ミューズの女神たちよ、さあピエリヤの地より来たりて、汝らの父神ゼウスを歌で讃えよ、語れかし。人々の無名ならんも有名ならんも、知られるも知られざらんも、偉大なるゼウスの意のままなり。4
やすやすと人を重からしめ、またやすやすと重きをなす人をうちふせたもうはゼウスなり。やすやすと著しきものを萎縮せしめ、無名の人を大ならしめたもうはゼウスなり。やすやすと曲れる人を直し、人の華を枯らしたもうも、高きに轟(とどろく)くゼウスの神なり。8
汝ゼウス、われに目をとめ耳をかたむけ聴きたまえ。正義にしたがい正しい裁きをおこないたまえ。われはペルセスにまことを語らんとするなり。10
そもそも争い(エリス)の神の生まれは一つではなかった。この地上に二つの争いが存在する。その一つを悟るものはこれをほめたたえるであろうが、他の一つはそしりをうける。おのおのの心は別々なのだ。13
一つは悪しき戦(いくさ)や闘いに力をあたえる苛酷な女神、こちらを好む人間は一人としていないが、みなやむをえず不死なる神々の計らいにより、たえがたいエリスの女神をあがめるのだ。16
しかしそれに先立つべきいま一柱の女神を黒い夜の女神(ニュクス)が生み、その女神を高き御座のクロノスの子、高空に住まう神ゼウスが大地の根のあいだに置き、人々に与うるにはるかによきものとした。19
この女神こそは業や力に劣るものをも労働へと眼をひらく。されば、労働を怠けるものも人が富むさまをみれば、おのれも精をだし畑を耕し果樹を植え、わが家をととのえる。隣人が富をつもうと精だすのをみれば負けじとはやるのが人のつね、このエリスこそ世の宝。さればこそ陶工は陶工の、大工は大工の、商売がたき、乞食は乞食に、歌うたい(アオイドス)は歌うたいに腹をたてる。26
そこでペルセスよ、お前の胸に畳みこんでおいてもらいたいのだ。悪を喜ぶ争いに心を引きまわされ、労働をなおざりにして、広場の訴訟沙汰を見たり聞いたりしに行かないことだ。やれ訴訟の、やれ広場のとさわぐゆとりはないはずだ、大地の産するデメテルの穀物(=小麦)を、季節の食糧を家にたっぷり貯えていない人には。32
食糧が充分になったら、よその財産目あてに、訴訟や争論を進めるがよい。お前には二度とそんな機会はないだろう。そうだ、いまここで我々の争いを終わりにしよう、ゼウスのくださる公平で最高の裁きによって。36
なぜなら、以前にわれらが遺産を分けあったさい、お前は人の分まで沢山に分捕(ぶんど)ったからだ。賄賂(まいない)をくらう王たちにたんまりお世辞をつかって、お前は望みどおりにあんな判決を下してもらったのだ。愚かものよ、全部より半分のほうが、どれほど大きいかを彼らは知らない、またハジカミやシャグマユリにも、どれほど大きな利益が隠されているかも知らない。41
なぜなら、神は生活手段(=火)を人間の眼からかくしてしまったからだ。(四二~四六)さもなければ、お前は、容易に一日だけはたらけば、これで丸一年は大丈夫だと、あとは怠けてしまうからだ。舵(かじ)もさっさと炉の煙のうえで乾かして、牛や働き者の騾馬の仕事も無駄にするだろう。46
しかし、それをゼウスが隠したのだ。奸智に長けたプロメテウスに騙されて怒ったからだ。(『神統記』535-57)。そのためゼウスは人間どもに辛い難儀をもたらした。火を隠したのだ。ところがそれをイアペトスの健気な息子プロメテウスがふたたび、智に富めるゼウスのもとから人間どもに盗んで、それを中空の大茴香(ういきょう)にしのばせて、雷を愛でるゼウスの目にふれないで。52
叢雲(むらくも)を集めるゼウスはますます怒ってこう言った。「イアベトスの子よ、衆に秀れて知略に長ける者よ、汝はわが心を欺き火を盗んで喜んでいる。だがこれは汝自身にとっても後の世の人間どもにとっても大きな禍いとなるであろう。火のかわりの禍を人間に送ってやる。それを禍とも知らぬ人間どもは喜び、あがめることだろう」58
人間と神々の父ゼウスはこう言って笑った。そして、名高き鍛冶の神ヘファイストスに命じて土と水をこねて女の人形を急いで作らせ、人間の声と力を加え、女神に似た顔に、姿を美しい乙女のように整えさせた。また、女神アテネに命じて、みごとな機織りの技芸を教えさせ、64
金色のアフロディテーに命じて、魅力と欲望と気苦労を身に着けさせ、アルゴス殺しの使いであるヘルメスに命じて、人に媚(こ)びあざむく性根(しょうね)を植えつけさせた。68
ゼウスがこう言うと、神々はクロノスの子、主ゼウスの命に従った。名高い足萎えの神ヘパイストスは、ゼウスの謀(はりかごと)のとおりに、土を恥じらう乙女そっくりの形に作り、輝くまなこの女神アテネが着物とを着せて飾りたて、美の女神カリテスと説得の女神ペイトーが乙女の肌に黄金の鎖を身につけさせ、髪美しい季節の女神たちが春の草花で冠をつくって与えた。75
パラス・アテネは乙女の体を飾り立てた。またアルゴス殺しの使者ヘルメスは言葉たくみないつわりの盗みの心を乙女の胸に植えつけた。雷を鳴らすゼウスの謀(はかりごと)どおりだった。そして神々の伝令は声を上げて、この女をバンドラと呼んだ。オリンポスに住まう神々みんな(パンテス)が贈物(ドーラ)を与えたからだ。これが麦を食らう男たちの苦しみのもとになった。82
ゼウスはこの手に負えない難儀なペテンを完成すると、この贈り物を、足の素早い神々の使節、名高いヘルメスに持たせて、エピメテウスのもとに送った。プロメテウスは弟のエピメテウスに、オリンポスのゼウスからの贈物は受けとるな、うしろに投げすてよ、さもなければ死すべき人間たちに禍(わざわい)が起こると忠告していたが、エピメテウスはそれを忘れて受けとった。そしてひどい目にあってから、はじめてその意味を悟った。89
なぜなら、それ以前には人間たちは地上で不幸もなく、辛い労働も知らず、人に死をもたらす苦しい病(やまい)にもかかることがなかったのに、[不幸にあると人間はたちまち年老いてしまうもの]あの女が両の手で壺の大きい蓋をとり、中身をぶちまけて、人間につらい難儀をもたらしたのだ。95
ただ一人エルピス(希望)の神だけが、壊すことのできない屋敷のなかに、壺のなかに蓋をされてのこり、外へは飛びだしていかなかった。そのまえに、アイギスをたもち叢雲を集める神ゼウスのはからいで、彼女が壺に蓋をしたからだ。99
それ以外の無数の苦しみが人間世界をさまよい歩いている。大地は禍(わざわい)に満ち、海もそれでいっぱいだ。さまざまな病が、昼も夜も、自分勝手にさまよい歩き、無言のうちに人間どもに苦しみを運んでくる。知謀のゼウスが病から声を奪ったからだ。こういうわけで、ゼウスの御心から逃れることはどうしてもできないのだ。105
だがお望みなら、もう一つ別の物語をうまくかいつまんでお話ししよう。お前にはよく心に留めておいてもらいたい、神と人間が同じ起源から生まれたという話だ。108
そもそもの初め、オリンポスの山に住まう不死なる神々は、物を言う人の子らの金の世代を創りたもうた。それはまだクロノスが天を支配していた時代だった。111
人の子らは、まるで神々のように暮していた。胸には憂いなく辛労や苦痛はつゆほども知らなかった。老いの惨めさの兆(きざし)さえなく、手足はいつまでも若いときのまま、饗宴に心はたのしみ、あらゆる災禍は影もささなかった。彼らは眠りに負けたように、死んでいった。人の子らに得られない幸はなかった。豊饒な地は稔りをもたらした、ひとりでに豊かに、しかも惜しげもなく。彼らは気ままに穏やかに地の稔りを分け合った、善いものに恵まれて家畜にも富み、浄福の神々にも愛でられて。120
この人々を大地が埋めたのちも、地上を行きかう霊となり、仕合せを守り、禍を遠ざけ、死すべき人間どもの守護者となり、正義と悪事を見守り、空気のように大地の上をさまよって、富をも与えるものとなった。彼らはこんな王のような権限をもっていたのだ。126
次に、オリンポスに住まう神々は、白銀の世代を創りたもうた。この種族は黄金の世代よりはるかに堕落していた。その姿も心ばえも劣り、百年間も巨大な赤児の姿で母親の世話をうけている。しかも成年に達するやいなや、すぐに死ぬ、愚かさゆえにさんざん難儀な目にあって。つまり互いに容赦なく乱暴しあったからだ。また不死の神々を崇めようともしなければ至福の神々の祭壇に犠牲をささげることもしなかった。人間であれば当然住んでいるところの習俗にしたがうべきであるのに。137
これに怒ったクロノスの子はこの人間どもを一掃してしまった。オリンポスに住まう至福の神々を崇めようとしなかったからだ。しかし地下に隠された後もこれらの人間は、地下にいる至福の人々と呼ばれて、二番目ではあるけれども重んじられている。 142
次にゼウスは物を言う人間の第三の世代、青銅の世代を創りたもうた。白銀の族とさえ似るところのない、とねりこの木から生まれた世代だった。恐ろしい、荒々しい者たちで、戦(いくさ)の神アレスのうめきに満ちた御業や、侵しあう行いに心をむけ、穀物を食することもなく、人を寄せ付けない彼らの猛き心は金剛石でできていた。百人力の持ち主で、肩からは誰もかなわないたくましい腕が伸びており、たくましい手足をしていた。 149
彼らは青銅の物具(もののぐ)をつけ、青銅の家に住み、青銅をもって仕事の道具とした。黒い鉄はなかったのである。彼らは互いの手で打ち倒されて、冷たい冥府のカビ臭い屋形へ名もなく滅びていった。力たけだけしくとも、か黒い死が彼らを捉え、彼らは太陽の輝く光をあとにした。 155
さてこの世代も土がおおってしまうと、クロノスの子ゼウスは、また改めて第四の世代を、豊かに養う地の上に創りたもうた。それは正義と男気で他にすぐれた英雄(ヒーロー)たちの神々しい世代で、半神と呼ばれて、今の前の時代にこの広大な大地に生きた人々であった。 160
しかし、彼らのある者たちは、カドモスの地、七つの門のテーバイで、オイディプスの子の羊の群を奪おうと戦っているうちに、悪しき戦と怖ろしい雄叫びのもとで亡びていった。またある者たちは、髪美しいヘレネーのために船に乗り海原(うなばら)の巨大なあぎとを超えてトロイへおもむき、戦って亡びていった。165
そこで彼らある者たちを最後の死が土の下にうずめたのだが、ある者たちには、クロノスの子で父なるゼウスは人間とはことなる暮しと住処を与えて、大地の果てに住まわせた。こうして彼らはわずらいのない心をもって、渦深いオケアノスのほとりにある、祝福された者らの島に住んで、幸福な英雄となった。彼らのために、豊穣な地は蜂蜜のように甘い稔りを年に三度もあふれるばかりに実らせる。 173
そのあと、私が第五の世代に生きることを免かれていたなら!それよりも前に死ぬか、その後に生まれていればよかったのに!これからの人間はもう鉄の世代だ。陽のあるかぎり苦労と悲嘆はやむことなく、夜の一刻もたえず衰滅の道を歩むだろう。神々が手に負えぬ心痛を与え続けるのだ。 178
にもかかわらず彼らにも、禍の間に仕合せがまざっているかもしれない。しかしながら、この物言う人間の世代をも、鬢(びん)に白毛(しらが)の生えた子(=すぐに死ぬ)が生まれるようになったとき、ゼウスはまた亡ぼすにちがいない。そして、父は子らと同じからず、子らも父と同じからず、客は主人と同じからず、仲間同士も同じからず、兄弟も、それまでのつながりを絶つ日が来るにちがいない。 184
そしてたちまち子供らは老いゆく親たちを親として扱わなくなるだろう、きっと容赦ない言葉でかみつき、親の非をあげつらうに違いない、情知らずめ、神々の怒りも知らずに。そのような子らは老いたのちの親たちに、養いの恩を返そうともしないだろう。腕力こそが正義となり、互いの町を滅ぼし合うだろう。 189
約束を守っても感謝されぬようになる。正しいことをしても、善いことをしても。それどころか悪事を働き人を損なう振舞いの男が立派と思われる。正邪は力で決められる。だから恥と慎みはもう用はない。卑しい男が力すぐる男をば傷つける、曲った話をしむけて、誓いをたてることもあろう。羨望がざわめき、不幸をはやしたて、頬を醜く歪めながら、すべての痛ましい人間どものともがらとなる。 196
もうその時になってしまえば、アイドス(恥)の女神も、ネメシス(とがめ)の女神も、広やかな道もつ大地を後にして、オリンポスへと、輝く被衣(かつぎ)にうるわしい顔を覆って、人間の世界を見すて、神々の族のもとへと去っていくに違いない、あとには身をさいなむ苦しみが死にむかう人間どもに残される。禍(わざわい)を遠ざける力はもうあとにない。 201
今度は王たちにたとえ話を聞かせよう、考えもある賢い人々に。羽輝ける鶯にむかって鷹がこう言った、雲のたかみに爪でわしづかみにつかんで。小鳥は曲った爪に締めつけられて、あわれに啼く。だが鷹は力におごってこう言った「おろかもの、むだ口をたたくな。お前ははるかに強い者につかまれているのだ、お前が歌うたい(アオイドス)であれ何であれ、俺は好きなところへつれていく。その気になれば喰いもする、放しもする。おろかものよ、たれであれ自分より強い者らにはむかう奴は。勝利はおろか、恥をかいて痛い目をみる」とそういったのだ、速く飛ぶ鷹が、ながい翼をもつ鳥が。 212
おお、ペルセスよ、お前はディケー(正義)の女神に耳を傾けよ、ヒュブリス(横暴)の女神をはぐくんではならぬ。横暴の女神は弱い人間にとってたえがたい、立派な人とてもそれをたやすく忍ぶことはかなうまい、その女神に虐げられて、災難にあうからだ。だがそのわきを通るには道がある、正義に通ずるよい方の道だ。正義が終りまで道をたどったときには、それは横暴の上に立つ。愚かものは辛い目にあってやっとそれを悟る。218
なぜならホルコス(誓)の神が曲げられた判決のすぐ後を追ってくるからだ。その正義の神ディケーが引き倒されるとき怒号が起こる、人々が賄賂(わいろ)をくらってディケーを拉致(らち)し、曲った判決で掟をゆがめるとき。するとディケーは泣きながら、人々の町や住処をさまよい歩く。霧に身をかくし、人々に禍をもたらしながら。彼女を追いだし、まっすぐな彼女をあがめることがない人々に。 224
人々が他国人にも自国人にもまっすぐな裁きを与え、正義を越え犯さぬならば、その人々の町は栄えその人々が花とさく。大地いちめんに子供の養いとなる平和が訪れ、遠くを見そなわすゼウスは、けっして彼らには辛い戦争を与えない、まっすぐな裁判をもつ人々には決して餓えが訪れることはない、破滅も来ない。人々は祭りのさいに労働にいそしんだ果実を分かち合う。231
彼らのもとには大地が多くの糧をもたらし、山々では樫の木が梢(こずえ)にはどんぐりを、幹の中には蜜蜂の巣をやどす。ふっくらとした羊たちは厚い毛を重く垂(したた)らせ、妻たちは、親に似た子どもたちを生む。すみずみまで良き物事が咲きほこる。だから船などに近づこうとする人もなく、麦を贈る耕地は実りをはこぶ。237
だが、耐え難い横暴や、傲慢な所業に向かう人々のもとには、クロノスの子、遠くを見そなわすゼウスは罰を命ずる。しばしば一つの町全体までも、一人の悪しき男ゆえに難儀する。犯したり、愚かなことをたくらむ男のゆえに。彼らのもとには大空から災難をゼウスは降らせる、餓えと疫病をもろともに。人々は死に絶え、女は子を産まなくなり、家々はやせ細る。オリンポスの神ゼウスの計らいによって。またあるときは、彼らの大軍勢をうち砕き、城壁をもうち砕き、大海原で彼らの船をば罰したもう、クロノスの子なるゼウスは。 247
王たちに言おう、そなたたちは、こうした正義の力を忘れるな。不死なる神々は人の子らのすぐ近くにいて目を光らせておられる。神々への恐れをわすれて、よこしまな裁判で互いを苦しめる者たちを。まことに、無数の不死なる神々が、この豊かな地上にゼウスから遣(つかわ)されて、死すべき人の子らを見守っている。彼らは、霧に身を包み隠し、地上をくまなくへめぐりて、正義と非行を見守っている。 255
その処女なる女神はディケー(正義)、ゼウスの娘。オリンポスに住いなす神々のあいだに誉れと恐れをうける神。彼女を人が損(そこな)い曲げそしるときただちにクロノスの子、父神ゼウスのわきにはべって、よこしまな人間どもの心根を声高く叫びたもう。王たちの愚かなる行ないを人々がつぐなうようにと。王たちが間違った思いを抱き、言葉を曲げ、あらぬ方へと裁きを押しまげるとき。262
賄賂をくらう王たちには、これらのことを忘れることなく、言葉を正し、よこしまな裁判はきっばりと諦めろ。人の不幸を図ることは、自分の不幸を図ること。人の不幸を企てることは、企てた本人にいちばん不幸。ゼウスの眼には一切がお見とおしだ、何もかもおわかりだ。今でもその気になれば、この町で、どんな裁きが行なわれているかは、ちゃんと御覧なのでごまかせない。 269
しかし、私も息子も、もう正しい人間である必要はない。もし正義に反する側がより有利な裁きをうけるのなら、悪しき男が正しいと言われることになるからだ。だが、深慮あるゼウスがこんな事態を放置するとは思わない。273
おお、ペルセスよ、このことをおのれの胸にたたんでおくがよい、さればディケーに耳を傾けよ、暴力をつかおうなどとけっして思うな。なぜならこれこそがクロノスの子が人間どもにわかち与えた掟、魚や動物や翼もつ鳥どもならば互いに喰らいあうがよい、彼らのなかにはディケーがないのだから。だが人間どもにはディケーを下さっている。何にもまさってよきものだ。なぜなら人がディケーをよく見分け、すすんで人々の集いで話すなら遠くを見そなわすゼウスはその人に仕合せを送るのだから。281
もしも人が進んで証人に立ちながら偽りの宣誓をして嘘をつき、正義をおかして癒せぬ傷を与えるなら、その人の後に残る子孫はかならず衰える一方だろう。誓いを守る人の子孫は末広がりに栄えるだろ。285
愚かなペルセスよ、私の優れた考え方をお前に教えよう。下等の暮らしは能なしでも烏合の衆でもたやすく手に入るもので、その道は人にふまれて平らであるし、お前のすぐわきにある。だが不死なる神々は上等な暮らしのまえには汗を置きたもう。遠くて胸つくような小道がそこに通じ、入口はけわしく荒い。ともあれその頂(いただき)の端につくならば、あとは易しくなっていく、辛い道ではあるけれども。 292
世にもすぐれた人とはこういう人だ。おのれの力でなにかにつけてよく考える、明日にむかって、稔りにむかって、終りよきものをよく見極めて。だがおのれは何も気づかず、人の言葉には耳をかさず、心にも省(かえ)りみることのない男は、まったく見どころがない。297
しかし、輝く生まれのペルセスよ。お前は日々わたしの訓(おし)えを心にとめて、地を耕すがよい。そうすれば、リモス(飢え)の神がお前を嫌い、美しい穂のデメテル(麦)の女神が、貴い女神がお前を慈しむだろう。お前の倉を食べ物でみたして下さるだろう。飢え神(リモス)は、いつも怠けものの伴づれだ。 302
神々も人々も、怠けものには咎めを向ける、針のない怠けばちの性根がよくないと。労働を怠け、働きものの蜜蜂の労働の成果を食っているからと。だがお前は自分の仕事の準備をしろ、お前の倉が季節の食べ物で満ち溢れるために。 307
地を耕せば、羊もふえる、富も増す。地を耕せば、神々の慈しみもずっと増す。人々の仲間にもなりやすい。人間は怠けものをにくむもの。労働は恥ではない、怠けた暮しこそ恥なのだ。お前が地を耕せば、怠けものはくやしがるぞ、たちまちに富むお前を見て、アレテー(徳)もキュードス(誉れ)も、その富についてくる。 313
神さましだいで、お前だってそうなれたはず、だから畑を耕すがいい。人の宝にうつろな心をむけるのはよせ、さあ労働にむかえ、たべものの心配をせよ、私のことばにしたがうがよい。食いものもない人間にはアイドス(恥)などは用はない、害するときも助けるときも、彼女(恥)の力はとほうもないが。お前のアイドス(恥)は貧乏性だ、やる気こそが金持性だ。 319
だが、財(たから)は力づくでとるものではない、神さまの下さるものがずっとよい。たとえ腕のちからでむりやりに大した財をつみとろうとも、舌先三寸でうまうまと、多くの人がやるように、利が人々のわきまえをくつがえし、「恥しらず」が「恥」をばかにするときに、そやつをやすやすと神々は引き降ろし、そやつの家をやせほそらせ、そやつの幸さいわいも束の間の伴でしかない。326
嘆願者や旅人をひどい目に会わす輩もその同類だ。また自分の兄弟の妻の寝床に入って、秘め事におよび不届きをなす者、なんの憐みもなく孤児を虐待する者、はては淋しい老境にさしかかった生みの親を、つらい言葉であたりちらして苦しめる者どももその同類だ。そんな輩には、そうだ、ゼウス御自身が立腹して、最後にはその悪業の数々に対してひどい報いをお授けになる。 334
だがお前はやけな気持を捨てて、そういう悪業をきっぱりと遠ざけよ。そして、分相応の犠牲を不死なる神々に、清い心と汚れのない手でささげ、脂で白光りのする腿(もも)の骨を祭壇で焼くがよい。その他にも、御酒(おみき)をそそぎ香を焚いて、神々に宥恕を請うがよいお前が寝に行くときと、あさ聖なる光がさしのぼるときに。そうすれば、神々がお前に慈悲の心を抱いてくれよう。さすれば、人がお前の土地を買いとることなく、お前が人の土地を買いとることがでよう。 341
敵は構うことなく、味方を食事に招け。近くに住んでいる人はとくに。万一なにか変事がお前の身のあたりに起っても、親戚が帯をしめているひまに、隣人たちなら帯もしめずにかけつけてくれる。悪い隣人は災難だ、よい隣人が大きい恵みであるだけに。立派な隣人が当たった人は、褒美があたったようなもの。隣人が悪い奴でなければ、牛だって死にはすまい。 348
隣人から借りる際はきちんと量ってもらい、返す際はおなじ枡できちんと量り、できれば多めに返すがよい。今にお前が困ったときに頼りにできるだろう。 351
不当な利得を求めないこと。不当な利得は災難と同じだ。友を友とし、近づいてくるものには近づくこと。くれる人にはやり、くれない人にはやらないこと。やる人にはくれるものだが、しまり屋にはくれる人がない。「贈与」は善だ。「奪取」は悪だ、命取りだ。気前のいい人は、沢山やっても、やったことを喜んで、心は満足する。厚かましさをいい事にして、自分から手を出して奪う人は、僅かなもので自分の心を麻痺させる。 360
とにかくわが家に蓄えてあるものには、心配がない。何にせよわが家にある方がよい。外からのものは危なっかしい。手許から取って使うのが立派なのだ。ないものをほしがるのは禍いだ。お前もよく考えなさい。じっさい、僅かに僅かを重ねあわせて、それを幾度も繰返していけば、やがては沢山になるものだ。現在の手持に付け足す人は、ひどい饑えから身をまもる。 363
酒壺のあけはじめと、底が見えてからは、なみなみ注ぎ、中ほどはちびちび注げ。底になってから惜しむのはみっともない。友人に口で報酬を約束したら確実に履行すること。兄弟と互いに笑顔で契約しても、証人は立てるがよい。信頼も不信も同じぐらいに人を亡ぼす。しなを作って裾をひらひらさせ、お世辞たっぷりな女に、お前は心をたぶらかされてはいけない。お前の納屋をねらっているのだ。女に気をゆるすくらのは、盗人に気をゆるすこと。 375
父親ゆずりの家をやしなうには、子供は一人がよい。そうすれば、家うちの富は増すだろう。その子も年をとってから、また跡継ぎの子供を一人残して死ぬのが望ましい。しかし子沢山でもゼウスはやすやすと幾らでも幸を恵まれる。子供が増えれば仕事も増え、余りも増える。 380
もしお前が腹の底から富が欲しければ、今言った通りにして、あとは一にも労働、二にも労働だ。382
アトラスの七人の娘のすばる(プレヤデス)が昇りはじめたら穫り入れ、沈みはじめたら種蒔きをすること。あの星はそののち夜昼四十日隠れたきりになるが、一年のあいだ空がめぐると、ふたたび現われる。また鉄の鎌の目立てをはじめる時が来たのだ。387
これが百姓仕事のきまりだ。海の近くに住む人にも、白波の大海から遠く、木深い山あいの肥えた土地に住む人にも当てはまる。裸で蒔き、裸で耕し、裸で刈るのだ。デメテルの仕事を季節ごとに残らず果すつもりなら、裸にかぎる。そうすればお前の所では季節のものがどれもこれも育って、収穫が増え、あとで不足してよその家へ物乞いに行って、素手で帰るような目にはあわないだろう。395
現についこの間もお前は私のところへやって来た。しかし私はもうやらないし、多めに量ってもやらない。愚かなペルセスよ、働け。労働は神々が人の子らに指し示しておかれたもの。妻子をかかえて、心を痛めながら、近所に食料を求めて歩かずにすむようにだ。それも見向きもされないだろう。二三度はうまく行くかもしれないが、あとはいくらしつこく頼んでも、効目はなくて、お前は長々と無駄話をするのが落ちだろう。言葉を飾っても無駄だ。そんなことより、借金を返して、饑えを防ぐ工夫をした方がいい。 404
何よりもまず、家と女奴隷とはたらく牛を手に入れることだ。結婚した女は牛についてまわるだけなのでやめておけ。また入り用な道具は残らず作って揃えておくこと。さもないとそれを借りに他人の家へ行って、断られて、困ることになる。季節は移り、労働の実りは減るだろう。労働を明日に延ばし、明後日(あさって)に延ばさないこと。労働を怠ける人の納屋は一杯になる時がない。労働を延ばす人も同じこと。熱心さは労働の実りを増す。労働を延ばす者はいつも災難と戦うことになる。 413
焼けつく太陽が衰え、汗が噴きださなくなると、秋の雨を万能のゼウスが降らせて、人の肌がさわやかになる。惨めな人間の頭の上にシリウスが昼間に少しだけ見えて、夜にくっきり見えるようになる。 419
いよいよ森は斧のいれどきだ。いま伐れば虫喰いがいちばん少なく、葉は地に散りつくし、芽はまだ眠っている。今こそ、季節の労働を忘れないで、木を伐るがよい。臼は足幅で三つに、杵は腕幅で三つに、車軸は足幅七つに切るとよい。この長さが丁度ぴったりだ。足幅八つに切れたら、木槌の分まで取れるだろう。425
掌(ドーロン)で十の荷車には、車輪を三当(スピタメ)りずつに切るとよい。曲げた木も種々必要だ。野や山を探しまわって、犂(すき=牛に引かせる)の受け木の形をした槲(かしわ)の枝を見つけたら、持ち帰るとよい。それをアテネの鍛冶屋が、犂箟(すきべら)に嵌めこんで、棒に釘で止めてつなぐと、牛を使って耕すのに何よりも頑丈だ。 431
牛に引かせる犂は自家で苦心して一本物と組立式と二通り用意するとよい。そうしておけばはるかに便利で、一つが壊れても、もう一つを牛につけることができる。犂の轅には月桂樹か楡の木がいちばん虫に強いようだ。受け木は樫、犂箆(すきべら)は冬青樫(そよご)に限る。牛は九歳の雄を二頭飼っておくとよい。頃合いの若さで、力が至極強いから、労働には持って来いだ。とにかく、二頭が畝のまん中で角つきあって、犂を壊し、労働がそのまま中途でだめになるおそれは全くない。 440
牛どものあとには、屈強の四十男を付きそわせるがよい。それは八つ切りの麺麴を四つ平らげるような男だが、仕事に気を入れて、畝をまっすぐにつけるだろう。仕事にかかったらもう仲間の方を脇見なんかしないで、本気でしてくれるだろう。もう一人、それほど若くない男は、もっと丁寧に種を蒔くから、蒔きすぎることもない。もっと若い男は同僚と話し込んで仕事をしない。 447
毎年、鶴が雲の高みから一声鋭く告げるのを聞いたら、ただちに悟るがよい。あれは種蒔きの合図で、風雨の冬の季節を知らせる声だ。その声は貧しい者の心に食いこむ。451
今は角の曲がった牛を小屋にいれて、たっぷりと草をあてがう時期なのだ。じっさい、「一軛(くびき)の牛と車を貸してくれ」と言うのも簡単なら、「牛はあいてないよ」と言って断わるのも簡単だ。思いつきのいい人なら「車を組み立てるつもりだ」と言訳するだろう。愚かものはそんことは知らない。荷車には板百枚が必要だ、あらかじめ家の中に運んで準備しておけ。 457
種蒔きの季節が死すべき子らにはじめて姿をあらわしたら、ただちに作付け奴隷も主人もうち揃って、降っても照っても、その間中(あいだじゅう)はせっせと耕さなければならぬ。朝はごく早くから精出して、畠の中に種を一面に蒔くがいい。畑は春の間に土をかえしておくこと。鋤き返した休耕地は夏に裏切らない。休耕地の土が犁でふっくりと柔かくなっているときに種を播く。休耕地は禍(わざわい)を遠ざけ、子供たちをなだめてくれる。 464
まず、地の主なるゼウスと聖きデメテルに誓いを立て、デメテルの聖なる穀物が熟れてたゆげに垂れるようにと祈るがいい。それから耕作に着手する、犂箆(すきべら)の端を片手に握り、牛追い棒で牛の背を突きながら、轅の釘に革紐をかけて引かせて行け。お前の後からは、もう一人の奴隷に鍬でもって、鳥が種をほじくらないように、土をかけて行く。そういううまい手順が人間には大切だ。手順がまずければ最悪だ。 472
それからオリンポスのゼウスがみずから引継いで、目出たく終らせて下さるなら、穂は固く詰って地に垂れるだろう。壺の蜘蛛の巣をお前は払うことになる。私の望みがかなって、お前も蓄えの食糧を次々と出して来て、食べて楽しく暮すだろう。ゆったりとして輝く春を迎え、よその人に見とれたりしないだろう。よその人こそお前を頼りにするだろう。 478
しかし、もし冬至(とうじ)の日に神聖な大地に種をまけば、お前はしゃがんで刈りとりしても掴めるのは少しだけで、それをほこりにまみれて逆さに束ねて、浮かない顔をして籠で運ぶことになる。しかし、お前をうらやむものはいないだろう。 482
しかしアイギスをたもつゼウスの御心は気まぐれで、それを死すべき人間の身で見分けることは難しい。種まきが遅れても、そのおかげで助かることがある。樫の葉の茂みでカッコー鳥が啼き始めて、広大な大地に暮らす人間を喜ばすその頃、ゼウスが三日目に雨を降らしてやませることなく、牛のひずめの厚みまで降らしてやめないならば、種まきが遅れた人も早く蒔いた人に追いつける。とにかく、季節のしるしによく気をつけよ。輝く春の到来も季節の雨も見逃さないことだ。 492
冬の嵐の季節に、厳しい寒さで人が仕事に出られない時でも、鍛冶屋の椅子や、日だまりの集会所に立寄らない方がいい。まめな人ならそんな時は家を大きくすることが出来る。お前も冬のひどさと貧乏にしめつけられて、やせた指でむくんだ足をさすらないようにしろ。怠け者は、あだな望みをいだいて、食い扶持を求めて、悪事を企んだりするものだ。希望は集会所にとぐろを巻いている食うや食わずの困窮者には役立たない。まだ夏も盛りのうちから、奴隷たちにこう言って指図するがいい。「いつまでも夏じゃない、自分用の納屋を作れ」と。 503
レナイオンの月になり、酷い日が続き、牛の皮を剥ぐ日が続いたら、引込んでいること。それと北風(ボレアス)の吹きすさぶ夜、地上に死のように冷たい床を敷く霜を厭うがいい。北風は、馬の育つトラキヤの山地を越え、大海に吹きこんで荒波を立てると、大地と森がうなりを上げる。それが木深い山あいを襲えば、梢の高い槲の木やどっしりとした樅の巨木も、ばたばたと豊かにやしなう大地に倒されて数知れず、その度に果しなくひろがった森は一斉に咆えたてる。野獣は寒さに毛を逆立て、尾を脚の間に収めてしまう、柔らかい毛で皮膚は蔽われているのに。この寒風は皮膚まで届くどころか、獣の毛むくじゃらな横腹さえ吹抜ける、514
牛の厚い皮も難なく突抜けるし、毛深い山羊も吹通す。ただ羊ばかりは、さすがに北風の力も、その豊かな毛に妨げられて貫けない。また老人の背を車の輪のように曲げるけれども、生娘の柔かな皮膚は通さない。生娘はまだ黄金ずくめのアフロディテの業も知らずに、家に閉じこもり、優しい母のもとを離れない。ことに荒れる冬の日には、その滑(なめ)らかな皮膚を丁寧に潔め、オリーヴ油を塗りこむと、家の奥深くに身を横たえるのだ。それに引換え骨なしの蛸などは、海底の火の気のない家や、寒々とした隠れ場で、自分の足を喰べて生きている。その頃は、日の光が弱くて、走りまわる餌場が見つからないからだ。526
太陽はアフリカの色黒の人々の群や町の上を巡り、ヘラスの国々にはいやいや照るばかり。北風に追われて森の住民どもは、角ある獣も角なしも、忌々(いまいま)しげに歯ぎしりしながら、茂った藪中(やぶじゆう)逃げまわる。あらゆる野獣の関心はこれ一つ、―何とかして濃い藪のかげか、岩穴を見つけて、避難したいと思うばかりだ。その頃になると、死すべき人間は杖をつく老人なみで、背はくずおれ、顔は地面を見つめて歩く、白雪を避けてうろうろと歩き廻るのだ。 535
さて冬の間、肌を守るには、教えてあげよう、柔かい上衣と、裾長の下着を着るといい。少ない目の縦糸に、こまかく横糸を織りこんだ布でつくり、それを纏(まと)うこと。そうすればお前の髪の毛が逆立ったり、体中の皮膚が粟立ったりしないで済むだろう。足にはお前の手で殺した健康な牛の皮でつくった靴をはくがいい。それは足によく合わせ、内側をフェルトで厚く張るといい。極寒の季節が来しだい、山羊の初仔(ういご)の皮を牛の腱で縫合せて、背に羽織れば、雨を防ぐに便利だ。頭にはフェルトをいいあんばいの形にして被れば、耳を濡らさずに済む。全く、北風の吹きおろす頃の暁は冷えこむ。しかしそういう暁には朝の靄が、星のまたたく空から地上に降りて来て、至福な者たちの麦を実らす労働の上に、いっぱいにひろがる時だ。 549
この靄はとわに流れる河々から湧きのぼり、疾風のために地上高く巻きあげられて、ある時は夕方の雨となり、ある時は密な雲を蹴散すトラキヤ生まれの北風に乗ってひろがるのだ。そんな北風の吹き始める前に、労働を済ませて家に帰らなければいけない。さもないと、空からどす黒い雲が降りて来て、お前のまわりをおし包み、着物をびっしょり濡らして、体まで露が通るだろう。556
用心して避けるがいい。これは一年中で一番辛い月だ、家畜にも辛く、人の子らにも辛い、荒れる月だ。この季節には、牛は普段の半分の食糧でいいが、人間にはたっぷり宛てがうこと。長い夜は助かるからだ。こうしたことを心において、一年が終わるまで夜と昼とを天秤にかけよ。万物の母たる大地がさまざまな実りをまたもたらすときまで。563
冬至の後、冬の六十日をゼウスが巡りおえると(=二月後半)、いよいよアルクトゥールス(麦星)が日没直後の夕暗の空に、オケアノスの聖(きよ)き流れをあとにして、明るく輝きつつ昇りはじめる。それに続いてパンディオンの娘たちである燕(つばくろ)が、甲(かん)高くさえずりながら、人の子らの前を、朝の光に向って飛び立つ。新しく春が始まりだ。そのまえに葡萄の樹の剪定(せんてい)はすませておこう。その方がいいからだ。571
しかし家を運ぶ蝸牛(かたつむり)が、すばる(プレイヤデス)を避けて、 地面から木に上り始めたら、葡萄の根の掘り返しをしてはいけない。もう鎌をよく研いで、奴隷たちを叩き起すべき時なのだ。太陽が肌を焼く刈入れの季節には、日陰のおしゃべりと朝寝坊はやめること。その間は精出して、朝は未明から起き出して、収穫物を家に運びこむなら、お前も食糧に困ることはない。夜明け仕事の割り当ては、一日仕事の三分の一。夜明けには、道も労働もはかどるもの。暁が姿を現わすと、人は大勢旅路に就くし、そこら中の牛どもには軛(くびき)が置かれる。581
朝鮮あざみの花が咲き、声のおおらかな蝉が樹にとまって、調子づいた歌を翅(はね)の下からせっかちに降り注ぎ始めると、季節はもう労働には辛い夏だ。山羊は脂の乗りざかり、葡萄酒は上出来で、女どもはいつになく艶を増す。しかし男たちは、シリウス(狼星)はじりじりと頭と膝を焦がし、暑さに皮膚を焦がされて弱り果てる。しかしもうそんな時になったら、涼しい岩陰に座って、ビブロス産のうま酒や、乳で作ったパン菓子や、乳離れした山羊の乳や、森に放し飼いの、まだ仔を産んだことのない牝牛の肉や、山羊の初子(ういご)の肉などを並べるといい。 592
珍味佳肴に心が満ち足りたあとは、日陰に座って、爽やか風で頬を冷やしながら、さらに生(き)の葡萄酒と、とわに湧き流れる、澄みきった泉の水を汲むがいい。水を三杯注いで、四杯目には葡萄酒についで混ぜながら。596
オリオン(三つ星)が雄大な姿が現わし始めたら、ただちに奴隷たちを促して、デメテルの聖なる穀物(=麦)を、風通しがよく囲いの整った脱穀場で脱穀するがいい。それから、丁寧に量って容器に納めるといい。さてすべてを残りなく屋内に運びこんで、これで食糧は大丈夫となったら、用済みの雇人は暇を出して、子連れではない下女を探すとよい。子持ち女の下女は厄介だ。なお、昼寝男にお前の物を持って行かれない用心に、牙の鋭い犬を飼うがいい。ただし餌をけちらないこと。お前の牛や騾馬どものために、たっぷりとした飼い葉を、集めて運びこんでおく。こうしてすべてが片付いたら、奴隷たちの手足を休ませ、一対の牛の軛を解いて楽にしてやるがいい。608
オリオン(三つ星)とシリウス(狼星)が中天にかかり、薔薇色の指をした曙がアルクトゥールスに出会う頃になったら(九月半ば)、ペルセスよ、葡萄の房をぜんぶちぎって、家に持ち帰るがいい。それを十日十晩太陽にさらして、五日陰干しにして六日目にこのディオニュソスの嬉しい贈物を壺に注ぐのだ。スバルも、雨星も、オリオンの姿もあけの空からしずむと(十月)、種まきの季節が来る。まいた種は大地の下で育つだろう。617
ところで、お前の心は波風の荒い航海へ憧れているかもしれない。けれども、すばる(プレヤデス)がオリオン(三つ星)の威力に追われて、霧深い大海に落ちこむころは、ちょうど風が手をかえ品をかえて吹き荒れる時節だ。その頃になったら、葡萄酒色の海上にはもう船を出しておかずに、私の言いつけ通り、陸の畠の労働を思出してもらいたい。623
船は陸にひきあげて、石の上にのせ、四方から石で隙間なく囲み、吹きつける風の強い湿気を防いでやり、船底の栓を抜いて、ゼウスの降らせる雨で腐らないようにするがいい。装備した船具は一つ残らず家に運びこみ、特に船が沖を走る時の帆をきれいにたたみ、上出来の舵は炉の煙の上に吊して置くといい。そしてお前は、船出の季節が訪れるまで、じっと待つのだ。さていよいよその時が来たら、快速の船を海にひき出して、かねて準備した船荷を積みこんで、出かけて行って交易して、ひともうけして郷里に戻ることだ。 632
おおいに浅はかなペルセスよ、この私とお前の父上も、ちょうどそんな風に、まっとうな暮しを得られず、船で海上を往来なさったのだ。父はある時とうとうこの地まで辿り着いた。アイオリスの国なるキューメの町を後に、黒い船に乗り、はるばると海を越えて、それも安楽や富や繁栄ではなく、ゼウスが人に与える意地悪な貧乏から逃れて来たのだった。それから父はヘリコン山にほど近いアスクラの呪わしい寒村に住みついたのだが、ここときたら、冬は厳しく夏はひどくて、有難かったためしのない土地だ。640
だから、ペルセスよ、お前はどんな仕事についても季節を覚えておくべきだが、特に航海の季節については知っておく方がいい。小船は賞めても、荷を積むなら大型の船にすることだ。船荷が多ければ、儲けた上にも大きく儲けることができよう。但し、風が不都合な吹き方をしない場合のことだ。 645
もしもお前が浮ついた気持から、交易に目をつけて、借財とやりきれない饑からをのがれたいと言うなら、とどろく海のあんばいを、お前に教えよう。もっとも私は航海も船の事もさっぱり不案内なのだが。大海を船で旅したことは、かつてないのだから。いや、たった一度、ボイオティアのアウリス港からエウボイアに渡ったことがある。昔アカイア勢が冬の間たむろして、大軍を集め、聖なるヘラスから美女の都トロイアへ押寄せようとした、あの土地だ。 653
そのカルキスへ私が渡ったのは、風雅なアムフィダマス王の催した歌競べを目指したのだ。その気前のいい王の息子たちが告示して、賞品は山と積まれていた。私はそこで歌競べに勝って、耳つきの鼎(かなえ)をいただいた。それははじめて私が甘美な歌の道に導いたこのヘリコン山のミューズの女神たちに現に奉納してある。とにかく、釘を多く使った船については、私の経験はこれしかない。だがそれにも拘らず、私はアイギスをたもつゼウスの御心を語ろう。私は神妙な歌をうたうことをミューズの女神たちに教えられたからだ。 662
夏至から五十日たつと、つらい夏の季節も終りを告げて、死すべき人間たちの船出の季節になる。今はもうお前の船は壊れないし、乗っている人々も海に溺れることはあるまい。地を震わすポセイドンや、あるいは不死なる神々の王ゼウスが、わざわざ人の子らを無きものにしようとなさらぬかぎりは。善いにつけ悪いにつけ、事はなべてこの神々に帰するのだから。さてその頃には、風向きは定まり、海も穏かになる。いまは心安らかに、風に身を任せて、足早の船をひき出し、船荷をすべて積みこむがいい。672
そしてやはり、出来るだけ早く帰りの航路につくがいい。新しい葡萄酒ができるころまでに、秋の雨まで待たずに、冬が迫って、南風がすごく叫びだすまで、ぐずぐずしていないことだ。南風は、ゼウスからの秋の長雨にすぐ続いて、海をたぎらせはじめて、外海は危険なものになるからだ。 677
けれども冬を越して春になればまた人の子らは航海ができる。春を待つ人の目に、無花果(いちじく)の梢が、ちょうど浜に降りたカラスの残す足跡ほどの大きさの葉を初めて見せるころ、海は渡ることができるようになる。これが春の航海の季節だ。私はあまり勧めない。私の考えでは、それは時が熟して得られたものではない。もぎとったものだ。それだけ難を避けるのはむずかしい。ところが近頃の者は、盲(めくら)蛇におじずで、そんな冒険をやってのける。富だけがみじめな死すべき子らの生甲斐になってしまったのだ。686
だが波間に死ぬのは空怖ろしいことだ。そんなことのないように、お前はこうして私の言う通り、すべて本気にじっと考えてほしい。彫りぬき船に身代を一切積みこまないで、半分以上は岸に残して、少ない方を積むといい。外海の波に揉まれて損害を受けるのはおおごとだ。そもそも荷車に荷を積みすぎて、車軸を壊して船荷が台無しになるのもおおごとだ。693
ほどほどを守るように。何をするにも、機の熟することが第一だ。年頃になったら妻をわが家に迎えるがいいが、年が三十にあまり足りなすぎるうちでも、あまり重ねすぎてからでもいけない。これが結婚する頃合だ。女は四年間で大人になるから、五年目にもらうといい。嫁には処女がいい。貞淑にしつけられる。嫁にはなるたけお前の近所に住んでいる人を選ぶこと。700
その際あらゆることに目を配って、お前の結婚を近所の笑い草にしないこと。まことに、男にとって良い妻にまさる獲物はないのだ。それだけに、御馳走ねらいの悪妻ほど、身震いの出る嫌なものはほかにない。悪妻にかかっては、さすが強健な男も、火の気もないのに干物にされて、年でもないのに耄碌(おいぼ)れる。705
至福の不死なる神々の報復にはくれぐれも用心したほうがいい。また友人は兄弟なみに扱わない方がいい。もし兄弟づきあいをするなら、お前の方から相手に悪くしないように気をつけろ。お世辞で嘘はつかないことだ。けれども友人の方が先に、お前に向って何か不快なことを口走ったり、しでかしたりしたら、覚えておいて、二倍して返してやるがいい。しかしどうしてもお前とよりを戻す気で、償(つぐな)いもするつもりになったのなら、受け入れていい。次々と友人を替えるのは詰らない男だ。お前も顔付が本心よりも立派に見えないように。714
八方美人とか、人を寄せ付けない奴とか言われないように。やくざの仲間とか、立派な人に刃向うとか評判されないように。貧乏で心くずおれ死ぬばかりの人を、決して貧乏の故に心なく罵ってはいけない。これも永遠にいます至福な神々が寄越したものだ。控えている舌は人々の無二の宝。程よく動く舌は最上の恵み。人の悪口を言えば、やがて自分がもっとひどく言われる。大勢集まる公の宴会には厭な顔をしないこと。また、割り勘にすれば、歓楽は最大で、費用は最少だ。723
夜明けに、ゼウスやその他の不死なる者たちに生(き)の葡萄酒を上げる際は、決して洗ってない汚れた手でしないように。さもないと、神々はお前の祈りを聴かないで、はねつけなさる。太陽に向って立ったまま小便をしないこと。太陽が沈んでから再び上るまでの間もだめだと覚えておけ、裾をまくりあげてしてもいけない。夜は至福な神々のものなのだ。730
道で、また道から外れても、歩きながら小便をしないこと。神を敬い礼を弁えた人なら、しゃがむか、あるいはすっかり塀をめぐらした庭の壁側へ行って用を足す。屋内でも、子作りで穢したあとの陰部をかまどの近くで露にしてはいけない。これは忌むこと。不吉な葬式から戻ったままで、子種を宿らせてはならない。不死なる神々の祭から帰ってならいい。736
川が海に流れこむ川口や、泉のところで、小便をしないこと。これは特に忌むべきことだ。またそこで排便しないこと。それはよくないことだ。759
流れてやまぬ川の美しく行く水を歩いて渡る際は、その前に必ず、その美しい流れをじっと見つめてお祈りし、その白く光る美しい水に両手を浸すこと。悪を浄めず手も浸さずに川を渉る人は、神々に睨まれて、いずれ悲痛を授かるようになる。 741
神々に犠牲をささげる楽しい祭りの間は、緑の五本枝の先の乾いた所(=爪)を、黒光りする鉄の刃物で切らないこと。酒を飲む時は、柄杓(ひしゃく)を混鉢(まぜばち)の上に決して置かないこと。そんなことをすると不吉な運命がつく。家を建てたら、出っぱりを削らずに残しておかないこと。かあかあ烏がそこにとまって、お前に向って啼くだろう。747
足つきの壺の中から、お初を神々に献げずに、物を取って食べたり、水を汲んで体を洗ったりしないこと。そんなことをする人々にも罰(ばち)があたる。生後十二日目の子供を「動かせない物」(=墓)の上に坐らせないこと。それは良くないことで、男の子が男でなくなる。十二月の子供もだめだ。これにもまた同じことになる。752
女が使った後の水で、男は体を浄めないこと。これにも、しばらくの間、ひどい罰があたる。燃え上ってお供物に出くわしても、そのあらさがしをしてはいけない。神はこれもきっとお怒りになる。756
次の条々もよく守るべし。人に悪い噂話は立てられないように。噂話はろくなことはない。立てるには容易で至極(しごく)楽だが、受ける身には辛くて、揉み消すことはむずかしい。どんな噂でも、一度大勢の口にのぼったら、まるきり消えることはない。まことに噂(フェーメー)も神なのである。 764
日々ゼウスから下された特別な日々を、その割当を知ってよく守り、奴隷たちにそれを指示するがいい。月の三十日は、仕事を見てまわって、食糧を分配するのに、最上の日。人々が日々に関しても真理を知る人は、その日を祝う。768
深慮あるゼウスから下されたのは次の日々だ。まず、朔日(ついたち)と四日と七日とは聖なる日。七日はレトが黄金の刀を佩(は)くアポロンを生んだ日だ。それに八日と九日。この二日は、満ちて行く月の十五日のうちで、取りわけ人間のための労働にいそしむべき日だ。 773
十一日と十二日は、両方とも吉日で、羊の毛を切る日と、楽しみな実りを刈り取る日。但し十二日は、十一日よりもはるかに吉。それは、日長の頃、宙釣りの蜘蛛が日がな一日巣を張り、先見者の蟻(あり)が山と収穫する日だ。その日に女は機(はた)を構えて、仕事にかかるがいい。779
月初めの十三日に種蒔きを始めるのは避けること。しかし若木の植え付けには最上の日だ。中旬の六日即ち十六日は、作物にはひどく不利な日。男子の出生には吉日だが、女子には、初めて世に生まれるにも、夫を持つにも、吉日でない。784
上旬の六日も女子の出生には向かない。しかし仔山羊や羊の毛を剪り、羊らの檻(おり)を囲うには、縁起がいい。男子の出生にも吉日だ。但しその子は揶揄(からかい)や嘘やお世辞やひそひそ話が好きになるだろう。789
月の八日には豚と、もうもうなく牡牛を、十二日には辛抱強い馬を去勢するといい。日長の頃の大きな二十日は、物知りの生まれる日。その人の頭は至極緻密な出来だ。793
男子の出生には十日、女子には中旬の四日が吉日。この日には羊や、足重で捻れた角の牛や、牙の鋭い犬や、辛抱強い騾馬を、手でたたいて手懐けるといい。しかし欠けて行く月と始まる月の四日即ち二十四日と四日には、心配事で胸を痛めないように気をつけなさい。これは至極完全な日なのだ。799
月の四日には花嫁を迎えるといい。但し鳥卜(とりうらない)でこの行事が大吉と出た上のことだ。五の日はどれも忌むこと。辛くて恐ろしい日だ。五日には、争い(エリス)の女神が偽誓者の禍になる誓い(ホルコス)の神を生み、そのまわりに、復讐(エリニュエス)の女神たちが侍(はべ)ったと言われている。804
中旬の七日には、よくよくあたりを見て、隙間なく囲われた麦打場に、デメテルの聖なる穀物(=麦)を投げおろすといい。木樵(きこり)は普請用の板や、船を造る材木をたっぷり船に使うだけ切り出すといい。四日は身軽な船を組立て始める日。809
中旬の九日は、暮方がうまくいく日だ。月はじめの九日は人の子らに全く差障りがなこれは男子と女子のいずれを種付けするにも出産するにも吉日だ。決して最悪の日にはならない。813
なお、知っている人は少ないようだが、月の三度目の九日は、貯蔵瓶(かめ)の使い始めと、牛と驢馬と足の速い馬の首にくびきを置き、櫂(かい)の多い早船を葡萄酒色の海に引き出すのに、最上の日だ。尤も、真実をはっきり言う人が少ないのだ。四日には壺をおあけなさい。中旬の四日は中でも聖い日だ。それからまた、月の二十日を過ぎてからの四日は、暁方は最上で暮方は悪くなるのだが、これもあまり知られていない。821
以上の日々が、地上に住む者どもには大きな利益だ。その他の日々はどっちつかずか、障りなしかで、何にもならない。人によって別の日を褒める人もいるが、わかっている人は少ない。このうちでもある日が、時によって継母になったり実母になったりする。いずれにせよ、これらのことを一切心得て、鳥トによって事を決め、僭越をいましめながら、不死なる者たちに対して過ちなく、労働にいそしむ人は、幸福となり繁栄する。828
(この和訳は真方敬道氏『世界人生論全集』、久保正彰氏『ギリシア思想の素地』、中野千秋『ヘシオドスの労働観』の和訳をもとに変更を加えたものである)
HESIODOS
原題 Erga kai Hēmerai
2022.7.1 -7.7 Tomokazu Hanafusa/ メール
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