キケロ『執政官の属州について』
対訳版
執政官の属州について(前56年)
執政官が退任後に総督として赴任する属州をその執政官が選挙で選ばれる前に決める「執政官の属州に関するセンプロニウス法」に従って、前55年の執政官が赴任する属州を決める際の演説。キケロは自分をローマ追放に追いやったピソーからマケドニアを、ガビニウスからシリアを取り上げて、それを前55年の執政官に与えるべきで、カエサルの内ガリアと外ガリアの二州はカエサルがいま平定中なので取り上げるべきではないと主張する。三頭政治による独裁を批判してきたキケロがカイサル全面支援に転じた画期的な演説。
第一章
元老院議員の皆さん、もし皆さんの中で私が次の執政官にどの属州を割り当てるだろうかと心待ちにしておられる人がいるなら、私が誰から属州を取り上げたいと思っているかを考えていただければよいのです。私が言わずにいられないことは何かを考えていただければ、私が言い出しそうなことは明らかでしょう。
そして、もし私が一番手としてこの提案を行ったら、皆さんはきっと褒めて下さったことでしょう。もしこの提案をしたのが私だけだったとしても、きっと皆さんは許して下さったことでしょう。たとえ皆さんがその提案を無益なことだと思ったとしても、皆さんは私の憎しみ(※)を許して下さったことでしょう。
※キケロがローマを追放された紀元前58年の執政官であるピソーとガビニウスは、政敵クローディウスによるキケロ追放の画策を見逃すことによってこの二つの属州を割り当てられたとされる。
しかしながら、元老院議員の皆さん、今や私は少なからぬ喜びとともにこの提案をすることが出来るのであります。というのは、次の執政官にシリアとマケドニアを割り当てるのがこの国のために最も有益なことであり、結果として私の憎しみがこの国の利益と一致するからであります。
また、この国全体に対するだけでなく私のローマ帰還のためにも並外れた友情と好意を見せて下さった高名なプブリウス・セルウィリウス氏(=前七十九年の執政官)が私より先にこの提案をして私の支援者になって下さったからであります。1
しかしながら、ガビニウスとピソーというこの国を殆ど破滅に追いやった二人の極悪人は、多くの根拠があるなかでも明らかな悪事を犯して私に残酷な仕打ちをしたのですから、この二人には厳しい刑罰を科すべきであって、そのことをセルウィリウス氏は今だけでなく機会あるごとにが自ら提案するだけでなく激しい口調で訴えておられるのです。それなのに、私の命を引き換えにして自分たちの欲望を満たそうとしたこの二人に対して、この私は一体どんな気持ちでいるべきだというのでありましょうか。
とはいえ、私はこの提案を表明するにあたっては、自分の憎しみに従ったり怒りに身を任せたりするつもりはありません。もちろん私は皆さんのそれぞれがこの二人に対して抱いておられるに違いない気持ちと同じ気持をこれからも抱き続けることでしょう。
私の怒りから発するこの特別な感情、この個人的な感情を皆さんは常々私と共にしていると言って来られたのでありますが、私はこの感情を復讐を果たす時まで取っておくことにして、この提案の表明からは排除していく所存であります。2
第二章
元老院議員の皆さん、私が理解している限りこれまでの皆さんの意見では四つの属州が候補としてあげられています。それは二つのガリア(アルプスの手前のガリア・キサルピナ=内ガリア=北イタリアと、アルプスの向こう側のガリア・トランサルピナ=外ガリア=南仏)とシリアとマケドニア(=ギリシア北部)であります。
現在二つのガリアはともに一人の支配のもとに置かれている属州であり、シリアとマケドニアは元老院がしいたげられていた時に、二人の悪辣な執政官がこの国を台無しにしたのと引き換えに皆さんの意に反して手に入れた属州であります。
私たちはセンプロニウス法に従って二つの属州を選べばよいのですから、この二つの属州をシリアとマケドニアにすることを私たちがためらうどんな理由があるでしょうか。この二つの属州はあの二人が元老院を非難して、この国における皆さんの権威を失墜させ、公の約束を反故にし(※)、長く続いたローマの平和を脅かし、私と私の家族全員を残忍なやり方で迫害したあげくに手に入れた属州であることは、今は別にしてもです。3
※カティリナの反乱のとき一味を当時の執政官だったキケロが処刑したことは罪に問われないという元老院決議を無視して、ローマ市民を処刑したことを根拠にキケロを追放したことをさす。
あの時この町で起きたことはあまりに途方もなく、ハンニバルがこの町にもたらそうとした災難でさえも、この二人がやった悪事には遠く及ばないほどでしたが、その全貌も今は脇に置いて、それぞれの属州についての話に移りましょう。
そのうちで、マケドニアは以前にはもう要塞もなくなり多くの指揮官の戦勝記念碑に守られた属州で、多くの勝利の結果として長く平和を享受していた地域でしたが、今ではその平和も貪欲な野蛮人によって破られてしまい、彼らの攻撃に悩まされている有り様です。
その結果、我国のマケドニア支配の中心に位置するテッサロニカの人たちは、町を捨てて要塞を築くことを余儀なくされ、マケドニアからヘレスポントス(=黒海の入口)に通じる我々の軍道は、野蛮人の襲撃にさらされているだけでなく、トラキア人(=ブルガリア南部)の要塞があちこちに点在しているのです。
我国の高名な指揮官たちに大金を払って平和を買った国々が、今ではその買った平和を捨てて、奪い取られた富を取り戻すために我国に対して反乱を起こしています。4
第三章
その上、極めて厳格な基準で集められた優秀な兵士たちからなる我国の軍隊の全てが失われてしまったのです。こんなことは言うだに心苦しいことですが、ローマ兵たちは惨めに捕虜にされ、殺され、見捨てられ、散り散りばらばらにされたのです。そして、彼らは放置され飢えと病いに襲われ風雨にさらされて死んでいったのです。それは恥ずべきことですが、まるで兵士たちが罰を受けて指揮官の悪事の償いをしているかと思えるほどだったのです(※)。
※ピソーがマケドニアに自分で選んで連れて行った大量の軍隊は大部分が失われ、残りは解散になり俸給も与えられずに現地に放置されて餓死にしたり病死したりしたらしい(『ピソー弾劾』37、47、48、85、91、92、96節)。
もともとこのマケドニアは周辺諸国が征服されて野蛮人が鎮圧されることで自然に平和になった国で、少しの要塞と一握りの兵隊があれば、命令権のない副官とローマの名前だけで平和が保たれていた属州です。ところが、いまでは命令権を持った執政官の軍隊がいるにも関わらず、マケドニアはひどい略奪にさらされて、今後長い平和が訪れても昔の姿を取り戻せることは出来ないほどになっています(※)。
※総督になったピソーがマケドニアをトラキア人とダルダニ族に金と引き換えに略奪させたらしい(『セスティウス弁護』94節)。
その一方で、皆さんは既に聞いてご存じのことですが、アカイア(=ギリシア南部のペロポネソス半島)の住民は毎年ピソーに莫大な金を払っており、デュラキオンの関税と通行税は全てこの人一人の収入に変わってしまい(※)、皆さんとこの帝国に忠実なビュザンティオン(♯)の町はまるで敵国であるかのように略奪されているのです。
※「アカイア人から受け取った大金の場合と同様に」(『ピソー弾劾』90節)、「デュラキオン市民から大金を不法に奪い」(『セスティウス弁護』94節)。
♯ローマの属州は自由な友好国によって構成され、それらは同盟国(civitas
foederata、完全な自治と特権が許されていた)、免税自由国(civitas libera et immunis)
、納税義務国(civitas stipendiaria)に分類された(吉村忠典『古代ローマ帝国』59,98頁参照、十分の一税国はcivitas
decimana)。デュラキオンは免税自由国で、ビュザンティオンは同盟国だった。
ピソーはこの町の貧しい人たちからもう何も搾り取ることもできず、哀れな人たちから暴力で何も強奪できなくなると、この町を冬営地にして軍隊を送りました。そして、最も熱心な悪事の片棒、自分の強欲の手先になると思った人間にその部隊の指揮をさせたのです。5
ピソーがこの自由な国で法律にも元老院決議にも反した裁判をしたことも今は言いません。彼の行った人殺しについても置いておきましょう(※)。彼の不品行については悲惨な報告があります。それは彼の行った恥ずべき行為の顕著な例として人々に記憶されていますし、それはまさにローマの支配を人々が憎んでも仕方がないと思えるようなことなのです。
※『ピソー弾劾』の83、84節に他の町で行った殺人の具体例が挙がっている。
というのは、高貴な家の少女たちが井戸に投身自殺をして、差し迫った恥辱から逃れたという有名な事件が起きているからです。私がこの事件を詳しく報告しないのは、これが最悪の事件でないからではなく、今はまだこの事件の証人がいないからなのです。
第四章
ビュザンティオンの町の中はかつて沢山の彫像で飾り付けられていたことは誰でも知っていることです。あの町の人たちは、ポントスのミトリダテス王の軍勢が勇ましく雄叫びを上げてアジアに総攻撃してきたとき身を挺して攻撃を食い止めて耐えましたが、その時に膨大な戦費を費やしたにも関わらず、その時もまたその後も彫像やその他の町の装飾品を手放すことなく律儀に守り通したのです。6
ところが、カエソニヌス・カルウェンティウス君(=ピソー、母方の祖父ガリアの商人の名字)、最低最悪の君が総督となるや、我国に対する見事な貢献のゆえに元老院とローマ国民によって解放されたこの自由国は略奪されて丸裸にされたのです。
もし、高潔で勇敢な副官ガイウス・ウェルギリウスが介入していなければ、あれほど沢山あった彫像がビュザンティオンの人たちのもとには一つもなくなっていたことでしょう。実際、アカイアのどの神殿にも、いやギリシアじゅうのどの神域にも彫像や装飾品は残っていないのです。7
君はローマの国政を委ねられた時に、君が破壊しつくしたこの町の残骸の中で、あの最悪の護民官(=クローディウス)から、そうです、あの時君はあの護民官から大金をはたいて、自由国の人の借金に関する裁判権を買ったのです。
そして、ローマ市民に向かって、自分に返金命令を出して欲しければ金を出せと言って、買った権利を金に変えたのです。しかし、それは元老院決議にも君の娘婿の法律(※)にも反することだったのです。
※ピソーの娘婿カエサルは属領の総督の不法取得を禁ずる「返金請求に関するユリウス法 Lex Julia de repetundis」をこの前年の前59年に定めた。
元老院議員の皆さん、私はこの事について彼のことを批判するのはやめて、属州について話すことにしましょう。したがって、皆さんが何度も聞いて覚えていることも、仮に聞いていないことでも全部省略しましょう。
彼が皆さんの心と目に刻みつけたこの町での彼の無謀な行為については何も言わないことにしましょう。彼の傲慢さ、彼の強情さ、彼の残忍さについても何も言わないでおきましょう。羞恥心と自制心を欠いた彼がいかめしい顔つきをして隠そうとしている陰気な情欲についても今は触れずにおきましょう。そして私はいま問題となっている属州について話すことにしましょう。
あの男が属州に着いてからというもの、彼の悪運が尽きるのが先か、それとも彼の悪事が尽きるのが先かは誰も分からずにいるのです。皆さんはそんな男をいつまで交代させずにおくお積りでしょうか。あの男をこの先もあの属州にとどまらせておくお積りでしょうか。8
また、あの現代のセミラミス(※)をシリアにいつまでもこのまま留めておくお積もりでしょうか。彼は属州へ向かう旅の途中に、我国の執政官の身分でありながらトラキア人よろしくアリオバルザネス王(=カッパドキア王)に殺し屋として雇われたのです(♯)。その後、彼はシリアに到着早々に騎兵隊を全滅させてしまい、その後、また歩兵の精鋭部隊を全滅させてしまいました(%)。
※紀元前9世紀のアッシリア王の贅沢好きで好色で残虐非道な妻の名前。ここではガビニウスを指す。
♯ガビニウスはアリオバルザネス王から金を受け取ってボディーガード代わりになったらしい。
%前57年にイスラエルにヨハネ・ヒルカノスを復位させるためにユダヤ人を弾圧するときに初戦で大損害を蒙り、前55年にプトレマイオス・アウレテスをエジプト王に復位させるためにシリアを留守にしている間に、ユダヤ人の反乱が起きてローマ兵を大量に失ったらしい。
ですから彼がシリアを統治した間にやったことは、王たちとの金目当ての援助の契約、金目当ての判決、略奪、追い剥ぎ、虐殺だけだったのです。一方、彼は軍隊が整列するとローマの指揮官として右手を伸ばして兵士たちに手柄を立てるように督励するのではなく、私は全てを買い占めてきた、これからも全てを買い占めると宣言したのです。9
第五章
ユダヤ人とシリア人は本来ローマ人の奴隷になるはずの民族ですが、ガビニウスは徴税請負人たちを気の毒なことに彼らの奴隷にしてしまったのです(私のために尽力してくれた彼らの不幸と苦しみは私の不幸なのです)。
彼はまず最初に徴税請負人の訴訟を受け付けないことを決めてそれをやり通しました。つまり、徴税請負人が何の不正もなく結んだ契約を取り消して、債務者の監獄を廃止して、多くの人から貢納と納税の義務を免除してしまったのです。彼が自ら滞在している町と彼が滞在する予定の町には、徴税請負人とその奴隷が入ることを禁止しました。
要するに、彼のローマ市民の扱いはひどいもので、特に政治家の支援を受けて常に高い地位を維持してきた騎士階級(=徴税請負人)の扱いは目に余るものだったのです。もし敵国の人間にそれと同じ扱いをしたら、彼は残忍な指揮官だと言われたに違いありません。10
以上から、元老院議員の皆さん、我国の徴税請負人たちはガビニウスの強欲と傲慢と残忍さに痛めつけられて、いまや破産の瀬戸際に立っていることがお分かりでしょう。それは決して彼らの無謀な請負契約のせいでも仕事に対する無知のせいでもありません。したがって、国庫が苦境にあるとしても、皆さんは彼らに助け舟を出さねばなりません。
しかし、彼らの多くはもはや救いようがない状態になっています。元老院と騎士階級と全ての閥族派の人々の宿敵であるガビニウスのせいで、彼らは不幸なことに財産だけでなく地位も失ってしまったからです。彼らはその倹約、節制、高潔、努力、才気をもってしても、あの図々しい大食らいの略奪者から自分たちの身を守ることは出来なかったのです。11
いま彼らは相続財産と友人たちの援助でどうにか暮らしていますが、皆さんは彼らがこのまま没落するにまかせるお積もりでしょうか。敵国のせいで徴税を妨げられた請負人は監察官との契約(※)で保護されるのですから、名目上は敵でなくても敵対的な人によって徴税を妨害された人たちにも援助の手を差し伸べるべきではないでしょうか。
※徴税請負人は監察官と五年毎に競売で請負契約をする。
そういうわけで、あの男は同盟国を敵に売り渡したり、ローマ市民を同盟国の人々に売り渡すような男なのです。あの男は同僚のピソーが難しい顔をして皆さんから本性を隠しているが自分は見せかけだけでなく中身も本当の悪党であるから、ピソーよりも一枚上手だと言うような男なのです。
一方のピソーといえば、瞬く間にガビニウスだけが最も邪悪な総督だと言われないようにしてみせたと変な自慢をするような男なのです。それなのに、皆さんはこんな男たちをずっと属州に留めておくお積もりなのでしょうか。12
第六章
皆さんはもしこの二人を属州から呼び戻せないなら引きずり出すべきだと思われないのでしょうか。同盟国の疫病神であり、軍隊の破壊者であり、徴税請負人の迫害者であり、属州の略奪者であり、帝国の汚点であるこの二人をこのまま属州に留めておくお積もりなのでしょうか。皆さんは去年(=前57年)この二人が属州に着いた早々に二人を呼び戻そうとされました。
当時もし皆さんに自由な決定権があったなら、もしこの問題の審議が何度も延期になったあげくに取り下げになっていなかったら、皆さんは彼らに奪われた元老院の権威を望み通りに取り戻していたはずなのです。そして、彼らを呼び戻して、祖国に悪事を働いて目茶苦茶にした報酬として手に入れた属州を取り上げていたはずなのです。13
ところが皆さんにとってはまことに腹立たしいことに、その時彼らは人の力を借りてこの処分を免れたのです。しかしながら、その後彼らはそれより遥かに厳しくて重い罰を受けることになりました。なぜなら、世間の評判を恥じる気持ちのないあの男にも罰を恐れる気持ちがあったとしたら、戦地において手柄を立てたこと(※)を伝える報告が拒否されること以上に重い罰はなかったからです。
※ガビニウスがシリアでユダヤ人の反乱を鎮圧したことをさす。
元老院はガビニウスに対する戦勝記念祭を満場一致で拒否しました。そしてその時第一に、この邪悪な犯罪に汚れたあの男の言うことは何も信用出来ないこと、次に、ローマにいた時に元老院によって国家の敵と認定された裏切り者であるあの男が国家に貢献するような手柄を立てることなどありえないこと、最後に、汚らわしく呪われたあの男のために神殿を開いて感謝祭をすることは神々が望み給わぬことであることを決議したのです(※)。
※『弟クイントゥス宛書簡集』2.7(キケロー選集11番)に前56年5月15日に決議がなされたとある。
一方、もう一人の男の報告書は公表されておりません。それは本人に教養があって、大っぴらな宴会仲間の(以前は隠れてやっていましたが)ギリシア人から薫陶を受けたからか、あるいはガビニウスにはない賢い友人のおかげでしょう。14
第七章
ですから、私たちは彼らを凱旋将軍と呼ぶことはないのです。そのうちの一人は自分が凱旋将軍と呼ばれるべき理由を報告書にして我々に送るほどの図々しさは持ちあわせておりませんし、もう一人の方は、我々の伝令が遅滞なく到着するなら、数日の内に自分の図々しさを後悔するに違いありません。
もしガビニウスに友人がいるとすれば、いや仮にもあれほど汚らわしくて下劣な人でなしにも友人がいるとすればですが、彼らはかつて元老院がティトゥス・アルブキウスに対して戦勝感謝祭を拒否したことをもって慰めとするでしょう。
しかし、この事件はまったく違います。そもそも、サルディニアにおけるアルブキウスの戦いは元法務官の彼が補助隊一つで羊の外套を着た盗賊を相手にした戦いに過ぎなかったのに対して、シリアにおけるガビニウスの戦いは命令権を持つ元執政官の軍隊が最強の民族(=ユダヤ人)と最強の王を相手に行ったものな
のです。
さらに、アルブキウスは元老院に対して請求したことをサルディニアで先に自分で決定してしまったのです。つまり、ギリシア通のこの男は軽率にも自分の属州で凱旋式を行ってしまい、それを知った元老院は戦勝感謝祭を拒否することでこの身勝手を罰したのです。15
それでもやはり、ガビニウスはこれを慰めとすべきでしょう。そして、こんな不名誉な目にあった人が自分以外にもう一人いるのだから、それほど厳しい罰ではないと思うべきなのです。
ただし、彼は自分の慰めとした人間と同じ末路を覚悟すべきでしょう。何と言ってもアルブキウスはピソーのような放蕩癖もガビニウスのような図々しさもなかったにもかかわらず、元老院から断罪されるという一度の不幸によって失脚したからです。16
ですから、二人の次期執政官に二つのガリアを与えるべきだと言う人は、この二人をそのまま属州に留めるべきだと言っていることになります。またガリアの一方とシリアかマケドニアを与えるべきだと言う人は、二人のうちの一人を属州に残すことになってしまい、同じような二人の罪人に対して異なる扱いをすることになってしまいます。
ある人は「私はシリアとマケドニアは法務官の属州にすることを提案する。そうすればピソーもガビニウスも直ちに交代させられる」と言っています。しかし、それはここにいるこの人が拒否しない場合です。というのは、執政官の属州については護民官に拒否権はありませんが、法務官の属州には拒否権があるから
です。
もしそうでなければ、次期執政官にシリアとマケドニアを与えるべきだと言っているこの私も、この両州を法務官の属州にして、今から一年間を法務官に統治させて、目にするだに腹立たしいあの二人を出来るだけ早く呼び戻してその顔を拝みたいところです。17
第八章
いいですか、拒否権を含まない法律(※)によって属州を決めなければ、私たちはあの二人を永遠に交代させられないのです。それに、この機会を逃せば、私たちは次の機会まで丸一年待たねばなりません。そうなると、市民の不幸と同盟国の苦難はそれだけ延長されてしまい、その間も悪人たちは処罰されないままになるのです(♯)。17
※「執政官の属州に関するセンプロニウス法」
♯あくまで執政官の属州を決める手続きを取るが、その補助として今年は法務官を送るというやり方を主張したいらしい。
また、仮に次の執政官に選ばれる人たちが閥族派の最たる人たちだったとしても、私はカエサル氏に後任を送るという考えには賛成できません。元老院議員の皆さん、これについての私の思うところを包み隠さず述べたいと思います。私の話を先程さえぎった親友の妨害にもひるまずお話しましょう。
閥族派の代表であるその人によれば、私が失脚した時の国内の大混乱を扇動して助長したのはカエサル氏だったのだから、私がガビニウスに対するのと同じくらいにカエサル氏に対しても敵意を抱いて当然だというのです。
その人に対しては、まず私は自分の憎しみではなく国益のことを考えているとお答えすれば、納得してもらえるでしょうか。しかも、その際これは我国の名立たる偉大な市民を手本にしてこそ出来ることだと申しましょう。
たとえば、ティベリウス・グラックス(父親の方です。彼の息子たちが父親の立派な人格を受け継がなかったのは残念なことです)があれほどの名声を得たのは、ルキウス・スキピオとその弟のアフリカヌスとは宿敵の間柄だったにも関わらず、同僚の護民官の中でただ一人ルキウス・スキピオに助け船を出したからではないでしょうか(=前187年)。
彼はその時「自分は彼とは誓って和解する気はないが、スキピオに敗れた敵の将軍が投獄された場所に勝者スキピオを投獄するのは、帝国の威信に反するものだ」と演説したのです。18
また、ガイウス・マリウスほど敵が多かった人はいませんでした。ルキウス・クラッスス、マルクス・スカウルス、メテッルス家の人たちはマリウスの宿敵でした。しかし、彼らはその宿敵をガリアから遠ざけようと言わなかっただけでなく、ガリアでの戦いを考慮してガリア州を特別に彼に割り当てたのです(=前105年)。
今もガリアでは大きな戦いが行われています。多くの国はカエサル氏によって平定されましたが、まだその支配は法的なものでもなく、権利も確定せず、平和が確立するには至っておりません。戦いは終盤にさしかかっており終戦の日は近いと言えるでしょう。
しかし、戦いを始めたカエサル氏が最後までやり通してこそ無事に終戦に至れると思いますが、カエサル氏が交代してしまうと、激戦を生き残った者たちが勢いを盛り返して戦いが再燃したという知らせを聞くことになりかねません。19
したがって、私は皆さんのお望み通りにカエサル氏に敵対する元老であっても、これまで通りこの国の友人でいなければなりません。さらに、仮に私がこの国
のためにカエサル氏との敵対関係をやめるとしても、それを非難する権利が誰にあるでしょう。何と言っても私は自分の考えと行動の全ての手本を常に最も優れた人たちの行動に求めているのですから。20
第九章
また例えば、二度執政官になり大神祇官になったマルクス・レピドスは、人々の記憶の中だけでなく年代記の中でも、さらには我国最大の詩人の歌の中でも賞賛されていますが、それはマルクス・フルウィウスと共に監察官になった日に、宿敵だった彼と民会でただちに仲直りをして、監察官職という共通の職務を共通の意志と精神によって遂行したからではないでしょうか。
無数にある古い話は省略しても、フィリッポス氏よ、あなたのお父さん(=マルキウス・フィリッポス)も自分の宿敵と仲直りしたことがあったではないですか。彼はお国のために対立していた人たちと、お国のために仲直りしたのです(※)。21
※前91年護民官ドゥルススの改革に反対して元老院と対立したが、後にドゥルススが暴力的になった時に元老院と和解した。
私はこれ以上多くの例をあげる必要はありません。というのも、私の目の前にこの国の誇りであるプブリウス・セルウィリウス氏とマルクス・ルクルス氏(=前七十三年の執政官)がおられるからです。この場にルキウス・ルクルス氏もいてほしかったところです。この国でルクルス家とセルウィリウス家の敵対関係ほど深刻なものがあったでしょうか。しかし、この勇気ある人たちは、国家の利益と自分たちの名誉のために互いの敵意を捨てただけでなく、それを親密な友情に変えたのです。
さらに、執政官クイントゥス・メテッルス・ネポス君は、皆さんの助言とプブリウス・セルウィリウス氏の信じがたいほど素晴らしい演説に促されて、最高神ゼウスの神殿の中から、遠く離れた私と仲直りをして誠意を示してくれました。
そのような私がカエサル氏と敵対しづけることなど出来るでしょうか。私の耳にはカエサル氏の報告書と噂と伝令によって新しい国と新しい民族と新しい地方の名前が毎日つぎつぎと訪れているのです。22
いいですか、元老院議員の皆さん、皆さんもそうだと思いますが、私はご存知のように熱い祖国愛に燃えているのであります。この祖国愛に突き動かされて、私はかつて大きな危機がこの国に迫ったときには祖国を救うために命をかけて戦いました。また、その後再びあらゆる武器が至る所からこの国に向けられているのを知った時には、皆さんのため一人矢面に立ってその攻撃を受け止めたのです。
私のこの祖国愛は昔から変わることがありません。そして、この祖国愛のために私はカエサル氏との友情を復活して和解することにしたのです。23
それを人がどう思うかは知りませんが、この国に貢献する人とは誰であろうと私は友人にならずにはいられないのです。
第十章
反対に、この町のすべてを炎と武器で破壊しようとする人たちとは、たとえその中に私の親しい友人がいても、私の弁護で死刑判決を免れた人たちがいても、私は彼らと敵対するだけでなく宣戦布告をして攻撃したのです。祖国のためには友人に対しても怒りに燃えることのできた私が、同じ祖国のために政敵と和解できないことがあるでしょうか。
私がプブリウス・クローディウスに敵意を抱いたのは、彼が卑しい欲望にそそのかされて敬虔と貞節という二つの最も神聖なものを一度の悪事によってないがしろしたのを見て(※)、そんな男はいつか国家にとって有害な人間になると思ったからにほかなりません。
※男子禁制のボナ・デア祭に女装して侵入したとして涜神の罪に問われた。
これまで彼がしてきた事と今している事から見て、彼を激しく批判した私が自分の安全よりもこの国の安全を重視したのは明らかであり、彼を守った人たちがこの国の安全よりも自分たちの安全を優先したのは明らかなのです。24
私はガイウス・カエサル氏とは国政において意見を異にしていましたし、その点で私が皆さんと同じ意見だったことは認めます。しかしながら、私は以前と同様、今も皆さんと同じ意見なのです。
なぜなら、ルキウス・ピソーは自分の業績の報告書を皆さんの元に送ることも出来ませんでしたし、報告書を送ったガビニウスは前例のない厳しい罰を皆さんから受けました。さらに、ガイウス・カエサル氏は一度の戦いに対しては日数においても豪華さにおいても前例のない戦勝感謝祭を許されたのです。
ですから、どうして私はカエサル氏と私を和解させてくれる人が現れるのを待つ必要があるでしょうか。誉れある元老院議員の皆さん、国の政策だけでなく私のあらゆる考え方を支持して導いて下さる元老院議員の皆さんがこの和解をもたらして下さったのです。
元老院議員の皆さん、私は常に皆さんの考えに従っているのです。私は常に皆さんと同じ考えなのです。皆さんがガイウス・カエサル氏の国政に関する意見をあまり尊重していなかった時には、ご存じのように私もまたカエサル氏とあまり親密ではなかったのですが、カエサル氏が大きな功績を立てて皆さんの考えが変わってからは、ご覧のように私もまた皆さんの考えに賛成するだけでなくそれを賞賛しているのです。25
第十一章
それにも関わらず、この問題に対する私の考え方に驚いて私を批判する人たちがいるのはどうしてでしょう。というのは、私は以前から国家にとって必要でなくても個人の名誉にとって必要な多くの提案には賛成してきたからです。
例えば私はカエサル氏に十五日の戦勝感謝祭を許可することに賛成票を投じました(=前57年)。国家にとってはマリウスの時の五日間で充分だったでしょ
う。神々にとっても重要な戦いのあとに行われてきた感謝祭と同じ日数は少ないとは言えなかったのです。したがって、その日数をここまで増やしたのは個人の
名誉に対するものだったのです。26
もともと私が執政官の時(=前63年)にグナエウス・グナエウス・ポンペイウス氏がミトリダテス王を葬ってミトリダテス戦争を終結させたときに、私の提案で初めて戦勝感謝祭を十日にすることが決まったのです。また、私の提案で執政官経験者の戦勝感謝祭は従来の倍の日数になったのです。つまり、陸海の戦いを全て終わらせたポンペイウス氏の報告書が朗読されたときに、戦勝感謝祭を十日にすることは皆さんが私の意見に賛成して決めたことなのです。
ですから、カエサル氏の戦勝感謝祭を十五日にした時にグナエウス・ポンペイウス氏が見せた男らしい度量の大きさに私は感心しました。というのは、彼はあらゆる栄誉を人に優先して受ける立場にありながら、自分が手にした栄誉よりも大きな栄誉を別の人に与えることに賛成したからです。
つまり、私が賛成した十五日の戦勝記念祭については、記念祭そのものは神々と祖先の習慣と国家の利益に対して与えられたものですが、豪華な賛辞と前例のない栄誉と日数の長さはカエサル氏その人の功業・功績に対して与えられたものだったのです。27
最近ではカエサル氏の軍隊の俸給に関する提案が元老院に出されましたが、私はこの提案に賛成しただけでなく、皆さんにも賛成していただけるよう努力しました。多くの反対意見に対する反論も私が引き受けました。決議の署名式にも出席しました。その時にも私は何かにとって必要かどうかよりも人物を重視したの
です。
というのは、カエサル氏は財政的な援助がなくても、以前に手に入れた戦利品だけで軍隊を維持して戦いを終わらせることが出来ると私も思いましたが、我々が渋ったために彼の華やかな勝利の輝きを損なうべきではないと思ったからです。
彼の副官を十人にすることについて議論したときも、絶対反対の人、前例を出せという人、審議の延期を提案する人、賛辞を付けずに与えるべきという人など色んな意見が出ましたが、この問題でも私は国家のためになると思うことをカエサル氏の名誉のために更に豪華に行うつもりだということを、私は皆さんにご理解いただけるようにお話しました。28
第十二章
私がこの話をした時には静かに聞いていただけました。ところが、いま私が属州の割り当てについて話しているときには野次が入りました。しかし、これまでの問題では私は個人の名誉を重視しましたが、この問題で私の念頭にあるのは戦争への配慮と国益だけなのです。
そもそもカエサル氏があの属州に留まることを望んでいるのは、自分の仕事を完成してその成果をローマに引き渡したいからにほかなりません。それとも、彼がかの地にとどまっているのは、あの地方が快適で、町が美しくて、住民が魅力的で、彼が勝利に貪欲で、この国の領土を広げたいからだとでもいうのでしょう
か。
あれほど荒れ果てた土地はないし、あれほど住みにくい町はないし、あれほど野蛮な民族はありません。それに、あれほど卓越した勝利はないし、あれほど地中海から離れた領土はないのです。
それとも、彼が祖国への帰ると何か不都合なことがあるでしょうか。彼は自分を送り出した国民から嫌われているのでしょうか、あるいは自分に軍隊を与えた元老院から疎まれているのでしょうか。それどころか彼の人気は日に日に増しているのです。それとも、時とともに彼に対する関心は失せているのでしょうか。彼が大きな危険を冒して手に入れた勝利は陳腐なものになってしまったのでしょうか。
さらに、もし彼のことが気に入らない人がいるとしたら、彼らはなおさらカエサル氏を属州から召喚すべきではないでしょう。なぜなら、彼が帰ってくれば、栄誉が与えられて凱旋式と感謝祭が行われ、元老院の最高の敬意と、騎士階級の感謝と、国民の尊敬を受けることになるからです。29
しかし、もし彼が国益を優先して全てを完結させるために、これほどの華々しい幸運を享受することを後回しにしているとしたら、私は元老のひとりとして何をすべきでしょう。元老の仕事は何を考えるにしても国益を第一にすることなのです。
元老院議員の皆さん、いま属州の割当てを決めるに際して私たちは永遠の平和を考慮すべきだと私は考えています。というのは、ガリアを除く全てのローマの支配地域には既にどんな戦争の危険もなければ戦争が起きる気配もないことは誰もが認めることだからです。30
皆さんご存じのように、かつては海上の航路だけでなく町や軍道までも海賊の攻撃にさらされていましたが、今ではこの広大な海はグナエウス・ポンペイウス氏の尽力のお
陰でローマの支配下に入って、地中海から黒海の端に至るまで、まるで閉ざされた一つの港のように安全な海になっています。
また、我々の属州に向かって大量に流れ込んでくる可能性があった多くの民族は、ポンペイウス氏によって鎮圧されたり追い返されたりしたので、例えばかつては我々の帝国の東の果てにあった属州アジアは、今では我々の三つの属州(※)に接しています。
※ビトゥニア、キリキア、シリア
これはどの地域についてもどの敵についても言えることです。あらゆる民族が我軍に滅ぼされて絶滅に瀕しているか、征服されて服従しているか、あるいは平和な国になって我々の勝利と支配を喜んでいるのです。31
第十三章
元老院議員の皆さん、カエサル氏が指揮官となってから我々はガリア人と戦っていますが、かつての我々はガリア人に反撃するだけだったのです。これまでの我々の指揮官はガリア人を武力で抑えこむべきだと思っても、こちらから攻撃すべきだとは思わなかったのです。
ローマが敗戦を重ねて大損害を被っていた頃、あのマリウスが神がかりの武勇を発揮してローマを救った時でさえも、彼はイタリアに侵入してくるガリア人の大軍を食い止めただけで(=前101年)、相手の本拠地に攻め入ることはなかったのです。
最近の例では、私と考えも苦労も危機も共にしてきたポンプティヌス君は勇気のある人で、アッロブロゲス人があの邪悪な陰謀に触発されて突然起こした戦争を武力で粉砕しましたが(=前61年)、彼は攻撃してくる者たちを鎮圧してこの国を恐怖から解放すると、勝利に満足して矛を納めたのです。
私の見る所、カエサル氏の考え方はこれらとは全く違っていました。彼はローマに敵対して武装している民族と戦うだけでなく、全ガリアを我々の支配下に収めようと考えたのです。32
カエサル氏はゲルマニア(※)とヘルウェティアの獰猛な大きな部族との戦いに勝利すると、その他の多くの民族を怯えさせ追い詰めて征服し、ローマの支配に従うことを教えたのです。そして、それまで書物どころか話にも噂にも聞いたことのない国や地域に、ローマの指揮官が軍隊を率いて入って行ったのです。
元老院議員の皆さん、それまで私たちがガリアで支配していたのは細い通路だけでした。それ以外の場所は我々に敵対する危険な民族、未知の民族、野蛮で未開で好戦的な民族が支配していたのです。
誰もがこれらの民族を打ち倒して征服したいと思っていたのです。既にこの帝国が生まれた時から国のことを真剣に考える人なら、ガリアは我々の支配にとって最大の脅威であると誰もが考えていたのです。しかし、ガリアの人口と勢力の大きさのために、これまで全員を相手にして戦うことはなく、攻撃された時に抵抗するだけだったのです。それが今や彼らの土地が我らの帝国の領土に含まれることになったのです。33
第十四章
かつてはアルプスがイタリアにとっての自然の障壁となっていましたが、それは偉大なる神意のなせるわざでした。というのは、野蛮なガリア人が大量に侵入する道が開かれていたら、ローマはけっしてこの世界の支配者となることはなかったからです。
ところが、今ではそのアルプスが沈んでしまってもよくなったのです。なぜなら、この高い山の向こう側から海に至るまで、イタリアが恐れるものは何もなくなったからです。
しかし、全ガリアを恐怖と希望、処罰と報償、武力と法によって永遠のくびきのもとに固く縛りつけることが出来るまでに、もう一年か二年は必要です。それなのに、もしこの仕事を完成させずに中途半端なままで放置したら、ガリアの国々はたとえ今は力を失っていても、いつかは勢力を盛り返して我々に新たな戦いを挑んでくることでしょう。34
ですから、いまカエサル氏の信義と美徳と幸運に委ねられているガリアを彼の管理下に置くべきなのです
。仮に幸運の女神の豊かな贈り物に恵まれたカエサル氏がこれ以上この女神を試すことを望まず、ローマで用意された自分の高い地位につくために、祖国へ、自分の家の神のもとへ、愛する子供たちのもとへ、大切な婿(=グナエウス・ポンペイウス)のもとへ帰ることを急いでいるとしたら、もし彼がカピトリウムに勝利者として輝かしい手柄とともに乗り込むことを切望しているとしたら、もし彼が自分の損になるだけで得にならない偶発事件を恐れるようになっているとしたら、これまでほぼ成し遂げたことを完成するように私たちは彼に要望すべきところなのです。
ところが、彼は自分の栄光を充分に達成していても、国家には充分に尽くしていないと思い、自分の苦労の報酬を手にするのを後回しにして、自分が引き受けた国務の完遂を優先したのですから、私たちは国家に貢献することに燃えている指揮官を呼び戻すべきではないのです。また、私たちは完了しかけているガリア戦争という国策を乱すべきではないのです。35
第十五章
提案者の中には、シリアと外ガリアを割り当てるべきだとか、シリアと内ガリアにすべきだとおっしゃる貴顕紳士の方々がおられますが、そのような人たちの考えはあまり褒められたものではありません。
外ガリアにすべきだという人の意見では、いま私がお話したことは全部ぶち壊しになってしまいます。しかも、その人は、自ら否定している法律(※)を認めて、護民官が守っている属州(=内ガリア)には手を付けずに、護民官が拒否できない属州(=外ガリア)を取り上げると言っていることになります。
※内ガリアをカエサルに前59年3月から5年間与えるウァティニウス法
それは同時に、その人は元老でありながら、護民官がカエサル氏に与えたものには手を付けずに、元老院がカエサル氏に与えたものをせわしなく取り上げることになってしまいます。
もう一つの意見(=内ガリア)を提案している人は、ガリア戦争を考慮に入れているので元老の本分を果たしていますが、自分が認めていない法律に従って、カエサル氏の後任の赴任日を決めています(※)。本来、執政官は退任した一月一日に属州を与えられるはずが、これでは約束だけもらって属州はもらえないことになってしまいます。これほど我々の父祖たちの権威ある教えに背くことがあるでしょうか。36
※前54年3月1日
つまり、選挙で執政官に選ばれる前に属州の割当てが決まっているはずなのに、執政官の任期が終わっても赴任する属州がないということになるのです。
今回の属州の割り当てはくじ引きをするのでしょうかしないのでしょうか。というのは、くじ引きをしないのはおかしいし、くじを引いて当たった属州がその人の物にならないのもおかしなことだからです(※)。その人は型通りに正装して出発するのでしょうか。それでどこへ行くのでしょうか。それは特定の日になるまでは着いていけない所なのです。彼には一月と二月は属州がないのです。やっと三月一日になると突然属州が生まれるのです。
※ここで決められた二つの属州の内のどちらに次の二人の執政官が赴任するかをいつも通りくじ引きで決めるのかどうなのか。くじを引かないで決めるとしたらそれはおかしいし、くじを引いて決めるとしたら、内ガリアが当たった人はそこにカエサルがまだ居て自分のものにできないのもおかしい。37
しかも、この二つの提案ではピソーは属州にとどまったままになってしまいます。これは深刻な事態です。しかし、もっと深刻なのは、指揮官が自分の統治する属州を減らされるというのは屈辱的な事だということです。こんなことは優れた指揮官だけでなく凡庸な指揮官に対してさえも避けるべきなのです。
第十六章
元老院議員の皆さん、皆さんがこれまでカエサル氏に対して多くの前例のない並外れた名誉を授けてきたことを私は存じております。もしカエサル氏がその名誉に値するからそうしたのであれば、皆さんは彼に感謝していたことになります。しかし、もしそうではなく、カエサル氏と元老院階級の絆を深めるためだったとすれば、皆さんは極めて賢明だったことになります。
これまで元老院は、皆さんが与える名誉よりも大切な名誉があると思っている人に対しては誰にも好意や名誉を与えたことはありませんでした。ですから、これまで民衆派であることを重視するような人は誰も元老院のリーダーにはなれなかったのです。
しかし、彼らは自らの力不足で自信をなくしたり、他人の中傷のせいで元老院階級とのつながりから離れて、しばしばやむを得ずこの港から出てあの嵐の中に身を投じた人たちなのです。一方、民衆の大波にもまれた後に国家に貢献した人が元老院の方に眼差しを向けて、ここの高貴な人たちの好意を求めようとする人がいるなら、その人たちは決して追い返すべきではなく、むしろ暖かく迎えるべきなのです。38
私は今までで最も優れた閥族派の執政官(※)から忠告を受けました。それは内ガリアが次期執政官のあとに我々の意に反した人に与えられて、その後元老院階級を攻撃する人たちによって民衆派の混乱したやり方で永久に支配されるようなことがないようにすべきだということです。
元老院議員の皆さん、私はこのような悲惨な事態をけっして軽視してはおりません。最も賢明な執政官であり最も熱心な平和の保護者である人から忠告を受けたのですから尚更です。しかしながら、私がもっと憂慮しているのは、大きな力をもった優れた人の名誉を損なったり、元老院階級に対するその人の熱意を退けるような事の方なのです。
※コルネリウス・レントゥルス・マルケリヌス、この年である前56年の執政官
なぜなら、元老院から様々な特例待遇を受けたカエサル氏がこの属州を後に皆さんが望まない人物に受け継がせて、自分に多大な名誉を与えてくれた元老院階級から自由を取り上げてしまうことがあるとは、私にはとても思えないからです。
最後に、それぞれの人が今後どうするつもりでいるかは私は知るよしもありませんが、ただ私は自分がどうしたいかは知っています。地位ある有力者が元老院階級に対して不満を持つ理由を出来るだけ作らないようにする義務が元老である私にはあるのです。39
もし私がカエサル氏の宿敵であったとしても、私はこの国のために同じように考えたに違いありません。
第十七章
しかし、私の話にこれ以上野次が入らないためにも、また黙って聞いている人たちの批判を受けないためにも、ここで私とカエサル氏の関係を簡単に説明するのは無意味なことではないでしょう。
まず最初にカエサル氏は若い頃私と親しい友人の間柄でしたし、私の弟とも私の従兄弟のガイウス・ウァローとも仲のいい友達でしたが、それはいいでしょう。国政に深く関わるようになってから私はカエサル氏とは意見を異にするようになりましたが、考え方の違いはあっても二人の友情に変わりはありませんでした。40
カエサル氏が執政官になると彼は自分が提案した多くの政策に私の賛同を求めました。私はそれには同意しませんでしたが、私に対する彼のそうした態度はうれしいものでした。
彼は私に五人委員(※)の就任要請をしました。三頭政治を始める時には私に参加を求めてきました。また、私が要望しそうな使節の仕事を私の望むような地位をつけて提供してくれました。これらはどれも有り難いものばかりでしたが、私は自分の考え方にこだわったので全部断ったのです。私はこれが賢明な行動だったと言うつもりはありません。多くの人に分かってもらえるとは思えないからです。
※カエサルの土地法を実行する二十人委員のうちのシニア格を指す。
しかし、これが少なくとも勇気と決断のいる行動だったとは言えるでしょう。私は政敵の悪事から自分の身を守るのに強力な援軍が必要ですし、民衆派の攻撃を撃退するにも民衆派の庇護があってこそ出来るからです(※)。それでも、私は皆さんの高潔な心に背いたり自分の節を曲げるくらいなら、どんな運命をも受け入れてどんな暴力にも屈辱にも耐えるほうがいいと思ったのです。
※カエサルの庇護が必要な場合があることを指す。
しかし、人の親切を受け入れた場合だけでなくそれを断った場合でも、相手に対する感謝の心を忘れてはなりません。とはいえ、カエサル氏が提供してくれた栄誉は私に相応しいものではないし、私がこれまでやってきたことに相反(あいはん)するものだと思ったのです。それでも、私はカエサル氏の私に対する友情を感じましたし、私をポンペイウス氏と同様に市民のリーダー格として扱ってくれていると感じたのです。41
カエサル氏は私の政敵クローディウスを平民に移籍させましたが、それは私をいくら厚遇しても私と連携できないことに業を煮やしたからかもしれませんし、単にクローディウスに懇願されたからかもしれません。しかし、それは私たちの友情の痛手にはなりませんでした。
なぜなら、その後も彼は私に自分の副官になるように説得もし懇願もしてきたからです。しかし、私はそれも断りました。それは私の身分に不相応なものだと思ったからではなく、この国に対するあれほどの悪事が次の執政官によって行われようとしているとは思わなかったからです。
第十八章
したがって、私が現時点において憂慮すべきなのは、カエサル氏が私たちの友情を傷つけたことより、彼の好意を拒否した私の傲慢さが批判されはしないかということなのです。42
あの嵐の時代には何があったでしょうか。閥族派の市民にとっての暗雲、思いもよらぬ突然の恐怖、この国を覆う暗闇、ローマの破壊と火災、自らの政策についてカエサル氏が吹き込まれた不安、閥族派の人々を襲った虐殺の恐怖、執政官たちによる悪事と貪欲と逼迫と無謀。
カエサル氏が私を助けなかったとしてもそれは仕方がなかったのです。彼が私を見捨てたとしても、それは自分のことで手一杯だったのです。また、もしある人が言うように、あるいはまた、ある人の望み通りに、彼が私を攻撃したとすれば、友情が壊れていたのです。もし私が痛手を負ったとすれば、確かに私は彼と敵対していたのです。それを私は否定しません。
しかし、もし皆さんが私を大事な息子のように懐かしがったときカエサル氏も私の帰国を望んでいたとすれば、そしてもしカエサル氏が私の帰国に反対しないことがこの問題には重要だと皆さんが考えていたとすれば、そしてもしグナエウス・ポンペイウス氏がイタリアじゅうの町の人たちや集会に集まったローマ市民に私の帰国を促したり、私の帰国を望む皆さんをカピトリウムで激励したりしたとき、彼がカエサル氏の好意を体現していたとすれば、そして、最後に、もしポンペイウス氏が私に対するカエサル氏の好意の証人であるだけでなくカエサル氏に対する私の好意の証人でもあるとすれば、私は若い頃の友情の記憶と最近の友情の記憶によって、その間の悲しむべき時代の出来事をたとえこの世から消し去ることは出来ないにしても、少なくとも私の記憶から消し去るべきだと皆さんには思えないでしょうか。43
一方、もし私が憎しみと敵意をお国のために捨てたことを誇りにすることは許されないと言う人がいるとしても、もしこの行為が偉大で賢明な人間に相応しいことだと思われるなら、私は賞賛を得るためよりもむしろ批判を避けるために、私が感謝の心を知る人間であり、これほど大きな好意だけでなく、人々のありふれた好意に対しても感謝していることを表明したいのです。
第十九章
私のために最大の貢献をしてくれた閥族派を代表する人たちに私が求めたいのは、もし私があの不幸な災難の道連れになることを彼らに望まなかったとすれば、彼らもまたカエサル氏に対する自分たちの敵意を共有することを望まないで欲しいということです。
彼らは私が以前には反対も支持もしなかったカエサル氏の政策をいま堂々と弁護する機会を私に与えてくれたのですから、今こそ彼らにそれを求めたいのです。44
というのは、私はこの国の閥族派の主だった人たちの意見に従ってこの国を救いましたし、彼らの意見に従ってカエサル氏との結びつきを避けてきました。その彼らはカエサル氏が執政官の時に提案された数々の法律は合法的に提案されたものではないと言っていますが、その同じ人たちが国家の安寧に反する私の追放令は占いに反することなく提案されたものだと言っていたからです。
つまり、最も権威ある雄弁な人(=ビブルス)が私の失脚はこの国の死を意味するが、それは正当に宣言された死であると重々しく述べたのです。私の追放がこの国の死であると言ってくれたのは私にとってはこの上なく名誉なことではありますが、その一方、その残りの部分を私は批判するどころか、それに基いて自分の思う所を述べさせていただきます。
というのは、もしどんな前例によっても実行不可能でどんな法律によっても許されないあの追放令が、誰も天空観察をしていなかったから正当に提案されたものだと彼らがあえて言うのなら、その追放令を提案したクローディウスがクリア民会で成立した法によって平民になった時には天空観察が行われていたと言われていることを彼らは忘れたのでしょうか(※)。
※天空観察をしている時には法律を提案するなど公的な事はできない。天空観察をするこ
とは妨害手段であり、それは凶兆を告げるのと同義だった(Loeb
叢書キケロXII巻、311頁参照)。前59年に執政官になったカエサルが革新的な法律を提案した時には、同僚の執政官ビブルスが妨害するために自宅で延々と天空観察を行っていた(スエトニウス『カエサル伝』20)ので、カエサルの法律は厳密には無効である。『わが家について』40節参照。
クローディウスがもし平民になれなかったとしたら、彼はどうして護民官になれたでしょうか。そして、もし彼の護民官就任が有効なら、カエサル氏の政策も無効なものは一つもないことになるのです。それでもまだ、クローディウスの護民官就任だけでなく彼の悪辣極まる政策もまた占いの規則に反しない正当なものだったと言うのでしょうか(♯)。45
♯天空観察の決まりはアエリウス・フィフィウス法による。前58年にクローディウスが
護民官になってこの法律を廃止したので、追放令のときに天空観察していないのは当然なのに、それを理由に追放令を正当化する人たちの矛盾をついて、それを言うならカエサルの法律も有効としなければならないとキケロは主張している。
以上のような次第であるからには、皆さんは、アエリウス・フィフィウス法は廃止されずに今でも有効であり、公休日以外なら何時でも法律を提案してよいことはなく、法律が提案されるときには天空観察をして凶兆を告げて拒否権を行使することが許され、監察官の元老院議員に対する審査権も道徳の厳格な監督権も不正な法律(=クローディウスの法律)によって廃止されることもなく、貴族が護民官となったことは「神聖な法」に反したことであり、クローディウスが平民になったことは占いに反したことであると決議すべきなのです。
もしそうしないのなら、閥族派の人たちは悪辣な政策に対して自分たちが厳密なルールを要求しないのと同じように、私が良い政策に対して厳密なルールを要求しないことも認めるべきです。というのは、彼らはカエサル氏に対して同じ法案を別のやり方で提出するように何度も提案したときも、占いを要求するだけで彼の法律を容認しようとしたからであり、クローディウスの法律がどれも国家を転覆させて破壊するものだったときも、占いはカエサル氏の場合と同じ扱いを受けたからです。46
第二十章
最後に私が言いたいことは次のことであります。仮に私がカエサル氏に敵意をもっていたとしても、今はこの国のことを考えて後回しにすべきでしょう。それどころか、この国の指導者たちの例にならって国家のために敵意を捨てることも出来るでしょう。しかしながら、元老院議員の皆さん、私とカエサル氏の間にはそもそも敵対関係はなかったのです。さらに、友情が痛手を受けたという噂は彼の親切な申し出によって払拭されています。
ですから、私が投票する際には、もしカエサル氏の名誉が問題になっているのなら、私は名誉を与えましょう。もし報償が問題になっているなら、元老院の調和に配慮しましょう。もし元老院決議の権威が問題なら、この指揮官に戦勝記念祭を与える元老院の慣例に従いましょう。もしガリア戦争についての不変の方針が問題になっているなら、この国の利益に配慮しましょう。もし私の個人的な信義が問題になっているなら、私が恩知らずな人間でないことを証明しましょう。
元老院議員の皆さん、皆さんに以上のことに同意していただきたいのです。しかしながら、元老院の権威に反して私の政敵(=クローディウス)をかばった人たちに同意して頂けなくても私は構いません。彼らは私の敵であり彼らの敵でもあるはずのクローディウスと躊躇なく和解しておきながら、私が彼らの敵のカエサル氏と和解したことをこれからも非難するでしょうから。47(終わり)
Translated into Japanese by (c)Tomokazu Hanafusa 2014.5.28