先週の本欄で、「連帯責任」とは「百害あって一利ない、愚鈍な人間を作るシス テムである(結果的に責任の所在を曖昧にし、権力に弱く、理不尽な命令でも従順 に従い、すぐに思考停止をする体育会系の人間を作る)」―と、書いた。
すると、ある高校の野球部監督と称する人物から、反論の葉書が届いた。
<たしかに日体大のスケート部が(集団レイプ事件での連帯責任として)女子選手 に長野五輪の出場を辞退させようとしたのは行き過ぎだと思います。が、連帯責任 を全否定されるのも行き過ぎです。連帯責任には、教育的な面があります。自分の 行いが自分だけでなく友人たちにも迷惑をかける、ということを知れば、集団生 活、社会生活を営むうえで、他人を思いやる感情を育てることができるはずで す・・・>
丁寧な文章ではあるが、私はそのような考え(連帯責任賛成論)には、断固反対 したい。
<自分だけでなく友人たちにも迷惑をかける>ような<行い>とは(レイプ事件であ れ、高校生の喫煙であれ)そもそも、やってはいけない<行い>である。そんな「悪 事」に<友人に迷惑をかける>(運動部の活動ができなくなる)といった意識を付加 すれば、<行い>そのものの「悪さ」が曖昧になり、反省心が薄れ、<他人を思いやる 感情>とは異なる感情―「他人に迷惑をかけなければいい」という感情が―助長され るに違いない。
それに、葉書の最後に書いてあった言葉の決定的な誤りも指摘しておきたい。
<「健全な精神は健全な肉体に宿る」というすばらしい言葉が、一部の人間の不祥 事によって否定されるのは残念です・・・・・>
じつは、そんな言葉は存在しないのだ。
古代ローマの詩人ユウェナーリスは、若者が体を鍛えるだけで勉強しないことを 嘆き、「健全な肉体には健全な精神も!」(肉体だけ鍛えてもダメ!)といった。
その言葉が明治時代に日本に伝えられた時、なぜか(たぶん富国強兵のムードか ら)「健全精神は健全な肉体に宿る」と正反対の意味に誤訳されたのだ。
大学運動部員による集団レイプ事件や、クレー射撃協会の集団セクハラ事件は、 まさにユウェナーリスの残した言葉の正しさを証明したのである。この国のスポー ツマンは、いまこそ誤訳を正し、その言葉の真の意味を認識すべきだろう。(作家) (産経新聞1998年2月2日夕刊大阪版4版5頁玉木正之「戯論」より)