キケロ『義務について』

(泉井久之助訳)





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正適→適正など一部変更した。


キケロ『義務について』(前44年11月)(泉井久之助訳)



第一巻 道徳的高貴さについて

1 わが子マルクスよ、お前はすでにまる一年のあいだ、クラティッポスについて教えをきき、しかもそれがアテナイにおいてなのだから、師とその都とのこよなき権威のもとに―――というのは前者は学識をもって、後者は実例をもって、お前をゆたかにすることができるのだから――、哲学の実践的な教えと原論とで飽きるほど心を満しているにちがいないが、しかし、ちょうどわたしが自分の向上のために、常にギリシャ的なものをラテン的なものに結び合わせ、この結合を哲学においてのみならず、弁論活動のさいにもわすれなかったように、お前も同じことを実行して、どちらのことばにもひとしい能力が持てるようになるべきだと思う。

わたしはこういうつもりで努めたおかげで、もしわたしの思いちがいでなければ、わがくにの人たちを大いに助けて、ギリシャの文物に暗かった人たちだけでなく、よく知っている人たちもまたこのおかげで、弁論と判断の力を、相当に身につけたと思わせるようにしたつもりだ。

2 それだから、お前は現代哲学者の第一人から、そして、お前が望むだけながく、学ぶに学ぶがよい。しかもお前は、自分の進歩の程度に関して将来に悔いをのこさないところまで、ながく学ぶという意志をすててはならない。けれども一方、わたしの書いたもの―――わたしの哲学的著作はお前の師が属する逍遙学派の所説とあまりちがっていない、というのはわたしも彼らも自分がソクラテス派でありプラトン派であることをみとめているのだから―――を読んでも、そこに書かれた事がらまたは結論自体については自分の判断を用いるがよい。わたしは何も干渉はしない。けれどもわたしのを読むことによって、お前のラテンのことばをたしかに一層充実させることができると思う。しかしこういうのを、わたしの傲慢だとは思ってくれないように。というのは哲学能力の点でわたしは多くの人に後れを取るものの、弁論家の本領として適切・判明・優雅に話すことにかけては、その研鑽に生涯を費して来たのだから、自負めいたことをいったとしても、ある程度まで正当と考えてもらえると思う。

3 だからこそ、わがキケローよ、お前は、わたしの弁論のみでなく、こうした哲学に関する書物――それはもう量においてほとんど前者に匹敵するに至ったが―――をも、熱心に読むことを切にすすめたい。前者には、ことばづかいにむしろ激しい力をこめてあるが、後者における静かで適度のことばづかいの種類(スタイル)にもまた、意を注ぐだけの価値がある。ところが両方のスタイルを練り上げ、法廷論争における前者と、平静に論述する後者を、ともに身につけたひとは、おそらくパレーロンのデーメートリオスをそのうちにかぞえることができる以外、今までギリシャ人にはひとりもなかったと思う。彼は繊細な論述家であり、やや活気を欠くものの優雅な弁論家であって、いかにもテオプラストスの弟子だと誰も思わずにはいられまい。わたし自身がこの双方においてどこまで進むことができたかは、ひとの判断にまかすとしても、とにかくわたしは双方を、ともに追求して来た。

4 もちろんわたしとしては、もしプラトンが弁論の法廷的な仕方を実行する気があったとすれば、その弁はさだめて力づよくゆたかであったろうと思うし、またデモステネスも、プラトンから学んだものをしっかりつかんで、それを公けに論述する心があったとすれば、

きっと優雅にかつ輝かしく果たすことができたであろうと思う。アリストテレスやイーソクラテースについてもわた3しは同じように思うのだが、このふたりは、めいめい自分の事業によろこびを覚えるあまり、たがいに他の仕事を軽蔑した。

二 さてわたしはお前にあてて何かを今、そして引きつづいて次第に多くをこのあとで、書こうと決心したのだが、書き出すにあたって、お前の年頃にも、またわたしの体面にももっとも適したことがらから始めたいと思う。哲学において、多くの重要かつ有用なことがらがいろいろと哲学者たちによって、精密にまた広汎に考究されて来たけれども、義務について彼らが伝えた教えが、もっともひろい適用範囲をもつように思われるからだ。事実、生のどの部分をとっても、それが公的であれ私的であれ、また法廷的であれ家内的であれ、あるいは、お前がひとりで何かをやるにせよ、他人と協同するにせよ、いつでも義務というものから逃れることはできないし、それを守ることにおいて生のあらゆる高貴さがあり、無視することによってあらゆる醜があらわれるからだ。

5 のみならず、義務こそはすべての哲学者に共通の問題である。というのは、義務について何の教えも伝えずに、一体、誰があえて自分を哲学者と称することができよう。しかし最高善と最高悪との学説を提出することによって、義務というものを全面的にくつがえすような主張の学派もないことはない。というのは最高の善が徳とは何のかかわりもないものと考え、最高善を道徳的な高貴さによってでなく、ひたすら自分の利益を基準として量るひとは、自分に執着して片時も生まれつきの善良さに支配されないでいるかぎり、友情も正義も寛大をも尊重することはできないであろうし、苦痛を最高悪と考えつつどうしてそのひとは勇者と、また快楽を最高善と考えつつどうしてそのひとは節度ある人と、いわれることができるであろう。

6 わたしはこれに関して別の場所で論じておいたが、ことがら自体は自明で、改めて論ずるまでもない。従ってこれらの学派は、自己の主張に忠実であろうとするかぎり、義務についてひとことも述べる資格がないといえるであろう。かりにも義務について鞏固確実で人間の本性に結びついた教えを伝えうるのは、ただ、道徳的な高貴さをひたすら、あるいは特に、それ自体のために追求すべきであると主張する諸学派だけのはずである。従ってこの教えをまともに自分のものとして伝えることができるのは、ストア派、アカデメイア派、ペリパトス派に限られる。というのはアリストン、ピュロン、エリッロスの学説はすでに先刻、排撃されているのだから。しかし彼らにも義務について論議すべきみずからの権利は持たせておいてよかったかも知れない。もしかりに彼らが、事がらの選択の余地をのこしてくれ、その結果としてわれわれに義務とは何かを見出す道が与えられるとするならば。そこで私としては今のところ、この問題について、主としてストア派に従いつつ述べてゆきたい。しかしただの翻訳者としてでなく、いつものわたしの仕方のように、この学派の源泉から、わたし自身の判断と選択によって、わたしの目的にかなうかぎりの仕方と程度まで、引き出して行きたいと思う。

7 そこで、すべてこれからの論議は義務に関してなのだから、まず義務とは何ぞやを定義しておくがよい。この点をパナイティオスが素通りしたのを、かねがねわたしはおかしいと思っていた。なぜなら、何ごとかについて理によって試みられる説述は、いつでも定義から出発して、論議の対象は何であるかを知らせるようにすべきであるからだ。・・・・・・(ここにキケローの下した定義があったと思われる)。

三 道徳的義務に関する問題には、いつも二つの面がある。一つは最高善に関する場合、他は日常の生活をそのあらゆる部分にわたって規制しうるような教えに関する場合である。第一の場合の例として次のような問題がある、あらゆる諸義務は絶対的なものであろうか、また一つの義務と他の義務の間に重要さにおける差はあるものだろうか。――その他これに類した問題である。第二の、日常的なそれぞれ特定の義務については教えが伝えられ、その教えは自然、善の極致の問題に関連するにかかわらず、この関連が事実上それほど、はっきりおもてに現われていないのが常である。というのはそれらの教えは、日常普通の生活の規制に向けられているからだと思われる。こうして二つの、第一の絶対的と第二の日常実践的の義務の区別は、基本的に入りまじって明確につけにくいが、わたしはこうした教えについて、これから詳しく説明したいと思う。しかしまた、義務について他の分類の仕方もある。というのは、なにか中程度の義務といってよいものがあり、他方絶対的といわれるものもあるからだが、この絶対的な義務をわたしは純正なと呼ぶことにしたい。というのはギリシャ人はこれをカトルトーマκατόρθωμαといって、通常の義務のカテーコンκαθῆκονと区別して呼んでいるからであって、かれらはこれら二つを定義して純正なものを絶対的義務とし、中程度の義務とは、その実行のゆえんについて適当な理由がつけられるものだと定義している。

9 従って、パナイティオスがいうように、われわれの行動を決めるに必要な考慮は三重になっている。すなわち第一にひとびとは、考慮に入れた行為が道徳的に高貴なものか醜悪であるかを問題とする。この考慮に際してひとびとの心は全く反対の結論にわかれることもおおい。次に人びとはその考慮することがらが生活の便宜と愉悦や、手段と富や、また自分と身内をたすけるゆたかさや勢力に資するかどうかをいろいろに考量し検討することもある。こういう考慮はすべて功利の問題となる。第三にひとびとの問題となるのは、功利的(有利さ)と見えるものが、道徳的に高貴なものと背反する場合であって、こういうとき、功利性はひとを自分にひきつけ、高貴さは反対に自分の方に呼び戻すように思われ、結果としてひとの心は、思案にひき裂かれて、対立する考えに苦しむことになる。

10 分類において大事なものを見おとすのは大きい欠陥であるが、このパナイティオスの分類には二つの見のがしがある。というのは、普通われわれは、単にそれが道徳的に高貴か醜悪かを考えるばかりでなく、道徳的に高貴なものが二つ提出されたとき、いずれがより高貴であるかを問い、同じくまた二つの有利さがあるとき、何れがより有利であるかを問うからであって、さきにパナイティオスが三重に考えた分け方は、実は五つの部分に分けなくてはならないことがわかる。つまり、第一に道徳的に高貴なものについて、しかしそれは二部にわける、同様にまた第二に有利なものについて(これも二つ)、最後に、第一・第二をたがいに比較する場合について論じなくてはならないからである。

11 何よりもまず、あらゆる種類の生きものは、自然の賦与によって、みずからの生命と肉体とを保持し、害になると見るものを遠ざけ、生きるに必要と見るものを求め、たとえば食餌、たとえば住みか、その他これに類するものの用意をするようになっている。また同じく全生物に共通な性質は、新しいものを生むための結合の欲望であり、生まれたものに対する一定の配慮である。しかし人間と動物のあいだの最大の相違は、動物は感覚によって動かされる範囲において目前のものに自分を適応させるだけで、過去または未来をほとんど考えることがないに反して、人間は、理性の分有者としてそれによって事の首尾をたしかめ、原因とその経過、およびことの前段階をもよくわきまえ、類推を施して現前の事象に結びつけ、あるいは未来のものとの関係を考え、容易に全生涯の流れを見とおして一生をおくるに必要なものをあらかじめ用意するのである。

12 同じ自然はまた、理性の力によって、人と人とを宥和させてことばと生活における共同体をいとなませ、特に、生まれ出たものたちに対する一種いいようのない大きい愛情をその心に植えつけ、また人びとが集団をつくって進んでそれに加わるようにしむけ、その結果として、ひとり自分のためだけでなく、妻子、その他自分が愛し且つ保育しなければならないものたちの養護と生存のために、十分なものを整えるように努力させる。この心づかいが、ひとびとの勇気をふるい立たせ、事業の遂行へと心をより鞏固にするのである。とりわけ、真理への探究と追求は、人間に特有のものである。従ってやむをえない仕事や心配がないとき、ひとは当然何かをみたりきいたり、また習い添えることをのぞみ、浄福の生活をととのえるに必要なものとして神秘的または驚嘆すべき事がらの知識を求めるのである。これによっても、真実、単純、純粋なものは、人間の本性にもっとも強く訴えるものであることがわかる。この真実を見たいという欲念の上に加わるのが独立人でありたいとする一種本能的な欲求であって、自然の形成を十分にうけた精神の人ならば、自分を道徳的にさとす人、知識的に教える人、または公共の利益をはかって正義的に合法的に命令するひとより外は、誰にも服従することを欲しないのである。この態度から精神の度量が生まれ、俗世の事物に対する軽視の心組みがおこる。

14 まことに人間における自然と理性の力は小さなものではない。これによってただこの生きもののみが、秩序と適正、また言行における程度とは何であるかを、感じることができるのであるから。人間以外の生きもので、可視的な世界における美や優や、部分の調和を感じるものはない。人間における自然と理性は、これらの現象を類推的に目の世界から心の世界に移して、われわれの思慮や行為における美しさ、確固さ、および秩序を一層つよく保持すべきものとし、更に同時に、何か不都合なことを犯し女々しい態度に陥らないよう、またあらゆる思考や行為において放恣にはしらないように、気を配っているのである。こうしたものが人間にそなわっているがゆえに、われわれがここに探求する道徳的な高貴さが充実され完成されるのであって、この高貴さは、たとい世にもてはやされるものではないにしても名誉にあたいするものであり、たとい賞讃するひとがなくても、おのずから自然と賞讃に値いするものであることを、われわれは確信をもっていうことができる。

15 五 そこで、わが子マルクスよ、お前は道徳的な高貴さというもののすがたばかりか、むしろその顔といえるものを、見てみるがよい。「もしその顔を目をもって見ることができたなら」と、プラトンはいっている、「それによって英知に対する、えもいわれぬ愛情がかきおこされるにちがいない」と。しかしすべて道徳的に高貴であるものは、つぎの四つのいずれかに起因している。すなわちそれは、(一)真なるものへの完全な洞察と通暁に存立するか、(二)人間社会の維持とあらゆるひとのために、自分に課せられたものの寄与、約定されたことがらにおける誠実さに成立するか、(三)高邁にして不屈の精神の持つ偉大さと強力さに起因するか、あるいは(四)謹慎と自制を生むところの、あらゆる言行における秩序と中庸に存在するか、である。この四つはたがいに結びつき、からみあっているが、しかしなおその一つ一つから、それぞれ一定の種類の道徳的な義務が生まれて来る。たとえばみぎの分類の、われわれがそこに英知と明知の徳を据えた第一部には、真なるものの探求と発見とが、この部分の徳の本来的な任務として内在する。

16 なぜなら、いかなる事がらにおいても最も真実なものを看取し、その理由を特に正確迅速に見出して説明できる人なら、かならず彼は、一般に最も明知・英知の人として、正当に呼ばれるにちがいない。従って真理も、この徳がとりあつかい、この徳が作用するところの、いわば材料として、この徳に従属せしめられているのである。

17 残る三つの徳には、人生のいとなみを支えるべき、さまざまのものを用意し、保全するに必要な仕事が課せられる。それによって人間の社会と結合は維持せられ、人間精神の卓越と偉大さは、ひとり自他の生活手段と効用を増進せしめることにおいてのみならず、また更に、この手段・効用をさえ蔑視することにおいて、光輝をはなつことができる。しかしわれわれの行為における秩序と確固さと節度、およびこれらに類するものは、単に精神の活動のみならず、ある種の身体的な行為が加わらなくてはならない種類の事がらの上に成立する。こういう日常人生的なことがらにおいては、われわれはここに一定の節度と秩序とを施すことによって、道徳的な高貴さと済美をたもつことができる。

18 六 道徳的な高貴さの本質と力とを分類した四部のうち、真なるものの認識に成立する第一部こそは、ことに人間の本質に触れるものである。なぜなら、人はみな、おのずから認識と知識の欲望を持ち、この点にすぐれることを美として、反対に、錯誤に陥り、真をはなれ、無知であり洞察を欠くことを道徳的に醜とし悪とするからだ。この本来、人間に本質的であり道徳的にも高貴な努力においても、避けるべき二つの悪徳がある。ひとつは知らざるを知るとして不用意に受容してはならないことであって、この過誤を避けようとするならば(また誰も避けようとしなければならない)、事の考慮に時間と熱意を注がなくてはならない。第二の悪徳というのは、ある種のひとびとがするように、過大の努力、過大の労力を曖昧困難なことがらに傾注し、しかもそれが無用のことがらにすぎない場合である。

19 こういう過誤をさけ得るならば、われわれが道徳的に高貴で認識につとめるに値することがらに関して払う努力と注意は、十分に酬いられるであろう。たとえば天文においてガイウス・スルピキウス、幾何学においては個人的にわたしの知るセクストゥス・ポンペイウス、弁証法における多くの人びと、また、より多くのひとびとが市民法において、こういう人として聞こえている。すべてこれらの技術は真なるものの探究に関するものであるが、しかしその努力のために実践的な活動からそれるのは、義務に反することといわなくてはならない。その理由は、徳に対するあらゆる賞讃は、実践的な活動をはなれては、ありえないからだ。時には実践的な活動の中断があり、研究に帰る多くの機会が与えられることもある。このとき、常々瞬時も休まない精神のはたらきによって、われわれは意識的な努力なしに、知的な追求に没頭するのであるが、しかし、われわれのあらゆる思惟と精神の活動は、道徳的に高貴であるとともに、良き浄福の生活に関係するところの、ことがらを実現する考慮をめぐらすか、あるいは、知識と認識の追求に熱意をそそぐことに捧げられるべきであろう。義務の第一源泉に関する論議はこれで終ることにしたい。

20 七 残る三つの部分にわたって最もひろい関連をもつのは、人びとの社会をたがいの間に成立せしめ、生活の共同体ともいえるものを支える理法である。理法に二つの部分を考えることができる。一つは正義であって、これによって徳は最大の光輝を発揮することができ、これによって人びとは「よき人びと」と呼ばれることができる。第二は正義にむすびつく親切であって、これはまた慈愛あるいは寛大と呼んでもよい。しかし正義に課せられた第一の任務は、不法をもって傷けられないかぎり、誰にも害を加えないことであり、第二に、公有物を公共のために、私物をその私有者のために、使用させることである。

21 とはいっても、本来、私有の財物というものがあるべきはずはない。あれば、せいぜいかつて無人の土地に移り住んだひとの場合のように長い占有によってか、戦時の利得をえた人のように勝利によるか、または法律により、協定により、契約により、抽籤によるかである。アルピーヌムの土地がアルピーヌム人に、トゥスクルムの地がトゥスクルム人に属するとせられるのもこの理由によるのであって、同様に私人の所有物もそれぞれに分属している。従って、本来共有であったものが、こうしてそれぞれ個人の所有にせられたかぎりにおいては、各人は自分の手に落ちたものを保有してもいいが、しかしもし個人がそれ以上を欲するなら、人間社会の法を破ることになるであろう。

22 しかし、プラトンが見事に書いているように、われわれはただ自分のためだけに生まれたのでなく、祖国もまたわれわれの存在の一部を自分に要求し、友人たちもわれわれに対して同様であり、他方、ストア派の人びとが主張するように、地上に産するものは、すべて人びとの使用のために造られ、人は人のために生まれて、人はひとのため、たがいに助けあうのが天意であるとすれば、当然、われわれは天意にしたがって、公共の利益を中心として、たがいに義務を果しあい、たがいに与え、たがいに受け、たがいにその技術により、努力により、能力によって、人と人との社会的結合をさらに高めなければならないではないか。

23 さて正義の根抵は信である。いいかえれば、言と約における忠実さであり、いつわりの無さである。これについて、人によっては少し無理だと見えるかも知れないが、わたしは語の由来(語源)の研究に熱心なストアの人びとにあえて従って、言われたことがその人によって「実現される」(fiat)から、「信」(fides)といわれるのだと考えたい。しかし不正にも二つの種類がある。一つはそれを人にしかける側のであって、第二は、誰かが不法をこうむっているとき、自分にその力があるのに、あえてそれを防いでやらない人の場合である。というのは、憤激あるいは何かの錯乱に興奮して、ひとに不法な攻撃を加えるものは、直接腕力を仲間に対してふるうようなものだが、自分にその力があるのに不法を防ぎ、抵抗してやらないものは、両親、友人、祖国をあえて遺棄するにひとしい悪をおかすものといって、さしつかえがないからだ。

24 一方かの、故意に人を害するつもりで犯す不法は、恐怖から来ることがおおい。他人を害しようと考えるものは、そうしなければ、自分が損害をこうむるだろうと怖れるためであるが、しかし大抵の場合、ひとびとは、欲しいものを手に入れるために、不法を犯すにいたるものであって、この悪において、もっともひろく原因となるのは、強欲である。

25 八 一方、富が追求されるのは、生活の必要をみたすためのこともあれば、快楽を十分享受するためのこともある。しかし人よりも大きい野心を抱くものにとっては、金銭の欲望も、要するに権力の獲得と恩を売る手段を得るためであって、こういう場合、たとえば近いころマルクス・クラッススがいっていたように、国家の第一市民[首長]の位置につこうとするものにとって、いかなる金銭も、それからの収入によって軍隊を養うに足るほどでなければ、十分に大きいと、いうわけにはゆかないであろう。もちろん、豪壮なしつらえをし、生活の快適をはかり、優雅にゆたかにくらすことも、ひとを楽しますことができる。だからして金銭の欲望には果てしがないのだが、しかしわたしは、他人の害にならないかぎり、家産を積むことを非難すべきだとは思わない。ただその際の不法は常に避けなければならない。

26 大抵のひとは、しかし、号令の権力、栄誉、名声への欲に襲われると、思わず正義を忘れてしまう。いかにもエンニウスにあるごとく、

   こと王権をめぐりては、いかなる友の結びつき、
   いかなる信も聖ならず、

であって、この句のあてはまる範囲は思いのほかにひろい。というのは、同時にひとり以上が顕要な地に立つことができないような場合、競争はいつでもはげしく、「友の結びつきを聖なるままに」保つことは極度に困難になるからだ。その明らかな例をわれわれはガイウス・カエサルのつい近頃の暴挙に見ることができる。かれは思いあやまって、みずから自分に擬した元首の位置を得るために、神と人のあらゆる法をくつがえしたではなかったか。しかしこの種の事情について厄介なのは、心のもっとも大きいひと、資性のもっともめぐまれた人において、栄誉欲、号令欲、権力欲、栄光の欲が大抵の場合、見出されることであって、それだけにわれわれは、ここにあやまちをおかさないよう、とくに注意しなくてはならない。

27 しかし不正のあらゆる場合においても、何か精神の混乱によってそれが起されるか(精神の混乱は短時間でその時かぎりのことが多い)、故意にあらかじめ考えて行なわれるか、の間には、大きいちがいがある。もちろん突然の衝動によってひきおこされるものは軽く、考えて以前からの準備のもとに加えられるものは重い。不法による加害について述べるのは、これで十分としたい。

28 九 不法の防禦をおこたり義務を拋棄する原因は一つではない。敵意を買うことをおそれ、労力をいとい、費用をおしみ、あるいは無関心、怠惰、無気力、または自分の利益に心を奪われ仕事に追われて、まもってやらなければならないひとを見殺しにする羽目に陥ることもある。従ってプラトンが哲学者たちに関して、彼らは、真なるものの探究に専念し、他のおおくの人びとがはげしく求めてそのためには常に死を賭しても争うような事がらを、軽視し無視するがゆえに、正しいひとたちなのだといったのは、実はまだ言い足りないのではないかと思う。というのは、かれらは人に不法を加え害をしないという正義の一面を果すことにはなっても、これだけでは、その反面の不法をおかすことになる。つまり自分の研修にかまけて、守ってやるべきひとを遺棄することになるからだ。こういうわけでプラトンは、哲学者が国政に参加するのは強いられた場合だけだと考えたが、かれらはむしろ進んでそうするのがより公正であったと、わたしは思う。正当な行為も自発的に行われてこそ、まさに正義的であるからだ。

29 またおのれ一家のことに集中し、または他人に対する一種の反感から、自分は自分の仕事をすると揚言(公言)し、そのかわり誰にも不法ははたらかないという態度をとるひともある。しかしこういう人たちは、一方の不正をおかさないかわり、他の種類の不正を犯している。かれらは人生のむすびつきを拋擲して、それに何の情熱も何の寄与も何の手段も捧げることがないからだ。

上のように、不正の二種を設定してそのおのおのの原因を併せ考え、正義の基盤となることがらをあらかじめ考究した今、われわれは、その時々にあたってのわれわれの義務がどういうものであるべきかを、もしわれわれが過度に利己的でなければ、すでに容易に判定できるであろうと思う。

30 他人の利益を真剣に考えることはなかなかむずかしい。テレンティウスの喜劇中の人物、あのクレメースは「人間的なことがらで自分に無縁なものは何もない」としたが、しかし、人間は普通、利害が自分に関することがらは、他人に関することより強烈に実感し、深刻に感知するものであって、他人のことは、あたかも遠いかなたにでもあるかのように見るのが常だから、他人と自分についての判断も、従って一様ではない。だから行為の適不適がうたがわしいときは、何ごとをもなすなかれと説くひとたちの教えは、立派だといわなくてはならない。なぜなら、公正さはそれ自体の持つ輝やきをもって輝き、われわれに疑いの余地を残さないが、疑いがあることは、われわれの考えに不法の影があることを示すからだ。

十 しかし事情によっては、正しいひとや、われわれがよき人と呼ぶひとに最もふさわしかるべきことがらが、様子をかえて反対になる場合も多い。たとえば託せられたものを返し約束を守ること、その他真理と信に関する事がらを、すかして無視することがかえって正しくなることがある。というのは、わたしがこの本のはじめに述べた正義の原則に照らして弁えらるべきだからであって、その第一は何びとをも害しないこと、第二は公共の利益をまもるべきことであった。事情が時によってかわるとき、義務もまたかわって同一ではない。従ってある約束や談合の一致があってもそれを果すことが、約束の本人あるいは相手に不利益なこともないとはいえない。たとえばエウリピデスの劇におけるネプトゥーヌス(ポセイドン)がテセウスに約束したことを果さずにいたなら、テセウスはその子ヒッポリュトスを失なわずにすんだであろう。この劇の書くところによれば、ネプトゥーヌスがその実現を約束したテセウスの三つの願いの第三は、テセウスが怒りのままに希望したヒッポリュトスの死であった。それが満たされると、当然、彼はこの上ない悲しみに陥らざるをえなかった。従って約束というものも、それを守れば約束の相手に不利益なときは、守るべきではなく、更にまたそれが約束の相手より大きい不利益を自分にもたらすとき、大のために小をころすのは、義務に反したことではない。たとえば、マルクス、お前が誰かのために事件の弁護人として出頭しようと約束したが、その間にお前の子が重い病に苦しみはじめたような場合、お前のいったことを実行しなくても反義務的とはいえないであろうし、その約束の相手が見すてられたと苦情をいうなら、むしろ彼の方が義務をわきまえないことになるであろう。いわんや、脅迫の下に強いられ、詐欺にあざむかれて結んだ約束に、拘束力がないことを、誰も見のがすものはない。大法官令もその多くを無効とし、法律もまた若干の場合に同じ処置をとっている。

33 不法はまた狡猾さにより、またあまりに穿ちすぎて、しかも悪意のある法律解釈によって起されることも多い。あの「最高の法は最高の不法」ということばが、日常普通にいいふるされる格言になったのもこのためだが、事実、国家間においてもこの種類の犯行は少くなく、たとえば敵と三十日間の休戦を約しながら、夜間にわかに敵の田畑を劫掠して、訂約は日の数を限ったので夜間はふくまれないとしたかのひと(クレオメネース)の例もある。われわれの同国人の行為にもまた、よしとできないものがある。クィントゥス・ファビウス・ラベオーであったか、またはほかの誰であったか、わたしは話を聞いたにすぎないが、その一人が、ノーラ人とナポリ人の間の境界あらそいに、元老院から裁定官として事に当らしめられたとき、現地に至るや双方の当事者と個々に談合して、双方ともに強欲、とり込み的な行為に出ないよう、むしろともに相退くとも前に進むことは固く慎しむように申渡し、そのとおり実行した双方の中間に相当の畑地がのこされると、彼は、双方の申立てどおりにかれらの地界を定め、中間にのこされたものをローマ人のものとしてしまったのである。まさにこれは詐欺であって、裁決ではない。このようなすきのないやり方は、従って、いかなる場合にも、とるべきではない。

34 十一 反対に義務の種類によっては、自分に不法を加えた相手に対してさえ、守らなければならないこともある。報復と処罰にも守るべき程度があるからであって、むしろわたしは、その加害者が自分の不法を後悔して自分も将来これをつつしみ、その結果、他の人びともそれを控えるようになれば、それで十分ではないかと思う。

さらに国家の場合、もっとも守らなくてはならないのは交戦の権利である。元来、係争をおさめるのに二つの方法があって、一つは論判によって、他は実力による場合。第一の場合が人間に特有の方式であって第二は野獣の道であり、第一の方式にいよいよ頼れないときにいたって、はじめて第二の道によるようにしなくてはならない。従って戦争に訴えるのは、ただ不法をまぬがれ平和に生きるためであるべきで、もしそこに勝利をえた場合、戦時に残虐でなく非人間的でなかったものはそのままゆるす。たとえばわれわれの祖先がトゥスクルム、アェクィー人、ウォルスキー人、サビーヌム人(サビーニー)、ヘルニキー人にはローマの市民権に浴せしめさえしたが、カルタゴとヌマンティアはこれを根底から覆滅(ふくめつ)した例がある。ただコリントスだけは祖先も破壊してくれなければよかったと思うが、思うに祖先には他に何か目的があり、たとえば市の占める地の利がかれらをもっとも刺戟し、位置そのものが将来再び戦争誘発の原因とならないようにしたかったのであろう。しかし少くともわたしの考えでは、われわれは常に、一切欺瞞の下心を含まない平和の確立に心すべきであって、この点に関し、もしわたしの意見が容れられていたとすれば、たとい最良ではなくとも、無きにひとしい現状に反して、一種の見るべき共和国家(ローマ)をわれわれはいま、持っていたであろう。

ひとり征服された相手に考慮を払うにとどまらず、われわれはまた、武器をすて、われわれの将軍を信じて身をゆだねたものたちを、たといすでにかれらの城壁が攻城具によって打ち砕られてからであっても、うけいれてやらなくてはならない。この点に関して古人は、自分が武力をもって征服した国家や民族を信義をもって取り扱い、祖先からの風習に従って、みずからその保護者となったほど、かつてのローマでは正義があつく守られていた。

36 のみならず戦争における公正さは、もっとも神聖にローマ国民の祭官法に規定されている。これからわかることだが、いかなる戦争も、まず公式に要求の満足を求め、あらかじめ通告し、または正式に宣戦を布告してから行なわれるのでなければ、正しいものと見ることはできない。

〔ポピリウスは将軍としてある領州に号令していたが、その軍中にはじめて出征するカトーの子息がいた。ところが一軍団の解散を決定したとき、その軍団に従軍していたカトーの子息をもポピリウスは除隊した。しかし子息は軍務を好んで軍隊にのこったのを見て、父カトーはポピリウスに一書を送り、もし軍隊にのこるのを許すなら、改めて第二の軍旗の誓いをさせてからにしてほしい、先きの誓いを失ったままでは正式に敵にまみえることができないから、というのであった。これほど極度にきびしいのが、戦いを動かす法規の遵守であった。〕いまも老マルクス・カトーが子息のマルクスにあてた手紙が残っていて、そこに老カトーは書いている。

お前がペルセウスとの戦争で軍人としてマケドニアにいるとき、執政官によって除隊されたことを自分はきいた、だから注意するがお前はもう戦闘には加わらないように、一旦除隊されて正式の軍人でないものが敵と闘うのは法の禁ずるところだから、というのである。

十二、わたしはまた次のようなことも注意したいと思う。本来敵人(perduellis)の名で呼ばるべきものが今では「よそびと、客人(→敵)」(hostis)の名でよばれて、ことばの婉曲さで事の凄惨さをやわらげてはいるが、hostis(敵)ということばは、われわれの祖先の間では、いまわれわれがいう異邦人(peregrinus)を指していたのであって、このことは、十二表法にも、「また他国人(hostis)との間に定められた期日」とか「他国人に対抗して所有権は永久的たるべし」とあることが証明する。戦争の相手をさえこのように柔らかい名でよぶわれわれの柔和さに対して、何をつけ加えていうことができようか。もっとも、古くから用いなれてこの名も次第にこわいものになり、他国人の意味から遠ざかって固定的に、われわれに向って武器を振るうものの意味になっている。38 しかし支配権をめぐり栄光を目的として最後まで戦われる場合にも、わたしがすこし前に、戦争なるものの正義的な理由として述べたのと全く同じ理由を、固く失わないように努めなければならない。しかも支配権の栄光を目的として戦われる戦争は、いくらか酷薄さをおとして戦われなくてはならない。というのは、たとえば、われわれが同市民と戦うとき、相手が敵である場合と競争者である場合とで、戦い方がちがうように(すなわち後者との戦いは栄誉と権威の争いであるに対して前者とは生死と声望のそれである)、われわれにとってケルティベーリー人やキンブリー人との戦はどちらが相手に対して支配的な位置に立つかでなく、どちらが生きのこるかの、「敵」との争いであったが、ラティウム人、サビニー人、サムニテス人、カルタゴ人、またピュロスとの戦いは支配権をめぐっての競争者の戦いであった。もっともこのうちカルタゴ人たちは破約の民でありハンニバルは残忍なやからであった故にわれわれは彼らを徹底的にほろぼしたが、その他はまず正義的な相手であった。特にピュロスについては、賠償によるわれわれの捕虜の返還要求に関して、彼がかの有名なことばを吐いたことを、われわれは知っている。

  金を欲するわれならず、なんじらもまたわれに、
  値を寄せんとするなかれ、
  ともにわれらは戦いの、
  あきないびとにあらずして、
  いのちを賭けて争わむ、武器こそ鉄なり金ならず、
  武勇によって運命の、女神のえらぶははたわれか、
  なんじたちかを、試みむ、
  いざ聞け、なんじ。このことば、武勇によりて運命の、
  女神の寵を獲しものの、自由をわれはうけがわむ、
  これぞわが、なんじに贈る、贈りものなり、乞う受けよ、
  大いなる、諸神にちかいてわが贈る。

実に王たるものにふさわしく、さすがにアイアコスの後裔にはじないものの意見であった。

39 十三 のみならずたとい個人として、事情に迫られて、敵とつがえた約束さえ、それに対する信義は守られなくてはならない。かつて第一次ポエニ戦役のとき、レグルスはカルタゴ人に捕えられ、捕虜交換の交渉のためローマに送られたとき、失敗すれば自分は再びカルタゴに帰るであろうと響って来たが、ローマに到着するや、先ず、捕虜は返還さるべきにあらずとの意見を元老院で述べ、つぎに、親戚友人から引きとめられたにかかわらず、敵とつがえた信義をやぶるよりも、帰って死罪につくことを望んだのであった。

40 〔さらに、第二次ポエニ戦役におけるカンナエの戦いのあと、捕えられたカルタゴ人の返還要求が成功しなかったときは再びもとへ帰る誓いの下に、ハンニバルはローマ人の捕虜十人を交渉のためローマに遣わしたが、失敗してもなおローマを去らない〕かれらは破約をしたとの理由で、ローマの監察官たちはそのひとりびとりが生をおわるまで、すべてを市民の最下級に遺棄したままであったのみならず、誓約をあざむいて罪に問われたその一人に対してもまた同様に峻厳であった。この男はハンニバルの許しの下に一行とともに陣営を出発したあと暫くして、何かの忘れものを理由に立ち戻り、再びそこから出発したことによって、さきの誓いから自分は自由になったと考えたのである。いかにもことばの上ではそうであった。しかし事実においてはちがう。信義においては常に汝のことばでなく、汝の精神を重視しなくてはならない。

〔また敵に対してわれわれの祖先が正義をかたく守ったもっとも大きい例は、ピュロス王の前を逃れてローマ方に走ったものが、元老院に対して、自分は王に毒を盛ってなきものにしようと申し出たとき、元老院とガイウス・ファブリキウスが、この逃亡者をピュロスに引き渡したことであった。ローマは進んで戦争をしかけて来た強力な敵ピュロスをさえ、罪をおかして暗殺することをよしとしなかったのである。〕

41 戦争に関連する義務の論議はもうこれで十分であろう。

 さてまた身分のもっとも卑しいものたちに対しても、正義は守られなくてはならないことを、われわれは思いかえさなくてはならないであろう。もっとも低い状況と運命におかれているのは奴隷たちである。かれらを日雇者のように取りあつかい、仕事を課するかわりそれに相応した報酬を与えるべきだとわれわれに注意する人びとの教えは、正しいとしなくてはならない。

 不法は暴力あるいは欺瞞の二つの方途によって行われるであろうが、欺瞞はいわば狐の、力は獅子の仕方と見なすことができる。どちらもきわめて非人間的であって、そのうちでも殊に欺瞞は、われわれの憎悪に値するところがより大きい。しかしあらゆる不正のうちでも、もっとも背徳の行為を行いながら、あたかも道徳的なひとであるかのように見せかけるひとたちの不正ほど、憎むべきものはない。正義の論もこれで十分としたい。

42 十四 つぎにわたしは、さきに予告したように、親切と寛大とについて述べることにしたい。この二つほど人間の本性にかなうものはないが、同時にまたその実践において注意しなくてはならないことも多い。というのは、第一に、厚情が、厚情をうけるひと自身や、その他のひとびとにかえって障害とならないよう、第二に厚情がわれわれの能力の限界を超えて過大にならないよう、最後に厚情はそれを受ける人の品位に応じてなされるように、われわれは注意しなければならないからであって、それが正義の基盤であり、すべて正義に照してこれらの親切に依る行為は考量されなくてはならない。なぜなら、自分が役に立ってやりたいと思うひとに対してかえって害になる恩恵を与えるひとたちは、親切・寛大な人というより、むしろ危険な追従者というべきであって、同様に他人に寛大であろうとして実は他人を害するひとたちもまた、他人のものを自分の所有にふりかえるのと同じ不正を犯すというべきだからである。

43 さて第一に、これは特に自分の光輝と栄光に飢えている人たちの場合だが、一方のひとから奪って他の人たちに富を与えようとするものも多い。かれらは味方を富ましめさえすれば、味方に寛大なものと思われるであろうと考えて、その方法を問わないのである。しかし何ものもこれほど義務に反するものがないほど、このやり方はおよそ義務からは遠い。従ってわれわれは、友人を利するとともに何びとをも害しない寛大さに拠ることに心しなくてはならない。ルキウス・スラやガイウス・カエサルが正当な所有者から財産を奪って他人のものにしたのは、もちろん寛大さと見らるべきではない。同時に正義的でなくては何を寛大さということができよう。

44 第二に用心すべき点は、われわれの厚情も能力を超えてはならないことである。事実がゆるす以上に懇切でありたいと願う人たちは、近親に対して不法をおかすという点において先ず誤りをおかす。近親の人たちの用に立ち近親の人たちに相続されて然るべき財産を、彼らは他人の手に渡すからである。しかしこういう寛大さには、鷹揚にふるまう手段を満たすために不法をおかしても強掠収奪せんとする欲望がひそむことが多い。それで、本心から寛大であるよりむしろ何かの栄光を求めて、ただ親切の見えを張るため、本心よりも外見のために、さまざまのことをする人たちをわれわれは多く見ることもできる。こういう姿勢はむしろ虚栄に近く、それは、寛大さにも道徳的な高貴さにも遠いといわなくてはならない。

45 用心の第三として、親切の行為には相手の品位の選択がなくてはならない。われわれの恩恵を受けるひとの道徳的な性質、われわれに対するその態度、われわれとの社会的な結びつきと親密さのみならず、その人のわれわれの利益に関する今までの奉仕をよく考慮する必要がある。これらの点がすべて揃うならそれに越したことはない。たとえ揃わなくてもその数が多ければ、それだけ大きい価値を、そこにみとめることができるであろう。

46 十五 しかし世の中は完全なひとや理想的な賢人ばかりではない。道徳の影でも宿していれば大きい幸いとすべき人々ともわれわれは共に暮すのだから、何ほどか道徳のあらわれを持つほどのひとなら、これを決して無視してはならないことを、心得ておくべきだとわたしは思う。もちろん、謙虚、自制、ことに今まで多くのことばを費やして来た正義というような、より高雅な諸徳を特にふかく身につけたひとのすべてを、特にわれわれは大切にしなくてはならない。というのは烈しい心、勇猛な精神も、未完不賢の人にあってはかえってただ狂躁性をまずにすぎないのを常とするからであって、かの高雅な諸徳こそ、特によき人びとには本質的にふさわしいものだと思う。以上が人びとの道徳的性質についての論議である。

47 たがいに尽くし合うことが望ましい好意に関して、義務の点から第一に心しなければならないのは、最もわれわれを愛する人たちに、最もわれわれは尽くすことである。しかしその好意を若いものたちの間におけるようにひたすら愛情の熱さによってでなく、むしろ確固さ、毅然さに従って、われわれはその価値判断をする必要がある。けれども人から受けた奉仕がすでに存在して、われわれとしてはいまから恩をうけるよりは、むしろ恩を返さなければならないときは、普通以上に大きい心づかいが払われなくてはならない。いかなる義務も恩を返すより重大なものはないからだ。

48 しかし必要な時に借りたものは、ヘシオドスがいうように、できれば大きい量にして利子をつけて返すべきだとすれば、思わぬ恩恵に挑まれた場合、われわれは一体どうすべきであろう。受けたより多くを返すゆたかな畠を模倣すべきであろうか。将来自分の利益になるであろうひとたちに義務をつくしてわれわれは躊躇しないとすれば、すでに利益になってくれたひとびとには、いかなる態度をとるべきであろう。寛大さには、恩恵を与えるのと、恩恵に報いるの二つがある。その与えるか否かは、われわれの自由になることがらではあっても、一旦受けた恩恵に対して、よきひととして報いないですますことは、報いる行為が不法をおかすことになるおそれがないかぎり、もう決してわれわれの自由にならないのである。

49 なお受けた恩恵についてもわれわれは若干の選別をしなくてはならない。事の自然としてそれが大きいほどわれわれの負い目も大きいからである。しかしこれについても、まずその恩恵がどういう精神で、熱意で、好意で行なわれたかをよく考えなくてはならない。というのは一種衝動的に、判断もなく、あらゆるひとに対して病的、あるいはあたかも突風のような不意の精神的興奮にかられて、恩恵を行うひとも多いからである。こういう恩恵は、判断をもち思慮をもち確固たる信念にもとづいて与えられたものと同列に、大きく受けとるべきではない。

 しかし恩恵を与え、また恩を返すにあたって、他に差しつかえがないかぎり、義務の点から特に心すべきは、誰にもせよわれわれの助けをことに必要とする程度に応じて、その人にできるだけ助力すべきことであるが、世の多くの人びとのすることはこの逆である。かれらは、その人から自分への好意をもっとも多く期待する人に対して、そのひとが何ら助力を必要としないにもかかわらず、最も力をつくして奉仕につとめるのである。

50 十六 ひとびとの社会的共同の結合がもっともよく維持されるのは、結びつき(縁)の最も濃い人に対して、厚情もまたその人にもっとも多くもたらされる場合である。

 しかし人間の社会的共同体を可能ならしめた自然の原理は、一体何であるかについては、遡ってさらに深く求めなくてはならないと思われる。その第一の原理はすでに全人類の成員間に存在する社会的結合性に見出される。結合の靭帯(じんたい)をなすものは人間の理性とことば(言語能力)であって、これによってわれわれは、教え、習い、通じ、論じ、判じる過程をとおしてたがいに宥和し、一種生得の結合性(社会本能)によって結び合わされている。何ものもこの二つほど人間をけものから遠くへだてるものはない。動物には、たとえば馬におけるように獅子におけるように、強さがあることをわれわれはおよそ常にみとめるけれども、正義、公正、仁徳があるとはいわない。動物は、理性とことばを欠くからである。

51 こういう社会的結合性(社会本能)は、あらゆる人びとを結び合わせつつ人類のあいだに最もひろく行きわたっている。この結びつきの故にこそ、人々の共用にあてるために自然が生んでくれたすべてのものに対する共同の権利は守らるべきであって、法律や市民法の規定に従って個人の財産として分割されたものはその法律の規定どおりに保有さるべきであるとしても、それ以外の財は、ギリシャのことわざにある通り、「友人間のものとしてすべては共用である」ことに注意しなくてはならない。さらにエンニウスの次の言にふくまれるような、すべての物資もまた、すべての人の共有の財産だと考えられ、彼の立言は一事に関してなされたのだが、拡大して巨多のものに適用することができる。

迷えるひとにねんごろに、道を教ゆるそのひとは、
おのれの灯(ひ)より火を与う、ひとにさながらさも似たり。
他人に火をば与うとて、おのが光の減ぜむや。

この一つの例からエンニウスは、何も損をすることなく与えうる好意は、知らない人に対しても示されるべきことを、はっきり教えている。

52 次のようなことわざも、意味においてそれと共通ではないか。流れる水を人に禁ずるな、ほしいひとには火から火を取らしめよ、思案するひとにはまごころもって智慧貸せよ。これらの行為は受けるひとに有利であり、与える側に厄はない。だからこうした行為をとって、常に公共の利益に何ほどかの寄与をする覚悟でなくてはならない。しかし個人の資力は限られているのに、助けを待つ人は無数なのだから、無差別な寛大さを、エンニウスの句末「おのが光の減ぜむや」の教えに照らして規制しつつ、われわれの身内に寛大でありうるための手段が、常に手許にあるように計るべきであろう。

53 十七 人間社会の結びつきにもさまざまの段階がある。無限にひろい全人類社会は別として、より緊密なのは、人々をもっともつよく結び合わせる同民族、同部族、同言語による社会結合である。同じ都市国家の成員であることは結合をさらに切実ならしめる。というのはこの場合、フォルム(中央広場)・神殿・回廊・街路・法律・権利・裁判・選挙のみならず、昵懇・友情の関係や多くの人びととの仕事上のつきあいなど、市民たち互いの間に共通のものが特に多いからである。

しかしさらに緊切な結束は近い身内の結びつきに見ることができる。無限にひろい全人類の結びつきから、これは小さく狭いものに絞られているからである。

54 というのは、子孫を生む欲望は自然によってあらゆる生きものに共通に与えられているとはいえ、そこにおいても第一の結合はまさに夫と妻の間に、第二に親と子の間に、ついで一つの家に住みすべてを共用にするというふうに、結合は小さく狭いところより出発するからであって、これが都市のはじまりであり、国家の苗床にほかならない。つづいて兄弟(姉妹)の結合があり、そのつぎに、いとこ、またいとこ、のそれがあるが、これらはすでに一つの家に場所を見出すことができないために、あたかも植民をするかのように他の家々を求めて出てゆく。下ってさらに緑組による姻戚関係があり、これから更にさまざまの近い人事関係が次第にひろがる。この増殖と後生(あとば)えによるひろがりもまたさまざまの国家の起原である。血による結びつきはたがいの好意と愛情によって人びとをかたく束ねるものであって、

55 先祖の思い出を共通にし、家の祭りを同じくし、共通の墓を持つことはまことに大きい意味を持つ。

けれどもあらゆる社会的な結びつきのなかでも、最も貴く固いのは、性質をひとしくするよき人びとが親密に結ばれる場合である。わたしがたびたび言及した「それ自身において貴い」ものは、たとえそれが他人のなかに見出された場合にも、われわれを動かし、その性質を持つと思われる人の友人に、われわれをせずにおかないからである。

56 一般にあらゆる徳はそれ自身の魅力を持ち、その徳を持つと見える人を尊重させるものだとしても、正義と寛大の徳ほどこの力の大きいものはない。よき性質を共通に持つことは誰にも最も好ましく最も人を緊密に結ぶ。というのも、同じ理想を持ち同じ意志を持つ人びとはたがいに他を自分のように愛し、従って多は一となって正に友情に関してピタゴラスの望むところが実現されるからである。

 与えたり与えられたり互いに恩恵を交換する上に成立する結びつきもまた大きい。それが一方的にならずに感謝をもって行なわれる間は、交換する人びとを結ぶきずなもまた固い。

57 しかし理性的な精神をもってすべてを見渡すとき、あらゆる社会的結合のなかでも各人にとって、国家との結びつきほど重大で心に訴えるものはない。親もいとしい、子もいとしい、身内も友人もわれわれにとって、いかにもいとしい。しかしあらゆるひとに対するあらゆるいとしさを包括するのはひとり祖国であって、よき人として、祖国に役立つためには、自分の命をさえかけることに躊躇する人がひとりでもあるだろうか。それだけに、悪虐のかぎりをつくして祖国を害し、根本的にその覆滅をはかるに汲々としているものや、していたものたちの無道ぶりは、何といとわしいものであろう。

58 しかしこれらを対照し比較して誰にわれわれの義務をもっとも多く尽すべきかを考えれば、第一に、われわれが最もその恩恵を謝すべき祖国であり親たちであり、つぎに、ひとえにわれわれに縋って他に庇護を全く期待できない子供たちと全家族、ついで、われわれと良好な関係にあって運命を共にすることがもっとも多い一族のものである。

こう考えて来れば、物質的な生活に必要な保障は今述べた人たちにわれわれは殊に負っているが、しかし共同の生活、共同の生き方、見解、会談、激励、慰藉、時にまた批判さえが、もっとも大きく力をもつのは友情関係においてであって、性格の同似に基く友情がわけてもわれわれに快いのはいうまでもない。

59 十六 しかしすべてこういう義務をつくすにあたって心すべきは、何がそれぞれの人にもっとも必要か、何がわれわれなしでも各人に可能でありまた不可能か、を考えることである。そうすれば、親疎の段階による要求が、事情の要求するところと同一でないことが明らかになって来る。たとえば他の人よりこの人につくさなければならない義務もあって、収穫(とりいれ)の際には兄弟もしくは友人より隣人をさきに助けるであろうけれど、法廷的な係争があるとき、われわれはかならず隣人よりむしろ近親や友人の弁護にあたるべきであろう。従って義務の遂行にあたって、以上のような問題をよく考え、そしてこの習慣を身につけ実行をはかり、さまざまの義務のよき算定者なりうることを心がけ、あるいは加えまた減じて、残高の如何がわかるようにつとめなくてはならない。こうしてわれわれは、それぞれの人に負う程度をはっきり覚ることができるであろう。

60 しかし医師にせよ将軍にせよまた弁論家にせよ、かれらが如何にそれぞれの技術の理論に通じていても、経験と修練がなくては、大きい賞讃に値するものを達成できないように、義務の遵守の教えも現に今わたしが述べるとおりにちがいないのであるが、しかし要するにそれは理論であって、事がらの大きさは経験とやはり修練を要求するのである。

 人間社会に施してあやまらないことがらから、如何にして義務遂行の基礎となる道徳的な高貴さが導かれるかについて、わたしは以上において十分述べたと思う。

61 わたしはしかし道徳的な高貴さと義務の源泉となる四種の徳を提出したけれども、特にもっとも輝かしく思われるのは、高邁にして区々たる地上の諸事に超然たる精神によって達成されたものであることを、よく弁える必要がある。従ってこれに反することを非難するに際してもっとも手近に口に出ることばは、もし次のように言えるならば―

 では、若い人たちよ、君たちは、女のような心がけ、
 男々しい心は、あの処女に、

のごとくであり、また同じように言えるなら―

サルマキスの獲物こそ、汗も流さず血もなしに。

 反対に、賞讃の場合、われわれは、高邁な心が勇敢に卓越して行なったことがらに、おのずから声を大にしてそれを賞めざるをえない。この点に関して弁論家が自由を振るう余地はおおい。たとえばマラトーン、サラミース、プラタイア、テルモピュライ、レウクトラ、またわれわれのコクレースがあり、デキウス父子があり、グナエウスおよびプーブリウスの両スキーピオーがあり、マルクス・マルケッルス、その他の無数の人びとがあるのみならず、殊に高大な精神をもって輝くローマ国民自身がある。軍事におけるかれらの栄光への熱意もまた高く、このことは、彼らの像が一般に、軍装であることによって知ることができる。

62 十九  しかしもし危険や苦難に際して精神が揚躍して正義を忘れ、公共の福祉のかわりにひたすら利己的な目的のために戦うとき、その精神の揚躍は悪徳に属するといわなくてはならない。それは徳とは無関係なばかりでなく、むしろあらゆる人間らしさを徹底的に排撃する非道の要素を多分に持っている。従って公正さのために戦う徳こそ勇気であるとするストア派の人びとの考えは、勇気を定義して当を得ている。従って人をはかり、悪意をもって勇気の盛名を得つつ、真の賞讃をえたものはない。正義をはなれて道徳的な高貴さはあり得ないからである。

だからプラトンには、こういうりっぱなことばがある。「正義を欠く知識が英知よりむしろ狡智といわれるべきであるのみならず、危険を待望する精神もまた、もしそれが利己的な欲望に駆られ公共の利益を忘れるとき、勇敢よりむしろ兇敢の名を持つべきである」。

だから勇敢にして度量のある人々は同時によき人、まっすぐな人であり、真理の友たる人は絶えて欺瞞の人ではないというのが、わたしの意見である。こういう性質こそ正義の賞讃の中心に位する。

64 しかしここに困ったことは、精神のこうした高揚と度量があるとき、それがきわめて容易に過大な我欲と集中権力欲を生むことである。たとえばプラトンに、スパルタ人の性格はあげて征服欲に燃えていた、とあるように、誰でも精神の器量において傑出するほど、ますますすべての上に立つ第一市民、いなむしろ唯一者になろうとする。ところがすべての人の上に立つことを求めつつ、正義にとって絶対的に本質的な公正さを保つことは困難である。おのずから、この種の人びとは、いかなる論議にも屈せず、いかなる公共の合法的な法権にも従うのを潔しとしない結果となり、公共の生活においてほとんど常に賄賂を放って人を煽り、かくて可能なかぎり多量の財物を追求して、正義によって平等の人たるよりも、暴力によって上位のひとたらんとする。しかし事は困難なほどほまれも高い。なぜなら、正義を欠くことが許される機会は全くないからだ。

65 従って勇気があり度量があるとすべきは、不法をなすひとでなく、かえってそれを防遏(ぼうあつ)する人たちである。しかも真の、そして英知的な精神の度量を持つひとは、自然の要望するかの道徳的な高貴さを事実の中にみとめて名声のなかにあるものとせず、自ら第一人者と見えるより、であることを求める。無知な大衆の思いあやまりに依存する人間を、偉大なひとのなかに算えるわけにゆかないからである。誰でも高い姿勢をとるほど名声に惹かれて不正に走りやすい。まことに危いことであって、誰でも苦難を引きうけ危険を冒したあとで、あたかも完遂した仕事の報酬であるかのように、外面的な名声を欲っしないひとはほとんどない。

66 概して勇敢偉大な精神をわれわれは特に二つのことによって見分けることができる。一つは外的な事物の軽視においてであって、このときそのひとには、道徳的に高貴適正でないものを人として嘆美し希求しあるいは欲求すべきでなく、いかなる他人にも、いかなる精神の迷妄にも、いかなる運命にも左右されてはならないとする固い信念がある。第二は、右のような心がけになっているため、その人は、大きい有益な事業ばかりでなく、生命と生活への危険に満ち苦難にあふれる険しい仕事をも、遂行するであろうことによってである。

67 勇気に関するこの二つのうち、勇気によって生まれるすべての光輝、顕栄、およびこれに加えて利益は、あとの場合に存在し、人を偉大ならしめる合理的な原因はむしろ第一の場合に存在する。この第一においてこそ、卓越して地上のものごとを軽視する精神をつくるものが見出されるからである。

これもまた二つの場合に分けることができる。一つは道徳的に高貴なものをこそ唯一の善と判断する人の場合、次は、あらゆる激情から人が自由である場合。というのは、世俗のひとびとには傑出壮大と見えるものを卑小と見、それを確固不動の理性によって軽視するのは、雄偉勇敢な精神のみのよくするところであり、人生と運命に存在する種々多量のいわゆる艱苦に堪えて、自分の自然の状態を少しも失わずに賢人としての威厳から一步もはなれることがないのは、剛強な精神と、度量ある一貫的な性格のみのよくするところだからである。

68 恐怖に屈しないものが欲情に屈し、敢然として苦難に立ち向って屈しないものが快楽に負けることは、およそ考えることができないではないか。従ってわれわれはかかる悪をしりぞけ、金銭の欲をも遠ざけなくてはならない。なぜなら、富を愛するより狭小卑小な精神はなく、持たずして金銭を無視し、持ってそれを親切と寛大に委するほど、高貴壮大なことはないからだ。

名声を求める我欲をも、上にいったように避けなければならない。それはわれわれをして自由を失わしめる。しかも自由のためにこそ高い精神を持つ人びとはすべてを賭して争う必要がある。権力の位置もまた進んで求めるべきでなく、むしろ時に辞退し時に辞任すべきであろう。

69 またわれわれは欲情、恐怖のみならず痛心、過度の快楽、怒りやすさのような精神の迷妄から完全にはなれて、安定と威厳をもたらす平静と安心とを心に宿らしめなくてはならない。しかし今もおおく、過去にも多かったのは、わたしのいう平静を求めて、公的な任務から身をひき、閑暇に逃れた人たちである。このなかには、有名なのみならず、特にすぐれて第一人者とすべき哲学者たちのほか、若干の思慮ぶかくまじめな人たちもあって、かれらは民衆や支配者の仕方をいとい、あるものは田園に退いて家産の管理に楽しみを見出したのであった。

70 かれらの目的としたところは王たちにおけると同じであって、知足の生活を送り、人に屈せず、思いのままに暮すことを本質とする、かの自由を享受することであった。

二十一 従って自由への欲望は、権力への欲念をもつものと、右の閑暇の人とに共通であっても、一方は巨大な手段を持てばそれを達成できると考え、他方は自分のもつわずかのものに満足すればできると考える。この点に関して双方の意見はもちろん尊重しなくてはならないにしても、しかし、より容易で安全であり、他の人びとにより負担が軽く、迷惑が少いのは閑暇の人の生活であり、他方、人類に対してより成果的であり、自己の栄名と顕栄のためにより効果的なのは、国事や大きい企画に身を入れた人たちの生涯である。

71 従って国事から身をひいて高い才能を学問に捧げた人たちを、われわれは責むべきでなく、また病弱その他の、より重大な理由に阻まれて国事に遠ざかり、国政を執る権力と賞讃とを他人にゆずった人たちをもまた恕(ゆる)すべきであろう。しかしこういう理由もないひとが、世の人々の仰いで見る軍事と文治の権柄を、自分は無視するというなら、かれらは賞讃どころか、むしろまさに悪徳の一例とせらるべきだと、わたしは思う。かれらが栄光を軽視しそれを無にひとしいと考えるという点に関しては、かれらのこの判断に同意しないでおくのはむずかしい。しかし事実において、かれらは苦難と労力ばかりか、恐らくまた不評と敗退による恥辱と不名誉におびえているのではあるまいか。いかにも、世には、態度の一貫を欠き、たとえば快楽をきわめてきびしく排撃しながら苦痛に処して女々しく、栄光を無視しながら不名誉に挫け、しかもこれらの非一貫性においても、また大きく一貫性を欠く人たちがある。

72 しかし天賦によって政務の才があるものは、あらゆる躊躇を排して公職を追求し、国政を執るべきである。でなければ国家は統治され、精神の大きい器量があらわれる機会がない。国政をとる人たちは哲人に劣らず、あるいはむしろそれにまさって、精神の高尚さと、わたしが常々いうところの世の雑事に超然たる心とを、身につけ、心を平静安泰に持して、もって憂心を去り、重厚毅然たる一貫の生活をおくることを期しなくてはならない。

73 これは哲人たちにとって、より容易なことがらであろう。かれらの生活においては運命の打撃にさらされる事件もより少く、かれらはより少量に満足し、そしてかりに不幸に襲われても、かれらの倒伏はそれほど重大な影響をもたないからである。従って閑暇にいるものに比べて政治を執るものの精神がより大きい緊張をもち、成功への熱意がより大きいのも理由がないことでなく、それだけに、かれらは益々度量を養い、憂悶からの自由を身につける必要がある。

 はじめて国事にたずさわるものは、それが如何に高貴な事業であるかを考えるだけでなく、それに成功するだけの能力を持つことに心がけるがよい。同時にかれは力の不足を嘆いてむやみに絶望してもならず、野心にまかせて過度の自信をもってもならないことに、思いを致さなければならない。あらゆる事業に大切なのは、とりかかる前の細心の準備である。

二十二 多くの人は軍事を、都府における平時の事業(文治)よりも大きいものと考え勝ちである。しかしこの考えは訂正しなくてはならない。事実、名誉欲のために戦争を求めた人は今までにもおおく、しかもそれは通例、大きい才能と精神を持つ人びとによく見られる現象であって、もしかれらが軍事の才を持ち好戦的な性質のとき、この傾きはことにつよい。しかし事実をよく見定めるならば、戦いにおいてよりも平時における都の事業に、より偉大、より著しいものがいくつもあったのである。

75 たとえば、テミストクレスが当然のことながら、如何に高く評価せられ、その名はソロンの名より如何に輝やかしく、テミストクレスの功業によってサラミスが世にもっとも名高い勝利の証人として引用せられ、そしてこの勝利に対してアレイオス・パゴスを組織したソロンの智慮もさすがに輝きが劣るとせられようとも、しかし、ソロンの功業はテミストクレスのそれに劣るときめてはならないのである。テミストクレスの勝利は国家に対する一度の奉仕であったが、ソロンのは永続的であった。アテナイ人の法律と父祖の制度が保持せられたのはソロンの智慮[立法の才]によってである。さすがのテミストクレスも、自分がアレイオス・パゴスを助けた点を指摘できなかったであろうけれども、ソロンはテミストクレスを助けたといいうるのである。何となら、サラミスのあの戦いも、ソロンが組織したこの元老院(アレイオス・パゴス)の評決の下に行なわれたからである。

76 パウサニアスとリュサンドロスについても、同じことがいえる。二人の功績によってスパルタの覇権は樹立されたといわれるが、しかしこの二人も、リュクルゴスの立法と秩序の事業の前には、はるかに、まったく、比較にならないのである。否、むしろリュクルゴスの事業があってこそ、二人は、あれだけ勇敢であれだけ柔順な軍隊を持つことができた。ローマにおいても、わたしが子供の時分、マルクス・スカウルスがガイウス・マリウスに、またわたしが国事に関係していたとき、クィントゥス・カトゥルスがグナエウス・ポンペイウスに、それぞれ一籌(いっちゅう)を輸する(ひけをとる)とは、わたしに思われなかった。国内における賢明な策定がなければ、外征の価値もいうに足りないからである。同様にアフリカヌスが如何にすぐれた人であり将軍であっても、ヌマンティアを撃滅して国家につくしたその功績は、同じころ私人としてティベリウス・グラックスを除いたプーブリウス・ナシカのそれより、やはり大きいとはいえないであろう。

ナシカの行為はひとえに文治的な手段によったといえないにしても(というのは実力によって達成されたためにいくらか戦争の性質を帯びている)、その遂行は政治的な考慮によって、軍隊なしになされたのである。

77 右の事実をもっともよく歌っている句は、悪意羨望のやからからは攻撃の的だと聞くが、

  兵器はトガ(平服)にゆずるべし、文治のほまれに桂冠も。

 他のひとびとのことはともかく、少くともわたしが国事の統率に当っていたとき、トガは兵器に屈したことがあろうか。いや、国家はあのときほど危殆に瀕したことはなく、しかも平和はあのときほど確固たることはなかった。わたしの機略と警戒によって、さすがに無道きわまるあの市民たちの刃もただちにその手からすべり落ち、ひとりでに潰えたのである。戦場においてかつてこれほどの功業が立てられたであろうか。どんな凱旋がこれと比較できようか。

78 こうはいうのも、お前に対して、わが子マルクスよ、わたしはみずから誇ってもいいと思うからだ。何としてもお前は、この栄光を相続し、父の事業の数々を倣うべき人間だ。戦勝のほまれに溢れるグナエウス・ポンペイウスが、「国家に対するキケローの奉仕によって自分は凱旋すべき場所を持つことができた、もしそうでなかったならば、自分のもたらす第三回の凱旋も無に帰したであろう」といって、おおぜいの聞く前で讃辞を惜しまなかったのも、まさにこのわたしに対してであった。従って市民としての勇気が、必ずしも戦場でのそれに、劣るものではない。かえって後者より、前者においてこそ、多くの努力と、献身的な熱意が要求される。

79 二十三 われわれが高邁偉大な精神から期待する道徳的な高貴さが実現されるのは、身体の力によってでなく精神の力によることは、いうまでもない。といってもわれわれは身体を鍛練して、身体が、事業の遂行と苦難の克服に際して、われわれの状況判断と理性に服し得るようにしておかなくてはならない。しかし、われわれの求める道徳的な高貴があますところなく成立するのは、精神のこまやかな配慮と思惟においてであるとすれば、軍服を着て戦場にあるものよりも、平服を着て国政を主導するものこそが、はるかに大きい利益を国家に捧げることができる。戦争をしばしば防避し終結し、時にまた宣告したのは、この人びとの智慮であって、たとえばマルクス・カトーの第三次ボエニー戦役におけるがごとくである。この人の権威は死してなおその戦争において力があった。

80 従ってわれわれが先ず求めなければならないのは、勝敗を決する勇気よりも事を決する理性である。もちろんそれが、国家の利益より行戦の逃避を考えるためであってはならないのは、いうまでもない。しかし戦争するかぎり、それはあくまで、平和の確立を唯一の目的とすることを誰の目にも明らかにして、着手すべきであろう。

 要するに、ひとり勇敢で毅然たる精神のみが、険しい事業に惑乱せず、狼狽してことわざにいうところの「足を踏みはずす」こともなく、冷静に思慮をめぐらし、常に理性に拠ることができる。

以上は精神の度量に関することだが、一方大きい知能があってこそ、われわれは思惟によって未来を予見し、事にいくらか先き立って事が善悪いずれに決するかを見定め、何が起れば何をなすべきかを予見して、「そうとは知らなかった」といわなくてはならない立場に陥るのを避けることができる。これらは、偉大、高邁で、みずからの明知と智慮に信頼する精神の機能である。これにくらべて、戦列において猛敢に振るまい、実力をふるって敵とわたり合うのは、野蛮で、野獣にも似たことがらである。もちろん時と場合によっては、実力をもって敵にあたり、屈従と恥辱よりむしろ死をえらぶべきであるのは、いうまでもない。

二十四 都市の攻滅劫掠(ごうりゃく)については、何事も無謀に、何事も残忍にわたらないように、大きい注意を払いたい。そして騒乱のときに罪あるもののみを罰して多数を救い、運命のあらゆる転回に処して正道と高貴の道を失わないのは、偉大な人びとの義務である。上に述べたように、世には戦争を平和の上位に置こうとする人びとがあるごとく、危険で熱狂的な考えを、平静な熟慮よりも、輝やかしく偉大なものと見る人たちも、見出されるであろう。

83 もちろん危険を避けて、卑怯であり意気地がないと見らるべきではないが、しかし理由なく危険に身をさらすことはやめなくてはならない。これより愚かなことはないからである。これを思えば、われわれは危険に赴くとき、医師の平生なすところを見ならうべきであろう。かれらは軽く病むものには軽く治療し、重態の病気に対してはやむなく危険を伴なう処置や賭博的な治療さえ試みるのである。従って平穏に居て進んであらしを求めるのは、ひとり狂人のすることであり、可能なかぎりの手段によってあらしに対処するのが賢者の道である。特にそれが疑わしい事態のために期待される悪よりも、事態を明察して受ける善がより大きい場合には。

 国事のとり裁きは、その任に当る人間に危険なこともあれば、国家に危険なこともある。この仕事に従事して、あるものは生命の、あるものは名声と世の好意の、危険にさらされる。もちろんわれわれは、みずから進んで公共の利害のために自分のそれを犠牲にし、他のいかなる利益よりも、道徳的なほまれと栄光のために戦う覚悟がなくてはならない。

84 また一方、金銭にとどまらず、生命をさえ祖国に捧げて悔いないけれども、自分の名声に関しては、たとえ祖国の要求があっても、その一片をさえ犠牲に供することを欲しない人たちも多かった。たとえばカッリクラティダス、このひとはスバルタ軍の海将としてべロポンネーソス戦役に従い数々の功業をたてながら、艦隊をアルギヌーサイ諸島から引きあげてアテナイとの海戦を避けるがよいとの献言を退けて、最後に一切を失うことになった。献言の人たちに答えて、スパルタは艦隊を失っても別のを仕立てることができる、しかしアルギヌーサイから引きあげることは自分の不名誉にならざるをえないというのであった。けれどもこの打撃もスパルタにとってはまだ軽かった。悲惨であったのはクレオンブロトスが非難をおそれて無謀にもエパメイノンダスと戦ったことである。スバルタの覇権は遂にここに地に墜ちた。

 これらにくらべてクィントゥス・マクシムスの行為はどれほど立派であったことか。エンニウスはこの人について、いっている。

  独力、かれは延引の、策もて国家の救主たり。
  国家の安危を前にして、褒貶毀誉を何かせむ。
  今いや高く英雄の、かれがほまれは輝きつ。

 上に述べたような過ちは、中央の政策においても、もちろん避けなければならない。というのは、ここにもひとの憎悪をおそれて、いかによい意見をも敢て述べないひとがあるからだ。

85 二十五 国政を主導しようとするものは、プラトンの二つの教えを体しなくてはならない。第一は、何ごとを行うにも自分の利害を忘れて公共を考え、すべてが市民の利益に帰するように心がけること、第二に、国家のからだ全体に注意し、一部を守ってその他をおろそかにしないこと。国家の世話も、後見の場合と同じように、委任を受けたものたちの利益をでなく、われわれの委任下の人びとの利益を守るように執行しなくてはならない。しかるにただ市民の一部のためにはかり、一部を無視するならば、国家に分裂不和のごとき最もいまわしいものを導入することになり、結果は、あるものは民衆的党派の、他のものは貴族的党派の、支持者としてあらわれ、普遍的に市民全体への支持者であるものはきわめて少数となるであろう。

86 この理由によって、アテナイでは大きい内争が、わが国では分裂のみならずまた悲惨な内乱があった。かかることを、慎重で勇気があり国家の主導的な位置にふさわしい人は嫌って避け、むしろ全身を国家に棒げ、自分に富や権力を求めず、国全体のために政治をとって、ひたすら市民のために計るであろう。もちろん、いつわりの罪を設けて人を憎悪と不評に陥れることを慎しみ、もっぱら正義と道徳的な高貴さに拠り、この二者を守るためには、いかに重くとも人の憎悪を甘受することを辞せず、正義と高貴さを捨てるよりはむしろ死を選ぶであろう。

87 もっとも見るにたえないのは、いうまでもなく野心であり官職への抗争である。これについてはさきに引用したプラトンに、はっきり次のことばがある。「どちらが国家の政治をとるかでたがいに争う二人は、舵をとるのは誰かで争う船乗りたちに似ている」(国家488)。彼はまた教えていわく、「武器を持って立ちむかうものが敵手であって、自分の信念に従って国政を施こそうと欲するものは、敵ではない」(法律856b)と。まさにかくのごときがプブリウス・アフリカヌスとクィントゥス・メテルルスの間における、敵意のない意見の不一致であった。

88 これに反して敵にはあくまで敵愾心を持つべく、それが度量勇敢な人のすることだと信ずる人の言を、われわれは聞いてはならない。かえって温厚と寛恕ほど、度量あり卓越した人物にふさわしく、また嘆美さるべきものはない。人民に自由があり法の前における衡平があるところでは人が心して身につけなければならないのは、親しみやすさといわゆる「心の深さ」であり、こうしてわれわれは、たとえ人から不時の闖入をうけ、厚顔な要求をうけて怒りを覚えても、無益でひとの憎しみを買うばかりの不機嫌に陥ることを慎しむことができる。とはいっても、温和と寛恕をよしとはするものの、同時にその際、国家のためには厳粛さを伴なわせることを忘れてはならない。これを忘れて国家は統治されることができないからである。しかし人に注意を与え処罰を加えても、それは侮辱にわたってはならず、また処罰し非難する側の個人的な自己満足のためであってもならない。ただ、国家の利益のためになすべきである。

89 また罰を罪より重くしてはならず、同じ原因で一方は召喚もうけないのに他方は処罰せられてもならない。処罰に際して特に避けなければならないのは怒りである。怒って処罰に臨んでは、過不足の中間にあって逍遙学派の人たちがよしとする中庸を得ることができないであろう。

ただこの派の人びとが一方に怒りを讃美し、それを有益に自然から与えられたものと主張さえしなかったならばと惜しまれる。怒りはいかなる場合にも排除さるべく、望ましいのは、国家を主導するものたちが法律にも似た人びとであって、怒りに基かず、衡平によって処罰が行なわれることである。

90 二十六 のみならず順境にいて、ことが意のごとくに進むときにも、できるだけ虚傲、おごり、高ぶりを避けたいと思う。というのは、逆境におけると同様に、順境においても言動に度を失することは軽薄さを示すものであり、美事なのは、いかなる生活にあっても平静を失わず、同じ態度、同じ容貌であることである。ソクラテスがそうであったし、同様にガイウス・ラエリウスも、とわれわれは聞いている。マケドニアの王ピリッポスは、なし遂げた事業と栄光ではその子アレクサンドロスに及ばないが、親しみやすさと温雅の点ではその上であったとわたしは思う。こうして父は常に偉大であったが、子は時として実に道徳的に醜悪であった。それゆえ、優位を占めるほど、謙遜であるようにという注意は、まことにもっともだといわなくてはなるまい。パナイティオスが、その聴講者であり友人であったアフリカヌスの日頃の言として、伝えるところは、「度々戦闘に加わりせり合ったがため、気が荒くなり手におえなくなった馬は、調教師にあずけて扱いやすいものにするように、人間もまた順境におごり自ら恃む心の高くなったものは、いわば理性と訓練のまるい柵に入れて、人事のはかなさと運命の頼み難さを、つくづくと覚らせなければならない」、というのであった。

91 ひとは順境にいればいるほど、ますます友人の意見を用い、順境以前の時よりも大きい権威を友人に持たせなくてはならない。また順境の時に用心しなくてはならないのは、好んで追従ものに耳を貸し阿諛を喜ぶことであって、この場合、ともすれば失脚がある。ひとは他人がほめるのを真にうけて、自分を真にそのとおりの人間だと思うからである。無数のあやまちはこれから生まれ、うぬぼれに思い上って醜態を笑われ、ほどこしようのない迷妄に沈むことになる。けれどもこれについては先ずこれまで。

92 上に述べたことによっておのずから判断さるべきように、もっとも重大で、特に最も偉大な精神にこそふさわしい行為は、国家を主導する者の行為であって、理由は、国家の統治はその及ぶところがきわめて広く影響をうけるひとも最も多いからだが、他面また、過去と現在とを問わず、隠退の生活においても多くの高邁な精神のひとびとがあって、かれらは重大な事項をあるいは調べあるいは企画し、しかも自らはおのれの仕事の範囲を守って出でず、あるいは哲学者と政治家の中間に身をおいてひたすら自分の家産に満足しつつ少しも増殖を考えず、しかも親しいものにその利用を拒まないばかりか、必要があれば友人・国家に割くことをも惜しまない事実があることを知らなくてはならない。

その財産は先ず正しい方法で取得さるべきであって醜い卑しい手段によってはならず、つぎに増殖も理性、勤勉、険約によって行なわれ、第三にそれはできるだけ多くの、その価値がある人たちの利用に供せられるべきであって、寛大、親切のためより、欲情、奢侈のために、使用されては決してならない。

 この教えに従うひとは、堂々と威厳を保ち毅然として生活できることはもとより、また率直、誠実に、また衆を愛して、世に生きることができる。

93 二十七 つぎにわれわれは、道徳的な高貴さの残る部分(第四部)について論じなくてはならない。

自制、謹慎という生活のうるわしさが見出されるのはここにおいてであって、精神の衝動の完全な抑止、万事における中庸もまたそこに見出される。

ラテン語でデコルムdecorum(適正、道徳的な清美さ〕といいうるものが含まれるのもこの場所(第四部)であって、ギリシャ語ではそれをプレポンπρέπονという。

それは本質的に道徳的な高貴さから離すことができない。

94 というのは、適正なものは高貴であり、高貴なものは適正だからだ。道徳的な高貴さと適正との差違の如何は説くより覚る方がやさしい。すべてものが適正としてあらわれるのは、高貴さが先行するときである。従っていまここで論ずる道徳的な高貴さの第四の部分においてにとどまらず、今までの三つの部分にあっても、何が適正であるかは、すでにあらわれている。つまり、理性によって行動し英知をもってことばを用い、何を行っても思慮を忘れず、あらゆることがらにおいて何が真かを見定めてそれを守ることが、適正のゆえんである。反対に自分をあやまり、迷い、ふみはずし、欺かれることは、狂って理性を失うことに劣らぬ不適正なことと、いわなくてはならぬ。正しいことは適正であり、不正はあらゆる醜事とひとしく不適正である。

 適正の勇気に対する関係も同様である。男らしく度量をもって行われる行為は、男子にふさわしくて適正であるが、反対の場合は道徳的な醜とひとしく不適正である。

95 従ってわたしのいう適正さ(道徳的な清美さ)は道徳的な高貴さと全面的に関連し、この関連のあきらかさは、一見ただちに明瞭であって、特に立ち入った考察を少しも必要としない。適正は、道徳的に高貴なあらゆる行為において容易に看取されるあるものだからだ。徳と適正(清美)とは、事実においてよりもただ概念的に、区別されるにすぎない。身体の美と魅力が健康から引きはなして考えられないように、わたしの述べる適正さも徳と融けあって一体化し、その区別は概念的に、理論的にのみ、行なわれることができる。

96 適正もまた二つに分けて考えられる。高貴さ全体にわたって見出される一般的な適正さがその一つ、他は高貴さの個々の部分に関してあらわれる下位的・個別的な場合である。一般的なほうは大体次のように定義されている。「適正(清美)とは、人間の本質が人を他の生物から区別するゆえんのものにおいて成立する人間の卓越性に、相かなうところのものをいう」と。この「類」に対する下位的・個別的な「種」の場合の定義として、人びとが適正と考えるのは、一定の寛大な風貌とともにあらわれる節度と自制を保持しつつ、おのずから自然と調和するところの態度である。

二十八 それがこのように理解されていいことは、詩人たちが求める適正というものの性質からも知ることができる。これに関してわたしは他の場所でいろいろ述べたが、しかし要するに詩人が適正さを守るといえるのは、作中人物の言動が人物の性格にかなっているときである。たとえばもし、アイアコスまたはミノスのような人物が、

  彼らはおそれを持つかぎり、憎悪を抱くもやむをえじ、

とか、あるいは、

  父みずからは子の墓場、

といったとすれば、

彼らが正義的なひとであったとわれわれは聞いていただけに、まことに不適正だと考えざるをえないであろう。ところがこれをいうのがアトレウスだと、拍手喝采がおこる。せりふが人物に適切だからである。しかし作中それぞれの人物に何が適正かをその人物から判断するのは詩人のなすべきことであろう。ところが自然の作中において、自然がわれわれに課しているのは、爾余の生きものに卓越し優越する人物の役割である。

98 従って、詩人たちは作中人物の多様に応じ、たとえ不徳のものたちに関しても、それぞれ適当かつ適正な役割を見定めるであろう。しかしわれわれに対しては自然によって、恒心、節度、自制、敬虔の役割が課せられるばかりか、同時にこの自然は、われわれが他人に対してとるべき態度について心すべきことをも教えてくれる。このため、おのずからわれわれは、道徳的な高貴さの全般に関係する一般的適正さと、徳の各部分に見出される個別的な適正さとが影響する範囲の、いかに広いかを、知らされるのである。あたかも身体の美は肢体の均整によって人の目を惹き、整合の魅力によってそれを楽しませるように、人生において輝く適正さも、すべての言と行における秩序、恒心、節度によって、ともに住む人びとの賛意をかち得ることができる。

99 だからわれわれは人に対する尊敬の念を、もっともよき人に対してのみならず、その他の人びとに対しても、持たなくてはならない。なぜならひとの自意識を無視するのは傲慢のわざであるばかりか、一般に放恣の人のすることである。他人との関係を顧慮するとき、正義と敬虔の間に区別があることを知らなくてはならない。正義の役割は他人に悪をはたらかないことであり、敬虔はその心情を害しないことであって、この後者の点において適正さの本質は、もっともあざやかにみとめられる。

 以上に述べたことによって、適正さとわたしの呼ぶものが何であるかが、よく理解されたと思う。

100 さてわれわれが主題とする義務は、適正を源泉とするものであって、われわれがこれに従うかぎり、われわれがまず到達するのは、自然との調和であり、その法則の擁護である。

自然を先達としてこれに従うかぎり、われわれは断じて迷妄に陥ることをまぬがれ、かえって、その本質上鋭利で透察的なもの(英知、本書18節以下)、人間の社会的結合に有効なもの(正義、20節以下)、烈々として勇強なもの(勇気、61節以下)を、追い求めることになるであろう。しかし適正清美なものの最も本質的なちからは、われわれが今論じている部分(自制、93節以下)に存在する。われわれがよしとすべきは、自然に適合する身体の動きばかりでなく、むしろはるかに、自然と調和する精神の動きだからである。

101 われわれの精神が持つ本質的なちからには、二重の性質がある。一つは本能的な欲望――ギリシャ語でいうホルメーὁρμή――に根ざすものであって、人間をあちらへ、こちらへと駆り立てるもの。他は理性から導かれるもの、これはわれわれに教えて、為すべきものと為すべからざるものとの区別を明らかに示してくれる。これによってわれわれは、理性の優位と、欲望の劣位を、明瞭に理解することができる。

二十九 われわれは何を行うにも無謀と放漫を避け、決して正当な理由がつけられないことを行ってはならない。――これも道徳的な義務の大体の定義とすることができる。

102 本能的な欲望は、理性の下位におかれてその命に従うべきであって、決してその先きに立ち、または一見、それが活気なく怠惰に見えることを理由に、理性を無視してはならない。むしろわれわれは平静を持してあらゆる精神的混乱(激情)からの自由につとめるところに、恒心と節度は全面的な輝やきをもってあらわれると思う。

というのは、もし本能的な欲望が度を超えてひろがり、いわば狂った馬のように奔逸・渴望・逃奔して理性の制御を十分に受けないならば、ただちに限度と節度を超えることは疑いがない。服従を捨てて理性に従わないからであるが、しかも自然の法によって理性への服従は命じられているのである。これによって精神はもとより、身体さえ混乱を受けるであろう。顔だけ見てもわれわれには、怒っているもの、情欲や恐怖に動かされているもの、過度の快楽の追求に我をわすれているものがわかる。これらのものたちは例外なく、容貌、音声、行動、態度に安定がない。

103 これらのことから――再び義務のかたちの描写にかえっていえば――あらゆる本能的な欲望を統御鎮静し、思慮を費やし注意を払って、何ごとをもあせりと運にまかせ、無思慮に無頓着に、行なってはならないことがわかる。本来われわれは遊びや冗談のために自然によって生まれたのではなく、真剣に生活し、何かもっと重大・重要なものを追求するためである。

もちろん遊んだり冗談をするのもよい。しかしそれは睡眠その他の休養と同じように、真剣で重要な仕事を果してのちに、楽しむべきであろう。そしてその冗談の仕方自体も、過度にわたらず大仰にならず、機知ゆたかに洗練されたものでなくてはならない。子供さえ何をして遊ぼうとも自由というわけではない。道徳的な高貴さにはずれた行いは禁止されると同じように、われわれの冗談にも、何か清潔な性格のものがふくまれていなくてはならない。

104 冗談にも二つの種類がある。ひとつは猥雑、厚顔、不潔、悪徳的、他は端正、都雅、怜利、機知的である。後の種類の快いものに、われわれのプラウトゥスやアッティカ人の古喜劇はもとよりソクラテス派の哲学者たちの書物も溢れているし、その他多くの人びとの機知的なことばも多い。たとえば大カトーが集録したものなどであって、ギリシャ語でそれをアポプテグマタἀποφθέγματα(酒落)といっている。われわれは上品な冗談と猥雑なそれとを容易に区別することができる。

前者はたとえば心の緊張から解放された場合のような適時をもって行われ、どんなに重厚な人物とも調和するものだが、今ひとつは、その内容の醜悪さにことばの野卑が加わるとき、いやしくも自由人の口にすべからざるものとなる。

 遊びにも一定の限度があって、あらゆる点において行きすぎがないよう、快楽に興奮して道徳的な醜にわたらないよう、注意しなくてはならない。ローマのカンプス・マルティウスや狩猟は、高貴な遊びの例としてあげることができる。

105 三十 しかし、義務の討究のあらゆる場合において重要なのは、うまれつき、人間がいかに家畜その他のけものにまさるかを、明瞭にわきまえていることである。動物は快楽のほかをさとらず、本能をあげて快楽を追求するが、しかし人間の心は教えられ考えることによって養われる。そしてそれは常に何かを探究し、あるいは何かの行動をし、観察と聴聞のよろこびに惹かれている。たとい、もしここに人があって、彼は普通以上に快楽に惹かれるとしても、彼が真実、家畜の類に属しないかぎり、(もっともなかには人間とは名ばかりのひともある)、また彼が人間として少しでも高く持するかぎり、いかに快楽にとらわれても、羞恥のために、快楽への欲望をかくし、それとの無関係をよそおうものである。

106 これからもわかるように、身体的な快楽は、人間の優位にふさわしいといい切れるものでなく、むしろ蔑視し、排せらるべきである。それに若干の価値をおくとしても、その享受に一定の限度がなくてはならない。従って身体の保持保養の目的も健康のためであり、体力のためであって、快楽のためであってはならない。われわれが自然界において持つ優位と価値の性質を考えるだけでも、奢侈に流れ繊弱柔弱な快楽にふけることが如何にみにくく、節欲、恒心、厳粛、真剣に生きることの、如何に高貴であるかを知ることができよう。

107 さらに、われわれは自然によって、いわば二つの性格を賦与されていることを知らなくてはならない。一つは万人に普遍的な性格であって、それはわれわれのすべてが理性を共有し、動物に対する優位を共有するところに由来する。これによって人間のあらゆる道徳的高貴さと適正さが生まれ、これからわれわれの義務を確立する合理的な手段が見出される。今ひとつの性格は個別的に個人に賦与せられたものである。たとえば身体についてその個人的な差異は大きく、あるものは足がはやくて競走につよく、あるものは力がつよくて角技に適し、他のものはその姿に威があり、あるいは優雅であると同様に、精神に関してもこれらにまさる大きい差異がある。

108 ルキウス・クラッスス(ルキウス・リキニウス・クラッスス、前140-91年)、ルキウス・ピリップスには大きい魅力、ルキウスの子カエサル(ガイウス・カエサル・ストラボー前131-87、90年造営官)ではなおそれが大きく、しかも彼はそれをなお意識的に使ったが、同じ時代のマルクス・スカウルスと小マルクス・ドゥルススには著しい厳格さがあり、ガイウス・ラェリウスには大きい明朗さ、その親友スキーピオーにはより大きい野心があり生活もよりきびしかった。

ギリシャ人のうちでは、快い人柄で機知があり活気のある会話をし、しかも何を話してもうまく事をかわすひと――こういう人をギリシャ人はエイロンεἴρωναと呼んだ――であったのがソクラテスだと聞いたが、これに反してピタゴラスとペリクレスは最高の権威的な地位についたけれども陽気さをもち合わせていなかった。カルタゴの将軍ではハンニバルが、ローマの武将ではクィントゥス・マクシムスが狡猾であり、容易に秘匿し黙秘し、しらばくれ、陰謀を敷き、敵の計画の裏をかく性質があった。こういう性質にかけてギリシャ人が誰よりも上におくのは、テミストクレスとペライのイアソンである。特に手馴れて狡猾であったのはソロンのやり方であって、彼は自分の生命を安全にし、国家にずっと大きい奉仕をするためには、狂人をよそおってはばからなかった。

109 これらの人びとと大いに異る人たちもある。ある人たちは率直開放的で、何ごとにも秘密の手段や陥穽を用いてはならないと考える真実の擁護者、欺瞞の憎悪者であり、ある人たちは目的が達せられるかぎりは何をなすことも誰に従うこともはばからないものたちであって、たとえばスッラやマルクス・クラッススをわれわれは見て来た。この型においてもっとも狡智(こうち)にたけ不屈不撓であったのはスパルタのリュサンドロス、反対は艦隊司令としてその直続後任者であったカリクラティダスときいている。

けれども他にはどんなに高い位置に立っても、人と交って自分は大勢の中の一人にすぎないとする態度を失わないひともあって、カトゥルス父子、クィントゥス・ムーキウス[・マンキア]はその例であった。われわれの先輩から聞くところでは、プブリウス・スキピオ・ナシカも同じくこのような人柄であったが、反対の性格のひとはその同名の父――かのティべリウス・グラックスの呪うべき試みに復讐したひと――であって、人を近づける社交の温雅さが少しもなく[それを全く欠く哲人のなかでももっとも厳格なクセノクラテースとともに]、かえってこの性格のために偉大であり有名であったといわれる。

 このほか、そのどれも非難さるべきではないが、生まれつきや性格の相違は無数にある。

110 しかし肝要なのは誰も、自分自身のもの、それが悪徳的なものでないかぎり、自分に本来固有のものを保持することであって、これによってわれわれが今論議の目標とする適正なるものを、それだけ容易に固く持することができるであろう。われわれは人間本性の普遍的な性質に抵抗することを一切避け、かえってそれを守ることによってわれわれの持つ本来のものをひとえに追求し、他にいかにより重要なもの、よりよきものがあっても、われわれはみずからの努力を、われわれのもつ本来のものを基準として規制することに、努めなくてはならない。われわれの本性に抵抗することも、また所詮自分の性質として到達できないものを追求することも、意味がないからである。これによって上述の適正とはどういうものかが一層明瞭になると思う。ことわざにいうように、「ミネルウァ神が肯(うけが)わなければ」――というのは天性にさからっては――何ごとをしても、適正ではないからだ。

111 こうして世に何か適正なものがあるとすれば、そのなかで、何にもまして適正なものは、人の一生および一生における個々の行為を貫いて存在する一様性のほかにない。この一様性を保持するためには自分の素質を守って、他人の天分をまねることは避けなければならない。

世間には話にギリシャ語の単語をまじえてもっとも至極な嘲りを買う人もある。しかしわれわれはこういう嘲りを避けつつ生得の母語を使うべきであるように、行為においても生涯においても、つねに異物の混入を避けなければならない。

112 実際、性格におけるこの相違の意味は大きく、同じ情況の下でも、一方はみずから自分に死を招かなければすまないのに、他方はその必要がないこともある。たとえば一方アフリカに自殺したマルクス・カトーには、他方アフリカでカエサルに降服した他のものたちとは、果してそれぞれ別の事情の下にいたであろうか。しかし降服したものたちが、もしその代りに自殺したならば、おそらくかえって悪徳とせられたであろうと思われる。それは、かれらの生活がより優柔で、性格がより屈しやすかったからとせられるからである。しかしカトーは生来、想像を絶する剛直な性格の持主であり、この性格を一貫的な不屈さで常に強化し、常に目的を持して、思い定めたことから瞬時も退くひとではなかったカトーにとっては、暴主(カエサル)にまみえんよりは、むしろ死すべきであったのだ。

113 オデュッセウスもあの長い年月の漂泊にどれほど苦しみを忍んだことであろう。キルケーやカリュプソーが女といわるべきならば、彼はこういう女たちにも膝を屈げ、いつ誰に対してもことばに気をつけて、ひとの気持を害なわないようにつとめて来た。ようやく家郷に帰りついても、望む目的を達するためには、男女の奴隷があびせる侮辱に耐えなければならなかった。

しかしこれがアイアースなら、伝えられるその性格から、これらを忍ぶより死ぬことを千倍も欲したであろうと、思わざるを得ない。

 これをよく考えるならば、各人はみずからのものとして何を持つかを明確に計り、節度をもってそれを規制すべきであって、他人のものが、如何に自分に似つかわしいかを試みようとしては決してならないことが、分ると思う。各人それぞれ最も特有のものが、各人にもっとも適正なものであるからだ。

114 だからわれわれは、それぞれ天賦の才能をわきまえて、自分のもつ善悪両面のきびしい判官となり、この点において俳優たちがわれわれより賢明であるように見えさせてはならない。かれらは最良の劇でなく、自分にもっとも適したものを選ぶのである。たとえば声に自信のある俳優はエピゴノイやメードスを、所作にたよるものはメラニッペーやクリュタイムネストラを、わたしの記憶するルピリウスは常にアンティオペを、時にアイソプスがアイアスを、という風に。俳優さえ舞台についてこれを心えているなら、どうして賢かるべきひとかどの人が、人生において、その心得がなくてすまされよう。

 だから、自分にもっとも適するものに、全力をあげて自分を磨くがよい。もし必要に迫られ
て、自分の天分に属しないものにかからなくてはならない場合は、たとえ適正には果せなくても、少くも不適正にではないように、あらゆる注意、考慮、苦心を払わなくてはならない。われわれにめぐまれていないよきものを得ようと無理をするより、むしろ悪徳を避けるようにつとめるがよい。

115 三十二 上に述べた二つの性格(普遍的と個別的)に加えて第三の性格が考えられる。これは何かの機会または事情が課するものであって、なお第四として自分自身の判断で自分にとり入れるものも考えられる。たとえば王権、号令権、名誉や名誉ある地位、富、勢力、およびそれらの反対のものは、偶然の所産であって時の事情の支配の下にある。しかしどういう役割を演じるかは、自分の意志にかかっている。従ってあるいは哲学に、あるいは市民法に、あるいは弁論にそれぞれ身を投じる人があり、徳の世界においても各人が傑出を志す徳目は異っている。

116 ところで父や祖先が何かの点ですぐれていると、その子孫もまたその点で、名声を高めたいとつとめるものだ。たとえばプブリウスの子クィントゥス・ムキウスは市民法の知識で、パウルスの子のアフリカヌスは軍事において、というふうに。なかには、父から受け継いだこの名声に、自身の分をつけ加えて更に高めるものもある。右のアフリカヌスはその弁論の才によって軍事の名声を更に高めたものだ。同じようにコノンの子ティモテウスもまた、軍事のほまれは父に劣らなかったが、更にこれに学識才知の栄光を添えた人であった。時には父祖への模倣を放棄して、自分自身の使命とするところを達成しようとする人たちも若干はあって、この点において、無名の祖先から出て大事を自分の使命とする人たちが、もっとも成功することも多い。

117 何が適正かをたずねるとき、以上のすべてをわれわれは心に留めて、深く思わなければならない。しかしまず第一に決めなくてはならないのは、一体誰に、またどういう人間になりたいか、どういう生活を送りたいか、であって、世にもっともむずかしいのはこの問題だ。というのは、誰でも自分の希望する生涯の送りかたをきめるのは、思慮のもっとも弱い若い時にあたるからである。したがって、ものの最善を理性的に判断できるようになる以前に、誰でもすでに一定の生活の仕方や、人生の行路に巻き込まれていることになる。

118 クセノポンのソクラテス回想録にはプロディコスが、ヘラクレスについて語るところがある。誰でも将来の人生行路の選択を自然に考えるようになる年頃に、ヘラクレスもなったとき、家を出て彼はさびしいところに行って考えた。人生には二つの道がある。一つは快楽の、他は徳の道であることは分ったが、さてそのどちらを選ぶがよいか。彼はそこに坐ってながいあいだ、いろいろに思いまどった、ということであるが、これは「ゼウスの血をひく」ヘラクレスにしてはじめてありうることであろう。普通のわれわれとしては、これと思うひとびとの模倣をし、そのひとびとの努力や使命にあやかろうとし、大抵は親たちの教えに馴染んで自然にその仕方や習慣をうけるようになる。なかには、大ぜいの判断に乗せられて大多数のひとにもっとも魅力があるものを、もっとも熱心に求めるものもある。しかし、なかには幸運と天与のめぐみを身にうけて、親の仕込みとは関係なく、みずからの正しい道をあゆんだひとたちもないことはない。

119 三十三 しかし世には稀れな種類に属する人たちもあって、この人たちは、天賦の才が大きいか、教養学識が高いか、あるいはその双方を併せ持つかしながら、しかもどの人生行路を自分として特に選ぶべきかについて、考慮をめぐらす余裕があった人たちである。この考慮の場合にも、人はひとえにみずからの天賦の傾向に思慮を集中しなくてはならない。というのは、事を行なう個々のあらゆる場合においても、われわれは上に述べたように、ひとえに天賦の傾向から何が適正であるかを尋ねるとすれば、生涯全体を通じての態度をきめる場合には、一貫して自分自身に忠実であり、義務の遂行においてよろめくことがないように、一層大きい注意をしなくてはならないからである。

120 これに関してもっとも大きい力を持つのは天賦の傾向であり、つぎにはわれわれの運命である。したがって一般に、生涯の行路を選ぶに当って双方を考慮しなければならないが、しかし天賦をより重く見るべきことはいうまでもない。天賦の方がより堅固より永続的であって、運命は時にこれと矛盾することがあっても、それはあたかも必死の人間が不死の自然と戦うようなものだからである。従って自分の天賦の傾向が徳にはずれるものでないかぎり、これにあわせて生涯の考慮を百方めぐらしたひとは、一貫して自分の道を進むがよい。それがもっとも適正なのだから。ただ生涯の選択を誤ったのを覚ったときは別だが、それが起った場合(それは起りやすい)、仕方、行き方を変更しなくてはならない。この変更は、事情の援助があれば、比較的容易に好都合にとり運ぶことができるであろう。事情がそれほど適当でない場合、徐々に、歩一歩、変えてゆくがよい。たとえば友人関係が次第に好ましくなく妥当でないとき、一時に断つより次第に関係を解くのが、より適正とするのが賢人たちの考えである。しかし生涯の行路の変更は、それが正当な考慮の下になされたことがはっきりするよう、あらゆる注意をはらわなくてはならない。

121 少し前に、われわれは祖先の模做をするがよいといったけれども、例外があって、第一に欠点をならってはならず、第二に天賦の傾向上、われわれが模做できないものを模してもならない。たとえば大アフリカヌスの子として生まれ、バウルスの実子(のちの小アフリカヌス)を養子とした人がそれであって、彼はすぐれない健康のため、小アフリカヌスが大アフリカヌスに似ていたほど、自分が父に似ることは、所詮できないことであった。従ってもし法廷で弁論を展開し、民衆を弁説によって魅了し、または戦争を行うことができないならば、正義、信義、寛大、謹慎、自制のような自分の力の範囲にある諸徳にすぐれることに努めて、欠けたところを補うようにしなければならない。父から子への最良の遺産であり、あらゆる家産にまさるものは、徳と功業による栄光であって、これを汚すことはまことにゆゆしい罪といわなければならない。

122 三十四 なお道徳的な義務も年齢によって一様ではなく、老若によって異るのだから、この区別についてもまた少し述べなくては、と思う。

 若いもののなすべきこととしては、年長を尊敬すること、そのうちから最良最秀のひとを選んでその智慮と威信にたよることである。若年の無経験は老者の明知をもって規制し指導する必要がある。特に若い時代に重要なのは、欲情からの隔離であり、労働における、また心身の忍耐における訓練であって、これによって軍務と平務におけるかれらの精力が旺盛であるようにしなければならない。たとえ心をゆるませ身を快適にまかせる場合にも、避けるべきは放恣であり、忘れてならないのはつつしみである。これは、もし右のような彼らの楽しみごとに、年長のものが加わるのを敢ていとわなければ、比較的容易に実現できる。

123 一方、老年者は肉体の労働を軽減し、精神の活動は増大さえすべきであるように思われる。しかしそのときも、友人、若い世代、殊に国家に対して、智慮と明知をもって、できるだけ援助の手を伸ばすように努めなくてはならない。けれども老年にとって何より用心しなければならないのは、無気力と怠惰に身をまかせることである。奢侈はどの年ごろにとっても道徳的に醜悪であるが、老年においては特に不面目である。これにもし欲情における放恣が加わった場合、その悪は二重となる。なぜなら、老年自体が汚辱をこうむるばかりでなく、若い人たちを放恣に駆り立てて、一層恥なからしめるからである。

124 なおまたこれに関係して、公官、私人、市民、異邦人の義務について述べることも、決して的はずれではあるまい。

 官職にあるものの本質的なつとめは、自分は国家に代ってその役割を演じていることを自覚して、国家の威信と名誉を護持し、法律を守護し、法的権利を画定し、そしてこれらが自分の信義に委任せられていることを、忘れてはならないことである。

 私人としては、他の市民たちと平等・衡平の権利をもって生き、たがいに卑下せず畏縮せず、といってまた高ぶることもないのがふさわしく、次に国家に対する関係においては、ひとえに事態の平静と道徳的な高貴さをみずからに求めるべきであって、このようなひとを「よき市民」とわれわれは常に考え、また呼んでいる。

125 異邦人や在住の外人は、自分の仕事以外は何も行わず、他人の仕事をおかさず、他国の政治に全く好奇心を起さないのが、その義務である。

 このようにしていれば、何が適正か、何がそれぞれの役割に、事態に、世代に、ふさわしいかが問題となるときも、われわれは道徳的な義務に関して大体明らかな観念を持つことができるであろうと思う。しかし何ごとを行い何ごとを企てるにも、つねに確固さを保つことにまきって、適正なものはない。

126 三十五 しかしわれわれの問題とする適正さは、われわれのあらゆる行為、あらゆることば、あらゆる身体的な動きや状態にも認められ、それは形のよさ、次第のよさ、行動にかなった品のよさとしてあらわれるが、この三つを口に出して説明するのはむずかしいけれども、要するに分ってくれさえすればよいとして、さてこの三つによってわれわれは、共に住み所(どころ)を同じくする人たちに受け容れられるように心遣いをするのだから、これらのことについて、少し述べなくてはならないと思う。

 まず第一に、自然はわれわれの身体の構成に大きい考慮をめぐらして、高貴なものをおもてにあらわす顔やその他の姿は目に見えるところにおき、自然の必要に応じるためのものながら形は醜くいやしい身体の部分はおおいかくすようにしてくれた。

127 自然のこの行きとどいた工夫にかたどって、われわれの羞恥の念もできている。そこで自然のかくしたものを、まともな心をもつものなら誰でもひとの目に触れないようにするし、自然の要求に応じるにもできるだけかくれて従うようにし、どうしても使わなければならない体の部分やその使い方を、その本来の名で呼ぼうとはしない。こういうこともかくれて行うかぎり道徳的に醜でないにしても、口にするのは不謹慎である。従ってこういう行為を明らさまに演ずることも、これについてつつしみのないことばを弄することも、無恥のわざといわなくてはならない。

128 けれどもこれについて犬儒派のひとや、ストア派であってもほとんどもう犬儒的であったひとたちに、われわれは耳をかしてはならない。かれらは、彼らの目からは道徳的に醜でないものをわれわれが口にするのを恥じ、彼らにとって醜いものを、そのままの名でわれわれが呼ぶといって非難し嘲笑する。強盗、詐欺、姦通は事実において道徳的に醜である、しかしその名を呼ぶのは不埒(ふらち)とはいえない。子をあげることは道徳的に高貴なことである、しかしそれの名をいえば不謹慎になる。ところがかれらはその他さまざまのことについて万事、われわれの羞恥心に逆らってあのような議論をする。しかしわれわれは自然に従いつつ、目や耳の不快とするところは避けようではないか。立っても歩いても、坐っても臥しても、その他、顔貌、目つき、手の動きにおいても、われわれはあの清美さ(適正さ)を失うまいではないか。

129 これらに関して特に避けなければならないのは、女々しく柔弱であってはならないことと、生硬無骨であってはならないことの、二つである。しかしこれらのことは一般のわれわれが行えば恰好がつかないが、俳優や弁論家にはゆるされ、かれらにふさわしいものだと考えてはならない。俳優といえども慣習上、古くからの格率があって羞恥を重んじ、舞台にはかならず下着をつけて出ることになっている。何かのはずみに体のどこかが露出して優美さを欠くと見られるのを怖れるからだ。われわれの習慣としても、年ごろの息子は父とともに、婿は義父とともに入浴しない。従ってわれわれは、自然を師とし先達とする場合は特に、この種の羞恥を忘れてはならない。

130 三十六 さて美に二種類があって、その一つには優雅さがあり、他には威厳がある場合、われわれは優雅を女性にふさわしいもの、威厳を男性的なものと見なさなくてはならない。とすれば男の威厳にかなわないかざりは一切自分の姿から除くべきであって、立居振舞においてこれに類する欠点にも用心しなくてはならない。たとえば体技の学校で身につけた体のこなしはしばしば不快の念を与えやすく、俳優のなかにもその所作がおろかさを免れないものがあり、両方の場合において素直で単純であることが賞讃に値する。ところで姿にあらわれる威厳をわれわれは肌の色のめでたさによって、その色は体練によって守る必要がある。のみならずかえって不快の念を与え、あまりに手の込んだものでないかぎり、身ぎれいさも大切であるが、それも野鄙(やひ)さをまぬがれ人らしからぬ無頓着さを避ける程度にしなくてはならない。服装にもこれと同じ注意をはらい、ここでも多くの場合のように、中庸がもっともよい。

131 行くには、行列の輿(こし)にも似ていると思われるほど、あまりに鈍いゆっくりした足どりであってはならず、急ぎのときにもそれが早すぎてはいけない。足取りが早すぎれば、息ははずみ、顔色は変り、顔つきも歪む。これを見れば落ちつきのないことが誰にもわかる。これよりはるかに重要なのは、われわれの精神の動きが自然の法則からはなれないように努力を仕遂げることであって、これには、もしわれわれが激情や喪心に陥らないように心がけ、適正の保持に注意ぶかく心を配っていれば、成功することができるであろう。

132 精神の動きも二種であって、一つは思惟の、他は衝動の動きである。思惟は真なるものの探究にもっともはたらき、衝動はひとを行動に駆りたてる。従って心しなくてはならないのは、思惟の作用は能うかぎり最善のもののために用い、衝動はこれを理性に捧げて従属させるべきことである。

三十七 一方、弁の力もまた大きく、これにも二つがあって、一つは演舌で他は会話だが、演舌は判決、民会、元老院の論判に用いらるべく、会話は社交的集会、友人との討論や交際に当てられるべきものであって、また饗宴に用いられるのもよい。演舌に関しては修辞論者による教説があるが、会話に関しては何もない。しかしこれも恐らくあり得ることであろう。何によらず習おうとする人びとの熱があるところにその師匠も見出されるものだが、しかし会話の教えをまなぼうとするものはひとりもなく、到るところ徒弟にあふれているのは演舌に関して修辞家のまわりである。しかし用語や文のいいまわしについてそこで教えられるところは、そのまま会話にも適用できると思う。

133 しかし話は声によってあらわれるが、この声についても、明瞭であることと、甘美であることの二つを得るように注意しなければならない。どちらも天分ではあっても、一つには練習によって、二つには正確円滑に語るひとの模倣によって、よくすることができる。

 両カトゥルスは文字(文学)の教養の高い人ではあったが、かれらに文字の発音について洗練された見識があろうとは、誰も信じることができなかった。もちろんほかにもこの種類の人がある。しかしラテン語を使ってもっとも上手とひとがみとめていたのは、まさにこの両カトゥルスであった。音は甘く、発音は気取って特に明瞭にいいすぎるのでもなければ口ごもるのでもなく、曖昧にわたらず不自然でなく、張り上げることもない声はひきずるようでも歌い上げるようでもなかった。豊満の点でまさるのはルキウス・クラッススの弁であり美事さもまた劣らなかったが、しかしよく語るという両カトゥルスの評価はクラッススに劣らなかった。しかし機知に富み魅力の点で皆を抑えたのは、父カトゥルス(前149-87、102年執政官)の兄弟(注)、カエサル(ストラボー)で、彼は法廷的な弁論においても、他のひとびとの演舌を、会話の調子で破ってしまうほどであった。
注 カトゥルスの母がカエサル・ストラボーの父ルキウスと再婚したのでカトゥルスの同母弟。

 何ごとに関しても適正さの実現を求めるならば、これらすべての点においても、われわれは完成を期しなくてはならない。

134 会話といえばその模範はソクラテス派の人たちであるが、われわれも会話において、おだやかで協和的であることにつとめ、そこに優美さがなくてはならない。あたかも自分の繩張りに来たかのように他人を押しのけてはならないし、他の場合と同様に、一緒に会話をするときにも「おたがい」ということの当然さを忘れてもならない。何よりも気をつけなければならないのは、何について語るかであって、真剣なことを話すなら真剣さが要るし、冗談ならば優美さがなくてはならない。また特に心しなければならないのは、自分の性格にひそむ何らかの悪徳を会話で暴露することであって、通例これが特に起りやすいのは、不在の人についてその世評を傷つけるために、冗談にもせよまじめにもせよ、悪意をもって毀損的に好んで語られるときである。

135 会話は普通、あるいは私事、あるいは公事、あるいは学芸への努力や学説などさまざまのものをめぐって行われる。従って話が迷って他に移りはじめたときは、それを元のすじに引きもどすよう注意しなければならないが、それも居あわす人たちの如何によって手心が要る。同じ話題ばかりでは、いつも同じように楽しんでいられないからである。なおまた会話がどの程度まで喜ばれるかに注意し、さらに話の始め方があったように、終る仕方もあることを知らなくてはならない。

136 三十八 しかし生活のあらゆる面にいて惑乱――すなわち精神の過度の動きであって理性の命令に服さないもの――を避けるべきことに関して、すでにもっともな教えが立派に存在するが、同様に会話に関しても、こういう動きを避けて怒りを起こさないよう、欲念、不活発、無関心、あるいはこれに類するものをあらわさないよう、われわれは気をつけ、特に会話の相手に敬愛の念を示すことを忘れてはならない。

 叱責もまた時に必要になることがある。この場合、おそらく平素よりも声に力を入れ、ことばを更に厳格にし、しかも心から怒ってしているのだと、見せなくてはならないであろう。しかし治療で焼いたり切ったりする場合と同じように、このような懲らしめ方もただ稀に、すすまぬ心をもって、他に矯正の手段がないときに限って、やむを得ず行うようにしたい。しかし一般に怒りは遠ざけるがよい。怒っては何ごとも正しく思慮ぶかく行うことができないのだから。

137 きびしいけれども相手の侮辱を含まない厳格さをもって行われる滋愛のある懲戒ならば、大多数の場合、われわれは適用してもよいと思われる。しかしその叱責がふくむ苦い味も、叱責は叱責されるひとのためを思ってなされたことを、示すものでなければならない。

 たとえもっとも憎む敵との抗争においてさえ、自分の品位を汚すことを言われても重厚さを失わず、憤激を抑えるのが、正しい道である。何らかの惑乱をまじえてなされたものは、一貫性を欠き、居あわす人たちの承認を得ることができないからだ。更にみにくいのは、特にありもせぬことをめぐって自分のことをいい立て、聞く人びとの嘲笑をおかして「自讃の兵士」をまねることである。

138 三十九 これで適正さについてすべてを述べたと、少くともわたしは思うが、なおつけ加えていいたいのは、地位の高い指導的な位置にある人には、どんな家がふさわしいかの点である。家の目的はその使用である。使用にあわせて建築の設計をしなければならないが、しかしまた同時に、住みやすさと地位に対する考慮もなくてはならない。

 グナエウス・オクタウィウスは彼の家系からはじめて執政官になった人であるが、聞いたはなしでは、この人がパラーティウムに壮麗で偉容をほこる家を建てたことはその栄誉を世にあげる機縁となり、家は世間の人を見物にひきよせ、建物が主人の選挙に幸いして執政の職にまで就けたのだといわれていた。この家をこわして自分の建物の延長にしたのは、小スカウルスである。だから、オクタウィウスはその家にはじめて執政官の職位をもたらしたが、スカウルスは最もすぐれもっとも有名な人の子でありながら、増築されたその家に、選挙の敗退のみならず不名誉と破滅をさえ、もたらしたことになる。従って威信は家によって高めらるべきではあっても、すべてを家にたよって求めるべきではなく、主人が家によってでなく、家が主人によって高貴さを与えらるべきである。また他のことがらにおいても自分のほかに他人のことも考えなければならないように、家に関しても主人が有名人である場合、多くの客を接待し、あらゆる種類の人たちを無数に受ける必要を考えて、家の広さに注意しなければならない。

しかしそれが雀羅(じゃくら)を張る(=さびれる)ありさまでは、大きい家は、普通、かえって主人の面目をおとすことになり、面目の失墜は、いつか別の主人の代に来客がいつも多かった場合、もっともはなはだしい。いやな思いがするのは、通行人がこんなことをいって通り過ぎるときである。

  ああこの、むかしからの家、
  何と主人の、まあ、ちがうこと!

これこそは、今の時代にも、多くの家についていうことができる。

140 ことに自分で建築するとき、程度をこして費用をかけ豪華にわたらないように、注意しなければならない。これが大きい災いとなった例もある。たいていの人はこういう事では指導的な位置にある人びとのしたことを、たとえばルキウス・ルクルスを、まねるものだが、その徳を誰かまねるものがあろう。しかも山荘の豪華をならうものの何と多いことか。こういうものにおいてこそ程度をわきまえ、中庸にかえるべきであって、そしてこの中庸の徳こそは生活の実践と形成のあらゆる面に移して適用されなくてはならない。しかしこれらの問題について今はこれまで。

141 さてあらゆる行為を起すにあたって心にとめなくてはならないものに三つがある。第一に衝動を理性の統御の下におくこと。義務の遂行にこれほど適当なものはない。第二に仕上げようとする仕事の大きさをはかって、注意と努力に過不足のないよう気をつけること。第三は、身分ある人としての外見と威厳に関して、適度をすぎないように心することである。しかしこれに関してもっともすぐれた道として、上に述べた適正さを守って行きすぎないに越したことはない。けれどもこの三つのうち、もっとも大切なのは、理性による衝動の統御である。

142 四十 次に事の秩序と、時の適時性について述べておきたい。これに関する知識はギリシャ人のいうエウタクシアの一部をなすものだが、しかし適度と訳されるエウタクシアでなく(適度は程度を含意する)、秩序の維持として理解されるエウタクシアである。そこでわれわれがこの語を解して適度と呼ぶとしても、その適度とは、ストア派の定義によれば、言行にのぼることがらをそれぞれその場所に置く知識である。こう解すれば、秩序と適置は要するに本質上おなじになるかと思われる。というのは秩序の定義もストア派によれば、適合・適切な場所へのことがらの配列すなわち適置だからであって、その場所――すなわち行為の場所――を得ることを、かれらは適時性と定義し、行為の適時を得ることがギリシャ語でエウカイリア、ラテン語でオッカシオである。して見れば、今述べた意味に解せられたこの「適度」は、行為の適時性に関する知識だということになる。

143 また、はじめに述べたが(第六章)、明知についても同じ定義を下すことができる。しかしここでは明知における秩序的なものとしての節度と自制、およびこれらに同類の諸徳を問題とする。そこで、明知に本質的な属性はすでにその場所で述べたから、ここでは、すでに述べて来た諸徳のうち、謙譲と世人からの是認に関するものについて、今述べなくてはならない。

144 こういうわけで、われわれは今いったような行為における秩序を、よくまとまった話におけると同じように、生活においてもかたく守って、すべてが互いに整合調和するように図らなくてはならない。これに反して醜悪ではげしく咎められなければならないのは、厳粛であるべきときに宴席にこそふさわしい言行をなし、あるいは、不謹慎な話を持ちこむことである。これについて立派であったのはあのペリクレス、彼がサモスとの戦いに詩人ソポクレスの同僚として共に指振をとり、二人が共通の義務の下に会合したとき、偶然美しいひとりの少年が通りかかった。たちまちソポクレスが「何ときれいな子だ、ペリクレス」、「いやソポクレス、指揮官は手だけでなく目も慎しまなければならない」。けれどもソポクレスがこれを言ったのが体操選手をためすときであったとすれば、この当然のたしなめを受けることもなかったであろう。時と場所をわきまえる重要さはこれほど大きいのである。たとえば、法廷でこれから事件を争おうとするひとが、旅中にまたは途上で、ひとりいろいろ思いをめぐらし、あるいは心をつめて何か他のことを考えても、非難されることはあるまい。しかしこれと同じように宴席で行なえば、時をわきまえない非人間と彼は見られるであろう。

145 しかしたとえばフォルムに放吟したり、あるいはその他目にあまる倒錯の例のように、あからさまに人間としての教養にはずれる行為は、誰の目にもその非はあきらかで、特に戒しめや教えを加えるまでもない。しかし見た目に大したことはなく、多くの人にもわからない非行に対しては、われわれはそれだけふかく注意して避けなくてはならない。ちょうど管弦の楽における少しの狂いも、識者の耳を逃れ得ないように、人生におけるわれわれすべての行為が、かりそめにも調子をはずさないように、心しなくてはならないばかりか、人生における行為の調和は、楽の音のそれよりはるかに重大で、はるかに心しなくてはならない。

145 四一 それで弦の音をきく楽人の耳はきわめて微細にわたって感じとるように、われわれもまた行為の欠点に対して鋭く注意深く観察すれば、小事から大事をさとることが一再ではない。ものを見る人の目つき、その眉のよせ方ゆるめ方、その悲しげと喜ばしげの様子、その笑い、そのものの言い方、黙り方、声の高低、その他これに類することがらに注意することによってわれわれは、人々の行為のいずれが義務と自然に調和的であり、何れが背馳(はいち)するかを、容易に知ることができる。だから他人のすることを見て、その行為の様相と本質を判断するのはむしろわれわれにとって都合のいいことであって、われわれは他人において適正でないものがあれば、みずからそれを避けることができる。というのも、どういうわけか、われわれには、他人の何かの欠点が、自分のそれより目につきやすいからだ。従ってものをならうとき、師匠が弟子の欠点をなおすために、それをまねて見せると、弟子には最も効果がある。

147 行為の選択に疑惑があるとき、学識のある人や殊に経験に富む人にたずね、それぞれの場合に遂行すべき義務についてかれらの意見を訊くのは、適切なことである。それというのも大抵のひとは、自分の性向のままに流されてしまう傾向があるからだが、しかし意見をきく場合、そのひとりびとりが述べてくれることがらだけでなく、またその考えているところ、さらに進んでそう考える理由にも注意してよく考えなくてはならない。画家や像をつくる彫刻家、また詩人さえ、それぞれ自分の作品が公衆の観察をうけ、多くの人びとから非難されるところがあれば訂正しようと望み、作品の欠点を内省して、人からも聞こうとするように、われわれも他人の批判をうけてあるいは遂行、不遂行をきめ、また変更訂正すべきことがきわめて多い。

 しかしその社会の風習や制度的な慣行によって行なわれることについては、何も与えるべき教えはない。慣行自体がすでに教えだからである。しかしここで誰も思いちがいをしてはならないのは、ソクラテスやアリスティッポスのようなひとが、その都市の風習や慣行に反することを行い、また述べたからといって、同じことが自分にもゆるされると考えることである。神にもひとしい大きい天賦があってこそ、かれらはあの自由が振るえたのだ。しかし犬儒派の考えのすじは全面的に排斥しなければならない。それは、道徳的なあらゆる正しさとあらゆる高貴さを支える道徳的な羞恥心の敵であるからだ。

149 ところで、道徳的に高貴で偉大な生活が世に聞え、共和制国家について正しい考えをもち大功を樹て、また樹てつつあるひとたちを、われわれは、一定の文武の官職を帯びる人たちと同様に、たっとび敬い、老齢には高く尊敬をはらい、官職につこうとするひとびと未就任官のひとびとにはゆずり、市民と異邦人の別を明らかにし、異邦人についてはその来訪が私的か公的かを区別しなくてはならない。

 細部を略して大筋をいえば、こうして全人類の宥和と結合を、われわれはたっとび、まもり、護持しなければならないのである。

150 四十二 さて手わざや営利の生業について、何が鷹揚で何を卑小とすべきかを、わたしは大体つぎのように聞いている。まず第一にひとに憎まれ、よしとせられないのは、たとえば徴税人、高利貸のような生業である。買われるのはその労力であって技術でない雇われ人の生業もまたすべて、卑しくきたないものであろう。その受ける報酬自体がかれらの場合、その奴隷性の証拠金だからである。また、きたないと考えなくてはならないのは即座に売りさばくためのものを大口の商人から買い入れるひとたちであろう。このひとたちは、大きく虚言をつかわなければ、利益をあげることがまったくできなかろうからであって、実際、虚飾ほど道徳的にみにくいものはない。手職のひともみな卑俗なわざに従っている。その職場には何も高貴なものがありえないからである。もっとも尊敬に値しないのがひとの快楽に仕える商売であって、

  魚うり肉屋料理人、腸づめつくり(鳥屋)にさかな取り、

とテレンティウス(『宦官』26行)もいっている。よければ、これに香油屋、舞踊手、およびあらゆる骰子さいころのあそび(大道芸)をめぐるすべてを加えてもよい。

151 一方、医術のように、建築のように、また高貴なものごとの教育のように、すべてより高い英知を要し、少からず公共の利益をもたらす技術は、これらの技術がふさわしい地位に立つ人びとの名誉を高めるものだ。商業は規模が小さければ卑しいと見なければならない。ゆたかに大きく、諸方の物資をもたらして誠実に多くの人々にわかつならば、それはひどく非難さるべきでないばかりか、挙げた利益に飽き、またはむしろ満足して、ちょうど沖の荒海からしばしば港に帰ってきたように、港から田園の地所に帰って住むならば、かれらも最も高い尊敬に値すると思われる。何ほどかの利益をもたらすあらゆるものの中、田園の耕作にまさってよいもの、ゆたかなもの、甘美なもの、これほど自由人にふさわしいものはない。この点をわたしはすでに「大カトー」に詳しく述べたので、該当するところはそれに就いて、お前も読むことができるであろう。

152 四十三 さて道徳的な高貴さの四つの区分から如何にして道徳的な義務が導出されるかについて、これで十分述べられたと思う。しかし道徳的に高貴な行為自身の間にも、二つのうち何れがより高貴かの点をめぐって、衝突があったり比較しなければならないことが多い。これはバナィティオスが見落した点である。すべて道徳的な高貴さは上来述べたような四つの部分――その第一は認識、第二は社会的協同の原理(正義)、第三は度量(勇気)、第四は節度(自制)―から流出するのだから、義務の選択に際してこの四つをたがいに比較する必要がよく起る。

153 わたしの意見では、このうち、社会的協同の意識に由来する義務の方が、認識から導かれる義務よりも自然により近いと思う。その根拠としてあげうる論議は、かりにここにひとりの哲人があって、その生活はあらゆる物資がおのずからゆたかに集まり、彼は自分の認識に値することがらに全閑暇をあげてひとり静かに考察と省察をめぐらすことができるとしても、もし彼がひとりの人にも会うことができないほどの孤独にいたなら、おそらく死せざるを得ないであろう、というのである。そしてあらゆる徳の第一位にあるのは、ギリシャ人がソピアとよぶあの英知である。似てはいるけれども明知といわれるのは、ギリシャ人がプロネーシスと呼ぶものであって、少し異なり、何を求め何を避くべきかについての知識だとわたしは理解している。これに対して第一位にいると述べた英知は神事と人事に関する知識であって、この知識によって神々と人間の協同、人間と人間との社会的な結びつきが成立する。もし英知が(事実そうであるが)最大の徳だとすれば、協同の意識から導かれる義務(社会的義務)こそ最高でなければならない。というのは、自然を認識し省察するだけでは欠陥があり完全ではないからだ。それを完全にするためには具体的な行為が伴わなくてはならない。ところが行為は人びとの利益を守るところに最も鮮かにみとめられる。従ってそれは人間の社会的結合の成立に本質的な関係がある。こうして社会的協同の原理は認識の上位におかれなくてはならない。

154 こういう次第であることは最もすぐれた人たちも実例で明らかに示し、またそうだといっている。宇宙の万象の洞察と認識にどんなに心を奪われている人でも、そのすぐれた認識能力にこそもっともふさわしい事象をあれこれと取り扱い思索している時に、たまたま祖国の危急が伝えられたとすれば、彼にはその難に赴いて危急を救う能力がある場合、彼はそうしたすべてをたちまち打ち残し打ち棄ててしまわないであろうか。たとえそれが星の数をかぞえつくし、世界の大きさを計量する能力を自負する場合であったとしても。のみならず彼は同じことをその親の、その友の危急に際しても、するにちがいない。

155 これらのことによって、知識的な研究や義務に対しても、社会的協同の原理としての正義に基く義務が優先することを、われわれは知ることができる。ともに暮す人たちの利益に関係するこの義務より、人間にとって本源的なものがあってはならないはずである。

四十四 事実また、生活と熱情をかたむけて物象の識知につとめた人たちも、他方にひとびとの利益と福祉の増大をはかる努力を避けてはいなかったのである。かれらは多くの人びとを教育してそれぞれその国家に有用な、よりよき市民たらしめることを期した。たとえぱテーバイのエパメイノンダスをピタゴラス学派のリュシスが教え、シラクサのディオンをプラトンが、というように、教えた人も就いて学んだ人も多い。わたし自身についていえば、国家に対する今までの貢献は――かりに貢献したとすれば――、わが師たちとその教説におしえられ、それを身につけてこそ、できたのである。

156 しかも師たちは、熱心に学ぶ人たちを、そのまのあたりに生存して教育し訓育するばかりではない、死してなお、文字にのこるその文記を通じて同じことをつづけるのである。法律、慣習、国家の統率に関して、何ひとつこれらの人たちから見逃された点はなく、まことにこの人たちはその閑暇をあげてわれわれの事業につくしてくれたと思われる。このように、みずから学問の研究と英知の獲得に身を捧げつつ、この人たちは人類の利益のために知力と明知をいっぱいに注いでいる。この理由からいっても、ひろくゆたかに語ることは、内容が賢明でさえあれば、それは、単なる無言の如何に鋭い思弁にもまさるといわなければならない。思弁は思弁する人の内部にとどまるに反して、語ることは、ともに協同の精神にむすばれた他の人たちをも包含するからだ。

157 蜜蜂の群は蜜房をつくるために相むらがるのでなく、本能的に群集性があるために集って蜜房をつくるのであるように、人間もまた――しかもこの場合ははるかに強く――本能的に相集まって、ともに巧緻な行動と思弁をあらわす。従ってひろく人間をまもる精神、いいかえれば人類協同の精神に成立する正義の徳が、物象の認識による追求に伴なわなければ、認識も孤立して無効に帰するほかはないであろうし、精神の度量(勇気)も人間間の協同と結合を失っては、一種の野蛮性・野獣性にすぎないと思われる。結局、認識への努力は人類の社会的結びつきと協同の風下(かざしも)に立つことになる。

158 時々聞くことだが、人間は他人の助けがなければ、自然に要求されるものを手に入れ、あるいは実現できないので、生活の必然に迫られて他人と協同し結合する、といい、従って反対に、もしすべてわれわれの生存と生活に必要なものが、あたかも伝説の魔法の杖にでもよるように供給されるなら、すぐれた天賦の人はみなあらゆる仕事を放擲して認識と知識に没頭するであろう、というのは誤っている。決してそうでない。やはり彼は孤独をのがれて研究の仲間を求め、たがいに教えたがいに習い、聞いたり聞かれたりを望むにちがいない。従って人間の社会的な結合を守って力があるすべての義務は、当然、単に認識と知識に由来する義務より上位に置かれなくてはならない。

159 四十五 そこで当然こういう問題も起こされるであろう。われわれの本性にもっとも深く根ざす協同性は、節度や謹慎に対してさえいつも優越するものであろうかと。わたしはそう思わない。というのは、世には、賢人なら、たとえ祖国を救うためにも行うのを潔しとしないほど、一面において醜悪、他面において罪悪的な若干のことがらがあるからである。それらの例をポセイドニオスは無数に挙げているが、なかにはあまりにいまわしく見苦しいものがあって、それらは口にもできないほど醜悪だといってよい。これらを賢い人は国家のためにとて取りあげることはないであろうし、国家もまたそれを望まないにちがいない。しかし事実はこのように案ずるほどではない。これらの醜いことが賢人によって行なわれることが国家の利益であるような事態はありえないからである。

160 だから結局、いろいろの義務からの選択において、かの人間の社会的結合に根ざす種類の義務が優越するのは間違いがない。というのは当然、思慮深い行為は認識と明知があってできるのだから、明知をもって単に考えるだけより、思慮ぶかい行動を高く評価すべきことになる。

 この問題はこれまでとしたい。というのは、すでに問題のあるところが明らかにせられたのだから、道徳的な義務の選択に際して、そのいずれを他に対して優先させるべきかは容易に判定できるからである。しかし社会的協同自体に関してもその義務の段階があり、段階のあることを知れば、義務のいずれを他に先立てるべきかも知ることができる。たとえばわれわれの第一の義務は不死の神々に、第二は祖国に、第三は父祖に、ついで段階的にその他におよんで尽されるのでなくてはならない。

161 以上、簡単に論じて来たことがらから、常に人間は、それが道徳的に高貴か、醜悪かにまどうだけでなく、提出された二つの高貴さのうち、いずれがより高貴かについても、迷うことがわかる。この点は上にも触れたようにパナイティオスは見落している。しかし今は次の問題に移りたい。

第二巻 有利さについて

1 一 前の巻でわたしは、わが子マルクスよ、道徳的な高貴さ、より具体的にはむしろ徳の四つの種類から、義務というものが如何に導かれるかについて、十分に説明をしたと思う。つづいていま、この四種の義務について、それらがわれわれの生活の形成、人間のつかう物資の調達の機会、また勢力、財産に関係する場合を討究したいと思う。これに関して問題となるのは、さきに述べたように、何が有利で何が不利か、また有利のうち、何がより有利で何が最も有利か、の点である。この点の説明をはじめるのに先立って、しばらく本書におけるわたしの意図と見解とを述べておきたいと思う。


2 というのは、わたしのこれまで書いた本は少なからぬ人たちを刺激して、読むだけでなく書くことにも熱意を抱かせるようになったが、しかし時としてわたしが心配するのは、若干のよき人びとにとって哲学という名がすでに虫のすかないものであって、わたしほどのものがそういうことに、これほど精力と時間を傾けるのをいぶかしく思っているだろうということだ。しかしわたしは、国家がすすんでみずからを託した人びとの手によって舵をとられていた間は、絶えずわたしの心配と思慮とをあげて国家に捧げていた。ところがただ一人の支配の下に国家のすべてが握られ、どこにも協議体の考慮や元老院の権威のはたらく余地がなくなって、遂には国家(共和政体)護持の盟友であった最高の人たちを失うにいたっても、わたしは憂悶に身をまかせもしなかったし――もしそれに抵抗しなかったなら完全に負けていたであろう――、また哲学に鍛えられた人にふさわしからぬ快楽におぼれることもなかった。

3 それにしても、国家が国はじめの時の状態を維持し、その変革よりむしろ転覆(てんぷく)に躍起となるものたちの手に陥ってくれなかったら、と思う。その場合は第一に、国家がしっかり立っていたときのわたしの習慣どおり、書くことよりも実際の政治活動に力を入れ、第二に、たとえものを書いても今のような内容でなく、かつてよく試みたような自分の政治的な行為を、ひとに伝えることにしたであろう。けれどもわたしの配慮と思惟と努力のすべてが常に注がれていた共和制国家が無きにひとしい状態になってから、わたしの世に知られた法廷的、元老院的な弁論を盛る文書は、もちろん沈黙せざるをえなかった。

4 しかしわたしの精神は何もせずにはいられないのだから、もし哲学に向ったならば、若いときのずっとはじめからこの種の研究に親しんで来たわたしとして、この悲嘆を忘れることもできようと考えた。哲学には若いとき、修業のためにわたしは多くの時間を捧げたが、その後次第に歴任する官職に奉ずることになり、一身をあげて国家に仕えてからは、友人たちと国家との要求に応じてあとに残る時間だけを、哲学のために取ることができるにすぎなかった。その時間もまた全く読むことに費やされて、書くいとまはなかったのである。

5 二 この上ない逆境にいながらもわたしは、同胞によく知られていないがしかし知る価値のあることを文字の形に伝えることができて、この点、いいことができたと、ひそかに思っている。何といっても、神々にかけて、英知にまさって何がより望ましく、何がよりすぐれ、何が人間により有益であり、何が人たるによりふさわしいであろうか。英知を熱心に求めるひとこそ哲人といわれ、哲学とは、訳していえば、英知への熱愛にほかならない。その英知は、昔の哲人たちが定義していったように、人事と神事の、およびこれらを包む原因諸関係の、知識であるとすれば、この研究を非難するひとにとって、賞讃に値すると考えられるものは一体何であるのか、わたしにはよく分らない。

6 われわれが精神を楽しませ心配を鎮めたいならば、よき幸福な生活を目標としその実現に効果のある何ものかを、常に求める哲学的な人びとの研究に、比較できる喜びがどこにあろう。もしまた一貫的な性格と徳性の樹立が求められる場合、その達成の道としてあるのは、この学問によらずして何がある。もっとも卑小なことに関しても必ずその技術があるときに、人生の最大事に関してそれが一つもないと主張するのは、無思慮にものをいい、人生の最大事が分らないひとのするところといわなくてはならない。徳をまなぶ教えは現に存在する。にもかかわらずこの学習の方途をはなれて、どこにひとはその道を求めることができるであろう。

 しかしこれらのことは、ひとを哲学にいざなう場合、わたしはもっと詳しく論じるのが常であるが、それは他のある本(『占いについて』第二巻冒頭二章)ですでに試みておいた。今はただ、国事への奉仕からはずされたわたしが、何よりもまずこの研究に、何故身をゆだねたかの点だけを、明らかにすべきだと思ったのだ。

7 ところがここに、わたしに向って、それも学識があり教養のある人たちから、こんな問いがかけられて来る。君は何ごとも確実に把握されることができないといいながら、平素他のことがらを論じているかと思えば当今は義務の教えを細かく追求している、それで十分一貫的な態度をとっているつもりなのかと。こういう人たちに、できれば、懐疑論によるわたしの立場が十分わかってもらえたらと思う。というのは、わたしは決して、錯誤に昏迷し追求の目標をもたない精神の人間ではないからだ。一体、推論のみならず生活の理法を失ったあとに残る精神の動きや更にむしろ生活の仕方は、どんなものになるとお前は思う。わたしはそんな人間ではなく、他の人たちがあるものを「確実」とし他を不確実と呼ぶのに対して、意見を異にする立場のわたしは、あるものを蓋し「もっともだ」と見、他をその反対に呼ぶのである。

8 それではこのもっともだとわたしに思われるものにわたしが従い、その反対のものを否認し、真理の把握の可能性を主張する僭越な確言を避けて英知にもっとも遠くはなれた軽率さをのがれることを、わたしに妨げるものに一体何があろう。とにかくすべてに対して反対的にわれわれの側の哲学者が発言するのは、双方の側から立場の相違をたたかわすのでなければ、いま問題とするこのもっともなものも、明らかにされることができないからだ。

 しかしこの問題もわたしは自分の「アカデミカ」のなかで十分、だと思うが、注意ぶかく説明しておいた。お前は、わが子キケローよ、伝統のもっとも古く世にもっとも聞えた哲学の学派に身をよせてその派の祖師たちに少しも劣らないクラティッポスを現に師としているが、わたしの信奉する学派の主張も、それはお前の属する学派のそれに非常に近いことを、やはりよく知っていてもらいたいと思う。

 しかしもうここではじめの目的に帰りたい。

三 そこで、義務の遂行に関して提出された方法に五つがあって、その二つは道徳的な済美や高貴さに、他の二つは生活の便宜、すなわち便益、富、手段に関係し、第五は以上がたがいに矛盾するときにくだすべき選択の判断に関係する。このうち道徳的な高貴さに関する部分はすでにすんだが、この部分こそわたしがお前の十分な理解を最も望んでいるものだ。いまわたしが取りあつかおうとするのは、普通に有利さと呼ばれるものにほかならない。ただこのことばは、慣用にひずみができて次第に本道をはなれ、ついにひとは道徳的な高貴さを有利さから切りはなし、高貴なものは有利ではないあるもの、有利なものは高貴でないものと見做すにいたったが、およそ世間に導入された害毒でこれほどいまわしい誤りはない。

10 これに対して、最高の権威をもつ哲学者たちは厳密で高貴な態度の下に、理論的につぎのような三つの、たがいに入り組んでいる、その概念を区別している。すなわち、正義的なものはやはり有利なものであり、同様に道徳的に高貴なものは同時に正義的であると、かれらは考える。ゆえにすべて高貴なものはそのまま有利なものになるというのである。この理屈をふかく理解できないひとは、あやまって、老獪(ろうかい)で知恵のまわる人たちを嘆賞して、邪悪さを英知ととりちがえやすい。もちろんこういう錯誤は芟除(せんじょ)しなくてはならない。そして希望するものが達成できるのは、欺瞞と悪意によってではなく、高貴な心術と正しい行為によってこそ、可能であるという期待を、われわれの信念としなくてはならない。

11 そこで人間生活の維持に関係するものは、といえば、その一部は金、銀、あるいは土地の産物、その他これに類するもののごとく無生物であり、一部は有生(うしょう)のものであって、これらはそれぞれ衝動と物欲をもっている。そして有生のものの一部は理性を欠き、他はそれを持つ。前者は牛馬その他の牧獣(また蜜蜂)であって、これらのはたらきによって人間の用と生活に役立つものが生産せられ、一方、理性を使用する後者にも二種があって、その一つは神々、他は人間である。神々の好意を、人間は敬虔さと聖徳によって得ることができるであろうし、神にもっとも近く存在し神につづくものとして人間は、人間に対してもっとも有益なものであることができる。

 害となり妨げとなるものについてもまた同様な区分を施すことができる。しかし神が害をなすとは考えられないのだから、神々のことはいま別として、人びとに最も害をなすのは人びとだと考えてよい。

 いわゆる無生物も大抵は人びとの協同によるはたらきによる所産である。それらもわれわれの手と技術が加えられなければ人間の所有にならなかったであろうし、人びとの管理がなくては享用(きょうよう)することもできないであろう。それらの健康の配慮といい、航送といい、耕作といい、また畠のみのりやその他土地の産物の取り入れと保存といい、一つとして人びとのはたらきを借りずにできるものはなかったといえる。

13 のみならず、あり余ったものの輸出、足りないものの輸入も、人びとがその任に任じなければ、まったく存在しえなかったであろう。同様に人間の使用に必要なものとしての石さえ、人びとの労力と手なくしては、土地から切り出されなかったであろうし、「深くかくれし鉄や銅、金や銀」さえ掘り出されることはなかったであろう。

四 冬の猛威をしりぞけ暑熱の苦しみを払うわれわれの家々も、共同生活によってわれわれが人びとから助力を求めることを教えられなかったならば、先ず、それがどうして人間たちに与えられ、ついで、もしそれらが風雨の猛威や土地のゆれ、または年月による老朽によって倒れたとき、どうしてその再建・補修の援助を得ることができたであろう。加えて水の導溝、河川の派成(運河のこと)、農園の灌溉、防波の築堤、築港を考えて見るがよい、その一つとして人びとのはたらきによらずして、われわれはどこから得ることができよう。

14 これらのことや、これに類する多くからきわめて明らかなように、無生物から取得されるいかなる成果、いかなる効用も、人びとの手とはたらきがなければ、一つとして得られなかったであろう。

 人びとの協力がなければ、最後に、動物からも、いかなる効用、いかなる便宜をも、われわれは得ることができなかったにちがいない。いかなる動物からいかなる効用を引き出しうるかを最初に発見したのも人間にちがいなかったし、今日においても、人びとのはたらきがなければ、それらを牧養し、調教し、保育し、あるいはそれらから季節の産物を引き出すことはできないであろう。人びとによってまた、有害な動物は殺され、有益なものは捕獲されるのである。

15 われわれの生活を可能ならしめるためにどうしても欠くことのできなかった無数の技術を、あらためて一つ一つかぞえ上げる必要があろうか。こんなに多くの技術がわれわれの必要に応えてくれるのでなければ、どうして病む人たちを支え、どうして健康な人たちを楽しませ、どんな活き方、暮し方をわれわれはしたことであろう。技術によって磨かれて人間の生活はこれほど野獣の活き方、暮し方から遠いものになったのだ。都市といえども、人たちの協同がなければ、建設もされなかったであろうし、人の会集もなかったにちがいない。このおかげで法律・習慣の確立もありえたし、また法的権利の公正な配分、生活の秩序の確立も可能であった。これらの確立に追随して人びとのおだやかな心の持ち方も定まり、たがいに尊重の念もできて、結局、人生はより安全となり、われわれは与え、受け、手段と利便をたがいに交換しあうことによって、一切の不足をまぬがれるようになった。

16 五 この点に関してわたしの話は必要以上に長すぎるかも知れない。というのは、多くのことばを費やしてパナイティオスが説いたことがら――外征に将となっても内地に政治の第一人者としても、人びとの熱心な協力がなければ、めでたく大きい事業の遂行はできないということを、自明の理としてすでに知らないひとはないからである。パナイティオスはテミストクレス、ペリクレス、キュロス、アゲシラオス、アレクサンドロスの例をあげ、この人たちも人びとの援助がなければ、あれだけの仕事は成就できなかったであろうというのである。こういう自明のことに関して、彼は無用の証人をいくつも例示する必要はなかったといえる。

 こうしてわれわれは、人びとが息を合わせ心を合わせてくれることによって、大きい有利さを達成するのであるが、一方またこれと並んで、いかなるいまわしい災いも、人に向って人から生まれ出ないものはない。偉大で雄弁な逍遙派の哲学者であったディカイアルコスには人間の破滅(横死)についての書物があって、かれはそこに、そのほか洪水、疫癘(えきれい)、荒蕪(こうぶ)、また野獣の突然の襲来を原因として、人間のさまざまの集団が絶滅させられた例を集め、進んでまた、戦争反乱というような人間からの攻撃によって、その他の災禍によるよりも、いかに多くの人たちが亡んだかを比較している。

17 従って益も害も人間が人間に対してもっとも多く施すという点は疑いないのだから、徳の本来的な機能としてわたしが信じるのは、人びとの心をなだめて自分の用役のために統一することである。それで、無生物において、また動物の使用と取り扱いにおいて、人間生活に有利に利用せられるものは、勤勉な技術のおかげとしなければならないけれども、人びとの熱意を駆って進んでわれわれの物需を増加する心構えをなさしめるのは、卓出した人びとの英知と徳である。

18 事実、徳は一般に三つのものに存立する。その一つは英知であって、与えられたあらゆる個々の場合において何が真であり実であるか、何が個々の場合に調和し、何が導出され、何からあらゆるものが生まれ、何があらゆるものの原因であるかを洞察する能力であり、第二は自制であって、ギリシャ人がパテー(パトスの複数形)と称する精神の乱れを抑え、ギリシャ語でいうホルマイ(ホルメーの複数形)すなわち激情を理性によって馴化(じゅんか)する能力、第三の正義は、ともに暮す人たちを程よく老練に用いて、その熱意を利用することによって自然に欠けたものを満たし増大し、われわれに不利益がもたらされた場合、その人たちの力を利用してこれを押し返し、加害を企てたものに復讐し、公正と人道のゆるす範囲の罰を加えることである。

19 六 そこでどういう方法をつかって、人びとの性向を把握し、それを把持する能力を得ることができるかを、すぐにも示したいのだが、その前に少し言っておきたいことがある。

 運命は順逆両境にむかって大きい力を持つことを、誰も知らないものはない。その順風に乗れれば希望の港に着くし、逆風にあえばさいなまれる。この運命自体には他の比較的稀にしか起らない災厄の場合もあって、無生物から起る暴風、台風、難船、地変、火災、さらに野獣からは突かれたり咬まれたり襲撃されたりすることがあるが、すべてこれらの場合(災厄)は、それでも比較的まれである。

 ところが頻々として起るところの軍隊の壊滅(たとえば最近における三つの、またさまざまの時にしばしば起った多くの軍隊のごとく)、将軍たちの破滅(たとえばこの間の有名な最もすぐれたひとの場合のごとく)、そのほか大衆からの憎悪とその結果として当然起る度々の追放、禍難、遁走、その反対の順境、栄職、号令権、勝利、――すべてこれらは偶然とはいうものの、人びとの力と意力とが加わらなければ、順逆いずれにも結果しないものである。

 これがわかれば、つぎに、人びとの熱意をどうすればわれわれの共同の利益に誘起できるかを説くことができる。この点について、これからの論が、長すぎるとお前に思われることかも知れないが、そうならこの論のもつ有益さと比較するがよい。おそらくそれでも短かすぎると思われるにちがいない。

21 何にせよ人びとがある特定のひとりを助けて、その人の地位と権威を高めようとするのは、人びとが好意上、何かを理由として誰かある人をこのむ場合、あるいは尊敬の念からその人の徳を仰ぎ、いかなる幸せにもその人は値すると考える場合、あるいはその人に信頼しその人が自分たちの事情をよく心がけてくれると判断する場合、あるいはその人の勢力をおそれ、あるいは反対にその人から何ものかを期待すること、あたかも王や人気とりのやからから何か寛大な贈与が約束せられるような場合、あるいは最後に賞与や報酬に釣り出される場合、であって、この最後の場合は、これに釣られるひとたちにも、この手段に訴えようとする人たちにとっても、これほど卑しくこれほど不正なやり方はない。

22 徳によって完遂さるべきことがらが金銭によって試みられては、ろくなことはあるまい。しかしこの種の方策に出るのも時にとっては避けられないのだから、これをどう利用すべきかをこれから示したいと思うが、その前に徳とより密接な関係にあるものについて述べておきたい。

 一体人びとが他人の号令に服し権力に屈するについては、さまざまの原因がある。その人に対する好意、その人から受ける恩恵の大きさ、その人のもつ権威の高さ、その人に服するのが自分に有利であろうとする希望、その人から暴力によって圧服される可能性に対する恐怖、または寛大な贈与の期待や約束にひかれることもあり、最後に、われわれの国家で度々見られるように、報酬(賄賂)に釣られてのこともある。

23 七 しかしこういう原因はいろいろあるにせよ、すべてのうち、勢力を手に入れそれを堅持するためには、人びとから愛せられるより適切な道はなく、人に怖れられるより目標はずれのことはない。エンニウスの美事なことばにも、

   怖れらるれば憎まるる。諸人のにくしみ買うものは
   亡びむことこそ望まるる。

 大ぜいの憎しみにはいかなる勢力も対抗できないことが、みなに以前はわからなかったにしても、このごろは理解できたことと思う。事実、この国家がその武力による抑圧をかつて忍びとおし、しかもその死後、今なお服従を余儀なくされているこの暴君(カエサル)の死が、人びとからの憎悪がいかに恐るべく、ついにその死を見るまでやまなかったほどであることを示すだけでなく、その他さまざまの暴君どもの同じような最後も、やはり同様にして、このような死であることを、ほとんどみな免かれることができなかった。人に与える恐怖は長期にわたる楯とはなしがたく、好意こそ信頼するにたる永久のまもりである。

24 しかし力で抑えられたものたちを号令によって統御するひとは、もちろん厳格な態度に出なければならないこともあろう。たとえばそうしなければ抑えのきかない家隷に対する主人のように。けれども自由な国家において人から恐れられるような態度をとるものは、この上なく思いちがいをしていることになる。すなわち、たとえ誰かのふるう勢力の下に、法律は覆(くつが)えされ自由は脅やかされたとしても、それらはいつかの時に、あるいは沈黙の判決として、あるいは官職選任における秘密の投票の形において、表面にあらわれて来るからだ。かつて脅やかされたことのない自由よりも、中絶されて再び獲得された自由の牙の方が更に鋭い。それでわれわれとしては、皆の心にひろく訴えながら、しかも身の安全を保障し、なお勢力と影響力とをもっとも増すゆえんのものを身につけて、人びとからの恐怖を避け、愛情を保持できるようにしたいものではないか。こうすればわれわれの望むところを、公私両面にわたって、達成できるであろう。事実望んで人びとから怖れられるものは、また、その人びとを怖れずにはいられない。

25 あの老ディオニュシオスの話をどう思う。常々恐怖にさいなまれて、ついに剃り師のかみそりをおそれ、炭火をおこして髪を焼かせたというではないか。ペライのアレクサンドロスはどんな気持で生きていたと思う。書いたものによれば、彼は妻テーベーを非常に愛していたにかかわらず、宴席のあと彼女の寝室にはいるときはいつも蛮族の、しかもこれを書いたものによれば、トラキア風の入れ墨をしたひとりの男に抜き身を下げて先きに立たせ、なお数人の護身兵をさきに遣わして婦人用の櫃(ひつ)をさがして、なかの衣類の間に武器がかくされていないか調べさせたという。おおあわれ、蛮族で奴隷の烙印を押されたものを、つれあいよりも信頼できると考えたとは。それも事実となった。ほかならぬ妻のために、妾があるかと疑われて、彼は殺されたのである。

 強権というものも、結局どのようにしても、身にあつまる人びとからの怖れの念の前には、続きしないものだ。

26 その証人はパラリス、この僭主の残虐の悪評は他の人びとの域をも超えて高かったが、彼は今述べたアレクサンドロスのように陰謀に倒れたのではなく、また今しがたまでわれわれの主であったもの(カエサル)のように少数の人たちの手にかかったのでもなく、アグリゲントゥムの全衆が、彼にむかって襲撃を加えたのであった。

 そればかりではない。マケドニア人もその王デメトリオスを棄ててピュロスに走ったではないか。また更に、不正な支配をつづけるスパルタ人は、ほとんどすべての友邦からにわかに棄てられ、レウクトラにおける悲劇を冷やかに見送られたではないか。

八 こういうことにおいては、自国より他国の例をひきたいと思う。けれども自国についていえば、かつてローマ国民の命令が不法によらずに恩恵によって行われていた間、戦争は単に明邦のためかローマの覇権の維持のために行われ、終戦の条件は穏和であり必要な程度にとどめられ、元老院は諸方の王や民族・国民の港であり避難所であった。そしてわれわれの政官も城軍も、ローマの州領や盟邦を公正誠実にまもることをのみ、最大の賞讃を獲る道としてはげんだのである。

27 従ってそれは世界に対する主権というより、より正しくは保護権と称せらることができた。この習慣と秩序とを、われわれはすでにスラ以前から次第に後退せしめ、スラの勝利以後は徹底的にこれを失った。盟邦に対する不公正が問題となる時期はもう過ぎて、現れて来たのはローマ市民自体に対するかほどまでの残忍さである。スラにおいて高貴な戦争の名目につづいたのは高貴な勝利ではなく、彼はよき人たち、富める人たち、しかも明らかにローマ市民である人たちの財産を、フォルムにおいて槍を立てて競売にかけて売りながら、敢ていった、「わしはわしの勝利品を売るのだ」と。彼につづいてあらわれたもの(カエサル)は、その戦争の名目もいまわしく勝利はなおも汚かったにもかかわらず、個々の市民の財産を公売に付したのみか、全面的に州や地方を、一挙に破滅の権力をふるって、合併したのである。

28 こうしていくつかの外邦の民族は苦しめられ亡ぼされ、ローマによってその主権が奪われた例証を見せるために、マッシリア(マルセイユ)の都市の象徴が(カエサルの)凱旋式の行列中に運ばれてゆくのをわれわれは見たし、この都市はこうして常に凱旋の材料とせられ、この都市がなければローマの将軍たちも、アルプスのかなたガリアの戦いからの凱旋式を絶えてあげ得ない有様であったことも、われわれは見た。このいまわしい事実にまさってなおいまわしいものをかつて太陽も見たことはあるまい。あったとすれば、外邦に対するローマのかずかずの不正行為を算えつくして見てもよい。われわれは当然その罰をうけている。多くの人びとのおかす侵略・凱旋の罪業をローマが厳重に罰して来たなら、決して特定のひとりの(カエサルの)手に、かほどのほしいままを行う権利は渡されなかったであろう。しかもかれの財産は少数の、彼の野心は多数の、それぞれ暴民の手に遺産として伝えられている。

29 だからこの呪われた人間どもが、かの血にまみれた槍を忘れず、更に新しいのを期待する間は、断じて内戦の種子と原因はなくならないであろう。たとえばプブリウス・スラ(独裁者の甥)は、近親のルキウス・スラが独裁官であったとき、こうした「槍」をふるっていたが、同じこの人間はまた三十六年の後に、さらになおも罪のふかい槍から避けようとはしなかった。もうひとりのスラ(注)は、さきのもの(ルキウス・スラ)の独裁官職の下における書記であり、のち(カエサル)の場合における都府財務官であった。これらの事実からわれわれがはっきり知らなくてはならないのは、報賞がこうして提供されるかぎり、内戦はやむことがないということだ。
注 コルネリウス・スラのこと。

 だからローマでは、もうその囲壁が立ち残っているだけで、――その囲壁さえ極端な罪業の襲来に脅えている――、ローマ国家というものをわれわれは根底から失った。しかもこの破滅にわれわれは、話をはじめの主題にもどしていうが――、ひとに愛せられよろこばれるより、むしろ怖れの的となることを求めている間に、陥ったのだ。不正な支配権をふるうローマ国民にこの破滅が起りえたとすれば、個々の市民に何が起ると思わなくてはならないか。これについては、好意の力が偉大で、脅威の力の弱いことがすでに明らかなのだから、つぎに、どうすればわれわれの望むところの、人からの好意を、栄誉と信頼と併せてともに、もっとも容易に得ることができるかを、論じたいと思う。

30 しかし誰もみなこの好意を同じ程度に必要としているわけではない。多くの人たちから愛せられるのが必要か、少しの人からで十分とするかは、人それぞれの生活の立て方による。しかし確かなことは、しかも第一義的でありもっとも必要なことは、われわれを愛しわれわれの価値を賞美してくれる友人との信頼できる親交を持つことだと思う。実際この友情の一事こそ、偉大な人も普通の人々も、ひとしくはぐくむべく、双方の間に大きいへだたりをあらしめてはならないのである。

31 栄誉や名声、また市民からの好意を必要とする程度は、人によって一様ではあるまい。しかしこれらが得られると、それは他のことにも、友情の獲得にも、相当役に立つ。

九 しかし友情については「ラエリウス」という名の他の書物で述べたので、今は名声について述べたいと思う。「名声について」もわたしに二巻の書物があるが、何ぶんこれは大きい事業を管理するのに非常に有用なものだから、ここでもあえて触れることにしたい。

 最高の完全な名声はつぎの三つの場合からなっている。民衆から愛せられるとき、信頼せられるとき、一種の讃美をまじえつつその栄誉に値する人と考えられるとき。この三つが生じるのは、率直簡単にいって、個人からの場合も大衆からの場合も、その由来に大きいちがいはない。しかし大衆に向ってはおのずから別の接近の道があって、これによってわれわれはみんなの心へ普遍的に、たとえていえば、うまく忍びこむこともできるであろう。

32 そこで、今あげた三つのうち、まず大衆からの好意を得るについての教えを見ることにしたい。そのもっとも有効な道は恩恵を施すことであるが、第二には恩恵的な意志を示すことによって、多少の不十分さはあっても、人の好意を動かすこともできる。しかし大衆の愛情をはげしく揺り動がすためには、単なる噂、単なる評判、――その人が寛大、親切であり、正義的、誠実であって、その他、その人の性格のやさしさや、話しかけやすさに連なる諸徳の、単なる噂や評判でも十分である。

 これは当然なことであって、われわれがいうあの道徳的に高貴で清美(decorum適正)なるのは、それ自体においてわれわれに好ましいだけでなく、またその本質と外貌によってすべての人びとの心をゆり動かし、さきにわたしが述べた諸徳からいわば非常につよい光で輝き出るところのものだから、こういう徳を内にいだくと思われる人たちを、われわれはおのずから愛さずにはいられないからである。これらが人に好まれる最も重要な原因である。これにくらべていくらか軽いものも、そのほかにないことはない。

33 第二に、人に信頼をもたれる事情として二つを考えることができる。一つは、正義と組み合わせて明知を持つと人から思われるときであって、その人がわれわれより深い考えを持ち、その人が未来の察知力をも持つと信じられ、また事を行って危機に陥ったときその人が事態をさばいてたちどころに対策を講ずる能力があると信じられる場合、その人にわれわれは信頼をいだく。人びとはこういうのを有用で真の明知だと考えるからである。他方、正義的で誠実な人たち、すなわちよき人たち、に信頼が抱かれるのは、この人たちに欺瞞や不正の疑いをかける余地が全くないと思われるからであって、だからこそこの人たちにわれわれの安全、この人たちにわれわれの運命、子どもを託してあやまりがないとわれわれは考える。

34 人に信頼を抱かれる二つの事由のうち、より有力なのは正義である。いうまでもなく、明知を欠いても正義は十分権威を保つが、正義を欠く明知は信頼を博する力がまったくないからだ。だから老獪で狡猾であるほど、公明さを疑われて、人ににくまれあやしまれる。こういうわけで、知力と一緒になった正義は、信頼を博するに、望むかぎり十分な力をもつであろう。明知を欠いても正義は多くをなすことができる。正義を欠いては全く無力なのが明知である。

35 十 しかし、一つの徳を持つものはすべての徳をもつことになる――と、すべての哲学者の意見も一致し、わたしもそのように論じて来ながら、いまこれらの諸徳を分離して、明知的でない人もそのまま正義的であることができるかのように説くのはなぜかと、不思議に思う人があるかも知れない。しかしその理由は、抽象的に真理自体を論議して磨き上げる場合における論の精細な進め方と、ただ通俗的な意見にあわせて論をやる場合とは、互にちがうからである。ここでは通俗的な意味で論じつつ、或るひとびとを勇敢であり、他をよき人たち、また別の人たちを明知的な人びとだと言うのであって、わたしは、このように世間普通の意見に則して述べる場合、通俗慣用のことばを用いなければならないと思うし、またそれがパナイティオスのやり方でもあった。しかしもう主題に帰りたい。

36 そこで、名声の獲得に関して、三つの必須事項の第三は、人々の賞讃をうると同時にまた人びとから十分栄誉に値すると見なされることであった。人びとは一般的に、何でも大きくそして期待以上にすぐれていると思ったものを讃嘆するものだが、また個別的に、何か思いがけないすぐれたものを個人のうちに見出しても、これを讃美するものである。だから一定の卓出して常ならぬ能力を持つと人々からみとめられた人は、世間から高く仰がれ最大の賞讃を贈られるが、一方、何らの能力も、何らの気力も、何らの精力もないと見られた人は、世から見下げられ軽んじられる。だから悪い感情を世間から持たれているものが例外なしに世から見下げれるのではない。たとえば破廉恥、邪悪、背信的で不法を働く傾向があるとみとめても、世はその人たちを決して軽視するのではなく、悪い感情を持つ。だからさきに述べたように、軽視されるのは、いわゆる「自分にも他人にも」ためにならず、ひたすら不努力、不勤勉、無関心な人たちである。

37 反対に賞讃を博するのは、能力において人にすぐれ、あらゆる汚辱からも、容易に抗しがたいあらゆる悪徳からも、遠いと世間から思われている人たちである。抗し難いというのは、たとえば、最も誘惑的な主人としての感覚的な快楽は、大部分の人たちの心を道徳から遠ざけるし、苦痛の炬火(きょか)が迫って来れば、度を忘れておびえない人は稀だからだ。生死、貧富もまたあらゆる人をはげしく揺り動かす。善かれ悪しかれ、こういうものの上に卓出する大きい精神を抱いて、超然とし、何かの立派な高貴な目標が与えられた場合、たちまちみずからをあげてそれに同化して邁進する人があるとき、その抱く徳の光輝と美を、誰か嘆賞しないものがあろう。

38 十一 このように超然としてものを見下す精神の高さは、人びとから非常に高く評価されるが、わけても特にそれであるのは正義であって、この徳一つにかかってよき人びとと称せられる人たちが存在し、大衆の目に、それが何か壮麗なものとして映じるのも、理由のないことではない。事実、死を怖れ苦痛を怖れ追放を怖れ貧寒を怖れ、あるいはこれらに反対のものを公正よりも重視する人は、なんぴとも正義的ではありえないからである。金銭に決して動かされない人もまたきわめて高く評価される。この性質を持つとみとめられた人を、世人はあたかも熱火の試練を通って来た人のように思うからである。

 以上のような次第で、名声を得るに本質的な三つの機能を統一的に完成するのは正義であって、正義に基いてこそ、第一の、人からの好意は、できるだけ多くの人びとの役に立とうと欲するところから与えられ、同じ理由によって第二の信頼、また第三に、一般の人が欲に駆られてはせ向うものを軽視し無視するところから、人々の賞讃も与えられる。

39 さて少くともわたしの考えでは、どんな生活の仕方、どんな生活の建て前をとっても、他人からの助けがなくてすむことはない。殊にほしいのは一緒に話をかわす親しい人たちである。ところがこれは、よき人たる風貌が先ずおもてにあらわれていなくては、実現がむずかしい。また社会から孤立し、田園に生を送る人さえ、やはり人びとから正義の人と思われることが必要であるばかりか、かえって一層その必要があるのは、もしこの評価を欠く場合、不正のやからと思われ、あらゆる保護の枠からはずされて、多くの不法をこうむることになろうからである。

40 のみならず売買、貸借をし、経営上の取りきめにたずさわる人たちにも、仕事の遂行に正義が不可欠であって、ここにも正義の力の偉大なことは、悪行罪業を重ねてわずかに生きるものさえ正義の一片を欠いては世にあることができないほどである。ともに強盗をはたらく一味のひとりが仲間のものを何か盗み、または奪えば、もう彼は強盗の仲間においてさえ位置を保つことができないであろうし、いわゆる「海の賊将」も、獲物を公平に分けなければ、仲間に殺されあるいは遺棄せられるであろう。いや強盗にさえ、服従し遵守する法律があるというではないか。それで獲物の公平な分配のゆえに、テオポンポスの書いたものに見えるイリュリア(イリリア)出の強盗バルデュリスは、大勢力を擁し得たし、これにもなおまさるのはルシタニアのウィリアトゥスであって、ウィリアトゥスに対してはローマの諸軍と諸将さえゆずらざるをえなかった。ようやく、あの賢者の名を得たガイウス・ラエリウスが、法務官のとき、彼を打ち破って屈服せしめ、その凶暴さを抑えて、自分につづく人たちのために、ウィリアトゥスとの戦いを容易にすることができた。

 このように強盗どもの勢力のかためと増大にさえ欠くことができないほどの力が正義にあるとすれば、法律と法廷をそなえた正規の国家におけるその力の大きさは、どれくらいと思えばいいのであろうか。

41 十二 少くともわたしには思われるのだが、ヘロドトスのいうようにメディア人の間においてだけでなく、われわれの祖先の間でも、正義の徳をたがいに享受するために、かつては、徳の高い人たちを王にすえたようである。それは、無力な大衆が有力なものから圧迫されたとき、誰かひとりの徳のすぐれた人をたよって逃げたからだが、たよられた人は弱いものを不正から守るとともに、公正に基く制度を樹てて最高最低の両階級を平等の権利の下に統べることにした。こうして、法律を制定する原因は同時にまた王制のおこる所以でもあった。

42 というのは、法とは常に法律の前における万人の衡平の問題であるからだ。でなければ法(ius)ではないといえるであろう。この法が一人の正義的なよき人を通じて人びとによって守られているかぎり、人びとはそれに満足していることができた。しかしこの状態が彼らにとってやや不都合になったとき、法律(leges)が考案せられ、万人に向って常に一個同一のことばで(条文で)話しかけることになったのである。

 こういう事情の間からはっきり看取できるように、その人のもつ正義に対する大衆の評価が高い人を選立してこれに号令の権をあずけるのが常であった。加えてもし選ばれた人が明知のひとであれば、こういう人を上にいただくかぎり、自分たちに達成できないと大衆が思うものは何もなかった。従ってあらゆる手段をつくして育成し護持しなければならないのはこの正義であって、そうすることは、正義自体のためでも(というのは本質的に正義とはそうしたものであるからだ)、また個人的な栄誉と名声を高めるためでも、あることを知らなくてはならない

 しかし金銭を得るためだけでなく、またそれを投資して恒常的に収入を確保し、必要の最低度のみならずまた寛大な支出にも堪えるために、それぞれその方法があるように、名声もまたそれを獲得し、それを投資するにも、方法をもってしなくてはならない。

43 しかもこれについてソークラテースが美事に言っているように、もし人からこう思ってもらいたいと願うものに自分からなるように努めるなら、名声にいたる道はきわめて短く、いわばそれは一つの近道でさえある。しかしもし様子をつくろい空しい外見をととのえ、ことばはもちろん顔つきまでもらしく見せることによって安定した名声が得られる積りでいるなら、こんな大きい誤りはない。真の名声は根をおろし繁殖もするけれども、にせのものは何によらず、たちまち草花のようにしぼみ落ちるし、擬装に永続するものはない。善きにせよ悪しきにせよ、双方の例にあげていい証人は本当に多いが、ここでは長くなるのをおそれて、ただ一つの家族の例だけで満足しよう。プブリウス・グラックスの子ティベリウス・グラックスは、世界にローマの記憶が残るかぎり、その賞讃がつづくであろうが、その子息たちは生前にも、よき人たちから是認されなかったし、死後もなお、当然暗殺されて然るべきものの数のうちだと思われている。

 だから真の名声をねがうものは、正義の要求する義務をまず遂行するがよい。それがどういうものかは、この前の巻(一の20~41)でわたしは述べた。

44 十三 人からそうであろうと思われたいものに事実上自分がなっていることが、問題の核心であるけれども、しかしわれわれが実際そういう人間である通りに人からも見られることに最も容易に成功するために、述べておかなければならない若干の教えがある。何となら、ほんの若いときから人に知られ名のあがる原因をあるいは父から受け(これは、わがキケローよ、まさにお前の場合だが)、あるいは何か他の偶然や運命から恵まれたものは、自然、衆目のあつまるところとなり、そのなすこと、その生き方が一々問題とせられて、いつも白日の下にいるかのようにあらゆる言行が人の目をのがれることがない。

45 これに反して、人生に足をふみ入れたはじめから、名もない微賤さのゆえに、人から全く知られないままであったものは、青年の年頃に至るや直ちに大きい目標を前途に置いて、ひたすらそれを目指して熱心に努めなくてはならない。しかも若いときの努力は、人の嫉視を買うどころか、むしろ好感せられるのだから、一層固い決心をもって懸命につとめるがよい。

 そこで若い人が名声を得るのに、もし軍事の故にその機会をつかむことができるなら、それを第一の道として推薦することができる。われわれの祖先のころには、こうして頭角をあられしたものが多かったし、事実またそのころは、ほとんど常に戦争が行われていた。ところで今お前の青年時代はちょうど、無道もはなはだしいカエサルの軍と幸運のきわめて薄いポンペイウスの軍との戦いの時代であった。しかしポンペイウスがこの戦争でお前を騎兵隊の指揮官としてすえたとき、お前は戦場を馳駆(ちく)して槍を投げ、また軍旅のあらゆる労苦を忍んであの最高の士(ポンペイウス)と軍隊とから大きい賞讃をえた。しかしお前の得たこのほまれも共和制国家と運命をともにして、一転、地に墜ちた。

 しかしわたしがこの話をはじめたのは特にお前に関してではなくて、全般のためだったのから、話をすすめて残りの部分にふれてゆきたい。

46 そこで話をつぎにすすめていえば、一般に肉体よりも精神でなされる仕事の方がずっと大きいように、才能や理性に基いてわれわれが遂行する事業は力によるものより、ずっと人々の感謝に値することが大きい。それで第二に名声に至る最上の道として奨めたいのは謹慎と、親たちに対する敬虔、また身内に対する好意である。ついで第三に、若いものは、有名であるとともに賢明であり同時に国事をよかれと憂える人士に、身を寄せることによって、もっとも容易に、しかも最上の評価をかちえることができる。こういう人びとのところに絶えず出入りすれば、世間の期待を刺戟して、その私淑する人に似たものになるであろうと、思わせることになる。

47 プブリウス・ルティリウス(ルフス)の青年時代に関して、プブリウス・ムキウス(スカエウォラ)の持つ無私の清さと法知識の高さにまで、世間の期待が導かれたのは、前者による後者の家への出入りであった。もちろんルキウス・クラッススなどは、ほんの若いときに(21歳)、よそからの助力を借りず、すべて自力をもって、あの輝かしくて有名な告発の演説を行って弁論家としての最大の賞讃を博し、デモステネスに関してわれわれが聞いているように(注)、まだ弁論の稽古でほめられるのが精々の年齢でありながら彼は、家においてそのときようやく自信をもって研究できたことを、すでに立派に、フォルムに出ても実行できることを示したのである。
注 デモステネスは18歳のときに自分の後見人を遺産横領で訴えている。

48 十四 しかし第四の弁論には、本質上二重の性質があり、その一つはことばの使い方、他は緊迫性(迫力)だが、このうち後者が名声の獲得により大きい力をもつのは疑いの余地がない。われわれが普通に雄弁と称するのも実はこれを指しているのだが、これに対してことば使いにおける親しげで快い調子が、どれほど人びとの心を柔げるかの点も、容易にいいつくすことはできない。今日も、アレクサンドロスにあてた父ピリッポスの、カッサンドロスにあてた同じくアンティパトロスの、子ピリッポスにあてたアンティゴノスの、こういう非常な明知のひとと伝えられる三人のひとの手紙がのこっていて、それぞれ厚情のこもったことばでその子息が衆の心を収攬し、兵士には心に沁みるように話しかけて柔順ならしめるようにと、教えている。一方、衆を前にして緊迫性をこめて行われる弁舌は、しばしば全衆の心を捕えて弁者の名声を呼び起す。懸河のごとき弁をふるって賢明に語る人に対する感嘆はまことに大きく、この人を聴くものたちは、弁者こそ他の人びとにまさって高い知力とふかい理解を持つと感じるのである。しかしもしその弁舌に、謙抑(けんよく)をまじえた重厚性が内在するとき、何にもまさって驚嘆すべき結果をもたらし、それが青年の場合、驚嘆はそれだけまた大きいのはいうまでもない。

49 雄弁を要求する機会の種類はこのほかにも多く、またわれわれの国家では、まだ若い身で法廷に、民会に、元老院に、弁をふるうことによって賞讃を博した人たちも少ない数ではない。しかもなお、その最大の賞讃は法廷においてこそ得ることができる。

 この法廷における弁論は二つに分けて考えられる。それは告発と弁護から成っているからである。このうち弁護の方に賞讃の価値がより高いけれども、他面告発もまた、事実世によしとせられたことは実に多い。クラッススのことは少し前に述べたが、マルクス・アントニウスのまだ若いときに行ったのもまた同様であった。プブリウス・スルピキウスの雄弁を水際立ったものにしたのも告発であって、彼はこのとき、破壊活動に走って国家に有害であった市民、ガイウス・ノルバヌスに挑んで糾問(きゅうもん)に喚び立てたのである。

50 しかしこれ(告発)はあまり度々行わないがよく、さきにわたしが述べた人たちの場合のように国家のためか、二人のルクルス兄弟の場合のように不法に対する復讐のためか、あるいはシキリア(シチリア)人のためにわたしが、サルディニア人のためにアルブキウスに対してユリウス(カエサル・ストラボー)が行った場合のように、保護責任のためかでなければ、決して行ってはならない。マニウス・アクィリウスを訴追したルキウス・フフィウスの熱意もよく知られている。

 要するに生涯に一度か、精々数の少いがよい。度を重ねなくてはならないなら、国家への奉仕として行うべきであって、国家の仇を討つのは、度をかさねても、非難さるべきことではない。しかし、それにも程度がなくてはならない。人の生死に関する断罪をもって多くの人びとに迫るとなれば、どうしても冷酷な人間、あるいはむしろ人非人と思われやすいからだ。度を重ねて人から告発屋とよばれる行いをすれば、自分にも危険であり声望の汚れにもなる。これがまさにマルクス・ブルートゥスにおける場合であって、しかも彼は一方、最高の一族に生まれ、父は市民法の第一人者といわれた人であったのだ。

51 故に義務に関して右のような教えをも心して守り、いやしくも罪なき人を生死の罪に問うような咎で、法廷に引き出してはならない。それはいかなる場合にも、みずから罪をおかすことなくして行われえないからだ。というのは、元来人々の福祉を守り人々の安全をまもるために自然から与えられた雄弁を、よき人々を害し亡ぼすために転用するほど、非人間らしいことがどこにあろう。是非これは避けなければならない。しかし罪を犯したものをも、彼が神を怖れぬ無道の人間でないかぎり、時として弁護してやるのをためらってはならない。大衆もそれを欲し習慣も許し、人間らしいことでもあるからだ。裁判官の本分は事件において真を追究することであるが、保護に任じて弁護する人のそれは、時として厳密に真ではなくても、一見それに近いものを弁護しなければならないこともある。こういうことを書くのも、特に倫理哲学に関して書く今のような場合、もしこれがストア派の最高権威パナイティオスの説でなければ、もちろんわたしは控えたにちがいない。要するに名声と世間の感謝を生むのは弁護的な活動に如くはないが、特にそれが著しいのは、誰か強大な勢力をもつものの力に圧迫されその訴追に苦しんでいると思われる人に、力をかすようなまわり合せになるときであって、たとえばわたしも度々その機会があったが、特に若いとき、あの僣主的にふるまっていたルキウス・スラの勢力に対抗して、アメリアのセクストゥス・ロスキウスを弁護したのであるが、そのときの弁論は、お前も知るように、公刊して世に行われている。

52 十五 若い人たちにとって名声の獲得に効果的な義務の説明につづいて、施すべき恩恵と寛大さについても話しておかなくてはならない。これにも二つの面がある。それは困っている人たちに親切を施すのに努力による奉仕と金銭による方法があるからだ。もちろん後者による方がやさしく、殊に富む人には容易な道だが、しかし前者による道は一層高尚で、より堂々としていて、強くすぐれた人士にとって一層ふさわしい。というのも、人に親切をつくしたいという寛大な意志はどちらにもあるとはいうものの、一方は金庫から、他方は徳から取り出されるちがいがあるばかりか、金銭による寛大さは、家産からまかなわれるだけに、折角の厚情の泉を涸らしてしまうおそれがある。結局、厚情によって厚情の足許を掘ることになり、これまでその厚情をうけた人が多ければ多いだけ、以後それを受けうべき人の数を減らさざるをえない。

53 ところが努力による奉仕、すなわち自分の徳と尽力によって恩恵的であり寛大であろうとする人たちは、第一、役に立ってあげた人の数が大きいほど、厚情的なその行為に対して援助を申し人れる人をそれだけ多く得ることができ、第二に、みずから施恩の習慣が身について、立派に多くの人たちの役に立つ身構えも更に固まり、いわばその訓練のできた人になるであろう。

 実にりっぱなことだと思うが、ある手紙でピリッポスは、子息のアレクサンドロスが金銭の寛大な施しによってマケドニア人兵士の好意を求めようとするのを咎めていっている。「おろかなものよ、お前がみずから金銭で堕落させたものたちの、お前に対する将来の忠誠を信じ、期待するとは、一体どうしたことか。そもそもお前は、マケドニア人たちをして、お前を自分たちの王たるべき人でなく、単に執事、賄い方と期待させようとするのか」と。

 「執事、賄い方」とはよく言ったと思う、それは王として恥ずべきことだからだ。また寛大な施与を指して「堕落」のわざだとは、なおよく言ったものではないか。何となら、受けるものは一層堕落するばかりか、更に熱心に終始、それを待ちうける人間になるからである。

 彼は子息にこういったが、これは万人に通じる教えだと思う。従って、努力による奉仕と尽力から成る厚い情けの方が、道徳的に高貴であり、射程も広くより多くの人のためになることは、少しも疑いがない。といって一方、人に寛大に施すこともまたそういう厚情のたぐいも、一概に排斥すべきではなく、窮しているひとたちで恩恵を施されるに適当なものには、自分の家産から割いてあげるのもよい。ただよく注意し、かつ、節度を失わないようにしなくてはならない。世には無考えに寛大な施しをして、先祖からの財産を傾けたものも多いからだ。永続させることもできないような仕方で、好むことをなそうと心がけるほど、世におろかなことがあろうか。こうして度をはずれた寛大な施しは、おのずから施す人を掠奪に向わせる。施与に自力を涸らせば、他人の財産に手を出さないではいられないからだ。こうした恩恵でひとの好意をかちえようとしても、その施しを受けた人が自分に対して抱いてくれる熱意は、財産を奪われたひとから受ける憎悪の量に及ばない。

55 従って財布の口は、厚情も開くことができないほどかたく閉じられていてもならないし、万人に開かれているほど、開放的であってもならない。程度が大切であって、それはわれわれの資力に応じてきめられなくてはならない。これについて、ローマの人々が始終口にして、すでにことわざのようになっているところの「寛大な施しは底がない」を、いつも忘れないことが大切だと思う。実際、受ける習慣のついたひとが同じものを、その同じものをまた他の人びとが受けようと願うとき、どういう限度がそこにありえようか。

十六 寛大な施しをする人たちにも二種があって、その一つは乱費者、他は寛大なひとである。乱費者は大衆に饗応し肉を分配し、剣闘士の公演を提供し、演劇狩猟を設けて、結局その記憶は短いかまたは将来全く何も残らないことのために、金銭を浪費する人たちであるが、寛大な人たちとは、自分の資力に応じて、あるいは剽盗(おいはぎ)に捕われたひとを買い戻し、あるいは友人の借金を引きうけ、またその娘の婚嫁に助力をし、あるいは財を求めまたは増やそうとする人たちに力を貸すたぐいの人びとである。

56 ここで不思議にたえないのは、あのテオプラストスが富についての書物を書きながら、一体何を思っていたのかわたしに分らないことであって、りっぱなことを多くにわたって書きながら、どうも次の点だけはまことに矛盾していると思う。彼は多くのことばを費やして、大衆のために施す公演の豪壮な設けをほめたたえ、こういう費えに堪える資力こそ、富の美果と考えてむしろ乱費者をよしとするのであるが、わたしには、さきにわずかの例を挙げた寛大さに基く成果の方が、ずっと高大でずっと確実であると思われる。

 これに比べて、アリストテレスのわれわれに対する非難は、何とまじめで真理に近いことであろう。そのわれわれはこんな金銭の乱費をして大衆の心をつかむのを、不思議とも思っていないのである。アリストテレスはいう、「敵の囲みをうけた人がやむなく二合の水を一万円で買ったときけば、はじめは信じがたいことに思われ、誰も驚かないものはないが、事情をくわしく注意すれば必要やむをえないこととして許すであろう。しかしさきのような無道な乱費と限りのない浪費の話をきいてるわれわれが特に大変なことであったと同情しないのは、それが特に急場の凌ぎというわけでもなければ、またその支出をする人の威信を高めることにもならないからであって、それによって大衆が喜ぶのはほんの短い一瞬のことであり、それもきわめて軽薄なやからに限られ、このやから自身においてさえ享楽の記憶はその満足の瞬間とともに消えてしまう」。

57 さらにまた結論もりっぱであって、「これらをありがたがるのは子供やとるに足らぬ女たち、奴隷やこれに類する自由民だけで、まじめな人士で事の次第を確固たる判断にかけるひとに、これらは決してよしとせられることができないであろう」。

 とはいっても、わが国では、もっともすぐれた人たちから、その造営官時代に豪華な催しをもうけることが、すでによき古き時代にも古い習慣となっていて、今も要求されることを、わたしもよく知っている。それでプブリウス・クラッススも、「富人」という添え名をつけられていたのみならず、実際に資力を動かして造営官としてもっとも壮大な催しを果したし、少しおくれてルキウス・クラッススも誰よりも節度のあったクィントゥス・ムキウスと力を併せて造営官としてのつとめを豪壮につとめ、つづいてアッピウスの子息ガイウス・クラウディウス、このあとルクルス兄弟、ホルテンシウス、シラヌスなども同様であったが、先輩の誰をも凌駕したのは、わたしが執政官の年におけるプブリウス・レントゥルスであって、これを模倣したのがスカウルスであった。しかもわれわれの味方のポンペイウスが、第二回の執政官の時に催したのは、殊に豪華であったとしなくてはならない。すべてこういうことがらについて、わたしがどんな意見であるか、お前にはよく分っていると思う。

58 十七 けれども我欲の心がつよいという疑いをもたれるのも避けなくてはならない。マメルクスは非常に金のあるひとであったが、出費の大きい造営官職を素通りして執政官の選挙に臨んだために敗れてしまった。だから民衆が要求するなら、よき人士も、みずからは望まぬにせよ、一応は譲歩して、実行するがよい。しかしかつてのわたしの場合のように、資力の許す範囲にとどめることを忘れてはならない。また折を得て民衆に、寛大な施しをすることによって何かより偉大でしかも有用なものが得られるならば、実行してやるがよい。たとえば近いころ、オレステスが路上で、ふるまいとして催した供食で、大きい声誉を得たなどが、その例である。穀類が暴騰したとき、モディウムにつき1アスで市民に提供したマルクス・セイウスに対しても、それをいけないと非難する声はなかった。彼はこうして自分に対する民衆のはげしくて根の深い悪感情を、醜い犠牲を払うこともなく――というのは彼はこのとき造営官であったから――、大きい損害をこうむることもなしに、そらすことができた。しかし何といっても近ごろにおける最高の声誉はわが友ミローのものだとしなくてはならない。その運命がわたしの安全にかかっていた国家のために、彼は剣闘士の一群を買って、かのプブリウス・クローディウスの至らざるなき凶暴な企図を制圧したのである。

59 従って寛大な施しをしてよい場合は、それが必要なときか有用なときかである。このときもやはり中庸の準則を守るがもっともよい。クィントゥスの子ルキウス・ピリップスはすぐれた才質を持ち、並々ならず評判の高い人であったが、自分は民衆に対する何の施しもせずに、最高と見なされる国家の地位のすべてを獲得したことを常々自慢にしていた。同じことをコッタもいい、クリオーもいっていた。わたしもまたこの点について幾分の自慢をしてもよいかと思う。というのは、当年、人びとの票によってわたしが得た名誉(栄職―執政官職のこと)の大きに比して、造営官のときに使った費用は本当にわずかだったからだが、これは、いま名をあげた人びとの誰にも成功しなかったことである。

60 さてまた金銭を投じて一層よいとせられるのは、城壁、船屋、港湾や導水の設備のためにする場合であって、これらはすべて公共のためになる。これに反して目前に、いわば手に握らせるようにして与えられるものは、常の場合より何か楽しいものだが、しかし右の公共に有益なものは後世にのこって感謝の的になる程度が高い。劇場、回廊、新しい神殿、こういうものをつくったのがポンペイウスだとすれば、わたしは遠慮しながらも非難せざるをえないが、有識のきこえのきわめて高い人たちも決してこれらをよしとしない。たとえば、この書物を書くについてわたしが、翻訳的にではなく、ただ大いに参考にしたパナエティウスもそうだし、パレロンのデメトリオスも、ギリシャの第一人者ペリクレスがアクロポリスの神域にいたるあの壮麗な前廊にあれほどの巨費を投じたことを、非難したのである。しかしこの種のことはあげてわたしの国家についての論のなかで、巨細にわたって述べておいた。

 一般にいって、こういう寛大な支出の理法は全体的にあやまっている。ただ時として必要があるにすぎないが、しかしこの場合にも資力に応じ、中庸の節度を忘れてはならない。

61 十八 さて鷹揚な心持に由来するさきの寛大な施しの第二類についても、われわれは違った場合に対していつも同一の態度であってはならない。不幸に圧倒されている人の場合と、逆境にいるわけでは決してなくただ境遇をよりよくしたいと望む人の場合は、それぞれ別である。

62 従ってその人が当然不幸に値する場合は別として、普通われわれは不幸な人により多く厚情を持つべきであるのはいうまでもない。しかし不幸に打ちのめされるのを避けるためでなく、より高い段階に上りたいために他人の援助を求めるひとに対して、われわれは決して助力を惜しむべきではないが、しかし力を貸すべき人を選ぶのに十分な判断と細密な注意を加えなくてはならない。これについてエンニウスはみごとにいっている、

   善行も所を得ざれば悪行ぞ。

63 善良で感謝の心を持つひとに厚情がかけられた場合、その美果は、ひとりそれを受けた当人にとどまらず、またその他のひとびとにも行きわたって見出されるものである。というのは、軽率に施こされた場合は別として、一般に寛大さほど感謝されるものはなく、しかも最高の人びとのやさしさはすべての人々の共通の避難所だから、こういう場合、それだけ心をこめて寛大さの礼讃をするのは、ただひとりではないからだ。だからできるだけ多くの人びとに恩恵がわたるようにわれわれは努力すべきであって、受けた恩恵の記憶は子々孫々にも及んで、みな感謝の心を持たずにはいられないであろう。というのも世の人の常として、恩を忘れるひとを憎まないものはなく、寛大さを無にすることに対してこの不法が自分に加えられたように感じ、この不法を犯したものを、自分たち貧しい者の共通の敵と思うからである。

 そしてこういう厚情は、捕虜を奴隷の境涯から救出し、貧しいものたちを経済的に助けることにもあらわれて、それは国家にとっても有用であり、それはわれわれの階級(元老院階級)が常に普通に行なうところであったのは、クラッススの弁論中に詳しく書かれているのを見ることができる。わたしは金銭の寛大な施しより、こうした厚情の習慣の方をはるかに高く評価したい。これは重厚で偉大な人のすることであるに対して、前者は市民大衆の軽薄さを快楽によって、いわばくすぐる迎合者のすることにすぎない。

64 これに対してわれわれとしては、ひとに与えるに鷹揚、ひとから求めて淡白、すべて契約、売買、貸借の関係、家屋と所有地の隣接境界の関係において、公正であって無理をとおさず、多くのことに関して多くの人びとに自分の権利からゆずり、特に法廷的な係争はできる限り、否、できるかぎりより多少よけいに、避けることが望ましい。というのは、時に自分の権利から少しくあとに退くことは、単に寛大といえるだけでなく、時としてまたよい結果を生むこともあるからだ。しかし家産についてはまた適当な考慮を忘れてはならない。これを流失するがままにまかすのは、やはり不面目なことだと思う。といっても吝嗇、強欲の疑いを買うようであってもならない。自分の家産を失わないでいながら寛大に行うのが、疑いもなく、金銭のもたらす最大の特権である。

 歓待ということをテオプラストスが立派な行為だとするのも、わたしはもっともだと思う。顕要な人たちがその家を開いて顕要な人びとを迎えるのは、まことに清美、適正なことだと思うし、この点、異邦の人たちがわたしたちの都に来てこの種の寛大さの享受に欠けることがなければ、国家としても名誉にちがいない。道徳的に高貴な仕方で大きい勢力を持つにいたることを望む人たちにとって、他国からの客を通じて他国民の間に高い人気と影響力を持つのは、きわめて有利なことといわなくてはならない。特に、テオプラストスの書くところによれば、自身はアテナイにいても、キモンは出身の民区ラキアのひとを手厚く客遇し、ラキアの誰が自分の山荘に来ても、すべてを提供して歓待するように定め、管理人にも命じていたという。

65 十九 寛大なほどこしによってでなく、自分が尽力をしてつくす親切は、国家全体に対して尽されるだけでなく、また個々の人に対しても有益である。その法律的な権利のために注意をあたえ、法的な考慮をもって助け、更にこの種の知識をもってできるだけ多くの人に役に立つことは、自分の影響力を増し、人びとの好意をかちうるにも非常に効果がある。

 従って祖先の許において見出すことができる顕著な功業もさまざま多数であったが、一方最も立派に整備されたローマの市民法の認識と解釈が常に最高の栄誉をもって迎えられたことを見逃してはならない。現在の混乱した世になる以前には、この法的認識と解釈を国家の指導的な人びとがおのが手にしっかり把持(はじ)していたものだが、今日は、種々の栄誉のしかるがごとく、権威のあらゆる段階のしかるがごとくに、この知識の光輝も全く地に墜ちたのみか、このことが栄誉の大きさではひとしかった先人のすべてを法的知識の高さで容易に凌駕していたあの人(スルピキウス・ルフス)の、在世中に起っただけに、一層みじめであったといわなくてはならない。――要するにこういう尽力は、多くの人に感謝されるものであり、この恩恵によって、人びとをわれわれに密接に結びつけるに適切な性質がある。

66 そしてこの技術にただちに接して、しかもより重大でより人から感謝され、よりきらびやかなのは弁論の能力である。というのは、聴く人びとに起させる感嘆において、窮境にある人びとに抱かせる希望において、弁護によって救われた人たちの覚える感謝において、雄弁にまさるあざやかなものとして何があろう。従ってわれわれの祖先も、平服における仕事のうち、これを威厳あるものの第一位においたのである。すなわち、雄弁であって奉仕をいとわず、祖先における風習のごとくに、多くの人びとの法的事件を進んで無報酬で引きうけて弁護する人による恩恵と保護は、きわめてひろい影響をもつからである。

67 現下の世情は、論陣を張る活動の、滅亡とまではいわないにしても、中絶状態に陥らざるを得なかったことに関して、今一度この個所で、わたしに嘆きのことばをつらねるようにと、すすめてやまないのであるが、それが如何にもわたし自身のことにひきつけて嘆くかのように、人から取られなければ、敢てわたしはそうしてもよい。事実わたしの見るところ、いかに名ある弁論家の命が失われて希望をいだかせる人のいかに少なく、才能を持つ人は更に如何に少なく、いたずらに多いのは、如何に無謀な大胆さのみであることか。もっとも、法律に通じ弁の立つのは少数のひとのみで誰もというわけではないにせよ、多くの人のために尽力して恩恵をもとめてやり、その有利な証言を裁判官や係官の前に開陳し、ひとの利益を守るに注意し、法律の顧問に応じ弁護をする人を推薦することは、奉仕の心がけさえあれば誰にでもできる。これをもし行うならば、その人に寄せられる感謝はきわめて大きく、その尽力によって社会に得るところは非常に大きいにちがいない。

68 もちろんすでに自明のことで改めて注意するまでもないが、或る人びとを助けるつもりで、他の人々を怒らせることのないよう、心しなくてはならない。人びとは、害してはならない人の感情を害したり、害しては不利益な人の心を害することが多いからである。気がつかずにしたとすれば不注意のそしりは免れず、知ってであれば思慮なきわざといわなくてはならない。心ならずも害した人に対しては手段をつくして謝罪をし、自分のしたことが万々やむを得ず他に方途のなかった理由を釈明すべきであって、犯したと覚しき罪は将来、他の尽力と義務をつくすことによって償なうがよい。

69 二十 しかし人を助けるとき、われわれはまずその人の性格なり境遇なりを見るのが常であるとしても、口にするだけならやさしいことだから世間では普通に、自分は恩恵を与えるとき、ただ相手のひととなりを考えて、境遇のことは意に介しないといっている。言やまことにりっぱであるが、果して、困窮はしていても非常にすぐれた人の場合をさしおいて、高い境遇にいる有力者の謝意を得ることに、まず努力しないでいられる人が幾人あろうか。普通は誰でも、容易に迅速に報謝が期待される人の方に、われわれの意志は傾くものだ。しかしここでわれわれはよく注意して、事態の真を見きわめなければならない。たとえ困窮はしていても人となりのすぐれた人なら、たとい感謝を返すことはできないにしても、心に感謝の念を抱いているであろうとは、当然考えることができる。ここに、誰がいったにせよ、うまいことばがある、

 「金銭は、それを持っているとすれば返さなかったからであり、返したとすれば、もう持っていないことになる。しかし感謝というものは、たとえそれを返してもまだ心に抱いているし、まだ心に抱いているならば、もう返したも同然である」と。

 しかし自分は富裕で栄誉があり運命に幸いされた人間だと思っているひとは、人から恩恵をうけて束縛されるのを好まないものである。それどころか、たとえ大きいものをひとから受けてもかえって恩恵を施したつもりでいるし、それによって何かが自分に要求せられ、あるいは期待されているのではないかと、疑ってさえもいる。そして保護者をいただいたり、ひとの被保護者と呼ばれることを、あたかも自分の死を意味するかのように思うのである。

70 これに反して境遇のうすいひとは、人から何をしてもらっても、それは自分の境遇よりも、自分の人となりが考慮されてのことであると考え、すでに助けてくれたひとに対してのみならず、将来それが期待されるひとたちに対しても(というのも彼は多くの助けが要るのだから)、感謝の心のあつい自分を示そうと努め、たとえ時あってお返しが出来た場合にも、それを誇張するどころか、かえってそれに卑下しているのである。のみならずまた見逃してならないことは、富裕で幸いのあつい人の弁護に成功しても、感謝はそのひとひとりか、あるいは精々その子どもたちの間にとどまるのみであるに反し、もしそれが幸いはうすくても公明で謹慎なひとの場合であれば、これに関し、公衆の中に無数に見出される身分はなくても公明なものたちは、その弁護者を見て、こぞってここに、自分たちの守りが用意されたように考えるのである。

71 こういう次第だから幸運に浴する人よりも、人となりのよき人たちに恩恵を施す方がよいと、わたしは考える。いうまでもなくわれわれは、あらゆる種類の人たちに十分な奉仕をするように努めなくてはならない。しかしそこに矛盾がおこった場合、われわれはテミストクレスの忠告に従うべきことに誰も異存はないと思う。彼はあるひとから、立派な人柄だが貧しいひとと、一方、世評はそれに劣っても金のある人とのどちらに、娘を嫁がせるべきかと相談をうけたとき、「わたしなら、人のないかねより、かねのない人を選ぶ」といったという。しかし今日、人びとは富をうやまうあまり、世道はあげて頽落し低下した。一体富の大きさなど、われわれの誰にとって、何の役に立つことがあろう。おそらく富は富める人を助けるだけのこと。しかも、それは、いつでもとはかぎらない。しかし、仮りに助けになるとしよう。彼は如何にも富む程度だけ、費えにこと欠かないであろう、しかしどうしてそれだけ、道徳的な高貴さを増したといえよう。しかしもし彼がかねてよき人ならば、われわれも心して、彼に富があることが、彼が助力を受ける妨げとならしめないように、用心しなくてはならない(富があることが援助欲をそそる場合は別として)。従って援助に際するわれわれの判断の向けられるところは、相手の富でなく、その人となりでなくてはならない。

 恩恵を施し、奉仕につとめるについての窮極の教えは、決して公正に反し不法に与(くみ)して何事を行ってもならない、ということである。なぜなら、永続的な推賞と声望のいしずえは正義であって、これなくして賞讃に値するものは一つもないからだ。

72 二十一 さて今まで、個々の人を対象とする種類に属する恩恵について述べた。これからは、人々を普遍的に対象とし、国家に関係しての、それらについて述べたいと思う。こういう公的な性格をもつ奉仕は、その一部は市民をまとめて普遍的に対象とし、一部はやはり個々の市民に触れる性質をもっている。あとの場合の方が感謝をもって迎えられることが大きいが、もちろんわれわれとしては、できるなら、両方のためになり、たとえ個々を対象とする場合も力を抜くことはなく、このことが同時に国家のためになり、少くともその害にならないように心しなくてはならない。ガイウス・グラックスによる穀物のほどこしはまことに大規模であった。国庫はすなわち涸渴せんとした。節度があったのはマルクス・オクタウィウスのそれであって、国家も負担にたえることができたし、民衆も急場を凌ぐことができ、従って市民と国家の双方にとって、ためになるものであった。

73 ところで国政にあたるひとが何よりも心しなくてはならないのは、市民がおのおの自分のものの所有権を確保し、私人の財産が公的な手段によって侵害されないようにすることだ。この点において破壊的な仕方をしたのは、護民官として農地法を提案したときのピリップスであったが、しかしそれが否決されたとき、彼は穏かにそれを忍び、この点、彼はなかなか節度のある人と見うけられたところ、公けの演舌では民衆にうけることをいろいろと述べ、そのとき特に悪かったのは、「財産を持つものはこの国において二千人とはいない」といったことだ。これは財産の平均化の企図を目指すのだから、まことにその罪、死に当るような言説であったといわなくてはならない。この害毒にまさる言説がまたとあるだろうか。このためにこそ、各人その所有権が確保できるようにと、合法的に国家が樹立せられ市民権が確立された、もっとも大きい理由があるのではないか。何となら、人間の社会的結集はたとえ本能的に行なわれて来たとしても、自分の財産を安全に守る希望に基づいてこそ、人びとは都市(政治的結集)による保護を求めたのだから。

74 行政の衝(しょう)に立つひとがなおまた心しなければならないのは、かつてわれわれの祖先のとき、国庫の窮迫と不断の戦争のため、しばしば行なわれたような貢税(tributum戦時徴発)が課せられてはならないことであって、彼はまたその必要が起らないように、ずっと早くから心がけていなければならないであろう。しかしもしどこかの国家が――あえて「どこか」というのはわが国にそういうことが起ってはと縁起をきらうからであるし、またわたしはあらゆる国家について論じるのであって特にわが国のことを論じているのでもない――こういう犠牲を必要とする危機に当面したときは、危機を脱するためにこの必要には服従しなくてはならないことを、皆にわからせる努力を惜しんではならない。のみならずまた国家の舵をとる人たちは、必要な物資の豊富な備蓄があるように政策をたてる義務があり、その調達が普通如何に行なわれ如何に行なわるべきかは、特に論じる必要はない。それは急務である。――この分野にふれるのはここまでのつもりであった。

75 すべて公けの事業と奉仕をあずかるひとの最重大事は、一片といえども我欲のうたがいをうけてはならないことである。サムニウムの武将ガイウス・ポンティウス(前321年ローマに勝利)はかつて嘆いたことがある。「運命はローマ人が賄賂を受けはじめるに至る時まで私の出生を保留し、受けるに至った時はじめてわたしが生まれることができればよかったのに。そうなら、これ以上ながく、ローマ人の支配を許さなかったであろう」と。たしかに彼は幾世代もの時を待つ必要があった。この悪風がこの国家に吹き込んで来たのは最近のことだからである。だから、何分彼は非常な力量の人間であったから、わたしはむしろ今ではなく当時に、彼が生きていてくれてよかったと思う。ルキウス・ピソーが提案した財貨の不当搾取を罰する法律が通過(前149年)してから百十年にもならないが、それまで一切この種の法律はなかった。しかしそれ以後、あれほど多数の法律が制定せられて罰は一法ごとにきびしく、告発をうけるものの数はあのように大きく、罪せられたものもまたそれに劣らぬ有様となって、断罪を怖れるあまりの大戦争はひき起され、法を無視し判決をないがしろにして盟邦に行なわれる掠奪強奪のはげしさはいうばかりなく、遂に今日、仮りにもしわれわれがなお有力であるとすれば、それはわれわれの力によってでなく、むしろ相手の無力さによって然る有様となったのである。

76 二十二 パナイティオスがアフリカヌスをほめる理由は、彼に我欲がなかったからである。もちろんこれだけでもほめるに十分な理由がある。しかし彼には他にもっと大きいものがいくつもあった。しかも無欲をほめるならば、それはこの人だけにとどまらず、またその時代もまたほめられなければならない。莫大なマケドニアの富を獲得したパウルス(前168年)はこれをもっぱら国庫に入れて、ただひとりの将軍による戦利によって貢税(戦時徴発)に終止符をうたしめたのである。そして彼が自家に持ちかえったのは永遠に記憶にのこるその名だけであった。この実父にならってアフリカヌスはカルタゴを転覆せしめても(前146年)、決して自分を以前より富ましめようとはしなかった。彼の同僚としてともに監察官であったルキウス・ムンミウスはどうであろう。富裕ならびないあの都を根柢から覆滅(ふくめつ)せしめた彼は少しでも裕福になったであろうか。彼は自家よりもイタリアを輝かしめることをのぞんだのである。にもかかわらず、輝きを与えられたイタリアより彼の家の方が、わたしには更に輝きがあるように見える。

77 さて話が逸れはじめたところへもどるとして、殊に国家に指導的な位置を占め国政の舵をあずかるものの場合、我欲にかられるほどいまわしい罪悪はないといえる。国家を私の利益のために利用することは、道徳的に醜悪であるのみならず、天・人ともにゆるさざる罪でもあるからだ。ピュティアのアポロンは神託を下して、他の何よりもひとえに私欲がスパルタを亡ぼすであろうといったが、この託宣はひとりスパルタのみならず、あらゆる富強をほこる国々にもあてはまるものだと思う。国家を領導する者として民衆の好意をかちうるもっとも無理のない道は、無欲と節欲のほかにはない。

78 しかしあたかも民衆の友であるかのように見られようと欲し、そのため農地に関係する法案を用意して現在の所有者をその座から駆逐(くちく)しようとしたり、あるいは貸し金はそれを借りた人間への贈与にさせようと考えるものたちは、国家の基礎をあやうくするものであって、その際、殊に失なわれるのは第一に国民の間の調和であり、調和は、一方から財産を取り上げて他方に与えるような非道が行なわれては、到底存在しえないことは明らかである。失なわれる第二は、所有権が没却されては全く無に帰してしまう公正さである。上にも述べたように、各人の所有が自由かつ平穏に守られるようにするのが、国家と都府の本来あるべき姿だからである。

79 このように国家を破滅に導くような所業があっては、そのひとたちのねらう民衆からの謝意も、結局得られないにちがいない。財産を奪われたひとは無論敵になるし、与えられたものも元来自分は受ける意志がなかったような顔をするだけでなく、殊に借りた金の棒引きの場合、返済能力がなかったと見られるのを嫌って、その喜びをかくそうとするからである。これに反して不法をこうむったものは、それを忘れないばかりか、世間に対して自分の悲嘆をかくそうとしないし、たとえ不当に与えられたひとの数が、不正に奪われたものの数を上まわっても、それを理由に多数派の勢力がそれだけ優越するわけではない。この場合、判断の基礎になるのは数でなく、事の重大さだからだ。幾年、いや幾代にもわたって持ちつづけられて来た農地が、それを持ったことのないひとの所有となって、持っていたひとは失なわなければならない有様でば、どこに公正さを持するといえよう。

80 二十三 まさにこの種の不正のゆえに、スパルタ人は政務監(ephorus)リュサンドロスを追放し、王アギスを、かつてスパルタでは絶えてなかったことだが、死罪に処し、この時以来、国内の不和抗争がはげしく起って、遂に僭主たちの出現となり、貴族は根絶せられ、世にならびのないほど立派に制定された国家も覆(くつがえ)るに至ったのである。いや、スパルタの国がくつがえったばかりではない、爾余のギリシャも、スパルタを源頭としてひろく及んだ害毒に感染して、また転覆(てんぷく)せざるを得なかった。もっともほまれの高かったティトゥス・グラックスの子息でありアフリカヌスの孫にあたるわれわれのグラックス兄弟はどうであったか。農地法をめぐる抗争のために、兄弟は亡んだのではなかったか。

81 これに反して当然ながら賞讃されるのは、シキュオンのアラートスである。彼は自分の都市が五十年にわたって僣主たちの支配の下にあったとき、シキュオンに向けてアルゴスを発し、夜に乗じて侵入して都を手中におさめ、僣主ニコクレスの不意を襲ってこれを抑え、僣主たちのために追放されていた都市のもっとも裕福な六百人にのぼる人たちを呼び返して復権せしめ、こうして自分の出現によって国家に自由をもたらしたのであった。しかし、ここで彼は、財産と所有の問題に関して、大きい難関に逢着せざるをえなかった。というのは、彼が復権せしめた人たちが帰って来ても、その間に財産はすでに他人の手に渡っているために、窮境に陥らざるを得ないのは、この上なく不当なことと彼には考えられたが、かといってすでに五十年にもわたる所有を動かすのも、このながい期間中には相続により、売買により、また贈与によって、きわめて多くが正当な所有となっていただけに、あまり正当なことともいえないと、彼は考えざるを得なかったからである。彼は現在の所有者から取り上げるのもわるいが、もとの所有者を満足させないのも不当であると判断した。

82 そこで彼はこの事態に当面するには金が必要だと心に決し、自分はアレクサンドリアへ出発すると声明して自分の帰国まで事態はこのままにしておくように命じ、当時、アレクサンドリアの創建以来第二代の王としてエジプトに君臨していた自分と親しい仲のプトレマイオスを早速訪ねて、祖国の解放という自分の意志を述べ、事情を説明して、富裕な王から、このならびなくすぐれた人物は容易に莫大な金による援助をとりつけたのである。それをシキュオンにもたらすや、彼は都市の主だったひと十五人を相談にまねき、この人びととともに、他人の財産を現に所有するひと、自分の財産を失なったひとたちの事情を調査して財産状態を評価し、或る人びとには現在の所有をゆずってむしろ金銭を受けるように、また他の人たちにはもとの所有を回復するよりは、その価値に見合う金額を受ける方がむしろ利益と考えるように、説得して目的を達することができた。こうして彼は市民の間に宥和を確立し、すべての人をして不平なくそれぞれ家路につかしめるに成功したのであった。

83 まことに偉大でわが国に生まれてくれたら、と思うにふさわしい人物。市民に対してこのように振舞うことこそ正しい道であり、二度にわたってすでに見たように、槍をフォルムに立てて市民の財物を競売人の呼び声に委するのはその反対である。ところがかのギリシャ人アラートスは、賢明で卓出した人物たるにふさわしく、すべての人のためをはかるのが当然と考えたが、まことにこのように市民の便益を損わず皆の人を同様な公正さで遇するのが、よき市民のとるべき方途であり賢明さであるといわなくてはならない。

 「他人のところに無料で住んでもかまわない」――というのか。どうしてかまわないことがあろうか。わたしが買い入れ、建て、守り、費用を投じたものを、わたしの意志に反して君はわたしのものを受用しようというのか。これでは、他人からその持ちものを奪い、ひとにその持ちものでないものを与えるのと、選ぶところがないではないか。

84 貸借表の白紙化(借金の棒引き)の意味するところは、要するに、わたしの金で君が土地を買い、従って君が土地を持つが、わたしにはもう金がない、という場合と変らないのではないか。

二十四 従ってわれわれは国家の安全に害となるような借金はしないように、あらかじめ用心しなくてはならない。それはいろいろな方法で避けることができる。そして、たとえ借金が行なわれたとしても、富めるものがその所有を失い、借りたひとが他人のものを利得するようであってはならない。というのは、何ものも国家の護持にあたって信義にまさる有力なものはなく、その信義は、借財の完済が必然的に保障されないようでは、まったく存立しえないからである。負債を返済すまいとする動きは、わたしが執政官であったときほど、はげしいことはかつてなかった。武器をふるい要塞を構えてあらゆる種類、あらゆる階級の人たちが、この無理を通そうとしたのである。この人たちにわたしは立ち向い、ついに、この暴悪な企てを根本的に屏息(へいそく)せしめることができた。かつてこのときほど負債が大規模におこなわれたことはなく、このときほどその返済が徹底的に且つ容易に行なわれたこともかつてない。詐取の期待が打ちくだかれて返済が法的に不可避とせられたからである。けれども今日の勝者(カエサル)もそのときは流石に打ち破られたのだが、しかし彼は自分の意図したことは、たといそれがすでに自分の利害に関係がなくなった場合も、なおあくまでやりとおした人間である。まことに彼における犯罪への欲情の大きさは、理由の有無を問わず、ひたすら罪を犯すこと自体を喜びとするかと思われるほどであった。

85 従って国家の利益を守ろうとする人は、一方から奪って他方に与えるという右のような種類の気前のよさに就くのを避け、あらゆる努力をつくして、法と法廷の運用の公正の下に、各人がその所有を保ち、無力の人たちもその無力さのゆえに圧伏されることがなく、富める人たちも、他人からの嫉視のために、自分の所有を取得し回復するのを、妨げられることがないように図るのみならず、平和と戦時を問わず、自分にできる手段をつくして、国家のためにその権威、その領土、その収入の増大を期さなくてはならない。

 これらは偉大な人物のなすところであり、これらはわれわれの祖先の時代に常に実行されたことがらであった。このような義務を遂行するひとは、国家に最大の貢献をするとともに、みずからもまた、世のひとの謝意と、みずからの名声とをかちうるであろう。

86 さて一方、有利さに関する教えにおいて、近ごろアテナイで死んだストア派の学者テュロスのアンティパトロスは、二つの点――健康と金銭への配慮――がパナイティオスによって逸せられているとの意見であるが、わたしはこの最高の哲学者が二つの点を扱い残したのは、それが特に教えられなければならないほどむずかしいことではないからだと思う。要するにそれらは義務の本質に関するというより、むしろ有利なことがらにすぎないのではないか。従って特に論じることもないけれども、しかし若干のことばをこれに関して費すとすれば、健康が正しくまもられるのは、自分のからだの知見、何がからだに対して一般に有益であり有害であるかの顧慮、生活法の全般にわたる自制、肉体的な快楽を見送ってからだをいとしむ養生と、最後に、これらの知識にたずさわるひどたちの技術によってである。

87 一方、家産を求めるにも常に道徳的な醜悪さから無縁の手段によるべきであって、家産の維持は細心と節約によって行ない、この手段によってまた増大をはからなくてはならない。この問題をもっとも適切に追究したのが、「家産管理の人」(Oeconomicus)と題する書物におけるソクラテースの弟子、クセノポンであって、わたしはこの本をかつてお前の今の年のころにギリシャ語からラテン語に訳したことがある。しかしこういう、金をもうけ金を投資すること(またそれを使用することも併せて考えたいが)など、一切のことがらについては、誰かフォルムにおける中の柱廊に坐っている立派な方たちの方が、どの学派のどの哲学者より、むしろ適切に論じるにちがいない。とはいえ、われわれもこれらのことを知っている必要はある。何ぶんそれらは、この巻で述べて来た有利さに関するものだから。

88 二十五 第四の点として、これはパナイティオスが看過しているので特にいうのだが、いろいろの有利さをたがいに比較することも、時に必要である。肉体的な有利さを外物的な有利さと比較し、外物的なそれを肉体的な有利さと較量するのみならず、また身体的な有利さ自身同士や、外物的な有利さ自身同士の比較も常に行なわれるからである。たとえば外物的な有利さに身体的なそれを比較して、富より健康であることをのぞみ、身体的な有利さに外物的なそれをくらべあわせて、並はずれた体力を持つより富むことをむしろよしと考え、あるいは肉体的な有利さを互いに比較して良好な健康を快楽の、腕の強さを脚の速さの、上におき、さらに外物同士の場合には、名声を富の、都市における収入を田園によるそれの、上位に考える、という風である。

89 この種の比較に関して、老カトーのあの有名なことばがある。家産を治めるのに何がもっとも大切か、とたずねた人に、彼は答えていわく、「立派に飼育すること」。次には何が?「なるべく立派に飼育すること」。第三に何が?「つたない飼育すること」。何が第四に?「耕作である」。そしてその質問者が「利子をとって金を貸すことはどうか」とたずねたとき、カトーは言った、「人を殺すことはどうか」。

 これにかぎらず、ほかの多くの例からもわれわれが覚らなくてはならないのは、一般にいろいろある有利さをわれわれはたがいに比較考量しなければならないことであって、義務について論じる場合の第四の点として、当然これが附け加えられた理由も、おのずから明らかであろうと思う。

 残る問題は引きつづいて考究したいと思う。



第三巻 道徳的高貴さと有利さの関係


――さてわが子マルクスよ、お前も知っているように、はじめてアフリカヌスの名を得たあのプブリウス・スキピオは、ほぼその同年輩であったカトーの伝えるところによると、自分はひまなときほどひまがなかったときはなく、ひとりでいるときほど、ひとりでなかったことはないと、常々いっていたという。まことに偉人にふさわしい壮大な言であり、賢者にかなう発言だと思われる。つまり、スキピオは、ひまにあっても公事を考え、孤独においてはみずからと語るのを常としてやむことがなく、時として他人と語るような必要さえ、持たなかったことを、このことばは示している。だから、余人にとっては退屈をもたらすにすぎない二つのこと、ひまと、ひとり、というものは、彼にとっては、ひたすら、はげみとなるであった。

 わたしも、言えるものならば、自分について、真実、このように言って見たいものだと思う。しかし、仮りに模倣ばかりで、あれほど偉大な資質のすぐれた点に到達することはむずかしいとしても、意志によって、われわれもそれに近づきえないものではない。というのも、わたしは今、いまわしい武力と暴力によって政治と弁論の仕事も禁じられ、ひたすら閑暇を追っている身であるし、そしてそのため都をあとにして、田園の間をあちらこちらしながら、しばしばひとりになる機会をもっているからだ。

2 しかし、わたしのひまは、もとより、アフリカヌスのひまと比べるべくもなく、わたしの孤独も彼のとは比較にたるべきものでもない。というのは、彼は国政への美事な奉仕からはなれて、閑暇に時々みずからを養うのが常で、人びとの集りや訪問から逃れて、いわば船が港にはいるように、孤独の中へひそむのであったが、わたしの場合にひまというのは、政治への奉仕の機会を奪われたからで、静養の熱望からきたものではないからだ。

 なにぶん今のように、事実上、元老院の機能も停止せられ、法廷も閉ざされた上は、わたしの品位を保ちつつ、元老院の議場において、またフォルムにおいて、わたしの為しうる何事があろう。

3 このような事情のため、かつてはこの上ない勢名の下に市民の注視の的となって暮していたわたしも、いまは世に充満する無頼の徒輩の目をひたすらのがれて身をかくし、本当にひとりでいるよりほかはないことが多い。しかしわたしは哲(さと)い人びとから聞いている、ひとはいろいろの悪のなかからは、できるだけその小さいものを選ぶべきであるばかりでなく、悪にふくまれる限りの善を悪自体から搔き取るべきだと。従ってわたしはいま、国家にかつて静安をもたらした人こそが享(う)けることを許されるような閑暇ではないにしても、とにかく閑暇を享受し、自分の意志によってでなく、やむなき事情に強いられたこの孤独をして、わたしを怠惰ならしめることがないようにするつもりでいる。

4 いずれにしても、アフリカヌスにはより高いほまれを帰すべきであると、わたしは思う。というのは、彼のあの資質を記念する文書、彼の閑暇の産物、その孤独における収穫が、一つも残されていないからであって、この事実こそ、彼が精神をなやまし思索を重ねてその追究することがらに没頭し、かりそめにもひまであったこともなければ、ひとりでもなかったことを示すものと知らなくてはならない。しかし彼のように、沈黙の思弁を重ねることによって孤独をまぬがれるほどの強さをもたないわたしは、こうしたものを書くことに、すべての努力と注意をそそぐごとにしたのである。こうしてわたしは、国家(共和制ローマ)が転覆してからの短い間に書いたものの方が、それがしっかり立っていた多年の間よりも、多いことになった。

5 二 さてわがキケローよ、哲学は全体として、ゆたかにみのりの多いもので、どの部分をとっても磨きと洗練のかからないところはないのだが、そのうちでもとりわけて滋味がゆたかに豊沃なのは、義務についての部分である。われわれはこの部分から、確固として道徳的な高貴さをもって生きるべき教えを、引きだすことができる。それで、お前はすでにこうしたことがらを、現代哲学者の第一人、われわれの友人クラティッポスから不断に聴き、その教えをうけているとは思うけれども、なお、この種類の教えがお前の耳に四方からつねにひびき渡り、できれば、他の何ごともお前の耳にはとどかないようにするのが、有益であろうとわたしは思う。

6 これは、道徳的に高貴な生涯に進もうと考えるものは誰しもなすべきことだが、他の誰よりも恐らくお前こそ、特に心してもらいたいと思わざるをえない。お前の肩にはわたしの勤勉に倣うという小さからぬ世間の期待や、わたしの政治的な栄誉に挑み、わたしと名を競うであろうという大小の予期がかかっているからだ。お前には、そのほが、アテナイに学び、クラティッポスに教えをうけていることから来る重い責任もすでにある。せっかく自由人としての高い教養を、いわば、仕入れに行きながら、そこから手をむなしくして帰るのは醜さきわまることであり、あの都の権威、師の権威をけがすものといわなくてはならない。だから、たとい、学ぶことは快楽というよりむしろ苦業だとしても、できるかぎり心を労し苦業を重ねて修業の完成につとめ、親のあらゆる助けをうけながら、自分のつとめに失敗したとは、人からいわれないようにしてもらいたい。

 しかし今までわたしはこんなはげましの手紙をしきりに書いて来たのだから、もうこの話はこれまでとして、話をわれわれの主題の残りの部分へもどしたい。

7 ところでパナイティオスは、義務についてこの上なく精細に論じた人であることは誰にも異論はないし、またわたしも若千の訂正を施しながら、できるだけその説に今まで従って来たのだが、この人は、ひとびとが義務について考え、また量(はか)るのを常とする問題を三部門に分けている。第一はひとびとが当面する問題が道徳的に高貴か醜悪かを思いわずらう場合、第二は有利か不利かを、第三は道徳的な高貴の外観をもつものが有利と見えることがらと背反するとき、それを如何に解決すべきかを考える場合、としたのだが、彼は第一と第二の部門を三巻にわたって詳しく論じたけれども、第三の部門についてはいずれ述べるであろうと書いたばかりで、約束を果すことがなかった。

8 その弟子のポセイドニオスの書いたものによると、パナイティオスはかの書物を出してのち三十年も生きていたということだけに、わたしには、このことがどうも不思議に思われる。第三部の主題についてポセイドニオスがその若干の覚え書きのうちにごく簡単に触れているだけなのも腑におちないが、しかも哲学の全域にわたってこれほど重要不可欠の問題はないと書いているに至っては、全く理解ができないのである。

9 人びとのなかには、パナイティオスはこの問題の点を素どおりしたのでなく、わざと触れずに残したのだといい、また有利さは道徳的な高貴さと絶対に背反することはありえないのだから、全く書く必要もなかったというひともあるが、しかしわたしはこれに全然同意することができない。これについては、一方、パナイティオスの分け方では第三部に位置するこの問題をその著作に加えて考えらるべきであったか、あるいは全然除外して考えていいかの点は、なお疑いをのこすことはできるが、しかし他方、疑う余地がないのは、パナイティオスはそれを計画したものの結局仕残したのだということである。何となれば、彼はみずから三つに分けた部門のうちで第一と第二を書き果した上は、第三部が仕上げをまつことになるのは当然であるばかりか、彼はその第三巻のおわりに、これについてはいずれ次に述べようと約束しているからである。

10 これにはまたポセイドニオスという十分信頼すべき証人もある。この人は手紙の一つにも書いているのだが、パナイティオスを聴講したプブリウス・ルティリウスが常々言っていた話として、アペレスが手をつけたコス島の未完成のヴィーナス像のあとを承けて、残された部分を仕上げようという画家は一人として見出されなかったように(何ぶんアペレスの描きはじめた像の顔の美しさは、残された体の部分を模倣的に仕上げようという望みをつねに排するに十分であった)、パナイティオスが完成した部分の立派さに圧せられて、その仕残して完成しなかった部分を続けるひとは、誰もなかったということである。

11 三 こういうわけで、パナイティオスの真意はわれわれにとって疑いようもないが、ここに問題が残るとすれば、彼がこの第三部を、その義務についての論述に附加しようとしたのが正しかったか、否かに、関してであろうと思う。というのは、ストア派の人びとが信ずるように道徳的な高貴さが唯一善であるにせよ、あるいは道徳的な高貴さというものは、お前が聴講する逍遙派の人びとが考えるように、それ以外のものをすべて取りあつめても秤にあらわれる価値は全くいうに足りないという限りにおいてのみ、最高善であるにせよ、有用さが道徳的な高貴さと矛盾することは決してありえないことは、まさに疑いがない。だからこそソクラテスは、本質的に分ちえないこの二つをはじめて理論的に引きはなした人びとを、呪ってやまなかったと、わたしは聞いている。ソクラテスのこの説にはストアの人たちも、すべて道徳的に高貴なものは有用であり、高貴でないものは有用ではないと考えて、同調したのであった。

12 しかしもしパナイティオスが、快楽と遊惰を標準としてものの願わしさの程度を量るひとたちのように、徳は有用さの誘因なるがゆえに、われわれは徳の涵養につとめなければならないと唱える種類の人であったとすれば、彼は有用さは時として道徳的な高貴さと衝突すると主張したかも知れない。ところが事実において、彼は道徳的な高貴さこそ唯一の善と判断し、これに背反するものは有用さの外観を示すだけであって、それが加わっても人の生をよくすることにはならず、欠けても一向にわるくするものではないと考える人であったから、彼が、外観上の有用さを、道徳的に高貴なものと引き比べるような問題を提起するはずはなかったと、わたしには思われる。

13 のみならず、ストア派の人びとが最高善と唱えるのは、自然に順応して生きることで、その意味は、わたしの考えでは、常に道徳との一致を忘れず、そして自然と調和するもののうちで、ただ道徳に背馳(はいち)しないもののみを選ぶことなのであろう。こういう次第だから、なかには、右のような高貴さと有用さの比較を導入するのは正しくないばかりか、一般にこのような教えを授けてはならないと考えるひとびともあるくらいだ。

 さて真に正しい意味での道徳的な高貴さは、ひとえに賢人だけに存在するもので、道徳を無視して考えることの出来ないものである。これに反して、英知が十分でない人びとには、この完全な道徳的高貴さは決して存在せず、あるのはただその類似物にすぎない。

14 だからこの巻々でわたしが論じる種類と程度の諸義務を、ストアの人たちは中等の(普通の)義務と称するのである。これは一般の人びとにも存在し、ひろく行きわたっているし、普通の人びとでも生まれつきの善良さと修得の進歩とでそれに到着する。しかしストア派の人びとが真正だと称するかの義務は、完全であり絶対的なものであって、同じひとたちのことばを借りて言えば「あらゆる数」を満足させるもの、それは賢者をほかにして他の誰の上にも下るものではない。

15 ところがただ中等の義務が現われるにすぎない行為においても、一般俗衆は義務が十分そこに完成されていると考え勝ちであるが、これはその行為が真の完成からどれほど離れているかが、彼らにほとんど分らないからであって、彼らの目のとどく限り、何も欠けたものがあるようには見えないだけである。同じことは絵画や詩、また他の芸術的な作品についても、俗衆に関して、普通におこることであって、理解の浅い彼らは賞めるべきでないものに喜びを覚えてそれを賞める。それというのも、そうした作品に無知な俗衆の心を捕える何かましな点があり、そのため彼らは何に関しても、その欠陥を判別することができないからだと思われる。従って彼らはくろうとから教えられると、容易に自説を棄ててしまう。

四 ところで、わたしがこの巻々で論じるもろもろの義務の遂行を、絶対道徳を標榜するストアの人びとはあたかも第二級の道徳的な高貴さにすぎないかのように言い、それらは賢者に特有のものでなく、全人類が共有するものにすぎないとする。

16 彼らによれば、人はみな生まれつき道徳への素質をもつがゆえに道徳になびく傾向があり、従ってたとい二人のデキウス、二人のスキピオが勇気のある人として記憶せられファブリキウスまたはアリスティデスが正義の士と呼ばれるにしても、ストアの人びとの考えでは、それらは第二級のもので、賢者に対して要求せられる標準からいえば、前者の人たちが勇気の、後者が正義の模範としてあげられるに値しないことになる。つまりその考えでは、右のうちの誰ひとりもわれわれが賢者として理解することを欲する意味での賢者であるものはなく、普通に賢者と考えられまたそう呼ばれているマルクス・カトーもガイウス・ラエリウスも、例の有名な七賢も、真の賢者ではなくて、彼らはすべて中等の義務を常々行うことによって、賢者への類似と外観を得ていたにすぎないことになるのである。

17 これらの理由によって、真の意味において道徳的な高貴さであるものを、これに背反する有用性と対比するのは不法であり、同様にまた、よき人と思われたさに一部の人々がそれにつとめる普通の意味での道徳性を、かれらの成功追求の努力と対比してもならない。われわれ普通の人間としては、われわれとして知力のとどく限りにおける道徳的な高貴さを、保持・護持するにつとめるべきであって、ちょうど賢者たちが、真の意味での道徳的な高貴さの保持につとめるのと同じようにすべきである。でなければ、たといわれわれが道徳へ向って足を踏み出したとしても、普通のわれわれとしては、進歩の歩調を維持することはできないであろう。

 しかし、義務を護持することによって、よき人びとと評価される人びとについての論は、これまでとしたい。

18 ところで、すべてを成功と便益とを標準として量り、道徳的な高貴さの前にも、これらが下位にたつことを肯じない人びとは、何を考えるにつけても、道徳的な高貴さと有利さとを対比しないではいられないものだが、よき人びとはそうでない。それでパナエティオスが、一般の人びとはこの間の比較にまようが常だ、と言ったとき、まさにその考えであったと思われる。つまり、彼はただ「のが常だ」といって、「のが正当である」とは言っていないのである。まことに、有利と見えるものを道徳的な高貴さの上におくばかりか、二つを互に考量し、そのあいだに迷うのは、最もみにくいことと言わなくてはならない。

 では、しばしば人に迷いをもたらし、考慮を求めるかのように見えるものは、いったい何なのであろう。わしが信ずるところでは、考慮の対象(行為)の性質がはっきりしないとき、そのようになると思う。

19 というのは、普通に道徳的に醜いと考えられていたものが、時とともに、そうでないことがわかることも多いからだ。たとえばここに一つの、ひろく適用できる例を見るがよい。いったいに、人を、と一般にいうだけでなく、親しい人さえを殺すほど、大きい罪はないのだが、しかしいくら親しいとはいえ、僭主を殺した場合、殺した人はその罪にさいなまれるであろうか。少くともローマ国民にとっては、そうではないと思われる。彼らはむしろあらゆる栄光ある行為のうちでも、これを最も美しいことと見なしている。では有用さは道徳的な高貴さの上に出たのであろうか。いや決してそうではない、ここでは道徳的な正しさは有用さに続いていた。

 そこで、道徳的に高貴だとわれわれが理解するものと、有用だと呼ぶものとが衝突するとき、あやまりなく判別ができるためには、何か一般的な基準の設定が必要になる。これによって物ごとを比較校量(こうりょう)するなら、われわれは義務からはずれることはないにちがいない。

  20 そしてこの基準はストア派の考えの体系や教説にこの上なく合致するものだとわたしは思うので、この書物においてもわたしはそれに従っている。それというのも、前期アカデメイア学派とお前の学んでいる逍遙学派(かつてはこれもアカデメイア学派と同じものであったが)とは、道徳的に高貴なものを有利と見えるものより重視するけれども、この問題の論議においては、道德的に高貴なものはそのまま有利さであり、すべて道徳的に高貴でないものは有利でないと考える側の方が、道徳的に高貴なものも有利でないことがあり有利なものも高貴とは限らないとする側の人より見事である。しかしわたしの新アカデメイア学派はなかなか寛大であって、われわれが特にもっともだと思うものを、われわれの判断で擁護してもよいとしてくれる。しかし今はさきの基準にもどりたい。

21 五 さて、人として他人のものを奪い、あるいは他人の損害においてみずからの利益を増すことは、死や貧や苦痛、その他、われわれの身体財産に関して起りうるさまざまの毀損にもまして、自然に反することはいうまでもない。それは第一に、人としての共同生活をそこない人と人とのつながりをやぶる。たとえばわれわれの銘々が、個人的な成功を追求して、他人のものを掠(かす)め、または害する傾向を持つならば、自然にもっとも順合してできているこの人類のきずなというものも破られないではいられない。

22 かりに、われわれの体の各部分が銘々他の部分の健康を自分へ引きとることによって、自分が強壮になれると考えるようになったとすれば、かならず体全体は衰弱して滅亡するにちがいない。同様に、われわれの銘々が他人の財を自分に奪い、銘々とれるだけの利益を自分の成功のためにとるならば、人間の社会的なきずなも崩れることはいうまでもない。生活に有益なもの、生活上の用途に必要なものを、誰でも他人のためよりは、先ず自分のために取得したいと願うことは、自然も一応ゆるすことではあっても、他人の損害において自分の資力、富力、財力をふやすのは、自然のゆるさないところだからだ。

23 事実、自然の理法、つまり万民の権利(ius_gentium)、ばかりか、各国家において公けの利益(res_publica)を維持する各民族の法律においても、自分の利益のために他人を損ねてはならないと、きめられている。いろいろの法律のめざすところもここにあるし、法律は、市民相互のむすびつきが損われないようにと望んでいるのだ。この結びつきを破壊するものは、強制的に死罪、流罪、投獄、罰金に問われることになる。

 のみならず、この原則の更につよい遂行を強いるのは、自然の理法そのものであって、それはすなわち神の、また人の法律である。この法律に従うひとは(自然に従って生きる意志のある人は誰もこれに反することはあるまいが)、決して他人のものをねらう罪を犯すこともなく、他人から取り上げて自分のものにすることもあるまいと思う。

24 もちろん精神の高邁と偉大、同様に丁重、正義、寛大は、快楽、生活、富などにくらべて、ずっと自然の理法に調和するものである。しかし進んでこれらの後者を軽視し、公けの利益の前にはそれらも無にひとしいと考えるのは、偉大で高邁な精神の人にできることである。〔一方、自分の便益のために他人から奪いとるのは、死よりも、苦痛よりも、またこの種類の他の様々のことどもよりも、自然に反することはいうまでもない〕。

25 同じように、かの、人界にもたらした恩恵のゆえに、衆人の信望によって、神々の列に加えられているヘラクレスに劣らず、出来ればあらゆる民族を救い助けるために、最大の苦痛や困難を忍ぶのは、孤独に生きてあらゆるわずらいをまぬがれ、快楽をつくして富に飽き、しかもみずから肢体の美と力において衆にすぐれるような場合にくらべて、一段と自然にかなうことであるのはいうまでもない。

 最もすぐれ最も高貴な資質の人は、誰でも、右の前者のような生活を、後者のそれの上におく。これによっても、自然に順応する人が、他人を害することはありえないことがわかる。

28 つぎに、自分が若干の利益を得るために他人を害するひとは、そのなすことが自然の理法に反していることが少しも分らないか、あるいは、たとい他人に不法を働いても、自分の死や貧や苦痛をまぬがれ、子女、近親、友人の喪失を防ぐことが更により重大と考えているか、である。こういう人は、他人を害してそれが如何に自然に反することかが少しも分らない輩だとすれば、さらに、人をして人たらしめるものを他人から奪うがごとき者とは、共に何をか論じることができよう。たとい彼がこのような行き方は避けるべきだと考えるにしても、死や貧や苦痛のごときを、さらに一層避くべく嫌うべき悪と考えるならば、彼はやはり、自分の身体、自分の財における災いを、精神の災いより重大視する点において、誤っている。

六 従ってこの一事こそは、すべての人にとっての大目標でなくてはならない――すなわち、各個人の利益をただちに普遍の有利さと一致させ同一たらしめることである。この有利性を各人が自分の方に奪いとるなら、あらゆる人間社会のきずなは解体するであろう。

27 のみならずまた、人は相手の誰であるかを問わず、相手が自分同様まさに人であるそのことのゆえに、人は人のために図ることが自然の意志だとすれば、当然、同じその自然の意志として、すべて人として共通にもつ有利性があるべきことになる。だとすれば、われわれは唯一同一の自然の法律の支配の下にあることになり、この法律の支配するところ、当然、他人を害することが自然によって禁じられているのはいうまでもない。右の前提が真なら、結論も従ってまた真である。

28 だから、自分の利益のために親兄弟から奪い去ることはしないが、他の市民たちに対する態度は別だというのは、まことに真理に矛盾したものとしなくてはならない。この人びとは、いかなる法も、いかなる市民のむすびつきも、共同の有利性の上に存立することを、みずから否定するものであって、この考えは市民社会の破壊となる。

 ところで同市民に対しては人として当然の道を踏まなければならぬという人びとも、異邦の人びとに対してそれを拒むならば、ひろく人類共通のむすびつきというものを破ることになる。このむすびつきが取り去られるならば、互いの親切も、寛大も、慈愛も、正義も、すべて根本からくつがえされてしまう。これらをくつがえすひとは、不死の神々に対してさえ反抗する不逞のやからと断ぜられても仕方がない。というのは彼らは人々の間に神々によって設定されたつながりをくつがえすものだからであるが、このつながりを成立せしめる最も緊密な絆として考えられるものは、人が他人のものを自分の利益のために奪うことを、自分が外物(財産)、身体……更にまた精神自体にさえおけるあらゆる不利益(これらの不利益が正義的に加えられたか否かにかかわらず)をこうむることにもまさる反自然の行いと考える、われわれの信念である。この正義の一徳こそは、あらゆる道徳の主であり王でなくてはならない。

29 あるいはこういう人もあるかも知れない、「では賢者といえども、飢えに苦しむときは、ものの役にも立たぬ他人から、食べものを奪いはしないであろうか」と。〔いや決して。というのは、わが生命といえども、他人をおかして自分の利益をはかることをいやしむこの心がけにまして有用とは、自分に思われないからだ。〕またいうかも知れない、「ではこれはどうだろう。自分の凍えをまぬがれるためにも、正しい行いの士は、残忍で暴戻な主パラリスを襲いその衣を剝ぐことが出来たとしたら、それをやらないであろうか」と。

30 その判断くらいやさしいものはない。何の役にもたたない人からとはいえ、ただ自分の有利さのためにその人のものを奪うのは、非人間的で自然に反する行為だからだ。しかしもし自分が生き残ることによって、国家と人間社会に大きい利益をもたらしうる底(てい)の人でそのひとがあるならば、この理由の下に人から奪うのは、必ずしも非難はできないであろうと思う。しかしこういう場合でなければ、他人の利益を奪うより、めいめい自分の不利益を忍ぶべきであるのは、いうまでもない。従って、病気や貧窮、またはこれに類する諸悪さえ、他人のものを収奪渴望することにくらべて、反自然的な程度はまだ小さいが、これに反し共同の有利性の無視こそまさに自然の理法にもとる行為といわなくてはならない。それは不正だからだ。

31 こういうわけで、人びとの有利性を保護し維持する自然の法律自体も、危急の場合、無力無益の人から賢者・善者・勇者へ生存の必要物資を移すべきことと、きっときめているにちがいない。すぐれた人の倒れることは、共同の有利さの護持に大害があるからだが、ただこの場合、その自尊自愛の故に以上の理由を、不法を働くための根拠としないように、注意しなくてはならない。このように行うなら、その人は共同の有利さと、わたしが繰り返して述べる人びとのむすびつきとのために図って、不断にその義務を果すことができるであろう。

32 さきのパラリスの場合について判断を下すのは、至極簡単である。というのは、われわれは本来、僣主たちとは何のかかわりもなく、かかわりは、むしろはげしさきわまる離反であって、出来れば僣主を冒しても自然の理法に反することはなく、殺すことさえ、高貴な行為であるのみならず、すべてこの種の有害不埒な徒輩は、人類共同の社会から根絶すべきものだとさえいえる。ちょうど血の気を失ない呼吸もとまりはじめた肢体の一部は、他の部分の害にならないように、われわれはこれを切りとるのと同じく、人面獣心、暴戻おそるべき怪物は、人類という全肢体から排除しなければならない。時の事情に応じて行なうべき道徳的な義務について答えが要求せられるのは、以上すべてこの種の問題である。

33 七 何かの偶然によるか、または他の仕事に手をとられていたのでなければ、パナイティオスもこのような問題を、徹底的に究明したことであろうとわたしは思う。この種の問題を如何に考究すべきかについて、わたしがこれまでに書いた巻々において、与えた教えはすでに十分多いのだが、それによるだけでもわれわれは、人は何をその道徳的な醜さのゆえに避くべきであり、何が全然道徳的に醜悪ではないがゆえに避くべきではないかについて、明らかに察することができる。

 幾何学者たちは一般に、すべてを一々教えるかわりにまず若干の公理が真であることをみとめるように要請しておいて、自分の意図するところを、より容易に説明できるはからいをするものだが、わたしもここに始めた仕事を大体果した今、いわばその上に棟木をすえる意味で、ここに、わがキケローよ、わたしはお前にできれば原理的に次のことを要請したい、――道徳的に高貴なもののほかは、何ひとつとしてそれ自身のために求めらるべきものはないと。たとい、このこと(ストア的な考え)がお前が今聴講するクラティッポスの学説では不都合であっても、道徳的に高貴なものこそ、何にもましてそれ自体のゆえに求めらるべきであることだけは、お前もきっと認めるにちがいない。といってもわたしとしてはこの二つ(クラティッポスの学説とストアの学説)のどちらでもよく、ある時は前者が、他の時は後者が、よりもっともであるように思われるが、しかしこの二つのほかに、もっともとみとめてよいものは一つもない。

34 そこでまず第一にパナイティオスを弁護すべき点は、彼が、真に有利なものは道徳的に高貴なものと衝突することはありえない、その恐れがあるのは単に有利と見えるにすぎないものだけだと、言ったことである。彼はストア派の学者として正当に、これ以外の言い方をすることはない。真に有利なものでそのまま道徳的に高貴でないものはなく、道徳的に高貴なものでそのまま有利でないものはないと、彼は度々証言しているばかりでなく、この二つを別々にする人たちの意見ほど大きい害毒が、かつて人生に流されたことはないというのである。こういうわけで、彼は、われわれをして、時の事情によっては、有利さを道徳的な善の上位におかしめるためでなく、たといこの二つが衝突してもそれらを誤りなく判別せしめるために、二つの間に存在する外見上の、そして本質的ではない矛盾に、一応われわれの注意を喚起したのであったが、しかし彼はついにそれを説きつくすことはなかった。この残された問題をわたしは展開しようと思うが、これには恰好の援軍もなく、いうならば、ただわたしの戦運にまかせて試みることになろう。というのも、パナイティオス以後、わたしが手にしたもののなかで、この問題を取り扱って、わたしがかりそめにももっともだと思ったものは一つもないからだ。

35 八 そこで今の問題についてだが、われわれが有利らしいものに遭遇した場合、われわれとしても動揺せざるをえないのはいうまでもない。しかしもし、ここでよく注意して外見上の有利性を示すものに道徳的な醜悪さが附随することを発見するならば、その有利性を一途に放棄すべきではなく、醜悪さがあるところ、そこには有利さはあり得ないことをこそ覚るべきである。しかしもし、世に醜悪さほど反自然的なるのはなく(というのは純正、調和、確固たるものを自然は要求しその反対を排斥するからだが)、真の有利さほど順自然的なものはないとすれば、同じ一つのもののうちに有利さと道徳的な醜悪さとが共存しうるはずがない。

 更にもし、われわれはもともと道徳的な高貴さのために生まれたものならば、そしてこの高貴さは、ゼノンの考えるように、われわれの追求すべき唯一のもの、あるいは、アリストテレスのいうごとく、他のすべてにまさって重しとすべきものであるならば、必然的に、道徳的に高貴なものは唯一善、あるいは最高善であり、一方、善なるものは疑いもなく有利なものであるから、おのずから、道徳的に高貴なものは、すなわち、有利なものということになる。

36 だから不誠実な人は、有利と見たものを手に入れるや、直ちにそれを道徳的な高貴さの問題から切りはなして考えるという過誤をおかす。そこから匕首(あいくち)、毒杯、偽造の遺書が生まれ、窃盗、公金の横領、また盟邦と自国の市民に対する収奪強掠(ごうりゃく)となり、また富豪の願い、ゆるしえない権力欲となり、ついに、自由の国家に王として支配する野望となって出現する。こういう欲望にもまして、いまわしく怖るべきものとして、一体何が考えられよう。彼らは判断のすじを踏みちがえて物質的な利得のみを目標とし、やがて下るべき罰――といっても彼らが日頃破って平気な法律上の罰でなく、罰として最も酷烈な、自身の醜悪さに対してのそれ――の恐ろしさが分らないのである。

37 従ってこういう考えをもつやからは(この種の徒輩はのこらず不逞邪悪なのだから)、われわれの目のとどかぬところへ追いはらうがよい。彼らは事にあたって、道徳的な高貴さと思うものを追求すべきか、また知りながら敢て罪に身を汚そうかと、考慮するたちの連中だ。たとい罪悪の実行に至らなかったにしても、この躊躇それ自身がすでに罪悪である。その考慮をめぐらすさえすでに道徳的に醜いことがらを、われわれははじめから考慮すべきではない。

 のみならず、いかなる場合にも、われわれの行為があるいは人に知られずにすむかとうつろな希望を持つことは、この種の考慮から一切除くがよい。何となれば、もしわれわれが哲学の研究において何ほどかの進歩を得たとすれば、たといすべての神と人の目を逃れることができるにせよ、強欲、不正、欲情、放恣は、かりにも行うべきでないことを、すでに悟っていなければならないからだ。

九 これに関連してプラトンが引用したギュゲスの例がある。ある時大雨で土地が裂けたとき、ギュゲスは裂け目に下りたところが、そこに青銅製の馬があるのに気がついたと、話は伝えている。馬には脇腹に戸口があって、それを開くと見たこともないほど大きい死人の体があり、指には金の指環が見うけられた。彼はそれを抜き取ると早速自分の指に嵌め、そして牧人たちの集会に出席した(彼は王に使われる牧人であった)。集会で、その指環の石をはめた個所を自分の掌の方にまわすと、誰からも自分は見られないが、自分からはすべてが見えるのである。もとへ戻すと自分はまた誰にも見える。すなわち指環の功徳を利用して彼は王妃と通じ、その助けをえて主人の王を弑(ころ)し、自分の妨げになると思う人びとを抹殺したのだが、この重なる非行の間にも一人として彼の姿をみとめ得たものがなかった。こうして彼はたちまち指環の利益によって、リュディアの王位に登ったのである。

 さて同じこの指環がかりに賢者の手にあったとすればどうであろう。彼はそれを持っても、持たないときと同じように、自由に非行をはたらくことができるなどとは、考えないにちがいない。よき人たちの求めるところは、道徳的な高貴さであって、密事ではないからだ。

39 ところがこの点において、一部の哲学者――といっても決して悪意のある人びとでなく、ただ分別に少々犀利さを欠くだけだが――、そのなかには、プラトンが引用したこの例は、虚偽捏造の話にすぎぬという人がある。この言い方は、何だかプラトンともある人をして、こんな話をさも事実でありあるいは可能であると主張せしめているようで、おかしいが、実はこの指環の例が示す本当の意味は、次のようなものなのだ。つまり、お前が仮りに富、権力、支配権、情欲のために何事を行っても、誰知る人がなく、疑われもしないなら、またそれが神にも人にも永久に知れずにすむことができるとすれば、お前はそれをする気があるか、ということなのだ。人びとはそんなことはできる筈がないという。もちろん、出来はしない。しかしわたしが聞きたいのは、出来ないことが出来るとなれば、一体何を、人びとはなすだろうということだ。彼らは頑固に自説を固守して、出来ないと言い張って譲らないが、しかし彼らはこのことば(「もし出来るなら」)の真意が分らないのである。わたしが「人目をのがれることができるなら、何を彼らはなそうとするだろう」と問うのは、「人目を彼らはのがれることが出来るか」と問うているのではなく、いわば彼らを一種の試練にかけているのである、――つまり、ここで、罰をうける恐れさえなければ、自分の利益になることを追求するであろうと、彼らが答えるなら、彼らは自分の犯罪者的な性格を告白することになるし、しないと答えるなら、すべてそれ自体において道徳的に醜悪なことがらは、避けるべきだと、認めることになる。

 しかしここでもう、われわれの主題に帰りたい。

40 十 時々、さも有利らしい姿を見せることによって、人びとの心をなやます問題が起ることがある。これらの問題は、有利さがあまりに大きいために、それを目の前にしては、道徳的な高貴さも無視されなければならないかと考える時に起るのではなく(これはもちろん不届きなことだから、特に考えるまでもない)、かえって、有利と見えるものが、道徳に悖ることなく実行されうるか得ないかを、考えるときに起って来る。かつてブルートゥス(共和制を樹立した人)が同僚コッラティヌス(ルクレティアの夫)から執政官としての支配権を取りあげたが、この行為はあるいは不正であったと見えるかも知れない。何分コッラティヌスはブルートゥスの同志として、王族を追放するとき、その計画の遂行を助けた人だったのだから。けれども暴君スペルブスの一族やタルクィニウス一統の名前、また王制の思い出となるもの一切を払拭する決意を、当時の指導者たちが固めたとき、そこでの有利なこと、つまり国家の利益を考慮することは、そのまま道徳的にる高貴なことであって、コルラティヌス自身さえ、それを当然と考えたのである。この場合、有利さは、道徳的な高貴さの故に力を持ったのであって、これがなければ有利さ自体も、もちろん成立しなかったにちがいない。

41 これに反して、この都ローマを建設した王ロムルスの場合は事情がちがう。この王者の心を駆ったのは、ひとえに有利と見えるものであった。王は単独支配するのが、より有利と見るや、今ひとりの共同支配者、その兄弟(レムス)を殺してしまったのである。兄弟の情も人間の情をも無視することによって、ただそうと見えるばかりで実はそうでなかった有利さを手に入れることができると考えた彼も、一応その行為に道徳的な高貴さの仮面を与えるために、例の牆壁(しょうへき)の事を構えて正当化の理由としたのだが、もちろんこの事はわれわれの肯(うけが)いうべきものでもなければ適切なものでもなかった。結局こうして彼は、――神としての、あるいはローマの創建者としてのロムルスに対しては憚られる言い方だが――、罪を犯したのである。

42 かといって、何もわれわれはそのとき自分に必要な利益を捨てて他人にゆずれというのではない。他人の害にならないですむなら、誰も自分の有利さを顧慮しなくてはならない。クリュシッポスはいつもながらの適切なことばを吐いているが、そのいうことに、「競路を走るひとは、勝つために力を尽して競争・努力し、相手の打倒につとめるのは当然であるが、しかしその足をすくい、手で押しのけるようなことは、どんな場合にもしてはならない。同じように、人生においても、自分の利害に関することの追求には誰しも努めるべきだが、他人の利益を犯す権利はない。」

43 しかし義務の問題に関してわれわれが最も困惑をおぼえるのは、それが友情における場合である。友情においては、道徳的な高貴さを持しつつなしうることを友人のためになさないのも、また友人のために公正ならざることをするのも、ひとしくともに、反義務的としなくてはならない。しかしこの種類のあらゆる場合に対して、われわれには簡明で容易な教えがある。それは、一見有利さと思われるもの、たとえば栄誉、富、快楽など、すべてこの種のものを、われわれは決して友情の上位においてはならないということである。さすが正義の人は、自分の国家の利 益、自分の誓いや信義に背いて、友人のために行動することはない。たとい自分が友人の事件の裁判に当るとしても、決して。というのも一旦裁判官の役を身に帯びた以上、すでに友人という配役からは退いているからだ。精々友情のために彼が譲歩するのは、友人の主張が真で正しい側にあることを願い、法律の許すかぎり、友人が訴訟を開陳する時間を友人のために都合する程度にとどまるであろう。

44 しかし裁判官として誓いの下に判決を下すべきとき、彼は、証人として神を――というのはわたしの考えるところでは人が神から授けられる最高のものとしての自分の良心を――、かたわらにすることを忘れてはならない。この点において裁判官に対して、「彼が全き良心に従ってなしうること」を要請するわれわれの祖先からの習慣は、われわれがそれを堅持するかぎり、まことに美事なものだと思う。その要請はわたしがついさきに述べた原則――道徳的な高貴さの許すかぎりにおいて裁判官は友人にゆずることができる――にかなっている。というのは、もし友人の欲するすべてをかなえなければならないとすれば、その友人関係はわれわれの考える友情ではなく、すでに共謀と見なくてはならないからだ。

45 こういうのは尋常一般の友情にすぎない。真に賢明且つ完成した人びとにあっては、こういう事情に立ち到ることはない。

 ピタゴラス学派のダモンとピュティアスの二人の間の心事について、こんな話がある。この二人の一方に僭主ディオニュシオスが刑死の期日を申し渡したことがあった。宣告をうけた一方は、身内のものたちの後事を友人に依頼するために数日の猶予を乞うたが、その間、他方は友人の身柄の保証人に立ち、もし一方がその日に出頭しなければ死は自分に与えられるように願い出た。一方がその日に立ち帰ると、二人の信義に感じた僭主は、その友情の第三号者として、自分の加盟をみとめてくれるよう、二人に頼んだというのである。

46 従って、友情においては、有利と見えるものと道徳的に高貴なものとが対比されても、有利さは影をひそめるほど、道徳的な高貴さが主導権を握るようにしなくてはならない。かりに友情の名の下に、高貴でないことがらが要求されるとしても、われわれは常に、良心と信義をむしろ友情の上位に置かなくてはならない。以上のことに心を用いてわれわれは、わたしが今まで求めて来た相衝突する義務の間の、適切な選択を施すことができる。

十一 しかし見せかけの有利さのために、過誤をおかすのは国事の取り扱いにおいて最もおおい。たとえばわれわれがコリントス市を破壊したような場合であり、さらに残酷な誤りであったのは、アイギナが海軍によってすぐれていたゆえに、アテナイはそこの人々の親指を切りおとさせることにきめたごとき場合である。アテナイはこれを自分に有利と見たのであるが、何分アイギナはアテナイの外港ペイライエウスのま近くにあり、いやほどその脅威を感じていたからである。しかし残酷はいかなる場合にも有利であるはずがない。われわれが常に踏み従うべき人間の道として、残酷さほどそれにはずれたものはないからだ。

47 同様によくないのは、他国の人たちにこの都に住むさいわいを享(う)けるのを禁じて都の域外に追放するような人たちであって、たとえばわれわれの祖先の時代のペンヌス、近くはパピウスがそれだ。市民でないものが市民であるかのように振舞う市民権を行使するのを禁ずるのは、もちろん当然のことで、われわれの有する最も賢明な執政官であったクラッススとスカエウォラもこの種の法案を提出したことがあるが、しかし、異邦人といえども、その人たちに都の生活による利便を禁ずるのは、あきらかに人間らしさに反している。

 道徳的な高貴さの前に、国家にとって見かけの有利さが影をひそめた実に美事な例もある。しばしばあらわれるこの種の例にわがローマの歴史は充ちあふれているが、特に著るしいのは第二次ポエニ戦役のときの例である。カンナエの惨敗の報せをうけても、ローマは決して動揺せず、成功した時以上の度量を示し、誓ってあらわれなかったのは恐怖を訴える一片のしるし、和議を唱える一片の主張であった。見かけの有利さも影をひそめるほどの高貴さの力であった。

 アテナイ人がペルシャ人の攻撃をどうしても支えることが出来ず、遂に都をすてて妻子をトロイゼンにあずけ、みずからは船に搭じてギリシャの自由を海戦によって守ろうと決めたとき、キュルシロスというものがあって、これが、みんなは都に残りクセルクセスに城下の盟い(=降伏)をすることをすすめたが、アテナイ人はこれに石を浴せて死刑にした。この人間は有利と思うものをひたすら求めたのだが、この有利さは道徳的な高貴さとの背反において、まったく無にひとしかったのである。

49 ペルシャ戦役に勝利をえたあと、テミストクレスは民会において、自分は国家の将来の安全について有利な策を持っているが、それを今一般に知らせるのは得策でないと思う、どうか国民諸君はこの相談相手に誰かを私に推薦してほしいと言って、アリステイデスを与えられた。テミストクレスがこの人に打ちあけたのは、スパルタ人の海軍がいまギュテイオンの海岸に舫(もや)っている、ひそかにこれに火をかければスパルタの勢力は必然的にくつがえされるであろう、ということであった。アリステイデスはこれを聞くや、大きい期待をもって自分を待ちうけている民会にひき返し、テミストクレスの案は実に有利ではあるが、しかしきわめて道徳的な高貴さに乏しいと述べたのである。そこでアテナイの人たちは、道徳的に高貴でないものは有利でもまたありえないと考え、話の内容はきかなかったけれども、アリステイデスの主張に聴いて、一件のすべてを拒否したのである。地中海に海賊を自由に横行させながら、友邦には貢税を強いるわれわれより、このアテナイ人のやり方は、まことに立派だといわなくてはならない。

十二 ゆえに道徳的に高貴でないものは決して有利でないこと、――この原則をわれわれは固く守らなくてはならない。たとい有利と思うものがもう手に入る場合にも、われわれはこの原則を失ってはならないと思う。道徳的に醜いものを有利と考えるだけでもすでに災いである。

50 しかし、すでに述べたように、有利さが道徳的な高貴さと衝突するかのように見える場合が起ることも多く、こういう場合、二つが確かに衝突するのか、あるいはたがいに調和させることも出来るのかを、われわれはよく注意しなくてはならない。この種の問題として次のようなことがある。たとえば、ロドスの島に飢饉があって食料の値が極端に高くなっているとき、そこへある廉直な人がアレクサンドリアから多量の穀物を船に積んで行ったとする。このひとが、ほかの数おおくの商人の船も穀物を積み込んでアレクサンドリアからロドスをめざして出帆したのを知り、現に海上を走るのを見たとすれば、その人は、これをロドスの人々に告げるべきか、あるいは黙って自分の商品をできるだけ高い値で売るべきか、というような場合である。わたしはここに、この人を賢く、そして道義にあつい人の場合と仮定する。とすればこの人は黙っているのが道徳的に醜いことならば、ロドスの人々に事実をかくすことはしないであろうけれども、しかし黙っているのが直ちに道徳的に醜いことといえないのではないのかと疑うかも知れないこの人の、事に臨んでの思わくを、わたしは問題にしているのだ。

51 この種類の場合について、偉大な、そして世に重んぜられるストアの学者、バビュロニアのディオゲネスの意見と、その弟子の鋭才アンティパトロス(タルソス)の意見には、常に相違がある。アンティパトロスの考えでは、すべては公けにせらるべきであって、売り手が知るところの一切は買手もまた知らされなくてはならないというのだが、ディオゲネスにとっては、売り手はその国の法律が規定する程度まで自己の商品の欠点をいえば足りる、その余は故意に虚偽を働かなければそれでよろしく、商人として売るからには、能うかぎりよい条件で売って差しつかえがないというのである。

 ディオゲネスに従う商人ならいうであろう、「私は品物を運んで来て売りに出している、私は他人より高く品物を売りはしない、むしろ、私のストックが現に他人より大きいために、恐らくひとよりも安いと思う。一体、これで迷惑をうける人がどこにあるだろうか」と。

52 これに対してアンティパトロスのいい分はこうなるだろうと思う。「何といわれる?君には世の人びとの利益を考え、人間社会に奉仕する義務があるではないか。君の有利さは社会の有利さにつながり、社会のそれは君の利益に外ならないという約束の下に君は生まれ、生まれながらにこの原則を負わされているのではないか。それに君は服従し、それに君は随順しなくてはならない。しかも君は、どんなに豊富な生活の物資が手近に来ているかをも、人々にかくそうとするのか」と。

 多分ディオゲネスはこれに答えていうだろう。「かくすことと、黙っていることとは、おのずから別だ。たとえば穀物の供給が問題となっている今の場合、神々の本質とか、善の極致(最高善)とかについて、君に告げなかったからといって、私が君にかくしていることにはならない。しかも、これらを知ることは、麦の値が下ったということよりも、君にはずっと有益なはずだ。要するに、君として耳にするのが有利なことなら何でも、私が君にいわなければならないというものではない」。

 「いやどうして」、と他方はいうだろう、「君はやはりいう義務がある。人びとの社会は自然によって結成されたつながりだということを君が思い出すならば、それは当然ではないか」。

 「決してそれは忘れていない」、とディオゲネスはいうと思う、「しかし君のいう社会は、私有の財産は一切みとめられないという種類のものか。もしそうなら、一切は売られるのでなくて、贈らるべきではないか」。

十三 この論戦でお前も気がついたと思うが、ここでは誰も、「これは道徳的に醜いことだが、自分に都合がいいから、やろうとするのだ」とはいっていない。言っているのは、一方では、道徳的に醜くないかぎりにおいて自分の都合に従うということであり、これに対して他方は、道徳的に醜いがゆえに一切なすべきでないというのだ。

54 住家を売りに出した正直な人があるとする。売りに出したのは、家に何かと困ったことがあるからだが、それは売り主だけが知っていて、ほかに誰も知るものはない。たとえば、健康によろしくないのだが、よそ目には反対に見えている。どの寝室にも蛇が出るのだが、ひとは知らない。木材もわるくて、倒れそうになっている。しかしこれも主人のほかに知る人はない、とした場合、わたしは訊きたいのだが、こういういろいろなことを売り主は買い主に黙っていて、予定よりもずっと高く買ってもらったとすれば、この行為は不正、または不誠実とすべきであろうか。

 「すべきだと無論思う」と、これについてアンテパテルはいうにちがいない、「買い主が取引を急ぐあまりに重大な損害をこうむるのを見送るのは、道に迷った人に道を教えないのと、どこに異るところがあろう。しかも道を教えないことは、アテナイでは、神に誓って公けに禁じられていることなのだ。いや、道を教えないにもまさる僻(ひが)ごとだ。知りつつ他人を迷いにさそい込むのだから」。

55 反対してディオゲネスは、「買えと強要したというのか。すすめてもいないではないか。売り主は常々家が気に入らなかったから売りに出した、買い手は気に入ったから買ったのだ。事実はよくない家で、しっかり建てられてもいないのに、好別荘、好建物とうたって売りに出しても、世間は、人を欺いたとは考えない。とすれば、家のよさを吹聴しなかった人については、尚更のことではないか。すでに買い主の判断が下されている以上、売り主の側から、どんな欺瞞がはいりうる余地があろう。一方、家屋の売却のときのように自分の言ったことのすべてを、かならずしも一々保証しなくてもいいとすれば、自分のいわなかったことまで、どうして君は、保証しなくてはならないと主張するのだ。売り主が売り物の困った点を並べ立てるほど、愚かなことが一体、あるだろうか。主人の意をうけた呼びひろめ屋が、『体にわるい家を売ります』と呼び立てるほど、おかしいことがあるだろうか」。

56 こういうわけで、決定に迷う場合が時に起って、一方からは飽くまで道徳的な高貴さを擁護する議論が立てられるかと思えば、他方では、有利と見えることを行うのは道徳的に高貴なばかりか、行わないのが同様に醜いとする意味で、有利さを弁護する議論もある。これは有利性と道徳性の間にしばしば起るかの矛盾だが、この二つの間の矛盾をわたしは解決しないではすまされないと思う。というのも、わたしがこの論議を提出したのは、ただ問題を起すためではなく、問題を説き明すためだったからだ。

57 そこでわたしの考えをいえば、さきの穀物商人も、あとの家の売り主も、事実をロドスの人や家の買し手から隠してはならなかったのではないか。何ごとにせよ、黙って控えているだけでは、かくすことにならないが、自分に利を収めるために、知れば利益になる人々にそのことを知らさないでおこうと望むときには、それは秘匿になる。この隠し方がどういう性質のものであり、どんな人のなすことかが、分らぬ人はない。いうまでもなく、公明ならず、誠実ならず、廉直ならず、正しからず、よからぬ人のすることであり、むしろ、狡猾、隠険、奸悪(かんあく)、偽善、無道、譎詐(きっさ)、老竦(ろうらつ)、詭妄(きもう)のやからのすることだ。このように多いこの悪徳の名は他にいくらでも挙げることができる。一々数え立てることは無益のことではなかろうか。

58 十四 事実を秘匿する人が非難さるべきだとすれば、空言を申し立てるものたちについて、われわれはどう評価すべきであろう。ローマの騎士階級のひとガイウス・カニウスは、中々才のきく、そして学問も十分あったひとだが、かつてこのひとは、常々いっていたそのことばを借りると、仕事のためでなく、ただ閑暇をたのしむために、シラクサへ行った。そこで、友人たちを招くことができ、自分もまた邪魔する人をさけて楽しめるような手頃の庭園が買いたいと、始終いっていたところ、その話が町中にひろがって、シュラクーサエで両替業金貸しをするピュティウスというものがあらわれていうのに、自分は売るつもりの庭園は持たないが、よければそれをカニウスは自分のもののように使ってくれて差しつかえがないといい、同時にその庭園へ翌日の食事に招待してくれた。カニウスが承諾すると、両替屋として市のあらゆる階級に顔のきくピュティウスは、漁夫たちを呼びあつめて、明日自分の庭園の前で漁をするようにと申し渡し、その時どうすべきかを彼らに告げた。時間に合わせてカニウスが来ると、ピュティウスの手で見事な馳走の用意があり、目の前には無数の小舟の一団がある。漁夫はひとりびとり自分の獲物を抱えて来て、ピュティウスの足もとにしきりに魚を置いていた。

59 それを見てカニウスはいう、「ピュティウス、一体これはどうしたことだ。こんなにたくさんの魚がおり、こんなにたくさんの船があるとは」。ピューティウスの答え、「なに驚くことがありますか。ここはシュラクーサエ中のあらゆる魚がいるところです。ここに清水の湧くところがあるので、魚はこの別荘なしにいられません」。

 カニウスは無性にこの庭がほしくなり、執拗にピュティウスを説いて売らせようとした。はじめは中々承諾しなかったが、かいつまんでいえば、結局カニウスは買いとることになった。もちろんこの地所に執心で少しも不自由のない彼のことだから、相手のいい値で払い諸式(=備品)もろともに買いとって登記をすませ、この一件を片づけた。翌日カニウスは親しい人たちを招待し、彼自身、その日は早く来て見た。一隻の小舟も見えない。そこで隣のひとに、漁師が一人も見えないのは、何ぞ彼らの休日にでもあたるのかと、訊いて見た。

 「いや何も。私の知るかぎりでは」、という返事である。「しかし平素ここで誰も漁をするものはありません。ですから、きのうは何事が起ったかと、おどろいた次第です」。

60 激怒するカニウス。しかし今更どうすることができよう。なにぶん当時は、わたしの同僚で友人のガイウス・アクィリウスが、「悪意による詐欺」に対する裁判の方式書(十二表法を補う)を、まだ提案するまでに行っていなかった時だから。――この提案に際して、その方式書にいうところの悪意による詐欺とは何かと、定義をきかれたとき、アクィリウスは、一定のことをほのめかしながら、全く別のことを行なった場合が、それにあたると答えていた。まことに明快な定義であって、さすがに馴れた人のいうところに違いない。この定義によれば、ピュティウスをはじめ、すべて行ないとほのめかしが別々になっているものたちは、不信の徒、不誠実、奸悪の徒輩といわなくてはならない。この徒輩の行うところは、幾多の悪徳にまみれているのだから、何ひとつとして有用であるはずがない。

61 十五 そこでアクィリウスの定義が真ならば、無いものを有るかのように、また有るものを無いかのように擬装することは、すべてわれわれの生活のあらゆる部分から排除しなくてはならない。つまり売買を自分に有利に運ぶために有無の擬装をすることは、いやしくもよき人がすることではあるまいと思う。のみならず右の「悪意による詐欺」も、実はすでに古くからさまざまの法律によって禁じられて来た。たとえば後見における場合はすでに十二表法にその罰則の規定があり、若年者を騙(たばか)ればプラエトリア法に触れたのである。たとい関係する法律が欠けていても、衡平の原則に照して、「善意に基づいて」(EX_FIDE_BONA)行うべきことと追加された裁定によって、禁止は命ぜられていたのである。その他の裁定においても、次のようなことばは実にすぐれている。たとえば妻の持参財の返還に関する争いの調停について「より衡平こそより佳良」(MELIUS_AEQUIUS)、信託財の返還に関する係争については、「公正な人たちどうしの間におはるように公正な処置を」(UT_INTER_BONOS_BENE_AGIER)というように。とすればどうなる? 「より衡平こそより佳良」の原則に従って行われる場合、そこに欺瞞のいかなる要素がはいりうる余地があろうか。「公正な人たちどうしの間におけるような公正な処置」がうたわれている場合、どのような虚偽奸悪の行為が許されよう。しかし悪意による詐欺は、アクィリウスがいう意味では、虚構の上に成立する。従ってわれわれの約定にあたって、あらゆる虚偽は排除されなくてはならない。売り主は「さくら」を立て、買い主は自分に対抗してより下値をつけるものを雇って来ては、ならない。そして双方とも、値段がきまるところに来れば、それを最後的にきめなければならない。

62 たとえばプブリウス・スカエウォラの子のあのクィントゥス・スカエウォラ、彼はある地所を買おうとして売り主に一度で結着の値段をいってくれるように要求し、その通りに売り主がしたところ、自分はもっと高く評価していたといい、言い値に、十万セステルティウスを添えたのである。これをよき人のすることではなかったといいうる人はないが、しかし世間は世俗的な意味での賢い人のすることではなかったといっている。ちょうど、売れば売ることもできた値段より安く売った売り主に対する場合であるかのように。これが、ある人々を正直で、他の人びとを賢明だと考える世俗の人の例の困った点だ。だからエンニウスをして、「自分の為になるように行ない得ない人こそは、知恵ある人の知恵足らず」と、いわしめたのである。もしも「為になる」ということが、わたしとエンニウスにおいて同じ意味をもつなら、このことばもまことに正しいといえるであろう。

63 ところで、パナイティオスの弟子、ロドスのヘカトンもクィントゥス・トゥベローに捧げて義務を論じた書物で、「習慣、法律、制度に違反しないでいながら、しかもわたくしの家産を考慮するのが賢者の問題だ」と述べているのをわたしは知っている。「われわれが自身富裕であろうとするのは、ただ自分自身のためだけでなく、子どものため、近親のため、友人のためであり、何よりも殊に国家のためであるからだ。それぞれ個人がもつ生活の余裕は、すなわち国家の富にほかならない」、というのだが、これは、少し前にわたしが触れたスカエウォラの行為を全く是認しない立場だといえる。ヘカトンの考えでは、自分が個人的な利益のために決してやろうとしないのは、道徳的に許されないことだけだ、というのだから。こういうひとには、大きい賞讃も感謝も捧げることはできない。

64 しかし事実が有るのを無いといい、無いのをあるといってかくすことが、ともに悪意による詐欺ならば、こういう詐欺を含まないものごとはまことに少いし、従ってまた、できるかぎり多くの人の助けとなって誰にも害を加えることない人が善き人ならば、このようなよきひとを見出すことは、まことに困難にちがいない。

 要するに間違ったことをするのは、常に醜悪なことであるから、いかなる場合にも有利ではなく、よき人であることは、道徳的に高貴なことなのだから、常にそれは有利である。

65 十六 不動産に関する法律については、われわれのもつ市民法によって、売り主は自分に分っている欠点をいわなければならないと決められている。十二表法の場合では、売り主は不動産について明白に一々挙げられた欠点を償えば十分であって、欠点を売り主が否定すれば、その二倍という罰を課せられたのだが、法律学者は更に秘匿の罪というものをきめた。すなわち不動産におけるいかなる欠点も、もし売り主がそれを知っていれば、それが一々明白にいわれなくても、売り主は、その償いをしなくてはならないというのである。

66 たとえば、かつてカピトリウム丘上の城郭で占鳥官たちが飛ぶ鳥による占いを行おうとしたところ、向いのカエリウス山にティトゥス・クラウディウス・ケントゥマルスの持つ家があって、その高いところが鳥を見渡す妨げとなる。彼に命じて、その部分を取りこわすように申し渡したところ、クラウディウスは早速その一郭を売りに出し、プブリウス・カルプルニウス・ラナリウスが買い取ったのである。当然カルプルニウスにも占鳥官からあの同じ命令が出された。彼は家のその部分を取り壊したが、あとで売り主のクラウディウスが占鳥官の命令を受けたあとで家を売りに出したことを知り、「何物をも善意によって引渡され且つ為さるべし」の法式に従って、彼クラウディウスを法廷に訴えた。判決を下したのはマルクス・カトーであったが、このひとはわれわれのカトーの父にあたるひとである。普通は父によって子の名を挙げるのだが、ここではこの光明の子を世におくった父の名を子によってあげなければならない。父のカトーはこのように宣告した。「物件の売却にあたってそのことを知りつつそれを明言しなかったがゆえに、買い主に対して損害をつぐなうべきである」と。

67 こうして、カトーはこの判決で、善意により、売り主が知る欠点は買い主に知らせなくてはならないという原則を樹立したのだが、彼のこの判決が正しかったとすれば、さきに触れた穀物商人も、不健康な家の売り主も、不正に真相を黙秘したことになる。しかしこの種類の秘匿のケースは、市民法ではそのすべてを捕捉することができない。出来るケースには、精細に捕捉の条項がある。われわれの一族のマリウス・グラティディアヌスが、ガイウス・セルギウス・オラータに家を売ったことがあるが、その家は数年前に当のセルギウス自身から買いとったものであった。家には法律上の負担がかかっていたが、マリウスは売買のときそれをいわなかった。事件は法廷にもち出され、オラータにはクラッススが、グラティディアヌスにはアントニウスが、それぞれ弁護に立った。クラッススは、「売り主が知りつつ言わなかった難点は売り主によって償わるべきである」との法文を楯にとって急追し、アントニウスは衡平の原則をかかげて、「その難点はかつてその家を売ったセルギウスに知られていなかったはずがない、従ってグラティディアヌスはそれを言う必要はなかったのみならず、自分の買ったものがどういう法律的事情の下にあるかを知っていたものオラータが欺かれたということにもならない」。

68 何のために、わたしはこんな例を出したか。お前に理解してもらうためだ、われわれの祖先は狡猾なものたちを決してよしとはしなかったということを。

十七 しかし狡猾さを排除するについて法律と哲学者たちの取る態度はちがう。法律は実力によって捕捉しうるかぎりそれを取り除こうとするし、哲学者たちはそれを理性と知性によろうとする。理性の要求するのは、何事をも策略によって、何事をも虚構によって、何事をも偽瞞によって、行わないことである。一体、策略というのは、罠を張ることではあるまいか。たとい、自分は特にけものを追い立てて、そこへ連れこもうとはしないとしても。けものは大抵、誰も追うものがないのに自分でそこにはまり込む。ひとはこのように、家を売りに出し、売り立ての札をちょうど罠のように張り出して(というのは欠点があるからこそ売ろうとするという意味だが)、他人が不注意にはまり込む――。お前は果してそれでいいと思うか。

69 こういうやり方は、一般の道徳的水準がくずれているために、世間も習慣上、特に道徳的に醜いこととも思わず、法律によっても市民法においても禁じられていないと、わたしは思うのだが、しかし自然の法は、はっきり禁じている。人と人のつながりというものは(このことは度々いわれたことだが、更に度々繰り返していわなくてはならない)、その及ぶところが実にひろいものであって、あらゆる人をあらゆる人に結びつけているもの。このつながりは、同じ民族に属する人の間ではより緊密であり、同じ市民国家に属する人々にとっては一層緊切なものだ。われわれの先人が万民法をもって一つのものとし、市民法を他の一つとする考えを取ったのは、この理法があるためであった。市民的なものは直ちに万民的でなく、しかし万民的なものはそのまま市民的な法たるべしとしたのである。しかし実際はどうか。われわれは真の法や純粋正義の実質的にして明白なあらわれは一片といえどもこれを持たず、現実に享受するのはただその影でありまぼろしではあるまいか。しかもその影のようなものをさえ、われわれは追うことができれば――、と思わぎるを得ない。たとい影とはいえ、それらは自然と真理の最高の模範から投げられる影である。

70 次のことばの価値の大きさはどうだ。「汝の故に、また汝に対する余の信頼の故に、余の欺瞞され詐欺されざることを」。金のごとくに貴い次のことばを聞いてくれ、「よき人々の互の関係におけるにふさわしく、その行為はよろしくして詐欺はたえて行わるべきにあらず」。しかし「よき人々」とはどういう人々か、「よろしき行為」とは何をさすのか、これは大きい問題である。
 最高神祇官のクィントゥス・スカエウォラこそ、「善意の要求するところに従って」という言葉が加えられたすべての裁定に、絶大の効力があることを主張していた人であって、「善意によって」ということばの適用さるべき範囲はきわめて広いとし、それは後見協力、信託委任、売買貸借など、すべて人間生活のきずなとなるものに適用さるべきものと考え、こういうことがらにおいて、各々が各々に何を負うかを裁定するのは、それが殊に、大抵の場合、反対の判決さえ下しうることだけに、偉大な裁判官のみよくするところである、というのであった。

71 要するに排除すべきは狡猾さであり、瞞着である。瞞着は厚顔にも明知であると思われたい欲望を持つものだが、二つはおのずから相異り、相はなれること、きわめて遠いのはいうまでもない。明知は善悪の区別選択に存し、瞞着狡知は、道徳的に誤っているがゆえにすべてが悪である場合にも、なおかつ善よりも悪をえらぶことであるからだ。

 自然の理法から導かれた国の法が不動産に関して瞞着詐称を罰しているばかりではない、奴隷の売立てにも、売り主の詐称はすべて許されない。売り主は奴隷が健康であるか、逃亡ものか、盗癖があるかについて当然知っているものとせられ、造営官の布告に対して責任を負わなければならないからである。相続人として奴隷をうけつぐ場合は別である。

72 従って、法の源泉は自然なのだから、何びとも他人の無知を利用して利益を奪おうとしないのが、自然の理法にかなうことは明らかであろう。そして何が人生のわざわいといっても、知性の仮面を被る奸悪さほど大きい害毒はない。ここから、見かけの有利さが道徳的な高貴さと衝突するかと見える場合が無数に起って来る。というのは、もし処罰を免れすべての人に知られずにすませると保証された場合にも、慎んで不正から遠ざかることができるひとは、果して何人あるかと、あやぶまれるほどだからだ。

73 十八 よければ一つ試して見ようではないか、こういうときは犯罪にはならないと恐らく大衆は考える場合について、以上のわれわれの原則を。暗殺者、毒殺者、遺言変造者、盗賊、公金横領者については、今更ここに論じることはない。この連中は、哲学者のことばや論議によるより、むしろ鉄鎖と牢獄で罰せらるべきだからだ。問題にしたいのは、世間からよき人びとと思われているものたちの為すところについてである。

 ルキウス・ミヌキウス・バシルスという金もちの、にせの遺言書を、誰かがギリシャからローマへ持って来たことがある。この遺言書を一層有効に見せるために、相続人と称するものたちは自分の名と一緒に、マルクス・クラッススとクィントゥス・ホルテンシウスという当時の最も有力な人びとの名を書き込んだのであった。二人の有力者はそれを贋(にせ)かと疑いはしたが、事は自分の咎になるとも意識せず、他人の非行によるささやかな贈物を別段拒否することもなかった。それで事は一体どうなるとお前は思う。これが彼らに落度はなかったと考えていい十分な根拠になるだろうか。少くともわたしにはそうは思われぬ、たといひとりは生前わたしの親しい友人であり、今ひとりはその死後もわたしは憎からず思うものであるにしても。

74 しかしバシルスは姉妹の子マルクス・サトリウスに自分の名を継がせ、これを相続人と指定していたのである。――わたしのいうこのサトリウスはピケヌムとサビニーの地方の利益をローマにおいて代表する保護者であった。利益保護者とは、おお、何といまわしい時代の汚点であろう。――しかしこれらの指導的な市民が物を手に入れ、サトリウスは名のほかにうけ継ぐものがなかったことは、何としても公正ではなかった。こうわたしの言うのも理由がある。すでにこの第一巻(23節)に述べたように、不法をふせぎとめ押し返すことができるにもかかわらず、それをしないときは、やはり不正をはたらいたことになるとするならば、不法を拒否しなかったばかりかそれを助けさえした人には、一体どのような評価を下せばいいのであろう。たとい真の相続にせよ、それが、奸悪な追従、心にもない心尽しを真実らしく装ったお蔭で得られたものとすれば、少くともわたしには、道徳的な高貴さをもって行われた相続とは思われぬ。

 しかもなおこの種類のことがらにおいて、有利さと道徳的な高貴さが時に互いに別ものだと見られることがある。これは誤っている。有利さと高貴さの基準は同一だからだ。

75 これがはっきり分らぬものは、常に詐欺悪業との縁が切れない連中である。この連中は、「君のすることは一応道徳的に高貴であろう、けれども、こちらのやり方は有利だ」と考えて、自然が統一したこの二つを敢て誤って切り離そうとする徒輩であって、このあやまった心がけは、あらゆる譎詐、悪業、罪科のみなもとである。

十九 従ってよき人は、彼が仮に指を鳴らすだけで富者の遺言書に自分の名をすべりこませることが出来るほどの勢力者であるとしても、彼はその勢力を、このように利用することは決してないであろう。たとい誰の疑惑をも招くおそれが全くないことが明らかな場合にも決して、と考えていい。反対に、マルクス・クラッススに、指を鳴らすだけで相続人として名を連ね得るだけの力を与えれば、自分は真の相続人でなくても、おそらくフォルムに出て踊り上がって喜ぶにちがいない。しかし正義の人や、よき人とわたしが考える人たちは、ちがう。この人たちは、自分に取り込むものを他人から奪うことは決してしないと思う。これを不思議と思うものは、よき人の何たるかを知らないことを、みずから暴露することにはなるまいか。

76 一方、よき人の何たるかについて自分の心に畳みこまれた自然的に知っている観念を実現する気になった人なら、よき人とは、能うかぎり多くの人のためになり、不法に自分が損われない限り絶対に他の害となることがない人をさすことを、直ちにさとるにちがいない。次にこれはどうだろう。魔毒か何かを用いていつか本当の相続人を除きその位置に自分を据えようとする人は、害をなす人ではなかろうか。「いかにも」と誰かはいうだろう、「しかしその人は、有利で自分に好都合なことをせずにすますであろうか」と。いいや、どうして。不正なことは決して好都合でも有利でもないことを、彼はさとらなくてはならないのだ。これが分っていなければ、どうしてよき人と言いえられるであろう。

77 わたしは子供のとき父からよく聞いた話だが、元の執政官ガイウス・フィンブリアが、騎士階級のローマ人で尊敬すべき人柄をもつマルクス・ルタティウス・ピンティアの事件に関して、裁判官に立ったことがある。そのときピンティアは「もし自分がよき人間であることが立証できなければ」の法式による誓約をしたのであるが、これに対して、自分はこの事件について、決して判決を下すことはないであろう、とフィンブリアはいったのである。何となれば、もし彼に不利な申し渡しをすれば、彼の平素の声望を奪うことになるであろうし、また(もし有利な申渡しをすれば)、この人がすでによき人であることは無数の義務の過誤なき遂行と無数の称讃すべき性質の立証によってすでに確立しているのに、自分は改めて同じそのことを判定したと世間から思われるであろうから、というのであった。

 こういう意味のよき人――このよき人の概念を知るのはフィンブリアもその一人であって、単にソクラテスのみではなかった――にとって、道徳的に高貴でないものを有利と見ることは、どういう場合にもできないのである。この種の人は、いやしくも敢て公言できないことを、なすのはもとより、敢て考えることも一切しないであろう。教育のないものさえ迷わないこのような問題に、哲学者が困惑するのは醜いことではあるまいか。事実、百姓たちの間に起って、すでにいい古されたこういう諺がある。それは、彼らが誰かの誠実さ、善良さをほめるとき、その人は「くら闇で指の数当て遊びの相手にしてもよい」人柄だというのだが、この諺のねらいは、たとい誰の咎めもうけないで思いが遂げられるにせよ、道徳的に適正でないことは決して有利でありえないことを、言うにほかならないのではあるまいか。

78 この諺から見て、かのギュゲスも許されることはできないし、わたしが少し前に、あの、指を鳴らしてあらゆる人々の相続関係を混乱させる話に例示した人もまた許されることができないことは、お前によく分ると思う。道徳的に醜いことは、たといその醜が押しかくされていても、高貴な行為となることは決して出来ないように、道徳的に高貴でない行為は、いかに有利であっても、自然の反抗と抵抗に出遭って、決して完成されることがない。

79 二十 「しかし、絶大の報酬は、罪をおかす口実になる」と、言うひとがあるかも知れない。(しかしこれについては、こんな例もある)。

 ガイウス・マリウスは執政官の職につく望みから遠くはなれ、大法官をつとめたあと、すでに七年目になるまで世にあらわれずにすごし、また執政官への候補に立つとも見うけられなかった時、彼はクィントゥス・メテッルスに副司令として仕えていたが、その仕えていた将軍から使者としてローマに派遣されると彼はローマ国民の前に、最もすぐれた人であり第一級の市民であるメテッルスを、戦争を長びかせていることを理由に告発し、もし自分を執政官にしたならば短時間に敵将ユグルタを生捕りにしあるいは死骸としてローマ国民の威力の下にもたらすであろうといった。彼はこうして執政官にはなったが、しかし、自分が副司令として仕え、その命によってローマに遣わされた第一級の、もっとも尊敬されていた人を、無実の罪によって国民憎悪の的においた彼は、信義と正義から全くはなれてしまったのである。

80 われわれの一族グラティディアヌスも、大法官であったとき、よき人として行うべき義務に大きく欠けるところがあった。この時、護民官たちが大法官の一団を招いて、通貨に関する決定を、共同の審議によって行なおうとした。その頃、通貨の価値は動揺して、誰もその値打ちがわからないほどであった。そこで共同に審議した結果を布告にまとめて、罰則を定め、違反者に対する訴追の手続きをきめて全員は午後に打ちそろってロストラ(演壇)に登壇して布告することにした。散会後、他の人びとは一応それぞれ退去したが、マリウス(グラティディアヌス)だけは真直にロストラに向い、共同できめたことを、単独に発表したのである。このことたるや、お前にも分ると思うが、絶大の栄誉を彼にもたらすものであった。あらゆる町々に彼の像が立てられる、それに香がたかれ燭(しょく)がつけられる。要するに大衆の間にこれほど評判のよい人はかつてないほどであった。

81 こういう場合があるために、われわれの問題の考察も、いろいろと混乱させられることになる。何しろ、衡平の原則が脅かされる点はあまり問題にせられないで、この原則の破棄から生まれるものが、極めて重視せられる有様なのだから。ちょうどさきのマリウス(グラティディアヌス)の場合、彼としては、同僚や護民官たちを出しぬいて民衆の謝意を自分に集めることはさして醜事でなく、これによって目的どおり執政官の職を得ることが極めて有利と考えられていたように。しかし、ここに、お前もよくよく憶えていてもらいたいことだが、どんな場合にも逃れることのできない一つの準規がある。

 それは、有利と考えられるものは道徳的に醜悪であってはならないし、また、道徳的に高貴でないことは有利と考えられてはならない、ということだ。

 われわれとしては、かの大マリウスやこのマリウス(グラティディアヌス)をよき人と判断することが、どうしてできるであろうか。お前の知性を鋭くし且つひろげて、そこで何がよき人の理想の姿であり観念であるかを、お前は、はっきりわきまえてもらいたい。わたくしの成功のためにいつわりをいい、人を罪に陥れ、抜け駆け、詐欺をすることは、果してよき人の概念に合致することであろうか。誓ってそうではあるまい。

82 とすればどうだろう。よき人という光輝ある名をすててまで獲得につとめなければならないほど、価値のあるもの、求むべき利益が、一体世にあるだろうか。世にいう有利さのゆえに、一旦、よき人という名を失い、信義と正義を破ったとしてごらん、このとき、その有利さがわれわれから奪っただけの量を再び補いうるものとして、一体何があると思う。人間が変じてけものになるのと、人間の姿をしながら恐るべくいまわしいけものの性質を帯びるのと、どれだけのちがいがそこにあると思う。

二十一 更にまた、権力さえ手にはいればいいとして、あらゆる道徳的な正しさと高貴さを無視する徒輩は、他人の不敵さを利用してみずから力を得るために、進んでその女婿の位置を欲したもの(ポンペイウス)と、選ぶところがないではないか。こういう人間は、世の憎しみがその他人にかかっているだけに自分には特に有利と思い、それが祖国に対していかに不正であり、いかに道徳的に醜悪であるかを覚らなかったのだ。しかも一方、その岳父(カエサル)というのはどうだろう、彼は『フェニキアの女たち』(524f.)にあるギリシャの詩句を絶えず口にしていたものである。それを記憶によってできるだけ引用して見たい。多少あやふやではあろうが意味だけは通ると思う。

   やむなく破る法ならば、王位のために

   破るべし、余事には神をあがむとも。

世にもいまわしいこの一事を例外としてみとめただけでも、このことばを吐いた作中のエテオクレスはもちろん、いやむしろ作者のエウリピデスこそ、罪、死に当るではないか。

83 われわれは今更、何として、いつわりの相続、まやかしの売買のごとき小事をならべる必要があろう。見よ、ここにローマ国民の王、万民の主たらんことを欲して、しかもそれをなし遂げたもの(カエサル)がある。この野望を道徳的に高貴であるとみとめるものは、まさに狂人ではあるまいか。こういう人間は法律を無視し自由を奪うを正当と考え、これらを抑圧する無道唾棄すべき行為をもって、栄光あるものと思う徒輩にほかならないからだ。しかしもし、かつて自由であり今もまたそうであるべき国家に王となることは不正であることに同意しつつ、しかもなおそれは、その力量のある人にとって有利なことであるとの本心を持つものがあるとすれば、わたしはどのような叱責を加え、むしろどのような悪罵を浴びせて、その人間の迷妄を解き破るべきであろうか。おお不死の神々よ、祖国に対する醜悪無道きわまりない殺害行為が、一体誰にとって有利であり得るのか、たとい敢てその罪をおかしたものが、圧服された市民から国の父と呼ばれようとも。有利さを規制するものは道徳的な高貴さでなくてはならない。しかもこの二つは、名こそ異なれ、事実において、全く一つの同じものでなくてはならない。

84 民衆の考えからすれば、一応、王位にまさる有利さはありえないかも知れない。事実は反対に、不正をおかしてこの野望を遂げたものにとってこれほど大きい不利はないことが、少し理性をはたらかせて真の理法を考えて見れば、わたしにははっきりわかる。懊悩、不安、日夜不断の恐怖、陰謀と危険に満ち満ちたその生活、それらは一体誰にとって有利でありえよう。

   玉座めぐりて数多き、不正不実の

   かたきども。実ある友の少きや。

とアッキウスはいっている。しかしこれは、どういう玉座をめぐって、というのであろう。もちろん、タンタロスとペロプスから伝えられ、正当に保持された王位をいうにちがいない。正当な王位でさえこの有様とすれば、ローマ国民の軍隊をつかってローマ国民を圧伏し、かつて自由であったのみならず万民に号令したこの国家を自己の奴隷たらしめたものが登った玉座に対しては、如何により多数のかたきがいたと、お前は思う。

85 お前は、この無法な王者が、良心にどれほどの汚点を持ち、どんな傷を持っていたと思う。こういう人間の命を奪った人たちは必ずや最大の感謝につつまれ最高の栄光をうべき運命にあるとすれば、殺されるその人間の生き方は彼自身にとって果して有利であるだろうか。もちろんそれは汚辱と醜悪につつまれているから、この上なく有利と見えるものが、決して有利でありえないことが明らかだとすれば、道徳的に高貴でないことは一つとして有利でないことを、十分わきまえていなくてはならない。

86 二十二 この問題については他のときにも一度ならず判定が下されたが、殊に著しいのは、ピュロスとの戦いのとき、再任執政官ガイウス・ファブリキウスとローマの元老院によって下された決定である。ピュロスがローマ国民に対して戦争をしかけ、われわれはこの度量強力の王と支配権を争うことになったとき、王の側から逃亡したものがファブリキウスの陣営に来て、ファブリキウスに一つの約束をした。もし報賞を約束していただけるなら、わたしは、ひそかに出て来たように、ひそかにピュロスの陣に帰り、毒をもって王を亡きものにしましょう、というのである。ファブリキウスはこの男をピュロスの許に送りかえすよう手配をしたが、彼のこの行為は、元老院の賞讃するところであった。もしここで、ローマがひたすら有利さの幻影と有利さの俗念だけを追求したなら、あの逃亡者はひとりでかの大戦争を終らせ、わが国の主権に対する怖るべき敵手を一挙に取り除くことができたであろうけれども、しかし誰にもせよ、ともにほまれを争うべき相手に、勇徳によらずして罪業をもって勝つことは、大きい汚辱であり恥辱ではないか。

87 アテナイのアリステイデスとローマにおいて対比されるファブリキウスにとっても、また利益のために権威を放棄したことのかつてないローマ元老院にとっても、武器をもって敵と争うのと、毒をもってするのとは、いずれが有利であったであろうか。栄光のために支配の権を争うべきであるなら、いやしむべき罪をしりぞけるべきはいうまでもない。罪に栄光はありえないからだ。手段を問わず、ひたすら権勢のみが求められる場合、恥辱と結びついた権勢がどうして有利でありえよう。

 ひとしくまた有利とはいえないのは、クィントゥスの子ルキウス・ピリップスがとった有名な措置である。かつてルキウス・スラが一時金を支払わせて元老院議決の下に納税の義務から自由にした属邦に対し、ピリップスは再びその義務を課しながら、しかも彼らがかの自由のために支払った金を、ローマは返さぬことにし、これに元老院は同意したのである。ローマの支配における何たる醜さであろう。元老院の信義は海賊にも劣るといわなくてはならない。

「しかし国庫の収入はふえた、有利ではないか」というひとたちがあるかも知れない。彼らは道徳的に高貴でないことが有利であると、どこまでいい切れるつもりであろう。

88 正しい栄光と盟邦の忠誠の上にこそ成立すべき支配権にとって、憎悪と汚辱が果して有利でありえようか。

 わたしはこの点について、わたしの親しいカトーとも随分意見を異にしたものだ。彼は国庫の収入を守るにあまりに頑固であった。徴税請負人の要求はすべて却下するし盟邦のそれは大部分しりぞけてしまう。しかし本当は、これらの盟邦に対してわれわれは恩恵的に出るべきであったし、日頃自分たちの借地人に対するように徴税請負人をあしらわなければならなかったのである。特に、わたしが始終唱える階級間の宥和が国家の安寧に欠くことができないものであったとすれば、尚更のことだ。クリオの行き方もよくなかった。彼はいつもポー河の北に住む人たちの市民権の要求は公正だといいながら、常につけ加えていうことに、「国にとっては有利さが勝ちだ」。彼はむしろ、彼らの要求はローマにとって有利でないが故に公正ではない、と彼らにさとすべきであったであろう。国家にとって不利だといいつつ、彼らの要求は公正だと、認めるべきではなかったと思う。

89 二十三 ヘカトンの義務に関する著作の第六巻は、こういう問題に満ちている。「食糧の価格の最大の騰貴に際して家隷たちを扶養しないのは、よき人のすることであろうか」。

 ヘカトンは可否両方の議論をしているが、しかし彼の考えでは、窮極において義務を主導すべきものは、人間性であるよりも、むしろ有利さである。

 彼は問う、海上で荷を棄てなければならないとき、棄てるべきは高価な馬か安価な奴隷か、と。ここでは、家財の考慮と人間らしさへの考慮は、それぞれ別途になさるべきだとする。

 「もし愚者が沈む船から板切れをつかまえたとき、賢者は、可能な場合、それを奪いとるであろうか」。

 それはいけないと、ヘカトンはいう、正義に反するから。

 「ではどうだ、船の持主は、板は自分のものだからといって奪いとるだろうか、どうだろう」。

 「決して。船は自分のものだからという理由で、はるか沖合で船主が船の持ち主でない船客を海中に投げ込みはしないのと同様に。客が船を雇った目的地につくまでは、船は船主のものでなくて船客のものだからだ」。

90 「ではどうだろう。板が一枚で難船の人は二人、しかもこの二人は賢人だとする。二人は板を奪い合うだろうか、あるいはゆずり合うだろうか」。

 「もちろん譲るだろうと思う。しかし、その生きることが個人的にまたは国家的に、より重要な人に」。

 「その甲乙がない場合はどうなる」。

 「もちろん争いなどはしまい。籤か拳(けん)でもして敗けたときのように、互いに譲り合うだろう」。

 「ではどうだ。父が祠(ほこら)を荒らし、あるいは国庫に向って地下道を掘るとすれば、息子はそれを役人に告げるだろうか」。

 「息子としてそれは怖るべき罪だ。むしろ、父が告発されても子は弁護しなければならないであろう」。

 「あらゆる義務にもまして国家というものは大切ではないのか」。

 「もちろん大切だ。しかし親たちに対して忠実な市民を持っことは、国家自身のためにもなることだ」。

 「しかしどうだ。父が僭主を志し祖国の裏切りを試みるとき、息子は黙っていてよいか」。

 「もちろん諫(いさ)めて、やめさせるようにしなければなるまい。そして効果がなければ父を非難し威嚇もし、遂に祖国が危殆に瀕すると見れば、祖国の安寧を父のそれに優先させるべきであろう」。

91 さらに彼はこういう問題も出している。「もしある賢者が不注意に本物のかわりに贋金を受け取ったとすれば、彼はそれに気がついていながら、借りのある相手にその金を、本物の代りに払おうとするだろうか」と。

 これをディオゲネスは肯定し、アンティパトロスは否定する。後者にわたしは同意する。

 知りつつ気の抜けた酒を売るものは、それを客にいうべきかどうか。その必要なしというのがディオゲネスであり、よき人の義務だとするのがアンティパトロス。これはストア派の人々が議論を戦わす法律論の場合に似ている。「奴隷を売るとき、その奴隷について予め言わなければ再び売り主が引き取らなければならないことが市民法に決められた欠点だけでなく、うそつきか、博奕打ちか、狂暴癖があるか、酒呑みか、というような点まで、言うべきか」という風に。言うべしというものもあれば、反対に考えるものもある。

92 また、「本当の黄金を売りながら売り主はそれを真鍮だと思っているとき、よき人は買い主として売り手にそれは黄金だと教えてやるべきか、あるいは一千デナリウスもするものを一デナリウスで買い取っていいものか」。

 これについてのわたしの考えはどうか、また上述の哲学者たちの間に戦わされる議論の根拠は何か、については、すでに明らかだと思う。

二十四 大法官の布告にいうように「暴力または悪意の詐欺によってなされたるにあらざる」協定や約束もまた常に守らるべきか、についての問題もある。

 たとえば皮下水腫に対して薬を患者に投与して、同時に次のような約束をしたとする。もしこの薬で病気がなおった以上、患者は再び同じ薬を用いないこと。ところが患者はその薬でなおり、そして数年後に再び同じ病気になったが、しかし約束の相手に依頼して再びその薬を使う許しを得ることができないという場合、患者はどうすればいいか。もちろん依頼をしりぞける人が非人間的であって、薬を用いても不法をはたらいたことにならないのだから、その生命の安全を図って差支えはない。

93 またこれはどうだろう。ここにある賢人があって、この人を自分の相続人に指定し遺言によって一億セステルティウスを遺贈するという人から頼まれて、賢人は相続を受ける前、白昼フォルムの衆人環視の中に踊って見せることを約束したとする。この約束をしなければ相続人として書き入れてもらえないと思ったからであるが、果してこの賢人は、約束を実行すべきか、否か。わたしはそんな約束はしてくれなかったらと思う。その方が、彼の権威にふさわしいと判断されるからだ。一旦約束してから、フォルムに踊るのが醜いと思うなら、彼はむしろ約束を破って同時に遺産から何ももらわない方が、そのような貰い方をするよりは、道徳的に高貴なことだとわたしは思う。ただ万一、その金が国家の何か重大時の処理に寄与するときは、おのずから別であって、この場合は、国家のために図ってするのだから、踊ることも道徳的に醜いとはいわれない。

94 二十五 一方、相手にとって有利でない約束もまた、われわれを拘束する力がないとしなければならない。例を神話にとるなら、かの太陽神が子のパエトンに約束して、何でも望むとおりにかなえてやろうと言ったことがある。パエトンは父の車を使わせてほしいといい、それを許された。ところが彼は降り立つまでに、紫電の一撃に燃え失せたのである。父としてその約束を守らなかった方がどれほどよかったことか。またテセウスはネプトゥーヌスから何という約束を取りつけたことだろう。ネプトゥーヌスは彼に三つの希望の選択をゆるしたのだが、テセウスの選んだのは、何と、かねて継母との仲を疑っていた息子ヒッボリュトスの死であった。ごの願いが実現すると、テセウスが世にも大きい嘆きに打ち沈んだのはいうまでもない。

95 アガメムノンは女神ディアナに何という犠牲を約束したことであろう。彼はその年内に自分の領内に生まれたもののうち、もっとも美しいものを女神に捧げる約束をしたため、遂にわがむすめイーピゲネイアを犠牲に供したのである。その年生まれたものには彼女より美しいものがなかった。これほど怖ろしい行為を受けいれるより、彼はむしろ約束を実行すべきではなかったと思う。

 だから約束といっても、必ずしも常に守らなければならないとは限らない。同様に預かったものも、時には返す必要がないこともある。もし誰かが正気のときにお前に刀をあずけ、狂気のときに返してくれといったとき、返すのは罪であり、返さないのがお前の義務だ。また、こういうときはどうだ、お前に金をあずけた人が祖国に戦争をしかけるとき、お前は一体あずかりものを返すだろうか。決して、とわたしは信じる。最も愛すべき祖国にお前は弓を引くことになるからだ。こうして、本来、道徳的に高貴と見えることがらで、事情によってその反対になるものがなかなか多い。約束の実行、契約の堅持、寄託物の返還も、有利さの背景が移動すれば、必ずしも道徳的に高貴な行為ではなくなるものだ。

 このような次第で、本質的には正義に反しつつ、ただ明知の仮面の下に有利さと見られるにすぎない行為について、わたしは以上、すでに十分に述べたと思う。

96 しかしわたしは第一巻(15節以下)で、道徳的な高貴さの四つの源泉から義務の諸相を導出したので、今ここで、有利と見えながら実はそうでないものが如何に道徳に背馳するかを明らかにする場合にも、同じ四つの分け方に従おうと思う。ところで奸悪さがその仮面をかぶりたがるものとしての明知について(一)わたしはすでに論じたし、本質上常に有利さの性格を持つ正義というもの(二)についても同様に論じて来た。残るところは、道徳的な高貴さの二つの部分であって、その一つは卓出した精神の偉大さ傑出さにみとめられるもの、(三)他は堅忍と自制による精神の禁欲と規制に成立するもの(四)である。

97 二十六 オデュッセウスについて、少くとも若干の悲劇作家たちの伝えるところでは――この点について最も信頼できる作者のホメロスにおいてはオデュッセウスにこうした疑いは少しもかけられていないけれども――、策を弄するのが有利だと考えた彼は、狂気を装って軍役に就いてトロイアへ遠征するのをひそかにまぬがれようとしたと、悲劇にあらわれている。この心術は道徳的に高貴とはいわれない。しかし王として故郷に留まり、安静に両親と、妻と、子とともにイタカの島で暮すのが彼にとって有利であったという人もないとはいえまい。しかし日々の難戦と苦闘のうちに立てられる功業の偉大さが、こんな静穏な暮しの卑小さなどと比較になると、お前は思うか。

 わたしは、この静穏は侮蔑すべきもの、排斤すべきものだと思う。それが道徳的に高貴でなければ、有利でもまたありえないと、わたしは考えるからだ。

98 もしオデュッセウスがあの仮病を使いおおせたとすれば、彼は自分についてどんな噂をきかされただろうと思う。実際にトロイアで大功を立てたあとでさえ、アイアスから、こんなことを言われなくてはならなかったはないか。

   みずから人に先んじて、つがえし誓いのまことをば、
   人みな今も知るごとく、破り棄てしは彼のみぞ。
   ともにいくさに立つことを、逃れようとて狂気をば、
   その時装いて見せたりし。もしこの時にかのものの、
   黒きたくみの大胆を、見破るさとき明察の
   パラメーデースなかりせば、聖なる誓いの掟にも、
   背きしならむ、とこしえに。

99 オデュッセウスは結局、敵ばかりでなく、帰りの航海で波濤とも実際に戦うことになったが、これは、一致して蛮族に戦いを挑むギリシャの総意に背いて故郷に留まることより、彼にとっては結構なことであったのだ。

 しかし神話や異国の例を引くまでもない。実話として、わが国にも、いろいろの例がある。マルクス・アティリウス・レグルスは、再度の執政官としてアフリカに戦ったとき、敵はハンニバルの父ハミルカルを総帥とし、スパルタのクサンティッポスがその軍に将として仕えていた。アティリウスは敵の罠にかかって捕えられ、そして特にローマの元老院へ送られた。その条件は、当時ローマに送られていたカルタゴの高い身分の捕虜たちを本国に返す折衝をし、もしそれが不成功の場合、自身は再びカルタゴに帰るべしというのであった。彼はローマに着いて、この条件が自分にとって一応有利な見せかけを持っているのを覚ったが、しかし実質が示すように、この有利さは虚妄にすぎぬと判断した。いかにもそのまま故国に留まり妻子と共に家郷に暮すことは、一応有利さの見かけを持っている。自分が戦争で不幸な虜囚の境涯におちたことも戦いの運としてあり勝ちのことと考えていいし、執政官としての威望ある位階を依然として保持できることも自分に有利なことといえないこともない。事実これらを有利としない人として一体誰があろう。誰があると、お前は考える。断じてこれらを否定するのは、精神の偉大さと勇気である。

100 二十七 この二つのもの(偉大と勇気)にもまして有力な証人を、お前はなお欲することができようか。これらの徳目の特質は、何ものをも怖れず、地上における人間の運命をすべて蔑視し、人間が時としてこうむる不運を耐えがたいものとは思わぬところにある。そのとき右のアティリウス・レグルスはどうしただろうか。彼は元老院に臨み、使命の趣きを明らかにはしたが、しかし自分の意見をいうのを拒絶した。自分が敵人との間につがえた誓いによる拘束の下にある間、自分は元老院の一員ではないと考えたからである。それどころか(これについては、「何と愚かな人か、自分の有利をみずから棄てて」、という人もあるかも知れないが)、彼はつぎのように言ったのである、「捕虜を返すことはローマの利益に反する、何となれば彼らはいまだ年が若いのみならず有為の将たちである、これに対して自分はすでに蝕(むしば)まれた老年ではないか」、と。彼の言が院議を制し、捕虜たちはローマに残され、彼自身は進んでカルタゴに帰ったのである。祖国に対し家族に対する愛情も、彼をつなぎとめることができなかった。もとよりその時、自分の帰る行く先きがこの上なく残忍無道の敵国であり、おのれを待つものが考えを絶する刑罰であることを、彼は知らなかったのではない。しかし、つがえられた誓いは守らるべきだとするのが彼の考えであった。従って、彼は強制せられた不眠の刑に死したとはいえ、家郷にあって俘囚の老人、裏切りの前執政官としてとどまるのにくらべて、はるかによりよき命運を、彼は選んだものと、いわなくてはならない。

101 「しかし何と愚かなことだろう」という人もあろう、「捕虜は返してやるべきだといわなかったばかりか、進んで反対を表明したとは」。

 どうしてそれが愚かな所行ということができよう。彼の所行が国家のためになったとしてもやはりそうだろうか。論者は国家に有害なことも、個人にとっては有利でありうるというのであろうか。

二十八 有利さと道徳的な高貴さとを引きはなして考えるとき、ひとは自然の命ずる基本原理をくつがえすことになる。いかにも、ひとはみな銘々の有利さを求め、それに惹かれないものはなく、抵抗できるものもない。有利さを怖れて逃げるものもなく、むしろ進んでそれを一心に追求しないものもないくらいだが、しかし、われわれはどんな場合にも、道徳的な賞讃、済美、高貴さにおいてでなくては、真の有利さを見出すことができないのであるから、この三つをわれわれは何よりも第一義的なもの、最高のものと考え、有利さは、それみずからにおいて輝やかしいものというより、むしろ右の三つに必然的に附随して現われるものと、わたしは考えるのである。

102 「誓いというものは、われわれにとって、どれだけの意味があるものであろう」、と疑いを持つひともあるかも知れない。「ゼウスを怒らせるのが恐ろしいからであろうか」。いや決してそうではない。神は決して怒らず、決して害せず、というのがすべての哲学者に共通の考えである。ひとり神のみが一切わずらいから自由であり、他にわずらいを及ぼさないと考えるエピクロス派の哲学者の考えのみならず、神は不断にはたらき不断に世のためにつとめると信ずるストアの哲学者の神についての考えも、右の点に関して共通である。たといゼウスが怒りを抱いたとしても、レグルスに対して、レグルス自身が自分に加えたほどの責め苦を、神が彼に加えることができたであろうか。いや、どんなに大きい宗教的な力も、レグルスが国家にもたらしたあれほどの有利さを、くつがえすに足るものはない。

 「レグルスは道徳的に誤ることを怖れてあのようにしたのであろうか、どうせこうむる悪ならば先ず最小の悪をこそ、ということわざもある」、という人もあろう。そうならレグルスのしたことは道徳的に醜悪であって、そのため、彼が実際こうむったあの責め苦にひとしい悪がもたらされたのであろうか。いや決して。更にまたアッキウスにこういう句もある。

     (テュエステース)
   「なんじ誓いを破りしや」。
     (アトレウス)
   「われいまだ誓いを不信のともがらに、
   与えたる、また与うることもあらざるに」。

 後者は神を怖れぬ王アトレウスのことばであるが、それにもかかわらず、このことばには道徳的な高貴さが、あざやかに現われている。

 更に加えて、こういう人もある。あることがらが、事実に反して有利と見えることがあるように、彼らは、「あることがらが事実に反して道徳的に高貴と見えることもあるのではないか」と主張し、「たとえば誓いを飽くまで守るために、おのれを待ちうける責め苦へ進んで帰ったことは、一応道徳的に高貴とは見える。しかし、敵が暴力的に行った刑罰は妥当でありえなかったのだから、レグルスがとった態度は、結局、道徳的に高貴ではなかったことになる」、というのである。

 また加えていうことに、何ごとにもあれ、すぐれて有利なことがらは、結局道徳的に高貴なことになる、たとい以前はそう見えなくても、と。

 以上が大体、レグルスに対する反論である。わたしは順次これを検討したいと思う。

104 二十九 「常々怒ることもなければ、害することもないゼウスが、怒って自分に害を加えるだろうと怖れる理由は、レグルスにはなかったはずだ」。

 こういう議論は要するに、レグルスの誓いに対してよりも、むしろ一般にすべての誓いに関してなさるべきだと思う。しかし誓いにおいて、われわれがよく知らなくてはならないのは、誓いを破った場合どういう怖ろしいことが起るかより、誓いにはどんな力が籠っているかの問題である。誓いとは内に一種の宗教的なものを含む言質だからだ。言質を与えて、いわば神を証人として立てた約束は、何びとも守らざるを得ないではないか。それの関わる問題は、事実有りうるはずもない神々の怒りではなくて、正義であり信義の問題だからだ。実に美事にエンニウスもいっている。――

   おお信義、翼ある優しき女神、
   ゼウスの御名に誓われし、汝、誓いよ。

 だから誓いを破る者は信義の女神を涜(けが)すものであり、この女神こそ、カトーの弁論にいうごとく、われわれの祖先がカピトリウムの丘の上に、「至大至高のユピテル(ゼウス)に隣する」神として、祭ることに決めた神であった。

105 「しかし、たとえ怒ってもユピテルは、レグルス自身が自分に加えたほどの責め苦を、レグルスに対して加えることはできなかったのではなかろうか」、と反論するものも、またあろう。

 一応はそうだ、もしも苦痛のほかに悪がないとすれば。しかし苦痛は最高悪でないのみならず、決して悪の部類に入らないと、最高の権威をもつストアの哲学者たちはいっている。従って、この哲学者たちの学説の小さからざる――というより恐らく最も重要な―証人としてのレグルスを、どうか鞭うたないようにわたしは頼みたいと思う。事実、誓いをかたく守るがために、進んで責め苦に赴いたこのローマ国民の第一人者にまさって資格の十分なストアの学説の証人は、ほかに誰を見出すことができようか。

 また人びとはいう、「悪の中では最小のものを選ぶべし」、と。つまり、残酷な目にあうよりは、むしろ、道徳的に醜い方を、ということだが、しかし、道徳的に醜いことより大きい悪が、果してあり得ようか。醜さが肢体の畸形において嫌悪の情を催さしめるとすれば、醜くされた精神の歪みと汚れは、どれほどいやなものであろう。

106 従ってこの問題を論じるのに一層力を入れる人たち(ストア派の哲学者たち)は、敢て道徳的に醜いことが唯一の悪だといい、この種の問題をよりゆるやかに取り扱う逍遙学派の人たちも、さすがにそれを最高悪だと呼ぶに躊躇はしていない。

 それでさきに引用したこういう句を引く人もある。

   われいまだ、誓いを不信のともがらに、
   与えたる、また与えしこともあらざるに。

 詩人アッキウスとしてはこう書いたのももっともだと思う。詩人はここにアトレウスを扱う場合、劇の人物にことばをあわせなくてはならなかったのだから。しかしこれを引用する人びとが、不信のともがらに与えた約束は無価値だと、勝手な解釈をするなら、彼らの求めるところは単なる裏切りの口実にとどまらないことを、彼らはよく見る必要がある。

107 またしばしば敵との間にも、戦争の法や誓いの信義を守らなくてはならないことがある。当然遂行しなければならないと、はっきりした意識をもって誓われた約束は、かならず守られなければならないからだが、そうした誓われ方をしなかった約束は、たとい守らなくても、決して裏切りにはならない。たとえば賊に約束した身の代金は、賊に渡さなくても決して欺瞞ではない、たといそれを誓いながら、破ったとしても。何となら、賊は正式正当の敵ではなく、万人共通の敵だからだ。こういう敵との間には当然、信義があるべき筈がなく、合意の誓いの成立など、考えらるべきことではない。

108 これは、偽りの誓いをすることが必ずしも裏切りでない場合だが、しかし、ローマの習慣における法廷用語にいわゆる「汝の良心にかけて」誓ったことがらは、それを実行しなければ、もちろん裏切りになるのはいうまでもない。これについてエウリピデスのいったことばを知るがよい。

   舌で誓いはしたけれど、心で誓った覚えはない。

 しかしレグルスは敵との間に結んだ正規の戦いにおける条件や約定を、裏切りによって破ってはならなかったのである。彼のたずさわったのは正規の合法的な敵との事件であって、正規の敵に対しては、祭官法(宣戦講和の法規)の一群もあれば、敵味方を共通に規制する他の多くの法もすでにそなわっているからだ。もしそうでなければ、元老院は高名の士に繩をかけて敵にわたしたはずがない。


109 三十 ところがティトゥス・ウェトゥリウスとスプリウス・ポストゥミウスが共に再度の執政官であったとき、カウディウムの戦いに失敗し、ローマの軍団を敵のくびきの下に委ねて敵の自由処分に委ねてサムニウム人と和を結んだため、彼らは敵に渡されたことがあった。理由はローマの国民と元老院の命令なくして和を結んだからであったが、同時に、このとき護民官であったティトゥス・ヌミキウスとクィントゥス・マエリウスも、職権を利用してこの講和に同調し、成立せしめたのを理由に、同様に引き渡された。ローマがこの処置を取ったのは、サムニウム人とのこの講和を、正規の手続の下に破棄するためであった。しかもこの引き渡しについては、ポストゥミウスその人が、元老院において自分の引き渡しの問題がなお論議の段階にあるとき、進んでそれを発議し説得したのであった。

 同じことが多年の後に、ガイウス・マンキヌスに関してもまた起ったのである。マンキヌスはヌマンティア人との戦いに敗れて和議を結んだが元老院の允許(いんきょ)をうることができず、ルキウス・フリウス、セクストゥス・アティリウスの二人が提案した元老院議決案にみずから賛同して、自分を敵に引き渡すように説得し、それが受け容れられて敵に渡された。この人の態度はクィントゥス・ポンペイウスにくらべて、実に道徳的に高貴であった。ポンペイウスは同じケースに陥ったとき、百方懇願して、同様な提案を却下してもらったのである。後者の場合、道徳的な高貴さよりも、見かけの有利さが重視せられたが、前者の場合、道徳的な高貴さの下に圧倒されたのは見かけの有利さであった。

110 「けれども暴力をもって強いられたことは、妥当とみとめらるべきでなかった」、とひとは言うかも知れない。あたかも勇気のある人に対して暴力が何らかの効力があるかのように。

 「それでは、特に捕虜返還についての案を撤回させるために、彼はわざわざ元老院まで旅を試みたのであろうか」。

 こういうなら、お前は彼における最大の美点を非難することになる。彼は自分の判断に立ってそうすることに満足せず、その処置が元老院の判断であるように、事件を持っていったのである。もし彼が元老院のあの判断の推進者として働かなかったなら、捕虜たちはカルタゴに返されたであろうし、レグルスは安全に故国にとどまることができたであろう。彼はこれを祖国のために不利と見たため、自分としてあのように考え、あのように苦しむことを、みずから道徳的に高貴だと信じたのである。

 従って、人びとは、非常に有利なことはおのずから道徳的に高貴なことになるというが、むしろ本来「高貴である」のであって、「高貴になる」ではない。道徳的に高貴でないことは決してそれ自身有利ではないからであって、一般に有利だから高貴なのでなく、高貴だからこそ有利なからだ。

 だから嘆賞すべき多くの例があっても、このレグルスの例ほど賞讃すべく景仰(けいぎょう)すべきものを見出すのは、至難のことだと思う。

111 三十一 しかしレグルスのとった賞讃すべき行為のなかでも、特に注意すべき一条は、彼がカルタゴの捕虜をそのまま留めておくように提案したことである。彼がカルタゴに帰ったことは、今のわれわれには理解しにくいように見えるが、当時、彼としては他にとるべき道がなく、従ってあの賞讃は人にでなく、時代に属すべきものであった。というのもまた、われわれの祖先の考えでは、信義を守る点に関して、誓いこそ、いかなる束縛にもまして、われわれをきびしく拘束すべきものであり、十二表における法もそれを明示しているし、「聖法」もそれをいい、敵に対してさえ信義を義務づける条約もそれをうたい、監察官による査察と処罰もそれを明らかにしている。監察官たちは何にもまして誓いに関してほど、きびしい断罪を下すことはなかったのである。

112 アウルスの子ルキウス・マンリウスが独裁官であったとき、自分でその職の期限を数日間延長したために、護民官マルクス・ポンポニウスから訴追をうけたことがある。のみならず彼は、後にトルクァトゥスと称せられた自分の息子のティトゥスを、その仲間から引きはなし、田舎に暮すことを命じた廉(かど)で、同じ護民官から訴追をうけた。ところが自分のために父に面倒がかかっていると聞いた若い息子は、ローマに馳せ戻り、夜明けとともに、ポンポニウスの家を訪ねたということである。来訪が取りつがれると、息子はきっと父に対する怒りに燃えて、更に父に不利なことを訴えに来たにちがいないと考えたポンポニウスは、寝床から起き上り、かたわらの人びとを遠ざけて若者を通せと命じた。ところが通されるや否や矢庭に息子は剣を抜き、父に対する訴えを取り下げる誓約をしなければ、誓って直ちに彼を殺すというのであった。これに脅やかされたポンポニウスは約束をつがえ、事情を国民に報告して訴追を取りやめる自分の理由を説明し、マンリウスを自由にしたのであるが、あのころはこれほど、誓いというものに力があった。

 この若い息子こそは、アニオ河の戦いのとき、自分に挑戦したひとりのガリア人を斬り殺してその首飾(トルクェス)を奪い、トルクァトゥスの名を得たティトゥス・マンリウスであって、その第三回執政官のときラティウム人をウェセリス河畔に破って壊走せしめた彼は、第一級の人物中の巨人であって、父にはいいようもなく寛大であったが、自分の息子に対しては苛酷峻厳な人であった。

三十二 さきのレグルスが、誓約を堅持した点において賞讃に値するとすれば、カンナエの戦いのあと、ローマ軍に捕えられていたカルタゴの捕虜たちを引き取る交渉がまとまらなければ、ポエニ人たちの手におちていた陣営に再び帰ると誓ってローマの元老院へハンニバルによって送られたあの十人のローマ人たちは、もし約のごとく帰らなかったなら、当然非難せられるべきであった。この十人について伝えられるところは一様でないが、特に信頼に値する著者ポリュビオスによれば、十人のもっとも身分の高い人びとのうち、九人は元老院との話がまとまらなかったために帰ったが、十人のうち一人だけは陣営から出発して間もなく何か忘れものがあるかのように一旦引き返し、そしてローマではそのまま居ついたまま帰らなかったという。その一人は、一旦陣営に帰ったのだから自分は誓いから解放されたのだと、解釈したのだが、もちろんこれは間違っている。この欺瞞は裏切りを解消するどころか、かえって重大化するからである。明知を誤って模倣した彼の狡猾さは、要するに愚策にすぎなかった。だから元老院は、この狡知の老獪漢を縛につけて、ハンニバルのもとに押送(おうそう)することを決議したのであった。

114 しかしここに、この話のもっとも重要な点が一つある。ハンニバルの手に捕虜として握られていたのは八千人、しかもこの八千は戦列の間に捕えられたものたちでもなければ、死の危険を逃れて投降したものでもなく、彼らを率いた執政官パウルスとウァッロー(216年)のために陣中に遺棄せられたものたちであった。しかもローマの元老院は、わずかの金額で事はすむにもかかわらず、彼らを引き取るべしとは考えなかった。ローマの兵士にとって「勝利か死か」は、今さら問題であるべきではないとしたからである。しかしこれを聞いたハンニバルは、ローマの元老院と国民は国の破滅に瀕しても、なおかく気高い心をもつものかと、さすがに勇気を打ちくだかれたと、右のポリュビオスは伝えている。このように道徳的な高貴さと比較すれば、有利と見えるものは、まことに、よわいといわなくてはならない。

115 一方、ローマの歴史をギリシャ語で書いたガイウス・アキリウスは、この点について、誓約の責めを免れようとして同じような欺瞞の手段を用い、一旦敵の陣営に戻ったものは一人のみでなく、これらのものは監察官によってあらゆる汚名を浴せられることになったと、伝えている。

 以上の論題についてはもう結論を出すことにしたい。臆病、卑小、衰耄(すいもう)、沮喪の精神をもってなされたことがら――たとえばさきのレグルスが仮に、敵の捕虜の処置に関して自分の利益のみを考え、それが国家の面目に関係する重大事であることを思わなかったり、あるいはむしろ家郷にとどまることを欲したとした場合の如き――は、恥ずべく、嫌うべく、かつ背徳的であるがゆえに、決して有利でないことは、きわめて明瞭である。

116 三十三 なお、済美、節度、謹慎、堅忍(けんにん)、自制の上に成立する第四部についての考察が残っている。

 このような諸徳のコーラスに反しながら、しかも有利でありうるものが一体あり得るであろうか。しかもなおアリスティッポス(キュレネ派の祖、前435-355)に因んでキュレネー学派と呼ばれる哲学者たちや、アンニケリスの流れを酌む哲学者は、あらゆる善を快楽の中におき、道徳は快楽の期成因なるが故にこそ貴ばるべきものだというのである。これらの人びとが忘れられてから、今日栄えるのはエピクロス(前341-270)であるが、その唱導支持する考えは大体右とかわらない。われわれの目的が道徳的な高貴さを守護し護持するにあるとすれば、これらの人びとに対抗して、ことわざどおり「全軍の人馬を挙げて」雌雄を決しなくてはならないのはいうまでもない。

117 というのは、メトロドロス(前331-278)が書いているように、もし有利さのみならず幸福な生もまた例外なく、肉体の強健な構成と、その状態の永続を信ずる確固さにあるとすれば、この有利さ、しかもその一派がこれこそ最大のものと信ずる有利さは、道徳的な高貴さと必ずや衝突することになろう。この考えでは第一、明知の占める場所は与えられていないではないか。明知はあらゆるところから愉楽を集めて来るだけがその役目だというのか。快楽に仕える道徳というものの奉仕は何と憐れなものであろう。それでは明知の機能は何であろう。賢明に快楽の有利性の有無、量の大小を選別することなのか。仮にこの役目より明知にとって快いものはないとせよ。とすれば、明知にとって、これにもまして恥ずべき役目は考えられるであろうか。

 更に、苦痛を目して最大の悪だとするならば、その人の哲学において、元来、苦痛苦難の軽視であるべき剛毅の精神は、如何なる場所を占めるのであろう。いかにもエピクロスは、事実、苦痛について、まことに剛毅な立言を、いろいろなところでしてはいるけれども、われわれとしては彼の立言そのものに注目すべきでなく、善を快によって、悪を苦によって定義した彼が、当然その帰結として、何をいうべきであったかに注意しなくてはならない。

 のみならず彼のいうところをよく聞くと、いかにも彼は、節欲や自制について、実に多くのことをさまざまの箇所でいっている。しかしそれは、いわゆる「水がつまって流れない」有様ではなかろうか。元来、最高善を快楽におくものが自制を讃美することが無理ではなかろうか。自制は欲情の敵であり、欲情は快楽の追求者であるからだ。

118 しかもなおこういう哲学者たちが、この三つの主要徳目に関して、あらゆる手段を弄していいのがれをするやり方は、巧妙といえばいうこともできる。快楽をもたらし苦痛を追放する知識として彼らは明知を導入し、あるいは特定の仕方で剛毅さを動員して、これが死を軽視し苦痛を耐え忍ばしめる道だと教えるのみならず、また無理をおかし手をつくして、自制というものをまで導入し、快楽の大きさは苦痛を遠ざける程度によって決定されるというのである。これでは正義も立って確固たる能わず、むしろ地に伏す有様であって、このことは同様に、共同生活と人類社会のきずなのなかにみとめられるすべての道徳についてもそうではあるまいか。人生における善良さ寛大さ、交りの快さというものが、もちろん友情もこれにふくめて、それ自身のために求められず、かえってただ快楽、有利さとの関連においてみとめられるとすればこれらの存在の根拠はなくなるではないか。

 それでは以上のことを簡単にまとめておこう。

119 さきにいかなる有利さでも、道徳的な高貴さに背馳するものは決して有利でありえないことを示したが、同様にわたしの信ずるところでは、あらゆる快楽は道徳的な高貴さとは反対のものである。だからこそ、この点において、カッリポンやデイノマコスなどという哲学者は大いに非難さるべきだと思うのだが、それは彼らが道徳的な高貴さと快楽とをかけ合わせて二つを区別しないことによって矛盾を破ろうとしたからであって、これではまったく人間にけものをかけるようなものではないか。道徳的な高貴さはそんなかけ合わせを受け入れるはずはなく、もちろん蔑視し排斥する。いうまでもなく最高善は、最高悪もそうだが元来純一であるべきだから、異物と混和され中和されることはできない。しかしこれは大きい問題だから、わたしは別のところで(『善悪の究極について』の第二巻)、もっと詳しく論じておいた。今は当面のテーマに戻りたい。

120 さてこのように有利さと見えるだけのものは、道徳的な高貴さと矛盾するとすれば、このけじめをどうしてつけるかが問題だが、その点は上に十分述べたと思う。たとい快楽も、時として、有利さの外観を呈することがあると人はいっても、快楽と道徳的な高貴さとの結合だけは、決してありえないことに、注意してもらいたい。かりに快楽に一歩をゆずって、われわれも、そこに、人生の薬味としての効果の幾分かをみとめることができるかも知れない。しかしそれが真の有利さをふくむことは、全くないであろう。

121 わが子マルクスよ、これがお前に対する父からの贈物だ。少くともわたしの考えでは、大きい贈物だと思うのだが、その価値の大小はお前の受け取り方にかかっている。この三巻から成る書物を、今お前が聴講するクラティッポスの講義の覚え書の間に、いわば客分として受けとるようにしてもらいたいと思うが、しかしもし、わたし自身がアテナイへ行ったとすれば(このことも、わたしを途中から祖国が聞きちがえようもない声で呼び返さなかったら、実現していたかも知れない)、直接わたしのことばを聞いたにちがいないように、この書冊(しょさつ)によってわたしの声が届いた以上、できるだけの時間をこれに都合してほしいと思う。お前がその気になれば、その気になっただけの時間は都合できるものだ。お前がこの種の学問(哲学)に喜びを見出していることが分かれば、願わくは近いうちに、お前と顔をあわせて親しく話をしたいし、お前がはなれてそこにいるからには、こうして遠くから話しかけたいと思う。

 それでは気をつけて、わがキケローよ。わたしにとってお前が如何に大切なものかを、決して忘れないように。しかしここに書いたような戒しめと教えにお前が喜びを見出してくれるなら、お前はわたしにとって、更になお、大切なものになることを、よく覚えていてくれるように。

註(略)




2024.4.24-6.3 Tomokazu Hanafusa