あなたは離れた場所にいるのに、そこから私を殺しかけたのですね。
mirabar quare tibi nomen Acontius esset;どうしてあなたの名前がアコンティウスなのか不思議に思っていましたが、あなたは遠くから(恋の)痛手を負わせる鋭さをもっているからなのですね。
certe ego convalui nondum de vulnere tali,少なくとも私はまだこの傷が癒えてはいません。私は投げ槍のように遠くから投げられたあなたの言葉に射たれたのです。
quid tamen huc venias? anne ut miserabile corpus,でも、あなたは何のためにここへ来るのですか?あなたが企みで得た立派な戦勝碑、私のみじめな体を見るためではないでしょう?
concidimus macie(痩せ); color est sine sanguine, qualem 21-215私は痩せて死にかかっています。顔色は血の気をなくしています。思えば、あなたのリンゴもそうでしたわ。
candida nec mixto sublucent ora rubore.顔は真っ白で赤みがさすことは全くありません。それはまるで新しい大理石像のようなのです。
argenti color est inter convivia talis,また、その色はちょうど宴に出されて冷水に触れた銀器のように冷たく透き通っています。
si me nunc videas, visam prius esse negabis(未);いまあなたが私に会えば、会ったことのない女だと言うかもしれないし、「僕が企みで求愛したのはこの女ではない」と言うかもしれません。
promissique fidem, ne sim tibi vincta, remittes(未)あななは、私があなたによって縛られないよう、約束の履行を免除して、女神が誓いを忘れてくれるように望むかもしれません。
forsitan et facies jurem ut contraria rursus, 21-225ひょっとして、あなたは私にもう一度、前とは反対の誓いをさせるかもしれません。そして私に読ませる別の誓いを持ってくるかもしれません。
sed tamen aspiceres(未完接) vellem velut ipse rogabas,それでも、私はあなたがお望みどおりに私を見舞いに来て、あなたの婚約者の体の憔悴ぶりを知ってくれたらと思います。
durius et ferro cum sit tibi pectus, Aconti,そうすれば、アコンティウスさま、あなたの心が鉄よりもかたくなでも、私の誓いをもう許してやってほしいと、あなたから神に祈ってくれるかもしれません。
ne tamen(また) ignores(接), ope qua revalescere possim,また、これは知っておいて頂きたいのですが、私はどうすれば健康を回復出来るのか、デルポイの運命を告げる神にお伺いを立てたのです。
is quoque nescioquem(S), quantam vaga(漠たる) fama susurrat,この神もまた、漠とした便りが囁くところでは、誰かが誓いをなおざりにしていることをみずから証人として嘆いておられるとか。
hoc deus, hoc vates, hoc ei mihi carmina dicunt; 21-235神も予言者も神託も私にそう告げているのです。一方であらゆる神はあなたの願いを支持しているのです。
unde tibi favor hic? nisi si nova forte(まさか〜) reperta(作る) est,どうしてあなたはこれほど神に好かれるのですか?まさか、あなたは新たに偉大な神々に読ませてたぶらかす手紙を作り出したのではないでしょうね。
teque tenente deos numen sequor ipsa deorumあなたが神々を手中に収めているからには、私は神々の意志に従って、あなたの望みを満たすために喜んで降参しますわ。
fassaque sum matri deceptae foedera linguae私は騙されて誓いを立てたことを、顔を真っ赤にしてじっとうつむいたまま、母に打ち明けました。
cetera cura tua est: plus hoc(主) quoque virgine factum(est);あとのことはあなたにおまかせしますわ。恐さを忘れて手紙であなたとお話しするなんて、これは乙女にとってはしたないことなのです。
jam satis invalidos calamo(筆) lassavimus artus; 21-245私の弱った体は筆を使うことでひどく疲れてしまいました。この弱った手ではもうこれ以上は書けません。
quid nisi, quod cupio mihi jam contingere tecum,あと私がこの手紙に書き添えるべきことは、私があなたと一緒に手に入れたいと願っていることですわ。お元気で。
E-Text: The Latin Library.