坪内逍遥作『当世書生気質』第一囘

一読三嘆 当世書生気質

はしがき

英(イギリス)の句(く)レイク翁、亜(あ)リボン翁などは批評家(あらさがし)の尤物株(おやだまかぶ)なり。古今の小説家の著作を評して勝手放題なる小言(ごと)をいひ、また非評(わるくち)もいはれたりき。然(さ)はあれ、件(くだん)の翁達にお説の様なる完全なる稗史(そうし)を著(かき)てよと乞ひたらんには、予(おれ)には不可(できぬ)と逡巡(しりごみ)して、稗史は著(かか)で頭(かしら)を掻(かく)べし。是(これ)他なし、小説の才と小説の眼(まなこ)と相異なるが為(ため)なるのみ。眼あるもの必ず才あるにあらず、才あるもの必ずしも眼あらざるなり。予(おのれ)輓近(ちかごろ)『小説神髄』と云へる書(ふみ)を著(あらわ)して大風呂敷をひろげぬ。今本編(このほん)を綴(つづ)るにあたりて、理論の半分をも実際にはほとほと行ひ得ざるからに江湖(せけん)に対して我ながらお恥しき次第になん。但し全篇の趣向の如きは、専々(おさおさ=もっぱら)傍観の心得にて写真(=写実)を旨としてものせしから、勧懲(=勧善懲悪)主眼の方々には或はお気に入らざるべし。予(おのれ)は敢て此書の中より模範となるべき人物をば求めたまへと乞ふにあらず。他の行(ふり)見て我風(ふり)なほし前の人車(じんりき)の覆(くつがえ)るを見て降坂(くだりざか)なら降車(おり)たまへと暗に読者に乞ふのみなり。作者は勧懲を主とせざれども此を訓誨(くんかい)の料(りょう)にすると此を奨誡(しょうかい)の資(たね)にするとは読者輩(よむひとびと)の心にあり。飴は味はひいと美(めでた)き一種(ひとつ)の食物(たべもの)に外(ほか)ならねど、用(もち)ひやうにて孝行息子が親を養ふ良薬(くすり)にもなり、盗賊(おおどろぼう)が窃盗(やじりきり)のすてきな材料にもなりし、と聞く。作者は皿大の眼(まなこ)を開きて学生社界の是非(あら)を批評(さが)し、此書の中(うち)に納めたれば、読者輩は地球大の智恵の袋のロを開きて是非曲直(よきとあしき)を分別して晒劣(いやしき)を去り高尚(とうと)きを取る実際の用に供(そな)へたまはば、美術の名ありて微術といふべき予(おのれ)が未熟なる稗史の中にも、人の気格を高うしてふ自然の効用のなからずやは。あなかしこ。心して読ませたまへ。

  十八年の五月といふ月、漸々(ようよう)に散りてゆく庭前の   八重桜に落残る月の下に

           春のやおぼろしるす


第一囘 鉄石(てっせき)の勉強心も、変るならひの飛鳥山に、物いふ花を見る、書生の運動会


 さまざまに移れば換る浮世かな。幕府さかえし時勢(ころおい)には、武士のみ時に大江戸の、都もいつか東京と、名もあらたまの年ごとに、開(ひら)けゆく世の余沢(かげ)なれや。

貴賎上下の差別(けじめ)もなく、才あるものは用ひられ、名を舉げ身さへたちまちに、黒塗馬車にのり売りの、息子も鬚を貯ふれば、何の小路といかめしき名前ながらに大通路(おおどおり)を、走る公家衆(くげしゅ)の車夫(くるまや)あり。栄枯盛衰いろいろに、定めなき世も智恵あれば、どうか活計(くらし)はたつか弓(ゆみ)、春めくあれば霜枯(しもがれ)の、不景気に泣く商人(あきびと)あり。十人(とにん)集(よ)れば十色(といろ)なる、心づくしや陸奥人(みちのくびと)も欲あればこそ都路へ、栄利もとめて集(つど)い来る。

富も才知も輻湊(ふくそう=混雑)の大都会とて四方より入(い)りこむ人もさまざまなる。中にも別けて数(かず)多きは、人力車夫と学生なり。おのおの其数六万とは、七年以前の推測計算方(おしあてかんじょう)。今はそれにも越えたるべし。到る所に車夫(くるまや)あり、赴く所に学生あり。彼処(かしこ)に下宿所(どこ)の招牌(かんばん)あれば、此方(こなた)に人力屋の行灯(あんどん)あり。横町に英学の私塾あれば、十字街(よつつじ)に客俟(ま)ちの人車(じんりき)あり。失敬の挨拶(=学生)はゴツサイ(=ごめんください)の掛け声(=車夫)に和(か=合)し、日和下駄(=学生)の痕(あと)は人車(じんりき)の轍(わだち)にまじはる。

実(げ)にすさまじき書生の流行。またおそろしき車の繁盛。これ併しながら腕づくにて金も名誉も意の如くに、得らるるからの奮発出精、まことに芽出たきことなれども、若し此数万の書生輩(はい)が、皆大学者となりたらむには、広くもあらぬ日本国(おおみくに)は、学者で鼻をつくなるべく、又人力夫(じんりきや)がどれもどれも、しこたま顧客(おきゃく)を得たらんには、我緊要(わがたいせつ)なる生産資本も、無為(むだ)に半額(なかば)は費(つい)へつべし。

されども乗る客尠(すく)なくして、手を空うする不得銭(あぶれ)多く、また郷関をたちでる折、学もし成らずば死すともなど、いふた其口で藤八五門(=遊びの藤八拳)、うつて変つた身持放埒、卒業するもの稀なるから、此容体(ようだい)にて続かむには、尚百年や二百年は、途中で学者にあひたしこ、額合(はちあわ)せする心配なく、先(ま)づ安心とはいふものから、其当人の身に取りては、遺憾千万残念至極、国家(みくに)の為にはあつたらしき、御損耗(ごそんもう)とぞ思はれける。

斯く書生輩が志(こころざし)を得(え)遂げざるには故あれども。其源因の関係塩梅(あんばい)、頗(すこぶ)る隠妙不可思儀にて、皆一様とはいふ可からず。むかし気質(きしつ)のちよん髷連中、若(も)しくは地方(いなか)の親達などが、曽(かつ)ておもひ寄らない幕(まく)、其隠密なる魂胆(=事情)をば、写しいだせる物語も、それとはいはず語らずして、読む人々に悟らしむる。覆車の誠(いましめ)、因果の関係、善きも悪(あし)きもあからさまに、作者が自儘(じまま)の考察(かんがえ)もて、いはぬが花か読む人が、自得(さと)るも花歟。

「花をいでて松にしみこむ霞かな」。其春霞たちそめて、景色ととのふ飛鳥山(あすかやま)。山も麓(ふもと)も一面に、花と人とに埋(うずも)るる、四月なかばの賑(にぎわ)ひは、上下貴賎おしなべて、共に楽む昇平世(おおみよ)の、めでたきしるし著(いちじる)き。

 毎度ありがたうお静かに(=気をつけて)居らつしやいましの愛敬を背(そびら)にうけて、扇屋の店をたちいづるは男女七人の上等客。

微酔(ほろよい)機嫌の千鳥足にて、先に立ちたる一個(ひとり)の客は、この一団(ひとくみ)の檀那と見え、素人(しろうと)眼(まなこ)の鑑定では、さる銀行の取締り歟(か)、さらずば米屋町辺(こめやまちへん=米穀取引)かと、思はるる打扮(いでたち)。米沢の羽織に、じみな琉球紬(つむぎ)の薄綿入れ、「カワウソ」の帽子を眉深(まぶか)にいただきたるは、時節柄些(すこ)し暖(あつ)さうなり。年比(ごろ)は四十三四、金時計の鍵を胸の辺(あたり)に散々(ちらちら)と計(ばか)り見せたるは、昔床(ゆか)しき通人(とおりもの)なるべし。

今一個(ひとり)は、年の比三十五六。これも銀行の役員ならずば、山の字のつく商人(あきうど=金貸し)なるべし。粧服(みなり)も相応に立派なれど、前の檀那には二三目おいた口振なり。

残る一個は年の比二十六七の好男子(だんし)、官員とも見えず、商人(あきうど)ともつかぬ言語(ものごし)恰好(かっこつ)。まづ素人の鑑定では、代言人歟とおもはれたり。ときならぬ白ちりの襟巻に、獺虎(らっこ)の帽子、黒七子(くろななこ)の紋附羽織は少々柔弱(にやけ)すぎた粧服(こしろえ)なり。殊に南部の薄綿とは、ちと受けかぬる、とわるくはいへど、中肉にして身幹(みのたけ)高く、色しろく鼻筋とほり、俳優でいはば松島屋(=仁左衛門)の皃(かお)へ、ちい高(=五世小団次)の眼を嵌込んだといふ皃容(かおつき)なり。まづまづ午前の好男子(=好男子の手前)なれども、兎角(とかく)気取りたがる癖あるのみか。弁舌があまり爽快(さわやか)ならねば、ただ何となく甘つたるく聞えて、運がわるいと、ときどきには、いけ可嫌(すかない)よの御託宣に、縁がありさうなる人物なり。

婦人二個(ふたり)は数寄屋町歟、新橋あたりの芸妓と見え。一個は年比二十五六、一個はやうやう十七八。いづれも頗(すこぶ)る別製(=べっぴん)なれども、若きは殊更曲者(=並ではない)にて、尚(まだ)赤襟の色さめぬ新妓なりとは見えながらも、客をそらさぬ如才なさ。花の巷の尤物(まれもの)とは、其挙動(とりなし)にも知られたり。其容姿(かおかたち)はいかにといふに、痩肉(やせがた)にして背も低からず、色はくつきりと白うして、鼻筋通り、眼はちとばかり過鋭(りきみ)あれど、笑ふところに愛矯あり。紅(べに)はげたれども紅(くれない)なる、唇といひ眉形(まゆね)といひ、故人となりたる田の大夫(=女形沢村田之助)の舞台皃(かお)に髣髴たり。さればどこやら愁(うれ)ひ皃に、見らるる廉(かど)もなきにはあらねど、笑ふ面(おもて)に愛嬌あるから、結句双方相照して、趣(おもむき)をなす変化の妙あり。

これらは所謂ユニティ〔統一(まとめ)〕と、ウベライヤテイ〔変化〕とを併せ得たる、有旨趣的(=有趣旨)の美皃(びぼう)ぞとは、とんだ書生風の妄評(ぼうひょう)にて、世間に通じぬ陳腐漢(ねごと)にこそ。

芸妓の後辺(あとべ)に引続きし二子装(ふたこぐるみ=木綿)の両個(ふたり)の男は、問はでもしるき箱夫(はこや=付き添い)にして、余計な花見のお荷物ぞと、腹でお客が呟(つぶや)くとは、作者が岡眼(おかめ)の評判なりかし。    さる程に件の一団(ひとくみ)は、やをら扇屋をたちいでつつ、飛鳥橋をば打渡りつ。岳の麓へ来りし時、例の檀那はたちどまりて、若き男を見かへりつつ、

吉住さん御覧なさい。なんと絶景じやあないかね。今から直(すぐ)に還幸(=お帰り)とは、ちと残りをしい次第だから、どうせ車夫の待たせついでだ。あの葭簀張(よしずばり)のあたりへいつて、更に一喫煙(いっぷく=休む)としやうじやあないか。

(吉)実に夕陽(せきよう)に映ずる景色は、また格別と言はざるを得ずです。園田いかがです、お伴しやうじやあありませんか。

(園)「賛成々々大賛成、花見連もよほど散(しん)じた様子だ。一番ずとと若返つて、鬼ごつこでもはじめやうか、どうだ。小年も田の次も仲間へ這入んな。運動になつていいぜ。

(年)をほほほほ、いかなこつても此人中で、妾(わたし)のやうなお婆あさんが。

(園)へん、いやに老こんだな。田の次はどうだ。

(田)姉さんがやらなけりやあ、妾だつて否ですわ。男三人に女一人ではどうせ叶やあしません物。

(吉)をいをい田のちゃん、行(や)るべしやるべし、僕が尻押をしてやるから。且(かつ)は〔妙なところに六かしい言葉をつかふくせあり〕いま鬼ごつこをしておくとお座席で転ばない稽古になるよ。

(田)あら又、あんなロの悪いことをお言ひなさるよ。妾は厭(いや)よ。吉住さんの尻押は、当にならないから。

(園)さうともさうとも剣呑だぜ。尻の押しかたが違つて居るから。

(年)をほほほほ、真成(ほんとう)にさうですよ。吉住さんは平生(しょっちゅう)うまいロさきでもつて、所々方々の芸者やおいらんを。

(吉)をつと大変。大層風向きがわるくなつたぞ。をい、梅公〔箱夫の名なり〕助け船〔引〕(=〜)。

(梅)へへへへへへ、今日(こんにち)は大層うけだち(=受け身)で御座いますね。

(吉)それやあ其筈よ。三国同盟で攻寄せるんだから僕一人では敵し難しさ。

(年)あんまり敵しがたい方(ほう)でもありますまいよ。甲楼乙楼(あっちこっち)と喰べちらかしをなさる癖に。

(吉)をや、喰べちらかしをするとは。

(年)いひますよ角海老の。

(吉)まいつたまいつたいふべからずいふべからず。

(園)あははははは、吉住さん頻りに敗北の様子だね

(梅)兎角お胸に弱身(ひけるところ)が有りましては、お達者なおロでも叶ひませんものと見えます。へへへへへへ。

(吉)なんだ此野郎。汝(てめい)まで僕をいぢめるな。覚えて居ろ。

と箱夫(はこや)を撃たうとする。箱夫は笑ひながら迯(にげ)出す。

(田)さあさあ兎も角もあちらへ参りませう。あら御覧なさいよ。三芳さんがたつた一個(ひとり)、いつの間にか、茶屋に腰をかけて居らつしやるよ。

(年)ほんとうにねい。

といひながら、箱夫の方(かた)に向ひ。

(年)金どん〔箱夫の名なり〕おまへはね、梅どんと一所にあちらへいつてね。もう直きにお帰りになるから用意(したく)をしてと、車夫にさういつてお呉れな。

(金)へいへい畏(かしこま)りました。

と麓(ふもと)の方へゆく。

(田)さあさあ、まゐりませう。

と二人の芸者は園田と吉住(よしずみ)を急がしつつ、言争(からか)ひながら登りゆく。

 咲乱れたる桜の木蔭に、建て連らねたる葭簀(よしず)張も、ゆふぐれつぐる群鳥(むらどり)と、共に散りゆく花見客。休らふ人も漸々(ようよう)に、稀なる程の詠(ながめ)こそ、また一層ぞと打ちつぶやく。しづ心ある風流男(みやびお)あれば、あたりかまはぬ高吟放歌、相撲綱引鬼ごつこ、飲みつ食ひつ此時まで、興に乗じて暮初(くれそ)むる、春日わすれし一団(ひとくみ)あり。人数(ひとかず)およそ十人あまり。皆十二分に酔ひどれたる、皃(かお)に斜陽(ゆうひ)の映りそふれば、さるに似たれど去りかねて、臥転(ふしまろ)ぶ人、扶(たす)くる人、共によろめく千鳥足。あしたの課業の邪魔になる、起たまへとの一言にて、いよいよ書生の花見ぞとは、いと明かにぞ知られける。

 此一仲間(ひとなかま)は、さる私塾の大運動会の居残りと見えて、彼方には空虚(から)になつた菰被樽(こもかぶり)の記念碑あり、此方には竹皮包(たけかわづつみ)の骸(しがい)が、杉箸と共に散乱(さんらん)たり。酒を余りに嗜まぬ者や、深く沈酔(よいどれ)ざる書生輩は、おほかた帰りさりし跡と見えたり。

其中に一個の書生あり。しひて酒をば飲まされたる、其苦しさにや堪へざりけん。遥か離れし古木の根へ、臥仆(ふしたお)れしまま前後も知らず、此時までも熟眠(うまい)せしが、春とはいへどさすがにも、黄昏ぎはの風寒み、どやどや帰る足音の、耳に入(い)りてや起き上がる。其容体(なりかたち)はいかにといふに、年の比二十一二、痩肉(やせがた)にして中背、色は白けれど麗(つや)やかならねば、まづ青白いといふ皃色(かおいろ)なるべし。鼻高く眼清(すず)しく、口元もまた尋常にて、頗る上品なる容皃(かおだち)なれども、頬の少しく凹(こけ)たる塩梅、髪に癖ある様子なんどは、神経質の人物らしく、俗に所謂苦労性ぞと傍(はた)で見るさへ笑止らしく。其粧服(いでたち)はいかにといふに、此日は日曜日の事にてもあり、且は桜見の事なるから、貯への晴衣装を、着用したりと見ゆるものから、衣服は屑糸銘線の薄綿入れ、たしかに親父からの被譲(ゆずられ)もの。近日(ちかごろ)洗張(あらいはり)をしたりと見えて、襟肩もまだ無汚(きれい)なり。鼠色になつた綿縮緬の屁子帯(へこおび)を、裾から糸が下りさうな、嘉平(=銘仙)の古袴(ふるばかま)で蔵(かく)した心配。これも苦労性のしるしと思はる。羽織は糸織(=絹)のむかしもの、母親の上被(うわぎ)を仕立直したものか。其証拠には裾の方ばかり、大層痛みたるけしきなり。其服装(みなり)をもて考ふるに、さまで良家の子息にもあらねど、さりとて地方(いなか)とも思はれねば、府下のちい官吏(=小役人)のサン〔子息(むすこ)〕ならん歟。とにかく女親のなき人とは、袴の裾から推測した、作者が傍観(おかめ)の独断なり。

 去程(さるほど)に件の書生は、驚き覚めつ。四下(あたり)を見れば、人も漸く散り行きて、おのが仲間の人々さへ、みな帰り去りし有様ゆゑ、驚きながらも身づくろひして、麓の方へと行かむとする。背後(うしろ)の方(かた)よりあはただしく、走り来れる一個(ひとり)の人あり。避くる間(ひま)なく衝き当りつ。

 あら御免なさいよ。真平御免なさいましよ。 といふは女の声なるゆゑ、驚きながらもふりかへる。書生の皃見て彼方も吃驚(びっくり)、

(女)をや、貴方は阿兄(にい)さんじやあありませんか。

(書)ゑ、お芳さんか。寔(まこと)に久しぶりだねゑ。

(女)ほんとうに久濶(しばらく)でございましたねゑ。何もお異(かわ)りはありません歟。父上(おとっさん)はお健康(たっしゃ)で居らつしやいますか。先々月一寸(ちょっと)お目に掛つた計りですから。今月は是非(ぜっぴ)参らうと思つて居ながら、父上の命令(おっしゃりつけ)もありますもんだから、ついつい 。

(書)わたしはまた一昨年(おととし)おまへに別れたつきり、いつもいつも掛違つて、おなじ東京に居りながら

(女)お目にかかることが出来ませんもんでしたから、尚更お目にかかりたくつて

(書)僕〔といひかけしが〕わたしだつて逢ひたくつて。然し大層に変はつたねゑ。不意(だしぬけ)に逢つたら見違へる位だよ、

といひながら。つくづくと見る。

(女)ほんとうに気恥かしくつてなりませんわ、

と談話(はなし)半ばでばたばたと、かけて来るは以前(=さっき)の吉住。後れて、はせくる芸者の小年が、それとさとつて追ひすがりつ、

(年)吉住さん、ちよいと吉住さん〔引〕、何ですねゑ、お待ちなさいよ。貴方があんまり烈(はげ)しく、おつかけなはるもんだから。御覧なさいよ。田の次さんが、余所のお方に衝き当つてお詫(わび)をして居るじやあありませんか。そんなに田のちやんに挑(からか)ふと、角海老がこれですよ。

と指で角(つの)をこせへて見せる。

(吉)なんだ、衝き当つたから理屈をいつたと。かまふものか。書生奴(め)が何をいやあがる。僕がいつて掛合つてやらう。

と行きかかるを袖引きとめ、

(年)あれさ、先で理屈はいやあしないが、詫(あやま)るのは当然(あたりまえ)でさあね。

と争つて居る声が聞えるゆゑ、

(田)兄さん、いろいろうけたまはりたい事も、お話し申したい事もありますけれど。今日はお客と一所ですから、お名残り惜いけれども。

(書)さあさあ、かまはないで彼方(あちら)へお出よ。いづれまた其内に。

といひながら、残(のこり)をしさうな皃附(かおつき)。田の次も去りかねて、

(田)兄さん、いろいろ久振(ひさしぶり)でお話がしたうございますから、あのう。

といひかけしが小声にて、

(田)どうぞ妾を一度呼んで下さいな。

(書)ゑ、呼ぶとは。

(田)あれさ、茶屋へ呼んで下さいな。一年に一度や二度、兄さんにお目に懸つたからてつて、お父上(とっさん)がお叱りもなさるまいから。内々(ないない)で呼んで下さいよ。貴方も御修行中ですから、何でせうから。あの何は、妾が如何(どう)ともしますから。

といふ折、園田の声として、田の次、田の次と呼び立られ、

(田)はいはい、只今まゐりますよ。ゑ、ゑ、兄さん、吃度ですよ。

(書)ああ。

といつたきり。恍爾(うっかり)として居る。

(田)さやうなれば。

といひすてて、田の次は彼方へ走りゆく。其後影(うしろかげ)つれづれと、打目護(うちまもり)居る此方の書生を、田の次が常顧(なじみ)のいろ客か、と邪推なしたる以前の吉住。幾度となくふりかへりて、睨(にら)む眼元におのづから、嫉妬の気色のあらはるるを。さては然(そう)かとさすがにも、見てとる書生もたちまちに、面色(かおいろ)かへてぞうち見やる。彼方と此方の睨競(にらめくら)、蟇(ひき)と蛇とが挑みあふ、其元初(はじまり)にも似たりけり。

斯くとはしらぬ三芳と園田

(三)をいをい、吉住さん、さあ帰る可し。

(園)先生、もう鬼ごつこも終局(らく)にしやせう。何をして居るんだ。さあ行くべし行くべし。

とせりたてられて余義もなく、心残して麓へと、下る吉住、引添(ひつそ)ふ芸者。見送る書生、見かへる田の次、目にかよはする相互(たがい)の真情(まごころ)、いと切なりとは見えながら、恋とは見えず。恋ならぬ、中とも見えぬ両人をば、かかる筋には取り別けて、ぬけ目ないない小年さへ、小首かたげて不審皃。

(年)どうも希代(きたい=不思議)だよ。

(田)ゑ、大姐(ねえさん)、何ですとへ

(年)ゑ、あの何さ、先刻(さっき)園田さんに戴いた物を何処(どこ)かへ無くしてしまつたからさ。

此方(こなた)に尚もたつたるまま、恍然(ぼんやり)思案の書生の背中、ぽんと打たれて、覚えず吃驚。

(書)をや、誰かと思つたら須河(すがわ)か。尚(まだ)君は残つて居たのか。

(須)をい、小町田(こまちだ)、怪しいぞ。あの芸妓を君は知つちよるのか。

と言はれて覚えず真赤にせし、顔を笑ひにまぎらしつつ

(小)なあに、僕が知つてるもんか。

(須)それでも、ゑらい久しい間(あい)だ、君と談話(はなし)をしちよつたではないか。

(小)ゑ、あれはなにさ、お客と鬼ごつこかなにかをして居て、誤つて僕に衝き当たつたので。それで僕にわびて居たのさ。

(須)さうかあ、それにしては大層ていねいだなあ。

(小)何にが。

(須)彼(=彼女)がしばしば君の方を振りかへつて見ちよつたからさ。余つ程君をラブ〔愛〕して居(い)るぞう。

(小)あははははは、馬鹿あ言ひたまへ。それはそうと。諸君はもう、不残(みんな)帰つてしまつたのか。

(須)うん、今漸く帰してやった。ドランカアド〔泥酔漢(どろんけん)〕が七八人出来おつたから、倉頼と二人で辛うじて介抱して、不残(みんな)車にのせてやつた。もうもう幹事は願下げだ。ああ、辛度(きつか)辛度(きつか)。

(小)僕はまた彼処(あそこ)の松の木の下へ酔倒れて居たもんだから、前後の事はまるで知らずさ。それやあ失敬だつたねゑ。ちつとへルプ〔手助〕すればよかつた。

(須)や、日輪(ひ)がもう沈むと見えるわい去(い)なう、去(い)なう。

(小)倉瀬は如何(どう)したか。

(須)麓の茶屋に俟(ま)ちよるじやらう。宮賀がアンコンシャス〔無感覚〕になりおつたから、それを介抱しちよる筈じや。ああ、僕も酔ふた。ああ〔引〕。酔ふてはあ、枕すう、美人のう。膝あ〔引〕。醒てはあ。握るう。天下のう権〔引〕。

作者曰く須河の言語は如何なる地方の言語なるかと不審をいだく人もあるべし、こは何処(いずこ)の方言と定まりたるものにあらず、書生社会に行ると駁雑(ばくざつ)なる転訛言語(なまりことば)と思ふべし。盖(けだ)し書生中には上方の生れにありながら、態々(わざわざ)土佐方言(ことば)を真似る者ありて、一概に何処(いずこ)の方言(ことば)とも定めがたければなり。